2023年03月31日

桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)


桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)

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新地の砂浜は広い

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風そよぎ遠くへ行くかむ朝桜
六号線桜咲き継ぎ走るかな
タンポポや六号線を行き交いぬ
風光る六号線を走るかな
地を離れ天にも咲かむ白木蓮
紫木蓮高貴の色や風光る
(八幡神社)
池映る桜満開錦鯉
金の鯉優雅に泳ぎ桜満開
暇あり休む人あれ花の影
逃がすまじ写真を撮るや花盛り
金運にあやかる者や花に鯉

若草や海の開けて新地町
間を置きて鶯鳴くや夕暮れぬ

(六万石の城下町)
夕日没り六万石の桜かな
桜色に染まりて暮れぬ城下町
堀映る桜や暮れぬ城下町
松並木街道帰る夕桜

今日は天気が良いので六号線を新地まで桜を見に行った。
桜は六号線沿いに咲き続いていた、白木蓮も紫木蓮が美しく咲いていた。
何かその白木蓮も天にも昇って咲いている感じだった。
私の俳号を天華としたのは似合っていたとなる。主に花の美を追求してきたからである。天こそ本当に花は咲く。神の創造したイデアは天にこそけがれなく咲くにふさわしいのである
紫木蓮も高貴で美しい。風光る中にそれが咲くのにふさわしい
紫は高貴な色であり皇族の式典にふさわしかったからである。

八幡神社は桜でこの辺では知られている。そこでいつも写真をとるひとがいる。ここは錦鯉が泳いでいるのがいいのである。
特に金色の錦鯉が映えるのである。この鯉は金運を金持ちをイメージする。金運というのは確かにあるのかもしれない、遺産を相続したとき金運があったと自分が感じたからである。
ただ金運でも危険を伴う、金は何しろ危険なものがあり手放しでは喜べないものを持っているからである、金があっても呪われることもあるから怖いのである。

相馬市から新地に向かった。新地は駅前でもきれいに整備されてまるで都会の駅のようになった。そこに温泉も出たから入浴できる。何か設備は整っている、でも近くの喫茶店に入っておばちゃんと話したら客は来ないという、確かに人の出入りh少ないのである、建物は立派でも人の出入りは少ないのである。
新築の家は多く建ってもそれもローンであり苦しでいるというのもわかる。原発事故の補償金は出ないからである
新地の砂浜は広い、前から広かったのである、もともとここの地形は入り江のように湾のように海が入り込んでいた。だから砂浜が広い、でも鹿島でも原町でも砂浜はもともと小さくなっていた。右田浜で砂浜はわずかしか残っていない。
津波で砂浜が消えたとはならない、四倉は広い砂浜がありそれが緩衝地帯となり津波を防ぎ街の方は被害が少なかった。
海と接した街があっても被害は少なかったのである。
これも地形と関係してそうなったのである。

相馬市に帰ると夕方になり薄暗くなっていた。相馬六万石というとき規模としては小さい、不思議なのはなぜ小藩でも野馬追とか500騎の馬が行列にでるのかとなる。他の大藩でもこうした馬の祭りは残っていないからである。
ともかく一応相馬藩があり相馬市は城下町なのである。
城跡に桜が咲き夕暮れとなっていた。
相馬藩が六万石というときその石高で藩の力を見る

春や昔十五万石の城下哉 子規

この十五万石の石高が正に松山藩の規模を象徴していた、それはかなりの大きさの藩だったのである。六万石の倍以上だからである。
今日は暑いくらいだった。桜の花盛りである。桜は意外と見れない、近くは見れるとしても遠くは見れない、なぜなら二週間くらいしか咲いていないからである。
私は旅して相当桜を見たとしても一部なのである。日本だと桜の名所はいくらでもあるからである。
















2023年03月30日

自己責任とは何なのかーなぜ他者を常に責めるのか (全ての人が自己責任があるとはならない)


自己責任とは何なのかーなぜ他者を常に責めるのか

(全ての人が自己責任があるとはならない)

全ての人が自己責任を負うことはできない。 その人は他者に対して厳しい。 そして他者を責める。 でもその人自身をといえばやはり何かしら瑕疵があり自己責任がある。 その人が今貧乏なのはまともに生活してこなかったからだとしている。 でも本当にそうなのかと言うとそうともならない。
別に会社でも働いていたからである。 ただ離婚を二回していてそれが貧乏の原因になったかもしれない。
何かその人は他者を責めるが自らも自己責任になっている。
離婚したのも熟年離婚したのやはり自己責任になる。 その人に責任がありそうなった。 何か常に他者の責任を言うが自分自身の責任は蔑ろにしているのである。 多分自分の責任を自覚できないのだろう。
まこの辺でわ原発事故でかなりの補償金をもらった。 その金でも高級な車を買ったりいろいろと浪費していた人もいる。
それでその補償金もなくなってしまった人もいる。 その人にもそういうことがあった。 他にも今金がないというときやはり無駄なことに使ってしまってそうなった人もいる。
だから他者を責めるというのは問題である。

そもそも人間は自己責任だとして突き放すことは簡単にできない。 なぜならあらゆる人の人生をどう生きたかなどわからないからである。 そして自己責任をとして片付けることはできないのである。
生まれた時からどの家に育つとかどの場所で暮らすとかどんな親に生まれて育てられるとかみんな違っているからである。
人間は一番自分のことが見えないわからないのである。 そのために常に他者を責めるのである。 必ず何かしら自己責任はある。 だから他者をそんなに責めることとができるのかとなる。 補償金でもそれを高価な車とか遊びに使って金がないからもっと補償金をくれとかにもなる。
もちろん要求する権利はあるし別にそのお金を浪費しなければいいのである。

とにかく自分にしても自分のことがよくわからない。 確かなことは自分は相当に恵まれていたことはわかる。 別に働かなくても暮らすことができたからである。 その時ほかの人は額に汗して働き子供を育て苦労していたともなる。
だからそれは自己責任であり今お前が苦労して責められるのは当然だとなる
でも本当にみんなが自己責任なのかとなるとならない。
金がないのも自己責任なのかとなるとそうでもない
別に金持ちの家に生まれれば無理して働くこともないのである。
ただそうしていると後で苦しむことがあり楽だと思ったことは苦しみに変るのである。

楽は苦の種苦は楽の種

人生とはどこかで辻褄が合うとかなる。 一生楽で終わる人もなくまた一生苦で終わる人もいないとかなる
何かそこに神の働きがあり公平なのかもしれない
だから自分のことはさておいて他者に対して自己責任を問うことは本当はできない。 他者に責任を問う人間がもう実は自己責任を問われてもいるからである。 そういう行為をしていてそれがカルマとなって現れてくるからである。
だから貧乏だからといってそれが全部は自己責任はにはならない

要するに何か人間には運が作用しているのである。 別に大した努力がしなくても金が入る人もいるしいくら努力しても金持ちになれない人はいくらでもいる。
だからこの世は理不尽でありいくら自己責任を言っても自己責任にはならないのである。
そもそもそうして他者を責める人間は必ずまた責められるべきところがある。 それが人間なのである。
なぜなら完璧な人間などこの世にいないからである。 何かしら欠けていて過ちも犯すし無駄な消費もするし完璧な人間などいないからである

人をさばくな。 自分がさばかれないためである。

7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
兄弟の目に入ったゴミを取り除こうとする者が、自分の目にずっと大きいゴミが入っている、という構図は、兄弟を規制しようとする者はしばしばより深刻な暗愚と偽善に陥っているということを

人を裁く事もそうである。 人を裁くことは姦淫した女性に対して罪なき者は打てといったキリストのようにその時誰も石を投げて打つこともできなかったのである。
これもその責任を問う人たちがみんな罪の責任を問われたのである。 だから他者の自己責任をいう人は自らの責任も知覚できないのである。 人間はとにかく自分自身の事を知らないのである。
だからこそソクラテスは汝自身を知れとなったのである。
確かに人間には必ず責められるべきところがある。 でも自分自身にしても責められるべきところがある。 ただそれを自覚できないのである。 自分は正しい自分はまともに生活してきたと思っている。 でも本当にそうなのかとなるとそうでもないのである。
もちろんふしだらな人はいるし責められるべき人はいくらでもいる。 でもまたその責める本人も何かしら必ず責められるところがある。

いづれにしろその人が金持ちであり貧乏であるとかいうのもみんな自己責任にはならない。 なぜなら人間はいくら努力しても働いても依然として金持ちにならない人などありふれているからである。
ただ親の遺産が天から降ってきたようにそれで金持ちになっている人もいるのである。 多分にその一人に自分も入っているともなる。 でも私は何かぜいたくなどしていない。 旅をしたとしても最低の金しか使っていない。 それは見聞を広める実地の勉強だったと思う
人間の運命は不可解でありいちいち自己責任をみんなに問いないのである。 そのためにカルマ論が生まれたのである。
それは前世の行いが良い悪いで今世の生活の良し悪しも決まるとなるように考えた
それは人間の個々の運命が不可解だからである。 そのためにカルマ論が生まれたのである。

ある女性は異常なほどに前の市長こきおろし非難していたのである。 その女性がそんなに言えるのかとなるとそんな女性でもないのである。 民主主義の利点と決定はある。 欠点は誰でも発言して非難していい。 でもそれが度が過ぎるのである。
何の根拠もなしに責めてくるしどんな人でもどんな低級な人でも人でも攻めてくる。 誰でも難癖をつけて何かを言うことが出来るからである。 そして何かをなんでもいいから相手をけなしてそれで水平化して平等になる。 俺とお前は同じだとなる。
何か尊いものでも簡単に否定するのである。 特にSNSではそうなりやすい。 そこには深い議論が成り立ちにくいのである。。
だから自分自身でも今は忙しくて答えられない対話していないのである。 ただヤフーニュースとかほかのまともなことを経験からなど言っている人はプログで応答して自分なりの発言をしているのである。

それも問題があるにしろただ難癖をつけるとかそういうものが多いからそうなったのである。
民主主義とは結局あらゆる人が対等になり何かそこに偉い人はもういない認めない社会である。 認めるのは例えばカルトの教祖がいたとしたらその教祖を認めるのはそこに巨大な組織があり人が従っているから権力を持っているから従うだけなのである。
だから民主主義では優れた人は認めないのである。
水平化されて誰も大衆は尊敬したりはしない
大衆は権力を持ったらその組織を教祖を恐れるのである
だからもうそうした大衆を相手にすることが優れた人が拒否するようになってしまう。 それでキケルゴールであれニーチェであれ相手は何かを高いモラルとか真善美を求めているわけでもない。
ただ相手をけなして喜び俺とお前は同じだと言うことが言いたいのでありその人の中身など何もなくてもいいのである

とにかく相手にケチをつけてけなしそれで喜び俺とお前は同じだとなるのである。 もちろん真剣に真善美を永遠の命を求める人はいる。 でもそれは極少数なのである。 だから真剣に取り合うということは簡単にできない、時間の無駄となるからである。
何か困りごとでも相談にのれるのは数人なのである。
そもそも日本が貧困になったとしてもそんなこと簡単に解決できないのである。 それを政府でも政党でもカルト教団でも簡単に解決できないのである。
結局南無阿弥陀仏であれひたすら唱えて極楽浄土に行くこと願いとなるだけである。 幹部はその布施をいただくだけだとなる。
来世にこそ極楽浄土がありいつの世もこの世は地獄だったのである。

結局民主主義とは何を言ってもいいです

その答えはあなたが出しなさい

最終的に答えるのはあなた自身です

こうなる社会である、そして大衆ファシズムにもなる社会である。 
それは歴史が証明しているからである

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リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、

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原町の道の駅の隣の集会所



花冷えや病み上がりの老女来る
花曇り高齢化社会未来なし
病院や誰か入院す花曇り
花の咲く技を見せたる大工かな
花満開熟練の技大工かな
明るくも枝垂れ桜や乙女かな
孫連れてパンジー映えぬ川の道

原町の郊外に出て田畑かな雲雀さえずり海に向き行く

今日は山の方は曇っていたが原町の方に行った。
何か桜も満開になったが花曇でありまだ寒くぱっとしない。
その花曇りが時代を象徴している。高齢化社会が花曇りなのである。何かぱっとしない。未来が見えない。花が咲かないのである。
また老人が病気になる人が多い。脳梗塞になりやっと歩いてきた老女がそうである。ただ老女にしてもまだ72歳なのである。
でも老人は年の通りではない。同じ歳でも十歳くらい差がある。その人は病気になってさらに老けてしまったのである。もともと苦労していて老けていたのに老けてしまったのである。

原町の道の駅の公園にある集会場にしだれ桜が咲いていた。それは明るく何か憂いがない。若い女性のようである。
でも枝垂れ桜でも濃い愁いに満ちたようなものもある。同じ枝垂れ桜でもいろいろある。
それから海の方に向かって行った。雲雀が鳴いていて太平洋が広がり波が打ち寄せる。それがこの辺の風景である
家に帰ったら大工さんが仕事していた。今日で仕事が終わる。大工さんはその技を見せて仕事に精を出す時生き生きしている。
やはり週に二回ほど流れ作業のようなことをしたがそれをやめたことがわかる

大工の仕事をしているときはやはりそれが天職でありやる気が違う。人間は何でも金でやれるものではない。いくら金をもらってもやりたくない仕事をやらせられるのは苦痛になる
その人は長年大工をして技を磨いてきたのである。だからその技を見せることに価値があるのである。その他の仕事は必ずしも金にはなっても価値にはならないのである。
でも金にならない仕事は誰しもやりたくないのである。その辺が必ず矛盾してくる。また人は金のためにだけ働きたくないということがある。例えば何か金があったとしてもその人があくどいことで金儲けしたりしていたらその人のために働くということが気が進まないということもある。

ただ現代の資本主義社会は金が価値でありその人がどんな人であれ金をもっていれば金を支払えばその人のために働くとなる。
でももし金に余裕があればそういう人のためにも働かないし何か自分の技を示すにもしたくないとなる。つまり金出はなくその人を見て働くともなる。
そうなるといちいち面倒になるから金で全てが価値づけられて働く働かされるともなる。
ともかく働くということは金のためだけではないそれは確かである。他人の庭の草むしりをするだけでもやはりその人に家に尽くすとなりただ金をもらえばいいともならないのである。
家を作る家を修理する家をリフォームする庭を作る庭を掃除する草をむしるそういう仕事でもその家と人とに係るのである
だから働くということは単に金を得るというだけではないのである。でも現実はすべてが金のためというふうになってしまったのである。だから人とか何のためとか考えない。それをいちいち考えたら仕事にもならないからである。

ともかく仕事もしない無職でもあった自分が言うのはなんだが働くということが人間には必要である。
それはただ金をもらうために金のためだけではないからである。
だから人間はベーシックインカムとか働かなくても良いといってもそれで済むことはない。そうなった時生きがいもなく何のために生きているかもわからなくなるし価値のない人間になってしまうのである。
そして何かしら働かない人は社会も分からないし何が価値あるのかも実感できないのである。

ただ現代はあまりにも多様な職業と仕事が分化して分裂してそこで人間のアトム化して騒音の総合の総合的連関を感じなくなったのである。
とにかく一応リフォームは終わった。自分も大工さんと補助とかして働いたのである。お茶とかお菓子とか買ってきて出すことも
働くことでありただ金を出すというだけではない自らもサービスしたのである。ただ金を出すというのではなく自らが大工さんにサービスしたのである。
それは金だけではないそこに自分の家を直してくれたということで感謝の気持ちでそうしたのである。
でも今は大工さんにしろそんなことをしないこともある。大工さんでも別に食事でもして店で食べたいものを買いばいいとなるからである。
ともかくこうして大工さんの補助役としてまたお茶を出すサービスをしたのである。それも一つの経験となったのである。
ただ正直口は悪い大工さんなので疲れたのである。

2023年03月29日

リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、


リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、

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原町の道の駅の隣の集会所



花冷えや病み上がりの老女来る
花曇り高齢化社会未来なし
病院や誰か入院す花曇り
花の咲く技を見せたる大工かな
花満開熟練の技大工かな
明るくも枝垂れ桜や乙女かな
孫連れてパンジー映えぬ川の道

原町の郊外に出て田畑かな雲雀さえずり海に向き行く

今日は山の方は曇っていたが原町の方に行った。
何か桜も満開になったが花曇でありまだ寒くぱっとしない。
その花曇りが時代を象徴している。高齢化社会が花曇りなのである。何かぱっとしない。未来が見えない。鼻が鼻が花が割かないのである。
また老人が病気になる人が多い。脳梗塞になりやっと歩いてきた老女がそうである。ただ老女にしてもまだ72歳なのである。
でも老人は年の通りではない。同じ歳でも十歳くらい差がある。その人は病気になってさらに老けてしまったのである。もともと苦労していて老けていたのに老けてしまったのである。

原町の道の駅の公園にある集会場にしだれ桜が咲いていた。それは明るく何か憂いがない。若い女性のようである。
でも枝垂れ桜でも濃い愁いに満ちたようなものもある。同じ枝垂れ桜でもいろいろある。
それから海の方に向かって行った。雲雀が鳴いていて太平洋が広がり波が打ち寄せる。それがこの辺の風景である
家に帰ったら大工さんが仕事していた。今日で仕事が終わる。大工さんはその技を見せて仕事に精を出す時生き生きしている。
やはり週に二回ほど流れ作業のようなことをしたがそれをやめたことがわかる

大工の仕事をしているときはやはりそれが天職でありやる気が違う。人間は何でも金でやれるものではない。いくら金をもらってもやりたくない仕事をやらせられるのは苦痛になる
その人は長年大工をして技を磨いてきたのである。だからその技を見せることに価値があるのである。その他の仕事は必ずしも金にはなっても価値にはならないのである。
でも金にならない仕事は誰しもやりたくないのである。その辺が必ず矛盾してくる。また人は金のためにだけ働きたくないということがある。例えば何か金があったとしてもその人があくどいことで金儲けしたりしていたらその人のために働くということが気が進まないということもある。

ただ現代の資本主義社会は金が価値でありその人がどんな人であれ金をもっていれば金を支払えばその人のために働くとなる。
でももし金に余裕があればそういう人のためにも働かないし何か自分の技を示すにもしたくないとなる。つまり金出はなくその人を見て働くともなる。
そうなるといちいち面倒になるから金で全てが価値づけられて働く働かされるともなる。
ともかく働くということは金のためだけではないそれは確かである。他人の庭の草むしりをするだけでもやはりその人に家に尽くすとなりただ金をもらえばいいともならないのである。
家を作る家を修理する家をリフォームする庭を作る庭を掃除する草をむしるそういう仕事でもその家と人とに係るのである
だから働くということは単に金を得るというだけではないのである。でも現実はすべてが金のためというふうになってしまったのである。だから人とか何のためとか考えない。それをいちいち考えたら仕事にもならないからである。

ともかく仕事もしない無職でもあった自分が言うのはなんだが働くということが人間には必要である。
それはただ金をもらうために金のためだけではないからである。
だから人間はベーシックインカムとか働かなくても良いといってもそれで済むことはない。そうなった時生きがいもなく何のために生きているかもわからなくなるし価値のない人間になってしまうのである。
そして何かしら働かない人は社会も分からないし何が価値あるのかも実感できないのである。

ただ現代はあまりにも多様な職業と仕事が分化して分裂してそこで人間のアトム化して騒音の総合の総合的連関を感じなくなったのである。
とにかく一応リフォームは終わった。自分も大工さんと補助とかして働いたのである。お茶とかお菓子とか買ってきて出すことも
働くことでありただ金を出すというだけではない自らもサービスしたのである。ただ金を出すというのではなく自らが大工さんにサービスしたのである。
それは金だけではないそこに自分の家を直してくれたということで感謝の気持ちでそうしたのである。
でも今は大工さんにしろそんなことをしないこともある。大工さんでも別に食事でもして店で食べたいものを買いばいいとなるからである。
ともかくこうして大工さんの補助役としてまたお茶を出すサービスをしたのである。それも一つの経験となったのである。
ただ正直口は悪い大工さんなので疲れたのである。

2023年03月28日

近辺の高齢化社会の悲惨な状況 (増えるのは老人と病人で日本は改革できない)


近辺の高齢化社会の悲惨な状況

(増えるのは老人と病人で日本は改革できない)

脳梗塞になった女性が72歳の女性がやっと歩いて自分の家まで来た。いつも食べるものすら買えないと嘆いている。年金は4万しか貰っていない。生活保護といっても現金は5000円くらいしか貰っていない。医療費は無料でもない。一二割取られることがある。だからどうして生活保護なのだろうと思う。
最低の生活はできないからである。その息子は車で郡山市の方に働きに行く。それも朝5時とかに出る。前は朝3時にも出ていたのである。その息子が交通事故になり車を買う金が無かった。それを自分は支援した。
もうその52歳の息子がの働く収入がなかったらどうにもならなくなっていた。脳梗塞で寝たきりになったりしたら働くこともできない。収入は絶たれる。そうしたらどうなったのだろうか?

その息子は刺身も贅沢だから食べていないという、母親は脳梗塞になってもまともに栄養も取れない。果物を食べろと言っても買う金がないのである。ただ救われたのは脳梗塞でも症状が軽く歩くことができたことである。でも自転車に乗れないということが買い物でも苦しいとなる。
もう一人発達障害の息子がいる。その息子さえ53歳とかになっている。つまり50代の人が80歳の親を介護する8050問題がすでに起きているのである。

介護する人が子供が会社を辞めたりして親の介護をすれば金が足りなくなる。その深刻なことが起きるすでに起きているのが8050問題なのである。
近くを見ても隣では85歳だが心臓を悪くしてデイサービスに行っている。もう一人はやはり85歳で糖尿病であり入退院を繰り返している。その85歳の人を助けていた女性が脳梗塞になって行けなくなった。もともと自分の暮らしが苦しいから金をくれと言ってもくれなかったから不満であり仲が悪くなった。
今日大工さんに聞いたらその姉も施設に入っている。何か貯金とか資産がどれくらいあるのか調べられたという。おそらく年金くらいでわ施設で賄えないからだろう。
ともかく周りを見てもこうして老人が金がないなく困窮している。そして日本で増えるのは老人と病人だけなのである。
子供が遊んでる姿など近所で見えないのである。

それはますます2025年になると団塊の世代が75歳以上になる。そのとき医療費も増大する。何らか病気になる人が増えてくるのである。そして福祉にでも医療費でももう国で出すことができない。若者も貧乏であり先が暗い。いいことを言う人はいない
戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれたがそのときは食べるものも満足に無いのに子供は増えたのである。
だから貧乏人の子だくさんと言って必ずしも豊かでなくても子供は増える。その時子供は労働させられていた。それは農家でも商家消でもそうだった。私も子供の時は常に店で配達とかさせられていたのである
戦前でも子供は働き手としてありみんな大学に入れるようなことなどなかったのである。だから金はかからなかったのである。
今は逆に奨学金をもらってまで大学に入っている。その奨学金の借金から社会人になるから苦しいとなる。
団塊の世代は集団就職の時代でもあ中学を出たら働きに出されたのである。それは江戸時代なら明治になっても丁稚奉公とも似ていたのである。

ともかく何かこういう状態は全国的である。増えるのは老人と病人ばかりなのである。こういう社会とは何なのか。若者が老人は集団自殺しろというときそれはあまりにも老人と病人が多すぎるからである
もちろん長生きは悪いことではない。でも老人が病人が多いとことはやはり正常な社会ではない
私の家はすでに50年過ぎている。それで津波震災の被害があり去年の大地震で家がかなり傷んでしまった
それを直したのはいいがもっと直すとするともう壊して新しくしたほうがいいとまでなる。大工さんは次から次と直したほうがいいと言うけどそうなるともう新しい家を作った方がいいとまでなる。家でもやはりリフォームするにも限界がある限界がある。
おそらく社会でもそうしていろいろと問題が起きている。でもなかなか解決方法がない。

日本は戦争で負けて焼け野原になってもそこから立ち直ることができたのは古いものを壊して新しいものにしたからだともなる
古いものを残して新しくしようとしてもなかなか面倒でありできないのである。だからリフォームには限界があると思った。
古い農家であった家が別に新しく作った人がいる。
その方は耐震設計もして断熱材を入れているから冬でも暖かい
古い家をリフォームするのもいいがそこには限界がある。おそらく日本でもそうして古いものを残して新しいものを作るということは無理があるのかもしれない。いろいろなものは新しくできない
いまだにハンコにこだわっている信用組合とかある。銀行もあるだろう。そういうものすら日本は改革できないのである。デジタル社会に移行できないのである。社会自体が硬直化しているのである。
それが高齢化社会が足枷となってなかなか改革できないのである。ただ別に長寿が悪いことではない、でも社会全体から見たときはどうしても新しい社会にすることが難しいのである。

病院に入院している85歳の人の家も相当にいたんでいるという。庭も荒れている。何かネズミが入ってくる穴があるという。ネズミの運動会場になっているという、田舎というのはちょっと街から離れたところは農民が昔ながらの濃い人間付き合いがある。また田んぼがあるから畑もありネズミが出やすいのである。
また空き家も多いから家でもネズミに荒らされるとなる。
都会から来た人は田舎でもそうした濃密な人間関係がある農民社会だったところには住むと耐えられないことにもなる。
ともかくこうしてこうこうしたことが全国的に起きている。それが少子高齢化社会の現実なのである。

2023年03月27日

茅葺屋根の家は冬はあたたかく夏は涼しい (コンクリートの家の問題ー自然に反するものの問題)


茅葺屋根の家は冬はあたたかく夏は涼しい

(コンクリートの家の問題ー自然に反するものの問題)

かやぶきのメリットはたくさんありますが、その中でも利点を実感しやすいのが「断熱性に優れている」ということ。多くの茅を使用するかやぶきの屋根は、分厚い空気の層ができるため、一般的な屋根に比べて外部からの熱を遮る能力が高いという特徴があります。そのため、冬は室内の温度を保って暖か。反対に、夏は屋根からくる太陽熱を遮って涼しいというメリットがあるのです。


人間は誤解が多い。茅葺屋根の家など旧式の住みにくい前時代的なものと見ていた。でもそうでもなかった。冬は暖かく夏は涼しい。雨漏りするかとみたらしない。私の家は子供の時はトタン屋根の家であり常に雨漏りしていたのである。
だから洗面器を並べていたのである、それは江戸時代でもあったことである。トタン屋根とか簡単な屋根だと雨漏りしていた。
茅葺屋根の家は意外といいものだったのである。実際に茅葺屋根に住んだ農家の人の話を聞くとわかる。
今になるとどうしても茅葺屋根の家はとても住みよい家だとは思えなかったのである。そこに昔に対して必ず誤解が生まれていたことがわかる。

もう茅葺屋根の家というのはほとんどない。だからそういう家があったとしてもその住み心地がわからなくなったのである。
私の家は前は店屋であり父親がコンクリートにしてそこに簡単な物を置くものを品物をおくものを用意してただ並べただけだった。そんな簡単なことで店を開くことが出来たのである。
そのコンクリートのは残っている。でも今になると冬になるとそのコンクリートが寒さをもたらしている。すきま風が入りコンクリートが寒くしているのである。

でも昔の農家の家の土間だと土だから夏は涼しく冬は暖かいのである。それは土の作用でそうなっているのである。
だからコンクリートの家になると熱がこもったり夏は暑く涼しくならないということがある。木は湿気を帯び乾いたりしてあたかも木が呼吸しているようになっている。コンクリートではそういうことはない。
それで気密性が高いからエアコンなどで調節するのには向いている。でもそれは自然の作用ではないのである。そこにコンクリートの問題がある。
都会だとコンクリートジャングルになっている。それが相当に影響して夏は異常に熱くなっている。エアコンで調節するにしてもエアコン自体が熱を出して熱くしているのである。

ここでわかることは人間の技術とか文明には必ず自然に反するものはある。自然に逆らうものが人間の技術であり文明なのである。
だから必ずその反作用があり問題が起きる。
自然の中に生きるものは動物でもそれは自然に適合して生きている。でも人間は文明はそもそも自然に逆らうものとして作られたのである。だからその反作用として必ず環境汚染したりして問題が起きるのである。原発事故でもそうだった。それは人間の力では操作し得ないものでもあったからである
そして原発事故以後自然再生エネルギーとしてソーラーパネルとか風力発電を増やしたがそれも実際は自然に適合したものではないのである。ソーラーパネルは山をおおってしまった。そこには木もなくなり雨が降って貯水能力もなくなり洪水になりやすくなったともなる。
つまり人間の作り出すものは文明は必ず自然を破壊し反作用があり自然を汚染して問題が起きるのである。

茅という自然素材を大量に使うため、かやぶき屋根はこまめなメンテナンスが欠かせません。江戸時代は、このメンテナンスを村に住む人たちが持ち回りで担当していました。しかし、明治時代以降はコミュニティの変化により、次第にこうした習慣がなくなり、メンテナンスができなくなってしまった

この指摘も興味深い。茅葺の屋根の家は村の人たちが総出で集まり協力して作られたものである。そこに村という共同体があっ茅葺の家を作られていたのである。そこにも大きな意味があったのである。
材料でも外材になっている。家を建てるにしてもハウス会社がまるでプラモデルのように二週間くらいでたててしまうのである。そこには地元の人も大工さんも関わらないということがある。
だからなぜか最近普請しても建前があり餅ををばらまいたり小銭をばらまいたりもしないのである。
そういう風習も消失したのである。つまり家は個人的なものであり周りの人でも隣近所でもかかわらないともなったのである。

だから茅葺の屋根というのは後のメンテナンスも必要であり常にそこに村の共同体がないと維持できないものだったのである。そういう共同体が崩壊してきた歴史が明治以降の歴史でもあったのである。それがさらに戦前から戦後でも全く変わったものとなってしまったのである。
だから原発事故でも簡単に町や村が破壊されてバラバラになり回復しない復興しないともなった。それは放射線の被害もあるがコミュニティーが共同体がすでに失われていたということもあった。それでこんな簡単に江戸時代からさらにその前からも続いていた継続されていた村や町が簡単に崩壊してしまったのかとも見た。

いずれにしろ家というのは物理的なものとして地震によって全体がゆがんでしまった。これはなかなか修復することが難しい
基礎から作り直すことができないからである。
耐震設計のにするために市の方でで資金援助するはというが全体が歪んでしまったので修復することは難しいと見た。もう50年もすぎると新しい家にした方がいいとなってしまう。
他でも50年過ぎた家はかなり傷んでいる。病気で入院した人の家も庭も荒れている。その家を孫に譲ると決めているがその孫がその家に住むとも思えない。古くなっているから問題が起きるからである。こうして空き家が多くなっているが活かすことも難しいのである。直すにしてもかえって金がかかってしまうからである。
リフォームは返って金がかかることがある。
私の家も継ぎ足したり修復したりもうかなりのお金がかかっている。だからこれ以上金をかけて直したくないとはなる。
でも年をとると古い家は断熱もないし冬は寒い、耐震設計もしていないから怖いともなる。
でも古くてももう死ぬまでこの家に住み続けるほかないと思っている。

2023年03月26日

蠟梅と桜のこと(百歳の間)


蠟梅と桜のこと(百歳の間)


百歳の間蠟梅の咲きようやくに風吹き散り心残りなし

雨しとと石を濡らして蠟梅のなお残り咲く庭を見るかな

我が家に蠟梅を見てゆくりかに災いのなく余生過ごさむ

私の母は百歳まで生きた。そこで母がいた部屋に私は百才の間と名付けた。
その部屋から庭の蠟梅を見ていた。この蠟梅は長く咲いている。一か月くらい咲いている。だからこの花は花でも一番長く咲いている。それで長寿の花としてふさわしいとなる。
それもついに風が吹いて散った。その風はそれほど強い風でもなかった。
またその花は散ることで何か惜しい感じるものも無かった。
つまりようやくに散ったという感じだった。。
散るのが遅い感じにもなった。
今日は雨がしとしと降っている、そして庭の石を濡らしている。

花でもいろいろあり桜となると咲いてたちまち散る
そのち散ることに桜の特徴である。美しく咲いてたちまちに散ってしまう。何かいさぎよく散ることで日本の日本人の心に象徴ともなった。
でも人間はやはり長く生きてこそその命が全うされる。
桜は確かに美しく散るのも早く散りぎわがいいとなる。だから戦争でも若くして死んだ人はの花にたとえられたのである。それは美化さやすられたのであり本来は人間は長く生きたいのである

高齢化社会では長く生きすぎることで問題になる。徒然草でも40歳くらいで惜しまれて死ぬのがいいと書いていた
当時は別にそのくらいでも死んでいた人がそれなりにいたのである。
それで現代は高齢化でうとまれて嫌われて生きている。そして死んでも惜しまれことがない、やっかいなものがかたづいたとされるから高齢化社会の負の面が増大したのである。

とにかくこの辺でも桜は咲き始めた。今年は早い。
でも今日は寒い、春寒しとなる。季節は変わりやすい、今年の桜は早く咲き散るようである。

老後は安らぐ場として家が大事になる、その家でも介護になり安らぐ場でなくなった。地獄化したのである。
そして家族もみんな死んだ、でも家は安らぐ場なのである。家で死にたいとなるのは家は何か建物というだけではなく
精神的に安らぐ場である。
この辺は余りにも災いが多すぎたのである。去年の大地震で未だに屋根など直していない家がある。
そういうことでももう災いはないこと切に願うようになったのである。


2023年03月25日

時間が一番の謎-永続するものを求めよ (無常は変化てありもともと時間はない)


時間が一番の謎-永続するものを求めよ

(無常は変化てありもともと時間はない)

●変化するから時間を感じる

いろいろ謎があるけど一番の謎は時間である。時間となれば一つの解釈だけではなくこれも多様な見方があるから時間とはこれだと決められないのである。
だからもともと時間がないというときもそうである。
本当に時間はないと思う、例えば星があるとするそれに時間を感じない、いつでも同じ場所に輝いている、その輝きは衰えることはない、実際は星も消滅するとしても人間の生きる時間など瞬間的だともなる、星が消滅する前に自分自身があっという間に消えているのである。
星とかとか比べたら人間の生きる存在する時間は瞬間だったともなる、そうして変化しないものに時間を感じないのである。
太陽も一つの星だとすると変化しないから時間を感じないとなるが太陽が地球の様々な場所で昇り沈む、その変化がありその変化で時間を感じる、月でもそうである。特に最初に太陰暦になったのは月が満ち欠けるするから月自体が変化するから時間を感じてそうなったのである。つまり変化することで時間を感じたのである。

●時間を石からみる

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去年の大地震で山の上から落ちた石である。
他にも落ちた石がある。この石を名ずけると形からだと台座石とかなる、でも時間軸で名ずけると令和石となる
さらに時間軸で正確に名づけると令和4年石となる
時間軸で命名するとそれは歴史を記すことになる

例えば石があるとする石がそこにあった状態から変化しないなちら時間を感じないのである。
でも石でもその石がそこにあったことを問うと由来を時間軸で見るとどうなるのか?
去年はこの辺で大地震があって山から崖からなど石がかなり落ちたのである。ここに石がなかったのに石があると認識するようになった。でももし百年過ぎたらこの石がどうしてここにあるのか意識できなくなくなる、それで年号とかを見て時間認識をする
もし去年落ちた石を令和石とかさらに令和四年石とかなづけていればそれが地名のようになっていればその時にこの石が落ちたと認識する、つまりこうして時間認識することで時間を意識させるのである。それはあくまでも石がもともとここになっかた⇒地震で山から落ちてここにあるようになった、、、その変化が時間を作りだしたのである。
ところが石はどこにでもある、何か目立つ石だと名前がつけられてある、でもその石がどうしてここにあるかなどがわからないのが多いのである。何万年前のなか何億年前のなのか火山が爆発して飛んできた石だとかもありわからないのである
ただ今回は大地震で崖から山から落ちて来た石だと認識した
それは大きな変化がありないものがここにありその地震が起きたこともイメージできるのである。

とにかく時間がないというとき空間はある、でも時間はないとなる。
時間とは何なのか?例えばA地点からB地点へ移動する時時間がいくらかかるとか計算する、すると時間があるとなる
でも徒歩で行く、自転車で行く、車で行く、電車で行く、飛行機で行く・・・最後にもう乗り物ではなく瞬間移動できるものができたら時間が消失する、空間に隔てられることはないのである。
時間がもともとないものだから消失しても不思議ではないのである。
定点で時間を計る時、動かない石でも苔むしたとか少々欠けたとかると時間を意識する、でも石そのものは動かないから意識しにくいのである。変化しなければ時間を意識しにくい、でもまた周りに木があり花が咲き草が生える、するとその回りでも木が成長して大樹になったら花が咲いても枯れたり草も青々としても枯れたりして回りの風景の変化から時間を意識するのである
でも石自体は変わらないので時間が感じられないのである。

 我が君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

君が代の苔むすまでもでもさざれ石が成長して石に苔がむして変化して時間を意識した、この歌は悠久の時間を意識させるものとして歌われたのである、天皇が永久的国の王として存在しつづけるこさとを現していたのである。

●物は消失するが見えないものは消えない

変化することでこの世は無常だとした、常に変化するからそこに時間意識が生れこの世は無常だとなったのである
でももし時間がないとすれば無常もないとなる
人間でも老いることもなく病気することもなく常に若い健康な状態であれば時間を意識しないのである
あなたは何歳だととか問うこともない、いつみても女性だったら若々しくて美人だとかなるし男性でも同じである、そこにはもう時間もないから無常も感じないのである
神の国では何らかで時間は消失している、人間でも老いることも死ぬこともないとされるからである
この世に存在するものは太陽でも星でも消失する、何十億年存在しようがいつかは消失する運命にある、目に見えるものは見えなくなる、でも不思議なのは目に見えないのものは存在し続ける

何かイデア論ではそうである。神の創造したイデアは消えないという時確かに物質として形としてこの世に現れ実在しても本質的にはイデアを神が創造したのでありそのイデアは消えないとしているのである。
花が枯れるとしても花にも多様な美と形がありその想像したイデアは消えないとしている、多様な生物にしろ神がイメージして創造したものでありそのイデアは消えないとしている

時間がないが時間を意識するのは変化のためである
このことは確かである。人間が無常だというとき個々人でも泡沫のように一時生きて消えてゆくだけだからである。
人間にとって本当に価値あるものは消えないものである
あらゆるものが時間の中で変化して消えてゆくのである
だから歴史的に価値があるものが価値があるという時それは長い時間の中でも価値が衰えないものなのである。

●この世のものは文明でも変化して消える

人間の社会にしても原始社会から封建社会から帝国社会から資本主義社会から共産主義社会からといろいろあった、でもそういうものも常に変化する、カルト教団などはほんのわずかな時間が存在して雲霧消消散する、何か一時的に大衆化して興隆したとしてもそれはほんの一時にすぎない、ただ大衆ファシズムのようにして騒ぎが大きいだけで何も残らないし持続するものがないのである。
だからそれもそもそも無常な存在てあり一時の馬鹿騒ぎのように消える
だから人間は歴史的価値とか永続するものを求めるべきなのである、宗教は本来そういうものだったがカルト教団とかなると全く世俗化した現世化したものであり宗教的なものなど一切ないからこそあのように会員でも増大してファシズムのようになったのである

仏教が無常を説いたのはわかる、そして無常を越えたものを求めたこともわかる、時間で変化して消失しないものを求めたこともわかる、キリスト教でも永遠の命を求めた神が与えたというときもそうである。無常ならざるものを求めた与えたからこそ永続したものとしてありつづけるし価値があるとなる

とにかくこの世に存在するものは無常なものである。
だから天皇すら消える、天皇は神でもなんでもないからである。
また共産主義も終わり資本主義も終わる、銀行がつぶれて消失すると騒ぐのもそである。会社でも永続するものなどないのである
アメリカの覇権国であるのももう終わりが近いのである。
世界史てもそうして常に覇権国は変わっているからである。
文明でもエジプト文明でも砂に埋もれマヤ文明でもジャングルに埋もれるとかなる、永続する文明などないのである
この世のものにあるもの人間に作られたものは永続しないのである。だから仏教で無常を説き無常ならざるものを求めめよとなったのである

泡沫のごとく消えるもの
その儚さを知れ
持続継続するもの
無常ならざるもの
永遠の命を求めよ
結跏趺坐釈迦は悟りぬ

今や社社会自体でもSDGsとか持続可能な開発目標を標語としてかかげるようになった。それも継続するもの持続して長く続くものこそ価値あるものとなるからそうなったのである

とにかく本当に価値あるものは


●歴史に残るもの

●永遠の命、永続するもの

とにかく本当に価値あるものは時間の経過があっても色あせないもの、継続して価値あるものである。
時間の中でも価値がありつづけるものである。





2023年03月24日

春の阿武隈川を下る(詩) (川張の地名伝説ー船運もあった)


春の阿武隈川を下る(詩)

(川張の地名伝説ー船運もあった)

残雪の吾妻嶺光り
囀る鳥の山に響き
広がる信達平野を進み行く
梁川の要とあるや
その中世の館の跡の古しも
阿武隈川の悠々と
蛇行し滾ちうねり流れ下る
川張の伝説や山の民の住む
その棚田の奥深く営みのあり
水運の港あり物資運ばれる
荒浜へ物資は江戸へ運ばれぬ
伊達政宗の領地拡大
若き日に初陣を飾る丸森や
山元町の磯山に座る石
正宗の雄想は太平洋を渡り
欧州までもその視界は大なり
赤々と椿映えて波の打ち寄す
山と平野と海をつなぐ阿武隈川
滔々と泡立ち激して流れぬ
草の萌え再び大地は耕されぬ


「川張石と砥石 弘仁元年(810年)、背に苔がむし松や杉の木が生えている3メートルもある大猪がすんでいた。この大猪は村内はおろか近隣の村々の田畑を荒らして人々は困っていた。これを退治しようと京より小野篁が番二、番三という二人の猟師を引き連れて下向し、虚空蔵様のお力を借りて退治した。このとき使用した鏃(やじり)を砥いだ石が砥石であり、大猪の皮をはいで張り付けた石が皮張石である。それゆえ、皮張村と称したが、いつのころからか「皮」が「川」になった。」(丸森町文化財辞典より)

この伝説は興味深い。狩猟を生活にしていた時代のことは彷彿とさせる伝説である。
なぜか私の父親はイタチ取りをしていたのであるそれで家の小屋にその罠となる道具が置いてあった
戦後日本は戦争に負けて仕事がなくなりそんな原始的な仕事でもしたとなる。近くの堀で洗濯して水道もなく井戸がある家から水をもらい父親の手つくりの風呂に入りその鉄砲風呂の焚き付け近くの材木屋のバタで新聞紙を燃やしてしていたそれが自分の仕事だったのである。
またイタチを捉えて捕まえて飼っていたのである。
そのイタチをは母親が餌をやっても絶対になれなかったのである。今餌やっている猫も慣れないから似ている。
またイタチの皮をはいで干していた。獣の皮を剥ぎそれを干して利用していたのである。それは襟巻とかにもしていたのである。
だから獣を捕まえてその皮を剥ぎ衣服のように利用することは長い間なされてきた生業なのである・。

特に山で暮らす山の民はイノシシの肉でもほかの動物の皮でも川でも着るものとして利用していたのである。イノシシの肉などはクジラ肉と言われ山くじらと言われ言われたのは肉食が禁じられていたからである。それで山くじらといい実際は食べていたのである。

ともかく丸森は森の国であり棚田でも奥深いところに隠れるようにしてあり隠れ里にもなる。日本の地形は入り組み複雑でありそういう暮らしも山国でもあるからあった。
丸森は地形的に魅力ある場所である

阿武隈川には船運もあり川張とかに港もあった、そして荒浜に出て江戸に船で物資が運ばれたのである。
ただ日本の川は外国の川と違って急流になるのが多い
外国の川はまるで運河のようになっている。だからこれが船が荷物を運ぶには向いていたのである
阿武隈川でも途中に流れを止める難所があり苦労したのである。
それでも日本でも川を見てその地歴を知ることはやはり必要である。
梁川には中世の館があり池が作られていたのは地理的にそこが要の場所だったからである。
会津藩の蒲生氏郷が一時梁川を支配していた。
そして米沢藩とか伊達藩とかは勢力争いした場所なのである。

だからそこは地歴から見れば要の場所なのである。
だから歴史は地理から見る視点が必ず必要そうなのである。
その地理を知るにわ本当は歩くのは一番いいのである。でもそれは今は難しい。自転車だとやはり峠を越えるとかの感覚が生まれる。やっと峠を越えて吾妻連峰が望まれる時相馬藩から伊達藩に市に入ることを体感するのである。
だから地理を知るということは地図を見てもできない。実際は踏査しない限りわからないのである。土地の高低などは地図を見てもわからないからである。山にしても本当は遠くから望むだけでなく実際に頂上まで登った時山を実感するのである。
ただ登山はしていたが苦しくて40頃にやめたのである。自転車は老人になってもまだ遠くまでいけるからいいのである。





2023年03月22日

春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川を下る


春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川を下る

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確かに六本の木である
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佐須村や去年(こぞ)の落ち葉踏み碑の一つ

これは馬頭観音だろう

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佐須の峠を越えて伊達市へ
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阿武隈川を下る
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家は兜駅である


春光や六本木見て通り過ぐ
春の水細枝写しやわらぎぬ
佐須村や去年(こぞ)の落ち葉ふみ碑の一つ
訪ね来て消残る雪や佐須の村
春の日や行合道に出会うかな
春の雲境の峠越えてゆく
春光や知らざる道を進みゆく
春光や梁川への道ひた走る
春の灯や金山町を通りすぐ
春の星なお我が家あり帰り来ぬ

広々と阿武隈の流れ彼方にそ吾妻嶺望む春の夕ぐれ
残雪の吾妻嶺望峠越え鳥もさえずり春は来たりぬ
長々と阿武隈川を沿い下り鶯鳴きて夕暮れにけり



阿武隈川滾つ流れや広々と
集めし水や響き高鳴り
淵となり静まり
大岩の厳かに横たえ
春の日暮れぬ
丸森の街やともる灯あわれ
ここに栄いし家もありしも
我は相馬の方へ去り行きぬ



大倉から佐須の方へよく道はまだ工事中である。でも自転車でそこを通った。まもなく新しい道ができる。橋のような道ができる。
途中に確かに六本の木が並んで立っていた。
六本木というと東京の方は有名だが六本木が並んでいるからそうそういう名前がついた。松だと五本松とかなる
佐須村を去り峠を越えると伊達市に入る
その峠から残雪の吾妻峰が望まれる。それから石戸で昼ご飯を食べた。その食堂はこんでいた
福島中央道が出来てここを車が通らなくなり客が来ないと嘆いていたが春になり休みでもあるからここに寄る人があった
そこから梁川の方に向かった。その道は行ったことがなかった。残雪の吾妻峰が見え気持ちよかった

簗川では酒屋だったところが休息所のようになっていた。
そこでコーヒーを飲みちょっと買い物をして休んだ。
梁川には川が二つあり洪水で工事しているとか水害で苦しんだことを言っていた。最近でも丸森の水害被害が大きかった。
日本はとにかく水害も多い。地震も多い。
私の家も二回も水害で床上浸水した
でも河川改修してから水害はなかった。それでも津波が河を遡ってきたときは恐ろしかった。すぐ下の方でわ土手を越えて津波の水が溢れ出していた。
海がないところでわ津波のような恐ろしいものは来ない。だから海側よりは山の方の海のないところが安全だとはなる。
梁川から阿武隈川沿いを下ってきた。

途中工事していた。トンネル工事でありトラックが狭い道をくるので危険だった。このトンネル工事は2年間も続くという。
2年間もこういう状態ではここをゆくのは避けるとなる。
でも阿武隈川沿いを行くのは気持ちが良い
この辺で阿武隈川は大河であり珍しいからである。
岸には鶯が泣いていた。そして夕暮れになりイオン丸森の街に着いた。そのときは暗くなっていた。そこで道に迷い
別な方向に行ってしまった。夜は道に迷いやすい。でもなんとか土地勘があり戻ってきて金山町を通り相馬市まで来た
金山町は結構一つの街となっている。商店も多いのである。

80キロぐらい言ったかもしれない。ただ石戸からは簗川まではそれほどの距離ではなかった。阿武隈川を下る道は結構長かった。
でも思った以上体も疲れなかった。最近腰が痛くなったりして体が弱ったと思った。でも今回は気候のせいもあるのかそれほど疲れなかった。まだまだ自転車で遠くに行けると思った。
ただ疲れは後ででるのでそうともならない楽天。ただ今の時期は一番サイクリングに動いている
春の星が輝き家に戻ってきた。家族はみんな死んで家すらなくなると思った。やはり家族がいなくても家は安らぐ場所なのである。


写真はスマホで撮ったものだからきれいにとれなかった

2023年03月19日

春彼岸−墓の役割(白菊の花ー寒さ戻る―雪残る山)


春彼岸−墓の役割(白菊の花ー寒さ戻る―雪残る山)

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フラワーアレンジメントとでも写真で見ても花は何か違う
花でも本当に生け花であり生きた花を実際にこの目で見ない限りわからない
だから写真で見ても花に感動しないのである
自分の目で直接見ない限り分からない感じないことがある
そこにバ―チャルな世界の限界がある





今朝みれば山に残れる雪見えて寒さ戻りのみちのくの春
我が一人残りて彼岸や近くなる墓に花挿す春の日さして

 白菊

静心白菊の今日も見るかな
塵もつかずに清楚に白し
その花を日々我が部屋に見て
我が心鏡となりて映しぬ
遺影は花の陰にし微笑みぬ

ここ何日か寒い。それまでかなり温かくなっていたから戸惑った。今朝山の方見たら雪が残っていた。今頃雪が山に残っていたのか。山は雪が降ったらしい。この辺は山の方は飯館村なのである。そこは標高が高く冬は寒く夏はは涼しいのである。

今日は日曜日であり春彼岸で墓参りに来る人いて花が挿されていた。
私も花を買ってきて家に飾りまた墓地に挿した。墓と家の中に挿す飾る花の相違は何か。
それは家の中にさすときは長い間その花を見ている。墓に挿した花はそんなに見ないのである。花というのは長い間見てるとその花が心に映り花のことが分かるのである。
墓地に挿した花は近くにあってもただ通り過ぎてゆくだけなのである。そして近くでも春彼岸とか秋彼岸とかにしか挿さない。だから墓というのは近くでも身近にならない。家の中に仏壇が無いにしろ家を飾り花を挿しているとそれは常に身近なものとしてある。
ただ墓地の墓の役割は何なのか

ある人が私の家の墓に花を挿してくれていた。でもそれは長くは続かなかった。今はさしていない。墓の役割としてそれは死んでからも長く続くものとしてある。
人間は死後も関係が切れるわけではない。死後もその人を思ってる人は本当にその人を思っているのであり愛しているともなる
なぜなら人間は忘れやすいからである。だから死んだ時点で人は忘れられてゆく。だから墓の役割としては死んだ人をすぐに忘れない。年に春彼岸とか秋彼岸でも死んだ人を思い出して供養する

それは家の中でもできるのだが墓になると家がなくなっても存在しずし続けることがある。人間最後に残るのは墓だけだともなる。なぜなら家でも空き家化したり消失してゆくからである
でも今の時代墓すら維持できなくなっている
子供たちでも故郷に住まず離れてしまった人が多いからである。
それで墓じまいをするようになったのである。
私の墓でも墓参りしているのは自分だけだからである
ただ奇妙なのは世話になった女性の粗末な墓を作った、それは石を置いただけだともなる。その息子は不詳の息子であり最近死んだ,金もなく墓はあっても母親が死んでも墓に名前も刻まなかった。その母親は情の篤いいい母親であり父親も真面目な人だったのである。
おそらくその人の墓参りする人もいないかもしれない、息子は若くして自殺したからである。
ということは自分だけがその女性を偲んで墓参りしているともなる。だから血縁だけが必ずしも持続する関係とならない、他人でもでもかえって深い関係にもなる。

いずれにしろ人間の関係もたとえ親子でも死んでしまえば続かない。そこに人間の無常がある。この世の人間の関係は一時的なものに過ぎない。それは親子でもそうなのである。
人間の出会いは振り返れば本当に一瞬だったと思うなる。
そして一瞬出会って永遠に会わないというのも不思議である。
対外人間が会うしても金の切れ目が縁の切れ目なのである。
この世の出会いとはそれだけ儚いものだったのである
先祖代々とか村でも継続していた関係でも現代では広域化具グローバル化で空間の拡大で失われてきたのである
原発事故で一挙に江戸時代からでもその前からで続いてきた村でも町でも廃墟化したことに驚いたからである。

とにかく霊前には墓には白菊があっている。その花は清楚であり心清める花である。それを家の中にさして見ているとおのずと心が鏡となり映るのである。
ただ心が濁り曇るとその花も映らないのである。

白菊の目に立て見る塵もなし  芭蕉

白菊というのはやはり一番家に死者に捧げる花としてふさわしい
それにしても春寒しとかなり寒さは戻った。
これまでは春霞になり梅も咲いて匂っていた、だから春らしい気分になった。

春霞里山
共老昔語
梅処々匂
長寿和楽

こんな感じだった。
日本の気候は変わりやすい。それで四季の変化はあれ俳句も生まれたのである。天候が絶えず変わっているからである句点その変化の中で時間軸の中で日本の文化が作られてきたといえる。
日本は島国であり狭い空間に閉ざされていたが時間軸で見れば季節の変化があり式が明確にありその変化で狭い空間でも単調にならないということはあった。
日本人は時間軸で生きているというとき先祖お大事にするという時もそうである。それは狭い村という中でおのずと生まれたはぐくまれた世界観なのである。
それは大陸のようにどこまでも広い空間塾で生きている人たちとは違った世界観をもったのである。

2023年03月18日

発達障害とは何か-50歳でも大きな子供で大人になれない (親が死ぬと兄弟間で険悪になり殺人にもなる)


発達障害とは何か-50歳でも大きな子供で大人になれない

(親が死ぬと兄弟間で険悪になり殺人にもなる)

発達障害とは何か。それがよくわからなかった。
でも何回か付き合ってみて何かを知った。いろいろ症状があるにしてもその人の場合何が異常なのかわかった
その異常性は母親に対するものだった。母親には一番世話になり苦労をかけていてもその意識がないのである。
母親に対してばばだとか何か尊敬の気持ちもないのである。それが子供なら分かるがすでに53歳なのである。
その年ならみんな親にもなっているから親の気持ちもわかっている。でも発達障害の人はそれがわからない。
要するに本当に発達が普通にできなかった人なのである。子供のにままに大きなおとなになってしまった人なのである。
だから親に対して何か感謝するとかの世話になったという気持ちがないのである。そこが一番変だと見た。
年は50歳でも依然としてその点から見れば子供なのである、大きな子供なのである。

そして家でしていることはゲームなのである。たいがいゲームをしているのである。
ただ何か普通に話が出来るからどこがおかしいかわからないのである。でも私は親に対する態度がまともではないと感じた。
50歳にもなれば親に対しての感謝の気持ちとか生まれる。それは自ら親になったりして親の気持ちを理解するようになるからである。またいろいろと社会で経験して苦労するから親の気持ちも分かってくる。
発達障害の人はそれがわからない。子供のままに未熟なものに大人となったのである。
それだけ親に迷惑をかけて世話されてもそのことに対してなんら思うこともない。感謝もないのである。
それはまさに子供のままにただ年を取って大人になったということである。

ただ親でも子供から虐待されたり最悪は殺されたりもしている。だから発達障害の人がだけがそういう方になったとは考えられない。
だからこそ親孝行したい時は親はいないとなっていたのである。それは親が早く死ぬ時のことである。長生きの時代は親は必ず生きていて子供は介護を強いられる。親は必ず生きていて子供は孝行しなければならない時代なのである
それは時代の変化でそうなったのである。
ただ今私が感じているのは兄弟がいたとして弟とは折り合いが悪い。というよりは険悪であれ危険な状態にもなっている。
今はなんとか母親が生きていて収まっているが死んだら危険な状態になっているなる。親は今弟の方に脳梗塞になり世話になっている。だから弟に対して強く言うことができないのである。
でも障害者の人を兄弟であっても殺したという事件があった。

家族以外の関わりが難しい障害者とその家族をどう支援するかは、同居の親が障害者を残して亡くなる「親なき後」を見据えた場合にも大きな課題となる。

 知的障害がある人の中には、人見知りが激しかったり、家族以外に体を触られるとパニックになったりするケースもある。
知的障害の弟を支えた末に「弟の命をたちました、これから後をおいます」…自殺した兄を書類送検

 両親が他界、知的障害の弟は私が一生面倒を見なければならないのか?

知的障害を持つ74歳の兄を70歳の弟が殴打し、その後、遺体で見つかった富山県上市町での事件。その弟も精神科の受診を続けていて、裁判官は「社会の中で更生する機会を与える」として猶予付き判決を言い渡しました。
70代兄弟の2人暮らし…知的障害の74歳兄への暴行事件で判決

家族に障害者をもつと家族が悲劇的に崩壊する。それは普通の親の介護でも家族が崩壊するということがある。それを自分自身で経験したので書いてきた。
私が接した障がい者を持ったた家族でもそうである。発達障害ではあるがやはり手を焼き苦労している。
この事件では別に兄弟でも情があり世話していたがたが限界が来て殺人にもなった。そういう事件は多い。障害者をもつ親を介護するその負担が大きすぎるのである。
50過ぎてもまだ子供であり親は世話をし続けねばならない。
子供は親に対して依然として子供であり何か感謝するとか助けるという意識が薄い。
そして親が死んだとき大きな問題が生まれる。それは共通しているようだ。ニートとか引きこもりでも親が死ぬと大問題になる。

それで自分は引きこもりのような状態で60歳まで生きてきた。だから死んだとき介護になった時大変なことになったのである。誰も助ける人もなく介護して葬儀でも一人でみんなしなければならなくなったからである。
ただ私の場合は特別世話になったということで感謝していて懸命に介護して親を見送ったとなる
死んでからも感謝しているから供養続けているのである。
でも障害者の人はそうした親に対する感謝も希薄なのである
大人になっても親に依存する子供なのである。何か感謝の気持ちも希薄なのである。だからそこが異常なのかとも見た。
でも親が死ぬと相当に厳しいことになる。兄弟がいたとしても親とは違う。私が接した兄弟では情がない兄弟としての情がない。だから親が死んだらどうなるのかということである
それは殺人にもなる危険を感じた。今でも直接会うことをひどく嫌っているからである。ただそうした自分の立場も理解できない
そうなると親は死んだら困るから施設に入るのがいいともなる誰も面倒を見る人がいなくなるからである。それは私が接しした障害者の家族だけではない。共通した悩みとして障害者家族は持っている。だからいかに知的障害者をもつということが家族を家族に負担がかかるか理解したのである。

2023年03月17日

親の遺産を跡継ぐのが60過ぎては遅かった (高齢化社会は老人が金と権力を持ち社会が停滞する)


親の遺産を跡継ぐのが60過ぎては遅かった

(高齢化社会は老人が金と権力を持ち社会が停滞する)

親が死んであとに残された子供は後を後を継ぐことは結構楽なものでわなかった。家も古くなったのでそれを修繕することが苦労だった。
また家事をすることも大変だった。介護になり親二人のして苦労した。それまでは親が何でもしてくれた。親が死んでから家のことを一切するようになりそれが意外と苦労するものだった。
だから自分の場合実際は家を継ぐことが遅すぎたのである。
60過ぎて親の介護になり10年くらい続いた。それで家のことがよく解らなかったのである。
例えば重大な問題としてどのくらい財産があるのかもわからなかった。遺産相続をしたのだがその額が明確に分からなかったのである。なぜなら生きている時でも親の貯金とか金融資産がどのくらいあるかわからないのである。
それで親が何かの保険に入っていた。その保険が満期になり死んでからだいぶ経ってからその書類が送られてきた。
その保険を見た時かなり前のもので相当な利子がついていたのである。それは高度成長時代があり保険で利子がついて高くなっていたのである。
意外とこうして親の財産を把握することは難しい。

親が生きている時そういうことをしにくいからである。親も教えないからである。それも親にとってはそうした方がいいからである。なぜなら今病気になって娘の世話になっている人は娘にすべて金を預けたのである。そのことで問題が起きた。
自分の金でも自分の自由にできなくなったのである。それで世話になっている貧乏な女性に金をやるにしてもできない。
それでその女性はいろいろ話したり世話もしたが自分自身が金に困っているのでその男性とは付き合わないようになった。
それは自分自身が脳梗塞とか病気のためである。だから金を子供に預けてしまうと困ることがある。
人間はやはり金とか権力を持つとき人はそれに従うのである。
それだけではないにしろ金であれ地位であれ人は権力を持てばそれに従うのである。
そして権力を持たないと金でも自由に使えないと自分のしたいこともできないのである。
そこに大きな問題がある。それが高齢化社会の問題でもありまた

つまりこれだけ老人多くなれば長生きしていると後を継ぐにしても遺産を相続するにしても60過ぎになってしまうのである。すると後を継ぐにしても遅すぎるのである。もし私でも早い時期に家を遺産でも受け継いでいたら自分のしたいことができたとなる。
それは家でも会社でもどこでもそうである。人間は実際に金でも権力でも持って自分で経験しない限りわからないからである。
若いから経験がないからどうして何もやらせなかったら結果的にその人は何も身につかないしできないのである。
60歳になって遺産相続して後を継いだとしても遅すぎるのである。ただ人間の習性として金でも権力でも手放すと子供でも他人でも相手にしないということがある。だから老人にとって金でも権力で地位でも手放すと誰も相手にしないということにもなる。それも問題なのである。

明治時代は明治維新は20代の人がそれを成した。その激動の時代を乗り越えるには若さは必要だったからである。切りあいもしたし激しい戦いでもあったからとてもそれは若い人でないとやれないものだったからである。老人ではとてもやれないものだったのである。戦争だって老人にはとてもできない体がついていけない
だから激動の時代になれば老人はついていけない。ただ平和な時代だったらその経験を活かすことはできる。でも実業とか何か厳しい激しい体力も知力も必要とすることはできなくなる。

現代の問題は高齢化社会でありその高齢者が多すぎて社会が停滞してできないということがある進歩できないということがある。後継ぐにしても60過ぎてはもうその人も老人なのである。そうなると遺産を相続しても権力をもっても何か革新的なことができない。老人はどうしても保守的になるのである。その相続した遺産にしてもただ守るというだけで何か事業起こして社会のためになるということもしにくいのである。

あと何年生きるのだとか何か未来のためにするということができなくなる。それで庭に花の木を植えようとしたがそれが10年かかってやっと実りとなり花が咲くとなりその咲くのを見るのが10年後になるとなると植える気にもならないのである
今花が咲いているのを見たい実がなっているのを見たいとなってしまうのであある
だからこの辺の津波や原発事故の復興するにしても老人になるとむいていない。その先が長く時間がかかるからである。老人の先は短いそしてまた体力知力も驚は衰える
老人はこれまで生きたことでその経験がありその成果と実りを示すことなのである。これから経験して成果と実りを得ることではないのである。

だから老人には復興は向いていないのである。。でも若い人は流出して老人だけが避難区域に残されたのである。そのために復興が難しくなったのである。
戦後戦争に負けて焼け野原になってもなぜ復興できたのか
団塊の世代などまともに食べるものもなくても大量の子供が生まれて活気があったのである。その時子供に食べさせたのはアメリカからもらった脱脂粉乳などであった子供の時それを飲んだがまずくて吐いたことを覚えている。
そんな風に貧乏でもなぜあんなに子供が多かったのかとなる
今は確かに貧乏になっているがあの時の貧乏と比べれば比べようがないのである。実際何もなかったのである水道も天気も電気もガスもない。家にあったのは飯台一つだけだった

それはみんな同じだったのである。みんな食べるものさえなかったのである。それで豊かだったのは家に食べるものがあった農家だったのである。農家でわ納豆まで作り油も作っていたのである。栢の実とかで油も作っていたのである。
燃料は炭だから近くの山で木か炭をを作っていたのである。外国から入ってくるものはなかったのである。
そんな貧乏でも子供が多くその遊ぶ声がいたるところで聞かれたのである。今子供を見かけない。遊んでいる子供を見かけない。
ただ幼稚園とかで見かけるだけなのである
いずれにしろそもそもあらゆるところでああ跡継ぎさえいなくなっているのである。中小企業であれ町の自転車屋であれ一軒しかなかったがそれも死んで自転車屋もない街となってしまったのである。それは全国的にあらゆるところでこれから起きてくることである。

そして老人ばかりが増えてくるのである。その後を継ぐにしても60過ぎになったら若い何か新しいことをすることが難しくなる
それももし百歳まで寿命が延びたらどうなるのか。そのあとを継ぐのは70にもなってしまうのである。それも絵空事ではなく百歳まで生きるとしたらそれはあり得ることなのである。
だから少子高齢化社会というのは大きな問題であり社会が停滞してもう未来の年表で言うように国を守ることすらできなくなる
自衛隊に入る人もいなくなり消防や警官とか安全を守る人もいなくなる。なぜならそういう仕事は若い人がするものだからであるだから自衛隊でも入る人がなく60歳の人が国を守るとかになる。それも冗談ではなく未来の年表は現実化してくるのであるともかく後を継ぐ家を維持することは結構難しいものだった。

でも早い時期にしていれば経験も積むし自分のしたいことが出来たのである。やはりどうしても親とかが老人が金と権力をもっていることは若い人は何かしたいと思ってもできないのである
私は別に親に恵まれてしたいことをさせてくれたからそれで恨むことはない。それでもやはりもっと早く家を継ぐとか遺産をもらうとか金を持ち権力をを持てば自分のしたいようにできたとなる
これは私個人の問題だけではなく国全体の社会全体の問題なのである。どうしても高齢化社会は保守的になり停滞してしまうのである。

2023年03月15日

人間の性格の謎 (A型の大工さんと仕事してわかったことー日本人は40%がA型だった)


人間の性格の謎

(A型の大工さんと仕事してわかったことー日本人は40%がA型だった)

●陽と陰の性格
●長男長女次男次女一人っ子の性格
●血液型の性格

●陽と陰の性格

人間の性格は陽と陰に大別される。陽の人は社交的である人当たりが良く集団組織的に行動することが向いている。
それに比べて陰の性格の人は非社交的であり人付き合いが苦手である。そのために社会から社会にうまく適合できなくなる度合いが大きい。なぜなら社会とは反対にすれば会社のことになるからである。
今の社会は会社に就職することが生活することになる。とすると陰の性格の人は会社でもうまく行かない適合できないのである。
それは会社だけではない。そもそもが社会は常に集団行動を教えられる。それはすでに幼児からそうである。
幼稚園からでもそうであり学校でもそうである。第一学校は集団組織に適合するための訓練なのである。
そこからして陰の性格の人は実は合わないのである。私の場合は小学校はそういうことはなかった。中学になってから学校に適合できなくなった。高校でもそうだった。

そのために勉強もできず成績も悪かった。組織的集団的に画一化された教育が合わなかったのである。まあ才能もなかったが何か自主的に自分なりのペースで時間でやれば身につくものがあったと振り返る。
どうも陰のの性格の人はみんなと一緒にやるのがうまくいかないのである。でも社会は大多数は陽の性格の性格の人が作っている。だから陽の性格の人たちにとっては生きやすいのである。
陰の性格の人は性格の人は生きにくいのである。それでそういう人は引きこもりになっているのかもしれない。まあその原因はわからないにしろ集団に組織的に適応できないとそうなりやすい。
社会は陽気な性格の人に合わせて集団組織がしたかしているからである
それで陰の性格の人は生きにくいのである。そういう人は内面的なこと哲学宗教または芸術とか内面的なものを追求するのに向いている。そういうところで独自性と独創性を発揮するようにもなる。
でも社会全般は集団的組織的に形成されているからそういう人は変わり者になってしまう。
ただ一概に分類はできない。ただでも大雑把に見ると確かに陽の人と陰の人にまず二分できる。

●長男長女次男次女一人っ子の性格

それから人間を形成するものに兄弟姉妹が関係する。長男長女は次男次女がいていて何人か兄弟がいて姉妹がいてすい子がいてそれぞれの性格が形成されていることは確かである。
だからここにも性格が如実に反映されている。これはわかりやすいのである。この人はなんかおおらかでのんびりしているなと見ると長男長女が多いのである。
何かすばしこいずるいとか機転が利くとかは次男とか地上に次女二多いとなる。それは兄弟の中で長男長女は親から何でも与えられるがその下は与えられないから自ら取りに行かればならない
それでのんびりしていないのである。自ら取りに行かないと食べるものも得られないことがあるからなのだ。
長男長女はまず親から与えられるからそういう方にならない。
のんびりした大らかな性格になるのである。その中でも一人っ子特殊なのである。
一人しかいないのだから兄弟間の争いもない、でも親からなんでも与えられるのである。だから長男長女は競争するのが嫌いなのである。それより兄弟間で争うということがないから競争もできないのである。そのために結婚していない一人っ子が多いというのも分かる。兄弟もいないし姉妹もいないから女性でも親しか知らないから女性と上手く付き合えないのである。
そこに一人っ子は異常なものともなる。
こうして兄弟姉妹の中で人間の性格も作られることは確かである。この二つは分かりやすいし理解しやすい。確かにそういう性格の人がいるからである。

●血液型から見る性格

わかりにくいのは血液型から見る性格である。
これは明確に判定できないからである。でも明らかに血液型による性格があるがある。だからこれは不思議になる。
なぜ血液型の違いでそうなるのか科学的にもわからないからである。でもこれは明確に分けられない。曖昧になる。でも確かにある。
意外なのはa型は日本人で四割もいるということは日本人の性格はA型は主流だということになる。ということはA型の人を知ることが日本人を知ること知ることだともなる。
私はB型である。そこでA型の大工さんと家の仕事を一緒にしてわかった。その大工さんはA型なのである


集中力バツグンのA型。

仕事も趣味もとにかく集中的に取り組み、極めるプロフェッショナルタイプです。

その性格は几帳面そのもの。
とにかく几帳面で細かいことでも集中する長所の持ち主です。
しかし、自分への厳しさが他人にむくことが多々あります。

自分にも厳しいのですが、他人のことも気になってしまう細かさがたまにキズになってしまうんです。

「注意が細かい」「小言が多い」「そんなこと言わなくてもいいじゃん」と思われて、鬱陶しがられる上司になりがちなのもA型の人に多いですね。

きちんとしていないと気が済まない、几帳面なA型さんなんです。

真面目で中途半端が嫌いなので、手を抜くことができません。
非常に良いことなのですが、全てに全力投球しすぎてしまい、キャパシティを超えてしまうこともありそうなのがA型です。
自分の能力を過信することはないのですが、手を抜いていいところでも抜くことができないので、心身ともにいっぱいいっぱいになることが多いようです。

A型の性格の特徴はコレ!24個のあ...(続き2)


そのA型の大工さんの助手のようなことをしてつくづくそのことを感じた。とにかく几帳面でありゴミ一つでも落ちていたら厳しく指摘して掃除を命令する。
潔癖性がありそうして汚れていることを許さないのである。
そのことで随時指示されてそれを守らないと厳しく言うのである。ただリフォームの仕事でそうするのは仕事だからきちんとしなければならないからそうなったとも見る。
A型の人はこうした掃除することや整理整頓することに向いている。なぜならゴミ一つでも落ちていたらそれが気になってそのままにしておけないからである。
そしてそのことで厳しくいちいち指示するのである。

それは私がB型であり何か雑であり整理整頓ができていないそれでその反対の性格の人で特に感じたのかもしれない。
だからA型の人はこうして整理整頓とか掃除とか大工仕事でもきちんと計っていろいろ作ってゆく。その仕事に向いているのと向いていたのかと見る。
何か私はルーズでありだらしがない。 A型とは正反対なのである。あまりそうした細かいいことに拘らないのである。
おおざっぱな性格なのである性格なのである。だからA型の人とは相性が悪いことに気づいた。でも一緒に仕事をして学ぶことがあった。別に血液型に関係なく仕事を手伝えば何か学ぶことが必ずある。大工仕事でも職人の仕事でもそれができる人について見ていれば必ず何か学ぶことができる
だから職人が親方が何も教えなくてもその仕事を見ていればその技を盗むことができるということがわかる。
血液型から見ればA型とB型は相性が悪い、B型とO型は相性がいいことが直接O型の女性と付き合いわかった。

ともかく今は多くの人の仕事が理解できない。あまりに多様化してできない。ただ大工ならそれは奈良時代からもある職業である。それでその仕事はある程度は見ていれば理解できる。現在の仕事は理解できないものが多い。原発の放射線の仕事など分かりにくいし理解できないのである。そういう仕事もまた多すぎるのである。
人間というのは性格にしろ相手を理解することが難しい。そこでなかな人間関係が上手くいかず争いにもなる。だから私は人間嫌いであり人間と付き合わず引きこもりになり自然を相手にして木や石とか一体化してアイデンティティかすることをしてきたのである

そこには人間はいなかったのである。そのためにまた偏ったものとなってしまったのである。人間社会に生きる限り社会を知り人間を知ることも必要だったのである。それが失敗だったのである。そのために親の介護で死ぬほどの苦しみをしたのである。
でも人生は必ずこうして何か足りないものがあり失敗するのである。あらゆることを経験もできないし知ることもできないからである。そしてその人に合った性格に合った仕事など与えられないからである。そのために引きこもりが60万とかの数になるのも理解できるのである。それもわがままと言えばそうなのだがやはり性格的なものがあり適合できないということがある。。
その大工さんでも流れ作業のようなことを2週に2日ぐらいしていたが辞めた。やはり大工とは違って機械のようにロボットのようにされるということでやめたらしい。歳のせいもあるようだ

とにかくなんとか台所のリフォームも終わった。
風呂どうかトイレとかキッチンは毎日使うものだから直さざるを得ないのである。それでどうしても大工さんがある程度定期的に見てもらうことも必要なのである。
私の家は50年過ぎてもう限界になっていたのである。二回も大きな地震が来て歪んでしまっていたのである。もし柱でも曲がったらもう住んでいられなかった。その点まだ進むことができるので助かったのである。
結果的には50万かかった。でもキッチンは11万で安かった。その他の大工さんの手間が大変だったのである。だからあとは手間賃だったのである。その苦労を見ていたから実感していたし仕方ないと思ったのである



2023年03月14日

土地の大工さんに頼むリホームと外部の会社に頼むことの相違 (広域化グローバル化で時間軸で作られた継続するものが失われた)


土地の大工さんに頼むリホームと外部の会社に頼むことの相違

(広域化グローバル化で時間軸で作られた継続するものが失われた)



家を直すにしても家を作るにしてもリフォームするのにもユニットバスは仙台市の最近できた会社の人が100万で作った。
それは安いものだった。それからトイレはやはり郡山市の方から来た会社の人だった。震災の時は瓦屋根を直したのはいわき市の会社の人だった。
今回一部の部屋とキッチンを直したのは地元の大工だった。その人は会社の人ではない一人で仕事を請け負い仕事してる人である
ただリフォームというのは面倒なものだと思った。一からやり直すより古いもの残すのは回転面倒なのである。
そしてリフォームは何か密なコミュニケーションが必要になる
そのリフォームする大工であれ人とコミュニケーションは必要なのである。
それで思ったようなものが作られないという苦情が多いのもそのためである。。

そして現代では仕事が広域化している。だからこそいわき市の人が来たり郡山市の人が来たり仙台市の人が来たりとなったのである。
でもそうして広域化して家を部分的に直す。でも何か家全体を見ることも必要である。それがなかなか出来ない。人間にはそんな全体を見る能力はない。でも家にしても全体を見るということが必要なのである。
それは人間の体でも同じである。人間の体を部分として見て治療する。でも人間の体は互いに通じ合うものであり部品としてだけ見ることは問題が起きる
でもどうしても人間の仕事は専門家する。それがあまりにも複雑な社会となり無数の専門家が生まれ互いにその専門家同士でも互いに理解できないものになる。

そこに現代の大きな問題が潜んでいる。原発でも全体を分かる人はいなかった。
吉田所長すら復水器のことすらわからなかった。それは重要なものでも私の専門外だということで分からなかったのである。
社長でも今や全部を知ってる人はいないそれだけ複雑でありひとりの人間が知り得るものは一部分に過ぎないのである
だからその大工さんは庭作りすらできる壁塗りもできる才能ある人であったが水道のことがわからなかった。それでキッチンを入れるとき合わせることができず焦ったのである。

リフォームはとても一人ではできるものではない。建売住宅のように組み立てるプラモデルのように組み立てるものではないからである。
そこには細かい技が必要になっていた。古いものに合わせて作るとかなかなか難しいものであった。だから密なコミュニケーションが必要になった

そして大工さんの仕事でも前は地元の木材で家を作っていた。外材などを利用していないのである。するとまたたいがい地元の人の大工さんが家を作っていた
今のハウス会社などではない。ハウス会社になると地元はあまり関係ないのである。多少地元の大工さんに委託するようなことがあっても別に地元はそんなに関係しないのである。フランチャイズ店などもそうである。コンビニでもそうである。
こうして現代で広い地域かになりグローバル化して地域のつながりというのが希薄化したのである
でも地域の人に仕事をしてもらうということは例えばトイレを作ったユニットバスを作ったトイレを直した瓦屋根を直したとか地元の人と関係していない

そうして外部から来た人で仕事する人はどうしても一時的な関係になりやすい。でも地元の大工さんに頼むとその大工さんは近くに住んでいるから一時的ではなくなる。何度も家を直したりする。
何か家のかかりつけ医のようになったのである。それは近くに住んでいるからこそできたことである。だから一時的な関係ではなく継続的な関係にもなる。それはただ家のことだけでなくその他のことでも地域の中で生きてゆくことで関係してくる。同じ市内に住んでいることでもあり生活を共有するということがありそうなる。
原発事故では互いに危険でも共有するものであった。でもそのことでみんなが議論したりすることもなかったのである。今になるとやはり地域が危険になるということでみんなで一応議論すべきだったのである。
つまり地域で様々なことで問題を共有するということがある。でもそこでも対立はある。原発に賛成するか反対するかそこで地域内でも対立はする。

現実問題として原発事故以後では南相馬市でも補償金で対立したからである。
ともかく人間は空間軸と時間軸で生きている。時間軸とは継続することである。広域化グローバル化は空間の拡大である。でも継続するというときは時間軸で継続するのである。
先祖代々の地というときそれは継続してきた時間を言っているのである。そして日本だと空間軸と時間軸は狭い国土と地域で村単位で一体化した
先祖が春になると山を下りて田植えを見に来るというのはそのことである。
先祖は山に眠るからである。村ではそうして空間軸と時間軸で一体化する。
でも空間軸が広い地域してさらにグローバル化するとき時間軸で形成された継続するものが失われたのである。
原発事故でも江戸時代からでもその前からでもあった村とかが消滅したからである。その時代々継続された時間軸のものが消失したのである

ただ現代は空間軸で拡大した。でも時間軸で継続されたものが失われた。人間の関係も空間軸では拡大したとしても代々続くとかの人間関係はない。ただ一時的な関係に過ぎない。先祖代々の繋がりとか時間軸で形成されるものは失われたのである。
仕事でもだから家にしても家の一部分として仕事してその後の関係はなくなるのである。でもその当地の地域の大工さんが変わる時関わるときそれは一時的なものではなく同じ空間と時間を共有する中に関わることになる。
それが遠くから来て一時的に部分的に関わるのとは違っているのである

現代はあまりにも空間的に拡大してしまった。その代わり時間的に継続するものが消失した。それが問題なのである。
人間はそれぞれの地域で風土の中で生きる。
でもその自然にしても地域地域に違ったものがありそれが一体化するアイデンティティするにわ時間がかかるのである。その時間の中で空間軸と一体化してアイデンティティ化して文化が生まれるのである。ただ空間的に拡大しただけでわ物の交換はあったとしても文化は生まれないのである。
だからグローバル化からは文化は生まれないのである。物の交換でありそこに精神的なもの文化は生まれないのである。

これからの時代はグローバル化による物質的豊かさよりその土地土地に根付いてたがやすカルチャーお育む時代になっている。
風の時代ではない。地の時代なのである。
そして家というのは老後には大事なものになる。なぜなら老人はあまり遠くにゆかず家に居ることが増えるからである。だから家の住みやすくして家に居る時間が長くなる。それでリフォームは必ず必要なのである。
もう50年もすぎたら老化してきていい時代に住めなくなっていたのである。
大きな地震も二回来て家が歪んでしまったのである。
それで大工さんもリフォームするのに苦心したのである。
ともともかくなんとかリフォームしてキッチンも直して快適に住めるようになった。
まあと何年生きるのかわからないがやはり住み心地良い家であれば助かるとなる

2023年03月12日

春の日に太田神社-岩屋寺- 馬場-高倉-大谷-大原を行く (梅匂う道と家の跡の不思議)


春の日に太田神社-岩屋寺- 馬場-高倉-大谷-大原を行く
(梅匂う道と家の跡の不思議)

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太田神社の前の倉

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岩屋寺
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馬場の樅ノ木
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高倉から大谷へ

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横峯の堤

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寺内の牧の馬

この馬は必ず人が来ると寄ってくる、人に慣れている

街中に初音を聞くや田舎町
初蝶や自転車に走り郊外に
道々に蝶の舞いでて走り行く
紅梅や馬走り来ぬ牧広し
春の日や石の倉古り何の紋
禅寺や梅の匂いて黙す石
菩提寺に梅の匂うや参る人
春日さし墓地も穏やか里めぐる

誰か棲む家の跡かな組む石の残りて匂う梅の花見る
屋敷跡石の残りて春日さす主はなしも石は去らじも
忠実なる下僕(しもべ)のごとく主さる家の跡にし石は残りぬ
誰か棲む家の跡あり隠されて梅の匂うや人は去りにき
家の跡庭に蝶来て鳥も来ぬ人は住まじも春となりしも
二本の樅の木ここに根付きけり古き碑ありて春の日さしぬ
山中に梅林隠され匂いぬ雉のいでしも人影も見じ
紛々と梅の匂いぬ山中に隠され人も来たらず匂いぬ
横峯の堤の広く春の日の映り輝き里の暮行くゆく

太田神社から岩屋寺へゆく、太田神社の前に石の倉があった。
石の倉は多い、それが地震で壊れたのも多い、この石の倉は壊れていない、でもかなり古い感じになる。
ここには紋がはっきりしないがたいがい紋がある。
ただ石の倉は明治以降できたものらしい、なぜならその頃大谷石とかが出回ったためだとしている。江戸時代からの倉は土壁だからであるただ地震に弱かったのである。

岩屋寺は禅宗の寺である、山門があり山で修行したからこれがある。それは中国から入って来たものである。
禅宗は中国と関係しているから茶とかその他中国由来のものが入って来ている。禅宗は簡素であり座禅を組み悟りを開くとなり
それが自分に合っていたのである。なぜなら私は引きこもり沈黙業をしてきたからである、そこで社会性がなくなったマイナスがあった。宗教でもいろいろな派に分かれるのは人の性格性質がありその合ったものがいいからそうなる。
ただ寺というのは官営の寺に江戸時代になった。寺は役所の一つだったので幕府から優遇されたのである
そのために明治維新で廃仏希釈が起きた、神道派が幕府から優遇されなかったのでそうなった、寺には武家の菩提寺になったからでもある
ただ今や未来の年表でも寺自体が消滅してゆくと警告している。
その役割が消失しているからである。武家の菩提を弔うのが寺だとしたら江戸時代ではないのだから継続しないとなる

そこから一軒の家の跡がある場所に寄った、そこは前に竹林があり隠されるようにあった、だからなんか不思議だった。
組まれた石がありそこは農家だったのか?
それほど広いとも言えない、この辺だと街でないから農家だったのかもしれない、何かこの辺では空家が多い、これは全国的なものだが原発事故があり人が避難したからである、でもここは避難区域になった小高区ではない、羽ら原町区である。
ただ農家でも空家化しているのを見かける、津波の跡の家でも石だけは残されて残っていた、何か石が人間化して忠実な僕(しもべ)のようにして残っている感じになる。
一旦人間が棲むと自然のものでも人間化するのである。
主がいなくなっても石はそこに忠実に残っているともなる

そこの家の跡のすぐ近くに黄金神社があった、これは何なのか?
鉄とか関係していたのか、ちょっとわからない
それから馬場の方へ出たら樅の木が二本力強く根付き立っていた
この碑は元久と読むのだろうか?
元久だったら鎌倉時代になるからあり得ない、元処は元の所であり元住んでいた場所のことかもしれない、これも分からない謎である。
次に高倉から大谷から大原の方に向かった、その途中に梅林があり紛々と匂っていた、雉も出てきて匂っていた、何とも至福なものを感じた、その道は細く梅の咲く道だった。
こうして自転車でぶらぶら行くのが気持ちいい季節になった
ただ歳になり腰が痛くなったりする。でも近くならそれほどの影響はない、近くでも依然として何か発見がある












2023年03月11日

春の日大工とともに家を直す (仕事は利益だけを得るものではない、道徳なき経済と化して荒廃−原発事故から12年後)


春の日大工とともに家を直す

(仕事は利益だけを得るものではない、道徳なき経済と化して荒廃−原発事故から12年後)


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地元の大工が我が家を直す。
その往年の技を駆使して
その働くことに喜びあり
思案し図り組み立て成りぬ
里に芬々と梅匂う季
土地の大工の老いて示す技
天職に就きし男の良しかな
老いしもその技の衰えざれ
ただその体力の弱りゆくはとめがたし
我も共にてテコとなり働きぬ
温和なる春の日に共に働くも良し
百才の間に居てなお我の生きなむ

人間の仕事はなかなかわかりにくい。現代は社会があまりにも複雑化して他人の仕事が分からなくなった。ただ仕事でも自分がしなくても他人の仕事でも多少関わり見ているとじかに見ているとわかることがある。
大工さんの仕事は直に見ていて私自身も手伝った。そのことでともにい家を直しているという感覚になった。
家を作ることはやはり大工さんと関わる。ほかのものは例えばこの辺でも梨とかりんごを作っている。それは結構うまいものである。でもその果物でも作るということに関わることはできない。
それは米でも野菜でも作ることに関わることはできない。

だから意外と田舎に住んでいても農業のことがわからないのである。ただ農業している人のことを支援してわかった
それは苦労ばかりであったがいかに農業というのは大変なものかを直接聞いてわかった。
だから必ずしも直接仕事をしなくても聞いたりすればある程度はわかる。でも仕事は直接自分で関わり働かない限り理解できないものなのである。
人間は働くこと仕事することそれは金を得るためだけではない
働くこと仕事することによって人間自体が作られるのである
特に農業は自然と関わるから自然と体で通じ合うことなのである。それで私のようにただ外から見ているだけで直接土に触れるわけでもない鑑賞しているだけだから本当の自然というのは何かを会得できないのである
つまり消費しているだけの人間は何かを本当に理解することができない。自ら生産に関わらない限り何か本質的なことが理解できないのである。

一番いいのは自分で田畑を持ちそれをその実りを味わう時本当の豊かさを知るのである
ただ消費だけしていれば自然のことも深く知ることはできない。働くということはそれを売って金にするということではない
人間は働いてこそ人格も形成される。ただ金のために利益のために働くということではないのである。それが資本主義社会でわ常に利益追求が優先される。でももともと資本主義はウェーバーのようにキリスト教から起こった、修道院での労働から起こったというのもそうである。
その働く動機というのは宗教的な動機であり他者に尽くすということにあったのである。だから働くということは必ずしも利益を得る金のためではなかったのである。

何か今日東日本震災から12年過ぎてテレビで報道していた。
牛を飼う人が浪江でみんなやめたのに飼い続けている。それは売ることもできないがら無駄だということにもなる
でも人間には働く意味がないと生きていけない。牛も生き物であり人間の仲間であるから捨てられないとして一か月30万のエサ代はかかっても飼っている。応援する人もあってやってきたのである
そんなことしているのは何のためなのか?金を得るためでもないかえって金がかかっているのである。
ただそこで牛を飼う牛と共に生きる牛を捨てることができないそのために飼っている。
このようなことは原発事故で他でも起きている。

漁師は原発事故以後魚をとることができなくなった
でも漁師は特に船主は別に働かなくても豊かな生活ができていたのである。
補償金が事故前も事故後も充分にもらっていたからである。
でも港にいて魚もとらない漁師はもう漁師でもない
一体何のためにいるのかという気分になった疑問になった。
つまり何のために港に居るのか何のために生きているのか何のために存在しているのかそれがわからなくなったのである。
別に生活には困らないのである。でもそこで生きる意味が見いだせなくなったのである。だから人間は利益を求めて常に働いているように見えても働くということはそこに意味があり社会的価値がありそのためにも働いているのである
だから牛とともに働くということに意味があった。だからそれで金にもならないのに金がかかっても依然として牛を飼って世話しているのである
ただそれはもう自分ひとりではできない。みんなの援助がないとできないのである

それで生業を返せとか裁判になった。その生業とは何なのか?
それは生きる意味を価値を奪われたのでそういうようになったのせある。でもそういう生業とは何かはっきりしない、生きるためには金が必要であり補償金をもらことが大事だとなっていた。
それは別にどこでもこうした矛盾をかかえて生活している
それがこの辺では極端な現象として現実化したのである。

とにかく人間はその人なりの天職について働いている人は生き生きしている。
そこで問題なのは退職したりすると仕事もなく何もすることなく社会的にも無用となり生きる意味も価値も見え出さなくなることである。
たとえ金にならなくても何か社会であれ有意義なことをしたい。
価値あることをしたいとなる。それが意外と切実なものになるのである。利益と金を追求するのはやむを得ない。でも人間は本当はそれだけのために働いているのではないのである。

人間の価値は金だけでは測れない。その人が何ができるのか。何を与えることができるのか。それが問題なのである。
金を与えただけでわ価値あるとはなりえない。大工さんだったら家を作る。家を与える。農民だったら食料をつくり与える。何かがあって与えるものはあって価値ある人間となるのである。
何も与えない人間は価値がないとなる。たとえ別に金があって働かなくてもいいとしてもそれでいいとはならない。
その人には生きる価値も意味もなるからである。
人間が生きるとは意味と価値を追求しているからである
それがなくなったとき生きていても無意味だとなり死んだ方がいいともなる。高齢化社会で老人は死ねというとき社会的に価値が意味が認められない、それが数が膨大だから問題になっている
それが現代の時代の大問題なのである。道徳なき経済は犯罪である、まさに現代の資本主義グローバル経済は犯罪なのである。
そこで常に陰謀論になるのはそのためなのである、働かないでも極一部の人たちに金が集まるシステムにもなっているからである。

直土(ひたつち))に我の心のおのずから養われつつ静けくありけり(開墾ー吉植庄亭)

天地は君と親とのめくみにて身をやすらわんコを報へや(二宮尊徳)

農業から会得するものがあった、それが現代は無視されて科学工業社会になったとき原発事故にもなり故郷にも住めなくなったのである。自然とも分離して道徳も失われたとなる。









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2023年03月10日

リホームはいろいろむずかしい (老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)

リホームはいろいろむずかしい

(老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)

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私の家は50年過ぎてかなり痛んできた。タイル張りの古い風呂はは壊した。そしてユニットバスにした。それは仙台市から来た
創優建という会社で100万でできた
これは本当に得だった。イワタニのガス会社でわ200万かかると言っていたからだ。地元の人に頼めば300万人もなったかもしれない。仙台市の会社は新しく始めたので安くして客を得ようとしていた。だから遠くまで来て客を確保しようとしたのである。
常磐高速ができて早く来れるようになったというのもあった。
なぜ安いのかと聞いたら仙台市では競争が激しいから安くしないと客を取れないということを言っていた。
ただリフォームとなるとかなり難しい。全部を壊すわけではないからかえって難しくなる。それで地元の大工さんが悪戦苦闘したのである

一番の問題は水道の蛇口が流しと合わないことだった
これには苦労した。その人は一人でやっていてそのために専門ではないので分からなかったのである。でも水道屋に頼んだら意外と簡単にできたのである。そのことで相当に不安だったがさすがに水道専門だから簡単にできたのである。
やはり餅屋は餅屋である。リフォームはいろいろなものが関わるからとても一人ではできないものだった。その大工さんは庭作りもできる、いろいろ一人でできるのだが今回は水道のことは分からなかった。

こうしてリフォームというのは何もないところに作るわけではない。前に作られたものがありそれが問題なのである。
そのことで返って難しくなるのである。新しい家はそういうことがないから組み立てるだけであり簡単だとも言える。
だからリフォームは簡単にはできない。それで業者を選ぶにしてもいろいろ問題がある。新しい家ならただ作られたものを売るというだけでそれほど密なコミュニケーションをとる必要もないかもしれない


リフォームは何かそれ密接のコミュニケーションは必要になる
でもなかなかそれは難しいとなる。
なぜならリフォームでだまされることや依頼主が思ったようにはできないという苦情が多い。。それだけリフォームは一から作る家とは違ったものになる。
私が依頼した大工さんは地元の知っている人でありコミュニケーションも取れている。でも相当に大工さんも思案して苦しんだ。
やはり一人でやれる仕事ではなかった。水道のことはわからなかったからである。そして家が古くなり今回の地震でも家は歪んでしまったのである。それでまた直しにくくなったのである。
流しと元の水道の蛇口があわなくなった。それが一番の問題だった。その他何かあわしにくいものがあった。
だから一から作り直すより面倒だったのである
ただ隣の部屋のも直してもらったが窓を取り替えるだけでありそれは意外と楽にできたのである。だから今回もできると思った。
それは大工さんが思ったのであり私も簡単にできると思ったのである。でも実際はかなり違っていた。


今は大手のハウス会社でもリホームをしているがこれもかなり問題が多い、自前で職人を用意していないとかかえって地元の職人に依頼しているとかあり新築の建売住宅を売るのとは違う。
なかなか密なコミュニケーションがとらない、となるとリホームは地元の職人に頼んだほうがいいかもしれない、なぜなら地元に住んでいるか事情もわかる。地元だから同じ市にも住んでいるからいろいろなことも共有している。遠くからくる会社の人だとそいうことがない、それで困ることがある。気楽に相談もできない、また一回限りの仕事にもなり後で修理の時に困る。
だから地元の職人に頼むということも必要だとなる
なんでも広域化して仕事も広域化しているがどうしても近くでないとうまくいかないことがある。
ただ逆に地元だけではできないことも多くなりすぎたのである。
それだけ複雑な社会になり地元のつながりも希薄化したのである。

どうも年になって70近いから何か分からないこともできてきた。窓についても窓枠のことにわからないことがあったようである。やはりどうしても何でも歳になると新しいことがわからなくなる。技術的には常に進歩しているからそうなる。
ただ年配の人でも老人でも経験を積み重ねているからその経験は生きる。かんなで削ったり細かい作業がある。それは手作業であり機械でできないのである。
最近3Dープリンターで家を作るということが報道された。その家を変えることもできないし直すこともできない。やはり何か人間の手作業が必要になる。
だから人間の仕事がなくなることはないのである。
その古い家に組み合わせをしているのを見てるとそう見る。
とにかく人間は家とも一体化する。家が人生ともなるのである。
家が老朽化して直さなければならないというとき人間もまた老いてゆくのである。でも家は直して新しくして長持ちできる。


人間は老いればやはり体も弱りいたんでくる。でも人間はなかなか家のように報酬はできない補修はできない。その大工さんも70近いし私自身も75であり体が弱っている。それで互いに老人は相憐れむともなる。
老人にとって家は意外と大事になる。なぜなら家とともに過ごす時間が長くなるからである。私は旅ばかりしていたが親の介護になり十数年遠くへの旅はしていない。近場を自転車で行っているだけである。
すると家に居る時間が長い。家が住み心地良くないと問題になる。終の棲家としての家になるからである。

それで必ずリフォームが必要になる。その金も大きいのが問題である。屋根瓦もなおしユニットバスにして去年の大地震でトイレの配管が壊れ新しくした
何やかやでもう200万近くになっている。このように家はそもそも前から金がかかっていたのである。家は買ってもその後はならず修理したり建て増したりして金がかかるものなのである。
でもこのの本で読んだようにリフォームは必ず必要なのである。
そうしないと老後は安心で快適な生活は送れない。だからリフォームはすべきであるというのは分かる。
古い家に傷んだ家に住んでいればそこには孫も来たくないのもう分かる。それだけ家はやはり人間が第一といっても人間の心に影響するものなのである。
そして家は自分だけのものでもない。その周りにも影響する。
空き家にしておくと周りの影響が大きい。景観的にもよくない。
ともかくともかくそれぞれの家は人生を語り歴史を語っているのである。
家という物があってそれに物が憑くというように単なる物だけではないものになる。

里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)


里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)

kasumuyama.jpg

芬々と梅の香るや里めぐる
春霞長生きの世や里に老ゆ
春満月輝きまして移るかな
同じ年老人と話す春の里

人ならじ満月のぞく我が部屋や書き物しつつ春となるかな
紅梅の匂やかにして満月の今日も輝き災いなかれ
病より回復せしや春となり歩く喜び買い物に行く

昨日は春霞だった。その前は満月が輝き紅梅が匂っていたんとも春らしい。
長生きの時代も問題は多い。でもこの長寿というのは人類の願いだったのである。なぜならこれまでは早死にだったからである。
とにかくみんな長生きする。苦労して死にたいという言っていた人が脳梗塞になりそこから回復した。その人もやはりいきたいのである。いくら死にたいと云ってもやはり人間はいきたいのである。特に病気から回復したときはそうなるのである解除

一昨日も昨日も満月が輝いていた。その満月が私の部屋を覗いていた。それはいいことである。でも人間が覗くとそこに嫌なものが出てくる。田舎の人間が素朴だとかいいものではない。
ただ四六時中監視してるということがある。そして必ずしも助け合うということは今はない。。かえって人の不幸が楽しみになるのである。ただ田舎の場合自然がありそこで和むのである。

この辺で節水を南相馬市で呼びかけた。確かに雨が今年になっても降らない。雪も一二回降ったがそれはそれでも足りない
乾燥している。だから朧月というのを観ていない。
これから田植えとかあるので水不足になると困る
でも水不足というのはほとんど経験していない
しかし水不足というのも起きうる。山に行くといくら水不足でも水が流れていることに感心した。それはかなりの山の奥だった。
山には水が蓄えられている。だからソーラーパネルなど山に作ると何か影響する。水が蓄えられないとか水は流れだすとか何か自然に悪い影響がある。景観も悪くなるしそれが問題なのである

ともかく里に生きるということそれは幸福なことである
都会にはそういうものは無い。ただ田舎がいいものにはならない。ただ自然がありその美になごむのである。
そして同じ年の老人と話す、その人は農家の人であり農業の話を聞く、それがいいのである。
やはり家で納豆を作っていた。買った納豆は食えなかったとか言っていた
そうなのかと思ったが自家製でもうまっかったということである。
そういう話がおもしろいのである。

原発事故はその里を奪ったのである。ただそれも電気の時代となり農業の時代でないからそうなったともなる
でも里に生きるということそれが幸せだった。でも近くに移住すればやはり里はある。都会に移住すれば里はなくなる。里を失うということは何なのかそれが自覚できなかった。でも時代がそうしたともなる。すでに里というのは失われていたともなるからだ。

2023年03月07日

東日本大震災から12年 (避難区域は復興していない、避難した新潟県は親切だった)


東日本大震災から12年

(避難区域は復興していない、避難した新潟県は親切だった)

今日聞いた話では鹿島区で新潟に避難した人はしきりに新潟の人は優しかった、食べ物でもあんこう鍋とか出してくれたとか土地の物をたべさせてくれたとか言っていた、日本海で魚がとれるからそうなる
そもそも旅行しても土地の料理を食べることはむずかしい、食堂とかレストランでは決まりきったものしか出さないかである。
郷土料理となると特別高くなるのである。だからこれだけ旅してうまい料理だったなど記憶にないのである
ただ腹を満たせばいいとしかなかった。旅館にしても土地の料理を出すことはなかなかない、ただ今は食べることが楽しみだから料理に力を入れていることはある

だから「温泉丸秘大作戦」という推理ドラマでは温泉を立て直す仕事しているが必ず料理を改善する、その土地でとれた魚を利用して独特の料理を作ることに力を入れる
でも旅館でもホテルでも郷土料理を食べることはなかなかできないし私は食べたことなどないのである
貧乏旅行者だったんからでもあるがそうでなくても郷土料理など食べることはなかなかできないだろう
前にも書いたが料理で思い出すのは只見線で小出の食堂で鮎の塩焼きを食べたことである。前の魚野川で大きな鮎が泳いでいたし釣りもししていたのである
食べたものでそのくらいしか記憶に残っていないのである

だからあんこう鍋は食べられたとことは贅沢である。
他にも土地の魚の料理を食べた、そしてしきりに新潟県は良かったと言っていた、そのことは前も新潟に避難した人が言っていた、それで世話になったのでその人たちを招待するとか言っていた。
なぜ親切だったのか?
前に新潟県で大きな地震がありその時応援したからだとも言っていた、ただ県民性とかその土地によって人も違っているのである
新潟県には情の篤い人が多いかもしれない、今の時代は何か情というのも薄れている、金しか見ない社会である

なんでも道案内するにもわざわざその場所まで連れて行ってくれたとかも言っていた
道案内でも今はしない、適当に方向を指さすくらいである、だからみんなスマホを見ているのである
何か情は薄れている、ただ人も土地によって違っている
だから新潟県がまだ情が篤いのかともなる
やはりその土地柄があり新潟県は全国的にみてもめずらしいとなるのかもしれない、そういう場所に避難したは良かったとなる
でも一方で障害者が避難した山形県では断られたという
それは山形県全部が薄情というのではなく一部だとなる
たまたまそういう場所に行ったともなる

今の時代は総じて薄情になっている、情は薄れている
原発事故の時、避難した人は様ざまな経験をした、親戚に逃れてそこになじめなかったとかもある。
私は避難しなかった、30キロ離れていて避難は強制的ではなかった、でも30キロ内は補償金が三倍になっていた
ただ鹿島区は一人70万もらったが原町区は三倍もらっている、さらに相馬市は一人六万しかもらっていない
それでもめたし今回も裁判に勝利して補償金が追加でもらえる、今回は30キロ内は優遇されるのである

その人は原発で働いていた、試験もされて受からないと仕事ができないと、入念に放射線量の検査をするとかその厳しさを語っていた、でもそれは地元の人達だったからかもしれない、どこからかわからない人たちも働いていた、その人たちはそんな厳しい検査をしていただろうか?
いろいろな人が来ていたが事業に失敗したような人達が結構来ていた、何か借金とかで追い詰められた人達も来ていただろう
なぜなら暴力団の人達が目立ったからである、体が入れ墨だらけの若い人が郵便局に来たときは驚いた
他にも暴力団の人がおいしい仕事だと言っていた
その暴力団がどこからかわからない人たちを身元もはっきりしないまた何かいかがわしい人達も連れて来ていた
その人達は放射線のことを気にしていられない、金になるとなれば来たとなる、だからそんなに厳しく放射線量を計っていたか疑問である
そういうことをしていると仕事がはかどらないからである。

ともかく原発で働いていた人は多いと思った、飯館村の人も働いていたという、でも長くは働かない、被爆するから長くは働かない、短期間のアルバイト仕事である
でも賃金は普通の三倍くらいになるからみんな原発の仕事を経験していたのである
いづれにしろ放射線で被爆して重症化したとか死んだ人がいるとか言われた。それも表には出なかった
厳重に管理して出さなかった、何か福島医大でそういう人の死体がホルマリン漬けにして保存されて研究の対象にもされているということも聞いた
それはやはり原発で働いた人がそう言っていたのである

原発事故から12年になる、もう今の十二歳はただ親から津浪の話を聞くだけになっている。
時間が過ぎるのは早い、でも12年過ぎても避難区域になった所は回復していない、双葉では学校も再開されていない、残った人達でも老人が多い、若い人とか子供はまれでありもともと少子高齢化で若い人と子供は少なくなっていた。
ここでは特に極端なものとして日本の未来が現実化した地域なのかとも見た。
ある人は小高に5000万かけて二所帯の立派な家を建てた
でもその子供たちは仙台市の方に移り住みその人は離婚した、今は原町区に家を買って住んでいる

原町は便利であり一人暮らしでも楽である、だから小高の人でも原町に移り住んだ人が多く小高でも避難区域は回復していないのである
なんか淋しいとなる、その原因はすべて津波や原発事故になるとは限らない、何かその人なりの問題もありそうなった。だからすべて津波や原発のせいだとはならないのである
少子高齢化も影響してただ空家の街のようになった
ただ空家はどこでも増えている、自分の家の回りは最近数軒家が壊され空地化した、街の通でも家が壊されて空地化している
ただ原町とか鹿島とかだと移り住む人がまだいる、その人たちは新しい家を建てているのが違っている
そういう人達はもう故郷には帰らなのである
だから復興はしていないし将来も復興はむずかしいともみる、そもそも日本自体が少子高齢化で人口は減り縮小してゆくからである。それがこの辺では極端なものとして現象化したようにも見える

とにかく震災から十二年は変遷した、風景も変わった
海側はもう前の面影がない、村自体が消失した、この辺だと八沢浦の湊村とか海老村とか烏崎村とから消失したとなる、それはもう回復しないとなる
確かに漁業をしているが何か真野川の放射線を依然として計測している、その仕事を県から請け負っているとかなる
原発事故の後始末処理の仕事はつづいているのである、廃炉事業でもそうである、これは長くつづくなのである
だからそこに仕事があり残っている人達もいるとなる
でもこの被害は余りにも大きく回復できない、復興できない、放射性物質は依然として残っている、これはなかなか消えないプルトニウムだと二万年消えないとういから空恐ろしいとなる。
これほどやっかいなものであり原発事故の後遺症は末代までつづく空恐ろしいものだったのである。 









posted by 天華 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年03月06日

原町区上高平の春 (相馬藩の越中などからの移民などの歴史)

原町区上高平の春

(相馬藩の越中などからの移民などの歴史)


上高平の春

梢の高く風にそよぎ揺れ
芽吹く木々かな
鳥飛び移り若草の緑うるわし
野馬追の馬飼う牧や
越中などの移民のここを拓くかな
南無阿弥陀仏の墓ありて
その苦労を偲びぬ

上高平も元は森だった。でもいつそこが開かれたかそれが問題である。必ず越中からなどの移民が入ってきた。
その前に相馬市が入ってきて支配した。なぜなら高平にも野馬追に出ている家があるからだ。野馬追に出る家は相馬市につながる人たちである
でもの移民など相馬氏系統ではない
越中からの移民は相馬藩内のいろいろな地域に入り込んだ。それは南無阿弥陀仏の墓があるからわかるのである
三分の一は浄土真宗の墓であり戒名は無いからである

相馬藩内でもいろいろな地域があり多様である
本来はそうして多様な地域がありそこに暮らしがあることが良い
農業中心の世界だったら社会だったらそうなっていた
なぜなら土地がなければ農業はできないからである
そもそも越中などの移民が入ってきたのは天明の飢饉があり三分の一が荒地となったためである
そのために相馬藩内では人を呼ぶことに励んだのある

相馬相馬と草木もなびく

この民謡はそのために作られたコマーシャルソングでもあった
この民謡は人を呼ぶために作られた。その時農業社会だったから土地を得られるということで移民が入ってきたのである
その移民たちは土地としては悪い土地にはいり開墾したのである
だから苦労したのである。加賀泣きとか言葉として残っているのはそれだけこの土地に来て苦労したからである
でも今になると荒地が一杯あるけどそれは放置されたままである
それは今は農業社会ではないからである。

この辺の経済は原発でも成り立っていた。農民は一割にも満たないのである。それは全国的にそうであり膨大な耕作放棄地が日本にはある。でもその土地を耕作しようとする人はいなくなったのである。
戦後でも焼け野原になった日本で引揚者は戦地から帰ってきた会議その人たちも仕事がなく土地を見つけて開墾したのである
でも厳しくて半分くらいは撤退した
その後高度成長があったのは工業化したからである
電気製品を海外に売って高度成長したのである
戦前は農業が中心であり生糸産業は中心でありそれは農業でもあった。それが時代が変わると産業も変わり仕事も変わる
それが人間の歴史でもあった。
相馬藩の歴史として越中などからの移民の歴史は大きなものになる。その人たちの姓の一群があり子孫が生きているののである。

相馬藩内の人の移動について
posted by 天華 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2023年03月05日

南相馬市原町区の大原の強盗事件 (なぜ狙われたのかー人が希薄な所が狙われる)


南相馬市原町区の大原の強盗事件

(なぜ狙われたのかー人が希薄な所が狙われる)

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敷地内にプレハブの宿舎をつくっていた、前にも作っていた、するとかなりの人が利用したとなる
今は利用している人は相当に減った

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長い塀があり寺みたいだ、敷地が広い、家の裏にもプレハブの宿舎がある、これを見れば金持ちの家と見て侵入したこともわかる

パトカーが止まっていた

確かに家の前にプレハブの宿舎がある、この辺では原発事故で外部から人が入り一時は利用する人が多かった
今はかなり少なくなった、これでもうけたということはある。

今回の事件で謎なのはなぜ南相馬市の市街から離れた大原で起きたのか。
またなぜ東京から専門学生の人が20歳くらいで強盗までしたのか
そのことが理解しにくい。その家は金を持ってるということをどうして知ったのか。
確かにその家の前に原発事故以後増えたプレハブの宿舎が建っていた。そこを経営していたとなると金がはいったのかもしれない。

ということは原発事故以後それで収入があり資産家になったのだろうか?大原あたりでそんなに金が入るということはない。知っている人は農業をしていたが死んでやめた。
そこは空き家になっている。息子はいたが市街に移り働いている
だから後を継ぐことはなかった。そして一人で住んでいたのである。私は南相馬市の市立病院に入院していたときその人と同じ部屋だったのである。

ただ大原地区は放射線の被害が結構大きかった。だから補償金もかなり高かった。。
そんなことで星さん家で金が入ったのだろうか?
この辺でわ原発事故で補償金でかなり金が入った人がいた
プレハブの宿舎を作ったということはまた土地を貸したということはそれでかなりの収入が入ったかも知れない
でも謎はなぜ東京あたりからレンタカーを借りてここまで来たのか何かここに来る理由があったのかそれが分かりにくい
もしかしたら原発事故で何か関わりがあったのかそれもわかりにくい。でも一時外部からいろんな人が入ってきたからそれもあり得る。いわき市でも資産家の高齢女性が強盗に狙われて殺された。それもなぜなのかやはり資産家で高齢ということが狙われやすい

原因として今の若者は貧困である
そのためにこうして金も持っている高齢者が狙われやすいということはある。日本全体が貧困化してくるとき凶悪な犯罪も増えてくる。
そして狙われやすいのは何かあって急に金が入ってきた人である
この辺だと原発の補償金で成金になった人がいる
いわき市の高齢女性はゴルフ場になった土地成金だった

それは私自身も経験している。たいした金ではなくても遺産が入った。遺産成り金のようになった。そのために犯罪にあったのである。それは内部の人でありまた内部からもあった。
つまり犯罪というのはその狙われる人も何か問題がある。ただの偶然なのか。そうでもない場合があるのだ。
つまりそうした土地成金とか遺産が入ってくるとかそういうのは何か問題がある。なぜなら別に苦労したわけでもないのに金が入ってくるからである。それで他者からも妬まれるのであるそこに成金の危険が生まれている。
そしてそうした金は何か身につかないのである。金の重みがないのである。だから失いやすいのである。それが苦労して得た金ならばそうはならないのである。

とにかく身近に起きたから話題になり怖くなる。
私自身の家でも外部からの侵入者が現実にあったからである
でも金は置いていなかった。でもその泥棒が入ってきたことはわかっていたのである。でも私は顔を合わせないようにしたのである。それが良かったのである顔を合わせたら危険だったからである。いろいろ防犯のことを言うがこれは防ぎようがないとも見る
どこかに穴がありそこから入ってくる。
防犯には周りの目が必要である。田舎だと町から離れていると人の目がなくなるからかえって狙われやすい。

防犯とは地区ごとに村全体とかでも街でも周りの人が見ていると強盗でも入りにくい。でも今隣近所でも疎遠であり難しい。都会だと帰ってまた人が多くてその人に紛れて泥棒も入りやすい。ただ入りやすい家というのはある。
そして日本全体が貧困化してゆくと本当に犯罪が増えてくる
そのことが貧困化の怖さなのである

余談ではあるが星という姓は気になる。なぜなら近くの自転車屋の人も死んだが星だったからである

下総国相馬郡星村がルーツの族もいる

星村があったのは意外だった。保守性は結構多い星は結構多い。系統も色々ある。ここの星姓ははやはり千葉県の方だろう。相馬藩の旗印が北斗七星だからである。大原はもともと相馬氏が後から進出して住んだ場所である
隣の深野という地名が二つありこれは中世の地名であり古いのである。でも大原は新しい場所にもなる
資産家というとき農業で資産家になる人はこの辺ではまれである。ただ津波や原発事故で補償金で成金になった人はいた
除染で億の金を山分けしたぬ双相リテックなどがそうである。


posted by 天華 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年03月04日

紅梅の香り気持ちがいい (無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

紅梅の香り気持ちがいい

(無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

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月光り紅梅匂い夜の更けぬ

紅梅の匂うや何か若返る

平安や紅梅匂い月光る

広き家紅梅の匂い充ちにけり

新築の家や紅梅匂けり

紅梅の匂い今宵も我が来る月も光りて美しきかな

近くに紅梅と白梅が咲いて匂っている、そこを毎日通ると気持ちがいい、特に紅梅の匂いは特に気持ちがいい。新築の家がまた建った、その人はこの辺の人ではない、原発事故の避難区域から移り住んだ人だろう。
この辺はまだこうして人が増えている。でも避難区域は空き家だらけなのである。その差が大きいのである。そこには春がこないともなる。活気が戻らないとなる。

夜になると紅梅匂いが充ちて夜が更けてくるそこに月が輝いている
いかにも春らしいその紅梅の枝を折って広い家の間に挿す
その匂いがいっぱいに満ちてゆく。それが何とも言えず気持ちがいい
何が梅は近くでその香りを楽しむ。でも桜となると何か遠くで見るのがいいともなる。
そのために桜前線がある。その桜前線は実は韓国まで咲いていた。韓国の古都の慶州にも咲いていた
その桜を東北から韓国まで旅したことがあった。日本の場合日本は電車で行き韓国までは船で行った。こういう旅も面白い。連続して日本列島と韓国まで見たからである。
そういう旅ができたのも私は特別恵まれていたからである。その介護で10年とか震災でもありもう十何年も旅はしていないただ旅の回想をしているのである

また春になって近くの公園に行ったら幼児が笑っていた。
それで心が和んだ。なぜ人はペットとかに惹かれるのか
それは無垢だからである。
そしてなぜかその無垢な表情は飽きないのである。それが不思議である。なぜ大人は生活に疲れるのか。それはみんな無垢というものを失っているからである。日々利益を求めてガツガツして心が休まることもない。

そういう中で無垢な幼児の笑顔でも動物の無垢な表情でも見ていると和むのであるそれが飽きないのである
今ネコに私が餌をやっているのはそのためである。
別に飼っているわけではないが何か心が和むのである。それは花を見てもそうだし自然に触れるとそこに向くがあるために自然は飽きないしなおものである和むのである
そこにこの世のこの世が汚れていても人間が汚れていても無垢なるものに接するとき和むのである。
ただそうした無垢も何か接する機会が少なくなっている。近くで子供が遊んでいるのを見ない,一人いても一人遊んでいるだけだとなるから淋しいとなる。

人間には常に争いがある、そもそもなぜ離婚している人が多いのか、何かそういう人と接する、それだけではない、自分の家族も常に争っていた。でも最後まで家族として維持できたのは私が要として家が守れたとなる。子はカスガイとなったのである。
そうでなければとても維持できなかったのである。
徳川家も維持できたのは長男を後継ぎとして継承して維持できたのである。侍の家が御家大事で維持したのも同じである。
長男ができが悪くても家臣が支えて維持できたのである。
人間はとにかく争いが多すぎるのである。そのために苦しむ人が膨大なのである。この世が地獄になってるのはそのためである。

ともかく春が来た。でも今日は寒かった。でも今年の春は桜の咲く時期が早い。
やはり暖冬気味なのかもしれない。白鳥は見かけないからシベリアに帰ったのかもしれない。そういう時期になったのである

桜前線を旅する短歌

2023年03月03日

大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに (権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)


大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに

(権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)


私の知る限りでは、直ぐに死んだ人は一人もいません。
心筋梗塞は脳梗塞と違い、一瞬で意識を失う場合が多いです。
死亡率も高いですが、助かれば脳梗塞のような大きな後遺症に
苦しむ事はありません。

私も脳梗塞を起こしましたが、その部位により後の障害や死亡も変わるようです。
検索したところ、脳梗塞での死亡は10万人当たり57.1人とあります。



脳梗塞で死んだと明らかにされた、でも脳梗塞で死ぬ確立は相当に低い、体が麻痺しても長く生きている、それで妻で十年も介護したという人を二人くらい身近で知っている
だからもし生きていたら体も脳も麻痺して生き続けなければならいなとしたらそういう姿を見ているとしたら地獄になる、池田大作は生きているのか死んでいるのかわからない
とても表に出せないということで出さないともされる。
死んでも武田信玄のように秘密にして教団の維持を計っているとかなる

大川隆法氏が死んで問題になるのは何かとなるとどうも子供が五人いて後妻になった女性には子供がいない、そして跡目争いが前からありそのことを語っていた
この跡目争いというとき教祖の教えを受けづくとか発展させるとかではない、権力がありその巨額の金でも遺産争いになることである。
つまり宗教は権力を持つと必ずその権力に目をつける、もともと権力を求めていることがあり権力を得るためのものが多いから当然そうなる。
だから宗教というのは権力を持つと危険になる、なぜならみんなその教祖の教えより金になるとか権力を得られるとかで入る人が多いからである
大多数は宗教の教えなど関心がない、会員が増えてそこで一定の勢力を権力を持つ、するとそこに入って利益を権力を得ようとする人達が入ってくるのである

幸福の科学の場合はもともと子供たちで跡目争いがあり権力争いがすでにあったようである、だからその死が不自然だとしている、ただ突然死はあるからわからない
でも66歳では早いともなる、もともと病気があってそうなったらわかるがそれが不明なので理解しにくいとはなる
ただ巨額の遺産があり必ず権力争いになる、だから宗教というのは権力自体を持つとこうして歪められる、でもそもそもが政治にかかわり権力を持つことを目的にもしている
現実社会で権力を持つことを目的にしている、そして教祖が死んでまた権力争いになるのは必然だとなる

創価などももう権力しか御利益しか眼中にない人達が集まっている、そのために日々祈り選挙に勝ち権力を得ることが日々の活動である、だからここでもすでに池田大作は死んだのかわからないが何らか権力争いがあり分裂するかもしれない、そして全国にある会館なども会員が減っているから維持できなくなる、だからそうした巨大宗教団体が崩壊するとき権力争いになる、遺産相続で血で血を争うことにもなる、幸福の科学ではそうなっていたしそのために生きている宗祖の大川隆法が殺されたのかとまで疑う人がいるのもわかる

大川隆法でも池田大作でも世俗で宗教を教え大成功した人なのである。そして偶像化されたのである。何百万人の会員に崇められて莫大な金を集めた、大川隆法氏の家が宮殿のようになっていたことに驚いた。池田大作だと庶民を相手だから普通の家にそれもかえって貧しさを感じる家に住んでいるとか言われた、それは庶民向けにそういう演出をしたということである
貧しい会員が多いければ豪邸に住んで贅沢の限りを尽くしているとか言えないからである

そもも宗教が権力を持った時から堕落して世俗化したのである
それはカトリックが政治化して権力を持ったことから始まっていた、カトリックとは土地を持っていたり権力を持っていて庶民を支配していたのである
それで免罪符などを売りつけてもうけていた。それに反発したのがルターでありプロテスタントになったのである。

宗教が権力を持つことは危険である、その動機が不純なものになる、宮殿のようにな豪邸に住んでいれば誰でも信仰すればそうなれるという見本を示すからである
それは本来の宗教の教えとは正反対のものでも世俗的には欲を充たせることを説くことで人が集まる、つまりカルト教団の人達は欲を実現するものとして入ってくる
その中に貧困とか様々な悩みや問題をかかえて解決したくて入る者もいる

そういう人達を集めて会員を増やす、だから創価と共産党は本当に似ている、いろいろ苦しみ困っている、貧困な家庭も多い、他にもいろいろ悩みがあり解決したくて入る
そして共通しているのは社会に対して根強い恨みを持っていることである
自分が不遇なのは苦しいのは社会のせいであり今の上に立つ人達のせいだとしている
そういう点で共通しているのである。
社会に対して深い恨みを持っているのである。でも全部が社会のせいなのか政治のせいなかなのかというとそうでもないのである

生まれつき障害者を持ったのは社会のせいなのかまた政治のせいなのかというとそうでもない、美人に生まれなかったなど恨んでもそれは社会のせいではないのである
それは親を恨めともなる、ただ根強い憎しみを持っている人達だとなる
そういう人達を組織化して政治化して権力を持ちその権力を持った時不満が解消できるとなる、つまり権力も持ったらその権力で得られたものを配分することになる
その分け前は主に幹部が得るのでありその他に富は必ずしも回ってくるとはならないのである

そもそもカルト宗教はこの世で権力を持ち栄誉栄華の生活を送りたいという人達が集まるいろいろいてもその目的はこの世で権力を得て欲望を実現することである
それは幸福の科学でもオウムでも同じだった、創価は最もこの世で権力を持ち支配者になるところだった、そこで権力しか関心がない、その権力を得るとういことは選挙で勝つことでありいかに票を集めるかが日々の活動なのである
そのことが池田大作教祖のためにそうするのである、座談会では選挙の時こうして集まり祈り権力奪取のために日々奔走しているだけである

人間はみんな血眼になって日々金を稼ぎ金を得る為に生活している、だからカルト宗教も血眼になって権力を得る為に金を得るために祈り運動しているのである
だからオウムでもオウム王国を実現すると堂々と主張していたし幸福の科学でもそうである、幸福の科学の王国を目指しているのである。
それは神の国でも仏の国でもない、ただひたすらこの世で欲望を実現するものとしてあるこの世の王となりこの世を支配することなのである。そしてその王が教祖になる

それは偶像なのである、サタンにもなる、でもそのサタンを作りだすのは人間の欲がなくならないからこそこうしてその欲を実現させるとして偶像がサタンが支配することになる幼児のようにみどり子のようであればもともと欲がないのだから欲望を実現するなどと説かないのである、そもそも欲がないのだから説く必要もないのである
だからこそみどり子に治めさせよと言ったのである
でも現実は権力を求めて権力を得ることに世俗社会がありそれを否定はできない、もし欲を抑制して否定しろとなるとついてくる人は極ずかになる、そして世俗の誰にでも欲を肯定してもっと欲望をもてとなっているのがカルト教団なのだからそれがこの世にまかり通っていること自体信じられないとなる

もしあばら家とか粗末な家に貧しくして住んでいたら誰もそんなふうになりたくないとなる、でもキリストは家もなく枕する所なしだったのである。シャカでも王宮に住んでいても出家して洞窟で家もなく修行して悟りを開いたのである
もし宗祖がただ残したのがあばら家とかだったらそこに権力争いなど起きようがないのである、そこに会員でもわずかだったりしたら権力争いは起きない
莫大な富があり権力を持つとその富と権力を目当てに争いが起きる
遺産相続争いが起きる、それがすでに大川隆法の死で家族でも起きているし教団でも起きている、そこに人間の醜さが露骨に現れるのである
だから本来の宗教はせいぜいあばら家でも残すだけとなれば誰も振り返らない、遺産を残さないとしたら血で血を争う兄弟姉妹い争いも起きないのである
だから宗祖でありそうして死んでから会員の争そいの種を残すことが罪なこととなもなるそのために欲が刺激されて争いになるからである

いづれにしろカルト教団が崩壊してゆく、それは幸福の科学だけではない、創価でももう会員が増えないから全国にある会館でも維持できなくなる
金が入ってこないから財政的に維持できなくなる、そもそもそんな会館などなくても良かったのである、そんな所に金をつぎ込む必要もなかった、宗教とはそもそも金をかけるものではない、金を集めれば金だけが目的となる、そして莫大な金が集まりその金を残して遺産争いになり組織自体が分裂してゆく、醜い遺産争いが兄弟で起きるのと同じであるもともと世俗の権力を求めた宗教なのだからそれも当然の結果だとなる
ただ宗教も利益だというときその宗教でも利益になれば利用するものがある
創価の会館を請け負ったのが大成建設とか言われる、富士山の正本堂を建てたのは大成建設だった、大成建設とは密接な関係がある、それが巨大な利権となっているから結びついているとされる、本来の宗教とは関係なく利権があり結びついているとなる
なぜならあばら家に住むだけだとしたらそこに何の利権も生れないからである
宗教が巨大な利権を産むとういことで問題なのである

ただ大川隆法が急激に死んだということは何なのか脳梗塞にしても普通急激に死んだりするのはまれである。そして必ず脳梗塞には前兆が出てくる知ってる人でもそうだった大川隆法だったら家族でもみんなが注目しているのだから何か分かったに違いない
そもそも大川隆法自身がそのことに気づかないということが盲点だった
なぜなら常に会員の心配をし会員のために生きているそういう人が自分自身を顧みないそのために病気に気づかなかったとなる知っている人も他人の心配をしていたが自分自身が病気になって脳梗塞になってかえって迷惑をかけたのであるだから自分自身のことをないがしろにするのも問題なのである

でも大川隆法の死は何か不自然であり不可解である
脳梗塞となればそんなに急激に死ぬとも思えないからである
結局いろいろ預言の言葉を言ったが自分自身についての死については本人も予言できなかったということであるただ突然の死に驚いたのである
人間はつくづく自分の死がいつ来るのかわからない近くの自転車屋にしても3日前まで普通に仕事していたのであるいつまで続くのかということをいっていた
それはすでに10年間くらいガンであり仕事を続けてきたのであるだからいつか死ぬということは予想されていたでもそれは突然だったのである大川隆法については何か前兆があったのかどうかわからないそれで殺されたとかいうことまで言われたのである
ともかく何かこの年になると死ぬ人が増えてくるあっあの人も死んだのかこの人も死んだのかとなってしまうそれより自分自身の死もそんなに遠くないのである



posted by 天華 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年03月02日

リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない (老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)


リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない

(老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)


キッチンが50年くらいすぎてぼろぼろになっていた。それを取り替えるにしたが簡単にできないものだった。
まず寸法を合わせるのがむずかしい、私の家のキッチンは何か高さを調節するために
直して造った、それで新しいものをとりつけるのに高さを調節するのがむずかしいものだった、ここに合ったものを作ると結構手のこんだことをしなければないので大工さんいろいろ思案していた、それから排水の管が複雑になっていたのである
前もつまって私がブラシを入れて直していた、それはもともと複雑な管の配置になっていたためである、それを見てまた大工さんどうしていいのか苦労していた
だからリホームするには相当な腕がないとできないと見た
窓も高さの調節で直さなければならないとかなり複雑化したのである

でもここでわかることは最初からハウス会社が作る家は楽にも見える
今でもこの辺では大東建築がアパートを建てつづけている、それは最初から規格化されてその部品を組み立てるだけなのである、だから楽にも見える、他の家でもそうして組み立てるだけだから早くできる、50年前の家とかなると私の家でも三カ月くらいかかった。
普請は大事業だったのである。その苦労があって親は常に家を建てたことを自慢していたのである
今のように簡単に家が作れないということでそうなっていたのである。
その家にしても地元の大工さんが作ったのでありハウス会社はその頃家作りしていなかったのである、地方では地元の大工さんが家を作っていた、三カ月もかかるとなるとやはり
家を作ることは大事業であり地元の人とのかかわりも深くなるのである

茅葺屋根の家に住んだ人を知っているがそういう家は村の人総出で作ったとういことで
また価値が違っていた、つまり村の人たちの協力があっ作れたとなっていたからである
ハウス会社になると地元の大工さんはかかわらないからである
そのために地元の人とのつながりも希薄化したとはなる
また家も様々なものから成り立っている、それで震災以後は瓦はいわき市の会社の人が来て直した、ユニットバスは創優建という仙台市の会社が百万で作った
それは常磐高速道路ができたために仕事を求めて来たからである

またトイレの配管が去年の地震で壊れた、それでトイレも古くなり直した
つまり仕事が広域化している、この辺だといわき市とか郡山市とか仙台市でも交通的に便利だから仕事を求めて来るようになったので
建築土木関係の仕事している人は青森に行ったとか郡山市に行くのに三時に起きて行ったとか佐世保に足場を作る人が行ったとかなる
もともとも建築土木関係は遠くに仕事があれば行っていた、飯館村の木戸木(ことぎ)の大工さんも東京に仕事があり働いて稼いだと言っていた
またレンガの風呂を作る人は室蘭まで行ったと聞いた
だから職人は遠くに仕事があれば行くということがあった。

ただそういうことで何かハウス会社で簡単に部品を組み立てて作る家は重みがないとも感じる、昔は家を作ることが大事業だったから家に重みがあった、茅葺の家とかなるとその手間も労力も大きくなったから重みがあったとなる
ただ家というのは建物だけではない、そこに営まれたものがありそれで家も活きてくる
だから代々つづいた家は歴史的にも重みがあるとなる

いづれにしろ家にこだわるのはやはり人間は家で暮らすということが基本にある
遊牧民のようにテントを持って移動する生活とは違いて一定の場所に根付くということがありそれが家を持った時そうなる、マンションとかアパートとかなると借りの住まいともなり重みが感じられないのである
どうしてもこの辺だと市営住宅などに住んでいる人はそうなる、何か借りの宿という感じになる、家の重みがないのである。
近くの人は20代で一軒の家を建て立派な石組の庭を造った、それは人一倍働いて20代で作ったのである。そういう時代があった、働けば働くほど収入を得れる時代だったのである、今20代で家を建てることをできる人はまれだろう、親の遺産でもなければできない、その人は別にローンもなしで二十代で家を作り立派な庭を造ったのである

今は何かそうしたみんなが働けば豊かになれるということがない、だから若い人は苦しいとなる、なんとか日々生活すればいいとかしかない、それでこの辺でなぜ東京辺りから学生なのに強盗に来たのかとなる、若い人達が何か昇り調子の時代を経験できない、30年間賃金が上がらないとか日本は停滞したままなのである
そして今度こうして高度成長時代に建てた家が空家化しているのである、また後継者もいなくなっているのである。
近くに本当に立派な庭がある家でも空家になっていた、その庭の価値は相当にある
でも誰も住んでいないのである、それは原発事故で避難区域になったところでも立派な家があり庭があっても住んでいないからもったいないとなる
でも少子高齢化で全国的にそうなっているのである、日本は縮小してゆくのである

ともかく私の家でも家には金をかけた、部屋でも四っつくらい新しく継ぎたしたのであるでも私自身は狭い部屋で寝起きしていた、でも八畳の広間がありそこに寝ていると何か安らぐ、そこで寝起きしていた親が死んで自分が寝起きするようになった
その空間がなんとも安らぐのである、そこで夜に寝るとき本を読んだりイメージすることがある、イメージが不思議と湧きやすいのである、だからそこで必ず詩作しているのである
だから家というのは知的な仕事をするには相当関係している
50年前まで子供の時は子供部屋などなかった、本も一冊も置いていなかった
漫画本すら貸本屋で借りて読んでいたのである。これでは知的に刺激されることもない

家に蔵書があることが大事である、子供でも子供の興味をひきつける本を並べているだけで相当に効果がある、それも子供部屋があれ自主的勉強することもある
それが全くなかったことがやはり環境的に恵まれていなかったのである
何か店をしていたから子供の時は配達などばかりさせられていたのである
だから自分で知的探求というものをしたことがない、勉強は学校でしかできなかったのである、それも暗記の勉強でありまたソロバンとかを習ったが得意だったが何の役にもたたなかったのである

とにかく家は知的空間であることがわかった、蔵書があり寝る時でも広い部屋で本を読み想像力を働かせて思索する詩作する、それは広い家があると効果的なとを知った
狭い部屋だと何か圧迫されるてそうはなりにくいことを発見した
おそらく知的探求には家というのが相当深く関係している、日本の家は狭すぎる
だからそこで何か余裕ある人を育てにくいのかともみる
そもそも茶室が生まれたのは日本の家は狭いから自ずとそういう文化になったのである
でも実際は広い家の方がいい、八畳間で寝ていると気分がいいとなる
でも大きな家に住んでいても自分の部屋は狭い部屋だったのである
それは親が死んでわかったことなのである

そして老人になると家が大事になる、なぜならその生活が家中心にもなる、余りに遠くにも出なくなるからである、実際これだけ旅しても親の介護とかなり十数年旅していないのからである、ほとんど近辺を回り家にいる生活になったからである
すると家が何か安住する場所にならないと豊かな老後の生活ができないとなる
それで数カ月なのか糖尿病で入院していた人がかえって病状が悪くなったが家に帰って療養したら回復した、それもやはり家の効果である、その人は若い時人一倍働いて造った家にいてこそ何か存在感がある、妻は早く死んでもやはりそこに妻がいるという感じにもなる
そうして家で死にたいという人か多いのは誰も病院のような無機質な空間で死にたくないということである、人間は家とも一体化してゆく、だから人は死んでも家に憑りついているとまでなる、確かに家には死んでも人はいるという感覚になる
でも病院で死んでも何か幽霊となって現れるとしても病院では成仏しないのである
何か物体のように邪魔なものが片づけられるという感覚になる
だから病院で死にたくないという気持ちがわかるのである


天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

橲原(じさばら)のキコリの人が同級生が切り出した木を柱にしたと親がいつも自慢していた
それはこの歌のように地元の材料で地元の人たちが作ったということで価値があったとなる
ただこういう家に住む人はまれだった
でも農家のかやぶきの家はそれなりに大きいし意外とあたたかいとなっていた。
土間でも土でありあたたかだった。実際に住んだ人も悪いことはいわないのである。
だからそれなりに住まいとしてわるいものではなかったのである。
むしろ子供の時の家は隙間風が入り寒いしトタン屋根で雨漏りして洗面器を並べてしのいでいたのである。戦後まもなくは農家では食料も自給していたからかえって街のせいかつよりゆたかだったのである