2023年02月28日

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

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飯館村の樅の木

山の奥へ分け入る道
二本の樅の木の厳かに
古りた神殿の柱のように
またゴシックの大聖堂の
石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに
静かに重々しく厳粛に
清らかな流れは谷間にひびき
その二柱は隠され立ちぬ
落葉を踏み我はここに来ぬ
ああ 人の世はただ別れなり
人は逢うもたちまち別れぬ
人の関係は永続しない
烏合離散して消失する
故に離れずここに二本の樅の木
ここにありしを深く思いぬ
離散して荒れ果てし村の悲し
人は故郷に帰らざるかな

飯館村は七〇パーセントが森である、また丸森もそうである、そのために丸森では木材資源を米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な資源を得るための争そいがあった
それだけ森が広くあり木材資源が豊かだったからである。
それで外材が入らない時はその木材は森林鉄道があり東京に運ばれたのである
全国に森林鉄道が多いのは国内で木材をまかなっていたからである。
高瀬川の上流でも岩をくりぬいて森林鉄道が通じていたのである
それは葛尾村の方まで通じていた

森という時杉林になるが杉林は人工林であり木材に加工するから植えられた。もともとは?(ぶな)などが森を覆っていた、でも?無用のものとされた、加工するのにいいものではなかったからである。それは人間の都合でそうなった。だからこの辺でも鹿島区の小山田の奥の森にぶな坂というのがありブナがかなりあった
日本は鎮守の森とあるように森で覆われていた森の国だった
これだけ山が多いのだからそうなる、縄文時代になるとほとど森であり森の中の暗い所に住んでいたのである。そこで木の実とか採集したり狩猟して暮らしていたのである
それで丸森で道に迷って森から出れなくなった恐怖を体験した
それだけ森が広くあったためである、森は見通しがきかないから迷い森から出れなくなることがある

飯館村で坂を上り山を分け入れると二本の樅の木があった、それが何とも重厚であり力強いものを感じた、そこは隠されていてわからなかった、飯館村は広いからわからない所がまだある。そこで見た二本の樅の木が印象に残った。
それはもの寂びた神殿の柱のようでもありまたゴシックの大聖堂の石の柱のようにも見えた。
ドイツは樅の木の森だ覆っていた、樅の木の国である。だからその森がありあのゴシックの大聖堂が作られた。その石の柱は高い、あれだけのものを作ったことに感心する
それは樅の木を象ったものだとなる
ギリシャの神殿にはそういうものは感じない、低いし高くないからである

飯館村の現状は村自体が維持できないように見える、村人は福島市とか他でも移り住むようになったからである。学校にしても何人なのか小学校に通っているにしても村内に親は住んでいないのである。建物は立派にしても肝心の人が住んでいないのである。
多額の補償金をもらったから村から出て福島市であれ南相馬市であれ移り住んでいる
それは原発事故の避難区域になったところの住人はこうして移り住んだ人が多いのである現代は移動する時代であり長年住んでいたとしても金があれば移り住むことが容易であるだからいわき市とかでは大量の人が避難して新しい家を建てたので回りの人がうらやんでもめたのである。

ただそこで失ったものは何なのか?先祖代々からつづく歴史であり共同してきた村であり人の絆だったともなる。ただ現代は村であれ車社会であた移動する社会である。
だから移動するとか移住するとかでもさほど抵抗ない社会だともなる
一見回りが田畑だから農業が中心のように見えてもそうではない、会社員とかが多くまた建築土木関係だと知っている人は青森に行ったり九州の佐世保に行ったりまた地元で暮らしていても三時に五時に起きて郡山の方に車で現場に行っているとか遠くに働く人が多いのである、だから近くでも何をして働いて暮しているのかわからないのである
また広域化グロ−バル化した社会というのはそもそも地元だけの経済ではない
そのことも地元のつながりを希薄化している、家を建てるにしてもハウス会社がプラモデルのように二週間くらいで組み立てて建てるのである
地元の大工がかかわることもそんなになくなったのである。すると地元の人間のつながりも希薄化するのである

私の家も震災以後は瓦はいわき市の人が来てユニットバスは仙台市の人が百万で作った
それはイワタニとかでも地元でもできたがそうなる二倍三倍になったのである
常磐高速道路ができたことも広域化して仕事することになったのである
トイレも去年の地震で配管とかが壊れた、それを直したのは郡山の会社である
こうして仕事自体が広域化している
そういう社会が影響して移住も金があれば別に家を建てて住めばいいということになる
でも農業していたら土地がないとできない、それでも実際は農業が主要産業ではないのである、だから移住しても困らないとなる、ただ飯館村の場あいは農業している割合が多かったかもしれない、でも車があって川俣とか福島市とかに通って働いている人もいたからそうともならないのである。菊池製作所があるからそこで働いている人も多かったのである

こうして広域化グロ−バル化する社会は移動する輸送する社会である。
アマゾンで電熱ベストを注文したら中国から輸送されたものであり途中関税をとられ処がありそれを知ることができる、そのために三週間くらかかかったのである
アマゾンだと中国でもアメリカでも品物が入ってくるのである。
そういう社会は近隣とかで用を足す社会とは違っている、ただここでの問題は物は入ってきてもそれで人間同士が連帯するとか協力するとかにはならない
だから中国とうまくいかなくなったりするのは物をやりとりするだけで人間は協力関係を築けないのである、物と心は一体であり物が憑くというとき物にも心が憑いていて物になるからである、いくら物のやりとりしてもグロ−バル化しても人間と人間が協力するということでないのである

そして一見広域化グロ−バル化はいいようにも思える、でもそこで失われたものもある。地域でも人間のつながりが希薄した、一万の田舎町でも隣でも何をしているかわからないということがある、特に原発事故以後そういう人たちのことがわからない、前の自転車屋でも知らない人が多いというのもそうだった。
そして今は地の時代から風の時代だというとき風とは地に根ざさない移動する時代を生きることである、でも逆にこれからは地に根ざすことが要求される
風の時代から逆に地に根ざす時代に変わるともなる、そんなに人間が風のように生きられるのかとなる、もちろん旅ばかりした自分の風のように生きたとはなる
でも人間はやはり定着して木のように根付いてこそそこで充実感がありアイディンティティ化する、そもそも文明自体定着してできたものである、農業が生まれて定着したからエジプト文明でありメソポタミア文明であれ生まれたのである。
マヤ文明でも何でも定着して生まれたのである。
風の時代は終わり地の時代にも移行する、コロナウィルスでもそうである、引きこもり状態にもなったからである。グロ−バル化といっても米中対立とかウクライナ戦争とかかえって軋轢がました、共存共栄というのがグロ−バル化でもむずかしいからである

精神的にもグロ−バル化というとき文化は育まれない、文化は地域に根ざした狭い範囲で生まれているからである。、ルネサンスにしても5万くらいのフィレンツとかで生まれたでも一千万の大都会とかから生まれないのである、これからは風の時代ではない、地の時代になってゆく、文化の時代になってゆく、cultureとはcultivateでありその土地土地を耕して生まれるからである、育まれるからである
土地土地に合ったもの、食糧でもワインでもその土地の名がついている、そして人間の生きる時間は短い、ただもう人間が逢うにしてもただ行きあたりばったりでありそこに永続的なものがないからはかないとなる、人と人の絆が作れないのである
何か老人が愛人と暮らしたが病気になり妻が介護してその妻との暮らしが長いから思い出があるから愛人はそうした思い出がないから深いつながりがもてずに愛人がその世話した男を嫉妬して殺した、つまり人間の関係はそうして長い時間がないと信頼でも愛情でも生まれないのである、でも時間は限れらているからそういう関係を作ること自体簡単にできない、それでただ金の関係だけになり破綻するとなる

石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!

こういう関係を切実に望むようにもなっている。飯館村とかでも原発事故ではは家族でも離れ離れになりそういうことを感じた人が多いのである
そもそも現代社会自体が人間の繋がりがなくなった金だけが物いう社会になったときそうなった、孤独死が増えるのもそうである。この辺では原発事故で特にそうなったのである今生活が広域化している、すると親と子も離れて暮らしていると互いの事情もわからなくなり介護とかでも困ることになる、やはりいつも一緒に暮していないと親のことでもわからなくなる、生活を共にしないことは情すら薄れてゆくのである
もちろんいつも同じ人だけど接していると何か新しいことを知り得ないとういこともあるでも現代は生活でも広域化してかつての村落社会ともかけ離れている
そういうことで原発事故で町や村が簡単に解体してしまったのかともみる
放射線被害があったとしても江戸時代から続いた村や町が簡単に解体することに驚いたからである、いくら移動しやすい移住しやすいとしてもそういう社会は人間にとっていいものかどうか問題になる

そんな閉塞した社会に村とか田舎に住みたくないというのもわかる、自分自身もそうである、でも人間はアイディンティティを人との紐帯を育み作る場所が必要だとはなる
風のように移動して生活してもそれは若いうちはいいにしてもだんだんやはり人間は大地に根を張るように落ち着く生活をしたいのである、だから過去の文明でも文化でも一つの定着した場がありそこで時間をかけて作られたのである
移動する民の遊牧民は文明を作らなかったからである、農業になり一定の場所に定着した時文明が生まれたのである。今は風の時代ではない、地の時代になり定着する時代に変化しつつある、グロ−バル化も限界になっているしコロナウィルスでも人々が密にグロ−バルに交わることが必ずしもいいものとならない危険なものと認識したからである
だからかえって国内回帰とか地方回帰現象が起きてくる、現実に起きている

そしてSDGs(持続可能な社会)を目指すということはむしろグロ−バル化とか広域社会でも縮小化に向かうのである。物の自由な広域的グロ−バル化の流通があったとしても心の方を重視する方向に変わる。物がいくら流通しても人間の心は通わない、そこにグロ−バル化の問題があった。そこで必ず覇権争いがあり様々な軋轢が生れ戦争にもまたなる
物だけの流通では人間の心は通じ合わないのである

そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに

一つの場所に離れないであること生きること育てることがアイディンティティを作る
それは空間を自由に往き来するより時間軸で生きる、一つの場所でも長い時間で育まれるものを作る時代になる。常に転々として渡り歩くことをしていたらそれができないからである、旅としてそれはあるとしてもやはり人間は最後は定着して落ち着きたいとなるのである、そして人の出合いでもめまぐるしく変わることより小数でも信頼する人達と住みたいとなるのである、それは老人の心境にもなるがそういう時代になったということもある














posted by 天華 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2023年02月26日

人間を作るの体験、老人の価値は何を経験したかで決まる (旅も体験であり貧乏旅行も金持ちの旅より価値があった)


人間を作るの体験、老人の価値は何を経験したかで決まる

(旅も体験であり貧乏旅行も金持ちの旅より価値があった)

●旅の経験は金がない旅も金持の旅も価値は変わらない

人間とは生きるとはそもそも様々なことを体験することである。
知識はその後についてくる、何かを体験して疑問をもったり体験することから学問も始まる、この世には無数のわからないことがあり必ず疑問になる、だからまず体験があり経験があるのが人間が生きることである
だから旅になるとこれも体験なのである。私が地名に興味を持ったのは旅をして鉄道の駅などの駅名に興味をもったり地名に興味をもったのはそのためである
また地形と風土に興味をもったのもそうである。それは旅した結果なのである

そして誤解しているのは旅する時、今は便利過ぎて旅が消失したのである。
本当の旅を経験していないのである。車だと途中を省いて通りすぎるだけになる
だから旅というものではなくなる、移動なのである。それで旅館でありホテルに泊まることが目的にもなる。そこで何をするのかとなると食事を楽しむとなり料理を楽しむのが目的だとなる、それでホテルをテーマにしたコンサルタントがホテルを再生事業にかかわるとき必ず料理を問題にしているのである。
もともと旅は歩いているからこそ旅だった。まず今は歩くことがなくなった。
近くでも歩かないのである。私も買い物にするのに近くで歩かない、自転車になる。
他の人は車になる。だから商店街は廃れたのである。
車が通っても素通りするだけだとなる。

草臥れて宿借る頃や藤の花 芭蕉

これは歩いた感覚から生まれたのであり車に乗っていたらこういう句はできない。
現代は旅というのか消失したのである。だから旅人もいない、いるのは車とかで移動する人であり旅人ではないのである。だから旅は道連れとかはない、車だと会話などしないし瞬間的に通り過ぎるだけだとなる。旅は道連れ世は情けなどもない。人間的出合いもなくなったのである。
そしてなぜ最近温泉街が廃墟化した映像がyoutubeででている。会津の東山温泉でもそうだし飯坂温泉でもそうである。それは高度成長時代のバブルの夢の跡のようになってしまった、その時景気が良く団体旅行でにぎわっていたからである
そのために大きなホテルができて歓楽街のようにもなっていたのである
それが会社の団体旅行もなくなり寂れて廃墟化したのである。
その頃から旅の宿ではない、会社の団体のために用意された歓楽街となっていたからである。だから本当にそれは夢の跡となってしまったのである

今本当の旅を体験することは至難である。まず一か月くらいの自由な時間が必要となると会社員には簡単にできない、だからバイクとか自転車とかだと旅する感覚になる
ただバイクも車と同じように早いから途中が省かれる、旅の感覚にはならないのである
だから不思議なのはこれほど移動する社会でも旅というのは喪失したのである
新幹線で一気に平泉であれ青森までであれ行ったとしてもそれはあくまでも移動なのである、旅ではない、だから芭蕉のような体験はできない、便利になりすぎて結果的に深く自然でも歴史でも感じなくなったのである

旅で不思議なのは旅の経験は必ずしも金をかけなくても体験できるし金をかけてもかえって体験できない、テレビで京都の外国人を泊める一泊10万なのかホテルを紹介していたがそこで体験するものが果たして貴重なものとなるかどうかはわからない
まだ豪華な船でクルーズしてそれが後で貴重な経験となっているかどうかもわからない
豪華列車の旅でもそうである、だから何でも金をかけたからといって体験をできるとは限らない、そういうものは金持ちの老人には向いている。
でも若い時に体力がある時に金がなくても自転車で日本一周したとかが大きな体験であり後でその体験が貴重なものだったということをふりかえる。
だから体験の価値は金で計れない、金がなくても旅の体験はできる、私は自転車旅行でテントを積んで寝泊まりしたから金はかからなかった、でもその方が体験として記憶に残ったのである。


蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと〉芭蕉

これも体験であり貴重なのである。金をいくらかけて便利な旅をしても旅の体験として貴重なものとなるとは限らない、それも一つの体験だから否定はしない、でも金をかけなくても旅はできる、金がないから旅ができないということはない、むしろ金より時間と体力があれば本当の旅を体験できたとなる。人間はすべて金では得られない、確かに豪華客船の旅も一つの体験である。特に外国だと旅もむずかしいからそれも体験である
でも余りにも便利で恵まれているとそれも何か贅沢すぎてかえってその体験が浅薄なものにもなる。

●人生とは何を経験体験したかである

結局人生とはどういう体験をしたかということでその人生の意義が見える
もしコロンブスのようなまた船で未知の国に行く体験をしたとしたらそれこそ人生を生きたとなる。そんな体験は今はできないからである。安全であり船が沈没することないからである。でも人生が生きたという醍醐味をがあるとしたらそういう危険を乗り切ったという冒険にあったとなる。

例えば聖書でも理解しようとする、でもいくら隅から隅まで読んでもわからない
なぜなら苦しむ悲しむ経験をしなければわからないからである。また奇跡があったとしてそれは事実であり体験したことを記したのである。それは空想ではなかったのである。
だからこそ価値がありその体験の価値があって聖書が読まれ続けているのである
まず体験しないと神も知り得ないのである。何か危機的な体験をしたりするとわかることがあるからである。
結局人間が生きることは体験することである。知識でも体験するからこそ身に着く、それでいくら勉強しても受験の暗記の勉強をしても現実に直面して挫折する
現実の問題を解決できない、現実の問題をどう解決するのかがわからないとなる

人間はやはりいろいろ体験することが人間を作る、大学とか無駄なようでもそれも一つの体験である。文系だと遊びの場だったとなってもそれも体験である。
だから高卒の人は大学のことを体験していないから理解できないのである
そこに人間の幅がないということがある、人生の一時期そうした自由な遊びの空間で過ごすということも経験なのである。ただそれでギャンブルにはまってしまったというマイナスの面もある、でも会社に入るとそういう体験はできなくなる。
だから留学体験とか外国で生活した体験がある人とない人の差が大きいのである
そういう人達は実感として外国を知っているからである。本を読んで知るのとは違っているのである。

農業などでも体験である。実地に農業している人の方が学者や学生より知っている
実地に農業を経験しないと農業のことはわからない、いくら本を読んでもわからないのである。別に学校で農業を学ばなくても家が農家なら実地に学ぶ機会があるから有利になる学校だけで本からだけで学べないからである。
人間を作るのは体験であり知識だけでは作れない、明治維新は侍が成したものでありでも官僚化して学問できるものが指導するようになったときおかしくなった
余りにも知識に重点を置きすぎたからである。そこに人格とか人間の資質などがないがしろにされた。そしてモラルも消失した。それは現代にもつづいている。
受験戦争の暗記だけの教育が人間をだめにしたとなる。
やはりそれは現実社会での体験をしない、頭だけで処理しようとすることで問題になったまた高度に専門化した結果頭でっかちとなり指導できなくなったともなる
それは個々の人間の問題ではなく文明全体の問題ともなる

現代は体験が希薄化している、頭だけで知識が優先されて体験が不足している
頭でっかちになりすぎたのである。膨大な知識でも消化できないのである
その知識でも体験がない活かせないのである。
ともかく旅も体験でもその旅の体験自体ができなくなったのが現代なのである。
なぜもてなしがあったかとなればまず旅人が宿に着いた時足を洗うのは歩いて来て埃りに汚れているからである。もてなしというときそういうふうに疲れているからもてなしがあった、車で来た人にはそういうことはない、するともてなしというのもなくなる
疲れたでしょうということもないからである。車でも疲れることはあっても歩いて来るのとは相当に違っているからである。
第一自転車旅行なぢしている人はまともでないとなる胡散臭いものとしていやがる。
ネクタイして背広をぴちっと来ている人が歓迎されるのである
でも今になると旅も一期一会であった,泊ったのも一夜だけであり後は泊まることもない、そこで親切にされたらうれしいとなる。でも今こうして旅する人自体いなくなったのである。
宿でもそんな人は相手にしないのである。だからテントが必ず必要なのである。

●体験が人間を作る

結局人間を作るのは体験である。それは必ずしも金をかけたからできるものではない
山に登るにしても体力が必要であり今になると年取るとできなくなったからである
だから激しい運動は若いうち体験していないと後でできなくなるのである
何でもできるように思えてもたちまち時間は過ぎてしまうのである。
体験というとき職業でも体験である。医者になるにしてもいくら学校で学んでも現実患者を診るとなると体験なのである。だから手術となると場数を踏んだ人がうまいとなるのはそれだけ体験を積み重ねて会得したとなるからである。そのために失敗したこともあるとなる

ただ正直人間はあるゆることを経験できない、先生に成ろうとしても免許が必要だなにかにとできない、要するに経験ができないのである。
それで自分は引きこもりになった、でもまたこの引きこもりも経験なのである。
そんなこと経験なのかとみてもやはりそれも特殊な経験だとなる
みんなが必ずしもなるわけでもないし高度成長時代に引きこもりなどほとんどいなかったからである。今や引きこもりは一つの時代の兆候だとなっている。
そこに問題があるにしろそれも一つの生き方だとまでされる時代にもなる
でもそこには是非があり大きな問題がひそんでいることも確かである

いづれにしろこれからは物でも飽和状態になっている、観光でもいかに体験するかである豪華客船の旅の体験だから否定はできない、でも旅の体験となるといろいろあり本当に旅を体験することは喪失しているのである。
目的についてうまいものを料理が目的だとするとなれば旅ではないのである。
それは付随したものであり本来の旅の価値とはならないのである。その体験でもうまいものをあそこで食べたなしかならない、旅の体験は抜け落ちしいるのである。
だからかえって時間と金を無駄にしたと後で後悔することにもなる
ただ登山とかは厳しいけど記憶に残る、でもそれは若いうちしかできないともなる
ただ70らいでも登山している人は今はいる、それも体験であり山を知るということはただ遠くから眺めるということもあるが山自体を体験するには登山が必要だとなる
人生は体験でありそれも様々なのである。
でも職業にしても簡単に体験できない、私が無人駅で駅員のまねごとしたのも体験だったそれでただ乗客となるだけではない体験をして駅のことがわかったのである
それを報告もしたのである。だからそこで問題のなのは

体験自体が貴重だった!

そこで金にならなくてもほめられなくても体験することが貴重なことだったのである。
なぜなら職業でも何でも簡単に体験できないからである。
結局自分が体験した職業となると流れ作業とか肉体労働とかしかなかったからである。
先生のまねごともしたがその経験も短く先生になることがどういうものかわからずじまいに終わった、つまりそれも体験できないからそうなったのである。
そして人生はたちまち時間がすぎてしまうのである

老人になるとどうしても自分の経験したことを語り自慢する、それを嫌がる人がいてもそれが人生だったからそうなる。それで認知症になったら親でも千回も同じことを語る
それを聞いている方がうんざりしたがそれがその人の人生だったから熱心に語りつづけたのである。私はこう生きたんだよという切実な訴えだったのである。
一人は従軍看護婦だったからシンガポールの向かいのジョホールバルで四年間地獄のような所で働いたからそれが死ぬまで忘れなかったのである。
だから生きたというとき一番印象に残ったことを語るのである
またこの家を建てたということでいつも自慢していたのもそうである
それも自分が建てたとして自慢したのは当然だったとなる。それはやはり苦労して建てたということがあるからそうなる。それは必ずどこの家でも親が語るのは当然だとなる
それを自慢するのはそれが生きた証ともなっているからである。
ただ病院とに入ると家とは切り離されるからそこで家を誇ることもできなくなるから
存在的にはただの病人になるやっかいものとなってしまうのである。

そして面白い老人とは価値ある老人とは金がある老人とは限らない、いろいろな人生体験をしてその体験が特別なものだったから価値がある、津波とかで九死に一生の経験などは誰でもできるものではないから自慢になる。
でも平々凡々な人生は余り自慢にもならない価値にもならないかもしれない。
波乱万丈を生きた人の話はかえって面白く価値あるとなる。
つまりその語ることでも経験を語るから経験が特別なものでないと訴えないのである。
ただそれぞれの経験があり違っている、それで石の貨幣があるがその価値は石が海に沈んでそれを取りだす苦労がありその苦労を語ることで価値が生まれるという
つまり貨幣そのものではなくいかにその石の貨幣を海からとりだしたという苦労話しに価値があるとなる、それが人間にも言えるのである。
いくら金を残したかではない、どういう経験をしたかでその老人の価値が決まるとなる
はっきりいって規格品のように生きた人は価値がない、カルト教団に生きた人の語ることは価値がないというよりもうその組織集団でも消失すれば個人の価値もなくなる
老人になると価値がまた変わってくる、金があるだけで価値があるとはならなくなる。
だからすべてを金に価値を置くことは失敗するとなる
金がなくてはいいというのではない、そういう極端なことを言ったら議論にもならない
金意外の価値が老人にはありその体験を語ることは別に金にならなくても価値があるとなる

船は荒波にもまれゆれ
それを乗り切り港につく
その時何かかえって達成感がある
そしてその荒波を乗り切ったことを
漁師は何度も語る
そこに価値があったから
静かな海を無事に帰ってきても
そこに価値は生まれない
激しい荒波にもまれた船は
そのこと故に港で安らいでいる

つまり荒波にもまれる経験があってその漁師の話でも価値あるものとなり漁師自体にも価値をあるものとされるのである。

2023年02月25日

世界を見る基本は地理(地政学)―覇権争いが世界史の現実 (ウクライナの戦争をどうみるかも同じ)


世界を見る基本は地理(地政学)―覇権争いが世界史の現実

(ウクライナの戦争をどうみるかも同じ)

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世界の地政学から世界史を見るとウクライナの戦争をどう見るのかとなる
それは遠大なものになるから簡単にはできない、でも確かに現代はアジアではない、西側がヨ−ロッパが中心になって作られた世界である
世界の西欧文明化であった、大航海時代からそれは始まったのだからその期間は長い
ヨ−ロッパの延長としてアメリカがあった、大英帝国が七つの海を支配して次にアメリカが覇権国となりドルが支配することになった
それから米ソ対立の冷戦があり冷戦ではアメリカが勝利したとなる
しかし次に覇権国としてのしあがってきたのが中国である、それで米中対立の時代になった、今や中国がロシアの兄貴分になった、実際ウクライナの鍵は中国が握っているからだともなる、それだけ中国の力が強くなったのである

アメリカ自体が中国と同じく国土が広く巨大な国である、アメリカとヨ−ロッパとは大西洋をはさんで離れているようで一体でも、つまりアメリカ側からみれば確かに大西洋で離れているようでもヨ−ロッパは大平洋で離れているより身近なのである
つまりアメリカから見ればヨ−ロッパはつながり強く結ばれているともなる
歴史的にもそうである、ヨ−ロッパの延長としてアメリカがあったとなるからである
ただロシアはアジアなのかとなるとそうともいえない、アジアでもありヨ−ロッパでもある、なぜなら顔だちでもモンゴル風でありアジア人の容姿の人もいる
ロシアはアジアの混血でありまたヨ−ロッパとの混血民族だとなる
それは民族というだけでなく文化的にもそうなのである
ギリシャ正教会からルーシーとはロシア正教会になった、それはアジア的なものにキリスト教が変質したとなる。
ロシアはまたスラブ民族はイスラム教と一体化しているから宗教的に複雑である

ともかく東西文明の交流が500年周期であるという説、それは余りにスケールが大きいから理解しにくい、ただ現代は西欧文明の挑戦を世界で受けた時代だった
アジアでは西欧文明の挑戦を受けて日本が最初に世界史の舞台に出てきたのである
中国はヨ−ロッパの植民地化されたからである、だから第二次世界大戦で覇権国になろうとしたのである、世界史は正義とか関係ないのである、アメリカが正義の戦争として日本を攻撃して支配したというのは別に正義を実現するわけではなかった
世界の覇権国がアメリカに移る戦争だったのである、その前の覇権国はイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスでありポンドが基軸通貨となっていたのである
だから日本は悪でありその悪をころしめるためにアメリカが戦い勝ったとかいうのはアメリカの勝手な見方であり世界史は覇権争いでありその延長としての戦いだったとなる
そこに正義など関係していないのである
むしろヨ−ロッパはアジアを蹂躙した侵略者だから悪だともなる
要するに正義で争っているのではなく覇権争い覇道の争いが世界史なのである

ウクライナ戦争でもヨ−ロッパがありアメリカがありロシアがあり中国がありその狭間で起きたことである。もし中国がロシアについて一体化すればヨ−ロッパとアメリカとロシアと中国の二つの陣営に分かれて大三次世界大戦ともなる危険がある
その狭間に日本が置かれて日本は苦慮してウクライナのようになりかねないのである
実際に太平洋戦争では日本はソビエト連邦とアメリカによって分割支配されることにもなっていたからである、その時中国は共産主義革命となり力を持たなかったのである
では冷戦の時は共産主義と民主主義の対立でありそのための戦争だったとしているが実際は覇権争いだったのである。民主主義でもそれが世界の普遍的なもはのとはなりえない
今民主主義自体が危機に瀕しているのはそのためである。民主主義は大衆民主主義になりポピュリズムになりナチスとなった歴史をみればわかる
全体主義と一番近いのが民主主義でもあった、また共産主義とは全体主義であり独裁でもあった。だからどっちにしろその政治体制で世界は決まらない、覇権争いでありそれがウクライナの戦争となったのも歴史は繰り返すとなる

いづれにしろ地政学というとき世界を見るのには欠かせない、でも世界は巨大だから地政学で見るとしてもその視界が狭いから簡単にできないのである
一番簡単なのは聖徳太子が聖徳太子「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す…」である

この解釈はいろいろあっても地理的な単純な事実を言ったともなる
なぜなら太陽が昇り沈むということは一番心に残ることだからである
日本でも太平洋から太陽が昇る、山に沈む、でも日本海になると山から太陽が昇り海に沈む、それは大平洋とは全く逆なのである、だから太陽がどこから昇り沈むとういことは地理で一番印象に残るのである、韓国に行くと海から太陽が昇るその方向が日本になる
日本から見れば日本海に太陽が沈むのである、アメリカでも西海岸に太陽が沈むのであるだからこれは別に中国の隋の皇帝を侮辱するものでもなかった、ただ地理をそのまま指摘したに過ぎないのである
太陽が昇るというとき近江では琵琶湖に西が高島とかでありそこから東があづまであり
そこから太陽が昇るのを見た時もなるほどと思った。西は陽の沈む所であり琵琶湖の湖西線があり比良の山に太陽が沈むのである、ただその光景は見ていない、それで旅した時はどこから太陽が昇り沈むのか見ると地理としてわかりやすいのである

世界史はいろいろあっても空間軸と時間軸で見る、でもそれがスケールが大きいから理解しにくくなる、でもまず世界を見る時地政学で見る、地理から見るのが基本にある
なぜなら時間軸でみるときさらにわかりにくくなる、でも地理は地球が形成されて以来
基本的に変わっていないのである、海が陸地になったり陸地が海になったりしないのである、人間の歴史感覚でみればそうなる。とすると変わらない地理から見れば基本的なものは理解するとなるからである
ウクライナでも地理からみればヨ−ロッパとアメリカとロシアと背後の中国のせめぎ合いなのか覇権争いなのかともみる、それが今度は日本に波及してくる怖さなのである
米中の狭間で日本がウクライナのようになりかねないのである
ただ日本が明治の時に東西の橋渡し役だと指摘されたように本来はどっちにも組みしないのがいいのである。でも現実的にはどちらかにつかざるをえない、そこで日本もウクライナのように引き裂かれる危険がある。またそういう地理にある
だから地政学を知ることが基本になる、日本は一方に偏ると危険になる
でも中立を保てないとしたらどうするのかとなる、それでインドとかオーストラリアとか第三の勢力を構築するということにもなる、それは三国志と同じだとなる



posted by 天華 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月24日

トルコ大地震と原発事故の相似 (安全はコストがかかるので無視されやすい)


トルコ大地震と原発事故の相似

(安全はコストがかかるので無視されやすい)

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市営住宅は中でも被害がなかった
60年も過ぎれば木の住宅はぼろぼろになり壊されている

1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等[注釈 1])は、1999年8月17日3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け[2]、1万7000人あまりが死亡し[3]、およそ60万人が家を喪うなど震源のコジャエリ県イズミット市を中心に甚大な損害をもたらした。



トルコはもともと地震が多い地帯である、だから地震対策が必要だった。
1999年にも地震で大被害があった、だから当然地震対策が必要だった
でも今回エルドワン大統領が責められたのはビルの建築に地震対策をさせなかった
それはコストを削減して業者をもうけされる、そして利権を与えて票を得るという構図があった、また建築でも技術的に進んでいないということもあったのかもしれない
日本だったらこれだけ地震があれば耐震設計でないと許可されないからである
ただ常に安全というのはコストがかかるので二の次になる
そういうことはグロ−バル社会でも同じだったのである

自然災害はどこでもありその安全対策が望まれる、トルコでも地震頻発地帯なのだから当然だったとなる、でも必ず安全対策はコストの面でおさえられる、民間の事業はどうしても利益優先になりコストが問題にされるからである
それは原発事故でも同じだったのである、当時の社長はコストカッターとして手腕を発揮して社長になったと言われる、それで安全はないがしろにした
もともと高い所に作っていたのに電源を地下に作ったからわざわざ高くしたものを低くするために削った、それで津波に襲われて電源喪失したとなる

コストがかかることは民間の会社だと無駄とみる、利益優先でありコストをかけたくないのである、でも一旦事故になるとその被害も甚大になるのである
今回もその恐ろしさを見せつけられたのである、安全というとき何か近くのキクチスーパーのカードをなくした、一万入れていたチャージしていたでもなくなくなったので丸損になった、すると一年でどれくらいもらえていたのか計算すると割りに合わない
二三か月に一回くらい3百円もらったとしてもカードを落とした結果一万損失だから割に合わないとしてやめた、他のクレジットカードなどは無くしたらとめて再発行できるからそんな損失にはならないのである、だからこれも安全が意外とかえって得になることを知ったのである、またナナコとかのカードをなくして5万入れていて損したという話も聞いた、このようにカードがそもそも小さいのでなくしやすいのである
その安全対策がキクチスーパーにはなかったのである

だから安全には金がかかるとしても事故になった場合かえって大損になる
でも民間の会社で安全に金をかけると利益にならない、安全は利益にならない、だから目先の利益を優先するのである、いつ地震が来るのか津波が来るのかなどわからないからである、でもトルコは1999年にも大地震が起きているのだから危機感があってもいいはずだったが建物でもそのままにしていたのはこれまたコストの問題があったのだろう
古い建物でも壊して新しいものにできないいう事情もあったのだろう
これもコストの問題だったのである、安全とコストは必ず関係しているのである
だから安全を民間会社だけで担うのは負担が大きい、そこで政府が介入する役割がある
でも福島原発では政府の保安院は不安員と揶揄されたように何の役割も果たしていなかった、ただ東電から金をもらうというだけだったのである、監視などしていなかったのである

そして東電には官僚も天下りしていた、それが海上自衛隊とか警察関係も多いのである
ここは大きな権力であり原発は国家的事業でありこれに逆らえば警察もかかわってくるというものだったのである、そこで甘い汁を吸っていたのがこうした上級官僚だったとなるだから事故の責任を負って天下りした役人はその金を返却すべきだとなるがそんなことを責任を問う人もいない、ただ最近裁判に勝訴したので地元では補償金がまたもらえるとはなった、ただ地元にしても安全のことなど真剣に検討しない、原発は金の生る木だったのである、国家的事業であり莫大な金が惜しみなくつぎ込まれていたのである
除染にしても6兆円とか途方もない金が使われたのには驚いた、そのために相双リテックとかは幹部で何億の金を山分けしたとかなる、だからその責任は国家だけにあるとはならない、地元にしても金になるから誘致した事情があるからである
安全はないがしろにされまず金だとなっていたからである

常に人間には危険がある、自然災害がある、知床の観光船でもやはり安全がないがしろにされていた、それもコストの問題があり安全は二の次になり事故になったのである
それと地元の人が経営していたのでないからその土地の自然のことがわからなかったのである、潮流とか風が関係していたからである
それも問題であった、風土というのは自然というのは必ず関係してくる
ソーラーパネルでも相馬市の宇多川の上流の丸森などの山まで山ごと木を切ってはげ山にしてソーラーパネルにした、それも危険だと見た、なぜなら雨がふったら木がないから貯水ができなくなり川に急激に水が流れて氾濫もする
数年前に宇多川で相馬市街まで氾濫した、だからソーラーパネルも危険なのである

ただ常に安全はないがしろにされる、それは利益優先になりコストがかかるからそうなるでも一旦事故になると莫大な被害がでる、もし今回のトルコ地震でも耐震設計だったらあんな被害は出なかったかもしれない、それが致命的だったともなる
不思議なのはこの辺の古い1950年代のものなのか、コンクリートの二階建ての市営住宅は古いのに被害がなかった、外から壁を見てもひび割れもしていない
それは去年の大地震でも被害が見えないのである
未だにまだ去年の地震で家を直していない所がある、でもなぜそんなに古い建物なのに被害がなっかたのか、コンクリートは地震に強いからだとなる
でもビルは崩壊したのである、やはり大きくなればその被害も大きくなるのである

いづれにしろ自然災害との戦いが人間の歴史でもあった、だからそれはかなり解決したようでもしなかった、津波だとそうした予想を超えるものとして現実化したからである
トルコの地震は予想外とはならない、そういう地震がすでに20年前に経験しているからである、ただその安全対策ができていなかったということである
だからこそエルドワン大統領が建築業者の安全対策を厳しく指導していなかったとして責められているのである、つまりそれは政府も国家にも責任があったとされるのである
こういう事例が社会には多いのである
posted by 天華 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月23日

桃源境の抽象画 The chinese utopia


桃源境の抽象画

The chinese utopia

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creater at night


これは中国の現代絵画がである、それを変化させたのである、だから著作権違反ともなるただ世界のことだからわからないともなる、これで利益を得たら問題になる
世界となるとそういうこともわからなくなる、chat GTBとかでもそういう問題が起きて来る、インタ−ネットだと権利とかわかりにくくなるからである

この原画は現代的な桃源郷を示しているのかもしれない、偶然に巌に仏陀の顔が見えたのである、他の抽象画もここうから変化させたのである
でも不思議なのは変化させた方が原画より見映えがすることがある
だからパソコンのソフトで変えたものはそれなりの創作なのかとなる
まず原画とすでに何の関係ないものとなっているのは見分けがつかないものは著作権を
犯しているとはならない、でも見分けがつくと問題になる

こういうことが起きているのはやはりパソコンは原画あるとしてそれを変化させて別なものにするというのが得意だからだろう
ただ原画は人間が作っているのでありパソコンではないのである
まずこのような原画は人間にしか作れないだろう
その原画からまた変化するものが作り安いのである
おそらくchat GTBなどもそれと似ている、原画を元の情報がありそれを変化させたりする結合したりすると別なものになるからである
それが膨大なインタ−ネットの情報世界が生まれてできるようになったのである

This is a contemporary Chinese painting, which was changed, so it could be considered a copyright violation, but it's not clear because it's the world, and if you profit from it, it becomes a problem.
If you profit from it, you will have a problem.

This original painting may show a modern paradise, and I happened to see Buddha's face on the rock, and I changed other abstract paintings from here.
But the strange thing is that sometimes the altered version looks better than the original.
So, one wonders if the changes made with computer software are creative in their own way.
First of all, if it is indistinguishable from the original, which already has nothing to do with the original, it is not a copyright violation.
But if you can tell the difference, it becomes a problem.

The reason this is happening is because computers are very good at taking an original and changing it to make it something else.
However, the original image is created by a human being, not a computer.
First of all, only a human being could create such an original image.
It is easy to create something that changes from the original image.
Perhaps the chat GTB is similar to this, because the original information is in the original image, and if it is changed or combined, it becomes something else.
This has become possible with the creation of the vast information world of the Internet.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2023年02月22日

星淳一氏(死亡した星自転車屋の写真がシシドスーパーに出ていた)


星淳一氏(死亡した星自転車屋の写真がシシドスーパーに出ていた)


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この写真がシシドスーパーの入り口に貼ってあった
おそらく商工会で出したのだろう
でもあまり注目して視ている人もいないようだった
自転車に乗らない人はかかわらないからそうなる
でもかかわった人は星自転車屋の人が死んだのかとなる

それがなぜそうなったのかというと鹿島区には一軒しかなくなったのと私の場合ヤマハの電動自転車を買っていたから世話になったということで関心があった
無人駅化したとき駅のことでも語りあったりした
何か駅前だから駅のことが一番知っていて気にかけていたのである
駅の活性化とかを語ったのである

今になると一軒しか自転車屋がないから貴重だったのである
原町とか相馬市とかなると何軒か自転車屋があるから他の自転車に行けばいいとなる
でも原町のイオン内に自転車を売っていても張り紙で十項目くらいは直せる
だからそれくらいだったら直せる、でもむずかしいものになると直せない
一回は心臓部分のドライブユニットが故障したので新しいのに取り替えたのである
そういうことはできない、それはヤマハ本店とつながらないとできないのである
またチェーンはずれたとき特殊なものだから特殊な道具が必要になった
それでその道具をとりよせてはずれたチェーンを直すことができたのである
それは特殊な高い自転車だったからそうなったのである

それで通販で外国製でもいろいろいいのがあっても修理などできないから買いにくいのである
電動自転車でなければそれほど困らないと思う、電動自転車はめんどうなのである
イオンに行くにしても自転車屋を持ってこいと言われたからそこまで歩いて持ってゆくのも苦労になる
ともかく自分にとって自転車は欠かせないからこまるのである。

それにしても人間は死ぬと不思議である、それは60年間一緒に暮した家族でも死んでしまってそう思った、何かいつまでも死んでもその死に納得がいかない、完全にこの世から消えることがいつまでたってもそれを受けいれられないとういことがある
それもまだ死んだばかりなのだから余計にそうなる、先日あそこにいたのにいないとうことが不思議なのである
今でも駅を見て仕事をしている感覚になる、鹿島町の行く末を見ているのかともなる
それは小さな街であり一軒しかないということでそうなったのである
つまり都会だったらこうはならなかった、他にも自転車屋はあるから他に行けばいいとなるからである

ここでは他にないから余計に価値あるものとなったのである
だから価値というのは様々な条件で変わってくるのである
田舎には田舎の価値があり田舎に価値を作ることができる
だから田舎に移住したいということが話題になるのが何も持っていない何もできない人は来ても歓迎されないいうことがある
無医村だったら医者は大歓迎になる、他でも大工などでもいないから修理することがあるから必要になる、何もできない人は田舎だって歓迎されない
でも若い人は歓迎される、何もできなくても田舎に来て学び身につければいいとなるからである、そこに時間があるからできるのである

鹿島にそ生きにし人や今はなき淋しきものや春となりしも

posted by 天華 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月21日

精神障害者の虐待 (遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった- 家族が崩壊する介護問題)

精神障害者の虐待

(遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった-

家族が崩壊する介護問題)

【精神科病棟】暴行や虐待は日常的に?身体拘束は?入院を望む家族の思いとは?ひろゆきと考える|アベプラ

https://onl.la/FpzGBJi

発達障害の子供もった女性は施設に入れないと強く言ったいたが自分自身が脳梗塞になり気持ちが変わった

なぜなら弟に世話になるうよになって変わったのである

自分自身が元気ならそういうことはなかった、でも72歳にもなり病気になり自分自身のことで精一杯になった

子供と言っても50歳にもなっている、それでもうめんをとみれないとなったのかもしれない、やはり人間は子供より大事なのは自分自身だともなる。でも今までは強く子供を守るとしていたから意外だった。

人間の気持ちというのは常に変化している、何かこの世ではいろいろあり変わる、年齢でも変わってくる。

状況によっても変わってくる、やはり病気になって弟に世話になるようになって変わった、自分の世話をしてくれるのは弟と思うようになったからなのかもしれない、ただその弟は発達障害の兄には厳しいから施設に入れろとしきりに言っていたが母親は反対していたのである

アベマテレビ精神障害者が拘束されたことを問題にしている

虐待もされたとか病院が訴えられた、これは認知症にでもあったから意外とそれは今や高齢化社会で身近な問題になったのである

なぜなら認知症になる人が6人に1人とかなるとその数も多いのである、ではそれにどう対処するのか?

それは特殊な人ではない誰でもその問題をかかえる割合が増えたのである

ただ生まれつき精神障害者になっているのと親がなることは相当に違っている、親の場合いろいろあっても私の家の場合は家を支えて私に自由に何でもさせてくれた、だから功績が大きいものだった、それで実の母親がいたとしてももう一人の母親となった姉のことを大事にせざるえななかったのである

そういう家庭の事情はみんな違っているから対処も違ってくるのである。ただそうして精神障害者をかかえると家族も崩壊するということがある、だから施設に入れることにもなる

そこで虐待や身体拘束が起きる、虐待は病院でも起きる、特に今の若い人は看護師でも老人を嫌っている、大量の老人のめんどうを診るのが高齢化社会だからである

もし子供とか若い人だったら対処も血かったものになっているかもしれない、高齢化社会は老人が多すぎて病人でも老人がほとんどだからである、そこで老人に嫌悪感も持っている人が多いのである、だから老人は集団自殺しろとまで堂々と言わせるのはそういう社会風潮になっているからである


ただ発達障害というのは暴力になったりはしないようだ

その人は体はプロレスラーのようであり暴れたりしたら怖いとみる、私の家の場あいは一人の親は気丈夫であり男優りだから認知症になって暴力になったりしたら怖かった、だからもう一人の実の親は一藷に住めなくなったのである

でも私は家の事情があり死ぬまで良くしたのである、最後は病院で死んだ、そこで身体拘束などもあったから当人は辛かった

でも結果的には認知症になってから二年くらいで死んだのである

それで比較的終わってみれば楽だったのかとなる

このアベマのテレビでどうして家族でも施設に入れるのか?


これを問うたがその答えは家族で見きれないからだと言うのもわかる、家族だけで診るのは限界があり家族自体が崩壊してゆくともなるからである、これはニートとか引きこもりでもそうなっている、自分の家も家族崩壊になったからである

ただ私は二人の親に特別良くされたことでしょうがいなとあきらめていた、苦しかったけどしょうがいなとなっていたのである

それだけ特別良くされたのが自分だからそうなっていたのである

他の人はそうではない、知っている女性でも弟がいたとしても別にそんなに良くされていない、発達障害の息子にはいつも心配して愛情をかけていたとなる、そこで弟は母親に余り良い感情をいだいていないともなる、でも世話するのは今その弟だけなのである、そこで気持ちが変わったとなる

発達障害の人も母親を心配していても何かたいしたことができないからである、そこで自分自身が弟にめんどうみてもらうようになると発達障害の兄より弟を頼る他なくなったとなる

それで母親が非情とはならない、それだけ精神障害者をかかえることは負担が重すぎるのである、別に普通の人でも介護の負担が重すぎるのである

だからこういう問題は頻発する、特に認知症も精神障害だから同じことが起きるのである

そこで家族は引き裂かれ分断されて崩壊するともなるのである

ただ私の場合はなんとか一つの家族として継続させて守ったとなる、それは結局その功績が大きかったからである

他の人はそうならないからできないともなる

いづれにし精神障害者でもいろいろある、一くくりでは語れない、発達障害というのはどこかが異常なのかわかりにくいのである、でもそれだけ母親に世話になったのにそれを余り感じないとか何もしやれなんとかあり母親も見切りをつてけたのかともなる

ただこの問題の深刻さはもう一部の精神障害だけではない、認知症になる数が膨大になるのだからそれは他人事ですまされない

身体拘束でも虐待でも親が受けることになるからそれを放置できるのかという問題なのである

自分の親もそうされる確率が高いから問題なのである






2023年02月20日

win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい (原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)


win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい

(原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)

一番の問題はインタ−ネットとかの検索窓に字が書き込めなかったことである
これは基本中の基本でありこれができないことにはどうにもならない
それでいろいろ操作して最後は再インストールしたがそれでも字がでてこないのである
仙台のパソコン工房とかの専門店に行くことを決めた、でも遠いので近くの量販店に一応だめもとでも聞くことにした、デルのノートパソコンでありデルの案内に聞いてもここはただ聞くだけであり何か解決することがない
それは余りにもパソコンが複雑すぎて答えようもないものだからである
それは前からわかっていた、私はwin95からパソコンを始めている
その頃は何か不具合があると再インストールして始めていた

そうしなければ使えないものだったのである
だから今回も再インストールしたがそれでもできなかった
山田電機の人はパソコンに詳しい人ではなかったらしい、しきりに字が出ないとういことは見たことがないといい基盤が故障しいる率が高いと言っていた
それも何かそんなに使っていないのにおかしいと思った
でもその言い分もそうなのかとも思った

そう言われても納得がいないのでケーズ電機によってパソコンの詳しい人に見せたら
一発でわかった、最初の画面でパスワードを入れるところで文字を入れられないが
その画面でオフとオンにするものがありそれを操作したら簡単にできたのに驚いた
パソコンの問題はこうして意外と簡単に解決することがある
でもそれがわかりにくいのである、説明とかになるとその手順にしてもむずかしいから
わかりずらいからかえってわからなくなもなる
そのうちに迷路に迷い込んで出れないようにもなる

だからケーズ電機のパソコンに詳しい人が一発でわかり文字が出にくくなったのには驚いた。その人はかなり優秀だと見た、そういう人がいることは買った後でもわからない時聞けるからいい、でも電器店でも必ずしもパソコンに詳しい人がいるとは限らない
仙台市だと専門店があるからわかるだろう、でも遠いことが問題なのである
らかくてないと困ることがある、自転車でも鹿島区では死んだので一軒もなくなった
これ電動自転車とかなると本店とつながっていないと直せないことがある
簡単なパンクなどは直せても電気関係とかなると直せない、それで一回買ったばかりなのにエンジンになる心臓ともなる主要なものをそっくり交換したのである
こういうことがあるから通信販売で買えても後は何もしてくれないから買えないのであるそれで電動の折り畳み自転車を買いたくても買えないとういことがある

どうしてもこの電動自転車となると折り畳みとかなると外国製も多いから東京でしか直接販売していない、仙台市でも販売していないのである
ここに東京と田舎の差があった、でも現代では他はそれほど差は感じないのである
ただパソコンでも直接もっていて見てもらうとわかることがある、電話応対ではわからないのである、特にパソコンは複雑すぎてわからなくなる
だからキーボードの基盤がおかしいということ自体素人なりに変だとも思ったのである
ハードがそんなにもう一か月くらいしか使っていないのに故障する訳がないと思ったからである、やはりそれが正しかったのである
ではなぜ基盤がハードが悪いと言ったのか?それは新しい物を買わせるためだったのかとかんぐる、基盤が悪いとしたら新しいものを買う他ないからである

いづれにしろパソコンは操作するのに苦労する、win95からやっていてもそうなのである
そのために相当な時間もかかる、問題は時間のあるうちはいろいろ試行錯誤できた
でも今になると時間がない、だから操作にばかり時間とられるのが嫌なのである
そうなるとパソコンの機械マニアになってしまうからである
私がパソコンを使うのは私自身の表現のためでありパソコンの機械のマニアになることではないからである
ただどうしてもパソコンに通じないとできなのでしかたなくしているのである

それでプログでもsslにしなかったのもまずかった、アクセスされにくいからである。
それからワードプレスをしようとしたがこれもめんどうでしていない
時間がかなりかかる、結局人間は何か機械の操作でも習得するのに時間がかかる
特にパソコンは操作に時間がかかる、それが他の機械と根本的に違っているのである
ワードプレスとなるとプログラムの知識も必要になるとかなりめんをとになるのである
でも人間はそれがむずかしいものでも早い時期にしていれば意外と身につく
必ずしも才能ではない、地道な積み重ねでプログラムでも覚えられるということである
こういう時代になるとしたらソロバンなどしていても何の役ににもたたなかった
今の子供はすでにプログラムの勉強を始めているからそれが将来役にたつのである

ともかくwin11は使いにくい、これも慣れなのだがこの年になると慣れる時間がなくなったのである、だから今までできることは継続できるが新しいことに慣れるのが老人はできなくなる、慣れたものを継続するのはいいのである
ここに老人の問題がありIT化できないことにもなる、老人は慣れればできるとしても時間がかかる、その時間がなくなっているのである
実際win11はwin10とたいして変わらないというし普及が遅い、変わり映えしないのものである、でも安全性が高くなったとかサービスが受けられないとかなり変える他ないとなるただパソコンでosが変えられることは大きな問題なのである

人間は必ずしも才能とかではなく、パソコンでも日ごろかち訓練していればできるようになる、それでOSを変えられると一番困惑する、とういうのは慣れるにも時間がかかるからである、操作ばかりに追われたら肝心のものを追及できなくなる
老人の問題は何するにも時間がなくなったということである
スマホでも買ったがこれも操作が簡単でない、すると操作ばかりに追われて時間がとられて肝心なものが追及できないとなる
もともと老人は新しいもの技術でもなじめないのである、それは必ずしもできないということではない、これまでしていたことの継続だとわかりやすいのである
慣れないことをするには時間がかかるだけなのである
能力が劣ってできないということではないのである
人間にはすることがいろいろありパソコンの操作ばかりに追われていたら時間をとられたらそれぞれが追及していることができなくなるのである
そこにパソコンの問題があったのである




2023年02月19日

晩秋霊山ー漢詩もどきー(相馬藩の姓の系統)


晩秋霊山ー漢詩もどきー(相馬藩の姓の系統)

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晩秋霊山

晩秋古跡訪
南朝滅霊山
木葉風吹舞
巌黒々根露
只野一族住
落武者末裔
歴程語共老




相馬氏藩では主に三つの姓の系統がある、めれは鎌倉時代から始まっている
古いのは義経に従った佐藤氏であり福島市の医王寺にその墓がある
塩手山に二軒隣り合ってある、それは明らかに佐藤氏系統でありその一族が中村に勢力を持った。それで相馬氏はその佐藤氏と争うことになった。
磯部に佐藤館があり後に今ある道の駅の所に鬼越館がありそこに住んだのである

佐藤氏系統と次にやはり鎌倉から来た岩松氏は鹿島区を中心にして治めた
でも四天王という一緒に鎌倉から来た臣下の侍に無惨に殺されたのである
稚児まで殺されたのでそのことは語りつづけられることになったのである
実際にその殺した臣下の末裔は生きているからである
岩松という姓は相馬藩にはないのである、それが歴史の事実を示している
伝説には架空のこともあるが事実に基づいている、

その後相馬氏が進出して支配した、その姓は多様だからなかなかわかりにくいのである
ただ野馬追いに出る武者の家は相馬氏の系統が大半である
姓と言う時昔は一族意識が強い、だからある村の姓が同じだということがある
葛尾村は松本姓が大半でありこれは信州から移って来た人達であり葛尾村の名自体がそこにもある
また常磐線の末続駅を下りたら墓地は8割が新妻姓だったのである
だから新妻一族が住んだ場所だと明確にわかるのである

ともかく南相馬氏鹿島区となると只野の姓が50軒くらいある、それは郡山の多田野村から出た姓であり霊山で南朝が北朝と争い落ち延びた侍が先祖なのである
どういう訳か郡山市は福島県の経済の中心である、東京にも近く会津にも通じているからである。だからトイレを直したのは郡山市の会社だったとかなる
今は仕事も広域化している、いわき市の人が瓦を直してユニットバスは仙台市の会社だったのである、常磐高速道や福島中央道もできたので遠くから仕事で来るとなったのである
桧枝岐だと秘境になっていた、そこの姓は三つくらいしかない、そこに星がある
橘などもあり後から一族を受けいれた、ということは個々人が移動しているのではない
一族が住む場所を求めて移住してきたのである
ただ相馬氏の場合は一族といっても大きな氏族だから相馬藩自体を支配するようになったのである







2023年02月18日

春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


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横峯の堤の広く春の山尊徳讃ゆ社かな

春横峯堤

処々梅香里
横峯堤広大
春山映水豊
尊徳讃社哉

今日は暖かったので近くを回った。鹿島区の横峯堤は広い
これは二宮尊徳がかかわった堤であるそれでそばに二宮尊徳の社がある相馬藩は二宮尊徳のことは常に語られる
それは江戸時代のことであり農業社会の時二尊徳の教えが伝わった尊徳自身は相馬藩には来ていない
その弟子が習って伝いたのである。
でも今になると農村社会ではなくなったからその功績のことがよくわからないのである。つまり江戸時代の農村社会であって尊徳の教えは通じていたのである。

確かにこの辺に堤は多い、それは農村社会だったら必要なものであり二宮尊徳はありがたいと思うのである。
これだけ社会が複雑化すると二宮尊徳のこともそれほど偉いのかどういうことが分からなくなっている。
今は農村社会ではない。田舎でも農民は一割にも満たないのである。だから二宮尊徳がどういう功績があったのか理解しにくくなっている。

今日はとにかく暖かく春だった。でも雲が広がり雨模様になった。これもやはり春になってきたからである。
ただ二宮尊徳の思想は自然と一体であり一体化することでありそれは農業は自然と一体にならないとできないものだったからである。そのことは理解できる。
原発は自然から遊離したものでありそれで空気や土に森の木まで放射性物質で汚染したのである。
科学技術の工業社会になったとき自然と一体化する農業は主なものでわなくなりそのために二宮尊徳の思想も実感できなくなったのである。だからその点では二の宮尊徳学ぶことが必要なのである。

2023年02月17日

枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー (蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)


枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー

(蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)

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みちのくや枯野の果てに船一艘

蠟梅に静かに日さし我が一人百歳の間に仕事するかな

我を頼り来れる老女や蠟梅に日さし静かに迎えけるかな


枯野海老浜

寥々と津波の後の海老の浜
枯野となりてはや日は没す
沖に船一艘北風吹き海暮る
家々消えて植えし松伸びる
ここに在りし日も遠くなり
我も老ゆるもすぐる時早し
残るは何そ墓のみなりしも



  海老村は消失した、30軒くらいあったのか、それなりの人口は  あった、ここには古墳時代から人が住んでいた、なぜなら最近くでも海に接した崖の所で古墳が発見されたからである
  ここは場所が良かったのである。右田となるともともと海になっていた
  そこを干拓したのである、だから右田村は江戸時代から始まってとしても新しいとなる郷土史でも新旧を見るのが第一である。
 でもここが高台にあるということが今回の津浪で裏目に出たのである。
 なぜなら避難場所になっていたからである。高いから津波は来ないと思っていたのである。でも崖があっても海に接していたのだから危険だったのである
 そのためにそこで三十人とか死んだという悲劇になったのである
 右田村の人は三人とか津浪でこの避難場所に逃げてきたが津波に流されるところを何かにつかまって助かったと言っていた

 ここは高いから津浪が来ないとして逃げて来た、しかし百メートルもない50メートルでも海から遠ざかれば助かったのである。なぜこういうことが起きるのかというとこの辺では全く津波の話など聞いたことがないのである
だから相馬藩政記があってもそんな津波の記録がなかったのである
津波の後に生波(いくなみ)で700人溺死と記録を発見したのである
それもたった二行だったのである。これは郷土史の学者でも知らなかったのである
こういうことがあり何か郷土史でも実際はまだ知らないことがありそれを知る必要があったとなる
郷土史は余り重んじられていない、でもこのように生死にかかわることもあったと驚いたのである

いづれにしろ海老村は枯野となり村は消失した、ハウス栽培はしているが津波に残った二軒くらいしか残っていない、後は墓地だけが高台にあり残ったのである
どういうわけか墓地だけは残っていたりする
烏崎村も消失したが裏山に墓だけは残っているのである
沖に一層船が行くのが見える、せいぜい二艘くらいしか見えないのである

脳梗塞になった女性が歩いて自分の家まできた、それには驚いた、車に乗せられて来ていたがそれだけ歩いたということは回復したとなる。
歩くと私自身も歩かない、自転車だから歩くとなると近くでも遠く感じるのである
まず歩いて買い物はできない、品物でも重くなるからである
買物もできないということは苦しい、相当に老けていたが病気でさらに老けた、その人は苦労ばかりの人生でそうなった
でも軽くすんだので助かったとなる、何か老人になると意外と近くが大事になる
でももう昔のように隣近所に店すらない時代だからこういう時困る
介護とかなると近くに住んでいる人がいいのである、歩いても行けるような近くだといいとなる、8キロでも離れていると車で来てもめんどうになるのである
だから本当は隣近所で助け合えばいいのだが今の社会は仕事でも遠くへ行くので近くが疎遠になっている、近くでも距離が近くても精神的には遠くなっているとなる

みちのくは枯野に果てて海となる景色が多い、そして船は一二艘しか通らないのである
湊があっても少ないから瀬戸内海などとは違った風景なのである
瀬戸内海だと船の航行する数が多いし島も多いからこの辺の海とは違っている
ただ潮の流れは早いのであるみちのくは海でも荒寥としているのである 

百才母が生きて介護した部屋で仕事している、今は蠟梅の季節である、これは長く咲く梅も咲いていた、でも朝は寒かった、昼間からちょっとあたたかくなった、もう少しであたたかくなる、そうすると楽になる


2023年02月16日

常にあらゆる人でも物でも価値判断しているのが人間 (価値と意味を与えるのが人間の仕事)


常にあらゆる人でも物でも価値判断しているのが人間

(価値と意味を与えるのが人間の仕事)

●生まれた時から価値判断されている

人間とは何かとなれば絶えず価値を追及する存在だということである。
それは生まれ時から始まっている。何かかわいい子だとそうでないとか子供の時価値判断されてかわいがられる子供とそうでない子供に分けられる
親でも子供に対して平等に愛すわけでもない、例えば障害をもって生まれてきても母親は愛す他の子供より特別手をかけて愛するとういうことがある
だからその価値判断は一定しないのである

価値と言う時余りにも多様なのである。何が価値があるかとなると百人百様でも違ってくる、ある人に価値あることでも他の人には無価値になる
確かに子供の時など野球をみていたが今は見ていない、興味がないから見ない
相撲もみない、だから私にとって見るスポーツは価値がないのである
でもプロになれば活躍すれば莫大な金が入る、この世の中なんでもあれ金になれば価値があるとなる、毎日その人にとって価値あるものを買うことは常に価値があるから買うのである、金がなくても安い物でも買う、安くてもいいものを買おうとする
果物でもこれはうまいとかうまくないとかで価値を常に感じて買っているのである
金を払う時何かそこに価値があるから金を払うのである

ただある人にとって価値あることが他の人には全く価値がないこともこの世には多い
第一絵があるとしてその絵の価値がわかる人はなかなかない、でも絵の価値を知る人は価値あるものとなりそれが何億でも売れるとなるのである
でもその評価は必ずしもその絵の真価を知って買っているとは限らない、ただ高く売れるという投機の対象として買う場合も多い
わからないのはなぜアンテークコインなど大きな価値があるのか理解できない
それは歴史的価値あるものにしても現実に何億とかなると理解できなくなる
でも何億でも買う人がいるから価値があるとなる

要する一番価値を理解する時わかりやすいのは金で計る金になるものは何でも価値があるとなる。それはめんどうな理屈なしでわかるのである。そこで抜け落ちるのが金にならないものは価値がないとなる。でも金にならないものでも本当は価値がある、だから金で計れない価値もいくらでもある。
価値と言う時ある人が一人でも価値を認めればその一人が認めることで価値があるともなる。美人でなくてもその女性に何か価値あるものを認めて結婚する人もいるからだ
だから価値は余りにも多様であり何が価値あるのかとなると数字のように判断できないのである

多様な色がありその色でもみんな違っていることに価値がある
花などはそうである、みんな形も色も違っていることで価値が生まれているからである
そして花は必ず様々な色がありそれを一つの壺に活けると調和して互いにその美が映えるそれぞれの色があって調和して美を形成するのである
何か花はこうして調和するから見ているとなごむしほのぼのとする
人間でも本当は何人かでも集まればそれぞれの個性がありその個性が活かされて調和するとなればなごむのである、つまり赤い花と黄色の花でも青い花でも白い花でも争うことはないのである、人間はすでに二人でも男女ですら争いが絶えず調和しないのである
本当は人間でもそれぞれの価値がありそれが調和すればいいのである

いづれにしろ人間は常に価値を追及している、価値を見定める、これがうまいうまくないこれがいいとかこれが悪いとかこの人は何に優れているとか何もできないとか.....
価値を定める、それは常に日々行われているのである
これが価値がありこれは価値がないと常に価値判断しているのが人間の特性である。

●金を払う時価値を必ず見る

毎日ただただ飯くらうだけだであなたには何の価値があるのかと問われる
それが障害者とかに老人に問われる、老人だと数が多くなったから国家の負担も大きくなりすぎたからである
本当に奇妙だけど発達障害者がいる。あなたに何の価値があるのですかと問うとその価値がわからなくなる。でも母親にとってはやはり子供であり価値あるもの愛すべきものとして価値がある。でも他者にとってはただのやっかいものでありなぜ養わなければならないのかとなる
現実に私はなぜその障害者に金を払わなければならないのかわからないのである
そこに母親のように価値を認められないのである
そのために障害者を二十人と殺した人がいた、それはその人間たちはただ負担なだけで価値を認められなかったからだとなる、価値無いものとしてかみれなかったからそうなったのである

自分にとって大都会は価値がないとみる、自然に価値がありその自然と調和している生きる存在する田舎の方が価値あるとみている、でも東京でもなぜ一千万人が集中して住んでいるのかそんな場所に生きて何の価値があるかともみる
でも現実はそこに価値があるからそれだけの人が住んでいる、また価値がないにしても生きるために稼げるから住んでいるともなる、その大都会で生きるために注がれるエネルギーは莫大なものである、だからエネルギーの観点からすると東京などの人口は減らした方が節電になりいいとなる
もちろん別な見方があり価値観があるから一概には言えない
でも美的な観点から見ると大都会に価値を見出せないのである

とにかく二人の人間がいるとするとそこで常に価値が定めることが品定めが日常的におこなわれているのである

あなたは何の価値があるのですか

あなたは何ができるのですか

あなたは何が提供できるのですか

・・・・・・・

ただここでも金が価値基準になり金を稼げる人が価値あるとされる。それはなんでもいいとなる、法律に違反しなければ株でもうけようが何でもいいとなる
人間は価値あるものに金を払うからである、そして金になるものは価値があるとなる
その他のことは余り考えないのである
でも芸術とかなるとその価値を認めること自体容易でなくなる、だからゴッホの絵が百億とかなっていて生きている時は一つも売れなかったのである
そういう価値もある、芸術となると価値を認められること自体がむずかしいからである
食べ物と違って誰でも理解して鑑賞できるものではないからそうなる

●多様な価値の探求―最高の価値は神が与える価値

価値は余りにも多様でありある人に価値があってもある人には無価値になる
ただ価値をわかりやすくしたのが金で価値を計ることである、他の人が無価値でも金になれば価値があるとなるからである
金を払う時その人にとって価値があるから払うのである、だから奇妙なのは障害者がいて個人的に金を払うという時この人に何の価値があって金を払うのかとなる

国で援助するのは個人で家族でその負担を負わせないためでありみんなで負担を負うためにそうしたのである、だから個人的に金を直接払う時どうして払うのか何の価値があって払うのかともなる、ただ母親にしてみれば障害者でも愛すべき者であり価値かあるものなのである
だから家族内でもの価値がありどんな人でも家族内で価値あるものとされる

老人でも祖父母でも家族内で価値あるものとなる、社会的価値がないとしても家族内で価値があればその人は価値ある人なのである
でも家族内でも今老人が価値ないものとされるのが多くなっている
家族遺棄社会ともなっているから老人問題の深刻さがある。社会的には価値ないものとされているからである
私の家族のことを語ってきたが家を支えてきた価値があり家自体を作った価値があり私自身に尽くしてくれた価値があると家族の価値は自分にとって大きいものだった
ただ他の家族は違っている、こういうふうに家族の価値を感じない人も多いのである
粗末に扱われて虐待されたとかまである、だから家族も多様であり私自身は特別恵まれていたとなる、他の人は母親に対しても冷たいなと見る、それは私のように母親に良くされていたともならないからである、この家族関係でも親子関係でもみんなそれぞれ違っているからわかりにくいのである

人間は価値と意味の探求でありそれが人間の特徴である
その価値でも意味でも多様だから一様にならないから見分けるのがむずかしいとなる

もろもろの価値の根源は人間である、人間がおのれを維持するために、それらの価値を諸事物に付与したのである、人間が先でそれが諸事物に、意義、人間的意義を創り与えたのだ、それ故に彼みずからを「人間」すなわち「評価する者」と呼ぶのである
ニーチェーツアラストラ

神はこの世を創った、でもその価値を意味を与えるのは人間に与えられた仕事なのである例えばエデンの園で果実であれ花であれ名前をつけることは人間的な価値を与えることである、価値と意味を与えることは人間の仕事なのである
それは人間自身についても価値づけする、人間とはそういう存在だということである

現実にここに猫がいる、毎日餌をやっている、その猫自体なんで生きているのか何の価値があって生きているのかなど動物は考えない、でも餌をやる人間はその猫でも犬でも価値を見出しているから餌をやっているのである。
また植物でも花でも木でもそのもの自体が何か価値があるかなど自ら問わないのである
その価値を認める意味を認めるのは人間なのである
要するに動物であれ植物であれ花であれ森羅万象に価値と意味を与えているのは人間なのである、神はその素材を与えて人間にその価値と意味を見出されるようにしたのである
人間自体の価値もそうであり森羅万象でもそうなのである

●価値は国や地域でも変わってくる

価値はまた同じ価値でも場が違えば価値が違ってくる、無医村になれば医者の価値は格段に高くなる、この辺では自転車屋は一軒しかなかったので価値が高かったことに気づいた地域地域の価値があり国家と民族の大きな価値があり世界的なグロ−バルな価値もあり価値は多様なのである。
物の価値にしても自転車でも車でもその種類が多い、そして自転車だとデザインもそれぞれ違うし乗り心地も違うのである、だから同じではないからその同じ無いことに価値がある、電動自転車も増えて多様になりそれぞれに価値があるとなる
物の価値にしてもグロ−バル化して多様化したのである、多様化することは豊かになることである、食でもハンバーガーを世界で食ことには価値はない、日本食でも食べることで食も多様化して豊かになるのである、many culturl valuesになる
現代は量の追求でなくて質の追求であり多様性の価値の追求の時代になっているのである地域地域の国々の価値は量ではなく質として文化としての価値にある

そして宇宙を考える時銀河の価値があるとして宇宙のことなど知り得ないから未知になるからその価値は計りえないのである、ただこれからいろいろ知らないことが発見されれば人間的に価値づけられる、まだ見えない星の価値はゼロだからである
それは地球でも見えないものがあり発見されないものがあり価値づけられないものがまだ無数にある、地域でもそうでありその価値を発見されていないのである
その価値を芸術家が発見したりするのである、人間とはこうして価値の追求であり新しい価値の発見であり価値を創造することが人間に与えられた仕事なのである

そして最高に価値あるものは何かとなるとそれは神が与える価値である、人間が与える価値ではないのである。神のみが人間を神の子として聖霊をそそぎ最高の価値を与えたのである。それは神にしかできない、牧師とかでもできないのである
そこに人間の最大の意義があったとなる、ただ人間は堕落したのですべてには与えないのである、選ばれた人が神に価値が与えられて来世で神の国に永遠に生きるのである
そこに価値なきものはありえない、あらゆるものが価値あるものとしてあり花々のように様々な色があり調和するのである、神の国では老いることはないのである
病気もないのである、常に若々しく命は衰えることはないのである
そこではすべてに石コロ一つでも価値があり価値無いものとされることはないのである


2023年02月15日

高齢化社会では老人の価値が問われる (多様な価値を追及する時代-組織集団的価値から個々人の価値へ)


高齢化社会では老人の価値が問われる

(多様な価値を追及する時代-組織集団的価値から個々人の価値へ)


老人が尊敬されないとか老人が邪魔者しかならない社会、それはどうしても老人の数が多すぎることなのである
つまり老人の数が今の十分の一とかなるとその老人が別に特別の能力がなくても社会で貴重なものになる
確かに老人の語ることは人生経験から語る、そこが若い人と違っていて価値がある。でもその経験に価値があっても社会にとって価値があるかとなるとわかりにくい、単なる自慢話しにもなり聞きたくないともなる
ただ老人は必ず語り部になる、過去に経験したことを語る、そこに価値がある、だから郷土史の基本が親でも祖父母でも聞いた話が基本にあると書いてきた

結局人間は誰でも自分が価値あるものだとみとめてもらいたいのである。別にそれは科学者とか学者とか特別の人ではない、あらゆる分野で庶民でもそうなのである
知っている大工さんだと自分の技を誇る、庭作りでも壁塗りでもできたからそれは他の人にはできないから誇り私の価値を認めてもらいたいと切実に要望しているのである

私の家でもそうだった、親が橲原の同級生のキコリが柱となる木を与えてくれて大黒柱のようにしたとか認知症にもなり本当に百回でも語りつづけたのである、だから聞く方も閉口したのである
また戦争のことでも延々と語りつづけた、なぜならシンガポールの向かい側のジョホールバルで従軍看護婦として四年間も勤めたからである。その苦しみは忘れられないから語りつづけた。
遂に入院して死ぬ直前までそのことを語っていたのである
それだけその戦場での経験が忘れられないから語りつづけた。
その戦いは日本のために戦ったのでありだから命がけで国のために戦ったのだからその価値を認めてもらいたいというのは理屈なしでわかる。戦争の是非はともかくとしてそれだけ苦しんで戦ったのだからそれは無視できないのである

老人の価値はこうして過去に何をしてきたのかで決められる。
戦争を経験した人は戦争のことは忘れることができない、だからそんなこと無駄だったということはなかなかできないのである
それはただの人殺しした犯罪に過ぎないと言えないのである
そう言われることはもう人生そのものを否定してその人間自体も価値なきものともされてしうまうからである
そして三百万人も死んでいるのだから余計にそれらが無駄死にだったなど言えないのである

老人の価値は今生きている価値ではない、過去に生きた価値なのである。歴史だと長い時間の中で色あせない価値がある
ただ戦争とかなるとその価値は国民的価値であり個々人の価値ではない、国家の価値だとなる、組織や集団でもその価値は個人の価値ではない、カルト教団でもそれは組織集団の価値であり個々人の価値ではない、でもその組織集団の価値も喪失することがある。カルト教団などはいくら数が多くても数だけで権力を誇示するものだから数が減ると価値も喪失する。でももともと宗教は創始者がいてその創始者の価値は持続するのである

要するに常に人間は価値が問われる、あなたにどんな価値があるのかと個々人でも問われる。もちろん会社でも何でもどういう価値があるのか問われる、障害者でも何の価値があって生きているのかとなる。何か世話ばかりされてごくつぶしであり生きる価値があるのかとして大量殺人にもなったのである
それは重度の精神障害者だからそうなったのである
軽かったら価値以前にしかたないとして生かされていたのである
それは自分でそうなりたくてなったわけでもない、生まれつきだともなるからである、その責任は誰にあるのかとしたら親にあるとしても全部は親でも負えないからみんなで負うとなったのである

今老人に何の価値があるのかということで問われている
老人にこんなに金を使って何になるのかともなる、それは無駄だとなる。でも人間社会には無駄が多いのである
ギャンブルでもそんなの無駄だとなりスポーツでも見るスポーツは無駄だともなるし価値がないともされる
そしたらなぜそんなものに金を使っているのだともなる
こうして価値を問えばある人からみれば膨大な価値無きものに金を使い費やされているのである

そもそも老人に価値がないという時、何に価値がないかである
働かないで金を稼げないから価値がないのか、ただ病気にもなり老いて人の世話になるばかりだら価値がないのか、それは障害者が価値がないのと似ている
そこに費やされるエネルギーも膨大だからである、だから障害者も始末しろとなる、障害者と老人は似ている、優生学だとどちらも社会の負担であり抹殺しろともなる

ただ老人の場あいはいろいろな人がいるから一緒くたにはてきない、老人でも価値がある人はいるからである
別に若者より価値がある人はそれなりにいる。みんな価値がないものではないのである。若者だからすべて価値あるものとは言えない、でも若者は価値ある人間になれる、それが違っているだけである、老人になれば価値を作りだした人でありその価値が評価されるのである、若者はまだ価値を作りだしていない、未完の大器としても見られるから価値があるとなる
今は価値を作りだせなくても未来に価値を作りだすものとして価値があるとなる
そのことで一番感じたことが原発事故の復興である。60代の人が来てもすぐ70とかなる。すると未来が望めない
若人が来れば長い時間で達成できることがある、ただその時間があることで未来があるとなる
老人になると何か花の木を植えても花が咲くまで時間が十年とかかかるとなるとその前に死んでいるともなり長期的に見れない
今花が咲くの見たいとなるからだ。だから投資に向いていない、投資は長い先を見ればもうかる。
投資とは株だけではな長い先を見て投資すると成功することがあるからである。
60代の人が来てもやがて介護になったら誰が世話するのかとなりただ重荷になるだけにもなるからである。
でもそういう年の人が移住しているのが多いのである

確かなことは老人が少なければこうはならなかった、数が多いということは価値が減退するのである
長生きした人は昔ならそれだけでも価値があった、みんな長く生きないから長く生きているだけで価値があったとなる
だから価値ある老人になるためにはどうすべきかが高齢化社会では問題になる、必ずしも金を残した人が価値があるともならない
ただ金があればその金に人は寄ってくる、それはあくまでも金が目的であり金の価値でありその人自身の価値ではない
その人自身の価値とはその人が人生の中で作りだしたものである
芸術家だったら作品があり作品によって評価されるとなる

とにかく今老人の価値が問われている、国家予算でも老人に費やされる割合が多くなりすぎたからそうなる
なぜ老人福祉に金をそんなに使うのか若者に子どもにも使うべきだとなる、全部ではないにしろ無用な価値無い老人に国家の金を使っても無駄となる、そんな余裕はないともなる

老人に金を使っても無駄というとき結局将来性がないからだとなる。若者だったら例えどんな若者でも未来を嘱望されるからである
老人の価値はこれまで生きて作りだしたものに価値がある
だから意外と老人の価値は明らかになり安い、子供とか青年はこれから何になるかわからない、大物になるかもしれないし泡沫のように消えてゆくかもしれない、それは未知なものとして価値があるとなる、成長するものとして価値があるとなる

でも若者でもみんな価値ある人間になるとは限らないのである
だから老人が尊ばれるとかなるとやはり老人になってからでは遅いのである、その前に価値あるものを作り出して価値ある人間となっていなければならない、老人になっただけでは馬齢を重ねるだけであり価値ある人間にはならないのである
それで高齢化社会ではいかに価値ある人間となり老人となるかが問題になる、会社とか組織とか団体は集団しての価値でありそれはその価値は全体にある、会社員だったら全体の会社の価値を高めるために働いていた、でも退職すると大企業の社長でも一介の庶民にもなる

退職すると個々人の価値が示さないと価値ないものともなる
個々人の価値となると芸術家などはそういうことを追及してきたから老人になって継続してその価値を示せる
でも会社であれ組織であれ集団的に価値を追求してきた人は一旦退職したら価値なきものともなる
それで価値ある老人になるには若い時から準備していいかねばならないとなる。あることに詳しいとなれば素人でも学者になるとかある、集団的組織的価値ばかり追求しているとその老人は価値がないとされる

発達障害の人がスマホとかタブレットはできる、でもそれを自慢はできない、それができたからといって価値ある人間にはならないのである、もし私のようにパソコンでいろいろ創作したものを発表すれば価値あるとなる
スマホを操作できても価値ある人間にはなれない、プログラムでもできれば違うが別にスマホを操作できるから価値ある人間とは認められないのである
ただ価値が多様化するから何か価値あるものを発見したり創りだすことが要求されていることは確かなのである
ある一分野でもマイナーなものでもそこを追及して第一人者になれば価値ある人間ともされる。ただそれで金になるとはならない
趣味の世界ではそうである、老人の趣味で花に興味を持ちクリスマスローズに詳しい人がいた、その花だけでも栽培して詳しくなれば価値があると花の分野で地域でも認められるとなる価値あるものとされることはある
人間の価値と金は等しくならない、莫大な金になっても価値がないもみられるし金にならなくても価値があるとされるものもある





2023年02月14日

感銘した漢詩ー天華が入っていた (人間は死んだ後からこの世を見ると見えるものがある)


感銘した漢詩ー天華が入っていた

(人間は死んだ後からこの世を見ると見えるものがある)

辞謝する人間情交の親しみ 荼毘の煙散じて余燼なし
羽衣飛錫両ながら悶々 袖を払う清風万里長に香る
劫灰は燃え尽くして天真に入る 身後一点の塵を残さず
月明に乗得て故山に還る 天華徐に翻え彩雲の間

我が肉体は荼毘にふされ煙となって消え去った
ただ霊魂のみ月明に乗じて彩雲の輝く故山に還った

藤原相之助の漢詩である、秋田出身で仙台で死んだジャーナリストだった。
これが私の意とするところを表していたので感銘した
俳号でも天華としたからである、花をテーマにして詩を書いていることもある

人間の一生をふりかえるとこの詩は味わい深いものとなる。
なぜなかなか詩とかいろいろ鑑賞できないのかというとやはり人生がこういうものだったということを実感できるのが老人になってからになるからそうなる
とても若い時は理解できないのである
人間が死ぬということはわかっていても実感として身近になることは老人にならないとわからない、でも今なら老人というとき70過ぎてからになる、60代はまだまだ老人の境遇になりにくいかもしれない、人間が死ぬということがイメージしていても実感できないのである

辞謝するとは辞退するということである。人間の情交はいいようでそうでもない
人間の交わりは俗人の交わりは危険でもある、常に利が関係しているからである
一般的に金の切れ目が縁の切れ目になる、本当の友とかこの世にいるのかとなる
人間とはそれだけ利を求め利しかないのである。
だから宗教とはもともとこの世から脱するために出家したりしたのである
出世とは世から出ることだったのだがそれが俗化してまさにこの世で栄誉栄華を得る出世になったのである
カルト教団などはすべて俗人であり大衆化したのもであり宗教など一切ない
ただ利を求めて御利益を求めて権力栄華を求めているだけである
だから利を得られなくなれば雲霧消散する、一見あれだけの人間が集まっているのだからと人は何なのだろうと見る、でももうまもなく雲霧消散して一時的なものとして消えるのである、つまり金の切れ目が縁の切れ目なのである。利を求めて集まった者は利がなくなれば離散してしまうのである。

むしろ俗なるものの交わりは危険である。相手が利しか求めていないとしたらその真実が現れる時がくる、利にならないとして離れてしまうのである
この世の人の交わりははかない、そこに真実の交わりはない、現代だと大衆の交わりでありそこにもう一個の人間はいないのである。そしてみんな雲霧消散してゆくのである
良く義兄弟の契りだとかなんだとかいうけどそれも嘘なのである
なんかわからなかったけど盛んにそのことを交通事故で死んだ兄を雇った雇い主が盛んに言っていた、でも死んで保険金が入るとなりその保険金に目をつけた
身よりがないとなり保険金の受取人になろうとしたのである
つまり大きな金が入るとなると人間は豹変する。人間の交わり自体がこうして危険なものなのである、真義による交わりなどほとんどないのである、この辺では原発事故の後補償金を得ることが目的になり分断したからである
ただ利をもって合い利をもって別れるだけなのである
会社だって利をもって合いそして去るというだけにもなる、人間は利から離れることはできない
そして死ぬと荼毘にふされて煙となりて消失する

羽衣飛錫とは羽衣とは飛ぶ鳥のことであり飛錫とは行脚するとき使う錫である
天を飛び地を旅することになぞらえている。
そして煙となり灰となって消える

身後一点の塵を残さず

これだ意外と人間にはできない、死んだ何も残らないのだから同じではないかとなるが
そうでもない、何か私の土地がわずかであるがとられた、そのことが頭に残っている
それにかかわった人達はみんな死んだ。でもそのことが嫌なものとして浮かんでくる
ただ人間は生きている時みんなこの世に執着する、その一つが土地なのである
そもそも人間の争そいでは多いのは土地争いである
なぜそんなわずかの土地にこだわっていたのか?それが良くわからない、その家は地元で評判が悪い家だったのである。
つまり死んでもそういう人が浮かんできて不快になるのである
人間は死んで終わらないのである、死んでみればなぜそんなわずかの土地にこだわっていたのかとか金にこだわっていたのかとなる

どうせみんな死ぬのだから死んだらもうこの世の土地など関係なくなる
現実にその人の家は空家になって広い庭も今や利用する人もいないのである
これだけでない人間は生きている時はみんなわずかの利でもこだわる。
それから離脱できないのである、死んで初めて離脱できるのである
墓を残してもそこが俺の土地だとか俺の墓だとかなども言えなくなるからである
死んだら何も所有できないのである
要するに身後一点の塵を残さず・・・こうして死ぬのもむずかしいとなる
生きている限り人間の欲はつづくし消えないからである
私の家族でも金にはこだわっていた、そして大金を残してもそれが盗まれたりした
まだ一人は認知症になり銀行から金を下ろすことができなくなったことには驚いた
もし一億円あったとしても認知症になったら自分の金でなくなるのである
これも驚きだった、金でも自分で自由に使えなくなったのである

不思議なのは死んでからこの世のことを見たらどうなるのか、あんなに金にこだわっていたけど死んでしまえばそんなものいらなかったとなる
死者はもう金も土地でも何もいらないからである、でも生きていたときでもしきりに何にもいらないと言っていた。何か消費する力もなくなっていたとなる
でも金にはやはり死ぬまでこだわる、なぜそんなに金があったのに有効に使わなっかったのかとなる、死んでからそんな金があったのに驚いたのである
私は節約して旅をしていた、だから安宿を探すのに苦労していた
もしもっと金をもらえばそういうことはしなくて良かったとなる
ただ親は私に十分以上のことをしてくれたからそういうことで恨んだりはしない
でも死んだら金も使えなくなるから有効なことに使っておけとはなる

いづれにしろ死んでもそこに何か嫌なことが浮かばない人はいい、

身後一点の塵を残さず

こうなる人はいい、でも死んでも何かあんな人がかえって消えた方が良かったとかなるのも多いのである。死んで何もかも消える訳ではないのである
死んで残したものは何なのかとなる、金を残してもそれが生きている時に活かさなければ虚しいとなる。宝の持ち腐れで終わる。
この世で本当に真義であれ愛であり利を関係しない交わりはほとんどないのである
だから人との交わりで問題が起きるし危険にもなる
友情などでも利が関係してくるからそれもほとんどないのである
恋愛でも男女の関係でもそうである。そこに欲が関係していて結局はかなく終わる
そして離婚が三分の一もあることでも男女の交わりもはかないとなる
つまりこの世では永続的な人の交わりなどないのである
それは神の国天の国にありこの世にはありえないのである
だから絶えず裏切りだとかありそれが日常化している。それがこの世を生きることだともなる、それは変わりない人間の実相なのである

この漢詩は地の記録を歩くー盛岡。山陽道編(松本健一)にでていた

故山に還ったというとき日本では万葉集時代から死者は山に葬り眠るとされていたのである。


2023年02月13日

橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯 (村が生活の基本だった時代)


橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯

(村が生活の基本だった時代)

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この馬は人が寄ると近ずいてくる、人に慣れている

黄金虫指にとまりて縁起良し
雪埋もれ村に数軒灯のともる
ホウジロの十数羽来て賑わいぬ
紅梅に馬より来るや牧のあり
雪覆う牧に紅梅咲かんとす

立目石ここに久しく動かずに村の要とありつづけるかな
我が街に生きにし人の何語るなお共にありて街を見守る

ここ二日は雪であり次はあたたかい春になっていた。だから自転車で原町の方に行ったら黄金虫が眼鏡について指にとまった
黄金虫は縁起がいいとなる。
昨日は雪の後橲原に行った、そこで目立つのは立目石である。
それは小池村との境の石らしい、江戸時代だと村が基本になりたっていた。だから境が重要だったのである。
村と村でも争いがあり水争いなどがあり入会権でもありそれが戦国時代にい発展したとされる。
不思議なのは原町はもともと野馬追いの馬を訓練する場所であり
また宿場町であり原っぱが広がっていた。

それが鉄道ができて駅通りになった。そこは原町村であり野馬追に一騎しか参加していないのである。
つまり鉄道の開通とともに発展した街なのである
今そういう村が失われつつある。実際農業で生活している人は一割にも満たないのである。確かに田畑があってもそうなのである
そこが都会の人でも誤解しているのである。
私の家は橲原村のキコリが木材を提供した。だから姉はそのこと常に自慢していたのである。
まだその頃は外材を利用していなかったのである

ともかく雪にうもれしみんりとして数軒の灯がともる光景はそれをただ見ているとしたらいいのだが生活するるのは不便だとなる。
でも今や村は農業で成り立っていない、たいがい会社に勤めている。車があれば通うことができるからである。だから田舎では一人一台車を持っているのである。
だから外国から働きに来ている人が見ると豊かな暮らしをしているとみられる。ベトナムでもみんなバイクはもっている。
それで都会はバイクの洪水となっていたのである。
それもホンダとか日本製だったのである。

近くに牧があり馬がいるのは野馬追があるためである。人に慣れているのか近寄ってきた。でもふれなかった。そこに紅梅が咲いていた。何か動物でも牛とか馬がいるのは心が和むのである
村でもそうである。大都会になると今や見るだけでもいるだけでも疲れる。だから老人はどうしても田舎に住みたいとなる

田舎移住が話題になっているけど一万の町で一軒あった自転車屋がなくなった。それで困っている。だからもし自転車屋ができる人だったら歓迎されるとなる。何もできない人は移住したいとしても簡単にできない、でも若い人は比較的歓迎される。
なぜなら若いから未来がありそこでなじみ暮らせる。老人になると田舎に住みたいとしてもむずかしくなる、かえって介護になったら地元の人に世話になるだけだとなるからである。
若いというだけでそれだけ価値がある、老人となるとその人が何をしてきて成果を出したのかが問われる。
田舎では何もできない何をしてきたのかわからない人は歓迎されない、ただのんびり余生を過ごしたいとなると迷惑にもなる
ただ今の田舎は昔と違っている、この辺だと近くに5万とか4万の都市があるから閉ざされた村とかとは違っている
いずれれにしろ東京などは住みたくない、老後は田舎の方に住みたいというのはわかるのである。






2023年02月11日

橲原で見たホオジロの群れの写真 (野鳥観察に向いている冬)


橲原で見たホオジロの群れの写真

(野鳥観察に向いている冬)

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前に出した写真はホオジロだた

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橲原で見たのは明らかにホオジロだった、近くで見たのもホオジロだった、十数羽は群れて電線に止まっていた
だから近くで見た鳥もホオジロだった、冬は野鳥観察に適している。野鳥でも枯木に止まったりしても目立つからである。
でも今年は知らな鳥を見た、というよりは注意して見てなかったからだとなる。
この年でも知らないことがこうしてある。要するに興味を持たないものはみないのである。ただ鳥はすぐ飛び立つからににくいのである。写真にもとりにくいのである。
でも今年は知らな鳥を見た、ウソという鳥もみたがあれはシメかもしれない、似たのいるからである。
ともかく写真撮ることを目的にして野鳥を観察するのはいい、でも撮りにくいのである。

ホオジロの十数羽群れて雪野かな
橲原や雪野に暮れて家数軒
風にゆれ小枝に止まるホオジロのしばし見れるはめずらしきかな

カルマは苦しまなければ解消しない (カルト教団は組織自体がカルマを積んでいる)


カルマは苦しまなければ解消しない

(カルト教団は組織自体がカルマを積んでいる)


カルマと言う時必ず個々人でも家族でも集団でも国家でも積んでいる、ただカルマを意識するのは苦しまない限り意識できないのである
それを自分自身の家族の介護で延々と述べてきた。
私自身がカルマを意識したのは塗炭の苦しみを受けたからそう思ったのである
まず個々人でも家族でもカルマを積まない人はいないのである
ただカルマというとき悪いカルマになるが良いカルマもある
積善の家には必ず余慶ありとかある、それは自分自身の家にあった。ただ必ず悪いカルマもありそのために苦しみとなって現れる。
なぜ自分自身がそういう苦しみを受けたのか?
それは明らかに家族のカルマだったのである、家族の家のカルマを引き受けるのが長男長女になりやすいのである

母は家事を94歳くらいまでしていて食事でもずっと提供してくれた。それを自分は当たり前だと思っていた。でも死んでから全部家事をしなければならなくなった。
皿洗いから掃除から洗濯から何から何まで一人でするほかなくなった。
それもカルマだったのである。母親にすれば私はあなたのためにこうして家事をしてきたその苦労を知るべきだとしてそれがカルマとなっていたのである
また姉は金があったが他人にあまり施すということはなく金に厳しく冷たい人だった
ただ私には本当に良くしてくれたのである。でもそのことが私へのカルマとなっていたのである。つまりもっと金があったのだから援助するべきだったし施しでもするべきだったとなる、なぜなら十万の金を貸しても必ず与えるのではなく返してもらうことを強く要求していたからである。貸した相手は本当に正直でいい人だったのである
だからその人だけは姉が認知症になってもかわいそうだとして相手にしてくれたのである他の人は認知症になってからは馬鹿になったとか相手にしなくなったからである

人間はこうして必ずカルマを持ちカルマ故に子孫でも苦しみ、親の因果が子に報いとなるのである、ただ家族でも親でも必ずいい面と悪い面をもっている、悪い面のカルマをその子供は引き受けるのである。それは苦しまなければ解消できないのである
だから統一教会でも創価でもカルマ教団はカルマの解消するこめに献金しろとか言う
でも実際はカルマは解消できない、カルマは苦しまない限り解消できないのである
第一カルマと言ってもいいことばかり起きていたから意識もできない、苦しむ時なぜ私はこんなに苦しむのだろうとなる
その時カルマであると明確に意識できるのである
だからカルマの法則は確実にある、ただ例外がありその理由はわからない、正直でいい親をもってもその子供が全くでたらめな人となっているのもある
その理由はわからないのである

そもそもカルマは確かにある、でも統一教会や創価のように献金してそのカルマを解消しろとういのは詐欺なのである。なぜなら献金してもカルマなど解消できないからである
苦しまない限り解消できないからである。
でも苦しむのを嫌だから献金して解消するというときその金は幹部に入るだけなのであるつまりカルマを利用して金儲けしている詐欺なのである
そうしてその集団的カルト教団は大きなカルマを作っているのである
それがそのカルト教団自体のカルマとなりそのカルト教団に属している人達のカルマとなりやがて自壊してそのカルト教団は巨大な災いとなって滅んでゆく
それもまた自業自得のカルマなのである、その子供たち大きな災いのカルマを残してゆくのである、そうして苦しみそのカルマを引き受けた子供たちでも親を呪い組織集団を呪うとういことにもなる。

このカルマは個々人でも必ずある、何か必ず個々人でも悪いカルマを積んでいる
だから推理ドラマでは若い時の若気の至りの過ちが後の苦しみとなることがテーマになる若い時はどうしてもそうした過ちを犯しやすいからである
そもそも個々人でも家族でもそうだが組織集団でもカルマを作る、原発事故でもやはり地元の人達にも責任がありカルマとなっていたのである
それもやはり利益になる金になるということで積極的に誘致したからである

人間の問題はどうしても利益から離れられないのである
日々の生活自体が利益になることを求めている、そうすると利益になることは悪でも是認されやすいのである。
利益となれば会社でも利益を追及しているのでありそれが悪いことであっても利益優先になるのである。カルト教団もまさに宗教を利用した御利益優先の団体である
カルマを解消してやるから献金しろとか言うのはまさに詐欺なのである
そんなことしてもカルマは解消できない、苦しまない限り解消できないからである
だからアメリカでも原爆を日本に落としたのだからアメリカにも核攻撃されて甚大な被害を受けない限り苦しまない限りそのカルマは解決できないとなる
アメリカが正義でなんでもない、世界史は覇権を争う熾烈な戦いの場であり正義とか関係ないからである、だから日本が戦争してもそれが全部悪だと言えないのである

要するにハルマゲドンで人類が滅びるというときそれもカルマが集積してそうなる
カルマがそれで解消して新しい世界が開けるとなる、でもその時は人類は絶滅している
新たな天と地が神によって作られるのでありこの世には作られないのである
そしていつか悪は暴かれる、この世で王となり崇めれるのはサタンである
ただサタンが崇められるのは人間には欲がありそれから脱せられない、そのためにサタンがこの世の主となっているのである。

カルトの信者でも欲を求めて御利益を求めて集まるからである。
カルト教団というとき宗教でも島原の乱でもキリスト教が関係していてもそこに集まったのは戦国時代であり浪人が集まっていた、それは徳川幕府を倒して権力を得よとした人達であり必ずしもキリスト教の信者でもなかったのである
カルト教団は特に創価などではそういう人達が集まってくる、権力を得たいという人達が野心家が集まってくる。目的は権力奪取となり選挙がその最大の戦いとなる
それは信長の時代でも比叡山でもそこが政治権力の及ばない独立自治国のようになっていた。だから信長は敵対するものとして絶滅しようとしたのである

ただ宗教といってもこの世にはどうしても不満な人達がいる、そういう人達はなぜこうして不幸なのか貧乏なのかとか不満がある、その不満な人達を集めて革命をしようとするのが人間社会である、それは中国でも起きた、盗賊の首領でも中国の帝王にもなったからである、また黄巾の乱とかも宗教が関係して不満分子を集めて権力を倒そうとしたからである、でも本来宗教というのはそういうものではない、なぜならシャカは王宮に生まれたのでありキリストは枕するところなしという乞食のような生活をしていたからである。

そしたらそんなものを見習と言ったら誰もついてこない、むしろ王宮に暮せるようになるから信じろとして人を集めているのである。だから何か広宣流布なのかわからない、正反対のものを追及しているからである
共産主義でもやはり不満分子を集めて革命を起こして政権奪取しようとする
だから意外と共産党と創価は似ている、そこに不満をかかえている人達が多いからであるただその不満な人達を利用して幹部は政権奪取していい暮らしをするということである

いづれにしろ人間はカルマから脱することはできない、カルト教団に入ってカルマなど解消できない、かえってさらなるカルマを積むことになる、それは必ずその子供たちに子孫に影響してくる、それはナチスともなり狂気的集団となり社会を席巻する
怖いのはナチスのうよにそうしたカルト教団でも一部の者達の狂気にとどまらずナチスのように国民的狂気大衆的狂気ファシズムとなり巻き込まれることである。

それは第一次第二次世界大戦で証明されているからである。
人間がカルマから脱することができないというときカルマによって滅びるとなる
だから聖書ではノワの洪水でもこの世からの脱出がテーマになっている。
そして動物でも箱舟にのりこの世から一緒に脱出して生き残ったとなる
それがノワ一人が義人を選んで神が救出したとなるのである
神は一人の人間を選び救出するが集団組織は救出しない、ただ旧約聖書ではユダヤ民族を選んだがキリストが現れてからは個々人を救出することになったのである

2023年02月10日

イギリスがなお金融を支配している訳 (タックスヘイブンはイギリスが操作している)


イギリスがなお金融を支配している訳

(タックスヘイブンはイギリスが操作している)

ここでアメリカは、年間約1000億ドル(約11兆円)の税収を、失っているという
もちろん、アメリカだけではなく、世界中の国々がタックスヘイブンの被害を受けている。
現在、世界の銀行資産の半分以上、多国籍企業の海外投資の3分の1が、タックスヘイブンを経由していると言われている。

国際経済において、イギリスが行ってきた「禁じ手」というのは、タックスヘイブンだけではない。現在、世界中で行われている「狡猾なマネーゲーム」の多くはイギリスが関与しているものである。

アメリカが最大の被害者に…世界中に害悪の"タックスヘイブン"が一掃されるどころか増え続けるワケ

タックスヘイブンを作ったのはイギリスだった。金融を支配しているのはアメリカではない、依然としてイギリスであるとしている、すると本当の世界経済の黒幕はイギリスだともなる。
大英帝国の支配体制がつづいていたのである。
国家自体がこうして盗賊の黒幕のようにもなっていたのである。
悪を無くすことができないのはなぜか、それはこうしてその黒幕国家となればイギリスという国家の利権を奪ないとできないとなる。
日本が最初に戦争したのがイギリスだった、その時の覇権国はイギリスだったからである、シンガポールとか向かいのマレーシアとかビルマでイギリスと日本が戦かったのである。
そこでイギリスを破ったことは快挙だったのである
でもアメリカが参戦して敗れたのである。
つまり覇権国になると金融を支配できる。今はアメリカが支配していると思っていた。世界の基軸通貨がドルだからである。
でもイギリスが金融の面で依然として支配していたのである。

世界を旅して面白かったのは貨幣が国ごとに違っていることである、ユーロ―になる前はヨ−ロッパでも必ず貨幣をりょうがいしなければならなかった
それがめんどうだったが別な国に入るということで興味を持つ、つまり国ごとに貨幣が違っていれば貨幣に興味を持つ、だから世界だと歴史が古いから貨幣そのものもにアンテー
コインの蒐集がある、それも現実にアンテークコインが実際に今通用している
高額な価かついて富裕層の資産確保として通用しているのもわかる
それだけ歴史が古いからアンテークコインが現実社会でも今も価値があるとなる
それは単なる趣味ではないのである
貨幣から外国の特にヨ−ロッパの歴史に興味を持つ、ギリシャの露店でドラクマを使う
その貨幣は紀元前から使われていたとなると古いのである

貨幣とは何かというと金融を支配することも世界の覇権国になる。だから大英帝国がありポンドが世界で通用したのである、ポンドは今のドルだったのである
そして意外なのは世界の金融の中心地はイギリスのシティでありニューヨークのウオール街ではない、タックスヘイブンで大きな損失を出していたのはアメリカだったのである
そもそもアメリカはイギリスの植民地から発展した、イギリスから独立したのである
イギリスが世界の覇権国になっていた、だからこそポンドが世界の基軸通貨になっていたドルが基軸通貨ということは世界で通用するのはドルである
ドルはか貨幣ではなく紙幣でも価値がある、だからエジプトの南の方でロバに乗った少年がワンドーラくれとなるのである、ドルはアフリカの果てまで通用しているのである
貨幣の価値は世界を支配する力を持った国が覇権国が持つ、貨幣その物に価値があるとはならない、ただ貨幣が黄金だったら貨幣そのものに価値がある、日本だったら小判がそうである

とにかく七つの海支配した大英帝国は消失した、でも依然として金融はイギリスが支配していたのかとなる、実質的力を失ってもタックスヘイブンを引き受けている国がイギリスの領土だったところである、そして大英帝国の繁栄の遺産が英語が国際語になっていることである、この二つがあってイギリスは力を失っても世界的なプレゼンスがある
だからアメリカもイギリスが所有するタックスヘイブンの島などで一番税金を損失しているとなっている
ニューヨークのウオール街が金融の支配地だとみていがそうではなかった
それでリーマンショックはイギリスのシティから始まったいたという
金融というのも大きな争いであり覇権国になっただけで巨額な富が集まるのである

その金融支配に抵抗してロシアとか中国では独自の世界通貨を作り通用させようとしている,ルーブルで取引しようとしたのである、結果的にルーブルの価値が下がらなかったのはロシアには石油とガスの資源がありその価値の裏付けがあって価値が下がらなかったのである、貨幣の価値はこうして資源とか軍事力とか技術力とかが関係している
そしてドラマではあるがオスマントルコが繁栄したときエジプトに赴任した部下が独自の通貨を作ったことで王が激怒して滅ぼされた、これはローマ帝国でもあった、地方に赴任した部下が独自の自分の肖像を彫った貨幣を流通させようとしていたからである
つまり貨幣とは支配の象徴なのである、イギリスが依然として金融を支配している時でもそうである、大英帝国の遺産があってそうなっていたのである

日本でも円が一時高かったのは高度成長時代がありその延長としてまだあったからである円が力を失ったのは日本の経済が低迷して成長しないからである、また売りとなるものが消失したからである。
要するに依然として大英帝国のイギリスは全部力を失ったわけではなかった、金融の面でやはり世界をリードしていたのである。でもそれは実質的力があるわけではない、そもそもタックスヘイブンとは国の税金を逃れるために作られた
それは明らかに公平なものではない、アメリカすら大損失になっていたからである
何か依然としてイギリスが黒幕として金融を牛耳っている、だからグロ−バル経済とはそもそも公平なものではないのである、覇権国に富が集まるシステムなのである
だから当然ロシアでも中国でも反発して自国の通貨を世界基軸通貨にしたいとなる
でもそうなるとオスマン帝国のエジプトに派遣されて支配した部下が滅ぼされたように
アメリカと戦争にもなるのである

いづれにしろ公平な市場などないのである、市場の公平な原理に基づいてグロ−バル経済があるわけではないのである。基本的に派遣争いになり軍事力とかがありそれで貨幣を強制的に通用されているのである。もし日本が戦争で勝っていたら日本円がアジアでも基軸通貨となり使われていたのである
日本はイギリスには勝ってもアメリカに負けたから公平な市場原理など通用しない、それで高度成長時代にアメリカの土地とかビルを買ったりして顰蹙を買い経済成長でも止められたとなる。グロ−バル化しても公平な市場原理は成立しない、アダムスミスの見えざる神の手などはないのである。必ず覇権国によって操作される覇権国が利益を得るようになっているのである
中国が覇権国になれば中国が利益を得るようになる、それに従わざるを得ないのである



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2023年02月09日

悪が可視化されないのでなくならない (グローバル化する犯罪)


悪が可視化されないのでなくならない

(グローバル化する犯罪)

この世の善悪は明確に見えない、何が悪なのか善なのかもわからない、偽善が多すぎるのである、そもそも宗教が一番偽善なのである、宗教が一番善を追及していると見ている
でもカルト教団が膨大な会員がいるのにその人達が善を追及しているのかとなるとしていない、天使を装ったサタンだともなる、ただそういうふうに善を装ってもその化けの皮はいつかはがされる、やかで赤日の下にさらされる、隠すことができなくなる
まずこの世では悪は隠される、かえって巨悪は隠されてわからないのである

そしてグロ−バル化経済では巨悪が何なのかもわからなくなる、それで常に陰謀論になるのである、今回のフィリピンに隠れて支持していた盗賊の一団でもそうである
警察でも賄賂をばらまきしたいほうだいになっていた。
ビルまで拠点として買っていた、相手が誰だろうが金があればなんでもできるとなる
国境を越えた犯罪集団になる、グロ−バル化社会で起きた犯罪である
そうなると悪人でもつかまえられなくなる、それで感じたことは必殺仕事人は架空の事だと見ていた今にもそれが成り立っていたとなる
なぜならルフィとか指示役の人がつかまったが実はその上にさらに支持する黒幕がいたとしているからだ、組織犯罪でありその黒幕がわからないとなっている
それは常に言われる陰謀論になるのである。

巨悪は暴かれないというときもそうである。それはなぜなのかというとき可視化されない見えないからである。隠されてしまうからである
悪が可視化されない、それは別にこうした犯罪集団だけではない様々な悪が隠されて見えないのである、常に隠ぺいされるからである。原発事故でもいろいろなことが隠ぺいされていたのである。危険なことがあっても隠ぺいされていた。
そこには素人とか誰も立ち入ることもできなかったからである。マスコミは巨額の電事連とかからの宣伝費が入るから巨悪を暴かないのである
創価とか統一教会でもそこに巨悪がある、でも福島民報では聖教新聞を刷っているので
その悪を暴くことはしない、巨大な権力に従い操作されることになる
原発事故ではそうして権力によって安全神話が形成されたのである
学者や研究者には研究費の名目で金を出したりしていた、そうしたら学者でも科学者でも危険でも目をつぶることになる

要するにこの世に悪があってもそれが可視化できない、特に巨悪は可視化しにくい、するとそこに悪が醸成される、警察も踏み入ることができないとかなる
特に原発は国家がかかわるから自衛隊でも警察でもかかわっていた
なぜなら天下りしていたからである、巨大な国家ぐるみの犯罪でもあったのだ
でも東電の幹部でも一人も罰せられないのである、そもそも検察も東電に天下りしていたからである。原発は金の成る木だったのである
そこにはだから地元の住民でも利益得ようとしていた、政府とか東電とかは地元に反対されないように金をはらまけばいいとなっていたのである
だからこの問題は科学技術の問題だけではなかったのである
隠される闇化して誰もその真実を言う者がいなかったとなる
そして大事故になり故郷にも住めなくなったのである

要するに問題は可視化できないことである。明確に見えるものとして悪が可視化されないのである。むしろ悪でも善とされる、特に団体組織となると権力があるから悪でも善として認められるのである、それを証明したのがナチスだとなる。民主主義の選挙で選ばれたのだから民主主義でも悪を抑えることはできなかった。
グロ−バル化社会では本当に何が善悪なのかもわからない、余りにも巨大化しているから悪も見えなくなる、つまり現代のグロ−バル化社会とは巨悪が隠ぺいされやすいのであるそれは悪が可視化できなからである。不正に莫大な金が使われてもわからないのである
そもそもアメリカ自体がそうした悪を隠す張本人かもしれない、なぜなら世界の覇権国だからそうする権力を持っているからである、だから世界の富を極ずかな数パーセントの人達によって集められている。それ自体巨悪なのである
そして巨悪は罰せられないのである
カルト教団になると宗教を隠れ蓑として善を装い搾取するとなる
でも巨大な集団で組織化して権力化したら悪は悪でなくなる、警察でもとりこむことができる、グロ−バル化社会だとフィリピンのような国に入り込んでそこで悪が見えなくさせていたのである
賄賂社会になっているのがフィリピンでありそういう国が世界にはある

本当は民主主義とは悪を可視化することが国民によって成されることに意義がある
でも実際はされなった、マスコミはその役割があってもやはり宣伝費などがなければ放送できないので巨大な権力に取り込まれたのである
一応三権分立で司法があるがこれも東電に検察の幹部が天下りしていたから東電の権力は絶大なものでありそれに対抗できるものはいなかったのである
ただその悪を暴いたのが津波だったのである
もうそんな巨悪を暴くことなどできなかったからである

とにかく可視化して悪を見えるようにするのが報道するものの役割だったができなかった悪を可視化することがマスコミの役割だった、でもできなかった、むしろ巨大な権力に悪に取り込まれたとなる。
コーヒーカップで透明なものがあった、それで汚れが可視化されていた
だから汚れると洗わなければならないと洗うようになった
他にもユニットバスも白いから汚れると目立つので洗っている、汚れた場所が白いので可視化されやすいのである。私自身はずぼらであり掃除を余りしていないがどうしてか汚れが白いので目立つなのである。
つまり汚れを消そうとする、それは可視化されているからだと見た。どうしても汚れているのが嫌だからである、でも可視化されないとそのつまにしているのである
だから絶えず汚れが目立つので洗ったり掃除したりすることになったのである

ただこの世では悪は隠れる、隠される、隠ぺいされる。その原因は悪が可視化できない
それで常に黒幕がいるとかなり陰謀論にもなる。その悪の張本人とか見えないからである今回フィリピンで逮捕された人達の上にさらに黒幕がいるとかなるとそうである
そして遂に黒幕の裏に黒幕がいるとかなってこの世の悪は暴かれないのである
デーブステートがあってそれは見えないのである、それが明確に見えるようになる、可視化さればわかるができないのである
グロ−バル化とは巨悪でも世界に散らばり隠ぺいされる隠されるともなる、タックスヘイブンなどでもそうである。税金逃れにしているとしてもそれを罰することもできない
そうなるとグロ−バル化というのは実は犯罪の温床にもなる。
だからこそフィリピンに詐欺グループが隠れて支持していたとなる
それはこうした悪と見えて逮捕されたものだけではない巨悪は見えないしそこに巨額な金が集まり世界を支配するともなる、それが世界中央銀行とかになる

とにかく悪でも汚れでも透明な器なら白いものだったらそこに明確に汚れを意識できる
でもそうでなければ意識できない、つまりもし真っ黒の器があるとしてそこに白い点がついたとするとその白は明確に意識できる、でも黒いものに茶色とか黒味帯びたものを灰色でもついたとしても明確に見分けられない、もし黒いものに黒がついたとしたら全く見分けがつかないのである、この世から悪をなくそうとしてもできない、そもそもこの世は黒で闇の世界だからである。悪は常に闇に隠されるからである。
とにかくもし白いもの透明な器でもそこに汚点がついたら意識する。そしてその汚れを落とそうとる。でも現実社会ではその悪がこのように意識できないから可視化できないから悪は依然として闇に隠れて存在しつづけているのである

posted by 天華 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月08日

近江の紀行文(地歴を知るべき)


近江の紀行文(地歴を知るべき)


関ケ原電車に越え行く残る雪
平地に出春光眩し近江かな

高島は西にあれや東より秋の朝日の昇るを見ゆ

歴史が地歴と言う時まず地理がわからないと歴史もわからない、この地理自体理解するのがむずかしい、まず一回でもその場に立たない限り理解できない
近江に行った時高島が西であり東(あづま)が関ケ原の方向になりなぜここで東西の覇権を決する戦いが起きたのかも地理と密接に結びついている
古代の壬申の乱でもやはり東軍と西軍の争いになったからである
近江を制する者は日本を制するともなっていた、だからこそ信長がここを重視して安土城を作ったのである
また木曽義仲が今の中山道の山中深く旗揚げして京に攻め上ったのである

これは東から見た歴史である、でも九州とか中国とか瀬戸内海とかから西から見るとその歴史はまた違ったものになる、大阪が難波の都となったのは遅いのである
そしてなぜ飛鳥が都になったかというとそれも地理的なものが影響していた
大阪湾は古代は大きな湿地帯であり住むにふさわしくない場所だったのである

日本の海岸線は湿地帯が多いのである、釧路湿原のようになっていた
だから津波で驚いたのは本当に海岸が湿地帯化したことである
そういう湿地帯を埋めて田にしてきたのが日本だった、それで田下駄とはそういう湿地帯で必要になった、また日本で下駄が作られたのは雨がふると下駄が必要だったのである
ぬかるみになり下駄が必要だったのである

なぜ飛鳥が最初の都になったのかというとその前が太古では奈良は湖になっていた
そこは海のようになっていた、だから万葉集でも

天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌

大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 

巻一(二)

となっている、何か盆地になっている所はもともと湖になっていた、福島盆地でもそうらしいからでである。奈良盆地でもそうなっていたのである
さらに太古にさかのぼれば大阪湾から奈良盆地まで海が入りこんでいたともなる
そういう地理では飛鳥が高台にありそこが最初の都となったこともうなづける
つまり地理がそうさせたのである、地の利がそうさせたのである
そこから次に藤原宮が生れ奈良の平城宮が生まれたのである
ただわかりにくいのはなぜ京都が千年の都になったかである
やはり大阪の難波の方が湿地帯であり京都が盆地でありそこが都になった
そして近江が要衝の地となったのは琵琶湖があり交通の要衝になったからである

近江の不思議はヤマトタケルも伊吹山で死んでいる、近江で死んでいる
また芭蕉でも奥の細道でみちのくを旅して近江で死んでいる、風土的に近江は関ケ原を出ると何か春光がまぶしかった、関ケ原には雪が残っていても近江に出ると春らしくなったのである、何か開明的な感覚になった、そもそも近江商人とかが出ているから近江はそうした地域であり人流も活発になる地域なのである
だから信長が楽市楽座を作り自由な商売を奨励したのである

大津百町は、東海道五十三次の「宿場町」、琵琶湖水運の「港町」、三井寺(園城寺)の「門前町」という3つの町の顔を持ち、東海道最大の人口を誇る宿場町でした。その繁栄を示すのが「大津百町」という言葉です。実際、江戸時代中期には、ぴったり100の町を数え、湖と山にはさまれたコンパクトな場所に約1万5千人の人々が暮らしていたことがわかります。

近江は日本の歴史が地層のように重なっている、近江の魅力は琵琶湖があり風光明媚であり交通の要衝にもなった、近江八景がありこれはまさに魅了される、比良の暮雪というときそこは西になりいかにもふさわしい風景である
三井寺の晩鐘というのもそこで鐘のの音を聞いた、その金は相当に古いものである
その時は秋だったのである

三井寺の鐘なりひびく秋の暮

ただ春に行った時は大津は朧月であり大津は都会である,繁華な都市であり宿場町だったとなる

朧月大津の一夜京近し

大津だったら京都は近い、電車でも近い、でも京都と違うのは琵琶湖があり結構平野が開けている、それで彦根城は大きいし圧巻だったのである、その造りも雄壮な城である

天主より近江平野は刈田かな

雄壮に城の構えや冬に入る

春には蓮華が映えていた、そして三上山が見えたのである

蓮華田や三上山聳え近江かな

蓮華田があるということは都会というのではなく土臭いものがある、田舎でもある
京都には田んぼなどないからである、それでなごむということがある
ただ近江商人が生まれたようにここは大阪商人とか京都の公家とかそのつながりとして
近江商人が生まれたとなる、そういう人が出るのも地理であり歴史であったとなる
そして注意すべきはここは古代に韓国からの渡来人が住みついて技術を伝えた地域であるそれが私の住んでいる真野の地域とつながっていたのである
なぜなら栗東まで鉄を作る工人が行き来していたのである、鉄を加工する場があった
鉄そのもののとれなくても加工する技術があり真野の地域からでも工人が直接そこに通っていたのである、技術研修生ともなっていたのである
だから近江に真野という地域があり何かその真野というのは渡来系でありそれが鉄を求めてこの地域に来ていた

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

この歌を詠んだ笠女郎が近江出身だったという説もでてきたのも具体的に鉄作りで関係していたからだとなる
そして韓国で大津の人と合ったのも奇遇だったとなる、そこで韓国を案内してもらったのである、それを感謝している
鉄作りというとき葛尾大臣でも近江八景をまねて庭を作ったいた、なぜかというと近江の女性を連れてきて結婚していたからである、それで女性が故郷をなつかしみ近江八景を模して庭を作ったのである、それにしても余りにも近江とは違った場所であった
淋しくなるのもわかる、このように近江とは繋がりがある

秋鴎百羽集いぬ浮御堂

堅田に松や秋の日浮御堂

この鴎は大阪から淀川を上り琵琶湖に来た、つまりここでも海が関係している
飛鳥でもそうだがここでも鴎がこれほど飛んできていたということは海が近くだということになる
とにかく近江の魅力は琵琶湖にあり自然が依然として映えている、京都とか大阪は家が密集して自然が映えない、自然は作られた庭にある、でもそれは本当の自然ではない、人工的な自然である、そこに庭の限界がある
なぜ東京でも大阪でも魅力がないのかというともう自然が消失している、東京などでももう江戸時代に水路があったことなどイメージすらできない、自然の地形を説明してももうイメージできないのである、だから東京には魅力がないのである
京都は違っていてもやはり家が密集しているから押し込まれような感覚になる
ただ京都は文化都市だから千年の都だから他とは違っている
その延長として近江もある

昔のひとに出逢った、依然美しかった
だがそのひとは今は湖畔の城下町の
由緒ある宿屋の御寮さんであった
ゆくりなく近江の秋の日に浪漫的なものを
失われた簪(かんざし)のように拾った
(田中冬二)

この詩のようにまさに簪を拾ったというときまさに千年の都は工房があり技が伝えられてそういうものが落ちていたともなる、つまり自然があり千年の都の京都が近いということで魅力がある

これはやはり京都が近いということで作られた詩である、簪というのがそうである
それは京都の工房で作られたものであり貴重なものである、それが近江に拾ったというとき京都に近いからそうなったのである
ただ戦前とかの風景とは近江でも琵琶湖でも違っている、やはり繁華になり詩にしたようなひなびた感じは失われている、ただ田畑があり琵琶湖があり山々があり自然の風景がなお残っているから大坂とか京都とは違っているのである
なんとかなく近江に来るとほっとするのである














2023年02月07日

春めきて橲原と大原をめぐる (大原の歴史と前田の斎藤氏のこと)


春めきて橲原と大原をめぐる

(大原の歴史と前田の斎藤氏のこと)

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この老木に幼子と老人がいた、ただ村の子供というものでもない、なぜならここに新しく移り住んだ人の子供かもしれないからだ、今は村という感覚がないともなる
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ここの梅が開いた、墓も後継ぎがいないとかなる、橲原でも大原でもまだ田せも回復していないのが残念





一村や春光眩し石一つ
東風(こち)吹きぬ坂越え来る隣村
墓の二基跡継ぐ人あれ梅開く
老木や村の幼子と春来る


橲原に目印とあり立目石ここに動かず春の日さしぬ
大原の前田に住みし斎藤氏空き家淋しき春となりしも
病院に共にありし日遠きかな大原に眠る人そ偲びぬ
大原の柿の古木や望む山ここに根ずきて春の日さしぬ
大原の前田に古き家なりき遠田は遠く春となりしも
二本の木のますぐに墓守る街を離れし大原の冬



橲原から大原を回った、橲原は立目石が目印となる
そこから大原に向かう、その森の中の道は新しい道である
大原は深野より新しい、相馬氏が入り大原村ができた
何故なら深野には館とつく地名が二つあるからだ
これは中世の地名であり一地域の中心であった
もしかしたら大原をめぐって争いがあったのかもしれない、相馬氏が支配してゆく過程で在地の勢力と衝突した
その謎が

その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。
棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。
海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか?

(津浪で死体を処理したー日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)

海老の宝蔵寺は古い、紅葉で有名になった、この伝説はなんであったのか、なぜ大工の善次が死んだのか?
この謎が解明されれば津波のこともわかるとなる
確かに中村に城が築かれるときのことであり津波がその時あった、慶長津波があったからである

これは相馬氏が中村に城を作るとき海老の大工がかかわり何かもめごとがあった
その時海老に津波があり大工が中村に今の相馬市に働かせられることを拒否したからかもしれない
ただその謎は解明できない、ただなぜ海老村と大原が関係していたのか、それは大原が深野より新しい地でありそこに相馬氏が支配することでもめたのかとなる。
大原村とか橲原村は江戸時代に開かれた村であり中世にはなかった、大原村の草分けとして前田に住んだ斎藤氏がいたのである。遠田とは前田からさらに離れた森の中の田である。日本ではこうして田を作ることで暮らすことができた。
ここにも越中などからの移民が入ってきた、それは墓をみればわかる、南無阿弥陀仏と刻まれている、そこに戒名はない、死者を供養することもない宗派なのである

ともかく今日は春だった、春光であり山が霞んでもいた
それで自転車で走り気持ち良かった
東風邪が山にも
吹くときこの辺ではどうしても原発事故を思い出すのである東風(こち)が今頃海からふくからである、その風によって放射性物質が運ばれて汚染されたからである
恨めしい風となってしまたのである

2023年02月06日

ケチな人とは付き合いたくない (人の気持ちは必ず行為となって現れる)


ケチな人とは付き合いたくない

(人の気持ちは必ず行為となって現れる)

「ベタニアの香油」で、
ベタニアという村の女が高価な香油をイエスに注
ぐ場面である。女の行為は無駄使いであるととが
められるが、イエスは女を賞賛した。


これもケチと関係していたイエスに対して高価な油を使うのは贅沢だとしたのである
イエスはすでに死を予感していただからこそ油を高価な油を使うのだと使う咎められたことを許さなかった
ケチということは常に問題にされるあいつはケチくさいやつだ
そんな奴とは付き合いたくない男女関係でもそういうことがある
その女性は80何歳かの男性と付き合い相手が病気なので介護のような事もしていたでも自分自身が病気になり何の心配もしてくれなかったとして別れることになった

その男性の一人娘がいたがその人もケチだとして非難していたその一人娘はすでに孫もいるような女性であるそれなりに金はあるみたいだでもその女性が来た時でもでも世話する女性がきた時金が奪われるのではないかと警戒していたしていた
その世話する年配の女性も常に金に困っている人だっただから金が欲しいということは確かである
でもそれは本当に金がないのだからそうなるのもやむをいないとなるよくわからないが確かに100万の軽トラを買ったり今度は4万のバックが必要だとか言って買うと言っている、だから金がそんなにはないとは言えないもちろんあまるほどはない、治療代にかかるからであるでも世話する女性からするとケチに見えたそして病気になり入院したのに何のお見舞いもなく心配もしてくれなかったそのことで切れてしまったずいぶん仲がいいと見ていたがケチの問題で切れたのである

ケチという問題は意外と深刻である貧乏で苦しんだ人はどうしてもケチになるでもケチというとき別に金が持っている富裕層でもケチな人はいる金があるのだけどけれど金を有効に使わないそのことがケチなのである
また金だけではない何かちょっと人を援助することでもしないのである。その人は軽いものでも持ち上げることを嫌がっていた私のために何もしたくなかったのであるでも借金しているから金はは欲しかったでも本心は何もしたくなかったのである
そういうことは必ず行為となって現れる身振りとなっても現れるし表情にも現れるただそれも自分自身のカルマだったのであるそうされても仕方ない面が私にはあったのである

実際ケチといってもいろいろな面があるケチと節約は違う別に節約は悪いことではない、いろいろなものを電気でもも水でもエネルギーを節約することは今の時勢悪いとは言えないそうせざるを得ないからである
でもケチなのと節約は違ったケチとは何か出し惜しみする金があっても出さないまた何かできることがあってもしない
ケチとは金だけのことではないでも節約とは違う節約は悪いとはならないでもケチというときそれはその人間の性格とか人間性を問題にしているのであるケチとは本当は出せる金があっても出さない何かしてやれることがあってもしない簡単な事すらしないのである出し惜しみするのである

ただ貧乏で苦しんだ人はどうしてもケチになるそういう生活をしてきたから無駄な事には使いたくないそういう、それが習性とになっている。
私の母は大正生まれで貧乏でありその生い立ちも継母に育てられて不幸だった、何か働き詰めの一生だった、そこに何か楽しむということがなかったそのために花には興味もないから花を買ったりすると自分に対して怒っていたのである。そして庭に豆を植えていたのである。要するにこのように偏るのではなく豆も必要だが花も必要となることがいいのである、でも人間はどうしてもかたよるのである。
それもその生い立ちがそうさせたのである、継母に育てられたから親がいろいろと花のことなどを教える人だったらそうはならなかった
そこに不幸があったでもそのあとは高度成長時代を経験して豊かな生活を送ったでもその時も働き詰めであれ余裕がなく花などは無駄だと思っていたのであるただ金になることがしか追求しなかったのである

そして奇妙だったのは死ぬ頃に相当貯めた金を盗まれた、でも笑っていたのである、一円でも無駄にしなかった母が大金を盗まれてても笑っていたのである。何か認知症にもなっていた、でも金にあれほどこだわっていた人が大金を盗まれて笑っていたのにはおどろいたのである。おそらく死に間際になり欲が消失したのかもしれない
ただ人間は死ぬと金はどうでもよくなる、だから金があるときもっとよくしていたらなとあの世でくいているかもしれない、
あの世からは人はこの世にいる人にも何もできないし逆に死んだ人にも生きている人はなにもできなきなくる。
だからこそ生きているうちに良くしておけやれることはやってやれとなるのである。

こうして私は母にばかり育てられたら私もケチになっていたかもしれないもうひとりの母なる姉がいたのでそういうことにはならなかったのである姉はおおらかでありでありケチではない。でも他者には冷たいところがあった
金には厳しかったのである、一般的にみんな金金金の時代になったからそれもなかなか責めるということはできない

「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを何とも思われないのですか。妹が私の手伝いをするように言ってやってください。」
イエスは答えて言われた。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。無くてはならないものは多くはないのです。いや、一つだけです。マリヤはそのよい方を選んだのです。それを彼女から取り去ってはなりません」(ルカ10:38〜42口語訳)

なぜそういわれたのか、イエスと共にありそして話を聞くことの方が大事だったのであるなぜならその機会はもう二度とないことになったからである家事はいつでもできるでもイエスの話を聞くことは二度とできないことだったからである
それはただ家事に追われ仕事に追われ花に価値もない金にもならないどうして無駄だとすることと似ている
この世の自然の美は色々あるそれをそれを感じないそれは動物と同じである、人間はやはり動物とは違って神の作られたその美を見て感心したたえることが人間なのであるガツガツと食うだけの人は人間ではない動物になってしまうのである

ただケチというとき金だけの問題ではない相手に対して豪華なものを贈るということでもないたとえ粗末なものを送っても何か相手にしてやりたいと言う気持ちがあればそれは粗末なものでも嬉しいとなるでもそもそも相手に何もしたくないという気持ちになっていればその与えるものに何か心がこもらないのである私の私が困っているとき弁当を持ってきたがそれもいやいや持ってきた普通のコンビニの弁当であるあとはすぐ帰ってゆくだけだった
まあ仕方がないから来たというだけである何か持って行かなければならないと思い安い弁当をただ持ってきただけであるそこには何ら心がこもっていない何も持って来たくなかったのである何も贅沢なものを要求しているのではないそもそもが何もしてやりたくなかったのである心があれは手料理などをしたのものを持ってくればそれは違ったものになる

母の与える料理はたとえいいものではないにしろ母の愛情がこもっているだから外食するのとは違ったものなのである貧しくても精一杯工夫して子供に与えるそこには愛がこもっているから違っているのである
とにかく人間には常に心が関係してくるそれはやはり介護とか病気になった時苦しい時感じやすくなるのであるだから本当に相手に対して愛もないし情もなければ何もしたくない何も与えたくないただしょうがないから普通のお弁当でも買って与えるあとは何もしたくないということだったのである

脉(みゃく)をとる看護婦(かんごふ)の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅(かた)き日もあり

病気の時は人の微妙な心を感じるのである
自分の場合は看護師に虐待されたようなことがあったからそのことが忘れられないのである。今看護師はそもそもみんな老人を嫌っている。多すぎるからである、戦前は若人が肺病になった
だから悲惨であり同情されたということがあった。今老人が病気になっても数が多すぎてかえって早く死でくれとかなる
そういう気持ちは必ず行為となって現実化するから怖いのである。

とにかくケチなの人が家は何か事業することで成功するものだろうか相手の為に客のために与えるにしても本当は与えたくないわずかのものを与えてそれより多くのものをもらいたいということになるそういう気持ちで事業を成功するものなのだろうかもちろんそれ相応の利益を得ることはあたり前である
でもそこにやはり人間には心が関係していて心が現れてくる
こういうことはやはり相手が病気だったり弱くなったり苦しい時より感じやすくなるのであるこの人は私のためには何もしてやりたくないただ金だけは欲しいそういうことが表情にも行為にも現れるのであるただ自分の場合はそうされても仕方がないという面があっただから批判ばかりもできないということはあるただケチだということは常に人間関係で問題にされることなのである。それでやがてそういうケチな人は避けられる傾向がある

ただそこで間違えやすいのはケチと節約は違うということである節約は悪いことではないケチというときその人間自体が問題にされているだからケチというのことが常に問題になるのである
ケチというとき金があるとかないとかだけではない、気持ちの問題にもなる、金があってもケチな人はいるからだ
でも金でも余裕がないとケチになる、それは自分でもそうだったからである、

人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を入れました。「レプトン」は、「レプタ」の複数形です。レプトン銅貨は当時パレスチナに流通していたギリシヤ銅貨の中で最小のものでした。

  旧約聖書に、夫に先立たれた「やもめ」や親を失った「孤児」の保護が命じられいることは、イスラエル社会の中で、この人たちが不安定な生活基盤で生きていたことを物語っています。「みなし子・やもめ・寄留の外国人」に対する神の顧(かえり)みの愛をいいあらわす旧約のことばがあります。
  イエスは、このやもめに目をとめ、弟子たちを呼び寄せて言われました。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から自分の持っている生活費を全部入れたからである」と言われました

この比較で貧しい人でもわずかに与えても多く与えたことになるその人はケチではないのであるでも金持ちが与える金が多いとしてもそれは持っている金からすれば少ないともなる
なけなしの金を与えた人の方が多く与えたのである
だからケチというとき金持ちでもケチな人はいるのである貧しい人でもケチでない人はいる
ケチということは必ずしも金の量では測れないのである
ただ現実の生活ではどうしても余裕がないとケチになることは仕方がないともなる、
でも人はケチな人は付き合いたくない金があってもケチな人は付き合いたくないそれは確かである

白鳥の写真ー朝日が昇り満月が山に没す

白鳥の写真ー朝日が昇り満月が山に没す

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これはうそだろう、ウソという鳥など見たことがない、頭が黒いからそうだろう
確かに冬は野鳥観察にむいている
真野川の河口の方には白鳥がいつもいる


東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

今日は今まで見たことない景色を見た
山の端に満月が出てたのである、それは6時半頃だったまだ暗いから満月が明るかった確かに朝に月を見るがこんな満月を見たことはない、マイ柿本人麿の歌はこの光景に似合っていた
朝日が雲を赤く染めて昇ってくる、雲が赤く染まる、それは陽炎(かぐろひ)ともなる、振り返ると満月が明るく山に映えて沈む
でも月傾く感覚とは違っている。
この意味は新しい太陽が昇り古いものは月のように傾き衰え消えてゆくそういう意味であるでも満月が明るいのでそういう感じはしなかった何か傾くというとき満月ではなく半月とか三日月が合っている、何か衰えて沈んでいくという感じになるからだ
でも今回はそういう感覚にはならなかった満月でも明るく輝いて沈んでいったのである
東に陽炎の見えて山に入る満月輝き冬の朝かな
これは冬の景色だが柿本人麻呂の歌は夏かもしれないでも今回の景色はそれとはそれと似ていたでも感覚的には相当に違っていた結局短歌でもしでもいろいろに鑑賞できるふそれで大阪上で見た
花の盛りに桜が散ってゆくその時夕日が赤々と輝き沈んでいったその夕日の赤さが何とも言えぬ赤さだったそれは歴史を反映したものであり自然そのものとも違っていたのであるそのことはエジプトを旅してナイル川の西に日が沈むのを見た時もそれを感じたのである
繁栄の時がありそしてその繁栄も一時であり落日となって輝き沈んでゆくそういう人間の興亡が反映したものなのである
それは太陽でもそうなのである、その色合いは説明できないものである。
写真は動くものは撮りずらい、でも必ず飛ぶ時がありシャッターチャンスを待つ、今回はそれで撮れた。

遅れじと白鳥飛ぶや陽の昇る


2023年02月04日

冬深む俳句十句 (人間には共有する場が必要である)


冬深む俳句十句

(人間には共有する場が必要である)

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蝋梅や貧者を世話し家の主
街中の神社の古木に寒烏
冬の鴨身を寄せ合うや橋の下
庭の石場所を変えずに冬深む
家になお死者の生きむや冬深む
老人が老人世話す冬深む
我が一人墓を守るや冬深む
冬深む齢を重ね里に老ゆ
土地土地の生きにし場所や冬深む
大原の老木あわれ冬深む
松一本社を守り冬深む
土地土地の土とならんや冬深む
土地土地に年輪刻み冬深む
共に生く場を持ち死なむ冬深む
土地土地の古き家尋ね冬深む
老夫婦結ばれ離れず冬深む

共有す一つの場に生く冬深む

one common life
identified place
deepend winter
in my homeland

冬深むという時これは1月から2月だろう
今は2月4日でも春になったがまだまだ冬である
確かに春の兆しは出てきている蝋梅でも咲いたからである
季語としては西と東では季節感が違っている
西は早く暖かくなるみちのくはまだ冬が長い

北海道だとさらに冬は長いだから季語も違ってくる
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる、人間はやはり一つの場所があってそこでい一体化してゆくアイデンティティ化してゆく、それが自然なのである木がに根付くように人間もそうなる。

ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる
人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きる木は長い時間をかけてその土地に根付く
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる人間はやはり一つの場所があってそこで一体化してゆくアイデンティティ化してゆくそれが自然なのである木が根ずくようになる
ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる

人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きるきそして長い時間をかけてその土地に根付く
そういう場所が人間には必要なのである
そういう場所を奪ったのが原発だったのである
老人がそうしてなじんだ場所に住めないことは金銭的なものより精神的な衝撃が大きかったのであるでもそれもカルマであり責任は住んでいる人たちにもあったとなる

そもそもそうした精神的なものは自覚しにくいのである
それは失ってみて初めて分かるのである家族でも親子でも夫婦でも死んでみるとその貴重さが価値が分かるのである生きているときはわかりにくい感じにくいのである
だから故郷を失い家族がばらばらになった時痛切にそのことを感じたのである
いつも通る橋の下に鴨が数羽群れている身を寄せ合って群れている
それはありふれた景色であるでも俳句は写生である、ありのままを写すのである
橋というのは人間的なものなのであるそしてそこに鴨がいる
ということは鴨も人間的なものとしていることになる橋があることによってそうなったのであるつまり何でも人間化するのである動物もこうして人間化したものとして表現するのである

老夫婦となると冬深むにふさわしいとなる、でも熟年離婚が多いことにも驚くのであるもうそれも大きな損失である68とかにって離婚する人もいる
でもそもそも人間の時間は限られているそんな年になって人間関係を親密さでも信頼でも作ることは難しくなる
ただいかに男女関係でも人間が平和的にありえないということなのである常に不和が生じるのは人間の世界なのである

蝋梅が咲き始めたそれを母がいた部屋から見ているここで母は寝ていた私は介護したそれでこの部屋を百才の間とした
蝋梅という時これはやはり長寿の花かもしれない百歳まで生きれば充分であるでもその前に病気になるから人間は長生きするのも問題となるのである病気にならなければ別に長生きしてもいいのであるこの部屋から今日もウグイスを見た、その鶯が蝋梅にとまっていたのである
その取り合わせが良かった縁起が良いとなる
写真を撮れなかったがインターネットにでている、蠟梅ででてくる








福島6町村の復興再生計画、事業完了率10%台  (原発避難区域は復興できない)

福島6町村の復興再生計画、事業完了率10%台 
(原発避難区域は復興できない)

親の因果子に報いとなるのか、必ずカルマが人間は作るのである
外部から見ると税金の無駄だというその不満があまりにも大きい
それはやはり復興を見ていると一向に進まない、それは地元の人でも同じである
もう無理であると正直に思う第一人が帰らない帰っているのは老人だけである、ということはもう未来がないということである
立派な施設を建物を作ってもそこで働く人がいないとか学校でも地元に住んでいる、親がいないので外から通ってくるとかその数もわずかである

そもそもは少子高齢化でありそれが影響したのである
子供がいないということはもう自治体でも維持できないということである
それはやはり今の親の責任であり実際は今の老人の責任とも言えないなぜなら原発を作ったのは60代であれ70代であれその上の親が作ったのであるだから親のカルマが次世代に負わされたである
そしてまた今の親たちがその子供へカルマを負わせて負わせたのであるお

このようにカルマは受け継がれる回ってくるカルマは責任のことなのであるそれは逃れることができない
親の因果は子に報いなのである
とにかく現状を見てもとても復興できるとは思えない第一みんな外で新しい暮らしをはじめて始めており子供でもその新しい場所で生活しているからそこが故郷になっているただ老人はどうしても帰りたいその心情は痛いほどわかる
私自身も老人だからである老人は故郷で暮らした歳月が長いだから老人は例えば老木のようになりその土地に朽ちる人間も植物や生物の一種だから自然とそうなるただそれを奪ったのはが原発だったのである
その責任は実際は今の老人というだけではなくその上の親でもあったその親がカルマを作り出したのである
ただ老人が故郷に住めなくなったという原因は住めなくなったのは今の親世代にある
深刻なのは町とか村の歴史が消失するということである

ということはその住民は必ずしも今生きている人が作ったものではない父祖の先祖があり作られてきたのである
その先祖にしても江戸時代からでありさらにその前に遡るのであるそういう歴史が消失するということが何を意味しているのかよくそのことがよく理解されていないつまり先祖もそこに住めなくなるということである先祖も死んでもやはりその場に生き続けるのであるその継続が歴史なのである歴史が失われるということは何を意味しているのかそれをあまり考えない
だから因果応報となったのであるともかく莫大な金をつぎ込んでも復興できない現実問題としては原発避難区域になったところはもう維持できない南相馬市だったら移り住んでいるそれも原町鹿島相馬市新地どこかに新しく家を建てて住んでいる私の住む近くにも住宅地がありそこに四五件の新しいうちがまた立った家が建ったそれは原発避難区域から移住した人なのであるつまり原発避難区域にはもう復興する気がないのである住む気がないのである

だからこそもう住民には住む意志はない未来とはwillであり意志なのである、その意志が消失したらもう復興できない
だから外から見ても湯水のように税金を注ぎ込んでも復興できないそれはそこに住んでる人自体の問題でもあるその人たちに住む意志がないのである
そこに根本的な問題があるそれは心の問題でもありどうにもならないということであるいくら復興させてもらいたいしてもらいたいと思っても内部でも難しいとなる
どうしたらいいのかそれで飯館村などはもう村として維持できない村として
だから南相馬市と合併するべきだとなるいずれ補助金は打ち切られるからである

ただ問題は放射性廃棄物場になることは周りに影響する
何かあるとその放射性物質物質が流れ出してくる現実に飯館村でそういうことがあったからだ新田川でも山側でも放射性物質が流れ出してくるからである
そして河野放射性物質は減っていないなぜなら狭い範囲にありそこに残っているのであるもし海の方に流れだせばそういうことはなかった
放射性物質は風で海の方に流れたので海側放射線量が少なかったのである、山側は堆積したのである
いずれにしろとても復興することは難しい住民にもその意志が無くなっているでも老人は帰りたいという心情は痛いほど理解している故郷の土になりたい故郷で死にたいそれは生物として当然なのであるただそれそれすら原発は奪ったということである
その罪深さははかり知れないいくらよその土地でいい暮らしをしたとしてもその失ったものはあまりにも大きすぎたのである

posted by 天華 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年02月03日

秋の七ヶ宿街道の旅


秋の七ヶ宿街道


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七ヶ宿ものさびしかも
数匹の虫の音幽か
我が休みて聞き入りぬ
昔の街道芒なびきて暮れんとす
鏡清水姫の面影映すかな
しばし留まり夕闇に
行く人もなし
ここを去り上山へ
街の灯あわれ
その一夜の宿や
旅の思い出に残るかな

(覆う鏡清水や姫の顔)


七ヶ宿はものさびしい場所だった、今の道からはずれたところであり車もあまり通っていなかった、自転車で通って鏡清水で休む頃暮れようとしていた。
旅は車だと旅にならない、通り過ぎてゆくことになり時間的にも記憶に残らないのである。
何度も言うが記憶に残る旅をしていないと後で思い出せないので旅をしたことにもならなくなる。
旅は旅をする前の準備から始まっている、そして意外と旅は旅をした後も続いているのである。
だから車の旅だとその行程が記憶に残らないから旅になりにくいのである。ただある場所で写真撮るとかの目的があるときはいいのである。

ともかくなぜここが記憶に残っていたかというとそこがあまりにも淋しい場所になっていたからである。
車で混雑しているような場所でわ記憶に残りにくいのである
だから大都会というのは記憶に残りにくいのである
本当に七ヶ宿は寂しい場所だった何か人気もない虫の音だけが響くところだったのである。だからこそ虫の音が心に残ったのである

上山藩に蒲生氏郷の子が藩主となる
慶長9年(1604年)、陸奥会津藩主・蒲生秀行の次男として生まれ、家臣・蒲生郷治によって養育される[2]。異父弟に浅野光晟がいる。
慶長17年(1612年)、松平姓を与えられる[3]。
慶長18年(1613年)頃に元服する[注釈 1]。三春城に置かれた(『氏郷記』)[注釈 2]とも、津川城に置かれた(『会津旧事雑考』)とも伝えられている[5][注釈 3]。元和9年(1623年)7月、従四位下に叙される(『氏郷記』・『御当家紀年録』)h[7]。
寛永3年(1626年)、出羽上山藩4万石の藩主となる。この時、守役であった蒲生郷治は上山について行くことが出来ない自分の代わりに一緒に忠知を見守ってきた自分の家臣団を忠知に差し出したという(『氏郷記』)[8]

蒲生氏郷の子が上山藩の殿になった、三春と津川城とも関係していた。津川は冬の日に行った。川湊があり栄えた場所である
そこは厚い根雪に閉ざされていた。
そこに城があったというのも意外だった、こうしてたいがいの場所に実地にその場を踏んでいることで思い出してこうして紀行文でも書けるのである。

馬場址といはるここは杉ばやし時くしげりてしゃが群れ咲けり


この歌はシャガの花を歌っているがこのシャガの花は城跡に群生して他でも咲いていた。城はもともと山城から始まった、自然が要害となり守ったからである。そのあと暮らしに便利な平城になったのである。
丸森の金山城にも咲いていた。相馬の城跡にも咲いていた。
山城には咲きやすいとなる。この花は独得であり城跡に咲いているのが似合っているともなる、それも山城だといいとなる

宮台氏を襲って自殺したのは引きこもり (引きこもりの危険と現代社会の問題)

宮台氏を襲って自殺したのは引きこもり
(引きこもりの危険と現代社会の問題)

宮台真司さん「(男の)年齢は、でている通りロスジェネ世代。無差別殺傷事件を起こす人が多く生まれている。容疑者がなくなったことはかなり残念。容疑者の襲撃の動機がわかるかな、というところに興味がある」
宮台さんは2022年11月、東京・八王子市の大学のキャンパスで男に切りつけられ重傷を負っていて、容疑者とみられる相模原市の無職の41歳の男が、事件からおよそ2週間後に、自宅で死亡していたことがわかった。
自殺とみられている

この犯人は引きこもりであった、家族と一緒に暮していたが別に部屋を借りて一人で暮らしていた、働かなくても暮していけていた、家族が援助していたからであ

ではなぜこんな殺傷事件までになったのか?

これが疑問である、宮台氏とのかかわりでそうなった、何か日ごろから宮台氏の発言に不満があった、思想的に反発するものがあった、それが引きこもりになってネットとかで発言していたのかもしれない、ネットウヨとかも言われた人達がいた
ただこの人がどういう発言をしてどういう思想の持主かはわからない
ただわかったことは引きこもりであり家族からも分離しても無職であった
そこで一日中何をしていたのか?なぜ宮台氏を殺したいほどになったのか?
その辺がわかりにくい、思想的に反発するものがあったからなのか?
でも相手刃物で襲うということは相当に何か宮台氏にかかわるものがあったとなる

私がこの事件に興味を持ったのはやはりこの人が引きこもりだったとういことである
そのことで自分自身の経験から前から述べてきた
ただ団塊の世代で引きこもりなどほとんどいない、ほとんどが企業戦士とかなり馬車馬のように働いた、そして高度成長時代を築いたのである
中卒も多く金の卵として都会で働いた時代である、その時代の差がある
私は特別恵まれて三流大学を出ても就職もしなかったのである
そういう人はまれだったのである、でもふりかえれば私は必ずしも引きこもりではなかった、なぜなら20代とかは底辺でも労働していたからである
そして大学は東京だったから親元を離れた生活をしていたからである
それが人間形成に良かったのである、かわいい子供には旅させろというのがわかる
親元を離れて人は一人前になる、でも社会になじめず引きこもりになったのである

こうして引きこもりの経験者だからその心情が理解できるのである
引きこもりは社会性が喪失してゆく、一人閉じこもっていると上から命令されるものもいない、別に上司にしかられることもない、ただ一人でありそうなると何か自分自身が偉いという感覚にもな実際は落ちこぼれでも誰かに雇われる使われるとかではない
自分が常に主人でいられるのである、ただ親がうるさければそれが問題とはなる
でも親が許していれば三食つきであり親は召使のようになっているからいい身分なのである、私は30歳からそうして引きこもりだったのである、それも30年間とか長いのである
だからそれをふりかえったとき異常だったとなる
ではその30年間何をしていたのか?それは自分の好きなことをしてきたのである
主に旅をしてきたことになる、それで地名に興味をもってその方面から歴史とかに興味をもったり詩歌を追及して来たのである

ただふりかえりこういう人生は危険なものでもあった、社会性が喪失して何か変な方向に向かうことになる、だからアウトサイダーとも似ている、でもそういう人は特別優れた天才とかなっていた、今はそれが普通の人でもなる普通のことになったのである
なぜなら本当に引きこもりというかニートというかそういう人達が田舎でもいる
なぜか自分はそういう人達と逢うのである、類は類を呼ぶということにもなる
そういう人を見ると何か体も貧弱であり劣っている、だから社会に適合できなかったのかと見る
一方でアウトサイダーとなると全然違っている、むしろ優れていて社会に適合できない天才が多いとなる
そしてそういう人は狂気になった、ニーチェでありヘルダーリンであれ文学の分野でそういう人がいる、そういう人達はむしろ特別優れていて社会に適合できなくなったのであるでも今の引きこもりは普通の人でありむしろ何か劣っていてそうなった人達である
ただその数が多すぎるから何なのかとなり社会問題になったのである

ただ何かアウトサイダーと似ているのである、ただこれだけ数が多いということ別な問題として引きこもりが生まれたとなる、引きこもりの効用としては社会から離脱して人と極力交わらないとういことで禅僧のようになる、沈黙業をすることになる
それは寺だったら許されるが社会ではそういうことは許されないのである
でもその効用はある、沈黙するということは自然と一体化するのにはいいのである
なぜなら大地であれ山であれ木であれ石であれ沈黙しているからである
だから自然と一体化するには沈黙をすることを学ばねばならないのである
でもそれは社会にいてはできないことである、また社会から離れて生活することは社会のことはわからなくなり危険にもなる、社会の常識から逸脱してゆくのである
だからインタ−ネットとかが生まれてネット空間だけで対話などしているとおかしくなるこの人はどういう状態でそうなったのかわからない、わかっているのは引きこもりだったということである、でもそれが危険なことは理解できる

つまり小人閑居して不善を成す・・・これなのである、また君子危うきに近寄らず・・なのである、一般的に小人はそうなる、隠者とかになり閑居することはハードルが高いのである、よほど優れた人でないとできないのである、だから若い時は社会人として働き社会的常識を身に着けた方がいいとなる、その後に引きこもりになってもそういう人はまた違ったものになるかもしれない、この人がなぜこんな犯罪を犯したのか、そしてまた自殺したのか・・・・・これは引きこもりした結果として起きたことである
それは私が経験したことで理解できるのである
これは現代的問題でもある、それだけ引きこもりが多いからである、もう一つの問題として社会に適応できないというとき社会で自分に合った職業などにつけないことがある
そんなこというのは贅沢だというのもわかる

でも現実問題として別に仕事が嫌ならやめても生活に困らなければ引きこもりになるのは当然だともなるのである、自分に合わない仕事をしてもまた精神が病んでくる
それで現代でぱうつ病が増えているのである、それは天職などにつける人が少ないからである、何か機械の歯車のようにされるのが現代社会である
私自身の仕事も流れ作業とかしかなかった、それで仕事自体に嫌悪を覚えるようになった別に自分に合った仕事があればそういうことがないのである
それは確かに甘えだともなるが別に生活できれば親でも援助してもらえるなら自然とそうなるのである

とにかく引きこもりは百万人一人くらいの天才的アウトサイダーとかは違うものである
でも似ているのである、社会から脱落したとしても別に生活できるなら社会で無理して働くこともないとういことである、いづれにしろ天職につける人などこの世にどれだけいるのか、社会に適合したとしてもただ社畜だとか自ら言っているように奴隷だと言っているように不本意なものとして働いているのが大多数にもなる社会である
そこに根本的問題がある、ただ引きこもりとはアウトサイダーとは違って何か能力的にも欠けている、体自体が何か貧弱な人が多いようにもみえる
すると力仕事ができないとういことで建築土木関係の仕事にもつけないのかとも見る
それは天才的アウトサイダーとは似ていても相当に違っているとなる

確かなことは人間は天職につける人はまれでありそんな仕事をなど与えられないのである社畜であり奴隷的仕事が多いということである、昔の職人だったらそういうことはない
自分の仕事に誇りをもっていた、だから下駄一つでも作った人の名前がついていたり
今でも近くで包丁を作っている人がいて名前がついたりしているのである
手仕事の時代はそうして自分の作ったものに誇りをもっていた、今は大量生産になればそういうことはない、みんな巨大の組織社会の部品化するのである
昔は徒弟制度などがありふそこで技を磨くだけではなく人間として教えられるものがあった,今はそういう場所がなくなった
学校は膨大な知識知識を詰め込む場所であり人間と人間が向き合うような教育はなくなった,本質的に人間を育てる場所がなくなったのである、それは社会自体の機能不全でもあるそこそこに教育というだけの問題ではない解決しないのである

そして大衆化してナチス化する、それは現代文明社会の病理的現象なのである
カルト宗教団体でもそうである、それはアウトサイダー化したものより最も社会に適合するものとして生まれたのである、なぜならその組織は軍隊化していて結局現代社会と適合するものとして生まれた、それが極端になるとナチス化するのである
そこに一切もともと宗教を追及しているものなどないのである

でも数が多いとういことは社会化して権力化するから正常として認められるのである
ということは現代文明社会事態が異常だともなる、そうして何が異常か正常かもわからないのが社会なのである、それで文明社会を極端に否定するアウトサイダーが生まれたのである、その人も異常にしろ社会も異常なのである
ただ確かなことは引きこもりとかは異常化して犯罪者にもなりやすいのである
また狂気化も異常化もしやすいのである、ただ個人も狂っているが集団組織も社会も狂っているとニーチェが言ったがまさにそうである、社会もナチスのように狂気化するし
それだけ現代文明は狂気的なものになっている、もはや誰も全体のことなど知り得るものがない、カオスでありそこで狂気が生まれる、ファシズムでも生まれる
そうなっても数が多ければそれが正しいとなり何でも通ってしまうのが現代でありナチス化するのである



金銭面では金の匙くわえて生まれてて勝ち組ぽいなのに、もったいないなあ
一度でも貧乏経験あればこんな仕上がりにはならなかったんだろうね

ひきこもりにはこうして恵まれた人がいるだろうなあ
この人は20代でも働くことなかったのかな何か苦労したこともなかったのかな
やはり人間若い時はなんであれ苦労することが大事だ家から離れることも大事だ
この人はそういうことがなかったのかなあ,貧乏の経験も大事だよな
そうすると無駄に金を使わないから

とにかくこの人の動機がなんであったのか動機が何であったのかその辺がわからないそしてなぜ死んだのかそれもわからないただ危険を感じて自殺したのか
引きこもりはこうして危険なのであるいくら恵まれていても危険なのである
もう40になったらどうにもならないともなるそして40になるのはすぐなのである人間はやはり社会的動物なのであるま普通はやっぱり社会的動物として生きることがいいのであるアウトサイダーとなるとハードルが高いのであるだから小人閑居して不善を成すになる

posted by 天華 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層