2022年05月31日

安曇氏が鉄生産にかかわり日本列島開拓した先駆者 (南相馬市に多い綿津見神社と安曇族の跡をたどるー原日本考ー福士幸次郎より)


安曇氏が鉄生産にかかわり日本列島開拓した先駆者

(南相馬市に多い綿津見神社と安曇族の跡をたどるー原日本考ー福士幸次郎より)

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農業を後代において大いに拓いた地域はことごとく鉄の生産地であった
これは鉄というものを知らぬ先住民族の居住地に対して、侵入して行った
我が民族の地歩の実に強みがあった点であり
またこの日本列島といふところはほとんどいたるところ海岸の河口地、潟、沼など砂鉄層が堆積しているといってよいぼどで、鉄を求めて東へ東へと移動移住した

日本の文明は海岸から開けた、そして次に山地に入った
我が姓氏で最も最初に現れ、日向海岸に濃厚な所縁を持つ安曇族である
全国海岸に足跡を残し,後に山地深くまでも入った形跡を示す


コロは生鉄、純鉄を意味する

天照大御神の後裔

タケミコロ(建彌己呂命) - 津島縣直の祖[注釈 4]
タケオシコリ(武忍凝命) - 多氏の祖
イツコリ(伊都許利命) - 印波国造の祖
タケコロサカ(建許呂坂命) - 石城国造の祖
アケコロ(安居許呂命) - 伊賀須知稲置の祖
オシコリミ(忍凝見命) - 筑波国造の祖
クシヌコリ(櫛努古理命) - 三上氏の祖
ヒコソノコリ(比古曽乃凝命) - 針間国賀毛郡山氏の祖
イコロト(伊己侶止命) - 伊甚国造の祖
タケコロ(建許呂命) - 東国造の祖
オトコリミ(弟凝見命) - 桑名氏の祖
タケコリヒトノキミ(武凝人乃君) - 阿蘇国造の祖
ウラコリ(浦凝別命) - 苑県主(吉備氏)の祖
イワコリワケ(伊波己里和氣) - 三尾氏の祖
オシコロミ(押許呂見命) - 山守部氏の祖
タケクニコリワケ(武国凝別皇子) - 伊予三村別の祖
ウタコリヒメ(歌凝比売命) - 丹波道主命の娘

鹿島の郡は古くは香島とも書き、ここの大神と並んで「香取」のそれと同じである
おそらく古くは前者はガシマ,後者はカガトリ、すなわち「金のある島」「金を掘る所」と言ったものだろう、カガは鉄を意味する

民族的特技として注目すべきものは航海と製鉄であった
この航海の習熟があればこそ我らの祖先は、その始め海岸から海岸へと移住地点を転出して奥部地帯の侵入や経営を行う前に、日本列島の先まで進出したのである

クロクワは原初の農耕時代の特徴を残す自然地域において、その先頭に立つ耕地開墾の専業者である、特にその耕地はほとんど山地において着手されるのだから土中の石や岩を処置することがまず主要な仕事である
クロクワの仕事は石を相手の仕事が先でありツルハシのごとく先のとがった土に打ち込む道具、石や岩を割るものとして楔(くさび)などが大事である
くさびのサビは鉄を意味する

さびる⇒さびしいとなる、それは錆びるからきた鉄生産の用語からきたものである
その語源は鉄製かんにかかわっている

高良神社の祭神五姓とは丹波、物部 安曇部、草部、百済という

この草部というのはかや部であり真野の草原に通じている、草は伽耶国に由来しているからである、またカヤは何らか鉄生産と関係している言葉なのである
つまり真野の草原(かやはら)とは鉄がとれる場所として奈良の大和王権から認識された場所であり宮城県の涌谷は黄金のとれる場所として奈良の都から認識された場所なのである

物部 安曇部、草(かや)部

これは九州のことであるがこれが不思議にこの辺と関係している
なぜなら桜井古墳は物部と関係して安曇となるととにかく綿津見神社が原町区には本当に多すぎるからである、20もあるとしたら本当に多い、この三つの部は明らかにこの辺にもあてはまるのである
ただ百済は違うとしても伽耶国とか唐(から)は関係している、唐は中国のことではなく韓国の韓(から)である

九州が出雲より古く出雲をあけ渡す前に、おそらく安曇部族が入っていた
その験しとして安曇族の信仰や伝来物が包囲した形跡がある

阿部氏(安倍)はアヅミのなまったものである

福島県の吾妻山とか安積(あさか)とかも安曇(あづみ)のなまったものだという


なぜこれほど鉄生産が重要なものとして歴史に記されたのか、第一地名にしても鉄の生産にか関するのが膨大なのである、これは何を意味しているのか?
それは日本全国を鉄を求めてきた鉄生産の技術者がいてそこで鉄が発見されると地名となった、そこに鉄があるということで地名化した、鉄はそれだけ貴重なものだからである

そして鉄と稲作は不可分に結びついていた、なぜならます稲作は山地で行われていた
そこは平ではないし石垣を作る、その石はその山地から掘り出したものである
それをするには鉄の道具が不可欠だった、それがクロクワとかなる
それまで石器であった、事実石器で稲刈りもしていた、でも石器となると鉄の道具のようにはならない、相当にその差がある
だから鉄がこれほどに尊ばれたのである、鉄の道具なしでは稲作もあり得なかったのである、田んぼでもそれは最初土木作業になる、すると道具が必要になり鉄が必要になった
だから稲荷とは鋳成りなのである、鉄の道具を祭っていたのである

そして日本列島が最初に開墾したのは海人族の安曇氏であり海岸沿いに航海して海岸から山地に入っていた、それが明確にわかるのは松川浦に山津見と和田という地名がある
和田は綿津見のことである、つまりここから山地に入って行った
川を伝い道として上って行った、事実宇多川をさかのぼり玉野村から平坦な地帯になると八木原という地名があり霊山を越えると犬飼(養)という地名がありそれは安曇族の後継者であり綿津見神を奉じる安曇族なのである

また真野川をさかのぼり飯館村へ向かった、栃窪にも山津見神社があるからだ
原町となると海岸からさかのぼり高倉にも綿津見神社があり大原にも綿津見神社神社があった、そして八木沢峠の八木沢とは安曇氏の後継者の八木氏の姓なのである
だから原町区の海岸から真野川の海岸から松川浦から安曇氏の同族の八木氏が入ってきたのである、それがさらに霊山を越えて石戸村に至りそして福島市の吾妻山にいたり安曇(あづみ)がなまった吾妻(あづま)山になったのかとなる、この辺は定かでないにしろ
これだけ安曇氏の同族の八木氏の跡が地名化して残っている
犬飼氏も安曇氏の同族である

これは明確にその跡が記されている、何か推理ドラマにすると確実な証拠なのである
山に入ると山津見神社になる、これは綿津見神社と一体なのである
海人族でも山で暮らす術をもっていた、焼畑であれ稲作であれもっていた
だから山でも暮らすことができたのである、その大きな要因が鉄を生産して鉄の道具を作れたことによっていたのである
鉄というのが文明を作ったとまでなる、なぜならタタールとチムールとかでも鉄から由来しているとかあり野郎自大国と漢が戦って野郎自大国が負けたのは漢が鉄の武器で戦い野郎自大国が銅の武器で戦い負けたからである、武器の優劣で勝負を決した
信長が銃を使い武田氏の騎馬軍団を破ったのと似ている




石川に飛鳥川が合流する三角州の所が厚味というのです

天平神護元年(765)に古市郡の人、馬の夷人が厚味連の姓を賜っている
この厚味に居住していたのではないか

真野臣は姓録に神功皇后に従って渡った将軍が韓国にとどまって国王の娘をめとって子を産み、その子の子孫が真野氏を称した
真野造は百済王の後とあるから間違いなく渡来系だと思います
(日本の渡来文化ー司馬遼太郎などの対話)

厚味という地名は明らかに安曇氏のことである、安曇氏が居住してその地名化した
つまり奈良でも安曇氏が海から入ってきていたのである
地名化することはそれごけ古いということである

安曇氏に関する地名は相当に多い、でもそれが全部解読されたわけではない、知らないままにもなっている
特に安曇氏の同族で後継者となると八木氏とか犬飼(犬養)がいる、それも相馬市と伊達氏の霊山町の石戸とかで地名化している
ただ吾妻山があづみのなまったものなのか?あづま⇒あづみとなるからそうかもしれない、となると海から福島市の方に安曇氏やその同族や後継者が入っていたとなる


2022年05月30日

橲原(じさばら)の山神社から堰を訪ねる (一之堰としるした江戸時代の碑があった)


橲原(じさばら)の山神社から堰を訪ねる

(一之堰としるした江戸時代の碑があった)

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立派な石垣がある
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一之堰とあり堰が作られた記念の碑である
これは元治であり江戸時代なのである

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堰がある、この脇に水路がある

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山神社の上野の橋

クリック拡大すると鮮明に見えます



関所に由来するのは温海町の鼠ヶ関と関川(鼠ヶ関川の省略)だけのようで、大部分は堰で用水路のことです。鶴岡市田川の関根は旧村名で、大山川から取水する堰があり、それに由来する堰根です。
 
 (一関はやはり一堰のことー江戸時代からの歴史)
 
 本町の関根も平田町・堰根と同じように堰根です。根は「事のおこるもと。物事の元をなす部分。」(『広辞苑』)ですから、堰が始まる所すなわち堰の取水口になります。
 http://koichikato.world.coocan.jp/minpou/minpou2004/minpou2004.11.14/newpage4.html
 
 一関(いちのせき): 岩手県一関市

・ 以下のような説があると言われる。【岩手県庁のサイトより】

(1) 「一ノ堰」から転じたもので、北上川の氾濫をせき止めるための一番目の「堰」をつくったことから

(2) 市内に「一関」「二関」「三関」があり、平泉の関所にちなむ。


(武家)

橲原下総 本氏渡部 文禄二年清丈冊に見ゆ
後孫渡辺氏を称し今中村に居る



大塚

只野

寿人 大塚与右ヱ門

99才にして文政12年巳歳 文政12年死す 今の与右ヱ門の祖父なり

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野馬追の旗


細入第址

在昔相馬左近及胤公の居所なり、慶長中秀中―忠公に仕ふ、後故ありてこの地に蟄居す
元治三年卒す,歳68才 法□仏性印殿鉄山関公大居士 墓碑は小高山同慶寺にあり
(鹿島町誌)

山岸とあり水無川の上流の橲原(じさばら)に山神社がある、これが意外と立派である
三段くらいに石垣で組まれて高い所に社がある
だからこれだけの石垣を作ることは相当に労力がかかっている
その碑に一之堰と記されている、江戸時代のものである
その上の方に行くと実際に堰がある、そこから水が流れて来る

橲原村は文禄二年清丈冊に見ゆとあり文禄時代に開かれたとなるから古いとなる
ただその前からの村もありここはやはり江戸時代になって開かれたとなる
そこで99才まで生きたとか記されている、これは信じられない、江戸時代でこんなに長生きするとは思えないからだ、戸籍とかの間違いだろう

堰のすぐ下に「屋敷沢」とあり屋敷があったのか?

細入第址がそれなのか、屋敷があり沢があったとなる、何か橲原でも太原ても隠居した人がいたとかそういう場所にふさわしい、

ともかくこの一関はやはり堰を作った記念として碑にも出ているから堰のことである
堰とは田に引く水で重要であり水神が祭られているのもそのためである

ここでわかっているのは武家の出として島 大塚 只野である
只野というとき50人くらい鹿島区にいる、それは只野氏とは南北朝の時霊山で南朝の北畠氏が滅びて炎上して落ち延びた末裔なのである

橲原村には開墾者が明治以降入っている、その人達の粗末な石くれの墓が残っている
名前も定かでない、こういう奥まで入ってきて開墾して暮らした人がいた、ただ農業だけではない、炭焼きとかもしていたのだろう
そのためにこういう山奥でもどこでも昔は暮らしていたとなる


橲原と大原は似ている、そこが行きどまりになっているからである
それ以上奥になると森になるからである、江戸時代だったら相当に辺鄙な場所になる
耕作地も狭い、でも木材がとれていた、それで生活していたともなる
私の家の柱は橲原で姉の同級生が切ったものを柱にしていたと聞いた
つまりまだその時は外材ではなく地元の木材を利用していたのである
でも50年前とかであり大工の手間賃もまだ安かった、そのあとすぐに大工の手間賃が馬鹿高くなっていったのである、だから400万とかかかったと聞いたが本当に安かったのである、今なら大きな家だったら三千万くらいかかるだろう
その時高度成長時代の真っ最中であり景気が良かったのである

南相馬市だと橲原とか大原は奥座敷なのである、ただ放射線の被害で田も今は作っていない、草ぼうぼうになってしまったから残念だとなる、それでも人は住んでいる
でも田で米作りをする人はいなくなっているのだろう、荒地のままになってしまったからである

とにかく堰とは水を供給するから大事なものでありそれでその記念の碑が建ち今日にも残っているのである
つまり郷土史とは先人の苦労を偲ぶとういことにもある
だから江戸時代から継続された歴史があり原発事故でそうした継続された生活でも断絶することが問題なのである
なぜなら祖先が先人が苦労して作り上げたものが喪失してしまうからである
すると祖先も浮かばれないとなる、ただこれは個々だけではない全国的に過疎化してこさうした山の村は廃屋となり廃村となりつつある、日本の人口は縮小するからその衝撃も大きいのである





posted by 天華 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2022年05月29日

「光熱費」に「奨学金」まで狙われる…ひっそり進む「サービサー法改正」の危ない現実 (日本の貧困の深刻化ー100万人が電気、水道,ガス代が払えなくと止められる)


「光熱費」に「奨学金」まで狙われる…ひっそり進む「サービサー法改正」の危ない現実

(日本の貧困の深刻化ー100万人が電気、水道,ガス代が払えなくと止められる)

例えば、今回の改正案では水道やガスといった光熱費も対象となるとしている。電気代の支払いが滞った場合、電気が止められ、支払いができれば再び電気がつく。

しかし、このサービサーの対象となった場合、電気代を優先して回収するために事業者から委託を受けたサービサーが給与の差し押さえをするなどして取り立てができるようになるのだ


1人からじゃなくて数100万人が電気代も支払えない時代になってる

貧乏人には水も飲ませるなという事か

滞納者がそれだけいると言う事か
けしからんな
まずは支払うべき金は取り立てないとな

水道は滞納しても止めれないから支払わないバカが一定数いる
電気みたいに止めれるようにするのが妥当だろ

スマホ料金の滞納なんか100万人以上 給与差押え まあ いいか!

最低生きる保証もなくなるのか
これが民営化

これは流石にかわいそうかなとは思う
光熱費が払えない世帯には無料で提供し高所得者が補う仕組みが必要かもしれない

水道民営化するから、とりっぱぐれない様に法律を改悪する訳だ

弱者に厳しい日本政府の正体

さあこれの真の目的はなんでしょう?
これからものすごーく光熱費や水道代が上がるから?

最近の事件見てると貧民層による国内テロが起こりそうな気配




100万人がスマホとか携帯の料金を払えないとかいるのは深刻である、これは連絡のために必ず今は必要である、生活保護者でも連絡のために用意しておけと言われるからだ
そして水道は払わなくてもすぐにとめられないがガスは止められる
一旦止めると今度をガス栓を開くために3500円とか払わなければならない
これも酷いと思うがそんなこと今はいちいち考慮しない時代である

何か貧乏な時はその日暮らしみたいだった、私の家で部屋を貸していたが毎日家賃をとりに行っていたという、なぜ毎日なのか、結局その日暮らしでありそうなっていたのかと見る、江戸時代でも長屋ではその日暮らしである、日銭を稼いで暮していたのである
貯金などしていないのである

こうした最低限の生活の人はこういう法律がてきると困る、でもあえて政府でするのは何故なのかとなる、水道でも民営化して業者が金をとりやすいようにするためだとも言う
業者の圧力でそうなっているのか?
でも公明党などは貧困層が多いから反対するはずだが押し切られる、公明党は必ずしも弱者の味方ではなくなっている、第一公明党がカジノでも賛成してかかわって利権を得るのかとか問題になった、結局公明党でも共産党でもそうした底辺層から票を集める得するのは幹部だともなる、議員になっている人だともなる
この法律は底辺層に厳しいのだから普通反対するはずだからである

いづれにしろ日本の貧困化はさらに深刻化してくる、遂に食糧危機になるとも騒がれる
確かに給食でもかなり減らされている、すると子供の栄養や健康にもかかわってくる
50年前にももどるとされるのは驚きである、ただ50年前というときどんな暮らしをしていたのか、高度成長時代でありそれなりにいい暮らしをしていた時代ともみる
ただそれもわからなくなった

貧乏という時戦後十年の暮らしは小学生の時の暮らしは貧乏だった、燃料は炭であり
水道もないし水は街では井戸がある家から無料でもらっていたのである
電気は裸電球一つくらいしかない、ということは電気料金などほとんど払うこともなかった、ただ燃料費は炭を買うからかかっていた、風呂は父親が手作りしたものであり燃料は材木屋で家の柱などにする木の切れ端であった、それも無料だった
食料がないので必ず畑の空地で野菜を作っていたりした、その時農家の方が食料があるので豊かだったのである
子供の時だからその暮らしの感じ方は違っていた
でも隣を貸していてその老人が飢え死にしたらしい、それは息子がいても嫁が酷い人でそうなったらしい、そうなったのは生活保護ない時代だったからだとなる

ともかく日本は本当の貧乏がわからなくなった、何かオカズがなくて醤油を御飯にまぜて食べていたとかある、そして明治になるが醤油もない時代もあった
だから高度成長時代から日本は特別豊かになった、日本の歴史では貧乏なのが普通だったのである、戦前でもそうであった、だから戦後十年くらい経て高度成長時代になったのは日本では例外的なものであり日本はみんなずっと貧乏だったのである
ただいつの世でも金持ちと豊かな人と貧乏人はいた、だからどんな貧乏時代でも裕福な人はいたのである、でも高度成長時代のようにみんなが裕福になった時代は日本ではなかったのである

でも昔に50年前にもどるとしても簡単ではない、贅沢な暮らしに下層の人でもしていたからである、貧乏でもその人はサシミだったら冷凍ものは食べないとか選んでいるのであるつまりそうした暮らしはもともと本当の貧乏だったらしていない
なぜなら私の父親は病気になってサシミ食えるようになったが食べたくないとして死んだからである,サシミを食べたのは何か特別な日だった、酒の肴(さかな)は味噌を焼いたものだったりしていたのである
果物というと確かにミカンを食べたにしても柿とか多かったろう
それで私の母親は大正生まれで干し柿が好物だった、でもこの干し柿は今は高い
バナナは父親が病気の時、仙台市まで行って買った、この辺では売っていなかったのである、だから本当に今の生活からいくら貧困で考えられない生活だったとなる
別に高度成長時代から食べ物でも豊富になり贅沢している、それは恵まれていない人でもそうだったのである
その人は果物は高いと食べていないという、ただバナナだけは安いとなる、後は高い

最近の事件見てると貧民層による国内テロが起こりそうな気配

何かこういう不穏な状態にもなる、貧困がますます深刻化するとそうなる
子供の給食でも減らされているというのは深刻である
戦後まもなくは食料不足でコッペパンを油で焼いていたとかある、それは栄養をとらせるためである、それだけ食べるものがないからそうなった
子供の給食が減らされているというのは相当に深刻な状態にも感じる

こういう時なぜ底辺層が困る法律を作るのか?

これは意外と注目していないが政府が底辺層をさらに苦しめる、そしてこういう法律は注目もされず実行される、それが政府のずるい所なのである
でもこれは具体的にわかりやすい、直接底辺層を苦しめる法律である
それで底辺層の暴動が起きるともなる、何しろ人間食えなくなったら政府でも命がけで抗議するともなる、それで中国で一番恐れているのはそうした人民なのである
中国人14億人を食べさせることが第一となる、中国は必ずそうして貧民が政府を攻撃して政権が転覆しているからである

いづれにしろ何か貯金していても今や安心はない、物価が上がり日本の金の価値は半分になるとか預金封鎖があるとかそんな話ばかりだからである
それより農家では燃料として柴をとって二年間分くらい貯えていたという
その方が安心だとる、また水は井戸があるからまかなえた、電気などは裸電球一つだったらわずかである、でも夏が暑いと今は異常に暑いから老人だと熱中症になり死ぬこともふえる、もう電気なしでは生きていけないとなっている

その電気の元は石油とか石炭でありまたガスである、だから原発を再開しろと堂々と言う人がいた、どうも飯館村の佐須部落でチューリップを見せるペランティアをしていた一団は原発の被害はたいしたことがない、死者もでていないとか原発を再開しろという団体であったようだ、そういう世論も形成されやすくなっているのだ
それだけ電気社会になったからそうでありまた車社会になっているからもう車なしでは生活できないとなっているからだ、それで石油が上がってガソリン代が苦しんでも田舎だ依然として一人一台車を持っいるのである
だからこうなるとこういう生活が続けられのかということが問題になる
それだけ日本の貧困が深刻化しているのである

posted by 天華 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年05月28日

大陸は人種が混交し混血した (ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


大陸は人種が混交し混血した

(ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


 混交して混血する大陸の民族

 なぜウクライナの大統領ゼレンスキーがユダヤ人なのか
 プーチンの顔にモンゴルータタールの血が交じる
 モンゴルはウクライナまで攻めて来た
 その猛威にヨ−ロッパは震撼する
 タタールの軛ははロシアの起り
 トルコは突厥でありモンゴルと近接する
 遊牧民は中央アジアに跋扈して領土を拡大する
 羊を追い大騎馬軍を率いて大陸を進軍する
 インドの原住民はドラビダ族
 そこにアーリア人の侵入あり
 その彫の深い顔はギリシャ彫刻のよう
 仏像はアレキサンダーがもたらしたヘレニズム文化の所産
 スリランカの男性は顔だちが白人
 名前はフェルナンドにしてポルトガル人の王の名なり
 大航海時代にヨ−ロッパ人の侵入あり支配される
 中央アジアに東西の対立
 様々な民族が部族が混交して鬩ぎ合う場
 血を流し争いまた混血してきた歴史
 それはウクライナでも再現する
 兄弟とするウクライナでもせめぎ合い争う
 中国の始皇帝は白人らしい
 遊牧民、騎馬民族の末裔なれ
 始皇帝陵兵馬俑の大軍団の威容
 それが中国の地下に眠っていた
 遊牧民は広大な草原を砂漠を移動する
 そこで異民族と出合い熾烈な戦いとなる
 その興亡は繰り返される
 スラブ民族はスラブは奴隷の意味と
 ローマ帝国の辺境となる地域は 野蛮人とされ
 文化なき世界とされゲルマン人もライン川で区切られる
 スラブとはヨ−ロッパの源流から外れた劣った民族
 でもフランスのナポレオンとドイツのナチスであれ
 ロシアに攻め入り寒さに敗れて撤退する
 その犠牲者は一千万人以上ともされる
 ナチズムはアーリア人の優秀さを主張してジェノサイドする
 ユダヤ人は固陋にその血を守り神の民として遺民とてし残される
 民族と民族の熾烈な妥協なき争闘の歴史
 ゲルマン人の荒々しい血がローマに侵入して滅ぼす
 スラブ民族主義が西のヨ−ロッパに挑む
 東欧諸国の成り立ちはいかにここも遊牧民に由来する
 地球は陸の国より歴史が始まる
 大陸、砂漠、草原が始源となり世界史は形成される
 アラーの神は砂漠の神でキリスト教も同じ
 アブラハムを共通の祖として一神教なり
 日本は極東の島国にしてその歴史よりはずれる
 島国で敵味方塚あり敵をも戦い終われば供養する
 大陸は民族絶滅ジェノサイドになる
 他国に侵略して支配されざりし島国日本
 しかし今グローバル化は進展して孤立はならじ
 鎖国はもう成りたたじ世界大戦に巻き込まれる
 日本民族の存続すら危ういともなる
 世界はまた動乱の時代となり
 日本は深刻にその行く末が問われる


●日本人のアイディンティティは村

戦争の原因という時、日本国内なら村同士の争いである、入会権がありその争いで大名がかかわり戦国時代になったという分析もある
また水争いもあり村同士が争う、日本だったらそうした地域間、村の争そいになる
そして日本で一番怖いのは村八分なのである
そうなると村で暮らしていけないからである、最近地方に田舎に東京から移住する人達が増える、特に退職した人など田舎でのんびり暮したいとなる
でも日本だと人間関係でむずかしいのは村が生活の基本にありそれでうまく適合できないのである、ある人は回りに親戚がいて誰が家に入ってくるかも監視されている
そこに女性が入ってきたらすぐに話題になる
田舎では誰も見ていないようで常時監視状態にある
それで都会から来た人は同じ移住者の住む別荘地帯に住んで楽になったとしている
日本人のアイディンティティは村にある、狭い村にある
それで日本人の姓は必ず村に由来している、これだけ姓が多いのも日本にある村の地域名が姓になっているから多いのである

でも大陸では違っている、一地域名が狭い村の地名が姓になることはないのである
あくまでも血統であり血統集団が一族でまとまる、だからその姓はハウスブルクとあればそれが国の名にまでなる、確かに日本でも平氏源氏は血統としてまとまる集団である
それは地域名ではない、でも多数の姓は村の地名に由来している
そして日本人が理解できないのは大陸の遊牧民なのである、羊を飼い広大な地域を移動する遊牧民のことが身近に接しないから理解できないのである
その人たちは住んでいる土地をアイディンティティとしない、羊を追って草を求めて広大な地帯を移動するからである、するとどうして一体感を持つのかとなると血統だとなる
日本だと村で一体感をもち先祖は山にいて村を見守り春になると田植えの時期に先祖が山からおりてくるという感覚は遊牧民にはないのである
それは広大な地域を移動しているからである、だから別に村八分になってもその村自体もない、ここが嫌なら別な地域に移ればいいとなるだけなのである

●大陸は民族同士が混血する文化も混血する

そして大陸で理解しにくいのは国の成り立ちである、それはその土地もあるか人種が深く関係している、人種と一族である、それは必ずしも土地に所属しているのではない
人種としても民族としても顔だちとかも違っていて区別される、さらに言語も違っていて区別される、だから不思議なのは一体ロシア人とウクライナ人を一見見て区別できるのか普通はできないと見る、それで外国に日本人が行くと必ず中国人に見られるのと似ているまず中国人と韓国人と日本人の区別は顔をみただけでは区別できないからである
でもプーチンの顔はタタール人の血がモンゴルの血が入っている
スラブ民族というが大陸では人種が必ず混血しているのである,ゲルマン人でもスラブ系の民族が住んでいたとかある
ヨ−ロッパの歴史はローマ帝国の継続としての西側とかゲルマン人とかスラブ系の遊牧民の対立がありそれが今日まで継続している,ウクライナでも一時モンゴルが攻め入りモンゴルと混血した、ロシアがタタールの頸(くびき)となったときもそうである
なにかプーチンの顔はモンゴル系統が入っているように見える
モンゴル系統というときアジア系統の血が入っている、つまり人種的には白人系統とアジア系統の混血でありスラブ民族のオリジナルは別にあるとしても広域的にはそうなる
ゼレンスキー大統領がユダヤ人だというきこれもわかりにくい、ロシアとかウクライナのユダヤ人はまた違っている、ユダヤ人の血を受け継いだものとも違う
ユダヤ教を信奉するものがユダヤ人だともなる、だからユダヤ人といってもいろいろあるとなる、人種では人間は分類できないのである

人種としてはゲルマン人とかアングロサクソンは強力な民族でありイギリスとかその延長のアメリカ人がそうでありそれが世界支配をしたとなる、それはゲルマン人と北方人が主流となったものである、ともかく大陸だと多様な人種があり民族がある、何か世界の人種をアフリカの黒人からペルーとかメキシコとか南米から一列に並べてみたら不思議になるそこでは必ず混血民族がいる、つまりAという遺伝子がありBという遺伝子がありその中間に混血してABという遺伝子の結合があるとなる、それがプーチンの顔にある,スラブ人の顔だともなる、大陸では国境は明確に定められない、地続きなのだからそうなる
すると民族間でも交わり混血になる、そして人間は混血すると異種の人種と交わる時
それが刺激となり種が強化されるようである、だから混血すると美人が生まれるとされるつまり大陸では人種でもそうだが混血する、ヨ−ロッパの文明がイスラム文明を取り入れて発展したというのもそうである、文化も混血するのである
ヨ−ロッパの言語も混血していることが明確である

●人種よりも言語の相違が理解できなものとなる

スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。その語源となったスラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」「言葉」を意味するもの[注釈 2]である[要出典]。近隣の(非スラブ人)の人々は、スラブ人によって "nemets" と呼ばれ、これは「ミュート」「話すことができない」という意味である。

人種の前に人間は言語によって区別される、言葉が通じないともう意志疎通もできないからである、そもそもなぜこれほど多様な言語が人間にはあるのか?
それはバベルの塔の崩壊で意志疎通ができなくなった、様々な言葉で話すようになり意志疎通ができなくなったことに由来している
つまり言語が通じないことは意志疎通できなくしたのである
人種の相違より言語の相違が需要だから神は言語によって人間を分断して罰したとなる
ただ言語でも印欧語は大陸の共通言語として認識された、だから何かしら似ているから
言語でも理解されやすい、文法も同じだから構造的にも理解しやすいのである
スラブ語にしてもヨ−ロッパとの共通性があり理解しやすいのかもしれない、なぜヨ−ロッパとかロシア辺りでも英語を話す人が多いのか、それは何か共通した言語の基礎があるからだとなる、ウクライナ人でインタービューされる人がたいがい英語を話しているからだともかく人間を人種で分けるとういことがあるが言語で分けるというのもある
言葉が違うともう人間は意志疎通できないからである
それでギリシャでは言葉を通じない人をバルバロスとしてた野蛮人としたことでもわかる

バルバロスは、「聞きづらい言葉を話す者」または「醜い言語を話す者」の意で、バルカン半島東部(ギリシアの北東)のトラキア地方に住むトラキア人や、ペルシア人のことである。由来としてはギリシア人から異民族の言葉は「バルバルバル」と聞こえたからといわれている

人間は人種だけではない言葉の相違で分けられる、言葉が通じなければ野蛮人ともされるのである、だから言葉は人間にとって人種よりも大事なアイディンティティを形成するものとなる、別に人種が違っても流暢に日本語を話せるとその人は日本人のようにも思えるからである、そこで中国でも多様な民族がいて一つにまとまらない、あれだけの人口と民族をまとめることは至難である、そこで中国では常に民族ごとに分かれて国が形成される

●中国は漢字で意志疎通し文明を作った

 胡(日本語の訓みは「えびす」)とは漢民族から見て北方民族(北方にいる異民族)を主とした異民族のことで、中国史では、匈奴・羯・鮮卑・l・羌の五つの民族を言いう。彼らの多くは騎馬遊牧民であった。厳密に言えばこのうちのl・は北方民族とは言わず、

中国は常に多様な民族が混交して争い統一しては分裂してきた、それで言語も違っているその統一するために漢字が生まれたとなる、まず人間は言葉は音が基本であり文字は後から生まれた、幼児でも母親のしゃべる音から言葉を習得する、でもこの音はその時ネティブとして自然に頭に入るのだが大人になるとそれができなくなる
だから外国語を学ぶとき音より文字から学ぶとなり日本では翻訳文化になったのである
中国でも読み下し文とか文字から漢字から学んだのである
直接中国人とは話すことがないからそうなった、それで日本がヨ−ロッパから学んだ時も翻訳文化になったのである、実際中国人と意志疎通するときは漢字を書く、すると通じやすい、でもその音は聞き取りにくくしゃべることもできないのである
だから大きな国を統一するには共通の言語が欠かせないのである
これは人種の壁より大きいともなるから人種にこだわるのは問題だとなる

大陸の歴史をみれば必ず民族間の抗争がありジェノサイドがある、それだけ多様な民族が大陸には存在したからである、何故ロシアとウクライナが兄弟のような同一民族だとするとき争うのかとなる、言語も共通したものが多いだろう、言語でも文化でも宗教でも人種でも共通しているのである、それでロシアがかえってオリジンの国としてこだわる
つまりウクライナとロシアはもともと同一民族であり一体だとなる
それで欧米側に西側に所属することを許さないとなった
ヨ−ロッパとかはロシアでも言語的にヨ−ロッパと共通性がある、ロシア語はギリシャ語が基になっている、音は別にして文字はギリシャ語が基になっている
宗教でもギリシゃ正教が波及して変形したものだからである

●日本語は孤立語であり島国として閉鎖された国

日本はなぜ大陸の歴史や地理を理解しにくいのか?

それは日本人が極東の島国として一つの孤立していたからである、でも仏教とかは取り入れたのである、その孤立したことでわかるのは日本語の由来が未だにわからない
どことも共通性がない言葉なのである、アジアに探してもそうでありそれで中東に由来を求めたりする、ユダヤ人の言葉と似ているとかシュメール語に由来していとかにもなる
でも依然としてその由来が不明な謎の言葉なのである、そのことが日本が大陸から隔離された孤立した文明だったということの証明なのである、まず大陸だったら鎖国など絶対にできない、陸つづきなのだから常に異民族が侵入して来る

大規模な民族の移動もあるからだ、第一ウクライナで何百万人も移動したということが驚きになるからだ、日本では海に囲まれているからそういうことができないからである
だから日本には人種的なも問題もないし言語が違うということもないから一体感をもてたとなる、でも混血しないから人種的には弱体化したともなる
アメリカとかなると人種差別がある、日本にはない、でもその反面様々な民族が人種が混血することは種が強化されて文化でも新たなものが作り出される

そもそもなぜ戦争になるのか?

その原因は複雑であり多様である、だからなぜ兄弟でもあるとするロシアとウクライナが過酷な戦争になるのか?そのことが理解できない、同じ民族なら言語も共通しているなら争うことがないと思うからだ、ただ西側の関係でそうなったという、それも言える

エゴだけで引き起こされるわけではない。むしろ、危機意識が高く、犠牲的な精神の高い者によって引き起こされる場合の方が多い。戦争の原因は、観念論者が言えような独裁者の夢想や野心と言うより、人民の切実な問題が、隠されている事の方が多いのである。

第三の経済

独裁者の夢想や野心と言うよりというときプーチンの夢想や野心からウクライナ戦争が始まったというのはやはり違っているだろう、そこには複雑な背景がある
でもウクライナでも国を守る犠牲的な精神が発揮されて抵抗した、またロシア側ではロシア人が住んでいる地域はロシアのものだということで戦争になった
そこに国同士のエゴだけではない、ただ犠牲的精神が高い方は士気があるのはウクライナだったともなる,ロシアにはそれがないとされた、ただ両国が和解できない何かがあったとなる、それを知ることは日本という閉鎖された島国ではわかりにくいのである

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2022年05月27日

膨大な本を買っても理解していなかった (新しいものを求めるばかりで温故知新がなかった)


膨大な本を買っても理解していなかった

(新しいものを求めるばかりで温故知新がなかった)

何か不思議なのは人間の心理として例えば本をアマゾンで注文する、すると二三日待っている、そこにまだ読んでいない知らない新しい知識に接することに期待する
別に二三日でも期待して待つということがすぐに手に入るのと違った感覚になる
それは電車でも駅舎で待つということがありその待つ時間が期待にもなる
親しい人とか愛する人と別れていたがまた逢えるとかの期待に通じている
それは待つという時間にありそれが無駄なものではなく精神的豊かさをもたらしていたのである

高速道路のSAにはまず待つ時間がない、別にそこで電車のように車が来るの待つことはないのである、何かこうして便利さとか効率さだけを求めて来た社会には意外と欠けたものが生じる、そこに無駄なようなものでも人間にとっては無駄なものではないということがある、その無駄と思えるものが何か人間的豊かさを作り出している
もし駅についてすぐに電車にのり目的地に行くの効率的である、山手線などではそうである、二三分でも遅れると嫌だとなる、仕事をするとなるとそうなる
でも旅とかなるとまた他のことでも待つということが意外と精神的なものとして必要だともなる

それはおそらく手紙でも同じだろう、手紙は今のようにネットとかメールのように瞬間的に送れない、そこで手紙を待ち望むとういことがあった、そこに期待があった
今はそうした期待もない、待つ時間もないのである、それは効率的なのだが失うものがあった、人間の不思議は何かを得るとまた何かを失っているのである
これはあらゆることで起きているのだ
機械化というとき何でも効率化していいとなりあらゆるものが機械化してゆく
でもそこで失われるものがある、農業だと村で田植えでも稲刈りでも人力でするから
みんな協力しないとできない、人手を集めないとできない、それも不便なのだけどそこで村が一体化して共同性が育まれて祭りなどが生まれたのである
機械化するとそういうこともなくなって祭りも廃れたとなる

そしてこれも不思議なのは人間の心理として常に新しいものを求める、本でも何か新しい本を求める、そこには今までにない新知識が知見を得ると思えるからである
でも私の場合でも一つの部屋が本でうまるくらい本を買った、いたるところに線も引いてあるのだがその本を読んだ覚えすらなくなっている、これも何なのだろと思う
人間はとにかく忘れやすいから一回くらい読んだとしても忘れていたのである
こんなこと書いてあったのかと初めて読むのと同じだった
だから奇妙なのは新鮮だったともなる、前に読んだとしても忘れていたからである
人間にはこういうことが多い、そして人間は常に新奇なもの新しものを求めている

でも本を読むにしてもその本の内容を深く理解していなかった、またできなかった
ただ新しいものを求めて本を買い積読していただけだとなる
つまり本は本当は深く自分なりに理解してこそ得るものがある、でも深く理解できない
そうして新しい知識を求めて本を買っても消化できていないのである
一冊の本でもその本を深く理解することがむずかしいのである
だから今読み直してみる理解するようになった、そういうことだったのかと理解を深めるようになった

こういうことは人間に良くあることだろう、それで温故知新という言葉が生まれた
古きをあたため新しきを知るということである、新しいことばかり求めてもだめである
古きをたずね古きを温めて理解を深める、それで知識でも理解が深まる
つまり現代は物があふれている、新しい物を求めて物が過剰になっている
知識でも情報でもそうである、でも古きを温めるということが欠けている
現代はこうして新しきものばかりを求める時代から古きを温める時代になっている
それで古民家再生のことなど古いことを活かそうとしている人がいるのはめずらしいと思った、神道とか仏教でもそこになお意義があり意味があり現代に活かそうとしている
ただカルト宗教団体などは全くそういうものがない、求めるのは数であり組織の拡大であり結局権力を得ることしかないのである
だからそこから全く思想などないのである、数であり権力しか求めていないかである
このプログではそういう権力とは何ら関係ないから好感がもてるのである

いづれにしろ日本でももともといいものはいくらでもあった、学び伝えるものがあった
欧米のものだけがすべていいものではない、それを新しいものを求めてかえって日本的ないいものが見失われてきたのである
だからもともとあった日本のいいものを見出すこと日本の文化を再生させることも現代ではかえって必要なのである、また明治維新から150年もすぎてそういう時代になったということもある、ともかく物の時代から精神の世界、文化の時代に移りつつある
そういう過渡期にある、日本の役割が東西文明の掛け橋であり融合の役割を担った
その過程で戦争となり混乱して悲劇になり終わった

そして欧米に習うだけであり日本のいいものを忘れていたとなる
例えば武士道でも神道でも仏教でもそこに日本人が見出したいいものがあり独自のものがある、でもそれも忘れられた、でも欧米のものを日本人は日本人なりに消化されなかったただ仏教でも日本人なりに消化するには鎌倉時代までかかったから時間がかかる
文化とかなると簡単には消化されないのである、物とか機械なら意外と消化する
それで明治維新でなぜ汽車をすぐに作れたのかとなる、工業化できたのかとなる

でも文化となると政治とか宗教とか思想となると簡単に消化できないのである
民主主義といっても簡単に消化応用できなかった、民主主義では戦後は権利のみを主張することが民主主義であり義務とか責任は無視されたのである
そこでは各自利己の利益のみ追求したのである、結局アメリカに占領されて習ったのだから日本はアメリカに似て来るのである、それが金だけを追求する国となったことでもわかる、もう何が日本的なものかもわからなくなったのである
それは温故知新がなくなり日本の古き良きものが見直されることなくただ新奇なものばかりを求めてきた結果だともなる
それは自分自身でも膨大な新しい知識を求めて本を買ってもただ積読になって深く読んで理解していなかったと同じなのである

とにかく人間は理解することが何でもむずかしい、一人の人間でも理解することはむずかしい、ましてや他国を理解することはさらにむずかしい、とても簡単に理解できない
ウクライナ戦争でもウクライナとかロシアとはどういう国なのか理解することは至難である、空間的にはある程度はわかる、それにしても空間でも大陸だと広大だからわかりにくくなる、そして時間軸で歴史として理解することも簡単にできないから必ず誤解が生まれる、親戚でも付き合いが30年とかないと相手のことがわからなくなる
なぜなら人間がまるで変ってしまっていたからである、人間もそもそも常に変わり安いのである、だから突然ロシアとウクライナが戦争になったのだろうとなる
それを理解することは本当にむずかしいとなる

いづれにしろグロ−バリゼーションは物流の増大であり技術の革新であり機械化であり
またコンピュター化でもあったがコンピュターとなるとこれは頭脳とも関係してAI時代にもなる、それは脳と深く関係してくるから文化とも関係してくる
それでコンピュターのソフトで世界の写真や画像を見て私が変化させて作っている抽象画が新しい芸術ともなっている、全然絵の才能がないのにできるからだ
そもそも写真自体が絵の才能がなくても絵画化できるものとして発展してきたからである現代は映像の時代でありそれが世界的にグロ−バル化してコンピュター化してそうなったとなる、つまり現代とは表現の時代である、個々の表現の時代である
だからニュース解説者がyoutubeでもプログでもホームページでも膨大に増えたのである
マスコミが独占していたものが個々人でもできるようになったのである
なぜなら個人でもテレビ局になり出版者にも新聞社にもなれるからである
それは何百憶とかの資本金などいらない、無料でできるのである
この変化も大きいのである、プログのようなものでもいかに表現力があるか感心するからだ、だから現代は情報社会という時個々人の表現の時代になったのである

ただいかにこうした技術革新かあっても依然として温故知新は必要である
過去に蓄積され伝えられたものを見直す作業である、それは個々人にも言えたのである
私は膨大なものを詩とかで書いていた、百から千くらいまで書いていたかもしれぬ
それは発表していない、それを整理しているのである、そしてこんなことを書いていたのかと自分自身で感心しているのも不思議なのである、それだけ人間は個々人でも全体でも過去を忘れるものだと思った、全く自分で書いたものとも思えないのである
つまりそれだけ人間は忘れやすいのである、人間も死ぬと十年もすぎると曖昧模糊となる60年一生に生活していてもそうなる、他人ならそんな人いたのかとなり全く忘れられるのである、それでこの辺で400年前に慶長津波があり生波(いくなみ)で700人溺死と相馬藩政期に記されていたが誰も学者すら知らなかったのである
津波の後に発見されたのである、こうした重要なことすら人間は忘れるのである

だから人間の大きな問題が忘れることになったともみる
認知症になると遂に自分の住んでいる町の名前すらわからなくなる、子供の名前もわからなくなる、そうなるともう家族でも他人であり見知らぬ人になっていたのである
つくづく人間の大きな問題は忘れることにあったと思う
どれだけ重要なことでも人間は忘れる、日々目前のことに追われ忘れるのである
そうして重要なことでも忘れてしまうのである、だから忘れないように記録することも大事である、もう百年後とか二百年後とかなるとやはりあらゆることが忘れられる
そこに重大なことがあっても忘れられるのである、それで過去のことを記した記録した文字が発明したことが人間にとって大きな意義があったとなる
ともかく何かを記録しておくことが個々人でも大事であり地域でも国家でも大事だとなるそして見直すことが大事になる、そうしないと過去を忘れると津波とかでも警戒しないことになり大被害になるからである


金で買えないもの・・・・

2,500円の本をアマゾンで買った
それは高いと思った
また内容も良くわからなかった
詩の本となると理解するのがむずかしい
本でも知的なものは
金より理解すること
深く鑑賞することができること
それが問題なのだ
その理解力鑑賞力がなければ
いくら金があっても無益
金ですべては買えない
知識や知恵は金ですべて買えない
本は絵画を買ったとしても
その鑑賞力理解力がなければ無益
しかしそれは得難きもの
それでこの世で貴重なものは
すべて金では買えない
金がなくても得られることもある
自然の美は無料で神により提供される
ただ理解力鑑賞力があればである
食べ物なら誰でも価値がわかる
でも文化的なもの知的なものは
理解力と鑑賞力がないと価値はわからない
つまり金ではそもそも買えないのである



ともかく過去に書いたものが本当にこれだけの量になると忘れていた
これが自分の書いたものなのかと不思議にもなる
人間はそれだけ忘れる、それで過去に書いたものを整理している
それも膨大だからその整理も尽きない、そして疲れたとなる
自分自身が書いたものが自分が書いたもののように思えくなっている
これも量が多いからそうなっているのだ

とにかく文化的な価値は金に換算しにくい、詩とかなるとマイナーだから
そもそも理解する人にしても少数である、そうなると理解する人鑑賞できる人の方が貴重だとなる
なぜならそもそも理解しにくいのだから価値も認められないとなるからだ
それで偉大な芸術家がいたとしても全く認められない人もいたとなる
つまりその価値を見出す人がいなかったのである


2022年05月26日

abstract painting in Kyoto(京都の抽象画)

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京都の石畳の道(京都の抽象画)

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出合いの場ー落ちあう場所

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京都の石の道

静かに歩む石畳の道
石の心が体に伝わる
一歩一歩歩む道
千年の都、京都の道
もの寂びた古い堂塔
厳かに夕べ鐘鳴る
夏の夕暮れ路地裏の道
人と人はここに落合い
出合い別れぬ都かな
夕月の出て石畳みの道
石塀小路、石の道
寺の庭の石と石
黙して座禅の僧
伝える教えの厳かに
路地の奥なる家の床の間
花は活けられ伝統を守る
石の道に心は鎮まる


Walking Silently on Stone Paved Paths
The heart of stone is transmitted to your body
The path you walk step by step
The road of Kyoto, the capital of a thousand years
A deserted old pagoda
Evening bells ringing solemnly
A road in a back alley at dusk in summer
People meet here and there
People meet and part in this city
A stone-paved street with the evening moon
Stone walled alley, stone road
Stones and stones in a temple garden
silent, zazen monks
the solemnity of the teachings they impart
in the alcove of a house at the end of an alley
Flowers are arranged and tradition is preserved
on the path of stones, the heart is at peace

石塀小路ーstone way in Kyoto
https://cool-kyoto.com/ishibe-koji

2022年05月25日

雷雲が湧き、黄菖蒲が映え、ホトトギスも鳴き夏らしかった


雷雲が湧き、黄菖蒲が映え、ホトトギスも鳴き夏らしかった

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草深く老鶯鳴くやわび住まい

黄菖蒲や朝のあいさつひびくかな


幹太く木陰に咲きぬ菖蒲かな涼しくここに落ち着きにけり

草叢に夕べ黄菖蒲明るしや雷雲湧きてホトトギス鳴く

草深く鶯鳴きて夏の日や家に籠りてその声聞きぬ


何かあいさつは大事なのかもしれない、良くあいさつしようとか書いてあるのを見るからだ、ボランティアの交通整理員の女性はいつも見ていて声をかけている
一時間くらいだから楽だとなる

木陰に菖蒲が咲いている、何か涼しげで落ち着く、このように太い幹の木の影でわずらないく災難もなく咲いていたいとなる、というのはこの辺では余りにも災難がつづきすぎたのである、私の場合も災難の連続だったのである
だから何もなく木陰で菖蒲のように咲いていたいとつつづく思った

今日は夕方になると雷雲が湧いた、福島の方で暑く雷雲が湧いた、雷ここではは成らなかった、でも夏になったと見た、黄色の菖蒲が映えている、そして毎日行く道派草深く
老鶯が鳴いている、この老鶯というのが夏鶯とはかなり違ったイメージになる
だから言葉からイメージすることは大きいのである、全く違ったものに思えるからだ
そもそもどうして老鶯になったのかわからない、私の俳号を老鶯にしたが後で天華にしたでも老鶯というのもふさわしいとも思った
草深い田舎でわび住まいしているのが自分だからである
ホトトギスも夕べに鳴いた、夏らしいとなった、梅雨の前の夏である

絵は全く描けないが写真を合成してなんとか絵にした、これも苦労だった
才能がないということはやはり努力するほかないとなる、でもそれも限度がある
それでも一応絵にはなっているので自己満足しているだけである

日本の自衛隊員の不足と高齢化 (もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


日本の自衛隊員の不足と高齢化

(もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


驚かされるのは、自衛隊を辞めた後などに予備役として登録する「予備自衛官」の採用年齢(退職時に士長以下)を37歳未満から55歳未満へ、また第一線部隊と同じ任務に就く、同じく予備役の「即応予備自衛官」の採用年齢(同)を32歳未満から50歳未満へと、ともに18歳も一気に引き上げたことだ。

定員割れを解消しようと毎年22億円ものカネを募集経費に充て、47都道府県に募集担当者を配置し、高校を回ってリクルート活動を展開。募集ビデオの電車内放映、新聞広告なども積極的に活用している。

50代でも予備自衛官に…自衛隊、止まらぬ「高齢化」の実態
平均年齢は米陸軍より7歳上
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58170?imp=0

自衛隊の募集原ノ町駅前でしていた、そこで呼び止めたのが中学生だった、体つきが大人に見えたのだろう、人が集まらない、少子高齢化が自衛隊にも影響している
だからそもそも日本で戦争などできるのかという疑問である
それは中国でも一人っ子政策とか高齢化もしてくる
そういう中国でも戦争できるのかとなる、ロシアではまだまだ国民の年齢が若いのであるすると戦争のようなことでも命令すればできるとなりウクライナに侵攻したのかとなる
戦争はやはり若い人ならできるが年齢が上になるとできない、それだけ過酷だからである
日本はほんの一部を除いて戦争できるのかとなると疑問なのである
豊かな暮らしにもなれた人達でありそういう人達が戦争できるのか?
どうも戦前は東北辺りは貧困に苦しむ人達が多かった、それで戦争でも行けば食べることはできるとかなる、つまり貧乏ということは戦争でもましだともなる
それで東北人の部隊が強く関西辺りの大阪とか都市民は弱かったとなるときやはり都市民は贅沢になれ軟弱になっていた、何か戦前の人たちは粗食でも忍耐強いとか軍隊でも通用していたのかもしれない、今の人たちは贅沢を覚えた人達であり過酷な戦争ができるのかローマ帝国でも都市化して贅沢を覚え軟弱化してゲルマン人の侵入で滅びた
ローマ人はもともと農民であり素朴な人達だったが都市化して贅沢を覚え軟弱化したのである

現代文明の贅沢を享受した人たちはアメリカでも中国でも戦争することは厳しくなっているのではないか?ただアメリカは確かに戦争経験している、中国は経験していない
すると意外と台湾有事でもロシアのように弱いことが露呈するかもしれない
ただ今の戦争はミサイルが飛んでくるから体力より技術力だとなる、でも戦争というのはとても40歳以上とかなると体力的にもたない、ウクライナで戦争になったのはやはりロシアが若い人が多い国だからかもしれない、血気盛んだからかもしれない
日本人は戦前のような粗食に耐えて戦争するようになっていない
贅沢になれてとても戦争するような体力も気力もないように見える

ともかくウクライナのような大規模な大きな国と国の戦争は起きないと見ていた
だからロシアの侵攻は意外だった、でもロシアという国がまだ他と違って若い世代が多く野蛮性があり戦争を起こす国だったのかとなる、ウクライナにしてもやはりもともとロシアなのである、ということは共通したものがあり激しい戦争になったのかとなる
ウクライナはわからないにしてもやはり同じロシア人でもあり共通しているのかともなる
なぜ戦争になるのか?

その理由が定かではない、老子の思想だと兵そのものを否定している、いらないとしている

軍隊というものは不吉な道具であり、多くの人がこれを嫌うものだ。だから「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない。人の上に立つ人々は、通常は左の席を上座とするのに軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な道具であるので、人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ。勝利を善い事だとしてはいけない。勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い。

軍隊とかはもともとそういうものである、だから軍隊が社会で軍人が社会の枢要な地位にあるときはその社会はいい社会ではない、平和な社会ではない、軍事力の増強とかばかり語られるのはいい社会ではない、それはアメリカの軍産複合体では武器を作っていて売らねばならない、するとどうしても戦争が必要でありアメリカは戦争をしかけるとなる
ただそういうことはあからさまに語られないからわからなくなる
ウクライナの戦争にしてもアメリカが画策して対立をあおりロシアと戦争になったという人もいる

中国の思想はあれだけ歴史が長いのだから様々な人間の実験の場であり教訓を残している私が一番魅かれるのは老荘思想である、荘子でも身体障害者は戦争があっても兵士にならずにすんだとか言ってそのことを肯定している
こういう考えは普通はない、国のために戦いとか家族のために戦いとか戦争することが
人の勤めだとまでなる、日本でも戦争するために身体検査をされていた

合格し即入営となる可能性の高い者の判定区分を「甲種」というが、甲種合格の目安は身長152センチ以上・身体頑健だった。始まった当初の明治時代では合格率がかなり低く、10人に1人か2人が甲種とされる程度だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

戦争は本当は誰もしたくないものである、人を殺すことになるからしたくない、また自らも死ぬのだからしたくない、それが正常な感覚なのである
それでわざわざ不健康を装い自ら病気にもして兵役をまねがれた人もいたのである
その人達は非国民となっていた、でも今ロシアの戦争でも死にたくないとして若い兵士が自らの体を傷つけて戦いをやめるうにする、命が助かるためにそうしている
ロシアにはロシアの大義名分があっても人間は死にたくないからである
その大義名分にしても良く理由がわからないから何で死ぬのかとなりそうなった

軍隊は不吉な道具である、

勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い

アメリカは常に戦争してきた、軍産複合体があり武器を売るためにもしてきた
ウクライナでもアメリカが仕掛けた戦争だという人もいる、その犠牲になっているのがウクライナ人だという人もいる、ロシアでもそうである

人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ

軍人が尊敬される注目されるたとは良くない、戦時中は軍人が威張っていたというときそうである、そういう社会はいい社会ではない、軍人が目立つ社会は平和な社会ではない
だから北朝鮮はいい社会ではない、また軍事バレードで軍事力をみせびらかすことはいい国家ではない、軍人が尊敬される注目されることはいいことではないのである
その時はまさに戦争がありそのために注目され敬われる、敬わされるともなるからだ
だから何か墓まで今でも軍人の位が記されて上等兵とかなんとか記されている
その時代はそう墓に記すことで国の誇りになっていたのである
それが今になるとそんな軍人の位に何が意味があったのかとなる、誰も注目していなのである

兵者不祥之器

戦争にたづさわる軍人は目立たない、なるべく表に出ない方がいい社会だとなる
最近軍人がウクライナ戦争ででしゃばるのはいいことではないのである
結局日本の自衛隊のような状態がいいのかもしれない、自衛隊は目だってならない存在であり誇示してはいけない存在である、だから若い人はそれを知っているから自衛隊に入りたくないのである、優秀な人でも貧乏だから給料すらもらえるから防衛大学に入るとなるつまり戦争を目的とする自衛隊員になるためではない、むしろ自衛隊は災害派遣で功績があり認められている、この辺の津波震災でも一番働いたのは自衛隊だとして感謝しているからである、それだけ装備があり訓練していたからである

ロシアのウクライナ侵攻で何か軍事力強化になり戦争準備体制のようになっている
それは中国の台湾有事で現実味を帯びている、実際に台湾の国境の島、与那国島でも自衛隊の基地化する、台湾有事に沖縄の島で準備しているのである
こうして中国が攻めてくると準備することはもう戦争状態にすでなっているのかもしれない、それもウクライナでロシアが侵攻したことで容認されるようになっている
これも危険なことではないか?もちろん北朝鮮の脅威もある
何か一発触発の状態のようにもなっている、中国とも北朝鮮とも戦争になる
それは中国がそうしようとしているのだからやむえないという感覚になる

でも過剰に反応することも危険だともみる、ただもう自衛隊でも全面に出て戦いとかなる雰囲気にもなる、日本を守のは日本しかない、アメリカは守らないとしたとき誰が守るのかとなる、だから次のウクライナは日本だと言われるのである
それが危険な方向に向かうことになる、日本に攻めてこないのにもう中国が攻めてくるとして準備することはすでに戦争状態なのではないか?
そしてアメリカは中国とは戦わず台湾でも台湾人最前線で戦わさせられる、そのためにアメリカでは武器を売る、日本でもそうなる、アメリカは最前線では戦わない、後ろからの援助であり自ら血を流すことはしない、だからこそ中国も抑制すべきなのだがしない
要するにウクライナのように日本と中国が正面で戦い犠牲者がでる
アメリカは武器を送るだけだとなるかもしれない、そこで利益を得るのはアメリカだともなる

どうしたら戦争にならずにすむのか?

そのことを互いに模索して犠牲をなくすることにする、それが政治なのだけどできない
いづれにしろ不祥の兵がそうでくなるとき危険になる、本当は戦争するなら米中だけでしてもらいたとなる、日本は高見の見物をするとなればいい、でも必ず日本にはアメリカの基地があるのだから中国にでも北朝鮮でも攻撃される、それもミサイルの射程距離にありうちこまれ、アメリカは避難してアメリカに帰れば安全だとなるのである
ともかく日本はこうして危険な状態にある、別に自衛隊に人など集まらなくてもいいのである、でも軍事力増強を言う時、軍備でも増大してゆくし兵力も増強するとなる
それがいい兆候ではないことは確かなのである

ともかく老子の思想に共感するのは無用の用とか人間はいらないものを作りすぎた、
いらない仕事を作りすぎた、軍隊はない方がいいし医者でも警察でもそれがなければいいものである、つまり病気でも犯罪でもなければそういう職業は必要ないのである
だから天国では病気もないし犯罪もないし戦争もないからそういう職業は必要ないのである、第一武器を作っていて売れなければ困るから戦争してくれとなるのは異常なのであるだから職業は業〈カルマ)になる面があった、食べるためには麻薬でも栽培して売るほかないとかにもなる、そして今物余りになり要らないものでも買ってくれとなる
それで40代くらいの人の考え方は変わった、ニートとかも容認する人とか働くことに積極的な意味を見いだせない人が増えている、それも物を大量に作って売れないもの余りになったからだともなる、老子が言うのはいらいなものが多すぎる、またいらないものが災いをもたらすことである、それで武器を否定するのがわかるが農民が鎌とか鍬とか道具をもつまで否定したのである、それが二千年前だったから驚く、それは現代文明を見越していたということの驚きなのである

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2022年05月24日

プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に (日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)


プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に

(日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)



日本でも太平洋戦争で終わりに近づくと兵士不足になった
それで40才くらいの人も相馬市の松川浦から徴兵された、また少年兵でも18歳の人も志願兵として募集された、その人はどうも中国人を殺したようだが口を噤んだ
それは上官の命令でしたらしい、逆らえずした、ただこうした生々しいことは語りにくいおそらく戦争とは必然的にこうした残虐なことが起きる
それは経験しない人しかわからないのである
でも今ウクライナで起きることは日本の敗戦が濃くなり兵士不足になり少年兵でも年配の人でも兵士として募集されて戦わされたとなる

それでその40才の人は子供もちだから戦地で子供のことに同情していたのである
そういう短歌を残していたのである

幼児に罪のなければと携帯のパンかみくだき吾はあたえぬ

短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男) 
一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集

だからロシアは実際は負けている、日本でもアメリカの戦争で武器でも組織力でも士気でも負けていた、上官と下士官はいがみあい団結もしていなかったのである
日本は団結する一億人が火の玉になって一致団結するように見えていても実情はそうではなかった
やはり戦争というのは何か共通したものがある、兵士不足になり補充できない、
また武器の優劣でも勝敗が決められる、ロシア軍の兵器は時代遅れになっていた
ハイテクでも遅れていたのである、それじ情報戦でも遅れをとった
それが日本の戦争でも同じだったのである、アメリカ軍は航空戦で優位にたち兵站でも優れていた、経済力があり物量でも優っていた、そして意外とアメリカ軍は士気も高かった上官と下士官は争うことなち一致団結していた
つまり日本は野郎自大国になっていたのである、漢が鉄器で攻めてきて漢を馬鹿にしていたが銅の武器で戦ったが敗れたのである

それは真珠湾攻撃でそうなったともみる、アメリカはキリストのように右の頬を殴られたら左の頬をだせではない、一回殴られたら千回殴り徹底的に打ちのめすのである
それはイラクの3.11のテロ戦争でもそうである、それがアフガニスタンにも及んだのである
アメリカの問題は戦争で国土が焼野原になることを経験していないのである
遠い位置から他国を攻撃する、徹底的に攻撃してうちのめすのである
だから本当の戦争の悲惨さを国民的レベルで経験していないのである
その点ロシアはドイツのナチスで一千万人以上とか死んだ、まさに国家総動員で戦った歴史がある、だからそれを言うのもわかる

ただなぜロシアが技術的にも遅れていたのか、それはソ連が崩壊した後に欧米の技術などを積極的に入れなかったからかもしれない、ロシアは中国のように経済成長しなかったのである、だから最先端の宇宙技術があったのにその後は停滞して遅れをとった
だからロシアが大きな北朝鮮だというと核兵器だけを自慢する国だったとも見られたのがわかる、戦争でそれがあからさまになったのである、ある意味で意外であり世界でも驚いたとなる、逆にロシアが野郎自大国にもなっていた不思議である
戦争は総力戦だからその国の国力をあかさまに示してしまうということを見た
だから確かに中国は脅威なのだが台湾有事でもどうなるかわからない、圧倒的に軍事力に差があっても実際に戦争になればわからないということである
でもドイツでも日本でも敗戦国なのだから戦争はしたくない、アメリカと中国がやれとなるが巻き込まれるのである

次のウクライナが日本だ!

こういうとき米中対立が激化すれば台湾有事で日本がウクライナにもなるからだ
日本でもドイツでも戦争にはこりごりだとなっている、だからとても日本で戦争する気力があるのかとなるとそういう気分になれない、だからアメリカが戦争しろ最前線で戦いというとき何か矛盾しているのである、アメリカが戦争に勝ったのだから最前線で戦いとなるからだ、勝者になるのはいいとして勝者には責任が生じていたのである
負けた国は従うほかない、でも勝者こそ最前線で戦いとなる
アメリカは自国の人間を犠牲にしてまで戦わないというのも変なのである

そもそも日本を占領しているのは何のためなのか?

中国でも攻めてきたら日本は守らない、撤退する、自国民を犠牲にできないという
ではなぜアメリカ軍の基地があるのか?何のためにあるのか、日本は依然としてアメリカの占領国なのである、日本が戦いというより占領しているアメリカ軍戦いとなる
それが勝者の責任なのである、勝者というのはそれだけの責任が課せられている
勝ったら何をしてもいいとはならないのである

そもそもアメリカは日本と何のために戦ったのか?

真珠湾の恨みを果たすためなのか?これも良くわからないのである、その時中国は敵ではなかった、むしろ日本軍と戦う同盟国ともなっていたのである
戦争はなぜ起きるのか、それも不可解なのである
そしてロシアの恐怖はプーチンの恐怖は一人の狂気の独裁者が核のボタンを握り人類を滅亡させるという不条理である、こんなことがあっていいのかということがウクライナ戦争で現実にあり世界が震撼したのである
この世とは何か明確な理由があって戦争があるのとも違う、人間は何か不条理があり明確に理由があり説明されるわけではない、数学の公式のようにはならないのである
ただ正義を装ったり人道を装ったりするのである,アメリカのしてきたことをみれば人道を言えるのかとなる、中国でもウクライナ戦争で人道から批判しているからこれも勝手だとなる

いづれにしろロシアは意外と弱い国だった、領土は馬鹿でかいにしても国力は弱体化していたのである、だからこのまま戦争をつづけられるのかとなる
背後から応援する国もいないし経済的にも戦争を続けられないともなる
日本でも戦争に負けるとき同じような状態に陥っていたからである
posted by 天華 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月22日

2045年に人口が約半減する市や町 (漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)


2045年に人口が約半減する市や町

(漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)

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ここでは漁業の衰退で人口減少になる町が多いとしている

「上を見て歩かないと瓦が怖い」…5軒に1軒が空き家になった町
愛知県・知多半島の先端に位置する漁業の町、南知多町の師崎(もろざき)地区。

漁業の町の衰退が増加の一途、漁業の衰退がそれだけ深刻ということ

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2013年に477.4万トンだった水産業生産量は、2017年には430.4万トンで、4年間に9.8%減少した。ピークだった1984年の1282万トンと比べると約3分の1で、国別では世界第1位から第7位に後退した。

漁業従事者は、全体的に50代以上の高齢層が多いと分かります。一般企業だったら定年退職しているケースも多い60代・70代が特に多い傾向です。
https://saiyo-kakaricho.com/wp/laborshortage_fishingindustry/


人口は45年まで約半減になる市や町の原因が一次産業、特に漁業になっていた、後は北海道だと炭鉱が消滅して極端に減った、そもそも鉄道でも石炭を運ぶものとして作られたのである、常磐線でも常磐炭鉱であり福島県では意外とそこで働く人がいた
安達からもいた、安達は紙漉きが50軒ほどあったとかそれが農業の副業になっていた
だから紙漉きというのは農業としてありまた養蚕は地方の主産業だったのである
だから今でも兜作りの屋根の養蚕をした家が残っている
なぜ炭鉱がこれほど多かったのかというとまず石油は地方の生活で使っていない
学校のストーブもコークスという石炭であった、あとは家では炭が燃料だった
私の家が街中にあっても囲炉裏があったのである、炭小屋とかもあった
戦後十年の生活は本当に江戸時代のつづきであった、だから江戸時代がどういうものだったかある程度イメージできる、銭湯が多いのは家に風呂があった家は少ないからである
銭湯は戦後から必ず街にはあったのである
そして電気は使っていない、裸電球一つがあったとかなる、飯台一つしかなくその生活はほとんど同じだったのである
その時かえって豊かだったのは農家だった、なぜなら農家では納豆まで作っていて自給自足していたからである、そして裏山に林があってその木材を燃料に利用したりできたからである、街で暮らすことは私の家だと水すらなく近くの井戸がある家で水をもらっていたのである、農家には必ず井戸があるから水に不自由しなかったのである

とにかく戦後十年の子供時代の生活は江戸時代だった、なぜなら裏に小川が流れていてそこで洗濯していたからである、これも今になると考えられないのである

おじいさんは柴刈りにおばあさんは川で洗濯

これと同じだったのである

昭和の初期 はこのような 木熊 とよばれる 薪棚 が 山間部 にたくさん作られた。山で仕事 して 薪棚を積む 。木熊を組む という表現をうちの父もよく使っていた。 山でおよそ2年分の 燃料を備蓄 していた。家の中で 家族が病気になったり しても 燃料 だけは確保しておくという 昔の人の知恵 がそこにあり、燃料が確保できているという 安心感 が 生活の中に重要だった に違いない。
https://hakutan.net/2017/10/08/%E6%9C%A8%E7%86%8A-%E6%9F%B4%E5%88%88%E3%82%8A/

金を貯えて置くより実際こっちの方が安心だとなる、なぜなら最近紙幣は紙きれになるとか預金封鎖があるとかそんな話しかないからである
すると安心を得るには燃料でも薪でも貯えていたら安心だとなる、つまり自給自足の昔の農家の方が安心だとまでなる、それで都会の金持ちでも田舎で土地をもって野菜でも作って置けとか言うのもわかる、紙幣は紙屑になる恐怖があるからだ
日本の貧困化でそういう不安が現実化しているからである

ともかく昔の生活をふりかえると子供時代でも何か手間がかかり休む暇もないとなる
ほとんど人間の手でしているからそうなる、田植えでも稲刈りでもそうだった
農業でも漁業でも一軒の家でもできないから村全体で共同で仕事をしていたからそこで農民は結束していたとなる
家事でも東京の中産階級ですら二人も女中を雇っていた、私の母は東京で女中していたのである、女中はその頃女性の勤め先として普通にあったのである、後は糸取りであり養蚕がありその糸を取り出す仕事を原町紡績でしていたのである
戦前の仕事となるとかなり限られていた、ただ糸取りでも女性が現金収入になったから必ずしも苦しいともならない、第一現金収入になるものがなかなかなかった時代だからである

人間の生活は生活から見れば意外と共通している、なぜならあのパリのセーヌ川で女性が大勢選択している絵を見た、田舎ならわかるがあの大都会でセーヌ河で洗濯していたのである、だから洗濯というのは一仕事であり家事でも電化されていないからその労力も大変なものだった、何かそれは世界的に同じなのである
インドの街中では不思議だった、やはり炭が積まれていて牛が歩きその糞が干されていたそれは燃料にするためである、でも子どもが白黒のテレビを見ていたとかある
それは十数年前のことである、そういう生活は日本の戦後と似ている、なぜならテレビは戦後十二、三年後に家庭で見るようになったからである
テレビの出現は衝撃的だったのである、それでラオスとかでテレビが欲しくて子供を街に売って売春させていたとか放送された、それだけテレビの価値は高かったのである

石油もない電気もなくても人々は縄文時代から生活できていたのである、もちろん今と比べると余りにも足りないものがあっても一応生活してきたのである
だから電気水道ガスが毎月止められるという時、そもそもそういうものは自給自足だから石油でも水道でもガスがなくても生活は貧乏でもできていたのである
つまりそれで生活できないことはない死ぬことはないのである
それは世界でも共通していた、どこかの国で特別豊かな今のような生活などしていないのである、ただ仕事が養蚕がありそれが輸出品となっていてそれで外貨を稼いでいた
養蚕は農業だから田舎でもできたのである、工業製品を作るのとは違っていたからである養蚕業でもうけた人が銀行も作ったりしたのである

ただ魚というとき鮭とかはかなり食べていた、サンマとかも食べていた、石鰈は地元でとれていたが贅沢品であり大晦日とかに食べるだけだったとなる
だから普通は石鰈は食べていない、それだけ高価なものであり今度は東京の方に売ったとかなっていた
でも漁業が衰退して人口が半減する市や町がある、漁業というのは衰退産業になった
一次産業は農業でも林業でもそうである、魚でも外国から入ってくるし外材にもなり第一次産業は日本では衰退産業になった
こういう事情でこの辺は原発は金になるということで積極的に誘致された
双葉とか大熊辺りは原町市とか相馬市とから離れて働く場所がなく出稼ぎ地帯で地元で生活したいとなり原発が誘致されたのである

それでこの辺で烏崎などは小さな港だけど漁村だけど東北電力の火力発電所が建つ時
多額の補償金が出て呉服店では旅行に招待して高い着物が売れていたのである
そしてヨ−ロッパ旅行をした人がいたのに驚いた
その時飛行機代が馬鹿高い時だったからである、50万とかもする時代があったからだ
だからその時憧れがあったが私は行けないと思っていたのである
その後も今度は原発ができて浜通りでは船主中心に手厚い補償金が出たのである
もう漁業が衰退産業になっているとき漁師はどうなったのか?
実は東電の社員と同じになっていたのである、その収入源は東電の補償金で十分であり原発御殿が建っている周りから羨ましがられていたのである
黄金の襖を東京に注文して作っていたとかその金が大きいからそうなった
原発はこうして金の成る木だった、それもその金が大きいのである
その後も相双リテックなどでは除染で幹部が何十億という金が入って銀座で豪遊していたとかなる,原発マネーで狂ってしまったのがこの辺だったのである

だから全国的にこのyoutubeで紹介された人口が半減する市や町は漁業の衰退が原因だとしている、つまり漁業だけではもう成り立たなくなっていたからだとなる
そして福島県の漁業は浜通りでも宮城県からすると水揚げ高が生産量が十分の一とか少ない零細産業になっていた、石巻の高橋英吉のような人が漁夫像とか彫刻化したのは
やはり戦前であり何かしら江戸時代からつづいていた漁業があり漁師が身近にいて作れたのかとも見る、石巻はそれだけ漁業がここより規模が大きいものだったからである
あの漁師像は機械化した漁業とも違う、本当に海にじかに向かう人間のたくましさを表現したものだからである、遠洋漁業とも違うからである
ともかくこの辺の漁業はそもそも零細であり全体でもとるにたらないものになっていた
それは農業でもそうである、全体の生産高からする十分の一にも満たないものだったのである、それは農業ですらそうなのだから漁業になるとそれより十分の一も少ないとなる
ということで実際は原発が作られたとき漁民は東電の社員になっていたのである
十分補償金で生活に困らないからである、それが矛盾だったのである
ただ高橋英吉が彫刻化した漁師像はすでになくなっていた、でも本来の漁師はかくあるべきだということを示していたのである

ただ現実を見れば漁業では生活できないとなっていた、そうであっても漁業でも農業でも江戸時代から生活があり生業となって継続されてきたことも確かである
だからもう生活できないとしていることも疑問になるのである
つまり人間は電気でもガスもなくても生活できていたのである
でも松川浦でもそこは漁船が多いにしても風景は火力発電所と最近はガスタンクがあり
松川浦からガスを東北地方に回す基地ともなっている、そっちの方の産業が主体になっている、エネルギー産業が主体になっているのである
問題は一次産業というのは農業でも土と深く関係しているし林業でも漁業でも放射性物質の汚染が致命的な損害になった、放射性物質は空気まで汚したのだから住めなくもなった第一次産業は衰退産業となった、前から農業でも金にならないとなり跡継ぎもいなとかなっていた、それで農業していた農家の子供は農業なんかやるなと父親に殴られたという
その子供は原発とか建築現場で働いたとなる、そして原発事故になったのである

日本では沿岸漁業から遠洋漁業になっていた、戦前でも高橋英吉は遠洋漁業の船に乗っていたのである、でも遠洋漁業すら日本では衰退していた、そういう時代に追い打ちをかけるように津波が襲ったのである、そこで壊滅的被害が原発によってもたらされたとなる
でももともと漁業は衰退産業であり福島県とかなればその生産量は宮城県の十分の一にしかなっていないから経済的損失としてはそれほどでもなかったのかとなる
ただ農業となると土が汚染されたから被害が大きく長引いた、でも十年過ぎて回復はしてきたとなる
漁業だと養殖に活路を見出すとか模索はつづけられている、そしてなぜ大卒で遠洋漁船員になるのかとなるとやはり人手不足であり待遇も良くして若い人を呼び込むためだともなる、それは奨学金の借金があるらあえて苦しくても金になるからと申し込んだともみる

ともかく日本は海の幸山の幸の国である、漁労民族でもあった、でもそれが消失した
漁師とか山で暮らすにしても林業とかが衰退したのである
だから日本の風土から培われた文化でも消失する、祭りも消失する、もう受け継ぐ人もいなくなる、後継ぎがいなくなる、漁師でも50歳以上の人が多いとか跡継ぎもないということが深刻なのである、それで人口が2040年には半減するとなる
でも戦前のように細々とでも生活は継続される、消滅することはないだろう
江戸時代から一応生活はできていたから継続はされるだろう、でも消滅する市町村もでてくる、炭鉱で栄えた町は消滅するのはそれだけ炭鉱が産業として大きいものだったからである、それは原発とも似ている、原発事故でこの辺では町や村が消滅する危機にもなったただ相馬市とか南相馬市はそれなりの経済規模があるから継続するが避難区域になった所は継続することが困難になる

それにしても人口が半減する市町村が増えると日本はどうなるのか?

空家が一千万軒とか少子高齢化とかさまざまなことで衝撃が大きい、経済規模が縮小することは恐怖にもなる、その影響は大きなものとなる、国自体の衰退にもなる
その時何が起るのか?それは未知である、歴史を見れば飢饉で相馬藩で三分の一とか人口が減ったとかあったが越中からの移民とかで穴埋めできた
でもこれが日本全国規模で起きるのでスケールがまるで違う、日本が衰退するというより空家化して空洞化してゆく恐怖である、国力も弱体化してゆくと防衛の問題もある
でも十年先に二〇年先に現実化する、ただ老人は今度は死んでゆく
それで無責任になるがどうでもいいとかなってしまうのである
死んだ後のことまで考えられないとなるのである



posted by 天華 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

遠洋漁業と沿岸漁業 (グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)


遠洋漁業と沿岸漁業

(グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)

●遠洋漁業とグロ−バル経済は似ている

この遠洋漁業が不自然を感じたのはグロ−バル経済と似ていたからなのか?
マグロを獲るために世界の海でとるということは資源を沿岸だけではない遠くに求める
それはグロ−バル化経済でもそうだからである
国境を越えて大企業が利益だけをみて世界に進出する
だから世界の海でも魚の資源も世界で獲り合うとなると魚でもサンマでもとれなくなる
魚資源の争奪戦が世界で行う、だから沿岸業業だけだったら土着的になるが
遠洋漁業だとその日々生きてる暮らしから離れる
第一一年間も船上で暮らすことは非人間的なのである、だからそこでは精神的にも荒廃する、家族もいない土地とのつながりもない、土着的ではない
沿岸漁業だったら土着的であり人間的なのである
でもマグロを獲るにしても沿岸漁業だと限界がある、だから遠洋漁業になった
でもそこに非人間的なものが生まれた

そしてその土地とのつながりもなくなる、山と海の暮らしは結びついていた
鯨をとったとしてもその一部を山に住んている人と分けて食べた
それが祭りともなる、陸でつながった村同士が神が与えた魚の恵みを分かち合うとういことである、でもグロ−バル経済になると利益中心主義でありこうした伝統的民俗学的な風習は無視される、そんな民俗的な風習などをとでもいいとかなったのが科学技術主義優先の社会である、でもそれが何か人間だけではこの大自然に対処できないものがありそうした風習も生れた、それが時代遅れとか一概に言えないものがある
とにかく人間は大自然を畏れた、その畏れがあり神に乞うという許しを得るという祭りが行われた、でも科学技術社会になるとそういうものが前近代的なもの非合理なものとして排斥されるようになった

でも科学技術でも万能ではない、未知なものが依然として多い、もちろん科学技術を無視しろとかではない、効用がないとかではない、ただ人間には限界があり万能の神のようになれない、それで自然であれ神であれ畏れを持つことは正しい態度である
現実に万能の神は存在する、人間を作った生物を地球を宇宙を想像した神は存在する
もちろんその神をまともに見ることはない、もしまともに見たら死んでしまうとなる
その神は決して見ることはできない、でも永遠の命を与える神は確かに存在する
神は無から有を創造できるのである、人間は無から何も創造できない、生命を新しく創造することはできない、ただ神の創ったものをあれやこれろと分析して神の創られた声明を基にして多少変化させることはできる、でも根本的に生命を新しく創りだすことはできない

それはどういうことかというと例えこの地球が滅びたとしても宇宙すら滅びたとしても再創造できるしまた新しい生命体を創造できる、つまり新しい天と地を創造できるのであるだから例え地球が滅びてもまた新しい生命体は創造できるのである
人間はどんなに科学技術が発達したとしても新しい生命体を作ることは不可能なのである科学技術でもそれは戦争のために使われる、ウクライナ戦争を見ればわかるまるで兵器のショーのようになっている、現実の戦争で殺し合いで兵器の優劣を競い今度はその兵器を売り込むとなる、ロシア兵器は現実の戦争の場で役にたたないと見られた、
結果としてロシアの兵器はこれから売れないとなもなったのである

●土着的なことがアイディンティティの基礎

民俗学的なものとか郷土史とか伝説とかはあまりに重要視さされなかった
原発だったら科学技術の塊りであり文系的なものは除外されていた
でも本当に科学技術集団が起こしたのが原発事故だったのである
それは原発が神への畏れを自然への恐れもなくて作られたものだからであった
そもそも核を破壊して強力な爆発を起こさせるとういこと自体が不遜なことであり
それは神を畏れないものとして危険だとも科学者が言っていた、何か科学には危険なものがつきまとっていたのである、それで中世になると魔法使いのように胡散臭いものとして見られていたのである、科学技術には危険なものがあったからである
何か神の領域にずかずか入ってくる危険性があった、遺伝子組み換えとかでも危険がある勝手にそういうものを人間の手で操作していいものかとなるからだ

とにかく遠洋漁業というのは何か土着的なものではなくなり土地からも遊離したものとなる、そこではただ魚をとるためにだけあり沿岸漁業のように人間の暮らしがあると見えない、沿岸漁業だと陸地とも一体化して離れずにあった、家族全員での生活の場として港もあったとなる
だから私が漁師として讃歌した詩は土着的漁師の姿である、それは海に面しているが陸地とも深くつながり家族ともつながっている人間なのである
遠洋漁業だとその土地土地から遊離したものとなる、だから船上で男だけで一年間も暮らす場は異常化するのである、異常な空間となるのである
なぜなら家族の元にも一年間も帰らないからである、そういう生活は荒れたものとなる
いくら金が他により高くなっても精神的には荒廃するともなる
それは何かグロ−バル経済と似ているのである、グロ−バル経済でもその土地土地から遊離して世界を市場として利益だけを目的に会社は機能するからである
だからアメリカの大企業でも突然森林でも木材をとるために売るために伐採してそこに住んでいたオランウータンの棲む森を奪ってすめなくしたということがある
それは日本の企業でもしているのである
要するにグロ−バル大企業は利益しかみない、そこに生態系がありそれに基づいて生活していたものを根こそぎ奪って利益しか考えない、それが世界を荒廃させたのである

●グロ−バル化は覇権争いであり通貨でも支配のためにある

そしてグロ−バル経済の労働は非人間化する、一年間も船に閉じ込められて労働するのは普通ではないからだ、そういうことをさせるのがグロ−バル化した経済のためである
他にも巨大企業が後進国の人達を安い給料で雇いそれで利益を出す搾取がある
グロ−バル経済とは結局公平なものではない、すべて覇権国が搾取する仕組みだともなるそもそもそれはアメリカだけではない今度は中国が覇権国になれば中国の元が紙幣がドルの代わりになるというときもそうである、つまり通貨でもその時々の覇権国が支配するためのものなのである
ローマ帝国時代はローマの通貨が通用しているしイギリスが覇権国の時はボンドが世界の基軸通貨となりエジプトではボンドなのである、中国でも宋の時代には宋の通貨が日本まで流通したとなる

宋銭は、金や西夏、日本、東南アジア諸国でも使用され、遠くは、ペルシアやアフリカ方面にもおよび、ほぼ全アジアで流通したため、当時の経済状況に多大な影響をおよぼした。これは当時の中国王朝の政治力を物語る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%8A%AD

アフリカまでも宋銭が流通したことはまさに今中国が一帯一路でしていることと同じである、歴史の繰り返しなのである、結局こうして世界が中国が覇権国になれば支配されて中国の通貨がドルに代わる基軸通貨となるのである
ここでも今度は中国にアフリカが搾取されているとか反発されるのである
グロ−バル経済はすべていいものとはならない、覇権国が世界を搾取する構造ともなる
グロ−バル経済はそもそも非人間的なものになる、人間的感覚を越えたものであり道徳無き経済ともなっている、その規模が余りにも大きいから世界的に搾取されているとしてもわからない、結果的にわからないから陰謀論になるのである
これだけ大きくなると人間的感覚でもう知ることもできないからである
だから資本主義でも株式でもそこで何か行われているのか見えないし知ることも不可能なのである、それで実際は一部の特権者が株を操作して暴利を得ているとされる
それはそんな巨大なスケールの経済を知ることもできないからである

いづれにしろ現代の経済はグロ−バル化して土着的なものから離れてしまった
それが非人間的なものとなり人間的なものを無視する、だからそこではただ魚をどれだけ大量にとるかと利益中心主義になる、魚でも農産物でも何か生き物を扱うからそこに自然の畏敬のようなものを失った、祭りも失った、ただがつがつと魚を多くとりもうければいいとかしかない、それはわかるにしても今度は原発のために東電に漁業権を売るとかになる、本来の漁師の仕事は金にならないからとなりそうなった
そうして土着的なものは無視されただ利益追求だけになったのが現代の経済なのである
そこに必ず世界的搾取がありそれは巨大なグロ−バル経済の中で見えない、そこで常に陰謀論になる世界である
道徳無き経済というときもう人間的範囲のヒューマンなものからかけ離れた経済だから当然そうなるのである
要するに物と心が分離する世界である、そもそもマグロにしても物があってもこのようにそのマグロが食卓に提供されるのか、そんなことはもうわからない、つまり他の商品でもどうして作られて提供されているのかわからない、ただ値段を見るだけだとなっているからだ

●物と心の分離した道徳無き経済がグロ−バル化の問題

例えば物と心が一体化しているというとき提供される物に心がついているとかなる
家族で母親が出す料理には母親の愛情がこもっているとかなる
物は単なる物ではない、商品は単なる商品ではない、人間の心がこもったものとして提供される、それが物と心が分離してしまうのが世界市場化したグロ−バル化だともなる
狭い範囲だったらそうはならないと思うからである、誰が作ったとかまで村とかの範囲だったらわかるからである、そしてその物を作る人を見て知っているともなるからだ
世界経済になったらそういうことは全く見えない世界である

それで働く(「傍(はた)」という字は、「そば」とか「かたわら」という読み方もあります。「いつもあなたの傍(そば)にいるよ」とか、「傍(かたわ)らであなたを支えます!」を楽にする)から来ている、いつも苦労して働いている人を見ているから楽にしてやりたいということで働くという言葉が生まれたことでもわかる

つまり働く人を身近にみていてこういう言葉が生まれた、今や世界の果てからでも物が入ってくる、でもそこで働いている人など全く見えないのである
マグロ獲るにしても遠洋漁業となると見えないのである、だから傍を楽にするなどということはありえないのである、そこでどなんに過酷な働き方をしていようが見えないからである、でも沿岸漁業だと一応働く人は家族とも一体となっていて見えるのである
それで漁師は彫刻になったり自分の詩にもなる、それはやはり土着的なものになっているから身近に見えるから心が働くのである、世界の裏側の人はいくら働いていても全く見えないのである,グロ−バル経済になるとそういうことが普通になるからいくら物が入ってきてもそこに心がこめられないのである、心と物が分離して物だけが入ってくる世界なのである、そもそも心とはココから来ている、こことは狭い場所なのである

ここを離れたら心はなくなるとなる、つまり人間の心はそこに住んでいる場所と一体化する、ここを離れると心も離れてしまうのである
だから国というとき実際は相当に狭い世界だったのである、小国とか日本に多い地名がそれを物語っている、狭い所が国となる小国となりその小世界が国となっていたとなる
そういう狭い場所で心と土地とがアイディンティティ化して一体化したとなる
グロ−バル経済となるとその物と心が分離したものとなる
だから世界的経済となっても国と国は対立して戦争になる
グロ−バル化した経済でも別に心が通じあうことはない、むしろ対立して戦争にもなるしなっている、物が世界の果てから入ってきても別に心が通じ合うこともないのである
それで第一次世界大戦があり第二次世界大戦があり莫大な人が死んだのである
対立がグロ−バル化でさらに激化してそうなった、互いに理解しえないからそうなったのである

●万葉集は心と物が土地とも一体化して歌われている

万葉集の世界はそうした世界とは違っている、心と物が一体化した世界である

君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ(1839)

我(あ)がためと織女(たなばたつめ)のそのやどに織る白たへは織りてけむかも

君に逢はず久しき時ゆ織る服(はた)の白たへ衣(ころも)垢(あか)つくまでに

我がためとか君がためにとかのために働きまた服を織っている、つまりそこに心がこめられているのである、それはあくまでも特定の人のためであり不特定多数のものではない
現代は不特定多数の人のために働いている、それもグロ−バル化すれば世界の人のためにともなる、でも逢ったこともない人のために働くということは心が通わないのである
万葉集だと必ずこのように心がじかに通う世界が歌われている
また枕詞がありそれはその土地と深く結びついている、だから人間的になる
それが現代の感覚とは違っている、心と物は一体なのである

●グロ−バリゼーションでかえって世界の対立が激化した

要するに道徳無き経済であり心が通じない経済であり経済の意味の経世済民もない経済である、ただ巨大企業が世界を搾取する経済だともなる、その富は覇権国にそれもまた一部の人達に巻き上げられるとかなる、ただそれは見えないから陰謀論になるのである
そしてウクライナ戦争でもわかるようにあれは武器を売りつけるための軍産複合体がしかけたのかともみる、なぜなら武器の優劣を現実の戦争の場でみせつける
するとロシア制の武器は劣っているから買わないとなるからだ、武器の優劣が明確になったからである、そのために多大な人間が犠牲になっているのである
グロ−バル化すれば世界的対立が激化して最終的にハルマゲドンとなり人類滅亡にもなる平和が来るわけでもないのである、ただ世界がグロ−バル経済で豊かになればいいが
戦争にもなるのがグロ−バル化なのである,グロ−バル化を推し進めると最終的に覇権争いで世界大戦となり人類滅亡となる

世界平和にしても武器を捨てない限り平和はない、核兵器を捨てないかぎり平和はない
それがいつか必ず使われるからだ、だから本当にロシアのプーチンが核を使うと脅したことでもわかる、核を持てば大国になれともなり北朝鮮は核兵器を持つためになりふりかまわないとなる、そしてアメリカは戦争国家であり武器を作り売る国家でもある
アメリカはまた国土が戦場になり焼野原になったことがないのである
ロシアでも第二次世界大戦で一千万以上死んだとかありドイツでも日本でも焼野原にされた、そういう経験がない国がアメリカなのである、だから戦争の本当の悲惨さを実感できないのである、だからどうしても人道がどうだとかなんとか正義とか言うのはなぜ言えるのかとなる、もちろんロシアの弁護するわけでもない、ロシアには非がある、でもアメリカのしてきたことを見れば人道がアメリカにあるとは言えないし正義でもないのである

なぜ中国とか韓国北朝鮮とか日本と対立するのか?
それもグロ−バル化の結果だった、なぜなら江戸時代なら中国であれ韓国でも友好的だったからである、それが日本の侵略のせいだともされるがそれは欧米の侵略が先でそうなったのである、なぜアメリカと日本が戦争する理由があったのか、アジアに侵略したのまずヨ−ロッパであり次にアメリカだったとなる
結局人間がグロ−バルに交わることはまたグロ−バルに対立することだったのである
グロ−バリゼーションは平和をもたらすわけではなかった、覇権国が世界の富を収奪するシステムでもあったとなる、だからこそその覇権をめぐって戦争になる
ウクライナ戦争でもそういう側面があり人道的に問題だけではかたづけられない複雑なものがある,アメリカとロシアの覇権争いにも起因して起きているからだ



豊穣の海と漁師

朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな

http://musubu.sblo.jp/article/189548693.html

石巻の高橋英吉の漁師像は土着的なものだろう、でも高橋英吉は遠洋漁業に実際に船に乗って行っている、そこで漁師の姿に接して彫刻にした
でもその像は海に面して沿岸漁業に従事していた漁師を手本にしたのだろう
沿岸漁業と遠洋漁業は違っている、沿岸漁業は土着的になるからだ

fisherman222.jpgfisherman1.jpg


無駄な贅肉がない肉体美なのである

神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海 
(津波は神の祟りなのかー海への祭りが消失していた)

posted by 天華 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月21日

マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も (時代で変わる就職事情)


マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も

(時代で変わる就職事情)



それは、普段私たちが何気なく食べているツナ缶の背景で行われているのです。
主人公は、ミャンマー、インドネシア、タイ、ベトナム、台湾などの海が近い国々で、仕事を探している普通の若者たちです。
良い条件で稼げる仕事があると話を持ちかけられた若者たちは、生計を立てるために愛しい家族をあとに残して船に乗り込んでゆきます。
そこで待っていたのは、食事も十分に与えられず、睡眠時間も少なく長時間こき使われる奴隷のような日々。
支払われる給料は契約よりもはるかに安く、タダ同然のこともあります。

防寒着もなく魚を保存するための冷凍庫で長時間作業したために、凍傷になってしまう人も少なくありません。

目を背けてはいけない、太平洋マグロ漁船で働く人々のありえない話。


船内では、借金などで生活が困窮してマグロ漁船で働かざるを得なくなったアウトロー系の人達や、ろくに日本語を話せない外国人の人達が多い傾向にあるので、人間関係で辛い思いをすることが非常に多くなる

マグロ漁の航海中の、「はるか沖合のうえで、四方を見渡してもどこにも陸が見えない」という状況は、
恐くなったり嫌になっても決して陸へ逃げ出せないので、独特の強い圧迫感と恐怖感をひんぱんに覚えることになる

1年間は国へ帰れない、遠洋マグロ漁の4つの超ブラック要素



どうして大卒でマグロ漁船員を志したのか?
生きがいを見出したいとかあるが奨学金返済のためだとか理由はある
でもそもそも大卒だったらそんな過酷な仕事につくのか?
これも仕事の環境が改善されたとか現代の事情がある
それにしても一年間も船の上で暮らすとなると相当に過酷なことが予想される
でもあえて挑戦するというのはやはり借金のためなのか?
ただ世界を回りたいという憧れが青年にはある、そしてなかなか魅力的な仕事につけないとか文系Fランだといい仕事につけないということもある
テレビの放送で船乗りがギリシャによってそこの料理を覚えたとういことを知った
やはり世界を回るからそういうこともあり船乗りの仕事は他とは違っている
そういうことに憧れるとしても現実は厳しい

おそらく今の時代の事情もある、団塊の世代だと三流大学でも一応就職できていたようである、高度成長時代だから人手不足の時代であり吸収されたのである
今は大学には入るのが50パーセントとかなる大学出てふさわしい仕事に就けない
そもそも文系の大学は価値がない、廃止しろというのもわかる
大学は遊びの場であり遊びを覚える場だったともなるからである
だから奨学金の借金を返すためにそうなったのか事情はわからない
一流大学の人もいるがそれも良く事情がわからない、実際は文系のFランなどで就職先がなくてそうなったのか?
どんな仕事か一応調べれば過酷なことがわかるからどうしても理解できいところがある

ただ漁師というとき沿岸漁師なら松川浦の人の話を聞いた、その人は小柄なのである
こんな人が漁師できるのかと疑った、でも身が軽いから船に乗っても適応できたとしている、確かに船が揺れるのだから身が軽くないと危険にもなる
ただ一般的に漁師とか建築関係だと体が丈夫でないとできない
知っている大工さんは体がまるで柔道の有段者のようにがっちりしているし体自体が違っているのでうらやましいとなる、それは全く生まれつきのものである
確かにそういう仕事をしていればそういう体付きになるにしてもその人の素質が大きい
だからブルカラーとか肉体労働となるとみんなが適応できるわけではない
それで自分自身の失敗はそういうことがわからないから勉強もしなかった
勉強嫌いになっていたのが失敗だった、なぜなら自分自身は体力がないからである
それに気づいていたら勉強していたとなる
つまり自分自身のことがわからないでどうしたらいいかわからないから後で苦労することになる

結果的には自分の場合、底辺労働者になった、肉体労働とか流れ作業の仕事とかしかなかった、でもマグロ漁船員は相当に過酷なことをしりえる、ちょっと調べれば簡単になれるものとは思えない、奴隷のようにされている外国人もいた
借金でそういう仕事につかざるええないとなった
そして一年間も船の上で男だけで生活していたらどういう感じになるのか?
それも理解できない、ただマグロ漁で冷凍室で働かせられて凍傷になったことはわかる
この冷凍庫の中がマイナス20度くらいになる、だからこういう所で働くと凍傷にもなり確実に体を壊すことになる、自分も経験しているからだ、ここが一番過酷だったし建築現場でも死に目にあった、こういうことを知っていればもっと勉強して事務とかでも楽な仕事につけば良かったとなる、ただ私は幸いに引きこもりになっても親に恵まれてそういう仕事を続ける必要がなかったので特別親には感謝しているし今でも供養している

ともかく時代によって就職事情も変わる、どこに就職したら迷うだろう、今になると銀行は地方ではエリートだったが今では違う、証券会社の子会社のようになっている
もう銀行は地方でも用のないものともなってしまった、だからつぶれともされる
それで銀行員をやめて農業をやるようになったという人も出でいる
それは架空のような金のやりとりとか仕事の充実感を得られないとしてそうなった
だから必ずしもマグロ漁船員になることが悪いとも言えない、悪い仕事とも言えない
仕事としての充実感はむしろあるとなる、でもそれも経験すれば過酷だとなる
まず相当な体力が必要だからみんなやれると思えないのである

とにかく文系の大学は就職に困る、なんらスキルを身につけていない、弁護士とか一部は別にしてもそうである、もし医学部とかなると即医者になるのだから安定した就職先は確定している、文系というのはそういうことはなくただ遊びの場であり期間だったとなる
英語でもぺらぺらになるようだといいのだがそれもない、英語を喋れれば外国人でも話せたり意志疎通できれば仕事になりえる、ドイツ人の技師を東北電力に案内していた人を駅で見たからである
それがないとしたら何か実社会で役立つことをあまり教えられないのである、そして今やFランとかなればマグロ漁船員になるというのも理解できる、でもそれでも過酷だとなる
社会の仕事が現代では親の仕事すら会社員だと何をしているかもわからないだろう
農業とか漁師とか大工とかでも身近で見ているからわかりやすいのである
だから親の跡を継ぐということが自然にできる、でも金にならないとかで継ぐのが嫌だとなったのである

遠洋漁業となるとやはり沿岸漁業とは違って厳しい、なぜなら沿岸漁業なら家がありそこに帰れば家族が待っているからである、そしてに三日過ぎた魚を食べていないとか言っていた、とれたての新鮮な魚しか食べない、それが漁師の贅沢なのである
だから漁師がすべて辛いとかもならない、機械化もしているしそれほど力仕事をしないかもしれない、でも遠洋漁業はまた別なのである
それにしても今はいくらでも贅沢して魚を食べているにしてもその魚をとっている人がどういう苦労しているかなどわからない、それはあらゆるものがそうである
ただ値段を見てるだけなのである、だからそんなに苦労してとったものでもそのとった人のことなど考えないのである、それで命がけのみうにして獲って来た魚を食べる時別に
獲った人の苦労なとわからないし感謝などもしないのである
苦労して獲ってきた魚をありがとうなど言わないのである

仕事にしても現代の事情が反映される、正直文系の大学は価値がない、すると就職先もいいところはない、すると遠洋マグロ漁船員でもいいように見えてしまうのかもしれない、でもそういうことを調べればわかるはずだからどうしても理解でとないともなる
ただもう銀行員でも農業するとかする時代だから就職事情も変わる、まず文系の大学は価値はない、その数も多い、となるとどこに就職するのかとなる
体力に自信があればそういう仕事でもいいとなる、給料だって安くなっているから高いとなればやる人もででくるのだろうとなる
ただ正直仕事はやってみないと理解できない、なぜマイナス20度の冷凍室で働いたのか仕事がわからないのとしょうがないのでそんな所に自分は行ったとなる
現実に働いて見てもう続けられないともなるだろう
その過酷さを身をもって知ればそうなるのである、ただ何かいいように見えてしまっているのかもしれない、給料も高いからとかなっているからかもしれない、それだけ日本が貧困化しているからそういう仕事でもいいように見えてしまうという事情があるのかもしれない、就職にも時代の影響がありそうなったとのかとも見る

ただ遠洋漁業と沿岸漁業はかなり違っている、沿岸漁業は土着的である、生活する根城を土地にもっていて畑で野菜作りしいたりもする、半農半漁もある、だから土地と密着している、だからこそ原発事故で海が汚染されたとき問題になったのである
遠洋漁業なら世界の海でとるのだから一つの場に固定されないからいいいのである
でもそうなると土着的仕事ではなくなる、それはグロ−バル化した仕事ととも似ている、そんな遠洋漁業など江戸時代とかにはなかったからである、結局江戸時代から明治から戦前までは土着的仕事が大半だったろう
その土地土地に密着して生活していたのである魚でも沿岸でとれるものしか食べていない、それで不思議なのは江戸っ子がカツオを食べていてもマグロはとれていても捨てていたというのも信じられないとなる

だから時代によってこうして価値あるものでも価値ないとされていたのである
仕事でも時代が変わると価値がなくなり新たな仕事が生まれて価値が生まれる、こうして仕事でも時代で変わり一定しないのである、それで大卒でもマグロ漁船員にもなるということはありうる、農業も見直されて大卒でもするようにもなる
農業は畜産でももともと大卒でも親の跡を継いでいた
桜井市長とか飯館村の菅野村長とか大学の畜産科を出ているから地方だきと依然として農業社会とも見れるからそういうことがありうる、でも地方でも農業とか漁業とか林業は衰退したのである、だからこそ原発が建てられたのである
そしてどういう職業につくかは時代によって変わる、この辺では原発で働く人が多かったのである
なにしろ他に三倍くらい給料が高かったからである、でもそれも原発事故で終わりになったのである

posted by 天華 at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月18日

原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ (夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)


原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ

(夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)

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旧街道には菖蒲が似合うー雲雀が原の脇の道

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雲雀が原神社とは特攻隊を記念した神社らしい

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抱月荘の道ー下に川が流れている


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片倉村ー矢川原の沼

小高への旧街道

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石の倉は新しい、隣の木の倉は古い
ここは地震で壊れていないが相馬市と鹿島区では石の倉は一部だが
ほとんど壊れた




この道や日影の長く藤の花

原町の旧道行くや菖蒲かな

原町の郊外広し夏の菊

原町の郊外広く夏つばめ

白藤や清流の奥にひびくかな


黄菖蒲に紅睡蓮や真昼かな

一村や沼に映せし夏の山

何蔵す枯木を映す石の倉

旧街道影なす道の涼しかな

二本の樹影涼しく旧街道

街道や旅は道連れ蛙鳴く

街道を行くも遠きも夏の山


旅人の木影に休みまた行くやその一本の樹の標なり


今日はそれほど暑くないと思い出かけた、22度くらいだから暑くなかった
陽射しもそれほどでないから行けた、やはり25度6度となると今は厳しい
どうしても熱中症を恐れているからだ
でも今日は爽快という感じで走った

原町の旧街道から宿場があった街道を行き抱月館がある所をぬけて片倉、矢川原を通り
小高に行ってまた旧街道を帰ってきた
原町の郊外は広い、原町は原っぱだったというとき名前があっている
雲雀が原がありそこは原っぱだったのである
鉄道ができて駅前通りになった、もともと雲雀が原で相馬藩は馬を飼いならすことをしていた、だから野馬追のする雲雀が原は今より何倍も広かったのである
文字通り原っぱだったのである、それで原町村がありそこから一騎野馬追にでていた
たいだい三騎くらい一村からでているがここは一騎ということは小さい村だったなる
つまり原っぱが広がる所だったのである

ただ宿場町としては大きいようだった、なぜなら絵図に残っていて宿場がつづいている
だから宿場町として原町は発展したともなる
宿場というとき原町とあとは双葉浪江とかにあった、相馬藩の城のあった相馬市から
原町までだと20キロ以上になる、原町から浪江とかなるとまだ遠い
ともかくここが一応江戸時代は街道だったのである、相馬藩と伊達藩が江戸へ向かった道である、それで面白いのは伊達藩の人達が通る時はその殿様に許可を得て通らせてもらっていたのである、そこは他でも同じなのである
藩が違うと別な国になっていたからである、そこで通行証が必要になり関所で見せて通らせてもらう、藩の外は別な国になっていたからである
今のパスポートと同じだったのである

何か旅がなくなったと何度も言っているが旅するとは車でぶっ飛ばして通り過ぎることではない、本当は歩いたら本当に旅とはどういうものか実感できる
なぜなら六号線だと写真にとったように木の影が道をおおうようなことがない
六号線では自然が映えないのである、だから六号線を旅しているがそれでは本当の旅は実感できないのである、でも今は便利だから結構歩いて旅していた人がいたのである
でも本来旧街道を歩くとき、そこで本当に旅がどういうものか実感する

そもそも江戸時代の道はもっと細かった、「奥の細道」というように本当に人が二三人くらいしか歩く幅がない道だったのである、だから今の旧街道より車が通る道よりさらに狭い道だったのである
旅とはそもそも道をたどるのが旅である、道は未知なのである、この先行けば何があるのだろうとなる未知の旅なのである、それは徐々に歩いて行くと新しい風景が開ける
そういう期待もある、道のものに出合うのが旅なのである
車では通りすぎるてしまい旅は実感できない、ただ早く目的に着くということだけであるそして宿でうまいものを食べたいとなる、旅自体をなくなったのである

だから道路が広くなり車の道となったとき旅は喪失したのである
六号線だとどうしても木の影が道をおおうようにはならない、広いし車がひっきりなしに流れてくるからである、でも実際は国道が便利だから歩く旅の人も六号線を歩いていたのである

原町の特徴は郊外が広い、街が広がっているにしろ郊外も広いのである
これは相馬市では感じられない、すぐ山になって狭いと感じる
ただ海の方に行くと広いとは感じる、でも原町と比べると地相が違ってるのだ
この地相が違うと感覚的にかなり違ったものに感じる
確かに海に面した浜通りは地相は似ている、でも城下町の相馬市と原町は相当に違った雰囲気なのである、これはただ外から来た人にはわかりにくい、それは全国を旅しても同じである、みんな同じように見えてしまう感じてしまうのである
だから長年住んでいる場所になじんでいないとその相違は感じられないのである
原町は市街も広いし郊外も広いのである



小高では帰っているかと聞いたら帰っていないという、市の職員がIT関係の人が外部から来て住んでいるとか言っていた
テレワークするので移り住んだのかもしれない、ただ詳しいことはわからない
やはり空家が多い、小高で違うのは車の数は少ないのである、街中を車が通らないのである
だから騒音と車が嫌いな人は住むのにはいいかもしれない
でも小高は不便だから住みたくないから原町に移った人が多いのである
私も車が嫌いだからそういう場所だと落ち着くということはある、でもやはり小高とかなるといろいろ不便になる
でもそこに住めるのは車を持っているからである、別に原町に車で買い物でも行けばいいからである
ただ小高の立派な家を置いて原町に移った大工さんを知っている
どうしても原町が便利だから移るのである、だから復興は進まないとなる

カメラを忘れたがスマホで撮った、だから鮮明ではない、スマホは今や必ずもって歩く、これは欠かせなくなっている







ボランティアの交通整理員 (警察から表彰されたーボランティアは組織に入らないとできない)


ボランティアの交通整理員

(警察から表彰されたーボランティアは組織に入らないとできない)

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小学校の通り道で女性の交通整理している女性がいる、この人は警察にも表彰されたと言っていた、この人の場合、一人でボランティアをしている
一人でできないと思ったがここではできている
ただもし男性だと子供にかかわるということで怪しまれることになったかもしれない
性犯罪とか全国でもあると情報化社会で異常に反応するからである
みんな性犯罪者に見られる、ただそういう人も現実にはいた、役員もしていたのである
ただみんなが性犯罪者ではないのである
でもマクルハーンが言っていたように情報化社会は世界が村となるというとき世界で起こったことでも隣村で起こったように見るのである
特にグロ−バル化した社会ではそうなった、現実にウクライナで戦争になったらあんなに遠い所でも日本でも具体的に避難民が来たりして関係したからである

女性はボランティアに向いているかもしれない、子供にかかわるのでも怪しまれないからである、私の場合は警察に公衆の面前で職務質問されて犯罪人扱いされた
駅長からにらまれて排除されたしまた周りからあいつは怪しいとして警察に通報された
そしてお前はここで何しているのだと若い女性の乗客に「お前はやる必要がない」と言われただけだった、でも少数の人は認めたことは認めた
私は別にボランティアしようとしたのではない、たまたま無人駅になり案内しただけである、またこの辺が原発事故になり外から来る人がふえたので話を聞ける場所として無人駅を利用していたのである、ただ聞かれたからたまたまそうなったのである

ともかくボランティアは意外とむずかしい、特に一人ですることはむずかしい
今回の地震でもDRTとか他にもボランティア団体が来た、国際学生ボランティアとかも来た、それは組織化されているから仕事のプロの人もいてできている
資金もあってできている、第一無料でぱ働いていない、できない、危険な作業もあり給料でももらえないとできない、それはボランティアなのか国の組織としてしているのかともなる、自衛隊のうよなものなのかとも見る
ただメンバーは全国だから沖縄の人も来ていたから何かあったとき集められる組織だとなる

ともかくボランティアは簡単にはできない、駅だったらぱJRで管理しているから許可が必要だしまた勝手にしていると回りから怪しまれる、NPOでも20人くらい集まらないとできないとしている、政府の許可が必要なのだろうだから個人でぱできない
実際にいかがわしいボランティアいて逮捕されたことがあったからだ
この辺でもNPOを管理する組織の事務所が原町にある、そういう場所を通さないと簡単にはボランティアできない
ただ高齢化社会は暇な人が多くなる、生きがいを求める人もいる
でも簡単にボランティアできない、だから老人はデートボールとかしている人が多いのである、そういうめんどうなことにかかわらないのである
それがいいのかもしれないと思った、意外と退職した人がボランティアをしようとして簡単にはできない、実際に地元の地区のボランティアした人が裁判沙汰になったことでもわかる、仕事はやはり組織でしているから一人とかでやるのは無理なのである
普通は邪魔になってしまうのである、なんかわからない奴が入ってくると邪魔だとなる

ただこの交通整理の女性は何の問題もないのである、警察に表彰されるまでなっているからだ、仕事としては朝の一時間くらいだろう、後はしていない
だからそれほどきつくないからしているとなる,ボランティアはきつい仕事はできない
危険な仕事もできない、責任もとれないからだ、でもDRTとはプロ集団だからとてもボランティアに見えなかったのである、自衛隊のように見えたのである
結局退職して生きがいを求めてボランティアしようにも簡単にはできない
まずは組織に入り認められることである、個人的にはできないと思う
この交通整理の女性は例外的なものだと見る

いづれにしろボランティアなど気軽にできると思ってする人したい人がいるかもしれないが簡単にできない
また周りが受け入れるとも限らない、ボランティアというのは意外といろいろな問題をかかえている
何か善意があったとしても様々な問題が生まれて来る、だからしない方がいいともなる
何かもめごとに巻き込まれることがあるからだ、ただ高齢化社会では老人の生きがいというのが問題になる
退職してもその後が長いからである、すると暇を持て余す人が増えてくるのである
トラック運転手だった人が怪我をして自転車に乗るようになった、それで良く私は逢う、今までそういう人と逢っていないのである、その人はまた温泉巡りもしている、明らかに暇だからそうなったのである
温泉巡りをしている人は多いとみる、秘湯とかを車で探して回るとかなる、ただそれが社会に有用なこととして認められるとは限らない、ただ遊んでいるのではないかとも見られる、でも現代は消費社会でもある、地元でも金を使えば良く見られる
何でも買えば喜ばれる、だからボランティアより消費者になった方がいいとなる
ボランティアは意外とめんどうなものなのである
posted by 天華 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年05月17日

老人は金あっても消費できない (でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)


老人は金あっても消費できない

(でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)

老人になると70以上になると消費するのが病気とかのために薬とか医療費になる
老人になると貧困化してそれすら苦しくなる人が多くなる
栄養をとれと医者に言われてもできないと言う、その人は4,5分働いても後はなにもできない、常にどこが痛いと苦しいというからである、そんな人は誰も雇わないだろう
もう働けない状態である、老人になるとそういう人が多くなる
もちろん元気な人は元気である
最近自分自身もそうなのである、自転車で運動した後、腰とか筋肉が痛くなるようになった、私はそれなり体は動く、ただ結構自転車で遠出すると体に負担になるようになった

そうなるとどうなるのか?

消費するものがあっても買いたいものがあっても買えない、それは金がないからではない消費する力がなくなったということである
今持っているヤマハの電動自転車は楽だから30キロくらいは楽に行ける、だからこれは意外と老人向きだった、もともと電動自転車は老人向きにヨ−ロッパで作られた
足腰と体力がなくなった老人向きに作られた、ユニットドライブという心臓部分の性能がいいと楽に走れるのである、だからこれがあるので一応遠出はできている
ただやはり筋肉が痛くなったり疲れるようになった
それで遠出するツーリング用の電動自転車がヤマハから出たので買おうと思った
でもそもそもツーリングとなればキャンプ道具も必要になる

それは相当に体にこたかえるしめんどうになった、それだけの気力もなくなったとなる
つまり何か老人がしたいと思っても金があってもできなくなるのである
それも30万くらいだがもしまだ体力があり若かったらできたからすぐに買っていたのである、それは今持っているユニットドライブと同じものだからである
その性能は経験済みでいいことはわかっているからだ
でもこれがツーリングとかなったらもうできないとなる
こうして70以上になるとできていたことができなくる、ただ車などは80くらいまで乗れるだろう、体力がいらないからだ、バイクとかなるとこれも厳しくなる

またスマホとかも買ったがこれも使いこなすのがむずかしくなる、ただ私はパソコン歴が長いからできる、でも使いこなすとなるとなかなかできなくなる、スマホは応用範囲が広いと思った、前だったらいろいろ応用できていたのである
何か最近の電気製品は使いこなすのがめんどうになっている、テレビですらいろいろな機能がついていてわからなくなる、パソコン化しているからだ
こうして技術的に老人はついていけなくなる、そして老人が買いたいもの、老人に適した商品が開発されて売っていないというのもわかる
すると老人が持っている金が回らないともなる

では老人が金が使えないのか持っていても使いないのかとなると違う
金はいくらでも使えるのである、なぜなら老人でも日々の食すら事欠いている貧困社会になっているからだ、そういう人が来た毎日嘆いている、だから援助しているとなる
そんな老人は今はいくらでもいる、食べることすら事欠いている人がいくらでもいるのだその格差も大きいのである、だから別にいくら金持っていてもそうした窮乏老人に金を回せばいいとなる、他にもいくらでも使い方はある
ただ何か使うおとしても使いこなせないということが障害となっているのである
温泉回りしている老人は多い、だから何か老人に向いた消費の仕方はある
でも一般に貧困化しているから第一日々の食べることと後は電気、水道ガスを月ごとに払えない人もいる、そしてこれらが上がっているからまた物価でも上がるとこうした貧困化した人達や年金生活者にはひびいている
だから貯金のある老人はない人に金を回せというのもわかる、金の使い道がないということなばありえないのである

意外と有効に消費することは生産することにも通じている、そもそもパソコンでもスマホで使いこなすことが難儀だからである、老人になればあらゆることが使いこなすことが難儀になるのである、認知症になったらテレビをつけるリモコンのボタンすら押せなくなっていた、機械はもう操作できなくなっていた、今や機械時代になると機械の操作に追われる、パソコンとかスマホでも操作に追われているのである
本だったらそういうことは全くないのである、それで老人は操作できない使いこなせなくなっている、こういうことは今の時代では特にそうなっている
すると老人は金があっても消費ができないので買わないとなるのである
すると経済は回らないとなる、せいぜい医療費に使うということで他のことに使わないからいろいろなもの開発して生産して売るということもなくなる
何しろ新しいものは若者は飛びつく、そして技術開発がある
パソコンでも最初パソコンマニア同士で通信もしていたのである
それが技術開発に役立ったいたのである、だからその時代はマニアしか活用できなものだった、不具合があると必ず一からセットしなおすほかなかったのである
まだおもちゃのような段階だったのである

要するに老人はどうしても消費意欲が衰退する、なぜなら木を植えようとしてもそれが成長するに十年とかかかるとなるともうしたくないとなる
すぐ結果があるもの成長した木を植えた方がいいとなる、老人は気長に待てないのであるそのうち死んでいるとかなる、それで原発事故で取り残されたのは老人が多いから復興しにくいものとなったのである、若い人は流出したからである
投資にしても長い目で見れば意外ともうかるものである
それでリーマンショックで半分になったのが10年くらいでもとにもどり今になると
倍にもなっていたのである、だから長い目で投資すれば意外ともうかるものなのである
でも老人は先がないし投資はめんどうだからしない人が多い、それで貯金だけ増えているとなる、その貯金すらない人が多い、平均は持っている人に左右されて高くなる
5人が50,50,50,50、100とするとき300÷5=60になる
でも実際は50持っている人が大多数だとなる、さらに30、30,30、50、50、50、50となると30から50の範囲が収入とみるべきだとなる
だから100持っている人が50持っている人に10をまわしてたせば60になる
そこで平均化する、そういうことが必要だともなる

いづれにしろ長い目で老人が見れないということを知るべきである
なぜなら毎日本当に明日死ぬのではないかとリアルに思っているのが老人なのである
ただそうなるとこの世からおさらばするとなるから気が楽なのである

なぜ若い人に自殺が多いのか?

それがこれから長い人生を生きる重荷のためである、その重荷から解放されたいからそうなっている、老人はもう死ぬだけだとなるとそうした重荷を感じなくなるのである
どうせ死ぬんだ、この世の嫌な人とも合わなくていいとかこの世の様々な嫌なことももう経験しなくてもいいとか何かこの世の苦しみから解放されるようもなる
極端な話、どうせ死ぬんだからこの世のことをいろいろ考えても無駄だとなる
それで最後に世間のことなど気にしないで大きなことをしてやろうという心境にもなるかもしれない、どうせ死ぬんだからとなるとそういう気持ちになる
もういちいち世間のことああだこうだと考えなくもなる、気にしなくもなる
それでプーチンがあんな思い切ったことをしたのかともみる
死期が迫って最後に大博打を打ったのかもしれない、 どうせまもなくこの世とおさらばする死ぬんだから世間のことなど気にしない、大きなことをしてやろうという気持ちにもなる、余りにも世間のことに縛られ過ぎて小心になっていたことでその反動がでてくる

核もろとも人類が滅亡しても俺の知ったことではない、どうせ死ぬんだから

核を使って核と心中して最後は果ててもいいと考えたら怖いことだとなる、でも老人はそうしてどうせまもなく死ぬんだからそれでもいいやとさえることも怖いとなる
そしてささいなことで汲汲として悩んでいたのが馬鹿らしくもなるのである

ただ若い人には老人の心境がわかりにくいのである、老人は意外とこうして精神的には気楽になる面があるのだ、もちろんいろいろ苦しい面はある、貧困で苦しんでいる人もいるでも何か老人はそうした世間のしがらみからもう死ぬんだから解放されるということで
精神的に楽になっているようにも見える、それはまた欲がなくなるとそうもなる
人間は様々な欲があるとこの世に執着するからだ、それで死にたくないとなる
そういう様々な欲から解放されないのである、好きな女性と一緒になれないなら死んだ方がいいとかまた一緒になれない殺すとかまで執着する、するとその欲のために苦しむのである

とにかく高齢化社会のマイナスも大きい、どうしてもこうして老人は消費すらできず保守的になる、新しいことに挑戦もしにくいから新しいものが生まれないことにもなる
団塊の世代が高度成長時代を築いたのはそれだけ若いからエネルギーがあったからだともなる、社会全体が若いからそのエネルギーが強烈なものとなってそうなったのかもしれない、それも幸運だったのかもしれないがやはり若いということと老人の差は大きいのである、ただ若いということがすべていいことにはつながらないのも確かである
年取ると何か今までわからなかったことがわかるようになる
本読んでびっしりと赤線をつけていたがそれも理解できていなかった
今になると深く理解できる、自分なりに理解できるのが不思議なのである
それで批評家に向いてくるのである、なぜなら何でも芸術でも深く鑑賞できるからであるこれは若いとできないのである、ごくわずかの天才はできたとしても普通の人はできないが老人になると洞察力でも鑑賞力でもついてくる、何でも深く理解できるということである、だから意外と老人の時間は充実している、黄金の時間になるのである
それもまもなく死ぬということでそうなっている、末期の眼で見るからそなっているのである



2022年05月16日

南相馬市の原町区に綿津見神社が多いのはなぜか? (千葉県からの移住があり安曇氏と蘇我氏は一体だった)


南相馬市の原町区に綿津見神社が多いのはなぜか?

(千葉県からの移住があり安曇氏と蘇我氏は一体だった)

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那珂と言う福岡県福岡市あたりの地名が目に入る。実は、蘇我蝦夷、入鹿親子を殺した乙巳の変(645年)までは、北九州あたりを本拠地とした蘇我氏ゆかりの人々(海人族安曇氏)が入植して開拓していたのである。近くの千葉市中央区の蘇我は正に蘇我氏ゆかりの土地であった

蘇我氏の祖先の武内宿禰の一族の海人族安曇氏は日本列島全体で水田開発、交易を行っていた(参考)

弥生時代初期あたりから、海人族安曇氏は九州地方から東北地方まで稲作の水田開発、物産の交易などの活動を行っていた。東日本では、在来系弥生人、すなわち縄文人が海人族安曇氏の最新知識による水稲と条里制地割の水田を導入したと考えられる。これにより、海幸と山幸の交換が可能になった。さらに、塩の生産・流通も海人族安曇氏が管理したようだ。

東国の開拓は百済人などの渡来人の前に既に海人族安曇氏が行っていた!
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12277257480.html


甘楽郡・多胡郡・緑野郡・群馬郡・新田郡など上野国一字物マ子成」という文字瓦がある。物部氏の分布は、のちと刻まれた紡錘車が出土し、前橋市上野国分寺跡にも「山
字資料であるが、高崎市矢田遺跡では、 「物部郷長」 「物部」手を伸ばしていく。八世紀以降の年代が充てられる出土文、こうした混乱の過程で、王権の実力者・物部氏が毛野へ触手を伸ばした、

物部氏は、五世紀後半に台頭し、大王の道の広範囲に分布す任務に就いた豪族で、のちの令制国・五十二ヶ国、五畿七側近として仕え、軍事・警察と在来の神々の祭祀に関わる


この結末は、 「使主―王権」大きくそがれよって、南武蔵まで力を及ぼしていた上毛野一族の勢力はの四ヶ所とともに毛野にも緑野屯倉を設ける。このことにが勝利し、使主は国造に就任、王権は南武蔵の多摩川流域

躍進を支えた軍事力に必要な鉄などの資源を東北に求だのである。物部氏は、上毛野氏からの情報をもとにしつ沿いに、奥深くまで踏み込み、北上川中上流域にまで及んだ

教の祭祀権を握った蘇我氏は、物部氏にも増飾金具・鈴などの金製品が見つかってい
是歳条) 。そして、飛鳥寺の塔心礎から玉類・耳飾・延板・本格的に建設に着手する( 『日本書紀』崇峻元年(五八八)
立を発願する。 翌年には、 百済から僧 ・ 技術者などを招聘し、馬子は、用明二年(五八七) 、法興寺(飛鳥寺)の建して、より一層、東北の資源や特産物を欲したと考えられる

蘇我氏と七世紀前半の東北経営ー新井隆一
https://core.ac.uk/download/pdf/233058675.pdf



相馬地方の古代史の謎は南相馬市の原町区に大きな桜井古墳があり原町区に異常に綿津見神社が多いことである、またそれと対となった山津見神社が多く飯館村では綿津見神社と山津見神社が対となってあり山津見神社は有名である
その謎を時系列で見ると最初は毛野氏が勢力をもっていた、それは武蔵国でも毛野氏が勢力をもっていたが物部氏と争い衰退した、次に蘇我氏と一体化した安曇氏一族が進出したそれは海人族である、順序としてそうなる
桜井古墳は物部氏が作ったのかとなる、なぜなら安曇氏が進出するより古い、四世紀とかなると相当に古いのである
そして中央で物部氏と蘇我氏が宗教争いがあった、物部氏は神道派であり蘇我氏は仏教派である、勝利したのは蘇我氏の仏教派になる
ただ安曇氏の綿津見神社とかは仏教ではない、神道なのかとなる
それは安曇氏の祖先の神であり蘇我氏と一体化して安曇氏一族が原町区を支配した
物部氏は衰退して安曇氏の綿津見神社と山津見神社がこれほど多く建てられたのである

時系列では毛野氏⇒物部氏⇒蘇我氏(安曇氏)⇒大伴氏となる

毛野氏は南相馬市の鹿島区の浮田国造となっていた、それが物部氏に代わり次に蘇我氏が安曇氏と一体となり進出した、でも浮田国造のある鹿島区には進出できなかった
さらに後に大和王権が確立すると鹿島区に大伴氏などが進出して前方後円墳を作り金銅双魚佩を残した、また寺内に多数の円墳などを作ったのである
蘇我氏というと東北でなじみがないが跡は残している

曰理郡の宗何部(そがべ)池守ら3人には湯坐曰理連

いづれにしろ毛野氏も物部氏も一時は勢力があったが衰退した、蘇我氏と安曇氏が興隆して多くの綿津見神社を残した、仏教遺跡も蘇我氏がかかわって残された
今の東北電力が建つ前に大規模な製鉄遺跡の発掘があった
その時の説明で武器より仏教の道具類が多かったという、それは蘇我氏がかかわって仏教が伝播されたからだともなる
またと蘇我氏自体が渡来人だとされて渡来人と一体となり仏教を伝えた
唐神という鹿島区の地名は韓(から)の神であり仏教のことである
また奈良の大仏殿の大仏の鍍金のために大量の黄金が必要とされて宮城県の涌谷で黄金がとれたので進出してきたのである

天皇(すめろぎ)の 御代栄えむと 東なる
       みちのく山に 黄金(くがね)花咲く 大伴家持
       
とにかくこの辺の最大の謎は桜井古墳は誰が建造したのか?そこに眠っている棺があり二人のものだというのも謎である
そして原町区に異常に綿津見神社が多いのである、最近では大原にも綿津見神社があったそれだけ多いのである、でも鹿島区となると見かけないのである
小高にも綿津見神社が海岸にあった、それは津波にも残っていた不思議があった
海岸でも高い所にあったからだ
歴史は時系列で見るのがむずかしい、まるで地層のように時々の権勢をふるった一族であれ交代している、物部氏はわかっていたが蘇我氏も関係していてそれが安曇族と一体となっていた、そして物部氏と蘇我氏は神道派であり仏教派と渡来系と一体化していた
桜井古墳は四世紀とか古いとなると物部氏系統が作ったものでありその後に蘇我氏と一体化した安曇氏が進出して多数の綿津見神社や山津見神社を残したとなる
安曇氏一族に後に八木氏とか犬飼(養護)がいて八木沢峠で地名化して霊山を越えた石戸村にその地名がある、飯館村などの佐須では佐須は焼畑地名であり安曇氏がその技術を伝えたとなる




インタ−ネットでは古代史では相当詳しいものが出ている、すると素人でも参考にできるから専門家にもなれる、まず図書館では調べるのもめんどうであるしできない
キーワードで検索できないからである、だから私はここ十年くらい図書館には行っていないのである、調べること自体めんどうでありその時間がなくなったのである
家事からあらゆることを一人でしているからできなくなったのである
でも家にいながらにしてインタ−ネットだとこのように調べることができるのである


2022年05月15日

文系と理系とは何なのかー医者と看護師からみる (高齢化社会で老人と病人ばかりの社会になる異常)


文系と理系とは何なのかー医者と看護師からみる

(高齢化社会で老人と病人ばかりの社会になる異常)

脉をとる看護婦の手のあたたかき日あり、 つめたく堅き日もあり 石川啄木

●医者や看護師(婦)は理系である

病院という場所は医者とか看護師でも理系なのである、でも病院とか病気というとき
それは理系だけの者ではない、医者は確かに化学的知識を詰め込んでいる
例えば小便が白くなっているとき私は血の小便が出ていたから白くなって治ったと見た
これはいろいろ原因があるにしろ腎臓が一時悪くなりそうなったのかもしれない
これは医者が科学的に分析する対象である
基本的に医者は理系の仕事である、化学分析することが多いからだ

でもどうしても私は人間の病気というのは深く人間の心と関係していると見る
でも理系だと常に物体としてまた人間を機械のように見ることがある
それで病院で死にたくないとかなる、そこは心の通わない無機質な空間なのである
そこには愛が通わない冷たい空間なのである、それで女性の看護師でも家族の代わりはできない本で書いたいた、つまり家族のような愛でもって接することができないと言っている、体は診るが心は診れないのである

それで糖尿病の人が半年なのか長い間入院していてかえって食べるもの制限されて食べないことにより病気が悪化したのである、でも退院して家で暮らしていたら回復したのである、こういうことは病気に確実にある、つまり精神的なものが人間には影響するからである、家というのは何か人間を回復するものを持っているということである
ただその人は一人で暮らしているから家族に看護されるということはない、ただ娘が来るからそれも安心の材料だし近くに親身になって話し相手とか世話する女性がいることも
回復した原因ともなる

●人間を物としてみる西洋医学と物と心を一体とみる東洋医学

病院という場所から理系と文系をみると理系が優先される、手術するにも人間を機械のように見てしているともなる、そうでないと普通は人間の体を切りさくことはできないかもはしれない、体にも心が通っているとかなると体を切りさくことができないとなる
それで内臓の移植などはするべきではないとしているのも人間を物体として機械のように処理できないからそうなる、西洋医学はどうしても物と心を引き離してみる
objectとして人間もみる、だから科学技術が発達したとなる
東洋だと日本ではモノというとき物が憑くとか物と心は一体としてみる、物にも心があるともみる、色心不二とかも仏教であり色とは物のことである、それは切り離せないものしてある
理系と文系というとき理系とは人間の心から切り離したものとしてobjectとして扱うとなる、だから人間の体でも部分化して機械のように見るのである、パーツの集合としてみるそれで手術でも体全体より部分の集合として人間でもみる
そこに東西文明の相違があるとまでなる

そして理系の一流の学者である武田邦彦氏が機械ばかりあつかっていると物体ばかり扱っていると頭が冷たくなると自ら言っている、それがなるほどと思った
人間と接しないからそこに人間の情が失われて知的頭脳的人間となり頭が冷たくなるということである、あの人は理系で一流でありまた文系的素養があるからめずらしいのであるそんな優秀な知能高い人間を自分のような文系の劣等生は理解できないのである

●医者や看護師は人間の体に直接触れるから心も伝わる

ただ現代というのは理系的なものが重要視されて文系的なものが何に役立つのかと実用的にならないとして価値が低くされるている、でも病気とかで考えると意外と文系的なものが必要になる、というのは病気なれば必ず医者でも体にふれる
ただ今では機械のみが体にふれて診察するということも起きているから一概には言えないでも人間を診ることは体に直接触れる、するとこの触れるということはどうしても心がそこに通じるとなる

脉をとる看護婦の手のあたたかき日あり、 つめたく堅き日もあり

脈をとるでも看護婦でも必ず人間の体に直接触れるのである、その時やはり看護婦が体にふれられたとき啄木は感受性が強いから微妙に感じたということである
それは体に直接触れられることによって心を感じたのである
だから心というのは目に見えないにしろ体にも影響する、それで江戸時代は医は仁術となっていたのである、それは宗教家にもっていたのである
その時は現代のように科学も技術も発達していないから仁術として医療もしていたとなるつまり体をだけをみるのではない、心まで診るのが医者だったのである

そもそも医療は宗教から始まった、それはキリストでも仏教でもそうである
人間が一番苦しむのは病気だからである、だから山伏でも山に入り修行していたとしても薬草も探していたのである、病気を癒すためには祈るだけではできいなから薬草を探して飲ませたとなる
なぜこれだけ医療が発達してもカルト宗教でも数が多いのか?
それは依然として病気でも治らない病気が多いからである、まず60代になると何らかの持病を持つようになる、でも医療が発達したので癌でも簡単に死なないようになった
あの人はガンなのに仕事を普通にしていて十年にもなると見る
それだけ例え癌になったとしてもそうして生きる期間相当に長くなっている
それは医療が発達した結果なのである

ただ人間というのは物体でも機械でもない、心をもっいる、そして心と体は一体である
病は気からというのもそうである、だからどうしても医者や看護師には愛の心が必要になる、愛でもって患者に接することが必要になる
でも優秀な医者でも別に愛がないことはありうる、それより手術とかなると何か冷徹なものにならないと生身の体を切ることはできないともなる
またいちいち多くの患者を愛でもって接しろといっても疲れるともなる
ただ数として処理することもある、それで議員でも番号で呼ばれて怒ったという人がいたのもわかる、家族ならできるが医者や看護婦では大勢の患者がいるのだから無理だというのもわかる

●理系の医者や科学者がフランケンシュタインになる危険

理系とか文系を区別するときこうして情的なものは文系的なものかもしれない、理系の人はどうしても人間を扱うより無機質な物体を扱う、機械を作る人でもそうである
すると頭が冷たくなるとなる、それは極端になるとフランケンシュタインのようになる
こういう人にも科学者はなりやすいのである、なぜならそこには人間は見えない
恐怖は人間を科学のための医療のための実験材料のようにさえみる、戦争中は本当にそういうことがあったからだ、それは犯罪だと糾弾された
科学者はフランケンシュタインのような恐ろしい怪物にもなりうるのである
そういうことが現代では起り安いのである、人間は物体であり機械のようにしか見えなくなっている、また医者からすれば医は算術となっているのもそうである

だから科学者でも医者でも看護師ですら悪魔的になるのである
相手が弱者化するら余計にそうなる、弱者化するから医者に従わねばならない
それで病院は本当に牢獄であり刑務所に思えた、そこから脱出もできない、でも病院を逃げた人もいた、私も二回入院してそういう恐怖を味わった
だから病院には入院したくないとなる、ただ別にそうはいっても医者とか看護師が全部非情だとはならない、それなりに尽くしてくれたのである
でも虐待されたこともあり恐怖なのである、女性の看護師が家族になれないというとき
やはりそういう限界がある場所だとなる

ともかく理系と文系というときこういう場所でも現実の社会に現れていないか?
啄木は文系であり文系として感じたことを短歌にした、そこに理系の医者や看護婦がいたとなる、そこで看護婦がじかに体に触れることでそのことを感じたのである
看護婦の心を感じたのである、ただ虐待されるよりはましだったとなる
でもこれからこれだけ老人が増えて病人が増えると嫌悪する人が医者でも看護師でも増大する、そういう弱者とばかり接すると健康な人も病的になってくるのではないか?
それは医者とか看護師とかだけの問題ではない

いづれにしろ理系文系のことをみてもそもそも理系と文系とは何なのかわからない
人間社会は様々な作用から成り立っているからである、すべて理系文系にも分けられないのである、総合的なものだからである、ただ文系だと別にどんな大学でも一流でもさほど優劣もなく関係ないように見る、理系は最低でも文系よりは優秀と見る
文系は何かただ遊びの場だったともなるからだ、講義に出るより授業に出るより遊んでいた方の人が好まれた、これも奇妙なのである、それで遊び人になった人がいるのも当然だったとなる、自分自身も三流大学で勉強などしていなかったのである
ただカルト宗教にはまったりしていたり何ら大学で勉強していないのである
でも卒業していたから独学していたとなる、旅ばかりして地理とかいろいろ興味をもって独学していたとなる、正直文系は独学できる、今ならyoutubeで大学の講義さえ受けられる、それも無料なのである、自分のプログでも大学の講義にもなる
それも無料でありいくらでも文系なら独学できる時代になったから文系大学はいらないともなる、ただ大学には大学の効用があるからそれを全部は否定できないことは確かである

●老人と病人が増大する高齢化社会で嫌悪されるのもわかる

現代社会はそうした弱者ばかりに不健康な人ばかりの高齢化社会になったときそういう気分になる、特に若者にはなる、みんな不健康な老人ばかりになる社会というのは異常だともなるからだ、それでニーチェとかの弱者を否定るす超人志向にもなる、それは弱者ばかりの世界になったからそうなったともなる
現実に私を見た看護婦は老人を世話するのを嫌がったいた、だから虐待までなっていた
そういうことは別に病院だろうが施設だろうがある、何かそんな病気の人ばかりと接することが嫌になるからである、それは自分自身だってそうなる、だから虐待が起きるのである、ただその衝撃は大きい、そうされたとき看護婦でも医者でも恨むとなる
それで殺人まで起きたということもあった、それだけとても様々な人に愛をもって接することができないのである、だから実際は病院では患者でも番号であり無機質的な場となるから家に帰りたいとか家族の元で死にたいとなるのが人間なのである

みんないたわってもらいたいのだという社会である、それを否定して超人を説いたのも
現代社会がそうして弱者を優先する社会になったからだともなる
愛とかなるとただ人は愛されることを望むのである、キリストが説いたのは愛する人になれということであり愛される人になれとは言っていないのである
あらゆる人はただ他者を頼り弱者にぼとこし助けるべきだとなるのとは違う
そういう社会はまた健全ではないことは確かである、ただこれは複雑な問題である
でも高齢化社会とはまさにニーチェが嫌悪した社会だということは確かである
あまりにも老人が病人が増えすぎた社会だから若い人から健康な人から見たら嫌悪するようになってしまうのである

社会の大半がみんな老人になり病人になり助けてくれとなる社会は異常だともなる
認知症が8百万になるとかまた障害者の数も多すぎる、かえって弱者でも病気でも精神疾患者が多いというとき病気でない人は異常だともなり責められるとまでなる社会になる
それも異常である、だからどうしても老人とか病人は嫌悪されるということにもなる
だから虐待も起きるとなる、終に精神障碍者を多数殺した若者もいた
何かそういう人ばかりと接していてその人は精神異常化したのだろう
それもまた現代の大きな問題ともなっている、いづれにしろ高齢化社会というのは別に健康的に長生きすればいいのだがどうしても弱者化して病人も増えるのだから社会全体からすれば異常だともなる、バランスがとれないとなる

子供が多くて若者が多い国はやはり健全だともみる、でもロシアでは若い人はが多いからあのようなウクライナで暴虐的な戦争にもなったのかとみる、若いということは血気盛んだからである、とても老人は戦争などできないのである
日本でも団塊の世代の時は子供が爆発的に多かった、それで活気があった、でもその団塊の世代が高齢化して社会自体が老人化して活気がなくなるとなる
だから社会全体の問題としてそうなっているということである


2022年05月14日

子育てはどうあるべきか? (体罰を容認する古い世代―厳しくしつけろはいいのか‐親ガチャの問題)


子育てはどうあるべきか?

(体罰を容認する古い世代―厳しくしつけろはいいのか‐親ガチャの問題)

その女性は団塊の世代だから同世代である、それでも古い年代の考え方がある
しきりに厳しく育てろ、体罰もしろとか言う、それが納得いかないのである
85歳くらいの人が近くの先生を恨んでいた、体罰を受けたとかひどく恨みに思っていたのである、ただその当時団塊の世代でも体罰はあった
男性は廊下に立たされたりして笑いものにされていた、でも女性はそういうことはなかったのである、ここに男性と女性の差があった
同世代の人でやはり団塊の世代でも8人兄弟の人が父親から何も口答えするなとか父親の命令に従っていればいいとして育てられた、逆らうようなことを言うと殴られたと言っていた、だから親を良く思っていないのである
私は学校でそういう経験しているから学校は嫌な場所だった、ただ私の場合はそもそも集団生活になじめないし一人っ子でわがままだったから特殊だから違っていた
自分の場あいは逆に厳しいことも必要だった
厳しく鍛えられることが必要だったのである、それで親元を離れてからそれなりに苦労したことが良かったのである、だから厳しいことがすべて悪いとはならない
でもどうしてしも厳しく育てられると人間は委縮してしまうと思う

だから奇妙なのは父親と母親がいたとしてそれが普通に子育てすることになる
でもそれがいいのかとなるとわからない、父親の役割があり母親の役割があって子育てする、でもそれだけでたりるのかとなると人間は複雑なのでそうともならない
本当に母親だけでもその母親に反発する人も多いし恨んでいる人もいる
それは母親一人だと母親の道具のように子供を見る、子供を自慢するためにあるとなる
自分の都合良いものとして子供を見る、そこで常に親の意向に子供はふりまわされることになる
だから不思議なのは人間の場合は両親がいたとしても子育てが必ずしもうまくいくとは限らない、もちろん片親とかいろいろ境遇が違っているからその人の事情があって複雑であり他人のことはわからないのである
それは人間関係でも人間は複雑だからそうなる、一人っ子だと兄弟がいないと人間関係をうまく築けない、一人っ子はそれで問題になる

とにかく人間は両親であれ家族であれその影響が余りにも大きいのである
それが人生を決めるとまでなる、別に両親がいてもカルト教団に入っていれば完全に洗脳されて遂に死ぬまでその色に染まって一生を終わった人も普通にいる
全くそれ意外何も考えられない、人生もその方向に行くことが決められていてそれしかないとなっている人がいる、そこに何ら疑問も感じないのである
全く自主性のないロボットとして一生を終わったのである、これも恐ろしいことだと思った、だから親の影響は余りにも大きいのである
いくら恵まれていても金持ちでも親ガチャはあるのだ、医者の子に生まれたら医者にならねばならないと不本意でも強制されるのも親ガチャなのである

ともかくその知っている女性は子育ては失敗したのだろう
ただその人は貧乏だったからそうなったこともあり同情する、何か金がなくて上の学校にもあげられなかったみたいだ、それで子供は結婚して今いい暮らししていても親とは絶交している、親か金が無くて苦しんでいても何もしない、というよりはもう他人なのである近くにいてもあいさつもしないとなっているのだ
だからみんな一応子供を産んでも親に感謝するかというとならない、親を恨んでいる人も相当数いるのだ、そういう人は墓参りもしないのである
だから親でもいろいろであり千差万別なのかもしれない、だから一概には言えない
三人の母親が代わり育てられた娘は信じられない人になっていた
非情になっていた、5歳まで育て母親は認知症になったが金を持っているので金だけが欲しいとなっていたのだ、これも悲惨であった、でも育ての親にも反発して病気になっても助けることもしなかったのである
何か親の言う通りにさせられて反発したらしい、ただこの人は普通ではない信じられない非情な女性となったことに驚くのである
この女性もまた複雑な家庭環境であり理解ができないということはあった

とにかく人間はそれぞれの家庭環境の影響が大きいのである
私自身も複雑でも二人の母親がいたとしてもそれが私にとってはいいものだったのである実際は私が実母だけから育てられたら私という人間形成はできなかった
私の母親はもともと貧乏で育って性格は几帳面でありささいなことにうるさいのである
貧乏だったら花に興味もない、ただ働きづめだった、それは同情する
でももう一人の母親ともいうべき姉は大らかな性格であり小さいことをなにかやと言わないのである、常に自分を肯定するものとしてあった、だから別に就職もしないで引きこもりになっても何も言わないのである、やりたいことをやりなさいとなっていたのである
何か自分に何かを望むのではなくただ肯定するだけだったのである
それは甘やかされたともなるがそれで自分は自由に自分のしたいことを追求して来たのである、だからこういうことはまれだと思った、そこにも大きなマイナスがあったとしてもプラスの面も大きかったのである

それで思うことは子育てすることは子供を否定することを言わない、常に肯定して見守ることがいいとなる、確かに厳しいしつけも必要でも肯定される、愛をもって見守るということがいいとなる、何かと親が子供に要求すべきではない、その人なりの人生を生きることを応援することである、自分は60歳までもそうされてきたのである

子供を否定する言葉を言うな

常に温かく見守り肯定する言葉をかけろ

人間は別に子供でなくても部下であれ相手を否定することが多い、お前はだめなんだとか女性でも否定される言葉が多い、あなたはここが悪いけどいいところもあるとか言わない一方てきに前はだめなんだとかしか言われない人はどうなるのか?
その人は常に自分自身を否定するようになり自信がなくなる、何するにもそうなるのである

ただ親元を離れて苦労したのは20代であり若い時苦労しろというのは本当である
そもそも人間は本を読んでも自ら苦しみ悲しまなければ何でも理解できないのである
経験の方だ大事なのである、仕事でもそうである、どんな仕事でもつくづく経験しないとわからないのである、実感できないのである
だから別に底辺の仕事でも経験することはいいことなのである、それはボランティアでもいい、金にならなくても経験することは貴重なのである
人間は何か経験することでも極わずかのことしかできないからである、また人間は経験から学べない、聖書でもいくら読んでもわからない、でも苦しい体験とかした人はわかる
悲しむ者は幸いである・・・こういうことは経験しない人しかわからないのである
まず悲しい苦しい体験をしない人は人を導けないだろう、また同情もできないからである
そして人間の不思議は家族でも死んだ時、その人の肉体は消えても何か魂のようになものは残る、愛は残る、その愛は消えることがない、太陽のように輝いている
またかえってその輝きが増すということもある
もし忘れられない人になるならこうして子供でも愛すなら、ただ子供に何も望まないで肯定するだけならその人は子供にも忘れられない人となる
子供でも何かと親がおしつけるて子供を自分のエゴのために利用するとかなるのが多いのである、そうなると子供でも親が死んでも心に残らないともなる
だから親を恨んでいる人も多いのである、愛とは無償の愛なのである
神の愛でも無償の愛だからである
ただ理想的な親など言ないだろう、私の姉にしても他人には冷酷であり別にすべてがいいとはならない、ただ自分に対しては良く作用したとなる
だからそもそも家族でも両親だけではうまく子育てができないかもしれない
そこには祖父母とかまた叔父叔母とかでも様々な人がかかわった方がいいとなる
だから核家族は閉鎖された家族だけの世界となりいいものとはならない
子育てにとってはいい環境とは思えないのである

私を育て肯定した女性は
死んで十年も過ぎても
依然として消えなかった
太陽のように輝いている
それは愛だからであった
愛は死んでも消えない
あなたの心の中に
その女性はいつもいる
愛は継続する
肉体は消えても愛は消えない
そういう人を持つことは幸い
その女性は常に離れず見守っている
優しい顔で見守っている

ともかく人生で忘れがたい人というとき極わずかである、結局最後は二三人くらいになるだろう、みんなたちまち忘れられるのである、親子でもそうなのである
でも忘れられないようになるにはどうするのか、それを子育てでも人間関係でも知らねばならないとなる、ただこの世ではそんな人間関係など築けない、ほとんど金の切れ目が縁の切れ目である、これだけの人間がいてそんな関係しか築けないというのは何なのだろと思う、余りにも淋しいとなる、非情だとなる、でも実際はこれがこの世の現実なのである結局この世は無常であり無情なのである、親子ですら無常であり無情になっていたのである
いづれにしろ人間は親子関係とかでもそれだけで閉鎖されているとうまくいかないとみる
親一人子一人などは良くない、そこに別な人でも他人でもかかわり育てることがいいとなる、一人の親ばかり影響を受けることは良くない、それは実母でもそうなのである、意外と性格が似ているから合わないということさえある
私はもともと神経質だから大らかな女性の方があっていたのである、細かいことささいなこと地こだわり注意されるのが嫌なのである、それは結局社会に適応できない人間になっていたということにもなる
でも自分にとってはそれが良かったのである、社会に適応できなくても自分らしい生をおくれたとなるからた

posted by 天華 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年05月13日

抽象画とは何なのか-無限の変化である What is abstract painting - it is infinite change


抽象画とは何なのか-無限の変化である

What is abstract painting - it is infinite change

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isolated island

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シャガの花

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夕明かりーevening light


その時しだいでいろいろです
形を成す 形を変える
永遠の意味の、永遠のたわむれなのです−ファースト―ゲーテ

It depends on the moment.
form a shape, change a shape
It is an eternal flirtation with the eternal meaning of eternity


私のしていることはこれだった、他人の創作物であれ写真であれそれを変化させている
でもそれが第二第三の創作になっている、そこに著作権違反になるのもあるが
やはりこのうよに形を変えてゆく、それは創作でもある
そもそもある特定の人の創作でもそれは変化させられる
要するにこの世でも人生でも世界は変化である、常に変化しているのである
津浪とかでは凄まじい変化があった、村ごと消えた
また戦争などでも凄まじい変化があり街が一挙に廃墟化したりする
人間の世界はこうして常に変化してゆく
創作の場合でも固定されたものはない、変化してゆく、変化してゆくこが創作なのである

What I'm doing was this, I'm changing it, whether it's someone else's creation or a photograph.
But it is a second or third creation, and there is a copyright violation.
But it is also a creation that is changed in this way.
In the first place, even a particular person's creation can be changed.
In short, in this world and in life, the world is change, and it is always changing.
In Tsunami, there was a tremendous change, whole villages disappeared.
There are also tremendous changes in wars, when entire cities are suddenly in ruins.
The human world is constantly changing in this way.
Even in the case of creation, nothing is fixed.

2022年05月12日

全国焼きもの紀行俳句 (日本の茶の湯、わび、さびの文化と陶器の世界−窯元を訪ねる)


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(日本の茶の湯、わび、さびの文化と陶器の世界−窯元を訪ねる)

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赤マルは私が訪ねた場所

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(唐津焼き)

唐津焼の窯元たずぬ落椿

松に寄り窯元ありぬ落椿

窯元や唐津城近く春の湾

(伊万里焼)

初燕旅人来たる赤絵町

春日さし店に並びぬ備前焼


(清水焼きー京焼)

清水焼春にぎわいぬ坂の店

京言葉清水焼き買い話すかな

春の日や京都をめぐり土産かな

(笠間焼き)

笠間焼冬に訪ねて絵付けかな

益子焼民芸作家や初秋かな

土触り古陶に茶の湯冬籠る

窯元に孟宗竹や冬籠もる

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九州は伊万里焼で有名である、そこか柿右衛門の赤絵の絵付けで有名になり世界に販路を広げた、その港が伊万里だったのである、もともとは有田焼だったとなる
ここには春に行った、有田町の通りに赤絵町とありなるほどと思った
九州は窯元が多い、というのは朝鮮から陶工が・・・の時に秀吉に寄って連れてこられたからである、朝鮮では陶芸が盛んであったからだ
朝鮮の文化として百済だと美的な趣向がありそれで陶芸にも反映された
もともと古代には須恵器が作られた、ただその前に鎌倉時代でも中国とか朝鮮から陶工は入ってきていた

日本のやきものの転換点は、より硬質な須恵器の技術が朝鮮半島から入ってきた5世紀といえます。「焼締(やきしめ)」という非常に高い温度で焼く技術が初めてもたらされたのです。やきものは窯のなかで焼くと1200℃以上の高温になり、器に降りかかった燃料の薪の灰が溶けてガラス質が器の表面を覆います。この自然釉が素焼きの土器の段階から、釉薬をかける陶磁器の段階への入り口になりました。

六古窯―〈和〉のやきもの」
https://intojapanwaraku.com/craft/2536/

須恵とか末次とかの姓とか地名はこれに由来している、その地名も多いのである
福島県浜通りに末続駅などがあるがこれもそうかもしれない、そもそも須江、須恵は陶であり陶器のことなのである

唐津焼の特徴であった質朴さと侘びの精神が相俟って茶の湯道具、皿、鉢、向付(むこうづけ)などが好まれるようになった。また、唐津の焼き物は京都、大坂などに販路を拡げたため、西日本では一般に「からつもの」と言えば、焼き物のことを指すまでになった。とりわけ桃山時代には茶の湯の名品として知られ、一井戸二楽三唐津(又は一楽二萩三唐津)などと格付けされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E7%84%BC

唐津焼は地味な色でありわび、さびを感じるから後に茶の湯で使われたとなる
湾に面して唐津城があり虹の松原があり風光明媚な所にあるのがいい、城が見えて窯元があるというのはまれだろう、窯元となるともともと土地土地の土を使うから辺鄙な山間とかにある、大堀相馬焼きももともと駒焼きは城下にあったが土をとるために浪江の大堀に移ったことでもわかる

備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E5%89%8D%E7%84%BC

この備前焼が須恵器から発展しているというのも興味深い、なぜなら須恵器も鉄のように硬いのである、この備前焼も鉄のように硬くて重量感がある、それで落としても割れないとされたのである、それだけ西の方になると歴史が古いのである、それが現代まで残されたとなる、ここではただ通り過ぎただけだった、でも一回でもそこをじかに訪ねていたことは貴重である、やはりその地をじかに踏むことだけで価値があるとなる
今になると30年40年前になると遠い記憶となるが一応記憶にまだ残っている
やはり文化というのはその土地から直感的に感じるものである
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの地をじかに踏まないとわからないという人がいたがそうである、CULTUREとはCULTIVATEてありその土地土地を耕すということが語源になっているからである、土着的なものだからである、だからその土地を踏むということが文化を理解することになる、ただ正直大陸となると中国でも余りにも広いので理解することがむずかしいのである

京都なると清水焼きだがもともと京都は日本の文化の発祥元であり日本の文化の中心ともなるから陶器でもいろいろ作られた、京都にはまた陶器でも全国から集まった
でも土はとれないので絵付けが発展したとなる、京から様々な紋様が生まれたりしているからそうした装飾関係は京都が優れているのである

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京焼と清水焼の違いは、これは以前(江戸時代ぐらい)は清水焼以外にも、粟田口焼・八坂焼・音羽焼・御菩薩池焼などが京都市内各地にあり、それを総称して「京焼」という言葉が使われていました。
しかしその後、時代の流れとともに清水焼だけが残って、現在ではほぼ「京焼=清水焼」という形になっています。

池映す枝垂桜や京暮れぬその色濃くも染まりけるかな


京都つうのすすめ
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201108.php

https://www.seigado.jp/concept/


何かここでも私は絵付けしたりしていたのである、それで京都弁を聞いたのである
京都を語ればきりがなくなる、でも京都でも三回行ったとかめぐっていたのである
つまり旅し続けていたのが自分だったのである

あと笠間焼があるがこれも笠間藩があり窯元を訪ねた、そこで絵付けした
絵が描けないにしろ旅の記念になるものとして遊びでしていた
笠間焼でも相馬焼きが古く教えに行ったとかある、相馬焼きの陶工は各地に技を教えに行っていたのである

益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていた。その後、1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC

笠間焼を受け継いだのが益子焼であり民芸で有名になった、何か飾らない素朴な味わいがありその装飾も単純なものになっていた、つまりそれが民芸だとなる
茶碗でも壺でもあまり装飾が派手になると本来の趣を損なう、生け花にしてもやはり素朴な土の味わいを出すのがいいとなる

要するに茶の湯とかはもともとわび、さびを基にした日本文化である
伊万里焼は磁器であり土の香りはしないのである、ヨ−ロッパでも磁器の陶器であり日本の土の匂いのする陶器とは違っている、陶芸は日本独特の文化なのである
それで最近気づいたのだが茶の湯だとお菓子をそえて出したりする
そのお菓子でもさほど甘くないお菓子が日本がの特徴である、外国はケーキのように甘いのである、確かに甘いものもあるが渋い味の菓子があることに気づいた
それを添えると何か日本的な味がすると感じた、味もわび、さびの感覚なのである
どちらというとソバが日本的なものでありうどんとかは小麦であり日本的ではない
ソバは現実に日本で山奥でも作られていて常食となっている
福島県の奥の秘境だった桧枝岐ではソバが常食となっていた、米は食べれないことが多かったからである、山間地では稗とか粟を食べ、またソバを食べていたのである
それでソバの花が咲いている

曲り屋に蕎麦の花かな奥会津

こんなふうにもなる、ソバの菓子もあり何か渋い味だとなる、渋みというのもまた日本的なのである、外国だと渋い味は嫌われるだろう、ほとんどが甘いからである
ただ文化というのは意外と日本に住んでいてもわからないのである
これが日本的なのかということは外国を知ればわかるのである
そこに日本的なるものの価値を見出すのである、グローバル化はそうした国々の文化の価値を見出すものならいいがかえって国々の文化を破壊することがある
日本の食文化でもハンバーグだとかいろいろ入ってきて破壊されたからである
反面日本食が外国で健康食としていいとして受け入れられている、これはいいことである日本食はもともと肉食から発展していない、肉料理は日本では発展しなかった
肉の代わりに魚を食べていたからそうなった
魏志倭人伝に牛、馬、羊がいないと報告されたときそれが日本がの特徴だったのである
日本は漁労民族だったからである、海の幸、山の幸の国だったのである
ソバはか山の幸だったともなる、その味は渋いとなる




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茶菓子としては甘いものは合わないかもしれない
この胡桃餅は甘いというほどでもない、何か合っている
他にも蕎麦の味がした菓子なども合っていた
日本の菓子は多様だからこれも日本の文化となっていたのだ

日本の茶の湯とはもてなしから始まった
人をどうもてなすかとうことがありそれが一つの文化とまでなったのである
もてなすということは何かへりぐだらないとできない
それで殿様でも身分が高くても茶室では対等になったということがある
一人が威張っていたらもてなしにはならないだろう
単純に考えれば納得がいく、茶室では上も下もない世界とかなる
ただ戦国時代だと密談の密室の世界になってもいたのである

相馬焼きの歴史 (縄文土器から始まる日本の陶器、骨董でも江戸時代のものは価値がある)


相馬焼きの歴史

(縄文土器から始まる日本の陶器、骨董でも江戸時代のものは価値がある)



江戸時代の終わりには窯元も100軒以上になり、販路も北海道から関東一円まで広がり、一大産地へと発展を遂げ、大堀相馬焼は日常の器(= "雑器")として人々の生活へと溶け込んでいきました。

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相馬焼きの歴史(ホームページ―自作)
http://www.musubu.jp/somayakimono1.html

前のホームページで書いていた、その時は震災前であり大堀相馬焼きが軒を並べていた
風光明媚な高瀬川があり中国の山水画のような岩があった
そこは常に激流が流れていた、その大堀焼きも原発事故で失われてしまった
陶工は福島県の各地に散った、そこで伝統を守りつづけている

相馬焼きが磐城から伝わったというのも地理からそうなった、でも磐城ではたいして有名な窯がない、勿来焼きとかあってもたいしたものではない、相馬焼きになり全国のブランド品となった、ただ日常雑器としても使われた、第一百軒も窯元があったということは
一大産地となっていたのである、そうなると相馬藩の財政にも影響したとなる
藩でもともと奨励して収入源とした経緯もある
農家の副業にもなった、だから何か大堀に行ってそこで畑を耕していた老婆がいたことを自分のホームページで書かれていた、それは柿のなる季節であった
それで俳句とか作っていたのである

だからそういう場を失ったことが大損失だったとなる、もう回復しないからだ
でもまだ高瀬川渓谷は消えたわけではない、残っているが立ち入り禁止区域になったので行けないとなる、そこは相当放射線量が高いとなったからである
相馬焼きでも江戸時代のものがあれば骨董品でも価値がある
この辺は地元だから旧家に残っていたのが出ているのである
何か農家には蔵がありお宝が残っているともみる
ネットの販売で売っている、ネットだと全国が相手だからいいものがあれば高く売れる、地元だけでは高く売れない、なぜなら買う人が限られているし金持ちが多くないからである、また興味ある人もそんなにいないからである
そもそも相馬焼きでも江戸とかでも評判になり売れていたとういことで相馬藩の収入にもなったからである、今でも新しい相馬焼きが生まれて世界にも販路を広げようとしている
骨董品というとこれが意外と歴史と関係している、残された物から歴史をみる、その謂れを知るからである、十四代も使われつづけた茶碗とか急須があるとなると価値がある
ただそれを知らなければただの普通の器だとしか見ないだろう
また骨董品では古い物、特に江戸時代のものには価値がある、なぜなら私は古い碑とか墓をみる、そこで確かめるのは江戸時代の年号なのである、まずこの辺では元禄とかなると古いからなかなか見つからない、それで相馬市の新田に元禄の碑があった、そこは寺田というところでありもともと寺があったからそうなった
ただ震災で津波がそこまで来て波にのまれたが浅いので石碑は残っている

また元禄と明歴という碑が葛尾村の高瀬川の上流の野川に残っているのも不思議だった、こんな場所にそんな古いものがあるのかという不思議だった、ただ葛尾村も相馬藩内でありとうも検地の記念として残されたようである、検地の記念として残されたのは意外と多い新地では文禄の碑があった、相馬藩内で文禄の碑など見たことがない
それは明らかに伊達藩の検地の記念であった、検地が江戸時代の初期に全国で実行されてそこで米を税として治めさせて藩の財政を安定させたからである

骨董品でももし江戸時代の年号とか記されていれば価値がある、江戸時代のものは希少価値があるからだ、芸術でもその時代でしか作れないものがあるからその価値は色わせないむしろ価値を増してくるのである、芭蕉の奥の細道などがそうである
その価値は衰えることがない、「五月雨の降り残してや光堂」というように金色の輝きがさらに増して残されることになる
だから私が大堀を訪れて作った俳句とかでも価値があるかもしれない、なぜならそういう風景がなくなったからである、するともう再現できないからである
何か本当に津波とかで村ごと消えてしまった、新地の海浜公園になったところはもうそこでここに結構家並があり港町があったとういことをイメージすらできない
そして全く震災の津浪を知らない世代は全く新しく生まれた人達がそこに立っても昔ここに家並があったということをイメージもできないのである

海の風海浜公園に夏雲雀

このように全くそこに家並があり村があったということはイメージできないのである
別にそこは新しくなり気持いい場所になった、でもそこで何か昔をイメージが全くできないのである、一応漁港があるからそれでイメージするとはなる
それは烏崎とか請戸村とかでもそうである、村自体が津波で消失してしまったからである
つくづく人間はもともと忘れやすいのである、人間が一旦死ぬと何かあいまいなものとなり深い霧の中に隠されて実体がないものとなる、急速に忘れられるのである
それは60年とか一緒に暮らしていてもそうなのである、津波でそうした激変があり相当数が死んだ、でもそれすらだんだん忘れられてゆくのである

だから意外と何でもいいから記録していることが貴重になる、大堀相馬焼きを訪れて書き残した物でまたふりかえりイメージするとなるからだ、こういう場所だったのかと想像できるとなるからだ、柿がなっていて何か大堀焼にふさわしい場所だったともなる
焼き物でいいのはその土地と結びついて作られている
もともと土で作るのだからその土地の土と関係している、それで高瀬川の砂でも陶器を作ったとか書いてある、宮島焼とかは砂で作ったものである、焼き物は鹿児島とかなると火山灰で作ったとかもある

大島焼は三原山の火山灰をミルで細かく挽き、木節粘土まぜた土で成形します。
釉薬は椿油を絞りかすを灰にしたものや雑木の灰を原材料とし、薪窯で焼成します。
https://blog.goo.ne.jp/masarugama/e/623488e3e2917db5ec551b23ead6caf2

椿油というときこれは戦後まもなくまだ使っていた、今のようにいろいろな油がなかったからである、菜種油などでもそうだった、陶器には様々な材料が使われているのである

宮島焼は,江戸時代から焼かれ始めたと伝えられ,嚴島神社本殿下の砂を入れたことから「お砂焼」の名でも知られています。その後何回か窯の興廃があり,現在の確固たる基礎が固められたのは明治の中頃です。
 清楚な雰囲気に特色がありますが,粘土に砂を混ぜると窯変が起こりやすく,自然に二つとない模様が生まれて独特の風合いを醸し出しています。
 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/67/1170644786687.html
 
こうした成分は化学的に分析すればわかるだろう
このようにその土地の材料を作るからその土地と結びついているのが陶器なのである
それでお土産に土から産したものとして陶器がいいのである
今だとネットで全国の陶器が買える時代である、それで全国を旅して窯元に寄ったのである、そもそも日本の独特のものとして焼き物がある、第一縄文土器から始まっているのだからその歴史は日本がでは古いとなる
中国だと磁器でありこれは外国に輸出された貴重なものである、伊万里焼でもそうである伊万里焼などはトルコの博物館などにも飾ってあったからである
相馬焼きからも今は新しいものが作られている

大堀相馬焼の窯元に迫る(1)休閑窯 半谷秀辰さん
https://www.730.media/kyukan/

ここに出ている現代的な斬新な皿がいい、土と海の色が出ている、何か自分のしている抽象画と似ていると思って見た、陶芸の模様は抽象画なのである




posted by 天華 at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2022年05月10日

夏の日に相馬市から新地の花木山ガーデンに (途中骨董店による・・相馬焼きの話しなど・・)


夏の日に相馬市から新地の花木山ガーデンに

(途中骨董店による・・相馬焼きの話しなど・・)

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城跡の藤の花
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城跡にシャガの花が咲いていたし新地にも結構咲いていた


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槻木駅などがあるから同じようなものか?

新地花木山ガーデン

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利休梅


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相馬市六号線の骨董店

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この急須と湯のみが十四代も使われたという、だから5万とか値をつけている
これが水分が減って乾いたために軽くなっている
陶器が磁器と違うからそういうことになる、土だからそうなる
そういうことも意外である、ただそれだけ年月が過ぎれば何か変わることは確かである

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天皇の菊の紋があり金箔がある、高貴な感じになっている
デザイン的に優れている、でも小さいから御菓子など置くにはいいかもしれない

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ここは着物店なのか? この蔵にはお宝があるのか、牡丹が似合っていた



馬走り自転車は知る青葉風

相馬市に我が入り行く菖蒲かな

長々と木陰の道や藤の花

藤垂れて暇(いとま)のあれや昼の月

海の風海浜公園夏雲雀

散り残る利休梅見る小径かな

森暗し影なす道にシャガの花

影深し大槻神社にシャガの花

城跡や草深しもシャガの花

城下町紫色に暮れるかな


駅前の花壇に赤のチューリップ次に黄色の咲きて燕とぶかな

広々と大海開け夏の日や牡鹿半島金華山見ゆ

山々の新緑に映え海開け牡鹿半島金華山見ゆ

ガーデンに珍しき花夏の日や新たに見ゆる花にしあるかな

黒橋を上れる人の二三人若葉茂れる木の袂(たもと)に見ゆ

城跡に藤の花あまた垂れにけり白きつつじも映えてひそまる

喫茶店藤の花垂れ一時を休みて静か城下町かな

城下町辻を曲がりて職人の家あり伝ゆ技のあるべし

十四代使いし茶碗とその色の心にしみぬ謂れを聞きて

城下町夕暮れ帰る紫の牡丹の咲きて大き蔵かな




花木山ガーデンからの眺めは最高てある、広々と海が開け牡鹿半島と金華山が近くに見える、ただ正直ガーデンそのものはものたりない、でもそのために300円とる
それは花を見るというよりあの広大な景色を見るためにも払うとなる
やはり眺めのいいところにある喫茶店でもあれレストランであれ価値がある
あそこの眺めは特別である
新地は海が近く見えるのである、相馬市でも鹿島でも原町でも海は結構遠いのである
新地は庭の前が海が見えるという感覚になる、それで巨人が手を伸ばして貝をとって食べていたという伝説がある、現実に海が縄文時代には入りこんでいたのでそれは事実である貝塚がそれを物語っている、貝を食べて捨てた場所だからである
海から離れていてもかなり近いからである

今は藤の花の季節である、藤の花と似合っているのは相馬市なのである
なぜなら城下町だからである、何か何もないようでやはり歴史がありそうした雰囲気を出しているのである、相馬市が街作りとして良かったのは役所も入母屋作りにして落ち着いたものにしたことである、高いビルがないこともいい、でも新しくできた田町通りは城下町の雰囲気とそぐわないという感じにもなる、ただあそこにある大きな柳の木は合っている
相馬市というとき紫の菖蒲が入り口に咲きそして藤の花が垂れ咲いている
中村喫茶店の脇の藤棚がそうである

六号線で骨董屋があるので入ってみた、ほとんど茶碗だった、相馬焼きのことで語ったがその主人は女性でありそれなりに知っている、そもそも骨董屋というとき歴史もかかわるし美的鑑識眼も必要である、だからこれも結構才能がないとやれないかもしれない
ただスーパーのように物を売っていると違う、その品物についての由緒とかを語らねばならないからだ
テレビのお宝発見だと書画骨董でもそれが本物なのか偽物なのか見分けるのはむずかしい絵でも鑑賞することができないからである
でもどれがいいものなのか簡単に分からなのである
そもそも芸術とかなると鑑賞すること自体がむずかしいのである

まず本当に高価な価値あるものは見つからないだろう、だから十四代も使い続けられたという茶碗とか急須となると相当に価値がある、それで五万の根をつけた
でもその価値が解かるのかとなるとわからないとなる
ただわかるのは十四代をも使われたことで価値があるとなる
そこにその茶碗の歴史がある、茶碗通じて受け継がれたものがある
相馬駒焼きを受け継いだ人は死んだと言っていた、前ら浪江にあった相馬大堀焼になっていた、相馬焼きは江戸時代からのものでそれが古いのでその技を教えに各地に行っていたのである、だから相馬焼きには価値がある
ただ馬の絵で年代がわかるという、でもそれを見分けるのはむずかしい
この馬の絵を相馬焼きに教えたのは外から来た人だとしている
つまり何かアイディアとは意外と外の人が与えることが結構ある
そこにもともと住んでいる人が気づかないことがあるからだ
だから外部の人の話をとかも聞く必要があるのだ

いづれにしろどんな職業でもプロになるのは容易ではない、第一農業自体がむずかしい
土のこととか肥料のこととか花でも育てるのがむずかしい
だから花屋も相当に知識と経験がないとできない、要するに料理でもそうだがなんでも
プロになるには相当な熟練と経験と知識が必要になる
骨董屋となると意外とこれはただ物として売るものではない、そのいわれや歴史や美的な
鑑賞力も必要になる、そうするとそれらをみんな備えることはできないともなる
でも骨董屋はただ売る商売ではないと見た、その品物にまつわるもの、いわれや歴史でも知らないと売れないと見たのである
ただその骨董屋も城下町内にあれば合っている、六号線だと城下町からはずれているからだ、城下町内にあるのがふさわしいとなる、でもそうなると地代とか高くなるからと言っていた







2022年05月08日

ヤングケアラーの悲惨 (貴重な時間が奪われることが最大の損失)


ヤングケアラーの悲惨

(貴重な時間が奪われることが最大の損失)

NHKでヤングケアラーのことを放送していた、それも小学生とか30年も介護していたとか驚く、そんな人がいるのかと見てこれは悲劇だと思った
これこそ親ガチャだと思った、親のために一省台無しにされたとも見た
そうは言わなくても自分の人生なんだったのだと必ず後悔する
親のために尽くして親のために生きたとなる

ただそういうことは戦前とかだと親のために子供が働かせられていた、貧乏な国では子供が働き手として産んでいた、そういう社会だったのである
子供が親のために働く犠牲になるともなる、貧乏だとそうなりやすい
別に私の子供時代でも何か変なのだけど店の配達とか店の手伝いとか卵買いとかさせられていた、親が酒屋の丁稚だったので私も丁稚のようにされたともなる

そういうことは農家でもあり子供が親の仕事を手伝うのが普通だったのである
そういう社会だと親でも子供を産んだ方がいいともなる
今の社会は子供のために親が犠牲になるとなるから子供を産み育てるのも嫌だとなる
だから今度はそういう時代になると子供は親のために働き孝行するのが普通だったのに
子供のために働かせられ尽くすだけだとなり不満になり子供いらないとなり少子化にもなったのかとみる

でもそもそも生物としては親は子をうむために犠牲になる、鮭でも子を産むために必死で川を上り子を産むと死んでゆく、それは生物を維持するための本能である
子供のために犠牲になるのが生物の本能なのである
そうしなければ子孫を残せないからである

だから親のためにまた老人のために若者が犠牲になる社会は生物としては異常だとなる
これだけの高齢化社会と人類史でも経験していないのである
それでどう見るかは初めてのことなので何とも言えないのである
これまでの人間の歴史ではみんな平均寿命が長いのであんまり介護とかもなかったもしれない、ただあったとしても介護期間でもあまり手厚い治療をしないから早く死んでいたと思う、ただ若くても病気になり介護していた人はいた
老人をこんなに介護する時代はなかったと思う

小学生から40年間親の介護していたとかなると信じられないとなる、もう人生が親の介護だったというのも悲劇である、その人は自らも病気になったことがわかる
私も認知症の家族を介護士てうつ病になったからである、なんらか精神的にもおかしくなるだろう、それで普通に暮らしている人達をみてこういう暮らしがあるんだというのもわかる、何か介護というのは狭い所で人間関係もなく介護する人とされる人が閉ざされた空間で過ごすことになるからだ
それは牢獄のように感じたのである、私のように旅ばかりして自由に過ごした人には特にそうである、ただそんなに若い時から介護していた人はそういうのが人生だとなるほかなかったのかもしれない、とにかくこうして親ガチャとか親のために人生を失うということが結構多いのである、なぜなら素直であればあるほど親に尽くすことが当然のように思えるからである、また他にする人がいないからそうなってしまった

とにかく人間にとって一番大事なのは時間である、それも若い時貴重な時間を奪われることは悲劇である、そうしたら老人になって親を恨むことがある、親のために自分の人生が犠牲にされたとふりかえるからである、ただ他でも親のために自分の人生を奪われることがある、親がカルト宗教団体に入っている人は素直だと全く洗脳されて染まり一生をそのために終わる人がいた、その人はそれ以外の人生など考えることもできなかった
だから親の影響は本当に大きいのである
親によって人生をだいなしにされることは悲劇である

私が特別親に感謝しているのやりたいことをやらせてくれたからである
大学出ても就職もしないで自由に生かしてくれた、やりたいことをやらせてくれた
その後も30年間引きこもりでも自由にやりたいことをふらせてくれたのである
だから介護になっても必死で介護したのである
でもヤングケアラーは自分のやりたいこもやれない、介護の牢獄のようにな状態で40年間も過ごしたとなるのは異常である、そして自分自身も病気に成っているというのも悲劇である、なぜそうなのか、それは時間は取り戻せない、青春時代も取りもどせいないからだ

人間というのはその時その場でやるべきことをしないとあとはできない、時間は取り戻せないのである、もう一回やり直すこともできないのである
これが人生にとってショックだとなる、親がどうのこうのと言っても結局お前の人生はお前の責任であったとしかならないのである
でもそうならざるをえなかったというのは悲劇である、もちろんその経験が無駄とはならない、なぜなら人間は何でも経験が大事だから経験しかから本当のことは学べないからである、そしてそれぞれの経験することもごくわずかなのである
あらゆる経験など人間にはできないのである
だからどんな経験貴重なのである、介護であれ引きこもりでもそうなのである
それも一つの経験だからである

ただ人間の時間は極限られている、たちまち時間は消失する、また体力でもなくなる
そうすると体力あるうちに山登りでも自転車旅行でもなんでもきついことはしていた方がいいとなる、後はできなくなるからだ
それびヒマラヤに一回だけ行ってみたが曇って見えなかったのでもう一回見たいとなるが見ることができないのである、体力的にできなくなったからである
だからそうした貴重な時間が消失してゆく、ヒマラヤを見ることは本当に感動だからである、他のことでもそうである、それで私は50歳からバックパッカーになって世界旅行したことが良かったとつくづく思う
もう海外旅行もできないと思ったからである、それだけの気力もなくなったとなる
特に介護は体力だけではない、精神力も消耗するなと思った
牢獄に閉ざされた中で極めて狭い世界で生きることになる、常に介護は介護する人から離れられないからである、だから牢獄に閉ざれた感覚になったのである

ヤングケアラーが相談する人がいない相談しないというとき誰も親身になってかかわる人はいないからである、そういう人とはかかわりたくないのである
かかわるとしたらやはりその人も犠牲になるからだ、そして金だけは欲しいとなるのであるお前を助けるけどその前に金をくれとかなっていたのである
つまり介護では親身になる人はいない、それは自分の場合はカルマだった
だから自業自得だと思ってしていた、それはもう60歳にもなっていたのだから不満も言えなかったのである
私にとって介護は最後は親に感謝されたから報われたとなる
それでもともと特別良くされたから今でも手厚く供養しているのである
でも他の人はヤングケアラ―などは全く違っている、あまりにも過酷であり親を恨んでもしょうがいなとなる

ただこういうことも高齢化社会とか介護社会で産まれたのかともみる、ただ放送では
若い母親が病気になったのであり老人の親の介護とはまた違っていた
でも介護する人は今は家族でも核家族とか少人数だからできる人がなくそうなった
とにかく現代はなんらかで介護の問題をかかえる、それは親が長生きでありまた簡単には病気になっても死なないからである、そこで孝行したい時は親はなしとはならない
必ず親に孝行を強いられる、最後に介護させられるのが運命だとなる
それから逃れることはできないのである、でもまた今は戦前のように親のために子供が犠牲になる訳てはない、親が犠牲になるような時代である
でも最後に親に孝行が強いられる時代だとなる

私は叔父にあたる人が病気になり輸血してくれと30頃言われた、でも断った、なぜなら私はその時登山して死ぬほど疲れていたからである
それで断った、でもそうして登山して良かったと思う、体力がないのですぐに登山はできなくなったからである、ただそのことでその娘にも恨まれてもいいものとなり叔父も私を恨んで死んだとなる介護の時冷たくされても当然だとも思った、でもその娘は異常であり育ての親を捨てた
突然病気になった死んだ育ての親が私に「ひどい娘だわ」と私に言い残して死んだのである、だから自分だったらしょうがないがなぜそうなったのか異常であり非情だとなる

高齢化社会と介護は切り離せない、でもその負担が大きすぎる、それを若い人がするのはあまりにも過酷だとなる、どうしてもそういう人は親を恨むようになからこれも悲惨である、親にとっても子供にとってもいいことはない、時間が貴重であり若い時は束の間であり二度と戻ってこないからである
でも祖を強いられるから悲劇だとなる、それを償うものがあるのか?
確かに早い時期に何か介護して他の人より大人びるかもしれない、でも若い時期は短いしあの時こういうことができていたのになと痛恨の悔悟になるかもしれない
なぜなら人生は二度とないからである、あの時こうしていれば良かったといっても
二度とその時は帰ってこないからである、それは報われないとなるから悲劇である

2022年05月07日

ロシアの技能者や富裕層や若者の大量流出ー遊牧民を理解しにくい日本 (原発事故でも三年避難して故郷に帰らなくなった)


ロシアの技能者や富裕層や若者の大量流出ー遊牧民を理解しにくい日本

(原発事故でも三年避難して故郷に帰らなくなった)

ウクライナに侵攻中のロシアで、国民が国外に出る動きが急増している。独立系メディアが6日、連邦保安局(FSB)の統計として、今年1〜3月に約388万人が国外に出たと伝えた。 
渡航先は旧ソ連の構成国が多く、前年同期の5倍近くにふくれた国もある。今後も人材の流出が続けば、ロシア社会に大きな打撃となる可能性もある。
https://www.asahi.com/articles/ASQ5666J1Q56UHBI024.html


国外避難民は
コソボ紛争(70日間)→戻る
ボスニアヘルツェゴビナ紛争(3年間)→国外定着


原発避難民もそうだった、三年間離れるともう帰ってこない、避難した先で仕事を持ち暮らすと帰ってこない、農家の人が言っていた、農業でも三年間していなと体がついていけない、できなくなると言っていた
三年間が目安だったのである、その三年間も過ぎて五年間も避難期間にしたから帰ってこないのである、老人は外に出ても仕事もできないから愛着があるから残った
でも老人だけの街では維持できない、小高とかでも原町に移った人が多い
原町は便利で暮らしやすいからである、別に隣なのだからあまりに移っ抵抗はないだろう
ロシアでは富裕層とか技術者がそして若者が流出している
日本でもひろゆきが日本がに希望はないと海外脱出を盛んに言う
でも日本は言葉との障壁があり簡単に脱出できないだろう
陸続きの国は移動が移住でもしやすいのだろう

ウクライナ人でもテレビに出ている人は英語を話ししている、やはりロシア語も英語と通じるものがあるのだろう
ただアラブ語とかなるとかなり異質だから違っているだろう、でも英語はやはり世界の共通語になっていることを感じる
英語は世界でも通じやすいのである、中国人とちょっと英語で話したことでもわかる
エリート層は英語が普通に使えるのである
日本はもともと閉鎖的な国だから外国へ移住するのは相当にハードルが高い

そもそも陸続きだということが移住が大陸国家間で常にあった、モンゴルがウクライナまで攻めてきたというのも驚きである、モンゴルとか遊牧民は日常的に移動しているから
移住という移動することに抵抗がないのである
ヨ−ロッパの成立がこうした東の遊牧民の流入に対して作られたという時もそうである
東欧の小国がなぜあるのか、それは遊牧民国家なのである、遊牧民はまた様々な民族が入交り混血しているのである、こうした多様な民族というのも日本は同一民族としての歴史が長いから理解しにくいのである

大陸国家だと大量に人間が移動する、それが戦争にもなる、ゲルマン人の移動とかもそうである、それがローマ帝国を滅ぼしたともなる、東の遊牧民はまさに移動する民である
それを一番象徴していたのがモンゴルなのである、それでロシアもモンゴルに征服されてタタールの軛としてあった、モンゴルに囚われたとなる
要するに東欧諸国はそうしした遊牧民の末裔なのである、ドイツにもスラブ人が入ってきて混血しているというのもそうである
日本はまたこの遊牧民というのを理解しにくいのである、そうした人々を見ていないし歴史的にもわかりにくいとなる、日本は島国で閉鎖され国で定着民だからである

だから地政学ではロシアは必ずウクライナとか西欧に進出する、また戦争になるということを予言していた学者もいる、それは地理の宿命としてカルマとして説いている
その地理もあまりにも広大なので日本人には理解しにくいのである
とても旅行したらいではわからないのである
そうした広大な領土を支配するとなるとどうしても独裁となり皇帝となる
社会主義になってもその伝統は受け継がれる、恐るべき強権国家になる、統一できないからである、社会主義とは全体主義のことだから独裁国家として採用されたとなる
民主主義とかはそうした広大な国家には合わないのである、そうしたら国がばらばらになってしまうという恐怖がある
また風土からもロシアの寒さがロシア人の忍耐強さと連帯を育んだとしている
一方で野蛮性も依然として残ったとしている
そもそも遊牧民は常に戦闘的でありその暮らしが移動であり日常が軍隊化していたのである、だから戦争には強かったとなる

ともかく歴史でもカルマである、歴史は繰り返すとういことである
だからウクライナでもやはりロシアが攻めてくるということは予想されたとなる
でも意外だったとしているのはロシアの本質を見誤ったとなる
ロシアの国の本質は変わらなかった、西欧化しないものがあり何か強固な土着性が残っている、それは広大な森林地帯とか土地があるということなのである
森が境界となるときそれはヨ−ロッパでもそうだった、ウクライナでもキエフの近くに広大な森が見えた
大都会の近くに広大な森があり百キロ離れたチェルノブエリノブエリは原発事故でその広大な森に埋もれたのである
そこにヘラジカとか狼が棲むようになった、それはこの辺では原発事故で猿やイノシシが空家まで侵入してきたのと似ている
広大な森が境界にもなる、なぜなら相馬藩でも原発があった大熊辺りは森が覆っていたからである
それで殿様の森ということで余の森ー夜の森となったのである

いづれにしろ大陸国家を知るには遊牧民を知ることである、でもそういう人達を身近にみていないかった日本人には理解しにくいのである、イスラエルも実際は遊牧民国家であった、今では半分は砂漠でありラクダを泊める隊商宿もある
キリストも遊牧民の末裔である、第一アブラハムは神の命令でどこに行くとういのでもない、イスラエルに向かい祖となったのである、そういうふうに常に移動する民族なのである、出エジプトでも必ず異民族と出合い戦いとなる
だから遊牧民というのは農耕民のように定着しないのである、その心性は定着する農耕民から見ると理解しにくいのである
とにかく大陸国家では中国でもそうだが遊牧民に侵略される恐怖があった
それで万里長城が作られた、遊牧民は絶えず移動するからその移動することが常に戦争ともなっていた

大量の人間が移動することはそこに衝突があり戦争にもなる、だから領土が国が日本の島国のように安定して同じということがない、領土は常に縮小したり拡大したりする、ウクライナでもボーランドの一部だったとかともなっいる
言語の相違があっても共通な面もある、国境は不変ではない、常に大陸国家の興亡で変化しているのである
それで今回のロシアのウクライナ侵攻でかえって反撃されてロシアは縮小してさらに小国化するとされる
ただまたロシアは広大な土地がありそこからまた蘇るともしている
それで経済でも意外としぶとくそれほど経済封鎖してももちこたえていて影響しないというのもそうである
要するにロシアの広大な地理とか風土を簡単に理解できないためロシア自体を理解できないとなっているのである
世界を知るには地理を知ることだがこれが簡単にわからないのである
そこから誤解が生れるしロシアとは何なのかロシア人となになのかとなり戸惑うのである

地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン

これはわかりやすい、ロシアのことも今回のウクライナ侵攻も予測していた、地理の宿命としてそうなるとして予測していたのである

夜ノ森以北は炭田・鉱泉地帯ではなかった地域である。1896年4月1日に双葉郡が成立する前は、夜ノ森を境にして南が楢葉郡、北が標葉郡(しねはぐん、しめはぐん)であった。戦国時代には岩城氏領(南)と相馬氏領(北)の境であり、江戸時代には磐城平藩(南)と中村藩(北)の境であった

言葉は相馬藩では新地が伊達藩だから仙台弁にもなるが他なっていない、磐城とどう言葉が違うかわからない

2022年05月06日

南相馬市鹿島区真野川沿いのサイクリングロード地図 (新しい海まで通じる道)


南相馬市鹿島区真野川沿いのサイクリングロード地図

(新しい海まで通じる道)

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鹿島区役所の土手の脇の道を行かないと行きどまりになるから注意

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今橋の下、鉄道の下が工事中で通行止めになっていた

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橋の下を二つくぐり鉄道の下を行くとここにでる、ここからは見晴しが良くなり
海でる道になるからわかりやすい


真野川沿いに新しくサイクリングロードができた、土手の下は新しくできた道である
この道は街の中にあるから街の人が散歩している
ただここまで高速常磐道のSAから自転車で来るとなると結構遠いとなるかもしれない、
ただこの真野川沿いから海に出る道は景観がいいから気持ちがいい

本当は駅前から行けばいいが鉄道を利用する人は本当に少ないから高速のSAから人を呼び込むために地図を作った、だからSAに自転車を置いて利用してもらう、でもそれはしていない、ただ駅前の星自転車屋では自転車を貸している
駅前らだと便利なのである、それほど遠いともならないからだ

道順としては桜田橋、鹿島区役所の脇の土手の道を下るところがある
ここを下って川沿いを行くと橋の下をくぐり鉄道の下をくぐり土手の道に上り
するとそこからは舗装された土手の道を走れば海に出る
海に出る新しい高い堤防からは阿武隈山脈の端の方に蔵王が見える、今は残雪でありきれいである、この蔵王が見えるのは鹿島区までである、結構大きく見えるが注意しないと見えないともなる

このサイクリングロードは走り安いし景観がいいからおすすめである

ただ知らない人は初めとかなるとち地理がわかりにくいのである
間違い安いのである、時間が限られているからゆっくり見れないということがある
それが問題なのである、やはりどうしても時間をかけてゆっくり見ないと記憶にも残らないのである、狭い町でも村でも見る場所があるが必ず急いでいるから見過ごしてしまうのである、第一最近蔵王が見えることがわかった、それは堤防が高くなったから見えたのである、だから堤防ができたりして景観も変わるのである
ただ風車とか海岸が狭くなったとかあり景色としては物足りない
砂浜にしても狭いからである、それにしても余りにも津波で変わってしまったのである
前の風景が全く失われてしまったからである

新しき道の通じて燕来る

菜の花の道や近くの人の常に行く

はや花は散りて菜の花の道を行く街の小さく人もまれなり

2022年05月05日

接続可能な社会とは(SDGs) (原発事故で問われたもの、豊穣の海と漁師の詩から―生業とは天職とは)


接続可能な社会とは(SDGs)

(原発事故で問われたもの、豊穣の海と漁師の詩から―生業とは天職とは)

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烏崎の港へ



豊穣の海と漁師

朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな



高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うには、彼らの到達したものは彼らの体と魂に結果を残すものではない限り
すべて彼らの身につかず、浪間に消える‐ホイットマン


どちらも基本的な意味は同じですが、「体」は純粋に肉体のことを表し、人間以外の生物にも使うことができます。
一方、「身体」は人間のみに使い、肉体だけではなく心も含めた心身のことを指します

たとえば、「身につく」などです。この言葉は体に何かがくっついているという意味ではなく、技能などを習得した、という意味ですよね。
https://gimon-sukkiri.jp/body-spirit/

現代の風景はこの辺だとと相馬市の松川浦でも大きな火力発電所あり最近はガスのタンクもある、港からガスを入れて遠くまでガスを配給する施設ができたからだ
浜通りは発電所が多い、それで原発も作られた、風景としてはみなとがり一応漁師がいて魚をとったりしているが風景としては発電所のウェエトが大きくそれが風景となっている港は小さいのである、その風景そのものが現代を如実に語っている
生活からすると魚をとって生活するとかそれはもう極一部のものである
特に福島県の浜通りは漁獲高が宮城県と比べれば十分の一くらいしかないのである
そしてそもそも第一次産業の農業とかでも十分の一くらいの生産量しかないのである
だから現実は農業とか漁業で仕事している人は意外と少ないのである
第一漁師の収入にしても魚をとるから得られれるより火力発電が建ちまた原発が建ち烏崎では補償金をもらった
それで航空運賃が50万とかしたときでもヨ−ロッパとか海外旅行に行っていた人がいたのに驚いた
漁業していただけではとてもそれがけの金はないのである
だから漁業でも農業でもしたくないとなっていたのである



それで現実にそういう人と逢わない、田舎にいてもそういう人は少数者であり現実の生活は会社員とか工場で働いている、東北電力の火力発電所でも千人働いていたとか
双葉大熊の原発はさらに多く働いていたとなるからそこが生活の糧となっていたとなる
それで事故後でもそうして原発で金になっていたから批判できないともなっていたのである、漁師の場合は船主だと事故前でも多額の補償金がすでにもらって原発御殿が建てられていた、それで漁師でない人は不満だったのである、事故後も手厚い補償をされたのは船主とか漁師である、だから立派な家を率先して建てたともなる
ただ津波の被害は本当に悲劇でありそのことは批判できない
でもそもそも漁業だけではない、第一次産業は農業でも漁業でも林業でも衰退して全体の生産量の一割にもみたなくなったのである

ただ不思議なのは依然として回りが田んぼだから田舎は農業で成立っているように見えるでも実際の経済はみんな会社員であり農業とか漁業している人は少数者である
特に漁業で生計を立てている人は前からごくわずかだったとなる
福島県の浜通りは海に面していても宮城県のように漁獲量が十分の一くらいだから前ら少なかったのである
ただそれでネットで魚がとれなくて生活が成り立たないから応援してくれというプログを見たことがある、やはり漁業は苦しいのだと見ていたのである
でも事故前でも補償金をもらっていたから船主とかは生活には困ることもなかったのである、ただ港があっても別にみんな魚をとることで生計をたてているわけではない、やはり松川浦とかなれば大きいから港の機能があるから船でも入って来たり火力発電所でもガスタンクが最近できたりとそっちの方の仕事がある、荷物も入ってくるから漁をする仕事よりそっちの方が仕事となっている

ただ事故後生業を返せ!

と裁判所に訴えた人たちがいる、この生業とは何なのか?
これはやはり第一次産業に従事する人達のことではないか?
それは自然の恵みで直接暮らしている人達だとなる、海で魚をとる、大地から実りをえる農民がいる、森から木材をとるキコリがいるとかそういう人達だろう
生業とは天職のことでもある、天から与えられた職業だとなる
何かむずかしいものではない、それは自然の中で自然から糧を得るとなればそれが生業であり天職となる、そういう仕事は今盛んに言われる

SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは

持続可能な社会とは、「地球環境や自然環境が適切に保全され、将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満たすような開発が行われている社会。」と言われています。

持続可能な社会とはもともと戦後辺りまでそういう社会だったのである
なぜなら戦前でも農民が八割という社会は当然そうなるのである
自然から直接実りを得て生活していたとなるからだ
そういう社会は接続可能な社会なのである、なぜ自然が死ぬことがない、途切れることなく実りをもたらしてくれるのか?
自然そのものが何万年であれ何億年であれ地球が生まれてから生物が生まれてから持続可能でなかったら継続されない、そこに生物の死があり生命は途絶えるのである
ただ恐竜などは環境に適合されず死に絶えた、だから必ずしも生命がすべて継続されるとは限らない、人間も恐竜のようになることもありえるのだ
それは核戦争とかで放射性物質の汚染でこの辺のように空気でも水でも土でも汚染されればそうなるのである
だから高度な文明はかえって自然を破壊して汚染して生物が人間でも住めなくなることがありうる、一時この辺はそうなったからである

いづれにしろ人間の存在価値とは何なのか?

それは人間の仕事から見ればわかりやすい、漁師とか農民とか職人でもキコリとか生業と言われるものは自然があり人間が存在してからあった、それは食料などか生きるには欠かせないからあったとなる、縄文人でも生きるために貝をとったり山菜をとったり海の幸から山の幸を得て暮らしていたからである
そういう仕事は人間が生まれた時からあったとなる、だから生業となる
そして自然の中で生きているから自然と一体となる、海でも大地でも森でも山と一体化して暮らしていた、そこで体も作られたのである
身が作られたのである、からだは殻の意味であり死んだ人の屍とされる、からだは魂がぬけた抜け殻とされていた、でも身には心があり身につくとは仕事を通じて心も身に着くとなる、身につくとは魂が身に着くということでもある
本来の仕事とはそういうものである、でも一方で人間には仕事は職業として業ともなる
カルマともなる、そういう仕事もまた多いのである
何か武器を作るとか戦争を仕事とした兵隊もいる、今なら警官とかでもそうした業として仕事がある、ただ医者にしても何か必ず業を持つ、なぜなら人間がみんな犯罪を犯さない病気にならないとなれば戦争もないとなればそうした仕事は必要ないからである
そういう職業があること自体が問題でありない方がいいのである

とにかく現代文明社会は無数の業なる仕事が増えたともなる、本来の仕事が生業とか天職がなくなり人間はホイットマンの詩のように讃歌されないものとなった
それは東京とかの大都会を見ればわかる、そこで何か讃歌されるものがあるのかとなる
そこに自然はない、ただ人工的空間でビルの狭間で人は呻吟しているだけだとなる
そこにあるのは群衆であり大衆でありただ数として数えられるだけの存在でありそこに
人間を讃歌するものがあるのかとなる、ただ巨大なビルを仰いで人間は卑小化する
蟻のようになっているのだ、だから奇妙なのは人間の価値を存在感を見れば縄文人の方が人間の価値を具現化していたともなってしまうのである
その大都会から生まれるのは何か、宗教にしてもカルトであり政治は大衆を相手にするからナチス的なものになる、宗教はもともと清浄な自然から生まれたものだというときそれが全く無いからである、ただ数を誇り権力化しているだけである
そこに讃歌すべき人間はいないのである、むしろ機械が代わりとなり機械が讃歌されるとまでなる、人間はただ無意味なもの無価値なものただ数として権力化する存在になる

でも大都会に住む人が現代人のエリートであり田舎に住んでいる人達は金にもならないとか無価値に無意味にされている、田舎のインフラでも都会の人が税金を出して維持するとかなる、これもまた現代文明の矛盾である、それで田舎でも明治時代でも炭焼きしていた山の人は都会の人に頼らない自立しているとして誇っていたのである
何も都会の人が税金を払うこともないからである
ただエネルギー問題にしても今世界から石油でもガスでも石炭でも輸入するから外国に頼っていて自立していないとなる、そのエネルギー問題が大きい生存にかかわるものとなる風景として海岸に風力発電の風車があり火力発電所があり原発があったことでもわかる
そっちの方が大事な産業であり原発事故前ならそこで働く科学者が技術者が神官ともなっていたのである、この地を支配する者となっていたのである
それが原発事故で一挙に崩壊したのである、持続継続されないものとなったのである、


ゲーテ「漁師」(ドイツ詩100選を訳してみる 2)

お日さまも お月さまも
海の中でお休みになって
波を吸い込み 二倍も美しいお顔になって
戻ってくるではありませんか。
底深い楽園が 神秘的にうるおう青色が
あなたの心を誘いませんか?

https://note.com/lulu_hiyokono/n/nd4dbeb11f14f

お日様もお月さま自然の中でこそ映えるということでうまい詩である
とても都会ではお日さまも月も映えないのである、死んでしまうのである

posted by 天華 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

Mystery Island


Mystery Island

mysteryisland.jpg

valcanoisland11122.jpg
これは原画より迫力がある、でも著作違反になるだろう
ただならないものがある、原画がわからなくなるものはならない

This is a variation of the original drawing.
The changed image is more powerful.
However, it is a copyright infringement because it is an alteration of the original.
But I wonder if this is also a creative work.

abstractwater444.jpg

comlexflowwater.jpg

complexing and flowing water

2022年05月04日

沖縄の人と話して水不足で困ると聞く (いろいろ不便があっても原発事故は住めなくなったから最悪だった)


沖縄の人と話して水不足で困ると聞く

(いろいろ不便があっても原発事故は住めなくなったから最悪だった)

離島の水事情とは・・・?台風の恩恵も。

この辺は地震の被害でボランティア団体が来ている、国際学生ボランティアとかもきていた、DRTは一番早く来た、これは結構規模が大きい、重機とかもってきたしプレハブも建てて本格的である
その一人が沖縄の人だった、聞いて見たら沖縄は水不足で苦しんでいる
それを実感として言うからわかる、私も沖縄の波照間島とかに行ったら井戸が枯れていたそこに人が住んでいたが住まなくなった
沖縄では島では水の問題が大きいと思った、もともと水は欠かせないものだからどこでも水の問題は大きい、山に暮らす棚田でも山の上だから水がたりなくなると放送があった
山だから水があると思ったがそうではない、やはり川のような大きな水源がないと田んぼでも維持できない、平地では山から水が流れてくるからいい、それでも平地でもやはり水争いがあった、村でも水の奪い合いがあった

沖縄ではただ雨が豊富であり台風も来るから水をためるタンクを常設している
それでも水不足には苦労する
それで米もあまりとれない、米は本土から買うともなる、それで本土の米は米だけでもうまいと言っていた
何か安い米しか買えないからそう言っていた
新潟県の棚田では冬は深い雪に埋もれる、その雪にも効果があり棚田で作る米はうまいとしている,新潟県の米は水がいいからうまい
この辺では山の方の村は水がいいのでうまいとされていて買っていた
何でも水の影響が大きいのである、ただそこは土砂崩れで苦しんできた場所である
土の質の影響でそうなっている
そして鯉ともともと食料として養殖していたが錦鯉を作るようになりそれが人気となった自然条件が悪くても常にプラスとマイナスがあるのが自然を基に生活する人間にある
だから悪い事ばかりではない、雪の恩恵もある

ともかく人間を社会を知る時、実感を得ることが大事である
それでちょっとでも地元の人と話すとその話すことから実感として感じるものがある
本とかではわからない、テレビの放送とかでもわからない人から直接の実感を感じることがある、それで柳田国男は土地の人から話を良く聞いて文書より口で伝えられた口碑を大事にして民俗学を起こしたのである
本当にその土地のことは別に学者でなくてもその土地で生きている人がわかるのである
地理と風土とかはそうなる、そこに住んでみないとわからない
風を感じることでもそうである、その土地にどういう風が吹くのかわからないのだ

そのために知床観光船では北西の風が危険だというときそうだった
原発事故では3月頃になると海から東風が吹きそのために放射性物質の塊りが飯館村の
山の方に流れて被害が一番大きい不運があった
海の方は原発の煙突が見える浪江では本当にひくかったからである、0・5マイクロシーベルトだった、海側がみんな低いものだったのである
もともと科学技術でも風土の影響を受ける、その土地の風土を良く知らないと科学技術でも何でもできない、人間は自然に制限されて生きるものだからである
その自然の制限を越えることはできないのである
それを越えようとした時災いが生まれるようになっている
おそらくコロナウィルスもそうである、ウィルスは元来風土病とかでありある土地から生まれる、もしそうした場所に踏み入らなければウィルスは移らない
その土地にとどまっている、でも自然でもずかずかと人間は入り自然を壊してきた
そこでウィルスも今度はグロ−バル化した交通が発達したことで世界に一気に拡散したのである

とにかく人間の生活はその自然に制約されている、でも制約されていてもその中で生き延びる術を発見して生は継続されてきたのである
棚田の暮らしもそうであり島での暮らしでもそうである、そこは不便でもやはり人間が営々と暮らして生きれる場所としてあった、でもそういう場所が現代だと限界集落とかなり人々が住めない土地として放棄されるようになる
とてもこんな不便な所に住めないと言うがでも江戸時代から戦前でもそういう場所に人間の生は継続されていたのである
結局原発事故ではそうしした継続された生活が遮断されて途切れて村や町自体が住めない町や村になってしまったのである
一次産業が農業でも漁業でも林業でも衰退する、そして農業などするなと親に殴られたという人が原発で働いていたが故郷にも住めなくなったのである

江戸時代から戦前までも長い間、故郷であれ不便でも貧乏でも人間は住むことができた
でも原発事故は住めなくしたのである、だからこれは何だったのか?
住めなくなるということは最悪てある、いくら貧乏でも苦しくてもそこに住みつづけることが生きることである、そして一代だけではない、代々住みつづけることができる場所であることが基本としてある、確かに水不足とか気候の影響があって住めないとういことも起きて来る、でも江戸時代から戦前までも人間は生を受け継いできたのである
だから原発事故前でもまた他でも農業では生活できないからやめる、そして村は放棄されるとなる、それは何なのだろうとなる

もちろん農業は戦前でも過酷であり貧困に苦しんできた、農業だけでは苦しいからつづけられないとういことがあった、でも不思議なのはそうあっても生活が継続されてきたのである、千年であれ継続されてきたのである
でも現代だともう継続できない、農業では漁業でもやっていけないとなり原発に頼ったのである、他でも農業以外にこそ生きる道があるとして人々が科学技術であれ別な産業に頼った、でも千年でも一応その場で住むことはできた、その糧は少ないにしろ与えられていた、でも現代になると様々なことで住んでいられないとなった
燃料でも石油であり電気が不可欠でありとかガスなしでは生きられないとかなった

でも不思議なのは戦後十年は炭が燃料でありほとんど身近にあるもので一応生活していた住めなくなるということはなかったのである
とても住めないからと他に移り住むということもなかったのである
なにがそこにが納得できないとなる、山村とかは住めないとして捨てられる、千年とか住み続けた場所が捨てられる、それが理解できないのである
例えば相馬藩だと越中とかの人々が危険を犯して藩を脱出して相馬藩に移住したのは
ただ土地が与えられるとういことでそうなった、相馬藩では飢饉になり三分の一の人口が減った、その穴埋めとして移民を奨励してそうなったのである
これも今からすると何で苦しい農業をするためにわざわざ命がけで苦労して移住するのかとみる、でも農業社会では土地が一番大事だからそうなった
土地が与えられるということでそうなった、日本が満州を得たいというときも広大な土地が手に入るからであった、そこは寒冷地帯でも日本人は米を作ろうとしていた
それはその時農業社会だからそうなっていたのである、つまり農業で必要なのは第一に土地だからである、小作だと土地を持てないから貧乏だったとなる、土地が最大の価値となっているからそうなったのである

いづれにしろ住めなくなるとういことが人間にとって最悪ではないか?

いろいろあっても何とかここで住んでいけるとなれば我慢できる、でも住めなくなるということは最悪である、空気とか水でも土でも放射性物質に汚染されて食糧をも作れないとなると住めないとなる、でも現代では別に金があればどこでも移り住むことがてきるということで人々は代々住んだ故郷でも捨てたとなる
ウクライナのように国が戦場になったら住めない、だから最悪なのである
でも原発事故でもそういうことが起きたのである
ウクライナの人はキーウ(キエフ)の近くのチェルノブエリ原発で事故がありそこから避難した人があり今度は戦争で日本に避難した人もいる
要するに戦争は最悪であり原発事故でも住めなくなることが最悪だったのである
それで大熊だったか蝋燭でもいいから家族一緒に住めるだけでいいと言う人がいたのである、とにかく住めることが第一だからである、昔のような炭の暮らしでも一応住めるのだからがまんできるとなる、原発事故の罪深さはここにあったのである

SDGsとは「Sustainable Development Goals

 サステナブル(Sustainable)は、sustain(持続する)とable(〜できる)からなる言葉。. 「持続可能な」「ずっと続けていける」という意味があります。.

最近このことが良く言われる、このことが原発事故で証明された、もう住めなくなり持続可能もなにもなくなったからである、このことが最悪だったのである




posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年05月03日

金を誰に渡すかが問題 (地域に金を回すことを考えるーでも広域化グロ−バル化社会では不可能)


金を誰に渡すかが問題

(地域に金を回すことを考えるーでも広域化グロ−バル化社会では不可能)

「書店の消滅」と「女性の労働問題」が根本でつながっている理由

近所の書店で購入すれば、お金はその書店に流れる。他の選択肢を選べば、そのサイトを運営する会社に流れていく。

 日用品でも洋服でもなんでも、インターネットで購入したほうが安くて便利なことは多い。しかし、使ったお金は自分の暮らす地域には流れずに、外に流れていく。人口減で苦しんでいる地方経済はますます不景気になり、シャッター街が増えていく。


金を誰に渡すのか?何か買う時、誰から買うのか、誰に金をわたすのかなど今考えない
スーパーに買い物してその金を誰にわたすのか?誰が受け取るのなど考えないだろう
たいがい金は個人より会社が受け取るとなる、特定の個人は通はいない
戦後の小商店とかだとそこを経営しているのは個人でありその人に渡っていると感じた
商品を買えばそれう売っている個人に誰かに特定の人に金を渡っていると感じる
そこに人と人のつながりを感じる社会である

ただこれも今は社会が変わりすぎたのである、まず商品の量が昔の社会からすると戦後でも膨大に増えたのである,グローバル化でも世界から商品が入ってくるから増えすぎたのである、するともう誰かに金を渡すとかそこに個人の介入する余地がなくなったのであるまず本にしてもインタ−ネットで古本も入れるとその数は書店に並べるのと桁違いとかではない、天文学的数字になっている、書店に置ける本は百万分の一とかかもしれない
それくらいしか書店には置けない、それならアマゾンでも古本で自分を集めていたら書店にもるなと思った、自分なりの書庫を作ればいいと思った
そして書店にはメリットがない、本好きな人などいない、ただ物として売っているだけである、それがこれまで成立っていたのは書店は何か知的なものの窓口としてあったからだともなる、第一自分の家には一冊の本も置いてなかった

教科書だけで勉強するほかない、そうなると書店とかは貴重な存在になっていた
だから本を出す人も特別の人であり本を出すだけで著名人になる
でもまたどうしても本を買うというときむずかしい本は読む人少ない
でも書店に置くだけでくだらない本でも売れたのである
「冠婚葬祭」という本が百万部売れたことがありベストセラーになった本は百万部とか売れた、それが別に内容がいいとかではない、書店に置けて宣伝すると本は売れたのであるそれだけ知的刺激を本から受けていたしその他はなかったからである
そして書店の店員であれ書店の経営者であれ知的なこと本の内容など知らなくても売れていたのである

例えば大工でも職人でもスキルを持っている、だからそれを自慢するがわかる
では本屋の主人が何か本の内容を知っているかとなるとないのである
もちろん知識が膨大だから通じることもむずかしい、でも東京の古本屋街とかではその本の内容を説明できる人がいたりする
でも普通の書店ではいないのである、いづれにしろ前は本を置いているだけで売れたのである、なぜなら書店でしか本は買えないからである
それで自分は一週間に一回仙台市に行っていたのは本を買うためだったのである
近くの本屋には専門的な本などないからである
だから本を買えないということで知識を得るには相当なハンディキャップが田舎ではあったのである

今なら本を買うだけではない、本は簡単とはいかないまでも電子本でもネットでもいくらでも出せる、金にはならないにしても発信できる
youtubeのようなものでも個人でテレビ局さえもてる時代なのである
この差が余りにも大きすぎる、書店には実際は本は置いていなかったともなるのである
置かれない本が膨大にあったが置けるのはその百万分の一とかまでにもなっていたのである

いづれにしろ誰に金を渡すかなど今は意識しないしできない社会である
人など関係なく膨大な物が流通している、そこにいちいち誰に渡すかなど意識できない
それでマルクスは商品を考察して人間疎外とかを言うようになった
金を誰に渡すかなど意識している人はいないしできない、ただ金のやりとりしかそこにはなくなったのでなしる

ただ金を渡すということが誰なのか、田舎だと小さい地域社会だと意識するのである
私は自転車が好きだし使うから結構高い物でも買った、だから自転車屋と親しくなる
しかしここの一万くらいの町では一軒しかないのである
それでもヤマハの委託の店になっているから30万以上の電動自転車を買った
それは本当にいいものだとして常に言っている、でもそれが買えたのはヤマハと直接の販売店なっているから買えた、電動自転車は壊れたりすると直せないのである
それで困っているのは電動の折り畳み自転車を買おうしているがヤマハでは出していないのである、今は外国製のものも相当数入っている、でも田舎でぱ修理とかできないから
買えないので困っているのである
その自転車屋は一軒しかないのだから貴重である、そこで買いたいとなるのが買えないのである、金をその人に渡したいができないということがある


いづれにしろ一万の田舎でも今や隣は何をする人ぞになっている、何の仕事をして生活が成り立っているのかわからないのである
戦後まもなくだったらたいがい何をしている人なのかわかっていたのである
社会が見える社会だったのである、今は見えない社会である、あの人何をして生活が成り立っているのだろうとなる
ただ自転車屋とか大工とか農業しているとかはわかりやすかったのである
買う品物でも金を誰に渡すのか見えていた社会である、この金はあの人に渡っていると意識する、通販とかなるとその金はアマゾンに渡りアメリカに金が集められているのかとも見る、それがグロ−バル社会である
そこに個々人が介在する余地がないのである
ところが誰かに金を渡すということを意識することは人間的だとなる
その人がどういう状態だとか見える、実は病気でありそれでも仕事をして頑張っているとかなると応援したいとなる、金を渡す相手のことを狭い社会だとわかるからである
これが広域社会とかグロ−バル化社会になれば地球の裏側から品物が入ってきて買っても誰に金を渡すかなど考えることもできない、想像すらできないのである
でもバナナ一つにしても結構そこで仕事した人が苦しいと報告があった
でもそんなことを意識して買う人などいない、安くていい商品だから買うとしかないのである

ともかく今は田舎で社会が変わりすぎたのである、グロ−バル化の中に田舎でも組み入れられている、通信では特にそうである、通信の発達で知識が膨大に増えたのである
でも確かに誰に金をわたすとかを意識するのは悪いことではない
あの人に金をわたせば地域でも豊かになるとか意識することは悪いことではない
でもそれが現代ではできない、商品が増えすぎたのである
世界から自転車でも入ればそこにいいものがありそれが買いたいとなる

でも田舎では電動自転車になると買えないとなる、そこに依然として東京とか地方とかさらに田舎の差があると思った
それで自転車にしても私の町の隣の市は大きいから自転車屋が五六軒あるにしても買うことさえ断れることがあった、つまり常に一つの自分の店で買いということにもなる
そうでないものは売らないともなっているのだ、そこは何かそうして田舎の閉鎖性があった、俺の店からだけ買えば売ってやるという感じなのである

ただ自転車は必ず壊れる、修理することが不可欠である、それでエンジン部分をそっくり取り換えたことがあった、こういうことがあるから電動自転車となると買えないのである
おそらく誰かに金を渡すかを意識しろというとき小さな地域では人間的つながりが大事だということがある、それもグロ−バル化で広域経済社会で喪失したとなる
だからどうして原発事故で避難区域になったところが一挙に若い人達が移住して老人だけの街になり廃墟化したようになったのか?
それは人と人のつながりがなくなったことが原因としてあったとも考察した
それで絶えず「絆」を言われたのは外部の人達であり外部との絆であった
内部では絆が必ずしもない、補償金でもめて分断されていたのである
これも広域社会でありグロ−バル経済社会で起きたことなのである
外部との絆が言われたがそれなら外部に人が流出するということにもなる
内部の絆は消失して外部との絆で日常的に生活しているからそうなったのかとも見たのである

いづれにしろ誰かに金を渡すということを意識する社会は消失している
そこに介在するのは人ではない、金であり金というときどうしても外部から外国からでも入ってくるものを金で買うとなる、それが人と人のつながりより金がすべての社会にもなったのである、それでマルクスは商品から考察して人間疎外論を理論化したのである
結局それは商品の数が膨大なものとなったからである
それは本でもそうである、余りにもその数の種類の差が天文学的なものとなるほど差が大きすぎるのである、自転車でも外国製を入れると種類が多い、でも田舎では電動自転車は修理できないとなり買えないからそこが東京とかとは違っていたのである

ここで考察していることは人間と人間がつながる社会である、誰に金を渡すかとか意識するのはそうである
でもそういう社会は田舎ですら喪失している、通販とかなれば金は誰に渡っているかなど意識できないからである
それはアメリカの人達に渡っているのかとなる、小さな村社会とかなると人と人のつながりが優先される
でも現代のような膨大な商品が流通する社会では人と人のつながりは無視されて商品だけが流通する社会になる
それで人間疎外とかマルクスが考察したのである、でもそれを変えることは今となるとできない
それだけ世界経済としてグロ−バル化して経済でも金でも回っているからである
だから道徳無き経済ともなっている、経済が金がすべてであり優位になる社会なのである
でも実際はグロ−バル化しても人と人がつながる協同する社会ともならなかったのである
第一次世界大戦があり第二次世界大戦があり数千万単位で人が死に今度はウクライナ戦争のように核戦争になるまでの恐怖になった、つまりグロ−バリゼーションは世界平和を推進するともならなかった
その反動としてかえって国々との対立を深めるとういこともあった、負の作用も大きいものだったのである
グロ−バリゼーションの悪い面が顕著になったのも確かなのである
posted by 天華 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題