-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=QmW3y1q_Hyc
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オリンピアの競技場、春の花が咲いていた
オリンピアの神殿跡の石柱
アテネのローマ神殿ーアーチが特徴的
デルフィの競技場
観客席の石の座席は立派であり残っている
古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされている。オリンピアはゼウス神の聖地であり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされる
勝者には勝利の枝(この枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。
競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合いは固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。
マケドニア王国の人々は、国政が都市国家でない上に辺境に住んでいたため、ギリシア人であるにも関わらず古代オリンピックに参加していなかった。しかし、アレクサンドロス1世は自らの先祖をヘーラクレースと主張し、結果としてギリシア人であると認められ、紀元前6〜5世紀頃から古代オリンピックに参加できるようになった[3]。後にピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利した際には、フィリペイオンというイオニア式のトロスが献納されている。アレクサンドロス大王がアレクサンドロスと名付けられたのも、ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に彼が生まれたので、それを記念し、マケドニア王で初めて古代オリンピックに参加したアレクサンドロス1世から名を取ったという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされている。オリンピアはゼウス神の聖地であり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされる
勝者には勝利の枝(この枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。
競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合いは固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。
マケドニア王国の人々は、国政が都市国家でない上に辺境に住んでいたため、ギリシア人であるにも関わらず古代オリンピックに参加していなかった。しかし、アレクサンドロス1世は自らの先祖をヘーラクレースと主張し、結果としてギリシア人であると認められ、紀元前6〜5世紀頃から古代オリンピックに参加できるようになった[3]。後にピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利した際には、フィリペイオンというイオニア式のトロスが献納されている。アレクサンドロス大王がアレクサンドロスと名付けられたのも、ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に彼が生まれたので、それを記念し、マケドニア王で初めて古代オリンピックに参加したアレクサンドロス1世から名を取ったという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある
こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である。勝者はエーリスのコロイボスであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある
こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である。勝者はエーリスのコロイボスであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
エリスはアテナイ(アテネ)やスパルタに比べてはるかに弱小で、しかも発展の遅れた国であった。だが逆に、大国の意向に左右されず、政治的に中立を保ったということが、かえってオリンピア祭の威信を高める要因になったのである。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00061.html
エリスはアテナイ(アテネ)やスパルタに比べてはるかに弱小で、しかも発展の遅れた国であった。だが逆に、大国の意向に左右されず、政治的に中立を保ったということが、かえってオリンピア祭の威信を高める要因になったのである。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00061.html
オリンピアに行ったけどそこで不思議だったのはやたら神殿の柱となった石の台とか柱の跡が多いのである、それを見ただけでここに壮麗な神殿が建築物があったとイメージできる、体育館などもあったというからオリッピアというと田舎町なのに立派な建物があったそして競技場とかなるとまるで学校の運動会場より狭いのである
こんな狭い所で競争していたのかと意外だった、こういうことはなかなか写真を見ただけではわからないのである
それを見ている観客にしても学校の運動会より少ないともなる
そして回りは田舎であり田園が広がっていたのである
場所はここで説明しているような所だった
古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、
今日本でコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピックが行われている、それが伝染病と関係していたとなるとこれも歴史は繰り返すカルマだとなる、ただ競技会に人が集まれば実際は伝染病はかえって蔓延する、でも当時はそういうことを知らないから
再開したとなる
でも観客が20万とか集まったというのもわかりにくい、20万も田舎町に集まったのかただこの辺の野馬追い祭りでも祭りとなる予想外の人たちが集まる
その場所のエリスが政治的中立の場所だった、それがオリッピックを栄えさせたものになった、戦争が絶えない時代だからこそそこに意味があった
そこは平和的中立の場所、スイスのような場所だったのである
とにかくヨ−ロッパとかなると古いのである、紀元前8世紀から始まったというのもそうである、貨幣が流通してすでにすべてが金だとか嘆いていたのも紀元前7世紀とかであるだからその石の観客席の座席が当時のままに残っている
ヨ−ロッパの遺跡はローマにしても石だから今でも残っている、すると歴史を明確に意識するのである、日本だと木だからそういうふうに紀元前とかなると意識できない
何か歴史を意識するときこのように古くなると何か物として残っていないと意識しにくいのである、ローマ帝国の道は今でも残っているし意識する
ギリシャとなるとさらに古いのである
だからオリンピアが田舎でありその競技場は春の花に彩られていたのである
ギリシャ神話がこうして自然が豊かな時代に生まれたのである
ギリシャが魅力があるのはそうした自然がありそこで繰り広げられた人間の物語があり
神話となり魅せられるとなる
そこでヘルダーリンとかバイロンとかギリシャを讃歌する詩人がいたり哲学でも科学でも彫刻でもギリシャが基になっいるのがヨ−ロッパだとなる
何かそこに詩になるもの物語になるもの美になるものがありそうなった
ただ小規模であり田舎の田園の中でオリッピックが行われていた、それがローマのコロッセオとかなると巨大な残酷なショーと化したのである、その相違も大きい
ただギリシャでも時間がたつにつれて神聖な神へのゼウスへの奉納として始まった祭りが堕落して金銭とか賞目当てになった
ただその始まりが人間は何でも神と深くかかわり始められていたのである
日本でも相撲は神への奉納として始まっていた
またマヤ文明とかでも走る競争が行われていてそれも神への奉納だったのである
信じられないことは走る競争で一番になったものは犠牲として殺され神に捧げられた
これも信じられないが神に殺されて捧げられるとしたら一番になりたくないとなるが
実際はそれでも一番になるために必死に走り名誉となり神にその体は捧げられたとなる
神が喜ぶのはこうして若い健康な者であり老体ではないとしてそうなったのである
そういうことは聖書でも「若きうちに神を知れ」と通じているものがあるし神は若者を愛すとかいうのもそうである
人間はやはり若いこと健康なこと価値があり神もそこに価値を認めていたのである
でもどうしても一番になったら神にその体も奉納される、犠牲として捧げられるということが理解できないのである
またオリッピックにはマケドニアは参加できなかった、でも世界征服に向かったアレキサンダーの名が実はオリッピックに由来していたのも興味深い
アレキサンダーにしても紀元前三世紀の人物なのである
こうしてエジプトであれ聖書の歴史であれギリシャでもインドでもその歴史が古いのである
こうしてオリッピックでもどうしてはじまったのか、その起源が何であったのかたずねるとオリッピックの意義を知ることになるが近代オリッピックはまたギリシャのオリッピックとは別なものとして始まったのである
そしてやはりギリシャでも金が欲しいとか賞が欲しいとして堕落したように今のオリッピックはまさにそれと同じであり世界的なものになっても世界的に放送して金儲けすることが目的化したのである
確かに観るスポーツと自らするスポーツは根本的に違う、批判されるのは観るスポーツとなりそれが金儲けのために利用されるようになったことである
それは世界的に同時にテレビ放送されることで普及したのである
つまりメデアの力が大きくなりオリッピックを世界的ショーとして見世物としてアメリカのNBAとかが一兆円もの放映権を払うとかなったのである
それはあくまで世界的ショーとして見せてそれで金儲けしたいだけである
世界的規模にグロ−バル化するとその金も莫大なものになる
そしてどうししてもアメリカとか中国とか大国が優先されるものとなる
政治的に利用されるとなる、だからアスリートにも選手もスパイ活動していたとまでなっていたのがオリッピックなのである
オリンピアに人々は集い競技に熱中する
そのオリンピアは田舎である
まわりは田園であり
訪ねて見れば小さな運動所であった
そこには春の花が咲き縁どられていた
そこは陰惨なコロッセオの闘技場とは違う
穏やかな田園で競技は行われていた
だから勝者にはオリーブの冠をまた花飾りを
そこにただ殺し合いの戦争を休み
人間的な場となり記念となった