2022年12月31日

流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)


流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)

lines trees.jpg

many lined trees
deep rooted one
stedy walking road
in winter



冬流星光芒迅速七つかな

動乱期流星光芒七つかな

流星の一つ大きく年終わる

瞬時なり冬流星の墜ちにけり

一つ一つ無益にあらじ冬銀河


冬の日の川の岸辺の桜の木育つ待つや一歩一歩歩む

この道を今日も歩みつ年暮れぬ一本一本根付く木かな

川の面に冬の日まぶし鴨の群れ相寄りにつつなごみて暮れぬ

我が姉と母しもなおも我を見む寒き日なれ熱き茶献ぐ


今年も終わる、流星は秋の季語になっている、でも冬にもみかける、今回見たのは冬である、一週間前くらいだった、冬の方が星がきれいに輝く、冬流星としたが流星で冬の季語にもなるのではないか?
動乱の時代に早死にした若い人がいる、明治維新などがそうだった
でもそこにも瞬時であれ光芒があり命が活きたとなる
街一軒の自転車屋の人も死んだ、自転車屋はこの街から無くなったのは淋しい
流星のように消えてしまったとなる
だからまだ喪の期間であり新年を祝うのをたらうこともある

冬銀河となると星となると無数の星があってもその一つ一つは無益なものがない
そもそも地球にも自然には宇宙では無益なものはない、石一つでも意味がある
でもなぜか人間は無数の人間がなぜ死ぬのかもわからない、無数の人間が無益なことにその労力をそそがれる、これが一番の謎である
戦争でも権力闘争でも何千万と死んだとかそれは何なのだろうとなる
そうなると人間の命は何なのだろうとなる

河岸の桜の木はまだ大きく育っていない、でも一歩一歩歩む、やがて大きく成長して桜が満開に咲く、でもその先が長いのである、だからもうこの年になると大きくなった桜の木は見れないとなる
残念なのは原発事故の避難区域になった所である、そこでも桜並木があり桜は咲く
でも人が消失した、残っている人は少ない、木が成長するには50年とかかかる
それだけの時間で育ったものでありそれは町の人々とともにあった
つまり桜の木で成長して満開の桜を見るには時間がかかるのである
その木でも人とともにあった、でも人が消失したときその桜の木も活きてこないとなる

ともかく人間の生は一歩一歩歩むことである、それしかない、冬だと静かに歩む
そして大地とも一体となるのである、だから冬はかえって大地の力を感じる
それで冬はふゆで増えることだったのである、冬に野菜がかえって育つことがあり冬となった、それは実地の農業から生まれた言葉だとなる

今年も災難だった、地震だけは恐怖だった、未だに家の中がかたづいていない、片づけられない、まだ家を修復していない家がある、それだけの被害だった
そもそもなぜこんなに災害が多いのか?それが疑問になる
今回は隣の原町は被害が少なかった、相馬市とか鹿島区は被害が大きかった
もう災難はごめんだとなる、平和でありたいというとき戦争がなくなってほしいとかあるても自然災害もなくなってほしいとなるがこれは防ぎようがない
地震は防ぎようがないのである、そしていつくるかわからないのである
来年はどうなるのかいい年になると予想する人はまれである
経済的にもっと悪化する、人々に余裕がなくなることも問題である

余裕がない人は困った人を助けることができない、自分のことで精一杯になるからである私が介護で苦しんでいる時来た人はみんな余裕がなかった
だからさんざんな目にあった、大金は盗まれるとかいろいろ責められたのである
それはみんな余裕がないからそうなったのである
余裕がない人はそもそも人を思うこともできない、自分自身のことで精一杯だからであるだから意外と余裕がなくなる社会は全体的に殺伐としたものになる
それが怖いのである、そうは言っても人間は希望をもって生きねばならない
どこまでも希望をもって生きねばならない、今世でだめなら来世へ神の国へ行くことで希望を持つのである、人間はなんらか希望がなければ生きられないのである

今年もプログを書き続けた、書くネタがなくなることはない、でもwin11に移行するのがめんどうである、何かめんどうなことをしたくなくなった、家事に追われているしめんどうなことをしたくないのである、でもどうにもならない、これは変える他ないからである
来年も頑張りますのでよろしく、良いお年を・・・

2022年12月30日

肥料で苦労してきた農民−農業を知らないと歴史をわからない (田舎でも農業を知らない人が増えた)


肥料で苦労してきた農民−農業を知らないと歴史をわからない

(田舎でも農業を知らない人が増えた)

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歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし (週刊朝日ムック) ムック – 2022/12/6


業で一番大事なものは肥料である、肥料で苦労するのが農業である、そもそも農業自体の起りが森の木を焼き払って灰にしてその灰を肥料にして畑を作り野菜を作ったことに由来している、だから肥料がないと農業は成り立たない、其れでイワシが肥料になったのもそのためである、イワシは人が食べるものではなく肥料になった
そのために北海道で大量にとれたイワシが全国に肥料として売れた、それは松前から船で運ばれたのである、相馬藩でも松前まで船で行きイワシを積んできて買って肥料にしていたのである、米を売ってイワシの肥料を買っていたのである
それから肥料は落葉とかでも肥料になる、草も肥料になる

それで右田の農家の人はそれを馬車で運んでいた、橲原(じさばら)とかに山を所有していたのである、今は津波でその人が住んでいた家がなくなった
だから街内の団地のような所に住んでいる、また橲原とかに土地を持っていたからそこに家を建てた人もいるようである
小さな畑で野菜作りした人は角田まで行って鶏糞を買って肥料にしていた
その鶏糞を私の庭にも利用した、花でもやはり肥料がないと育たないのである
日本の地名で焼畑地名が多い、飯館村の佐須村の佐須は明確に焼畑地名である
そこに山津見神社がある、これは安曇族が入ってきて証拠である、安曇族は海人族であったが焼畑の技術ももっていてそこに土着したのである

肥料なくして農業はなし・・・・・・・

ロシアとウクライナで戦争があり肥料を輸入していたが入らなくなったことが世界的に影響した、日本でも影響して農産物が高くなるということがあった
肥料というとき今は化学肥料になる、それが入らないと農業が成立しないのである
農業とは肥料を作る苦労だったともなる

近くの街中の農家の婦人は人糞を取りに回っていた、それを子供の時見ている
汚いものだがそれを汚いとは見れないものだった、なぜならそれを肥料として食料としていたからである
江戸でも回りが農民であり肥料をとるために人糞を取りにきていたのである

隅田川の由来

「すみだ川」の名が登場したのは、西暦835年のこと。当時の政府の公文書に「住田河」と記されています。この「住田」が、どのように読まれていたのかは定かではありませんが、川の三角州に田を作ったという意味で「すだ」と呼ばれていたと考えられています。その後、平安時代の伊勢物語では、「すみだ川」という歌が詠まれ、すみだ川の名が全国に広まっていきました

「隅田区」の広報

地名とはこのように人間の生活に密着して名付けられる、詩的に美的にとか名付けられないのである、人間が生活するために田が必要であり米が必要だからこそその名がついたとなる


ある年に土地の半分を植え、残りの半分を休ませ地力を蓄える二圃式農業は古代世界では非常に一般的でした。ヨーロッパではこのような休閑による地力の回復の他にも、家畜の糞を藁と混ぜて発酵させてつくる厩肥(きゅうひ)が広く用いられました。 また、石灰肥料や緑肥(刈った植物を畑に混ぜ込む施肥)も行われました。

江戸時代の重要作物は関西の木綿と関東の桑(養蚕)で、品質と生産量を安定させるために多くの肥料を必要としました。当時重要だった肥料は菜種油粕と魚粕。菜種油粕は行燈の油として利用した菜種油の粕。魚粕はイワシなど採れすぎた魚の再利用法でした。

大阪では、家主は借家人の固形物の権利を持っていましたが、価値の低いとされる小便の権利は借家人が持っており、それぞれ仲買人に売ることができました。18世紀初頭では、一年の10世帯分の糞尿は、半両以上で取引されていました。

大阪では、家主は借家人の固形物の権利を持っていましたが、価値の低いとされる小便の権利は借家人が持っており、それぞれ仲買人に売ることができました。18世紀初頭では、一年の10世帯分の糞尿は、半両以上で取引されていました。

値段が高騰すると仲買人同士の喧嘩や論争も頻発し、貧農が糞尿を買えず盗みに走り罰せられるといった事件も頻発しました。

8世紀のイギリス、刃物の町シェフィールド。

この町では刃物の柄に動物の骨を利用しており、加工の時に削った骨くずが大量に生じて工場主は処理に困っていました。そんな時に誰かが骨くずを失敬して自分の畑に撒いてみたら、なんと作物がよく成った。それが噂で広がり皆が骨くずを欲しがるようになりました。こうして骨粉が誕生しました。骨粉はリン酸を多く含み、植物の生育を促す働きがあります。

 肥料の歴史"農業の始まりから化学肥料まで"
https://reki.hatenablog.com/entry/211105-Fertilizer-History



地力が失われるのでこうなった、土の栄養分が失われるから肥料を貯えさせてまた使う方法である、これも農業では肥料が大事なのように土が基本であり土を肥やさない限りできないからである
こうして農業から文明が生まれたのである、それまでは狩猟採集であり定着できないが
肥料を作る、土地を肥やすことをして定着できて農業が発展してそれを基礎にして文明が生まれたのである
骨紛とかでもそうである、何か肥料となるものを農業では常に探していたのである
今は化学肥料となり鉱物から取り出されているのである

いづれにしろ歴史とか社会を知るにはやはり農業が基本になる、農業は欠かせない食料を生産するのだからそうなる、食糧危機になるとか最近騒いでいるのでもわかる
外国から入らなくなりそうなることで不安になる
中国ではそうして飢饉になれば政権が変わる、革命になる、だから食料を供給できなくなったら人民に襲われるという恐怖が歴史的にある
14億の人間を食わせることが第一になりそれが政治にもなる
田舎だと回りが田畑だから農民が多いし農業で生活しているように見える、でも実際は今は農民は一割にもみたない、みんな会社員なのである、だから意外と農業のことが田舎でもわからなくなっている
農業でも実際にたずさわってみないと実感としてわかりにくいのである
でも肝心なこと農業がわからないとういことがある、すると農業が軽視されて跡継ぎもいなくなったとなる
浪江の電気工は原発で働いていた、だから浪江が廃墟のようになっても周りの田畑が草ぼうぼうになっても関心がなかった
何か補償金もらってみんな喜んでいると言っていた、これは明らかに農業で生活していないし実際は全体でみても少数者になったからそうなったのである、農民が八割の時代はそういうことはありえないからである
それは生死にかかわるからである、天皇が皇居で田植えしたり養蚕をしたりしているのはやはり農業中心の社会がありそれが継続して行事となっているのである

そして正月の行事でも実際は農民の行事であり正月は豊作を祈る時である、でも農民が全体の一割とかなるとそうした正月行事も
なくなってゆく、別に餅は正月に食べていたがいつでも食べられるから晴れの日はなくなったのである
ただ正月とは年が変わるというだけで何か晴れの日としての楽しみでもない、紅白歌合戦が国民みんなで見るというのもなくなりつつある、年代的に音楽でも何でも多様化しているから国民的行事とういのは消失しているのである
でも歴史をふりかえるときやはり農業が基本にあるからこれを知らないと歴史もわからないのである

御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば  
                          海犬養岡麻呂

基本的に人間が栄えるというとき自然と切り離しはありえない、それが原発事故でわかった
生活の基本となるもの水でも土でも森でもさらに空気まで放射性物質に汚染されたら生きることもできない
住むこともできなくなったからである、科学技術文明の危険がここにあった
最近持続可能社会がSDGsが言われるのはそのためである

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原町区の北泉の残された碑−ここは延命地蔵を祭っている
延命地蔵とはやはり長生きを望んだからである
正月と記されている、正月がやはり特別な日だから記されたとなる

 

2022年12月29日

郷土史とは何かー支配者ではない庶民を語り残すこと (街一軒の自転車屋の死で考えたこと―庶民が歴史に記される時代)


郷土史とは何かー支配者ではない庶民を語り残すこと

(街一軒の自転車屋の死で考えたこと―庶民が歴史に記される時代)

●インタ−ネットで郷土史を各自追求できる時代

郷土史とは何かとなればそれは狭い地域であっても広範囲でありそれで理系も課かわてくるので私は文系であり地質学とか科学に弱いから語れないことがあった
地質学というときそもそもどうしてその土地が成立ちどういう土地なのか知ることであるそれで最初は日本全国を旅して「地名」に興味をもったことが自分自身の大きな歴史であれ郷土史であれ関心を持ったのである
どうしても学校の教科書で教えられたことは興味が持てなかった
でもだんだんと郷土史というより郷土学のようになり今は相馬新報とかなった
そこで書いているのは広範囲だからそうなった、今があり昔があり時間軸と空間軸と郷土を放送する、それはインタ−ネットができてホームページとかプログが個々人でもメデアを通さなくても発表できることになったのが大きかった

それでメデアが今までも新聞とかテレビに独占されてどれだけ力を持ったか知った
報道する力は実は大きな力を手にした、権力を手にしたことなのである
これまでは新聞であれ雑誌であれ本であれメデアをマスコミを通さなければ知らせることもできなかった、つまり報道することは権力を持っていないとできないことだったのである、だからこそマスコミは第三の権力となっていた
そこで宣伝してもらえば商品でも知れ渡り売れるとかありまた人でもマスコミに出ただけでたいした人物でなくても知れ渡り議員にもなれるとなった
それで「青島だ」とかふざけているのかそんな人でも東京都知事になったのである
それはマスコミの力でありその人の能力ではなかったのである
メデアは仲介するものでありその仲介するもものが力を持った、そのメデアに出るにはメデアの許可が必要でありそれはまた権力を持たない者は出れないし発言もできなとなっていた

でもインタ−ネットだと一応誰でも手間であれ発言はできなる、それは大きなものとならないにしろ発言はできる、ただインタ−ネットだと本当に誰も読まないということが普通に起きる、膨大な人がプログを書いているからそうなる、そこで目立つのは極少数になってしまうのである
だからいくら発言が自由になったとしても必ずしもそうはなっていないのである
膨大な数の中に重要な発言でも埋もれることが普通にある
だからネットの世界で目立つことは至難なのである

ともかくインタ−ネットの特徴としていろいろあるにしてもその人の住んでいる場所が基点となり発信する、ということは郷土史とか郷土学と密接に関係するのである
さらにその郷土の狭い範囲で基点になるのはその人が住んでいる家なのである
郷土史は家の歴史からはじまる、歴史そのものが家の歴史なのである
聖書もそうである、日本でも天皇家の歴史が歴史となっていることでもわかる
家は先祖がいて祖父ー父ーと系譜があり一軒一軒が郷土の歴史なのである
ただその中でも古い家はその土地に代々歴史を刻んでいるからそこを中心としてみる
野馬追いに出る家は歴史として保存対象にもなっていて野馬追いの場合勝手に旗印を作り行列に出れないのである、正確な歴史の再現でありハロイーンとかの馬鹿騒ぎとは違う
そもそもそれは日本の歴史とも何ら関係ないのである
祭りというとき小さな村でも代々伝えられたものがありその再現だから歴史的意味があるその歴史を伝えるために祭りがある、そこに祭りの意義がある

●郷土史はそれぞれの家から始まる

いづれにしろ郷土史は郷土学は家の歴史から始まる、私の父のことを書いたが他にもどうしてその家が成立ったのか自分の場合二代目にしろそれでも歴史なのである
只野家とかなると南北朝までさかのぼるから古い旧家だから違っている
そして意外とそれぞれ住んでいる場所が古くから人が住んでいた、この辺ではもともと農民が中心に住んでいた、だから街とかあってもそこは農家が多かったのである
町というとき宿場町でありそれも農民が参勤交代の時に臨時に侍を泊めるものとしてあった、それで双葉では長塚宿があり新山宿があったとなる
交代で村の人が接待したとなる、双葉町という地名は明治以降できた町名である

それで私の家の近くの神社に文明時代の碑がある、また法印の山伏の墓もある
ここに天明の碑があるということはここも古いとなる
まず江戸時代の碑には注目する、天明は飢饉の年でありこの辺でも何らかの影響があったでも街だと明治以降になると農民ではなく商人とか職人が移り住んだ、農民がいてもそっちの方が多いとなる、でも依然として街から二百メートルくらい離れた場所に田畑が広がりそこには農民が住んでいて農民の付き合いが代々ありよそ者は住みにくいということがある、小さな町でも外から住む場合そのことを知るべきだとなる
そもそも農民共同体としてあり街内でも農民がいて他所から来た人も住むようになった

郷土史というとき相馬藩政記があり相馬藩は代変わりしていないから外の人も参考にしている、相馬藩は六万石でもそれなりに大きい藩でありごからこそ伊達藩とも対抗できたともなる、第一相馬野馬追いの壮観を見る時そうである、なぜこれだけの行列が歴史に基づいてできるのかとなる、相馬藩は300藩あった江戸時代に60位の格があった
それなりに大きいというのでもなくても中堅の藩だったとなる

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●地歴として郷土史、郷土学

ともかく郷土史でも空間軸があり時間軸からみる、空間軸から見るのは比較的わかりやすいのは今でも空間自体は地理自体は変わっていないからである
でも地理でも福島県の地理でも簡単にわからない、地理は車とかで行ってもわからない
土地の高低差などがあり体の感覚で知らないと体得できないからである
私は自転車で相馬藩内なら回っているから体で知っているとなるそれでもわからない所がある、空間でも知るのは容易ではない、会津になったらもうわからない、山また山である二千メートルの山がひしめいているからである
また空間だと地史とも関係している、地歴というとき地理であり歴史を合体したものである、だから地史というときもそれは日本列島がどうして成立ったかまでさかのぼらばならない、とういうのは阿武隈山脈は高原は意外と古いのである
それで地盤が安定しているから放射性廃棄物を地下深く埋めておくのに向いているとか言われたのである、そういうふうに地歴を知ることが郷土史でも不可欠なのである

そして時間軸で見る時、これも重要だった、なぜなら400年前の慶長津波のことが相馬藩政記に二行だけ700人が生波(いくなみ)−津波で溺死したと記されていた
これほど重要な記録はなかった、でも学者すら知らなかったのである
これは大問題だったのである、なぜならこの辺には津波は来ないとしていたからである
だから津波のことを三陸のように警戒していなかったのである
そして相馬藩政記でも戦争のことはことこまかに記している、どこどこで戦争があり誰が死んだか誰が活躍したとかはこととこまかに記している、つまり戦国時代では庶民のことは話題にならない、支配者の侍の関心は戦さにあったからである

特に相馬氏は騎馬軍団を率いてこの地の支配者になったからそうである
土着した豪族と衝突して争いになり戦争になっていたからである
相馬藩政記の主流となるのはその戦(いくさ)のことである
庶民のことではない、だからこそ津波で700人溺死したことは大事件でも二行した記されていなかったのである
今だったら絶対にそういうことはない、いろいろ記録が映像でも残される
私自身もデジカメで写真をとってプログで放送したからである、その時はアクセスが相当あった、関心が震災や津波や原発事故でここに集まったからである
確かに福島民報や民友とか福島テレビとかでも放送した、でも個人で放送したということの意義は大きかったのである、そんなこと今までできなかったからである
それは明らかに全国の人達が見たのである

なぜ相馬藩政記で400年前の津浪の被害を二行しか記されなかったのかとなれば侍が支配者であり庶民は発言することもできないし記録にも残せなかったのである
何らか残っていいと思う、正式に紙に記さなくても伝説とかでも語りでも伝えられていいとも思う、でも紙に記すにしても紙が必要であり文字も書かなければ残らない
紙は紙漉きであり相当に貴重なものだから庶民は使えないものだったともなる
つまり記録することは金も必要だったし文字も書けなければならなかった、それがその時代に庶民にできなかった、侍にはできていたのである
ただ江戸時代の後半になると読み書きソロバンを寺子屋とかで習った
それで識字率があがった、その頃になると庶民でも記録することができたとなる
でも実際は侍が記録していたのである
もしその400年前に庶民でも記録することができたらその津波のことを記していたらそれは貴重なものになった、そして後世に伝えられて今回の津浪も警戒して被害をが少なくすんだともなる

●記録されるのは勝者であるーこれからは一庶民が歴史にその功績が記される

要するに記録することでも発言することでも現代でも放送することは権力を持たないとできないのである、そうなると庶民が直接発言するのではないから必ず歪められるし重大なのことも放送されないのである
そして狭い地域となると余計に報道できない、例えば福島県でも広いからである
地理的に広く中通りとは浜通りとは阿武隈山脈でさえぎられて地理の一体感がないのである、会津にしても地理的には隔絶した地域でありわかりにくいのである
福島県を一つの国と見ることは地理的にはむずかしい、地理的一体感がないのである

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(隠された社一つが語るもの)
http://musubu.sblo.jp/article/189970774.html

こんな所に隠されて社がありそれも相馬氏の戦勝記念の社だったのである、これでもわかるように相馬藩では相馬氏の戦(いくさ)のことを相馬藩政記でも事こまかに記しているでも津浪の被害のことは700人溺死で二行だけしか記されていなかった
だから歴史とは何かというとき支配者の歴史だとなる、それは全国規模でもそうである
一地域ですらそうなのだから日本の歴史とは支配者の歴史でありまた世界史でもそうである、アメリカは覇権国となったとき世界史はアメリカの歴史であり日本はただ悪者にされるだけだとなる、歴史とは勝者の歴史であり敗者の歴史ではないのである
ただこれからの歴史は民主主義となりプログなど誰でも発言してyoutubeでもテレビ放送もできなるようになった、その時郷土史でも興隆することになる
なぜなら郷土史は地元の人は読むにしても外部の人は余り読まない、関心かない、でも
誰でも発言できて表現できて放送できるようになることは庶民が権力を持ったことであり民主主義の促進にはなる
私がホームページからプログですでに20年とか発言している、それも今や一つの歴史ともなる

何か古い本を整理していると30年前とか買った本が多くもっと前のもありそれが何なのだろうとみる、そして著者がすでに死んでいるのも多いのである
この人も死んでいると本の著作者を見ると不思議になる、死んだ人を知るのは残された本しかない、あとは分らないのである、でもプログとかでも記録が残っていればそれも死者の残した物として参考になる、それで都築氏はプログにだけ書いて死んだのである
そのプログの記録も消していいとして著者が消したのである、するとその人の残した物は消えたともなる、これも問題だった、本だったら残り誰がが読んで参考にすることがあるそれができなくなったからである

郷土史というとき近くの自転車屋が死んだことはショックだった、そこは町に一軒しかなくなった自転車屋だったからである、それも郷土に懸命に生きた人として郷土史に刻んだ人だったとなる、それが死んでから余計に感じた、それで私は詩を献げたのである
郷土史に記される人だったとなった、相馬藩政記なら記されない、もちろん国史にも記されない、でも郷土史となると郷土に懸命に生きたものとして歴史を刻んだものとしてけ記されるとなったのである
民主主義とは平民の時代であり平民が主役になる時代である、だから庶民が歴史に記される、庶民が歴史を作るともなる時代である,そこに郷土史を郷土学の意義があるとなる
柳田国男の功績は文書だけに記されたものではない口碑で口伝いで庶民に伝えられたものを掘り起こして新たな民俗学を起こしたことである、時代によって新しい学問が起きる、脚光浴びるのも違ってくる、侍の時代は侍になるのが民主主義の時代は庶民がキ脚光をあびるとなる、ホイットマンが讃えたのは平民だった、労働する平民だったのである、ヨ−ロッパのように貴族はいなかったからである、それで皇帝も貴族もいないからリンカーンのように丸太小屋から歴史が始まったからそうなったのである
この時は大衆は存在しない、民衆が存在していたのである、それが讃えられたのである
アメリカは平民によって民衆によって作られた国なのである、でも今は格差が極端でありそれが失われたとなる
巨額な金をもった一部の人がいて支配する国になった、そこには建国時代の開拓者魂とかはなくなったのである

今年も終わりだが地震で散らかった本をまだ整理していない、障子も直していない、他でもまだ工事をしているとかあの地震の被害も大きいものだった、今年で一番印象に残ったのはあの地震だった

来年はどうなるか、いい予想はない、暗黒時代の継続になるとしている
近くの自転車屋が死んだことは年の暮でショックだった、その衝撃で新年を祝うとういこともそがれた
でも来年もがんばるほかない、コメントもできなかった、整理とか何か家事とかいろいろ忙しくて追われてできない
今まで書いたもの詩なども整理しようとしているができない、整理するだけで大変な作業になっている

では良いお年を・・・






2022年12月28日

精神障害者を持ち苦しむ家族 (発達障害者と認知症の似ていること)


精神障害者を持ち苦しむ家族

(発達障害者と認知症の似ていること)




Aさんから毎日聞かされる過去のことに対する愚痴や、めぐみさんに対する罵倒・被害妄想は、めぐみさんの子どもたちがいてもお構いなしで続いていたそうです。時には暴力を振るうようなこともあったそうで、めぐみさんは「もう限界だ、少しでいいから家族だけの時間が欲しい」と思い、引っ越しを決めたと言います。

、AさんからSNSを通して誹謗中傷を受ける日々がはじまったそうです。書かれている内容は事実無根だったそうですが、「SNSで障害のある姉を捨てた妹、いつも妹ばかりずるい、と発信するんです。どんどん投稿が増えていくと、精神障害があるからしょうがない、では片づけられない苦しい気持ちになりました」と言うめぐみさん。ある日ついにストレスで左耳が聞こえなくなってしまったのです。

精神障害者手帳を取得した現在も、両親はAさんが障害者になったことを認められず、福祉のサービスの利用を拒んでいるといいます。支援を受けてこなかった中で、両親が過剰な期待を寄せてきたのがめぐみさんでした。

「障害がある姉を家族やみんなで支えなければ、という気持ちはわかります。でも、障害者だからなんでも許されるわけではないということもわかってほしいと感じています。私の人生は姉の面倒をみるためにあるわけではないんだと、姉にも両親にもわかってほしいんですけどね」

「姉妹なんだから支え合って」と言われても…精神障害のある姉を10年支えてきためぐみさんの決断


この人と私が接した発達障害を持った家族と同じだった、兄の世話を弟がしていただが
兄の悪口を常に言っていて弟はなぜ私が世話しているのに悪く見られて責められるのかと何度もくどいていた、
精神障害者をもつ家族は家族が身内が一番苦しむのである
それは私も認知症になった姉を介護して経験しているからである

母親にしても終に自ら脳梗塞になりもう世話できないと匙を投げた、というのは弟が母親を苦しんで世話するようになんたからである、金銭的面でも援助しているから弟の言い分を聞かなければならないとなって発達障害の息子をもうめんどうみれないとなったとなる50歳までめんどうみて苦しんできたのだからそれが冷たいとはならない、限界が来たと言える
自分自身が脳梗塞になって苦しんでいても発達障害の息子は介護もできないからである
まず書類など書けないし福祉関係者の人ともまともに応対でなきい
そうなると母親も匙を投げたとなる

でもどうも精神障害者がいろいろあっても認知症の介護をしたので似ていると気づいた
発達障害者の人も家族を責める、特に弟のことを責めている、でも弟は金をだして風呂を作ってやったとか金銭的な面でも援助している、だからなぜ自分だけが悪く言われて回りでもそう見るのかとなって不満になった
母親が脳梗塞になって母親ももうめんどうみきれないとなった
一時は施設に入ってもいたが嫌だとして出た、母親が施設に入った方がいいと言ったら怒ったという、でも発達障害者の人と協調できる人はいないともみる
ただ福祉関係の人は障害者の味方になるという、だから不思議なのは認知症の人が警察を呼ぶぞというのは福祉関係とか警察が家族から責められる時守ってくれる人と見るからかもしれない、その辺はわかりにくいが認知症との共通点はある

何かそれは自分自身を防衛するためにそうているのかもしれない、障害があることでまともにあつかわれない、そのことに不満がある、そして自分自身はその障害が何なのか意識できない、だから自分は常に不当な扱いをされていると回りに訴える
それを聞く人が福祉関係者でありとがめられるのはかえって家族だともなる
認知症でも盗んだと責められるのは一番身近な家族だからである
その発達障害者も常に弟を嫌っていて盗むと言っているからである
ただ認知症のように極端な物忘れはしていない、銀行から金を下ろすことも知っている
そして金に敏い、金になることは金の計算がまともにできなくても敏いのである
欲もありその欲を金で得られるから抜け目ないという

そういうことは認知症の人もそうなのである、自分自身は悪いと思っていない、
回りの人が悪いと責めるのである、その心理はどこから来ているのか?
おそらく自分に障害があることを認めない、私は社会で一人でもまともに生活できる
誰かの世話になることもなくできる、そして自分自身に対して自分の言うことを聞かないと敵ともみなし責めてくる、それは認知症の人にもある、性格によって違ってくるにしろ何か共通していることがある、
自己防衛本能が働き他者に対して自分の言い分を拒否されると敵とみなして攻撃する
それがここでは弟なのである、そうでなくても家族が敵となり攻めてくるのである
それで世話する人がなぜ自分自身だけがここでは妹が姉の世話ばかりして他にできなくなるのか?それで遂には突き放すようになる
第一そうして世話しても感謝などないからである

そして親の認知症と違うのは親というのは子供に尽くしてきた、人によって違っていても親は子供に尽くしてきた、だから世話しなければならないという気持ちがある
私の場合は特殊な事情で特別世話になったから家を支えてくれたから恩返ししなければならないと自ずと思っていたから苦しくても世話するのは当然だと思っていた
それより自分自身しか世話する人はいなかったのである
では兄弟とか姉妹とかなると別に世話されたわけでもない、むしろ障害者が特別扱いされることもある、母親は障害者ばかりに手をかけて他の兄弟姉妹にはおろそかになる
その不満が障碍者をもった家族に常にある、ただ障害者でなくても兄弟でも姉妹でも
みんなに親が良くするわけではない、一人っ子の場合はそういうことはない
だからこそ介護になると一番良くされたかわいがられた人が介護しろとなるのである
これも当然だとなる

とにかくこうして遂に母親でも匙をなげた、するとこれから厳しいことになってゆく
回りでもそんなに悪口を言い自分の言い分を通すことを是認する人はいないからである
つまり世話になっているのだから何か悪口ばかり言って不満ばかり言っていることに対してそれを是認する人はいない、でも発達障害の本人は世話になっているとも思わないのである、だからこそ相手を攻撃して責めてくるのである
認知症にもそういうことがある、何か悪賢いということもある
外面はいいのである、最も親しい家族に対しては攻めてくるのである、つまり家族が悪くて自分は悪くないとするのである
だから福祉が味方だとなることがわかっていて家族の悪口を言う時福祉の人はそれを是認するから余計にそういうのかもしれない、だから不思議なのは警察を呼ぶぞということも認知症と共通している、警察は福祉関係者と同じであり自分の味方だと思っているからかもしれない、これは本当に謎である

精神障害とは発達障害者でも認知症でも似ていることがあると思った
でも根本的相違は認知症は別に優秀で社会に尽くした人であり家族に尽くした人でもあるでも発達障害者とか先天的精神障害者はそういうことはないだろう
幼児から世話をやかせて育った人もいる、だから親が病気になっても世話もできないのである、そうなれば親でも遂には見捨てるとなる
自分自身が介護される身になるからとてもめんどうみきれないとなったのである

ここで不幸なのは最も頼るべき親しい家族でも悪口を言い責めてきてかえって自分が損する、もし体の病気だったらそういうことはないだろう、親切に介護すればそれがわかる
だからありがたいと思う、でも精神障害者の場合はそれがわからないのである
そしていくら世話してもそれがわからずかえって責めてくる、悪口を言い自分は悪くないとする、それを福祉関係者が同調するとなる、だから罰せられるべき家族であるともなるそれで警察を呼ぶぞと言うのかもしれない、それも不思議であり謎だとなる
ただ心理的に解明すればそういうことなのかとみる
全く支離滅裂な精神病とも違う、その心理は理解できないことはないともなる

いづれにしろ発達障害が何なのかまだわからない、でも精神障害者を世話することはめんどうでありだからこ母親でも50歳の息子を自らが病気になってもうめんどうみれないと匙を投げたのである、どうしても弟に頼らざるをえないからである
その発達障害者は親の介護もできないからである、そうなれば弟に世話されるのだから
弟の言い分を聞いているほかないのである

私の場合は認知症になったとしても私は認知症になった人をたてていた
それは複雑な事情でそうなった、つまりその功績が大きいものでありいくら認知症になってもそれで捨てるわけにはいかない事情があった
だから死んでも篤く供養しつづけている、それだけ大きな功績が自分の家に尽くしたことがあったからである、でも幼児期から発達障害者になった人は50歳までただ迷惑をかける存在だったのである、そして世話しても感謝もないのである
またそもそも介護も世話することもできないのだから報いもないとなる
このことでいかに精神障害者もった親でも兄弟でも姉妹でも苦労するかわかる
それは認知症でも共通した面があるがやはり子供の時から一方的に世話するだけとなると報われることないし感謝されるたともないのだから辛いとなる
そのことは認知症で経験しているから多少は理解できなるとなる

おそらく発達障害者でも何か一芸に優れていれば社会でも認める、それで社会に適合できる、社会に役立つともなる、天才などは社会的には人間関係ではうまくいかなくても一芸に優れているからそれで認められるとなる
だから発達障害者は何か特異なことをできるようにする、そうすれば他の人も認める
そうなれば家族でもただ何もできない迷惑をかけるだけの人間とはみないともなる
もし一芸に優れていて収入もあったりしたら邪魔者扱いにもしないとなる
ただそれがみんなができるかとなるとむずかしい、社会不適合者でもかえってそういう人は特別優れた人でそうっている場合がある、天才ともなればとても普通の社会人として生きられない、平凡な生活はできないからである
ただそれはまれであり普通はニートであれ引きこもりであれそういう人ではない、ただの社会脱落者に過ぎないともなっている
第一天才自体まれにしかいないからである、それでも何かその人に自由を与えてあなたのやりたいことをやりなさいとなるとき自分のように旅ばかりして地名と地理とか風土に興味をもったようにその人なりのものを追及してそこで優れているともなり認められることはある、そもそも人間の才能とは多様でありそれを見出して伸ばせた人もまれだとなるからである



2022年12月27日

発達障害と認知症の共通性 (家族でも他者でも悪口を言う発達障害者は嫌われる)


発達障害と認知症の共通性

(家族でも他者でも悪口を言う発達障害者は嫌われる)


発達障害の人と接してその話を家族から聞いた認知症と似ている面があると思った
家族が母親でも弟でも世話しているのだがもう限界に来てその不満を言った
もう世話できないと言っていた
弟は何かと悪者にされるだけでありなんで自分が世話しているのにそうされるのかつくづく嫌になったと言っている
母親ももう世話しきれないとなったのは自らが脳梗塞になり倒れたからである
でもその世話はできない、世話は弟がしている、その一人の弟一人にすべての金銭的負担でもかかっている、そして悪者にされるだけだと嘆いていた

どういうわけか何か認知症の人と発達障害が似ていることがあると見た
というのはどっちも世話する人であれ他者のかかわりでその他者を悪く言うのである
世話する弟が悪者にされるだけだと嘆いている時そうである
感謝したりもしない、一方的に自分の言い分だけを言いそれが通らないと悪口を言うのである、極端になると警察を呼ぶとかも言っている
そして福祉でも基本的に障害者の味方をするので世話する家族でも悪者にされると嘆いていた、つまり障害者の方の言い分を聞くのである

何かそれは認知症でもそうである、家族を警察を呼ぶと騒いだのである
なんで警察なのかと不思議であった、自分が障害があることを自覚できない、相手が悪いと常に思っている、盗まれたという時も身近な人が盗んだと必ず疑い騒ぐ
他罰的なのである

自分が悪くない、相手が悪い、悪い奴をこらししめるべきだ

こういう感情になっている、一見障害者は常に虐待されているとか問題になる
でも世話する方が家族でも虐待されていることもある
その家族は50歳まで世話して母親でも脳梗塞で倒れたとかなり限界に来て今までの鬱憤をさらけだしたのかもしれない、母親を世話するでもない、世話はできない、実際は弟が世話しているからである
だから施設に入れることを考えている、つまり家族に見捨てられた状態になったのであるこれは認知症の介護と似ていた、認知症は脳と心の病になり性格まで歪んでしまったともなるからである
それは明らかに脳が異常化したのである、脳にアミロイドが蓄積されたとかで異常をきたしたのである

発達障害の原因はわからないがこれは50歳頃まで気遣いなことがあるという
これもわからないが変わった人で通っていたのかもしれない、でもその人は計算とか漢字が書けないとかあるが話すことは達者なのである、そこに異常性が感じられないのであるそして話している限りどこが異常なのかわからないのである
ただその人は自分は悪くないし世話になっているとも思っていない、身体障害者なら補助してもらえばそれでありがたいと感謝する、でも精神と脳の障害者はそういうことはないだから助けにくいのである

ただ認知症と似ていても違っている、認知症は病気になるまでは正常なのである
たいがい70以上とかから発症する、80代になり90代になりと増えて来る
でもそれは老化でも病気なのである、違うのは正常な大人として過ごした歳月が長いから大人としての常識がある、なにもかもわからなくなった訳ではないのである
いろいろあっても親切にする人のことがわかり感謝もする、私も介護していてそれがわかっていたのである、世話になっていることを自覚して感謝していたのである
そこが発達障害者とは違っている、母親が50歳まで世話していたのにそれがわからないのである、そのことが一番母親にとっては悲しいとなる、それだけ世話しても何も感じないできないとなるからである

認知症でも何か忘れたり心配すると言い訳をする、馬鹿になったとか思わない、極端に忘れることで笑われたりすると怒ったりする、ただ自分中心になる、自分が悪いとは病気だとも思わない、でも発達障害と違うのは正常な大人としてもそれも優秀だった人も多い
だから極端に脳の認識が低下したことでそれでパニックになる
そして私の家族の場合最後まで自分は優秀だったといって死んだのである
これも悲劇だった、そして認知症は必ず正気になる
どういうわけか死ぬときは必ず正気になる、これも不思議な現象である
何もわからないと思っていてもわかっている、正気になるのである
だから不思議な病気だと思う、正直なぜそうなるのかが理解できない
発達障害の原因が何なのかどうしてそうなるのか理解できない

この場合家族は匙を投げている、施設に入れるとかしている、一回は施設に入ったが出たという、施設にはいたくないと言っている、でも世話しきれないからそうするようになる素直な馬鹿ならいいが悪知恵が働くという、自分の有利なように他者の悪口を言いそれをそのまま受け取る人もいる、私もそうだった、話すことは普通だからである
何か他者を味方にしたいのだが何かと言うと悪口を言うから嫌われる
素直な馬鹿ではなく悪知恵が働く馬鹿というのがいるのも不思議である
それはある意味で悪魔的にもなるのかと思った、馬鹿に悪知恵など働かないだろう
でも確かに発達障害者は悪知恵が働く、自分を味方にしようとして他者の悪口を言っているともなる、これは相当に厄介なものだと思った

認知症の介護で四苦八苦したからある程度は理解できなるが発達障害となるとまた違ったものとなる、これは幼児期からわかるものがなりそこで適切な対応教育でもしていれば
ある程度は治るのかもしれない、ただ50歳にもなったらもう直すことはできないだろうだから家族も見捨てたということはその後は厳しいことになる、施設に入れられ監禁されたようにして暮らす他なくなるからである
つまり家族でも手に負えなくなってそうなるからである

この発達障害でも認知症でも実際はそれが病気とは認められていなかったわからなかった特に発達障害は50歳とかまで気遣いなことがあるというのも不思議である
とういうのは発達障害でも社会生活ができていたということがあるからこれも謎である
それならニートとか引きこもりも発達障害者であり発達障害者は相当数いる
それらが病気でないにしろ社会不適応者となる、その中に歴史に名を残した人もいる、
芸術家でもいる、だから発達障害とは何なのか不可解だとなる
発達障害でもある面で優秀で才能を発揮すればそれは障害でもないとなるからである
社会に適合できない人は普通にいる、自分自身がそうである、社会不適合者であり引きこもりだったともなるからである

ただ私は他者への同情があり相手の苦しみでも理解する、世話されれば感謝もする
それが発達障害者とかにはないのは何なのだろうと思う
認知症は世話されて何も感じないかとなれば違う、感謝の気持ちは大人の経験から持つのである、世話されていることがわかり愛情をもって世話する人があればそのことはわかってい感謝しているのである
それが発達障害者にないとなるとその人はなんなのだろうとなる
だから家族から捨てられることにもなる、その時その人は悲劇になる、その人も施設入ったことがあり知っている、でも家族でも悪口を常に言い、自分は悪くないとして責めている、そうなるともう誰も味方になるものがいなくなるから辛いことになる
ただ福祉ではあくまでもそうして障害者を味方して世話する家族の味方にならないというこれも何なのか良くわからない、家族全体をケアしないと障害者は治療もできないとしているからだ

【親への復讐】が生きるベースにあるので、
何をしていても、どこにいても、【親に迷惑をかける】という行動を優先します。

これの怖いところは、
お子さん本人が親への復讐を意識していない、ということです。
意識していないのに、すべての行動が親への復讐になっているんです。

あるプログラムを絶対に実行する、
人工知能のように、ひたすら親への復讐、または、誰かへの復讐、のために行動します


その発達障害の人は死んだ父親に子供の時殴られたとか必ず責めている、でも50歳までそういうのはどうかと思う、でも復讐心がありそう言っているともなる
俺がこんなふうになったのは親のためだとなる
それは別に正常な人でもそういう人はいる、親を恨んでいる子供は普通にいる
ただそれが執拗であり執念深く病的だともなる
自分は一切悪いと思わないからである、非があると思わないからである

正直発達障害は私を理解していない、ただ認知症は介護していたので理解している
そして同じような症状があるのだと聞いて理解した
認知症でも家族に物が忘れると家族が盗んだとして攻撃してくる
家族か攻撃の対象になる、悪者にされる、世話している弟がそうさせられて不満を延々と言ったことでもわかる、つまり認知症と症状が似ていることがある
いづれにしろやっかいなのが精神障害であり脳の障害なのである
身体障害なら心は通じるが心が通じないから問題なのである
そして障害者を多数殺した人は意思疎通ができないとして殺した、心が通じあえないとして殺した、でもそれは重篤な障害者である、発達障害者は話すことは普通にできる
だから重篤な人とは違う、ただやはり心が通じ合えないということがある
それが大きな問題でありそれで匙を投げてもう世話できないとなったとなる


2022年12月26日

人間の評価は死後に明確になる (自転車屋の死で考えたことー金で計られないもの)


人間の評価は死後に明確になる

(自転車屋の死で考えたことー金で計られない価値)


人間は生きている時はなかなかその人の価値がわからない、生きている時の価値はたいがい金で計られる、どのくらい稼いでいるかで人を見る、金を稼げない者は価値がないとなる、でも不思議なのは一旦死ぬとこの人はいくら金を稼いだかいくら金を残したのか
一千万残した一億残した十億残したとかで価値が計られるのか?
それは遺産をもらう人によって価値があるが他の人にとってはそうはならない
遺産をもらうわけではないからである

すると何が価値になるのか?それを近くの自転車屋の死で考えた
死んでその人の価値が明らかになった、なぜならこの町では一軒しか自転車屋がなかったからである、他に頼みようがないからである
何か隣の市で聞いたら断られた、自転車を買って日ごろから修理とか頼んだりしてないと受け付けないのである、商売だからそうなる

自転車屋が近くにないことはヤマハの販売店になっていたからヤマハの電動自転車のいいものを買っていた、そのチェーンがはずれた時、直しようがなかった、それはそれを直す特殊な道具が必要になったからである、それをヤマハの本店から仕入れるほかなかったのである、前はエンジンの不具合で全部取り代えたりもした
これができるのは本店と直接交渉できるからである
このように自転車屋か近くにないと困るのである、パンクは一番困る
それだけではないタイヤで規格がありヤマハで買った場合、ヤマハからタイヤでも仕入れることがある、だから自転車屋の場合近くにないと困るのである

その自転車屋の価値は一軒しか町になかったことで価値が高くなった
何か無医村とも似ていた、医者がいない村では医者の価値は本当に高いものとなる
病気は深刻だからである、でもこの辺だとまだなんとか近くに市があり医者はいる
そこに通えばいいともなる、今医者でも地方で問題になっているのは医者自体が高齢化しているのである、近くでは90歳まで現役だった医者がいた
現実にすでに60以上とかの医者が多いだろう、そして後継者がいなくなっているのである、また医者でも自転車屋でも若い人がいいというとき技術的に進んでいても老人はついていけないし遅れるからである、それも問題なのである

前は一万五千人くらい人口があり自転車屋四件くらいあった、その頃子供が多いしそれで成り立っていた、でも一軒となりその一軒も消えたのである
これはここだけの問題ではない、いたるところで起きて来る問題である
後継者がいないということである、農業でもそうである、ただこの町では経営としては成り立っていたろう
人間の価値とか決めるのはいろいろな要素がある、ここでは町に一軒しか自転車屋なくなったことで価値があがっていたのである
そして死んだ結果その価値がさらに明確になった、みんな自転車を使っている人は困るからである、それは鉄道とかでもそうである、無人駅化して困るとかある
それは日本がこれから起きて来る現象の一つなのである、縮小化してゆく日本で起きて来る現象なのである

だから人間の価値は必ずしも金では計れない、その人が必要なものであるとき必須ものとしてあるとき価値がある、その人がいなければみんなが困るというとき価値がある
それがここで起きたのである、あの人がいなくなって困ったとなったからである
その人は病気でも懸命に仕事していた、そこにも価値があった、それは一軒しかないからそうなったのである、他に自転車屋があればそうはならなかったからである
こうして人間の価値とは必ずしも金で計れない、でもすべては金で計られる
自転車屋でも経営がここでは成り立たないとなれば生きている内でもやめることがあるからだ、民間だとそうなる、でも只見線とかは莫大な復旧費がかかったけど県でも国でも出費して復興して再開したのである

ともかく一軒だけあった自転車屋の価値は死んで明確になった
ではその死を弔うのに供養するのに金をやればいいのか多くの金を死者に与えればいいのか?

それも実際は死んだ必要がないのである、なぜなら死者は何を望むのか?

金が欲しいのか?

死んだ死者が望むものは金でもなく供物でもなくその人自身の評価である
何を生きたのか、何を与えたのか、何の役割があったのかとかある
それは家族内でもある、私の場合は姉と母には自由に生かしてくれたので今でも感謝しして供養している、このように感謝されれば価値がある
でも別に死んだら金で報えることはできない、死者が望むものは何なのか
それは死者がしていたことを認めて評価してまたその遺志を継ぐこととかなる
それは金ではないのである、一旦死ぬと人間は金で評価されないのである
死者に報えることはその人の価値を認め評価して感謝することだともなる
それで自転車屋に献げる詩を書いたのである


お悔やみに行く

今日お悔やみに行ってきた、祭壇は大きなものではなかった、だから金銭的には苦しかったのかもしれない、それで病気の治療代もかかっていたこともある
お悔やみの金は実際は残された人には必要なのである
残された妻がこれからどうなるのかはわからない、娘の孫が来て騒いでいた
その孫は東京にいるから跡は継がない、他にも東京とかに娘が嫁いでいる同世代の親がいる、後継ぎがいなくなり空家家するのである、駅前の理髪店も廃業して家が壊されていた駅前の活性化とか言っていたがそう言っていた本人が死んでしまったのである



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2022年12月25日

原発再稼働の問題 (まず東京に原発を作るべきーそこが議論もされない)


原発再稼働の問題

(まず東京に原発を作るべきーそこが議論もされない)

電気料金があがるとかで原発は必要だと主張する、政府主導でまた原発を稼働させる
技術的にも改良したとから安全だという、そういわれても原発の被害にあった所では
ああそうですかとはならない、これだけの被害があったらもうこりごりだとなる
原発の問題を追及して来たけどそれは技術的な問題だけではなかったのである
もう政府が技術者とか御用学者とか官僚とか検察とか自衛隊とかが一体となって作られたものなのである
そしてその人たちが「安全神話」を作ったのである

実際はいろいろな不備があっても権力でごまかすことができた、その問題をないがしろにして官僚でも責任をとっていないのである、天下りした官僚は東電からもらった金を返却するべきだし財産没収しろというのもわかる
それだけの責任があったからである、でも実際はそうした責任をとっていないのである
マスコミも一体となり「安全神話」は作られたがマスコミも責任があっても何も責任はとらない、そこで利益を得るというだけだったのである

本当に一番欠けている視点は原発を東京に作れ!

そんなに安全なら電気でもたりないならその電気を一番使っているのは東京なのだから
東京に作るのが筋なのである、そして意外と東京は地形的に津波にも安全なのである
入江が奥まで入り込んでいるから海岸にじかに接して建ててある福島とかより安全なのである

でも絶対に東京には作れない!

東京では一千万人以上の人間が住んでいて政治家でもあらゆる権力が集中している
一千万人の都民が賛成などしないのである

だから東京には絶対に作れない!

だから福島に作ったのである

このことが問題だったのである

東京に作るなら賛成する、でもそれは絶対にできない、、それがおかしいのである
原発は必要だということはわかる、ならば東京に作れ、それなら賛成するとなる
それができないから原発は危険でも東京なら害にならないとして地方に作る
地方は財政的に苦しいから援助するから作ってやるとなる
でも事故になったら東京は安全であり地元は故郷に住めなくなったとなる
このことが最も矛盾しているし議論もしない、東京に作れということは議論にすらならない、それはタブーなのである
だから事故前に東京に原発を作れと言っていた評論家は正しかったとなる
でもそれは注目もされなかったのである、東京に作れるとういことこそ安全を証明するものだからである、東京都民一千万人を危険にさらすからである
でも絶対に東京には作れないのである、このことが原発の議論で欠けていたのである
東京の自分達の安全を計るが地方は犠牲になれとかでは納得できないのである

そして安全管理でも津浪が来たから事故になったのではない、技術的問題でもない
コストの問題でもあった、その時の社長はコストカッターとして社長に成りあがった人だとしている
本当は高い場所に建てる予定だった、でもわざわざ高く土盛りしたのを削って低くして
地下に電源を置いたのである、それで津波の被害にあった
地下に電源を置いたのはアメリカでは竜巻があり地下に置いていたからまねたのである
またアメリカ主導で作られたこともある、まだその時日本では原発のことを技術的に理解していないかったからだ、それで古いマーク1の原子炉をお古をアメリカから売りつけられたのである

それで湯川秀樹博士は日本ではまだ原発を作れる技術がないからまだ時期早々だと言っていた、でも無理やりに作ったのである、原発の問題は技術的な問題だけではない、モラルの欠如もあった、奢りもあった、10数メートルの津浪が来ると東電が頼んだ学者たちが警告していたのである、それも無視したのである
そこには様々な問題が指摘されていても無視したのである
それで東北電力の場合は副社長が10メートルの高さから津浪が来るとして5メートルを高く所に作った、それで破壊を津ねがれた、三陸では度々津波が来ているので危機感があったからである、女川原発ではそうしてぎりぎりで助かったのである

原発は地元であれ第一その内部も知ることができないし立ち入り禁止である
アンタッチャブルな場所になっていた、そこに危険があった、素人が立ち入りもできない場所になっていた、でも安全管理はずさんだった、配管などが老朽化して危険だとも内部の技術者が指摘していた、でもそれを上の人に言うこともできなかった
なぜなら東電の人には下請けの人は何も言えない、仕事をもらえなくなるからである
でも原発のことがすべてわからないということでもなかった
なぜなら

巻町では1995年2月5日には、計画の是非を問う自主管理住民投票[6]が行われた。これは条例に基づく町役場による実施でなく、町民有志が設立した「巻原発・住民投票を実行する会」が取りまとめたもので、原発賛成474票に対して反対9854票であった[1]。
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このような限界集落があるような所で良く反対できたと思う
素人でも危険と感じてそうできたのである、だから別に素人だからわからないから何もできないということではなかったのである

要するにアンタッチャブルになり立ち入り禁止になり住民はそこに何ら関係すらできなかったのである、でも一番被害があるのが住民なのだから住民に例えわからないにしろ説明すべきだった
でも事故を全く想定していない「安全神話」を作り事故は起きないとして受け付けなかったのである、その権力が政府から官僚から議員から検察からマスコミが一体として「安全神話」は作られたのである、そしてそれが津波で砕かれたのである
地元の人達はただ金をもらえばいいとしかなかったのも問題だった
生業を返せとか裁判して勝利したとしてももともと生業が何なのか、金にならないとしてやめたいとなっていたのである、でもやはり責任は政府と東電とか官僚にあった
「安全神話」が作られて事故が起らないとなれば事故に備えることもないとなる
実際は安全だと題目でも念仏でも安全、安全と唱えていれば安全だともなっていたのである、科学者集団でもそうなっていたのである、それは責任逃れだともなる
科学の時代にそんなことが通用するのかとなる

とにかく原発再稼働昨今の事情で容認されつつある、これも危険である

まず東京に原発を作れ!それなら容認する

でもこれは議論にもならないのである、原発を何基か東京に作れ、そうならば認めるとなる、しかしそれは絶対にできないのである
そこが原発が認められないことにもなる、安全ならできるからである

そして一度失った信用は簡単に取り戻せない!

人間個人でもそうであり会社でも国でもそうである、事故の被害にあった所ではもう信用できないのである、政府も官僚も検察でもマスコミでも信用できないのである
このことが重大なことなのである、安全だとか技術改良が進んでいるとかなんとか政府が言っても信用できないである、そもそも政府の決めることかみんな信用できるのかとなるとならない、それを原発では嫌というほど知ったからである

つまりに人間のやることに絶対はありえない、事故は絶対にないとは言えない

でも絶対に事故はないとか安全神話を作ったことが大きな罪だったのである

絶対と言えるのは神しかいないからである、人間には必ず不完全であり不備がある、それを認識するべきだったのである
それを隠してただ安全だけを言っていたのである
絶対安全だからとして安全神話を作り事故にも備えなかった、そして浪江町では一番危険な場所に津島の方に避難して被害を大きくしたのである、でも東電の社員が海側が安全だとして山の方に向かって逃げていたが引き返したのである
東電の社員は放射線がどういうものか知っていたらできた、てもそうして事故が起きたのことの備えをしなかったし知らせることもなかったのである
それは「安全神話」作っていたからである、事故は絶対に起きないものとしていたからである
それが最大の問題だったのである

posted by 天華 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年12月24日

今年の私の重大ニュース―災難は続いている


今年の私の重大ニュース―災難は続いている


●大地震の被害

●知人が脳梗塞

●盗難

●自転車屋の死

●win8・1のサービス終わる

今年の最大のニュースは事件は地震だった、また本でも片づけていないし障子も直していない、散乱したままなのである、本が多いからそもそも整理してきれないでいた
それからここではまだ屋根を直していない家もあるて地震で壊れたのを直していない
今年最大の災難は地震だった
東日本大震災以後またそれ以上に強い地震がきたのである
今回の地震も東日本大震災の余震だったのである、まだ余震がつづいてる
その大きなものが来たのであく

知人の脳梗塞には驚いた、日ごろから手が悪いとか目が悪いとかめまいがしたとか訴えていた、それは明らかに脳梗塞の前兆でありそれが事前に医者でも見抜けなかったのはなぜなのか、そのことを書いた
でも実際は二週間くらいで退院できるのをコロナウィルスを警戒して入院をしていたという、軽い脳梗塞だったのである、それでしゃべることは普通であり脳も正常であり
ある程度歩けていたのである、だからこれは回復すると見た

どういうわけか姉が死に母が死に一人になってから盗難が増えた
大盗難の被害もあった、それは近くの人である、今回もジャンパーがなくなった
でも置き忘れたのかと見た、中に財布がありカードなどがなくなったのでめんどうだったでも盗まれたように見えないのである
今度も100円ショップで買ったソーラー発電の人に感知して光るものが張り付けていたのがなくなっていた、これはそれなりに大きいものであり風で落ちたとも思えないのである、落ちていたらわかるだろう、遠くに飛ばされるとも思えないのである
どうも私の家に出入りしている人がいるという不気味である
そういうことを言う人が他にもいたからである

この問題は軽いようで軽くない、なぜなら通りすがりの人だったら後は来ない
それは金庫を開けられたプロの泥棒が入ってきたがその人は通りすがりでは一回だけであり来ないと見た、でも近くでねらって来ているとしたらまた来るから怖いのである
それも近くだから怖いとなる、いつも狙っているとしたら怖いのである
それも誰なのかと不安になるからである

街に一軒しかない自転車屋の突然の死にも驚いた
3日前くらいにタイヤ交換してもらったときいつまでつづくかわからないと言っていたがそれが最後だった
最後まで仕事をしつづけて仕事しながら死んだともなる
ここが貴重だったのは一軒しかないからである
それは無医村と似ていた、そういう場所では価値が高くなり貴重になる
原町まで行くにも大変だからである、そしていつも買ったり利用していないと自転車屋というのは受け付けないことがある、それで断られたことがあるからだ
通信販売ではいろいろあってもアフターサービスがないので利用できないのである

win8.1のパソコンのサービスが終わる、これもめんどうになる
でも危険になるから対処せざるをえない、これの問題は手間が相当にかかりめんどうになることである、新しいパソコンに移るのに時間がかかる
これもやっかいである、何かめんどうなことをしたくなくなったからである

ともかく今年も波乱の年だった、地震が一番怖かった、またこの歳になると知っている人が同世代の人が死んでゆく、自転車屋の人は66歳だからまだ若かったとなる
その後を継ぐ人もいないのである、それでみんな困っている
なくてならていものがありそれが無くなることは不便になる
無医村のようになってしまうのである、ただ救われているのはこの辺は近くにまだ5万とかであれ都市がある、でも自転車の場合は近くにないと困るのである
本当に一回は電動自転車のエンジン部分が買ったばかりで交換したのである
それからもう一台の高価な電動自転車もチェーンがはずれて直せなかった
それを直すのにヤマハの本店に直接聞いてそれに対応する道具を送ってもらって直してもらった、こういうことがあるから自転車屋がないと修理するできなくなり使えなくもなるのである、これも大きな問題だった

いづれにしろ今年も終わるがやはり様々な災難の厄払いをしたいとなる
でも簡単には行かない、来年もいい予想はないのである
何かいいことがあるようには思えないのである、でも知人の脳梗塞が軽くすんだということはいいことになる、でももう一人の親しい男性の家には行かないとなり切れてしまったこれも問題である、近くの人間は老後は大事になる、近くだと常に近くにいるのだから
遠くの親戚より近くの他人となるからである、現実に相馬市から娘が週に一回しかこない意外と近いようで車でも手間なのである、介護になったら毎日とか来ざるをえなくなる
となると会社勤めしているとできないとかなる
遠いというとき8キロでもその倍でも遠いとなる、これも問題なのである

とにかく人間は生きている限り災難から逃れられない、その人によってどこでもそれぞれに災難がある
病気であれ自然災害であれ盗難であれ様々な難がありそれから逃れられないのである
他人の災いを笑っている人や楽しんでいる人もいる、でも必ず他人に起ることはそうして関係ないとみていても必ず災いは
誰にでも起きて来る、順々にカルマは回ってくるのである
この世は地獄であり逃れられないともなる、死んではじめて災いが終わるのかとなる

posted by 天華 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月23日

介護は遠くになるとうまくいかない (近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)


介護は遠くになるとうまくいかない

(近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)

なぜかその人は父親の介護で青森の施設に行かされた、この辺で介護士とかたりなくて人手不足でそうなった、青森には仕事がないので介護などの仕事が多いからそうなった
地方の仕事が今や介護になっているのも多いだろう
でも遠いことでいろいろ不便があったみたいだ
何かたりないものがありその後も仕送りしていた、その人の収入は少ないからその不満を語った、兄弟三人いても一人は障害者だとかなりその人だけにまかせられたためである
介護は何か誰かにまかせられるのが多いみたいだ

兄弟がいても協力するということもない、というのは誰も介護をしたくないからである
でも親の遺産は欲しいとなりもめているのが多い
それで兄弟でも一番親に良くされた人が介護しろとなるのも当然だとなる
私のように一人だとそんなことを考えることもない、一人しかないのだから否応なしに面倒みるほかないのである、それで自分の場合一人孤軍奮闘する他なかったのである
でも他にいないし相談する人もいない、だから一人っ子は育つ時は恵まれていても親の介護では一人だけになり苦しむ
でもまた兄弟がいてもうまくいかない、娘がいると助かるから娘を持てというのもわかる男は介護が向いていないからである

なんでもその人は青森から地元の施設に移るために介護タクシーを頼んで9万とかかかったと言っていた、それもわかる、青森は遠いからである、でも青森の施設にあづけてもあずけたままにはできない、何かと連絡があり金を送っていた
書類のこともありいろいろ書いたりするから離れていてわからないので青森まで行くことがあった、これも大変だと思った、ここに大きな問題があった
いくら施設にあづけて何でもしてもらえるかとなるとそうではない、何かと後で必ず連絡がありそして直接書類を書いたり離れていてはできないことがある
だから青森とか遠くなっていたことが問題だった、福島県内とか宮城県辺りだとめんどうにはならなかったのである
だからどうしても余りにも遠いとなると問題になる

私の兄は静岡に集団就職してその後連絡があったとしても夫婦が離婚して児童相談所から子供についての連絡が児童相談所からあった、離婚したとき中学生だった
でも私の家で一回しか会っていないのである、結婚した妻の実家が近くにあり行き来していた、だから妻の実家に引き取られた、その後はその実家を出て東京に出た
そうして兄が交通事故で死んだ、でも何が起きたのか、何があったのか理解できなかった消息が途絶えたわけでもない、死ぬ前に自分の家にきた、それが最後だった
こうして遠く離れて暮らすと何かあったとき何が起ったのか、事情がくみとれないのである、だから遠くなることは介護とかなると向いていない、介護とはたまに合ってできるものではない、近くにいて毎日のように様子を見るとか介護するとかなるからである
それで隣近所とかが向いている、家の延長のようにしてあるからである
でも今は隣近所も何の仕事をしているのかわからない、疎遠になっている
時代的に孤独死が増えてくるのも身近でつながりが希薄化しているからである

それで意外と原町だと8キロしかないとしても毎日のように往き来していたらめんどうなのである、相馬市でも倍の距離があるからめんどうになる
週に一回娘が相馬市から来ている人がいる、近いようで遠い、車かあったとしても手間なのである、それで遠いと介護は向いていない、隣近所だったらすぐに行けるから楽なのである、そして今は兄弟でも娘でも遠くに仕事をもち女性でも遠くに嫁ぐ人が多い
すると遠いということは介護しにくいのである
介護に関しては今の時代はかえっていろいろそろっていても不利である
近くに住んでいないと役にたたないのである

自分の場合車がないので原町に大きな病院が相馬市にもあるとしても通うようになるとめんどうだった、車がないことは田舎ではこういうとき不便になる
でも介護というとき車があっても近くでないと不便であり手間になる
それで介護する人でも田舎だと車で離れた地域を一軒一軒回るのも手間なのである
何か厳罰避難区域の人が離れて住んでいて仮設で一緒に住んだら女の人は話し相手とか仲間できていつでも話せるから良かったとなっている
何かその時は互いに助け合うとか助けられる関係になっていたのだろう
でも市営住宅とかに住んでいる人達は別に助け合わない、それで隣に住んでいた人が半年くらい死んだのがわからなかったのである,電灯がついていたのでいると思っていたという、近くに兄弟も住んでいたがかかわらなかった
田舎でもこういう時代である、その住宅で親密に付き合うとういこともない
江戸時代なら人情長屋とかなっていたが今はそんなことないのである
都会のように無関心になっている、だからこそ田舎でも孤独死はある

その人は本当に8050問題の人だった、親が80歳になり介護する人が50歳になっていたからである、ちょうどそういう年齢になっていたのである
団塊の世代が75才以上になり子供50歳とかなる、母親は72歳で脳梗塞になった
でも軽かったからしゃべれるし歩くこともできたから軽かったなと不思議だった
その息子が一人介護をたくされた、でも朝5時に出て建築工事現場で働きにでている
別に家で介護しているわけではないから苦しいにしてもまだ仕事はできる
でも仕事ができなくり会社を辞めて収入がなくなり困窮している人も多い
金もかかるから働かないと収入がなくなりこまる、でも自宅で介護するとなると会社をやめざるをえなくなるのである
これも大きな問題でありそこで悲劇も起きて来る、原町で認知症の母親を介護している息子が殺した事件がそうだった、オムツとりかえるとき母親が騒いで殺したという
それもわかる、認知症の介護は一番過酷だからである、それは自分自身も経験しているからわかる

とにかく8050問題は深刻である、団塊の世代は数が多いからである、その数の故に負担が増大するからである、そこで悲劇が起きてくるのは目に見えている
家族遺棄社会にもなる、なぜなら自分も経験したように家族だけでめんどうみるのは限界があるからだ、それでもう家族でも捨てた方がいいとなる
息子娘でも今は日本が貧困化して金銭的にも余裕がないからである
そして金だけでも解決しない、人間の手間がかかる、誰かがつききりでめんどうみないといけない、それで会社を辞める人がいる、でもそうなると収入がなくなり追い詰められるとなる、そういうふうに追い詰められる人が膨大に増えて来る
その人はまだ母親が軽い脳梗塞ですんだ、在宅で介護するにしても楽である
でも金には余裕がないから不満を延々と言っていた

私の場合は不満など言う相手もいなかった、でも終わってみれば人間は辛かったことも忘れるものだと思った
でも病院で虐待されたとか何かとひどい目にあったことは忘れられない、でも人間は時間が浄化する、どんな苦しいことでも終わってみれば忘れるものだと思った
すでに姉は死んで十年すぎたし母もすでに死んで5年もすぎた
とにかく時間が過ぎるのは早い、次々に今や知っている人が近くでも死んでゆく
そういう年になった、だから死神に追われる師走かなともなったのである



2022年12月22日

土地土地のものが活きていた江戸時代 (人間の豊かさは風土と歴史から作られたものにある-旅の思い出)


土地土地のものが活きていた江戸時代

(人間の豊かさは風土と歴史から作られたものにある-旅の思い出)

●旅の思い出と料理の話

私が興味持ったのは地理と風土である、それはなぜかとなれば大学卒業してから底辺労働者となりその後は30歳以降は仕事にもつかず旅ばかりしていたからである
何もすることがないのでそうなったのである
仕事は底辺労働だから何かそれは日銭稼ぎでありつまらないとなった
流れ作業していたのが辛かった、これはロボットになることでありこんなことが仕事なのかとなり仕事をしたくなくなった
私の場合は何度も言うように家族に特別恵まれた結果としてそうなった
職につけとか言われなかった、むしろ旅でも何でも自由にしていなさいと言われていたのである、何かそうしてもとがめられることもなかった
ただ金はなかっけど自由時間があったからホテル代を最低にして旅していたのである
ただ旅館とホテル代は節約できなかった、食事は千円以上となると食べていない

何か食事で贅沢をしたことはない、だから旅の思い出としてこれがうまかったなという思いではない、ただ一回只見線で新潟県の小出の魚野川の流れている岸辺の食堂で鮎の塩焼きを食べた、それは安いものだったのである、その川でとれたものだからうまかったのである、それくらいしかこれはうまかったとかの記憶がないのである
鮎は私の住んでいる川でも父親が釣りとかか趣味でありその釣ったものが御馳走だった
その時鮎は大きなものがとれていたのである、今小さくなり食べてもおいしくないのである、そして原発事故で放射線に汚染されたので食べることはできなくなった
その前から鮎は食べるものではなくなっていた
鮎はまた意外と大きな川を船で昇った所で鮎を焼いて売っていた
観光客はみんなそれを買って食べていたがおいしくなかった
なぜならそれは養殖の鮎だったからである、天然の鮎は意外と少ないのである
それは岩魚でも養殖が多いとなる、なぜなら天然ものは量がとれないからである

私にとって旅とはうまいものを食べることではなかった、今は車で旅館にホテルにつき何かうまいものを食べることが旅になっている、だから料理が大事になりその土地の物を食べたいとなる、でも実際はその土地の料理は特別な所ではないと出ない、なぜならその料理になる素材は外国からでも外から運ばれてきて買ったものだからである
江戸時代の旅をしたらそんな遠くから素材は入ってこない、だから土地にあるものの料理になる、でもそれが粗末なものとしてもその土地でとれたもので工夫したものでありそれが郷土料理になっていた、だから土地土地で味の違うものを食べたとなる
だから江戸時代の方がかえって貧しくてもその土地のものが食べられたとなる
そして鮎でも岩魚でも鰻でも天然のものなのである、だからうまいのである
私の父親は鰻をとることもしていた、それが田圃の畔の穴にミミズをつけた棒を入れてとっていたのである、これも不思議に見えた、そんなふうにして鰻がとれるのかと思ったからである、その鰻を家族みんなで料理した、その鰻はうまいものだった
それは天然ものだからであり中国産の養殖とは違っていたからである
今になるとそうした純粋に天然の物は食べられないのである、それは高価なものとなっている、今は豊かでも昔は昔なりに豊かなものはあったとなる

現代とはそうしてその土地土地にとれるものが実際はスーパーで買うことができる
味噌でも醤油でも米でもそうである、でも江戸時代ならその土地に行かないと食べれないのである、だからこそ旅することに意義があった、そこでその土地の味を実感できるからである
今は遠くに行かなくてもいくらでもその土地のものが入ってくる、でも実際はその土地でとれものがあって人間は豊かになる、外からばかり仕入れてその土地土地に住んでいてとれるものがなかったら貧しいとなる、いくら金があってもそれが富にはならないのである確かに外国から何でも入ってくるからバナナでもパイナップルでもオレンジでも食べられる、でもやはり日本には日本のミカンがあっているし土地でとれたものがいいとなる
東北でぱ気候的にミカンはとれないにしろ国内産であるからいい、日本では今では葡萄でもとれるしいろいろとれる、リンゴだと種類が多く日本産でありうまいとなる
相馬地域でも結構リンゴはとれている、結構うまいのである、梨は前からもとれていた
リンゴはこの辺でもとれる、新地のリンゴなどはうまいのである
農家で成立つのは梨農家とかリンゴ農家とか花卉栽培、花農家である、これは現金収入としてそれなりに収入が大きいからである、米でもブランド米となれば売れるが競争が激しいからなかなか売れにくいだろう

●グロ−バル経済の終わり

いづれにしろグロ−バル経済で外国から輸入してその土地土地でとれるものは利用されなくなった、これはかえって日本として貧しくしていたのである
木材でも外材だけになり森は放置されて無用化した結果としてそこがソーラーパネルになった、丸森は森が深く木材資源の宝庫だった、だから米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材資源の取り合いになり争ったのである
今は山ごとそーらーパネル化しているのである、そこで景観は壊される、景観というのも自然だけで作るものではない、人間の暮らしがあって生業があって作られる
里というときそうである、それは全く自然だけの世界ではない、自然が人間化したのが里なのである、奥深い原自然がありそして人間が住む里がある、里とはそこにある者か石でも木でも人間化する庭のような場所なのである
里というときそこに人間的なあたたかみのある場所なのである
里の小径で一匹の赤とんぼが死んでいるのを見る、その時その赤とんぼは人間に看取られて死んでゆくとなる、全く荒寥とした自然ではなく人間がかかわり人間の情が通っているのが里なのである
女性でも古代に里刀自とかなるとその里を知り抜いた家事をとりしきる女性だともなる

私がなぜこうして地理とか風土を基本にしてみるのかとなるとやはりグロ−バル経済とか広域経済とかが交通の発達で極端化したからであろう
そこに土地土地の個性が喪失した、それだけではないそもそもその土地から成り立っていたものが歴史でも伝統でも失われた、そしてグロ−バル化することは一様化することなのである、土地にはいろいろな個性があってもグロ−バル化することはそうした土地土地の風土とかを歴史を無視して単一化する、多様な色があっても一つの色にしてしまう
料理でも日本料理があり中国料理がありフランス料理がある、それは風土と歴史から作られてきたのである、だから料理は多様なのである、また言葉でも方言なとるなと地域性があり標準語と違ってあたたかみを感じるのである
方言は国の訛りとなるからである、標準語と英語が共通語になったときそうした文化は失われるのである、確かに標準となるものは世界で共通なものは必要である
でも同時に世界は多様であることが豊かなことなのである
どこに行っても料理でも同じだ変わりないとなるときつまらないとなる

そして食べ物だとその土地土地の風土の影響が大きいのである、米でも野菜でも果物でもその土地の影響が大きい、それはどうしてもその土地と風土から作られるからである
それは土だけではない、天候もあり寒暖もあり雨と風とか様々な影響を受けて農作物は育つからである、特産物があるときそれはその土地に根付いてその土地にあったものとして開発されたものであり外の土地で作れないものとなる
そこに価値がある、なぜならその土地でしか作れない味になるからである
ワインにしてもその土地土地で味が違っている
葡萄でも微妙に光の影響を受ける、湖があるとするとその光の反射をうけていい葡萄ができるとかなり土地土地の名がついた葡萄がとれる、そこに他ではまねのできない価値が生まれる
それこそが文化なのである、cultureはその土地土地でcultivate(耕す)されたものだからである

つまり料理もそれぞれの土地から歴史から伝統から生まれたものでありそこに価値がある郷土料理とかなるとそうである、でも今は料理としても一様化されている
その土地独特の料理を味わうことはかえって至難である、旅行してその土地の郷土料理など食べられない、みんな定食にしてもトンカツ定食とかハンバーグとか同じものである
外国で私が食べたのは金がないからまたレストランなど入りにくいからハンバーグだけだったのである、これは簡単に食べられるからである
だから何かその土地のものを食べていない、ということはその土地の文化でも知ることができなかったとなる、それは私はバックパッカーでありしょうがいなとなる
意外と土地の料理を食べるということはと相当に贅沢になっている
みんなハンバーグとかなる、それは安いし入り安いからである
でもそこで土地の文化を知ることはできないとなる

●大量規格製品の生産から土地土地の風土に根ざした物の生産に

これからの世界はグロ−バル経済でありそれは量の世界でもあった、大量生産して外国に売る経済だった、でもこれからは質の経済になる、それぞれの土地土地の味を追求したものが価値があり世界に売れるとなる
テレビドラマで温泉宿の女将とか放送していたが酒でもいろいろ味があり違っている
ただこの酒の味をわかるのは本当に通である、その酒の味はその土地土地の土から水から天候から関係して生まれている、米でもそうである、スーパーで売っている米の味が違っているからである

だから今なら土地土地の味をいながらにしてどこでも味わえるとういことはある
でももともとその味はその土地土地でじかに行って味わっていたのである
それが江戸時代の旅だったら歩いて旅するのだから一挙に新幹線で東京とか青森とかに行かない、順々に土地土地を歩いてゆくのだから自ずとその土地土地のことが記憶として刻まれていたのである
人間はだからかえって便利になりすぎるとまたそこで失うものがある、現代文明は土地から遊離しているのである
だからこそ生態系を無視しして原発を作り生態系を破壊して住めなくなったとかある
生態系とは土地土地の文化を育んだ基だからである

またウィルスというのも何か不明にしてもやはり土地土地から生まれた風土病だった
それは不可侵の領域にありそこに人間がづかづかと侵入した結果としてウィルスに感染したとなる、それがグロ−バル化した交通が発達した世界ではたちまちに拡散されたとなる
これからの経済がどうあるべきかなとなるともう規格化された大量生産の時代と終わった日本が経済成長を遂げたのはこの規格化された大量生産の結果だった、一見電器製品は日本で発明したものであり独自のものと見ていたがそれはどこの国でも作れるものであり
ただ先んじて規格化したものが大量生産できたことで売れたのである
それも韓国であれ中国であれまねて今度は中国が安価な規格化したこものを大量生産できるようになった、そして日本は衰退したのである
日本は世界と比べると知的好奇心が希薄だとか世界と比べても学生が本を読まないとか
何か今までも日本礼賛とはまるで違った評価になっている
今まで評価されていたものがジャパンアズナンバーワンとは何だったのかとなる
科学論文でも日本はもうアメリカにも韓国にも抜かれているとかいう
でもノーベル賞をとっているではないかとなるがそれは今のことではない、それはずっと前の業績が評価されたのでありこれからは日本ではノーベル賞はとれない、つまり日本ではあるゆる面で衰退しているのである

ただそうはいっても食糧とかなると料理とかなるとその土地土地からとれるものであり独特の味はその風土と地理から作られるから日本酒が人気になったり日本の米でも果物でも高価なものとして売れるとなったのである、それは他の国では作れないからそうなったのである
私の父はもともと酒屋で働いたから酒屋と縁がある、でも私はずんと酒は飲んでいない
だから酒については語れないし酒はいいものではないと思っている
でも時代によって価値が違う、酒を日本人が飲んでいたのは栄養が足りなかったからかもしれない、とういうのは戦国時代のスペインとかの宣教師が日本に来て布教したがその時食料がなく酒を飲んでいたという、つまり酒は米からできているから栄養があったとなるビールでも麦なのだから栄養になる、そういうことがあり酒を飲んでいたともなったのかともみる、今はいくらでも他のものでも栄養がとれるからいいとなる
そして酒でも料理に合う酒があるという、北陸の酒とかは京都に近く京料理にあった酒が造られたはいうのも地理が関係していたのである
酒と料理は密接に関係していたのである、それぞれの料理に合う酒があったとなる
東北の方が淡麗な味でありかえって西の方が濃い味だという、でも味噌汁などでも西は淡泊であり東北は濃いから塩分が多いから脳卒中が多いともなっていた
その辺がなぜそうなったのかとかなるがやはり風土と歴史で作られた料理がありそれに合ったものが作られてきたとなる

ともかく大量規格製品の経済は終わった、それぞれの土地に根ざした風土に根ざしたもの文化を伝統を歴史を再構築することである、それは国風文化の再興にもなる
原発事故はそうした文化を育む生態系と伝統とか歴史を破壊したので罪が重いのである
それはもういくら金をつぎ込んでも復興できなくなった
自然の中から生まれた生業は喪失した、この損失は金で代えられない、文化とは精神を形成するものである、アイディンティティを形成するものであるとするときその影響は余りにも大きすぎたのである、人間はただがつがつ食べるだけのものではない、文化を精神世界を生きるからである、それができなくなったときその損失は金で補いないのである
ただそのことを土地の人達も意識していない、金だを得ればいいとかしかないのが現代なのである、それは田舎でも同じなのである、何か文化を育むのだということなど意識しない、金になればいいとういだけである、だからこそ原発が金になるということで積極的に誘致されたのである、人間はなんらか矛盾してくる、だから一概には責められない
でも何が大事なものを見失っていた、それが自覚できなかったことは確かである

●心を買いに・・・(農民真壁仁の詩から)

小さな町に実直な菓子屋さんがいる
そこで作る栗羊羹、塩小倉
その味を買いに行く
道具が人の手のあたたかみを伝えるように
手漉きの紙に楮{こうぞ)漉いたかあちゃんの
心が宿るように
菓子にも作りての心がこもる
その心を買いにゆく
日のあたる庭先で莢(さや)はたいたばあさんの
丹精の小豆(あずき)
・・・
土と太陽の光で育ったもの
野の香りをとじこめた菓子
それよりも何よりも
店の主の竹の割ったような
きれいさっぱりとした性格
それに惚れずにいられようか
昔は栗や胡桃や干し柿が菓子だった
その始原につながってる心
心を買いにゆく・・・・

真壁仁はやはり生粋農民だったから菓子でも作るものの心がわかる
それは理論ではなく実際の生活に養われた感性なのである

手漉きの紙に楮{こうぞ)漉いたかあちゃんの
心が宿るように
菓子にも作りての心がこもる
その心を買いにゆく
日のあたる庭先で莢(さや)はたいたばあさんの
丹精の小豆(あずき)

昭和でも原町区の石神辺りで紙漉きをしていた農家の女性を知っている
その紙漉きを教えたのは越中の移民だった、なぜなら越中とかなると越前紙とか有名であり越前からでも相馬藩が飢饉で三分の一に人口が減った時移住してきたからである

そして庭先でないが私が会津を旅した時、道で豆の莢をたたいていた老人がいた
むしろをしいて豆の莢をたたいていた、豆を莢からとりだすためである、これも結構めんどうになる、それは秋の日であり秋の日がさしていた
塔寺駅をおりて立木観音のことを聞いたのである

会津なれ立木観音の古りにしや秋日さし莢をたたく老人

会津には寺院が多い、それはどうしてかとなると病気治癒のために僧が8世紀とか古い時代に来ていたのである

徳一は会津での布教の拠点となる慧日寺(えにちじ)を 磐梯山(ばんだいさん)の麓に開きました。磐梯明神を守護神とし、古来の磐梯山信仰と仏教が深く融合した独自の信仰を築き、会津仏教文化発祥の地とされます。

仏教がこんなに広まったのは病気治癒のためだった、山伏が法印が小さな村でも一地域でも必ずいたのは病気治癒の加持祈祷のためだったのである
医者代わりだったからいたのである
だから医療が科学の分野になるとどうしても宗教は衰退するとなる、ただ宗教は病を治すだけのものではないがそれを志すのは少数者しかないてのである

とにかくこの詩では物と心は分離していない、だからこそお菓子でも物を作った人の性格まで言っている、どんな人が作ったことまで言っている
それがもし外国から入ったものなら誰が作ったとかわからないのである
どういう土地で作ったというのもわかりにくいのである
ただ土地と物が人と物が分離した商品として入ってくるし食べているとなる
心を買いに行く・・・・まさに物には人の造った心がこもっている

物と心は一体なのである、ものはもの憑くとか物には何らか人間であれば心がこもっている、それを生みだして作ったものの心がこもっている、それが地元であれば土地の物であれば磯部の梨とか新地のリンゴでも味が良かったからこんなものがとれているのかとなり味わうとなる、そのとれた場所も知ることができるからその土地の味を味わうともなる
地元だと土地と物と心は一体化して分離していないのである、だから地元でとれたものは価値があるとなる、ただ米等でも味噌でも選んで買っている、地元のものを買うとういことでもない時代である、でも遠くからになると輸送代とかかかり高くつく場合が起きる

第一地元で何かとれないとしたらどうしても豊かになれないのである
外からばかり買っていては豊かになれないことが問題なのである
外国からでも何でも買えるとしても円安とかなったら高くて買えなくなるとか戦争で食料で入ってこないとかなる、そこに安心感もないことが問題なのである
鉄道でも戦争の時とかの安全のため輸送として線路でも残すべきだというもある
だから経済をただ市場原理とか安いからとかだけで決められないのである
また物と心を分離すればそこに何か人間として豊かな生活にはならないのである


途中下車の旅、会津の塔寺


2022年12月21日

冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)


冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)

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真野川の朝

一羽はノスリでありもう一羽は何なのか、写真に写っていたが肉眼では見えなかった
こういうことがある、肉眼で見えないものがカメラで見えることがある



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新田川

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津波の跡がここには生々しくここには残っている

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石置きて曇り硝子に冬紅葉

山は雪ノスリ止まりて冷える朝

雪の山寒鳥二羽や朝に映ゆ

我が街の仕事場なれや冬の菊


十本ほど根付き変わらじ冬樹立つ

寒椿昨日の雪残り明けりけり

閉ざされぬ十一面観音寒椿

死神に追わるる齢や師走かな


朝の空は白鳥一羽鳴きにつつ仲間を探し翔けりゆくかな

新田川山は雪かな瀬のひびき桜井古墳のここに鎮まる

冬の日に桜井古墳に我が上る土地の歴史のここに始まる

津波に流さる家のその跡に石の離れず冬のくれかな

主なし家の跡かな石のみそ残りてあわれ冬の日暮れぬ


玄関の曇りガラスに冬紅葉が映る、母は12月12日死んだ、今年も死んだ人がいる
12月に死んだ人がこの町で二人くらいいる、自転車屋の死はショックだった
師走とは師のために走るとなるが死神に追われるという感じにもなる
どうしてもこの年になると近くでも知人でも死ぬ人が増えてくるからである
母は目だたない陰の人だった、性格的にそうだった、それで私も性格が似てそうなのである、それで冬紅葉忌としたのである
一昨日は雪が残っていた、この紅葉の木はいつも12月頃に紅葉になる
なんか母にふさわしいともなる

原町の新田川の岸辺の公園に十本くらいの木がある、そして椿に昨日の雪が残っていた
一昨日のことである、桜井古墳は大きい、その上に上った、見晴しがいい
山の方は飯館村の方は雪になっている、飯館村は標高が高いから早めに雪がふる
新田川は浅い川でありそれが飯館村の草野から流れている
浅い川だから瀬音がするのである

津波の跡が残っているのは桜井古墳からすぐ近くである
ここに津波に襲われて家が流された、でも林の樹々が枯れても残っている、厥か痛々しいのである、11年過ぎてもここではまだ津波の跡がまだ生々しく残っている
家の跡に石がありそれが離れずに残っているのもあわれだとなる
石がここを離れたくないと残っている、この辺の被害は大きかった

泉の十一面観音は中が見えない、また見たことがない、でも史跡とはなっている
師走はいろいろとやはり忙しいとなる、仕事しなくても忙しさを感じる
知っている人が退院したり自転車屋が死んだことなど近辺で変化があったのもそうである家事も忙しい、暇なく何かをしていなければならない、それでコメントをしていない
何か追われているのである、いろいろなこれまで書いたものの整理にも追われている

そして今やいつ私自身が死ぬかもしれない、これも恐怖である

だから「死神に追われる齢や師走かな」となる、死神に追われて逃れられないとなる










2022年12月20日

街一軒の自転車屋の死について (星淳氏に献げる詩)


街一軒の自転車屋の死について

(星淳氏に献げる詩)

その人は癌でありながら懸命に仕事した
死ぬ直前まで仕事していた
苦しくも仕事していた
点滴する所がなく首にしていた
その痕が痛々しかった
でも何か弱音を吐かなかった
ただ死ぬ数日前に
「いつまでつづけられるのかわからな」と言った
それが私と最後に語った言葉だった
その時死ぬということを全く思わなかった
だから突然の死に驚いた
その人は死んでも心残りがあるだろう
駅前が寂れてゆくことや
ここで暮らしたことをあの世で想うだろう
なつかしく回想するだろう
そこで長い町の人とともに長い歳月を過ごしたから
何か悲しい次々に知っている人が死んでゆく
人間の命ははかない
人は短い人生で何を残してゆくのか
つくづくそれを知らねばならない
その人は懸命に働き続けて死んだ
治療代も払わねばならない
自ら生きるためにも働いた
それが貴重だったのは一軒しか自転車屋がなかったから
年の暮にその人は死んだ
その人は死んでもここで暮らした日々をなつかしむだろう
私はここで働いた、懸命に働いた
それが私の人生だったと・・・・
(一人また町に働く人死にぬそを偲びつつ年も暮れなむ)

一隅の死

街の一隅に
名もなく
ひたすらに
そは働けり
あわれかな
駅に咲きにし
冬の薔薇
駅に人はまれなり
その駅を共に見守りぬ
そは死すも
その駅を見て
そこに立っている
いつまでも立っている
何か悲しき街一軒の自転車屋
消えて語りぬこの町の歴史
一人の庶民の人生なれ
歴史はここに刻まれぬ
年の暮雪降り冷えにけるかな
惜しまれて死ぬ人の良しや
人の心に残りけらしも
人は働く者なれ
その果はいつか実らむ
死して後実ることあるべし
仕事なき者こそ虚し
人は天職持ちて勤め死なむ
それが幸いなるべし

なぜ自転車屋に思いがあるのかとなると自転車が自分自身好きであり足が自転車になっていたからである、それで自転車屋とも深くかかわったとはなる
ただ深いといってもその人特別親しいというわけでもない、ただ自転車を通じて親しくなったのである

何か車がないと自転車に乗る人と仲間意識が生まれるのである
車に乗っている人はそうはならないのである、そして車がないとその人は一段劣った人に見なされることもある、なぜなら田舎だとみんな車を持っているから持っていないのは変な眼で見られる、変わり者ともなり警官からは怪しいとも見られるのである
ただ最近は老人が車の免許を返上して自転車に乗っている人をみかける
だから自転車の需要は結構ある、自転車は健康には運動にはいいのである

またなぜここの一軒の自転車屋に思いがあるとなるとやはり一軒しかなくなっていたことである、後は隣の市に行くほかない、それが不便なのである
やはり近くにないと困るものが結構ある
弁当屋もないのも困る、百円ショップもないのも困る、医者でも困る
やはり平均的現代の生活になると一万の町ではそろえしられないのである
原町と比べるとその差が大きいのである

とにかく人間の価値は働くことにある、天職を持ちて働くことにある
だから自転車屋でも働きながら死んだようになったから死に方としては良かったのかもしない、向かいの自転車屋でもそうして死んだのである
仕事して体の調子が悪いと言って病院に行きまもなく死んだのである
だからこの人も仕事しながら死んだとも言える
こういう死に方は長く十年とかでも介護されて死ぬの比べるといい死に方だったなとも見る、ほとんど迷惑かけず死んだからである

ともかく郷土史も探求しているが郷土の歴史を刻んだ人でもあった
それは特別な人でないにしろ郷土史としてはやはり一つの歴史を刻んだのである
その価値はやはり狭い町だからあったとなる
もし仙台市とか東京のような所に住んだらこうはならない、いくらでも自転車屋とかあるからである
ここでは一軒しかないから価値あるものとなっていたのである
だからこれから修理とか何か自転車に関して困ることがでてくる
後継者もいないからである、中小企業でも農業でも後継者がいないことで困る時代になっている、空家をどうするのかもそうである
これは全国的な課題である、それが実際は深刻なのだけど今の社会は別にここになくても車があれば買い物でもなんでもできるということで深刻にならない
でも車がない人は深刻なのである

ともあれご冥福をお祈りします、この町を死んでも見守って下さい・・・

66歳ではまだ今では若いとなる、でも技術的な面で追いつけないハンディはでてくる
そこではロードとかは詳しくないからあまり買う人がいなかったろう
相馬市と原町にはあった、でも必ず自転車屋は必要なのである、そういうものが他にあるので困るのである

posted by 天華 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月19日

南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡 (後継者がいないことが全国でも問題になっている)


南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡

(後継者がいないことが全国でも問題になっている)

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これも驚いた、何日か前にタイヤを交換してもらった
ヤマハの直販店なのでヤマハの自転車を特に電動自転車を何回も買っていた
それは十年前より前でもあった
なぜならその前はすぐじき前の自転車屋で買っていたからである
その人も急に死んだのである
今回も急なことなので驚いた、とても死ぬとは見えなかった
でも癌になっていたということはみんな知っていた

でも仕事は普通にしていたから死ぬとは思えなかった
それも十年くらい癌になってからでも仕事していたのである
だから癌でそんなに仕事ができるのかという不思議があった
ただ点滴した痕は首のところありいたいたしく見た
でもその他は普通に仕事していて話ししていて死ぬとはとても見えなかった
「いつまでつづけられるのか」と私に何日か前にタイヤ交換に行った時言っていた
それが私との最後の会話であった

その人は駅前にいて駅前で無人化したことで案内したとき駅前の活性化とかで話し合ったことがあった、それが死ぬとは信じられないともなる
いくら病気でも実際昨日普通に話ししていて死ぬものなのか?
心筋梗塞だとそういうことがある、でも癌だと死ぬまで入院してとか療養して死ぬとかになるだろう、それが普通に仕事のことで話しして死んだとなる
それは前の自転車屋でもそうだった、やはり仕事していたのだが調子が悪いと言って入院したらまもなく死んだのである
その人もあっけなく死んだのである、そこに何か苦しんだようなものが見えないのであるだからそういう死に方はいいのかもしれない、認知症になったり七転八倒して死ぬよりはいいのかもしれない、でも一概には言えない、残された人はそうは思わないだろう

鹿島区で困るのは自転車屋が一軒もなくなることである
自転車は通販で買っても後で修理とかあるので困るのである
現実ヤマハの電動自転車のエンジン部分が故障して全部交換したことが最近あったからである、こういうことがあるので通販ではいいものがあってもなかなか買えないのである
またパンクの修理とかその他故障がありアフターサービスが必要なので困るのである
原町に行ったら一回自転車を買ったことがある所に行ったら自転車のことを相談もできなかった、自転車屋でも商売だから常に買ったり修理したりとお得意さんにならないと断られたりするのである、相手も商売だからそうなる
その星自転車屋でも折り畳みの電動自転車のことでナンバーをつけてくれとか頼んだができないと言っていた、金にならないのだからできないのである
でも死んだということは驚きである

その自転車屋では娘がいる、その娘が父親が死んだので来た、でも東京とかに住んでいてここには戻ってこない、そして跡継ぎがいないのである
ただバンクを修理するくらいの人はいるらしい、自転車は結構乗る人が増えている
なぜなら老人が増えて車に乗らなくなった人は自転車に乗るようになるからである
だから需要がないというのではない、またこの辺で原発事故で避難区域から移住してきた人も多い、それで知らない人が来ると自転車屋の人は言っていた
ということは自転車を経営するのがむずかしいというのでもなっかたろう
問題は病気でありそのことで継続できなくなったのである

そのこは前に書いたけど畑を借りてしていた人がその人も体が弱りできなくなった
その前の畑をしていた人も70前で腎臓が悪く透析になり死んだ、その隣の人は80過ぎて娘に車に乗せられて畑にきて這って働いていたが力尽きて放棄された
そして知っている女性も力尽きて放棄した
今度はその女性が脳梗塞になり病院に二カ月入院して昨日とか退院したのである
見た限りでは思った以上元気に見えた、これならまだまだ生きると見えた

ともかくショックである、人間は死ぬ時はあっけないというか簡単に死ぬものだと思ったそれはこれまでも経験してきた、でもまさか今度は昨日まで普通に仕事していた人が死んだので驚いたのである
そして問題なのは後継者がいないことである、これは農業でもそうである、65才以上が農業をしていていづれは継続できない、また中小企業でも後継者がいなとしている
それも全国的な深刻な問題になる、空家の増加と後継者不足とか社会が衰退してゆく
前は自転車屋など小さな町でも四五軒あった、それが一軒もなくなった
自転車は通販ではだめである、修理とかアフターサービスが必ず必要だからである

とにかく鹿島区だと不便になる、弁当屋もないから一人暮らしには困る
前にしていた人を知っていたがその人もやめたからである
百円ショップなどでもダイユーエイト内にあっても品物の数が少ない、これも今の社会では必要だから困る、私の場合車がないので困るのである
その自転車の死を知らせてくれた人も自転車で配達の仕事とかしているから困るのである私は何か自転車に乗る人とは親しくなるのである、車の人とは親しくなれないのである
自転車仲間になるのである

それにしても駅にクリスマスのイルミネーションが点滅していた、でも前の自転車は閉じてなくなる
いつも駅前で駅を見ていた人がいなくなった、これも淋しいとなる
駅前通りでは一軒の家が壊れて空地にもなった、駅前通りは活気がなくなっていたしこれからもなるのか
鹿島区にとっては大きな死だったともなる

年の暮親しき人のまた死にぬ

その人と自転車につき語りしを今はなしかも年も暮れゆく

葬式の日取りとかは出ていた

心からお悔やみ申しげます、お仕事ご苦労様でした、お世話になりました


死んだ後の処理で困ること

自転車は何かあったとき困る、ナンバーを取得していないと困る、なぜなら警察に職務質問されたりするからである
盗品とか疑われたりする、その時買った自転車屋に連絡することもある
それが死んだできないとなる、これも大きな問題かもしれない、死んだ保証もしてくれないとなる
だから自転車は通販で買いにくいのである

何かいろいろなことで駅でもそうだが無人化すると困ることを書いてきた
自転車でもそうなのである、町で一軒もなくなればみんなが困る
だから商売が成り立つようにしないとみんなが困る、でも商売にならなければ誰もやらない
ボランティアではやれない、何か公共的な役割がある時それがなくなるとみんなが困る
でも市とかで援助したりしないのである、それより自転車屋は技術的な面で簡単にできない
そのことでこれからいろんな場面で困ることが全国で起きて来る
少子高齢化で縮小社会になるときいろいろものが維持すらできなくなるからである
posted by 天華 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月18日

発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない (でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)


発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない

(でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)

●読み書きソロバンができない発達障害

その人は明らかに発達障害者だとわかった、その原因が何かあって父親から殴られたりしてそうなったと本人は言っている
適切な指導がなくてそうなった、確かなことは読み書きソロバンができないことである
漢字が読めない、書けない、文章が読めない、あと計算ができない、だから金の管理ができないから役所の人に管理してもらっているのである
このことで気づいたのが認知症と似ていると思った
認知症になると漢字が書けない、読めない、計算ができなくなるからである
それで銀行から金を下ろすことができなくなる、これせ驚きだった
でもその発達障害者は銀行から金を下ろすことわかっているのである
まずしゃべることは普通にできる、結構むずかしいことでもしゃべるしわかっているとなる、これも不思議なのである

ここでわかることは漢字とか数字とかは抽象的なものであり抽象的思考ができないということである、その原因がどこにあるのか?それは認知症でも起きてくるからである
人間の特徴は漢字でも文字でも数字でも抽象化する能力がある、それが動物とかとの大きな相違なのである、まず単純なことでも数を数えること自体相当な高度な知的な作用なのである、動物はそれができないからである
また漢字でも文字でも抽象化したものでありこれも相当に高度なものである
だから文明というとき文字があるかないかで見分ける、エジプト文明でも神聖文字がありあとは最古のオリエント地域の文明でも楔型文字があり文字があったことである
ただマヤ文明とかには文字のようなものがあったにしろ数を現していたにしろそれがなかったみたいだ
でもその文明も高度なものでもあったのだ

人間の能力というとき江戸時代までは基本的には読み書きソロバンができれば良かったのである、それができれば別に社会で生活できた、だから戦後に生まれた自分は親からソロバンを習いと言われ習った、その時ソロバンが得意で自慢していた
でもそれは何の役にたたなかったのである、でも明らか地に読み書きソロバンができないことはもう社会でまともに生活できない、障害者として生きるほかなくなる
江戸時代までは寺子屋で読み書きソソロバンを習えば良かったのである
でも現代ではそれだけでは役にたたない、高度な知的社会になったからである
それでも基本的に読み書きソロバンができれば一応社会で生活はできるのである

●話すことでぱ言語能力は普通であるが漢字が読めない書けない

ではその発達障害者の人が能力がないかとなるとそうでもない、しゃべることでは普通なのである、高度なことも理解している話すことができるし通じるのである
だから言語能力とは話すことが基本にある、文字がなくても漢字がなくても縄文時代でも人は話ししていたのである、文字の前に話すことがあり人は話すことで伝達していた
漢字とか文字の前に音で理解していたのである、だから地名は古い原住民の言葉の音が基となっている、ヨ−ロッパではケルト民族が原住民でありその発音した音が地名ともなっている、アメリカの地名もインディアンが発音していた音が基になっている
インディアンでも文字がなかったが話ししていたのである
また日本だったらアイヌがいて文字がなかった、でも北海道はアイヌの人が発音していた言葉が基となりそこに漢字をあてたのである、だから何かわかりにくいものとなっているつまり人間でも音を通して会話していたのである、動物でもそうなのである
鳥でも動物でもなんらか音を発して鳥なら鳴くことによって仲間に伝えるものがある
でも文字はないから文字こそが人間が高度な知的文明を作ったものだとなる
文明とは文で明らかにするということでもあるからだ

youtubeで発達障害者が自分のことを語っているのも不思議である、もう普通の人と変わりないのである、どこが障害なのかもわからないのである
話すことだってスムーズに話してうまいからである、一体どこに障害があるとなるのかわからない、ただ直接接してわかったのは読み書きソロバンができないことである
でも他に発達障害がありみんなそうではないだろう
発達障害とは学習障害なのかもしれない、学習障害というときそれは普通の人でも相当数いる、学校で学習できない、理解できないのである
それは自分自身にもあった、私が学習障害になったのは数字が苦手なのである
理系的なものが苦手なのである、でもソロバンができたのはただ暗記することであり
それは数字が何か理解しているわけではなかった
数字とは意外と抽象的なものであり数字を知ることは人間が文明化したことなのである

数字は漢字とか文字より抽象化する能力である、例えばイチニイサンと数えることは高度なことである、なぜなら動物にはできないからである
第一イチとは何なのか、1個と数えることは何なのか意外と理解できないものである
それで1+1=2とはならない、1個にして円いとか四角と長いとか短いとか赤いと黒いとか重いとかいろいろな属性がある、石でもなんでもそうである
ではなぜそれを1個と数えることができるのか?その属性が違ったものを1個と数えるのかまたプラスして2となるのかとなると明確にできないのである

●学習とは抽象化能力である

onethink111.jpg


1とは何なのか?これも実際はわからないのである

○を1とするでも□でも1でありそれをたすと2になるのか?
奇妙なのは○と四角を合体すれば図のようになり一つになる、1になる
短いのと長いものでもTでありたすと2になる
でもそれが正しいかそれですべて計れるのかとなると計れないのである
だから1個2個と数えること自体が何なのか明確ではない
でも数字化するということはこのように世界を抽象化したものである
だから世界が数であるという学者もいたとなる
こうして何でも考えるということが興味を持つことになる
それを自分自身がしたこともないのである、数とはただ暗記することとして覚えたからである、結局そこで自分自身が数学に関して発達障害者になっていた
ほとんど数というものでも何か理解できなかったのである
だから1とはなになのかoneとは何なのか本当のところを理解していないのである
つまり算数でも数学でも暗記ではなく思考の訓練するものとして教えられれば興味をもったとなる、自分の場合はそれを知るのが遅かったとなる、なぜならあとは死ぬだけだとなったからである

私は数字というときソロバンができたとしてもただ暗記していて数字というのはどういうものか考えたこともないのである、だから何らかで数字がかかわる数学とかに学習障害になったのだと見る、理系的なものが理解できないのである、それが暗記脳になって考えるということをしなかったからである
数学が嫌いというときただ暗記脳ではできない、数字とは何かをまず基本としてしらなければできない、でも読み書きソロバンの時代は暗記脳で良かったしそれで社会生活するには十分だったのである
でも現代はもうそんなレベルではとても上のレベルには行けないしロボットとして働かされるようになる
ただ自分の場合は文章能力はあった、国語力があった、理解していた
ただ数字に関して数学に関しては学習障害者になっていたのである
その他理系的な理解に欠けていたのである、でも数学は思考の訓練として学んでいれば興味をもったともなる
ただ試験のために暗記ばかりしていると興味がなくなる、勉強ふる気もなくなる
何か学校では一様にしか教えないし考えることがさせない、一律でありその人なりペースも無視される、だから学校ではもともとそれなりに能力があっても発達させられない
発達障害になっているのが多いようにみえる
人間の能力開発がうまくなされていないのである

●陰の性格と同じように発達障害者は社会にとけこめない

そして発達障害者とは陰の性格の人が多いのかもしれない、陰の性格の人のことを書いてきた、集団にとけこみにくい、社交的になれないとかいろいろある
それは発達障害者と似ているのである、何かはきはきしない、うじうじしている、シャイであるとかになり好かれないのである
そういう人は内面的なものの追求には向いているのである、芸術家になるのには向いている、また研究者とかも向いている、でも集団で組織的に何かをすることに向いていないのである、人とうまくコミニュケーションもとれないのである
ただ発達障害者は何か一つのことをつづけられないから会社をやめるとかなる
忍耐力をもってつづけられないとしている、でも私の場合は忍耐力があり陰の性格の人は忍耐力がある、目立たないにしろ石のように忍耐力がある
だから物事を持続的に追求してゆく、ただそのために時間がかかるスローにしか理解しえないことがある、でも時間をかけてじっくり探求するからそのうちそれが開花してくる
それで70過ぎてもやって自分なりのものが開花してきたともなる
正直遅すぎたとはなる、なぜなら早い時期かからそうて理解力があれば違ったものになったと思うからである、そこで時間が浪費されたのである

人間とは生まれつきもあるが学習するのが動物との大きな相違である、動物は本能的に生まれた時から備わったものがありそれで生きることができる
トロピズムがある、渡り鳥がどうして方向を知るのか本能的なものでわかる
何か学習するということはあまりないのである、人間は学習しないかぎり身につかないのである、でも学習でも必ず学習障害となる人が多いのである
それは考えるということがないし学校では暗記脳だけになってしまうからである
江戸時代辺りならそれで良かったが高度な文明社会になるともうそんなもので成立たなくなったのである

いづれにしろ現代は発達障害とか学習障害とか精神疾患とかそういうものになりやすいのである、何か一つの具体的なもので村とかで理解するものがない、一挙にグロ−バル化して世界を理解しろとなるとできない、そして世界が無数のパーツとなりどういうふうにつながっているのかもわからない、そのためにアトム化した社会でナチスが生まれたと分析する人もいる、それは今ならカルト教団である、あういう場所は全く思考脳がない人が集まる、体育系が集まる、うじうじ考えているな、すぐ行動に移せとかなる
それはカルト教団で同類なのである、統一教会でもそうだったし創価とか幸福の科学でもオウムでもそうだった、そんなところで考えることは禁止すらされている
同一行動をとることしかない、だから一番上の教祖が殺せとかなれば本当にナチスのように見境いなく大量殺戮になったのである、それは社会主義でも全体主義だから同じだったのである、個々に考えることは禁止される、それは同一行動をとるためにそうなる
つまり教祖がいたとしてもそのロボットとして動くなのである
オウムでは本当にコンピュターに体でもつながれてロボット人間にされていたのである
これが現代文明の怖さである、そうなりやすい社会なのである
江戸時代辺りだったらあんなことになりえないからである

発達障害学習障害とかはうつ病とから現代的社会から起きたのかもしれない、そうなりやすい社会からかもしれない、余りにも過剰な知識を学ばねばならないというときパニックになる人もいる、私は文系だから理系的なものでは学習障害となり発達障害となっていたからである、うつ病もそうだけど社会に適合できないという人は増えるのは当然だと思う引きこもりニートが増えたのもそうである、社会に適合できない、それが極端化するとニーチェのようになるしアウトサイダーになる、その人達は天才でもあり今のパーツ化した部品化した数字化した社会に耐えられないからそうなったのである
人間は数ではないとなるのも当然だとなる
文明の病理的現象としてナチスがあり現代ではカルト宗教団体がある
それは個々人の問題ではなく社会全体が必然的に生みだしたものでありだからこそ扱いにくいのである、文明そのものにあるとしてたら文明を否定する他正常化しないともなるからである、そこに病根の深さがある、批判しても簡単に変えられないものがある
とういうのはやはり文明という母胎からそういう病理的疾患が別なものとして社会に現れる、そしてナチスのように悪夢が再現される恐怖なのである

posted by 天華 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年12月17日

無人駅で事故で死んだ盲人 (只見線開通ーその思い出など)


無人駅で事故で死んだ盲人

(只見線開通ーその思い出など)



大分県津久見市のJR津久見駅構内の線路上で15日、高齢女性が特急列車にはねられ、死亡する事故があり、女性は片方の目が不自由な視覚障害者だったことが17日、捜査関係者への取材で分かった。当時は駅員不在の時間帯で、県警は状況を調べている。

 県警によると、亡くなったのは市内に住む無職小島得江さん(82)。15日午後5時50分ごろ、線路上で大分発宮崎空港行き特急にちりん13号にはねられた。運転士は「線路からホームにはい上がろうとしていた」と話しており、県警は誤ってホームから転落した可能性もあるとみている。
 
  津久見駅では午後3時以降、駅員を置いていなかった。

続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/04be5c1d6166d3e56e94ffd29944ac42b988857a



市となっているけど人口17000くらいみたいだよ
夜の田舎駅のホームは薄暗いんだよ

めくらで田舎に住んだらアカン
都会に住んで助けてもらわな
田舎じゃ人がおらんからサポートしたくてもできん

親族が付き添えよ
駅員のせいにすんな

原発より危険なのにまったく安全性を考慮されない
電車は人殺しし放題なのにおとがめも裁判もなし
駅に入る前、踏切手前で徐行すれば全て解決するのに

健常者以外は付き添い必須でいいよ
全責任は本人と付添が負うべき
駅員さんに余計な手間を掛けさせるな


駅員がいれば助かった、でも夜になるとここでは高校生の見守り役もいない
誰もいないとなると危険である、そもそも夜に盲人が出歩くのは危険である
それは自己責任になるかもしれない、82歳で片目が見えないとかで夜に出かけると自己責任になる、でも確かなことは駅員がいればこうはならなかったのである
でもコストがかかるから無人駅になったのである
どうしても安全はなくなる、駅員が人間が見守らないと安全は確保しにくい
監視カメラがあってもそれで安全をすべては計れないのである





私は無人駅で案内していた時、盲人の人が必ず通っていた、そこで案内した
でもその人は慣れている、だからかえって干渉されるのを嫌がったいた
ただ無人駅では盲人とかは危険である、だからこうした事故が起きた
年も年だったということもある、私が案内した人は中年だったからである
老人が無人駅に乗ることは危険になるかもしれない、片目が見えないというがやはり
敏感に反応できないことはある

でも無人駅はいろいろ問題がある、そのことを書いてきた、駅というのでもこれも自ら
駅員とかなり体験しないとわからないものだと思った
なぜならいつでもただ乗る方からしか見ないからである
それはなんでもそうである、客となるのと接待する方とか物を売る方とかなるのは全然違ったものとなる、だから客にばかりなっていたら社会のことはわからないとなる
客になることは経験できてもサービスする方とか何か提供する方になることはできない
だから無数の職業があっても理解できないのである

私の無人駅の案内の経験でもこんなに駅には仕事がありまた駅にはいろんな人が来る場所だと思わなかった、結局それはそこは少数しかこないのと待っているから声をかけて話を聞くことができたのである
そこでいつも聞かれたのは上りと下りの行き先だったのである、これが意外とわからないものだったのである、それは他の無人駅で同じ経験をしたからである
都会だと行き先案内とかあったが田舎だとない場合がある
それで駅長にそのことを言ったら跨線橋の階段の前に行き先を提示するようになったのである

とにかく別に今の駅は鹿島駅は無人駅ではない、高校生の見守り役として常時市から派遣された人がいる、だから無人駅ではないが昼間はいない、何か昼間でも駅に一人二人としか見えないのである
にぎわうのは高校生の通学する人である、あとは閑散としているだけである
将来的には駅は駅でくなる、別な用途として活用されるとか言う人もいる
つまり駅だけの機能としてだけではない、何か別な物としても活用される
確かに今の状態ではもう鉄道自体が一部をのぞいて活用されなくなるからそういうのもわかる
観光列車になっている所もある、水害の被害から回復して10年ぶりとか開通した只見線がそうである、そこは観光路線にはいいが日常的にはあまり活用されない
第一日三回くらいしか時刻表で見て乗れないとなると不便すぎるのである
本当に観光路線として残すほかないともなる
それにしても百億以上もの金が復興にはかかったのである、その後の経営もむずかしいのである、福島県で金を出すということで再開したのである

結局只見線は鉄道マニアが写真をとるためにあるのかとまでなる
鉄道マニアにとってのみ必要なのかとまでなる、

雪深く只見の駅や我が泊まる一夜の宿や思い出すかな

一回雪まつりがあったとき泊まったことがある、また只見線は新潟県の小出が終点であるそこに魚野川がありその岸の食堂で鮎の塩焼きを食べたことを覚えている
魚野川というごとくいい川であり鮎がとれていたのである

魚野川流れの早く鮎を釣る一両の電車橋わたり来ぬ

小出とかは大きな川がありいい場所である、でも一日三回しかの便がないことは淋しいとなる



意外と元気で退院した脳卒中の女性 (人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)


意外と元気で退院した脳卒中の女性

(人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)


昨日退院して今日自分の家に息子の車に乗って来た
あれ意外と元気だと見た、普通にしゃべれる、今日の朝住宅の前で洗濯物を干していた
立ってあんなことできるのかと見た
というのはもう一人の障害者の息子がひどい顔しているから逢わない方がいいと言っていたからである、でも今日見た限りそう見えなかった
ともかく発達障害者の言うことは何かわかりにくいから困る、そのまま信用できないのである
別にひどい顔もしていない、マスクしているにしてもそう見えなかった
それで結構回復すると見た
かなり軽くてすんだのかもしれない、脳卒中というのは人によってかなり違っている
なぜなら脳のどの部分が損傷したかで不具合が生まれるからである
だから人によって違うのである
ある人は脚がだめになったとかある人はしゃべれなくなったとかある人は・・になったとか違っている
その女性は手がきかなくなった、でも今日の朝みたとき立って洗濯物を干していた
あんなことができるのかと見たのである、退院したばかりでそんなことができるのかと見た

でも二カ月入院していた、それは脳卒中では短い方だったのかもしれない
何か軽いとみたのである、しゃべることは普通である、その人はとにかくしゃべる人であり話がうまい人だったからである、そうなるとしゃべることが普通にできることは自分なり生活ができるかもしれないとなる
ただ親しく毎日通っていたやはり病気の老人の所には行かなくなる
何かやはりうまくいかないことがあった、病気になって入院しても連絡もなかったとかなる
その女性は毎日苦しくても行っていたのである、でも何かその娘でも気遣いがなかった
一週間に一回隣の市から来るだけだった
そして他人が入るのを嫌がっていたのである、でも最近は話もして納得していたのであるでもこれからは行かなくなるのかもしれない、すぐ近くなのだけどあの調子では行けるようになるにしても行かなくなるのかもしれない、ちょっと対応がまずかったともなる
いつも娘のことを悪く言っていたからである、こうして介護とかなる人間関係でもめるのである
自分自身でも前の親戚とはいろいろあって切れた、自分が病気であり介護しているのに
事業で失敗したから借金しているから余裕がないからそうなったのである

つくづく余裕がないということは他人のめんどうなとそもそも見れないのである
何か自分自身がその女性のこと特別に親切にしているとかではない
たまたまそうなったのでありもし自分に余裕がなかったそんなことしていないのである
それはたまたま前の猫が死んで餌をやる時、餌を奪いにきていた黒い猫がいた
それを追い出していたが飼っていた猫が死んだのでその黒い猫に餌をやるようになった
でもこの猫は慣れないしかわいいともならないのである
でもなぜか餌をやっているのである
それとにていて人間の運命とは何かこうして出合いでもたまたま事情が生まれてその時々の状態の変化とかでそうなる
知っている女性が結婚したのはその家の両親が死んだためらしい、そして残された息子がいてその人と結婚したからである
好き嫌いはあるにしても何か人間には事情があって親しくなることがある

このめぐり合わせも縁も不思議なのである、もしかしたら神が出合わせているのかともなる、でも婚活とか演出しても意外とうまくいかないこともある
それはめぐりあわせが人工的に演出しているからかもしれない、そもそも人のめぐり合わせも不可解であり不思議なのである
そういうことはみんな身近に見ているだろう、なぜそういう関係になったのかとんうのも不思議だからである、だから人工的に作為的に人を出合わせようとしてもかえってうまくいかないことがある

ただ確かなことは別に自分はその女性に援助したいからしているのでばない
たまたまめぐりわあせでそうなったのと自分に金の余裕が今はあるからだとなる
こういうことで人間は意外と余裕がないと人を助けることなどできないのである
それでけ経済的に余裕がなくなる社会は危険なのである
みんな食べるものがないとか餓えていればもしそこに食べ物があるとき襲うようになる
米騒動などがそうだった、他にも中国では必ず食料不足になり暴動が起きて政権が倒れたからである、つまり人間が余裕がなくなることは内外でも危険なのである
中国でも食料不足になったら他国に侵入して奪いとなるからである

いづれにしろ意外と軽かったのか、脳卒中になった人は多い、それで夫を十年妻が介護していたという人を何人か知っている、それも長いのである、十年とか普通なのである
そのために脳卒中では簡単には死なないことは知っていたのである
そのためにかえって介護が長くなるから参ってしまうのである
その人を今日見た限り軽かったのかとみる、まずしゃべることは正常だということは脳損傷が軽かったのかとなる
ともかく脳卒中ではすぐには死なない、ただ私の姉は認知症になりすぐに脳卒中になり二年くらいで死んだのである、これは認知症があって脳卒中があったからそうなったのか?その辺が理解しにくい、認知症⇒脳卒中 脳卒中⇒認知症とかにもなる
これがどう関係あるのかわかりにくいのである

とにかくあの調子だとかなり回復する、だから意外だった、もっと悪いと見ていたからである、なぜそうなったのかというと発達障害者が仲介者となって伝えたからである
それで誤解したのかとなる、これも問題だった、やはりちょんとした人がいて伝えないと誤解するようになる、発達障碍者であり障害者と付き合うのはめんどうになる
何を言っているのか理解しにくいことがある、でもその障害者も軽いから普通の人と同じように見てしまうのである、でもその人を信用はできないともなる

いづれにしろ介護はこれから8050 問題で深刻になる、その息子もやはり50代だからである
そして氷河期世代とかなり金銭的余裕もないからである、この問題はこれから数が増えるから深刻である
近くで認知症の母親を介護しておむつとりかえるとき騒いで困り殺したという事件があった
これも悲惨だった、認知症は一番介護しにくい、またオムツをとりかえるとなると男性は苦しくなる
男性はもともと介護はしにくいから殺人になっているのは男性なのである
こういう事件はこれから頻繁に起きるかもしれないねなにしろ団塊の世代が数が多いからそうなる
その中には悲惨な状態になる人が多いとなる
私自身書いてきたようにもう死ぬ思いであり地獄だったからである
その時ただ責められるだけだったのである、多少は援助があっても周りにそうした余裕がある人がいなかったとなる
こういうとき相談できる人がいると助かる、でも金銭的なこととか簡単にはできないし相談にのるとして
負担が大きいから関係したくないとなる
そこで重要なのは援助するにしても余裕がないとできないのである

2022年12月16日

突然人は逢えなくなる、すぐ近くでも逢えなくなった (60以降に起きやすい、親との別れも・・・貴重な共にいる時間)


突然人は逢えなくなる、すぐ近くでも逢えなくなった

(60以降に起きやすい、親との別れも・・・貴重な共にいる時間)


その人は一人でいるからいつも親しくしていた女性が毎日通っていた、話し相手としてもまた多少治療のためにも来ていた、でもその女性は嫌がっていた
その女性はすぐ近くであり見える範囲にあり歩いて行っていたのである
でも突然脳梗塞になり入院した、すでに二カ月にもなる、別に街の病院だから近いのだから見舞いにも行ける、ところが自分自身が病気であり見舞いにも行けない、今はウィルス感染がうるさく病院でも警戒して入れないとなっているからだ

だからこんなに近くても逢えなくなるというのは驚きである
離れて暮らしていれば逢えなくなっている、それはわかる、でも同じ街内に住んでいて逢えなくなのことがあるのかとなる
その女性はまだ72歳とかであり男性は85歳とかである
でも治療していて歩くこともままならない、自分自身が病人だから逢えないしまた女性も脳卒中で歩けないとかなり逢えないのである
それで男性は相当に一人で淋しいとなっている、娘は一週間に一度しか相馬市からしか来ないのである
何か私自身でも経験したことは原町だと8キロもないくらいでも車だと近いようだがが
意外と手間になるのである、だから特別な肉親とかではないならめんどうだとなる
その娘にしても一週間に一回しか来ないのである

何か人間は老人になると別離が多くなる、親子でも兄弟でも夫婦でもどっちかが死んだりして永遠に別れる、逢えなくなるのである
それは常にそういうことが起きる、私自身も両親でも家族は全部死んだからである
回りでも知っている人が死んでゆくのを経験している
ただ別に近くでも親しくしていないのだからその人のことを余り思わない
でも別れが多くなりその分れも二度と逢わない別れなのである

だからこんなにすぐ近くなのに逢えなくなるということもある
それも信じられないとなる、歩いて逢えに行くこともままならないとなったからである
別れというとき肉親でも介護の時は早く死んでくれないかなとなる、負担が大きいからである、でも死んでみるともっと良くしてやれば良かったと後悔している
それはやはり苦しかったけど二度と逢えなくなったことにあった
もう逢いたくても逢えないからである、するともう一度逢いたいとなりそれが切実なものとなるのである

その男性にしてもその親しい女性にもっとやさしくしていれば良かったともみる
でもその男性にしても自分が病気なのだからいたわれる者としてあった
それが突然逢うこともできなくなったのである、意外と老人はこうなりやすい、突然病気になり倒れて動けなくなったりするからである
人間は老人になると死期が近くなるとなぜか必ず知っている人でも回って歩くという
最後の別れのために回っているのかと不思議になる、兄も一回私の家に来たがその後交通事故になり永遠に逢えなくなったのである
肉親でもそうして突然別れが来て永遠に逢えなくなるのである

そして死ぬとき後悔しているのがもっと人にやさしくしていれば良かったとか反省している、その男性もその女性にもっと優しくしていれば良かったともみる、ただ自分自身が病気なのだから相手を思うことそんなにできないということはあった
別に冷たい人間ではない、でも突然近くでも逢えなくなったということはショックになるだろう、それも百メートルも離れていない所に住んでいたのである

人間は最後はさよならだけが人生だとなる、身近な人でも死んでゆくからである
でも生きている時そんなに感じないのである、それで一期一会とか末期の眼とかが言われる、まさに残り少ない生きる時間を惜しむとなる
末期の眼で見る時その価値は金には代えられないものとなる
なぜならもう生きる時間は伸ばせないからである、いくら金があっても時間は買えないからそうなる
ああ、まだ生きているなということが感慨深いものとなる、なぜならもうこの世にはいなくなるからである、人ともみんな別れるからである
こうして生きていれば無駄に時間を浪費することはなかったとなる

逢うは別れの始めなりとかあるが本当にそうである、人間確かに逢うのだがそれは別れを前提としていたのである、だからこそ逢うということを大事にしろということで一期一会の思想が生まれたのである、ただ人はなんで逢うのかとなる
ただ行きずりで逢うこともありギャンブル仲間として逢うこともあり男女なら肉欲で恋愛で逢うこともあるし逢うといういってもいろいろである
何か目的が同じでないと人間は永遠に別れる、そもそも求めるものが違っているからである、社会にでればただ金儲けが目的であり会社でも目的は利益を得ることだけになる
カルト教団などだともう信心とかで逢うのではない、数を集めるために権力を得るために逢うとなる、だから権力を得られない金を得られないとなると離れる
人が出合っても目的がそういうものであるから当然そうなる
そしして金の切れ目が縁の切れ目となり永遠に逢わないのである

結局この世は出合いでも一時的であり生きるのも一時的である
永遠の住いでもない、一時の仮の宿になる
そして神が結びつけないものは離れる、家族ですら離れる、神の国でこそ永遠に生きて別れることがなくなる、ともかく人間は本当に出合いにしろ逢うにしろ一時的なので悪
だから熟年離婚も多いのに驚く、68で離婚した人はおそらく不倫なのだろう
また嫌で嫌でしょうがなかったがやっと離婚できたとか老人でもいる
同じ墓に入りたくないという人も多い、こうなると別れて当然だとなる
男女でもその出合いは一時的なのかとなる、そこにも無常がある

集団とか組織でもカルト教団などでも一時的なものである、あとは烏合離散して終わりである、そもそも信仰など求めていない、俗世と同じようにこの世のもの権力であれ地位てあれ金であれ女であれあらゆる欲を求めて集まったからそれができないとなると離散してゆく、そんな場所なのである、群衆とか大衆とかなるとそこに集まっても騒いでも一時的でありあとは烏合離散するだけだとなる
会社でも実際は長い時間を共に過ごしても退職するとその関係も終わる、継続しないのである
人間が出合いとは何なのか?毎日買い物しても物を買ってもそこに出合いはない
現代は実際は広域化してグロ−バル化しても人間が出合いということがない、出合い意味が見出されないのである、それでナチスのようになり集団化するのだかそこに出合いがあるわけではない、何かそこで偽りの一体感を持ちでも虚しく離散するのである

人間がパーツになりアトム化して真実の出合いとか結合などないのである
これだけの多くの人間がいても真の出合いは極まれにしかないのである
それより死んだ人の方が老人になると親しくなる、家族とかでも死んだ人の方が死んでもいなくなっても依然としている感じになっているのである
それは一緒に長く暮らしたということでそうなっていたのである
もしかしたら一緒にいる時間と比例して親密になっているのかもしれない
でも子供の時一緒に暮らさなければ実の親でも兄弟でもそういう感じにならないのであるだから子供の時の時間は大切だったともなる
それで熟年離婚とか損に思える、そもそも人間の時間は何でも限られている
一緒に暮らす時間でもそうである、ABCDE...とか人がいても長く暮らす人は数人でしかないからである、だから共にする時間が貴重だったのである

もう一度呼んでもらいたい
母であれ姉であれ父であれ兄であれ
私の名前を呼んでもらいたい
そこに愛が通っている
今そうして呼んでくれる人は一人もいなくなった
ただ死んだ人に呼びかけるだけになった
でも死者は答えない、でもそうする他なくなった

人の出合いは何なのか、それは一時的である、でも目的が同じならまた逢うことがある
目的が違うから逢わなくなったのである、真に神を求める人ならまた逢うのである
でもそういう人はめったにいないのである
だからこれだけの人間がいていつまでも思っている人もいない、人はただ烏合離散するだけだとなる、現代は何か広域化グロ−バル化すると余計に確かに多くの人が交わるのだが親密に交わる人はまれになる、江戸時代のような村だったらもう同じ土地に住み共に生活しているのだから自ずと親密になる、ただそういう閉鎖した村は嫌だともなる
だから現代は別に村とかの狭い窮屈な場に住む必要がない、それで人と土地でも人と人でもつながりは希薄化したのである
そこで金の切れ目は縁の切れ目となるのが顕著になったのである、ただそれで自由を得たとなる、でもそこで失われた物もあった、人間は土地とのアイディンティティも持てないとか人と人も一時的であり絆がもていないとかなった
そのためにこの辺の津浪とか震災で絆が盛んに言われたがそれは外との絆であり内部では補償金の争奪で争っていたのである、つまり金の力が余りも大きくなってそうなったのである

2022年12月15日

政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか? (メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)


政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか?

(メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)

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なせか今の南相馬市の門馬市長は批判されている
でも桜井前市長は批判されないのである
この理由が良くわからないのである



●政経東北が渡部恒三を今も持ち上げるのは何故なのか?

ただこの福島第一原発は3〜40年が稼働限界だとされていました。
その前提に従い前福島県知事佐藤栄佐久は原発を廃炉にすべく手続きを行い徐々に機械を停止させようとしていた。
原子炉の寿命を延ばし能力を上げるプルサーマル計画も許可しない方針で、一時期には完全に停止させています。

この現福島県知事、民主党佐藤雄平という人物はナニモノなのか?
でちょっと調べてみたんですが、渡部恒三の甥なんですね。
つまり叔父さんが誘致した原子炉を自分の代で廃炉にしたくなかった、というかなり個人的な理由でプルサーマル計画を受け入れた可能性がある。
まあまんざら渡部恒三に原因が無いわけでもない

しかし、中曽根康弘、正力松太郎に源流をもつこの国の原発推進策に、なんら疑問をさしはさむことなく、福島はもちろん全国に「原発安全神話」を吹聴してきた一人こそ、渡部氏その人ではなかっただろうか。

「私の選挙区福島県は日本の原発の30%を占めているが、そこで育った私はこの通り元気いっぱい、健康そのもの。原発をつくればつくるほど国民の健康は増進し国民は長生きし厚生行政は成功してゆくのではないかと思う」。

ばかばかしくて、このブログにのせるのも憚られるが、渡部氏の支離滅裂な思考法や、おべっか使いの人間性を物語る挿話としては、なにがしかの意味があるかもしれない。

衆院や参院の議長といった名誉職に就くことだけが残された政治家人生の目標であるに違いないこの人物を、黄門様だのご意見番だのと持ち上げて、何かにつけてコメントを求めるマスメディアは、いまいちど、彼の言行録を総点検してみてはどうか。
https://ameblo.jp/aratakyo/entry-10881034842.html

渡部の甥の 佐藤雄平 は福島県知事で、
黄門さまと共同でアメリカ企業のご機嫌を伺って原発推進してました。
国会議員一人の力でここまでたくさん原発作った例は過去に一度も無い。
同じ原発王国の福井や新潟と比べてもその差は歴然。

しかも発注したのが米GE社製不良品だったからこのザマ。
そのうち渡部恒三が昔この原発宣伝してた映像が出回るようになって議員辞職確定だろうhttps://armchairanthroposophyst.hatenablog.com/entry/20110321/1300675636


福島原発事故は人災だ。渡辺恒三は誘致した責任をとり即時議員を辞職して放射の悪被疑者に詫びよ。日本の悪党たち(官僚。大手メデイア11社。既得権益勢力。など」と裏で連携し小澤さんをいわれのない(疑惑」で追い落とす民主党内の悪党の先導役をしていた渡部恒三のような裏切り者が福島県民を不幸のドン底へ追い込んだのだ。

渡辺恒三は福島県で一番力を持っていたんだろう
そいつが口だけではない、実際に第一原発の土地を持っていた!
これは責任を逃れようないよな
佐藤えいさく-前の知事は原発反対だった
それで甥を知事にした
そんなこと福島県のメデアでも誰も追求していない
福島県も原発利権にどっぷりととりこまれていた
それで外部から福島県が自業自得だというのは福島県民として辛い
福島県民も監視役もないしみんな原発の危険性を言う人はいなかった
南相馬市は原発から遠いと思っていたから自分も大丈夫だと思っていた
原子力には無知だったし無知にされていたのだ
それが今回の苦しみを生んだのだ

「原発で長生き出来る」などとほざいていたくらいだから。

事故以後にまったく顔を出さないのが甚だ怪しい。
自分の出身地であり選挙区でもある福島県が危機に瀕しているのにもかかわらず発言も聞かない。
普段なら出るなと言っても出しゃばる男なのに。
本人は原発利権と裏切りの人生、息子はCIA工作員、甥がMOX(モックス)知事・・この一族、終わってるな。
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/439.html

●なぜ政経東北では渡部恒三をもちあげるのか?

●南相馬市の前市長の桜井氏をもちあげるのか?

●相双リテックを裏表紙で堂々と宣伝していたのか?

政経東北の12月号で渡部恒三記念館ができたとか政経東北は原発事故前からその後でも持ちあげている、これは異常ではないか?
なぜそれほど持ち上げるのか、原発事故前ならまだわかる、そもそも原発については隠ぺいされてわからなかったからだ、その隠ぺいされたことは権力によってそうさせられていた
原発は国が主導して県に命令して南相馬市とか相馬市とか地元とか双葉町でも大熊町でも自治体に何ら反対することもできない仕組みになっていた
強力な国の権力と東電が一体になり作られていたのである
そしてその利権は余りにも大きいものだったのである、庶民には想像を絶するものだった原発事故以後も補償金だとか除染とかで十兆円とかの規模にもなる巨大なものだったのである、国家的事業であり太平洋戦争とも似ていたのである
だから地方自治体にどういうものか説明もされない、何か原発自体立ち入り禁止であり
アンタチャブルな領域になっていた、ブラックボックスになっていた

そこに政府官僚が検察でも警察関係者でも海上自衛隊でも天下りしていたのである
その強大な権力に反抗することもなにもできない、そもそもその内部のことなど立ち入り禁止であり知る術もなかったのである
そもそも国ー県ー自治体があるとしても自治体は関与できなものでもあった
そこに御用科学者もいてもう何もできない、調べることもできない、鉄壁の権力で作られていた
そこにマスコミでも福島県のマスコミは何ら危険を知らせるとかなかったのである
それより原発推進でありそのために電事連から800億円がありそれが宣伝費として回っていたのである、これも巨大な想像できない金である
そして原発事故があったときマスコミ関係者の幹部が中国に招待されていたのである
そこに朝日新聞社も招待されていたのである
つまりこれだけの権力を持っている組織が原発の「安全神話」を作っていたのである
これは鉄壁の布陣であった、それを砕いたのはマスコミでも何でもない、津波だったのである、とてもこれだけの権力になったら人間では破壊できないものになっていたからである

●読売新聞社の正力松太郎が最初の原発推進者だった

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読売新聞の日本テレビ系が創価の宣伝をかなりしている、宣伝費が相当に入っている


そもそも原発は読売新聞社の正力松太郎がかかわり作られたのである

 正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。
 当初はアメリカも、弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた

何かマスコミとかその背後関係はわかりにくい、正力松太郎はCIAのスパイだったという
戦後日本を支配するためにそうなった、戦後はいづれにしろアメリカに負けたのだから
アメリカに従属する他なかったのである、だからアメリカの力を借りて読売新聞社と日本テレビを作り育てたのである
こういう裏があってもマスコミは原発事故後はそれを明らかにしていない
読売新聞社でもその創始者を批判したりしない、そしていかにも事故後は原発事故の避難者とかを助ける方に回って援助していると積極的に加担したとなる
それが矛盾していたのである、自分達の会社の非を知らせずに原発避難者に協力している地元の人達はそれを知らないのか批判もしなかったのである

マスコミもこうして利権にあづかっていたから原発の危険を知らせることもなかった
例えば潮とかの雑誌を出している創価の聖教新聞でもそれがマスコミで二番目くらいに多かったのである、環境保護となにか原発を表に出さないでうまく原発推進の広告を出していたのである
創価とはともかく権力を得ることしか頭にない、だから利権となればどんものもでも食いついてゆく貪欲なのである、それが危険でもなんでもかまわないのである
創価の雑誌でもまず広告費をとることだと発破をかけている
新聞とかテレビで一番大事なことは真実を知らせることではない、広告費をとることなのである、その最大の広告費をだしてくれのが電事連とかになる
その額があまりにも大きいからである、つまりマスコミはそもそも報道するだけで金がかかりすぎるからそうなる、社員の月給でも払わなければならない、新聞だったらいちいち一軒一軒配達しなければならない、新聞をするだけで金がかかりすぎるのである
それで福島民報では創価の聖教新聞を刷っているのである
ここからして今統一教会が責めているが創価を福島民報では責められないのである

つまり福島県のマスコミ自体が完全に政府であれ官僚であれとりこまれていた
だから原発の批判できなくなっていたのである
福島民報は県で50パーセントも出資もしている、県や政府の広報機関になっていたのである、今ではインタ−ネットで盛んにこうした既得権益を持つものを批判するようになった、ただ11年前の原発事故だとまだyoutubeとかは盛んでなかったようである
何か権力を持っている批判しにくいのである、最近なぜあからさまに統一教会問題でカルト教団が批判されてそのために創価でも批判される
それはやはり会員数も減り票も減り弱体化しているからたたくようになったのである
これからますます弱体化すればその悪は暴露されてゆく、渡部恒三でも現代の水戸黄門様とかメデアでもてはやされていたことでもわかる
でもその黄門様が悪徳代官でもあったとなる、そうなったのは津波の力でもあった
もう人間の力ではその悪を暴露などできなくなっていたのである



●いかなる報道機関にもメデアには中立はない

マスコミが矛盾しているのは政経東北でも盛んに原発の責任とか情報発信して批判している、でも政経東北自体が悪の権化ともなく渡部恒三を未だに持ちあげているのか?
ここに何か裏がありもともと資金も入ってきたためのなのか?
そのことは相双リテックの宣伝をしていたことでもわかる、その会社は除染の費用何十億を幹部が山分けしていたからである、つまり政経東北もまたその利権にあづがっていたのである
それで原発関係のことで記事にしているけど矛盾がある、自らが襟を正さなければ真実の報道もできないとなる
ただメデアには中立という意味があるけど中立でありえないのである
どんなメデアでも人でも中立であることはむずかしいのである、その中立でありえないのは必ず利権がかかわるからである、人間はやはり金に左右される、金をくれるならおめこぼしするとなる、また積極的に宣伝もするとなる、それは費用がかかりすぎるからであるもしインタ−ネットで報道するならプログなどでするならまたyoutubeでもするなら金はかからないのである、手間はかかるとしても金はかからない、すると中立でも真実の報道はできるのである、私自身がそれをしている、誰からも金などもらっていないからである別にもらわなくてもできるからしているのである
それは影響力もたいしてないから注目もされていないからだともなる
でも原発事故では現場にいた一人だからやはり報道するには有利だったのである
内情がある程度わかっているし自分自身とも深くかかわるものとなったからである

原発事故では報道もマスコミも批判された、確かなことは報道は報道するものによって必ず偏る、自分たちの有利なように報道する、それはいかにも中立を装うNHKでもそうである、NHKは相当に偏っているのである、原発事故でも津浪の被害者より原発事故の被害者の方を優先して報道した、その数も多いからかそうなった
そして地元の人でない人は津波の被害者と原発の被害者が同じ地域にいた
仮設住宅にも団地のような所にもいた、そしていわき市の方で暗に津波被害者が原発避難者に冷たいと言わせていた、それは津波被害者は原発避難者のように補償金をもらっていなかったからである、そこに不満があり仮設でも一緒にいても話すこともなかったとなっていたのである
でもなぜ原発避難者側に味方する報道をNHKはしたのか?
それは幹部達が協議して今話題なのは国民の関心が原発避難者にあるは見たかららしい
とにかくNHKは金には困らない、余っているとしても中立ではないのである
そもそも中立な報道機関はないのである、何かしら偏っているのである
個々人でも争っているとき双方の意見を聞かないと判断を誤る
何事賛成反対がある、だから一方だけを話させるとき不公平になり判断を誤るのである
だからかえって赤旗であれ聖教新聞であれ偏っていてもそういうものだとして見ている
でもNHKとかは他でも中立を装うから偽善にもなる、実際は中立ではないのである

今年も終わりになるが原発事故関係ではあまり書かなくなった
日本全国でも関心が薄れている、でもこの原発事故や津波の被害は世紀末的な大きな事件だった、だからこれは歴史的にも大きな事件であり後々まで追求される
そして真実が明らかにされる、その時権力を担ったものが責任があり追求される
権力を持つことは大きな責任をともなっている、現代ではその責任は金になる
金を多く持っている人は責任がある、一万には一万の責任があり十万には十万、百万には百万、千万には千万、一億には一億とか十億には十億とか責任が課せられているのであるそして悪事は隠ぺいできない、いつか暴露される、それには時間がかかる
一世紀とかかかるとか歴史だともう千年前のことでも悪事がようやく暴露ささて語られるとかなる、でもいづれにしろ悪事でも隠ぺいされたままにはならない、いつか何らかの切っ掛けで暴露される
その悪事も暴露するのがマスコミなのだけどそれが何の役目も果たさなかったのである
むしろ悪事を推進する方にもっないたのである、だからマスコミは信じられない、その権威は失墜した、インタ−ネットでも問題はあるが報道もマスコミだけではない何も権力もない人でも報道して批判している、突出していたマスコミの報道も水平化されたのであるだから独占権力だったマスコミは驚異となった、もう新聞を見ない、テレビも見ないとなるとその役割は終わったとまでなるからである
posted by 天華 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年12月14日

物と心が分離した経済 (でっかい磯部の梨を与えて考える)


物と心が分離した経済

(でっかい磯部の梨を与えて考える)


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でっかい磯部の梨

でっかい磯部でとれた梨
それを病院入院した母親に
食べさせろと息子に与えた
その息子は発達障害者
その梨を食べて癒されるが良い
与える心がその梨に宿りまた伝える
それはただ金で買うものではなく
心がその梨に宿る
磯部で育てられたでっかい梨
この土地に育まれこの土地の人の手で
いつくしみ育てられたもの
それはただ金で買うものではなく
その梨にはこの土地と人の手で
育てられたものとしての価値がある
物と心が一つになったもの
そうしてその梨を味わう時
その梨はただ食べるもの
腹を満たすものではなく
心も充たされるものとして価値がある
死者への供物は金はふさわしくない
土地の実りと人の手を加えたもの
実物を献げてこそ供養となる
その磯部のでっかい梨
ありがたく食すべしかな

古代ギリシャ語には「oikonomia(オイコノミア)」という単語があるんだけど、この単語を英語で表すと「management of a house government」という意味になるんだ。「oikos」という単語には家庭という意味があって、「nomia」はルールとか決まりという意味があるんだよ。つまり「家庭におけるきまりやルール」という意味の「oikonomia」という言葉が変化して「economy」になったと考えられるね。


今経済でも問題なのはグロ−バル化であり広域化経済でありグロ−バルな市場経済でありグロ−バルな金融資本主義でありとかその規模が余りにも大きすぎて本来の経済の言葉とはかけはなれるようになった
それは天文学的な数字となり株式市場でも金が動き数字化される
経済の語源は漢字だと経世済民なのである、民を救うということにあった
またエコノミーとは家政から始まっていたのだからその相違は余りにも大きいのである

そもそも現代社会がなぜ歪めれたかとなるとその起源が貨幣の出現によっていた
これはいい悪いにしろやはり人間が生活するために必然的に生まれたのである
物々交換ではとても商売も成り立たないからそうなった
でも貨幣を紙幣を媒介とするときそこにどうしても歪められるのである
だからこそ貨幣により物神化とか人間疎外がそこに現れたとかなる
これはむずかしいかそもそも貨幣が紙幣が生まれたこと自体にすでに経済を歪めるものとなったのである
そしてギリシャの紀元七世紀にもすべてが金だとなり嘆いていたのは今と同じである
すべての価値は金に還元されて後は無視されたのである
すでにそんな昔から金の弊害が極端化していたのである

そもそも価値はすべて貨幣で金で計れない!

これだけは確かである、市場化してそこで金で売買されてもそれが正当な価値として売買されないのである、そうした矛盾がすでにありマルクスの理論が生まれたのである
今は貨幣がデジタル化して数字になり株式市場では数字として処理されるだけになったのである

磯部でとれた梨の価値、その背景にはその育った土地がありまた育てた人がいて商品となる、でも市場にでるとその品質と値段だけが問題になる
買う人はその梨が作れる背景など考慮しないからである
現実にただ消費者がみるのはその梨がうまいか、後は値段だけである、一応生産した土地とか人を見ることはある、でも生産した人はみず梨の味とか値段だけを見るのである
でも地元だと磯部の梨ということでその土地と人でもイメージするのである
磯部は津波で村落自体が消失した、でも高台の方は被害がなく梨は作られていたのである
こうして商品経済になると人は味と値段しかなみない、現実に自分自身にしても近くに味噌屋があっても一人分買うとなるとめんどうになるからスーパーから選んで買うだけになる、また米でもいろいろな米があり地元の米を買うとは限らないのである
そうして商品は外国からも入ってくる、そしたらその商品がどうのこうのいちいち考えることもできないのである、ただ味とか品質とか値段しか見ないのである
そうして物と心は分離したのが現代のグロ−バル化した大規模経済なのである
そこで金が貨幣が大きな力を持つことになったのである
金はもともと地元にはない贅沢品を買うものとしてあった、それで宝貝などが貨幣の代わりとなったのである、漢字では必ず貝とつけば貨幣とか財になっていたからである
また貴金属が貨幣となったのは遊牧民などの財産となったのは持ち運びが容易だからそうなったのである

いづれにしろ磯部の梨というときその価値は地元でとれたものであるからどうして遠くでとれるものとは違ってそこにその土地と人をイメージする
外国とか遠くなるとまさにその商品しかみない、でもバナナをとるにも結構暑いし楽でないとと日本人が語る時、バナナがどうしてとれるのか知ったとなる
するとただバナナという商品だけを見ずにその背景を考えることになる
現代はとにかく物と心は分離しているのである、膨大な商品があってもいちいちそれがどういう経過で作られたのかとわからないからである
それで貧しい国の人達が工場で作られたらか安いものとして売られているとかグロ−バル経済でそれは人権として問題だとかなる、酷使されて作られたから問題とかなる
でも買う人はそんなこといちいち考えないのである、考えることもできないのである
そこで物と心は分離するのである

東洋的な思想では仏教でも色心不二というとき色は物でありそれが一体だと説いている
そもそも日本語でも物とはいうときものが憑くとか物心とか物と心は一体とみていたのである、そもそも物とは本来は値段がつけられないものともなる
例えば果物でもリンゴとかミカンとかバナナとかあってもそれは別々の価値があり味がありどっちが優れているというより別々の価値なのである
その価値は貨幣では計れないものなのである、それは色にもいろいろある、赤とか黄色とか青とかあると同じである、どっちが優れているというより別々の価値があることなのである

とにかく経済の規模が大きくなりすぎたのである、そうなると物と心は当然分離する
でも別に貿易とかは否定できない、ただ人間の心の問題として経済をみるときもう物と心は分離してしまったからこそマルクスの物神化により人間疎外とかになったのである
今や人間そのものが物であり貨幣で計られる存在でしかないのである
人間を金としてしか見ていないのである、だから私の家に金をくれると来て実際に屋探して大金を盗んだ人がいたのである、つまり人間は田舎であれ都会であれ今や関係ないのである、金こそすべてになってしまったのである
だから原発事故でも補償金をもらったらその土地をすぐ離れて仙台市に住んだとかばらばらに住むようになったのである、それは金があればどこでも住めるのだから原発事故で荒廃した故郷に住みたくないとなったのである、放射線被害があることでそうなったがそれだけでもない現代社会が金があれば別にどこに住んでもいいしもともと故郷に住みたくない人もいたらこの際一億円もらったら都会で暮らした方がいいとなり移り住んだ人も多いのである

ただそこで失われたものは何かなのか?

そのことが後でわかるようになるかもしれない、ただ現実は金しか見えなくなているのが現代社会なのである
ただ磯部の梨を与えた時、病人に与えた時、そこには何か物を通して心が通う、物と心が一体化したものとしてある、それを自ら梨を与えて感じたのである
もしこれが本当に私自身が梨を地元で作り与えたら本当に心と一体化したとなる
だから田舎で自分の土地で育ててとれた野菜でも分けてもらうときは何かスーパーで買うものとは違って心も受け取るとなる、ありがたいとなもなる
金になるとむしろ金で買う方が消費者が王様となってしまいそんなことにはならないのである

現代の人間はそもそも労働でもなんでも金で計られている、時給いくらだとかなるとあなたの価値はそれだけだとなる、その他は見ないのである
だから人間疎外として現れる、労働が人間を作り価値を作るものとなっていないのであるそのために労働を拒否するニートとか引きこもりが大量に現れたのである
もちろんここには甘えがあり問題があるから肯定できないとしても人間の労働は本来そういうものではない、人間の価値を作るものでありそれは必ずしも金で計れないものである人間の一生の価値がなにかとなったときそれは最後は金で計れない、そうなれば十億円ためた人が最高の価値がありとなり後世にも価値ある人として残るとなるが必ずしもそうではない、最後に人間の価値は金で計れない、その人の価値は何なのかとなると様々であり
でも金ですべては計れないのである、それで今になると銀行員の価値は下落した
投資信託でも株式でも証券会社のようになり銀行をもうけさせるだけであり銀行員の言う通りになるなというときそうである、それは銀行が得するものであり客はそうではないからである、するとどうなるのか、銀行員は地域に住んでいてもだます人なのかととも見てしまう、そうしたら田舎とかに住んでいても銀行員を価値あるものと見なくなる
そうしたら銀行員でもその職業自体いいものではないとやめる人も増えてくる
でも大工とか職人とかならその人はその腕に見合ったものが金として払ってもまた地元でも尊ばれるのである、それは医者とかでも農業とかでもそうである
すると銀行員になるより別な職業を選んだ方がいいとなる、そのために銀行員から農業をするようになった人がいたのもわかるとなる

金ですべての価値は計れない!

でも現実はそうなっている、そこに現代社会の大問題がある、グロ−バル経済がすべて否定できないにしてもそれが物と心を分離するからそうなるのである
posted by 天華 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年12月13日

冬の朝の虹(写真) (六号線の塩崎方面にかかる)


冬の朝の虹(写真)

(六号線の塩崎方面にかかる)

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朝に雨夢かと消ゆる冬の虹

高平から川子を回り塩崎の方でる道を行くと虹が出ていた
小雨が降っていた、でもあんな方向から虹を見たのはめずらしい
ここではたいがい海の方向に虹を見る、山の方に見るのはめったにない
虹を見る時は縁起がいいとはなる






2022年12月12日

冬の日の俳句十句ー鹿島区から原町へ (枯菊、冬紅葉、葉牡丹、冬の暮・・・)


冬の日の俳句十句ー鹿島区から原町へ

(枯菊、冬紅葉、葉牡丹、冬の暮・・・)

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あわれかな里の小径にあきつ死ぬ

冬の日や里の小径を今日も行く

枯れ菊や今日も行く道日あたたか

葉牡丹の白紫や据えし石

家籠もる曇り硝子冬紅葉

めぐり来る母の命日冬紅葉

塀長く家を構えて冬紅葉

深野(ふこうの)に構えし家や冬紅葉

家一軒林に隠れ冬の暮

ユッサの湯庭に石五つ冬の暮

残りたる五輪塔の墓冬の暮

継ぐ家や冬菜に墓地に残る柿


白鳥の朝の飛翔や鳴き声の晴れし空にそひびきわたりぬ



里=人の住まない山などに対して,人家のあるところ。村落。人里。
田舎。在所。ふるさと。
そこから、実家 在所を
指すように、なりました。
home town of something

宛所が「里刀自」とあり、三六名の農民を郡司の職田の田植のために徴発するという内容のものである。まず第一に、刀自は、家をおさめる主人を家長、主婦を家刀自とするように、集団を支配する女性をよぶのに用いている。

里刀自小論 : いわき市荒田目条里遺跡第二号木簡から
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019549184

天皇の藤原夫人(ふじわらのぶじん)に贈へる歌一首

わが里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)

里は狭い範囲であり隣に里がありそんなに離れてはないのである

日本にも中国の「里」が伝えられ、律令制では、大宝律令で「里 = 5町 = 300歩」と規定されていた[3]。

当時の尺は、現存するものさしの実測によれば曲尺(1000D 33 cm ≒ 30.3 cm)より2   3 %短いため、歩・町も同じ比率で短くなる。当時の1里はおよそ533.5 mであったと推定されている[4]

里とは自然界と人間界がありその中間になる、里は人間化した畑とかある田んぼでもある場所である、でも自然界と接していて動物でも侵入してくるが里には人間が住んでいるので動物も入ってこない場所としてあった、棲み分けがあった
最近は熊もでも自然界に棲息していたものが里にでてきて人間が住む都会まで出没するようになった、里とは動物でも入らない場所だったのである
動物の棲息範囲から逸脱するのは森に食料がなくなったためとかなる
雲南とかでの野生の象が都市まで出てきたのがそうである、食べるものがなくて移動したのである
動物との棲み分けが必要であり里はその境界として機能していた、動物は里まで出てこなかったのである、ただ里に人が住まなくなると熊でも猿でも侵入している
それは原発避難区域になったところではそうなった、猿でもイノシシでも侵入してきたからである

里というと里とは人間が作った庭の延長のようにも思う、なぜなら故郷でもは里くらいの狭い範囲だと庭のように思えるからである、だからそこで赤とんぼでも死んでいるとあわれだとか見るのである、蛙などでも極めて里にふさわしい、蛙が鳴く声は里にひびくのである、一時は原発事故のために田んぼが荒地になった、その時蛙も鳴く声も聞こえなくなったのである、つまり田んぼも里の景色として第二の自然となっていたのである
蛙はそうした人間化した第二の自然の中で鳴いていたのである
里の範囲だと庭の延長であり何か人間化しているのである
不思議なのは里というとき日本語ではさとるから来ているともなる、里に住んでいて悟るとなる、里の範囲なら狭いから悟る納得して知る範囲にあり愛情でも通う範囲ともなる
村は群れるであり人間をイメージする、自然はイメージしないのである
だから里というのは日本の風土から生まれた独特の感覚なのだろうとなる

枯菊に日があたたかくさしている、これは老人をイメージするのである
親を介護する感覚になる、ただ枯菊が多すぎる老人が多すぎるのが問題なのである

冬紅葉というとき母は12月15日が命日である、それで冬紅葉記とした
今は冬紅葉の季節である、
新田川のユッサの庭には五つくらい石がある、でもものたりてい庭である
もう少しいい庭にすればいいが狭すぎる

白鳥は増えた、20羽くらい見た、白鳥は飛ぶ時が気持ちいい、これから本格的な冬になる、みちのくの冬はわび、さびがあり冬らしいとなる
みちのくは依然として荒野の感覚がある、それで枯野がふさわしいとなる



人間は物語を残す(history)と同時に教訓を残す (でも人間は知恵の実を食べて神のようになったとしても賢くなれなかった)


人間は物語を残す(history)と同時に教訓を残す

(でも人間は知恵の実を食べて神のようになったとしても賢くなれなかった)

●個々の体験から教訓を得る

お骨には意味がなくその人の一生が人生でありそのstoryを残すと私自身の家族の歴史から書いた、それは私的なものだから他の人は関係ないとするかもしれない
でもやはりstoryはhistoryとなったように歴史は物語でありその物語が必ず教訓を残しただからいろいろな庶民が残した諺ですら人間がこれまで生きてきた中で残されたものであり教訓となっているのである、それは時代が変わっても変わらないから活きているのである、ということは人間そものもがいくら科学技術とか社会が変わっても変わらないから活きているのである
「金の切れ目が縁の切れ目」というときでもそうである、それが今は極端にそうなっているが昔でもそういうことがあり今に活きているのである

私が経験したことを書いたが私的な家族のことに留まらない教訓として読めるともなる
深く読んでもらうと確かにそこには教訓がある、兄の不幸は私の家とかかわり私の家が責められるものだった、でもその後の兄のことが全部私の家の責任とはならないと思う
何か金使いあらく結婚してもうまくいかず借金したことで離婚になったのか、そのいきさつはわからないにしろ何かしら兄自身にも責任があったともみる
いくら不幸な生い立ちでもその人自身がその生い立ちや環境にその責任がすべてあるとは思えないのである、ただ自己責任を余りに言いすぎるのも問題である

兄は過酷な運命に生まれたことは確かである、でも境遇はみんな違ったものになる
その境遇のせいにすべてができるのかとなると疑問である
ただ同情することはありそれで墓標を建てたてて供養している
ただ不運の星の下に生まれた人はいる、するとそのカルマを相当に自覚して生きないと
同じことが起きるのかともなる、兄の交通事故の原因はそもそも離婚したり借金したりと追い詰められた結果そうなったともなるからだ
それを恵まれた自分自身が言いにくいにしてもそうである
人間は誰しもカルマを背負っている、それが苦しみとなって現れる

人間は何であれ一人の一生でそれが別に優れた人でもなくても必ず教訓を残すのである
実家のめい子にしてもそうである、母が姑に嫌われたとしても自分だけは金持ちの人と結婚したりして娘を置いてそうしたから今度は認知症になったときその娘に頼ることはできなかったのである、娘は母親とすら思っていなとも見たからである
ただ金が欲しいというだけだったからである
その不幸は家を出るなら娘と一緒に出るべきだったともなる、自分だけが出て金持ちの人と再婚したということは勝手だったとなる
子供手放すというときそのことがあてはまる、それも教訓だった
小説ではないが小説でもそれが事実に基づいているから教訓を伝えるとなる
ただ私自身は小説は苦手でありなかなか深く読めないから読んでいない
でもこれを題材にすれば小説家なら書けるだろう、事実から小説が生れているからである

●歴史も必ず教訓を残すから学ぶべき

歴史もhistoryも必ず人間に教訓を残してきたのである、だから歴史を知るというときそこから教訓を学ぶということである、歴史となると大きなものになるからわかりにくいことがある、でも必ずそこから教訓を伝いているのである
その教訓を読み取る努力が必要になる、これは相当にむずかしいことになる
個人でも謙虚になれということはわかる、でも歴史の中でもやはり謙虚にならないで傲慢になって失敗した例はいくらでもある、野郎自大国が漢をみくびって戦争に負けた
そこにまさに夜郎自大国になっていたのである、それも教訓だったのである
それは実際日本の太平洋戦争でもアメリカの大国と戦争して勝てると思ったのも傲慢だった、相手をみくびりすぎたのである、そしてアメリカがどれだけ強大な国かを知らなかった、アメリカを直接接して知っている人はわずかだったからである
だからやはり野郎自大国になっていたとなる

結局なぜ人間は失敗するのか、それは傲慢になったからだとなる
個々人でもそうである、事業に失敗した人は意外と傲慢になって失敗したとなる
母親の実家の父親は警察署長だったから機織りの会社を経営して成功すると思っていたのである、でもその方面の経験とか知識に欠けていたようである
詳しいことはわからないにしろ警察署長だから成功すると思い傲慢になっていたのである母が言うには威張ってばかりいたと言っているからである
何かこの傲慢になることが人間が失敗する原因で多いとなる、その人が事業に失敗したのも確かに簡単に誰もとれない一級の免許を持っていた、だから会社に勤めている時は優秀な技術者として認められていたのである、でも事業をするというときまた違ったものになる、でもその人もそういうふうに技術者として優秀だと認められていたから事業を起こしても成功すると思っていたのである
その失敗の原因は傲慢になっていたということにあり共通しているとなる

他人のことを言うが私自身も失敗だったのである、結局何かをやろうとしてやることもできず引きこもりで終わったとなる、そういう機会も与えられず終わったとなる
多少教育に興味があったがそれも結局は経験を積み重ねることができず失敗だったとなるただもともと短歌とか俳句とかは作っていたからそれは継続して詩でも作って来たのである、その面では積み重ねで我なりにいいものができるようになったとみている
でもそれも時間をかけたらやっと死ぬ頃になって花が開いてきたともなる
人間は最初は芽にすぎない、でもそれが花開く時がくる
それも時間がかかるのである、自然と接して自然を知るには時間がかかる
だから都会から何か都会人からは芸術家とか天才が現れないというのも自然と接することがなく自然がどういうものか学べないからだとなる

●老人は経験を積んで賢くなる、二百年も生きればもっと賢くなる

だから青年はどんな老人でもいい、その老人から何か学ぶものがある
例えばとるにたらないくだらない老人でもあんな老人になりたくないとみれば学んでいるとなるからである
どういう老人になるかとなるとやはりすでに若い時から人間形成が始まっているのであるつまり若い時が大事なのはその方向が決まるからである
それでカルト教団などに入るとそうした時間でも労力でもただ奪われるだけだとなるから怖いのである
ただ私の場合は別に早い時期にやめたからそれも一つの経験であり教訓を得たということである
人間はもしかしたら成功した時かえって傲慢になり教訓を得ることがない
でも失敗した時必ず何らかの教訓を得るとはなる
人間とはその繰り返しカルマの繰り返しだともなる、なぜならカルマは延々とつづくからである
恐ろしいのは原発事故の失敗は未来永劫続くということである
その事故の失敗は余りにも大きいものだったのである

ともかく人間は賢者になれない、その歴史を見ても愚かである、その愚かさは何百万人も戦争で死ぬとなるから怖いのである、その反省があれば戦争などしないとなるがやはり依然として戦争があるのは人間が賢くなれないことなのである
一人の人間が賢くなったとしても大勢の人は賢くなれない、それは大衆化した社会をみればわかる、民主主義の数で決める政治ではかえって能力もないモラルもない人が選ばれていることでもわかる、数で決めるならどこでもそうなる
何か先見の明がある人など選ばれないだろう、政治とは権力争いでもあり権力を掌握するものが命令するともなるからである
要するにこうして人間が賢くなれないことが絶望的なのである
それは民主主義であれ社会主義であれ資本主義であれそうである
システムや組織を変えたとしてもそうである、個々人のレベルがあがらないと根本的にな解決にならない、でもどうしても大衆社会では賢者とかはありえないのである
水平化されてみんな同じだとなるからである
それで賢人政府なども実現できないのである

●エデンの園の禁断の実を食べて神のようになろうとしたがなれなかった

それは人間のような知恵がないからである、それはエデンの園で禁断の木の実をリンゴを食べたためである、それを食べてどうなったかというと人間自身が神となり知恵を持つものとなった、神が治めるのではなく人間自身が神となることになった
その原罪があり人間は自らを神として生きることになったのが根本的な原因なのである
でも結局人間の知恵は神に及ばないから人間社会は治まらないのである
絶えず争いがあり戦争もなくならない、法律を整備しても科学技術が進歩しても原発事故のように大事故になり取り返しのつかない失敗をした
それはギリシャ神話とかでも予言されていた、火を盗んだプロメテウスがゼウスから過酷な罰を与えられた

要するに人間は神となり知恵あるものとなり世界を治める

それができなかったのである、人間の知恵は神の知恵には劣る、神の知恵を凌駕することはできない、だから原発でも人間の知恵で作ったとしても崩壊して故郷に人間は住めなくなったのである、人間が自らを知恵あるものとして神のようになったときそれこそが傲慢であり人間はそのために高度な文明でも崩壊する、科学技術でも原発事故となり遂に核戦争で滅びる、ハルマゲドンで最終戦争で人間は滅びるとなる
それが智慧の実を食べた人間への罰だったのである
現代の文明自体が知的に技術的に高度ともならない、エジプト文明でもマヤ文明でも高度も知的で高度なものがあった、今でもピラミッドが現代の技術で再現できないものがあるでもどんな高度な文明があってもそれも滅びる、砂に埋もれジャングルに放棄されて埋もれたのである

人間の知恵で作った文明は永遠のものにはならない、神の国に永遠の都がある
つまり遅かれ早かれ文明は滅びるのである、人類も神の意にかなわないものとして滅びるのである、大都会があってもそこには美がないのである、それが致命的なのである
なぜそこに美なる荘厳な都を作れないのかとなるからだ
人間がいない自然状態のままの世界には美があった
それは津波で再現されたのである、八沢浦が元の美し入江にもどったということを書いたこれはそこで死んだ人もいたのだから批判された
でもその時入江にきらきら日がさして波が寄せてきたのを見た時驚嘆した
津浪は確かに悲惨だったけど自然は美を作り出すということである

●永遠の都はこの世にはない

それに比べると東京とかでも一千万人住んでいてもそこに美がないのである
それが致命的なのである、一千万人も住んでいれば確かに経済力とかはある
てもそこに美がない、田舎なら何もなくても自然の美はある
すると文明自体が何なのかとなる、かえって自然の美を破壊した怪物都市でありそんな所に人間が住めるのかとなるからだ
巨大な胃袋であり精神的なものがない文化がないのである
例えば天才でも都会からは生まれない、一千万人の大都会があっても天才は生まれない
育たないとなる、地方都市から生まれているのである、フィレンツとかルネサンスが起きた都市でも五万くらいだったのである、だからなぜそんな小都市からあれだけの文化が芸術が創造されたのかとなる

要するに人間の知恵で禁断の木の実を食べて神のようになったとしても人間の知恵は神の知恵には及ばない、だから必ず自壊して滅びるのである、永遠の都はありえないのであるそこに人間の限界がある、それはアダムが食べるなと命令した禁断の木の実を食べた結果として人間に起きたことなのである、それが人間のカルマとなり宿命となり今日までつづいている
人間はどうしても神のように賢くなれない運命だったのである
だからどうしても個々人でも失敗するし社会自体でも国でも失敗するのである
人間の愚かさはいくら文明が発達しても消えることはない、かえって人間は科学技術でも核戦争ともなり原発事故ともなり滅びるというのか運命なのである
それはエデンの園で禁断の木の実を食べて人間自ら知恵ある者として神のようになったというときから始まっていたのである

それで神に逆らうものとして人間がありバベルの塔を建ててもそれが崩壊するのである
それがまさに現代の文明でもある、原発事故のように崩壊するのが定めだったのである
人間は個々人でも全体でも社会でも賢くなれない、確かに歴史で教訓を残したとしても
依然としてやはり教訓は必ずしも活かされないのである
それは個々人でもそうであり社会全体でもそうである、だからカルマを繰り返しているのである、その原因はまた人間の欲にある、人間から欲がなくならない、それでもう68歳とかで熟年離婚したりする、不倫したりしているのである
人間の欲はそれだけ強いし消えないのである、だから人間が生殖して生き続けているともなる、それだけではない人間の欲は様々あり老人になったから消えるけでもなくかえって最後の欲望がでてくるともなる
そのために人間は欲で滅びると予言されたのである

●個人的には賢人はいる、でも大衆はほとんど賢くなれない

いづれにしろ社会全体でも賢くなれない、個人的にもなれない、ただ個人的には賢人とかいてギリシャではソクラテスとかが賢人政府を作ろうとした、それはあくまでも理想としてであり現実化はされないのである、むしろ政治となると権力闘争でありマキャベリズムになるのである
個人的には人間が百年ではない二百年とか健康で頭もボケないで活発であれば賢くなるとなる、成せなら外国でも理解するのがむずかしいからである
一つの国を理解するだけで何十年ともかかってしまうこともある、それだけグロ−バル化すれば知識も膨大に拡大するからである
でも歴史的には人間は何千年経ても賢くなっていないのである
個人的にはもし最初に老人となり青年となれば賢く生きれる、結局若い時は享楽に走ったり無駄なことで費やされる、そして時間を浪費するのである
もし老人から青年になればそういうことはない、時間の貴重さを知っているからである
また200年も生きるとなればグロ−バル化した世界では知識も膨大になっているからそれだけ元気に生きれるとしたら理解も深まる
たいして才能がなくても一つの分野の大家になれる

私自身が何でも理解することでも遅すぎたからである、でも遅いとしても長く元気に生きられば成果が生まれてくるとなるからである
個人的には確かに賢人はいる、それも極わずかである、あとは大衆となるとパンとサーカスになる、大衆社会となるとファシズムとなりポピュリズムとなり大衆を扇動するカルト教団とかが席巻してナチスになったのである、今ならカルト教団がそれと同じなのであるともかく人間は賢くなれない、やっと死ぬ間際になって人生はこうだったのか人間とはこういうものだったのか別に本を読まなくても体験から知るから老人は悟ったようになるのである、賢い人にもなる、でもまた老人でもやはり賢くなれるのはわずかだとなる
そこに人間の絶望があるとなる、科学技術ですべては解決しないからである

いくら科学技術が発達しても高価な機械で身体を診ても医者に見る目がなかったらわからないのである、それで脳卒中の前兆症状が三つもでていたのにわからなかったのである
一回は遠くの病院で診てもらい近くの医院でも診てもらってもわからなかったのである
科学技術の恩恵が大きいことは否めない、でも全能ではないのである
だからこの世の問題がすべて科学技術で解決されるというのは一つの空想にもなる
そうあってほしいというとき科学技術者が神のように見えるとなるが神の知恵を人間は持つことはできないのである、だから原発事故にもなったのである

遺骨の物語 (人が残すものは何なのかー骨ではない―家族遺棄社会を読む)

2022年12月11日

遺骨の物語 (人が残すものは何なのかー骨ではない―家族遺棄社会を読む)


遺骨の物語

(人が残すものは何なのかー骨ではない―家族遺棄社会を読む)

●兄の悲惨な人生

人間が残すものは何なのか?
死ねば灰となり骨となる、実際は骨は残らない、灰となり土となる
私の兄の骨は母の実家に埋められた
そのいきさつは兄は中卒で金の卵として集団就職した
私の家には母は後妻になり私を産んだ、兄は連れ子であり私の家には五年しかいなかったでも五年間は幼い時一緒に暮らしていた
だから「あんにゃ」と言っていたのである
でも私の父親は良くしないで母の実家で生活することになった
その時一緒にめい子がいたのだがその人は一緒に生活をしたことがないと言っているのも不可解だった、ただその非情化して育ての親のめんどうも見ず最後に「ひどい娘だわ」と私に言って死んだのである
もともと付き合いもなくなっていたのでその事情はわからない、その母親のことは私の家ではよく思っていなかったからである

でも育ての親なのだから何かあったにしろ病気なのに何の心配もしないというのは理解できなかった、だからこそ五年間一緒に暮らした兄のこともいないとなったのである
何かしら人間が記憶にとどめないという時、その人にとって存在しないものとなる
それは肉親でも起きているのである、親のことはかかわりたくない、知らないとなり
遺骨でも引き取りに来ないとなる、それだけ毒親に苦しめられた人もいる
そういうことが本当に私には理解できないのである
というのは私は特別親に良くされたからである、私は別に無職でも家で引きこもっていても何も責められることがなかったのである、そしてなぜ私が死んでも二人の親のことを思いつづけているのかとなるとやはり60歳まで長く一緒に暮らしていたことにあった
人間はいくら両親でも何でも離れて暮らすと疎遠になり情も喪失してゆくのである
だから子供の時一緒に共に暮らさなければ育てられなければ親とも認識できないのであるそれで犬でも猫でも他の動物でも子供の時に育てられると親だと思ってしまうのである

●お骨をめぐる争いーそれは金をめぐる争いだった

それで普通は子供でも成長して結婚したりすると疎遠になる、愛情でもうすれてゆくのである、去る者は日々に疎しとなるのである、そもそも離れて暮らすと相手の事情すらわからなくなる、その人は離れて全く別な人生を生きるようになるからである
その生活する場所ば違ってくるからである、それで再会したとしてもなかなか話でも通じなくなる、意思疎通ができなくなるのである
だから兄に何が起きたのかわからなくなっていた、でも交通事故で死んだというとき連絡があった、その前に離婚していて何か児童相談所から施設に入ったということでどうするのかということで連絡があった、それも何か事情がのみこめなかったのである
トラック運転手となり小さな会社に入った、その会社では死んだので遺体をひきとった
葬式もそこでしたのである、その後にもめたのである

「お骨はもってゆくな、墓は作ってやる」

こう言われたのである、それも何のことかわからなかった、私は車を持っていないので
自賠とか任意の保証のことがわからなかったのである
どうもその保険金の受け取り人になりたくてそう言ったとなる
実の母が来たので身よりがなくて来たと思っていたのである
それで乞食のようにして来たが私が雇ってやったのだと恩きせがましく言っていたのである、そう言われても私の家では兄に良くしていないから私は嫌で三日位で帰ってきたのである、本当は妻がいてもらえるものだったのである
ところが一週間前とかなのか離婚していたのである、正式に書類を書いて離婚が成立していたのである、でもまだ未成年だから私の母が後見人になった
離婚した原因は借金したとかあり住んでいる団地なのかわからないが追い出されたことにあった
それで母の所へ金をくれと来たことがあったことを思い出した、母は金をやったのである
そして兄の娘は妻の実家にひきとられた、そこには兄がいたからである
それももともと妻の実家とは付き合いがあり交流していたからである、同じ地域でありそうなったのである、私の家では静岡とかなると遠いから何が起きたのかわからなかったのである、人間はとにかくこうして離れてしまうと疎遠になる、そうして突然不幸が起きてもその事情もわからなくなるから困るのである
もし近くに住んでいればそうはならなかったのである、だから人間はいくら親でも兄弟でも離れて暮らすとそれも遠くなると何か事情がわからなくなるのである

そうして兄のお骨は母が背負ってきて母の実家の墓に埋めた、そこで五年間は暮らしたからである、そして墓から今度はお骨を取りだそうとしたら骨がなくなった土になっていたのである、でも実家の墓は長男の人が300万円をめい子にやって「墓を守ってくれ」と言って死んだのである、だから墓参りはしているのである
私は怖くなったので実家の墓参りもしていない、母の実家もまた複雑であり後妻に来た人が継母になりいじめられたのである、そしてその後妻に来た女性も昔の養老院に長く入ったいたのだが眼が見えなくなったり精神的に何かおかしくなった
そして母が様子見に行っていたが死んだ、その骨は約束していた大学病院で解剖されて
骨として自分の家にもたらされたのである
兄の墓は母親の実家から私の家の墓の隣に墓標をたててある、でもその物語を知る人もいない、娘がいたが金でしか関係ないから金が与えた時は来ていたが来なくなった
墓を作ったから10万円やるからと言っても来なかった、あとは一切連絡もない
離れていてもともと疎遠だったからではあるが一応父親だから何か思いがあるのかと見ていたがなかった、ただ親にひどい目にあった被害者という意識しかなかったかとなる
家族遺棄する人はそういう人が多いとなる

●遺骨より人間が残すのは物語(history)だった

一体ここで遺骨のことが問題になった、でも遺骨がそんなに大事なものなのか?
人間は死ぬと結局灰となり土となり何も残らないのではないか?
だからそもそも遺骨にこだわることが理解できないとなる
それで家族遺棄社会では肉親でも親ガチャで育った子供は今遺骨もひきとらないのが多いとなっている、ここに見えるのは遺骨でもそこには依然としてこの世のことがかかわり
必ずしも手厚く供養するとはなっていないのである
そこに人間の欲がうごめき遺骨でも金になるとなればそれを手段にして金をとろうともするのである、この世とはこうして恐ろしい場所である、あらゆることが人間の欲によって翻弄されるのである、カルト教団でも実際は金を収奪するためだとなるのもそうである
ここに人間の欲の恐ろしさがある、要するに骨などどうでもいいとなる
骨をひきとってもそれが金になるわけでもないからである
肉親でもそうなるとき生前に親にひどい目にあっている毒親だったら骨などはいらないとなる、でも遺産があり金が入るとなる引き取ってもいいとかなる
結局地獄の沙汰も金しだいとなっているのである
死ぬまで骨になってもでこの世の欲の対象になっているのである

そもそもお骨などもうそこに何か宿っているわけでもない、海にまくなり土にもなるから維持できない、すると何もなくなるのである、では何が人間に残るのか?
それは個々人の人生なのである、どんな人生を送ったかがその人の一生であり骨をみたってそんなことわからないのである
ふしだらな親だったら子供でもその人を大事にはしない、だからお骨でも取りにこないとなる、もちろん介護などは大変な苦労なのだからしたかくないから捨てるとなる
ただ骨をひきとったからといってそれが苦労になるともならない、でもめんどうだから市役所で処理してくださいとなる
家族遺棄社会となりそういう人達が増えているのである

でも逆に人間は死んでから大切にされることがある、妻が死んでから十年とかすぎても毎日手を合わせて供養している人もいる、他にもそういう人は結構いるのである
家族遺棄社会でもやはり死者を大事にしている人はいる、親を大事にしない人が多くなっているのは確かである、それはやはり時代なのだろう
私は特別二人の親に良くされたから死んでから余計に感謝するようになった
毎日熱いお茶を献げて遺影に向かい話しかけて感謝しているのである
それは特殊な事情があってそうなった、父親が中学の時死んでその後を姉と母が家を守って自分も育ててくれたしその後も60歳までも自由に生かさせてくれた
だから一緒に暮らした時間の長さにもよっていたのである
娘でも結婚して離れてしまうと特に遠くに行ってしまうと疎遠になってゆく、忘れてゆくでも一緒に暮らしているとそこで仲たがいがあったとしても憎んでいたとしてもやはり
愛情が通うようになっていたのである
だから死んでからも忘れられない人、愛される人が家族遺棄社会になってもいる
その親は死んでも実際残された人の中に生き続けるのである
でも毒親となればたちまち嫌なことが思い出したりフラッシュバックになり思いだしたないとなりやがて忘れられるのである

●人間が死んで語るものは何か

いづれにしろ人間は骨になり灰になる、でも実際は人間はみんな消えるわけではない、
残された人の中に生き続けているのである、そういう親とか妻とか夫とかになっている人は幸せだとなる、人間を決めるのは生前の生きざまというか子供でもどういうふうに接したかによる、それは個々に違っているから理解しにくいのである
家族でも十人十色だから理解しにくいのである
ともかく人生の最後に死んでからでもあの人はどういう人だったとか明確になり語られることになる、そして死んでもその人は骨となり灰となるだけではない、語られまた感謝される死者になればその生は無駄だっとはならない
でも親でも思い出したくないとか普通の人でもあの嫌な人が死んでせいせいしたとかなるそういう人も多いのである、近くにいた医者はみんな生きている時は常に語られていた
でも死んだら誰も語らないのである、その医者にかかった人も死んだからだとはなる
その医者は腕が良かったのだが性格的に冷たい所がありそうなったのかとなる
その一人息子も最近死んだから肉親はないないのである

そしてその住居は廃屋となっている、今年の地震で屋根瓦が壊れたが直していないのである、いい庭があるからもったいなとなる、でもそういう空家は多いからここだけのことではない、ともかく人間の一生は骨とかで語られるわけではない、それは結局灰となり土となるだげである、その人の一生を語るのはどういうふうに生きたかによる
そしてその親の子供でも親を思い出す時不快になるというときその親はもう親でないともなる、むしろ親切にしてくれた他人の方が親しい人ともなる
ただ現代は人間も一般的に薄情になっている、だから家族すら捨てる家族遺棄社会になっている、特に介護となると負担が多いためにそうなっているから必ずしも責めることもできない、親に苦しめられた人はどうしても介護することは無理だからである
つまり介護となると気持がないとできない、必ず気持が現れるからしにくいのである

この人のために何もしたくないとなるからである、だから私自身もそのことを経験した
その人は私のために箱一つも持つの嫌がっていたし入院して手術するときも側にいるのもただ座っているのも嫌がっていた、ただ金が欲しいというだけになっていた
これも自分のカルマだったが親でもそうなる、その人のために何もしたくない
とても介護となったら負担なのだからできない、でもお骨などはたいして迷惑もかけないのだから供養はできるとはなる、でもそれすら嫌がるとなる
それもその人の接し方とか生き様とかにかかわっているのである
そのために人間は骨とかがその人を語ることはないし骨などどうでもいいとも見る
それよりどういうふうに生きたとかどういうふうに接したとかが大事になる
だから親子ですらその接し方によって育て方によって他人以下にもなるのである

●事実は小説より奇なりー統計的数字化されるとhistoryは消失する

ともかく人間の一生は本当にそれぞれに事実は小説より奇なりとなる
これは全く架空の話ではない、事実そのものだからである、小説でもないのである
これは小説の題材になるとして事実なのである
つまり歴史はHISTORYでありHI-STORYでありstory(物語)なのである
人間は最後にみんななんでも物語となるのである、個々人の物語となるのである
ただ物語というとき戦争のように3百万に死んだとかあってもそういう歴史の巨大な物語でも何かぴんとこないのである、それだけの人間が死んだら語られるつづけるとしても
何か訴えるものがないのである、もちろん語られることはある、今でも陸軍二等兵だとか必ず軍隊の位を記してある、それは当時にしたら名誉の戦死とかあり誇るものだったからである、それでまた必ず村の神社にも戦争のために祈り出征したのである
 とか記されているからである、でももともと神社は戦争とはみんな関係しているわけではない、だから今になると違和感を覚えるのである、たいがい豊作を祈るものとなっていたからである
 shrain1.jpg

飯館村大倉の神社


 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である
 ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる
 ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない
 そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ
 人間が被害においてついに自立できず、
 ただ集団であるに過ぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままで あるだろう
 死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである
 人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ
『望郷と海』(石原吉郎)

これはシベリア抑留した人が言っている、その過酷な体験を書いている
つまり人間が統計となり数となったとき個々人の物語は消失する
だから3百万人死んだとか言われてもそれだけの人間が死んでも何か伝えるのかとなると訴えるものがないのである、でも個々人が戦争の体験を語る時は感じることがある
つまり人間は数値化して数化すると生々しい体験でも消失するともなる
例えばカルト教団などでもそうである、そこは一票を得ることしか関心がなく何百万人会員がいたとしてもその個々人のことは語られないし戦争で三百万人死んだと同じである
個々人が消失してただ数だけになるのである、それが非人間的なものとなりナチスと同じようになるのである、現代の危険はあらゆるものが数で処理され数が恐怖となる
でも数を言う割には何かそこに訴えるものがない、だから三百万に死んだからといって
訴えるものがないのである
だからとにかく普通の人でも何も功績もない人でもその個々人を語るとそこに物語をhistyoryを感じるのである、人間が残すのは骨ではない、historyなのである
だから骨がどうのこうのと大事にするのが理解できないとはなる
骨が語るのは単なる成分としてカルシウムだともなるからである



個々人で記録を残すことはインタ−ネットで容易になったが・・・・

今は自伝とかでも家族のことでも別に書いて発表できる、プログなど簡単だからできる
個々の一生を語ることができる、でも今老人になっている人達は80以上とかなるとインタ−ネットなどにうといからほずかしい
ても今や庶民でもいくらでも人生を語ることができるし記録として残すことができる
今でもそうだが自伝で本を出すとかなると百万かかるとかなりできないし書店にも置けなかった
そういうものは売れないからである、そもそも書店でもなくなっている
インタ−ネットなら誰でも何でも書いて発表できるし記録として残る
でも問題はその記録も一瞬にして消えることがあり問題なのである
私がいろいろなことをこんなに気軽に書いて記録しているのは簡単だからである
確かに手間はかかる簡単だからしているのである
普通は家族のことなど書けない、有名な人なら書いて読む人もいるか普通はいない
でも記録として残せば郷土史とかの資料になることは確かである
今なら本でもアマゾンで一冊でも出せるとなっている、それをやろうとしているのだが何かめんどうになりしていない
何か手間だけは省けないのである、それで毎日記事を書くのに時間がとられる
その他家事に時間がとられてできないとなる

2022年12月10日

風力発電のメンテナンスの仕事も危険 (風力発電もヨ−ロッパの方がすすんでいる)


風力発電のメンテナンスの仕事も危険

(風力発電もヨ−ロッパの方がすすんでいる)

windenergy1.jpg

windenergy2.jpg
写真では人が見えない、機械だけでできる仕事のように見えない
見た感じでは鉄塔に簡単なもので支えている
これはどうなっているのかわからない



風力発電設備は、メンテナンスすることが保安規程によって必要になっています。国の決まりによって、メンテナンスする回数は毎月1回以上となっており、外回りのメンテナンスと一緒に運転を停めて制御回路、主回路端子のチェック、動作チェックを、毎年1回くらいは実施することが必要です。

1年間の1,200万円の維持費・風力発電にプラスし、作るためのコスト6億円の1年間の回収コストがかかります。風力発電の場合には17年が法律で決まっている耐用年数になっているため、作るためのコストの1年間の回収コストは6億円を17年で割った約3,500万円になります。

1年目から17年目は、作るためのコストの1年間の回収コストも考えて、1年間の儲けは8,100万円の収入から1,200万円のランニングコストと3,500万円の回収コストを差し引くと
3,400万円になります。この儲けは、6億円の風力発電を作るために投資した額の5.6%にあたります
https://www.tainavi-pp.com/investment/wind/53/

再生エネの支柱は太陽光よりも風力だ。再生エネ導入が29%と進むドイツでは、うち風力は12%と太陽光6%の2倍。英国は再生エネ25%中、風力は12%と太陽光2%の6倍に上る。




この風力発電もどれだけ発電できるのか、投資額にしては見返りがあるのかとなる
メンテナンスも定期的にする、その費用もかかる、海上に作るとしても日本では海が深いから普及していないという、ヨ−ロッパではかえって30パーセントとか普及している
遠浅の海があるから設置しやすいからそうなっているという
南相馬市の鹿島区の風力発電を作るのにかかわったのはドイツだったのである
技術者と駅であったからである、また外国の技術者がドイツからでも原町火力発電所に来ていた、だからヨ−ロッパの方がドイツなどが先進国だとなる
特に風力発電はそうなっている、もともとオランダに風車がありまた風車は中東で発明されて発展した、風が吹くから風車もできた、これも風土と関係してそうなったのである
そのオランダの風車の技術が造船で利用されとかある、低地のために排水に利用された、やはり地盤に風土があり技術が発展することがある、日本だと山が多いからトンネルの技術が優れたものになったのである

ソーラーパネルでも必ずしも発電量があるわけではなく採算があっていないともいう
でも相馬市の玉野村へ行く山がまるごとソーラーパネルになる
あれは宇多川にも水が流れ込むからなんらか影響がある
景観的にも良くない、丸森の方では山がいくつかまるごとソーラーパネルになっていた
反対する人もいるが結局木材が使われない売れないということでそうなった
外材を買うからそうなった、でも円安とかなり日本の木材の方が安上がりだとなれば
売れるようになる
日本の木は山にあるから運び出すのが手間なのである、そこにコストがかかる
大陸だと平坦な土地が延々とつづいてそこが森になっている、すると運ぶには楽なのである

ただ何らか科学技術は自然破壊になる、一見自然エネルギーだからいいように見えてもそうではない、風力発電でもそうなのである、何か回りに必ず悪い影響がある
地熱発電がいいとしてもこれも温泉地にあり問題がある
人間の成すことは必ず自然を破壊になる、職業は業でありカルマなのである
農業でも焼畑は森を焼くのだからそこから自然破壊だったのである
原子力発電でもそうでありこの辺は甚大な被害を受けて住めなくなったのである
でも石炭とか使った火力発電だったらこんな被害にはならなかった
そのくらいはしかたがないとなっていた

とにかく高い所で仕事するきは怖い、高所恐怖症の人はできないとみる
怖いのは高い所で仕事して突然地震などが来たら怖い、地震の怖さはそこにある
地震は結構頻繁に起きているからである
危険な仕事がある、実際電気を送る鉄塔で感電して死んだ人がそれなりにいる
電気の仕事も危険なのである、建築関係でも高い所で仕事するから危険である
鳶職は江戸時代の火消しが由来となると燃える家の屋根に上って纏を建てるのだから
命がけだったとなる

posted by 天華 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月08日

人生には確実に運が作用している (運も不運もカルマもめぐってゆく・・・)


人生には確実に運が作用している

(運も不運もカルマもめぐってゆく・・・)

人生は運だ ということは古今東西て言われてきた、それはなぜなのか、やはり人生を生きてみてそう感じたからだろう、それで財産でも運が作用してるとなった
fortuneは運の意味もあるからである、つまり人間は何でも努力だと思ってる、でも実際は 運の作用が大きい
私の家は小さな店を始めた、それで繁盛したのは別に商才とかあるわけでなかった
ただ場所が角にありその時戦後間もなくであり物が無くただ物が置けば売れたのであるその時車などない、だからみんな近くで買い物してたのである
だからその時代は何かを始めるには良い時代だったのある、簡単なことで店を始めることができたからである、本当に立派な店から始める必要もなかった、間に合わせもので始まったのである、それはどこでも同じだった、小さな工場でも大した機械も備えなくても注文があり人手が足りないから中卒の人たちを地方から呼んで雇ったのである
その時代はそうして 大した技術がなくても成功したとなる
それは時代の影響だったのである、今になればそういうことはもう簡単にはできない、大規模になり町の小さな商店消失したからである 
こうして時代時代によって運が作用しているのである

必ずしもその人は優れているとか優秀だとかで成功するわけでもないのである
いくら優秀でもその人が時代によって活かされるとは限らないのである
例えば江戸時代なら力があるものが優れた人となる、それで村では一人前に認められるのはくらべ石がありその石を持ち上げることができると一人前にされたのである
その時は機械もないのだから人間の力に頼っていたからである
今になれば力仕事は必要でもむしろ知能の方が大事になっている、建築でも設計する人が上になるのである
それで人間社会では必ずしも有能であっても有能にされない、そこに運の作用がある
いくら優秀であっても活かされず埋もれる人が多いのである

運と言う時私自身の家族でもそうだった、なぜかわからないがある人が死ぬと何か返って別な人が運が良くなるということもある、私の母は前の夫は事故で死んだ、それは不運だったのである、でも母は後妻に来て私を産んだのである
そして前の夫の子供 連れてきたが私の父親はよくしなかったのである
そのことで私は悪いなと思っていたのである、その兄も40歳で交通事故で死んだのであるだからこの不運は何なのだろうと思う、その理由がわからないのである
たしかなことは誰かが死ぬと誰かが良くなることがある

その女性は苦労した人である、貧乏が続いたのである、でも親しい人の妻が死んで今度はそこに言って話し相手とかになった、妻が死んだ結果そういうことができたのである
その女性は2回離婚してるのである
またその女性が私の家に来たのは私の家族がみんな死んだからである
それで私はその人に良くしているのである
別にその人が特別自分に必要だからというものでもない、たまたま家族が死んだのでそうなったのである

そのことで猫を一匹飼っていた、その時もう一匹の黒い猫が餌をやるとき 餌を奪いに来たのである、私はその猫を追い出していたのである
でも飼っていた猫は死んだ、結果的にその黒い猫 に餌をやっている
その猫はなれない、だから可愛くもないのである
それでも餌をやっている、それは一つの運命であり運だとなってしまう
つまり何らかの運が作用してそうなっている、その猫は不運だったが私が飼っていた猫が死んでいい運が回ってきたのである 
だから何か人間でも不可抗力な力が働いていてそうなるのかとなる
それが運なのである、それで金運もあり財産運もあり必ずしもその人の才能や努力だけで全てが決まらないのである、そこには運の作用があ、ただ運も不運もめぐってくるしいつまでも不運にはらない、またいつまでも運がいいともならない、それは巡って行くのである

その運は個々に時間をかけて巡って行くのであり一挙に全体に巡ることはない
一地域でもある人が金持ちになるとやはりその周りに金が巡って行く、だから その金持ちを悪いものとして拒否するとかえって金が巡ってこないということはある
金は天下の回りものなのである、金も運も一箇所にとどまらない、めぐみは巡りであり巡って行くのである、でも一挙に全体に巡っては行かない、ここに徐々に巡って行くのである
ただ逆に悪いことも巡って行く、それがカルマである、悪いこともだいだいに受け継がれることがある、親の因果が子に報いということである
ともかく優秀であっても努力しても必要でもそれで全てが人間の場合決まることはないのである、そこに運の作業があるからそうなるのである 

カルト宗教だと福運とかしきりに言うが返って実際は運が悪くなっている人達が多いのである、そういう事例を集めているのは創価に会員をとられた本山とか同じ日蓮宗でも対立している寺とか団体である、数が多ければどうしても不幸な人も多いのである
そういう団体に入るとかえって運がなくなることは確かである
人の不幸につけこんで会員を増やして団体の勢力を増大させる目的でそうしているからである、つまり人の不幸を種にして幹部達が福運を奪うことにもなるからである
なぜあれほど会員を増やすことに熱中しているかとなればそこから収入も得られからそうなる、でもそういう団体に入ると実際は不幸になる人が多いのである
ただ利権を得る、それで福運を得るのは幹部だけだともなる
寺でも宗教となるとお布施がもらえるのは福運がありますよ御利益がありますよ祈りなさい、そして献金しないさい、その福運はお金はもらいすまとなっているのである
かえって福運が御利益が奪われているのであ

それは共産主義でも同じなのである、権力を得て莫大な金を得ることになったからである運はあってもその運は作為的に人工的に作りだした運であり不公平になるのである
何か運には神の采配があるかもしれない、ただ不可解なのである
確かなことは運も不運もカルマもめぐってゆくのである、これだけは確かである
世界史で見てもある国が栄いても別な国が栄える、日本が栄えて今度は中国が栄えたとなるからである、富は金は一か所にとどまらないのである
だからどんな人でも一生のうちに運不運がありカルマでもめぐってゆく、そういうことがあるから今不運でもやがて運がめぐってくるということがある
するとそういう運がめぐってくるのを待つことが必要だとなる、ただなかなかなか待ちにくいとなる、でも何か富でも一代たげでは築けないし何事即製するものがない
一代では成果ができないが何代かで成果が出るということはある
そこで本当の成功は長い時間をかけないとありえないともなる、棚からぼた餅のようにはならないともなる

私の場合でも何か今になると自分のために家族があったともなる、父親は酒屋の丁稚であり苦労したし兄は不慮の事故で死んだとか不幸があった、また母の実家でも不幸に死んだ人がいる、母自体が不幸だった、でも私のためにそういう不幸があり私が活かされたともなる
それで私は家族に感謝しいいるのである

時代の運
家族の運
地域の運
・・・・

などがあり逆に時代の不運、家族の不運(親ガチャ)、地域の不運(原発事故)・・・
とかにもなる、人間を決めるのはいくら努力してもどうにもならないことがある
運の作用が大きいからそうなる、だから努力しても無駄だということではない
努力の上に運が加わらないとうまくいかないということである
女運が悪いとか男運が悪いとかもある、人間には様々な運が作用しているのである



2022年12月07日

冬の日に新田川を下り墓を見る (枯芒、寒椿、冬椿、年暮れむ・・)


冬の日に新田川を下り墓を見る

(枯芒、寒椿、冬椿、年暮れむ・・)

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新田川瀬音ひびきて枯芒

寒椿赤々と散り映えにけり

公園に赤々と散る冬椿

地元住み桜井古墳に木の葉散る

津波跡樹々枯れ残り冬芒

天明の碑ここに残りて冬の暮

ふるさとの墓をめぐりて年暮れむ


二本の木の残りて津波跡社のありと冬の日暮れぬ

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光明真言とは空海の密教から来ている、15万偏というのは唱えることである
光明とは太陽のことである

https://onl.la/vGSkdcq

ここに詳しい、ここに信女とあるのは女性である、天明とあるとき女性個人の墓はないからおそらく僧侶の妻だったのだろうか?信女とあれば女性であり信士となれば男である
ただこの墓からはこれくらいしかわからない、でも天明の碑はあることはある、私の家の近くの神社にもあった、でもあまりみかけないのである
もう一つも年号であるが読めない、文とついている、文とつく年号は多い、天明の後の年号だろう

信女、大姉、院大姉と位が上がっていきます

大姉というのはみかける、でも戦後ではただ寺で戒名をつけてもうけるためになった
だから別に金を払えばどんな戒名でもつけられるとなったのである
ただ大姉となれば本来は武家とかの家の出だったのかもしれない、でもそもそも庶民には墓はなかったのである



新田川は浅い川である、だから瀬音がひびくのである、真野川は意外と長い川であり瀬音がひびくともならないのである
上流の方では浅いからひびくが街中の川はひびかないのである
川でいいのはやはり浪江の高瀬川の方だろう、渓谷もあるからあそこを訪ねる人は多かった、ただまだ立ち入り禁止にもなっていたが自転車では行けるようになった

公園に赤々と椿が散っていた、今の時期では冬椿の方がいいかもしれない
冬椿というとき「城下町相馬六万石や冬椿」こんな感じになる
相馬市と原町の雰囲気は全く違っているのである
原町には歴史を感じないのである、原ノ町駅が機関区なり駅前通りができて栄えた
新しい市という感じである、でも相馬市は駅前通りとかはなく城下町としてあった
だから城があったところから街が形成されたのである
田町通りというのは田があったところであり地名化した、この地名は日本では多いのである、そもそも田だった所が多いからそうなった

新田川の下流の方に行き川畑とかの姓の墓があった、確かに新田川か近いからそういう名前になったのか、これは他にもあるからわからない、ただ川の側の畑も多いからそういう地名があり姓になったことは確かである
戦後まもなく食べ物がなく川の中の空地を畑にしていたのである
それは私の家でもそうだったのである、なんとか食料を得るためにみんなそうなったのである

あそこに二本の木があり社があった、津波にも流されたみたいだが古い碑が積まれてあった、そこに天明の碑を見つけた、これはめずらしいと見た、天明の碑はなかなかない
天明というとき相馬藩が飢饉で三分の一の人口が消失したのである
それがどこに行ったかもわからない、その跡地に欠けた土地に越中とかから移民が入ってきた、それが三分の一だから多いのである、そのために真宗系の墓が多い、それは見るとすぐわかる、なみあぶだぶつと記されているからである
天明は一つの時代の区切りである、それは飢饉があり相馬藩が苦しんだからである
今回の震災も津波の被害もそうである、時代の区切りは何か大きな事が起きた時である
戦争があれば戦後と戦前は全く違ったものになったからである
だから本当は年号でも変えるべきだったともなる、戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違った世界になったからである

原町でいいのは食事する所があるからいいのである、道の駅の天丼はうまい、あと高見ホテルの食堂のさしみ定食は安くてもお得になるからいい、最近は・・・食堂の牡蠣と大きな海老のテンプラがうまい、いい材料を使ったいるからいい
六号線は行き安いからそこに好みの食堂があると助かるとなる
ただ食堂は必ず飽きてくるから一人暮らしは最低でも自炊するほかないのである
でも料理はめんどうだからしていない、家事をやるだけで手間なのである
全部一人で家事をすることは手間である、だからプログに書いて後は時間がなくなる
それでコメントにも答えていないのである
今年も暮れてゆくが地震の被害は大きかった、まだ本など片づけていない、もともとこの本が片づけるのに苦労しているのである、捨てる訳にもいかないので困るのである
蔵書となると歳になればたまる、それもその人の人生を語ることになる
どんな本を読んできたのかでその人を知るてががりにもなる
だから良くテレビに出て来る人がいる、学者でも他にもいる、すると書斎が写っている
その本を見るとこんな本を読んでいるのかとみるのである

今年もやはり墓地を墓を見て暮れるとなった、墓は確かに死者を語るものだがその情報が少なすぎるのである、名前くらいしわからないからそうなる
そこで郷土史を調べるには物足りないとなる
戒名くらいでもその人のことはわかりにくいとなる、でも天明の碑は古いから注目したのである

津波の傷痕は依然としてある、でもだんだん薄れてはいる、右田にある津波で流され家の跡の庭の石は見物である、記念として残しているのか?
他にも空家になって残された石がある、立派な石の庭がある、それがもったいないとなる家より何か庭の方が価値あるとみる、石には価値がある
石が好きだからそうみるともなる、何か活かす方法がないかとなる
またいつまでも空家がありそれが片づけられないである、六号線の南相馬市立病院の近くのレストランだったところでもそうである
あれはいつになったらかたづけられるのか、何十年とあるからだ、この空家の問題が全国的である、活用されないなら壊す方がいいかもしれない、なぜなら見た感じが嫌なのである、寂れた感じになるからである、だから何らか活かす方法が必要なのである

でも商売としては今は成り立ちにくいだろう、相馬市の中村喫茶店でも閉店になったかたらである、あそこでなるとは思わなかったからである
コロナウィルスの影響もあったと思うがそもそも商売でも今やうまくいかない時代であるだから誰かが食堂でも始めるとならないのである
戦後まもなくだったら食堂でもバラックのうよなものでも繁盛したろう
私の家の店がそうだった、資本金はほとんどかからない、ただ品物を並べたものだったのである、それでも売れたからである、他の零細な商店でも物を置けば売れたのである
今はそんなことにならない、飲食店で成功することは相当に難易度が高いのである
なんでもそうである、だから銀行では金を貸す人がいないとなっているのである




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津波の跡に残された家の跡

津浪に家は流されぬ
残りしは石の庭
重々しくも重なり残りぬ
そのかたへ山茶花の咲き
野は広々と枯れにけり
その花の母のごとしや
その花の妻のごとしや
ここに家族の暮らしてありぬ
またここを訪ねて我が一人
ありし日を偲びけるかな
津浪より11年の歳月は過ぎぬ