2023年07月31日

なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)


なぜ新聞が読まれなくなったのか?

(新聞社に勤めていた人も読んでいない)

●それぞれの住んでいる場からの報道はできる時代

新聞社に勤めていた人さえ新聞を読んでいない。今日はリンクの機能がないから一つの記事について深く知ることができない。いろいろな記事が新聞に出て一覧性があるということがあったが、返ってそれが不便なのである。新聞というのはいろいろ手間とお金でかかりすぎるのである。新聞という紙面の作り方にも問題があった。

それはどうしてなのだろうかと思うと社会は人間は空間軸と時間軸で必ず起きている。そこで何か起きたとしても空間軸と時間軸で必ず見る必要がある。ところが人間は空間軸でも。狭い範囲でいつも生活している。すると例えば福島県でも何が起きているか?自分の住んでいる場所なら。わかるのだが。他だとなかなかわかりづらくなる。それは気候とか違っているからである。福島県だとハマナカアイズに分かれている。そして会津となると山国であり、その風土も浜通り相当に違っているのである。それで会津のことはなかなかわかりにくいのである。福島県といっても知ることが難しいのである。

だからこれが東北地方とかでも広がるとなかなかわかりにくくなる。つまりまず事件でも何か問題が起きた時どこで起きたかということが問題になる。だから何か起きることがTake placeなのである。場所が問題なのである。場所とは空間軸でありでもその空間軸も広いのだから分かりにくいのである。
もう一つは時間軸として事件も起きているのである。なぜなら何か事件が起きるとしてもそこに歴史というのが必ず知る必要がある。歴史という時、大げさなものでなく例えば家族があったとするとその家族も時間の中で形成されている。その時間でも親から祖父母からその前の先祖まで関係していることがある
実際、事件というのは何かそうしてカルマが関係しているのである。その家に積み重ねられたカルマは事件として現れてくるのである。だから事件でも突然起きてきても時間軸で見ないとわからないので。それは世界で起きていることでも同じである。ウクライナでなぜ戦争が起きたのかというときまず空間軸でみる。それは比較的わかりやすい。でも空間軸でもウクライナというと、ロシアというとてつもなく広いのである。延々として森が広がっている。それを日本からすると理解しにくくなるのである。そして時間軸で見るとさらに難しくなる。それはそれぞれの国に歴史がありだから問題がまた起きてくるからである。 

●空間軸と時間軸で理解する

新聞が衰退したのはマス(大衆)を相手にしている。マスコミという。何千部も売るとしたらとにかくそれだけの人数を相手にするとなるととても深く見ることは伝えることは不可能になる。その土地から離れて空間軸から離れて。ただマスコミは大衆を相手にする。それでニュースでも解説でも空間軸と時間軸で理解できない。突然。事件が起きてそれを報道してもすぐには理解できないのである。

でも狭い地域だと自分の住んでいる場所だとある事件が起きればその土地と結びついてまた、時間軸で見るから理解することがある。 ただ、その土地、土地に住んでいても。時間軸で理解することは非常に難しい。その土地に100年前、200年前、300年前にどうだったかなど理解することが難しいからである。ただ、狭い地域に住んでいればその土地のことを肌で知っているから理解しやすいとなる。 

現代の情報環境は前とはあまりにも違ってもうマスコミを相手にしていない。そのツールとしてパソコンやスマホが生まれてさまざまな情報に接する手段を得たからである。マスコミは何千万人も人を相手にしているのだからそれができない。福島県でも広いからその土地、土地のことをすべて報道することはできない。地方新聞にしてもその範囲が広いのである。また、一つの事に関心を持っても新聞だとリンクして深掘りできないから読まないと言う人もいる。それはインターネットとかで一つのことに関して深く知るということができるようになったからである。 

やはり報道するにしても狭い土地ならその土地のことを知っているから知りi抜いているからできる。空間軸でも狭い土地でもその土地全体を知るということもまた難しい。
例えば、相馬地域でも飯館村も相馬藩内であった。でもその土地ときこうでも飯館村だと平地寄り500mも高いとかとなり夏は涼しく冬は寒いとなる。その感覚的なことがわからないのである。特に私は車がないから自転車でゆくから、その感覚を肌で知るっているのである。その土地を知ることはやはり肌で知ることである。そこに車で行き来してもわからないことがある。福島県が暑いとき35度とかになると言う時私の住んでいる相馬地域はそうはならない。なぜなら海から風が吹いてきてそれが涼しいからである。

福島市は盆地でありそこで熱風は吹くとなる。それで自転車で夏に福島市の方から峠を越えて浜通りの方に出たとき涼しい風が吹いてきてほっとしたのである。なぜならそのとき熱風が盆地の方になると吹いててきていたからである。こうして。風土のの違いがありそれを遠くからはなかなか理解できない。そのことがその土地に対して何か起きても分かりにくいことなのである。それで原発事故があったとき丁度、3月11日頃海から東風が吹くのである。その風が山の方に吹いて飯館村とか、福島市まで放射性物質は大量に流れたのである。それは風の影響であり季節的な影響があり、不運だったのである。

このように、その土地のことを理解しないと何か事件が起きても問題が起きても理解しにくいのである。福島県でもハマナカアイズと広いから理解しにくい。浜通りだと福島市とか郡山市がある。中通ですらいつも阿武隈山脈高原にさえぎられていてまったく見えないのである。だから地理的に一体感を感じられないのである。むしろ仙台が交通的にも近いから仙台の方に一体感を感じるのである。まず会津となるとほとんど地理的一体感は感じない。あれほど2000m級の山々がひしめいていることで地形的にも全く別の世界なのである。この辺で高い山は鹿狼やまであり400メートルしかないからである。

地理とか風土とかは、そこに住んでみないとなかなか理解しにくい。冬になると常に雪が積もる。世界と海側のほとんど雪も降らない地域とは相当に違っている。そこに生活する感覚も相当に違っているのである。 

●新聞の構成も時代に合わない

ともかく新聞だとリンクしたり時間軸で深掘りすることがなかなかしづらい。でもプログのようなものでもリンクしたり関連付けたりできる検索できるからである。私の記事は膨大でありそこで調べようとすると難しくなる。でもリンクしたり検索窓から調べるとその一連の記事に関連したものは読める。だから深掘りできるのである。

だから誰でもできるプログのようなものでもその効果は本当に大きいのである。ただ正直私のプログはいまだに。SLL化してないしワードプレスもできないから何かもう一つ宣伝効果もないし問題がある。だから技術的な面でもっと読みやすいものに、作り直すことが必要になる?。ホームページも持っていたがそれも今はしてない活かされていない時間もなくなったせいである。家事に追われているからいろいろなことができないのである。今はコメントすらしてない。一つの記事を書くだけで結構大変なのである。そして写真とることで手間になるる。動画を試してみたが。これも手間でありなかなか出来ない。ここにやはり一人でやる。限界が出てきている。

でも一人だけ金もかからずこれだけできることは?今までにありえないありえなかったことである。毎日新聞を出している感じになるからである。 今やこれが自分の仕事である。金にはならないが仕事なのである。それで苦しいが暑かったが雲雀が原に野馬追のことを報告するために無理して行ったのである。記者でもやはり危険な場合がある。危険な場所にも行くことはある。それで取材で死んだ人もいたのである。ただ、仕事には常に危険がある。工事現場とか大工さんでも危険な仕事にもなる。だからただ、文章を書いて楽机に座っているだけで楽だとみられるが。記者となると、やはりそれなりに危険も出てくる。海外を取材するとなると、さらにそう危険である。

いずれにしろ、私自身がプログに書くだけでジャーナリストとはどういうものなのか、記者とはどういうものなのかそういうことを理解した。 仕事と言うのはなんでも実際に携わって見ないと理解できないのである。それで無人駅のボランテアをして案内をしていて鉄道に詳しくなった。乗客であるだけでわからないことを知った。。鉄道のことは理解できない。駅のことについても理解できない。でも実際駅で案内していただけで駅のことを理解したのである。

それで仙台方面に行くホームと磐城に方面に行くホームが意外と分からない人が多かったのである。そのことをいつも聞かれたので駅長にその事を言って分かりやすいように支持する看板を作ってもらったのである。これはそこに勤めていない限り分からない事だったのである。ただ、サービスを受ける側になっているだけでわわからない。その仕事に実際に携わると肌で理解するのである。でも実際は仕事には簡単につけない。だから多くの仕事があっても実際は理解してないので。仕事の苦労など外から見ていてもわからないからである。

だからその土地に住んでいる人は、その土地のことを報告することは有利である。とてもさまざまな土地のことについて。知りえないからである。またあらゆることについて報道できない。そんな専門的な知識など誰も持ってないからである。でもその土地に住んでいれば。原発事故が起きたとき私自身が理系では無いから放射線のことなどまるでわからなかった。でも事故が起きたとき海から東風が吹いて山の方に流れて飯館村などが大損害になったということは理解したのである。ほかの人はそういう土地のことがなかなかわかりにくいからです。だから地元の人が。報告することは、ほかの人より有利なのである。

●インターネットに変わられるメデアの変化

新聞の問題は配るだけ金かかるし新聞紙にも金がかかる。それは既に前時代的なものになっているのである。でも記者とかはジャーナリストという仕事はなくならない。それは簡単にみんなができるものでもないと思った。あることについて報告するにしてもそのことについて何か深く知っていなければ出来ない。まず相馬地域を報告するにしても、その土地について住んでいて深く知っていなければ。報道できないのである。

いずれにしろ新聞社とかはもうなくなる。テレビでも観なくなった。情報環境があまりにも違う変わってしまったからである。でも、あまりにも情報が溢れると今度はその情報はスモッグのようになってしまう。Facebookなどを試しにやってみたがそれはただ、世界のことは次々に写真とか動画で流れてくるだけであり。その情報の関連性がないのである。ただ、まだそれも使いこなせていない。インターネットでもいろいろなものが出てきてもなかなかわからないし、使いこなせないのである。そして動画を出してみたがそれは簡単にできない。でもその動画を編集することが面倒なのでそれをまだ出来ていない。その辺に一人でやるのは限界がある。でもこれだけの者を一人でしているのだからその。変化が大きいのである。

一人一人が新聞社になり出版社になりテレビ局にもなっているからである。この変化は大きいのである。ただ、そこで膨大な情報がスモッグのようになって肝心なものは読まれないと見れないとなるやはりくだらない刺激的なものが映像でも観て大衆化してくる。どれだけページビューを上げるとか見れるとかで金になるとかなってしまったのである。

だからインターネットの情報でもそれはもう大衆のものであり大衆的なものが受けて数ですべてが図られる。その価値が決められるのである。それが金になるということでその金のためにyoutubeとかを下らないものでも大衆向けに出しているのである。だからなんであれ大衆を相手にすると堕落するのである。カルト宗教もただ大衆を相手にしか数だけを集めているから堕落しているのである。そこに高貴なものは何もない。唯一数を集めて権力化することが目的化してしまったのである。インターネットでも広告を出して金を儲けようとするユーチューバーもいて問題になった。それは常に利益優先となり大衆化して堕落するのである。

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ)
(アイディンティティは場から形成される)

イラク戦争で油にまみれた海鳥を世界に放送してそれが嘘だったのである。回りは別に油に汚されていなかった。世界になるとこうした場のことなどわからないぁら騙されたのである

2023年07月30日

今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた (野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)


今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた


(野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)



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相馬の殿様はここではまだとのさまである

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なぜナマズのはたなのじゃわからない

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街中をつつじの赤く御行列



夏の雲湧き上がるかな旗取りて家の誉れと坂駆け上る


雲の峰高くなりけり暑しかな旗取り争う雲雀が原に


雲の峰一つ崩れてまた一つ湧き上がり高く雲雀が原かな


打ち揃う金の団扇に流山真夏の日さし輝きにけり


蝉の声今し鳴くかな旗取りに誉れを得てそ帰りなんかな




●380騎で維持できるのか


今年の野馬追に出たのは380機だった。何かこれは最盛期で500騎出ているから少ないと思った。野馬追は規模が小さくなると迫力がなくなる。380騎と500騎では相当な差がある。こんなに少なくなったのか?それはやはり津波や震災原発事故で小高区とか住めなくなり出る人が少なくなったからかもしれない。だから野馬追でも本当に維持できるのだろうかという疑問がある。少子高齢化でもありなかなか難しいかもしれない。

 

そして野馬追が維持できなくなるというときそれが歴史の保存であり変えることもできないし付け加えることもできない。となるといずれはさらに規模が縮小して見劣りして魅力がなくなる。だから確かに歴史の保存として維持することも必要なのだがもう一つ何かみんなで誰でも参加できるような仕組みを作らないと維持できないようにも思う。歴史の保存ということで、価値があるのは野馬追ではある。でもそれだけで維持できるのだろうか?

 

だから380騎となると何か迫力に欠けていた。そして神旗争奪戦でも出る人は?少なくなっている。なぜなら競馬とか神旗域争奪戦になると相当に馬に乗る訓練をしていないとできないからである。そのためにそういう準備をする人できる人は少なくなる。馬を乗りこなすということは容易でないからである。だから馬に乗り馬を乗りこなすようにしていないとできない。ただ行列ぐらいは参加できる。でも神旗争奪戦とか競馬になると相当に馬を乗りこなすことができないと参加できないそれをできる人は年々減っていくだろう。

 

●野馬追には費用がかかるー馬を飼っているため


馬を一年野馬追のために飼っておくことは相当な手間であり、金もかかる。30万から50万かかるというとこれは結構な負担になる。車一台を持つぐらいの金かも知れぬ。ただ、こうして馬を飼って日常的に馬に乗っていてこそ競馬とか神旗争奪戦には出ることができる。競馬となるとさらに熟練が必要になる

だからの馬を歴史の保存として祭りを伝えていく必要である。でもそれだけでは今や保存もできなくなるかもしれない。

一つは野馬追は馬が主役になる。今馬というのは競馬場でしか見ることもできない。馬のことがわからなくなったのである。だから野馬追というのはもう一つ馬に親しむということがある。また馬は好きな人がいる。ただ、それは。競馬を好きな人が馬を好きなので競馬に親しんでいるとやはり馬を見ているから馬はどういう馬か知っている競争に勝てる馬をみているからである。馬に詳しいのである。でも日頃はほかでは馬というものは見ないし馬に親しむこともないのである。

 

馬はもともと農耕馬としてあり曲屋で一つ屋根の下に飼って家族のようにしていたということもある。それで娘が馬と結婚したとかそういうことにもなる。子供でも馬を飼っていると犬や猫のように。ットのように親しむからである。それは確かに精神的にいい作用はある。今はみんな機械時代であり機械と親しでも生き物と親しむということが少なくなった。生き物と親しむということはやはり情感を育てるのである。だから精神的に子供に影響して情感豊かな人に育つということもありうる。

 

●神社は戦の神にもなる

 

ともかく何か380騎だと迫力に欠けていた。神旗争奪戦はもっと少なくなって迫力に欠けていた。ただ相馬野馬追の太鼓を聞いて盛り上がった。太鼓は外に響く力強いものを感じる。日本は太鼓はもとからあった。何か進軍するとき太鼓をたたいていた鼓舞した。神社は戦勝を祈願するものでもあった。

 

だから武田信玄の映画で巫女や神主の神主などが先頭に立って。戦う。神社はまだ戦いの神でもあったのである。だからこそ太平洋戦争では必ず村の小さな社でも戦の勝利を願うものでもあった。ある。寺は?ない寺にはないでも寺町とかあるとそれは防御のためにあったらしい。つまり戦国時代ともなればやはり寺でも。地域と一体となり守らねばならないから、そうなった。

 

ともかく。相馬野馬追とは300年続いて維持されてきた。相馬藩では殿様は変わっていない。国代えがない、それで相馬藩政記というのが殿様も変わらず300年継続しているのでそほかの人が学者でも参考にしているのである。記録としてやはり優れているからそうなった。

 

●小高の御家の旗は北郷から今年は出なかった


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今日もとにかく暑かった。でも何とか報告するために行った。これが金にならないが仕事になったからである。夏の雲が雲の峰となって高くなっていった。また別な方向に雲の峰は高くなった。野馬追の時はこういう風景が似合っている。広々とした雲雀が原に小高郷、中の郷(原町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)が主に結集する。それに加えて浪江参加する。ただ大熊や双葉まで相馬藩なのだが主流はそこになる。


それで前は鹿島の北郷から御家の旗印が出ていた。それは今年は小高から出たのだろう。旗取りには出ていた。でもその小高の人が震災後鹿島区に移住して御家の旗でで出ていたのである。でも今回は出ていな。おそらく小高え出たのだろう。歴史の保存というとき本来そこに住んでいた侍が別なところに移住して住むと歴史が別なものになってしまう。

 

だから歴史の野馬追が歴史の保存というとき人の移り変わりが移住などが多いと成立しなくなる。先祖代々のものとして伝えられる。でも相馬藩では天明の飢饉などの時に三分の一も人口が減った。その穴埋めをしたのが越中からの移民なのである。その人たちは別に侍でもない。でも1/3も移住したということは影響が大きいものだった。

 

越中から移民した人たちはわかりやすい、墓地を見れば必ず墓に戒名はなく南無阿弥陀と記されているからである。

でもその人たちは野馬追には出ない、鹿島区から只野氏が菊の紋でで出るのはもともと南朝の侍でありそれで相馬氏に組み入れられた。南北朝の戦いで霊山が炎上して落ち延びた。人たちであり元々武士だったからである。

 

いずれにしろ380騎では規模的に迫力にかけて野馬追も維持できるのかとなる。でも歴史の保存にこだわれば何か変えたり付け加えたりできない。するとどうしても維持できなくなるかもしれない。だから何か工夫としては震災大津波で空き地化したところが多い。そこはもう田畑にはならない。するとそこを何に利用するのかとなる野馬追があるからその広い土地を牧場などに利用すれば適しているとはなる。ただ、牧場にするにしても競馬馬飼うということになるかもしれない。

競馬場で働くようになった野馬追に出ていた家の人がいたからである。

 

●野馬追太鼓が盛り上げた


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今年は野馬追の太鼓がよかった。戦いを鼓舞する太鼓だったのだろう。それが響きわたった時気持ち良いものだった。太鼓の音はまた太鼓を叩く人は何か近づ力強いものを感じたからである。そういうことで何か祭りに新しく付け加えるものが必要なのである。でもそれが歴史の保存にこだわると必ず拒否されているのである。もちろん歴史の保存は必要なのだがそれに付け加えるものがないと維持できなくなるかもしれない。それが380機しか出ないということで今回感じたのである。

 

なにか野馬追には付け加えるものが必要である。相馬流れ山の歌は軍歌である。でも太鼓でも踊りでも何か付け加えないと盛り上がらず維持できなくなる。歴史の保存にばかりこだわるとそうなる

それで遠くからきた人も野馬追は一回見て終わりだなる

 

とにかく暑かったがどうしても取材しなければならないので行った。何かプログでも記者のようになる。だから苦しくても取材に行かないとならなくなった。別に金もらっているわけでも強制されているわけでもない。ボランティアの記者になっているから無理して行ったのである。熱いのは暑かったがそれほどバテなかったので取材できた。 ただ」写真はもうまくとれてはいなかったのは残念だった。



posted by 天華 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2023年07月29日

北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式


(野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


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総大将も只野氏である

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蝉鳴いて年に一度の御行列



一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要


一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな


北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな


法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ


北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず


街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな



北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。


野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。


でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。 


北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。 

その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。

ただ杉の旗印はわかりやすい。


その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?


でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。



posted by 天華 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2023年07月28日

田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた


田んぼの畦道でシロチドリを発見!

何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた

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クチバシは短く、大きな目で餌を探していて、干潟にしばらく留まっては、さっと走り出して餌をつまんで捕らえます。

目のまりが黄色なのも特徴か、南相馬市で発見

真昼にそ海風涼しシロチドリ

真夏の夜稲妻強烈月光る


シロチドリに間違えない、目の回りが黄色の写真もあった
これも絶滅危惧種ともなっている。赤モズもそうだった
田んぼの石ころの乾いた道に発見した
ここは津波以後田の拡大化の工事をしていて石を敷いた
海岸は津波以後砂浜が減少してわずかになった。前からも砂浜は減少していた。
この鳥は砂浜の小石を何個か集めて巣をつくるとある。ということはここが田んぼの中の道でも何かこの鳥が好む場だとはなる


ツバメが1年に2回繁殖し、雛を巣立たせるのを見たことはありませんか? このように、1回目の繁殖を順調に終えた親鳥が、2回目や3回目の繁殖を試みることが、小型の陸鳥を中心に多くの種で知られています。スズメは1年に3回繁殖することがありますが、仮に1回あたり6羽の雛を巣立たせるとすると、一夏で18羽も子孫を残せることになります。

一方、海鳥の繁殖は1年に1回限りです。オオミズナギドリやウトウは、どんなにうまくいっても、1年に1羽ずつしか子孫を残せません。海鳥は、親鳥が卵を産んでから雛が巣立つまでに長い時間を要するのです。
しまぐに日本の海鳥(7)海鳥に絶滅危惧種が多いわけ−海鳥の独特な繁殖生態−

この辺の海は津波以後松原もなくなり防波堤になり風力発電の風車になり木陰がなく休む場所がなくなった。海が近いから風は涼し、でも今年の暑さはきつい、体がぐったりと疲れる。だから外に出にくい、熱中症にもなる、何か異常な暑さである。

夜に急に雷鳴が鳴った、そして稲妻が光った。雨が降ると思ったら降らない、雲ににじんで月が光っている。これも暑いので見慣れない風景にもなる
やはり異常気象なのだろう、赤モズも見つけたがこれも絶滅危惧種とかになっている。やはり生態系に異常がきたしているからだろう。
田舎だとこうして野鳥などを観察するのにいい、今日はうまく写真が撮れた。

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2023年07月27日

相馬市立谷家の歴史 (廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊


相馬市立谷家の歴史


(廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊

)


江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。

立谷するが分業して、「材木」「米」「雑貨」「海産物」および

その他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。

天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。


原釜は東廻航路の湊と名を高めていた。

 立屋の資産は五十万両とも六十万両ともいわれ現代(平成)に積算しました金額にして、三十〜三十五百億位ともいわれております。江戸時代前、中期の金銭価値、物価高にすると?世人之人は立谷長者と言って

西の紀国屋文エ門・・材木商(江戸時代中期の享保六年(1721年の江戸の大火で材木を買占めて江戸に材木を高値で販売して一代にして大富豪に豪遊の末に財産を失ってしまい没落してしまいました。)     

東の立谷 立屋・・・材木商、廻船物問屋

https://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/4a34e7eb1383aac75754bcf22fbaef6d


天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。




このブログは?何かよくわからない。でも相馬市に住んでる人なのだろう。 立谷の姓の人らしい。立谷一族の一員なのだろう。今の相馬市長は立谷である。立谷の歴史がここに書いてある。でも何かその裏を追求していてこの人は恨みを持っているようだ。


ともかくここで注目したのがこの立谷家が没落したのは飢饉があったためでありまた明治十年の宇多川大洪水があったためであった。それを生々しく感じたのは天明の飢饉で相馬藩は1/3に人口が減ったからである

その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だったのである。

それから、明治十年に宇多川大洪水があったということは宇多川の岸にそれを記した石碑があったようだ。また土手もも作ったようである。それは大洪水があったためにその土手を作ったのである。二年前とかでも

宇多川は決壊して街中が洪水になった、その記憶も生々しい


鹿島区でも自分の家でも二回床上浸水なっている。街で一番低い場所にあるからだ。他でも梁川でも水害の被害があったし丸森でもあった

だから日本は災害の国なのである。去年の大地震では相馬市と鹿島区は大被害だった。そのために家を再建することをあきらめ家を壊したい家もいくつかみかけた。


歴史を見るとき、やはり栄えた家がありその没落もありそれが歴史となっている。国自体も栄えてまた衰退して終わる。それが歴史の繰り返しである。ただ、確かにそうして一つの家から歴史を探るということはより具体的であり、身近だから歴史に興味をもつのである。



聖書でも家の物語だったからである。神に選ばれたものの人の家の物語だったのである。そして人間っていうのは自分の生まれた家に一番関心を持っているのである。特に長男は家を継ぐから家に一番興味をもつのである。


ここで興味を持ったのは家が栄えるというとき一見農家が栄えるように見えるが海に面していて意外と海を通じて商売をして栄えたのである。ただ、太平洋というのは荒いからなかなか船で航行することが難しかった。でも相馬市でも原釜が港となり商売が商売のために船で品物を運んでいたのである。その品物は主に米と材木だった。 

紀国屋文エ門みかんを運んで財を成したのではなく、材木商として財を成したのである。


だから浪江の請戸の湊からは岩手県の宮古から鉄の素材を運びそれを葛尾村(かつろう)村でで製鉄して葛尾(かつろう)

労大臣が生まれた。その財を成したのは製鉄であり米ではない。また小高には港があり蔵院があった。そこで船で運ぶものを貯蔵したり運ばれたものを貯蔵していたのである。また北海道の松前まで米を運んだりして肥料としてのニシンを船で買いつけに行っていたのである。そのとき北海道ではニシンが大量に取れたからである。それを食べるというわけでなく肥料にしたのである。肥料をなくして農業はありえないのである

それで相馬藩からは米を運んだとなる。なぜなら北海道では米はとれていなかったからである。アイヌは狩猟採集民族であり漁猟民族ったからである。


ともかく意外と忘れているのが忘れられたのは海を通じて八沢浦でもそういう記録がある。かなりの品物は船で運ばれていたのである。だから小高の塚原というところに何か商売で仕事をしていた人がいたという。その人は商人だったというのもわかる。おそらく米を売買していたみたいである。だから遠くへ米を運び仕事にする人がいたのである塚原はそういう場所だからである。津波で小高駅前まで水が押し寄せていたからである。するとそこを入江であり湾のようになった。湊には適地だたのである。


ただ、津波でそうした塚原とか小高の海の方は壊滅的打撃を受けた。その人は原町市に移り住んだのである。もう一人あった女性は越中から来た移民の人だった移民の家だった。それは海岸沿いに住んでやはり家が流された。そのために相馬藩ではう1/3が越中などから来た人たちである。相馬藩の歴史では天明の飢饉で欠け地が増えてそこに移民が入植したのである。その苦労は並大抵のものでなかった。


やはりここでも宇多川の洪水とか自然災害が契機となって立谷家は衰退してしまったのである。全部ではないにしろやはり災害というのはその家でも衰退させてしまう。津波原発事故ではこの辺では街自体が衰退してしまったからである。またこうした盛衰は交通と深く関係している。北前船が盛んなときはその寄港地となったところは繁栄した。でも来た前船が終わり運送が鉄道になった時その繁盛終わって寂れてしまったので。こういうことはどこでも起きている。交通と商売は深い関係があるからである。 


とにかく交通というのはどれだけ大きな役割を果たすか知るべきである。世界史を見てもそうである。大航海時代があったがそれによってヨーロッパに莫大な富が持たされもたらされたのである。それは海が交通路となって船で物が運ばれたからである。 米というのは江戸時代でも商品となっていたのである。そのために仙台藩では石巻から米が江戸に運ばれた。そのために仙台藩ではその米を売るために米を作る。土地を開拓しその米を江戸に売ったのである。それで飢饉の時米がとれなくなった時飢饉の原因になったのである。なぜなら米が取れなかったら他の畑でとれるものが少ないからどうしても食料を供給できなくなったからである。


米というのは商品であったのである。それは世界的グローバル化経済になるとコーヒーばかり作って商品にしているとコーヒーの値段が安くなると。そのコーヒーを作っている人は苦しくなる。そして生活も成り立たなくなる。でもその時その土地の周りをみんなコーヒーにしてしまえば食料がその土地でまかない無いから飢饉にもなるのである。そこにグローバル化経済の問題がそれは既に江戸時代でも起きていたのである。


文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人) http://musubu2.sblo.jp/article/189786921.html



posted by 天華 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2023年07月26日

芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)


芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など


(空家の庭の不思議)



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これは赤モズだった


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空家の庭




大石に鬼百合芙蓉映える庭


家数軒大石一つ芙蓉かな


夏菊のカンナに映える六号線


隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな


空家にそ老鶯鳴くや残る庭


立話海風涼し夕べかな





芙蓉と大石


どっしりと大石は黙し動かない

その前に広々とした野が開けている

すずしい風か海から吹いて来る

一本の木陰があり

ゆったりと芙蓉が咲いている

こういう風景の中で人は安らぐ

そこに人影も見えず

一本の木は静かに深く根ずき

その木は静かに大地に根ずく

白鷺は夏の日にまぶしく映えている

今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り

この地を乱すことはない

こうしてのどかな田舎に平和がある

車もたまにしか通らない

夏の雲が白く湧きあがり

鬼百合も熱く咲く

真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む






Fuyo and one big stone


The big stone is silent and stillnes

A spacious field opens up in front of it.

A cool breeze is blowing from the sea.

There is the shade of a tree

and a big hibiscus rose is blooming.

In this kind of scenery, people feel at ease.

No manl to be seen there

one tree is quiet and deeply rooted.

Here, one tree and one big stone have taken

your own place and are at ease

The egrets are dazzling in the summer sun

Today, still neatly scavenging for food with its slender legs

And never disturb this land

There is peace in this tranquil countryside

Cars pass by only once in a while

Summer clouds rise  up white

The  wild tiger lilies bloom  with strong passion

The scorching sun of midsummer burns and finally sets




Translated with DeepL


今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?

何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。


鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。


ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。 


ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。

そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。



ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。

だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。

なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。


私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。


精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。

7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)


このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである

ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない

だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである

現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった

心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった

だから政教一致は危険なのである。


2023年07月25日

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも

(人間は先を見ることができないから失敗する)

●団塊世代の学生時代

なぜ今になって氷河期世代が問題になるのか?その時就職難でありまともに就職できない人が多かった。高校生ですら16%ぐらいしか就職できなかった。大学生は就職できなくても高校生は大概これまで就職できていたからである。だからよほど就職難であり就職ができないということだったのである。何かその時フリーターとかはモテもてはやされ、自由な仕事の仕方として奨励されたようなことがあった。でも実際は正社員として就職できない人がしかなくてフリーターとかなったのである。そのフリーターとかを新しい仕事の仕方として見ていた人もいたのであ。 

ただ世代が違うとその世代のことが理解できなくなる。そこで戦争を経験した世代としない。戦後の世代とでは、大きな差がある。まず戦争と言うのは経験できないことであり。だから戦争を経験した人の話を聞いてもなかなかわかりにくい。その中には実際に人を殺した人もいる。だから、戦争で人を殺した経験をした人はどういうことかということを理解することが不可能になる。
だから戦前世代と戦後世代は大きなギャップがあるのである。

そして団塊世代というのは、戦争が終わって生まれた人たちである。その数は多かった。都会で一クラス70人ということもあったと聞いた。それも驚きである。私の田舎では50人くらいだったの、今クラスは30人くらいなので。でも同じ年代で8教室とかあった。どれだけ数が多かったということである。だから高校に入れないと騒いでいたのである。その時集団就職があり人手不足で東京の中小の工場に働いたのである。だから中卒で。親をもとを離れて働くということはきびしいことだった。

私は三流でも東京の私立大学に入った。だからそういう厳しさはなかった。第一文系の私立などは遊びの場だったのである。変なのはゼミの教授など一回ぐらいしか見たことがない。大学の先生とは何かを教えるということがないのである。講義でも自由に休むのである。もうそれがどういうことなのか分からなかった。高校とはあまりにも違っていたのである。大学の先生というのは別にを生徒に教えることが仕事ではない。自分の研究をすることが仕事なのである。だから勉強もせずにただ遊んでるだけの人がいたり学生運動がありそこで青春のエネルギーを発散させていたのである。

というのは文系などはそもそもはまともに先生がいても教えないのである。また授業に出るのも自由であり、でなくてもいいのである。そして一年に一回試験があるが。それも形式的なものであり別にそれで落第するなど無いのである。ただ千人が入るくらいの講堂に人を詰め込んで教授がマイクで講義している。そういうことに興味もない人が多いから。一日麻雀をしていたり。遊んだりあとは学生運動にエネルギーを費やしている。

だから大学というところは一体何なんだろうと不思議に思うのである。それは高校とあまりにも違っていたからである。そのギャップが大きく。一体そこはどういう場だったのかとなる。文系の場合は特に何か実験などもしないし、レポートを出すこともないし。ただ時間潰しの場所なのかとまで思った。それで変な方向に行ってしまう人がいたのも当然である。今それが今女子大学生でおきている。
だから手に職をもつこと職人でもなった方がいいとなる。職業訓練校にでも入った方がいいとなる。文系は何も身に着かないからである。これは中国でも起きている。大学生が多すぎて就職先がないそれが大問題になっているからである。

●エリートではなくなっていた大学

今貧困化しても大学に行く。奨学金をもらっても大学に行く。でも金が足りないからと風俗の方に行って稼いでいる。そしてい一体その女子女子学生は風俗が仕事なの勉学なのかわからなくなる。そういうことはすでに団塊の世代でも起きていたのである。現実にバーテンとかして働いてアルバイトしていた学生もいたのであ。すると一体何が本業なのか?学生なのか、それともそうした飲み屋とかで働くことが本業なのかとなってしまう。毎日ギャンブルやパチンコしていた人もいる。だから、一体大学とは何の何なんだろうとなる。それは特に文系の場合はそうなることが多かったのである。

その頃から大学生等も別にエリートでもなんでもない。新宿で石を投げると学生に当たると言われていたほど多くなっていたのである。戦前の大学生とは雲泥の差がある。その人たちは将来を約束された人たちであり特別視されていた。 だから周りでも何か自由にしていても許容していたのである。それは将来日本を担う人たちだったからである。それで寮歌があり選ばれた人として見られていたのである。その人たちはエリートであり将来を約束された上に立つ人だったのである。でも戦後の大学生はそういうものでわなかったなくなった。ただ、田舎では一クラス50人居ても5人くらいしか大学にも行ってないのである。後の1/3は集団就職とかにもなっていた。高卒が三1/3くらいだったともなる。高校すらまともにいかない時代だったのである。

●氷河期世代の問題の顕在化

とにかくこうして世代ごとにその時代があり、状況は違っている。それが歳をとって振り返るとそれが何だったのかとなる。明らかになる。だから氷河期世代というのもその時何があったのかわからなくなる。でもこの氷河期世代は大きな問題と今なっている。それは無視された見逃された世代だったのである。まともに正社員になれない。就職できないそのことが今になって大きな問題となったのである。

なぜなら少子高齢化というときこの氷河期世代が結婚しないということで子どもを産まない育てないということで今深刻な問題となっているからである。団塊の世代ではほとんど結婚している。結婚してない人は例外的存在である。氷河期世代というと40から50の初めまでの人口ボリュームは多いのである。特に団塊の世代の子どもになる。氷河期世代は数がやはり多い。でも結婚していない人が多い。それが田舎でも目に付くのである。

例えばコンビニで二人人働いているその人は40代くらいである。それも結構長く働いているのである。おそらくコンビニくらいしか就職先がないからそこで長く働いている。でもコンビニで働いて結婚するとなるとなかなか難しいだろう。収入もそれほどないからである。そしてそういう場所で働いて何か身につくのだろうか?そしてその人たちを見ているともう結婚もしないし将来も独身であり仕事としたら覚えるのはコンビの仕事だったとなる。
そこでその人独得のスキルが身に着くのだろうかとなる。

そして収入も少ないから年金などどれだけもらえるのがどれだけもらえるのかわからない。他にも結婚してない40代から50の初めとかの人が結構いるなと最近気づいたのである。私自身交際範囲が狭いから昼間買い物の後に行くと目に付くのはニートとかあとはこうして40代50初めでコンビニとか働いてる人なのである。

でも田舎でも現代を反映している。氷河期世代の人口が多くその人たちが結婚しないで子供を産まないから少子高齢化は深刻になったのである。でもその時将来のことを見えなかった考えなかったそれはその人達の責任ではなく上に立つ人たちの責任でもあった。政治の責任でもあった。人間の弱点は一年先でも見えないのである。日々今に追われるだけなのである。

●人間は先がみることができないので失敗する

来年のことを言えば鬼が笑うということになる。先がわからないのが人間なのである。なぜなら津波でもそうだし原発事故でもそうである。そんな大きな事故が災害のくるなど予想もしなかった。だからたとえそういう大災害がないとしても氷河期世代というのは将来どうなるのか?それをある程度見れたから対策するべきだったのだがしなかった。それが今になっても取り返しつかないものとなってしまったのである。もう正規社員にはなれない。

そしてその後日本経済も衰退して立ち直れなくなっているのである。ただ、氷河期世代の上の50代から60代の人はバブル世代であり景気が良かったのである。ただ、氷河期世代だけが割を食ったということになる。それは戦争で死んだ人たちと同じである。その人たちは不運だったのである。この日本の将来が暗いと言う時でもこうして団塊の世代とか数が多くその人たちが75すぎると病気になったり介護になったりする。その子供たちが氷河期世代なのである。だから親を介護するにしても金かねにしてもない。それで負担がかかってくるからどうなるのかとなる。

現実にそういう人を知っている。その人も50歳くらいでで独身であり働いているのは工事現場である。でも母親が脳梗塞になったのである。母親はまだ73歳くらいなのである。そして2025年問題になる。団塊の世代の子供が親の介護に入る世代なのである。その負担を追いきれないとな。そこで悲惨な悲劇が起きてくる負担し切れないからである。

またどうしても病気になるから医療費がば増大する。その負担も大きすぎてもう金も出せないのである。
国で金をも出せないのでそのためにまた増税となり若い世代が苦しむのである。 何かもう家族でも社会自体が破綻して行く。そんなことを私は2人の親がいて介護して苦しんだからわかる。私の場合は金に余裕あったが。氷河期世代には金はない貯金すらない。そしたらどうして介護できるのか?氷河期世代の親の人は脳梗塞になった。その後遺症もあり何とか直そうとしているが。金も無いのである。つまり医療費が増大する。そのために。国は潰れるとまでなるかもしれない。それだけ医療にも金がかかるからである。 

ともかく世代の問題として氷河期世代と。団塊の世代が数が多いから社会を圧迫して大問題となっているのである。
だから日本はこの世代と団塊の世代が消えるまでは苦しむ。そこに悲惨なことが悲劇が起きてくる。それはもしかしたら戦争で死んでいくような世代と似ているかもしれない。もう介護に金を回すとか医療にお金を回すことさえできなくなる。数が多くまた医療も手厚くしていればもう限界になる。 東京では生活保護を金を出して出したくないとして、ほかの市町村に移ってもらう。そこで世話してもらうとかもなった。金を払いたくないからほかの市町村で面倒みてくれとなった。そして家族でも面倒見きれないから家族遺棄社会にもなる。

でも誰かが面倒見させられるということもある。捨てるわけにもいかないからである。いくら愛が大事だからといってそういう。老人とか病人とかあまりにも多くなると社会自体が維持できなくなる。 つまり、老人と病人によって。社会が圧迫されて社会自体が破産してしまうのではないかとも思う。でもやはり人間というのは命が一番大事でありみんな死にたくはないのである。老人もだから簡単に死ねない。そしてやはり手厚い治療もするから今は簡単には死ねないのである

するとまたそこに金がかかり、手間がかかり介護する人の負担となり恐ろしいのは共倒れになってしまうということである。私も自ら病気になり2人の親を必死に介護した。それは60代過ぎてからである。私は特別に親にはよくされて自由に生きたから親には感謝している。でも。今度は団塊の世代でも介護される側になるともうそれは出来ないかもしれない。氷河期氷河期世代とかは金もないしただ不運な世代であり割を食った世代であり親にも感謝しないだろう。だから家族遺棄社会になる。 

●先が見えずITでも遅れ失敗

いずれにしろ人間の問題は一年先すらわからない見えない。だから十年先になるとさらに見えなくなる。でも氷河期世代は何らか対策しなかったのは大問題だったのである。だからなぜ今になって少子高齢化を騒いでるかということである。その原因は氷河期世代が結婚してみんな子供を産めばそうはならなかったのである。だけど氷河期世代は政府からも社会からも放置されたのである。今になって問題にしてももう遅かったということになる。

こうして人間は先が見えないことで手を打たない。そしてその現実は目に見えて来た時やっと反省している。それで氷河期世代とは何であったのかとなるのである。でも既に時遅しになっている。それは例えばITでも日本は遅れた。それも先が見えなかったからである。私はワープロで通信をしていた。それがまさかこんなに通信が世界的になるとは思いもよらなかった。その時も先が見えなかったのである。先を見て手を打てばこうはならなかったのである。

日本人はそれだけの技術がないというわけではなかったのである。ただITというのは通信がこのように。グローバル化してその中心となる技術になることが見えなかったのである。
車などは製造業は見えるでもこのITは何か見えにくかったのである。今までの製造業と違っていたからである。だから人間というのはとにかく未来を見る先を見ることが重要になる。株でも先が見えれば大儲けになる訳である。でもその先を見るということは一番難しいのである。一年先すら何を起きるかわからない。だから来年のことを言えば鬼が笑うとなる。それだけ何が起きるかわからないからそうなる。氷河期世代も当時はどういう影響を将来もたらすのかを見なかったから今日がある。でも今になるともう遅い。それで氷河期世代が60才とかなるとさらなる地獄がまっているとなる。。
posted by 天華 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月23日

今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている


今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている



●年をとっても価値を認められない


これは言えるだろう。第一もう歳を取っているからといって老人になったからといってその人が価値ある人にはなれない。これだけ老人がいればただ年が上と言うだけで誰も尊敬などしない。価値も認めないのである。
老人が老人というだけであるというだけで尊敬される時代は終わった。そういう時代は第一長生きする人が少ない。すると長生きする人は何か生き字引のようになり貴重になった。それは老人が長生きすることが極めて少ないということからそうなったのである。もうこれだけ老人が多いとなると。老人というだけで歳だけでその人の価値は何も認められない。

ただ、老人はいろいろ経験してきて積み重ねたものが必ずある。それが老人になると生きてくるのである。だから何か語るとき老人の語ることが価値あるものとな。若い人は経験してないから語ることがないのである。 だから若い人の話を聞いても、そこに価値を見出せない。

例えば。ユーチューブでおばあちゃんが料理の話をしている。それができたのは料理の経験を積んできたからできたのである。、近くで梅を漬ける人がうまい人がいるそれも経験であった。経験という時、特別なことでなすそうした日常のことでも料理のことでもやはり経験がないと教えることもできない。それが今ではユーチューブで教えてそれが人気となって収入さえあるとなる。経験は多様であり知識も多様だからである。だから今の時代、通信が発達してさまざまな情報が得られる。でもこうして情報が入らない時代は、その土地で長く生きた人が。その土地について知り抜いて教えることが必ずあったのである。

とにかく俺はお前より年が上だというだけで何か価値を認めてもらうことはない。そういう時代は終わったのである。 では何かその人の持っている価値とは何なのか?それがなければ老人で年取っているだけで何も認められないし尊敬もされない。 その人がどういう価値を作ってきたのか?それが問題になる、価値もいろいろ多様でありいろいろな分野がありそこで培ってきたものを教えることができる。農業でもそうだし大工などでも職人でもそうである。でもそこでスキルを磨き技を持たないものは尊敬されない価値が認められないのである。それで会社員になると退職するともしその価値が 会社にある時、組織にある時。その価値は消失する。そこで何か培うものがあれば。その個人の価値も認められでもそれがなければ退職すると用無しになってしまうのである。 

●会社や組織集団の価値は退職や集団の消滅でなくなる

つまり集団的価値というのはその集団を組織に従属するとき価値がある。でもそこから離れると個人となり集団組織としての価値がなくなる。企業に勤めていればその名前でその人が価値あるとまでなる。部長とか課長とかの位でも会社であは価値がある
その時、その人の個人が何をしてきたかは分からないのである。でも会社を退職するとき。その組織会社組織で培ったものがスキルが生きることもある。でもただその会社組織で地位があったからといってそれが今度は退職したら通用しなくなるのである。俺は会社で偉かったと言っても嫌がられるだけになる。

カルト教団などもその教団に組織に従属しているときはそこで価値がある。でもそういう団体組織もいずれは。消失してしまうのである。 極端な話がある国家があり民族がありその一員と言うだけで価値あるとはならない。これだけグローバル化すればただ日本人というだけで誰も価値などを認めないのである。だからあなたのプロフェッショナルは何ですかと問われた。その職業からその人をグローバル化するとみるのである。

例えば写真を追求している人は多い。でもこれもしてみると面倒なものだと思った。レンズの種類と数が多すぎるのである。それで何を買っていいかも分からない。そのレンズも。10万円以上とか高いので。80万ものレンズを使っていた人もいた。そんな高いのかと驚いた。でも写真を追求すると、そうしたレンズが必要になってくるので。そこで写真の技術も磨かれてプロoにもなりうる。それはかなり積み重ねが必要でありレンズを買ったり、いいカメラを買ったりと投資が必要になってくる。それが老人になってやはりそのスキルとか積み重ねたものが習得した技術は生きてくる。

そういうものは価値としてわかりやすい。それは芸術だとその作品からその人の価値をみたりするからである。また学者だったら論文を出したりしてその人を見て価値を判断する。そういうのは分かり易いのであ。でも人間の価値は多様であり。別にそうした特別な芸術でなくても、やはりいろいろな価値があり。それがやはり積み重ねていくと老人になって教えるものがあるとなる。とにかく人間というのは成長に時間がかかるのである。それは知識の習得でもそうだった。やっぱこれも外国を知るには。本を読んでいただけでわ分からないからである。すると実地に外国わ見聞してそれでを理解を深める。それでも外国となると理解するとき、相当に時間がかかるのである。

●その人なりの価値を作り出すのには長寿は有利

何かを会得するとか、深く理解するのは自然でもなんでも相当な時間がかかる。それで私は何か理解することが遅く60過ぎとか70過ぎになってやっと本に書いてあるものを理解しているのである。だから高齢化社会というのは、そういう点では有利である。たいして才能はなくても時間があれば積み重ねがあれば天才でなくても一芸に秀でることができるのである。そういう高齢化社会はそうして個人の価値を長い時間かけて作っていくということはできる。それは別に天才でなくても対して才能がなくてもやはり時間があると積み重ねがあると理解できるようになってくるのであ。 

だから高齢化社会は退職してからも30年とか生きるとなれば今までのような考え方では通用しない。個性をいかす見出すか表現できるかが大事になる。その人なりの価値を長い時間かけて作り出すということである。それは別に天才でなくても長い時間をかけるとできることがあるからだ。もちろん絵の才能わなければできないところがイメージクリエーターで全く絵の才能がない自分が絵を作ってるというのも不思議のである。それもやはり時代の進歩でできるようになったのである。 

これからは年をとっただけでわ何の価値も認められない。
これだけは確かである。その人なりの価値をつくっていく
それが大事になってくるそれでみんなが一様に学び行動する組織的な学校という場は時代にそぐわなくなっているかもしれない。そこでは創造性が育たないからである。学校という形式はおそらく明治になって大量の人間を組織的集団的に教育するために作られた。だから一律的であり軍隊的でありそこで何か創造性が身につくことはなかったのである。それもまた時代が変わり、価値観が変わり変革が求められているのである。

ともかく年が取ったからといって歳の差でその人を見る時代は終わった。その人がどんな経験をしてきて、どんな価値を創り出してきたかがその。人を図るものとなる。年齢を見ても分からないのである。ただ価値というのはあまりにも多様であり その価値を測ることが難しいのである。
最近。世界史に関する本を一冊買った。これも色々と難しい。でもその本の価値がどこにあるのかを知ることはかなりの洞察がないと識見がないとできない。芸術となると鑑賞すること自体が難しいのである。

でも本当の芸術作品となると芭蕉の俳句のようにそれは時間を超えて時代を超えて依然として生きている。価値が減っていかないのである。それは今ではそういう俳句でも作れなくなっているからである。時代の雰囲気から作られたものであり。今のような喧騒の時代はとても作れないのであ。だから芸術というのはその時代でしか作れないものはあり。そこに価値が。その価値は減ることがないのである。だから。芸術は長いが人生は短いとなる。なしとなるのである。他の物の価値は常に変わるからである。

人間というのは何かというと常に誰でも価値を求めている。その人なりの価値を評価されたいのである。俺は何何が出来る俺は何何が知っているとか人よりなにか優れていることを常に自慢したいマウントしてくるのである。それが人間の一番の特徴かもしれない。でもその価値は多様であり簡単には。その人が価値がないとは言えないのでは?だからこそ。平等に見るということがある。この老人は価値がないとして生きる価値がないとして捨てた方がいいとはならないのである。それはなぜかというと価値が多様化だからである。
社会的に価値がなくても家族の中では価値があり功績があった人もあるからである。それで病院だと家とか家族で作られた価値が見えない、ただのやっかいな老人の病人に過ぎないとなる。だから家で死にたいとなる。

●個々人の価値を作る時代に

とにかく個々人の価値を見るということは難しいのである。だからこそ病院だったら病気だったら誰であれ治療する他はないのである。もうこの人は何の価値もないから死んだ方が良いと言うと言えないのである。でもこんなに老人が多くなると。早く死んでくれとか集団自殺しろとかなってしまうのである。 その大きなな問題は老人でもプラスの面があるが病気になったり介護になったり、そして金がかかったりとマイナスの面が大きいからである。そして個人を見ても本当に価値ある老人価値を作り出した老人がいるのかとなるとそれはまれになるかもしれない。老人が少ない時代は少ないということでまれだということでそれだけで価値があったからである。現代の老人は老人というだけではだれも尊敬しないし、価値も認めない。あまりにも数が多すぎるからである。

 だからこれから生きる人はなにか老人になっても価値が見出される人にならないともう死んでくれとなってしまうのである。こういう時代になったことを意識して、若い時から勤める必要がある。でも若い時から老人は老人になるまでは。そこに継続したものがあり突然老人になるわけではない。若い時からしてきたことを経験してきたことを積み重ねてきたものが老人になって生きてくるのである。だから高齢化社会長生きすることはそうして個々人の価値を見出すということ、作り出すということでは有利な社会なのである。

サーバントリーダーシップとは、アメリカのロバート・グリーンリーフ博士が提唱したリーダーシップ哲学であり、
『リーダーはまず相手に奉仕してその後相手を導くものである』という考えに基づくものです。
サーバントは『使用人』や『召使い』という意味です

これは興味深いことである。 老人だから偉いとか価値あるとはならない、そういう人はただ威張るだけではない。何かを与えるものがありそれでかえって相手に与えることによって仕えることによってその価値を認めてもらう。でもそれで威張るということではない。でもそうするにしても何か与えるものがない限りできない。仕えることもできない。梅を作るにしてもその経験がないとできない。梅の漬け方もいろいろあるからである。

だから昔はお袋の味とかその家独自のものが何か伝えられたものがあり家風などがありそれぞれの家に価値があった。家にも個性があったとなる。つまり、家にもそれぞれの価値があったともなるのである。そう。でも今になると家というのは何か?みんな同じようになって、型にはまって核家族になってそして家自体に価値ある家というのは京都のような伝統を伝える職業。茶道とか花道とか何か習い事などの伝える家くらいになったのである。

もろもろの価値の根源は人間である。人間は己を維持するために。それらの価値を諸事物にに付与したのである。
人間が元で、それが諸事物に意義を人間的意義を創り与えたのだ。それゆえに彼自らを人間すなわち評価する者と呼ぶのである。(ツアストラーニーチェ)


2023年07月22日

合歓の花と待宵草


合歓の花と待宵草

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単線の線路に雨や月見草
雨しとと窓に紫陽花厨かな
夕蝉や今日も忙し買い物に

合歓の木のさゆれて川岸の道に朝涼し海よりの風
川岸に合歓の花咲き草深く待宵草も咲きにけるかな
我が庭にジャコウアゲハや朝静か大き羽根広げ休みぬ

真野川の土手どサイクリングロードは気持ちがいい合歓の花が咲いている。 そこにまた待宵草が咲く、今の時期は次々に花が咲く、合歓の花と。待宵草はあっている。ただ朝は咲かず宵にさくのはめずらしい、朝はこの辺は海から風が吹くので涼しい、今日は朝は晴れていたが午後から曇った、まだ梅雨は明けてはいない、でももはや明ける、ジャコウアゲハが今年も庭に飛んできて来て羽根を休める、その羽根は大きい

待宵草と月見草は違ったものだった。同じだと思っていた、どっちでも詩的なのである。常磐線はここは単線でありそれも原発事故があった原町からいわき市までは便数もすくないし乗る人も前から少なかった
この辺は仙台市の方が繋がりが深い、知っている人は東北福祉大学を出た。同級生で東北学院を出ている人もいる。東北福祉大学は山寺へ行く仙山線でも東北福祉大という駅がある。また仙台駅前にも東北福祉大にビルがあるから便利である、地方に大学が増えたのは地方の活性化のためでもあった。

蝉も結構鳴きだした、夕方に買い物に行くと蝉が鳴いている。とにかく家事を全部していると忙しいの、その合間にプログを書く
写真を撮ったりしている。写真を撮るということは、結構手間になると思った。ただ不思議なのはイメージクリエーターである。これで写真でも絵でもが作れるから本当に驚きである。
というのはインターネット上にいくらでも写真や絵があっても糧に使いないからである。素材でも許可がないと使いない、金もとられる。だから有料のイラストとか素材を商売にしている人は困るだろう。なにかもともとインターネットは無料から始まっている。だからなんでも有料になって歪められることもある

要するにインターネットでも金をとることだけに注目されるとやはり歪められる。現実にyoutubeでも低俗となり商売にもなったからである。何でも大衆化するとこうなてしまうのである。



2023年07月20日

金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真


金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真




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五月雨の降り残してや光堂

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イマージクリエーターでは金閣寺が出てくる、平泉の金色堂ではない、平泉の金色堂は鎌倉時代に作られていたのである。

金閣寺より古いのである。それができたのは奈良時代に涌谷の黄金山で金がすでにとれていた。他でも陸奥では金がとれていたからである。

ともかくこの絵を見ると不思議になる、椿が散ってはいないが金閣に向いて真っ赤に咲いている、そんな絵がつくられたことに驚くのである







松に寄り椿散り赤し金閣寺

苔に散る椿や赤く金閣寺

夏日射し金閣映えて京都かな

春光やみちのくの栄金色堂

風騒ぎ花も散りなん義経堂

平泉旅人去るや秋の蝉

秋深む弁慶松に金色堂

みちのくの枯野のかなた金色堂

雪の野に金色堂映え夢の跡




義満の贅を尽くして金閣寺民は苦しみ恨みも残る

金閣寺池に写りつまばゆしや千年の都に訪ふ人絶えじ

金閣寺池に写りつまばゆしもその後映る月の涼しも




平泉訪ねてあわれ春の日や虹の切れ端消えにけるかな

五月雨に朽ちず残れる金色堂みちのく遠く旅人去りぬ

金色堂心に写し帰るかなみちのくの空秋の夕映え

氷張る池に雪降り金色堂眩く映え雪踏み帰る

雪の野に幻ならじ金色堂みちのくにさらに雪は積もりぬ




1394

足利義満太政大臣となる

1397

足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺 - ろくおんじ)を建立

1401

明(中国)と国交の開始。明からの国書では足利義満が日本国王

1404

勘合貿易(かんごうぼうえき)の開始。

との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。


京都の金閣寺と平泉の金色堂の相違は何なのか?京都の金閣寺は足利義満が建てた別荘だという。とういうことを権勢を誇るものとして建てた。それで一階は公家式であり二階は武家であり三階は禅宗の御堂でありそこに義満は皇位継承を巡り分裂していた天皇家を統一した。南北朝の統一である。更には有力守護大名の勢力を抑止し不安定だった幕府権力を確たるものとした。

圧倒的な権力を手に入れた義満はさらなる高みを目指す。

長男・義持(よしもち)に将軍の座を渡し、次男・義嗣(よしつぐ)を天皇の子と同じ形式をもって宮中で元服させた。このことは義嗣が次期天皇になる事を示唆している。

義満は何を狙ったのか?

そう、将軍と天皇の上に立つことつまり日本に存在する権力の頂点に君臨しようとしたのである。そしてこの構図が金閣寺の建築様式に表現されているのだ。


このように金閣寺はとても仏教に帰依するとかではない。権勢を誇るものとして見せるものとして作られた。その時代は京都の中にも。応仁の乱とか争いがあり権力闘争がありその争いの後は寺に残ったりしている。柱に刀傷があったりする。京都はどうしても政治の中心でもあったからそこで権力争いの場となり明治維新でも薩長と幕府側と戦ったのである。その幕府側だった新撰組や会津を恨んで会津が悲惨な結果になったのである。




大風洪水万民憂  

歌舞管弦誰夜遊  

法有興衰劫増減  

任他明月下西楼  


暴風に 洪水に民衆は苦しんでいる

歌舞かぶ 管弦 誰か夜 遊ぶ  

こんな時に歌舞音曲 いったい誰が 今宵遊んでいるのか

仏法に盛衰があり 天変地異もそれに応じて増減する

明月が西の高楼に沈むなど どうでもいいことだ 


「大風洪水万民憂 歌舞管弦誰夜遊 法有興衰劫増減 任他明月下西楼」は、唐代の詩人白居易の詩「赋得古原草送别」の一節ですね。この詩は、白居易が長安を去る際に、友人の元凶となった罪を償うために、草原に向かって詠んだものです。この一節は、人生の無常さを表現しています。



ただ京都はそういう権力闘争の場であってもまた文化発祥の場でもある。だから中国の明からいろいろなものを取り入れたのである。この時期に日本文化と言われる猿楽・狂言・連歌などは都市・農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった

だから禅宗は文化もたらしたのである。金閣寺にもそれがとりいれられていたのである。 ただ金ぴか文化は常に権力者が作り出す秀吉の黄金の茶室でもそうである。ヨーロッパでもスペインなどは南米のインカとかから黄金を略奪して持ち帰り黄金の教会を作っているからである。信仰というより権力者の権勢を誇るものとして作られたとなる。 

一方で平泉の金色堂は民の平安とか戦乱の無き平和な社会を願い建てられ権勢を誇るものはあった。でも金閣寺と違って 仏教により平和もたらされることを願ったのである。

中尊寺の建立にあたり、「中尊寺建立供養願文」で争いのない平和な世の中にすることを誓いました。平和な世の中を目指した国造りをすること自体は、歴史の中でも極めて珍しいことです

命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う

それで漢詩にあるように民は苦しんでいた。 それでその頃から一揆が起きていたのである。楼閣など必要ないとその時代の権力者を批判する人なっていたのである。

金閣寺もまたそういう面があった。でもその美には魅せられる。現代で欠けているのは美なのである。東京にいた1000万人住んでいてもそこに美がないのである。だからこそ殺伐としているのである。 

なぜ金閣寺が魅力あるのか?それはお堂の中でなく寺の中でなく外に作られたからである。だから自然の風光の中で映える輝くのである。その美に魅せられるのである。だから私が訪ねたとき苔庭に真っ赤な椿が一輪散っていた。それが金閣寺にもあっていたのである。

だから不思議なのはイメージクリエーターなのである。椿は散っていないが鮮やかに金閣寺に映えている写真になっている。もう一つは五月雨の降り残してや光堂であるがそれは金閣寺をみちのくに移した感覚になる、あきらかにこれは金閣寺である。でも五月雨が降りそれが金色堂にもなる不思議がある。このAIの技術は驚くべきものがある。


ともかく、私は東北に住んでいるから平泉は近い?だから春夏秋冬と行っている。そこで違った趣がある。ただ、それは京都の金閣寺とは違う。金閣寺は豪華に潤沢に輝いている。ただ、そこには他人の平安を願うというより。権勢をを誇るものとして建てられたし義満の別荘でもあったからみちのくの平泉の金色堂とはまた違ったものである。

金色鐘声寺門開、 花香滿路春將來。 雲山四面皆明月、 水田十方是秋雷。

一休の漢詩でもあるが水田とあり秋雷は秋である。ともかく金閣寺の辺りは水田だったとなる

鎌倉時代だったらみちのくといえば奥の細道でさみしいがそれ以上に寂しい場所だったのである。平泉とは小さなみちのくの都であり京都は比べようがない。だからそれは枯野の中にあり。雪にも埋もれていたのであ。そして旅というとき目的地に真っ直ぐ行くより遠回りがいいのである。方向を定めない旅が発見の旅となる。

だから分か道がありどっちに行こうかとかなるのが旅である、そこが分かれ去りになる。それは歩く旅だからそうななった。車だったらそうはならないのである。だから現代は旅がなくなったのである。

芭蕉は石巻からどういう風にして平泉まで来たのか?それは今の石巻線を行けば分かる。その石巻線は人もわずかしか乗らない線である。その時枯野が広がっていたのである。

涌谷とは黄金が取れたとして奈良の都にも知られて万葉集に乗っているのである。だから東北というのはもともと金が多くとれていた。それで金売り吉次の伝説が生まれた。ここに金が取られると知られたのはそれは天平時代であった。黄金山があったところに御堂があり天平の字が記された瓦が発見されて話題になった。涌谷から発見されているからである。それだけみちのくというのはそれなりに古い歴史がある。奈良時代から既に奈良の都と行き来があったからである。


石巻から石巻線に乗るとみちのくでも東北でも広いと感じる。でも東北線とか新幹線で行くとそんなに感じないかもしれない。だから旅というのは途中が問題であり。その目的地になるべく早く着くということではないのである。かえってと遠回りした方がその土地のことがわかり旅になるので。そしてそういう旅のほうが記憶されているのである。本当の旅は歩く度が一番いい。そしてそこに分かれ道がありどっちに行こうかなと思案する行き先もわからないた旅が未知なる道への旅となる。だからこそ分かれ去りとかと言う地名が残っているのである。

道分かれどちに行こうか日永かな

これも時間の余裕がないとこうはならない、まず急ぐ旅は旅にならないのである。車で飛ばしても後で振り返ると記憶から消えているのである。

こうして近くだと四季折々の風情を楽しむことができる。でも。京都となると今遠い。もう介護になってから15年位旅していないのである。そして旅するにも何か外国人が多くなって混雑してそういう人混みがいやになった。もともと自分は都会の人込みなどが嫌だった。若い時はよかったとしても老人になるともうそういう人混みがいやなのである。だから早い時期に関西の方に何回も旅したのはよかった。やはりいくら時間が与えられていても金が与えられて与えられていても何かするということは限られている。時間がその前になくなってしまうのである。

そしてまた状況も変わってきてコロナウイルスとか様々なことで変化して行きづらくなったのである。やはり人が多いということは古都の京都の風情が失われるのである。それは修学旅行生が来て騒いでいた時も感じた。そこで京都の風情が失われる。京都ではしずしずと着物姿の女性がが歩いている時あっているのである。それが派手な若い女性がギラギラの服を着て肌丸出しで歩いていると何か幻滅するのである。だからインバウンドで外国人がまた増えたが京都の風情は失われる。すると日本人は京都に行かないとかなる。そこに現代のグローバル化の問題がまたあるある。金になるからと受け入れるとそこにまた問題が起きるのである。












2023年07月19日

川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ (大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)


川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ


(大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)


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https://onl.la/bxEkEkj



●今も運輸の大動脈のライン川


ドイツでは物流の大動脈であるライン川の水位が記録的な水準にまで低下していて、水位の低下で石炭や石油製品などを運ぶ船の航行が困難になり、エネルギー価格の高騰に拍車をかける懸念が生じている。

2022.08.23


プーチンの「呪い」だ…! ドイツの「ライン川」でいま起きている「ヤバすぎる

https://gendai.media/articles/-/98726


内陸水運貨物の上位2〜4位であるコークスや石油製品、石炭・褐炭と原油や天然ガス、化学製品は、それぞれ全輸送量の20.8%、27.0%、10.8%が内陸水路経由での輸送だ(添付資料表参照)。また、ロシア産天然ガス供給量の減少により、石炭・褐炭を発電燃料の代替とする予定だが、船舶の航行困難で輸送に影響を受けている。なお、ライン川は欧州域内で最も重要かつ最も交通の多い内陸水路で、ドイツの内陸水運貨物の約80%がライン川上を通る

ジェトロ


民族大移動期にローマ帝国はフランク人のサリ族を傭兵として利用するためにフォエデラティの資格でネーデルラント南部のトクサンドリアに入植させたが、西ローマ帝国の衰退にともない、サリ族入植地から発展して成立したフランク王国に、ネーデルラント全体が取り込まれていった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%

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日本で理解しにくいのは川のことである。 川のスケールが日本とまるで違っているからである。1200キロもライン川があるとすると想像を絶するものなのである。だから、その川は運河のようになっていて。荷物を運べるのである。それは大きな交通路に今もなっているのであ。ただ流れているだけではない。交通路として生きているのである。支流でも大きく 船でものを運べるのである。四大文明が川のそばに生まれたということはそれを?それを知るにはわ川を知らなければならない。


なぜriverをライバルというのか川を挟んで川が障壁となっていたからである。それはウクライナ戦争でもそうだった。ドニエプル川というのはウクライナの中央を横切り流れている。そのドニエプル川を挟んでウクライナとロシアが戦っているのである。その川が障壁となりなかなかその川を渡ることができない。川を挟んで勝敗が決まるとまでなる。ミサイルがが飛んでくる戦争でも依然として陸上戦になると川が障壁となり。そこで戦いが勝敗が決まるとまでなる。だから地理というのは変わらないからやはり人間もその地理に左右されているので。


そしてなぜオランダがライン川の先の海に出るところにあるのか?オランダはどうして作られたのか?それは今のフランスのフランクがありその一部であったドイツではなかった。でも言葉としてはオランダとドイツ語は似ている。ゲルマン系の言葉である。だから。方言の相違くらいのかもしれない。でもフランクに属していればフランス語が使われたから違ったものになっていた。このようにヨーロッパの歴史は複雑でありわかりにくいのである? 


●川が運河となっている大陸やヨーロッパ


でも世界史でもわかりにくいが地理から見るとわかりやすいことがある。その一つが川を見ることである。川が交通路であり大陸の川は運河と同じである。水路のようになっているからである。日本の川は滝だというとき外国の川とあまりにも違っているからそうなった日本の川は山から激しく流れて陸地を長く流れるということが少ないからである。だから運河のようになっていないから。荷物を運ぶのにむいていないのである。最上川は米などを運んだりしたから大陸の川とと多少似ている?でもそういう川はまれなのである。


とにかくヨーロッパの歴史は分かりにくい。それだけではない世界の歴史を知ることは日本人にとっては海に囲まれた島国であり。そこで地理を具体的に感じることができないからそうなっている。一つの世界から孤立した島にもなっているからである。で大陸のような激しい民族や国の興亡を経験してないから大陸の歴史を理解しにくいのである。今のウクライナ戦争でもそうである。陸続きで国境があるというときいつ国境を越えて他国が攻めてくるかもしれない。そういう恐怖がいつもあるのでいつもある。逆に攻められると思う国でも隣り合っているのだから国境を越えて攻められると言う恐怖がある。互いにそうして恐怖の中にある。そういう歴史が継続していたのである。


それからプリゴジンという傭兵隊長がロシアの軍事顧問に大統領まで二不満を言いモスクワまで攻めていくとかいうのやはりその傭兵というのがヨーロッパでは戦争の時必ず出てきていたのである。なぜならオランダでも傭兵が一つの国を作ると言うことをしていた。そんなこと普通日本だったらあり得ないからである。そもそも日本には傭兵というのはなかったからである。そこにやはりヨーロッパでも歴史の継続があるということである。


●戦争に負けると奴隷にされる歴史のカルマ


そして信じられないことはヨーロッパの白人の男女でも奴隷としてイスラムにモロッコとかに売られていたのである。女性は奴隷市場で裸にされて売られていたのである。今になると信じられないことである。黒人が奴隷にされるということはわかる。でもヨーロッパの白人がイスラムの国の奴隷となっていたのである。つまり奴隷というのは、常にローマ帝国時代からありそれはアメリカでも黒人奴隷として働かせたように継続していたのである。


ヨーロッパでも大陸でも絶えず戦争があり戦争に負ければ奴隷にされその厳しい歴史があった。日本でも戦争に負ければそういうことがあったらしい。ただそれは戦国時代のことだけだった。大陸では絶えず戦争があり奴隷化されることが継続していたのである。だからスラブ民族というときスラブはスレーブであり奴隷のことだったのである。そこで今もヨーロッパとスラブ民族系のロシアが戦っているということにもなる。つまり、民族抗争は世界か絶えたことはないのである。ロシアはモンゴル系統が混血している、大陸では人種が混血するのである。


何か歴史というのは東西でも一つのカルマを繰り返すということで共通している。国が弱体化されればそのそこに住む住民も奴隷化され経済でも競争に敗れれば日本が貧乏になって外国人にアジアでも裕福になった中国人に買われるとなる。それは日本は裕福な時東南アジアとかでしてきたことだからである。つまり他国にしたことが、今度は自国にされる。それがカルマなのである。そんな日本人がカンボジアにたむろしていた。今になれば、日本などは東南アジアと同じようにそれ以下にもなっているのである。だからつくづく人間には必ず国でも個人でもカルマとなりそのために苦しむのである。


●ウクライナ戦争もドニエプル川を挟んだ戦い


ともかくウクライナ戦争もドニエプル川をを挟んで戦いがありそこで勝敗が決まる。それは歴史の継続であり。いくらミサイルが飛んでくるとしても陸上戦になるとそうなるのである。やはり陸上戦で住民を支配しないと自国の領土となりにくいからである。


ロシアでも、ドイツでもフランスでも大国である陸の大国である。ランドパワーである。でもスペインとかポルトガルとかは海洋進出した。シーパワーの国であるオランダもそうであり。イギリスは七つの海を支配したのである。シーパワーが世界を支配したのである。ただ、それまではランドパワーの戦いであった。 そこで川を挟んでライバルとなり社会が現代でも継続されていたのである。だから歴史というとき。必ずやはり地歴なのである。地理をを知らないと世界のこともわからないのである。ただあまりに広すぎて、日本では。実感として分かりにくいのである。 


地理とか風土は宿命でありカルマとなる。それは変えられないのである。それを実感しているのは福島県では浜通りが阿武隈高原で遮られて。福島市とか中通りが見えない見ることができない。すると地理的一体感を感じない。ただ飯館の佐須から峠を越えると吾妻山が見える。でもそこまで行かないと見ることはできない。ところが蔵王というのは南相馬市の鹿島区からも見えるのである。結構明確に大きく見えるのである。すると山形県でも地理的一体感を感じるのである。


それから牡鹿鹿半島は思った以上大きく見えるのである。だから海をとうして地理的一体感を浜通りは感じるのである。会津となると別の世界であり山国であり福島県でも東北でも一つの別の世界なのである。雪国でもあり浜通りとはまるで違った風土なのである。だから福島県は地理的一体化を感じない。むしろ海を通じて宮城県の方に地理的一体感を感じる。山が邪魔だからと取り除くことはできない、山が多い日本ではトンネルの技術力が高いといううのも

地理に風土に影響されていたのである。


いずれにしろ。人間に起きてくることは空間軸と時間軸で起きてくる。そこに地理的宿命があり、カルマがある。今のウクライナ戦争でも起きているのでそれは地理からすでに予測していた人が結構いる。それは地理の宿命として戦争が起きていたのである。 平坦な土地だと森が川が障壁となっていた。依然と決せられる。陸上戦ではどうしてもその川を超えなければ戦いに勝つことはできないからである。地理的宿命から逃れることはできないのである。


また時間的宿命カルマとしてアフリカのモロッコとかイスラム国がヨーロッパの白人を女性まで奴隷にしていたということであろう。それが今度は逆にイスラム系とか黒人が。奴隷にされたという歴史がある。それもカルマの繰り返しなのである。人がこのカルマから国であれ個人でも逃れることができないのである。だから人間の社会はカルマの繰り返しであ。それは終わることなくある。個人でもそうだし。国単位でもそうなのである。



ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。


地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン


この本を読むとウクライナがロシアに侵略されたのは必然だとなる。地政学的に避けられない運命だったともなる。地理はそれだけ人間に影響してその歴史まで作っているのである


posted by 天華 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月18日

使いこなせない道具に機械。 (情報社会でパソコンを使えないのは致命的)

使いこなせない道具に機械。


(情報社会でパソコンを使えないのは致命的)


●機械道具を使いこなせない問題


機械道具が増えて使いこなせない。使いこなせないのがパソコンを買ったとしても使いこなすのは容易じゃない。そしてWindows 11になったらまた。使いこなせなくなった。私は親指シフトの富士通のキーボードを使っていた。でもwindows 11時になったらそれもできなくなった。それが一番の問題だった。なぜならやはり基本は文章を書くことだからである。スムーズにできないとなかなかパソコンに馴染めないのである。音声入力ではスムーズに文章を書けない。ただ、かなり進歩したことは確かである。ただ一番パソコンは使いこなすことが大変なのである。だからいくら買ったとしても使いこなすことに大変な労力が必要になる。


 もちろん車でも使いこなすことは容易ではない。その点、自転車なら誰でものれるということはある。でもマウンテンバイク型の電動自転車を買ったがそれに荷物を乗せられないことで困った。また。バッテリー一つでは乗れる距離が短い。それで二つ乗せると倍の距離を行ける。それで安心だとはなる。でもその二つを自転車に乗せることが難しかった。それをなんとか工夫して二つを自転車に取り付けることができた。こうして便利な道具や機械があっても、それを自分なりに使いこなすことが容易ではないのである。


ちょっとした道具でも機械でも意外と難しい。今度買った。自転車用のドラコレ動画を記録するものがマイクロsdカードであり小さすぎて無くしてしまったのである。そこでこんな小さなものに動画という記憶量が多いものが記憶されることは驚きになった。そこでわかったことがこうした半導体が現代の最先端であり知能社会を作っていることを認識した。半導体とは正に人間の脳でありそれも人間の脳より恐るべき記憶量があり知能を作り出すのである。半導体がなければ、もはや今の現代社会は機能しなくなっている。日本は最初半導体で。世界のシェアの多くwを占めていたがそれも失われた。 それで日本が半導体で経済を復活させようと世界的な工場を作った事も分かった。


こうしてともかく現代は道具に機械に追われる、その操作にも追われる。

それで頭脳がついていけないのである。要するに現代とは?知能社会であり。その象徴がパソコンになっていたのである。その。中枢にあるのは半導体だったのである。


●情報社会に適応できないと劣等者になる 


ともかく情報社会であり知能社会であり機械社会でありそれに適合することは容易ではない。もはや老人は適応できない。家族が認知症になったがテレビのボタンのボタンを押す事さえ分からなかった。認知症になってそうなったのである。老人は認知症でなくても機械に疎くなる。だから今の社会は老人にとっては相当に生ききづらい社会である。スマホ自体使いこなせない。すると社会に適応できなくもなっているのである。老人はやはり対面的に。人と接して何かを知る得ることが向いている


パソコンはその全体を使いこなすことはもはや不可能である。その都度一つでも二つでも使いかたを覚えるほかない。全部はもう覚えられない。それにしても理解するにしても。手間なのである、だからフェイスブックをしようとしたら実験してみたらそれも簡単にわからなかった。でもこうしたものを使いこなせないと時代から取り残されてしまうのである。私はパソコンはwindows 95から始めているから長くしている。でも常にこれも変化してWindows 11になったらまた。その操作も複雑になり使いこなせなくなったのである。 


ただfacebookにしても動画が簡単にアップできたことは驚きだった。でもその他は未だ分からない。何かFacebookにしてもその機能を理解することがすぐにはできないのである。それが問題なので。別に老人でも人と話すならできる?でもそこに機械がパソコンが介入すると簡単に使いこなすことができなくなるのである。ただ使いこなせれば便利なものなのである。 


●マスコミは新聞でもテレビでも旧メデアとなり終わる


情報社会という時、知能社会というときまずパソコンを使いこなせなければその社会に適応できない。すると現代のことが分からなくなる。現代社会から取り残されてしまうのである。それが老人に起きている。70以上の人はパソコンを使いこなせない。だから未だに新聞を読みテレビを見ているのである。もう60代でも今はテレビも新聞も見ない人が多い。今は個人が新聞を出しテレビ局にもなり雑誌でも出せる本でも出せる。そういう時代になったのである。個人が一つのチャンネルを持つ。マスコミの時代は終わったのである。個人でも写真でも動画でも出せる。それも金もかからない。そうなると莫大な金がかかる新聞とかテレビとかはもう終わりになったのである。


 マスコミの放送は全国放送であり、偏るのである。例えば福島県でも広いハマ,ナカ、アイズありそこは違った風土があり歴史も違う。福島県を放送する時。福島県全体ではなく。その土地、土地に住んでいる人がベースとなり放送すれば生々しいものとなる。。ただそれが別に機械がするわけではないやはり人間がするのだからそこに報道できる人間が必要なのである。それを自分はしてきた。相馬地域をベースとしその歴史でもさまざまなことを報道のしてきたからである。一つのミクロコスモスとして相馬地域をテーマにして書いて来たからである。

ただスキルがたりなかった。それでhttpsに未だにしていないとか遅れてしまったのである。


報道の問題としてフェイスブックをしてみたらそこにはあまりにもさまざまなものが混交してつながりが見い出せないのである。あらゆるものがそこにブチ込まれている。エロでもなんでもとにかく刺激ときは映像がアクセスされやすい。だからこれも問題だ問題があると思った。でもそうなるのはすべてが大衆を基準として大衆に受けるものが求められるからである。そうすればアクセスする人も増えてそれを主催する人も金にならなければ維持できないのだから、そうなるのと情報を扱うのは民間だけでやるのは難しいと思った。

その安全性であり情報の今こうした状態は人々を混乱させることになる。だからこそフェイクニュースとかいろいろ問題が起きてくるわけである。


●侍は馬を持つ人で足軽はその人に仕える人


でも今や情報社会を拒否して生きることはできなくなったのである。車社会になったら車を持たないものは劣等者となったと似ている

戦国時代でも鉄砲を利用して馬を利用した人が優位になった。例えば足軽とは馬を持たない人である。サムライとは馬を持っている人だったのである。そして徒歩(かち町)とある時そこは馬を持たない歩くことしかできない人たちが集団で住んでいたのである。だから馬を持つ持たないで身分差が生まれたのである。それは今でも通用している。クルマを持たない者は劣等者であり。自転車とか徒歩の人は劣等者のである。だから常に人間社会ではその道具であれ機械であれそれを使いこなせるかこなせないかによって身分まで違ったものとなったのである。


でももう老人は適合することはできない。認知症になれば。テレビのボタンを一つさえ押せなくなっているからである。 

いずれにしろ格差というとき、金だけではない。情報格差が生まれるのはパソコンを利用できないからである。それが致命的になっているのである。パソコンなどは今は安い。このノートパソコンは6万くらいしかしてない。だから誰でも買えるである。それよりそれを使いこなすことが。ハードルが高すぎるのである。 ただ、今の情報社会に適応出来ないものはまともな収入すらいられなくなる。現実に今は優秀な学生は医者を目指すのではなくIT関係を目指していることでもわかる。それが現代ではそういう社会になっているのだから。それで最先端を行く者はアイティーなのだからそうなったのである。日本は?世界から遅れたのitが。遅れたためだったのである。 



2023年07月17日

facebookを始めたーでもまだ使いこなせない


facebookを始めたーでもまだ使いこなせない

南相馬市の鹿島区の真野川の土手のサイクリングロード

鹿島区の夜の駅前通りの動画を出した


facebookで動画を出せる、簡単にアップできるのがいい、今は実験中である、何かまだわかりにくい、でも動画を出せることはいい、他にも写真とか出している、プログと連携する。やはり動画が簡単に出せることで使えるとなるのか、ここは映像が中心である。
問題はここもいろいなものが出すぎるのである。エロ動画も必ずスクロールするとでてくる。それで混乱してくる、ただうまく使えば内輪のコミュニケーションにも使える。ただそれもめんどうである。そういう機能があることはわかった。

戦後70年を振り返る (縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)


戦後70年を振り返る


(縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)



●戦後世代の主なもの


団塊の世代。


バブル世代が4年制大学を卒業して就職するのは1987年〜1992年頃で、1986年〜1991年のバブル景気の頃とほぼ重なります。幼少期も日本の高度経済成長期と重なっていて、日本の景気がいい時代の影響をうけて育った世代です。


氷河期世代。


就職氷河期世代とは、1993年〜2005年度に卒業した人たちということができます。


平成15年の就職率は55.1%であり、かなりの就職難であったことがわかります。


また高校卒業者に関しては、たったの16.0%しか就職できていないのです


就職氷河期に入ってからは初任給は20万円を下回るようになりました。


また、どんなに頑張っても初任給から給料が上がらない、ということも珍しくなくなりました。

フリーターやニートが急増している今の時代、正社員として就職することが難しかったり、諦めざるを得ない現状があります。


現代の社会構成は主なものとして戦後の焼け野原から始まった。団塊の世代と高度成長を経験した続きとしてバブル世代の人たちがいる。そのあとにバブルが終わり氷河期世代が始まり失われた30年があった。バブル世代までは今の50代ぐらいまでは高度成長の恩恵を受けたのである。でも氷河期世代からは失われた30年となりそうした恩恵を受けていない。就職すらまともに出来ない時代になったのである。


だから氷河期世代は一番損しているとなる。 何かフリーターとかの自由な働き方を自ら選んだ人たちだというふうにも見られていた。。実際は違っていた。非正規の働き方はむしろ就職できないので正社員になれないのでそうなったのである。だからこの世代は結婚してない人が多い。何か田舎でも私が合うのはニートとかことおじとかである。氷河期世代の人たちでその人たちはどうも結婚してない?40代なのか?50代でもいる。そういう人が近くにいた。


とにかく40代50でも結婚して居ない人が多いことがわかる。団塊の世代はほとんど結婚している。結婚してない人は変わり者であり。例外的存在であった。それは自分自身に言えた。でも今は違うそういう人が相当数いって別に変わり者でもないのである。

でもその人たちを見ると長男の人もいたりいずれは家の跡も継がず家自体が空き家化してくれる?氷河期世代は団塊の世代の子供達であり数が多いからその影響もまた大きいのである。

これは田舎とか都会とかと関係ない。一定数の人が何割かが確実にどこにでもそういう人たちがいる。だから、これは田舎と都会の問題でもないし全国的な問題なのである。この問題はだから団塊の世代のの中で私のように変わり者はならない社会全体の問題となっているのである。それは数が多いからそうなっているのである。 


●温泉ホテルの廃墟化


バブルの世代団塊の世代も数が多くその人たちは高度成長時代を築いた。その後の時代のことがよく理解できないことがある。ただ、バブルがはじけて会社の経営が苦しくなり団体旅行もなくなった。そのために団体旅行の慰安のの場となっていた温泉旅館がホテルが全国的に廃墟化したのである。そこで金を使った人たちがもう使わないからである。 それは一時期の繁栄の跡として廃墟化している。福島県だと東山温泉とか 飯坂温泉である。飯坂温泉は奥の細道の行程の中にある。そしてイ一本の電車が通っていることで魅力もある。


 そこは歴史の道であり。医王寺は義経の家来の佐藤氏の墓所でもあり。芭蕉も寄ったところである。 そういう歴史的場所はやはり価値がある。古い白河街道は街道は猪苗代湖の湖南町の福良の方にある。鉄道の通っているところではないのである。そこを私はそこで私は蔵の宿に泊ったのである。だから昔を偲ぶならその街道をゆくべきなのである。


とにかく70年生きればその人生を振り返る。この戦後から70年は一時代だったと思う。それは明治から太平洋戦争までが70年だから一つの時代だったのである。ただその中でも団塊の世代バブル世代氷河期世代世代が大きな塊としての特徴ある世代だったのである。 


●バブル時代の夢の跡と化した温泉街の廃墟化


その時代の中で温泉旅館やホテルが廃墟化したのである。ただ、私はそうした団体旅行用のホテルとかは苦手でありほとんど泊まっていない。第一温泉ホテルは高いからである。また自転車旅行だと泊まりにくいからである。また断られたこともあるからである。


私はその頃、時間はいくらでもあっても金はなかったからである。最低の旅行しかしてないのである。私はただ泊まればいいと言うだけだったのである。 だから私が思い出に残ってる宿というのはほとんどない。福島県だと福良の蔵の宿が思い出となっている。 現代はそもそも旅はなくなり旅の宿はなくなっている。江戸時代ならどうしても歩く旅たびだから必ず宿で休まない限り旅はできない。というのは相当に疲れるからである。だからこそ旅籠に着いたとき足を洗うのである。それがもてなしである。なぜなら歩くのだから足が汚れるからである。それも草履で歩いてくるから足が汚れるから足を洗うのである。旅籠は相宿であり一つの部屋で一緒に過ごしたのである。ただ殿様だけは陣屋に泊まり特別だったのである。 


温泉旅館はホテルはそうして旅人をもてなす場所ではない。会社の団体旅行をもてなす場である。団体旅行の慰安の場所である。農民の湯治場として温泉があった。それが会社の慰安の場所となったのである。その会社がバブルがはじけて温泉のホテルの団体旅行は衰退した。そして廃墟化したのである。それもバブルの夢の跡だったとなる。


それにしても。温泉旅館ホテルだけではない。駅前通りさびれてシャッター通りになった。それは車社会の影響でそうなった。それは北海道でもそうであり。北海道はやはり温泉ホテルが廃墟化しているところはかなりある。ま駅前通りにも廃れたそれは全国的なことである。今賑わっているのは車が休むSaであり道の駅なのである。


 相馬市のイオンも撤退した。その影響も大きかった。そこが。街の中心の様にもなっていたからである。そういう大きなビルが廃墟化すると街全体にの影響が大きい。だから街づくりというのは、そうした大資本とかその他チェーン店でも経営できなくなる?経営できなくなるとどうしても。撤退する。でも前のように小規模だったら、商店でも食堂でも地元に根付いて経営で来ていたかもしれない。 だから街作りも見直す時期に来ているのかもしれない。


ただそれは車社会とか他にも社会自体の変化にあり簡単には変えられないだろう。でも戦後70年過ぎて色々変化があったが。また変化が起きてくる。もう日本全体がそうなっているのである。なぜなら。ゆうちょう。農協とか地銀でも信用組合でも何かもともとあった、そういう金融機関でも役割がなくなってきているからである。

だからそこに就職すれば、田舎だったら安定したものとなったがそれもなくなるとなる。何かもう安定し就職する場というのもなくなってきている。


これからどうなるのかということが見えない。ただ戦後70年過ぎて、また大きな変化があり変革が要求されていることは確かである。その極端なものとして津波原発事故があり温泉旅館ホテルの廃墟化があり駅前通りシャッター通り化がある

クルマ社会というものは?相当に影響していてもし車社会が多少変われば街の通りでも歩く人が出てきたり街に。にぎわいを戻すかも知れない。つまり常に社会は変化する。その大きな変化が70年ごとにやってくるのである。それが今なのである。だから、こういうときは大きな天変地異も起きてくる。この辺で起きた津波原発事故はそうだったのである。その後遺症は大きく。いまだに回復していないのである。 


●縮小化する日本の社会の衝撃


この20年で廃校になった公立小中学校は、実に8500校を超えています。


全国「3万の橋」がいつ崩壊してもおかしくない「日本の現状」がヤバすぎる…「都市部への引っ越し」を考えたほうが良い理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース




廃校になった学校も本当に多い、テレビで廃校になった前の店で学校からただ何か鐘の音が音楽が聞こえてくる、それも淋しいと思った、それだけもう村には跡を継ぐ子供がいないのである

それで長野県の廃校が宿舎になているところに泊ったのが思い出となっている。


このように戦後70年でインフラすら維持できなくなっているのである。その金ももまたマンパワーも不足しているのである。そうなると放置されて危険になる事故にもなる。空き家にしても膨大なのである。それを放っておくと危険にもなる。でもそれを利用する人がいないのである。

少子高齢化であれ、縮小化してゆく社会の衝撃が大きいのである。だからこそ社会自体を見直し対処しなければならない。そこでこれまであったものが維持できなくなる。また切り捨てる事もしなければならない。そこに相当な痛みが生じる。でも何もしなければますます社会が衰退して温泉街でもそうだが廃墟化してくる。この辺では津波と原発事故で村自体がいくつもなくなり町自体も廃墟化。だからこの辺はこれから日本社会が直面することを先取りしたものとなっていたのである。

すでに原発事故の周辺は住むことが難しくなっているからだ。極端なものとして人口減少が起きてそれを維持することができなくなっている。


だからこそ人口が移動して南相馬市なら原町とか鹿島区にまた相馬市に移住した人が多い。都市部に移住しろというとき創もなっている。そのことは確かに日本の未来になるのかもしれない。小さい町とか村が維持できなくなる。そうあってほしくないとしてもそういう社会になっているから人はもう限界集落とかインフラのないところには住みたくないとなってしまったからである。それがいいものではないとしてもどうにもならないということがある。多様な場所に多様に生きるのがいいと思う。それが昔の自給自足的生活だったらできたのである。でも電気がないとか病院がないとかスーパーがないとかそんなところに暮らしたくないとなれば、そうなってしまうのである。 




八坂村の廃校の宿

犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り 
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり

posted by 天華 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月16日

日本が衰退するのはなぜか? (将来の見込みが約束がない)

日本が衰退するのはなぜか?


(将来の見込みが約束がない)



なぜ将来の約束が大事なのか?ある人がお金を貸してくれと言う。金はは返すという。ではそのあてがあるのか?それはこの辺で原発事故の補償金が入ることである。私の地域は少ないにしても、やはり15万くらい入る。そのお金が入るからと貸してくれと言う。それは確かに入る金だから返せるとなる。

でもおかしなことはその15万入る金以上のものをすでに貸しているのである。でも確かに15万入るということはその金は返せるということである。不思議なのはそうして将来に確約されるものがあれば人は安心して金を貸したりできる。 


金も何も確保できない人には誰も金でも与えない。ただ、将来にそうして得るものがあり、確約されていれば金でも与えたりする。

なぜ大学に入るのに奨学金を借りてまで入るのか?またなぜその奨学金を貸すのか?それは働くようになってから返せると見込みがあるから貸すかすのでる。つまり若い人の有利なのはこれから働く力があり、稼ぐ力があるということである。その将来を見込んで金を貸すのである。老人に金を貸しても将来が見込めないから投資しても無駄だとなる。せいぜいいくらか寿命を延ばすだけだともなる。



そうしてなぜ今日本は不景気であり経済も30年も停滞しているのか?その原因は何なのか?将来が見込めないそのことにつきている。例えば高度成長時代だったら利子が3%とか7%とかあり貯金していれば利子がついて安泰だったのである。

今やそういうことはないむしろ貯金していても預金封鎖があるとか利子もつかない手数料が取られるだけだとかなってしまう。そうなると将来に対して見込みがなく不安だけになり消費意欲もうなくなってしまう。景気は気だというとき気力までなくなってしまうのである。

それが社会全体を覆って社会全体が何か気力がなくなってしまう。それで投資とか株は心理学の問題だと言っている人の言うことも分かる。それは気だからである。その気がただ衰える方向にしかない。それでますます全体が落ち込んでゆくのである。 


だから意外と将来が約束される収入の見込みがある。成長する見込みがある。お金が入る見込みがある。そのことが安心となり金を貸すこともできる。でも変なのは15万入るとしてもすでに30万以上とか払うことにもなっていた。それが何かおかしいのである。でもそのことはやはり将来に15万でも入ると言うことが約束されているから。安心して貸しているのである。実際に将来入る金より多くの金を払っているのである。だからこれは何なのかとなる 

人間にとって将来の見込みが将来に得るものがあるとき確約されている時人間はそのために今金が無い人でも金を払うとなる。


今、日本が30年も衰退しているのは?将来に対して何か成長でも利益でも見込めるものがないからである。技術的にも何か日本は遅れた。そして全般的にも日本はit化できないとか色々な面で遅れてしまったのである。そこで日本は将来の見込みがない。投資家でも投資しないのである。将来の見込みがあるとき日本も外国から投資される。でもそういうものがない時。日本は外国から見放されるのである。


だからキリスト教で神の国を最初に求めなさい。そして神の国に入る約束を得る。そのことが大事なのである。神の国に行けるということは約束されれば将来に対して安心なのである。 

なぜなら、人間は必ず死ぬ。巨万の富を蓄えても死んだらそのお金も使えないのである。 この世は何をするにしろ一時的に生きる場所でありいずれは死んでしまう。そして結局空しくされるということである。文明でも実際は大したもののように見えてもそれが最後は墓場になっているのである。


エジプト文明でもそうだしマヤ文明でもそうである。巨大なピラミッドでも建造物でもそれははかないということである。ピラミッドなどはその時間に抵抗して残り続けようとする意志の象徴である。そのピラミッドすら砂に埋もれて消えるかもしれない。いくら時間に抵抗しても最後は消えてしまうともなる。 そこに確かにヒエログリフで石に記してその功績を後世に残そうとしてもそれもはかないものとなる。


大都会もいずれは巨大な墓場となってしまうのである。永遠の都は天にしかないのである。この世の都はすべてそうして廃墟となり、墓場となってしまうのである。だからこれでいくら努力しても無駄だとはなる。最後は空の空になってしま。だからと言って、人間の努力を全て無駄にとは言えない。でもこの世で何か本当に価値あることを達成するということが出来ない。本当の価値は神の国でしか実現しないのである。


そもそも正義とか公平な裁きなどは実現しないのである。いくら法律を作ってもその法律もまた悪用される。だからこの世で正義であれ公正であれ実現しないのである。その努力は続けられるとしても現実は実現しない? 実現できないのである。つまりこの世はそういう場所であり人間の力では変えることはできないのである。だからこの世から悪はなくならないのである。だからこの世はいずれ神によって滅ぼされるのである。神の意にかなうことは絶対にないからである。確かに改良は続けられる。それがすべて無駄だとは言えない。 でも根本的には変えることができない。


それはなぜなのか?例えば社会体制が変えたとしても共産主義にしてもそれも結局独裁制とかなり全体主義となり何千万人の人間も殺されたのである。また資本主義でも限界にきている。民主主義でもそうである。何か制度をつくってもシステムを作っても人間自体が変わることがないからそうなる。だから、そもそも全体を変える事は不可能なのである。そしてまたこの世を理想郷にする事も不可能なのである。 

一つの問題を解決しても、また新たな問題が生まれ永遠にこの世から問題を解決することができないのである。 人間にはそれだけの知恵が持てない。それはできるのは全能の神しかないとなるのである。


エジプトの神像の永遠にあれと

そも儚く時に抗うも虚し

その偶像は地に倒れ砂に埋もれぬ

ナイルの岸辺月影に照らされて

ヒエログリフは浮かびぬ

その日は遠く神秘なるかな

謎は深まりその解明はつづく

ただそこに今聞こえるは一なる神

アッラーの声にして神像は虚し

巨大にして威を保つも

そに祈る者はなしも

そは神にはあらじ巨大な石塊となりぬ

畏れる者もなしも儚し


posted by 天華 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年07月15日

蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中 (合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中

(合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


鷺眠る地を汚さずに合歓の花

身に着きぬ蜻蛉手に我が老いぬ

はかなさや蜉蝣いとしむ一時を

ノウゼンに夕日の射して散り落ちぬ我が家の前街の中かな

藪甘草十輪ほどや集まりて咲くや草深き里我が住みしかも

蜉蝣(かげろう)この弱々しい虫は、成虫になって1日で死んでしまうことから、「はかなく短い命」の象徴として、「かげろうの命」という言葉が作られた。
日本以外でもこのイメージは同じだったようだ。
カゲロウの仲間を意味する学名「Ephemeroptera」は、「1日」という意味と「翅(はね)」という意味のラテン語から作られた造語である。

蜉蝣は初秋の季語となている。でも6月でも出始めて九月ころまででる。私がいつも見た記憶があるのは6月とか7月である。だからどうして初秋の季語になているのか解せない、ただそれなりの理由はあるのだろう。季語にしても一人では決められないだろう。

その蜉蝣が外に出て身に着いたので手にとった。それはなんでもないことだけど何か人間は老人になるとこんなことでも感じ方が違ってくる。何故そうなるのか?それは死がまじかでありこの世とも人とも別れるからである。実際自分の家族は全部死んだ。60年も一緒にくらしても死ぬと呆気ないとつくづく思う。
だから人間でもかげろうのようなものだともなる。でもこいうことは若い人は感じないのである。

しかし人間んはたちまち老いる。だから人の出会いでも本当にはかない、50年前でも会った人をふりかえるとそんな人いたのかとまでなる、現実に5年間子供の時一つ屋根の下で暮らした女性はその人はいなかった言っている。その人は普通の人でないからともなるがでもそんなふうになてしまう。人と出会ってもどれだけの人が記憶しているだろうか?

ほとんど記憶から消えてゆくのである。でも若い時はそう思わない、いつまでも青春がつづくと思ているし老人になるとも思っていないないのである、これが人間の一番の盲点だったともなる
そして30過ぎて40頃になるとすでに白髪が生えてたりする
40過ぎるともう老人に向かっている、これほど時間が過ぎるのが早いのである。無常迅速なのである。

そして時代もめまぐるしく変わる。この辺での変わりように驚いた。津波原発事故で村ごと消失したり町や村が廃墟のようになった。それも信じられない変化だった。これを予想はできなかった。このように世の中の変化は激しいのである
ともかく老人になると深い見方ができる。それは別に優れた人だけではない、老人が何か悟ったような賢い人に見えるのはやはり人生の現実を死がまじかだということを否応なしに突き付けられからである。あと何年生きるのかとなればそうなる。末期の目でみることになるからである。

合歓の花は終った、これも咲く期間が意外と短い、いつも田舎で鷺を見ている、鷺は自然と融合して自然を乱さない、そして眠りにつく、合歓の花のように眠りにつく、安らかであり地を乱さないのである。
なんかこのところ暑く夏バテになった。不思議なのは蛙がなかない、これは原発事故の影響かと思ったが田んぼが復興したとき蛙が鳴いていた。蛙がいないのはなぜだろうとなる。まだ蝉も一羽くらいは鳴き始めた、蝶もあまり飛ばない
この辺は雨がすくなくそれが蛙が鳴かないのか?他でも蛙がなかないと報告がある。その理由がわからないのである

2023年07月14日

原発事故の原因の真相 青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る

原発事故の原因の真相


青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る



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(4) 【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました【虎ノ門ニュース,高橋洋一,原子力発電所】 - YouTube


【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました



●原発事故の原因が明らかになる


原発事故の原因のことを追求してきた。それが単に地震と津波で不可避的に事故が起きたのであり。それはやむをえないことだった。そういう風にに見る人も多かった。でも今になるといろいろ。別な見方が出ている。それは私自身が追求したことでもある。このユーチューブで追求していることも共感した。 


津波と地震が原因ではない。

国の行政の対処は悪かった。

行政で癒着が生まれていた

保安院は何の役にも立たなかった

アメリカのお古の原子炉を買わされた 

東電内で若い人の意見を聞かなかった

科学者集団の十数メートル津波がくるということを無視した。

その無視した無視できた人は東電の幹部であった。

・・・・・・・・・・・


何か私自身が言っていたこと共通したことがかなりあった。それは事故後に言われたことでもある。ただこの人は危機管理の専門家である。 東電とかでも何か対策をしない。地震津波であれ事故に対して対策をしないということではなかった。

ただそれが実行されなかったので。だから若い人の意見をきいて防潮堤を高くして作りとか他でも対策は検討されていたのである。

専門家の科学者一団が津波が十数メートルの津波が来るとして警告もしていた。しかし、それも無視された。だからその責任がすべて地震と津波であり不可避的なものとして起きた起きたのでありその責任はないとなった。でもいろいろ検討すれば明らかにそれだけではない。責任があったのである。 

つまり危険なことが内部からも。外部からもすでに指摘されていたのである。

ただ、それが上層部や政府や関係者が無視したのである。


●権力によって必ず歪められる社会


そしてそこには必ず権力が持っている者がいてそれによって歪められる。


その権力をもっているものが。アメリカでもあった。


社会というのは必ず権力によってゆがめられるのである。権力を持てば得をする。悪い事しても咎められることもない。そして誰でも権力を持ちたいとなるなる。その権力にもいろいろあるが。金も最大の権力である。巨額のお金を使用できることが権力になる。それは原発でもそうだった。その巨額の金は想像もできないものだった。それは事故前でもそうであり事故後もそうだった。国の予算の何兆円という金が湯水のように使われていたのである。そのお金を使えば危険も無視される。誰でも金を欲しいから危険に眼をつぶる。地元の人でもお金をもらえば何も言わないとなる。こうして危険は無視されたのである。


その権力を持つものの最たるものがアメリカという巨大な権力である。これこそもう逆らうことはできない。だからアメリカでいらなくなったお古いのマークワンという古い原子炉に日本に売ったのである。それを買った日本にも問題はあった。でも相手がアメリカだとなると従わざるを得ないのである。このように原発は国際問題でもあった。原発は外国でも事故にあれば周りに影響するから周りでも監視しなければならないものであった。その国は勝手にできるというものでもなかったのである。そして今になってトリチウムの海への放水が世界で問題になっているのである。魚が汚染されるとかで問題になっているのである。


ともかくこの世で問題になるのはこの原発問題でもその事故の原因はなんであったかというと必ずしも地震津波ではない。人間側の問題としてあった。そこに人間側の不用意が問われたのである。

その人間側でも誰が責任があるかというと権力を持ったものなのである。若い人たちが防潮堤を作れとか高くしろとか東電内でも提言していたのである。また、科学者集団が十数メートルの津波がくると提言していたのである。

でも東電の幹部はそれを受け入れなかった。だから東電の幹部には重い責任があった。でも何ら責任をとっていないのである。財産没収くらいしてもいいのだが、それもされていない。つまり権力を持つものは責任をもつのである。実際に若い人たちが提言していたのに無視した。その無視する能力を持った者は権力を持つものだからである。だから、実際は権力を持つということは非常に責任があり怖いことなのである。


●報道も権力によって歪められる


でも誰も権力を持ちたいというのはそこで金になり得するからだ。結局全ては権力によって歪められる。そして人は権力に従うのである。マスコミでも実際は福島県の福島民報などは県の出資が半分であり創価の聖教新聞を刷っている。または宣伝で成り立っている。ほかの新聞も原発組合の電事連から800億円もの宣伝費が出ていたのである。

だから何も言えないのである。事故が起きていた時そのマスコミの幹部が中国に招待されていたのである。朝日新聞社でも招待されていたそのことでもわかる。いかに権力によって歪められるかである。というのは新聞を作り発行することは莫大な金がかかるからである。


するとその金をどうするのかとなる。 新聞を読む人から金を取るだけでは足りないからである。そこで宣伝費をもらい成立する。それで双相リテックとかを宣伝していたのは東北政経だったのである。双相リテックことは除染で大儲けした会社であり。大した技術がなくても幹部でその金を何10億のお金を山分けした。銀座で遊んでたりしていたのである。それもやはり雑誌を出すにしても金がかかるからである。つまり報道するにしても権力が必要なのである。金もない権力もない人は。何も言えないのである。ただインターネットができて発言できるようになったときある程度は報道の自由が生まれた。プログなど手間がかかっても金はかからないからである。でも別に写真とか動画でも出せるのである。そこが大きく変わったことである。


本にしても雑誌にしても私自身図書館にお前は個人というだけで本すら置けなかった、権力のないものは簡単に無視されるのである。

何か発言するにしても本を出すにしても、必ずその背後に組織団体があって発言できているのである。純粋な個人が発言すると言うことが殆どできないのである。一見個人が発言するように見えてもその背後には大きな組織団体があって発言できているのである。だから背後に組織団体の権力をもたないのは何も発言できない。ボランテアでも20人が集まらないとできないのである。現実に駅でボランテアしたら警察に公然と職務質問されてできなくなったからである。公務員とは、そういう権力を持った人であり図書館に本を置かせないということもできるのである。また出版もさせないということも簡単にできるのである。そこには警察もかかわてくるのである。東電には自衛隊でも幹部が天下りしていたからである、だから民主主義でも表現の自由などないのである。 

マスコミはたとえ発言ができても司会者が中心でありその脇役として多少コメントさせてもらう。


だから最近ユーチューブを見ているとテレビには出ていたがその本人がユーチューブに出て話しているのを聞くと何か違っているのである。今回でも青山氏はテレビにも出ていた。でもその人の言ってることはつけたしのようなものであり、その人の全体像はわからない。今回でもこの人は何の活動をしているのか?危機管理の活動をしている。そしてフランスにも実際に行ってその暴動のことを語っていた。そんな活動をしているのかとわかったのである。その個人のことは今まで報道されていない。だから分かりにくいのである。マスコミをとうして語るとき必ずマスコミの意向が反映するから。その個人のいうことが必ずゆがめられるそこで誤解をするのである。こうして個人自体がユーチューブで話す事は違っているのである。その辺が報道でも変わったことである。





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2023年07月13日

golden temples made by image creator


golden temples made  by  image creator



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五月雨の降り残してや光堂―芭蕉

確かに雨が降っている、でもこれは京都の金閣寺である
でも何か森に隠されているようで神秘的である。そういう点ではみちのくという感じにもなる
いずれにしろこの風景は作られたものであり不思議である

言葉を入れてどうして?このように絵ができるのか?この仕組みがわからない。文章なら分かる?でもどうしてこういう絵が言葉の検索で出てくるのだろうか?それをどうして作っているのか?それがわからない。


ただ、これには著作権があるのだろうか?それもわからない。でもこれは確かに新しい芸術である。それを私は他人の写真とか絵で抽象画を作って来た。。著作権がどうなるのかわからない。オリジナルの絵とはは全く違ったようにもなっているからである。


ただ、これは抽象画ではなく明らかに具象画である。写真でもある。こんなこと絵の才能が全くない私など描けるはずはないのである。だからこのパソコンと言うのは芸術に関しても大きな影響をもたらしたのである。


それが今までの技術とは何か違っている。だから、これは頭脳と深く関係しているのである。パソコンとはAIは第二の頭脳などである。



Why with words? Can you make a picture like this? I don't understand how this works. If it were a sentence, would you understand it? But why do these pictures come up in a word search? How do they make it? I don't understand that.


But is there a copyright on this? We don't know that either. But this is certainly new art. I've been making abstract paintings out of other people's photographs and drawings of it. I don't know what the copyright will be. I don't know what the copyrights will be, because it looks completely different from the original picture.


But this is clearly a figurative painting, not an abstract painting. It is also a photograph. There is no way that I, who have no talent at all for drawing, could draw such a thing. So this computer has had a huge impact on art.


It is something different from the technology we have had until now. So this is deeply related to the brain. The computer is AI is the second brain, etc.

2023年07月12日

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 


ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現


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●日本でも外国が入り二分して争う


今回のウクライナ戦争は遠いところだから日本と関係無いと見ていた。でもすでに歴史的に見れば日本も明治維新で世界の政治に巻き込まれていたのである。世界の歴史を見ないと。明治維新もわからない。何か明治維新というのは日本独自の力で成し遂げたと右寄りの人がしきりに言う。でも日本を舞台にして、すでに世界列強が深く関わっていたのである。その。世界列強の関わり方で維新の勝敗も決まったとなる。そこで見逃されているのが?ロシアが関わっていたということである。それとプロイセンが今のドイツが関わっていたのである。


 北海道の半分くらいを会津藩と庄内藩が管轄していた。幕府の命令で北方の防備にあたっていたのである。そのときロシアがヨーロッパに領地を拡大していたのである。その中にウクライナもあった。ウクライナの今の紛争はすでに江戸時代から始まっていたのである。それからも継続してヨーロッパとロシアは対立していた。その延長として今ウクライナ戦争がある。 だから今そのウクライナ戦争は日本から遠いとしも関係ないというものでもなかった。歴史は継続だから遠い国でも関係していたのである。 


戊辰戦争は薩長と幕府軍との戦いというだけでなく。実は外国が関わり特にイギリスが関わっていたのである。そのとき、イギリスは世界の七つの海を支配するとか覇権国だったからである。 ロシアと日本が戦った戦争でも日本を支援して勝ったともなる。その後に日英同盟が結ばれたのである。 その時から日本は国際政治に巻き込まれていたのである。ただ、日本からだけ明治維新を見てもわからないのである。 武器からして鉄砲でも外国から大量に入ってきたのである。アメリカの南北戦争ので使われた鉄砲が大量に入ってきたのである。またイギリス海軍が榎本武揚率いる幕府軍と戦い負けた。それで榎本武揚はイギリスに負けたと言っていたのである。このことでもわかるようにその敵はイギリスであり外国がかかわり日本は二分されて戦っていたのである。



●ウクライナ戦争と会津戦争の似ている点


だから今のウクライナ戦争を見るとやはり同じようなことが起きているのである。ただ、アメリカが。大きな国となってイギリスの代わりをしている。でも依然として、イギリスはロシアに対して敵対してウクライナでも工作員がスパイが入っていたりしているのである。ウクライナ戦争というのはの欧米側とロシアの戦争であり。今はその背後に巨大化した中国がいるのである。

そして日本は欧米側に組み入れられてウクライナを支援しているのである。 


つまり戊辰戦争は会津戦争でも世界情勢を反映してその中で会津軍が悲劇となったのである。それは今のウクライナと似ているのである。ウクライナで二つの覇権国勢力勢力が衝突してウクライナが犠牲になっている。ウクライナの独立を維持するのだというのもわかるが。その中でやはり大国が関わり。ウクライナは戦い自国の国民が多数死んで犠牲になっているのである。独立を守るということで戦っているというが日本の明治維新とも同じように実は外国勢力によって戦わされているということもある。 


とてもウクライナだけではロシアに対抗できないからである。だから常に武器を提供してくれと頼んでいるのである。

会津の戦争では新潟港が貿易港になり。そこに外国の武器が入ってきた。それは会津戦争にも使われたとなる。会津は山国でも新潟は日本海に面して交通路なり古代からすでにこうして流通があった


ともかく戦争になると人間の残忍性があらわになる。それで明治維新でもヤクザが戦争に参加したとか残虐なプリゴジン隊とか犯罪者が受刑者はが最前線で戦うというのと似ている。また会津戦争で女性がレイプされ残忍なことが行われた。今もロシアでウクライナ人をそうしているということでもわかる。戦争というものはそういうものでありそれが繰り返されているのである。日本の戦国時代も乱取りがあり同じだった、だからカルマなのであるかつてしてきたことがまた繰り返される。戦争もやはり終わることなくあり残忍なことがくりされる継続される。まさに人間の業でありカルマなのである。つまり人間からこうして。カルマは消えることなく継続されるのである。そして最後にハルマゲドンなのか、人間は滅亡するのである。


 ●榎本武揚の蝦夷共和国とは


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(3) 天皇率いる新政府軍に戦いを挑んだ旧幕府軍がつくった国【蝦夷共和国】 - YouTube


会津戦争はすでに百年以上過ぎているがそれでもなお長州藩の萩市と友好関係が結べないのである。それだけ恨みが残ったとなる

その傷痕は深く消えないのである。その悲劇が会津を象徴するものとなったのである。この武家の婦女子までが残忍にま殺されてしまったからである。

いずれにしろ明治維新から日本は国際政治に巻き込まれ否応なく戦わざるを得なくなったのである。だから300年の鎖国の時代は終わりついには第二次世界大戦に巻き込まれ3百万人も死んだとなる。必ずしもグローバル化とかはいいものでもなかったのである。貿易だけならいいのだが実際はそこで対立して戦争になり大きな犠牲を払ったのである。

江戸時代、300年はアジアでは戦争もなかったでもヨーロッパと大陸では絶えず戦争が行われてきたのである。ヨーロッパとロシアの戦いは江戸時代でも行われていた。それが今もうウクライナで継続されているのである。


奥羽道中 榎本武揚


鮮血留痕舊戦袍 壯圖一躓氣何豪

松陰凉動羽州道 白雪天懸鳥海高


鮮血(せんけつ)(あと)を(とど)む(きゅう)戦袍(せんぽう)

壮図(そうと)一躓(いっち)して(き)(なん)ぞ(ごう)なる

松陰(しょういん)(りょう)は(うご)く羽州(うしゅう)の(みち)

白雪(はくせつ)(てん)に(かか)って鳥海(ちょうかい)(たか)し


囚われの身となった今、私のこの軍服は過去のものとなってしまった。

この軍服にはあの戦いのときの血の痕が生々しい。

私は蝦夷(北海道)共和国の独立を内外に宣言した。

しかしその建国の壮大な企図は躓(つまず)いてしまった。

しかし私の心は少しもくじけてはいず、ますます意気盛んである。

私は今囚われの身として奥羽の道を歩いている。

その道に松の木陰から涼しい風が吹きぬける。

ふと見ると鳥海山には白雪がかかっていて、山は高く聳えている。



榎本武揚の蝦夷共和国は夢と消えた。この蝦夷共和国とは。実際は、東北列藩同盟と一体化するものとしてあった。現実に会津戦では新撰組も戦ったいたのである。旧幕府軍が会津藩を中心に薩長軍に官軍に抵抗したのである。この連合が強固なものとならず敗退したのである。 ただ東北という地域はもともと蝦夷であり化外の地として古代からあった。だからその延長として蝦夷共和あった。北海道新天地として新しい国を作ろうとしたということは理解できるのである。何か北海道には何回も言ったから親しみがある。北海道は東北と違ってその地を踏んだときから何か空気まで違っているのである。


だから意外と外国でも北海道は相当に人気がある。これもやはり北海道は日本的でなくその風土も違っているからである。田んぼがないということがそうである。清新の気がある大陸的である。だからこそそこでクラークとかが指導して内村鑑三とかが生まれたのである。北海道には確かにアイヌはいたが恐らくアメリカのような手つかずの大地が広がっていたという感覚であった。そこにも確かにインディアンがいたが土地は広大であり、未開だったのである。東北は会津でも古代からの歴史があり北海道とは違っていた。でも明治維新の時。東北、北海道が一体化した蝦夷共和国という発想は理解できるのである。


またプロイセンとかドイツとなるとロシアでも北方の風土であり。でありそれは北海道に似ているのである。北方的な気候であり森林でもエゾ松トド松とか北方的なものがあり寒いから高山植物でも平地に咲いているのである。それで本州とは違っていて魅力がある。田んぼでなく牧場の風景だということもそうである。だからドイツ的なものロシア的なものマッチしてくるのである。日本は沖縄から北海道と南国から北国の植生がありそこに変化がある。だから旅してても飽きないのである。中国などは満州でも果てしなくとうもろこし畑であり変化がないからである。日本は狭い国だけども。その風土でも地形でも変化がある国である。


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2023年07月11日

会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ (姓が語る福島県の歴史ー新妻、松本、只野)


会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ

(姓が語る福島県の歴史ー新妻、松本、只野)

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男のみ城を守るやさにあらじ手弱女なれど抗い果てぬ

雨しとと桐の花咲く会津なる菩提参りて相馬に帰りぬ

桐多く嫁入り道具に桐箪笥会津の暮らし偲びけるかな

激しくも流れ岩打ち奥会津草深くも鬼百合咲きぬ

会津なる伊佐須美神社に我がよるも雨降りとどまる秋のくれかな

雨降りてテントに一夜泊まりしは木地小屋なりし秋の夜ふけぬ

木地小屋は磐梯山を上る中腹にある

会津藩士 野村 新平
       朱雀3番寄合組隊鈴木隊半隊頭
       町奉行、200石、25歳
       明治元年旧9月24日大芦村矢ノ原にて戦死

会津の山々深く矢の原に死すも若きや秋のくれかな

新津駅線路交差しかなたにそ雪に真白く会津の山かな




伊佐須美神社から昭和村を通り矢の原湿原に来た、この湿原は日本で二番目に古いとありその雰囲気がそうだった。湿原としては広くないにしろ直観で古層の湿原と見た。

ここに咲く花こそひそか誰が見む今は花なき秋のくれかな

何か荒涼として原始の沼であり湿原だった、そんな所でもぼっしん戦争の血なまぐさい戦があり若くして死んだ会津藩士がいたのである
自転車で伊佐須美神社から昭和村から矢の原湿原に行った。ただその記憶があいまいとなった。

一面の萱の原の山を行ったことを覚えている。伊佐須美神社で雨がふりとどまったことを覚えている。伊佐須美神社は相当に古い
ここで佐須となっているのは飯館村の佐須と同類なのか、というのは飯館村の佐須には山津見神社がありそれは安曇氏系統のものである、

ここで佐須となっているのは飯館村の佐須と同類なのか、というのは飯館村の佐須には山津見神社がありそれは安曇氏系統のものである、会津にも大山祇神(おおやまつみのかみの神社がありこれは海洋民の安曇氏系統だからである。会津は山国だから焼畑がやはり行われた。佐須とは焼畑のことだからである。それは安曇氏系統が入り始めたとなる。

おおやまつみのかみ)とはやまつみであり飯館村の山津見神社と同じなのである。つまりいかに日本というのは海洋民の安曇氏が広範囲に入り拓いた地かを証明しているのである。


会津の系統が武田氏にあるというのも意外である。武田というと遠いようだが信州は遠いという感覚ではないかもしれない、また葛尾村(かつろう)は信州から移動したものであり

治承四年、宇治川の戦に敗れ命からくも逃れた高倉宮以仁王は越後に落ち延びることになり、中仙道から上州沼田を経て尾瀬から下郷・大内宿に入った

山を伝う道があり逃れたのである。戦乱がありそこから逃れた武士が先祖になている所がある。平家の落武者伝説が多いのはそのためである。南相馬市の鹿島区の只野氏も南北朝の戦いで霊山城が炎上して落城して逃れた一族だったのである

この地が「葛尾」と名付けられたのは、信州・長野県が発祥です。長野県の坂城町にある山の上にある城跡の名前が「葛尾城」といって、戦国時代の武将、村上義清の居城でした。この城をめぐって武田信玄と激闘が繰り広げられ、義清は2度勝利しましたが、3度目に敗れました。その際、家来だった松本勘解由介が相馬に落ち延び、相馬当主から三春領と相馬領の国境警備を頼まれて住み着いたこの地を「葛尾」と名付けたといわれています

ここでは松本の姓が三分の一いる、こういう山の村だと外部からの人の出入りが少ないから松本という一族が継続して住んだとなる。常磐線の末次駅をおりて墓地を見たら八割くらい新妻の姓だった、また南相馬市の鹿島区は南北朝の争いで北畠氏が守っていたが霊山城が炎上して落ち伸びた武者の一族の町である
だから只野の姓の家が50軒くらいある。戦乱があり勝者と敗者がありその歴史が姓に残されていたとなる。

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末次駅降り墓地たずぬ大方は新妻の姓や畑に菖蒲咲く

昭和村となると歴史が感じられない、長い歴史から見れば昭和は新しいからである。
ともかく、福島県といっても広いのでは?会津というときそこが東北ではないという作家もいたし。会津は一つの大きな国であり別の国なのである。その成り立ちは古く日本海から阿賀野川を通じて四道将軍が会ったいうことになる。そこに東北で一番古い古墳大塚山古墳があり三角縁神獣鏡が埋もれてあった
それは東北ではここにしか発見されなかったのである。だからすでに早い時期から日本海を通じて交流があり吉備氏と結びついていたのである。。

三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である
副葬品の多くは優品で、畿内から移入されたもの、畿内文化の強い影響を受けたものが多いことから被葬者と大和朝廷との関係が注目される。
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だからなぜ会津が信州とかと結びついていたのかというと 山伝いに来たのかとなる。吉備と関係したということは?どういう経路でそうなったのか?吉備はは瀬戸内海であり、瀬戸を根拠としており。そこからどういう経路で会津まで達したのか?日本海から阿賀野川を使って会津に入ったということもある。 



  • 毛野氏族の分布 毛野は吉備の分流であることが分かってきている。毛野氏族の姓氏・分布など・・・

  1. 茅渟(ちぬ)地方・・・起源地である。和泉(いずみ)国の沿岸の古称。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯。

  2. 摂津・河内 (磯城・葛城)→近江→北陸道(能登)→信濃→毛野地方(上野・下野)に到る経路をとって、畿内から東国へ勢力広げた。

https://minowa1059.wiki.fc2.com/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%81%AE%

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南相馬市鹿島区の浮田国造があり。それは毛野氏系統なのである。原町の泉かんが跡は海側にある。最初は山側が古くそれで毛野氏の勢力が伸びてきた、真野という地名は浮田より新しい。浮田神社が常磐高速の鹿島のSAに祀られた

だから浮田の範囲は山側に広いのである。また縄文中期の遺跡が飯館村に発見されたから山の方が古いのである

海側はあとから発展した、それは太平洋は波も荒く交通路になりにくかったからである。



とにかく会津でもわかりにくいのは山が多いからである。山がひしめている。それも2000メートル級の山なのである。この辺で一番高いのは鹿狼山であり400メートルなのである。だからこの辺で物足りないのは高い山がないことなのである。
高い山があると引き締まるからである、それが心にも影響するのである


 昭和村の地名

昭和村は会津でもかなり奥深い処だった。昭和村への道を入ると温泉が旅館がありそこで温泉にひたり疲れをいやした。それから村の食堂で食事をしてそれからかなりうねうねと山を上っていった。そこは一面の芒、萱原であった。その山の上に矢の原湿原があった。この湿原は日本でも二番目に古いとか道の脇にあるにしては古い沼だったのだ。ここで会津藩士が討ち死にししている。壮烈な戦いがこんな奥まで持ち込まれたのだ。こんな静謐な沼のそばにそんな案内板があるのもにあわない、反面そのことはあの会津の落城は壮烈なものだった。戦いは熾烈だったことを示している。なぜこんなところまで来て戦っているのかわからないからだ。確かにそこまでは覚えているのだがそこからはどこに出たのか覚えていない、自転車で行ってもこのように地理とかがわからなくなったり忘れるのだ。だから記録が大事になる。一面になびいていた萱原と沼とは覚えていたので思い出して詩も書けた。

それで昭和村の地図を見たら面白い地名を発見した。昭和村は大芦村と野尻村が昭和に合併してできたのだ。合併してできた名前はその村の歴史を消す場合がある。この合併地名はかなり多いのだ。大芦村の処は確かに芦が繁る処であり野尻というのも野の尻という意味でそれなりに地形として合っている。ここでは野は山間の平らな所でその尻となる。その他に日落沢とか転石峠とか木地小屋とかあった。これも山深い処の地名に合っている。日影山とか日落沢というのは山で日が落ちて陰るのが早いのだ。そういう地形が多い。転石峠というのは石が転げてくる危ない峠のことだしそういう処も多い。今でも落石注意とか案内板がある。それから駒止峠とは駒が止めるほどの峠道のことでこれは檜枝岐につづいていた。針生部落から檜枝岐は駒止峠でありこの峠は私は20年前くらいにバスで行ったがくねくねくねくねと曲がってやっと越えられる舗装もされていない、埃がたつ凄い峠だったのだ。ここを越えて檜枝岐まで行くのだから檜枝岐は秘境だった。今は観光化されて秘境というのはないのだ。

つまり秘境とは交通でも閉ざされていて外界との交流が少ない処である。交通が発達しない戦後まもなくや戦前はこうした地域は非常に多かった。そこでは自給自足の生活をしていたのだ。だから秘境は多かったのだ。まるでみんな仙人のような生活をしていたのだ。ソバが常食となるのは米がとれないためだし米を食えないという僻地でもあった。旅するならいくらでもその頃秘境があったのだ。今は秘境はない、自動車や交通の発達でどんな奥地にも気軽に行けるから秘境はないのだ。

ただ昭和村というと今では観光化した檜枝岐より秘境の感じがある。あまりに観光化するとかえって魅力を失う、昭和村はその点まだそういう秘境的なものがある。インターネットで探したらそこにキャンプ場があり木のバンガロ−があり4000円で泊まれるとあった。ここに行きたいなと電話したら今年は終わったらしい。雪はふらないが紅葉も終わった。パスの便も終わり自動車がないと行きにくい、でもあんな所で3日くらいのんびりすごしたら気持ちいいだろう。この昭和村についてはからむし織りとかで良く宣伝しているがそれよりも何もなくてもわずかに残された秘境として価値あるんじゃないか、つまり秘境とはとにかく鉄道が通らず街からず−と離れた孤立したような山の中であればいいのだ。檜枝岐のように頻繁に人が入るようになると秘境ではもはやないのだ。伝説として次のようなものがあった。

治承四年、宇治川の戦に敗れ命からくも逃れた高倉宮以仁王は越後に落ち延びることになり、中仙道から上州沼田を経て尾瀬から下郷・大内宿に入った。橘諸安公の娘・桜木姫と高野大納言俊成公の娘・紅梅御前は数少ない家来を共に京から王を迫ってこの地に辿りついたものの、恋しい人はすでに越後へと向かってしまったあとだった。身のおきどころなく畑小屋集落にしばし滞在したがどちらも間もなく亡くなり、御前は下郷町戸赤の渓流沿いにまつられ、桜木姫の墓は大内集落のはずれに今もひつそりと残っている。そこから畑小屋の山は御前ヶ岳と呼ばれるようになったが、畑小屋の鎮守は以仁王の父・後白河法王を祀ったものという。

大内部落には都落ちした高倉宮以仁王の一行に同行したある従者の君「桜木姫」長旅の疲れから18歳の若さで亡くなり、この地に眠っているといわれています。このお墓の周辺を御側原(おそばはら)といいます。源氏と平家の争いがこんな僻地まで尾をひいたのか祭りがあるからこれは本当なのだろう。ただ平家落人部落というのはかなり嘘が多い。義経伝説も北海道まであるのだからこれもどこまで本当なのかわからない、それでも奥地まで戦いがあり落人狩りなどが戦争では行われたのかもしれない、執拗な追手というものがあって身を隠さざるをえないこともあった。

会津というと何回も行っているがやはりあそこが良かったなとかもう一回行く処はまた調べ直してその土地に詳しくなり今度は別な処を探査してしみようとかするのがいい、あそこはただ通りすぎただけだったから今度はまわりをよく見ようとなる。でも何日か滞在しないとやはり自然はわからないのである。だから旅は小臆する旅をしろとなるのである。











2023年07月10日

加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る (団塊の世代を語る―加治氏も同世代)

加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る


(団塊の世代を語る―加治氏も同世代)





●戦後の世代の特徴


最盛期には、不動産にも何十億と投資していました。

そんな時、バブルがはじけて不動産価格が急落。

資産が吹き飛んで、倒産しました。

今思うと、あの頃は何でも思い通りになるとどこか傲慢になって自分を過信してしまっていたのですね。

日本に帰国後、アメリカと比較して日本の不動産市場のおかしなところを纏めた書籍を出すことになりました。

これが、メディアにうけてテレビ番組に出るようになったのです。

これが、今の作家の活動に繋がっているのです。


一人の人間を見ることは難しい。その人がどういう人なのか知ることは簡単にできない。でもその人と何か共通点があるとわかりやすいのである。例えば世代が同じだとか産まれた地域が同じだとか同じ興味があるとか同じ専門だとか何か共通点があるとそこからその人間を推し量る。私の場合団塊の世代であり加治氏と同じ歳なのである。だから言ってることに理解できるし共感をもつのである。 





【団塊の世代】1947〜49年生まれ

戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っただ中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。

【バブル世代】1965〜69年頃生まれ 50−60代

日本がバブル景気に沸いた企業の大量採用期に社会人となる。「24時間戦えますか?」と高らかに歌う栄養ドリンク剤のテレビコマーシャルが大ヒット。長時間労働に疑問を持たず、接待会食、接待ゴルフ、接待麻雀など、勤務時間外も仕事の付き合いで縛られるのが当たり前のこととして受け入れられて

【就職氷河期世代】1971〜82年頃生まれ 40−50才


バブル経済がはじけ、長期の景気後退局面へ突入。企業が求人を絞ったために正規社員として就職できず、契約や派遣などの非正規の仕事しか得られなかった人も多かった。運よく正社員として就職できた人も、入社早々から業績悪化、経費削減、リストラの波にもまれたために、危機意識が強い。

いた。




戦後では、この三つの世代が目立っている。その数も多いからである。団塊の世代だった私たちの世代は共通したものを持っている。それはあまりにも数が多くて教室すら確保できない状態だった。加治氏も一クラス70人だったというからそういう時代だったのである。

それで高校でも数が多くて入れないとかになり受験競争になったのである。その時私は勉強に興味もないのにしていたのでいやだった。また必ず試験が何度もありその成績が順位でもって学校に張り出されていたのである。その経験は全国的に同じだったのである。そういうことをすると同じクラス、学校でもクラスでも他者に対して何とか抜きん出ようとして競争しよう煽ることになる。でも数が多いから椅子取りゲームになっていたのである。 この競争は数が多いから氷河期世代まで続いていたのである。だから、これらの世代の人は何かと他者に対して競争心が強く自分が上だと言うことを示そうとする。

ただ、加治氏が意外だったのはアメリカに渡って不動産業で成功したもの人だと思っていた。でも実際は失敗していたのである。帰国してから作家となり、ある程度成功したとなる。


●団塊の世代の子供時代、数が多く熾烈な競争を強いられた


人間を見る場合。学歴から見る人が多いが実は人間は経験によって作られるのである。だからその人を見る時、どんな経験したかをみることが大事なのである。何々大学卒とかみてもその人をわからない。ただ外国に留学して外国で学んだ人は価値があると見る。で採用するときもその職歴を見るとわかるし何も職業を経験していない人は採用などされない。自分等は職歴が何もないから会社に勤められないのである。まず採用などされないからである。

学校にも適応できなかったしもちろん会社にも適応できない。だからただ自由に旅して学び終わったのである。そこに大きく欠けたものがあったのである。ただ自分ひとりで個性を伸ばし個性に合ったことをしてきたからよかったのである。それは家族に恵まれた結果だったのである。


とにかく加治氏の場合アメリカで実際に仕事をしてきたということはその経験が大きい。日本で仕事をすることは相当に差があるからである。ただその時代不動産業には適していたのである。高度成長時代に。アメリカの土地がニューヨークでも買い占められると当時アメリカが騒ぎ日本を敵視したからである。今になると日本が中国に土地が買われるということと似ている。 それが今の日本になると信じられないともなる。あまりにも日本が失われた30年があり落ちぶれてしまったからである。

そして目立つのは氷河期世代でこれも人数が多いから大きな問題となったのである。でも当時は自由な働き方であり非正規は時代の働き方として推奨されていたということもあった。ただ、私は社会から離れて暮らしていたからそのことはよくわからなかった。何か時代というのは人生というのはあとから振り返ると見えてくるのである。だから老人になると過去を振り返り明確に見えてくるものがある。それで老人は昔を語るのに向いているのである。


ただ加治氏の育った環境と私の育った環境は似ているが家庭環境は違っていた。これは8人兄弟なのか?末っ子であり粗末に扱われたのである。父親には何かというと殴られたという。そういう時代だったのである。それは学校でもそうだったのである。学校でも先生が平気で殴ったり廊下に立たせたのである。平気でそういうことをしていたのである。それができたのは実際は家庭でもそういうことをしている。子供は厳しくしつけたほうがいいということで容認されていたのである。それで殴られたとか近くの先生だった人を恨んでいた人がいたのである。

だから別に親は何も言わなかったのである。今でも同世代の母親は厳しくした方がいいと言っているの。何故ならその時女性は親に殴られたり、先生に殴られたりされないからそうなっていたのである。こうして同じ世代だと共感することがあり話が分かるのである。


●教育環境が悪かった時代


そして何度も言っているけどその人も勉強する個人の部屋などなかった。だから子供部屋おじさんなども団塊の世代にはなかったのである。何か家で勉強できるようなものは何もなかった。私の家は店屋であり子供の時から絶えず配達をさせられていたので。私の父親は明治生まれで酒屋の丁稚であり。だから私も丁稚のようにされていたのである。

でも戦前でも戦後まもなくは子供はそうして働いて親に尽くすものとしてあったのである。戦前になるとそれはもっと厳しいものとなっていた。今外国から働きに来る人は貧乏であり親に仕送りするために親のために働いているのである。そういう時代があったということである。 

その様子が変わったのは、高度成長時代に入ってからである。それでもわからないのは高校まで東京オリンピックの時蒸気機関車に乗って原町の高校まで通っていたことである。これがどうしても信じられないとなるのでは?

とにかく時代というのはは急速に変わる。昔からも三日見ぬまの桜かなとなる。3日であっという間に桜が咲いたということである。3日も見ないうちに満開になってしまった。それが中国である。十数年前いやもう20年まえのか中国に行ったときは物価は、日本の1/10であり貧乏な国だったのである。それが新幹線のようなものまでが走り、日本より豊かな人が1億人でも増えればそれはもう全く違った国になってしまったのである。このように時代の変化は大きく忽ちまた過去がわかりにくくなるのである

私は加治氏の著作物には関心が無かった。一冊も読んでなかったのである。でもユーチューブで話すことを聞いて、興味を持ったのであるだから人間は本だけがその人を知ることでない。その人全体を語るのは本だけではないユーチューブとかブログでも語れるようになったことを知った。これらのメディアは個人が制限なくいくらでも語れるということである。テレビとかに出てもほんのちょっとコメントするだけだからである。その人の全体像というのは見えないのである。テレビでは主役は司会者なのである。そしてコメンテーターは司会者であり喋れるということもある。あくまでも主役は司会者なのである。でもユーチューブは主役はその本人なのでその差が大きいのである。


ただ加治氏についても分からないことはなぜアンティークコインが投資にいいのかとかは理解できない。そもそもアンティークコインことなどあることすら知らなかった。 加治氏は北海道の札幌出身である。だから、海道のことは詳しいはずだがあまり語られていない。その辺に不満はある。つまり、その人がどこに生まれてどのような家庭環境で育ちその後どういう経験をしてきたか?それはやはりその人物形成に大きく影響しているからである。、私は常に自分の出身地のことを東北地域と福島県と相馬地域のことを語り続けているからである。


とにかく人間はその人の経験したことがその人を作る語るにしてもその人が実際に経験したことが訴えるのであるそこに経験の重みがある

ただその経験はグローバルでありそれは本を読んでしたものではない。経験で知ったものだからである。経験が人間をつくるのでありいくら本を読んだとしても外国のことなどわからないからである。私も50歳からバックパッカーとして外国を回ったことが経験として生きてくるのである。それまでは全く外国に行ってないから恥ずかしいことを言っていたのである。それで加治氏の経歴はやはりほかの人は違ってそこに語るべきものを持っているということである。 


しきりにいう思考脳とかっていうのも理解する。それで暗記教育の学校教育を批判していることも共感する。加治氏の場合は既に小学校からそういう態度であり思考を持っていたことに驚く。私はただ言うなりになっていたし、自分で考えることなどしたことなかったからである。でも何か疑問にもつことがありなぜ人間は死ぬのだろうとか追求し考えてその解答を求めて求道していたのである。


いずれにしろ一人物を知ることは難しい。ただ、同世代であり時代を振り返ると見えてくるものがある。でも戦前の戦争を経験した人を理解することは非常に難しくなっているのである。頭の中で戦争というのは考えてもわからない。だから私の母親は学もなかったが軍人は威張っていたというとき戦争の時代はそうなると言うことをその一言でもわかる。それは実際に経験した人が言ってからであり、本で読んだ人が言ったって実感わかないのである。だから実感というのは大事であり。実際にこの目で見たもの経験したものがその人を作るのである。


そういう事が今ユーチューブとかで語られているから今までの一方的なテレビとは違っている。青山繁晴のフランスの暴動がなぜ起きたか?アフリカの植民地だったアルジェリアとかその人たちがフランス語を喋るのでフランスに来ている。その経済格差が大きいからフランスに移民するのである。そこで差別があり暴動になったのである。その生々しい肌感覚でそこに行った人が語るときなるほどと思うのである。それがただ本などで実際に行ってもいない人が語るとき訴えないのである。だからいかに外国で生活した経験が有益かわかる

生活したとか仕事までしたということがその経験がその人を作るということである。 

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(2) 【ぼくらの国会・第554回】ニュースの尻尾「仏暴動 明日の日本」 - YouTube


●日本の歴史伝統を否定するのは問題


加治氏はにキリスト教徒でもない。でも愛を語る最も大事だとして語っている。 愛がなければ思考のも育たないとしている。実はこの愛というのは愛される愛ではないのである。キリストが教えたのは愛する愛であり、愛される愛ではないのである。それが誤解しているので大方の人はただ愛されたい。そしてなんでもいいからものでも何でももらいたい。そういうのが愛であり、宗教だと見ているのである。そこに大きな誤解があるのである。なぜなら人は何も与えたくない。ただ与えられたい、もらいたい、愛されたいしかないからである。そこに宗教に対する大きな誤解がある。もしそうだとしたらみんな宗教を避けることになる。何ももらえないとしたら与えるだけだとしたらいやだとなるからである。


また加治氏は日本の伝統のことを否定するのがすべてアメリカから入って来たものはいいものではなかった。キリスト教でもその国に入ったとき必ずその国の伝統とマッチして発展したのである。だから仏教でも中国に入ったとき中国的な仏教徒なり。韓国には入いった時、韓国的な仏教となり、日本に入った時、日本的な仏教となったのである。その国の歴史伝統がありそれにマッチしたものとして受け入れたのである。もしそれがなければその宗教も生きてこないのである。それを証明しているのはカトリックはフィリピンとか南米とかに入ったキリスト教はただ押し付けられたものとなり。その国自体の歴史、伝統ととマッチしたものとならなかったのでそこから日本のように仏教文化とか生まれなかったのである。そのときあった伝統的なものは根こそぎ破壊されたからである。

日本だったらキリスト教でも内村鑑三などは士サムライであり武士道に基づいてキリスト教を受け入れたのである。また神道を尊んだ手島郁郎でもそうである。 そこにもやはり見習うものがある。でもその国の歴史と伝統にに基づいてキリスト教も受け入れられたのである。


でも日本の戦後というのはそういう歴史と伝統を根こそぎ失われたということもある。その結果として、日本というのはもはや日本ではない。日本というのは、日本人はすでにアメリカ人になっている。加治氏は日本人ではなくアメリカ人なのでそれを今の日本人はみんなアメリカ人になってしまったのである。なぜなら日本の歴史伝統というものは否定されたり理解できないものとなっていたからである。

そこに良い物があってもアメリカのものはいいものとされたこともある。だからこそ日本というのは本当にアメリカと似ている似てくる。アメリカで起きてくることは日本でも起きてくる。なぜなら日本というのはアメリカのコピーだからそうなるとアメリカの悪い点もまた見習うことになりそれが現実化しているのである。ただ金だけを求める日本人になったからである。すべての価値は金に換算される。金にならないものは何の価値もないとなってしまったのである。それはアメリカ人に習ったからそうなったのである。アメリカに留学した内村鑑三はそう言っていたからである。でもそのときはまだ日本人的なものを伝統歴史が生きていたのからそうなったのである。だから日本の歴史伝統を否定することは問題なのである。


もちろんアメリカにならうことはありそれは否定できない。結局、アメリカの悪いとこも真似て日本も全てがアメリカ化して今日があるとなる。そもそも今?日本人が何なのかということすらわからない。なぜならみんなアメリカ人になってしまったからである。


この人はまさに日本人だなという人は見ないだろう。依然として明治時代の時は内村鑑三のよう侍の伝統は生きていたのであろう。だから明治は偉大な時代だったのである。それは日本的歴史的伝統が継続されて血肉となったものがありそこにキリスト教を受け入れたから日本的キリスト教となり活きたのである。南米ではそこには歴史伝統となるものはなく根こそぎ破壊されたりしてキリスト教は接ぎ木されなかったのである。そこに戦争に負けたということで歴史伝統も破壊されるということがいかに影響が大きかったかということである。 










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2023年07月09日

情報戦争時代で判断できない (情報は権力を持つ者によって操作される)

情報戦争時代で判断できない


(情報は権力を持つ者によって操作される)


●情報過多で判断できない 


現代はグローバル化して情報も膨大になっている。するとその情報が何なのか知る事自体が難しくなる。そんな能力が人間にはないからである。 一個人では判断できなくなる。

そのことは原発事故でも起きたし。ウィルスでも起きた。また、今はウクライナ戦争でおきている。原発事故放射線のことなど素人には分からない。ウイルスもわからない。ウクライナ戦争でもこれも理解するのは難しい。なぜなら必ず原発事故でも安全だという御用学者がいてマスコミでも宣伝費をもらっているから、それに与する。だから専門家が正しい情報を与えるかというとそうでもない。ではどうして判断するのだろうか?


専門家すらわからないことを素人がどうして判断できるのか? ただ、正しい判断をしないと原発事故となり自分たちの住んでいる所にも住めなくなる。実際に住めめなくなった。だから判断できないからといって誰かに判断してもらい任せるということは危険になる。

貯金には利子もつかないし株をしなさいと言う物価も上がり貯金しただけでは目減りするから。でもこれもまた難易度が高いのである。奨める銀行員すら全くの素人だったからである。。証券会社の人が来ても同じである。


要するに銀行でもまず銀行の利益を考える証券会社でも同じである。まず手数料を取ることを考える、私が経験した事では別にインデックス株というのはわかりやすい?安い時買って高い時売ればいいだけである。それを長期的に見れば儲かる割合が大きくなる。だからリーマンショックの時、半分になった株でも元に戻りそれから倍以上になったのに驚いた。

でも銀行では勝手に元に戻った時売ったのである。それは銀行では転売して手数料を稼ぐことで儲けるからである。頭の中にはその手数料を稼ぐことしかないからそうなる。つまり人間はみんな自分の利益だけを考える。それは会社でも同じである。会社の利益になることが自分の利益になることだからである。 そこに必ず問題が起きてくる。


また。カルト教団でも教団の利益になることが自分の利益になるから奨めるのである。人を救うとか関係ない自分たちが儲けることである。


●人間はすべて利益を求めている―公平を求めていない


教団の利益になり会員が増えて権力化してそれでさらに利益を得ることしかない自分の利益となるから運動しているだけである。


人間はそもそもみんなそうして利益を上げることを日々の活動にしている。それをみんな咎めることはできない。それがまた全部悪いということでもないからである。誰も利益にならないことはしない。それでただより高いものはないというのはそのことである。これは本当に?そうである。人間は無料でただでやるとき何かをしてやるときでも高いものになる。 誰も見返りが無く、無料では何もしてくれない。それをするとなる時、暗黙のうち返って見返りを要求しているのである。 だから人間社会は何々してもらったらいくらいくらと金で明確に決めてそれであとは払わなくてもよいとしているのである。でも無料でするときいくらでもいいですよというときそれは最も高いものとなるから、そういうことわざが生まれたのである。


ともかく人間社会はこうして。毎日自分の利益を求めて働いている。そしてそれ相応の利益を得なければ働かない。それは別に悪いことでもない。働いた分の金を利益をもらえるのは当然だとなる。

だから個人でも会社でも自分たちの利益を優先するしそうしなければ何もしない情報も教えないのである。 でも本当に真実を見極めるとしたらその利害にかかわらないことかもしれない。2人が争っている時一人から金をもらったりしていたら利害関係があったら公平には見られなくなる。でも原発事故でも安全神話が作られたのはそこに政治家マスコミでも巨大な利権となり利益が得られるからそうなったのである。危険を言う人もいたがそれは無視されたのである。 


情報というものも必ず操作されているのである。原発で安全神話が作られたのも政府であれマスコミであれ御用学者であれそれらが一体となって操作されたからである。つまり何らかで利益と結びつかないことは、この世にはないとなる。だからこそ無料になる時。それはかえって高くつくのである。誰も無料では何もしないからである。それは当然だとなる。でもなぜ判断が誤るのかとなると必ずこうして利益と結びつき利権となりそこで判断を誤る。 神が偏りみないと言う時公平になるのは利益とか利権にと関わらないからである。だからこそ公平になれるので、人間社会では利益にかかわるから公平になりいないのである。 だからこそ情報自体が真実でもなく科学的に正しいとか正しくないとかでもなく利益利権によって左右されるから学者でも原発は安全だと宣伝していたのである。


●ウクライナ戦争の情報も欧米側に偏っている


それはあらゆることに当てはまる。コロナウイルスにしても医療関係者や医者の利権となるとかで正しい情報が出ないということもあった。本当に何が危険なのかもよくわからなかった。そこで儲けたのはワクチンを売った外国の薬剤会社でありまたコロナウイルスで巨額の金が医療関係者に病院に医者に出たのである。コロナウイルスでも収まるより収まらない方が金になるとなり。コロナウイルスの危険を大きく言うともなる


ウクライナ戦争でも9割ぐらいは欧米の情報でありロシアが悪いとなりロシアが不利となりロシアは滅亡するとか言われ。でもごくわずかであるが1割ぐらいはむしろウクライナが悪いのでありウクライナはもう戦争続けられない。それは欧米からの情報だけに頼っているとそうなる。ウクライナが勝っている欧米側の情報に接することが多いからである。 


要するに公平に判断するのはとにかく利益と利権と関わらないことである。となれば公平に見られる見れるということになる。アメリカは戦争国家でありアメリカはウクライナに入って戦争をするようにしかけた。そういう見方もある。これも全て否定できない。だからこそ。ロシアのプーチンは反発したのである。 アメリカが全て正しいとはならない。それは日本との戦争でも同じであり。アメリカは正しいから戦争に勝ったということではない。アメリカは戦争国家であり何か言い掛かりをつけて巨大な力で圧倒してし敵を潰してきたことは確かなのである。ただ、日本では負けたから。アメリカに逆らえないというだけである。


だからアメリカが欧米が全て正しいとはならないのである。戦争にしても別に正義のために戦うというわけではないからである。自分たちの権益を権力を拡大したいということがありそれが戦争の原因だったからである。だからそこに戦争に正義を持ち出すことは危険なのである。アメリカは何も正義の味方でもなんでもない。軍産共同体があり戦争はないと失業するとか何か利益と関係してるからそうなる。ただ、ロシアはまた正しいということにもならない。 情報とは必ず一方的になりやすい。客観的公平に判断できないものとして情報がある。 


●情報は権力を持つものによって操作される


結局情報を操作できる者が判断をするのでありそれは権力と関わっているのである。NℍKでもその判断は幹部がしているのである。だから、重要なことでもその報道されないこともありその判断は幹部がしているのである。つまり情報自体に公平がないのである。権力が権力を持つものは情報を操作できるようになっている。第一テレビなどは一個人が出て報道させてくれたといってもできない。新聞でも。雑誌でも。本でもそういうことがある。

ただインターネットだとプログとかいろいろ簡単に個人でも発表できる。そこで公平にはなっているが。ただあまりにも数が多いからそこで目立つことは至難である。だから数の中に埋もれて。重要なこともまたわからなくなるのである。これまではマスコミに出ればその内容はともかく。それで有名になりことが出来たのである。 


どうして公平に判断できるのか?これが情報社会の大きな問題である。情報が莫大に増えてもそれでさらに混乱して判断しにくくなる。

 でもどうしても大きな権力を持つ者によって組織に団体によって情報は一方的になりその見方は偏ってしまう。だからアメリカは欧米がウクライナ戦争でもウクライナが有利であり勝っていたという情報が多く欧米側の見方になる。でもロシアの方が実際は勝っていてウクライナは窮地に立たされているという人もいる。それもまた判断しにくいのである。


グローバル化はさらに情報は膨大になり判断しにくくなる。それでフエクニュースにだまされる。アメリカとイラクの戦争でも一羽の海鳥が油まみれになっていたがそれは一羽だけであり周りは油にまみれになっていなかったのである。それはアメリカによって作られた映像でありそれが世界中に放送されて世界の人が起こりをおぼえたのである。それはアメリカによって操作された情報だったのである。だからアメリカも信用できないのである。 


●人間は公平に見れない偏る


いずれにしろ、どうしたら公平に判断できるのか?


それが大問題である。 何故ならその情報によって人は行動に移す。それが戦争にもなり何千万人と死んだということもある?戦争も情報戦争になるからである。でもその正しい情報を。知り見抜けることは非常に難しいのである。ここに現代のグローバル化情報社会の問題がある。 

人間はこれだけ広い世界を知り得ようがない。そこで必ず判断が誤る謝るのである。 そもそもグローバル経済の株式などは?上がる下がるとか景気がよくなってるとか悪くなってるとか常に両方の見方がある。それを判断できない。あまりにも巨大な世界になっているからである。そんなものを。知り得るものはないと思う。だから人間は今日膨大な情報に接して接することができてもどれが正しいかなど判断できない。つまり無力感に苛まれているのである。 


人間が五感で感覚的でしり得る範囲は狭いので、この狭い範囲なら実感として判断できる。でもグローバル化となると、あまりにも広すぎて判断などできないのである。それ人間にはやはり知り得る範囲は狭いものでありその中アイデンティティ化して一つのミクロコスモスの中に生きる。そこではつながりが明確であり。判断もしやすいとなる。それで民主主義でもギリシャだったら1万くらいのポリスで直接投票で決めていたからである。それが百万も票を取らなければ当選できないとなれば


もうただ頭数を集めるにはどうするかとなる。創価でもカルト宗教団体でもただ頭数を会員を集めるのことが日々の活動になる。個々人がどんな人間なのかなどは関係無い。罪とかなんとかそんなものは全く関係ない。その人がどんなあくどい人でも別に構わないのである。一票になればいいだけである。そこに民主主義も限界生きているのである。限界にきているのである。一票など投票しても。社会は何の変化もない。


ただ、そこには。無力感だけがある。それで投票などしたくないのである。すでに組織団体表で決まっているからである。一票など何の価値もないのですべてが。頭数をそろえる。あらゆる場面で数で決まるのが今の政治である。田中首相が言ったように金と数字がすべてなのである。そして規模がグローバル化して誰もそれを見通すことができない。株でも突然暴落したり。天災のように突然破たんしたりする。


●独裁者に従いファシズムになりやすい現代


それはもうその前に経済など見通すことができないからである。 そして最悪はナチスのようにファシズムとなる。ヒットラーは選挙で選ばれたのであり合法的に選ばれたからである。それでもナチスとなり。ファシズムとなり、全体主義となったのである。それはもうとても判断できないということから起きてきたのである。その規模も巨大化して。判断できない。すると誰かが。ヒットラーでも独裁者が。生まれてその独裁者によって人々は導かれ地獄へ堕ちてゆく。


カルト教団の教祖が神のように祭り上げるその人は偉大だからではない。人々はそういう偶像作り上げているのである。その偶像があって何百万人の人間が?一人の。教祖にひざまずき集団として組織としてまとまるのである。カルト教団に共通していることは?軍隊組織なことでもわかる。いちいち個人には対応できない。だから権力を得るには数を集めることだから、一人一人のことなどどうでもいいのである。所詮一票にすぎないからである。

そして数を集めれば権力化して政治化して支配できるということになる。


そこでマスコミでもその巨大な権力にさかろうことはできなくなる。 裸の王様を指摘したのは子どもであった。子供はただありのままを言っただけである。でも王様は権力をもっているからそれにへつらいみんな何も言えなかったのでこのように何か権力を持てばそれが嘘でも人は従うのである。つまりこの世は権力によって情報でも必ずゆがめられるのである。すると正しい判断はできなくなる。これが原発事故で安全神話が作られたりいろいろと情報でも判断できずにそれが大きな災いとなるのである。


神が偏りみないと言う時いかなる利害と利益ともかだか関わらないからできるのである。公平に見ると言うことは?それが条件となる。でも人間は何らか?必ず利害関係があり。それで?情報でも。公正なものもなく一方的になるのである。そして判断を必ず誤るのである。


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2023年07月07日

野馬追い迫るー南相馬市、鹿島区に旗が立つ (霊山城から落ち伸びた南朝の只野氏一族)



野馬追い迫るー南相馬市、鹿島区に旗が立つ


(霊山城から落ち伸びた南朝の只野氏一族)




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この御家は小高の人が原発事故で鹿島区に移住した、それで旗もでている
これは歴史に忠実ではない、もともとは小高に最初に相馬氏が城を築いた
だからこそ相馬氏の基であり御家なのである

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ノウゼンの通りに咲きて野馬追の旗の立つかな風になびきぬ



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菊の紋二つそろいて坂のぼる南朝の末裔誇らしきかな



菊の御紋は南朝の旗であり只野氏と菊池氏の旗でありわかりやすい、南北朝の争いは日本全国に深い傷痕を残した。

なぜなら明治天皇は南朝であるというのもそうである。南朝こそ正統とされたからである


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秋葉神社は多田野村から霊山城が炎上し落ち伸びた時にもたらされた神社である

だからふるいとなる。最近その子孫で神社を守っていた人は死んだ








野馬追の旗が町に掲げられた。 野馬追は旗祭りでもある。その肌の紋様は3000とか多いので。そのは他の文様もう皆違っているのでそれが気になるのである。それにも謂れがありそれを全部知ることはできない。


鹿島区だと霊山城から落ち延びた郡山市の多田野村に発する只野一族が先祖となっている。だから鹿島区は50人くらいの只野の姓の人がいるのである。この多田野氏は杉の紋様である


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三輪山神社(大神神社)神紋『三本杉』と『三つ鱗』 | 毎日の積み重ね (ameblo.jp)


三輪山は山自体が御神体であり。山に向かって祈るのである。その中で杉は千年とかの樹齢ものものもあり神聖なものとされたのである。

縄文杉などがそうである。それは木材として利用されるものとは違っている。自然のままの木なのである


野馬追の旗印を知るには相馬市がこの地を支配した相馬氏は馬を操作することに長けていた。それで騎馬軍団を形成して強かったのである。それで伊達氏とも戦ったのである。 

相馬氏の領地は最初は小高に来てそこに城を築いた。だから最初の中心地は小高なのである。その後浪江とかに拡大したのである。

でもその中心地域は相馬市。南相馬市(鹿島区。原町区。小高区)になる。宇多郷(相馬市)、北郷(鹿島区)、中の郷(原町区)、小高郷である

それで神社の旗は三色旗は小高神社ー太田神社(原町ー中の郷)ーそして宇多郷(相馬市)となる。原町区の雲雀が原に神旗争奪戦でこれらの郷が結集するのは壮観である。その前日に北郷で宇多郷から殿を迎えて合流するのである。


相馬野馬追は歴史の再現であり野馬追には武家の出でないと行列には出れないのである。勝手に誰でも参加できないのである。

相馬藩の特徴は主君が代変わりしても相馬氏であり変わらなかったのである


三春城を築いた田村氏は、三代80余年で終わり、その後、伊達政宗の勢力圏に入りますが、やがて田村全域が会津領となり、三春城は、本城若松の支城のひとつとして城代がおかれるようになりました。

城代(主君に代って城を守り、命令を伝える者)や城主も目まぐるしく変わりました。

やがて江戸時代になり、正保2年(1645年)秋田地方に勢力のあった、秋田実季の子、俊季が五万五千石で三春城の城主となり、以後11代約220余年間にわたって、奥州三春藩として徳川幕府外様大名として幕末まで続きました


相馬藩の場合はこのように城代が変わらなかった、相馬氏によって受け継がれてきた、それは日本の歴史ではめずらしいのである。それで相馬藩政記は記録として貴重なのである。一貫して相馬藩の継続した歴史を記したものだからである。それで学者も参考にしているのである。

そして今も野馬追には相馬藩の殿様の子孫が大将となって野馬追に出るのである。つまりまだ殿様が現実に活きているとまなっているのである。殿様を家臣一同迎えるとき再興に盛り上がるからである


とにかく野馬追は旗祭りでもある、でもその旗の由来を解き明かすことは至難である。霊山で北朝に敗れて落ち伸びた只野氏は歴史としてわかりやすい、その他はわかりにくいのである。そもそも旗の由来は鎌倉時代とかにもさかのぼるから解明できなくなる

でも野馬追は忠実な歴史の再現であり勝手に由来も明確でないものは出れない、勝手に旗も作れない、先祖伝来の旗生とかっ甲冑を身につけて参加できるものだからである


ただそこにどうしても全員地元の人でも参加できないから盛り上がらない、そもそも野馬追に出る家は限られている、500騎出たとしても全体からすれば極一部になるからである

ただ歴史の忠実な再現だから変えられないのである

だからそもそも地元の人でも限られたわずかの人しか参加できあないとなればそこに限界がある。ただ見ているだけではつまらないとなる

そこで地元の人たちでも何か盛り上がらな理由がある


野馬追い関係の記事

http://musubu2.sblo.jp/category/701974-1.html


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世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間 (見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)


世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間


(見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)


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貧困大国ニッポンの闇|中退、パチンコ、ジャンクフードが希望になる理由(室伏謙一×鈴木傾城)

https://www.youtube.com/watch?v=ZxPid10E4J4


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【エルダリーVS 若者】世代間問題は身分制度による分断統治の現代版だ。政府、メディアの「対立分断政策」に騙されるな!-masakazu kaji-

https://www.youtube.com/watch?v=YqISZU63Tvk



●見えない貧困


人間は年齢が十年違うと世代の差が出てくるだからなかなか下の世代のことは理解できないし上の人の世代の人のことも理解できなくなる。 

なぜなら団塊の世代というとき私たちの世代は戦後の焼け野原から始まった。そのときはまさに焼け野原になり、何もなくなってゼロから開始することになったのである。みんな貧乏だったのある

貧富の差はなかったのである。家にあるのは飯台一つである。電気製品など一つもなかったのである。それはみんな変わりなかったのである。


むしろ農家は家で食料があり卵でも鶏を飼っていたから食べられた。また納豆とかも。油とかまで。自家生産だったのである。

みんなこうして貧乏だという時。かえって住みやすいということもあったかもしれない。何か引け目を感じるということもないからである。みんな貧乏であればそうな。


今の貧乏が隠されて見えないというとき貧乏というものは何かわからなくなったのである。でも実際にそういう貧乏な人は増えている。だからこのユーチューブで語られることを私はそういう貧乏な人と接して理解したのである。

その人はタバコを吸っていた。女性なのに吸っていただからやめられないのは絶えずストレスになっていたからである。金に追われてその日ぐらしになっていたからである。だからそのストレスを発散するためにタバコをやめれなかったのである。でも脳梗塞になりたばこをやめた。タバコは血管に悪いものであり、それが脳梗塞の原因になったともみられる。 


とにかく日本が貧乏になったという時その貧乏が見えないものとなっている。だから貧乏人はどこに居るのか?貧乏人というのはどういうものなのか分からなくなっているのである。別にぼろを着ているわけでもないし見た目でわからない。ただ市営住宅などに住んでいれば貧困なのかと見る。 ただまともなものも食べられない。それでジャンクフードを食べそれが体に影響している。医者に行くと栄養を摂りなさいと言われるが今は食料品も高くて買えないのである


●職業の相違で互いに理解できない


世代的には戦前世代があり、戦後世代がある。戦後世代はすでに80から85以上の人であり少なくなっている。団塊の世代の親は?戦争を経験している。だからその語ることが。重みがあった。何か別に知識人でなくてもその経験した重みがあったのである。なぜなら、戦争というのはあまりにも特殊なことだから理解できないからである。人が殺しあうということなど理解できないからである。だから今ウクライナ戦争でプリゴジンという民間の傭兵隊が官僚に対して戦場に来て戦ってみろという言葉を吐いたが。そこに重みがある。命がけで戦っているからである。 そこでバタバタと仲間も死んでいるからである。でもそれがいいのかというとそうでもない。なぜなら自分の母親が戦争を経験したが一番威張っていたのは軍人だったと言っていたからである。


それで今でも墓に二等兵とか上等兵とかその軍隊の位を記した墓を見る でも今になればその墓に注目する人がいるだろうか?戦争とは異常な状態のことでありそこで人間の価値も変わる。プリゴジンは凶悪な犯罪者でありまた受刑者を戦場に出したその数も多いことに驚く。でも戦争に向いているのは、人を平気で殺せるような人なのである。そんな時代が良いのかとなれば、とてもそうは思えないからである。 でも戦争の時は軍人が一番活躍して偉いとなっていたのである。 


ただ、平和な時でも。価値観の対立は必ずある。現場で働く人たちブルーカラーがいるがその人たちは何か事務員などは楽だと見る。もちろんまた学者なども尊敬しない。何故ならその人たちは、高いところに登ったり、危険な仕事をしているからである。それで私も大工さんにお前はただ椅子に座って本読んでいるだけだとと言われたのである。ある意味でそういう人たちを軽蔑しているとまでなる。 

それも一理あるわけである。ただ金融関係に勤める人で金を右から左に移して巨額の暴利を貪る人がいる。それもまた同じであろう。なぜそのそういう人たちがそんなに金が入るのかと命がけで現場で働いている人は不満になるのは当然だとなる。


ただ、事務でも知的労働でも頭を使うから結構疲れることがあるでもそういう人たちにはそれを理解できないのある。その価値も理解できないのである。だからここに職業によって、互いに理解できないことがありそれが協力できないことにもなるのである。


●世代間の差や氷河期世代の問題


それは世代間の差でもあり、世代が十年年齢が違うと理解できなくなるので氷河期世代とは何かということが分からなかった。何か自由に非正規として働く事が良い事のように見られていたのである。だから今になって非正規の人が多いからそれが貧困化している。そのことがわかったのはこうして時間が過ぎて分かるのである。人生もまたふりかえれば老人になってわかることが多いのはそのためである。


40歳後半から50くらいまでは氷河期世代になる。そういう人田舎でも結婚してないたいがい結婚しているのが普通だからである。でも40後半から50くらいまで結婚していない人が多いことが最大の特徴でもある。団塊の世代だったらもう結婚しない人は例外的存在である。社会的不適応者となる。私自身がそうだからである。 だからこそ、少子高齢化社会になっているのである。独身世代が本当に多いのである。そしてその人たちは貧困でありその日暮らしのようになっている。正社員になれないからアルバイトのようなもので稼いで年をとったのである。スキルも身についていないとなる


ともかく世代間の差も大きいし職業の相違も互いを理解できなくさせる。現代はさまざまな職業があり、その種類も多く互いに意思疎通させることが難しくなっている。そこにまた世代間の差か男女の差とか地域の差とか色々あって人は理解しにくくなっているのである。 

それで人をまとめるときは個々人に対応することはできない。ナチス的一方的な強制であり軍隊組織にしてまとめるのでる。カルト教団などはみんなそうである。なぜならそこは参謀とか隊長とか軍隊組織だからである。それはカルト教団だとみんな同じなのである。


だから一見平和団体のように見せているが。実は武装すれば、それはすぐに軍隊になるのである。だからこそオウムでも武装していたし他でも創価などでも実は軍隊である。会員に武器を持たせればそれは軍隊になるのである。参謀とか隊長とか組織なのどだからそうなりやすいわけである。だから、それは本来の宗教とは何の関係もないのである。それは宗教を掲げていても容易に簡単に人を殺せと命令されれば組織に人を殺す軍隊と化すのである。



いずれにしろ、今日本が貧困化しているということは大きな問題である。 貧困化しているからこそ氷河期世代が結婚もできなかったということもある。そして大学に上がるにも借金して奨学金をもらって大学に上がっている。でもその大学もFラン大学とか三流大学が多く果たして価値あるものかどうかわからない。まず文系などは独学でもできる。むしろ自分は大学を卒業してから勉強したからである。大学時代はほとんど勉強してなかったからである。それも失敗だった。理系なら価値があるが文系は価値はない。独学できるからである。今ならインターネットでいくらでも。独学できる時代になったからである。


でもなぜ氷河期世代が、大きな問題になるということを予知できなかったのか?それは会社とか政府の都合でそうされたともなる。それが今になって大きな問題となったのである。何か非正規は自由な働き方であり奨励されてもいたのである。実際は政府とか会社の都合で良い様に使われたとなる。それで政府とは会社は良かったが大きくさらに全社会の問題として考えれば。今になるとそれは大きな損失となったのである。


ただ不思議なのは戦争で日本が焼け野原になってもそれが必ずしも悪いものでもなかった。確かに犠牲も多かったからそのことは問題である。でもそこで既得権者が財閥とか解体され小作が土地を得て農業は発展した。だから一見悪いようなことでもそれがのちに良いものとして働くこともある。ただその時代時代にその中で生きているとその時代が見えないのである。今になって非正規のことか氷河期世代のことが話題になっていることでもわかる。その時は見えないのである。そこに人間の問題がある。人間は個々人でもそうだが、集団でも個々人でも先が見ることができできないのである。だからそこに大きな過ちが生まれるのである。それで求道にしてもそうである。


若きうち神をしれ


それは20代で神を知らなければ知ることができなくなるという恐怖である。でも20代はの飲めや歌いや恋愛だとかで、心も身も奪われて終わる。あっという間に青春は終る。でも20代でだいたいその人は決まる。そからこそ大卒、新卒は会社では重要になる。20代でその方向が決まるのである。女性でも同じである30過ぎるとおばあちゃんとか言われるようになる。そして35になるとなかなか出産もしにくいとなる。だから婚期のことをうるさく親は言うのである。それは男性にしても同じなのである。20代でだいたいその人は決まってしまう。それから先がいくらでもあるじゃないかと言うがそうでもない。あっという間に40代になり白髪も入ってきて50となり60となってしまうだからみんななんでこんなに早く時間が過ぎてしまったのかと老人になると思うのである。


現実自分自身にしても何かしようと思ったけれども、何もできずに終わったのである。自分の場合は文学を追求してきたのである。その他でも何かやろうとしたが、何もできなかったのである。ただちょっと試したというくらいで、なんにもできなかったのである。それだけ時間が過ぎるのは早いのである。そして一番無駄にしてるのが時間だったのである。それで非正規の人もう50ぐらいになるともうその時間が取り戻せないのである。何かしようとしても身につけようとしてもできないのである。そして。人生も終わりとなってしまうのである。






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毎日くらい自分の家の墓の前を通っている。その隣に軍隊の位を記した墓がある

二等兵は内地等で教育中のことが多いので、戦地にある兵卒はそれまで上等兵一等兵のみであるのが原則であった。ところが、1937年に始まった日中戦争の長期化に伴い、現役満期(通常の陸軍徴兵は当時2年)即日再召集される場合が増加し、古参一等兵や古参上等兵が増加し、人事運用上の不都合が生じるようになっていった。そこで、上等兵の上に兵長を設けた。

兵長は高い位だった、でも今注意してその位を見ている人がいるだろうか?
ただ墓とはこうして何か人死んでも訴えている場なのである。でも墓でも維持できなくなる。





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2023年07月06日

pictures made by image creator


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I saw this same scene in the forest

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人間は言葉からイメージする、でもその言葉と映像が結び付くことはむずかしい、象形文字の感じだと現実の映像とむすびつく、だからアルファベットと違う、でもアルファベットすら元は牛とか家とか現実にあるものと結びついていたのである

だから文字はもともと象形文字だった、ただなぜ文章から映像がパソコンで作れるのか不思議だとなる。どいう仕組みで文章から映像が作れるのか想像できない、文章ならコンピューターでつくれることはわかる。

何故文章から映像ができるのかわからないのである。コンピューターは人間の脳の代わりにある、そこが今までの技術と違っている、でもartが技術の意味だからそうなっても不思議ではないとなる

Humans imagine from words, but it is difficult to connect words with images, and hieroglyphs are connected to real images, so they are different from the alphabet, but even the alphabet was originally connected to real things such as cows and houses.

That's why the letters were originally hieroglyphs, but it is strange why images can be created from sentences on a computer. I can't imagine how you can create a picture  but I know that you can create text with a computer.

They don't know why they can make images from text. Computers are in place of the human brain, which is different from conventional technology, but it is not surprising that this is the meaning of ART technology.

科学技術は万能ではない (地球はもう増えた人類を養いないー人口が減り森が回復する)


科学技術は万能ではない

(地球はもう増えた人類を養いないー人口が減り森が回復する)

●科学技術はいい点ばかり強調される

科学技術の時代である。科学という時技術でもいい点ばかり強調されるのである。それは利益にもなり金にもなるからである。そのデメリットの面はあまり強調されないあったとしても隠されるのである。そして科学技術が万能になり。科学技術振興が現代で生まれた。科学技術が全て良いものであり悪い点は指摘されないのである。そのために原発事故が起こったのである。

ソーラーパネルでも全て良いものとしては無い。景観の破壊がありすべて良いものとしては作用しない。山ごとソーラーパネルにしてそれが大量の雨が降った時崩れて木がなくなったので貯水能力がなくなるから川に水は直接流れて下流で洪水になるかもしれない。
ただ私も玄関にソーラーパネルを備えた。それは小型のセンサーライトでありそれをつけて便利なものだと思った。なぜならそこに電池を取り替えることなどしなくてもいいからである。だから科学技術というのは悪いものでもないのであるがいいものでもないのである。原発でも小型原子炉ならいいというのもそうである。。その利用方法によって悪くも良くもなるのである

ただいいことばかりが強調されやすいのである。空飛ぶ自動車とかでも技術が未来の技術として期待される。でもそこには必ず悪い点がある。必ず技(わざ)わざわいとなる。ブンブンと空飛ぶ自動車が飛んでいたら落ち着いて過ごすこともできなくなる。車の騒音で苦しんでいる、交通事故になる、何かそういうマイナスの面が技術には必ずあるのである。
だから神話ではゼウスから火を盗んだプロメテウスが過酷な罰を受けたのである。実際は危険なものが潜んでいるからである。それを証明したのは原発だったのである。もう取り返しのつかないものとなりプルトニウムが2万年残って消えないとかなったのである

●原発事故の原因も現代の科学技術信仰にもあった

とにかく科学技術はバラ色の未来を示す。そしてあたかも万能のように思わせるのである。そこに落とし穴がある。 何か科学技術には必ず反作用があり問題が起きるのである。農業にしても農薬の使い過ぎで土が疲弊して作物が取れなくなったとかある。つまり農業にしても科学技術が関わりそれが自然を破壊するということがあったのである。 
ただ科学技術は直接的にわかりやすく恩恵を与えるからそれはそれに反対する人はまれなのである。原発でもどれだけの金がそこに使われたか?事故後も何兆円のものの金が除染とかに使わわれたのである。だからその金の大きさに驚いたとなる。するとその金が欲しいとなり危険には目をつぶったのである。 
医療にしてもあらゆる病気が治されようになる。科学技術が万能のように思わせる。そこに人間の奢りがあり科学技術の崩壊が起


科学者、今や神官となり科学技術が信仰ともなっている。それはやはり神に対する挑戦でありうぬぼれであり神によって砕かれるのである。万能の力は神にしかない。人間は絶対に万能の力を持つことはできない。だから科学技術には必ずマイナスの面があり。技がわざわいとなる宿命にある。一見いいようでもそれが悪いものとなってしまうのである。 だから科学技術を全面的に受け入れるということは警戒しなければならないのである。
でも科学技術は全て良いものとして受け入れやすいのである。科学技術がもたらす災いを見ないのである。それは原発でもソーラーパネルでもそうだった。ソーラーパネルだと自然のエネルギーを利用するのだから。太陽光を利用するのだからいいものと思われていたのである。でも実際は自然の景観を壊したり。山を禿山にしてそれが洪水にもなる危険もあったのである。 

だから、そもそも原発にしても核兵器にしても核自体を発見して利用したことが危険だったのである。それで科学者自体が危険なを察知していた。でもそれは無視されたのでは?そしてその核によって核戦争によって人類が滅びるとまでなる。科学技術技術にはそういう怖いものがあるということを知るべきだったのである。
でもそのことは全く教育もされていない。科学技術とは完全な善だと思わされていたのである。だから遺伝子操作にしても危険なものがある。でもそれが便利なものであり利益になるからそれに反対する人は少ないのである。人間はそうした危険より利益を優先するからである。 科学技術を何か制御するというものがないのである。また、人間社会からタブーというのもなくなった。何か禁止されるものはない。ウイルスにしても実際は風土病であり一定のせまい地域でしか伝染しなかったものである。でも交通が発達して世界中にウイルスが広まるようになったのである。 

●人口が減れば自然が森が回復する

資本主義経済というものも限界に来たのはそれは拡大、拡散、成長、増産、増大をひたすら目指すものでありそこに減らすという思想がないのである。そこに現代の環境破壊と荒廃が生まれたのである。
だからこそ、資本主義は行き詰まり限界がきたのである。 人類の人口でも地球が養える人口は限界にきている。もうこれ以上人口は増やせないのである。それだけを養う食料もないのである。だから世界的に人口が減るのは自然の理でありそれを全て悪い物とはできないのである。もちろんいろいろ困ることはあるにしても大局的に見ればやはり適正規模の人口を目指してその風土、土地にあった社会を再構築するべきだとはなる。ただ人口が増えればいいと言うのはもう時代に合わなくなったのである。

動物を見ているとある。一定の地域で増えもしないし、減ってもいいないのである。ということは一定の地域で食料となるものがありその食料の分だけ動物がそこに住んでいられるのかもしれない。ある動物がネズミとかでも増え過ぎれば自然のバランスが崩れて何か問題が起きたということである。
確実に今や人類は増えすぎた。だから人口は減ることは全て悪いとはならない。なぜなら聖書でも人口は1/3になると書いてある。そのくらいが適正規模だということである。そのために三分の一にするために疫病なのか?天変地異なのか。戦争なのか?人口を神によって減らされると記されている。 

そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。
そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。
彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
(黙示録6)
 第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。
すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。
そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。
(黙示録8)

すでに地球の森の1/3は焼けている失われてしまった。今も失われ続けているのである。だから。人口が何かの天変地異とか戦争であれウイルスであれ減らされるこことはありうる。そこで失われた木の1/3地の1/3が回復するのである。草原も回復する。
日本だったら森に覆われていて。森の国だった。その森がさらに回復するのである。科学技術は万能の時代となったが。逆にその弊害も大きなものとなった。それで今森の回復が望まれているのである。大陸では外国では山でも一般に木のないところが多い
モーゼの登ったシナイ山などは一本の木もない岩山である。だから荒寥としているのである。他でも中国でもどこでも山に木がないのである。

SDGs(持続可能社会)が世界的に望まれる

だから日本くらい木があるところはない。森があるところはないのである。だからこそ鎮守の森がいたるところに残っている。それは縄文時代から日本は森に覆われていた国だからである。
また農薬などで土も汚染されたり過剰に使用されて酷使されて栄養分が消失している、そして遺伝子を操作することも危険がある
それも人口が増えて過剰に生産することに問題がある,地の三分の一が焼けとは土が使いないものになり食料が生産できないものとなる、SDGs(持続可能社会)が今のぞまれているのはそのためである。

 人口が減ればその森は再生回復するのである。このマイナス点も大きいのだが逆に成長進歩とかということは限界であり、それを続ければもう地球に住めなくなるのである。現実に原発事故でこの辺はゴーストタウンになり人が住めなくなったからである。
だからすべて科学技術に未来を見ることは危険なのである。科学技術を全部は否定できない。その利用方法が問題なのである。小型のソーラーパネル付きのセンサー付きのライトはいいものである他でもいいものはある。でも科学技術が規模が巨大になると。自然を破壊してしまうのである。だから科学技術も制御するということも大事になってきたのである。でもこれは何かマイナスであり。常に科学技術は人間が万能のことを示すものでありそこに危険なものがあっても無視されるのである。


持続可能社会というとき例えば子供の時水道がなく近くの家の井戸水をもらっていた。それは60年前以上である。そこの水が。依然として出ていた。この辺は原発事故になり。水すら飲めなくなった。でもそこの放射性物質を検査してもらったら飲めるという。それで飲んでもでもいいからと言われて今その水を飲んでいる。地下水絶えることなく水を供給するのである。夏だとその水は冷たいのである。だからこそスイカなどを井戸で移動で冷やしていたのである。その井戸水は今になると貴重に思えた。それはすぐ近くにあり絶えることなく水が出てた出ていたということで持続可能社会のSDGsの見本でもあった 


馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも


井戸の水は絶えることなくあり飲めど飽かないのである。その自然の恵みは絶えることなく持続可能社会(SDGs)の象徴だったなる



posted by 天華 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年07月05日

日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか? (2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)


日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか?

(2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)

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日本の未来を奪ったのはこいつらが原因です…。日本経済が停滞した理由を正直に話します

●通信機器つきのワープロか始まった私の経験

私がなぜインターネットに深入りしたのか?それは私が悪筆でありワープロを早い時期から始めたからである。ワープロならただ文章にすることでありわかりやすかった。でもそのワープロに通信機がついていたのである。そのことが大きまことだった。ただ文章を活字にするだけならそれは大したことではなかったのである。最大の技術的革新は通信機能があったということである。

そしてそのワープロで通信するということは相当に面倒なことだったのである。そんなことができたのは私が引きこもりで暇だったからである。その時その通信にかかわったのは理系だった。ということは理系のが専門的な人が関わっていたのである。不思議なのは一個人がbbsとか通信できる場を個人のパソコンでて提供して通信していたのである。
最初はただそうしてワープロでありそこで通信できるということが驚きだったのである。電話なら声でするが、文字で通信するということが革新的なことだったのである。

だからそのことがなかなか自分には理解できなかった。文章で相手と話するということがどういうことかのみ込めなかったのである。
それをしていたのが一個人でありそれで2ちゃんねるとか創設したのは今有名なひろゆきである。20代でそれをしていたのである。でもその人は理系ではなく、文系だったのである。専攻は心理学だからである。ということは、文系でもパソコンを操作できるものだったのである。

●インターネットが世界的になることが予想できなかった

そのときパソコンは何かおもちゃのようなものだったのである。その前にパソコンは巨大な機械でありそれが個人でも利用できる小さなものとなったのである。パーソナルコンピューターとなったのである。その変化も大きいものだった。 win95が出るまでパソコンはそういうものがなく不便なものだったのである。
でもやはり先進的なもの新しいものを取り入れる作り出すのは若い人だったとなる。なぜならひろゆきが20代の時、私はすでに40を過ぎていたからである。別に私はコンピューターとかには何の興味もなかった。たまたまワープロを使っていて、そこに通信機がついていたので始めたのである。その通信できるということが、実は最も革新的なことだったのである。そこからインターネットが発展して現在に至っているのである。

だから人間というのは先を見通すことがいかに難しいことなのか分かる。そこで最初行われていたことは実験に過ぎなかったのである。それでもそれが新しいものを生むものとなっていたのである。
その最先端に触れるものはやはり若い時である。だからこそひろゆきが20代で2ちゃんねるを作ったのである。でもその前にbbsとかあり地域でそういう通信を行っていたからひろゆきだけが発明したものでもなかったのである。bbsの全国版が2ちゃんねるだったのである。

その前にまた。富士通が提供したパソコン通信があり。それは富士通が主催して富士通は取り仕切っていたのである。何か私は富士通と言うのに親しみを持っている。というのはワープロでも富士通の親指シフトを使っていたからである。これは文章を打ちやすいので馴染んだのである。富士通はやはり通信関係で大きな役割を果してきたのである。
私は2ちゃねるを余り利用していなかったがニフティでは発言して参加していたのである。でもそれがどいうものか飲み込めなかったのである。文を書いて話することがどういうことなのか理解できなかったのである。そこは富士通で運営していたから実は今のインターネットのような自由はなかったのである。制限されたものだったのである。でも会社で最初に通信で先駆者だったのは富士通だったのである。ひろゆきは個人でしていた
でも地域でもBBSを開いていた人がいたのである。その人たちも先駆者だった振り返れば思う、パソコン自体が今とは違ってオモチョのようなものでも高いものだったからである。

●先駆的役割を果たすのは若い人

ともかく先駆的役割を果たすのはやはり若い人である。その時代の先端的なものをいち早く感じて実行する。 
でもなぜ日本ではインターネットが発展しなかったのか?技術力がなかったのか?何かそうでもない。つまりインターネットが普及する前に始めたときそれがどういうものになるか見えなかったのかもしれない。
日本人に必ずしも能力がないとも言えなかったのである。これが世界を席巻するなどということをその時見えなかったのである。それは最初はただの遊びのようなものだったからである。それがアメリカで優先して先導して巨大な世界をする支配する企業となったのである。日本が最初からそういう未来になることを見てそこに人材を投資して金を投資していればITで遅れた国にはならなかったかもしれない。だから人間は先ををみることが大事なのである。

日本のものづくりで、高度成長で成功したのは?やはりものづくりとしての日本の歴史的伝統があったからかもしれない。でもこの.itというのはこれまでのものと技術とは違ったものだったのである。 ものづくりなら何か素人でもわかりやすい。ITは何か分かりにくいのである。 だから最初パソコンでもおもちゃのようなものでありまた通信でもそんなものは利益を生み出すように思えなかったのである。

ものづくりなら具体的なものとして見えているしわかりやすい
でも.itというのは何かものを作り出すものでもない。それでそれが何を意味しているのか解らなかったのである。だからgoogleとかフェイスブックでも今一番儲けているとしても車とか機械とかを作り出していないのでなんでそんなに儲けが出るのかということが理解できないのでそこが盲点になって、日本ではItに遅れたのである。
つまり技術でもなんでも今までにない新しいものを理解することは難しいのである。でもその新しいことを発明したり新しいことになじむのは若い人でありもう40過ぎるとなかなか新しい事になじめない。私はたまたま引きこもりでそういうことを家にこもってしてたから馴染んだのである。ここに引きこもりの効用があったとなればある。

ともかく何故、高度成長以後30年間も失われ時代になったのか、それはなぜなのだろう?それは.itでも日本では普及しなかった。その能力がないとも言えなかった。おそらくインターネットとかが何を意味しているのか?それを理解していなかったのかもしれない。それは最初の通信でもそうだった。文章で話するということは何なのか理解できなかったのである。だから新しい技術というのはみんなすぐに馴染めるものではないのである。だから最初、鉄道が生まれた時馬と競争させたりしたのである。そのとき馬が運ぶ物移動するものとしてあったからである。
馬の方が鉄道よりも競争して勝てると思っていたのである。こういうことが常に技術の発展で起きてくるのである。信長はいち早く鉄砲を利用したのもそのためである。それで武田の騎馬軍団は敗れたのである。馬に固執した結果としてそうなったともいえる。

●高齢化社会で日本は保守的になり変えられない

また、日本が変えられないのは高齢化社会になったためである。どうしても老人は保守的になり。新しいことを取り入れることができなくなるのである。でも老人はこんなにも多く金もあり、権力持っている。すると若い人が新しいことをしようとしても、金も権力もないのだからできないとなる。
それは私自身の経験でもわかる。親の遺産を受け継いだ60過ぎだからである。そして実際に使えたのは70以降だったのである。そうなると、いくら金があっても権力があっても何か新しいことができないとなる。
権力があり、金があっても若さがなければ。何か新しいことができないということである。ただ、これまでの経験を振り返ってこうして文章にしたりそこから何かを与えることはできる?でも現実に何か新しいことをすることは老人には難しくなる。だから私は。70までもスマホなどしていなかったのである。それをパソコンの延長だから理解できないことはなかったがしていなかったのである。それだけの暇がなくなったとも言える。介護とか家事に追われてできなくなったのである。

ただ、老人になると金と権力がないと若い人も相手にしない。それで近くの老人が娘にみんな金を預けたら近くで世話してる人がお金に困っていてもお金を与えることができない。それでその近くの女性も老人であり金がないからお金をもらいたいとしてもらえない。それで疎遠になってしまったのである。つまり、老人から金と権力を取れば、誰も相手にしないということになる。そうなれば老人は金と権力に執着することになる。 

いずれにしろ日本が停滞し、成長しないのは老人が病人が多すぎることである。その医療とか介護とかにエネルギーを費やしたら何か新しいこともできなくなる。老人にしても金と権力がなければ相手にされないとなれば、その金と権力に執着することになる。簡単にはその地位とかを手放さないのである。何か革命が起きるときは大きな天変地異とか外国からの侵略とかで起きてくる。

それは明治維新がそうであり戦争に負けた焼け野原になった時がそうだったのである。そのくらいのことがないと変えることはできない。そこでまた大きな犠牲が払われる。 能力があるとかないとかは実際はわからない。そういう場に立って立たされた時懸命になり必死になり何かお若い人でも成すということがある。
それが明治維新で20代の人が活躍した所以である。それは命がけなのだから、とても老人等はやれないのである。切りあいをして鉄砲で打ちあうことだからとてもできないということになる。
老人に向いているのは鑑賞的生活である。何か物事を深く見る。深く考察する。ただ激しい行動をすることには向いてないのである。ただその洞察は深くなり批評とかに向いてくるのである。
今自分は田舎でそういうことしてプログで発表しているからである

2023年07月04日

記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)


記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)


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岩と霧その名の良しや東菊


忠実な臣下や妻や東菊


霧晴れて様々の花現れぬ一時見しも霧また覆いぬ


●東菊(あずま菊)の由来


アポイ岳は花の山として有名である。様々な花が咲いている。高山植物を低山で見れるから貴重である。そこに登ったのだがその記憶も曖昧となってしまった。それでいかに記憶というものが大事なのか、これでもわかる。何を見て何が印象に残ったのかを記憶されていなければそこに行ったともならなくなる。なぜかアズマギクというのを見たのを覚えている。それがそれを覚えていたのは実は実物からだけではなく後から調べて東菊(アズマギク)というのはあるのを知ったからである。それは霧の中に紫色に咲いていた、小さな菊である。図鑑で調べてみてもそのアズマギクは色がもっと紫色で濃いものとして見ていた。


だから必ずしも写真で撮ったものと記憶が一致するということでもない。なぜならそれは名前から記憶されていたからである。だから意外と名前というのは大事なのである。名前から人でも植物でもいろいろなものが想起されるからである。エデンの園では人の仕事は様々な植物でも花でも名前を付ける事だったのである。他にも地名に興味を持ったがこれも地名という名前からその土地の状態を想起する。 そこに地名の効果がある。地名一つから様々なことが想起される場合があるからである。電車の旅だと駅名が記憶されるのである。 


最初、私は電車の旅をして地名に興味を持ってそこから地理とか地形とかに興味を持つようになったのである。 もし地名とかがなければ、その土地のことを記憶する手がかりがなくなる。 それで人間にとって名前が大事な物となる。人の名前でも名前からその人を記憶するからである。名は体を現わすなのである

それでアズマギクというときやはり東というのが印象的に残る。あずまというときそこから吾妻と言う地域を連想するからである。それは歴史的にも東というのは関ヶ原を境にして東になるからである。そこはまた古代では蝦夷の地域だったともなる。


あずまの語源は? 



この「あずま」という言葉は碓氷峠から東、群馬・関東の方を見て日本武尊が「吾嬬(あずま)はや……」と言ったのが語源だそうです。 「わが妻はもういないのか」と言う意味 日本武尊が関東を平定し、信濃に入ろうとしたとき、碓氷峠から関東平野をかえりみて愛する妻を偲んで言ったのだそうです。


東は我が妻のことなのか?それが地名化したのか?でも何か不自然なものにも思う。別な説として安曇族が東になったという説もある。あずみがあずまになった。なぜなら思った以上に安曇族の痕跡が多いからである自分の住んでいる場所にも綿津見神社と山津見神社が多い。それは安曇族の痕跡なのである。 最初、安曇族は東北地方に入り開拓したのである。それで吾妻山と言うのが福島県にあるともなる。ただここに妻をあてているからヤマトタケルの神話が影響している


とにかく、日本の歴史は西が最初に繁栄して次に東が繁栄したのである。 鎌倉時代に関東武者が鎌倉に幕府を置いた。その時から東が日本の中心になってきたのである。東を治めなければ。日本は治められなかったのである。 征夷大将軍の名は東を征服することだからである。その名は東を制服するということで家康の時代までそれは継続されていたのである。このように花の名一つでも地名でもその土地の歴史とか地形とか様々なものが想起されるのである。



●秀吉の一夜城に行った記憶



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走り来て三日月光る一夜城




長良川西岸の洲股(墨俣)[2]の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城である



旅の経験として秀吉の木下藤吉郎時代の美濃との戦い一夜城を築いたことは有名である。私はその一夜城に向かって自転車で走ったのである。実際に夕暮れになっていて一夜城に着いたときは三日月が光っていたのである。

一夜城とは夜をとうして城を作ったからそう名付けられた。まさに私自身がそこまで自転車で走ったということで一夜城と一体化したのである。それが車で行ったらそうともならないのである。藤吉郎もその時走っていたからである。

ただそこが流れ河の洲の俣ー墨俣にあるとわ思わなかった。細い小川のような水路に沿って走っていたからであるでる。長良川の岸辺の水路だったのである。このように地理というのも実際に行っても一回ぐらいでわわからないのである。でもそこを走ったということが体で記憶されていたからこうして思い出しているのである。


まずここを車で行ったりしたら、このように記憶されないのである。だから車は便利でも意外と記憶されない。旅の記憶とならないのである。要するに鉄道であれ車であれバイクであれ便利なものは旅をしても記憶されない。一番記憶されるのは歩いた旅なのである。私自身がこれほど旅をしても歩いた旅はしていないのである。つまり歩いて大地を踏みしめて人間の五感で感じる旅を今している人はいないのである。例えば西行小夜の中山の歌は歩いたからこそできた迫力ある歌だったのである。


年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山


この小夜の中山は万人に強い印象となって記憶されたのである。もう今になればそんなところ車で通り過ぎれば感じもしないのである。このように記憶されるということが大事なのか分かる。記憶されなければ後で振り返ることもないし印象に残ることもないし。何も残らないとなるからである。車のない時に歩いて。作られた歌でも俳句でも今になると作れないのである。今は車の騒音にかき消されて実際は旅しても何も残らないとなるのである。残ったのは騒音だけだったとなってしまう。つまり人間の五感が。活かされない時代になったなったのである。