2023年07月31日
なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)
2023年07月30日
今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた (野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)
街中をつつじの赤く御行列
夏の雲湧き上がるかな旗取りて家の誉れと坂駆け上る
雲の峰高くなりけり暑しかな旗取り争う雲雀が原に
雲の峰一つ崩れてまた一つ湧き上がり高く雲雀が原かな
打ち揃う金の団扇に流山真夏の日さし輝きにけり
蝉の声今し鳴くかな旗取りに誉れを得てそ帰りなんかな
●380騎で維持できるのか
今年の野馬追に出たのは380機だった。何かこれは最盛期で500騎出ているから少ないと思った。野馬追は規模が小さくなると迫力がなくなる。380騎と500騎では相当な差がある。こんなに少なくなったのか?それはやはり津波や震災原発事故で小高区とか住めなくなり出る人が少なくなったからかもしれない。だから野馬追でも本当に維持できるのだろうかという疑問がある。少子高齢化でもありなかなか難しいかもしれない。
そして野馬追が維持できなくなるというときそれが歴史の保存であり変えることもできないし付け加えることもできない。となるといずれはさらに規模が縮小して見劣りして魅力がなくなる。だから確かに歴史の保存として維持することも必要なのだがもう一つ何かみんなで誰でも参加できるような仕組みを作らないと維持できないようにも思う。歴史の保存ということで、価値があるのは野馬追ではある。でもそれだけで維持できるのだろうか?
だから380騎となると何か迫力に欠けていた。そして神旗争奪戦でも出る人は?少なくなっている。なぜなら競馬とか神旗域争奪戦になると相当に馬に乗る訓練をしていないとできないからである。そのためにそういう準備をする人できる人は少なくなる。馬を乗りこなすということは容易でないからである。だから馬に乗り馬を乗りこなすようにしていないとできない。ただ行列ぐらいは参加できる。でも神旗争奪戦とか競馬になると相当に馬を乗りこなすことができないと参加できないそれをできる人は年々減っていくだろう。
●野馬追には費用がかかるー馬を飼っているため
馬を一年野馬追のために飼っておくことは相当な手間であり、金もかかる。30万から50万かかるというとこれは結構な負担になる。車一台を持つぐらいの金かも知れぬ。ただ、こうして馬を飼って日常的に馬に乗っていてこそ競馬とか神旗争奪戦には出ることができる。競馬となるとさらに熟練が必要になる
だからの馬を歴史の保存として祭りを伝えていく必要である。でもそれだけでは今や保存もできなくなるかもしれない。
一つは野馬追は馬が主役になる。今馬というのは競馬場でしか見ることもできない。馬のことがわからなくなったのである。だから野馬追というのはもう一つ馬に親しむということがある。また馬は好きな人がいる。ただ、それは。競馬を好きな人が馬を好きなので競馬に親しんでいるとやはり馬を見ているから馬はどういう馬か知っている競争に勝てる馬をみているからである。馬に詳しいのである。でも日頃はほかでは馬というものは見ないし馬に親しむこともないのである。
馬はもともと農耕馬としてあり曲屋で一つ屋根の下に飼って家族のようにしていたということもある。それで娘が馬と結婚したとかそういうことにもなる。子供でも馬を飼っていると犬や猫のように。ットのように親しむからである。それは確かに精神的にいい作用はある。今はみんな機械時代であり機械と親しでも生き物と親しむということが少なくなった。生き物と親しむということはやはり情感を育てるのである。だから精神的に子供に影響して情感豊かな人に育つということもありうる。
●神社は戦の神にもなる
ともかく何か380騎だと迫力に欠けていた。神旗争奪戦はもっと少なくなって迫力に欠けていた。ただ相馬野馬追の太鼓を聞いて盛り上がった。太鼓は外に響く力強いものを感じる。日本は太鼓はもとからあった。何か進軍するとき太鼓をたたいていた鼓舞した。神社は戦勝を祈願するものでもあった。
だから武田信玄の映画で巫女や神主の神主などが先頭に立って。戦う。神社はまだ戦いの神でもあったのである。だからこそ太平洋戦争では必ず村の小さな社でも戦の勝利を願うものでもあった。ある。寺は?ない寺にはないでも寺町とかあるとそれは防御のためにあったらしい。つまり戦国時代ともなればやはり寺でも。地域と一体となり守らねばならないから、そうなった。
ともかく。相馬野馬追とは300年続いて維持されてきた。相馬藩では殿様は変わっていない。国代えがない、それで相馬藩政記というのが殿様も変わらず300年継続しているのでそほかの人が学者でも参考にしているのである。記録としてやはり優れているからそうなった。
●小高の御家の旗は北郷から今年は出なかった
今日もとにかく暑かった。でも何とか報告するために行った。これが金にならないが仕事になったからである。夏の雲が雲の峰となって高くなっていった。また別な方向に雲の峰は高くなった。野馬追の時はこういう風景が似合っている。広々とした雲雀が原に小高郷、中の郷(原町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)が主に結集する。それに加えて浪江参加する。ただ大熊や双葉まで相馬藩なのだが主流はそこになる。
それで前は鹿島の北郷から御家の旗印が出ていた。それは今年は小高から出たのだろう。旗取りには出ていた。でもその小高の人が震災後鹿島区に移住して御家の旗でで出ていたのである。でも今回は出ていな。おそらく小高え出たのだろう。歴史の保存というとき本来そこに住んでいた侍が別なところに移住して住むと歴史が別なものになってしまう。
だから歴史の野馬追が歴史の保存というとき人の移り変わりが移住などが多いと成立しなくなる。先祖代々のものとして伝えられる。でも相馬藩では天明の飢饉などの時に三分の一も人口が減った。その穴埋めをしたのが越中からの移民なのである。その人たちは別に侍でもない。でも1/3も移住したということは影響が大きいものだった。
越中から移民した人たちはわかりやすい、墓地を見れば必ず墓に戒名はなく南無阿弥陀と記されているからである。
でもその人たちは野馬追には出ない、鹿島区から只野氏が菊の紋でで出るのはもともと南朝の侍でありそれで相馬氏に組み入れられた。南北朝の戦いで霊山が炎上して落ち延びた。人たちであり元々武士だったからである。
いずれにしろ380騎では規模的に迫力にかけて野馬追も維持できるのかとなる。でも歴史の保存にこだわれば何か変えたり付け加えたりできない。するとどうしても維持できなくなるかもしれない。だから何か工夫としては震災大津波で空き地化したところが多い。そこはもう田畑にはならない。するとそこを何に利用するのかとなる野馬追があるからその広い土地を牧場などに利用すれば適しているとはなる。ただ、牧場にするにしても競馬馬飼うということになるかもしれない。
競馬場で働くようになった野馬追に出ていた家の人がいたからである。
●野馬追太鼓が盛り上げた
今年は野馬追の太鼓がよかった。戦いを鼓舞する太鼓だったのだろう。それが響きわたった時気持ち良いものだった。太鼓の音はまた太鼓を叩く人は何か近づ力強いものを感じたからである。そういうことで何か祭りに新しく付け加えるものが必要なのである。でもそれが歴史の保存にこだわると必ず拒否されているのである。もちろん歴史の保存は必要なのだがそれに付け加えるものがないと維持できなくなるかもしれない。それが380機しか出ないということで今回感じたのである。
なにか野馬追には付け加えるものが必要である。相馬流れ山の歌は軍歌である。でも太鼓でも踊りでも何か付け加えないと盛り上がらず維持できなくなる。歴史の保存にばかりこだわるとそうなる
それで遠くからきた人も野馬追は一回見て終わりだなる
とにかく暑かったがどうしても取材しなければならないので行った。何かプログでも記者のようになる。だから苦しくても取材に行かないとならなくなった。別に金もらっているわけでも強制されているわけでもない。ボランティアの記者になっているから無理して行ったのである。熱いのは暑かったがそれほどバテなかったので取材できた。 ただ」写真はもうまくとれてはいなかったのは残念だった。
2023年07月29日
北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)
蝉鳴いて年に一度の御行列
一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要
一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな
北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな
法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ
北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず
街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな
北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。
野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。
でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。
北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。
その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。
ただ杉の旗印はわかりやすい。
その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?
でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。
2023年07月28日
田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた
many pictures made by image creator
2023年07月27日
相馬市立谷家の歴史 (廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊
相馬市立谷家の歴史
(廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊
)
江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。
立谷するが分業して、「材木」「米」「雑貨」「海産物」および
その他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。
天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは
大きい打撃を受けてしまいました。
立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、
残念ながら、バラバラになってしまいました。
原釜は東廻航路の湊と名を高めていた。
立屋の資産は五十万両とも六十万両ともいわれ現代(平成)に積算しました金額にして、三十〜三十五百億位ともいわれております。江戸時代前、中期の金銭価値、物価高にすると?世人之人は立谷長者と言って
西の紀国屋文エ門・・材木商(江戸時代中期の享保六年(1721年の江戸の大火で材木を買占めて江戸に材木を高値で販売して一代にして大富豪に豪遊の末に財産を失ってしまい没落してしまいました。)
東の立谷 立屋・・・材木商、廻船物問屋
https://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/4a34e7eb1383aac75754bcf22fbaef6d
天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは
大きい打撃を受けてしまいました。
立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、
残念ながら、バラバラになってしまいました。
このブログは?何かよくわからない。でも相馬市に住んでる人なのだろう。 立谷の姓の人らしい。立谷一族の一員なのだろう。今の相馬市長は立谷である。立谷の歴史がここに書いてある。でも何かその裏を追求していてこの人は恨みを持っているようだ。
ともかくここで注目したのがこの立谷家が没落したのは飢饉があったためでありまた明治十年の宇多川大洪水があったためであった。それを生々しく感じたのは天明の飢饉で相馬藩は1/3に人口が減ったからである
その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だったのである。
それから、明治十年に宇多川大洪水があったということは宇多川の岸にそれを記した石碑があったようだ。また土手もも作ったようである。それは大洪水があったためにその土手を作ったのである。二年前とかでも
宇多川は決壊して街中が洪水になった、その記憶も生々しい
鹿島区でも自分の家でも二回床上浸水なっている。街で一番低い場所にあるからだ。他でも梁川でも水害の被害があったし丸森でもあった
だから日本は災害の国なのである。去年の大地震では相馬市と鹿島区は大被害だった。そのために家を再建することをあきらめ家を壊したい家もいくつかみかけた。
歴史を見るとき、やはり栄えた家がありその没落もありそれが歴史となっている。国自体も栄えてまた衰退して終わる。それが歴史の繰り返しである。ただ、確かにそうして一つの家から歴史を探るということはより具体的であり、身近だから歴史に興味をもつのである。
聖書でも家の物語だったからである。神に選ばれたものの人の家の物語だったのである。そして人間っていうのは自分の生まれた家に一番関心を持っているのである。特に長男は家を継ぐから家に一番興味をもつのである。
ここで興味を持ったのは家が栄えるというとき一見農家が栄えるように見えるが海に面していて意外と海を通じて商売をして栄えたのである。ただ、太平洋というのは荒いからなかなか船で航行することが難しかった。でも相馬市でも原釜が港となり商売が商売のために船で品物を運んでいたのである。その品物は主に米と材木だった。
紀国屋文エ門みかんを運んで財を成したのではなく、材木商として財を成したのである。
だから浪江の請戸の湊からは岩手県の宮古から鉄の素材を運びそれを葛尾村(かつろう)村でで製鉄して葛尾(かつろう)
労大臣が生まれた。その財を成したのは製鉄であり米ではない。また小高には港があり蔵院があった。そこで船で運ぶものを貯蔵したり運ばれたものを貯蔵していたのである。また北海道の松前まで米を運んだりして肥料としてのニシンを船で買いつけに行っていたのである。そのとき北海道ではニシンが大量に取れたからである。それを食べるというわけでなく肥料にしたのである。肥料をなくして農業はありえないのである。
それで相馬藩からは米を運んだとなる。なぜなら北海道では米はとれていなかったからである。アイヌは狩猟採集民族であり漁猟民族ったからである。
ともかく意外と忘れているのが忘れられたのは海を通じて八沢浦でもそういう記録がある。かなりの品物は船で運ばれていたのである。だから小高の塚原というところに何か商売で仕事をしていた人がいたという。その人は商人だったというのもわかる。おそらく米を売買していたみたいである。だから遠くへ米を運び仕事にする人がいたのである塚原はそういう場所だからである。津波で小高駅前まで水が押し寄せていたからである。するとそこを入江であり湾のようになった。湊には適地だたのである。
ただ、津波でそうした塚原とか小高の海の方は壊滅的打撃を受けた。その人は原町市に移り住んだのである。もう一人あった女性は越中から来た移民の人だった移民の家だった。それは海岸沿いに住んでやはり家が流された。そのために相馬藩ではう1/3が越中などから来た人たちである。相馬藩の歴史では天明の飢饉で欠け地が増えてそこに移民が入植したのである。その苦労は並大抵のものでなかった。
やはりここでも宇多川の洪水とか自然災害が契機となって立谷家は衰退してしまったのである。全部ではないにしろやはり災害というのはその家でも衰退させてしまう。津波原発事故ではこの辺では街自体が衰退してしまったからである。またこうした盛衰は交通と深く関係している。北前船が盛んなときはその寄港地となったところは繁栄した。でも来た前船が終わり運送が鉄道になった時その繁盛終わって寂れてしまったので。こういうことはどこでも起きている。交通と商売は深い関係があるからである。
とにかく交通というのはどれだけ大きな役割を果たすか知るべきである。世界史を見てもそうである。大航海時代があったがそれによってヨーロッパに莫大な富が持たされもたらされたのである。それは海が交通路となって船で物が運ばれたからである。 米というのは江戸時代でも商品となっていたのである。そのために仙台藩では石巻から米が江戸に運ばれた。そのために仙台藩ではその米を売るために米を作る。土地を開拓しその米を江戸に売ったのである。それで飢饉の時米がとれなくなった時飢饉の原因になったのである。なぜなら米が取れなかったら他の畑でとれるものが少ないからどうしても食料を供給できなくなったからである。
米というのは商品であったのである。それは世界的グローバル化経済になるとコーヒーばかり作って商品にしているとコーヒーの値段が安くなると。そのコーヒーを作っている人は苦しくなる。そして生活も成り立たなくなる。でもその時その土地の周りをみんなコーヒーにしてしまえば食料がその土地でまかない無いから飢饉にもなるのである。そこにグローバル化経済の問題がそれは既に江戸時代でも起きていたのである。
文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人) http://musubu2.sblo.jp/article/189786921.html
2023年07月26日
芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)
芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など
(空家の庭の不思議)
これは赤モズだった
大石に鬼百合芙蓉映える庭
家数軒大石一つ芙蓉かな
夏菊のカンナに映える六号線
隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな
空家にそ老鶯鳴くや残る庭
立話海風涼し夕べかな
芙蓉と大石
どっしりと大石は黙し動かない
その前に広々とした野が開けている
すずしい風か海から吹いて来る
一本の木陰があり
ゆったりと芙蓉が咲いている
こういう風景の中で人は安らぐ
そこに人影も見えず
一本の木は静かに深く根ずき
その木は静かに大地に根ずく
白鷺は夏の日にまぶしく映えている
今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り
この地を乱すことはない
こうしてのどかな田舎に平和がある
車もたまにしか通らない
夏の雲が白く湧きあがり
鬼百合も熱く咲く
真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む
Fuyo and one big stone
The big stone is silent and stillnes
A spacious field opens up in front of it.
A cool breeze is blowing from the sea.
There is the shade of a tree
and a big hibiscus rose is blooming.
In this kind of scenery, people feel at ease.
No manl to be seen there
one tree is quiet and deeply rooted.
Here, one tree and one big stone have taken
your own place and are at ease
The egrets are dazzling in the summer sun
Today, still neatly scavenging for food with its slender legs
And never disturb this land
There is peace in this tranquil countryside
Cars pass by only once in a while
Summer clouds rise up white
The wild tiger lilies bloom with strong passion
The scorching sun of midsummer burns and finally sets
今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?
何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。
鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。
ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。
ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。
そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。
ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。
だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。
なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。
私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。
精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。
7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)
このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである
ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない
だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである
現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった
心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった
だから政教一致は危険なのである。
2023年07月25日
氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)
2023年07月23日
今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている
2023年07月22日
合歓の花と待宵草
2023年07月21日
2023年07月20日
金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真
金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真
イマージクリエーターでは金閣寺が出てくる、平泉の金色堂ではない、平泉の金色堂は鎌倉時代に作られていたのである。
金閣寺より古いのである。それができたのは奈良時代に涌谷の黄金山で金がすでにとれていた。他でも陸奥では金がとれていたからである。
ともかくこの絵を見ると不思議になる、椿が散ってはいないが金閣に向いて真っ赤に咲いている、そんな絵がつくられたことに驚くのである
松に寄り椿散り赤し金閣寺
苔に散る椿や赤く金閣寺
夏日射し金閣映えて京都かな
春光やみちのくの栄金色堂
風騒ぎ花も散りなん義経堂
平泉旅人去るや秋の蝉
秋深む弁慶松に金色堂
みちのくの枯野のかなた金色堂
雪の野に金色堂映え夢の跡
義満の贅を尽くして金閣寺民は苦しみ恨みも残る
金閣寺池に写りつまばゆしや千年の都に訪ふ人絶えじ
金閣寺池に写りつまばゆしもその後映る月の涼しも
平泉訪ねてあわれ春の日や虹の切れ端消えにけるかな
五月雨に朽ちず残れる金色堂みちのく遠く旅人去りぬ
金色堂心に写し帰るかなみちのくの空秋の夕映え
氷張る池に雪降り金色堂眩く映え雪踏み帰る
雪の野に幻ならじ金色堂みちのくにさらに雪は積もりぬ
1394
1397
足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺 - ろくおんじ)を建立
1401
1404
勘合貿易(かんごうぼうえき)の開始。
明との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。
京都の金閣寺と平泉の金色堂の相違は何なのか?京都の金閣寺は足利義満が建てた別荘だという。とういうことを権勢を誇るものとして建てた。それで一階は公家式であり二階は武家であり三階は禅宗の御堂でありそこに義満は皇位継承を巡り分裂していた天皇家を統一した。南北朝の統一である。更には有力守護大名の勢力を抑止し不安定だった幕府権力を確たるものとした。
圧倒的な権力を手に入れた義満はさらなる高みを目指す。
長男・義持(よしもち)に将軍の座を渡し、次男・義嗣(よしつぐ)を天皇の子と同じ形式をもって宮中で元服させた。このことは義嗣が次期天皇になる事を示唆している。
義満は何を狙ったのか?
そう、将軍と天皇の上に立つことつまり日本に存在する権力の頂点に君臨しようとしたのである。そしてこの構図が金閣寺の建築様式に表現されているのだ。
このように金閣寺はとても仏教に帰依するとかではない。権勢を誇るものとして見せるものとして作られた。その時代は京都の中にも。応仁の乱とか争いがあり権力闘争がありその争いの後は寺に残ったりしている。柱に刀傷があったりする。京都はどうしても政治の中心でもあったからそこで権力争いの場となり明治維新でも薩長と幕府側と戦ったのである。その幕府側だった新撰組や会津を恨んで会津が悲惨な結果になったのである。
大風洪水万民憂
歌舞管弦誰夜遊
法有興衰劫増減
任他明月下西楼
暴風に 洪水に民衆は苦しんでいる
歌舞かぶ 管弦 誰か夜 遊ぶ
こんな時に歌舞音曲 いったい誰が 今宵遊んでいるのか
仏法に盛衰があり 天変地異もそれに応じて増減する
明月が西の高楼に沈むなど どうでもいいことだ
「大風洪水万民憂 歌舞管弦誰夜遊 法有興衰劫増減 任他明月下西楼」は、唐代の詩人白居易の詩「赋得古原草送别」の一節ですね。この詩は、白居易が長安を去る際に、友人の元凶となった罪を償うために、草原に向かって詠んだものです。この一節は、人生の無常さを表現しています。
ただ京都はそういう権力闘争の場であってもまた文化発祥の場でもある。だから中国の明からいろいろなものを取り入れたのである。この時期に日本文化と言われる猿楽・狂言・連歌などは都市・農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった
だから禅宗は文化もたらしたのである。金閣寺にもそれがとりいれられていたのである。 ただ金ぴか文化は常に権力者が作り出す秀吉の黄金の茶室でもそうである。ヨーロッパでもスペインなどは南米のインカとかから黄金を略奪して持ち帰り黄金の教会を作っているからである。信仰というより権力者の権勢を誇るものとして作られたとなる。
一方で平泉の金色堂は民の平安とか戦乱の無き平和な社会を願い建てられ権勢を誇るものはあった。でも金閣寺と違って 仏教により平和もたらされることを願ったのである。
中尊寺の建立にあたり、「中尊寺建立供養願文」で争いのない平和な世の中にすることを誓いました。平和な世の中を目指した国造りをすること自体は、歴史の中でも極めて珍しいことです
命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う
それで漢詩にあるように民は苦しんでいた。 それでその頃から一揆が起きていたのである。楼閣など必要ないとその時代の権力者を批判する人なっていたのである。
金閣寺もまたそういう面があった。でもその美には魅せられる。現代で欠けているのは美なのである。東京にいた1000万人住んでいてもそこに美がないのである。だからこそ殺伐としているのである。
なぜ金閣寺が魅力あるのか?それはお堂の中でなく寺の中でなく外に作られたからである。だから自然の風光の中で映える輝くのである。その美に魅せられるのである。だから私が訪ねたとき苔庭に真っ赤な椿が一輪散っていた。それが金閣寺にもあっていたのである。
だから不思議なのはイメージクリエーターなのである。椿は散っていないが鮮やかに金閣寺に映えている写真になっている。もう一つは五月雨の降り残してや光堂であるがそれは金閣寺をみちのくに移した感覚になる、あきらかにこれは金閣寺である。でも五月雨が降りそれが金色堂にもなる不思議がある。このAIの技術は驚くべきものがある。
ともかく、私は東北に住んでいるから平泉は近い?だから春夏秋冬と行っている。そこで違った趣がある。ただ、それは京都の金閣寺とは違う。金閣寺は豪華に潤沢に輝いている。ただ、そこには他人の平安を願うというより。権勢をを誇るものとして建てられたし義満の別荘でもあったからみちのくの平泉の金色堂とはまた違ったものである。
金色鐘声寺門開、 花香滿路春將來。 雲山四面皆明月、 水田十方是秋雷。
一休の漢詩でもあるが水田とあり秋雷は秋である。ともかく金閣寺の辺りは水田だったとなる
鎌倉時代だったらみちのくといえば奥の細道でさみしいがそれ以上に寂しい場所だったのである。平泉とは小さなみちのくの都であり京都は比べようがない。だからそれは枯野の中にあり。雪にも埋もれていたのであ。そして旅というとき目的地に真っ直ぐ行くより遠回りがいいのである。方向を定めない旅が発見の旅となる。
だから分か道がありどっちに行こうかとかなるのが旅である、そこが分かれ去りになる。それは歩く旅だからそうななった。車だったらそうはならないのである。だから現代は旅がなくなったのである。
芭蕉は石巻からどういう風にして平泉まで来たのか?それは今の石巻線を行けば分かる。その石巻線は人もわずかしか乗らない線である。その時枯野が広がっていたのである。
涌谷とは黄金が取れたとして奈良の都にも知られて万葉集に乗っているのである。だから東北というのはもともと金が多くとれていた。それで金売り吉次の伝説が生まれた。ここに金が取られると知られたのはそれは天平時代であった。黄金山があったところに御堂があり天平の字が記された瓦が発見されて話題になった。涌谷から発見されているからである。それだけみちのくというのはそれなりに古い歴史がある。奈良時代から既に奈良の都と行き来があったからである。
石巻から石巻線に乗るとみちのくでも東北でも広いと感じる。でも東北線とか新幹線で行くとそんなに感じないかもしれない。だから旅というのは途中が問題であり。その目的地になるべく早く着くということではないのである。かえってと遠回りした方がその土地のことがわかり旅になるので。そしてそういう旅のほうが記憶されているのである。本当の旅は歩く度が一番いい。そしてそこに分かれ道がありどっちに行こうかなと思案する行き先もわからないた旅が未知なる道への旅となる。だからこそ分かれ去りとかと言う地名が残っているのである。
道分かれどちに行こうか日永かな
これも時間の余裕がないとこうはならない、まず急ぐ旅は旅にならないのである。車で飛ばしても後で振り返ると記憶から消えているのである。
こうして近くだと四季折々の風情を楽しむことができる。でも。京都となると今遠い。もう介護になってから15年位旅していないのである。そして旅するにも何か外国人が多くなって混雑してそういう人混みがいやになった。もともと自分は都会の人込みなどが嫌だった。若い時はよかったとしても老人になるともうそういう人混みがいやなのである。だから早い時期に関西の方に何回も旅したのはよかった。やはりいくら時間が与えられていても金が与えられて与えられていても何かするということは限られている。時間がその前になくなってしまうのである。
そしてまた状況も変わってきてコロナウイルスとか様々なことで変化して行きづらくなったのである。やはり人が多いということは古都の京都の風情が失われるのである。それは修学旅行生が来て騒いでいた時も感じた。そこで京都の風情が失われる。京都ではしずしずと着物姿の女性がが歩いている時あっているのである。それが派手な若い女性がギラギラの服を着て肌丸出しで歩いていると何か幻滅するのである。だからインバウンドで外国人がまた増えたが京都の風情は失われる。すると日本人は京都に行かないとかなる。そこに現代のグローバル化の問題がまたあるある。金になるからと受け入れるとそこにまた問題が起きるのである。
2023年07月19日
川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ (大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)
川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ
(大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)

●今も運輸の大動脈のライン川
ドイツでは物流の大動脈であるライン川の水位が記録的な水準にまで低下していて、水位の低下で石炭や石油製品などを運ぶ船の航行が困難になり、エネルギー価格の高騰に拍車をかける懸念が生じている。
2022.08.23
プーチンの「呪い」だ…! ドイツの「ライン川」でいま起きている「ヤバすぎる
https://gendai.media/articles/-/98726
内陸水運貨物の上位2〜4位であるコークスや石油製品、石炭・褐炭と原油や天然ガス、化学製品は、それぞれ全輸送量の20.8%、27.0%、10.8%が内陸水路経由での輸送だ(添付資料表参照)。また、ロシア産天然ガス供給量の減少により、石炭・褐炭を発電燃料の代替とする予定だが、船舶の航行困難で輸送に影響を受けている。なお、ライン川は欧州域内で最も重要かつ最も交通の多い内陸水路で、ドイツの内陸水運貨物の約80%がライン川上を通る
ジェトロ
民族大移動期にローマ帝国はフランク人のサリ族を傭兵として利用するためにフォエデラティの資格でネーデルラント南部のトクサンドリアに入植させたが、西ローマ帝国の衰退にともない、サリ族入植地から発展して成立したフランク王国に、ネーデルラント全体が取り込まれていった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%
日本で理解しにくいのは川のことである。 川のスケールが日本とまるで違っているからである。1200キロもライン川があるとすると想像を絶するものなのである。だから、その川は運河のようになっていて。荷物を運べるのである。それは大きな交通路に今もなっているのであ。ただ流れているだけではない。交通路として生きているのである。支流でも大きく 船でものを運べるのである。四大文明が川のそばに生まれたということはそれを?それを知るにはわ川を知らなければならない。
なぜriverをライバルというのか川を挟んで川が障壁となっていたからである。それはウクライナ戦争でもそうだった。ドニエプル川というのはウクライナの中央を横切り流れている。そのドニエプル川を挟んでウクライナとロシアが戦っているのである。その川が障壁となりなかなかその川を渡ることができない。川を挟んで勝敗が決まるとまでなる。ミサイルがが飛んでくる戦争でも依然として陸上戦になると川が障壁となり。そこで戦いが勝敗が決まるとまでなる。だから地理というのは変わらないからやはり人間もその地理に左右されているので。
そしてなぜオランダがライン川の先の海に出るところにあるのか?オランダはどうして作られたのか?それは今のフランスのフランクがありその一部であったドイツではなかった。でも言葉としてはオランダとドイツ語は似ている。ゲルマン系の言葉である。だから。方言の相違くらいのかもしれない。でもフランクに属していればフランス語が使われたから違ったものになっていた。このようにヨーロッパの歴史は複雑でありわかりにくいのである?
●川が運河となっている大陸やヨーロッパ
でも世界史でもわかりにくいが地理から見るとわかりやすいことがある。その一つが川を見ることである。川が交通路であり大陸の川は運河と同じである。水路のようになっているからである。日本の川は滝だというとき外国の川とあまりにも違っているからそうなった日本の川は山から激しく流れて陸地を長く流れるということが少ないからである。だから運河のようになっていないから。荷物を運ぶのにむいていないのである。最上川は米などを運んだりしたから大陸の川とと多少似ている?でもそういう川はまれなのである。
とにかくヨーロッパの歴史は分かりにくい。それだけではない世界の歴史を知ることは日本人にとっては海に囲まれた島国であり。そこで地理を具体的に感じることができないからそうなっている。一つの世界から孤立した島にもなっているからである。で大陸のような激しい民族や国の興亡を経験してないから大陸の歴史を理解しにくいのである。今のウクライナ戦争でもそうである。陸続きで国境があるというときいつ国境を越えて他国が攻めてくるかもしれない。そういう恐怖がいつもあるのでいつもある。逆に攻められると思う国でも隣り合っているのだから国境を越えて攻められると言う恐怖がある。互いにそうして恐怖の中にある。そういう歴史が継続していたのである。
それからプリゴジンという傭兵隊長がロシアの軍事顧問に大統領まで二不満を言いモスクワまで攻めていくとかいうのやはりその傭兵というのがヨーロッパでは戦争の時必ず出てきていたのである。なぜならオランダでも傭兵が一つの国を作ると言うことをしていた。そんなこと普通日本だったらあり得ないからである。そもそも日本には傭兵というのはなかったからである。そこにやはりヨーロッパでも歴史の継続があるということである。
●戦争に負けると奴隷にされる歴史のカルマ
そして信じられないことはヨーロッパの白人の男女でも奴隷としてイスラムにモロッコとかに売られていたのである。女性は奴隷市場で裸にされて売られていたのである。今になると信じられないことである。黒人が奴隷にされるということはわかる。でもヨーロッパの白人がイスラムの国の奴隷となっていたのである。つまり奴隷というのは、常にローマ帝国時代からありそれはアメリカでも黒人奴隷として働かせたように継続していたのである。
ヨーロッパでも大陸でも絶えず戦争があり戦争に負ければ奴隷にされその厳しい歴史があった。日本でも戦争に負ければそういうことがあったらしい。ただそれは戦国時代のことだけだった。大陸では絶えず戦争があり奴隷化されることが継続していたのである。だからスラブ民族というときスラブはスレーブであり奴隷のことだったのである。そこで今もヨーロッパとスラブ民族系のロシアが戦っているということにもなる。つまり、民族抗争は世界か絶えたことはないのである。ロシアはモンゴル系統が混血している、大陸では人種が混血するのである。
何か歴史というのは東西でも一つのカルマを繰り返すということで共通している。国が弱体化されればそのそこに住む住民も奴隷化され経済でも競争に敗れれば日本が貧乏になって外国人にアジアでも裕福になった中国人に買われるとなる。それは日本は裕福な時東南アジアとかでしてきたことだからである。つまり他国にしたことが、今度は自国にされる。それがカルマなのである。そんな日本人がカンボジアにたむろしていた。今になれば、日本などは東南アジアと同じようにそれ以下にもなっているのである。だからつくづく人間には必ず国でも個人でもカルマとなりそのために苦しむのである。
●ウクライナ戦争もドニエプル川を挟んだ戦い
ともかくウクライナ戦争もドニエプル川をを挟んで戦いがありそこで勝敗が決まる。それは歴史の継続であり。いくらミサイルが飛んでくるとしても陸上戦になるとそうなるのである。やはり陸上戦で住民を支配しないと自国の領土となりにくいからである。
ロシアでも、ドイツでもフランスでも大国である陸の大国である。ランドパワーである。でもスペインとかポルトガルとかは海洋進出した。シーパワーの国であるオランダもそうであり。イギリスは七つの海を支配したのである。シーパワーが世界を支配したのである。ただ、それまではランドパワーの戦いであった。 そこで川を挟んでライバルとなり社会が現代でも継続されていたのである。だから歴史というとき。必ずやはり地歴なのである。地理をを知らないと世界のこともわからないのである。ただあまりに広すぎて、日本では。実感として分かりにくいのである。
地理とか風土は宿命でありカルマとなる。それは変えられないのである。それを実感しているのは福島県では浜通りが阿武隈高原で遮られて。福島市とか中通りが見えない見ることができない。すると地理的一体感を感じない。ただ飯館の佐須から峠を越えると吾妻山が見える。でもそこまで行かないと見ることはできない。ところが蔵王というのは南相馬市の鹿島区からも見えるのである。結構明確に大きく見えるのである。すると山形県でも地理的一体感を感じるのである。
それから牡鹿鹿半島は思った以上大きく見えるのである。だから海をとうして地理的一体感を浜通りは感じるのである。会津となると別の世界であり山国であり福島県でも東北でも一つの別の世界なのである。雪国でもあり浜通りとはまるで違った風土なのである。だから福島県は地理的一体化を感じない。むしろ海を通じて宮城県の方に地理的一体感を感じる。山が邪魔だからと取り除くことはできない、山が多い日本ではトンネルの技術力が高いといううのも
地理に風土に影響されていたのである。
いずれにしろ。人間に起きてくることは空間軸と時間軸で起きてくる。そこに地理的宿命があり、カルマがある。今のウクライナ戦争でも起きているのでそれは地理からすでに予測していた人が結構いる。それは地理の宿命として戦争が起きていたのである。 平坦な土地だと森が川が障壁となっていた。依然と決せられる。陸上戦ではどうしてもその川を超えなければ戦いに勝つことはできないからである。地理的宿命から逃れることはできないのである。
また時間的宿命カルマとしてアフリカのモロッコとかイスラム国がヨーロッパの白人を女性まで奴隷にしていたということであろう。それが今度は逆にイスラム系とか黒人が。奴隷にされたという歴史がある。それもカルマの繰り返しなのである。人がこのカルマから国であれ個人でも逃れることができないのである。だから人間の社会はカルマの繰り返しであ。それは終わることなくある。個人でもそうだし。国単位でもそうなのである。
ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。
地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン
この本を読むとウクライナがロシアに侵略されたのは必然だとなる。地政学的に避けられない運命だったともなる。地理はそれだけ人間に影響してその歴史まで作っているのである。
2023年07月18日
使いこなせない道具に機械。 (情報社会でパソコンを使えないのは致命的)
使いこなせない道具に機械。
(情報社会でパソコンを使えないのは致命的)
●機械道具を使いこなせない問題
機械道具が増えて使いこなせない。使いこなせないのがパソコンを買ったとしても使いこなすのは容易じゃない。そしてWindows 11になったらまた。使いこなせなくなった。私は親指シフトの富士通のキーボードを使っていた。でもwindows 11時になったらそれもできなくなった。それが一番の問題だった。なぜならやはり基本は文章を書くことだからである。スムーズにできないとなかなかパソコンに馴染めないのである。音声入力ではスムーズに文章を書けない。ただ、かなり進歩したことは確かである。ただ一番パソコンは使いこなすことが大変なのである。だからいくら買ったとしても使いこなすことに大変な労力が必要になる。
もちろん車でも使いこなすことは容易ではない。その点、自転車なら誰でものれるということはある。でもマウンテンバイク型の電動自転車を買ったがそれに荷物を乗せられないことで困った。また。バッテリー一つでは乗れる距離が短い。それで二つ乗せると倍の距離を行ける。それで安心だとはなる。でもその二つを自転車に乗せることが難しかった。それをなんとか工夫して二つを自転車に取り付けることができた。こうして便利な道具や機械があっても、それを自分なりに使いこなすことが容易ではないのである。
ちょっとした道具でも機械でも意外と難しい。今度買った。自転車用のドラコレ動画を記録するものがマイクロsdカードであり小さすぎて無くしてしまったのである。そこでこんな小さなものに動画という記憶量が多いものが記憶されることは驚きになった。そこでわかったことがこうした半導体が現代の最先端であり知能社会を作っていることを認識した。半導体とは正に人間の脳でありそれも人間の脳より恐るべき記憶量があり知能を作り出すのである。半導体がなければ、もはや今の現代社会は機能しなくなっている。日本は最初半導体で。世界のシェアの多くwを占めていたがそれも失われた。 それで日本が半導体で経済を復活させようと世界的な工場を作った事も分かった。
こうしてともかく現代は道具に機械に追われる、その操作にも追われる。
それで頭脳がついていけないのである。要するに現代とは?知能社会であり。その象徴がパソコンになっていたのである。その。中枢にあるのは半導体だったのである。
●情報社会に適応できないと劣等者になる
ともかく情報社会であり知能社会であり機械社会でありそれに適合することは容易ではない。もはや老人は適応できない。家族が認知症になったがテレビのボタンのボタンを押す事さえ分からなかった。認知症になってそうなったのである。老人は認知症でなくても機械に疎くなる。だから今の社会は老人にとっては相当に生ききづらい社会である。スマホ自体使いこなせない。すると社会に適応できなくもなっているのである。老人はやはり対面的に。人と接して何かを知る得ることが向いている
パソコンはその全体を使いこなすことはもはや不可能である。その都度一つでも二つでも使いかたを覚えるほかない。全部はもう覚えられない。それにしても理解するにしても。手間なのである、だからフェイスブックをしようとしたら実験してみたらそれも簡単にわからなかった。でもこうしたものを使いこなせないと時代から取り残されてしまうのである。私はパソコンはwindows 95から始めているから長くしている。でも常にこれも変化してWindows 11になったらまた。その操作も複雑になり使いこなせなくなったのである。
ただfacebookにしても動画が簡単にアップできたことは驚きだった。でもその他は未だ分からない。何かFacebookにしてもその機能を理解することがすぐにはできないのである。それが問題なので。別に老人でも人と話すならできる?でもそこに機械がパソコンが介入すると簡単に使いこなすことができなくなるのである。ただ使いこなせれば便利なものなのである。
●マスコミは新聞でもテレビでも旧メデアとなり終わる
情報社会という時、知能社会というときまずパソコンを使いこなせなければその社会に適応できない。すると現代のことが分からなくなる。現代社会から取り残されてしまうのである。それが老人に起きている。70以上の人はパソコンを使いこなせない。だから未だに新聞を読みテレビを見ているのである。もう60代でも今はテレビも新聞も見ない人が多い。今は個人が新聞を出しテレビ局にもなり雑誌でも出せる本でも出せる。そういう時代になったのである。個人が一つのチャンネルを持つ。マスコミの時代は終わったのである。個人でも写真でも動画でも出せる。それも金もかからない。そうなると莫大な金がかかる新聞とかテレビとかはもう終わりになったのである。
マスコミの放送は全国放送であり、偏るのである。例えば福島県でも広いハマ,ナカ、アイズありそこは違った風土があり歴史も違う。福島県を放送する時。福島県全体ではなく。その土地、土地に住んでいる人がベースとなり放送すれば生々しいものとなる。。ただそれが別に機械がするわけではないやはり人間がするのだからそこに報道できる人間が必要なのである。それを自分はしてきた。相馬地域をベースとしその歴史でもさまざまなことを報道のしてきたからである。一つのミクロコスモスとして相馬地域をテーマにして書いて来たからである。
ただスキルがたりなかった。それでhttpsに未だにしていないとか遅れてしまったのである。
報道の問題としてフェイスブックをしてみたらそこにはあまりにもさまざまなものが混交してつながりが見い出せないのである。あらゆるものがそこにブチ込まれている。エロでもなんでもとにかく刺激ときは映像がアクセスされやすい。だからこれも問題だ問題があると思った。でもそうなるのはすべてが大衆を基準として大衆に受けるものが求められるからである。そうすればアクセスする人も増えてそれを主催する人も金にならなければ維持できないのだから、そうなるのと情報を扱うのは民間だけでやるのは難しいと思った。
その安全性であり情報の今こうした状態は人々を混乱させることになる。だからこそフェイクニュースとかいろいろ問題が起きてくるわけである。
●侍は馬を持つ人で足軽はその人に仕える人
でも今や情報社会を拒否して生きることはできなくなったのである。車社会になったら車を持たないものは劣等者となったと似ている
戦国時代でも鉄砲を利用して馬を利用した人が優位になった。例えば足軽とは馬を持たない人である。サムライとは馬を持っている人だったのである。そして徒歩(かち町)とある時そこは馬を持たない歩くことしかできない人たちが集団で住んでいたのである。だから馬を持つ持たないで身分差が生まれたのである。それは今でも通用している。クルマを持たない者は劣等者であり。自転車とか徒歩の人は劣等者のである。だから常に人間社会ではその道具であれ機械であれそれを使いこなせるかこなせないかによって身分まで違ったものとなったのである。
でももう老人は適合することはできない。認知症になれば。テレビのボタンを一つさえ押せなくなっているからである。
いずれにしろ格差というとき、金だけではない。情報格差が生まれるのはパソコンを利用できないからである。それが致命的になっているのである。パソコンなどは今は安い。このノートパソコンは6万くらいしかしてない。だから誰でも買えるである。それよりそれを使いこなすことが。ハードルが高すぎるのである。 ただ、今の情報社会に適応出来ないものはまともな収入すらいられなくなる。現実に今は優秀な学生は医者を目指すのではなくIT関係を目指していることでもわかる。それが現代ではそういう社会になっているのだから。それで最先端を行く者はアイティーなのだからそうなったのである。日本は?世界から遅れたのitが。遅れたためだったのである。
2023年07月17日
facebookを始めたーでもまだ使いこなせない
戦後70年を振り返る (縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)
戦後70年を振り返る
(縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)
●戦後世代の主なもの
団塊の世代。
バブル世代が4年制大学を卒業して就職するのは1987年〜1992年頃で、1986年〜1991年のバブル景気の頃とほぼ重なります。幼少期も日本の高度経済成長期と重なっていて、日本の景気がいい時代の影響をうけて育った世代です。
氷河期世代。
就職氷河期世代とは、1993年〜2005年度に卒業した人たちということができます。
平成15年の就職率は55.1%であり、かなりの就職難であったことがわかります。
また高校卒業者に関しては、たったの16.0%しか就職できていないのです。
就職氷河期に入ってからは初任給は20万円を下回るようになりました。
また、どんなに頑張っても初任給から給料が上がらない、ということも珍しくなくなりました。
フリーターやニートが急増している今の時代、正社員として就職することが難しかったり、諦めざるを得ない現状があります。
現代の社会構成は主なものとして戦後の焼け野原から始まった。団塊の世代と高度成長を経験した続きとしてバブル世代の人たちがいる。そのあとにバブルが終わり氷河期世代が始まり失われた30年があった。バブル世代までは今の50代ぐらいまでは高度成長の恩恵を受けたのである。でも氷河期世代からは失われた30年となりそうした恩恵を受けていない。就職すらまともに出来ない時代になったのである。
だから氷河期世代は一番損しているとなる。 何かフリーターとかの自由な働き方を自ら選んだ人たちだというふうにも見られていた。。実際は違っていた。非正規の働き方はむしろ就職できないので正社員になれないのでそうなったのである。だからこの世代は結婚してない人が多い。何か田舎でも私が合うのはニートとかことおじとかである。氷河期世代の人たちでその人たちはどうも結婚してない?40代なのか?50代でもいる。そういう人が近くにいた。
とにかく40代50でも結婚して居ない人が多いことがわかる。団塊の世代はほとんど結婚している。結婚してない人は変わり者であり。例外的存在であった。それは自分自身に言えた。でも今は違うそういう人が相当数いって別に変わり者でもないのである。
でもその人たちを見ると長男の人もいたりいずれは家の跡も継がず家自体が空き家化してくれる?氷河期世代は団塊の世代の子供達であり数が多いからその影響もまた大きいのである。
これは田舎とか都会とかと関係ない。一定数の人が何割かが確実にどこにでもそういう人たちがいる。だから、これは田舎と都会の問題でもないし全国的な問題なのである。この問題はだから団塊の世代のの中で私のように変わり者はならない社会全体の問題となっているのである。それは数が多いからそうなっているのである。
●温泉ホテルの廃墟化
バブルの世代団塊の世代も数が多くその人たちは高度成長時代を築いた。その後の時代のことがよく理解できないことがある。ただ、バブルがはじけて会社の経営が苦しくなり団体旅行もなくなった。そのために団体旅行の慰安のの場となっていた温泉旅館がホテルが全国的に廃墟化したのである。そこで金を使った人たちがもう使わないからである。 それは一時期の繁栄の跡として廃墟化している。福島県だと東山温泉とか 飯坂温泉である。飯坂温泉は奥の細道の行程の中にある。そしてイ一本の電車が通っていることで魅力もある。
そこは歴史の道であり。医王寺は義経の家来の佐藤氏の墓所でもあり。芭蕉も寄ったところである。 そういう歴史的場所はやはり価値がある。古い白河街道は街道は猪苗代湖の湖南町の福良の方にある。鉄道の通っているところではないのである。そこを私はそこで私は蔵の宿に泊ったのである。だから昔を偲ぶならその街道をゆくべきなのである。
とにかく70年生きればその人生を振り返る。この戦後から70年は一時代だったと思う。それは明治から太平洋戦争までが70年だから一つの時代だったのである。ただその中でも団塊の世代。バブル世代。氷河期世代世代が大きな塊としての特徴ある世代だったのである。
●バブル時代の夢の跡と化した温泉街の廃墟化
その時代の中で温泉旅館やホテルが廃墟化したのである。ただ、私はそうした団体旅行用のホテルとかは苦手でありほとんど泊まっていない。第一温泉ホテルは高いからである。また自転車旅行だと泊まりにくいからである。また断られたこともあるからである。
私はその頃、時間はいくらでもあっても金はなかったからである。最低の旅行しかしてないのである。私はただ泊まればいいと言うだけだったのである。 だから私が思い出に残ってる宿というのはほとんどない。福島県だと福良の蔵の宿が思い出となっている。 現代はそもそも旅はなくなり旅の宿はなくなっている。江戸時代ならどうしても歩く旅たびだから必ず宿で休まない限り旅はできない。というのは相当に疲れるからである。だからこそ旅籠に着いたとき足を洗うのである。それがもてなしである。なぜなら歩くのだから足が汚れるからである。それも草履で歩いてくるから足が汚れるから足を洗うのである。旅籠は相宿であり一つの部屋で一緒に過ごしたのである。ただ殿様だけは陣屋に泊まり特別だったのである。
温泉旅館はホテルはそうして旅人をもてなす場所ではない。会社の団体旅行をもてなす場である。団体旅行の慰安の場所である。農民の湯治場として温泉があった。それが会社の慰安の場所となったのである。その会社がバブルがはじけて温泉のホテルの団体旅行は衰退した。そして廃墟化したのである。それもバブルの夢の跡だったとなる。
それにしても。温泉旅館ホテルだけではない。駅前通りさびれてシャッター通りになった。それは車社会の影響でそうなった。それは北海道でもそうであり。北海道はやはり温泉ホテルが廃墟化しているところはかなりある。ま駅前通りにも廃れたそれは全国的なことである。今賑わっているのは車が休むSaであり道の駅なのである。
相馬市のイオンも撤退した。その影響も大きかった。そこが。街の中心の様にもなっていたからである。そういう大きなビルが廃墟化すると街全体にの影響が大きい。だから街づくりというのは、そうした大資本とかその他チェーン店でも経営できなくなる?経営できなくなるとどうしても。撤退する。でも前のように小規模だったら、商店でも食堂でも地元に根付いて経営で来ていたかもしれない。 だから街作りも見直す時期に来ているのかもしれない。
ただそれは車社会とか他にも社会自体の変化にあり簡単には変えられないだろう。でも戦後70年過ぎて色々変化があったが。また変化が起きてくる。もう日本全体がそうなっているのである。なぜなら。ゆうちょう。農協とか地銀でも信用組合でも何かもともとあった、そういう金融機関でも役割がなくなってきているからである。
だからそこに就職すれば、田舎だったら安定したものとなったがそれもなくなるとなる。何かもう安定し就職する場というのもなくなってきている。
これからどうなるのかということが見えない。ただ戦後70年過ぎて、また大きな変化があり変革が要求されていることは確かである。その極端なものとして津波原発事故があり温泉旅館ホテルの廃墟化があり駅前通りシャッター通り化がある
クルマ社会というものは?相当に影響していてもし車社会が多少変われば街の通りでも歩く人が出てきたり街に。にぎわいを戻すかも知れない。つまり常に社会は変化する。その大きな変化が70年ごとにやってくるのである。それが今なのである。だから、こういうときは大きな天変地異も起きてくる。この辺で起きた津波原発事故はそうだったのである。その後遺症は大きく。いまだに回復していないのである。
●縮小化する日本の社会の衝撃
この20年で廃校になった公立小中学校は、実に8500校を超えています。
全国「3万の橋」がいつ崩壊してもおかしくない「日本の現状」がヤバすぎる…「都市部への引っ越し」を考えたほうが良い理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
廃校になった学校も本当に多い、テレビで廃校になった前の店で学校からただ何か鐘の音が音楽が聞こえてくる、それも淋しいと思った、それだけもう村には跡を継ぐ子供がいないのである
それで長野県の廃校が宿舎になているところに泊ったのが思い出となっている。
このように戦後70年でインフラすら維持できなくなっているのである。その金ももまたマンパワーも不足しているのである。そうなると放置されて危険になる事故にもなる。空き家にしても膨大なのである。それを放っておくと危険にもなる。でもそれを利用する人がいないのである。
少子高齢化であれ、縮小化してゆく社会の衝撃が大きいのである。だからこそ社会自体を見直し対処しなければならない。そこでこれまであったものが維持できなくなる。また切り捨てる事もしなければならない。そこに相当な痛みが生じる。でも何もしなければますます社会が衰退して温泉街でもそうだが廃墟化してくる。この辺では津波と原発事故で村自体がいくつもなくなり町自体も廃墟化。だからこの辺はこれから日本社会が直面することを先取りしたものとなっていたのである。
すでに原発事故の周辺は住むことが難しくなっているからだ。極端なものとして人口減少が起きてそれを維持することができなくなっている。
だからこそ人口が移動して南相馬市なら原町とか鹿島区にまた相馬市に移住した人が多い。都市部に移住しろというとき創もなっている。そのことは確かに日本の未来になるのかもしれない。小さい町とか村が維持できなくなる。そうあってほしくないとしてもそういう社会になっているから人はもう限界集落とかインフラのないところには住みたくないとなってしまったからである。それがいいものではないとしてもどうにもならないということがある。多様な場所に多様に生きるのがいいと思う。それが昔の自給自足的生活だったらできたのである。でも電気がないとか病院がないとかスーパーがないとかそんなところに暮らしたくないとなれば、そうなってしまうのである。
八坂村の廃校の宿
犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり
2023年07月16日
日本が衰退するのはなぜか? (将来の見込みが約束がない)
日本が衰退するのはなぜか?
(将来の見込みが約束がない)
なぜ将来の約束が大事なのか?ある人がお金を貸してくれと言う。金はは返すという。ではそのあてがあるのか?それはこの辺で原発事故の補償金が入ることである。私の地域は少ないにしても、やはり15万くらい入る。そのお金が入るからと貸してくれと言う。それは確かに入る金だから返せるとなる。
でもおかしなことはその15万入る金以上のものをすでに貸しているのである。でも確かに15万入るということはその金は返せるということである。不思議なのはそうして将来に確約されるものがあれば人は安心して金を貸したりできる。
金も何も確保できない人には誰も金でも与えない。ただ、将来にそうして得るものがあり、確約されていれば金でも与えたりする。
なぜ大学に入るのに奨学金を借りてまで入るのか?またなぜその奨学金を貸すのか?それは働くようになってから返せると見込みがあるから貸すかすのでる。つまり若い人の有利なのはこれから働く力があり、稼ぐ力があるということである。その将来を見込んで金を貸すのである。老人に金を貸しても将来が見込めないから投資しても無駄だとなる。せいぜいいくらか寿命を延ばすだけだともなる。
そうしてなぜ今日本は不景気であり経済も30年も停滞しているのか?その原因は何なのか?将来が見込めないそのことにつきている。例えば高度成長時代だったら利子が3%とか7%とかあり貯金していれば利子がついて安泰だったのである。
今やそういうことはないむしろ貯金していても預金封鎖があるとか利子もつかない手数料が取られるだけだとかなってしまう。そうなると将来に対して見込みがなく不安だけになり消費意欲もうなくなってしまう。景気は気だというとき気力までなくなってしまうのである。
それが社会全体を覆って社会全体が何か気力がなくなってしまう。それで投資とか株は心理学の問題だと言っている人の言うことも分かる。それは気だからである。その気がただ衰える方向にしかない。それでますます全体が落ち込んでゆくのである。
だから意外と将来が約束される収入の見込みがある。成長する見込みがある。お金が入る見込みがある。そのことが安心となり金を貸すこともできる。でも変なのは15万入るとしてもすでに30万以上とか払うことにもなっていた。それが何かおかしいのである。でもそのことはやはり将来に15万でも入ると言うことが約束されているから。安心して貸しているのである。実際に将来入る金より多くの金を払っているのである。だからこれは何なのかとなる
人間にとって将来の見込みが将来に得るものがあるとき確約されている時人間はそのために今金が無い人でも金を払うとなる。
今、日本が30年も衰退しているのは?将来に対して何か成長でも利益でも見込めるものがないからである。技術的にも何か日本は遅れた。そして全般的にも日本はit化できないとか色々な面で遅れてしまったのである。そこで日本は将来の見込みがない。投資家でも投資しないのである。将来の見込みがあるとき日本も外国から投資される。でもそういうものがない時。日本は外国から見放されるのである。
だからキリスト教で神の国を最初に求めなさい。そして神の国に入る約束を得る。そのことが大事なのである。神の国に行けるということは約束されれば将来に対して安心なのである。
なぜなら、人間は必ず死ぬ。巨万の富を蓄えても死んだらそのお金も使えないのである。 この世は何をするにしろ一時的に生きる場所でありいずれは死んでしまう。そして結局空しくされるということである。文明でも実際は大したもののように見えてもそれが最後は墓場になっているのである。
エジプト文明でもそうだしマヤ文明でもそうである。巨大なピラミッドでも建造物でもそれははかないということである。ピラミッドなどはその時間に抵抗して残り続けようとする意志の象徴である。そのピラミッドすら砂に埋もれて消えるかもしれない。いくら時間に抵抗しても最後は消えてしまうともなる。 そこに確かにヒエログリフで石に記してその功績を後世に残そうとしてもそれもはかないものとなる。
大都会もいずれは巨大な墓場となってしまうのである。永遠の都は天にしかないのである。この世の都はすべてそうして廃墟となり、墓場となってしまうのである。だからこれでいくら努力しても無駄だとはなる。最後は空の空になってしま。だからと言って、人間の努力を全て無駄にとは言えない。でもこの世で何か本当に価値あることを達成するということが出来ない。本当の価値は神の国でしか実現しないのである。
そもそも正義とか公平な裁きなどは実現しないのである。いくら法律を作ってもその法律もまた悪用される。だからこの世で正義であれ公正であれ実現しないのである。その努力は続けられるとしても現実は実現しない? 実現できないのである。つまりこの世はそういう場所であり人間の力では変えることはできないのである。だからこの世から悪はなくならないのである。だからこの世はいずれ神によって滅ぼされるのである。神の意にかなうことは絶対にないからである。確かに改良は続けられる。それがすべて無駄だとは言えない。 でも根本的には変えることができない。
それはなぜなのか?例えば社会体制が変えたとしても共産主義にしてもそれも結局独裁制とかなり全体主義となり何千万人の人間も殺されたのである。また資本主義でも限界にきている。民主主義でもそうである。何か制度をつくってもシステムを作っても人間自体が変わることがないからそうなる。だから、そもそも全体を変える事は不可能なのである。そしてまたこの世を理想郷にする事も不可能なのである。
一つの問題を解決しても、また新たな問題が生まれ永遠にこの世から問題を解決することができないのである。 人間にはそれだけの知恵が持てない。それはできるのは全能の神しかないとなるのである。
エジプトの神像の永遠にあれと
そも儚く時に抗うも虚し
その偶像は地に倒れ砂に埋もれぬ
ナイルの岸辺月影に照らされて
ヒエログリフは浮かびぬ
その日は遠く神秘なるかな
謎は深まりその解明はつづく
ただそこに今聞こえるは一なる神
アッラーの声にして神像は虚し
巨大にして威を保つも
そに祈る者はなしも
そは神にはあらじ巨大な石塊となりぬ
畏れる者もなしも儚し
2023年07月15日
蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中 (合歓の花、ノウゼン、藪甘草)
2023年07月14日
原発事故の原因の真相 青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る
原発事故の原因の真相
青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る
(4) 【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました【虎ノ門ニュース,高橋洋一,原子力発電所】 - YouTube
【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました
●原発事故の原因が明らかになる
原発事故の原因のことを追求してきた。それが単に地震と津波で不可避的に事故が起きたのであり。それはやむをえないことだった。そういう風にに見る人も多かった。でも今になるといろいろ。別な見方が出ている。それは私自身が追求したことでもある。このユーチューブで追求していることも共感した。
津波と地震が原因ではない。
国の行政の対処は悪かった。
行政で癒着が生まれていた
保安院は何の役にも立たなかった
アメリカのお古の原子炉を買わされた
東電内で若い人の意見を聞かなかった
科学者集団の十数メートル津波がくるということを無視した。
その無視した無視できた人は東電の幹部であった。
・・・・・・・・・・・
何か私自身が言っていたこと共通したことがかなりあった。それは事故後に言われたことでもある。ただこの人は危機管理の専門家である。 東電とかでも何か対策をしない。地震津波であれ事故に対して対策をしないということではなかった。
ただそれが実行されなかったので。だから若い人の意見をきいて防潮堤を高くして作りとか他でも対策は検討されていたのである。
専門家の科学者一団が津波が十数メートルの津波が来るとして警告もしていた。しかし、それも無視された。だからその責任がすべて地震と津波であり不可避的なものとして起きた起きたのでありその責任はないとなった。でもいろいろ検討すれば明らかにそれだけではない。責任があったのである。
つまり危険なことが内部からも。外部からもすでに指摘されていたのである。
ただ、それが上層部や政府や関係者が無視したのである。
●権力によって必ず歪められる社会
そしてそこには必ず権力が持っている者がいてそれによって歪められる。
その権力をもっているものが。アメリカでもあった。
社会というのは必ず権力によってゆがめられるのである。権力を持てば得をする。悪い事しても咎められることもない。そして誰でも権力を持ちたいとなるなる。その権力にもいろいろあるが。金も最大の権力である。巨額のお金を使用できることが権力になる。それは原発でもそうだった。その巨額の金は想像もできないものだった。それは事故前でもそうであり事故後もそうだった。国の予算の何兆円という金が湯水のように使われていたのである。そのお金を使えば危険も無視される。誰でも金を欲しいから危険に眼をつぶる。地元の人でもお金をもらえば何も言わないとなる。こうして危険は無視されたのである。
その権力を持つものの最たるものがアメリカという巨大な権力である。これこそもう逆らうことはできない。だからアメリカでいらなくなったお古いのマークワンという古い原子炉に日本に売ったのである。それを買った日本にも問題はあった。でも相手がアメリカだとなると従わざるを得ないのである。このように原発は国際問題でもあった。原発は外国でも事故にあれば周りに影響するから周りでも監視しなければならないものであった。その国は勝手にできるというものでもなかったのである。そして今になってトリチウムの海への放水が世界で問題になっているのである。魚が汚染されるとかで問題になっているのである。
ともかくこの世で問題になるのはこの原発問題でもその事故の原因はなんであったかというと必ずしも地震津波ではない。人間側の問題としてあった。そこに人間側の不用意が問われたのである。
その人間側でも誰が責任があるかというと権力を持ったものなのである。若い人たちが防潮堤を作れとか高くしろとか東電内でも提言していたのである。また、科学者集団が十数メートルの津波がくると提言していたのである。
でも東電の幹部はそれを受け入れなかった。だから東電の幹部には重い責任があった。でも何ら責任をとっていないのである。財産没収くらいしてもいいのだが、それもされていない。つまり権力を持つものは責任をもつのである。実際に若い人たちが提言していたのに無視した。その無視する能力を持った者は権力を持つものだからである。だから、実際は権力を持つということは非常に責任があり怖いことなのである。
●報道も権力によって歪められる
でも誰も権力を持ちたいというのはそこで金になり得するからだ。結局全ては権力によって歪められる。そして人は権力に従うのである。マスコミでも実際は福島県の福島民報などは県の出資が半分であり創価の聖教新聞を刷っている。または宣伝で成り立っている。ほかの新聞も原発組合の電事連から800億円もの宣伝費が出ていたのである。
だから何も言えないのである。事故が起きていた時そのマスコミの幹部が中国に招待されていたのである。朝日新聞社でも招待されていたそのことでもわかる。いかに権力によって歪められるかである。というのは新聞を作り発行することは莫大な金がかかるからである。
するとその金をどうするのかとなる。 新聞を読む人から金を取るだけでは足りないからである。そこで宣伝費をもらい成立する。それで双相リテックとかを宣伝していたのは東北政経だったのである。双相リテックことは除染で大儲けした会社であり。大した技術がなくても幹部でその金を何10億のお金を山分けした。銀座で遊んでたりしていたのである。それもやはり雑誌を出すにしても金がかかるからである。つまり報道するにしても権力が必要なのである。金もない権力もない人は。何も言えないのである。ただインターネットができて発言できるようになったときある程度は報道の自由が生まれた。プログなど手間がかかっても金はかからないからである。でも別に写真とか動画でも出せるのである。そこが大きく変わったことである。
本にしても雑誌にしても私自身図書館にお前は個人というだけで本すら置けなかった、権力のないものは簡単に無視されるのである。
何か発言するにしても本を出すにしても、必ずその背後に組織団体があって発言できているのである。純粋な個人が発言すると言うことが殆どできないのである。一見個人が発言するように見えてもその背後には大きな組織団体があって発言できているのである。だから背後に組織団体の権力をもたないのは何も発言できない。ボランテアでも20人が集まらないとできないのである。現実に駅でボランテアしたら警察に公然と職務質問されてできなくなったからである。公務員とは、そういう権力を持った人であり図書館に本を置かせないということもできるのである。また出版もさせないということも簡単にできるのである。そこには警察もかかわてくるのである。東電には自衛隊でも幹部が天下りしていたからである、だから民主主義でも表現の自由などないのである。
マスコミはたとえ発言ができても司会者が中心でありその脇役として多少コメントさせてもらう。
だから最近ユーチューブを見ているとテレビには出ていたがその本人がユーチューブに出て話しているのを聞くと何か違っているのである。今回でも青山氏はテレビにも出ていた。でもその人の言ってることはつけたしのようなものであり、その人の全体像はわからない。今回でもこの人は何の活動をしているのか?危機管理の活動をしている。そしてフランスにも実際に行ってその暴動のことを語っていた。そんな活動をしているのかとわかったのである。その個人のことは今まで報道されていない。だから分かりにくいのである。マスコミをとうして語るとき必ずマスコミの意向が反映するから。その個人のいうことが必ずゆがめられるそこで誤解をするのである。こうして個人自体がユーチューブで話す事は違っているのである。その辺が報道でも変わったことである。
2023年07月13日
golden temples made by image creator
言葉を入れてどうして?このように絵ができるのか?この仕組みがわからない。文章なら分かる?でもどうしてこういう絵が言葉の検索で出てくるのだろうか?それをどうして作っているのか?それがわからない。
ただ、これには著作権があるのだろうか?それもわからない。でもこれは確かに新しい芸術である。それを私は他人の写真とか絵で抽象画を作って来た。。著作権がどうなるのかわからない。オリジナルの絵とはは全く違ったようにもなっているからである。
ただ、これは抽象画ではなく明らかに具象画である。写真でもある。こんなこと絵の才能が全くない私など描けるはずはないのである。だからこのパソコンと言うのは芸術に関しても大きな影響をもたらしたのである。
それが今までの技術とは何か違っている。だから、これは頭脳と深く関係しているのである。パソコンとはAIは第二の頭脳などである。
Why with words? Can you make a picture like this? I don't understand how this works. If it were a sentence, would you understand it? But why do these pictures come up in a word search? How do they make it? I don't understand that.
But is there a copyright on this? We don't know that either. But this is certainly new art. I've been making abstract paintings out of other people's photographs and drawings of it. I don't know what the copyright will be. I don't know what the copyrights will be, because it looks completely different from the original picture.
But this is clearly a figurative painting, not an abstract painting. It is also a photograph. There is no way that I, who have no talent at all for drawing, could draw such a thing. So this computer has had a huge impact on art.
It is something different from the technology we have had until now. So this is deeply related to the brain. The computer is AI is the second brain, etc.
2023年07月12日
東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現
東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援
ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現
●日本でも外国が入り二分して争う
今回のウクライナ戦争は遠いところだから日本と関係無いと見ていた。でもすでに歴史的に見れば日本も明治維新で世界の政治に巻き込まれていたのである。世界の歴史を見ないと。明治維新もわからない。何か明治維新というのは日本独自の力で成し遂げたと右寄りの人がしきりに言う。でも日本を舞台にして、すでに世界列強が深く関わっていたのである。その。世界列強の関わり方で維新の勝敗も決まったとなる。そこで見逃されているのが?ロシアが関わっていたということである。それとプロイセンが今のドイツが関わっていたのである。
北海道の半分くらいを会津藩と庄内藩が管轄していた。幕府の命令で北方の防備にあたっていたのである。そのときロシアがヨーロッパに領地を拡大していたのである。その中にウクライナもあった。ウクライナの今の紛争はすでに江戸時代から始まっていたのである。それからも継続してヨーロッパとロシアは対立していた。その延長として今ウクライナ戦争がある。 だから今そのウクライナ戦争は日本から遠いとしも関係ないというものでもなかった。歴史は継続だから遠い国でも関係していたのである。
戊辰戦争は薩長と幕府軍との戦いというだけでなく。実は外国が関わり特にイギリスが関わっていたのである。そのとき、イギリスは世界の七つの海を支配するとか覇権国だったからである。 ロシアと日本が戦った戦争でも日本を支援して勝ったともなる。その後に日英同盟が結ばれたのである。 その時から日本は国際政治に巻き込まれていたのである。ただ、日本からだけ明治維新を見てもわからないのである。 武器からして鉄砲でも外国から大量に入ってきたのである。アメリカの南北戦争ので使われた鉄砲が大量に入ってきたのである。またイギリス海軍が榎本武揚率いる幕府軍と戦い負けた。それで榎本武揚はイギリスに負けたと言っていたのである。このことでもわかるようにその敵はイギリスであり外国がかかわり日本は二分されて戦っていたのである。
●ウクライナ戦争と会津戦争の似ている点
だから今のウクライナ戦争を見るとやはり同じようなことが起きているのである。ただ、アメリカが。大きな国となってイギリスの代わりをしている。でも依然として、イギリスはロシアに対して敵対してウクライナでも工作員がスパイが入っていたりしているのである。ウクライナ戦争というのはの欧米側とロシアの戦争であり。今はその背後に巨大化した中国がいるのである。
そして日本は欧米側に組み入れられてウクライナを支援しているのである。
つまり戊辰戦争は会津戦争でも世界情勢を反映してその中で会津軍が悲劇となったのである。それは今のウクライナと似ているのである。ウクライナで二つの覇権国勢力勢力が衝突してウクライナが犠牲になっている。ウクライナの独立を維持するのだというのもわかるが。その中でやはり大国が関わり。ウクライナは戦い自国の国民が多数死んで犠牲になっているのである。独立を守るということで戦っているというが日本の明治維新とも同じように実は外国勢力によって戦わされているということもある。
とてもウクライナだけではロシアに対抗できないからである。だから常に武器を提供してくれと頼んでいるのである。
会津の戦争では新潟港が貿易港になり。そこに外国の武器が入ってきた。それは会津戦争にも使われたとなる。会津は山国でも新潟は日本海に面して交通路なり古代からすでにこうして流通があった
ともかく戦争になると人間の残忍性があらわになる。それで明治維新でもヤクザが戦争に参加したとか残虐なプリゴジン隊とか犯罪者が受刑者はが最前線で戦うというのと似ている。また会津戦争で女性がレイプされ残忍なことが行われた。今もロシアでウクライナ人をそうしているということでもわかる。戦争というものはそういうものでありそれが繰り返されているのである。日本の戦国時代も乱取りがあり同じだった、だからカルマなのであるかつてしてきたことがまた繰り返される。戦争もやはり終わることなくあり残忍なことがくりされる継続される。まさに人間の業でありカルマなのである。つまり人間からこうして。カルマは消えることなく継続されるのである。そして最後にハルマゲドンなのか、人間は滅亡するのである。
●榎本武揚の蝦夷共和国とは

(3) 天皇率いる新政府軍に戦いを挑んだ旧幕府軍がつくった国【蝦夷共和国】 - YouTube
会津戦争はすでに百年以上過ぎているがそれでもなお長州藩の萩市と友好関係が結べないのである。それだけ恨みが残ったとなる
その傷痕は深く消えないのである。その悲劇が会津を象徴するものとなったのである。この武家の婦女子までが残忍にま殺されてしまったからである。
いずれにしろ明治維新から日本は国際政治に巻き込まれ否応なく戦わざるを得なくなったのである。だから300年の鎖国の時代は終わりついには第二次世界大戦に巻き込まれ3百万人も死んだとなる。必ずしもグローバル化とかはいいものでもなかったのである。貿易だけならいいのだが実際はそこで対立して戦争になり大きな犠牲を払ったのである。
江戸時代、300年はアジアでは戦争もなかったでもヨーロッパと大陸では絶えず戦争が行われてきたのである。ヨーロッパとロシアの戦いは江戸時代でも行われていた。それが今もうウクライナで継続されているのである。
奥羽道中 榎本武揚
鮮血留痕舊戦袍 壯圖一躓氣何豪
松陰凉動羽州道 白雪天懸鳥海高
鮮血(せんけつ)痕(あと)を留(とど)む旧(きゅう)戦袍(せんぽう)
壮図(そうと)一躓(いっち)して気(き)何(なん)ぞ豪(ごう)なる
松陰(しょういん)凉(りょう)は動(うご)く羽州(うしゅう)の道(みち)
白雪(はくせつ)天(てん)に懸(かか)って鳥海(ちょうかい)高(たか)し
囚われの身となった今、私のこの軍服は過去のものとなってしまった。
この軍服にはあの戦いのときの血の痕が生々しい。
私は蝦夷(北海道)共和国の独立を内外に宣言した。
しかしその建国の壮大な企図は躓(つまず)いてしまった。
しかし私の心は少しもくじけてはいず、ますます意気盛んである。
私は今囚われの身として奥羽の道を歩いている。
その道に松の木陰から涼しい風が吹きぬける。
ふと見ると鳥海山には白雪がかかっていて、山は高く聳えている。
榎本武揚の蝦夷共和国は夢と消えた。この蝦夷共和国とは。実際は、東北列藩同盟と一体化するものとしてあった。現実に会津戦では新撰組も戦ったいたのである。旧幕府軍が会津藩を中心に薩長軍に官軍に抵抗したのである。この連合が強固なものとならず敗退したのである。 ただ東北という地域はもともと蝦夷であり化外の地として古代からあった。だからその延長として蝦夷共和あった。北海道新天地として新しい国を作ろうとしたということは理解できるのである。何か北海道には何回も言ったから親しみがある。北海道は東北と違ってその地を踏んだときから何か空気まで違っているのである。
だから意外と外国でも北海道は相当に人気がある。これもやはり北海道は日本的でなくその風土も違っているからである。田んぼがないということがそうである。清新の気がある大陸的である。だからこそそこでクラークとかが指導して内村鑑三とかが生まれたのである。北海道には確かにアイヌはいたが恐らくアメリカのような手つかずの大地が広がっていたという感覚であった。そこにも確かにインディアンがいたが土地は広大であり、未開だったのである。東北は会津でも古代からの歴史があり北海道とは違っていた。でも明治維新の時。東北、北海道が一体化した蝦夷共和国という発想は理解できるのである。
またプロイセンとかドイツとなるとロシアでも北方の風土であり。でありそれは北海道に似ているのである。北方的な気候であり森林でもエゾ松トド松とか北方的なものがあり寒いから高山植物でも平地に咲いているのである。それで本州とは違っていて魅力がある。田んぼでなく牧場の風景だということもそうである。だからドイツ的なものロシア的なものマッチしてくるのである。日本は沖縄から北海道と南国から北国の植生がありそこに変化がある。だから旅してても飽きないのである。中国などは満州でも果てしなくとうもろこし畑であり変化がないからである。日本は狭い国だけども。その風土でも地形でも変化がある国である。
2023年07月11日
会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ (姓が語る福島県の歴史ー新妻、松本、只野)
ここで佐須となっているのは飯館村の佐須と同類なのか、というのは飯館村の佐須には山津見神社がありそれは安曇氏系統のものである、会津にも大山祇神(おおやまつみのかみ)の神社がありこれは海洋民の安曇氏系統だからである。会津は山国だから焼畑がやはり行われた。佐須とは焼畑のことだからである。それは安曇氏系統が入り始めたとなる。
(おおやまつみのかみ)とはやまつみであり飯館村の山津見神社と同じなのである。つまりいかに日本というのは海洋民の安曇氏が広範囲に入り拓いた地かを証明しているのである。
だからなぜ会津が信州とかと結びついていたのかというと 山伝いに来たのかとなる。吉備と関係したということは?どういう経路でそうなったのか?吉備はは瀬戸内海であり、瀬戸を根拠としており。そこからどういう経路で会津まで達したのか?日本海から阿賀野川を使って会津に入ったということもある。
毛野氏族の分布 毛野は吉備の分流であることが分かってきている。毛野氏族の姓氏・分布など・・・
茅渟(ちぬ)地方・・・起源地である。和泉(いずみ)国の沿岸の古称。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯。
摂津・河内 (磯城・葛城)→近江→北陸道(能登)→信濃→毛野地方(上野・下野)に到る経路をとって、畿内から東国へ勢力広げた。
https://minowa1059.wiki.fc2.com/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%81%AE%
E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3
南相馬市鹿島区の浮田国造があり。それは毛野氏系統なのである。原町の泉かんが跡は海側にある。最初は山側が古くそれで毛野氏の勢力が伸びてきた、真野という地名は浮田より新しい。浮田神社が常磐高速の鹿島のSAに祀られた
だから浮田の範囲は山側に広いのである。また縄文中期の遺跡が飯館村に発見されたから山の方が古いのである
海側はあとから発展した、それは太平洋は波も荒く交通路になりにくかったからである。
2023年07月10日
加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る (団塊の世代を語る―加治氏も同世代)
加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る
(団塊の世代を語る―加治氏も同世代)
●戦後の世代の特徴
最盛期には、不動産にも何十億と投資していました。
そんな時、バブルがはじけて不動産価格が急落。
資産が吹き飛んで、倒産しました。
今思うと、あの頃は何でも思い通りになるとどこか傲慢になって自分を過信してしまっていたのですね。
日本に帰国後、アメリカと比較して日本の不動産市場のおかしなところを纏めた書籍を出すことになりました。
これが、メディアにうけてテレビ番組に出るようになったのです。
これが、今の作家の活動に繋がっているのです。
一人の人間を見ることは難しい。その人がどういう人なのか知ることは簡単にできない。でもその人と何か共通点があるとわかりやすいのである。例えば世代が同じだとか産まれた地域が同じだとか同じ興味があるとか同じ専門だとか何か共通点があるとそこからその人間を推し量る。私の場合団塊の世代であり加治氏と同じ歳なのである。だから言ってることに理解できるし共感をもつのである。
【団塊の世代】1947〜49年生まれ
戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っただ中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。
【バブル世代】1965〜69年頃生まれ 50−60代
日本がバブル景気に沸いた企業の大量採用期に社会人となる。「24時間戦えますか?」と高らかに歌う栄養ドリンク剤のテレビコマーシャルが大ヒット。長時間労働に疑問を持たず、接待会食、接待ゴルフ、接待麻雀など、勤務時間外も仕事の付き合いで縛られるのが当たり前のこととして受け入れられて
【就職氷河期世代】1971〜82年頃生まれ 40−50才
バブル経済がはじけ、長期の景気後退局面へ突入。企業が求人を絞ったために正規社員として就職できず、契約や派遣などの非正規の仕事しか得られなかった人も多かった。運よく正社員として就職できた人も、入社早々から業績悪化、経費削減、リストラの波にもまれたために、危機意識が強い。
いた。
戦後では、この三つの世代が目立っている。その数も多いからである。団塊の世代だった私たちの世代は共通したものを持っている。それはあまりにも数が多くて教室すら確保できない状態だった。加治氏も一クラス70人だったというからそういう時代だったのである。
それで高校でも数が多くて入れないとかになり受験競争になったのである。その時私は勉強に興味もないのにしていたのでいやだった。また必ず試験が何度もありその成績が順位でもって学校に張り出されていたのである。その経験は全国的に同じだったのである。そういうことをすると同じクラス、学校でもクラスでも他者に対して何とか抜きん出ようとして競争しよう煽ることになる。でも数が多いから椅子取りゲームになっていたのである。 この競争は数が多いから氷河期世代まで続いていたのである。だから、これらの世代の人は何かと他者に対して競争心が強く自分が上だと言うことを示そうとする。
ただ、加治氏が意外だったのはアメリカに渡って不動産業で成功したもの人だと思っていた。でも実際は失敗していたのである。帰国してから作家となり、ある程度成功したとなる。
●団塊の世代の子供時代、数が多く熾烈な競争を強いられた
人間を見る場合。学歴から見る人が多いが実は人間は経験によって作られるのである。だからその人を見る時、どんな経験したかをみることが大事なのである。何々大学卒とかみてもその人をわからない。ただ外国に留学して外国で学んだ人は価値があると見る。で採用するときもその職歴を見るとわかるし何も職業を経験していない人は採用などされない。自分等は職歴が何もないから会社に勤められないのである。まず採用などされないからである。
学校にも適応できなかったしもちろん会社にも適応できない。だからただ自由に旅して学び終わったのである。そこに大きく欠けたものがあったのである。ただ自分ひとりで個性を伸ばし個性に合ったことをしてきたからよかったのである。それは家族に恵まれた結果だったのである。
とにかく加治氏の場合アメリカで実際に仕事をしてきたということはその経験が大きい。日本で仕事をすることは相当に差があるからである。ただその時代不動産業には適していたのである。高度成長時代に。アメリカの土地がニューヨークでも買い占められると当時アメリカが騒ぎ日本を敵視したからである。今になると日本が中国に土地が買われるということと似ている。 それが今の日本になると信じられないともなる。あまりにも日本が失われた30年があり落ちぶれてしまったからである。
そして目立つのは氷河期世代でこれも人数が多いから大きな問題となったのである。でも当時は自由な働き方であり非正規は時代の働き方として推奨されていたということもあった。ただ、私は社会から離れて暮らしていたからそのことはよくわからなかった。何か時代というのは人生というのはあとから振り返ると見えてくるのである。だから老人になると過去を振り返り明確に見えてくるものがある。それで老人は昔を語るのに向いているのである。
ただ加治氏の育った環境と私の育った環境は似ているが家庭環境は違っていた。これは8人兄弟なのか?末っ子であり粗末に扱われたのである。父親には何かというと殴られたという。そういう時代だったのである。それは学校でもそうだったのである。学校でも先生が平気で殴ったり廊下に立たせたのである。平気でそういうことをしていたのである。それができたのは実際は家庭でもそういうことをしている。子供は厳しくしつけたほうがいいということで容認されていたのである。それで殴られたとか近くの先生だった人を恨んでいた人がいたのである。
だから別に親は何も言わなかったのである。今でも同世代の母親は厳しくした方がいいと言っているの。何故ならその時女性は親に殴られたり、先生に殴られたりされないからそうなっていたのである。こうして同じ世代だと共感することがあり話が分かるのである。
●教育環境が悪かった時代
そして何度も言っているけどその人も勉強する個人の部屋などなかった。だから子供部屋おじさんなども団塊の世代にはなかったのである。何か家で勉強できるようなものは何もなかった。私の家は店屋であり子供の時から絶えず配達をさせられていたので。私の父親は明治生まれで酒屋の丁稚であり。だから私も丁稚のようにされていたのである。
でも戦前でも戦後まもなくは子供はそうして働いて親に尽くすものとしてあったのである。戦前になるとそれはもっと厳しいものとなっていた。今外国から働きに来る人は貧乏であり親に仕送りするために親のために働いているのである。そういう時代があったということである。
その様子が変わったのは、高度成長時代に入ってからである。それでもわからないのは高校まで東京オリンピックの時蒸気機関車に乗って原町の高校まで通っていたことである。これがどうしても信じられないとなるのでは?
とにかく時代というのはは急速に変わる。昔からも三日見ぬまの桜かなとなる。3日であっという間に桜が咲いたということである。3日も見ないうちに満開になってしまった。それが中国である。十数年前いやもう20年まえのか中国に行ったときは物価は、日本の1/10であり貧乏な国だったのである。それが新幹線のようなものまでが走り、日本より豊かな人が1億人でも増えればそれはもう全く違った国になってしまったのである。このように時代の変化は大きく忽ちまた過去がわかりにくくなるのである
私は加治氏の著作物には関心が無かった。一冊も読んでなかったのである。でもユーチューブで話すことを聞いて、興味を持ったのであるだから人間は本だけがその人を知ることでない。その人全体を語るのは本だけではないユーチューブとかブログでも語れるようになったことを知った。これらのメディアは個人が制限なくいくらでも語れるということである。テレビとかに出てもほんのちょっとコメントするだけだからである。その人の全体像というのは見えないのである。テレビでは主役は司会者なのである。そしてコメンテーターは司会者であり喋れるということもある。あくまでも主役は司会者なのである。でもユーチューブは主役はその本人なのでその差が大きいのである。
ただ加治氏についても分からないことはなぜアンティークコインが投資にいいのかとかは理解できない。そもそもアンティークコインことなどあることすら知らなかった。 加治氏は北海道の札幌出身である。だから、海道のことは詳しいはずだがあまり語られていない。その辺に不満はある。つまり、その人がどこに生まれてどのような家庭環境で育ちその後どういう経験をしてきたか?それはやはりその人物形成に大きく影響しているからである。、私は常に自分の出身地のことを東北地域と福島県と相馬地域のことを語り続けているからである。
とにかく人間はその人の経験したことがその人を作る語るにしてもその人が実際に経験したことが訴えるのであるそこに経験の重みがある
ただその経験はグローバルでありそれは本を読んでしたものではない。経験で知ったものだからである。経験が人間をつくるのでありいくら本を読んだとしても外国のことなどわからないからである。私も50歳からバックパッカーとして外国を回ったことが経験として生きてくるのである。それまでは全く外国に行ってないから恥ずかしいことを言っていたのである。それで加治氏の経歴はやはりほかの人は違ってそこに語るべきものを持っているということである。
しきりにいう思考脳とかっていうのも理解する。それで暗記教育の学校教育を批判していることも共感する。加治氏の場合は既に小学校からそういう態度であり思考を持っていたことに驚く。私はただ言うなりになっていたし、自分で考えることなどしたことなかったからである。でも何か疑問にもつことがありなぜ人間は死ぬのだろうとか追求し考えてその解答を求めて求道していたのである。
いずれにしろ一人物を知ることは難しい。ただ、同世代であり時代を振り返ると見えてくるものがある。でも戦前の戦争を経験した人を理解することは非常に難しくなっているのである。頭の中で戦争というのは考えてもわからない。だから私の母親は学もなかったが軍人は威張っていたというとき戦争の時代はそうなると言うことをその一言でもわかる。それは実際に経験した人が言ってからであり、本で読んだ人が言ったって実感わかないのである。だから実感というのは大事であり。実際にこの目で見たもの経験したものがその人を作るのである。
そういう事が今ユーチューブとかで語られているから今までの一方的なテレビとは違っている。青山繁晴のフランスの暴動がなぜ起きたか?アフリカの植民地だったアルジェリアとかその人たちがフランス語を喋るのでフランスに来ている。その経済格差が大きいからフランスに移民するのである。そこで差別があり暴動になったのである。その生々しい肌感覚でそこに行った人が語るときなるほどと思うのである。それがただ本などで実際に行ってもいない人が語るとき訴えないのである。だからいかに外国で生活した経験が有益かわかる
生活したとか仕事までしたということがその経験がその人を作るということである。
(2) 【ぼくらの国会・第554回】ニュースの尻尾「仏暴動 明日の日本」 - YouTube
●日本の歴史伝統を否定するのは問題
加治氏はにキリスト教徒でもない。でも愛を語る最も大事だとして語っている。 愛がなければ思考のも育たないとしている。実はこの愛というのは愛される愛ではないのである。キリストが教えたのは愛する愛であり、愛される愛ではないのである。それが誤解しているので大方の人はただ愛されたい。そしてなんでもいいからものでも何でももらいたい。そういうのが愛であり、宗教だと見ているのである。そこに大きな誤解があるのである。なぜなら人は何も与えたくない。ただ与えられたい、もらいたい、愛されたいしかないからである。そこに宗教に対する大きな誤解がある。もしそうだとしたらみんな宗教を避けることになる。何ももらえないとしたら与えるだけだとしたらいやだとなるからである。
また加治氏は日本の伝統のことを否定するのがすべてアメリカから入って来たものはいいものではなかった。キリスト教でもその国に入ったとき必ずその国の伝統とマッチして発展したのである。だから仏教でも中国に入ったとき中国的な仏教徒なり。韓国には入いった時、韓国的な仏教となり、日本に入った時、日本的な仏教となったのである。その国の歴史伝統がありそれにマッチしたものとして受け入れたのである。もしそれがなければその宗教も生きてこないのである。それを証明しているのはカトリックはフィリピンとか南米とかに入ったキリスト教はただ押し付けられたものとなり。その国自体の歴史、伝統ととマッチしたものとならなかったのでそこから日本のように仏教文化とか生まれなかったのである。そのときあった伝統的なものは根こそぎ破壊されたからである。
日本だったらキリスト教でも内村鑑三などは士サムライであり武士道に基づいてキリスト教を受け入れたのである。また神道を尊んだ手島郁郎でもそうである。 そこにもやはり見習うものがある。でもその国の歴史と伝統にに基づいてキリスト教も受け入れられたのである。
でも日本の戦後というのはそういう歴史と伝統を根こそぎ失われたということもある。その結果として、日本というのはもはや日本ではない。日本というのは、日本人はすでにアメリカ人になっている。加治氏は日本人ではなくアメリカ人なのでそれを今の日本人はみんなアメリカ人になってしまったのである。なぜなら日本の歴史伝統というものは否定されたり理解できないものとなっていたからである。
そこに良い物があってもアメリカのものはいいものとされたこともある。だからこそ日本というのは本当にアメリカと似ている似てくる。アメリカで起きてくることは日本でも起きてくる。なぜなら日本というのはアメリカのコピーだからそうなるとアメリカの悪い点もまた見習うことになりそれが現実化しているのである。ただ金だけを求める日本人になったからである。すべての価値は金に換算される。金にならないものは何の価値もないとなってしまったのである。それはアメリカ人に習ったからそうなったのである。アメリカに留学した内村鑑三はそう言っていたからである。でもそのときはまだ日本人的なものを伝統歴史が生きていたのからそうなったのである。だから日本の歴史伝統を否定することは問題なのである。
もちろんアメリカにならうことはありそれは否定できない。結局、アメリカの悪いとこも真似て日本も全てがアメリカ化して今日があるとなる。そもそも今?日本人が何なのかということすらわからない。なぜならみんなアメリカ人になってしまったからである。
この人はまさに日本人だなという人は見ないだろう。依然として明治時代の時は内村鑑三のよう侍の伝統は生きていたのであろう。だから明治は偉大な時代だったのである。それは日本的歴史的伝統が継続されて血肉となったものがありそこにキリスト教を受け入れたから日本的キリスト教となり活きたのである。南米ではそこには歴史伝統となるものはなく根こそぎ破壊されたりしてキリスト教は接ぎ木されなかったのである。そこに戦争に負けたということで歴史伝統も破壊されるということがいかに影響が大きかったかということである。
2023年07月09日
情報戦争時代で判断できない (情報は権力を持つ者によって操作される)
情報戦争時代で判断できない
(情報は権力を持つ者によって操作される)
●情報過多で判断できない
現代はグローバル化して情報も膨大になっている。するとその情報が何なのか知る事自体が難しくなる。そんな能力が人間にはないからである。 一個人では判断できなくなる。
そのことは原発事故でも起きたし。ウィルスでも起きた。また、今はウクライナ戦争でおきている。原発事故放射線のことなど素人には分からない。ウイルスもわからない。ウクライナ戦争でもこれも理解するのは難しい。なぜなら必ず原発事故でも安全だという御用学者がいてマスコミでも宣伝費をもらっているから、それに与する。だから専門家が正しい情報を与えるかというとそうでもない。ではどうして判断するのだろうか?
専門家すらわからないことを素人がどうして判断できるのか? ただ、正しい判断をしないと原発事故となり自分たちの住んでいる所にも住めなくなる。実際に住めめなくなった。だから判断できないからといって誰かに判断してもらい任せるということは危険になる。
貯金には利子もつかないし株をしなさいと言う物価も上がり貯金しただけでは目減りするから。でもこれもまた難易度が高いのである。奨める銀行員すら全くの素人だったからである。。証券会社の人が来ても同じである。
要するに銀行でもまず銀行の利益を考える証券会社でも同じである。まず手数料を取ることを考える、私が経験した事では別にインデックス株というのはわかりやすい?安い時買って高い時売ればいいだけである。それを長期的に見れば儲かる割合が大きくなる。だからリーマンショックの時、半分になった株でも元に戻りそれから倍以上になったのに驚いた。
でも銀行では勝手に元に戻った時売ったのである。それは銀行では転売して手数料を稼ぐことで儲けるからである。頭の中にはその手数料を稼ぐことしかないからそうなる。つまり人間はみんな自分の利益だけを考える。それは会社でも同じである。会社の利益になることが自分の利益になることだからである。 そこに必ず問題が起きてくる。
また。カルト教団でも教団の利益になることが自分の利益になるから奨めるのである。人を救うとか関係ない自分たちが儲けることである。
●人間はすべて利益を求めている―公平を求めていない
教団の利益になり会員が増えて権力化してそれでさらに利益を得ることしかない自分の利益となるから運動しているだけである。
人間はそもそもみんなそうして利益を上げることを日々の活動にしている。それをみんな咎めることはできない。それがまた全部悪いということでもないからである。誰も利益にならないことはしない。それでただより高いものはないというのはそのことである。これは本当に?そうである。人間は無料でただでやるとき何かをしてやるときでも高いものになる。 誰も見返りが無く、無料では何もしてくれない。それをするとなる時、暗黙のうち返って見返りを要求しているのである。 だから人間社会は何々してもらったらいくらいくらと金で明確に決めてそれであとは払わなくてもよいとしているのである。でも無料でするときいくらでもいいですよというときそれは最も高いものとなるから、そういうことわざが生まれたのである。
ともかく人間社会はこうして。毎日自分の利益を求めて働いている。そしてそれ相応の利益を得なければ働かない。それは別に悪いことでもない。働いた分の金を利益をもらえるのは当然だとなる。
だから個人でも会社でも自分たちの利益を優先するしそうしなければ何もしない情報も教えないのである。 でも本当に真実を見極めるとしたらその利害にかかわらないことかもしれない。2人が争っている時一人から金をもらったりしていたら利害関係があったら公平には見られなくなる。でも原発事故でも安全神話が作られたのはそこに政治家マスコミでも巨大な利権となり利益が得られるからそうなったのである。危険を言う人もいたがそれは無視されたのである。
情報というものも必ず操作されているのである。原発で安全神話が作られたのも政府であれマスコミであれ御用学者であれそれらが一体となって操作されたからである。つまり何らかで利益と結びつかないことは、この世にはないとなる。だからこそ無料になる時。それはかえって高くつくのである。誰も無料では何もしないからである。それは当然だとなる。でもなぜ判断が誤るのかとなると必ずこうして利益と結びつき利権となりそこで判断を誤る。 神が偏りみないと言う時公平になるのは利益とか利権にと関わらないからである。だからこそ公平になれるので、人間社会では利益にかかわるから公平になりいないのである。 だからこそ情報自体が真実でもなく科学的に正しいとか正しくないとかでもなく利益利権によって左右されるから学者でも原発は安全だと宣伝していたのである。
●ウクライナ戦争の情報も欧米側に偏っている
それはあらゆることに当てはまる。コロナウイルスにしても医療関係者や医者の利権となるとかで正しい情報が出ないということもあった。本当に何が危険なのかもよくわからなかった。そこで儲けたのはワクチンを売った外国の薬剤会社でありまたコロナウイルスで巨額の金が医療関係者に病院に医者に出たのである。コロナウイルスでも収まるより収まらない方が金になるとなり。コロナウイルスの危険を大きく言うともなる
ウクライナ戦争でも9割ぐらいは欧米の情報でありロシアが悪いとなりロシアが不利となりロシアは滅亡するとか言われ。でもごくわずかであるが1割ぐらいはむしろウクライナが悪いのでありウクライナはもう戦争続けられない。それは欧米からの情報だけに頼っているとそうなる。ウクライナが勝っている欧米側の情報に接することが多いからである。
要するに公平に判断するのはとにかく利益と利権と関わらないことである。となれば公平に見られる見れるということになる。アメリカは戦争国家でありアメリカはウクライナに入って戦争をするようにしかけた。そういう見方もある。これも全て否定できない。だからこそ。ロシアのプーチンは反発したのである。 アメリカが全て正しいとはならない。それは日本との戦争でも同じであり。アメリカは正しいから戦争に勝ったということではない。アメリカは戦争国家であり何か言い掛かりをつけて巨大な力で圧倒してし敵を潰してきたことは確かなのである。ただ、日本では負けたから。アメリカに逆らえないというだけである。
だからアメリカが欧米が全て正しいとはならないのである。戦争にしても別に正義のために戦うというわけではないからである。自分たちの権益を権力を拡大したいということがありそれが戦争の原因だったからである。だからそこに戦争に正義を持ち出すことは危険なのである。アメリカは何も正義の味方でもなんでもない。軍産共同体があり戦争はないと失業するとか何か利益と関係してるからそうなる。ただ、ロシアはまた正しいということにもならない。 情報とは必ず一方的になりやすい。客観的公平に判断できないものとして情報がある。
●情報は権力を持つものによって操作される
結局情報を操作できる者が判断をするのでありそれは権力と関わっているのである。NℍKでもその判断は幹部がしているのである。だから、重要なことでもその報道されないこともありその判断は幹部がしているのである。つまり情報自体に公平がないのである。権力が権力を持つものは情報を操作できるようになっている。第一テレビなどは一個人が出て報道させてくれたといってもできない。新聞でも。雑誌でも。本でもそういうことがある。
ただインターネットだとプログとかいろいろ簡単に個人でも発表できる。そこで公平にはなっているが。ただあまりにも数が多いからそこで目立つことは至難である。だから数の中に埋もれて。重要なこともまたわからなくなるのである。これまではマスコミに出ればその内容はともかく。それで有名になりことが出来たのである。
どうして公平に判断できるのか?これが情報社会の大きな問題である。情報が莫大に増えてもそれでさらに混乱して判断しにくくなる。
でもどうしても大きな権力を持つ者によって組織に団体によって情報は一方的になりその見方は偏ってしまう。だからアメリカは欧米がウクライナ戦争でもウクライナが有利であり勝っていたという情報が多く欧米側の見方になる。でもロシアの方が実際は勝っていてウクライナは窮地に立たされているという人もいる。それもまた判断しにくいのである。
グローバル化はさらに情報は膨大になり判断しにくくなる。それでフエクニュースにだまされる。アメリカとイラクの戦争でも一羽の海鳥が油まみれになっていたがそれは一羽だけであり周りは油にまみれになっていなかったのである。それはアメリカによって作られた映像でありそれが世界中に放送されて世界の人が起こりをおぼえたのである。それはアメリカによって操作された情報だったのである。だからアメリカも信用できないのである。
●人間は公平に見れない偏る
いずれにしろ、どうしたら公平に判断できるのか?
それが大問題である。 何故ならその情報によって人は行動に移す。それが戦争にもなり何千万人と死んだということもある?戦争も情報戦争になるからである。でもその正しい情報を。知り見抜けることは非常に難しいのである。ここに現代のグローバル化情報社会の問題がある。
人間はこれだけ広い世界を知り得ようがない。そこで必ず判断が誤る謝るのである。 そもそもグローバル経済の株式などは?上がる下がるとか景気がよくなってるとか悪くなってるとか常に両方の見方がある。それを判断できない。あまりにも巨大な世界になっているからである。そんなものを。知り得るものはないと思う。だから人間は今日膨大な情報に接して接することができてもどれが正しいかなど判断できない。つまり無力感に苛まれているのである。
人間が五感で感覚的でしり得る範囲は狭いので、この狭い範囲なら実感として判断できる。でもグローバル化となると、あまりにも広すぎて判断などできないのである。それ人間にはやはり知り得る範囲は狭いものでありその中アイデンティティ化して一つのミクロコスモスの中に生きる。そこではつながりが明確であり。判断もしやすいとなる。それで民主主義でもギリシャだったら1万くらいのポリスで直接投票で決めていたからである。それが百万も票を取らなければ当選できないとなれば
もうただ頭数を集めるにはどうするかとなる。創価でもカルト宗教団体でもただ頭数を会員を集めるのことが日々の活動になる。個々人がどんな人間なのかなどは関係無い。罪とかなんとかそんなものは全く関係ない。その人がどんなあくどい人でも別に構わないのである。一票になればいいだけである。そこに民主主義も限界生きているのである。限界にきているのである。一票など投票しても。社会は何の変化もない。
ただ、そこには。無力感だけがある。それで投票などしたくないのである。すでに組織団体表で決まっているからである。一票など何の価値もないのですべてが。頭数をそろえる。あらゆる場面で数で決まるのが今の政治である。田中首相が言ったように金と数字がすべてなのである。そして規模がグローバル化して誰もそれを見通すことができない。株でも突然暴落したり。天災のように突然破たんしたりする。
●独裁者に従いファシズムになりやすい現代
それはもうその前に経済など見通すことができないからである。 そして最悪はナチスのようにファシズムとなる。ヒットラーは選挙で選ばれたのであり合法的に選ばれたからである。それでもナチスとなり。ファシズムとなり、全体主義となったのである。それはもうとても判断できないということから起きてきたのである。その規模も巨大化して。判断できない。すると誰かが。ヒットラーでも独裁者が。生まれてその独裁者によって人々は導かれ地獄へ堕ちてゆく。
カルト教団の教祖が神のように祭り上げるその人は偉大だからではない。人々はそういう偶像作り上げているのである。その偶像があって何百万人の人間が?一人の。教祖にひざまずき集団として組織としてまとまるのである。カルト教団に共通していることは?軍隊組織なことでもわかる。いちいち個人には対応できない。だから権力を得るには数を集めることだから、一人一人のことなどどうでもいいのである。所詮一票にすぎないからである。
そして数を集めれば権力化して政治化して支配できるということになる。
そこでマスコミでもその巨大な権力にさかろうことはできなくなる。 裸の王様を指摘したのは子どもであった。子供はただありのままを言っただけである。でも王様は権力をもっているからそれにへつらいみんな何も言えなかったのでこのように何か権力を持てばそれが嘘でも人は従うのである。つまりこの世は権力によって情報でも必ずゆがめられるのである。すると正しい判断はできなくなる。これが原発事故で安全神話が作られたりいろいろと情報でも判断できずにそれが大きな災いとなるのである。
神が偏りみないと言う時いかなる利害と利益ともかだか関わらないからできるのである。公平に見ると言うことは?それが条件となる。でも人間は何らか?必ず利害関係があり。それで?情報でも。公正なものもなく一方的になるのである。そして判断を必ず誤るのである。
2023年07月07日
野馬追い迫るー南相馬市、鹿島区に旗が立つ (霊山城から落ち伸びた南朝の只野氏一族)
野馬追い迫るー南相馬市、鹿島区に旗が立つ
(霊山城から落ち伸びた南朝の只野氏一族)
ノウゼンの通りに咲きて野馬追の旗の立つかな風になびきぬ
菊の紋二つそろいて坂のぼる南朝の末裔誇らしきかな
菊の御紋は南朝の旗であり只野氏と菊池氏の旗でありわかりやすい、南北朝の争いは日本全国に深い傷痕を残した。
なぜなら明治天皇は南朝であるというのもそうである。南朝こそ正統とされたからである
秋葉神社は多田野村から霊山城が炎上し落ち伸びた時にもたらされた神社である
だからふるいとなる。最近その子孫で神社を守っていた人は死んだ
野馬追の旗が町に掲げられた。 野馬追は旗祭りでもある。その肌の紋様は3000とか多いので。そのは他の文様もう皆違っているのでそれが気になるのである。それにも謂れがありそれを全部知ることはできない。
鹿島区だと霊山城から落ち延びた郡山市の多田野村に発する只野一族が先祖となっている。だから鹿島区は50人くらいの只野の姓の人がいるのである。この多田野氏は杉の紋様である
三輪山神社(大神神社)神紋『三本杉』と『三つ鱗』 | 毎日の積み重ね (ameblo.jp)
三輪山は山自体が御神体であり。山に向かって祈るのである。その中で杉は千年とかの樹齢ものものもあり神聖なものとされたのである。
縄文杉などがそうである。それは木材として利用されるものとは違っている。自然のままの木なのである
野馬追の旗印を知るには相馬市がこの地を支配した相馬氏は馬を操作することに長けていた。それで騎馬軍団を形成して強かったのである。それで伊達氏とも戦ったのである。
相馬氏の領地は最初は小高に来てそこに城を築いた。だから最初の中心地は小高なのである。その後浪江とかに拡大したのである。
でもその中心地域は相馬市。南相馬市(鹿島区。原町区。小高区)になる。宇多郷(相馬市)、北郷(鹿島区)、中の郷(原町区)、小高郷である
それで神社の旗は三色旗は小高神社ー太田神社(原町ー中の郷)ーそして宇多郷(相馬市)となる。原町区の雲雀が原に神旗争奪戦でこれらの郷が結集するのは壮観である。その前日に北郷で宇多郷から殿を迎えて合流するのである。
相馬野馬追は歴史の再現であり野馬追には武家の出でないと行列には出れないのである。勝手に誰でも参加できないのである。
相馬藩の特徴は主君が代変わりしても相馬氏であり変わらなかったのである
。
三春城を築いた田村氏は、三代80余年で終わり、その後、伊達政宗の勢力圏に入りますが、やがて田村全域が会津領となり、三春城は、本城若松の支城のひとつとして城代がおかれるようになりました。
城代(主君に代って城を守り、命令を伝える者)や城主も目まぐるしく変わりました。
やがて江戸時代になり、正保2年(1645年)秋田地方に勢力のあった、秋田実季の子、俊季が五万五千石で三春城の城主となり、以後11代約220余年間にわたって、奥州三春藩として徳川幕府外様大名として幕末まで続きました。
相馬藩の場合はこのように城代が変わらなかった、相馬氏によって受け継がれてきた、それは日本の歴史ではめずらしいのである。それで相馬藩政記は記録として貴重なのである。一貫して相馬藩の継続した歴史を記したものだからである。それで学者も参考にしているのである。
そして今も野馬追には相馬藩の殿様の子孫が大将となって野馬追に出るのである。つまりまだ殿様が現実に活きているとまなっているのである。殿様を家臣一同迎えるとき再興に盛り上がるからである
とにかく野馬追は旗祭りでもある、でもその旗の由来を解き明かすことは至難である。霊山で北朝に敗れて落ち伸びた只野氏は歴史としてわかりやすい、その他はわかりにくいのである。そもそも旗の由来は鎌倉時代とかにもさかのぼるから解明できなくなる
でも野馬追は忠実な歴史の再現であり勝手に由来も明確でないものは出れない、勝手に旗も作れない、先祖伝来の旗生とかっ甲冑を身につけて参加できるものだからである
ただそこにどうしても全員地元の人でも参加できないから盛り上がらない、そもそも野馬追に出る家は限られている、500騎出たとしても全体からすれば極一部になるからである
ただ歴史の忠実な再現だから変えられないのである
だからそもそも地元の人でも限られたわずかの人しか参加できあないとなればそこに限界がある。ただ見ているだけではつまらないとなる
そこで地元の人たちでも何か盛り上がらな理由がある
野馬追い関係の記事
http://musubu2.sblo.jp/category/701974-1.html
世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間 (見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)
世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間
(見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)
貧困大国ニッポンの闇|中退、パチンコ、ジャンクフードが希望になる理由(室伏謙一×鈴木傾城)
https://www.youtube.com/watch?v=ZxPid10E4J4
【エルダリーVS 若者】世代間問題は身分制度による分断統治の現代版だ。政府、メディアの「対立分断政策」に騙されるな!-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=YqISZU63Tvk
●見えない貧困
人間は年齢が十年違うと世代の差が出てくるだからなかなか下の世代のことは理解できないし上の人の世代の人のことも理解できなくなる。
なぜなら団塊の世代というとき私たちの世代は戦後の焼け野原から始まった。そのときはまさに焼け野原になり、何もなくなってゼロから開始することになったのである。みんな貧乏だったのある
貧富の差はなかったのである。家にあるのは飯台一つである。電気製品など一つもなかったのである。それはみんな変わりなかったのである。
むしろ農家は家で食料があり卵でも鶏を飼っていたから食べられた。また納豆とかも。油とかまで。自家生産だったのである。
みんなこうして貧乏だという時。かえって住みやすいということもあったかもしれない。何か引け目を感じるということもないからである。みんな貧乏であればそうな。
今の貧乏が隠されて見えないというとき貧乏というものは何かわからなくなったのである。でも実際にそういう貧乏な人は増えている。だからこのユーチューブで語られることを私はそういう貧乏な人と接して理解したのである。
その人はタバコを吸っていた。女性なのに吸っていただからやめられないのは絶えずストレスになっていたからである。金に追われてその日ぐらしになっていたからである。だからそのストレスを発散するためにタバコをやめれなかったのである。でも脳梗塞になりたばこをやめた。タバコは血管に悪いものであり、それが脳梗塞の原因になったともみられる。
とにかく日本が貧乏になったという時その貧乏が見えないものとなっている。だから貧乏人はどこに居るのか?貧乏人というのはどういうものなのか分からなくなっているのである。別にぼろを着ているわけでもないし見た目でわからない。ただ市営住宅などに住んでいれば貧困なのかと見る。 ただまともなものも食べられない。それでジャンクフードを食べそれが体に影響している。医者に行くと栄養を摂りなさいと言われるが今は食料品も高くて買えないのである
●職業の相違で互いに理解できない
世代的には戦前世代があり、戦後世代がある。戦後世代はすでに80から85以上の人であり少なくなっている。団塊の世代の親は?戦争を経験している。だからその語ることが。重みがあった。何か別に知識人でなくてもその経験した重みがあったのである。なぜなら、戦争というのはあまりにも特殊なことだから理解できないからである。人が殺しあうということなど理解できないからである。だから今ウクライナ戦争でプリゴジンという民間の傭兵隊が官僚に対して戦場に来て戦ってみろという言葉を吐いたが。そこに重みがある。命がけで戦っているからである。 そこでバタバタと仲間も死んでいるからである。でもそれがいいのかというとそうでもない。なぜなら自分の母親が戦争を経験したが一番威張っていたのは軍人だったと言っていたからである。
それで今でも墓に二等兵とか上等兵とかその軍隊の位を記した墓を見る でも今になればその墓に注目する人がいるだろうか?戦争とは異常な状態のことでありそこで人間の価値も変わる。プリゴジンは凶悪な犯罪者でありまた受刑者を戦場に出したその数も多いことに驚く。でも戦争に向いているのは、人を平気で殺せるような人なのである。そんな時代が良いのかとなれば、とてもそうは思えないからである。 でも戦争の時は軍人が一番活躍して偉いとなっていたのである。
ただ、平和な時でも。価値観の対立は必ずある。現場で働く人たちブルーカラーがいるがその人たちは何か事務員などは楽だと見る。もちろんまた学者なども尊敬しない。何故ならその人たちは、高いところに登ったり、危険な仕事をしているからである。それで私も大工さんにお前はただ椅子に座って本読んでいるだけだとと言われたのである。ある意味でそういう人たちを軽蔑しているとまでなる。
それも一理あるわけである。ただ金融関係に勤める人で金を右から左に移して巨額の暴利を貪る人がいる。それもまた同じであろう。なぜそのそういう人たちがそんなに金が入るのかと命がけで現場で働いている人は不満になるのは当然だとなる。
ただ、事務でも知的労働でも頭を使うから結構疲れることがあるでもそういう人たちにはそれを理解できないのある。その価値も理解できないのである。だからここに職業によって、互いに理解できないことがありそれが協力できないことにもなるのである。
●世代間の差や氷河期世代の問題
それは世代間の差でもあり、世代が十年年齢が違うと理解できなくなるので氷河期世代とは何かということが分からなかった。何か自由に非正規として働く事が良い事のように見られていたのである。だから今になって非正規の人が多いからそれが貧困化している。そのことがわかったのはこうして時間が過ぎて分かるのである。人生もまたふりかえれば老人になってわかることが多いのはそのためである。
40歳後半から50くらいまでは氷河期世代になる。そういう人田舎でも結婚してないたいがい結婚しているのが普通だからである。でも40後半から50くらいまで結婚していない人が多いことが最大の特徴でもある。団塊の世代だったらもう結婚しない人は例外的存在である。社会的不適応者となる。私自身がそうだからである。 だからこそ、少子高齢化社会になっているのである。独身世代が本当に多いのである。そしてその人たちは貧困でありその日暮らしのようになっている。正社員になれないからアルバイトのようなもので稼いで年をとったのである。スキルも身についていないとなる
ともかく世代間の差も大きいし職業の相違も互いを理解できなくさせる。現代はさまざまな職業があり、その種類も多く互いに意思疎通させることが難しくなっている。そこにまた世代間の差か男女の差とか地域の差とか色々あって人は理解しにくくなっているのである。
それで人をまとめるときは個々人に対応することはできない。ナチス的一方的な強制であり軍隊組織にしてまとめるのでる。カルト教団などはみんなそうである。なぜならそこは参謀とか隊長とか軍隊組織だからである。それはカルト教団だとみんな同じなのである。
だから一見平和団体のように見せているが。実は武装すれば、それはすぐに軍隊になるのである。だからこそオウムでも武装していたし他でも創価などでも実は軍隊である。会員に武器を持たせればそれは軍隊になるのである。参謀とか隊長とか組織なのどだからそうなりやすいわけである。だから、それは本来の宗教とは何の関係もないのである。それは宗教を掲げていても容易に簡単に人を殺せと命令されれば組織に人を殺す軍隊と化すのである。
いずれにしろ、今日本が貧困化しているということは大きな問題である。 貧困化しているからこそ氷河期世代が結婚もできなかったということもある。そして大学に上がるにも借金して奨学金をもらって大学に上がっている。でもその大学もFラン大学とか三流大学が多く果たして価値あるものかどうかわからない。まず文系などは独学でもできる。むしろ自分は大学を卒業してから勉強したからである。大学時代はほとんど勉強してなかったからである。それも失敗だった。理系なら価値があるが文系は価値はない。独学できるからである。今ならインターネットでいくらでも。独学できる時代になったからである。
でもなぜ氷河期世代が、大きな問題になるということを予知できなかったのか?それは会社とか政府の都合でそうされたともなる。それが今になって大きな問題となったのである。何か非正規は自由な働き方であり奨励されてもいたのである。実際は政府とか会社の都合で良い様に使われたとなる。それで政府とは会社は良かったが大きくさらに全社会の問題として考えれば。今になるとそれは大きな損失となったのである。
ただ不思議なのは戦争で日本が焼け野原になってもそれが必ずしも悪いものでもなかった。確かに犠牲も多かったからそのことは問題である。でもそこで既得権者が財閥とか解体され小作が土地を得て農業は発展した。だから一見悪いようなことでもそれがのちに良いものとして働くこともある。ただその時代時代にその中で生きているとその時代が見えないのである。今になって非正規のことか氷河期世代のことが話題になっていることでもわかる。その時は見えないのである。そこに人間の問題がある。人間は個々人でもそうだが、集団でも個々人でも先が見ることができできないのである。だからそこに大きな過ちが生まれるのである。それで求道にしてもそうである。
若きうち神をしれ
それは20代で神を知らなければ知ることができなくなるという恐怖である。でも20代はの飲めや歌いや恋愛だとかで、心も身も奪われて終わる。あっという間に青春は終る。でも20代でだいたいその人は決まる。そからこそ大卒、新卒は会社では重要になる。20代でその方向が決まるのである。女性でも同じである30過ぎるとおばあちゃんとか言われるようになる。そして35になるとなかなか出産もしにくいとなる。だから婚期のことをうるさく親は言うのである。それは男性にしても同じなのである。20代でだいたいその人は決まってしまう。それから先がいくらでもあるじゃないかと言うがそうでもない。あっという間に40代になり白髪も入ってきて50となり60となってしまうだからみんななんでこんなに早く時間が過ぎてしまったのかと老人になると思うのである。
現実自分自身にしても何かしようと思ったけれども、何もできずに終わったのである。自分の場合は文学を追求してきたのである。その他でも何かやろうとしたが、何もできなかったのである。ただちょっと試したというくらいで、なんにもできなかったのである。それだけ時間が過ぎるのは早いのである。そして一番無駄にしてるのが時間だったのである。それで非正規の人もう50ぐらいになるともうその時間が取り戻せないのである。何かしようとしても身につけようとしてもできないのである。そして。人生も終わりとなってしまうのである。
二等兵は内地等で教育中のことが多いので、戦地にある兵卒はそれまで上等兵と一等兵のみであるのが原則であった。ところが、1937年に始まった日中戦争の長期化に伴い、現役満期(通常の陸軍徴兵は当時2年)即日再召集される場合が増加し、古参一等兵や古参上等兵が増加し、人事運用上の不都合が生じるようになっていった。そこで、上等兵の上に兵長を設けた。
2023年07月06日
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科学技術は万能ではない (地球はもう増えた人類を養いないー人口が減り森が回復する)
持続可能社会というとき例えば子供の時水道がなく近くの家の井戸水をもらっていた。それは60年前以上である。そこの水が。依然として出ていた。この辺は原発事故になり。水すら飲めなくなった。でもそこの放射性物質を検査してもらったら飲めるという。それで飲んでもでもいいからと言われて今その水を飲んでいる。地下水絶えることなく水を供給するのである。夏だとその水は冷たいのである。だからこそスイカなどを井戸で移動で冷やしていたのである。その井戸水は今になると貴重に思えた。それはすぐ近くにあり絶えることなく水が出てた出ていたということで持続可能社会のSDGsの見本でもあった
井戸の水は絶えることなくあり飲めど飽かないのである。その自然の恵みは絶えることなく持続可能社会(SDGs)の象徴だったなる
2023年07月05日
日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか? (2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)
2023年07月04日
記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)
記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)
岩と霧その名の良しや東菊
忠実な臣下や妻や東菊
霧晴れて様々の花現れぬ一時見しも霧また覆いぬ
●東菊(あずま菊)の由来
アポイ岳は花の山として有名である。様々な花が咲いている。高山植物を低山で見れるから貴重である。そこに登ったのだがその記憶も曖昧となってしまった。それでいかに記憶というものが大事なのか、これでもわかる。何を見て何が印象に残ったのかを記憶されていなければそこに行ったともならなくなる。なぜかアズマギクというのを見たのを覚えている。それがそれを覚えていたのは実は実物からだけではなく後から調べて東菊(アズマギク)というのはあるのを知ったからである。それは霧の中に紫色に咲いていた、小さな菊である。図鑑で調べてみてもそのアズマギクは色がもっと紫色で濃いものとして見ていた。
だから必ずしも写真で撮ったものと記憶が一致するということでもない。なぜならそれは名前から記憶されていたからである。だから意外と名前というのは大事なのである。名前から人でも植物でもいろいろなものが想起されるからである。エデンの園では人の仕事は様々な植物でも花でも名前を付ける事だったのである。他にも地名に興味を持ったがこれも地名という名前からその土地の状態を想起する。 そこに地名の効果がある。地名一つから様々なことが想起される場合があるからである。電車の旅だと駅名が記憶されるのである。
最初、私は電車の旅をして地名に興味を持ってそこから地理とか地形とかに興味を持つようになったのである。 もし地名とかがなければ、その土地のことを記憶する手がかりがなくなる。 それで人間にとって名前が大事な物となる。人の名前でも名前からその人を記憶するからである。名は体を現わすなのである
それでアズマギクというときやはり東というのが印象的に残る。あずまというときそこから吾妻と言う地域を連想するからである。それは歴史的にも東というのは関ヶ原を境にして東になるからである。そこはまた古代では蝦夷の地域だったともなる。
あずまの語源は?
この「あずま」という言葉は碓氷峠から東、群馬・関東の方を見て日本武尊が「吾嬬(あずま)はや……」と言ったのが語源だそうです。 「わが妻はもういないのか」と言う意味 日本武尊が関東を平定し、信濃に入ろうとしたとき、碓氷峠から関東平野をかえりみて愛する妻を偲んで言ったのだそうです。
東は我が妻のことなのか?それが地名化したのか?でも何か不自然なものにも思う。別な説として安曇族が東になったという説もある。あずみがあずまになった。なぜなら思った以上に安曇族の痕跡が多いからである自分の住んでいる場所にも綿津見神社と山津見神社が多い。それは安曇族の痕跡なのである。 最初、安曇族は東北地方に入り開拓したのである。それで吾妻山と言うのが福島県にあるともなる。ただここに妻をあてているからヤマトタケルの神話が影響している
とにかく、日本の歴史は西が最初に繁栄して次に東が繁栄したのである。 鎌倉時代に関東武者が鎌倉に幕府を置いた。その時から東が日本の中心になってきたのである。東を治めなければ。日本は治められなかったのである。 征夷大将軍の名は東を征服することだからである。その名は東を制服するということで家康の時代までそれは継続されていたのである。このように花の名一つでも地名でもその土地の歴史とか地形とか様々なものが想起されるのである。
●秀吉の一夜城に行った記憶
走り来て三日月光る一夜城
長良川西岸の洲股(墨俣)[2]の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城である
旅の経験として秀吉の木下藤吉郎時代の美濃との戦い一夜城を築いたことは有名である。私はその一夜城に向かって自転車で走ったのである。実際に夕暮れになっていて一夜城に着いたときは三日月が光っていたのである。
一夜城とは夜をとうして城を作ったからそう名付けられた。まさに私自身がそこまで自転車で走ったということで一夜城と一体化したのである。それが車で行ったらそうともならないのである。藤吉郎もその時走っていたからである。
ただそこが流れ河の洲の俣ー墨俣にあるとわ思わなかった。細い小川のような水路に沿って走っていたからであるでる。長良川の岸辺の水路だったのである。このように地理というのも実際に行っても一回ぐらいでわわからないのである。でもそこを走ったということが体で記憶されていたからこうして思い出しているのである。
まずここを車で行ったりしたら、このように記憶されないのである。だから車は便利でも意外と記憶されない。旅の記憶とならないのである。要するに鉄道であれ車であれバイクであれ便利なものは旅をしても記憶されない。一番記憶されるのは歩いた旅なのである。私自身がこれほど旅をしても歩いた旅はしていないのである。つまり歩いて大地を踏みしめて人間の五感で感じる旅を今している人はいないのである。例えば西行小夜の中山の歌は歩いたからこそできた迫力ある歌だったのである。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山
この小夜の中山は万人に強い印象となって記憶されたのである。もう今になればそんなところ車で通り過ぎれば感じもしないのである。このように記憶されるということが大事なのか分かる。記憶されなければ後で振り返ることもないし印象に残ることもないし。何も残らないとなるからである。車のない時に歩いて。作られた歌でも俳句でも今になると作れないのである。今は車の騒音にかき消されて実際は旅しても何も残らないとなるのである。残ったのは騒音だけだったとなってしまう。つまり人間の五感が。活かされない時代になったなったのである。