各人各様の異常性はなぜ生れたか?
(家庭環境の影響が大きい―社会も異常化する)
何か自分自身が異常性に気づいたのは家族が認知症になってからである
姉は看護婦として勤めていたし役所にも長く勤めていた
だから社会人でも正常であり異常とはとても思えなかった
ただ認知症になったのは病気のためだったと見ていた
でも今ふりかえると精神の異常というより何か偏った性格があった
常に自分は優秀だと言い、他者を馬鹿にする傾向があった
その異常性に気づいたのは認知症になってからだが実際はその前に偏った性格があった
自分は常に優秀だといいそれが死ぬ間際まで「俺は優秀だ」こう言って息をひきとった
認知症になって馬鹿になったのだがそういう言って死んだから悲惨だった
姉は何か普通のしとやかな女性とは違う、まず男で相手をにらみ堂々と向き合う
そして全然男でも恐れないのである、男の方が恐れていたのである
もの凄く勝気な女性だったとなる
それはいい面に働けば男のように家を切り盛りできたとなる
やり手の社長とかにもなれたと思う
それで父が十代で死んだとき父親のようになっていたのである
だからその異常性に気づかなかったのである
ただ人間の性格は必ずかたよる、その偏ることが異常性となる
母はおとなしい内気の性格だった、それは自分と似ている、ただそれも異常なものがあった、確かに前の夫も結婚しているし社会生活を普通にしている
でも何か社会性に欠けていた、社会のことが人間の交際がどういうものかわからない
ただ店をしていてそこでずっと仕事をしていた
だから母と遊んだ記憶がない、一日中仕事に追われていたからだ
そうさせたのは家の事情があってそうなった、そもそもそういうふうに仕事に追われていたのは今のように電化されていないから家事でも忙しいからである
洗濯するにもごしごし石鹸で洗ったりご飯をたくにも竈だったとか江戸時代の生活でもあったからだ、たから当時の女性は暇なく働いていたのである
それで花などいらないとしていたからこれも異常化していた
ただ何か社会性がなく内気でありとても家を切り盛りできる人ではなかった
金持ちだったら深窓の娘とかなっていただろう
一時はそうなっていた、家が裕福だったからである、でもそれは幼児の時でありすぐに会社経営に失敗して一家離散になった
それで苦労の連続となった
悲惨だったのは継母が入ってきていじめられたことである
弁当を作って残したら俺が本当の母親ではないから食べられないのかと言われて投げられた、そして泣いていた、その継母も異常なほど気の強い女性だったのである
その人もなんらか性格の偏りがあり異常性があった
そして最後は大学病院で解剖されて骨だけが帰ってきた
それを引き取ったの母である
その前に養老院に入っていたが何か異常化した、同室の人に嫌われていて妄想となった
眼が見えなくなり何か助けを求めた、そこで母が見に行っていたのである
そして「悪かったな」と母に言って死んだのである
最後は骨となり帰ってきたときそこに人間の厳粛なものを感じた
いくらそうして後悔しても過去はもどらないからだ
母にしても花いらないというとき貧乏生活が長く何かそうして花をめでる余裕がないことでそういう偏屈な性格になったのは同情できる
もう一人は母親が三人変わった女性である、その変わった理由が継母がきてその息子の嫁とうまくいかない、あまりにも気丈夫なので嫁と合わない、それで息子の嫁は外に出たのである、それは5歳の時である、5歳までは育てられたのである
でもその妻は家を出て他の人と再婚した、その人は裕福だった
だから楽だった、ところが認知症になり世話するものがいず再婚した息子がいて財産争いになった、5歳の時娘を放置して出て行った母親であるが実の母親であり財産をもらう権利があった、ただ本人は認知症になっていたから悲惨である
金を欲しいだけでありなんら母とも見ていないからである
これも最後は悲惨な結果になった
育ての親は「ひどい娘だわ」と自分に言い残して死んだ、幸い介護されることもなくあっけなく死んだから良かった
第一その娘には介護などできなからである、病気の時でも捨てたのだからできない
ただなぜそうなったのかそのことが理解できない、何か貧乏で苦しんだこともない、三人母親がいても良くされたからである
その娘はまた異常化していた、それもは信じられない異常な人に変わっていた
なんら情ももたない、冷酷な人になっていた
ただその娘は別に結婚しているし子供も二人も成長している、大学も出ている
だから外から見たらいい家族だとなる
でもその異常性に気づいたのは私の家にきて「おばちゃんは金があるだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去ったことである
何もしてくれとも言わないのにそうだった
つまりその女性は冷酷な情もない人に変わっていたのである
ただ私の家とか自分自身のカルマでそうなった面もあるからいちがいに批判はできない
でもなぜそんな信じられない人間になったのかそれが理解できない
その育った環境がそうしたのだろうか?
夫が何かやさ男でやけににたにたしてふがいないものを感じたからその夫の影響でそうなったのか?
何か女性は嫁いだりするとその夫とか家の影響を大きく受けるからなのかとなる
この人はもうとても正常の感覚から相当にはずれている
ただ本人はそういうことに気づいていない
概してどんな人であれ自分の異常性に気づかないのである
でもどこかでその異常性は現れて苦しめられるとなる
そういう自分自身もそうだった、第一30年間も引きこもりとして生活していたことが異常だったのである、またそういうことができたことも異常だったのである
普通だったら家族で許さないだろう、でも自分は何かそのことで責められることなかっただから仕事もせずしたいことをしていたのである
そのことで社会性がなくなり自分も異常化していたのである
そのことに気づかせられたのは家族を介護するようになってからである
介護では引きこもりでも社会とかかわるからである
つまり人間は各人各様に異常が生まれる、ただ異常と正常の差が何なのかもわからないのである
意外と自分の異常性に気づかないのである
その人は技術者として勤めていたときと優秀だった、でも自分で事業を起こして経営者になったときおかしくなった
その家庭自体を事業主になるとまきこむ、またその人は何か養子ではないがそれと似たような感じになっていた、娘と母親の家でありその家風に染まったのかとなる
まずその家はケチなのである、何か絶対に損したくないという感覚である
せこいのである、その原因はあまりにも貧乏を経験した結果そうなった
そこには同情すべきものがある、自分の母親も貧乏だったからとにかく無駄をしたくないのである、だから花などいらないとなったのである
そこの家は何かケチでこりかたまっている、別に損しろときいうまでもなく他人のために箱一つでも持ちあけたくないのである
その前に金をくれとなる、金をもらってからでないと何もしないとなる
そういうケチくさい人が商売するとどうなるのか?
それ相応の金は払う、でもその前にその人は他人のために何かしたくない
ただ成功した経営者と優秀だとして認められることでありそれを目的として事業をはじめたのである
第一自分が苦しんでいる時、借金していたのだから相手の苦しみなど考える余裕もないのである
つまりそういう人に仕事を頼むだろうか?
商売でもただ自分だけが得しようとすることは成り立たないし失敗する
そもそも人が困っている時何もしたくない人が事業などできるものだろうか?
何か人のためにやるのが事業だろう、そういう気持ちが全くない人が事業ができるのか?事業がわからないにしてもそういう家族が成功するのだろうかとなる
それで事業する人は商売人の娘を嫁にしろというときそういう家庭で育つ人だと商売のことが暮らしの中でわかるからだろうとなる
ともかくその人は人に与えたくない、与えてもらいたいとなる人だったのである
だから介護で苦しんでいても金にならないからしないとなる
でも金は自分は払ったのである
いづれにしろこうして家族にも他から来た人にも苦しめられたのが自分であった
そこで人間の悪質性を嫌というほど知ったのである
ただそれも自分自身のカルマだったとなるから相手を批判ばかりはしていられないということも確かだったのである
この人も異常化したのは事業に手を出したからである、会社に勤めていたら別に優秀な技術者として終わっていたのある
ある大工さんも異常に優秀なことにこだわる、本当に他の大工さんより腕はいいし優秀なのである、それがわかるにしても俺はお前より優秀だとマウントして気分よくしている
何か俺が勝ったとか自慢している、それは大工さんとしてまた庭作りもできるから優秀なのことはわかる、でもそれでも一部分で優秀なのである
だからこうして異常に優秀さにこだわる人がいる、それも問題と思う
ただこの異常性を追求ててゆくとそれが個々人でも家族だけの問題ではない、社会自体の異常性がある、現代社会は複雑であり社会自体が異常化する
ナチスも精神病理学の対象であり社会の異常性が作り出したのである
カルト教団とかでもそうである、オウムでもそうだし何らか宗教団体は本来の宗教とは関係ない、精神病理として現れた現象なのである
創価などでもそうである、そこも精神病理学の対象でありナチスとかとも共通したものがある、精神病理学というとき現代社会が病んでいるということである
個々人でも個々の家族でもそうだが社会自体が狂気と異常をはらんでいる
それが爆発したのがナチスでありオウムとかなる、またカルト教団でもそうである
何ら本来の宗教とは関係ない、精神病理学の対象なのである
それが病的なものだからいつかナチスのように社会を席巻して狂気に向かわせることが怖いのである
それが怖いのは個々人なら家族ならそこでとどめられる
そういう狂気の団体は社会をまきこみ大混乱におとしいれられる、現代の戦争は集団的狂気ともなるからだ
ともかく人間はかたより異常化する、第一あることに優秀だとしてもそれは一部分のことである、でもその一部分で優秀でも異常に優秀さにこだわる
そういう専門的なことで優秀なことはある、現代は専門家の時代である
その専門家とは偏った人のことである、だから異常性が社会の中で現れる
40万人がコロナウィルスで死ぬと言った学者もそうである
何か突飛なことを真面目に言うのである、こういうことは専門家時代になるとその専門意外のことは関係なく専門にこだわりすぎてそうなる
それで武田邦彦氏は機械とか物を研究する人間は頭が冷たくなると言っている
それは何か人間の情的なものが失われてしまいあたたかみが失われるからだろう
科学者にはそういう人が多いかもしれない、理系だとそうなりやすいかもしれない
その対象が物であり機械だからそうなりやすいとなる
でも牛馬でも相手にしているとそこに情が生まれる、相手が血の通った動物だからであるそれで馬と結婚した娘の伝説とか語られる、動物でも人間化する
でも機械だとそうはならないのである、ロボットだと情は通わない
知、情、意というとき情が喪失してしまったのが現代にもなる
結局社会が狂っているという時、この現代文明社会を全部理解できる人などいないからである、いくらある部分に専門家になっても社会全体ではそれはほんの一部だから偏るからそうなる、人間は文明社会で全体を生きることができなくなっている
そこでこうした偏った人が生まれてくる、法律を駆使する弁護士でもそうである
そうして理論にこだわると何か異常化している、専門馬鹿にもなる
つまり現代は全人格として成長して形成することが不可能なのである
だから部分化して専門化してかたよったものになりそれが異常性を産むのである