2023年11月30日

俳句の英訳の試みー意訳になるー一つの英語の言葉の意味がわかりにくい 【神の手に万物一つに結ばれる冬】


俳句の英訳の試みー意訳になるー一つの英語の言葉の意味がわかりにくい

【神の手に万物一つに結ばれる冬】



神の手に万物結び冬に入る

神の手に万物一つに結ばれる

物言わず万物硬く冬に入る

冬に入る万物硬く結ぶ合う

深々と万物硬く根ずくかな

冬に入り万物整い神ましぬ

石と石組まれ重なり冬に入る

人の業休まむ時や冬に入る


the almighty of God control 
complete over nature.
strong and perfect in winter
as all united one

all silenced nature in winter
deeply rooted in the earth
Strict and solemn 

one by one 
built in stones
all united one
winter come

God exsist 
all united one
in order
in winter

Presence of God
with no working man
a state of inaction
objects at rest in peace 
quiet in winter


She rested her eyes on me and smiled.
 彼女は私に目を留めてにっこり笑った.

何故ここにrestが用いられているのか?目が留まるでstayにもなるのでは、休むということが理解できない。rest には停止する意味があるからその目線がその人物に停止したとなるのか?

one by one 
built in stones
all united one
winter come

本質的な成分、あるいは特質として存在するさま
(existing as an essential constituent or characteristic)

この俳句を説明すればこうなる。そもそも詩の翻訳はできない、詩は言葉の芸術であり言葉の意味を深く知らないとできない
漢字にしても中国人の漢字が意味しているのと日本人の漢字は同じ漢字を使ても意味を違ったものとして使っているからだ

いずれにしろ詩の翻訳は不可能だしコンピューターでも翻訳できない、詩とは高度な言葉の芸術だからである。
外国語になるとこのrestのようにただ休むというののでもないからである。
ただ外国語で表現すると何か感覚的に違ってくる。漢詩でもそうだが韻を踏むということで有利ではある。どうしても日本語は冗漫になるからである。

ただ私の語学力で翻訳は無理でありただ意訳することで英語の表現にすると無駄なものが省かれて引き締まるとはなる。
おそらくこの俳句を英訳しても英語を母国語とする人たちには余りに平凡でつまらないとなるだろう
俳句は日本の季語から成り立つものだから基本的にそれがわからないと理解できないからである。
意訳すればただ平凡な説明にもなってしまうからである


隠栖の老いの棲家や冬の星


The old man retires
at the hidden house
a star in winter

ここでも隠栖の表現が英語ではただ引退したとなり何か平凡になる。
外国人には漢字の意味がわからないからまた漢詩でも訳してももその真意が通じないのである。


京都の風景【Scenery of Kyoto】


京都の風景【Scenery of Kyoto】

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この女性は県外にある芸術大学の卒業生だった。生成AIが登場したことで、学生時代に学んだイラスト作成の能力を社会で生かせなくなったと感じていた。自身の借金問題や精神疾患も重なり、死のうとしていた。

生成AIに職を奪われる 東尋坊で絶望する画家の卵と闘う俳優たち

コンピューターの影響は大きい、このbeing image creatorで作る絵には驚く、画家まで失業するのかとなる。
まず簡単な素材とイラストで金をもらっていた人は失業する
他に翻訳とかでもかなりの影響がある、学習でもAIの影響がある。つまりAIは人間の頭脳と深く関係しているためにその方面で影響が大きいのである。

2023年11月29日

人間が時代時代に残すものー大衆化時代の残したもの 【マスコミとカルト宗教団体】


人間が時代時代に残すものー大衆化時代の残したもの

【マスコミとカルト宗教団体】

●時代時代で人間が残すもの

人間を見るとき最後になると人生の終わりになるとその人の一生ががなんだったのだろうと自分だけでなく他人でも見るようになる。それは別に特別な知識人とかでもなく普通の人でもみんな私の人生とは一体なんだったのだろうかとか何の意味があったのだろうとか必ず振り返るのである。
それと同じように人間の歴史を見たとき時代時代に残すものはある。例えば奈良時代になったと仏教を見れば奈良の大仏が作られたように鎮護国家の仏教であり次に平安時代になると貴族の仏教となり鎌倉時代になると民衆の仏教になったとなる。
また鎌倉時代は侍が勃興してきた時代だから侍に適した仏教として禅宗が盛んになった。でも民衆の仏教として日蓮宗と念仏宗が普及した。なぜ普及したかというとその頃字を読める人は極めて少なかった。となると布教するのにも難しいことを言っても理解されない。

だからただ題目を唱えるとか念仏を唱えれば救われるとか病気でも治るとかそれで普及したのである。実際に仏教というのものはどういうものかとか深く理解して信仰したというわけではないのである。
それで仏像でも鎮護国家の奈良の大仏となると大きいということで編集はその時民衆は大きいということでそれが威圧するように仏教の偉大さを示したのである。それは初期の段階では仏教というのは何かわからないから大きな仏像を作ってその偉大さを示して民衆に従わせたということである

とにかく人間は個々人でもそうだが一生に残すものがある。時代時代でもやはり残すものはある。それで奈良時代とか平安時代とか鎌倉時代とかその時代を特徴づけるものとして歴史がある。江戸時代になると侍の時代でありそこでもやはり侍の模範として武士道が生まれたのである。そして侍の時代が終り明治維新になり明治は明治で残すものがあった。そして大正時代昭和時代と戦前でも残すものはあった。ただ太平洋戦争では300万人も死んだので一体その意味はなんであったのか何を残したのかとなると難しいとなる。

●戦後の焼け野原から生まれたカルト宗教

戦後も焼け野原となったがそこから日本は復興した。その焼け野原の時に生まれたのは今の団塊の世代である。その世代は高度経済成長を成し遂げて豊かな日本を創ったともなる。ただ今はそれが高齢化して負担となっているのであるがやはり戦後高度成長を作り一時代を築いたということがある。ただ宗教から見ればカルト宗教全盛時代になった。なぜカルト宗教は戦後に増えたのかというと何か戦争に負けて精神的支柱を失ってカルト宗教でも頼るようになったのかとなる。

ただ現在のカルト宗教というのは世界的共通性があるかもしれない。例えば創価学会の会員が一時うなぎ上りに増えた。他でも幸福の科学とかオウムとかが社会で大きな勢力と化したのはやはりこの時代の一つの現象であった。なぜならまたそれは都会化現象とか大衆社会化現象とか社会自体にカルト宗教を育むものはありそれは例えば最近死んだ池田大作の能力だけではない。池田大作を作り上げる人たちがいて池田大作あり得た。それを作り上げたのは社会の人たちであり団地の宗教と言われたように地方から集まった人たちが新たに仲間づくりをするために宗教があったとなる。

それは東京のような巨大都会化現象と関係して生まれた。この都会化現象も世界共通している。巨大な都市が世界中で生まれているからである。そこで人間は巨大なビルを見上げて蟻のように卑小化されてしまったのである。そこに生まれたのは群衆であり大衆である。そもそも大衆というのは戦後に特に顕著に現れた現象である。それは民主主義にしてもギリシャのポリスのような一二万の規模ではない。議員に当選するにしても何百万票が必要なのだからその数を得るにはどうするのか。それは大衆を相手にすることであり一人一人の人間よりマスを相手にすることである。そこからマスコミがそのマスを相手にして巨大な権力を持つようになったのである。六局のテレビ局が独占放送しているのだからその影響力はあまりにも大きいものだったのである。マスコミは大衆と一体化して権力を持つようになったのである。

●テレビの絶大な影響

ナチスがラジオから生まれたということを言う人がいる。ラジオでさえそれだけの影響があったとすればテレビの影響はどれだけ大きかったかを知るべきである。子供の時テレビがどれほど人気がありテレビの前に人々が群がっていたかを知るべきである。テレビで放送された相撲であれ野球であれそれが人気になったのはテレビの映像で放送されたということであったのである。それがラジオであったらそんなに熱狂しなかったのである。

人々はテレビに毎日かじりついて見ていたのである。そのテレビがお茶の間にあるというときその影響は絶大なものだったのである。そしてNHKの影響は一番大きなものだったのである。だから選挙でもテレビに出る芸能人が出れば名前が知れ渡っているから中身はなくても当選することがあった。それはテレビの影響でそうなったのである。つまり戦後は高度成長がありテレビが生まれマスコミが絶大な権力を持った時代だったともなる。でもそれもインターネットが生まれて一つの時代がやはり終わりつつある。でもその期間は50年とか長かったとなる

いずれにしろ現代社会の特徴は大衆社会だということである。民主主義と言ってあまりに数が多いので数で決まるのでその数も百万単位となると当然大衆を味方にしなければならない。
そしてこの大衆というのが何者なのかそれを知るべきだとなる。なぜなら大衆というのはこれまで存在しなかったからである。江戸時代まで村民というのは存在したでも大衆は存在しない。また民衆というのも存在したその民衆は大衆とは違う。だから大衆とは何かということが現在の問題を解く鍵がある。大衆とは何か規範とかモラルとかそういうものもを追求してない。貴族社会でも規範がありモラルを要請した。江戸時代でも侍がいて武士道が生まれたようにそこに社会の模範とするもの侍が示していたとなる。

●大衆は存在しない時代―市民が存在した

ヨーロッパでも大衆は存在しなかった。例えば市民というとき中世の5、6万規模の城壁に囲まれた都市に住んでいた人が市民である。パスポートにあなたの住んでいると市を記さねばならないがそれはどこの都市に属しているかということでそれはヨーロッパの都市国家から生まれたものであり日本にはそもそもそうした市民などは存在しなかったのである。だからシティズンシップとか市民の共同意識は存在しなかった。日本だったら村はその共同体の一員として存在した。文明というときもcivilizationっていうのはシビルは市民のことなのである。でも日本にはその市民がいなかったともなる。

いずれにしろ現代を特徴づけるのは大都市であり大衆でありグローバル化した社会であり人々は無数の部品と化したものとなった。それは世界で共通化したものである。だからこそその大衆がナチスを生んだのでありヒットラーが生まれたのはヒトラーはだけではない。それを作り出すものは現代社会に大衆化した社会にあったということである。

日本でカルト宗教は増えたというのもやはり大衆化の原因があった。特に創価の場合はそういう傾向が強かった。それを象徴したのが団地の宗教だったということである。都会の団地から生まれたものだったからである。池田大作が死んだがなぜそれほどに持ち上げられたのかといえばまさにヒットラーと同じく我々自身の中にヒットラーが居ると同じように池田大作も我々自身の中にいて大衆が生み出したものなのである。本来の仏教徒は何の関係もないのである。
つまり池田大作とはそれを崇拝する人間は池田大作と似たものでありコピーなのである。かルト教団の場合その教祖とそのコピーが会員となりただ数を増やして権力化して社会を牛耳るということが目的化していたからである。ただそれも池田大作の死亡と同時に終わりを告げつつあるともなる。

ともかく時代時代に作られ残すものがある。でもその時代に一時的にもてはやされても泡のように消えていくものもある。。個人個人にして死んだ時点からたちまち忘れられる。そして本を読んでみるとその著者も死んでいる人が多い。でも本だけでも残した人は良い方になるかもしれない。死んだ時点でその人が存在したかどうかも分からなくなるのが普通である。

でもまたカルト宗教団体のように一世を風靡してそれが後々まで残るかとあとそれもない。それは一時の流行り病のように流行してあとは忘れられるとなる。もし百年後にもその本はみんなに読まれて価値あるものとはならずはほとんど消えてしまうのである。だからわからないのなぜそんなに人々がそんな価値ないものに労力と金を費やしたのかどうなる。それが何か人間社会の不可解さがある。

戦争にしてもなぜ300万人も死ななければならなかったのか。その意味もよく分からない。でもそんなに人間が無意味に消耗されているものなのかとなる。現実はやはり今でもカルト宗教団体のようにただ数を集めて消耗されるだけだと思うなそこに何の意味があるのか五十年後百年後にはそんなものは消えて何も残ってないとなる。だからあの騒ぎは何だったろうな何だったのかと振り返るのである。

●大衆に反逆したアウトサイダー―単独者

逆にその大衆社会を強烈に弾劾したアウトサイダーが歴史に残るともなる。キケルゴ―ルとかニーチェとか上野霄里(しょうり)とか単独者がそうである。ただその人たちは生前は注目されないということがある。大衆社会で注目されるのは大衆に媚を売り低俗な人だからである。だからこそ会員が増えたのである。結局一票としてカウントされるだけだとなる。その人がどんな人か問わない、一票になればいいだけなのである。

そして大衆は文化を残さない。一方で民衆は民謡とか他にも文化を残した。万葉集でも民衆が参加して作られたものだからである。大衆は何も残さない文化も残さない。その大衆を操作したのはやはりマスコミでありまさにマスを操作するのはマスコミであった。マスは文化も作らないし何か規範とかモラルとかを作らない。だからナチスとかになり膨大な人間が意味もなくその生命すら消費されたとまでなる。それはまた共産主義国家でも起きた。それも民衆を相手にするというよりは大衆を相手にして権力化することだったからである。そのときそこには市民は存在しなくなっていたからである。

共産主義国家で存在したのはプロレタリアートであり労働者である。その労働者が団結して資本家を倒せと言うしそうだったのである。そこで労働者といっても膨大な数が居るからやはり数として労働者も数えられて消耗されたともである。人間は資本家と労働者とか分類できないものがある。
人間はやはり何かアイデンティティーを持つとき少人数であり狭い範囲でないとできないと思う。だからグローバル経済とか情報社会でもあまりにも広い範囲であり膨大な情報が入ってくる時もはや処理もできないのでそして常に陰謀論になるのはその世界のことなどとても理解できないからである。だから常に理解できないから陰謀論になって終わるのである。だから何が正義なのかわからない、断定することは危険である。

ロシアは侵略者で悪いとかイスラエルは子供まで殺している虐殺者だとかまたハマスはその非道なイスラエルと戦ているというのもわからない。なぜならハマスというのも相当に一方的思想も持っていてイスラエルを殲滅するとしているからである。ハマスもまた是認できるものではないのである。ただ確かなことどっちが悪いとか簡単に決められないということを知るべきである。

posted by 天華 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年11月28日

地名は方角地名が基本‐相馬藩の妙見信仰の由来


地名は方角地名が基本‐相馬藩の妙見信仰の由来

●東(あずま)の由来

 古代におけるツマという語のこうした用法は、アヅマにもまたその対偶項が存したことを暗示する。むろん大和を座標としての話だが、一方の端がアヅマなら他方の端をなすのはサツマだという関係になるのではなかろうか。ヤマトタケルの物語で、クマソとエミシの征討のことがサツマとアヅマのこととして対応するかのように語られているのも、両者のこうした相関を暗示する。さきに宇宙的方位における東と西、大和と出雲の対立にふれたが、空間も同質ではなく、大和を中心とするヒエラーキーがそこに存したといっていい。
西郷信綱は「古事記註釈

地名で一番多いのは方角地名である。東西南北と名付けた地名が多い。大きく方角地名となるとき世界では東と西に分かれる。東は東洋であり西は西洋である。東洋文明と西洋文明にも別れる。
日本でも東西に別れる。その分かれ目が関ヶ原でありそこで家康の東軍と石田三成の西軍は戦ったことでもわかる。天下分け目の戦いがそこでおこなわれた。関ヶ原から東が東でありそこは日本から見れば東西の分かれ目だった。ただ東というときここに述べられているように妻だとするときそれは端の意味であり中央から見れば端になる。そもそも妻というときは端に居ると言う人にもなる。

方角地名を見る時大事なのはどこがどこを中心として見ているかである。日本だったら大和【奈良】を中心にしてみているからその端となると東【あづま】になり薩摩【さつま】となる。例えば南相馬市だと相馬市に城下町がある。だからその相馬市が中心でその南にあるということで南相馬市になった。またもともとは最初に相馬市の城が作られてその北にあるということで鹿島区は北郷となった。だから方角地名というときどこはが中心なのかを知る必要はある。

会津の喜多方は会津の城のあるところから北にあるから喜多方となった。でも明治以降は北が商業で栄えて多くの蔵が建った所で有名である。また南相馬市でも原町は鉄道の機関区となり相馬市より発展したのである。だから必ずしも相馬市が中心でその南にあるというだけの命名には問題があったかもしれない。他の人から見れば相馬市が中心であり南相馬市はそれに付随した脇役のように思われてしまうからである。

とにかく方角というのは移動するとき旅をするとき一番問題になる。例えば福島県の海側の浜通りから峠を越えて飯館村に行ったときそこでも方角がわからなくなったのである。そこは常に行っている近い場所である。それでも方角が分からなくなり迷ったのである。ただ日が昇る方向と日が沈む方向があり日が昇る方向は東であり日が沈む方向が西なのである。だから周りが山に囲まれていれば日が昇る方向と日が沈む方向で方向を見る。
会津でも東山温泉がある。どうしてそこが東山になるのかわかりにくい。また京都でも東山となれば陽の昇る山であり東山というだけで何か明るいイメージにもなる。でも会津の東山となるとあこがなぜ東なのかわからないとなる。だから方角は山に囲まれているとまたわかりにくくなる。

●世界でも方角はさらにわかりにくいくなる

これは世界でもそうである。だからアメリカのカリフォルニアの海岸の鉄道で走っているとき海が見えるのだが太陽は海の方に沈んでゆく。それも不思議な光景だった。なぜなら私の住んでいる浜通りは常に太陽は海から昇ってくるからである。
でもあの太平洋でもアメリカのカリフォルニアの海岸から見えるのは太陽は海に沈むのである。つまりそこから見れば西になるのである。だからこそ西部劇ではアメリカ開拓の西に向かうのでありその西に向かう先がアジアになり日本にもなるのでは。だからこの方向感覚というのは世界でも日本でもその近くでも分からなくなってしまうのである。その方向が分からないととんでもない方向に向かって迷ってしまうことになる。

だからこそ方角のことが移動するためにわ確実に知らないとそれは死にも結びつく。それでなぜ北斗七星信仰までになったかというとそれは北極星が常に北にありそれが方向を示すからである。北の位置を知るということはそれでできるから信仰までにもなったのである。相馬藩も妙見様信仰は北斗七星信仰である。それは大陸から始まったものであり日本に移って日本でも信仰するようになったのである。

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なぜなら大陸では遊牧民がいてその人たちは大草原を常に移動する人たちだから方向を知ることが大事だから北斗七星信仰が生まれたのである。また砂漠でも方向は知ることが大事であり方向が誤ると死ぬこともあるからである。つまり方向を知るということは生死に関わるということなのである。それは海の航海でも同じである。ここでは何か方向の目印となるものは無い。すると星が目印になるのである

道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる[6]。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである

信濃から関東・東北にかけての牧場地帯に多く見られる信仰で、「七」を聖教とし、将門伝説とは関係が深い[12]。 北斗七星の内にある破軍星(はぐんせい)[注釈 2]にまつわる信仰の影響で、妙見菩薩は軍神として崇敬されるようになった。

軍神となった妙見は一族を強力に守護する氏神とされ、一族や家臣が新たに城や館を建てる際には妙見社を建立しました。千葉氏の所領であった地域の城跡内もしくは近隣には必ずというほど妙見由来の寺社が見られます。『妙見』は仏教では菩薩ですが、天の中心にあって星々を従えていることから神道では『天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)《北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)》』となります。

●エジプトのナイル川の西岸に沈んだ太陽

ただ本当にこの方角を知るということは難しい。例えばエジプトで日が沈んでゆく。それはナイル川の西岸になる。そこに夕日が沈んでゆくとき何とも言えないものを感じた。 3000年もの歴史があるエジプトに背後にピラミッドがあり太陽はナイルの岸に静かに徐々に輝き沈んでゆくのである。それはまさに3000年の
エジプトの歴史を象徴して太陽は沈んでいったのである。それは歴史と関係してただ太陽が沈むというだけではないものとなっていた。それは大阪城でも春に太陽が輝き沈んでゆくとき同じような感覚を持ったのである。それは歴史をと自然が一体となり大阪城に栄えた秀吉の城がありそれが春の日の太陽はそこに輝き沈んでゆく。そこに自然だけではない歴史が反映して何とも言えぬ感懐を抱いたのである。

ともかく人間は方角を知るするということが基本的に命にも関わることでありそれが大事だからこそ北斗七星信仰を生まれたのである。

遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。
現代語訳すれば「日が昇る国の天子(国王)から、日が沈む国の天子へ

これにしてもただ日が昇るところは日本であり日が沈むところは中国になるからそれがやはり基本になるからそういっただけであり別に中国を貶めるということではなかったのである。また韓国から見れば日本海は東海になるのである。日本から見れば太陽は日本海に沈む。でも韓国から見れば東海となり日の昇るところなのであるその相違があまりにも大きいのである。感覚的にまったく逆にもなってしまうからである。このように地理の感覚というのはただ地図を見ただけでもわからないのである。どうして地理を知るかとなるとそれはその場に実際に立って実感しないとわからないのである。そこに常に驚きがある。




2023年11月27日

遺産をめぐる争い-そこに関わる人の醜い人間模様 【カルマを受けることの怖さを知るべき―推理ドラマは現実を反映している。】


遺産をめぐる争い-そこに関わる人の醜い人間模様

【カルマを受けることの怖さを知るべき―推理ドラマは現実を反映している。】

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●交通事故で死んだ異父兄弟の賠償金のこと

昨夜の推理ドラマは遺産をめぐる争いだった。それはテーマになりやすい。大会社の社長の息子が殺される。その息子の妻になった人は別に約束した人がいたのだが財産を目当てにしてその社長の息子と結婚した。その息子は性の悪い息子であり最初から妻に暴力を振るっていた。
そして社長の息子は殺された。それを仕組んだのはその家に女中手伝いさんとしていた女性だった。その女性は実はその家の愛人の子であり認知されていなかったのである。でもそこの家で働かせられていたが財産をもらう権利はなかった。でも財産を得るために画策したのである。その女性はその家の人たちを恨んでいた。またその財産目当てに叔父がかかわり財産を得ようとしていた。他に他に関わったのが弁護士でもあった。弁護士は愛人のここである認知されていない女性の色仕掛けで財産をとるを画策したのである。そこでいろいろな人たちが他にも財産を目当てに画策したのである。

私も何かこれと同じようなことを経験した。一人は父親違いの兄が交通事故で死んだ時。その賠償金が下りるのでそこにかかわった会社に雇われた社長だった。働かせてくれと乞食のように来たから雇ってやったのだ。恩着せがましく言ってそれが何か分からなかった。

墓も作ってやるから骨は置いて行けと言われた。それも何の目的なのかもわからなかった。そもそも兄といっても私の家ではよくしていない。そこで後ろめたさがあった。ただ実の母が生きているので財産を得る権利はあった。でも実際の財産は娘がいたのでそこにほとんど与える物となっていた。しかし中学生であり子供であるから面倒なものになった。その時結婚していた妻はちょうど離婚してしまっていたのである。

だからその賠償金を受け取ることはできないものとなっていた。そして静岡県とか離れていたので事情が飲み込めなかった。そこで何か私の母が後見人のようになってしまった。でもなぜそこのトラック会社の社長はそんなに兄の骨を置いて行けとかこだわっていたのか飲み込めなかった。それで後で賠償金が欲しくてそういっでそういったのはわかった。
つまり代理人となってその賠償金を得ようとしていたのかもしれないと思う。でも法律的にはなんら権利はなかったのである。でも何か身寄りがなく相続人が居ないと思って会社社長はその代理人になろうとしていたのだということがわかった。なにか助けるにしてもトラックの運転ができるのだから雇ったのであり何か全部援助したのではないのである。

●静岡県で起きたことで事情が呑み込めなかった

とにかく遠いところで事情が飲み込めなかったのである。でも不思議なのは死ぬ前にトラック会社の仲間と私の家に来たのである。確かにそのトラック会社では仲間と一緒にそれなりに働いていて喜んでいたみたいだった。ただそのことが交通事故になり賠償金が入るということでその社長も変質したのだと思う。何も骨を置いて行けとか墓を作ってやるとかこんな面倒なことをする必要もないからである。ただ身寄りがないと思ってそうなったのだと思う。正直何が起きたのか私はわからず3日で帰ってきた。

それはなぜかというと結婚してから何が起きていたのかよく理解できないできなかったからである。それは静岡県という遠い場所であり何が起きてるのか飲み込めないことによって理解できないものとなっていたのである。ただ突然事故になったから行ったまでだったのである。その時私自信は車がもっていないので自賠責とか任意の保険金とか知らなかったのである。ともかく死んだということで母と知り合いの人と一緒に行ったのである。だからその時何が起きたのか飲み込めなかったのである

それで弁護士もかかわった。それは知り合いの人が紹介した弁護士だった。ただ相談するだけで百万も取られたのである。結果的にその弁護士は何もしなかった。その弁護士は仙台に住んでいる弁護士だった。知り合いの人はこの人も何か社会のことでも知らない病気を持っていた障害者のような人だった。だから相談するだけで百万もとられたのである。別にそんな金を払う必要もなかったのである。何かこうして弁護士というのも遺産相続とかに関わりただ何もしないでもお金をもらうということがある。だからこのドラマでも弁護士もそういう役回りだったのである。

●私自身の介護と遺産相続で起きたこと

このドラマが何か架空のものではなく現実に起きているからこそただ空想的なものとして見ている見るということではなくなる
現実にそういうことが人間社会には起きてくる。ドラマでも現実を反映したものでありそれは全て架空のことはならない
推理ドラマでわ遺産相続はテーマになることが多い。今度は私自身の家でやはり遺産相続があり問題が起きた。それは私自身が遺産の相続者となっていたからである。でもその時私自身は親の遺産がいくらあるとかわからなかった。死んでみてわかったことであり相続する人は私一人だった。でも兄と同じようにその金を目当てに寄ってくる人がいたのである。現実にたまたま手伝ってくれた人がその犯人だったのである。その人と親しいという人でもなかったからである。

たまたま急に私の家族が病気になりその人がいて私自身も病気になり入院した時その人が私の親を見るようになったからである。確かに親戚の人はいたかこの人も事業で失敗して借金していた。だから高価な機械を買ってくれとか言われたりしたので自分自身は嫌だから頼まなかった。その人は人の世話をするという余裕もない。借金した人はもう人を助けるなどできないのである。だから入院してもその人に頼まなかったのである。でも結果的にはこれまで関係もない人にその遺産の一部は盗られた。

ここで銀行もかかわる。なぜなら銀行は遺産相続で意外と重要な役割を持っている。銀行が書類をそろえて許可しないと遺産相続になったとき下ろせないのである。何か銀行は何なのか何の役割があるのか今はわからない、金を預けても利子もつかない、そして投資信託など売りつける。というのは銀行ではいくら貯金しているかわかっているからである。

それで今や証券会社になったのか、現実に必ず証券会社の人を連れてくるからである。そして転売して手数料をとるのである。ただすべてが悪いというのではなくインデックス投資なら別に安い時買って高い時売ればいいのだからわかりやすいのである。投資信託はわかりにくいのである。その株も勝手に売られた。その時の事情があっても説明もなく勝手に売ったのである。
今株を持っていたら倍にもなっていたのである。ただ投資はリスクがあるから全部銀行の責任とはならない、自己責任が必ずある。でもそれ以来銀行もやはり遺産相続であれ金を奪いに来るもので何か金に群がるハエエナの一人のようにも思えた。それも利子がつけられなくなったことで銀行も証券会社にもなったとなるから信用できなくなったのである。
ただ銀行とは国とも関係している。なぜなら金利とかも国で決めて銀行に反映するし預金封鎖も国で銀行に命令できるからである。銀行にはやはり国が操作するためにあるのかともなる。


●家の持っているカルマを知るべき

だからこうして私の経験とこの推理ドラマは似ていたのである。殺人事件にはならないにしても遺産をめぐてかかわった人たちが似ていたのである。ただそこでその社長の息子が死んでも誰もその息子を悲しむ人は一人もいなかったのである。
ただ心配してたのはみんなその相続する大きな遺産であり金の事だったのである。その息子自体がまともな人ではないからそういうこともあった。それよりもその金に群がる人たちがいたということである。人間はいかにこうして欲がありそのために醜い争いが起きるのである。ただその家でもその親でも愛人の子に対して冷たく認知しないということで恨みを買ったのである。だから家というのは必ず何らかのカルマを持っている。それが必ずどこかで現れ誰かが苦しむ醜い争いともなってくる。

だから必ずしも金持ちの家がいいともならない。そこにはどんなカルマがあるかも分からないからである。すると金持ちの人とて結婚してもその家のカルマを受けることになり苦しむことになる。だからその家のカルマを知ることが必要なのだがなかなかわかりにくい。ただら結婚するということも危険な場合がある。だから昔から結婚は家と家の結婚であり個人同士の結婚ではなかったのである。それはそれぞれの家にカルマがあり結婚すれば必ずその家のカルマを受けることになるからである。ただすべてがその家が悪いカルマだけだとはならない。でも金持ちだからといって結婚すればそこに悪いカルマ受けるということもある。

ともかく人間は何らかカルマを背負っている。そのカルマは一代では消えない次の代の人がそのカルマを受けて苦しむ。特に長男長女はその家のカルマを受け継ぐのである。それはいい面でも受け継ぐのだが必ず悪い面でも受け継ぐことになるから怖いのであるある。私の場合はなんとかそのカルマを受け継いだ悪いカルマでも受け継いだのだが苦しんで何とか解消したようには思える。でもその苦しみは並大抵のものではなかった。そこで人間不信に陥ったのである。

そもそも家のカルマというとき聖書でもカインとアベルの兄弟がいて殺人もそこで行われたからそのカルマは今でも人間のカルマとして続いているのである。兄弟間でも遺産相続で殺人でも起きている。アブラハムは正妻ではなくただ子が欲しくて奴隷に産ませた子供はイシュマイルでありそれがアラブ人の祖先だったということは現在までの何千年後までもそのカルマが消えず今もアラブ人とユダヤ人が争っているのかとまでなる。そこに何か根深い解消できない人間のカルマがあったとなる。

そして金は金であればなんでもいい使っても何も問題がないとはならない、もしそれが誰かを殺して得たものでありそれを使ったらその金が呪いとなる、つまり血塗られた金であるからある。だから一攫千金とか何か拾った大きな金などでもその金の素性がわからないから危険だとなる。そういう金はカルト教団に集まる金にもあった。それで金を奪われたとして統一教会とかと関係した安倍首相が暗殺された。だから宗教団体に莫大な金が集まるとしてそれも危険な金となる。その莫大な金を利用したい得たいということで人も寄ってくるしそれで遺産争いにもなる。もし粗末な家一軒しか残さなければ誰も寄って来ないとなるからだ。
いずれにしろ金をめぐって起きる事件はは尽きない、このカルマも世の終わりまで続くとなる。

2023年11月25日

江戸時代の移動―歩くこと 【歩き運ぶことの苦しさー裸足でも歩いていた】

江戸時代の移動―歩くこと

【歩き運ぶことの苦しさー裸足でも歩いていた】

●江戸時代も裸足であるいていた?

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ちょっと使えばすぐに壊れる草鞋なんて履いていたのは金持ちや大名ぐらいで、庶民は普通は裸足で歩いていた。裸足で歩く場合、かかとから着地すると痛いので、自然と足先(母指球付近)で歩くようになる。やってみればわかりますが、それだけで一歩がかなりのびます」


歌川広景の「江戸名所道外尽 四十六 本郷御守殿前」を、改めてもう一度よく見てみましょう。右端の男性の帯のところをよく見てみると…、
脱いだ草履を、腰に挿しています

信濃道(しなのじ)は今の墾道刈株(はりみちかりばね)に足踏ましなむ履(くつ)はけわが背

万葉時代は靴が履いていたのか。靴がはいていないのが普通かもしれないしれなかった。ネパールでは山の中を今でも裸足で歩いているのに驚いた。だから原始時代でもそれからも裸足で歩いていたということがあったことは確かである。。でもそれにしても裸足で歩くということはどうしてもイメージできない。なぜなら裸足で歩くということは何らかで足を傷つける。だからイメージしただけで何か既に足が傷つくという感じになるからである。だから江戸時代で裸足で歩いていたというのは納得いかない。ただ雨のときは裸足になったということはこの絵から理解できる。でも草鞋は持って行ったのである。

●日本は山が多く坂や峠を越えるのに苦労した

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今田に一里坂がある―クリック拡大

一里坂越えるに苦しそれゆえにその名の付きぬ冬の暮れかな

相馬市の今田に一里坂というのがあるというとき一里あって名付けられた。日本だと山が多いから坂が多いし峠も多い。それも長い坂が多い。だから一里坂と名付けられた。それを実感するにはその道を歩かないとわからないだろう。とにかくこの坂とか峠を実感するには車まではわからないのである。歩くか自転車でないと実感できないのである。だから車時代になった時昔がなかなか実感できない。それと同時に旅というのは失ってしまったのである。

今は旅ではなく車時代になるとある目的地に移動することである。その移動した場所は丸森でもキャンプ場と整備してあって金をるのである。また車時代になると釣りとかするのに便利である。釣りする場所に車で行き車が家のようになるからである。また写真を撮るのにも便利である。目的地に着いたら写真を撮るのである。車が便利なのは小さな家が移動してると同じだからである。ただそこでは歩くとか自転車でゆく感覚とはまるで違っている。風とか雨とか陽射しとか自然の風流を感じなくなるのである。だから現代から旅人は消失したのである

歩いて旅したというとき一日40キロも歩いたということに驚く。それは相当な距離である。でもそれくらい歩かないと日にちがかかりすぎるからそうなった。歩いて人が移動している時はどうしても点々と宿が必要であれそこで宿場町ができたのである。何か今の旅というのはた旅ではない。テレビドラマの温泉をテーマにしたものでも常に料理のことが語られその料理のことが中心になってしまう。旅の思い出とその宿について何を食べたかになってしまうのである。それは何かつまらないとも思う。

そして宿でも豪華なホテルに泊まることになるがそれは本来の旅に必要ないものである。でもそこでは金持ちが料理を堪能するとなる。現代では旅人は歓迎されない。もちろん自転車でくるような人は宿でも泊めたくない。つまり現代とは旅人を相手にしないし旅人がいないからそうなったのである。温泉宿を見ればわかる。そこは一時バブル時代に会社の人たちが利用したがその後不景気になって廃墟にのようになったところは出てきたからである。

つまりそもそもそこは旅人の宿ではないし旅人は相手にしないのである。 一種の歓楽街の様にもなっていたのである。もともと宿場町には確かに飯盛女と書いたからそういう機能はあった。でも依然としてやはり旅人が相手だから今とは違っていたのである。その宿場は保養する場所ではなく一時体を休めてまた旅ゆく場所であった。だから料理を楽しむという事などあまりなかったと思う。

●地理や地形を実感するには歩くか自転車でないとできない

ともかく地理とか地形とか見るときこれはなかなか車とか電車では実感できない。土地の高低などがどうしても分かりにくい。それで丸森から相馬市の方に出るとき下り坂になっていたが道には迷ったが下って行った下り坂だから相馬市の平地の方に向かっているということで安心だった。
そういうことでも車だとわかりにくいと思う。人間の五感というのはやはり車によって失われてしまったのである。確かに車ほど便利なものはないのそれですら失われたものがある。ただそれに気づいていないし別に意識もしない。ただ私は旅に費やされたからそのことを感じるのである。
現実に近辺の回るにしても車と自転車では相当に違ったものになる。だから地形を知るにも高低がありそれを感じるには自転車とか歩くことでしか実感できないのである。

それで仙台から来た人が歩く旅をしていた。たまに六号線でも歩く旅をしていた人がいた。極端なのは鹿児島から歩いて日本列島旅する人もいた。その人は退職して自由になったからそんなことを始めたのである。それは車で旅するとは全く違ったものに違った経験をすることになるのである。ただ六号線になると車がひっきりなしに通るから何か歩くたびには向かないのである。またその姿にしても江戸時代の歩く旅人とは全く違ったものになっているのである。江戸時代の旅人は浮世絵になったように必ずになっているのである。

●車社会で失われた人間の情

何か今の時代車の時代歩く人も邪魔だし自転車も邪魔だし車だけが優先されてそれはとても絵にもならないのである。だから何か人間社会自体が殺伐としているのである。車は自転車は邪魔であり危険だから車を運転する人にとって目障りなのである。また歩く人も目障りになってしまう。それは車社会だからそうなったのである。そこに人間的なものは失われているしまったのである。そこに旅はなくなり旅は道連れ世は情けとかもなくなったのである

総じて車社会になった時人間的情が失われたともいえる。
ただそのことを感じている人は少ない。むしろ車を持たない人は人間的に劣っているともなる。なぜなら仕事するにも必ず車は必要だからである。そして帰って田舎の方で車が必需品となっている。一人一台は持っているからである。車を持たない人は何か人間的能力が劣っているとか貧乏だとか見られているのである。それだけ車というのはどれだけ人間社会を変えたかを知るべきである。車が悪いというのではなくやはり技術というのはそれだけ人間社会を変えてしまうということである

とにかく日本は山が多く坂が多くそれで移動するにしても物を運ぶにしても難儀する。まず自転車で苦しいのは坂を上るときだからである。でも今私が持っている電動自転車は優れているから坂でも登りやすい。それはやはり技術の進歩がもたらしたものだったのである。だから技術の進歩を全て否定することはできない。ただ車社会というのはどれほど人間社会を変えてしまったかを知るべきである。運ぶにしても今やボタンひとつ押せば通信販売でものが買える。それほど運ぶことが便利になったのである。これまでどれだけ運ぶ事に苦労していたかそれは調べれば色々あるだろう

●南相馬市鹿島区一石坂の由来

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真野の一石坂を上る長町の歩く会の老人

南相馬市鹿島区江垂の一石坂の由来

往古女あり歳ばかり。木履を納め米一石を頭上に捧げ登り主し故に一石と名づく

鹿島の街の通りから日吉神社へ上る坂は急である。頭に一石の米を載せて坂を上れたのかとなる。ただここでわかることは運ぶことがいかに大変なことだったかである。
だから女性でも農家では力のある女性の方は役に立ったとなる。美人でなくてもそうした仕事のできる女性の好まれたともなる。
私の家では店をしていた時近くから野菜を買ってい売っていた。その時運ぶものは自転車だったのである。その自転車にしてもいい自転車ではない。もちろん電動自転車もない。でもそこにいっぱい野菜を積んで買ってきていたのである。それをしていたのは姉だった

だから女性でもかなり力がないと運べないものだったのである。でも姉は太っていて力があったからできたとなる。また男にしても必ず村には比べ石というのがありそこで石を持ち上げれば村の一人前の男とされたのである。だからその頃の価値基準は男でも女ですら力があるということが価値あるものとなっていたのである。機械もないのだから当然人間の力でやるほかないからそうなったのである
また南相馬市の鹿島区の横手の梨農家がリヤカーで梨を相馬市まで運んでいたという。相馬市までは15キロあり往復30キロもあるだから一日がかりにもなるその人は女性でありそれを運ぶということはおかに大変なことかということがわかる。このように運ぶということを運搬するということは相当な労力だったのである。今だと本当に運ぶことは楽である。それは車で簡単に運べるからである。
このように人間はとにかく時代が変わると昔のことが理解できなくなるのである。そこで車時代になれば便利だったが旅は失われた。人間の情すら失われたとまでなる。ただどれだけ車があって楽するようになったかということもある。人間社会というのは確かに得るものもあるのだが必ず失うものはあるということも見るべきである







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2023年11月24日

江戸時代の山相馬市山上村は他の村より進歩して栄えていた? 【江戸時代の馬頭観音の碑が語るもの】

江戸時代の山相馬市山上村は他の村より進歩して栄えていた?

【江戸時代の馬頭観音の碑が語るもの】



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特に市原は房州往還、久留里道、伊南房州往還、大多喜道と人馬が行きかう街道が多く、馬を飼って農間稼ぎに年貢や薪炭の輸送をする農家が多かったため、馬頭観音が数多く祀られている。さらには村上の道標のように馬頭観音と道標をかねたものがあわせて20基も確認されている。

市原市の郷土史46.馬頭観音について

大村でも産業の発展と同時進行のように馬が、農業、林業、運輸業などで大活躍しました。そのため、江戸時代中期頃から徐々に馬頭観音が建立され始め、明治、大正、昭和(主に戦前)時代に多数作られました。

江戸も中期を過ぎると、馬頭観音は、馬を守り、死後はその菩提(ぼだい)を弔う観音様であると考えられるようになった。 農民や馬の仲買人たちは、倒れた馬を埋めた場所や道の辻に、馬の霊を慰める馬頭観音を建てた

文久3年(1863)後ヶ谷村明細帳です。

一、馬持ち百姓は持山に出て、木樵、炭薪にして、
・或は、青梅、飯能、五日市、八王子等で、炭薪を買入れ、
・馬附にして、夜四ッ時(午後11時)から江戸に出かけ、
・御屋敷様に納め
・翌日は夜五つ前後(午後8時)に立ち戻り
・駄賃稼ぎをしています。
 と記されています。

 江戸街道(現・青梅街道・新青梅街道)を中野や新宿で妨害に遭ったりしながら、夜通し馬を引いて歩む姿が浮かびます。

馬頭観音をまつった背景(東大和市


非常蓄穀は一斗六升ツツヨ一戸一年の積トシ4ケ年蓄積ス【村倉】に二つあり。
大小一六書舞秣薪炭頗る数多なり。養蚕は頗る気込みあり。進歩他の村より超越する覚ゆ。紙を製する者多し
殆ど毎【三〇戸】の従事する所トス
大須賀□軒巡村雑記―初代相馬郡長大須賀次郎が着任早々郡内各地を巡回したときの記録である
人数329人 戸数58軒 馬60疋 山上村
人数256人 戸数46軒 【97人足軽】馬52疋 入山上村
弘化4年未戸数人別帳 宇多郷

山上村が二つあり入山上と山上村である。非常食として穀を貯える村倉が二つあり四年間分を蓄積していた。これはかなり多いのではないか、秣【まぐさ】は馬の飼料であり多いとあり薪炭も多い。。
養蚕も盛んで紙を製する者が30戸なると山上入り山上村で約百軒あり三割が紙漉きに従事していた。それで紙漉き沢という地名がある。紙漉きには水が欠かせないからである。
また薪とか炭とか紙でも運ぶとなると馬が必要になる。それで山上村馬を飼っている家が多かったのかとなる。江戸時代とか戦前とか見るとき大事なことは車がないから運搬となると簡単にできない、それで馬車で運ぶから馬が多かったとなる。また農耕にも使ったし野馬追の為に相馬藩では馬を飼う家も多かった。今でも野馬追祭りのためにだけ馬を飼っている家が結構あるからだ。
戦後でも横手の梨農家が梨をリヤカーではこんだという、相馬市まで15キロもある。往復30キロになれば一日かかりにもなる。

だから

馬持ち百姓は持山に出て、木樵、炭薪にして、
・或は、青梅、飯能、五日市、八王子等で、炭薪を買入れ、
・馬附にして、夜四ッ時(午後11時)から江戸に出かけ、
・御屋敷様に納め
 と記されています。

 江戸街道(現・青梅街道・新青梅街道)を中野や新宿で妨害に遭ったりしながら、夜通し馬を引いて歩む姿が浮かびます。

江戸となると夜も眠らないで運んだのである。それだけ運ぶことは大変な苦労だったのである。

とにかく山上村で注目したのが馬頭観音の碑でありそれが安政時代のものだったことである。馬頭観音の碑は大正時代のものが一番多い。江戸時代のものはほとんど見たことがないのである。それで注目したのである。ではなぜ山上村にあったかというと相馬市の城下町に運ばれたからだとなる。そこに大きな消費地があったからである。八王子近くから江戸まで薪炭を運ぶとなると夜も運んだとなるとそれdけ運ぶには労力がかかったということである。

山上はまだ近いから運ぶことはそれほど苦労しなかったかもしれない、ただ山間であり田にする耕地が少ない、塩手山の麓などでもそもそも塩手とはしぼむからきているらしく本当にそこは土地が狭くしぼんでいる地形なのである。だからここに入った人はまず田にできる土地を見て塩手となづけ塩手山と名付けたのである。

なぜ馬頭観音の碑で安政のいものが山上村にあったのか?この疑問からその土地の歴史に興味を持った。あとは私は地名に興味をもったからその方面から郷土史であれ歴史を探る
つまりなぜ馬頭観音の碑で安政時代のものが山上村にあったのかく?やはり山上村から紙漉きでも行われ薪炭とか運ぶものがあり馬で運んだから馬頭観音の碑が建てられた。それは江戸時代がからめずらしいものとなった。

進歩他の村より超越する覚ゆ。紙を製する者多し

紙漉きをしていればやはり他の村とは違っていた。でも石神村でも紙漉きが戦前の昭和にも行われていた。そこで深野村に豪倉というバス亭があり米などが貯えられた。それは実は昭和天皇が奨励したものだったのである。山上村では村倉が二つあり四年分も貯えられていたというのは心強いものだったとなる。
山上村は意外と江戸時代から見れば豊かだったというのは意外だった。山上にコンビニがあったがなくなり丸森に行くのに食料を買えなかった。福島中央道ができて車が通らなくなったのが影響した。他でも車が通らなくなりやめた店もあるし石戸村の食堂でも客がめっきり減ったと嘆いていた。ただ自転車で行くのには車が通らないから安全だとなる。


嘉永かえい1848年〜1854年
安政あんせい1854年〜1860年
文久ぶんきゅう1861年〜1864年
元治げんじ1864年〜1865年
慶応けいおう1865年〜1868年




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2023年11月23日

冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー金山―大内を経て帰る 【俳句短歌の連作】


冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー金山―大内を経て帰る

【俳句短歌の連作】

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空家に郵便箱がありなんとも淋しい、郵便が来るのをまだ待っている
とにかく空家が目立つのである

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相馬市の熊野神社

【塩手山】

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佐藤氏の家ニ軒が並んでいる

【山上】

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安政だからめずらしい

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【丸森へ】

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疲れたので寝そべった石

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ここにまだ一軒家が残っている

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この石もいい石である

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ここは五反田である




牛のいて鶏鳴くや冬の朝

残る柿空家一軒郵便箱

【相馬市へ】

紅葉濃く熊野神社の杉太し

【塩手山】

山頂の紅葉に朝日塩手山

塩手山降り来る人や冬桜

佐藤氏の二軒の家古り冬に入る

【山上】

物倉に我がまた来たる冬に入る

【滝平】

紅葉散る滝のひびきて巌かな

滝響きあまた木の葉の朝に散る

滝壺の水底見えて冬の朝

【丸森へ】

古田口なお一軒の家冬に入る

バス停に地名をとどむ冬の菊

短日や心に残る分かれ道

五反田と丸森あはれ短き日

金山城侍守る冬の月

金山に菓子店ありや冬の菊

峠越え相馬へ行くや冬の月


干し柿に大根干すや山上に家そ古りしや蔵のありしも

山上に馬頭観世音の碑の一つ安政とありぬ冬の日さしぬ

寄りかかる石の一つやその石の心に留めて冬の日に行く

丸森の川に大きな石一つ動かざるかな冬の日暮れぬ


相馬市にある熊野神社は相当に古いと思う。熊野神社は全国で3000から5000もあるという。蟻の熊野詣と言われたようにそれだけの人が熊野に参拝したということである。ここで杉でも太いのはそれだけ古いということをもう語っている。でも何かこの神社は忘れられたような感覚である。

塩手山には冬桜が咲き紅葉に染まっていた。この山は低い山であり簡単に登れるがまだ上っていない。その麓に佐藤氏の家が二軒並んでいる。その家はかなり古いと思う。福島市にある医王寺の義経の従者にあたる佐藤氏の系統である
また佐藤庄司の系統でもある。

月の輪の渡しを舟で越えて、瀬の上という宿場町に出る。源平合戦で義経の下で活躍した佐藤継信・忠信兄弟の父、元治の旧跡は、左の山のそば一里半ほどのところにあった。

飯塚の里、鯖野というところと聞いて、人に尋ね尋ねいくと、丸山というところでようやく尋ねあてることができた。

「これが佐藤庄司の館跡です。山の麓に正門の跡があります」など、人に教えられるそばから涙が流れる。
また、かたわらの古寺医王寺に佐藤一家のことを記した石碑が残っていた

奥の細道に記されている。相馬市一帯は中世ではもともと佐藤氏が支配していた。そこに相馬氏が進出して支配したのである。佐藤氏の方が古いのである。

山上にあった馬頭観世音の碑は安政とあったから古い、なぜか
馬頭観世音の碑はいたるところにある。でも不思議に江戸時代のものはほとんどない、それはなぜなのか、やはり江戸時代までそんなに馬でも使っていなかったからかとなる。それと庶民が墓を作れなかったのは貧乏だからともいう。確かなことは馬を使って運搬したというこがそんなになかったからだとなる。だからここにある安政の馬頭観世音の碑は貴重である。

そこから滝平の方に向かった。途中に物倉というバス停がある
滝平は結構水が流れこの辺ではめずらしい。おりしもその滝が轟き紅葉が木の葉が散る。滝壺は澄んでいて水底が見えた
そこから松が房ダムに向かった。そこは坂が続くので苦しかった
大きな平たい石がありそれによりかかる。それでそかが【寄りかかる石】とも名付ける。松が房ダムから下ると古田口というバス停の標識があり一軒の家がまだある。空家になるのが多いがここはまだ残っている。

そこから山間の川を下った行ったがここは結構長い道のりだった
途中川の中に大きな石が目立った、すると大石という地名にもなる
それから国見宿舎の阿武隈山荘がありそこは今は宿泊できない、風呂には入れるという、そこはキャンプ場にもなっている。車専用でもある。そこにおばちゃんが話していた。そこで語られたの津波のことだった。何か原釜の人で津波の被害にあって丸森に移り住んだという。丸森も水害の被害が大きかった。丸森は森の町であり川が山から細くてもいくつも流れてくる。でも一旦大雨になるとそうした小さな川でも大量の水が流れてきたのである。
山津波というのもある。その被害も大きかった

そこを出て丸森な街へ向かった。途中分かれ道がある。必ず分かれ道がありそれが心に残る。この道はどこに行くのだろうと想像するからである。だからこそ分去(わかれさり)という地名が多いのである。でも車時代になるとそういう歩くことで感じたものがなくなったのである。そこで失われたものがある。それは旅がなくなったのである。車では旅にならない移動なのである。ある地点までの移動なのである。そこで車用に作られたキャンプ場に行くとなる。

五反田という地名が多い、五反百姓とも言われいかに貧しかったかを物語っている。もう陽も沈んでゆく、3時ころになると陽が山に沈みかかる。だからすぐに暗くなる、自転車は暗くなると危険なのである。丸森は街の中心部から外れた金山とか大内が結構大きな町なにである。だかろそこにお菓子屋がある。このお菓子屋はどんな辺鄙な町にもあう。それはなぜなのかお菓子屋そこでしか作れなお菓子を作っている。

私の近くでもお菓子屋があカステラがうまかった。それはそのお菓子屋でしか作れなかったのである。それが強みでなりたっていたのである。つまり自家生産してそれがその店でしか作れないから未だに自営業として成り立っているとなる。その他はスーパーとかで個人商店は消滅しつつあるからだ。なにかオリジナルなものがないと商売もつづかないとなる。

金山城には寄らなかった。暗くなりつつあったからである。山城は魅力がある。自然と一体化しているから魅力がある。そして金山城は一時は相馬藩に属していて相馬氏が城主にもなっていた
その石垣は古くその形が残されている。
それから相馬市に行くには峠を越える。それが長いから苦しい
その時真っ暗であり自転車は夜は危険である。でも道は知っているから安心だったが途中相馬市にでて道に迷ったのである。
ただ下り坂になっていればやはり平地の相馬市街に向かっていたのである。冬といても暖かかったから寒さわ感じなかった
自転車で日帰りできるのは浪江とか飯館とか山元町から丸森までである。その辺までが一体感ある地域だとなる







2023年11月21日

権力と権威の混同−池田大作死亡で起きること 【人は純粋な権威より権力を求め権力に従う】


権力と権威の混同−池田大作死亡で起きること

【人は純粋な権威より権力を求め権力に従う】

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権威と権力も複雑になる。純粋な権威がありまた権力化した権威もある

●宗教はもともとその開祖は権力はゼロだった

なぜカルト教団が力を持つのか。それは権力があるからでありもともと教祖の権威ただ利用して権力を作り上げた。宗教というとき釈迦であれキリストであれその他の教祖でもほとんど乞食と同じだった。住む場所もなく釈迦は洞窟で修業した。キリストはこのように枕するところなしと言って実際にそうなっていたのである。だからその教祖本来は無一物であり何も所有していないのである。

ただそんな人がなぜ権威を持っていたのか人はそのとき弟子はその教祖の教えに共感していたのである。でも教祖はは一切の権力は持っていなかったのである。でもその後に宗教は権力化して行った。その歴史がカトリック教会である。それは時の王様より強い権力を持っていたのである。なぜならカノッサの屈辱のようにカトリック教会の法王に跪かねばならなかったからである。つまり法王の方が王様より上だったとことを証明したのである

おそらくカルト教団の教祖はそのように俗界の王様より上に立つ者を目指していた。だから池田大作はカトリック教会の法王にあたるのである。現実に池田大作が死んだらなぜ時の最高権力者の首相はわざわざ哀悼の意を伝えたのか問題にしている。。それはまさに池田大作を頂点にして権力を持つ創価学会があるからである。その権力の何かとなると自民党を支える票を得られるということであるである。現代の権力というのは民主主義になれば数であり表まとまった票を得ることなのである。

●人はこの世の権力に従う

だから池田大作とはその配下に何百万人という会員がいてその命令に従う。その会員の数によって権力を持つから人はその権力にひれ伏すのである。もしただ一人の人間なら誰も相手にもしないのである。お前に何の力があるのだとなるからである。要するに人はそもそも権威というものに従うわけではない。人は権力に従うのである。その権力とは何かとなる。カルト教団の場合はその数であり献金を集めてそれを権力とするのである。だからそもそも権威に人は従うのではなく人は権力に従うのである。

そのために自民党すらもまとまった票が得られるのでその権力があるからこそ従うのであり別に宗教とは何の関係もないのである。人間がこの世で一番恐れているのは神でも仏でもない。現実にこの世を動かすもの権力である。権力というときそれが何かというと最大の権力は暴力装置である軍隊でありまた警察である。そこは暴力で強制力を持つ権力だから最大の権力なのである。また民主主義では田中首相が言ったように金と数が権力だとなる。

選挙ではとにかく何百万票を集めるとなると数は問題になるからである。要するに人はその権力に権力を恐れその権力に従うのである。何か罪とか心の問題とかは関係しない。人はただ権力を求め権力に従うのである。だからこそカルト教団はこの世を権力でもって支配しようとしているのである。誰でも会員が何百万人もいるとなればそんなものに一人で戦えるかとなるからである。第一一人など誰も相手にしないのである。何百万人もいるとなれば人はその数に権力に恐れ従うのである。そのようにしてナチスが生まれたり太平洋戦争でも多数が賛成すればそれが狂気的なことでも逆らうことはできなくなって何百万人も死んだということにもなる。

●カルト教団が追求しているのはこの世の権力である

とにかくカルト教団は信仰などは追及していない宗教などとも何の関係もない。ただひたすらこの世の力を権力を得るために運動しているだけである。権力を持てばやがては司法であれ検察権力でありあらゆる権力を操作できるようになるからである。マスコミなどまったくそうした権力化したカルト教団に創価などは巨大であるために批判はしない。第一新聞社は聖教新聞を刷って収入となっているから批判はしないのである。つまり権力によってマスコミも操作されるだけなのである。

権威と権力は違っている。例えばある分野での権威者という時それは権力ではない。それはまた必ずしも権力で得られるものでもない。学術論文であれ芸術作品であれそれは必ずしも権力で持って評価はできない。その道のものが評価するのでありいくら権力があってもできないのである。その評価はは権威は価値は権力では作れないのである。

でも権力で権威を作れるものがこの世にはかなりある。宗教でもそもそも権力では作れないものだがカルト教団の場合はとにかくなんでもいいから会員を増やして数で権力を作る。その数に等ひれ伏すのである。政治家でも宗教団体カルト宗教団体でも票になるとなればそれを利用するとなるからである。つまりこのようにこの世は権力によって動くのであり本来の宗教が求めたものなど誰も必要としていないのである。

大衆社会とは赤信号みんなで渡れば怖くない社会である。
でもこのことがいちばん怖いことなのである。そのためにナチスの大量殺戮があり日本の戦争でも三百万人が死んだとかなる。人間は責任をまねがれることはできない。みんなで渡れば怖くないとしもそのみんなが責任を必ず問われる。そおれが戦争の大量死だったともなる。大衆社会は無責任社会だとしても必ず責任が問われ課されるている。そしてその責任は過酷なもになる。それは歴史が証明している。

●現代の権力とは何なのか―科学技術でもある

そして科学の時代になった時科学が巨大な権力と化す。宗教はこれほど布教したのは実は病気を治すためだったのである。人間の一番の問題は弱さは病気になることだったからである。でも医療が発達しないときはただ神仏に祈るほかなかったのである。だからこそ村の中心には必ず薬師堂があった。病気になったらそこで祈るほか方法がなかったのである。後は地蔵様でも祈る他なかったのである。でも医療が発達すると今度は医者は神様のようになったので今の社会で人はだれも尊敬しない学校の先生も尊敬しない。でも医者だけは尊敬されているのであるお医者様となっているからであるそれは人間の一番の弱さは病気になることだからである。するとお医者様が神様のようになってしまうのである

また科学技術の社会になれば原発のように核を操作して電気を作り出すということが科学技術者にできる。だから科学技術者が神のようにもなってしまうのである。でもその権威は原発事故で崩れ去ってしまったのである。でも依然としていろいろな科学技術があり今や科学技術が信仰の対象となり科学技術者が神様のようにもなってしまうのである。つまり現代でわ科学技術が権力となるのである。でも依然としてなぜ宗教がこれほど人々に力を持つのかそれは人間の問題というのは依然として科学技術でも解決しえないことが多いからである。病気にしても全部が医者で治せるわけでもないからである。その他人間には様々な問題がありそれを解決できないから神仏に頼ることになるのである。

ただ人は権力に従うのであり本来の権威に宗教でも従うわけではない。そこが混同しやすいのである。カルト教団などでもその会員が何百万人もいるとなればその数々は権力となり従うとなる。それはナチスのようになりもはや逆らうこともできなくなる恐怖があったのである。それが創価の恐怖だった。池田大作はハイルヒトラーとなり日本の権力を掌握することを現実に実行しようとしていたからである。誰も創価のことなど批判できないようになっていたからである。 一国の首相ですら今も池田大作が死んで哀悼の意を表したことでもわかる。それはその人の背後にある
権力をおそれているからであり政治的利用できるからである。

●必ず組織団体では権力闘争が起きる―共産党のように

政治に関しては歴史は権力闘争であり武力で争い決めていた。それで民主主義では三権分立になり選挙で平和的に権力を得るものとした。せもそれにしてもやはりいうまくいっていないのである。良くは成っていても依然として権力を欲しいままにしようとする。宗教でもそうである。宗教が権力化して人々を支配支配しようとするそれでカトリック教会が世俗の権力となったことでそのことに反発して政教分離が出来たのである。

でも日本では統一教会のことは政教分離から批判しても創価と公明党に関しては批判しないのである。それは何故かといえば自民党が悪いのである。創価から票を得られるとして政権をを支えているから批判できないのである。つまり政教分離でもその法律も絶対的なものではなく時の権力によって左右されるだけなのである。

そもそもこの世を治めることは不可能だとなる。結局サタンがこの世を支配するというのは人々は飽くことなく権力を求めるからである。その点子供だったらそういう権力を求めないから聖書でも嬰児に収めようとある。老子だったらら治めずして治めるとかなる。飽くことなく人間の欲があり権力欲もそこから生まれる。だから制度を作っても結局それも破られる。この世はいつまでたっても政治的には治められないとなる。

神の国では神が直に治めるから治められるのである。。それがこの世で不可能だから依然として権力にこの世の欲があり権力を求めるからそのためにこの世はサタンによって支配されることが変わらないのである。
とにかく権力と権威は混同しやすいのである。それが純粋な権威であれば問題ないのである。例えば師がいて弟子が十数にとか学ぶとなれば別に問題ないのである。それが池田大作が師弟不二だとか何百万人も奴隷のようにする。それはただハイルヒットラーとなってしまう。でも大衆社会になればそうなってしまうのである。個々人を相手にするのは限られている。

●師弟不二の欺瞞ー大衆を操作して奴隷化すること

第一師弟不二など何百万人を相手にするとなればありえないからハイルヒットラーハイル池田になる。要するにそれはサタンに支配されることであり操作されることである。ではなぜそれだけの人が従うのか?それは権力を得られる。その池田大作であれ教祖が巨大な権力を持っているからそれにあやかりたいのである。ある人は議員になれとなり権力を得ることが具体的に見えるから金になるというこことでも入ってくる。

要するに人を選ばない、ただ一票なればいいだけである。それで創価だと膨大な数が幽霊会員であり座談会にも出ない何の活動もしない人たちの票を得るために学生時代に回ていたのである。何か池田大作から教えを受けたことない、そもそも私を折伏したのが親が市議会議員だったからさらにすべてのエネルギーが選挙に費やされるのである。そんなことさせられれば疑問を感じるはずだが感じないの権力を御利益を得ることのために祈り思考停止になっているためである・。
現実社会でも血眼になって利益を追求している。カルト教団ではさらに拍車をかけて御利益を追求しているのである。

その中核は婦人部だったというとき余計にただ感情的になり思考停止になりナチス化じていたのである。なぜ宗教なのかということがこれだけ毎日選挙運動させられればわかる。それでやめない人はそもそも思考停止しているからである、ただそんなこともわからないのかとなる。いくら学がないにしろわかることがある。女性の場合考えることをしないからかもしれない。盲目的に従うということである。
では創価の会員は全部が池田に心酔しているのかとなるとそうではない。前からこき下ろしている人がいたからである

●原田会長が池田派を排除してきたという

また今の原田会長は池田が病気で現れなくなってから池田派を排除してきたという。つまり内部でも権力闘争がありそうまっている、それは共産党と共通している。内部で熾烈な権力闘争がありソビエト連邦でも粛清された人たちが一千万人いたとか中国なら毛沢東時代に文化大革命でも粛清された人たちの数も多い。それからカンボジアでは二百万人もポルポトに殺害されて骸骨の山が博物館になっている。これも空恐ろしいとなる。

集団化組織化するとこうして内部で熾烈な権力闘争が起きる。だから創価でも四分五裂の権力闘争がおきるかもしれない。そもそも権力を求めて入って来たのだからそれも当然だとなる。そのために今の原田会長が権力を掌握するために池田派を排除したというのもわかる。つまり池田大作を持ち上げて権力を得たいという人たちがいてそうなったのである。

だから必ずしも会員のすべてがそうではない、だからこれからそういう人たちが前面に出てきて内部抗争になり分裂するかもしれない。それは共産党の内部の権力闘争と似ているのである。宗教というより権力を得る為の闘争となるしそれが目的だったのだから当然だとなる。それが人間の業でありカルマであり政治に共通して現れている。ただ現代は大衆社会となり大衆を操作して権力を持つということである。
それがナチスだったのである。

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2023年11月20日

冬薔薇【一日風が唸り吹いた】


冬薔薇【一日風が唸り吹いた】

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冬薔薇二輪散らずや風唸る
冬薔薇二輪散らずや惜しむかな
冬薔薇二輪や暮れぬ我が庭に
冬薔薇二輪や暮れて月光る
晩菊の今日もこの道買い物へ
冬の灯や二軒ともしや原の中

今日は朝から風がうなり吹いていた。それで買い物に行こうとしたら自転車が風であおられて行けなかった。とにかく買い物というのは毎日であれ人仕事なのである。だから足が悪くなって買い物に行けなくなった人は本当に困ることになる。

冬薔薇が2輪咲いている。いかにも冬装備という感じであるそして窓には冬の3日月が光っている。でも今は晩秋にもなっている。ただ今日風がうなったのは木枯らしなのだろう

とにかくこのプログというのは毎日報告するということに向いている。リアルタイムで報告するということに本当は向いている。だから確かに日本であれ世界であれ同じ月を見ているかもしれない。でもその次月が出る場所はみんな違っているから違ったように見えるのである。

まだ本格的な冬になったという感じはしない。でも確実に本格的な冬に向かっているとなる。何か今日は月の脇に土星が光るのは見えるという。でも家の窓からは見えていないでも東の方に強く光る星が見えるからそれが土星なのか?

ともかう風が一日吹き外に出れない一日だった。冬の灯というときやはり田舎の原のような所で灯っているのが心にしみるとなる。都会だとそうはならない、ビルに灯るのと田舎の何もない所に灯るのとは相当に違う、田舎は人間的になる。




2023年11月19日

池田大作氏死亡 共通しているカルト教団の構造 【宗教を語りこの世の権力を追求した】


池田大作氏死亡 共通しているカルト教団の構造

【宗教を語りこの世の権力を追求した】

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必ずカルト教団は組織化して序列化する。それは共通している。でもそのとき本来の宗教は喪失する
組織化して権力化して外部に圧力をかける。そしてその組織団体は必ずこの世の権力をもち操作する
支配することを目指している

●池田大作の人物像−カルト教団の教祖の共通性

池田大作氏が死亡した。池田大作とは何者なのか。その人物像はどういうものなのかなかなかそれは外から見てはわかりにくいだろう。創価学会内に居るとなぜかあらゆることが池田大作氏を先生と呼んですべてが先生のために存在するとまでなる。
例えば選挙の時拠点に集まりそこで仏壇があり題目を唱えて池田先生のためにと一票を取るために奔走する。それほど池田大作氏というのはある意味で生き仏にもなっていたのである。
ただなぜそれほどまでに崇拝するのかとなるとそれもよくわからない。ただそういう場に居ればみんながそういうから逆らうことはできない。ただごくわずかの人ではあるが池田大作に相当に嫌って言って発言していた人もいたのである。
ではなぜそれほど池田大作氏にあたかもも神のごとく仏のごとく崇拝するようになっていたのか。それはカルト教団の特徴であり共通していたのである。


例えばオウムでも同じだった。麻原教祖がまるで仏のように祭り上げてその下にその配下に組織が作られていた。その組織でも必ず軍隊のようになっていて序列があり上と下周りその下の人は上に上がりたいと必死になる。それでオウムの場合は理系の人で有名な大学も出ている人もいて高卒だった人が何とか地位をを上げたいと率先してサリンを撒いたのである。

つまりカルト教団に共通しているのは教祖が神か仏になり偶像化してその配下に組織化して序列化してそこでその宗教団体自体が権力団体となるのである。それは例えば幸福の科学でも統一教会でも本当に同じだった。団体が組織化して必ずそこに軍隊組織のようになって序列化して上下関係が作られるのである。だから下のものはなんとか上に上がろうとするわけである。

ではそもそもなぜそんなに上に上がろうとするのかそれはカルト宗教団体というのは教祖が最終的にはこの世の王となることである。そしてこの世の王となった時この世の権力を得ることになるからその配下の者にこの世の権力を得させてそのカルト教団の地位が社会の地位にもなりうるのである。
それは下々の者にとっては魅力だったのである。つまりそのカルト教団の組織中で出世することが社会的にも出世することに通じていたのである。だからこの世から出るということが目的であった仏教でも全く逆の世界になってしまっていたのである。この世で出世することが目的としてそのカルト教団も存在しそのカルト教団の目的は教祖がこの世の王となりその配下の者がこの世の有力な地位につき御利益をを得るということである。

例えば本来宗教であれ釈迦は説法するとしてその弟子は十数人だった。キリストにしても12人であり人であれ孔子が説いたとしてもその数は十数人だたのである。それが何百万人が弟子となるときそれはもはや何になるのか。それはただハイル池田ともなり権力化して数の力を得て権力をほしいままにするというだけである。民主主義社会では選挙がその権力を得るための最大の手段なのだからその一票を得るために人があるだけだとなる。

つまり宗教のなどどうでもいいのである。第一百万票得るためにどうするのかいちいちその人をのことなど関係ない。一票になればいいだけの話である。カルト教団ではただご御利益を説くだけであり一票入れれば御利益があるとかそんなことばかり説くだけである。要するにハイルヒトラーと大して変わらないのである。
その目的は何なのかというとそれは共通している。この世の権力を得て教祖が王となりこの世を支配してこの世の栄華を追求することである。だから宗教とは正反対なのだけども人々が求めるのはこの世の栄華であれ御利益であれそれしかないのだからそれについてくる人が何百万人もいるということである。

●人間は利に敏く宗教も御利益なることで人を集めた

何か宗教に関わる人は胡散臭い。つまり宗教で飯を食うということはすでに何か後ろめたいものがある。だからこそパウロはテントと作りをして布教するにしても信者から金を貰っていないのである。それと正反対にカルト教団というのはどこにしろ莫大なこ金が集まる団体でありだからこそそれを狙って入る人もいる。
その団体に入れば何か得をするということで入る人もいる。そういう団体はどんな人でもいいのである。その人の心などどうでもいいのである要するに創価だったら一票になればいいだけである。そして毎日数を数えているだけである。数は力であり金が力だという時まさにそれしかない。

人間というのはとにかく難しいことは分からなくても利益になることはすぐにわかる。だから発達障害の人も利だけは聡いのである。それは日常生活の中で身に付くから別に考えなくてもすぐにわかるそれと同じようにカルト宗教団体というのは難しいことは言わない。ご利益になるとかいろいろいいことがあるとかそんなことしか言わない。だからこそ人を集めることができるのである。
そこにはまともな求道者などはいない。そんな人はかえって邪魔ものであり必要ないのである。一体法華経信者であれキリスト信者であれカルト教団などに一人もいないという不思議がある。
それが全く理解できないのである。

ただそういう人たちも池田大作氏がカリスマが死んだとき憑き物は取れたように目覚めるかもしれない。それで一部の人が池田大作氏を公然とこきおろしている居るのに驚いた。その人は学会ででも身も心も捧げていたから逆に人生を奪われたとしてあのように池田大作氏をこき下ろしているのかとなる。
他にもカルト宗教団体で辞めた人はだまされたことを知ってその内情を暴露しているのである。いずれにしろ創価学会はもう維持できるのかと思う。後継者も育たないし会員は増えないし票も減るだけだとなると自民党からもやがては捨てられる。

●宗教団体でも御利益があるのは主に幹部

では別に宗教団体なのだから信仰が第一なのだからそれでもいいとなるが実は創価とわは様々なこの世の野心を持った人たちが欲望を叶えるものとして団体としてあったからこそあのように会員が増えたのである。信仰を求めて入ってきた訳ではないのである。その信仰だって御利益だけが目的であり本来の宗教とは何の関係もないのである。だから御利益がなくなれば簡単に宗教だって捨てるのである。ただ宗教の面倒なのはそうなると地獄に落ちるとかバチ当たるとかな呪縛されるから簡単にやめられないのである。ただ一体バチ当たるとか地獄に落ちるとはどういうことなのかそれ自体がわからない。

なぜなら創価の人は何百万人もいるのだからその中で不幸なに死んだ人とか不幸になる人は膨大な数のである。ではどうしてそうなったのかとなる普通の社会でも必ず不幸はありそれがただ何百万人もいれば当然比例して不幸な人は必ずいるいる。近くでも40くらいの息子が病気で死んでその後母親も死んだ。それは創価に入ってからまもなくそうなったのである。そんなこと他にもある。学生のとき活動していた人が交通事故で死んだ。池田大作の息子も30くらいで死んだ。私の父親違いの兄も40歳で交通事故で死んだ。家族にはなにかかにか不幸があるしみんんな病気にならない人もいないのである。それはどうしてかわからない。ただいちいちそれを宗教で判断できないのである。そんな不幸など山ほどあるのである。ただ確かに御利益を得た人はある。私を折伏した人は家族は議員になりそれで大学までは入れたとか言っていた。

でもそんな幹部になる人は一部であり不幸な人はやはり多いのである。つまり創価は貧困ビジネスでもある。不幸な人たちから貧困者から搾取するともなる。そこで票を集めて金になった人は確かにいる。でも御利益を得た人がいたとしても全部がそうはならないのである。
そのカラクリが分かれば馬鹿らしいとなりなぜ献金したのかとなりついには統一教会のようにその恨みを晴らすために安倍首相は犠牲になってしまったのである。つまりカルト教団に入って家族が崩壊したりした人は相当に多いのである。その恨みを持った人が最近あからさまに批判するようになったのである。
いずれにしろ創価は終焉しつつある。カルト教団のこともその内部が内部者から批判されてその実態が明るみに出るからいずれは終わりになっていくだろう。ただ最後の悪あがきが何があるかもしれないそしてまたそこに集めた金が莫大でありその奪い合いが起きてくるかもしれない。もはや維持できないし分裂したり遺産争いみたいなものもにもなるかもしれない。それがまさに罰であり地獄になるということである

●文明社会に狂気を生み出す―宗教は山岳宗教の天台宗が始まり

集団的にカルマを作り出したのがカルト宗教団体でありそれが巨大なるがゆえにその負の影響も大きなものとなる。カルト教団がなぜ現代に生まれたのか、それはやはり文明自体にあり連関を失ったアトム化した社会でつながりを求めるためにナチスのようにハイルヒトラーとかハイル池田になってしまったとも思う。池田大作はどういう人物かと言うと自らを巨大な人物に仕立て上げるためにこの世の王となるために下々の者を利用したのである。
なぜなら学生部の会合でタバコをポンと投げて配ったという。それを喜んでいたのは学生部の幹部である。もちろん池田大作氏に会っただけで有頂天になっていたのかもしれないただ池田大作氏が力を持ったのは強大な権力を持っていたからであるその権力があるからこそ自民党も近付いたしその内部でも池田大作氏に近づけば高い地位を得て教団内で権力を持ち外部でも権力をモデルと言うことでそうなったのである。

池田大作の人間性は人格は関係ない。そんなものに惹かれる人など今の世にはいないだろう。ただ権力が得られるということで野心家などがそこに集まってきたのである。だから普通宗教というと修行者はなっているのが普通であった修行者場なっているのは普通だったそれで日蓮親鸞でも比叡山で修業したのでもともと日本は中国から輸入したのは天台宗だったので。天王台というと山岳宗教でありそれは日本だったら山伏とかにその伝統は受け継がれたのでつまり山を聖なるものとして修業したとなでもカルト宗教団体は創価だったら東京の団地から生まれたようにそれは仲間づくりであり全く宗教とは関係ないものだったのである。ところが山になると人はいない静寂の世界なのである。
都会の大衆とか群衆とかはいないのである。沈黙する荘厳な山に向き合っているのである。カルト教団の特徴は常に大集団となり
示威行動をして社会に圧力をかける存在である。

だからそこで宗教など求める人は一人もいなかったのである。ただそこで御利益語り仲間ができるということであれだけの人数になったのであるだから宗教など求める人は一人もいないのである。宗教を看板にしているから宗教を求めているそういう人たちと思ったら全然違う普通の俗界にいる人たちをより欲望を追求する御利益を追求する人たちだということがその組織団体の実態だとするとき全く何が何なんだとか理解不可能となってしまうのである。ただ確かなことは発達障害の人でも利益になることは何も考えなくても利に敏いのである。それと同じように御利益になるということだけでこれだけの人数は入ったということは理解できるのであるだから御利益がなくなれば当然もう雲霧消散するのである。

ともかく人間社会というのは時代時代によって狂気が生まれる。明治時代のえーじゃないかえーじゃないか騒動もそうだった。また太平洋戦争でも天皇を神としてそのために日本は必ず勝つとして300万人も死んだ。これも狂気的なことであった。人間社会は必ずこうして狂気を生み出す。それは江戸時代までは少人数で狭い範囲でそういう悪徳宗教人がいたが何百万人にも拡大するということはありえなかった。なぜそうなったかというとナチスが
ラジオから生まれたとか通信の発達でマスコミが生まれそのマスコミによって洗脳された結果として大衆社会がありそれが狂気を生み出したのである。

だからカルト教団というのも文明が生んだ狂気的集団だとなる。でもナチスのように国民全員が狂気になればそれは正常なのである。そうかでもナチスのような勢いがあったから恐怖するものだったのである。カルト教団とは文明の病理的現象であり本来の宗教とは何の関係もないものだったのである。

ただ共通していることは一人の教祖が偶像となり神となり仏となりその下に上下関係の組織が作りそれでこの世の権力を得るために運動しているということでは共通していたのである。必ず教祖がいてそれが偶像化して崇拝する。それが今組織的なものとなり宗教団体自体が批判も出来ないものとなったのである。それが極端化したのはオウムであった。宗教の名のもとに殺すことさえ正当化されていたからである。それはまさに狂気の集団だった。創価は庶民を相手にするからそういうことがなかったにしろやはり共通なものがあったのである。

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2023年11月18日

ハマスに拘束されている外国籍保有の人質は120人、27ヵ国にのぼる 【出稼ぎ外国人が犠牲なった理不尽も考えるべき】


ハマスに拘束されている外国籍保有の人質は120人、27ヵ国にのぼる

【出稼ぎ外国人が犠牲なった理不尽も考えるべき】

内訳は、最多のタイが25人、アルゼンチン21人、ドイツ18人、米国10人、フランス、ロシア各7人、ハンガリー4人、ポーランド、ポルトガル各3人、フィリピン、ルーマニア、タンザニア、英国各2人、オーストリア、ブラジル、カナダ、中国、デンマーク、アイルランド、リトアニア、メキシコ、ネパール、オランダ、セルビア、南アフリカ、ウクライナ、ウルグアイ各1人。それ以外にも外国籍の人質がいる可能性があるとされる(ロイター、11月8日付)

イスラエル全土にある様々な農場や砂漠地域で就労するタイ人は最多で2万人とし、イスラエル軍の空爆などにさらされるパレスチナ自治区ガザ地区に近い地域も含まれる。それだけに、「ハマス戦闘員が攻撃を仕掛けた際、多くのタイ人が負傷するリスクがあったことは驚きではない」とも述べた。

●イスラエルの安宿に泊まっていた外国人

イスラエルの安宿に泊まっていたのはオーストラリア人そのオーストラリアに住んでいるアボリジニーそれは真っ黒な人だった。それから英語を流暢にしゃべるドイツ人。それから中国人が何人かなぜそんな人たちが集まっていたのかというとオーストラリア人とかドイツ人を除いては出稼ぎ労働者だった。
なぜかキリストの生まれたナザレで漢字を教えてくれと言う人がいた。その人は中国人と商売しているのか中国人も相当に入ってきている。。つまりイスラエルは世界中の出稼ぎ者が集まる場所だった。というのはイスラエルはIT技術で進んでいて裕福な国なのである。またイスラエルは砂漠でありそこに灌漑して豊かな果実でも実る国にしたのである。でも人手が足りないので世界から出稼ぎ者が来ていたとなる。

イスラエルは兵士が銃をもって普通に店に入ったり街をぶらついている。それは警察官ではない兵士なのである。だから常時国が戦闘状態にもあったとなる。とにかくイスラエルは外国人労働者が多かったのである。その労働者が今回のハマスのテロで犠牲になったのである。一番多かったのはタイ人だった。でも私が行ったときはタイ人は見てなかった。農業関係で働いていたというときイスラエルは砂漠地帯でありそれでそこを灌漑して豊かな実りある地帯にしたから労働力が不足して外国人労働者を働かせたのである。

●イスラエル建国の正当性があるのか?

とにかく今回のハマスのテロで犠牲になったのはイスラエル人だけではない外国人労働者が多かったということである。その人たちが不幸にも巻き込まれてしまったのである。ただそれを見れば今回の問題でも世界的なものとなっていたことがわかる。特に中国人も多く中国人が中立の立場になっているから外交的にイスラエルはよく観ていない。そもそもイスラエルは2000年前に国があったとしても実際は新しい国であり建国してから70年とかにしかなっていないのである。

だからイスラエルという国はユダヤ人が作ったにしても何か世界の人が来て寄せ集めの国のようにも見えるのである。なぜなら2000年間も空白の時期にあれ空白があの時期があればもはや歴史として継続したものはそこにはない。確かに2000年前はイスラエルの国であることは確かであった。でもその後2000年間も空白の時期があってとなれば歴史は継続されるだろうかともなる。日本だったら邪馬台国があったからここはもともとに日本の国だなって言うことにもなる。でも2000年間も空白の時期があったらそんなこと言ってもそこに新しく住んだ人は相手にしないかもしれない。

そもそも日本人がユダヤ人を理解することは難しい。欧米だとユダヤ人とは常に存在しているからその国の住人ともなっているから理解する。そのため差別して迫害にもされたのである。でもなぜ2000年間も国土持たなくて民族として存続しえたのかという謎である。そういう民族は世界には無いと思う。それは神の民として神がその民族を守り維持させたいうのもわかる。普通だったらいろいろな国に散らばってその国民となってユダヤ人だということなど不明になっているはずである。その国に同化しているはずなのである。それがユダヤ人ということで存続していること自体が普通だったらありえないことである。だからこそユダヤ人は特殊であり迫害もされたしっても依然としてユダヤ民族は継続してアメリカでわ強固な力を持っている。

キリスト教徒どうしても聖書中心にして信仰がある。だから旧約聖書でも必ず読むし新約聖書の継続として呼んでいる。それで聖典の民となっているのである。旧約聖書と新約聖書が断絶しているかとなるとそうでもなく継続しているのである。となればユダヤ人でも旧約聖書のときはその民族に神が祝福が与えられていたのだからユダヤ人は別格だともなる。それでアメリカの福音派は旧約聖書でもやはりい重んじているから当然イスラエルの国は再建されたということは一つの大きな兆候あり救世主が現れるとかイスラエルを支持しているのである。他にもキリスト教徒であれば旧約聖書からの継続として新約聖書がありそれでイスラエルを支持するということがある。でも一方でユダヤ人はキリストを十字架にしたして迫害されてもきたのである。

●出稼ぎ外国人労働者をアラブ人とユダヤ人の争いに巻き込む

ともかく1000万くらいの国に世界中の出稼ぎ者が集まっている。それはイスラエルの特徴でもあった。だからこそ多くの国の人が今回のハマスのテロで犠牲になったのである。それは別に宗教的なものとは何も関係ない。ただそうした宗教的なものでもその争いに巻き込まれ犠牲になった。その人たちは別にアラブ人でもなくイスラエル人でもユダヤ人でもないだからその人たちがなぜそこで死ねからばしなければならなかったのかそれがやはり今回のテロの特徴でもあった。

グローバル化するとやはり世界中の人が巻き込まれるからもはや民族同士の争いだけでは済まされないのである。また国同士の争いでも世界中の人が巻き込まれ世界大戦にもなる。だからその国々が勝手に戦争でもなんでもしていいとはならなくなったのである。必ず世界に波及するということである。それがグローバル化でありそのの国だけで勝手に何でもしていいという事にはならなくなったのである。

だからこうして宗教とか関係ない出稼ぎ者が多数犠牲になったということは信仰的問題宗教的問題だけではないものともなっていたのである。その人たちは別にアラブ人でもユダヤ人でもなんでもない。ただ金を稼ぐために来ただけでありその争いとは何の関係もないのである。でも結果的には大勢の人が犠牲になったのである。

今回のイスラエルとアラブ人の争いは単に宗教的なものでもなく民族的なものでもなくそこ犠牲になった人たちを考えるとそれは世界的なものでありただユダヤ人とかアラブ人の戦いであり宗教的戦いであるというだけから見れるということにもならない。そういうことと全然関係ない人も死んでいるからである。ただその人たちのことをあまり注目していない。やはり今回の問題は多角的に見れば全然その争いに関係ない人たちが犠牲になったということである。その点からもこの争いを見るべきだともなる。

●必ず個々人でも家族でも国でも争うと回りも苦しむ

ただ外国で働くとなると何があるかわからないやはりリスクがありそれも考慮しなければならない。ただ金を稼ぎたいというだけで行くとやはり問題が起きるかもしれない。それは日本に来る出稼ぎ者でもそうでありただ金を稼ぎたいそれだけの動機で働くということは何か今回のようなことがあったときリスクを伴う。一旦その国に住んで働きだしたら何かあった場合なかなか助けられないということもある。

いずれにしろ確かなことは個々人でも家族でも争う時全く関係ない人でも巻き込まれてひどい目にあうことが普通にある。それが国同士で起きる時現在のようにグローバル化していると必ずその争いに関係ない国の人も犠牲になるということである。だから外国で働くのはいいのかともなる。別に今回のような事件がなくても工事現場で働く外国人でも言葉が通じなくて事故になったり死んだりしてる人もいるかもしれない。どっちにしろ外国で働くということは危険なことになっている。でも金を稼がねばならずなるとして外国人がどこでも働いている。そういう人たちが今回の事件で犠牲になったということも考えるべきだとなる。

俺たちは金を稼ぐために外国までわざわざ来た家族のためにも働かざるを得ないから来た。でも俺たちとは何の関係もないアラブ人とユダヤ人との争いで死ねばならなかった。だからアラブ人とユダヤ人は俺たちを弔い供養しなければならないともなる。

金のために出稼ぎに来ただけだと言うが金を稼がねばならない切実なものもあるからこそあえてきたのだということである。だからここで死ぬということは全く理不尽だとなる。こういう視点から今回のイスラエルとハマスの争いを見るということもある。要するに多角的な視点が必要になってきているのである。

今回の問題の複雑さはこうしてグローバル化して世界の関係ない人も犠牲になったということである。それはこれだけグローバル化していれば常にあり得ることである。どこでも外国人がいるからである。例えば日本に観光に来ただけでも地震とかある場合もあるしやはり何かしら危険はあるのである。そもそもイスラエルは危険な場所ではあったがこれほどの危険な場所とは認識されなくなっていた。ただそれは問題が解決したからではなく先延ばしになっていただけだったのである。


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2023年11月17日

情報社会の変化ーマスコミからインターネットへ 【相馬新報の意味するもの】


情報社会の変化ーマスコミからインターネットへ

【相馬新報の意味するもの】

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●マスコミからインターネットへの情報社会の変化

社会が変化するというとき、現在の特徴は情報化社会になったということである、この情報化社会というのは今までにないことであり、なかなか理解できない、この情報化を促進したのはインターネットである。
この変化の一番大きな点は個人でも、新聞社出版社テレビ局ともなる、それが個人でできるということが画期的なことだったのである、 これをわかりやすくみれば今までの情報社会というのはマスコミュニケーションであり、マスコミとはマスは大衆を相手にすることでありそれでマスコミが巨大な力を持ったのである。

テレビを通じて国民へ1000万以上の人がそのテレビを見ているということがどれだけ力を持ったかということである、だからこそテレビに出ただけで名前が売れて、それで国会議員になった人も結構いる、中身がなくても、名前が売れていればそれで良かったのである。それで芸能人でも、国会議員にもなれたのである、それだけマスコミの力が六局のテレビ局がどれだけ力を持っていたか分かる、 

でもこの独占された情報世界から、インターネットへの移行は情報環境変えてしまったのである、最初は通信というのは子供の遊びのようなものだったのである。文字をやり取りして、話し合うをするということが何か理解できなかった、でもそれが実はインターネットの普及する始まりだったのである。

●個々人がメデアとなり発信する時代

つまり、個々人が、テレビ局や新聞を通じて、発言するのではなく、そうした媒体、メディアを通して発言するのではなく、じかにに個人が発言すると言う場をつくったからである。でも依然としてそこは制限された場であり、富士通のニフティなどでは、シスオペなどがいて自由に発言できなかったのである、それが急激に世界的にインターネットが普及したのである。特にスマホはパソコンがなくても、その代わりになるから、それでさらに、加速したのである。

世界的に見ても時代的に見ても、このインターネットの環境の変化が大きなものだった。つまり世界が情報化社会になったのである。は今までのマスコミニケーションとは違ったものなのである。 これまでは政府から認められた。認可された6局のテレビ局しか放送できなかったが。今や簡単に個人がyoutubeのようにテレビ局になるのである。この変化も大きいものだった。マスコミュニケーションとは認可された六局の情報の独占だったのである。

ニュースでもそこから知ることができなかったからである。そうするとその六局で国民でも大衆でも情報を操作することができる。それは巨大な権力を持ったということである。誰がテレビに出すか出さないかを決めることができるし、何を報道するか報道しないかも決めることができる。 でも自由に発言できる場ではない。NHKでもそうでありNHKが発言する人を選ぶのである。だから必ず偏っているのである。

不思議なのはインターネットでは誰でも発言できる。放送できる。ただ問題は発言できても放送できてもそれが今までのテレビのようには見られたりしないのである。見られないかったり読まれなかったりするのが普通なのである。そこで認められることは容易なことではないのであ。なぜなら1000万人の人間が自由に発言したりテレビ局になったりしたらどうして見るのか?そこでは全く見られないし読まれない人も出てくるのである。そんなに多くの人をチャンネルを見て回ることが出来ないからである。

●情報とはなになのか

そもそも情報とは何なのか?それは常に社会でもあった。例えばどこかに鹿がいてみんなに知らせて狩りをするとかである。その情報伝達は人を媒介としてあり人から人へ伝えることが普通だった。情報とは噂話のようなものでもあった。噂話だと人から人に伝えるからである。伝えるうちにそれが誇大化して真実とは違ったもになる。

でも情報を伝えるときこうして噂話のように個人から個人に伝える。そこにはどうしても大勢に伝えるということはできない。だから情報というのは限られたものとなっていた。知ることは狭い範囲のことである。極めて限られた情報しか得ることはできなかったのである。 特に閉鎖的社会で村で生きてきた日本人は外の世界と関わらないから得られる情報も限られていたのである。

でもそういう世界ではフェイクニュースとかに騙されることもなかった。情報というのは狭い範囲だと実際にその場に立って確かめることもできるからである。それが情報が世界的になれば。とてもその情報を調べることもできないし。それで騙されるのであ。それを証明したのがイラク戦争での一羽の海鳥が油まみれになっていたことである。それが作られた映像だったのである。別に周りは油まみれになっていなかったからである。だから、この一枚の写真を見て、イラクは酷いと世界中の人が思った。

一枚のが真でそれだけ影響があったのである。それはとても世界となれば、その場に立つこともできないのだから。その一枚の写真から判断するからそうなったので。
ただ、ここで言えることは、情報が世界化すれば。マクルーハンの言うように世界で起きたことが隣の村で起きたように影響するということである。 日々世界の事件が報道されるが、その場に立ってみることはできない。だからどうしてもそこに誤解が生じるのである。 

情報環境で変わったことはテレビでも六局だけが1000万以上の人間に報道する時代は終わった。誰でもテレビ局にもなれるし新聞社にもなれるし、出版社にもなる。それも誰でも簡単にできるので。プログなど簡単に誰でもできる。でもそこに写真も載せられるし、文章も載せられるし情報の蓄積もそこでできる。だからこんなものでも個人でメディアを持つということがどれだけ力を待ったかを知る実感したのである。ただ、これが見られるのは最高に難しいということである。六局をみんなが見ていた時は集中して1000万人の人間が個人が放送するようになったらとてもそこで見られるということは不可能にもなってしまったのである。

●相馬新報の意味するもの

そもそも情報というものは何かということである。人間が狭い範囲で生きていれば。情報は常にその場に立って確かめることができる。私自身が相馬新報というのをプログで書いているがその場を俳句にしたり報告している。
でも全国放送でもないから全国の人を相手にしているわけでないからその場に行って確かめることも可能なのである。写真に撮ったものでも、その場に行ってじかに確かめることができる。すると実際見たものと違うとも感じることができる。

このことが今までの情報社会とは違っているのである。 何か狭い範囲だと?その道端にあるであれ小さな石ころであれそこに関心を持つ。一軒一軒の家にも関心を持ち一人一人の人間にも関心を持つ。マスコミだと芸能人とか有名人しか相手にしない。だからそういう人たちは大衆でも関心があり、知っているからである。

だから最近週刊誌を見てもテレビを見てもつまらないと見る。そうしたマスコミの相手にするのはみんなが1000万人以上の人間が知っていることであり、興味あることである。芸能人というのは、いつでもテレビで出ているから親しみがあり。そのために関心がある。でもそれはマスコミの時代からそうなっていたのである。マスコミを大衆を相手にするとそうなる。

でもそれもつまらないと思うようになった。これはやはりインターネットが生まれて情報環境が変わったからある。大衆を一千万とかを単位にすれば常にそうなるとみんなが関心あるものをとりあげる。するとみんな同じものとなり週刊誌すらそうでありつまらないと見た

●一軒の自転車屋の死が報道される意味

例えば近くの最近死んだ駅前の自転車屋の星淳一氏のことを偲び私は記事にした。そんなこと普通はおそらく相馬地域でも関心にならない。でもこの地域に住み、自転車を持っている人は関心を持っているのである。そしてなぜか不思議なのは駅と一体化して駅に降りると死んでもその人が迎えに来ているような感覚になったのである。
その駅前の自転車屋は駅と一体化していたのである。だからこういうことを報告するのはインターネットができる。全国放送のテレビ局で放送したところで誰も観ないからである。福島県の放送局でも報道しないでもでも地元の人にとっては関心あることなのである。

 情報と言うのは、実際はなんでもじかに見て、その場に立って、その人とじかに会うということこそリアルなものとして伝わるのである。マスコミュニケーションでは何千万人も相手にしていたらそんなことはあり得ない。だから。何千万人もが知られるものとして、芸能人やスポーツ選手やそういう人たちを報道することになる。
でも最近そういう報道を見ても自分とはなんか何の関係もないとなり。つまらないと思うようになった。それより近くで起きた事件があり。事故でも必ず関心をもつのである。それは身近に感じるからそうなる。あそこで事故起きたから危険だと感じるからである。
だから相馬新報というのも徐々に認識されて読者数もかなり増えた。 やっぱり地域でも知らないことがありそれを知り得るということはから出来るからである。

●文明の時代から文化の時代に―時間軸で見る世界

そして今文明という大きな枠組みから文化という時代になっている。また、東京一極集中から地方へ分散するという時代になっている。情報もまた同じなのである。東京一極集中から地方へ地域へ分散する。それは文化の時代となり。地域に根ざした文化の構築が課題となるからである。だからせまい地域だと一つの石ころでありそれに関心を持つ。そして石であれ木であれ山であれアイデンティティ化するのである。自己同一化してゆく。それは中世時代の回帰になる。

cultureはcultivateでありその土地土地を耕し掘りだすことにありからだ。
情報にしても狭い範囲だと常に現実にそれを見ることもできるし、触れることもできる。より具体的であるより身近でありそれはその人の生活にも直に関わってくるからである。

そしてまたマコミュニケーションと違うのは空間も狭いのだが時間軸で見ているということである。私のプログにしても、すでに20年以上書いているからである。すると20年前のことでも知ることができるのであ。最近隣の人が他に家を建てて移動した。そこが空家化して今は家も壊され更地になっている。
でもその時の写真が残っていた。大きな平たい石がありそこで奥さんが洗濯ものを干していたのである。そのとき、そこに生活があったのである。今は空き地になり何もない。何か暮らしがあるときその土地も家も活きていた。だからこそ原発事故の避難区域になったところは人が住んで居ないから人の暮しがないから死んだようになってしまったのである。 その写真にしても普通なら誰も関心などはない。でも私自身は隣にいたのだからいつも見ていたから関心を持っていたのである。でもその奥さんと一回も話ししたこともないのである

やっぱりこのようにプログは狭い地域でも時間軸で見るということが違っている。記録として時間軸で残されるのである。全国ニュースだったら、その場その場で消えて、あと継続されないのである。狭い地域だったらこのように継続して見ることができる。そこに何もなくなっても、かつては何があったと言うことを記録されるのである。だからそこに何か地域として意味を与えることになるかもしれな。
いずれにしろこのように情報環境が変わったということを知るべきである。テレビばかりから情報を得る時代は終わったのである。ただ、情報の量が莫大に増えた時。それを処理するということも不可能になってしま。ただ、リアルに情報を得るのは、やはり狭い範囲なのである。

田舎の冬の一日【写生俳句】

メデア(仲介するもの)によって歪められる社会 
(マスコミからインタ−ネットへ)






2023年11月16日

冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景色】


冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景色】

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他の写真は失敗だった、でも近くだからまた撮れるからいい。


松の古り昔の街道冬の

街中の畑に日さし冬の菊

店一つ裏の通りや冬の菊

冬の菊五六軒の部落かな

冬の川流れ響きて一部落

養蚕の家なほここに残る柿

故郷や心に沁みぬ冬景色

冬の灯や近くの知る人あわれかな

午後の日を静かにあびて冬の菊老いて安らぐ場のあればよし


原町の昔の街道を通りそれから街の中を走りイオンに行き深野から橲原に出てきた。原町は相当に広い。だから裏通りにも店があり冬の菊が映えていた。ただそもそも通りがあっても店はなくなっている。

今回のテーマは冬の菊である。つくづく日本の文化は四季から作られている。ある人は日本は時間軸で生きる世界だという。それもそうだと思う、日本は島国でありすぐに海に出て果てる、道はなくなる。でも大陸は広大な空間を生きる。果てることなく空間が広がり道がつづく。だから広大な空間を征服することが歴史でもあった。空間を移動して果てに未だ見たことない新世界を見る発見することである。
日本はすぐ海に出て世界は尽きる。すると四季の変化明確でありその変化に生きる。だから日本人は季節に敏感であり季語が不可欠な俳句が必然的に生まれたのである。

橲原【じさばら】にでて立目石があり柿がなり養蚕した兜屋根お家がある。
何かそれが日本の原風景である。でもそうした農村風景は失われた。おそらく戦後十数年くらいまであった。なぜなら依然として農家が六割くらいまだ存在していた時代だったからである

私が一番不思議に思うのは高校まで蒸気機関車が走っていたことである。それが信じられないのである。いずれにしろ時代が変わると風景も変わる。だからその時代時代の風景がある一時代が過ぎ去るとその風景も変わりその時のことが景色でもわからなくなる。だから冬景色というとき農村社会のときは今とは違っている

その時藁葺き屋根であり兜屋根の養蚕をした家があり必ず干し柿をした家がありその前にわでわ農家の人が仕事していたのである。今はどうかといっても近代的な新しい家に住んでいる。だからどこが農家かもよくわからないのである。第一農家の人でも全体でも1割にも満たない生産量しかないのである。だから純粋な農家というのは実際は稀になっているのである。農家だけで働いている人は梨農家のとか花栽培とかである。そういう農家は全体から見れば本当に少ないのである。

とにかく冬は田舎に合っている。でも今年は確かに冬にはなったのだが周りの景色を見ると冬ではない。木枯らしだって吹いていない木の葉もまだ大して散っていない。だから落ち葉の道にもなっていない。紅葉でもまだちょっと色づいたくらいである。そして晩秋とか秋深むとかそういう感覚がなくなって冬になってしまっているのである

2023年11月15日

冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれる


冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれる


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この部分に言葉をいれると何かつながりあり俳句にもなる


物言わず万物硬く冬に入る

深々と万物硬く根ずくかな

石と石組まれ重なり冬に入る

石一つ隠され黙し冬に入る

冬に入る万物硬く結ぶ合う

冬に入り万物整い神ましぬ

一段と山の厳しく冬に入る

日本なれ山遮りて冬に入る

人の業休ま無まむ時や冬に入る

神の手に万物一つに結ばれる

神の手に万物結び冬に入る

ポトリかな時雨一滴人は死ぬ



今年は秋がなくなったというは確かに晩秋とか秋深むとかがなくなり冬に入ったことになる。でも冬になっても紅葉がようやく色づいたともなる。でも気候的には急に冬になったのである。だから季節の感覚が狂ってしまったのである。日本人は季節の感覚に敏感であり季節が変わるたびにやはり心も変化する。それで俳句という芸術は生まれたのである

冬は万物は休むときである。でも人間の活動は休むことがない。田舎だと稲も刈られて刈田になり季節の変化を感じる。でも奇妙なのは風力発電の風車は風に回り続けているのである。それは休むことはないということである。文明活動に人は疲れる。東京のような人ごみの中にビルの乱立する中に生活できると思う

私自身は東京で大学生活をしたりアルバイトしたりしていたことがあったが東京を嫌悪してで引きこもり生活を実に30年もしてきたのである。その時旅もしていたが日常的には家にこもっていたのである。そしてそこには人は見えず人とは接しず自然と一体化することをアイデンティティ化することをしてきたのである。

そしてそのような俳句とか短歌とか詩を作り続けてきたのである。ただこれは本当に異常なことであり家族に恵まれた結果だったのである。なぜなら家族は私を攻めることもなかったからである。でもそういう生活が自分の性格に性分にあっていたのである。

今でも自分は人と付き合いたくないし冬のように荒野のようにそこに誰も人もいない時心は落ち着くのである。そもそも東京のようなところで生活している人は精神的に既に異常化してしまうのではないか。そこから生まれるのは何かカルト宗教とか異様なものだったのである。まず芸術というのは東京からは生まれないと思う。あの華やかなルネッサンスが生まれたのは5万くらいの都市でありフィレンツェだったからである。そんな小さな都市であれだけの芸術が生まれたということは本当に驚きである。

人間は文明社会はバラバラの世界でありそこはもはや人間の感覚で総合的に見ることができない。人間はただ無数のパーツとなり機械の部品となり日日奴隷化されているように見えるのである。何かそこで確かに経済的には効果があり豊かにはしているかもしれないが精神的には実りがあるのだろうかとなる。

神の手に万物一つに結ばれる

all united one by God hand in winter

自然は神の手によって一つに結ばれている。でも人間の社会は文明社会は何によって結ばれているのかばらばらになった部品の集まりでありそこ結び合わせるものがない。もはや誰もグローバル経済のことなど理解できる人などいないのである。だから株などは誰もわからない。そこは巨大な世界のギャンブル場でありだからこそ今覇権国であるアメリカの支配階級は世界の富を集めているという陰謀論にもなるのである。それはあまりにも巨大でありどのように繋がりがあり結ばれているのかも誰も知りえないからである。

ともかく私の性分はそこに人がいないことであり荒野が広がり自然と一体化するとき心が安らぐのである。そもそも人に何かまともな人間もいないのである。田舎では人からの刺激に欠けていることは言える。ともかく冬というのは自分は好きである。また老人になった結果まさに老人は冬なのである。冬が一番似合っているのである。

2023年11月14日

俳句が写生になるのはなぜなのか? (時雨は死を連想させる―確実に冬になった)


俳句が写生になるのはなぜなのか?

(時雨は死を連想させる―確実に冬になった)


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紫に橙に赤の木の実かな

寂として冬薔薇一輪に蕾かな

山茶花のあまた白しや人も来じ

はや暮れむ家の近くに時雨かな

人は生き何を残すや時雨かな

四五軒隣空地化時雨かな

老いの身に銀の雫の時雨かな

俳句というとき私は正岡子規の写生を基本に学んだ。なぜそれが俳句に適していたのか?俳句は短すぎるから悲しいとか淋しいとか感情的なものとか説明を加える表現の余地がないからである。
だから写生が短くてもそこから鑑賞する人がイメージさせるのである。だから写真と相性がいいのである。でもすべて写生でも表現ができない、つまり内面的なものになるとなかなか表現しにくい、写真でも絵でも表現しにくい、だから言葉になると内面的な物が表現できる。でも俳句では短くてできない。
そもそも芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである。

午後から家を出たらすでにくれつつあった。まだ三時過ぎたとであり夕方にもなり風が冷たい、本当に冬になった。これまではまだ秋だった、ただ晩秋とか秋深しとか感じなかった
ただ確かに冬になった。家を出たら時雨であり秋時雨ではなかった。何か一日が暮れるのが早いと思った。人間は自然でも年齢によって感じ方が違う。老人は時間が早く過ぎるとなる。そして死が現実としてまじかなのである。

人間は死んで何を残すのだろうか?ぽつりと時雨一滴のように死んで何も残さない。時雨は死を連想させる。一滴の時雨が死に水のようにも思える、人間とはそれほど儚いものだったのである。
これは老人にならないとわからないのである。もうすでに回りでもあっけなく死んだ人が多い。そして誰もその人のこと語ることもないのである。これもわびしいとなる。人間はほとんど忘れられる。人間は一体何を死んで残すのだろうとなる。一滴の時雨は死を連想する

『 日の脚に 追はるる雲や はつしぐれ 』加賀千代女

これがふさわしい句だった。

『 ともし火の 一つ残りて 小夜時雨 』 正岡子規

おとはしぐれか 

私もしばしば庵を訪ねてその厠にしゃがんだことがあるが窓のない暗いところ。秋深む天地のささやきが、孤独な山頭火の体を竪に通って地に落ちる、そうしたしぐれではあるまいか。」と紹介している。(『別冊新評』山頭火の世界「俳僧山頭火の句」大山澄太)

この音はまさに死を告げる音でもあった。今の時代都会では時雨とか感じにくい。また車社会になると自然が感じにくくなる。
風も雨も感じないからである。そこに車によって人間の五感が喪失したのである

とにかく家をでて近くで時雨を感じる。隣も四五軒壊され空地化した。すでにそこに住んだ人も誰かもわからないし語る人いないのである。死んでまだ数年も過ぎたい無くてもそうなのである。
ただ無常を感じるだけである。

ともかくプログはその日その日のことを報告するのに向いている。なぜなら印象に残ることをすぐに書けるからである。一日でも過ぎるとまた印象での変わってしまうからである。
プログはリアルタイムの報告に向いているのである。
こうして報告表現する場は今までなかったのである。おそらく死ぬ間際まで力が残っていれば書きつずけることがありうる。それを読む人もまたリアルタイムでよむということはありえなかった。雑誌に投稿しても一か月先ともなっていたからである。

とにかく今が晩秋なのか秋深しなのか季節的に狂ってしまった。
ただ冬になたことは確かである。


20年後家族地方福祉国家崩壊が迫る (少子高齢化―未婚単身社会の老後)


20年後家族地方福祉国家崩壊が迫る

(少子高齢化―未婚単身社会の老後)



このまま結婚できない若者が増えていけば、'40年には日本の人口の半分を独身者が占めると推計されている。20年後の日本は、身寄りのない孤独な高齢者で溢れかえる。結婚というシステムの死によって、医療・福祉・社会インフラが連鎖的に麻痺、崩壊してゆく―。それこそが、待ち受ける「大独身時代」の日本の姿だ。

「これから結婚できるのは、高学歴、大都市在住、大企業勤務の人だけになる。反対に低学歴、地方在住、中小企業勤務、非正規雇用の人たちはますます結婚できなくなる。彼らを待ち受ける未来は悲惨です。対策を練る政治家や官僚は恵まれた環境で暮らす層ばかりですから、そういった人たちに向けた高等教育、結婚支援は視野に入っていないのです。
結婚が消えれば「地方」が消える

●20年後の恐るべき地獄社会

これは暗澹たる未来である。でも既に一部で現実化している。その家族はもう崩壊寸前である。一人は精神障害者であり息子は50歳くらいである。結婚はしていない仕事は工事現場である。母親は74歳くらいで脳梗塞になった。幸い軽い方ではあったがその後後遺症で足が悪くなり歩くのはやっとである。杖をついて私の家までくる。常に金がなく食べることもできないと嘆いている。生活保護を受けているとしても国民年金が4万くらいもらっているからそのためにほとんどもらえないのである。ただ介護度が一くらいになっているから援助は受けている。でも金銭的には常に足りないものとなっている。

頼りになるのはその50歳の息子なのだが最初は交通事故になりそれで車がないと仕事にならないとして50万を貸した。そのお金は返ってこない。次に階段から階段で足を挫いて仕事ができなくなった。そして今度は目を悪くして病院に行く。そこで工事現場で仕事に行けず収入が無い。精神障害者を一人かかえて独身でありもうすでに家族崩壊になっている。家族だけではもう家族を維持できないのである。

あたりを見回すと確かに1万の町でも近くで40代50代で結婚しない人が多いと見る。それは地方でもそうなのである。大概地方だと結婚しているのが普通だった。結婚していない人は変わり者であり社会から外れた人になっていた。また結婚しない人は大人として一人前に扱われないということもあった。自分の場合は結婚しないからそういうふうにもなっていた。

でも結婚しない人が普通であり変わりものでもなんでもないむしろ結婚しない人が多いのである。そうなればもう跡継ぎがなくなり地域でも社会でも維持できなくなる。その人たちはすぐに60代70代となり働けなくもない。そしたらその人たちは一人で生活して今のように福祉サービスを受けることも確かにできなくなる。
年金にしてももらえるかどうかわからなにのである。日本経済が弱体化して先進国にもなりえなくなっている。

その未来を予測すると暗澹たるものであり恐怖でもある。つまり社会そのものが崩壊してゆくことである。すでに自分の周りでも家が五六軒壊されて空地化した。子供を見かけるのは保育所くらいであり周りにみかけない。。だから地方からそもそも若い人もいなくなり社会自体を維持できなくなる。老人ばかり増えて病人も増えてもはや福祉サービスすら受けることはできなくなる。家族が崩壊し地域が崩壊し社会が崩壊してさらに国家すら崩壊してゆくのかとなる。戦争も危機であるこれも内部的に危機であり恐怖になる。ただそれを現実として受け止めることが社会でも政府でもできていない。でもこの未来は差し迫ったものであり現実化することは確かなのである

●介護を家族だけではできず家族が崩壊する

家族が崩壊するというとき私自身が経験した。親二人がいて自分自身が病気にもなって一人悪戦苦闘するほかなかった。私の家に来る人は助ける人ではなく助けてもらいたい人だったのである。事業に失敗して借金で苦しんでる人年金が少なく生活に苦しんでいる人そして自らも病気になり身寄りがないのだから病院で虐待されたり何かと責められて苦しめるだけだった。余裕のない人は人を助けることはできない。だから身寄りがないということは恐ろしいことなのである。結婚しない人はそおのことを自覚していないのである。

そして家族崩壊というときそれは誰でも経験することになるかもしれない。家族でもその単位が夫婦とか後は一人暮らしとかが多くなっているからである。すると介護とかになると限界になってくる。そこですでに親を殺すとかまでなっている。それは家族の単位が小さいから誰か一人に負担がかかってくる。その負担が背負いきれずそうなってしまうのである。近くで母親が認知症になり症状は重くその一人の息子が介護で苦しみ母親を殺してしまったのである。その人は50歳くらいだった。

私の二人の親の一人はやはり重い認知症になったからそのことがわかる。そしてまた一人が介護になり私自身も病気になりついには家族は崩壊するとまでなった。つまりこれは家族崩壊というのはこれから起きてくる。またさらに地域崩壊も起きてくる。福祉崩壊も起きてくる。それは今より深刻なものとなる。だからその未来を見るとき衝撃的だとなる。その対策をしないともう社会自体が維持できなくなり崩壊してゆくということである。

とにかく家族崩壊というとき日本の場合は家族中心であり家族頼りになっているのだがその家族の単位の数も少ないし介護となると限界になる。まだ大家族だったら人手があり誰かが世話する余裕があったかもしれない。でも家族の単位が人数は少ないと本当に誰か一人が全部背負うことになる。それを経験したのは自分である。家族だけで背負いきれないのである。その負担が大きいから家族崩壊になるのである。
ヨーロッパの場合すべて家族にがに負担させない国が負担して面倒みるのである。福祉は充実しているからできるのである。日本ではそれができないからすべてが家族に任せられる。でも家族の人数が少ないからとても介護とかなれば負担が大きくなる。誰か一人が負担を全部背負うことになり限界になる。そこで介護殺人が日常的にもなるのである。

●大家族ーファミリーの喪失で助け合うことができない

だから社会自体を見直さないと恐ろしい地獄社会になってしまう。家族中心の世界では社会ではもはや社会自体が成り立たなくなっている。その家族の単位が人数は少なすぎるのである。だからファミリーというとき外国では夫婦とか親子とかだけではない広い範囲がファミリーになっていたのである。スペインの教会のサクラダファミリーという時それは教会に集まる人数がファミリーだったともなる。外国ではそうして教会を中心にしてファミリーが形成されていたともなる。日本はそういうことがなくなった。ただ村が日本ではファミリーとなっていたようである。

なぜなら子供でも村の子供であり家族として育てていたからである。名付け親/取上げ乳付け親抱き親名付け親拾い親
守り親養い親、、、、明らかに家族に一員として育てられたんである。だから村は大きな家族、ファミリーだったとなる。
本当に村の子供家族の子供ではなく村の子供として見守り育てていたのである。それが現代のよう個々バラバラになり核家族になりそうしたファミリーというか共同体は喪失して核家族とかなりそれに代わるものとして福祉サービスが提供されるがそれも将来的にはできなくなる。

今はかろうじて維持しているだけであり今50代ぐらいの氷河期世代が60から70とかまあっていうこともはや福祉サービスでも受けられなくなる。予算的にも今や日本は貧困化して福祉の方に回せなくなるのである。だから少子高齢化というのは社会の崩壊にもなるということである。それが地方で深刻化する。すでにもうその前兆は明確に現れている。あらゆるところで跡継ぎはなく仕事も維持できなくなる。 1万の私の街でわ自転車屋は一軒もなくなった。小さい町ではサービスを受けられなくなるのである。

●地獄社会となる恐怖

もしかしたら残酷ではあるが地獄を生きることを覚悟するとかになるかもしれない。なぜならもはや福祉であれ医療であり様々なサービスが受けられなくなる。また貧困社会になり食うことさえままならぬものとなる。そういう社会になった時それは地獄社会である。地獄を生きる社会ともなる。その覚悟は必要になるのかとなる。なにか老人になるとそれなりに生きてきたから諦めもつくがこれから生きる人にとっては過酷すぎるともなる。

何か老人は生に執着しなくなり後何年か生きてこの世を去るだけであるとかなる。この世で嫌な人とも永遠に合わない様々な苦しみ嫌のことから解放されるとなり気持ちに返って楽なのである。若いと欲望が強く女性に対してもそうだからそれが焦燥感となり苦しむのである。生の執着が生まれ苦しむのである。そして先が長く感じられる。でも老人になると人生もあっというまに終わることに驚くのである。ただ何かと姓に執着する老人も多い。でも老人の心境は若い人に分かりにくいのである。とにかくさまざまなものが崩壊して地域であれ何であれ維持できなくなるということである。維持する人がいなくなるのである。

それを補うものは何なのかとなる。日本の出生数は減るだけであり減ることはない。日本で補うことは難しいのである
何か地域でも国でも崩壊するというとき外部からの侵略でまたは戦争で崩壊するということではないその前に内部から崩壊してゆくのである。日本は何かそういう状態になって行くということの恐怖である。それは確かにどこでも目に見えるものとなっているから単なる想像のことではないのである。具体的にその崩壊が目に見えているからこそ恐怖なのである


2023年11月13日

なぜ戦争がなくならないのか 【人間のカルマが解消されず繰り返されるから】

なぜ戦争がなくならないのか

【人間のカルマが解消されず繰り返されるから】

●人間の争いの原因―聖書から考える

●バベルの塔の崩壊で言葉が通じなくなる
●アベルとカインの争いの原因
●アブラハムの子のイシュマエルはアラブ人

なぜ人間に人類に争いがなくならなくならないのか?その原因は何なのか。その原因を聖書から探ればバベルの塔の崩壊で言葉が通じなくなった。言葉が通じなくなれば意思疎通ができなくなる。そこで必ず争いが生じる。言葉が通じなければ今でも外国人と意思疎通をすることが困難だからである。今でも外国人とうまくコミュニケーションができないのは言葉の障壁だからである。

その言葉が通じなくなったのはこれも実は人間と神と人間の関係の中に原因があった。天まで達するような塔を建てようとして神の怒りをかって言葉が通じなくなりその民族は世界中に拡散したのである。それは神の怒りをかったからである。神との関係から起きたことである。歴史に神など関係しないとなるが聖書では神と人間の関係の歴史でありそれが今日まで継続して続いているのである。なぜ今イスラエルでアラブ人と戦い悲惨な結果になっているのかも歴史をたどればアブラハムが不如意の子として生まれた子がイシュマエルでありそれは神に祝福されたものではなかったからである。

またアベルとカインの物語でもカインは兄弟のアベルを殺した。その原因もまた神が関係していたのである。アベルの捧げた羊は神に受け入れられて祝福された。でもカインの捧げたものは地のものの野菜であるそれを神は受け入れなかった。結果としてカインはアベルを殺害したのである。これもやはり殺人の始まりは兄弟殺しなのである。

不思議なのはなぜカインは神から祝福されなかったとかである。それは神と人間の関係で起きたことなのである。それは一つの最初の宗教戦争であったかもしれない。神に祝福されたものと祝福されないものは対立して殺人までに発展した。するとなぜ神は不公平なのかとなる。そもそも神はまず人を選びその人を祝福して全ての人を救うということなのである。旧約聖書ではヘブル人を神の民として選び神が直接関わり出エジプトとかを成し遂げさせた。それも神が関わりできたことなのである。

ともかく3000年前のことが現在に関係しているのかということである。でも今イスラエルで起きていることは3000年前からのことが根になりそれがカルマとなって現実化しているのである。だから歴史は継続であり3000年前であれそれは現実としてそのとき成された行為がカルマとなって繰り返されているのである。
そもそもなぜ人間は争うのか。戦争になるのか。その原因は何なのか。聖書では神に選ばれた者と選ばれないものは戦う争うとなる。ではなぜ神は平等に祝福を与えないのかともなる。それは不可解である。

●人間の争いは動物と同じ理由で争う

その他人間が争うのは人間が生まれてから変わりなくある。それは動物でもメスをめぐってオスは戦うということは人間でもある。女性をめぐって争いになったというのはトロイ戦争だったからである。一人の女性をめぐって国と国との大規模な戦争になったということである。でも現代でも女性をめぐって争いは絶えないのである。それは動物的本能であり人間も動物と変わらないということである。

戦争の原因が何なのか。それはやはり動物だったら餌を得るために争う。人間でも争うという時何か利益を得るために争う。モンゴルでわ食料がなくなると農耕民族の中国に定期的に侵略してきた。それは食糧を得るためであった。そのために中国では万里の長城を作ったのである。食料めぐる争いを深刻になる。食べ物はなくなれば他国に侵略して食料を得ようとする。それが戦争になる。それは現代まで継続しているから変わらないのである。

また土地をめぐって争いになるのも土地が食料を生み出すからである。イスラエルでもアラブ人が農業していた場所に入植した結果として争いが起きているのもそのためである。戦争の原因で一番多いの土地をめぐる争いだからである。
この争いはわかりやすいのである。でも神がかかわり起きた争いはわかりにくいとなる。でも確かに神が関わり争いがおきていたことも確かなのである、そもそもなぜへブル人(ユダヤ人)を神が選んだのか?そのこと自体が争いの原因となったからである。

要するになぜ戦争はなくならないのか。その原因は何なのか。それは3000年前までもさかのぼり人間の行った行為【カルマ】解消されないために現代までそのカルマをカルマによって苦しむともなる。
そもそも戦争の原因はアベルとカインのように兄弟殺しから始まった。つまり人類は兄弟でありその兄弟を殺すことから戦争が始まったともなる。そしてそのカルマが解消されないから2000年前にユダヤ人の国があったイスラエルにユダヤ人が戻り再建されたということそしてまたそこに神に選ばれた者と選ばれないものの争いが再び生じたということにもなる。


●キリストは民族を越えて異邦人でも万人への愛を説いた

ただキリストが生まれた時ユダヤ人しか神によって救われないとかではなくなった。キリストは民族主義者ではなかった。そのためにユダヤ人に拒否されて殺されたともいわれる。キリストは説いたのは万人の愛であり異邦人でも愛する愛でありということは異民族でも愛するということでありそこに平等に人類を平等に愛するということになった愛となった。だからこそ世界に普及したのである。ただユダヤ人は旧約聖書を元にしてユダヤ人のみが神に選ばれて救われるということに固執しているのである。だからこそユダヤ教となると世界に普及することがなかったのである。

いずれにしろなぜ人間は争うのかその争いが終わることなく続いているのか。その原因は何なのか。それは民族同士の争いでもあり利益をめぐる争いであり宗教をめぐる争いにもなる。それらは複雑に絡み合ってるともなる。でも神は最初に選んだ人周りそれがアブラハムであり次にヘブル人選んで神の民として。
その神のために逆らう者は神によって滅ぼされたとなっている。だから戦争の原因も神が関わっていたともなる。なぜならみんな平等であるべきであり選別するべきではないとなるからである。そうは言っても神は絶対であり神に逆らうことはできない。

戦争はなぜ人類からなくならないのか。戦争の原因が何なのか。その原因が3000年前の行為がカルマとなって現代にも継続されているからだともなる。つまり人類から争いはなくすことはできない戦争をなくすことはできない。個々人の争いもなくすことはできない。その個人の争いから国の争いにまでもなる。そして最終的に人類最終戦争のハルマゲドンによって終止符が打たれる。いつか平和な世界が作られると思うのは想像の世界であり現実にはない

●平和とは何なのかー争わない植物的世界に平和がある

平和というときどういうことかというとき植物は平和なのである。なぜなら植物は動物のように食いつ食われる世界ではない。例えば木が何本か立っているとしてその木は絶対に隣の木と争うことがないのである。それも当たり前のように見ているが絶えず争っている人間から見れば奇跡的に見えるのである。
また石でも争うことはない。石と石が互いにぶつかり合ってたたきつぶすようなことはしない。つまり植物はほかのものを傷つけることがないのである。ほかのものは絶えず人間でもほかのものを傷つける。たとえ殺さなくても言葉で傷つける。他にいろいろと傷つける方法はある。だから殺し合いしなくても人はある意味で人を傷つけ殺しているとまでなる
だから肉食動物はこの世から消えて草食動物が残るとされる。来世は新しい世界は肉食動物はいないのである。そこではまた肉食はしてない。野菜とか果実とかを食べているだけであるそれで充分に健康でありうるし平和な世界になるのである。

とにかくどうしたら戦争は争いが無くなるのか。それは不可能だと思う。人間のカルマが解消しないからそうなる。むしろ人間の罪が積もり積もって最終的に人類最終戦争のハルマゲドンに突入するとなる。だから一旦人間のなされた行為はカルマは3000年過ぎても消滅するわけではなかった。人間の争いも人間も生物の一種だからやはりオスメスの争いはあり雌を巡る雄の争いがあり食料をめぐる争いは続くのである。

でも植物的世界になると争いは消滅する。木と木は争わないし花と花も争わない動物でも争うということはないのである。自然界で実際は人間のような大量殺戮とか熾烈な争いはない。動物にしても他の生き物を殺すことは残酷に見えるがそれは自然の中で生きてゆくためにそうせざるを得ないからしているだけである。人間の争いはそういうものではなく過剰に殺さなくてもいいのに殺しているのである。

●人間は悲しみから深いもの学ぶ―戦争でも同じ

それは文明が発達してもその殺戮はさらに残酷となっているなぜなら原子爆弾を落とすということでもわかる。その殺戮の道具が発達してそうなったのである。問題はいくら技術が発達しても人間社会に平和がもたらせないということである。逆に殺戮する道具はさらに改良されて殺戮兵器が残酷に大量に人を殺すことができるようになることである。だから科学技術が平和をもたらすということがないのである。
結局人類の終末が来ているかもしれない。それを象徴しているのがイスラエルの国が2000年後に再建されたことである。でもそのことが人類最終戦争の危機にもなったいる。
でも人間の平和が実現するのは神の国でありこの世ではできない、人類の希望はそこにある。滅びもない永遠の命に生きる国である。そこで完全な平和は達成されるのである。

ただ人間は悲劇から必ず何かを学ぶのである。悲劇にこそ何か深いものを学ぶものがある。家族でも実際は悲劇で終わる。私自身の家族もそうだった。でもその悲劇から学ぶものはあった。たとえ争っていてもともに生活した時間が長いから愛が生じていたということもある。人間は悲しみから何かを学ぶのである。なぜこれほど血で血を争いがあるのか。それは悲劇である。とてもその悲劇を通じてなぜこんなに争わなければならないのかという疑問生じる。争う人たち同士で深刻なものとして感じるようになる。

だからキリストが言うように悲しむ者は幸いであるという時やはり人間は悲しむことによって深いものを学ぶ。でもただ幸福であれば人間の本当に深いものを知ることはできない。それでシェークスピアが不滅の作品ともなっているのは悲劇がテーマになっていたからである。戦争にしても互いに血で血で争いなぜこんなに争わればならないのかという悲しまねばならないのかということを痛切に感じて戦争などしても無駄だと思うのである。
でも現実に戦争はなくならないのである。人間の争いでもなくなることはないのである。その原因はやはり人間のカルマが解消されないからだとなる。そのカルマが解消した世界は神の国でありそこにしか平和がないともなる


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2023年11月11日

キタムラの中古カメラ店の対応がいい不思議 【実店舗で説明してくれるからいい−商売でも安心感が大事】


キタムラの中古カメラ店の対応がいい不思議

【実店舗で説明してくれるからいい−商売でも安心感が大事】

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駅の中の喫茶店で中に鏡がある。でも鏡があることがわからない、奥に映っているのは前の店であり歩いている人も前を歩いている人が映っている、でも奥に部屋があるように錯覚するのである。鏡で遮られて奥には入れないのである。


●中古カメラ店の人はあえて売ろうとしない

安くて、品質良くて、実店舗でカメラやレンズのアドバイスまでもらえちゃう。

「神ってる。」というワードが、筆者の頭の中を巡りましたね。Twitter で「キタムラ 中古 〇〇」のワードで検索しましたが、悪いツイートはほとんど見かけない印象でした。

キタムラのネット中古はずいぶん利用しましたが、基本ハズレはなかった
キタムラでは銀塩3台、デジカメ3台を中古で買ってますが、ハズレはありませんでした。
キタムラの中古カメラ買ってみた!保証や取り寄せの評判はどう?って話


カメラはその本体も問題だがそれよりレンズの種類が多くてどのレンズを買ったらいいのかもわからない。。ソニーのα6000を買ったのは大当たりだった。なぜならアルファ6000シリーズの最初カメラであり画質はいいのである。そしてその上のカメラを買おうとしたがキタムラの店では画質は同じだから買う必要はないと言われた。私は主に使っているのは写真を撮ることであり動画はやっていないからである。場所が仙台駅前にあるので便利である。

そして2万円で買った中古のレンズはポケもでるし花を撮るのに最適なものだった。綺麗に花が撮れるのである。ただ問題は重いということである。でもレンズは重いほうがいいという。でも重すぎると携帯するのは面倒になる。
私は遠くで写真を撮る時車がないから自転車で行くから重いと困るのである。でもその2万のレンズは近くを取るのにもにも良いし遠くでもズームして撮る。だからこの一つがあれば間に合うのである。もう一つ広角レンズを買ったが何かこれが綺麗に映らない。でもそのレンズが悪いものではないとキタムラ店の人は言っていた。そうなのかと思ったの納得いかないものはあった。

ただ写真の撮り方がありそれがまずいということもあった。だからカメラだけではなく写真の撮り方に問題がありそのレンズのせいとも言えなかったのである。
ともかくキタムラではあえて買わせようとともしない。そして丁寧に説明してくれるからいいのである。だから何かキタムラというのは誠実な商売をしていると見る。普通だったら売るために良いことばかり言うがそういうこともない。このカメラとレンズで充分ですよと言われたのである。だから何か商売としては珍しいと思った。たいがい売るためにわいろいろいいことを言って売りつけるが普通だからである。

●銀行の商売は前と違って誠実なものでなくなった

特に商売でダメなのは悪質なのは銀行とか証券会社である。第一その商品を株でも投資信託でも説明されても理解できないのである。だから儲かると言って買う人が多い。そして今や銀行でも経営が苦しくなっているから投資信託やらその他の証券でも手数料を取るために必死になっているのである。
だから株でも上がった時売らなくていいのも売っていたり転売したりとしてそこで手数料は入れば銀行でわ儲かるとなる。だから銀行とは今まで硬い商売だと思っていたが今は全く違う。証券会社にもなっていて手数料商売になってしまったのである。

だからと言って資本主義社会で株の売買とかは悪いとはならない。ただ問題は銀行とかを仲介にすると必ず手数料が取られる。その額が大きいのである3%ぐらい取られてしまう。百万だと3万であり1000万だと30万にもなるのである。だからそれを転売すると銀行は必ず儲かることになっている。銀行自体が株を投資するわけでもないからである損したとしてもそれを客がその損を負うのだから絶対に損しないからである。これほどいい商売はないとなる。。だからこのような商売が何か詐欺のように思えてしまったのである。

銀行員はノルマを課されて課せられているからどうしても手数料を取るために転売したり投資信託を投資信託の仕組みは本当に分かりにくいそれでその仕組みを作ったハーバード大学の人がこれは詐欺であるとして良心の呵責に耐えられず会社をやめてしまったのである
株で素人でもできるのはインデックスでありこれを別に株が下がったら買い上がったら売ればいいだけなのである。でもどうでも銀行とかではインデックスを進めないのであるそれは手数料があんまり入らないからである。

●買いたいものがないがbeing imge ceatorは素晴らしい

ともかく商売という時何か口八丁で売るということもある。でも別に誠実に物を売るということもある。やはり物がいい物は高くても売れるとなるからである。だから物は正直であり嘘は言わないとなる。りんごでも安いもの買ったらまずかった。それははっきりと差が出ていた。だから安りんごになっていたのである。だからでもこのようにものとか食品とかではごまかせないのであ。それは誰でもその価値をわかるからである。

確かにカメラとなるとその価値を見分けにくい。レンズも高いのだがその価値もわかりにくい。でもキタムラでは説明してくれるし何か無理に売ろうとしないのである。それが不思議なのである。商売でもどうしても売りたいとなるからその商品がどうであれうる売ることが言葉優先される。キタムラではそういうことがないのである。だからキタムラで買うということは安心になる。中古商品でも悪いものはありそれを買ったりしたら損するからである。

ただレンズ選びは本当に難しい。失敗したらレンズだけで十万くらいのはいくらでもあるからである。でもなぜ2万のレンズで充分に良かったのか不思議になる。それでソニーのα6000でもこれは画質が良くていいものだった。新しいものになっても画質は変わらないということ何度も聞いたので新しいものを買わないことにした。

ただ動画をする人は新しいものを買った方がいい。おそらく自分くらいの素人に毛が生えたくらいのカメラ愛好家なんか高いの写真を撮るとしたらそんなに高いカメラもフレンズも要らないということである。だからカメラに関しては自分は金をかけていないのである。今あるもので充分だったということである。

何かこれが買いたいというものがなくなっている。パソコンでも別に安くても今では充分な機能がある。それよりパソコンで大事なのはソフトでありそのソフトにしても生成AIとかbingイメージクリエーターなどで言葉を文章を入れると絵を作る描くということには本当に感心した。つまり人間の才能は絵の才能がなくても絵を描けるということに関して。機械とはこれまで人間の肉体を使い人間の筋力で仕事をしていた。

それで村ではは比べ石を持ち上げて一男は一人前とされたのである。また女でも力仕事ができる人が農家ではいいとされたのである。でも今や機械で重いものを持ち上げるから別に力がなくても仕事ができるともなった。そして今や人間の頭脳の代わりをしてくれるコンピューターであり生成AIとか今で作ってくれる時代になったのである。
だからコンピューターとは人間の能力を補うものでありそれが今までの機械とは違っている。ただコンピューターが確かに小説を作ったりするとか実験が行われている。でも詩を作れるのかとなると疑問である。ただ確かなことは人間の頭脳と深く関わりその人間の能力才能補うものとなっているのである。

だから現代で何か買うものがないというとき実はこうしたコンピューターの絵を描くソフトとかそういうものが価値あるものとなっている。それは具体的な物ではなく人間の脳と深く関係したものとなのである。だからそれはコンピューターはプログラムを書きそのソフトを作る人が優れているとなる。だから生成AIの時代になるとそのソフトを作る人が重要になってくるのである。
それは金にもなる時代なのである。

漁業権は大きな権利だったー漁業者が反対すると原発は建てられなかった ー女川の原発の場合


漁業権は大きな権利だったー漁業者が反対すると原発は建てられなかった
ー女川の原発の場合

漁協は原発建設につながる漁業権の放棄を認めず、およそ10年にわたり着工は延期となりました。

しかし1978年、漁協と東北電力の間で漁業の補償協定が結ばれ、漁業権の一部消滅が決定。事実上、原発の建設が認められることになりました。

「機動隊が盾で殴るんだよね」“原発頼み”の町が強いられた50年前の分断と、迎える再稼働のとき

漁業権の問題を追求してきたが女川原発の場合は漁業権を盾に漁業者が原発を作ることに反対していた。つまり漁業者の許可がないと原発は作れなかったのである。だから漁業権というのは意外と大きな権利だったのである。それで原発を作るにしても漁業者の許可がないと作れないからそのためにこの辺では手厚い補償金を原発事故前ももらっていたのである。総額も大きく原発御殿建ったとか噂された。それは漁業者の周りの人が言っていたのである。

みんなが知っていたわけではない。自分自身も知らなかったのである。何か烏崎港からイシガレイとか売りに来る人がいた。金ににならないとか嘆いていたしインターネットでも生活が苦しいと業者の人は報告していた。だから漁業者も生活が苦しくて困っているという風に見ていた。
でも烏崎港となると原発ではなく火力発電所ができたときやはり補償金をもらっていたのである。それで高価な着物は売れていた。まだその当時ヨーロッパ旅行する人など相当な金持ちだった。なぜなら飛行機代だけで五十万くらいしていたからである。烏崎の人はヨーロッパ旅行に団体で行っていた。それだけの補償金が入ったということである。でも別に火力発電所の場合は原発事故とは違って被害もないのだから関心もなかったのである。

でもまた漁業者は原発建った時さらに補償金をもらっていたのである。から烏崎港になれば二重に補償金をもらったということにもなる。つまり漁業権というのは大きな権利だったのである。
だからここで女川で漁業者が漁業権を盾に反対したために十年間も延期されたのである。これはやはり漁業者でも危機感を持って対処していたからそのことはこの辺とは違っていた
なぜそうなったのかといえば宮城県とかは漁業が盛んであり水産業が盛んであり福島県の浜通りとかがと比べれば十倍もの漁獲高の違いがあった
それで原発で汚染されると相当な被害を受けるという危機感を持っていたから反対したとなる。

福島県の場合は漁業はお零細でありそれほど盛んではない。そのために原発に反対もしなかったともなる。補償金をもらって方が楽だとなった。
ただ問題なのは漁業権というのはそれだけ大きな権利があり権利があるということは逆に責任もあったということなのである。それを原発事故後に問われたのである。なぜならここで漁業者が漁業権を盾にして反対した結果十年も作ることは延期されたからである。漁業者が漁業権を盾にして反対すれば原発は作ることができなかったからだである。この辺で反対運動もなく建てられてしまったのである。
だから大きな権利があればそれだけ責任も比例して大きなものだったと言うことを自覚されたのである。ただ火力発電所の場合は別にそういう責任もなかったのである。だからそこで補償金をもらっても何も言う人もいなかったのである。そこに火力発電所と原発事故原発との大きな差があったのである。

今日のニュースでも相馬市の玉野村でキノコ栽培している人がようやく放射性物質を測っても食べられるということで市場に出した。 12年過ぎてようやくキノコを売ることができるようになった。キノコはは一番放射性物質に汚染されたからである。
ともかく原発事故の被害の影響が大きすぎたことである。そこで漁業権を持っていた漁業者の責任が大きく問われたのである。
ただ宮城県の場合漁業に占める海産物の割合が福島県の十倍もありそれも影響していたかもしれない。女川ではクジラを取っていた時もありその鯨を解体するの見たことがある。それだけ漁業に関わる係わる関わる割合が大きかったのである。そして女川の津波被害も大きかった女川原発でもギリギリで津波から逃れたのである。一部に被害もあり危機一髪であった。

それは東北電力の副社長の人がこの辺は津波が来るから5mを相手高くしたのである。それでギリギリで津波から生まれたのである。それも幸運だったのかもしれないでもあの辺りは津波の被害を経験しているから危機感があってそうなったのである。福島県側は津波の被害は400年前にあったとしても全く忘れられていたからである。その相違も大きかったのである

ともかく原発事故の被害は放射性物質に汚染されるということは簡単には解決しない。森であっても放射性物質が循環しているのだから除染すること自体も不可能なのである。ただ30年過ぎるとセシウムが半減するとか言われる。それだけの時間がかかるプルト二ウムトだと消えるのに1万年もかかるというからそもそも除染そのものは不可能なのである。結局原発の恐ろしさを認識できなかった。ただ女川では漁業者の漁業権を盾に反対してたということはこの辺とはだいぶ違っていた。いずれにしろ原発の問題は放射性物質の汚染はそれだけ被害が甚大だったということである。だから12年過ぎても解決していないのである



女川原発は高さを一五メートルにしてぎりぎりで助かった

その技術者は、平井弥之助氏です。東北電力・副社長を退任後、電力中央研究所に移り、そこで、女川原発の建設計画に直面しています。

平井氏の実家は宮城県岩沼市にあり、仙台藩に伝わる記録では、近所の神社に、慶長津波が到達した、とされるそうです。
東京帝大の後輩の大島達治氏によると、平井氏が「貞観津波くらいの大津波に備える必要がある」と言っていた、ということです。
1970年に国に提出された女川原発1号機の原子炉設置申請書では、周辺の最大津波高さの想定値は、3m だそうですが、平井氏は、敷地の高さを15m と主張したとのこと。


高くしてもそれもぎりぎりであり幸運だったとなる。


posted by 天華 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年11月10日

社会的死の考察【失われた人間の存在意義】 【村でご先祖様となった社会との比較】

社会的死の考察【失われた人間の存在意義】

【村でご先祖様となった社会との比較】

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無数のマス目があり一つが消えても意識されない

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村の中で一人の人間は死ねば意識される、密接に村は一体化していたから

●村で働き死んだ者は御先祖様になる意味ーworkの意味

人間の死を考えるとき一つは生物的死がある。それは社会とは関係ない。誰しも生物であれば死ぬことは避けられないからである。その解決は社会ではできない。それは神との関係でしか解決できない。ここで問題にするのは社会的死である。
人間は社会の中で仲間の中で生きている。その最小限の単位が家族である。だから家族の中で人が死ぬと家族が最も悲しみ死んだ後でも供養する。 でももう一つ人は社会の中で生きているのだから社会的死というのがある。
例えば村という社会のなかで生きていれば人は死ぬと御先祖様になるという。そのご先祖様は山に行って春になると田植えの時期になると里にに下ってきて村人と一緒に田植えをするという田植えを手伝うという。それは何を意味しているのか。それは死んだ後でも村人と一緒に働いているということである。

英語のワークにはただ仕事をするという働くという意味だけではない。
「働く」や「機能する」から派生した表現で “work” は、
効果がある(薬やサプリなどが)効く

(機械やシステムが)機能する、動かない

workには何か様々な意味がある。作品という意味もある。機能するというとき社会に機能するということであり社会の中で働いていればその人は社会に機能する存在なのである。それで街に一軒しかなくなった自転車屋のことを死んだので語った。それは街の中で一軒しかないから貴重なものとなっていたのである。
つまり自転車を故障してもなおしてくれる人がいなくなったからである。だからこそ死んでその人が居なくなったことで社会が機能しなくなったともなる。その人は社会にとって不可欠なものだったことを認識したのである。

人は村社会で見れば村の中で共に働く仲間でありその一人でもかければ必ず意識したろう。そしてなぜ死んだら村のご先祖様になったのかということである。その人は死んでもやはりみんなが意識して村人が意識して存在していたのである。そして肝心なことは春になると山から降りてきて村人と一緒に田植えをする。それは村人と一緒にワークする働き機能するということである。
つまり人間は働くということはただ金を得るというだけではなかった。働くことは村人と一緒にあり村を支え合うものでありだからこそ死んでもまたご先祖様となり田植えの時期にわは緒に働いていたのである。ワークしていたのである。

●無数のパーツとなり存在意義が失われた

このことを考えると現在はどうなっているの現代の社会はどうなっているのか。無数のパーツに分かれて人は何をして働いているのかも見えない一人の人間が死んで消えたとしてもほとんど意識もしない。現実に小さな町であってもスーパーであれコンビニであれそこで働く人が変わってもまた死んだとしてもほとんど意識しないだろう。それよりそれは誰でも変わってやれるものであり極端になるとロボットにもなる。

現実に人間ではなく店も無人化してロボットがするようになる。それはすでに現実化しているところがある。ましてや都会になればさらに働いている人が何であれその人を意識するということはない。つまり今や無数のパーツとなってそれが一つ欠けからといって何か意識することもない。またそこを別なもの人でロボットでも埋め合わせすればいいとなっている。

とにかく働くということがただ金を稼ぐだけでありその価値とか意味を見い出せないのが現代なのである。だから一人の人間が死んだとしてもほとんど意識されない。ただなぜ自転車屋の人が死んでそれが死後も意識されたのか?。それは自転車屋が駅の前にあり駅と一体化していたためだった。なぜなら街の活性化のために駅を活性化するにはどうするかとか語ったことがあるからである。

だから不思議なことは電車に乗って無人駅になった駅に降りるとその前に自転車屋は今は閉じている。でもそこに仕事をしていた星淳一氏が迎えに来ているような感覚になったのである。なぜそうなったのかというと駅の前で長く自転車屋をしていて駅と一体化していたのである。それで死んでも自転車屋が星淳一氏が1迎えに来ているような感覚になったのである。つまり依然として街の中でワークして働いて機能していたとなる。
その自転車屋が記憶されたのはやはり個人ではなく社会の中で機能していたからだとなるワークしていたからだとなる

●文明社会で人間の繋がりがなくナチスやらカルト教団が生まれた

でも現代社会は無数のパーツになり個々の存在は希薄化して社会的死でも意識されない。ただ一つの部品が消えたというだけになってしまっている。それだけ存在感がなくなったのは現代社会だと思う。なぜなら人間の存在意義も希薄化してただ機械の部品のようになってしまったのである。
ただそのことからなぜナチスが生まれたりカルト教団が生まれたりしたのか。それはこうした現代社会の無数に部品化した人の集まりから何か一つの人間としてのつながりを求めて生まれたものかもしれない。

現代社会は大衆化社会でありそこに人のつながりはない。人間は本質的に人間のつながりを求める。だからこそ家族が不可欠になっているのである。でも社会では今やそうした繋がりを得ることはできない。それで擬似的つながりとしてカルト教団が興隆した原因である。それは本来の宗教とは何の関係もない。なぜなら欲望を抑えろとかそんなことを心を清めるとかそんなことは一切言わないからである。
ただ一票を集めるためにただ人を会員を増やすことを目的としてありあとは何も言わない。宗教だったらいろいろ制限がされるカルト教団にはそんなもの一切無いのである。ただ数が増えればいいだけだからである。それもやはり現代の抱えた現代の文明が生んだ病理的現象だったのである。

そして村社会など閉鎖された遅れた社会であり自由もなく逆らう者は村八分にされるという何か村というのは否定的なものとして見られたのである。
でも現在の比較でみるとそういう社会が現在より人の濃厚なつながりがありそれが自然とも通じていて死んでもご先祖様として意識される。すると村の中でやはり人間としての存在感があり生きる意味があったと思う。

ただそんな村社会など遅れた社会であり常に否定されるだけになったのである。でも本当にこの文明社会というのは人間にとって人間らしく生きられる社会とかとなればそうでもないのである。文明そのものが病んでいるからこそナチスとかが生まれたのである。人間は無数のパーツアトム化して人間社会的にその存在も機械の部品に過ぎず一人が死んでも歯車が一つ消えたというだけになってしまう。それでいまや人間の死というのは何か価値あるものでもないし社会にとっても意識されないのでまたそこに存在意義がない。ただの部品が消えただけだどうなっている。だから人間とはそんなものなのかとなるとあまりにもわびしいとなる。

●村社会と文明社会の相違―村社会は遅れていたのか?

だから奇妙なのは今山村などは限界集落化してそんなところに住むべきではないとしているが価値生きる価値とか意味を追求していけばそうはならない。人間の存在は意味は返って大きなものとなる巨大な機械の一部品でありそれが死んで消失しても誰も意識などしないのである。人間の意味とか価値を追求していけばでも山村でもそっちの方があるとなる。そこに逆説的なものがある。
つまり現代文明人が得たものは失われたものは昔の村にあったということである。それは今と昔を比較して理解できるのである。

だから歴史を知るということはそこに意味がある現代の矛盾とか問題を知りは過去はどうであったかということ知り比較すると明確になってくるのである。確かに物質的には現在は豊かになっても精神的には貧しいと自覚されるのである。
とにかく人間とは何かを得るものがあれば必ず何かを失っているのである。その失ったものがなかなか自覚できないのである。それは人の繋がりとか人間の生きる意味とか価値が失われてしまったということだから深刻なものでもある。でも日々の生活に追われて金に追われてそんなことを考える人は特殊な人だとなってしまう。

それで特別優れた天才などはアウトサイダーになった。ニーチェとか上野霄里(うえのしょうり )とかまたシュペングラーにしても西欧文明の没落数の面から指摘したのもまさに大衆化とは数の文明であり一人一人は数に過ぎないとなるからである。
そこに一人一人の存在意義などないのである。ただ票が集まると権力化してそれが社会に通用するとなる。一人一人の一票の中身などどうでもいいのである。いちいちその一人どうだとか心がどうだとか言っていたら票など集まらないからである。だから現在というのはナチスとかファシズムとかの危険が常にある。それは一人一人の存在意義が失われているからである。

それで村社会など遅れたものであり考察にも値しないとなるが精神的な面からすればそうでもなかったとなる。なぜなら現代では老人等尊敬する人は居ない。あまりにも数が多すぎてただ社会の負担とされているだけだからである。
でも村社会の中で死んだら御先祖様となるということはその村の中で尊敬されてそれも死後も生きつづける。そしたら人間の存在意義とかから見れば遅れたと言われる村社会の方が生きる存在意義があったとまでなるのである。
ただ物質的な面とか便利さを追求すれば現代社会は便利である。
でも老人は敬われないし長生きしてもいいことはないといくら医療が発達して長生きしても老人は幸福にはなれないのである。だから歴史を振り返り過去過去と比べると何が失われて確かに物質的には得るものがあったか失われたものもあったということである。それが今問題になっているのである。物質的には満たされている。

田舎ではみんな車一人一台もやはり持っている。パソコンだって今は6万くらいでいいものが買える。何かこれこれが欲しいというか買いたい物も無いのである。そして今人々が求めてるのはそういう物質的なものではなく老人として敬われたいとか価値あるものとされたいとか存在意義を持ちたいとかなっているのである。それを追求すると逆説的だけど村社会にあったなる。だから必ず人間社会は得るものがあれば失われるものがあるということである

2023年11月09日

鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだが駅で待っている ー忠犬ハチ公のこと―残る柿、秋深む


鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだが駅で待っている
ー忠犬ハチ公のこと―残る柿、秋深む

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晩菊や飲み屋のありて路地の裏
駅舎古り電車を待つや残り柿
主待つ忠犬ハチ公秋深む

秋の薔薇朝日をあびて我が庭に静かに咲きて散りにけるかな
自転車屋星氏の死にて淋しかな駅に待ちしや秋の夜帰る

久しぶりに仙台に行った。今年は暑くて仙台にも行けなかった。四ヶ月くらい行ってないかもしれない。ただ仙台に行っても駅の中を回って早めに帰ってきただけである
人間で最も不思議なことは不可解なことは人間が死ぬということである。昨日まで普通に話していた人でも死んでいるのである。でも人は死んで全く消えてしまうのかということである。
私の家族はみんな死んだ一人はもう十年以上過ぎている。だから月日が経つとともにどうしても人は忘れられる。そんな人いたのかとも存在していたのかと思う。家族ですらそうなるのだから赤の他人など全く忘れられてしまうのである。

ではなぜ自転車屋の星淳一氏のことをを思い出すのだろうか?別にそんなに親しいというものでもなかった。ただ自転車が好きで自転車で関わったのである。それよりなぜ自転車の星淳一氏が全く消えるというのではなく何かその存在が死んであとも残っている。駅から降りるとその前の自転車屋でありその自転車屋は駅とと一体化していたのである。だから電車で帰ってくる時駅に降りると自転車屋があり星淳一氏が待っているように思えるのである。

何かそもそも駅というのは鉄道でも相当100年以上とか古い歴史をもっているから鹿島駅の駅舎でも明治時代から作られたものであり古いのである。だから鉄道マニアの人が見に来た人がいたのである。何か鉄道というのは歴史は古いから本当に幽霊でものっているような感じもするし駅でも誰か幽霊となって待ってもいるとかなる。それくらい歴史の古いからそうなったのである。

それでなぜ忠犬ハチ公の物語が生まれたのか。それもやはり鉄道というのはそれだけ人間と関り古い歴史を持っているからである。何か忠犬ハチ公に惹かれるのは犬の方が人間を忘れないし忠実に仕えているということである。人間は人が他人が死んだらすぐに忘れる。人間がも他人に求めるのは利益がとっただけだとなるからである。つまり人間とは犬より非情なのである。
それで大金もちがネコに遺産を残すよ遺言したことでもわかる。人間はよくお金のことしか頭にないのである。それでその大金もちも人間に嫌悪してネコに財産を残すよ遺言の遺言を残したのである。その気持ちがわかる。

とにかく人間は利益しか金しか求めない。金の切れ目が縁の切れ目になるのはあたり前である。それほど人間の関係も薄情であり無情なのである。だからその点犬の方が人間よりましだとなる。それをつくづく介護とかで人間の非情を経験してから実感したのである。だから忠犬ハチを駅の前に置くことに意味があった。

鹿島駅は無人駅だが菊が咲いて秋のバラが咲いて残る柿が実っていた。ただ乗る人は4 5人とか少ないのである。それは相馬市になると30人くらい乗り降りしている感覚になるからである。その差も大きいのである。
ともかく仙台市から鹿島駅に帰ってきて誰もまず人は居ない。自転車屋は明かりもつかず閉じている。でも不思議なのは星淳一氏が幽霊のように待っている感覚になる。はまだ死んでから一年も過ぎていないからかもしれない。時間が過ぎればやはり忘れ忘れられてゆくのかもしれない。家族でも十年過ぎると忘れられてしまう。ただ忠犬ハチ公は記念として残りそれは語られ続けるということである。
それにしても十年間も待ちつづけたことには驚く、こんなこと人間には絶対にできない、家族ですらできないからである。

人間は死んでも長く語られ続けるものがあればそれは何か生きる価値があり意味がありそのために語られ続けるのである。だからそういう人になる必要がある。でもあまりにも都会化して大きくなると返って人間の存在感はなくなる。一軒の自転車屋でも店でもなくなっても他に行けばいいというだけになるからである。自転車屋は一軒しかなくなったということでその存在感が大きなものとなっていたのである





海と砂浜と花【sea and beach and flowers】

海と砂浜と花【sea and beach and flowers】

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海と砂浜と花

洋々と海が開けし所
広い砂浜に鳥のみが足跡を残しぬ
鳥は一時ここにあり飛び去りぬ
太陽は眩しく輝き上り
大輪の花が海に向かって悠々と咲く
海に魚が跳ね踊り河に押し寄せる
豊饒の海はふんだんに恵みを与える
森林に錚々と風鳴り騒ぎ
荘厳な神殿を形成する
清新の気は充ちてここは聖なる地なり
未来を担う若者よ、ここに生きよ
その体躯は躍動して力みなぎる
十分な糧は海から与えられる
貝をとり魚を取り糧は与えられる
夕陽は赤々と山に沈みゆく
一日は誠に充実して終わる
大輪の花は充ち足りて閉じる
明日またここにその花は喜び開く
海鳥はまたここに飛んでくる
浪は打ち寄せひびき高鳴り躍動する

The Sea, the Beach, and Flowers

Where the sea opens out to the open sea
Only birds leave their footprints on the wide sandy beach
The birds are here for a moment and then fly away
The sun shines brightly and rises
A great flower blooms majestically towards the sea
Fish leap in the sea and dance on the rivers
The fertility of the sea gives bounty in abundance
The forests are filled with the sound of the wind
Forming a majestic temple
The air is full of freshness, and this is a holy place
Young people, who bear the future, live here
Your bodies are dynamic and full of strength
Sufficient sustenance is provided by the sea
Take shellfish, take fish, your sustenance is given to you
The setting sun sinks redly into the mountains
The day ends with fullness
The great flower closes full and satisfied
Tomorrow it will rejoice and open here again
The sea birds will fly here again
The waves crash and crack and throb and dance

2023年11月08日

母なる山と実り【飯館村の詩】 【万葉集の三輪山とも似ていた風景】

母なる山と実り【飯館村の詩】

【万葉集の三輪山とも似ていた風景】

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母なる山

どっしりと前に山がある
大地に腰を据えて山がある
母のように頼もしく
山があり実りが蘇る
隠れて石があり草の花が咲く
いくつか寄り合う石がある
ここに暮らしがあり
ここに生きる喜びがあり
悲しみがある
こころはここにある
ここを離れて心はない
いつも母なる山があり
その山は動かず落ち着く
静かに日は没り山は暮れぬ


額田王の近江国(おふみのくに)に下りし時に作れる歌、井戸王(ゐのへのわふきみ)のすなはち和(こた)へたる歌

味酒(うまさけ) 三輪(みわ)の山 あをによし 奈良の山の 山際(ま)に い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つ)もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや

三輪山は低い山である。でもその山の高さが人間的なものとなった。人間的になる山は高く厳しくなるとなかなか人を寄せ付けないものとなり厳しいものとなるから人間的親しみを感じるというわけにはいかない。味酒(うまさけ)というときやはり山でも何か人間の暮らしを提供するものがある。酒作りにもきれいな水が必要だからである。だからまるで親しい人間のように別れを惜しんだのである。何か飯館村を離れ他に移り住んだ人たちも同じ心境になっているかもしれない、つまり山と人間が一体化してそうなったのである。

だから母山とかありまた祖母山とかある。ただ里から離れて高い山でもある。飯館村の山は里山であり低い山である。でも浜通りだとこうして身近に感じる山はない、阿武隈山脈でも遠くから眺めているからである。
飯館村になるとそういう遠くから眺めるものではなくすぐ身近に親しい山である。だからそれが母のようにも見えるのである
奈良の三輪山でも高い山ではなく飯館村で見たのと似た感じになる。だから奈良を去り近江に行くときその山が人間のように見えて別れてゆくのを惜しんだのである。それほどその山が人間が一体化していたのである。

飯館村でわ原発事故からようやく全部ではないにしろ田んぼが回復して実りの季節が来た。その稲穂の実りが山の前に広がる。それが何とも言えぬものを感じた。
飯館村はもう放射性物質で汚染されて農業はできないのではないかとされた。それで森林公園にしたらいいのではないかという提案もあった。それだけそこに住む人が激減してしまったからである。おそらくここに住んでいる子供が居るのかとも見る。なぜなら村外から学校があっても通っているからである。立派な学校を建ててもそもそもそこで学ぶ子供はいくなっているのである。

やはり何か人間はそこに暮らしがないと村でも生きてこない。実りがあり山がありそこに自然と人間と一体にるものがある。そこに暮らしがなくなれば村も活きてこない。
飯館村でも一時1万人近くの人が住んでいた。それはやはり炭焼きとか木材とかを石材でも東京に森林鉄道でまた蒸気機関車で貨物列車で東京まで運んでいたからである。戦後は引揚者が開拓に入ってきて農業をしたのである。だから今から1万人も近くいたということは相当ににぎわっていたとなる。でも1万人ででも飯館村は広いからそれでも少ないとなっていたのである。

とにかくその土地のことが意外と知らない。私自身はも飯館村には頻繁に行っていても新しい発見がある。それだけ飯舘村は広いということである。ただ飯館村でももう十年くらい田んぼは草ぼうぼうであり実りはなかった。でもそれが回復したのを見たときやはり暮らしがなければ村は生きてこない。現実にかなりの農家でも空家となり放置された。ただ必ずそこにこじんまりとした新しい家が建っていて住んでいるかと思ったら住んでいない。そこは別荘だという人もいた。軽井沢だったらわかるが飯館村ではそんなことはありえないと思った。ただ確かに相当数が飯館村から去ってしまった事は確かである。

でも稲穂の実りがあり花畑などがあり花などを作ってまでい館で道の駅で売っている。花は放射性物質に汚染されても関係ないからである。ただ依然として土は放射性物質に汚染されているということがありその影響は続いている。やはり土を取ったりしているから土の養分がなくなって野菜などでも米でもなかなか前のようには回復しないかもしれない。それだけ飯館村は放射性物質に汚染されてしまったのである。

秋になり飯館村に行く
【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】




posted by 天華 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2023年11月07日

イスラエルの問題の根はアブラハムまで遡る 【ガザの問題は解決していないから再発した】


イスラエルの問題の根はアブラハムまで遡る

【ガザの問題は解決していないから再発した】

●アブラハムの不如意の子のイシュマエルがアラブ人の祖

すでに75歳だったサラは自分には子は授からないと思って、若い奴隷ハガルを連れてきて、夫に床入りを勧め、高齢のアブラハムが奇跡的に身ごもらせた。しかし妊娠するとハガルはサラと不和になり、夫アブラハムは慣習に従い女主人に従うように命じたため、サラの辛い仕打ちに耐え切れなくなったハガルは身重の体で逃亡。神の使いの説得と加護を約束されて、ようやくハガルは帰還して出産することになるが、神の使いからは、息子はイシュマエル(「主は聞きいれる」の意)と名づけるように指示され(創世記. 16:11)、「彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」との預言を受けていた(創世記. 16:12)。

そこからヘブル人とアラブ人の争いの根がありそれがまた2000年も過ぎて再燃した。そんなことがあり得るのかとなる。そもそもユダヤ人がローマ帝国に滅ぼされて離散して2000年領土もなく存続しづけるということができたことが奇跡的だとなる。だからこそユダヤ人は神の民であり選ばれた民でありそれで神が存続させたという言われる。
でもそんなに長く歴史を見れるだろうかとなる。日本なら2000年前は縄文時代になってしまうからである。そのとき国というのはない。だからそれだけ長い時間で歴史を見るということはどういうことなのかとなる。
ただ何か問題となる根は必ずありそれがたとえ50年過ぎてもまた同じように深刻な結果を招いた。ただ問題を封じ込めていただけなのである。アラブ人はガザに閉じ込められてその不満が鬱積していたのである。常に小競り合いはあったがこんなに大規模な死者が出るということはなかった。でも根本的に問題の根は解決したわけでわなかった。だからやはりまた問題が起きたとなる。

要するに個々の家族でも例えば愛人に生まれた子供が家族の不和をもたらす。それはそもそもそこの出発点からして問題がありだから必ず後々に何か事件となったり家族に不和が起きてくる。そういうことは常に推理ドラマのテーマになっている。何か後々の事件となるね根がありそれがカルマとなり必ず争いとなり苦しみとなり現れるのである。悪しき種をまけばそれはやはりそのままではすまない。必ず問題が起きてくるのである。

でも2000年前のそれ以上前のアブラハムの時代のことが今回のアラブ人とユダヤ人との争いの根となっているとなるとそんなに長くも続くのかとなる。そもそも争いの根となるものは解決していなかった。ただ一時的にガザにアラブ人を天井のない監獄に閉じ込めていただけだったのである。その時はハマスは地下トンネルを作り戦闘の準備をしていたのである。
そして用意周到にしてユダヤ人など外国人もまきこんで千人も殺す虐殺に成功したのである。それはそもそもガザにアラブ人を閉じ込めてその自由とか未来を奪ってしまったからだともなる。その不満は鬱積していてそれがハマスを生んだのである。テロに同調するわけではないが問題の根があれそれが解決されていなかったのである。

●歴史は継続であり3000年前のことも現代に反映する

だから人間の問題は2000年以上でもさかのぼり現代に影響をしている。だからなぜ旧約聖書のことを現代に通じるのかとなる。それはやはり人間の歴史は継続しているからだとなる。2000年前3000年前でも現代に影響して歴史はこうして連続したものであり継続したものであり時代つながり断続したものではない。だからだから今回のイスラエルの問題にしても特に聖書と関係していてエゼキエル書のなどは今の問題として取り上げられたのである。

聖書とは予言の書であり未来に何が起きるかを示したものである。だから2000年後になぜエゼキエル書が取り上げられて語られるのかとなる。その予言でも現実化するからである。 2000年3000年前にどうして現代を予言できたのかともなそこに聖書はいかに人間の未来を予言して見通すものだということがわかる。それはアブラハムの不如意の子として生まれたアラブ人の祖先のイシュマエルの出生の事情が関係していたのである。すでにそんなに前から現在まで継続した問題だったということである。

でもそもそもアダムを神が造りそのアダムが神が禁止した知恵の実を食べて堕落した。神の意に逆らって人間はエデンの園から追放された。そのこと自体が既に人間の根本的な問題が解決しないことになる理由なのである。
それだけではないギリシャ神話でもそれが現代までも生々しく継続されていた問題だったのである。ゼウスから火を盗んで過酷な罰を受けた。それはこの辺で起きた原発事故だったのである。放射性物質に汚染されて故郷にも住めなくなったからである。その盗んだ人は核のことでもあり原発のことでもあった。だからここでも人間の問題というのは常に継続したものとして起きているのである。何か遠い昔の事だから関係ないとなっていないのである。

ともかく神に祝福されたものと祝福されないものとに人間は分別されてそこで争いも起きる。するとカインとアベルの物語もそうであるある。カインは神に祝福されずついには兄弟のアベルを殺してしまったからである。それはやはり神が祝福したものと祝福しないものの憎しみからそうなったともなる。アラブ人もアブラハムの不如意の子としてイシュマエルから始まっているからである。その祝福されないことが今日まで継続して呪いとなっているのかとなる。
でもそんなに長く争いが継続するのかともなる。別にイスラエルは2000年後に建国しなければ争いはなかった。でもユダヤ人が2000年も離散して迫害されたから国を持つことが悲願となったのである。

●なぜ長子が重んじられたのか?

なぜ家にしても長子が重んじられたのか。長子はやはり神より授かった第一子でありそのために家の中心となるものとして大事にされたのである。なぜなら家でも家族でもまとめることが難しいからである。中心になるものがないと人間はまとめられない。だから殿様がいて国でも一応まとめるとなる。何かまとめるものがないと人は争い分裂するだけになるからであるだから日本の天皇というのは何なのかよくわからないにしろ日本日本国民まとめるものとして長子のように存在したのであるその是非はあれそのために日本国民はまとめることができたとなる。
それで南北朝時代に日本全国が隅々まで二分されたのは天皇は二人いるために分裂して互いに熾烈な争いとなったのである。つまり国を治める者が二人人になれば争いとなる。殿様は一人でなければならないのである。家族でもやはり兄弟がいて争いば一つになれない。王が二人人いたらその国はまとまらないのである。

でも世界の国を融合してまとめるものは何なのかとなる。人種も違うし様々な人たちをまとめるものは何なのかとなる。国連で協議してもまとまることはない。結局武力で決着をつけるとほかはないとなっている。話し合いしても国連は何もできない。ただ一応発言をさせているというだけである。国と国の戦争になればそれを裁くことなど誰もできない。日本は東京裁判でアメリカは裁いたとしてもそれはただアメリカが武力にまさって勝ったたからであれ別に正義でもなんでもなかったのである。つまり力が正義でありそれ以外何か正しいとか関係ないのである。

とにかく人間は家族であるいたるところで争いがある。大きくは国と国が争うその争いの問題の根は何かということである。そしてどうしたら互いに争いをやめ平和に暮らせるのかということである。それはその問題の根が残り続けて解決してないからまた再燃してくる。それは宿業をカルマを取り去ることもできないのである。

つまり人間の問題はいつまでたっても解決できないとなる。そして最後は人類最終戦争のハルマゲドンとなり人類は滅亡してゆく絶望的なものとなるのである。
聖書のテーマがノアの箱舟により地上からの脱出であり出エジプトでありソドム、ゴモラからの脱出でありこの世の地獄からの脱出であり神によって救出されることが祈るということでもある。神はその愛したものを祝福したものを見捨てることはないからである。この世の地獄からの救出が聖書のテーマでもあるからである。つまりこの世から地獄はなくならないということである。

それで親鸞が言うよう地獄は一定の住処なりとなってしまうのである。現実になぜまた第二次世界大戦がありウクライナで戦争がありまたイスラエルでも争いがある。この世から戦争は無くなることもないのである。戦争こそ最大の地獄だからである。それは人間のカルマでありそのカルマは消えることはない。それは個人でも家族でも地域とかでも国家でもカルマがありそれが必ず苦しみとなって現れるのである。そのカルマが解消されることがないのである。その問題の根が実際は2000年前3000年前にもありその根は残り続けて現在にまで及んでいるのである



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2023年11月06日

人は死んで何が残るのか―愛は消えない 【姉と母は私にとって忘れられない―生き続けている】


人は死んで何が残るのか―愛は消えない

【姉と母は私にとって忘れられない―生き続けている】

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姉と母歳月過ぐも忘れえじ面影浮かび悲しかりけり

愛し合う人はなかなか消えざりき時に面影浮かび悲しも

姉と母死してのちも我が一人家を支えぬ見守りぬかも

愛あれば歳月すぐも通い合う心にあれや秋深むかも

人は死ぬ残すは何や愛にあれ目には見えずも通うものなれ


人は死んで何が残るのか。また何を残すのか。もう姉が死んでから十年以上過ぎた。母は7年は過ぎた。時間がは過ぎるのは早い。でも何もなくなったのか。死んだ人は灰となりただ消えるだけなのか。何も残すこともないのか。愛は消えずに残るとか本を読んだ。愛は消えないという。でも愛といってもそれはもう見えるものでもない。形もないのである。

でも確かに愛というのは簡単には消えない。依然として愛し合ったものは心が通い合っていると思う。でも親であれ兄弟であれそんなに長く死んでから思っている人がいるだろうか。たいがいやはり忘れてゆく。親でも全くは死んでから思わない人がいる。それは親に何かそんなに良くされず愛されなかったからともなる。だから必ずしも親子であれ兄弟であれそんなに長く死んでしまってから思う人は無いかもしれない。ただ家族もいろいろ事情が違うからわかりにくい。親を恨んでいる人さえいるからである

おそらく私の場合は特殊な事情で60年間も子供の時から一緒に生活していたことで忘れられないものとなった。やはり長く一緒に暮らしたということが影響していたのかもしれない。また特別私が一人であり一人っ子であり愛されたということもあった。それはただ特殊なことでありそこには問題があった。

ただ人間は何を残して死んでゆくのか。死んでしまったら何も残らないのかということである。このことをよく考えねばならない。ただ人間は死んで灰となり消えてゆくだけなのかとなるからである。そうなればただむなしいとなってしまうだけである。そしたら生きるとは何なのか分からなくなってしまう。

一方で死者を愛せよという。そして死者を愛するということはどういうことなのか。死者は目にも見えないし形もない話しかけても何の返答もない。そんな人を愛せるものだろうか?そもそも死者が存在しているのかどうかもわからないからである。だから死者を愛することは何の報いもないし返答もないしそんなことを続けられるのかとなる。

何か死んだ人を思うときそれは生きていた時のことを思い出して死んだ人のことを思っているのである生きている時愛されたことを思い出してその人をまた心に浮かび愛するともなる。だから全く知らない人を死者を愛することができるのかとなる。死者を愛す時やはり生きていた時の継続として愛する。愛されたから愛するとなる。愛されもしない人を死んでから愛すこてはむずかしい。その辺が理解しにくい、そもそも死者を愛することはどういうことなのか理解しにくいのである。
いずれにしろ生者と死者の関係は何になるのか不可解だとなる
ただ人が死んで形もなくなり何もなくなっても何も残らないのかそういうことにははならないことは確かではないか

愛が残っているというか依然として愛が通っているということを感じている人も多いだろう。ただそれは生前のそれぞれの生活や関係によるからみんなが死者を愛しているということはありえない。だから生と死は断続しているのではなく依然として連続している継続しているものだともなる。愛している人がいればまた愛されその関係は死んでも継続しているということである。やはり愛が通じ合っているともなる。でもそれは生前の関係の延長でありみんながそうなるともならない。

ただ神が愛だという時神は全く人間に無関心ではない。愛する者に対して無関心ではない。だから神が人に直接関わってきたのである。それは聖書に記されているそこに奇跡も生まれている。神は直接に人間に関わった事実は記されたのは聖書なのである。

ともかく秋になっても生ぬるい風が今日吹いてきた。季節感覚が何か狂ってしまった。もう冬なのに風は生ぬるいのである。だから今年は暖冬であり冬になるのは遅いのかもしれない。

2023年11月05日

大陸と日本の地理の相違―塔は外敵が攻めてくるのを見張るため 【歴史的トラウマを持つロシアでもユダヤ人のことでも知るべし】


大陸と日本の地理の相違―塔は外敵が攻めてくるのを見張るため

【歴史的トラウマを持つロシアでもユダヤ人のことでも知るべし】

●大陸国家では塔は外敵の攻めてくるのを見張る塔

大陸と日本の地勢的相違は日本は山が多く海に囲まれた島国である。でもヨーロッパとかロシアとか中央アジアは平原が砂漠地帯である。そこで共通しているのは必ず建築的に都市は城壁に囲まれ高い物見の塔が必ずある。それは敵が攻めてくるのを見張る塔ある。それは中国でも共通している。塔は日本のような優美な五重塔とかではない。敵が攻めてくるのを監視するウォッチングタワーである。それは都市には必ず必要な物だったのである。その塔に登れば本当に遥か遠くまで見渡すことができる。

それでケルンのドイツのケルンの塔に登った時それは相当に高い。だから頂上まで登ればオランダの方でも見渡せるしイギリスまでも見渡せる感覚になっている。日本だったら確かに韓半島が近いにしても九州から見えないのである。イギリスはヨーロッパ大陸と一体でありそれほど離れた感覚はないのである:

その下をライン川が流れオランダに通じ物資が船で運ばれている。つまり平坦な地ということは遠くまで高い塔に登れば見渡せるのである。でも日本になると必ず山に遮られて遠くは見えないのである。ヨーロッパとかロシアとかでは遮るものは広大な森であり山ではないのである。ただイタリアになると日本と似て山が多い。だからイタリアは特殊な地域だと思う。

いずれにしろ中国でも本当に塔が多い、大陸ではそこは共通している。遠くを見て外敵が侵入してくるの監視している。日本では五重塔があったとしてもそういう外敵を見守るという機能はないただ優美な塔なのである。そこに地理の相違から来る文化の相違があ。またバベルの塔などというとてつもない塔を作って神の怒りを買ったというのもそれが大陸の文化でもあったからである。

ともかく塔というのは大陸ではヨーロッパで大きな役割を担っていた。敵が攻めてくるという警戒の心が強くあり作られたのである。今回のイスラエルのガザで起きた事件でもイスラエルでは油断していたのである。ガザを塀で囲んで出れないようにしていたがそれが破られて千名以上の人が惨殺されてしまったのである。それはやはり警戒を怠ったということになる。つまり大陸国家でわ常にそうして外敵が侵入してくる恐怖がある。そのために塔が作られたのである。

●歴史的トラウマを知るべしーロシアとユダヤ人の歴史

プーチンにとって、第二次世界大戦でドイツの侵略と戦って勝利したソ連の歴史は大いなる誇りです。
「ロシアにおいて、国家という広域社会が建設されることが、人類の他の文明圏よりもはるかに遅れたという理由の一つは、強悍なアジア系遊牧民族が、東からつぎつぎにロシア平原にやってきては、わずかな農業社会の文化があるとそれを荒らしつづけた、ということがあります。文化も、他の生物学的組成と同様、しばしば遺伝します。ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられない、といっていいでしょう」(司馬遼太郎『ロシアについて』)

 ドイツ軍とソ連軍の大規模な戦車戦は、現在のウクライナ東部の平原地帯で展開されました。ここでソ連軍を破ったドイツ軍は、レニングラードやスターリングラードを包囲。ソ連軍に多大な犠牲が出ました。

ドイツによる侵略で、ソ連は兵士や民間人など約2660万人の犠牲を出しました。日本の太平洋戦争の犠牲者は約310万人ですから、ソ連の犠牲は群を抜いていました。

女は拉致、残りは虐殺のモンゴル騎馬軍…プーチンの猜疑心の裏に「259年に及ぶロシア暗黒史」

ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。


地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン


歴史とは国家的トラウマである。個人的にも人生経験で必ずトラウマになる。私自身もここ十数年介護とか経験して他者から攻められて人間が信じられなくなった。人間とは相手が弱者と見れば弱体化すれば弱みを見つければそれを責めつける。それより相手が弱体化することを虎視眈々と狙っていたのである。そのように個々人の人生でもそうであり国家間では特にそうになる。それで必ず日本でもそうだな戦国時代があった。食うか食われるかの世界である。そして弱った動物が狙われるように人間でもまた同じなのである。ただ食う方にしても食わねば生きられないということでそうなっている。

でもそういう過酷な経験をしない人間はみんな人間をいい人だと見ているのである。でも現実は人間でも追いつめられればみんな弱肉強食の人間となるのである。だから人間の信じられなくなったしまた。人間ってこんなに酷いものかとトラウマになってしまったのである。つまり個人でもこうして何かひどい目にあうとそれがトラウマとなりの後の行動にに影響してくる。
それは国家間同士でもそうでありそれが歴史的トラウマとなったのである。だから歴史を見るときそこで何があって人間にどういう影響したのかを見るべきだとなる。ロシアはドイツと戦い2000万人以上が死傷したとかその被害があまりにも大きすぎたのである。そうなれば当然それがトラウマになってしまうのである。

●ユダヤ人の歴史的トラウマ―イスラエルは世界の中心

イスラエルにしてもユダヤ民族は離散して2000年間国も無く虐げられてきた。それがトラウマとなった。特にドイツナチスには大量虐殺されたことで大きなトラウマを持つようになったのである。だからどうしても自分たちの国を持たなければならないと今のイスラエル国家を建設したとなる。それはただそこはすでにアラブ人が住んでいて争いとなったのである。でもユダヤ人側に立てば歴史歴史的トラウマがあり自分たちで国を作り自分たちで国を守らない限り滅亡させられるという恐怖がありそのために外部の言うことを聞けないとなる。

ともかく一人の人間でも一つの国でも理解することが難しいのはそれがたどってきたそれぞれの歴史がありそれがなかなか理解できないからである。その歴史的経験がトラウマとなり恐怖心となりやらなやらなければこちらがやられるという感覚になっている。それはウクライナ戦争でありまたイスラエルの戦争でもある。何か今のイスラエルで起きている戦争の恐怖は世界最終戦争ハルマゲドンに通じているかなのかという恐怖である。世界の国がイスラエルに集結してハルマゲドンが起きる。そして人類が最終段階に入ってその時救世主はあらわれそうした予言が本当に現れるような実現するような感覚になっているからである

エゼキエル書のようにゴグとはロシアであり中国でありイランなのかもしれない。一方でイスラエルに味方するのはキリスト教国でありヨーロッパとかアメリカである。でもロシアもキリスト教国である。だから必ずしも宗教で分けられない。ただイスラエルを通じて世界が集結して最終戦争が起きてくる。それで世の終わりとなりそこに救世主が現われてくる。その予言があり何かそういう予感をさせるのもイスラエルユダヤ人起きているからである。

ともかくイスラエルというのもなぜ重要かというと地理的に神が定めた世界の中心だからである。その中心だからそれをめぐって世界中が関係して最終戦争になるともなる。だから世界史とは地理であり地理を知らなければ世界を知ることはできないのである。
でも地理を知るにしてもあまりにも広大で感覚的にそこで必ず誤解して見ているのである。確かに私はエジプトからシナイ半島からイスラエルに来た。イスラエルの地理的特徴は地中海に面してヨーロッパに向かっていることである。ガザとかでも貿易で栄えたというとき地中海に面して船で行き来していたからである。そこに地の利があったのである。確かなことはイスラエルのカナンは神が定めた国でありそこが世界の中心になっているからである。それは神が定めたものでありその位置が重要なのである。なぜなら今起きていることがイスラエルから見ると中東のアラブ人世界と地中海を面したヨーロッパとゴグと言われるロシアとかイランとかその背後に中国がいる。

そして日本の位置は不思議なのはロシアとか中国にも属していない。欧米に属していてもG7は共同でイスラエルを応援するようにした。でも日本はそこに入らなかったのである。つまり日本は東西の仲介役を担う位置にあるとなる。東西を結ぶものが日本なのである。それは内村鑑三などが指摘していたのである。つまり地理的にそういう役割を担っていた国だということである。となるともしかしたら日本の役割はかなり大きなものとなるかもしれない。つまり今仲介役になり得る最適の国なのかもしれない。ただそれもなかなか難しいだろう。下手して介入すると大怪我をするということである。でも今や高みの見物とはいかない。その争いの火粉が必ず飛んでくるからである。それだけ世界が狭くなっているからである。

日本国は世界の一半あ他の一半と結びつけるための偉大なる天職を帯びています。
日本国はアジアの門であります。日本によらずしてシナもインドもペルシャもトルコも救われません。人類の半数以上の運命は日本の肩にかかっています―内村鑑三

その使命があっても太平洋戦争は何であたのか、その犠牲は何であったのかアジアの為の犠牲だったのか?
ただ地理的にはそういう使命を担っていたことは確かである。



posted by 天華 at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年11月04日

国民国家とは近代に形成されたもので新しい概念である 【文明は民族人種を越えて共同するために作られた―ユダヤ民族主義宗教の問題】


国民国家とは近代に形成されたもので新しい概念である

【文明は民族人種を越えて共同するために作られた―ユダヤ民族主義宗教の問題】

●江戸時代まで日本では国民意識や国家意識がなかった

国民国家というのはどうして形成されたのか。日本の場合江戸時代に日本国民と言う意識をもっていない。日本では仲間と感じていたのは村単位である狭い社会である。そもそもこの社会というのは社(やしろ)に会すであり城を中心としたはいがその範囲は狭く一つの仲間意識を持つもの物としてあった。
社では現実に人々は集まり会合していた。そこで祭りを行ない共同で協議して何かをすることを決めていた。でも村単位となれば極めて狭い社会が仲間意識を形成したのである。そして仲間意識を形成するということは逆に仲間の掟がありそれに反するものは村8分になったのである。農民社会では土地を基本にして生活しているから村八分にされることは極めて厳しい罰だったのである。
だから村単位で生活しているとき境が大事になる。それで境となることを石碑やら何か村の境を示すものは必要になったのである。

ただいくら村の単位として生活していても江戸時代なら藩があり殿様が居るからその殿様のことを身近に知っているしその配下に侍がいて侍は役人であり村を支配していた。米を税として納めるとかきわめて身近なもの生活に直接かかわるものとしては藩主は存在した。つまり相馬藩だったら相馬藩に属しているということそこが国となっていたのである。でも相馬藩は意外になるとそこは別の国になっていたのである。だから関所があり今で言う国境ともなり簡単に出入りできなかったのである。藩ごとが別の国になっていたのである。そこで日本国民と言う意識は持てなかったのである。

●明治維新後ヨーロッパと接して国民意識を持つようになった

国民国家意識を持つようになったのはヨーロッパなどの外国人が入ってきてその外国と支配されるということで恐怖を感じて日本の国民国家意識が作られた。明治維新では地まだ日本国民国家意識はなく薩長とか長州とか藩の意識の中で生きていた
それは西郷隆盛の反乱で西南戦争が起こりその時侍に対して国民兵隊が組織され組織され侍の軍隊と戦ったのである。
その時確かに日本国民と言う意識が生まれたのである。
なぜならその西南戦争に薩摩長州に敗れた会津の藩士は国民軍として参加していたからである。つまりその時藩を越えたものとして日本国民の意識が芽生えて参戦したのである。
そしてその国民意識が日本の場合強烈なものとなり日清戦争から日露戦争から太平洋戦争とその規模が拡大して次には太平洋戦争で300万人も戦死したのである。それは第二次世界大戦でありその戦いが熾烈になったのは国民同士の戦いであり規模が大きかったからその犠牲者も大きいものとなったのである。

でも国民国家の問題は国民意識というのは近代化して起きたものであり新しいものだったのである。フランス国家でありドイツ国家であれイギリス国家であれもともとそうした意識は国民意識はなかったのである。国にしても細分化してそうした大きな国民として一体化することはなかった。中世だとそもそもそんな大きな国家国民国家はなく都市国家でありその都市はは城壁に囲まれてその中で共同意識が育まれた。それがシティズンシップである。その都市国家でも規模としてはとしては5万くらいであり小さなものだったのである。とても今に今ある国民国家というものからすれば極めて小規模なものだった。それでも都市国家同士で戦争をしていたのである。マキャヴェリの君主論はその都市国家同士の争いから生まれたのである。日本で言えば江戸時代の藩主があり別々の国だったともなる。

●都市国家を越えるものとして商業があった

ただその都市国家を超えるものとして商業連合としてハンザ同盟などができたのはヨーロッパでわ川が運河のようになっていてものでも人でもその川が道となり連携できたからである。それは都市国家を超えるものとして形成されたのであ。つまり商業というのは必ず遠くから物をが入ってきたりものを運んだり貿易があるから壁で囲んだ都市国家内でまかなうものとはなりえない。商業というのは一つの地域にとどまることがないからである。

だからこそアルファベットを発明したのは商業民族であるフェニキア人だったとなる。なぜなら共通の言語が文字がないと商業は成り立たないからである。必ず売買するには証文として文字が必要になってきたのである。まさに契約というとき神との契約というときそれは商業から発生したものなのである。砂漠の遊牧民は最初の商人だったからである。広い範囲を移動する人たちだから当然そのまま商人にもなったのである。

聖書の契約という思想は商人となった遊牧民から生まれたものであり農民ではなかったのである。商業とか貿易は一つの村とか狭い範囲から拡大してゆく。商業になれば相手が何であれ人種が違っていても互いに得すればいいということになる。だから商業というのは普遍的なものがある。民族が人種が違うから商売しないとなれば利益を得ることができないからである。だからヨーロッパでハンザ同盟とあればそれは都市国家を超えた一つの大きな商業共同体であり一つの文明を形成するともなる。

●文明とは民族人種でも越えて広い範囲で協力すること

つまり文明とは何かというときそれはより大きな共同を目指すものである。いろいろな民族がいてもそれらが争っていれば大きな協同性は生まれない。それで日本では村は中心の共同体であり商業になる時商人が来るとき神社の境内をて無縁の場として外部の人を入れたのである。もともと縁結びの場だったが商売のときは違ったものになった。それだけ日本では外部から来る人を警戒していたし交わらなかったのである。

だから商業とか貿易はより大きな範囲で互いに利益を上げることを目的としている。だからかえって文明を作ることになる。文明国民国家をとも違う。 大きな単位でありそこで人間がいかにして共同するかということである。だからそのために宗教がその協同性を得るために文明の基へにもなったともなる。なぜなら仏教文明とかキリスト教文明とかイスラム文明とかに大別されるからである。ただこの宗教でも民族宗教ではない。もし一つの民族だけの宗教だったらそれは文明化しない。日本の神道は戦争のときアジアで普及させようとしてもできなかった。そこに協同性がなかったからである。村の社が神となっているようなところではとても世界では通用しない。

ともかく世界では遊牧民が大きな役割を果たしている。その遊牧民のことを日本人は理解できないのである。でも例えば中国にしても遊牧民国家でもあり商業民族でもある。それはどうしてかというと中国は広大であれ巨大であり実際は人種もいろいろなのであ。中華民族が主体にあるとしても様々な人種が混交している。だから言葉もみんな違っていてテレビを見ていれば漢字のテロップとして流れている。音になればなかなか理解できないから漢字が共通なものとして理解するものとなる。だから漢字が共同性を培ったかということである。それは日本にも言えるわけである。文明とはまた文で明らかにするということだからである。

ともかく国民国家というのは当たり前のようにあると思っているがそれは近代になって作られたものであり新しい概念であり新しいものだったのである。その国民国家とか民族国家とかナショナリズムというのは新しい共同意識でありそのことが近代の歴史の根幹にもなっている。そして戦争はヨーロッパだったら都市国家間の戦争であり今のような国民国家の大規模な戦争にはなっていないのである。国民国家になったとき民族国家になったときその戦争は熾烈なものとなり莫大な犠牲が生まれたのである。何千万という人間が戦争で死んだのである。それだけの人間が死ぬということは近代以前はなかったのである。
だからこの国民国家というのはナショナリズムというのはどういうことなのか深く検討することが必要なのである。

●イスラエルで起きていることも民族主義国家の問題でもある

例えば今問題になっているユダヤ人のイスラエル国家建設のためにアラブ人の住んでいるガザで戦争があり悲惨なことになっている。それはなぜそうなったのか。ユダヤ人は第二次世界大戦でドイツのナチスに迫害されて虐殺された。それはドイツの国民国家意識ゲルマン民族が優れているということでユダヤ民族が排斥されたのである。その問題が起きたのは国民国家意識が近代に生まれた為だったのである。なぜならユダヤ人は確かに迫害されてきたがそれなりにそれぞれの国で受け入れられ適合してきたからである。オスマントルコ時代は今のイスラエルでのユダヤ人であれイスラム教のアラブ人であれキリスト教であり争うこともなく共存していたからである。

ではなぜ今イスラエルで争いが起きているのか問題が起きているのかその原因を問うと人は世界に分散していたがそれで迫害もされてきたが旧約聖書により今のイスラエルに2000年後にここは自分たちの土地だとしてイスラエル国家を作ったことである。それはユダヤ民族の国でありそれでもともと住んでいたパレスチナ人とかとアラブ人とかと争うようになったのである。

つまり一つの民族は平等を領土を持ち国民国家となったときそれは外に対して区別するものであり対抗するものとなる。その争いが国民国家と言うと規模が大きいから熾烈なものとなるのである。だからこの争いの根には近代に起きた国民国家意識というのは深く関係している。ユダヤ人の場合は旧約聖書から継続してその民族は系統は血統は持続しているということで特殊なのである。領土を持たなくてもユダヤ教で人々は共通のアイデンティティーを持ち国民として仲間として存在していたのである。だからそういうことは世界史でもまれなことだったのである。そのためにそこには神の意志が働いたとしているのも分かる。ユダヤ民族とはそれだけ普通の民族とは違って強固な優秀な民族だったとなる。だからこそ迫害に会ってきたのである。

でも一旦ユダヤ人でもイスラエルという土地を領土を持ち国家国民国家を形成するとき今度は逆にその国家を守るために他者をアラブ人排撃するようになったのである。ユダヤ人は迫害され続けてきたが次に今度は他民族迫害する立場にもなったのである。それもカルマなのかもしれない。ドイツ人はユダヤ人を大量殺害したからヨーロッパ自体がユダヤ人を迫害してきたからそのために贖罪としてイスラエルの味方となっているのである。

いずれにしろこの根に近代から起きた国民国家がありそれが争いの元になったことを知るべきである。なぜなら近代に国民国家が生まれたのでありその前には今のような国民国家はなかったのである。だから国民国家とは何なのかそのことを知らないとそもそも現代知ることはできないのである。
国民国家ナショナリズムというのは文明とは違う。人種とか民族を超えて共同を目指すものである。だからこそソ連である中国であれマルキシズムは共産主義がその基となった。そこで民族とか人種は関係なく労働者が最優先されたからである。そのために世界のプロレタリアートは団結せよとなったのであるそこに民族とか人種は関係ない資本家と労働者が居るだけだとなる。

またアメリカにしても多様な人種が入り混じっているのだから民族を民族国家ではありえない。さまざまな民族が共同するには民族主義でわできないからである。だからそこでどうして人々を共同させるまとめるのかどうなる。そこで法で持って治める法事国家になる。法律も民族によって差別するものではない。全ての民族に平等に適応されるものだからである。つまり商業であれ法律であれそれは民族を超えて通用するルールでありそれが文明を作ったともなる。

ともかく民族主義というのは国民国家というのは近代に生まれた概念であるそれは新しいものなのである。それまで国民国家というのはない。都市国家があっても国民国家はなかったからである。そこが誤解しやすいのである。だからなぜ近代国家になって国民国家が国家同士が熾烈な戦争になったかということである。それは今のイスラエルのアラブ国家とのアラブ人との対立にもあイスラエルの国の成り立ちもまずユダヤ人が迫害されたのでその土地を与え国民国家としてユダヤ人民族国家として成立させたことである。そこには宗教も関係していたがユダヤ人の宗教は一民族の宗教でありキリスト教のように世界化しなかった。救われるのは選ばれたヘブル人その後のユダヤ人だとなっていたからである。でもキリストが現れてユダヤ人にこだわらない愛こそ普遍的なものとして人々を結ぶものだとしたのである。だからこそキリストはユダヤ民族に受け入れられなかったのである。

だから今起きているイスラエルの問題も近代に起きた国民国家の争いの延長上にあるという認識が必要である。そこに根源的な問題がある。ユダヤ人だとかアラブ人だとかゲルマン人だとか何とかこだわって人種にこだわっていれば共同はできないからである。旧約時代だったら敵対する民族は殲滅された。それは神の意志となっていたのである。でもキリストが生まれて愛こそ最高のものであり愛でもって人は結ばれるべきだということを説いたのである。神はキリストを通じて人類に平等をもたらすものとなったのである。だからユダヤ民族主義国家というのはキリスト以前の旧約時代に戻ることになってしまったのである。

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