2021年03月31日

霞と海と桜花 (世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


霞と海と桜花

(世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


亡き女(ひと)の霞の中に面影やなお消えずして愛は通いぬ

愛らしくむつむ山鳩や里は霞みぬなごみけるかな

梅散りてなおにおいこく桜咲き装いあらた錦なす里

苦しみを耐えてこそあれ春は来ぬ霞に映える桜花かな

苦しくも生きてあれこそ春めぐるその喜びに神の国見ゆ

日本にそ生きてあれこそいづこにも桜の咲きて装いにけり

船通ふ海の展けて桜咲く朝の光りに山より望む
                                               
敷島の大和に生きて海開け朝の光に桜咲き満つ

川の面の朝日に光り鶯の鳴きて桜咲き山は霞みぬ

ふるさとも春の錦やよみがえる悲しみこえてここに生きなむ


今年の春のテーマは霞である、その年により感じるものが違うのである
日本の詩歌とかみるともう俳句で表現するのは無理に思える、短かすぎるからである
ただ不思議なのは短歌はまだ活きる、それは長いから表現できるとなる
俳句だともう感情的なことは表現できない、だから写生になる
短歌も実は私はアララギ派であり写生を基本にしている
でもどうしても短歌は感情的なものが入ってくるし表現できるのである

春の霞のなかに何かほのぼのとして亡き女が浮かんでくるともなる
というのは自分はなにか特別家族に恵まれたからである
複雑でも二人の母親がいたともなるからだ
何か争っていても自分にとっては二人の母親に恵まれたともなる
それもなかなか他者には理解できないがそのことで私は特別な想いを親にもつようになった

ただそれが介護になり死んで地獄と化したのである
この世の非情と冷酷さを一身に浴びることになった
来たのは地獄人間だったのである、悪鬼のごとき人間だった、だから人間はつくづく恐ろしいと思った、人間は弱者化するとそれをいいことに責めてくる
そして他者の苦しみは蜜の味となる、田舎だと特にそうなるのである
ただ現代は金だけの世界となり全般的にそうである

地獄という時、それが人間が地獄を作りだしているのである
自然は地獄を作りだすというわではない、確かに自然災害があり津浪でも空恐ろしい地獄が現出した、だから自然も地獄を作りだすとなる
でも何か自然には悪意があってそうしているのではない
つまり科学的に見れば別に自然に悪意はない、自然の法則がありそうしているだけだとなる、人間を苦しめてやろうとなどしていないのである

でも人間は悪意があり欲があり人を苦しめる、地獄人間となる
そして人間の作りだした地獄の方が自然災害より怖い、戦争で三百万人死んだとか原爆だとか原発事故でもそうである
ただ自然災害でもウィルスとかなるペストがあり病気があり最悪になった
人間の地獄はまた病気にもあったのだ、どれだけ病気に苦しめられてきたかそれは今も継続している、老後はいくら金をもっていても病気になって寝たきりになったら何にもならないとなるからだ

いづれにしろ人間が地獄を作り出す、借金している人は地獄人間と化す、もう相手のことを人間とも見ない、借金が理由で犯罪者になるのは普通だからである
そんな人が来たのも最悪だった、こうして自分は最悪の苦しみを受けたのである
人間の欲とは本当は実に恐ろしいものなのである
人間は金によって欲によって変質するからである
そして平気で人を殺すともなるからだ

人間の恐ろしさはエゴにある、他人はもう人間でもない、ただ利用するだけのものにもなる、今なら金のために人間があるのであり金にならないならもう人として扱えないとなる非情の世の中である、そういう地獄がこの世の現実だとなる
人間は非情化して外道化して獣化している
それこそ地獄化している、そういう人の中に生きているこそ地獄なのである

ただ救われているのはそういう世界でも春が来れば自然が装い美がありそこが今度は逆に神の国を想わるのである
そういう美がなかったらただ獣が徘徊する地獄に住むことになる
そんな世界に耐えられなくなる

ともかく本当にここ十年くらいは地獄を見た、その前にも見たが人間の恐ろしさは人の皮をかぶった獣だということである
その中身はただ欲でありエゴなのである、だからこの世が滅ぼされても不思議ではない
それで霞の中に隠された村があるということが平和なのである
人間の暮らしは隠されるべきだったということである
それは人間自体が醜いし人間が作るものも醜いからである、それは大都会とか東京を見ればわかる、そこに自然がないから美がないのである 

世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶 

この世はまさにこうである、地獄の中にも桜が咲いているということである
地獄に美があるから救われているのだ、だから生きることもてきるのである
その美があふれているのが春だとなる
日本は今桜によそわれてどこも美しいのである、それを見れば日本に生れて良かったなとなる


2021年03月30日

霞む山に桜は満開 (今年の桜は早く咲き散るー真野川の岸の桜)


霞む山に桜は満開

(今年の桜は早く咲き散る―真野川の岸の桜)

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万葉ふれあいセンター

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みちのくや桜満開霞むかな

みちのくの山の霞みて籠もるかな

春霞山のかなたに隠さる村

我が町やたずぬ人あれ霞むかな

我が町のなべかんむり山霞むかな

東風吹いて山は霞みぬ浜通り

蕗の薹あまたや街見ゆ丘の上

タンポポの隙間いで咲く力かな

家の主春ゆうたりと一人かな

人は逢い人は別れぬ霞かな


我が町の丘を染めにし桜かな山の霞て遠く連なる

今年はや満開の桜映えにしも散るも早しも霞けるかな

月満ちて桜満開早きかな散れる花びらここに見ゆかな

人の世の時の過ぎゆく早しかな花の咲きしも霞てはや散る

面影の霞て消ゆや時すぎぬ人ははかなく逝きて帰らじ


今年は桜が咲くのが早かった、すでに満開であり夜見たら花びらが散っていた
桜が満開になったらもう散るを予感する
それが桜なのである、だから今年は桜が散るのが早い、だいたい普通はみちのくだと10日頃に咲いていた、10日も早いと相当早く感じる
その速さがまた時間が早くすぎて老人だと何かさらに時間が過ぎてゆくのが早いと感じてしまうのである

桜の咲く季節でも毎年違った天候になる、今年は霞む、まさに春の季節で水蒸気が多くなり霞む、桜の時期はこれまで私はほとんど旅していたのである
だから桜前線を稚内まで旅していた、そこでは6月でも桜が咲いていたのである
それは北限の地だった、また桜の季節は青春18切符で瀬戸内海まで行き韓国の慶州にも渡って桜を見たのである、韓国の古都の慶州には桜が咲いていたのである
そういう旅をしてきたのが自分だった、でも遂に介護になり十年間は旅していない
旅ができなくなった、今でもしていない、旅もいつか終わるということである

でもこれだけ旅したら満足だとなる、それでもヒマラヤとかをもっと見たいと思ったができなくなった、だから見るべきものを見てないなと損である
ヒマラヤに十回も昇った人を知っているからだ、それだけ魅力がある場所だったのである
今年の桜は霞のなかでみる桜である、家族もみんな死んで何か家族すら遠い存在となってゆく、霞んでゆくとなる、それだけ人が逢うとか一緒に60年暮らしても死んでしまえばその面影も思い出も定かでなくなる
つまり霞んでゆくのである、それだけ人間も年以上一緒にいても忘れやすいとうことである、人間ほど忘れやすいものはいない、時間が忘れるためにあるとも思う
津波の被害が生々しくてもそれすら時間の経過の中で夢の様な出来事として忘れられてゆくのである、ただ原発事故だと放射線の被害がありそれが残っているから忘れられないとなる

ただ人間は霞むとき何か醜いものが隠される、飯館村などは山脈のかなたにあるとか隠されていたとき美しい村だったとなる
何か人間は必ず醜いものがある、でも霞の中に隠されるとそれが見えないからいいのである、要するに人間は醜いから隠されるべきだとなる
第一大都会など東京など見るのも嫌だとなる、隠されて見えない方がいいとなる

浜通りは海から春になると東風(こち)が吹く、そして阿武隈山脈は霞んでいる
この東風が飯館村から福島市に吹いて放射線の被害を大きくしたのである
もし時期がはせずれていたら北風が吹いて海に放射性物質は流れてそれほどの被害にならなかったかもしれない、これも不運だったのである

この町のなべかんむりやまは本当に鍋の形をしている
この名前にしても不思議なのである、これは古代からつけられた名前なのか?
なぜなら近江の方になべかんむり祭りとかあるからだ、これも不思議なのである
鉄生産とかかわって近江から実際に工人がきて往き来していたことがあるからそこから名付けられたのとなる、そんな古い由来があるのかというもの謎である
あの山はこの辺を象徴する山である
ただ山としてはこの辺は高い山がないのでものたりないのである

いづれにしろ今年の桜は早い、そして早く散る、たちまち桜の時期は終わることになる

若菜つむ 野邊の霞ぞ あはれなる 昔を遠く 隔つと思へば 西行

若菜つむとは春が来て新しく出てきた若菜をつむ、しかし野辺は霞んでいる
それは時が移り若菜とは何かすでに新しい生活が始まっている
死んだ人も遠くなり新しい人との生活が始まっている
すると死んだ人は遠くなり忘れられてゆく、それが人生である、人の世である

これに通じているのが

草の戸も住みかはる代ぞ雛 (ひな) の家 芭蕉

となる、何か老人になると若い人とか少年とかみると不思議になる
そんな若い人がいるのかとなる、孫でもそうなる、人の世とは常にこうして変転してゆく常なきものなのである、無常の世なのである
変わらないものはないのだ、日々変わっているし年々変わっている
それが世の中である、とにかくこの辺は津波と原発事故で本当にがらりと変わってしまった、風景まで喪失して変わってしまったのである
だから逆に石とか木とか山とか変わらないものを求めるということがある
変わらないことで心の安定を得るのである
桜もまたすぐに散るから不安定だからである、静心なく花の散るらむ・・となるからだ

桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)


桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)

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朝桜六号線を走り来ぬ

次々に芽吹く樹々かな六号線

走り来る蕗の薹あまた六号線

公園に婦人と話す花の影

窓によりそ朧月見ゆ思案かな

雲いでて満月光る桜かな

原町に昔をかたる花の影樹々も古りにし公園なるかな

昨日は原町に行った、そこで原町の道の駅の公園で休んだ
あそこは道の駅があり人も来るから休む場所としていい
婦人がいて昔を語った、無線塔があるところが花時計になっている
でもあそこにあったというのがもうイメージできない
それほど変わってしまったのである
ただその女性はここで子供の頃遠足に来たとか無線塔があったことを知っている
そもそも無線塔自体知っている人は相当な年になっているのだ
航行に通っていたとき確かにあった、でも40年以上前に壊された
何かあの無線塔はその時大正時代に最新式の技術で建てられたものである
それは関東大震災をアメリカに伝えたとういことで有名になった
私の母は関東大震災を揺れを感じて知っていた

信じられないのは高校に通った時、原町だったがまだ蒸気機関車だった
それが信じられないのである、そんなものが走っていて乗っていたということが信じられないのである、私は学校が苦手であり思い出したくない、今は自由に電車に乗って楽しみだからいいが学校に通うのが嫌だったのである
とにかく何かこうしてもう遠い昔になることが不思議なのである
本当にそんなことがあったのかということになる
そうして世の中はあまりにも変わってしまうことである

最初は原町は旧街道の宿場町だった、そこで原町村があった、でも今の様な街はなく
雲雀が原があり原っぱであり原町になった
それで一騎だけ野馬追に出ていたのである、宿場町がありあとは田畑だったとなる
それから原ノ町駅ができて駅前通りになり今の街ができた
駅前通りは街になった、でも今度は車社会になると道の駅が中心になり駅前通りから六号線の方が新しい街になった
こうして常に町の新旧が生まれる、だから狭い地域でも常に古町と新町が生まれる
今は道の駅から新しい街が生まれる、それで復興でも飯館村だと道の駅から復興した
浪江町だと新しく先日できた道の駅から復興してゆく
鉄道の駅ではないのである、鉄道は今や交通の要ではないからである

昨日は窓を見たら朧月であり満月だった、何かこの時期雲がでて霞みやすいから朧月になる、今日も本当に春霞だった

ともかく六号線が主要な交通になるとき道の駅が中心に新しい街が形成される
私は一週間に一回は原町に必ず買い物とかで行っている
原町は8キロくらいだかさら近いから行きやすい、相馬市はその倍あるのでなかなか行けない、そしてあそこの公園がいいのである
つまり公園でも街なかにある公園は行きやすいから活きているとなる
夜の森公園になると場所がいいにしても離れていて孤立している感じになる
だから人の往来がないと公園でも利用しないとなるのだ

今日は真野川沿いを桜の写真をとった、何か早い桜の開花だった、すでに満開であり花もわずかだが散ったから今年の桜は早く咲き散る
次はその写真と俳句短歌を出すことになる

2021年03月29日

飯館村の国の詩 (飯館村の復興)


飯館村の国の詩 (飯館村の復興)

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高原のさわやかな大気
生業にいそしむ者よ
拓かれし田畑の実り
里の味、凍み大根

厳かに樹々の列
樅の樹は直ぐに立つ
荘重なる森の深しも
神殿のごとし

塩の道松川浦より
山中に入り運ばれぬ
その道のり遠しも
馬とともに働く昔

助の観音に我は休みぬ
椿の咲きて一時安らぐ
ここに助けと泊まるや
故にその名のあり

塩の道去年(こぞ)の落葉にうもれ
山中に一すじ通じぬ
沢沿いの道馬と来て危し
その細道伝い来ぬ

新たに樅の木の若木の育つ
ここに直ぐにして育つべし
蝶々の喜びに乱れ舞い
寒き山中に春は来ぬ

耐えてこそ喜びの日は来る
林に石は寄り添い春の日さしぬ
今ここに共にありしを喜ぶ
ここは我らの国なり

我らは貧しくともここに生き
ここに死して安らぐ
我らのかけがのない地なり
まことの国のここにあり

大石は牛のごとく動かず
ここに住みつき蕗の薹
樹々は芽吹き風にゆれる
この地に我らの国なり

我らはここに生き死ぬ
ここに生きて生は全うされる
他の地にあらざるべし
こここそ我らの命なり

外に出て国を失う者よ
そは心充たされじも
金のみにて人は充たされじも
心はここにありここにとどまる

栄華はなく貧しくも
神は美しく装いたもう
真の日と美のここにあれ
この国に生きてこの国に死す

草に埋もれてうなだれ咲く野の花
神はその村をかくしたまいぬ
その時ここに平和のありしも
森につつまれ村は隠されぬ

しかし今残れる空家を見れば悲しも
ここにかつての暮らし生業はあり
なほ枯芒に埋もれて人は住まず
春はここには来たらじ人は国を去る

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飯館村が浜通りとかの市や町とも違っている、そこが森に囲まれて広いということもあるただ日本では国(くに)というとき山に囲まれた地域だった、そこ国のまほろばになる
海に面しているのとは違う、だから奈良が一つの国となり大和の起源になった

ヤマトタケルの望郷の歌

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし

命の またけむ人は たたみこも 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね

国(くに)というとき今の国家とは違う、自然と一体化したアイディンティティ化したのが国であり行政的な今の感覚の国とは違うのである
お国言葉の訛りとかがありまたその国は自然がありそこに帰りたいとなる

久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む

久慈川がありそこが我が故郷であり帰りたいとなる
だから東京とか大都会になるとそこが故郷として国として意識できない
ただ何か国というときこうして日本では山に囲まれた場所が国として意識されたのであるそれで飯館村が山に囲まれていて森に囲まれていてそこが国にふさわしいとなる
とにかく飯館村の特徴は広いことなのである、だから6000人が住んでいたとしてもそこに街というものが草野にあってもそれも街とも言えない、広い地域に人家が分散して森につつまれて生活していた、だから貧しくても住いをみれば贅沢だと見ていたのである

命の またけむ人は たたみこも 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

命のまたけむ人は・・・・またけむとは全うするとなる、国という全体の中に生きることに人間の価値があるともなる、人間は部分として職業でも生きても命を全うできないということなのだ、国があって命が全うできるとなる

熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

未来はその国の力は熊白檮(くまかし)が葉にあり森に囲まれた自然の中にあるとなる
それは原始的心性だったとなる
現代だと全くそういうことはない、その子は子供たちはたいがい都会に育ち自然と分離した中で生きているからだ、また田舎でも現実は自然を肌で知るより様々な都会的なものの中で生きているからだ、工業社会になると当然全体がそうなってゆく
だからこそ今は科学技術社会であり原発が未来だったのである

その飯館村でも戦後まもなく戦争の引揚者が開墾に入り住んだ、それで一万人以上も住んでいた時があったのだ、なぜそんなに人が住めたのか不思議だとなる
戦後引揚者は職がなくそういう場所でも住まざるをえなかったのである
まず木戸木などは飯館村でも辺鄙な場所でありあんな場所に良く住んだなと思う
田畑にする平の場所はわずかであり何で暮らしたのかとなる
おそらく林業とかあり炭焼きとかあり暮らしたともなる
炭焼きは木材が豊富だから山で暮らすことができたのである
だから山村が豊かではないにしろそこで生活する術がありえた
かえって平地より山の幸がありえてそれだけの人口を養っていたしそれは江戸時代でもそうなのである、飢饉の時山に逃れろというのも山には何かしら食料となるものがあったからそう言われていたのである

そして原発事故で人は住まなくなった、新しい家があっても人は住んでいないのである
その新しい家の前にばあちゃんがいた、春の日がさしていた、その人も福島市の方に住んでいて我が家に来てなつかしんでいる
でも実際は住んでいないのである
だから飯館村に原発事故以後何が起きているのか?それが良くわからないし不思議だとなる
要するにもともと住んでいた人は住んでいないのである、第一村長自体が住んでいない
わずかの生徒は村外から通っていて飯館村には住んでいないのである
そうなると飯館村の住人といえるのかともなる
村が空洞化したのである、でも建物だけは立派なのである、ただそれを活かす人間が住んでいないとなる、果たして別荘のようにして新しい家があるけどそこは人は住んでいないのである、するとそこは何になるのだろうとなる

軽井沢のような別荘なら金持ちが住む場所であり理解できる、でも飯館村がそんな金持ちとなりただ別荘として利用する、そんな村でありえるのかという疑問である
現実に飯館村では住民がいなくなったから外から人を移住させようとしている
それで今度の村長自体はここて育ったとしても離れて暮らしてきた人である
そのことが飯館村を象徴している、郵便配達していた年配の人も外から来た人だった
外部から入ってきた人が多い、百人くらい入ってきているという
ただその人たちも年配の人が多いからそういう人が村を維持させることができるのかともなる

ただ不思議なのはこうなると外部から入りやすい、もともとの人のしがらみもなく、その広い土地を自由に活かしてくださいとなるからだ
北海道のような開拓地のようにもなる、もともと住んでいた人たちはいなくなったのである
すると外部から入ってきた人たちが自由な発想新たな村作りをするともなる
村を担うものが外部の人達だともなってしまう
それは原発の避難区域になったところではそういうことが起きている
外部の力を頼むとなる、でも小高辺りではなじめなく若い人も去ったという
そこに取り残されたのは老人だけだともなる


ともかくあれだけ広い土地をどう活かすのかとなる、するとソーラーパネルとか今度は風力発電とかに空き地を利用するようになる、一部はなっている
すると昔の山村という感じでもなくなる、そこに生業はなくなっているからだ
見直されたことは人はその土地に住んでこそ生きる意義が見出される
住んでこそその土地の国の住人になる、住まなければよそ者のままである
だから飯館村のような場所だと住むことが前より価値があることになる
普通はこんなこと考えない、住むなど当たり前だとなりそこに特別の価値は生まれない
でも今の状態だと住むことが価値あることになる
もともとの住民がいなくなりそこに外部からの人たちが入り一から新しい村作りをするとなる、北海道の開拓者のようにもなる
だから外部の人たちの希望の地ともなる、それが北海道だったからである
新しい国作りが行われその創始者ともなる、そもそも国とかあってもそれは誰のものなのだろうとなる
その国に確かに死者も関係している、先祖も関係している、先祖の努力が苦労あって作られものだからである
だから何かこうして人間存在の根源的なものとして問われるようになったの不思議なである
ただ正直飯館村がどうなるのかとをなっているのか理解しにくいのである

震災後、村職員は村外出身者の採用が増え、その数は半数近くに上る。住民も「もう半分くらい知らな
い人だ」という。震災前、役場に行けば皆顔見知りで、何か行政区の困りごとを相談すると、各課の職員がわらわらと集まって話を聞いてくれていたという

「地域があるから人があるの?」「県があるから地域があるの?」「国があるから県があるの?」違う。逆でしょうって。人がいるから地域が生まれ、地域の仕事がたくさんあるから村になり町になり、そして県や国が成り立っているということなんじゃないの。過疎地だって、結局潰れないのは人がいてふるさとを支えているからでしょう?」

危機に立つ住民主体の村づくり
飯舘村における「復興」計画と「村民の復興」の乖離

こういう状況であり本当に人があって地域があり国があるともなる
人が住まなければ地域も国もないのである、だから住むことが第一になる
住まなければその土地が放射性物質の廃棄場になってもソーラーパネル工場のようになっても関心がくなる、人が住んでいれば嫌だとして反対する人がでてくる
例えば占有権というのがある、誰も住んでいない土地に住んだ人がその土地の所有者ともなる、つまりその土地に住んでいなければ権利を失うということである
だからもう外部の人がその土地の所有者になる、別荘として家もっていても権利がなくなるともなる、土地と家を持っていても住んでないなことが致命的になるからだ

だからこの指摘は鋭い、いくら立派な建物を作っても肝心のそれを利用する人が住んでいないからだ
そんな立派な建物がなくても人が集まる場所はありえる
だから住む人がいて村も成り立つけど住まないとしたらその人は村の住民にもならない
でも飯館村は放射線量が未だに高いのだから住めないとなる
だから農業とか林業ですら放射性物質に汚染されてむずかしいとなる
ただ確かなことは人が住まなければ復興はない、そしたら肝心の人が流出したのだから
復興はできないとなる、そうした矛盾と困難があり外部頼みとなったともなる
外から来る人にとってはかえって自分たち村作りの構想を作り自分たちの村を作るということでいいとなる、ただそれでも外部から来る人も年配の人が多いから村を継続できるのかという問題もある
とにかくあの広大な地域をどう活用するのかがその先が見えないのである

posted by 天華 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年03月28日

需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代 (オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代

(オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


金余りで金の行き場がなく株が上がっている、またコロナウィルスの不安で貯金が増えている、普通だったら資本主義は金が余っていれば投資とかにまわる、設備投資とかにまわる、何かを開発することにも回る
ただ金を貯えても全体的に経済は成長しないし停滞してゆく
でも成熟した資本主義になると金余りになりバブルにもなる
余った金が投資先がないとバブルになる、今絵画が高く買われている時そうである
そういうことが前にもあったからだ
それはあくまでも投資ではなく投機となる
投資とは何かを育てることである、会社を成長させることである
技術を開発したり何か社会に役立つもの社会の需要に答えることである

でも今需要がなくなっているというときオリンピックでもそうだけど実際は国民の大方は望んでいない、特にコロナウィルスでやるべきで無いと見ている
何か国民がオリンピックしたいということで盛り上がらないのである
東京オリンピックは日本が戦後立ち直ったということでそれを世界に示すことで盛り上がった、そういうものが今はない
またリニアでもそれが新幹線のようにこれも国民が必要としているのか疑問である
新幹線で十分でありもっと早くすればいいとかなる
つまりそれほど需要がないのである、するとそこに国家予算並み馬鹿高い金を使うのは
無駄だともなる
かつての公共事業でもそうである、それは地方に仕事を与えるものであり土建業者が必要としていたのであり国民がそうとはなっていなかった
オリンピックでもリニアでも一部の利権団体や会社が必要としている
オリンピックなら電通とか電波利権をもっている会社が必要としている
コロナウィルスでこれだけ開催が困難なのにあえてしようとしているのはそういう利権団体が要求するからだとなる

原発でもそれが本当に必要なのかどうかわからなかった、ただこれも必要なのかというより何かアメリカの意向とか背後に利権がありそのために金が入るものがあり推進された
それは地元でもあった、実際に官僚でも政治家でもマスコミでも利権とかかわるものが
原発だったから推進されてきたとなる
電気がたりないというのも真実ではなかった、ただ電気の需要があることは確かでも別に他のもので石炭でも石油でもガスでも賄えることがあった
そもそもそんな危険なものを作ることを国民が本当に望んだかどうかはわからないのである

この辺の除染にしてもこれは誰のためなのか?6兆円とかがつぎこまれたがその効果があったのかとなるとわからない、その金は地元に回らずゼネコンに回った
地元でも暴利をむさぼった土建会社が逮捕されたりした
利権になる金になるというときそこに人がむらがりその利権を得るためだけに行動する
それが現代の利権団体民主主義である、それが本当に必要なものかどうかは深く検討されなけいのである
高度成長時代は道でも建物でもなんでもインフラが整備されていないから需要があり国民が望んだことだからそれは無駄なものではなかった

でも今は何か需要がないのに需要があると作り出してそこに莫大な金がつぎこまれる
ソーラーパネルにしてもそうである、一か月千円も電気料が上がるのはソーラーパネルは別に市場の原理で作られていない、税金がうわのせされて作られている
だからかえってそれは高くつくし景観も破壊されている
これも国民が本当に望むもなのかどうかわからない、ただそこで仕事をもたらすから地元ではいいとなったりまた空いた土地が耕作放棄地が増えたからそこで土地を活かすということでしているともなる
その需要はそうした利権に金になるものが必要だともなる

何か現代社会は文明は無駄なものを作りだすのである、そのエネルギーが膨大なものになる、過剰化社会になる、情報でもそうである、もう日々負いきれない天文学的な情報がインタ−ネットでもありそれに追われる
でも人間はそんな莫大な情報を消化できないのである
ただ問題は需要があり供給がある、経済はそれで回っている
コロナウィルスでテレワークとなれば家に籠るとなればそれに対しての需要が増えたから売れるものがある
需要というのは時代の変化によって変わってゆく、何か異変があっても変わってゆく
高度成長時代はみんな貧しいしモノもないから膨大な重要が生まれ校と成長したのであるその時はみんな必要だから需要があり供給もあって高度成長時代を築いたのである

でも何かバブルから30年とか失われ時代があり需要と供給が変化した
必要ないもののために需要もないのに作り出して湯水のように金を使う
それは確かにケインズ理論があるからそれが必要なこともある
でも本当に必要なものがあり需要があるところに金が回らないということもある
アンダークラスが一千万人とかいる時代にはそういう人達は食べることにも事欠いているそして通信費は連絡のために必需品となりそこに金がかかるから食費を節約しているという、それから月末になると必ず電気、水道,ガスが止められる人が多いのである
一方で莫大な金が無駄なことに費やされていることがある
この辺で原発事故の補償金でももめたが30キロからはずれても同じ市内なら簡単にそうして金はまわせて争うこともなかったのである
そういうことが怨恨となって絆とかも内部ではなくなった
それは南相馬市だけではない、放射線量で区切って補償金を払ったから他でも骨肉の遺産争いのようになった

つまり今の世の中は肝心なことに金を使われない、モノ余りでも金余りでもそれがもうアンダークラスに回らない、その格差もさらに大きくなる
そうして国としての一体感もなくなってきている
それで犯罪も増えてきて治安も悪くなる、北朝鮮では貧困化して・・でも残酷な犯罪が頻発しているということもそうである
つまり今の需要はオリンピックとかリニアとかではない、原発でもなかった
なんらか最低辺層を押し上げる経済政策が必要だとなる、そこに一番需要かあるからだ

まずすべての技術開発も必要はない、空飛ぶ車なども必要ない、なぜなら空すら今のように車でも飛んで騒音となったり第一空を車が飛んでいたら落ち着かないだろう
それは明らかにまた公害にもなる、静かな環境を破壊するものとなる
つまりすべての技術開発は必要がない、何かすべて技術開発はバラ色の世界を作るとイメージさせる、それは実際は実現しないとしても実現するように妄想させるのが科学技術社会なのである
それで老子の思想に共鳴する、必要でないものを作りすぎることを2000年前に言っていたからである、鍬さえいらないともてたからである
その道具によって損なわれるものがあったからである、それはすでに2000年前に指摘されたことだったのである
そして無用の用を説いたこともそうである、無用の木の例えでもそうである
何か本当にただ無駄なことに莫大なエネルギー費やすだけならいい、それが公害となり人間を苦しめるものとなるから問題なのである


posted by 天華 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月26日

歌会始めが行われる (桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)


歌会始めが行われる

(桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)

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この衣服は美が演出されている 橙色が映えるように演出されている?

天皇陛下

人々の願ひと努力が実を結び平(たひ)らけき世の到(いた)るを祈る


平けき世を願うと天皇の御歌ひびきぬ花も咲きしも

御殿(みあらかに)歌会始めうち集い新たな芽吹き年は変わりぬ

御殿(みあらか)に天皇言祝ぐ花の咲き紫の屏風映えにけるかな

休みしし御殿の内天皇の平和を願ふ花の影かな


「やすみしし わご大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 荒栲(あらたへ)の 藤原がうへに 食(を)す国(くに)を 見(め)し給はむと 都宮(みあらか)は 高知らさむと 神(かむ)ながら 思ほすなべに 

みあらかの意味はあらわれる、あきらかにするとかでありその場が御殿(みあらか)になった
天皇とはすべる統治る人であるスメラギその意味である

歌会始めは一月に行われる行事だったがコロナウィルスで三月になった
でも皇居に桜がはやくも咲いていた、今年は桜の咲くのが早い東京ではすでに満開である皇居の行事は一つの日本の文化の継承の場である
だから歌会始めの歴史も古いのである
天皇があって日本の歴史があるごとく古いとなる

何か天皇家というのは日本の文化の継承者でありそれを担っている
それで映された映像を見ると背後の紫の屏風はまさに高貴なるものの色である
それからもしかしたら天皇と后の服の色は演出されているのかもしれない
ただあの赤は真っ赤とも違うこれも高貴な赤なのか?
橙色の一種なのか、二人の赤は違っている
でも色彩的に絵のように映えている、美が演出されているとも見る
つまり御殿(みあらか)にふさわしいものとして演出されたとも見る
あの御召し物の色は何か違っているからだ

とにかく短歌は日本古来の伝統の文化であり皇室と密接に結びついている
短歌は朗々と歌うものだった、それが歌会始めで再現される
俳句だと歌うということはないからだ
新しい天皇が即位したときも皇居に秋の虹がかかった
それも不思議だったし皇居は一つの日本的な美的な場としてある
ただこれも京都の方が歴史があるし映える
もともと江戸城内はそういう場ではなかったからである
だから天皇は京都に住むのがふさわしいのである
政治的象徴としてもあるが日本の文化的象徴としてもあるからそうなると京都がふさわしいのである

今や天皇制がつづくのかどうかが言われる、時代にあわないともなる
明治維新で天皇をもちあげて薩摩長州が官軍となり明治政府を作ったことである
靖国神社にしても薩摩長州の官軍を祭っているのであり西郷隆盛は祀られていない
会津でも祀られていない、賊軍になったからである
それがまた継続していて太平洋戦争で死んだ英霊を祭っている
これも何かそぐわないのである、日本が世界史に参入したのが明治以降である
そうなると日本の神が天皇が世界の普遍性と合わなかったのである
また元号でも意味あるとしても世界化グローバル化すると合わなくなる
何事も世界史の中で位置づけられ価値づけられる時代になったからである
ただ短歌を作っているとその総元締めは天皇家だともなる
私自身も短歌を作っているからそれで文化の継承として日本の伝統を受け継ぐ者としてあることを自覚するのである

でも時代が変わるということはさけられない
これまで戦前までは農業が中心となっているからお題でも

田家煙
田家雪
田家朝
漁村曙
農村新年  

農村のことをテーマにしていた、今ならそういうことはない、東京には第一田家など診ないからである、ビルと人家に埋め尽くされているからである
そこには田んぼも畑もないからである
天皇とはやがて日本の文化的象徴としては残るが政治的象徴としては消えてゆくのではないか?グロ−バル化したとき合わなくなったのである 
元号だって何か合わない、元号の意味が何か現代に合わないのである
たた美的なものとしては伝統としては残る
何か日本の絵巻物のような歴史を再現しているからである

歌とは訴えるの意味であり歌を通じて庶民でも訴えていたのである、それは万葉集の時代までであった
平安時代になると貴族の歌にな庶民の歌は消えた、訴えることがなくなったともなる
だから万葉集の意義は大きいとなるが古今集は貴族の歌を集めたモでありもうそこには階級化して庶民は訴えることもできなくなったということになる

posted by 天華 at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月25日

abstract flowers


abstract flowers

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Daphne odora



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japanese cherry brossoms

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Islamic abstract flower

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 kingdom of the sea

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蕗の薹、春風、紅梅(飯館村の春の塩の道を行く)


蕗の薹、春風、紅梅(飯館村の春の塩の道を行く)

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助の観音

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塩の道
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春が来ない廃屋 車が埋もれている

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あいの沢の水芭蕉

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栃窪の耕作放棄地








春日さし塩の道行く飯館へ

椿咲き助の観音に休むかな

春風の頂上に吹き峠越ゆ

春風の山のかなたより吹きて行く

春の日に斜面を上る山の雉

入り乱れ蝶の飛びかう山の道

山の道いぬふぐりにそ蕗の薹

木の根にも春の日さすや飯館村

大石やここに住みつき蕗の薹

春日さし寄りそう石の五つ六つ

飯館に石重なりて芽吹きかな

春は来ぬ廃屋一つ冬芒

紅梅の匂いて夕べ走り去る

紅梅の匂いの良しや夕べかな

山里や紅梅匂う夕べかな

美しく空地を充たすレンゲかな


紋様の違ふ三羽の蝶山路にそ交わり飛ぶや我は来にけり

塩の道殿様道も春の日や去年の落葉にうもれけるかな

飯館に飢饉のありぬ供養塔去年(こぞ)の落葉を踏みて見るかな

根づく木の根も露わにそ供養塔ここにありしも春の日さしぬ

春の日や家の前にそ媼いて我と語りぬ飯館の道

我が家の前にそあわれ媼いて村なつかしむ春の日さして


栃窪から塩の道をたどり飯館村まで行った、さらに高く登ってゆくと北から春の風が吹いてくる、普通浜通りでは春は東風(こち)で海から吹いてくる、山では北から吹いてくるこの道は久しぶりで通った、何か山頂の方に春風吹いて気持良かった
ただこの道は途中で大きく崖崩れがあって通れない、自転車でも通るのに難儀した

途中助の観音で休んだ
相馬市から塩を運んでここで泊まったということもあった
一日馬で来てこの辺で日が暮れたとなる
今来た道は新しい道であり塩の道は沢沿いを来て森の中に通じている
途中に馬繋ぎ木とかありいかにも馬がつながれて休んだ場所がしのばれる
ただそこを行くことは荒廃して難儀でありずっと行っていない
でも何か道が細く危険な場所である
だから牛転がしとか馬転がしとかの地名がつく、道が細く下を見ると谷間になっていて怖いのである

地名めぐり・町名めぐり
https://history.riok.net/chapter04_section04.html

助の観音で休んだ、そこに椿が咲いていた、そして塩の道がここから通じている、森の中に入る、そこに道が二つに分かれていた
殿様道というのがあったのだ、それは平民と殿様が通る道に分かれていたのだ
なぜそうしたのか?平民と殿様が合うとまずいということで二つの道を作ったのである
これも江戸時代の厳しい身分制の歴史を示している
その道は去年(こぞ)の落葉に埋もれていた、この塩の道をたどるのは今でも危険であり難儀である

そこからもまだ山の道はつづきようやく飯館村に出た
道の駅の後ろでばあちゃんがここは風が強いと言っていた、新しい家に住んでいる
でも家が少ないからまともに風を受ける、また標高が高いから風を受けやすいということである、ただ別に平地でも北風が吹くから風は受ける、ただ北風がここではまともに受けて寒いしここでしか感じられないものが気候には必ずある
飯館村は冬は寒いのである、それで宝暦の飢饉は悲惨なものになったのである
この寒い所で米をとることはかなりむずかしい地域だったからである

その後ろの道は塩の道だった、前に書いたが塩の道の宿だったという蔵ある家があった
その人は前の土地をもっていてその土地に新しい住宅が建てられたから金が入ったとされる、だから新しい家を建てた、ただそのばあちゃんは私は財産などなかったからたいして補償金もらえなかったとか言っていた
この補償金の差がまた大きいのである、だから必ず不満な人がででくる

その塩の道を行く隣に新しい家の前でばあちゃんが休んでいた
それで話しかけたら私は福島市に住んでいてここに時々来ている
ここは私の家です、でも住んではいないんです
今飯館村で誤解しやすいのは新しい家があるから人が住んでいるように見えるのである
てっきり住んでいると自分も思ったからだ
そのばあちゃんは車を持っていたが返納したという、そういう人が本当に多いのである

第一飯館村のような広い場所では車はもう必需品である
今はスーパーすらないのだから隣の川俣村に買い物に行くにもバスがでているとしても車がないと不便であり生活もできなくなる
そのばあちゃんは85にしては若く見えた、肌が若い、一方もう一人のばあちゃんは65なのにふけて見えた、85なのかとも見えた
何か年齢で60以降は計れない、若い人は若いし老ける人はふける
その差が大きいのである、
20才も差があるのに20歳上の人が若く見えたのである

飯館村では森の中に石がありその石を見る、いろいろな形があり石がよりそい春の日がさしてそれが人間に見えるのである
そこに住んでいる村人に見える
何ひか暇な老人が何人か集まる場がある、そのように人に見えるのである

ただ問題は何か飯館村でも建物は立派になっても人が住んでいないことが最大の問題なのである
いくら立派な建物を建てても活かすそこに住んでいる人間だからである
確かに外から来た人がかなりいる、大倉の方に郵便を配達ひてきた人は外部から移り住んだ人だった
でもまた移り住む人も老人が多い、となると未来の村を担う人がいなくなり将来どうなるのだろうとみる
時々新しい家があり昔をなつかしんで帰ってくるという光景も不思議なのである

そして飯館村で考えることは人は住むこと自体に大きな価値があるということである
こんなこと普通は意識しない、でも人が住まない町とか村になると住むこと自体が相当な価値あることになる
今まではそんなことを感じなかった、むしろこのような不便な村を出たいということがあった、そのために補償金をもらい若い世代は福島市などに流出した
逆にそうなったとき村に残り住む人はここで生きること住むこと自体新たな大きな価値を生むことになった
人間は住まない限りその村のその土地の一員となることはできない
時々なつかしんで住んでいた村に家に来てもその村の一員にはなれない、生活は別な街でしているからである

それで

大石のここに動かず蕗の薹

こんなふうになる、動かないここに住んで動かないということでその石も活きているとなるからだ、そしてここにも芽吹きがあり蕗の薹がでてくる
そして山菜料理をここで食べている時ここに住む価値がある
だから心とはココのことでありその生きている場所と一体化することなのである
だからこの辺ではありえないことが起きていろいなことを見直すことになったのである

なんとかまた飯館村の大倉にでて栃窪に出た、この時バッテリがきれていたから苦しくなった、でもバッテリー無しでもなんとか走れるから自転車はいいのである
バイクとかでも燃料がなくなれば走れないからである
ただこの電動自転車は楽に走れるので遠くまで行けるのである

栃窪村では紅梅が匂い夕べになっていた、その耕作放棄地にレンゲが咲いていた
自然は空虚になった場所をうめる、美てもって覆う、このレンゲが美なのである
それが自然の作用なのである、美があるから救われるのである
それで津波で八沢浦が入江になったときほど驚いたことはない
確かにそこでとがめられた、でも美しい入江になった、津浪でも闇黒をもたらしたが一部では美をもたらした、海岸地帯は湿地化して釧路湿原のようにもなったからである



posted by 天華 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年03月24日

沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径)


沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径

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姉と母の真ん中に自分がいる、その真ん中の花が自分なのである

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八沢浦の耕作放棄地ー屋形の裏





初蝶や沈丁花匂う庭に来る


春なれや一輪大なりガーベラを真中にさして他も映えにき

我が庭にスノーフレークかそか咲く誰が目にとむ我の眼にとむ

我が庭にエゾムラサキの今年また咲きにけるかな虫の飛び来る

裏山の森にさえづる春の鳥一羽ひびきてしずまりけるかな

ふるさとの隠されし道や我が来れば梅のにおうや生業の跡

白椿庭の裏にそ隠されて人に知られず咲き増えしかな


今日庭に初蝶を見た、この蝶の紋様がいい、これを庭で見るのはめずらしい
沈丁花が匂いそこにとまっていた、それでうまく写真がとれた
蝶とか鳥は写真にとりにくいすぐ飛んで消えるからである
鳥は一番写真をとるのがむずかしい
だから庭でこの写真をとれたのは貴重だとなる

それからエゾムラサキも咲いた、この花は毎年咲く、花は肥料でもやらないと咲かなくなるのがこの花が毎年咲いている,エゾとつくように北海道の花である

八沢浦の高台の山を歩いた、そしたらそこにも田んぼがあった、でも耕作されない田んぼとなっている、何か震災以後はこうして不便な場所にある田んぼとか畑とかは放置されるようになった、小さな田んぼでもそうである
もともとたいした収入にもならないからやめる人が多かった
特に高齢化で田畑を続けることだ出来なくなっている、それで全国的に耕作放棄地が増えたのである、日本の不思議は本当に田んぼが高台でも狭い土地でも田んぼにしていた
それだけ食料として欠かせないからそうなった

八沢浦となれば干拓して広い土地が田圃になったのだがもともとこうした狭い高台などでも田んぼにしていたのである
八沢浦とは八つの沢の浦であり今広く田んぼになっている所は海だったのである
入江となっていた、それが津波で入江になったときほど驚いことはなかった

ともかくふるさとでもまだ通らない道がある、これだけ隈なく行っていてもそうである
そこははじめて行った場所だったからである、細い道がいくらでもありそれがわからないからそうなる
やはり春になるとこうして自転車で回るのがいい、その自転車でもヤマハのYPJ=XCはタイヤも太いして悪路でも行けるマウンテンバイクだからいいのである
これだけは本当に役立っている

今日は飯館村の方に塩の道を通って行った、次は飯館村の春である


農業から考える資本主義 (現代で重要になったのは何でもノウハウである)


農業から考える資本主義

(現代で重要になったのは何でもノウハウである)

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資本主義とは何かとなるとこれも複雑だから理解することは難しい
これを農業を例にずると図のようになる
資本主義というからには資本が最も問題になる、資本がなければ何も始まらないからだ
でも資本という時いろいろある、土地はもちろん体が資本だよということもある
体が丈夫でないと資本にならない、それで農業では老人が多くなり継続できなくなる
その女性は土地を借りて農業をはじめた、まず土地という資本がなかったからだ
ただその借り賃は無料に近かった、今はいくらでも土地が余っている、耕作放棄地が膨大なものとなっているからだ、特にこの辺では震災以後、原発事故以後耕作放棄地が他より増えたからである

とにかく農業は土地がまず資本になる、土地がないと始められないのである
だから土地というものの価値が大きかった、戦前とかはそれで土地をもっている地主と土地を借りて働く小作がありその差が大きかった、土地をもたないものは資本がない者は
裕福にはなれなかった
農業が中心の社会では土地が大きな価値をもっていた、それでなぜ相馬藩で飢饉になり
越中の方から移民が来たのか?
三分の一の人口が減った、そこでやはり耕作放棄地とか荒地が増えた
そこにまた藩から出ることは禁止されていたのでもう命がけで脱出して相馬藩に入ってきた

その理由は何だったのか?

土地が無料で与えられるということだった

それだけ土地には価値があった、またなぜ満州とか寒い地域に日本は進出したのか?
それも広大な土地があるということでそこで農業をするためだったのである
そこで寒いのに北海道以上に寒い所で米まで作ろうとしていたのである
その時日本でも農民が多く農民は土地がないとできないからそうなった
資本主義が農本主義にもなっていたからである 

農業というのはまず土地という資本がないと始められない、でもそれだけではない、農業は労働力が必要である、その労働が農業の場合過酷であった、牛馬を使ったりしたがその労働はかなりきついから体が丈夫でないとできない、そこで価値あるものは力持ちだとなる、それで一人前に認められるのは力石とかありそれをもちあげることができる人とか一俵をかつげる人とかになる、それは女性でも力持ちが価値ある者と認められていた
この辺にある一石坂は一石の米を運べる女性がいて名付けられた
何か伝説でも力持ちはたたえられる者だったのである

また道具が農業に大きな影響があった、石の道具とか木の鍬とかと鉄の道具とでは大きな差があったからだ、それで鉄の道具になったとき鍬でも鎌でも生産力が格段に上がったのである、それで稲荷神社とは鋳成りのことであり鉄のことである
それだけ鉄は農業でも重宝されたのである
そして現代になると農業でも労働力が依然として必要でも重要でも機械とか道具が重要なものとなる、力仕事でも機械がすれば力かなくてもやれるからである
それより農業はノウハウが大事になってきた、どうしても育てる智慧が必要になる
肥料も必要になる、そうしたノウハウは農家だと代々伝えられるから有利である
もともと土地という資本もありノウハウも伝えられているから有利なのである

現代ではノウハウの方が大事になる、農業はノウハウがないとできない
それで市民農園でもノウハウを農業を教える人がいて成功したというのはそのためである土地が与えられても簡単にできないからである
資本主義というのは土地が資本とかあってもそれを活かすノウハウが技術がないとできない、そしてそのノウハウの比率が高くなったのが現代である
労働力があってもノウハウの方が大事になる、労働力は機械に道具にまかせる
でもノウハウは簡単に伝えられない、それで代々の農家の方が有利となる

ノウハウというとき私がしている抽象画がそうである
これは全く能力がなくてもしている、それはソフトの作用でできている
その使い方を知れば誰でもできるとなる
だから大量の抽象画を能力ではなく機械的に生産しているから大量生産できるのである
それは絵画の能力とあまり関係ないからである
現代では土地という資本をもっいるよりノウハウはか機械とか道具の方が大事になっている、それができれば商品化して売れるとなるからだ

いづれにしろ資本主義とは何なのか?
資本が基本だという時、資本とは土地でありまた労働力も資本である、あらゆるものが資本となる、その比重が機械道具とかノウハウに移行している
何かそれは成熟した資本主義になると今までのように土地だけ持っていてもそれで大地主とかなり裕福になれない、それを活かすものがないとなれない
ただ道路ができたとか土地が売れるとき金になる
では農業で利益になるかとなるとむずかしいのである
それで小農は成り立たなくなり大農であり今では企業が農業に参入して外国に売るとかなる、農業が今かえって有望な産業となり大企業とか商社とかがかかわってきている
農業がだめだというとき今までの小規模農業が駄目なのであり全体的に見た時農業は有望な産業となりつつある
日本ではそうした農業のノウハウの蓄積があり外国に売れる農産物を作れるとなっているからである 

現代で重要になったのはノウハウである、地銀でも役割りがなくなったというときでは新たなビジネスモデルを作るにしてもノウハウの蓄積がないからできないのである
これまでは金を集めれば借りる人が会社がいくらでもいて利子をつけてもうけることができた、今やそれができない、どうしたら会社を成長させて利子をもうけるのかとなると
相当にむずかしい仕事となりノウハウが必要になるからだ
現代の資本主義は土地とかの資本より労働力よりノウハウなのである
知識であり智慧が重要なものとなっている、それが今までの資本主義とは違ったものとなっている、それは土地とか具体的なものとしての資本とは違ってるし簡単にミニつかないからである

posted by 天華 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年03月23日

空気を売っている銀行 (地銀の危機と貨幣の謎)


空気を売っている銀行

(地銀の危機と貨幣の謎)

この本で空気を売っている銀行と言っている、読んではいないが盛んにyoutubeなどで
「信用創造」のことを言っている
銀行には金がなくても金を作り出すことができる、無から金を作り出せるというのが信用創造である
でもこれはわかりにくいのである、何にも手元にないのに金を貸せるのかということである
ただ数字だけを通帳に記せばそれが利子がついて返ってくる
一千万が二千万になって返ってくる、そんなことがありうるのか?
それで空気を売っていると言うのである

人間は何か手に取ったり目に見えたものを信用する、小判であれ黄金であれ銀であれ何かそこに手に取り目に見えるモノが価値あるとみる
でもデジタル社会になるとただ数字として記されているだけになる
もう紙幣すらない、数字として記載されたものが金であり紙幣だとなる

でも紙幣の貨幣の金の謎はそもそも何なのかとというとこれも
わかりにくいのである
なぜ紙切れに価値があるのか、紙きれには価値がない、だから今盛んに紙幣は紙くずになるとか言われる
それでみんな不安になる、実際はそれは紙に記された数字と同じようなものである
実際の価値は現物にあり紙幣にはない

だから紙幣の価値は使ってみてわかる、一千万自由に使っていいとなるとき欲しいものを買ってみるのだ、その買ったモノに価値があるとなる
モノでなくてもいろいろ価値あるものがあり金を使った時、その価値を知るのである

なぜ今銀行が危機になり地域でも価値がないとなってきたのか?
まず戦後の焼野原になったとき日本には何もなくなった
だからあらゆるものを再び作り出すことをしなければならなかった
一から始めなければならなかった
その時、何かを始めるにも金が必要だったのである
それで私の家で店を始める時、5万とかの金を用意できなかったのだ
銀行で貸してくれなかったのである
それで知人から借りてやっと店を始めることができた
その苦労話を親から聞かされた

その時代は何かみんな商売であり何でも新しく始めなければならなかった
その時金がない資本がないとできなかったのである
金さえあれば小さな店でも始めればたいがい繁盛した
物不足時代であり物を置けば売れた時代だったのである
商売始めるのにも簡単なものであり今のような設備はいらなかった
何か駄菓子屋のようなものから店が始まったのであく
私の家の場合は道路の角にあり繁盛した
なぜならその時車もない時であり歩いて用をたしている時代だったからである
すると近くの店屋で買い物していたからである

ともかくその時以来高度成長時代は金を借りたいという人が多く、何もないときだから必ず成長して利益をあげていたのである、だから銀行には金を借りる人がいくらでもくる
ただ金を集めていればいいだけである、だから楽な商売だった
貯金しても7パーセントとくらいの利子がついたときがあった
これも信じられない高利だったとなる、今は利子はマイナスまでになっているからだ 
その時大企業というのは少なく工場でも中小企業が多かった  
その中小企業の劣悪な環境で集団就職の中卒が油まみれで働いていたのである
その人たちも小資本ではじめたのである、銀行で金を貸してもやはり景気がいいから利子をもらえていた、つまり銀行はなんら努力も工夫もいらない商売だったのである
みんなから金さえ集めていれば良かったのである                          

いづれにしろ銀行が空気を売っているというとき時代の変化で用がないものとなった
社会から必要ないものとされるようになった、だから銀行はいらない、地銀はいらない、何のためにあるのかと問われている
空気を売っているだけではもう商売にならない、何か銀行の社会的価値を新たに作りださねばならなくなっている
それで今いろいろな試みが行われる、ただ銀行はただ金を集めて貸していれば良かったのでありそれ意外の企業を成長させるノウハウはかないのである
それと日本が経済成長しない貧困化している中で銀行の役割りはなくなったのである

銀行にあづけても利子はつかない、かえって手数料がとられる

銀行に金をあづけて安全なのか?

銀行は統廃合してつぶれるとか預金封鎖で金はとりあげられるとか・・・

こういう不安が銀行にあるということが様変わりしたのである
何か銀行というのは「信用創造」金を作り出している、空気を売っている
そんな商売が成り立つのかとなるからだ

銀行は貸金庫なのか?

銀行は証券会社なのか

銀行の役割りがなくなっている、貸金庫など誰でもできる、投資信託とか株なら証券会社がプロである、銀行にはそのプロがいない、そういう知識の蓄積もない
だから投資信託でも適当に売りつけているだけである
それで営業の人がいつもチャートを見て教えていたのにリーマンショックら株を元にもどして上がり気味の時その株をJ=REITに回したのである、そのJ-reitが今年の一月に暴落したのである
それを一月に売ったはその銀行の営業マンを信じられなくなったからである
また地銀でも信じられなくなったということもある
普通プロならチャートが上昇気味の時は売らないけどその株を売ってJ-reitに売ったのは自分のノルマと成績のためであり銀行の都合でもうけるためにしただけである
客のことは二の次なのである

ただそもそも株とか投資信託でも何でも金融商品は自己責任なのである
だから自分で責任をとれないものはやるなとなる
ただ投資信託などの仕組みは複雑で客を煙にまくだますために作った商品だともなる
それはアメリカのハーバード大学のエリートの証券会社に勤めた人がそのからくりを知って良心の呵責に耐えられずやめたというのもわかる
人間は複雑になると理解できなくなる、それは科学技術社会の中でどこでも起きている
専門家しかわからないとなり専門家が支配者となる

でもその専門家でも全部を理解している人はいない、フクシマ原発でも所長が復水器のことを知らなかった、肝心のことすら知らなかったのである
それは他の大企業の社長でも同じである、そうして複雑だから原子力のことなど核のことなどわからないから地元民など簡単にだませるともなった
でも科学技術者にしては「安全神話」を虚構のものを作ってだましていたから許せないのである

つまりいくら科学技術でもペテンと嘘がまかり通っていたのである
銀行でもそうである、投資信託の複雑さとか金融商品のわかりにくさで客をだましやすくなるからだ、だから知らない人はやるなとなる
いづれにしろ銀行は危機である、役割りがなくなっている
それで空気を売ってもうけているともなる、信用創造でありもしないものをあるとしてもうけているとなる
例えば千両箱に小判がつまっていると言うことはできる

でもその中身が石ころだったとなっている
例えその中に金があったとしてもほとんどは石ころだったとなる
そんなものでも小判が詰まって千両箱をもっているというのと同じである
銀行には金があるというけど小判があるというけど実際は石ころかもっていない
そしてそこから信用創造で金を作り出しているのは詐欺だとなる
ただそれはグロ−バル経済の中でそうなっている、日本だけがそうなっているわけではない、だから国際金融資本家が大元締めがそうしてありもしない紙幣を作り出して世界を支配していると言われる

つまりドルは暴落して本当に紙切れになるということがありうるのだ
そういうことが今起りつつあるのはアメリカの覇権の時代が終わりつつあるからである
アメリカはもう衰退してゆくからである、その過渡期にあり資本主義自体が崩壊の危機になっている、だからといって共産主義がいいというわけではない
共産主義でも自壊すると言われるのもそこに大きな問題がひそんでいるからである





posted by 天華 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す (そこは車が増えて接触事故が多い)


鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す

(そこは車が増えて接触事故が多い)


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小学校への地下道

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予定されていた道


すぐ近くの鹿島駅からの鹿島小学校へ行く踏切は狭く車が震災以後多くなり何回か接触事故を見たし自転車でぶつかるのもみた、やっとすれ違う幅しかないからだ
それで土木課の人が来てそこを見ていた
それで私は説明した

なぜすぐ近くにトンネルを造る工事をしたのに止めたのか?

そこは30年前とかこの辺か区画整理して住宅地とした場所だった、新しく家が建ちそれでまっすぐな道を作りトンネルを作る予定だったのである
でもそのトンネルは作られなかった、その理由はわからない
その時は今のように車が通らなかった
最近必ず小学校へ子供を車にのせてここを通る、それも震災以後鹿島に住んだ人が増えたからである、踏切に行く真っすぐな道はほとんど車が通らなかった

そしてそれは昼間でも通っている、土木課の人は昼間に来て見ていたからである
ひっきりなしに車か通っていた
何か土木課の人はその踏切の道路を広げればいいとか言っていた
確かにそれなら簡単かもしれない、でもJRがすることになるから交渉が必要になる
この工事が楽だとしてもやはり相当な金がかかるからだ

ただ鉄道の問題は鉄道だけの問題ではない、街全体とかかわっている
それで駅の外の立派なトイレは市で設置したものである
それを毎日障害者グループのアサガオの人が掃除している
そその費用も市で払っている、それから高校生の見守り役を駅に配置したがこれも市で金を払っている、でも駅の業務はしないということでJRと交渉して契約して決めたのであるまた駅の掃除は商工会でもしている、それはJRで金を払っているのである

このように市とJRは協力しないとできないのである、ただここでは自転車と車が接触してぶつかったりまた車同士が混んでぶつかったのを見ている
大きな事故にはならないがそういう事故は起きやすいのである

そしてそこから六号線に出る地下通路は都会並みに立派であり実際利用しているのは通学する小学生だけなのである
わざわざ地下通路を行かないで自転車でも横断道路で信号待ちしているからである
だから前からあれは無駄だと思った、何も高架橋でも作れば安くできた
あれは相当な金を使った大工事だったからである

何か公共事業には前から言われていたが無駄が多い、それは市民にとって必要なものだからしているとは限らない、建設土木会社に仕事を与えるためにしているというのもある
それで無駄でもそうするのである
オリンピックでもゼネコンのために仕事を与えるためともなり除染の莫大な費用も除染が必ずしも必要でもなくても6兆円とか途方もない金が使われたのである
それがとても全部有効だったとは思えないのである
そこで地元でも暴利をむさぼる会社がいて逮捕までされたのである
それからリニアなども今やそういうものが本当に必要なのかとどうかもわからない
それより原発だってそうである、それが本当に必要なものかどうかわからないものだったのである

結局高度成長のときは道路でも建物でもインフラ整備が不可欠だったのである
それが過剰になった結果仕事がなくなり地方に公共事業を与えるともなった
そこで大きな無駄が生まれたのである、過剰投資が生まれた
そしてそういう無駄なものに金を使う結果となり金が有効に回らなくなったのである
ただこういうことは本当に地元でないとわからない
南相馬市だったて広いのだからその狭い地域で暮らしているからそこに住んでいる人しかわからないことなのである

ただ車を利用する人はここは狭くて混んで嫌だなという自覚はする
でも利用しない人はわからないのである、こういうことが本当に多い
鉄道の駅が無人駅化する、でもそれに抗議もしないのは利用する人が少ないからである
車ばかり利用して電車の乗り方さえわからなくなった人が多いからである
そうなると別に無人駅化しても関係ないとなり無関心だからそうなる
またそれだけの費用をJRでは乗客が減ってかけられないからそうなる
ただ鉄道は鉄道だけではない全体とかかわるからこういう問題が起きて来る



posted by 天華 at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月21日

パソコンのセキュリティが不安 (新しい技術は安全を確保することが大事)


 パソコンのセキュリティが不安

 (新しい技術は安全を確保することが大事)

  
 さくらのレンタルサーバーにアクセスできなくなった
こういうときあわてる、さくらのレンタルサーバーは会員とコントロールパネルからサーバーかさ入るから二つかあるから間違いやすい

何か不正侵入されるのが怖くなってパスワードを三つ変えた
だからめんどうになった、とにかくインタ−ネットは便利でも意外と操作とかに時間がとられるとかめんどうなのである
それで手間だけは省けないのである

まずパソコンで文章を入力するのが手間になる、その前にアップするために写真とかとりそれをアップするのも手間になる
たからいくら便利でも手間は省けないのである
プログにそれなりの記事を一つのせるだけで結構手間になる
半日くらいの時間がかかる、プログでも何か片手間でもやれない感じになる
動画をアップしたりするとさらに時間と手間がかかる

でも雑誌とか新聞とかよりずっと効率的である、いちいち朝早くから一軒一軒新聞でも配ることがインタ−ネットと比べると何か江戸時代の駕籠で人を運んでいたようにも見えるだからとても今の時代はそうした非効率的なことはつづかない
新聞は新聞紙を利用することができる、どうも子供のときトイレの紙として利用していた記憶がある、それも資源の無駄だとなる

まずプログのような弱小メデアと思ったが毎日写真でも動画でも文章でもいくらでも書けることがわかった、やはり写真の効用が大きいなとやってみて思った
つまり現代は映像の時代になったからそうなる
それでyoutubeが百万とか見られるようになるとテレビと変わりないのである
その内容はテレビと同じでありタレントのように各人があり俳優ともなったのがyoutubeである
視聴率をどれだけとるかとなるとテレビの手法と同じになるのだ
私のプログも震災から十年が過ぎたがそのことで津波原発事故のことでアクセスがふりかえると結構あった、それに気づいたのは何か最近アクセスが半分くらい減ったことでわかった、それだけアクセスがあったのは震災関連と原発事故があり全国で関心をもったからである、それが10年もすぎると関心がなくなっためにアクセスが減ったのである
第一俳句とか短歌でも興味をもつものは限られているからだ

このインタ−ネットで一番怖いのは不正侵入されてせっかく膨大なものを集積して書いてものせても一瞬にして消されることである
そしたら努力も水の泡となる、それより本なら30年でも50年でもまだ残る
でも50年くらいするとどうしても本もぼろぼろになり読めなくなる
そういう本が私が読んだ本にあったからだ
ただ50年くらいすぎるとやはり時間の中で価値があるものは残る
あとは一過性で終わってしまうだろう、古典のように残るのはわずかである

ただ今でも中味のあるものは毎日寝床で読んでいる
そしてやはり感心している、それだけ時間がすぎても色あせないのである
そうして何回もあきずに読めるのはそれだけ内容があるからである
時間が過ぎると時流的なものは消えてゆく、忘れられる
でも本当に普遍的な価値あるものは色あせず読まれる、それが古典なのである
ただそういうものは極わずかなのである

ともかく毎日整理がつづいている、それだけ膨大なものになったということである
それでDellの6万のノートパソコンを買った
これは安いと思った、最新式のものでありリュウゼンとかのものでありwin10である
何か5年くらいパソコンを買っていなかった
そのパソコンは8.1であり富士通ものでいいものだった、だから今も困らないが整理のために安いから買った
6万では安い、前は軽くこれなら15万以上していたかもはしれない、もう半額になっていいものなのである

そのDellで電話で注文したが答えたの中国人の女性だった、それが日本語が上手なのである、第一そうしてパソコンの相談にのれるには相当な日本語ができないとできない
日本人相手に差し障りなくしゃべる能力が必要になる
その女性は日本に住んでいたのかと聞いたらそうではないという
それでそんなに流暢に日本語がしゃべることに驚いたのである
こうなるとやがて日本人は中国語を覚えた人が有利になる
今でも英語ができる人が有利だったようにである
日本人はすでに中国の笠下に入り稼ぐには日本がだけではもうできないとなり中国に進出して中国語を話す人が稼げる時代になる、逆転現象が起きて来る
つまりまだ日本語で相手をしているがこの逆の現象が起きて来る
ただ漢字は共通だから中国人相手でも漢字を通じて何かをできるとはなる
日本だけが今や依然として漢字を使っている国だからである

いづれにしろパソコンの操作は疲れる、スマホでも眼が悪くなったりする
でももうテレワークとかにもなりパソコンはますます日常の道具となり今や必需品になる結局新しいものはあれやこれやと悩むより慣れることである
それしか方法がない、今回もさくらの操作するパネルが新しくなりとまどった
でもこれも慣れなのである、いったん覚えると使いやすいのである

ともかくパスワードを変えたから安心だとはなる、でも二段階認証とかもあり今やいかに安全を計るかがインタ−ネットの問題になった
パスワードの問題はあらゆるサイトでパスワードを要求されて管理できなくなることである
だからそこが一番の問題だとなる、つまりどうして安全を計るなのだがそなるとパスワードだけでは安全性が計れない
その辺がなんとか安全に使えるものにする技術が必要になる

何でも新しい技術は安全が実は大きな課題なのである
原発でもそうである、他の技術でも安全を計ることが実際は重要になりそれができないと新しい技術は応用できないのである
ワクチンだってそうである、それが副作用がありどこまで安全なのかわからないから不安になる、文字でも紙に印刷されたもの本でも簡単には消えないからである
何か新しい技術を望むが安全を確保できない技術は定着しないのである
それで原発事故になりもう原発の信頼は失ってしまったからである

2021年03月20日

春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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ここで充電できるのは便利


真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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葵の紋の蔵―立派な蔵である

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな    

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹  

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ
  

      

昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

namietoom77.jpg
倒れたままの墓地

詳細は別のページで

fukinami7.jpg

ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ




昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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2021年03月19日

医者と貧乏な患者の対話 (コロナウィルスの解決のヒント)


医者と貧乏な患者の対話

(コロナウィルスの解決のヒント)


私は医者に行くと栄養とれと良く言われんです

今回も何かふらふらして貧血気味なんです

鉄分が不足しているから栄養とりなさい

そうしきりいわれるんです

でも金がないから栄養とれないんです

果物を食べろと言っても果物は高いから食べられないんんです


コロナウィルスでは医者や科学者や専門家が危険だ危険だというけど
でも毎日生活する人にとっては店を閉めたりしたら食べて行けなくなる
専門家が科学者が危険だとしても生活のために店をしめる訳にはいかないです

ここでも医者は栄養とれといってもその栄養をとる金を与えてくれないのです
医者はその人の経済状態を見ないのです
体だけをみているだけです、その生活をどうしているのかは見ないのです

金がなくて栄養がとれないのです、その金を医者与えてくれない、むしろ金を与えねばならない、だからこれは医者だけでは解決しない問題なのです

コロナウィルスの危険を優先か

日々食べるための生活が優先か

この二つのことで迷っている、医者は栄養をとれというけどその栄養をとる金がない
でも医者は金を与えてはくれないのです
ここに医者だけでは病気を治せないということにもなる

コロナウィルスが先か、経済が先か

栄養をとれというけどまず経済が成り立たないと金がないと体も治せない、もたないのである
栄養をとることによって免疫力がつく、医者にみてもらってワクチンとか感染対策してもやはり栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なんです
ところがその肝心の抵抗力をつける、免疫力をつける金がないのです
その金は医者は払ってくれないのです

コロナウィルスを怖いにしても日々の生活で栄養がとれないほど貧乏だとそのことでコロナウィルスに抵抗力をもてない、免疫力をもてないことが問題なのだとなる
ワクチンでもきくどうかほからない、それより栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なのです
今日本では貧困化その肝心の栄養をとれない人が多くなっている
するとコロナウィルスのワクチンより貧乏になっているために栄養がとれず抵抗力が免疫力がつけられない方が問題となるのです

日本人が貧困化していることこれがコロナウィルスにしろ何にしろ抵抗力がなくなり日本全体が弱体化してゆくこになっている、実際そうなっている
だからコロナウィルスの問題はそれ自体をなくすことより抵抗力をつける栄養をとる金の問題の方が大きいともなる
そもそも栄養がとれなかったらコロナウィルスにも負けてしまうからです
日本の貧困化の方がコロナウィルス問題より深刻な問題だとなるのです

posted by 天華 at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月18日

梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅の香の広間に満ちて遺影あり

梅林に入りて匂うや一人かな

里めぐり梅のあまたや匂い充つ

虚しくも梅の匂うも空家かな

春日さし我が家に居つく猫一匹 


田舎というのは悪い面も相当にある、今はどこでも人間が素朴などとないのである
それは社会が金中心になったためである
何か共同性とかもない、津波とか原発事故で絆を盛んに言われたがそれもなくなっていた絆がかえって外部とあった、内部にはなかった 

ただこうしてマイナスの面も大きいのだけど梅の季節になると何とも梅の香りがそちこち流れて来る、すぐ近くに梅林もある、だから梅の季節は気持ちいいとなる
こういうことは都会にはないからだ
こういうのが田舎のいい点だとはなる


梅林鶯聲を聽く<宮崎東明> 

春天風暖かにして 塵寰を出ず
最も喜ぶ吟行 一日の閑
歩歩蜿蜿 平野の路
登登曲曲 鬱林の間
忽ち梅樹を看る 東西の谷
時に鶯聲を聽く 前後の山
杖を松根に停めて 酒を斟む處
詩篇未だ作らず 已に酔う顔

ばいりんおうせいをきく<みやざきとうめい>

しゅんてんかぜあたたかにして じんかんをいず
もっともよろこぶぎんこう いちじつのかん
ほほえんえん へいやのみち
とうとうきょくきょく うつりんのあいだ
たちまちばいじゅをみる とうざいのたに
ときにおうせいをきく ぜんごのやま
つえをしょうこんにとどめて さけをくむところ

塵 寰塵の世 俗世間
蜿 蜿うねりくねるさま
鬱 林こんもり茂る林
忽ふと
聽聞こうとして聞く
早顔酒に酔った顔

意解
 春日和で風も暖かくなって俗世間から出ることにした。詩を作りながら一日のどかに出歩くのはこの上もない喜びである。
 平野の道を一歩一歩うねりくねりしながら進み、こんもり茂った林の中を折れ曲がりながらぼつぼつ登りつづけていった。
 ふと、東西の谷間に梅林が目に入り、折しも前後の山々から鶯の声がして耳を傾けた。
 私は杖を松の根もとに置いて休み、酒を酌んでいると、思う詩がまだできていないうちにもう酔ってしまった。


この漢詩は日本人のものだった、でも何か自分が感じたものと一致していた
梅の香りに酔うということで一致していた

梅堯臣(1002-1060)

適興野情

千山高復低
好峰随處改
幽経独行迷
霜落熊升樹
林空鹿飲渓
人家在何許
雲外一声鶏 

適(まさ)しく 野情にかない
千山高く また低し
好峰 随處に改たまり
幽経 独り行きて迷う
霜落ちて熊は樹に升(のぼ)り
林空しく鹿は渓(たに)に飲む
人家 何許(いずこ)にか在る
雲外 一声の鶏

これもまさに常に自分が田舎を自転車でめぐっている状態と同じである
ただここに熊がでてきて鹿が水を飲むというのは違っている
1000年前の人だから当然そういう場所が中国でも多い
中国に三回行っても結局深い所がわからなかった、まず中国を知ることは不可能である
広すぎるからである

田舎だと細い道がありそこが幽経なのである、そういう道は一日でも一人くらいしか通らない、一人も通らない時もある、ただ田舎でもそういう道はまれになる
たいがい舗装されたりしていて車が通るからだ、そこは確かに車が通っても乗用車は通らない、だからそこは隠された道なのである

ともかく梅の季節であり梅の香りは野に流れて香りが満ちている、その時確かに平和である、つまり田舎でも人と必ずしも接しないでその香りに接していればいいとなる
その時田園に暮らす喜びが自ずと充たされるのである

雲外一声鶏

今はこれが感じない、鶏は卵を産む機械として機械のようにされている
それが不自然なのである、でも田舎では今でも話し飼いの鶏がいてそれを見た時ほっとしたのである、田舎でも機械化人工化しているから何か殺伐としてくるのである
本来の田舎はなくなっている、そしてこの辺はその工業文明により原発事故で荒廃してしまったのである
ただ別に避難区域にならなかったところは変わりなくなったのである
飯館村とか小高区とか浪江とか双葉とか大熊が元の状態にもどらない
だから梅が咲いてその匂いも流れても何か空家の梅のように虚しいとなる

人間はやはり自然に平和を見出すべきなのである、自分はその平和を樹と石とか山に見出してきた、それを詩にしてきた
平和とは平和と叫ぶことではない、平和運動ではない、平和な状態なのである
そういうとき東京という場所にはそもそも平和はないのである
あれだけ建物と人が密集して自然がなければ平和はない、平和を感じることは不可能である
平和とは戦争のないこととかでもあっても実際は日々の日常に平和を感じる場所なのである、それが都会にはないのである
ただ正直田舎は理想的な場所ではない、それを原発事故のことでもずっと指摘してきた
田舎の人間も醜いのである、ただその暮らしが隠されていたとき飯館村のような平和があったとなる、それが原発事故でずたずたに破壊されてしまったのである
それが最大の原発事故の罪深さだったのである
ただ東京の人はそういうことに痛みを感じない、そういう場所に住んでいないし遠い場所で関係ないとなっていたからである

野の梅を手折り遺影の飾る広間にさす、すると香りが部屋一杯に満ちる
家はやはり広い方がいいのである、日本は狭すぎるのである
テレワークになったとき狭いアパートとかで誰ともしゃべらずパソコンに向かって仕事しているのも確かに味気ないとなる
でも広い家で庭があり田舎だったら散歩しりして英気を養うことができる
都会で一日狭い部屋にいたらうつ病になる

この家は親が建てたものである、ただ一人では広すぎるとなる
でも近くでも本当に広い家に一人で住んでいる女性でも多い、子供は別になっていないのである、だから家に関しては田舎は贅沢である
それで住宅に住む人は見劣りすることになる、そこに格差が現れる
でもその人でも二階もあり三部屋とかあり一人で住んでいるのである
これからは空家がますます増えてただ提供される時代が来るとなる
家にあまり金をかけない時代が来る、そこで悠々と暮らすのが本当の豊かさだとはなる
茶室があるとしてもそれは広い家があり部屋があって利用する特別の間である
普通に暮らすには広い家の方がいいのである
とにかくこの広間に梅の香りに充たされる、それは親が残したものであり私は恩恵を受けているだけなのである、だから人間は親に恵まれないと損だということは確かである





2021年03月17日

梅の香りの季節

梅の香る季節                                   


紅梅に白梅香る朝の道

前畑に梅と菜の花仕事あれ

東風(こち)吹きて海の望むや椿咲く


春風の吹きてしなれる細し木や家を支えし手弱女(たおやめ)の母

春日さし旧街道に松一本ここに変わらず頼もしきかな   

芬々と梅の香れる夕べかなゆくりなく過ぎ我が身にしみぬ  

梅の香のそちこち満ちて回りける夕べになおも香りのこしも

梅の香に充たして帰る我が庭に沈丁花の香りも充ちぬ

隠されて我のみ見てや白椿庭の奥にそ咲きて静まる


家の前に畑があることは仕事と直結している、畑の手入れは結構大変だからである
それをいつも目の前で見ているから畑と家と人間が一体化する
だから前畑という姓があり後畑(うしろはた)とかの姓もある
前田は家の前にある田であり特別な意味があった、そこは前田があり草分けの農家だった前田はその村の中心となった所であり重要だとなる

植松にある松は太い、それで頼もしいとなる、あそこは旧街道であり街道には松がふさわしいのである、松は何か人間に見えるのである
ただ陸前浜街道はまだ双葉とか原発のある地域は通行できない、車だと行けるが自転車だと行けないのである、途中が途切れてしまったから街道も活きていないとなる

今回は写真を出していない、次に写真を出してみよう
とにかく今は梅の季節である、田舎だとどこでも梅があり匂うとなる

2021年03月16日

相双リテックの除染マネーの悪 (もともと心が腐敗して福島県と地元が起こしたのが原発事故だった)


相双リテックの除染マネーの悪

(もともと心が腐敗して福島県と地元が起こしたのが原発事故だった)

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東京電力福島第1原発事故に伴う除染を下請け受注した福島県いわき市の業者が仙台国税局から、2016年12月期までの3年間の役員報酬が過大だとして、約30億円の申告漏れを指摘されていたことが16日、関係者への取材で分かった。


 土木工事会社「相双リテック」が入るビル(16日午前、福島県いわき市)=共同
業者は土木工事会社「相双リテック」。民間信用調査会社によると、事故後の12年1月に設立。今月10日に避難指示が一部解除された福島県大熊町で大手ゼネコン「清水建設」の下請けとして除染を手掛けた。


田舎の弱小会社でありながら、スーパーゼネコン清水建設の一次下請けに入って、年商100億のうち56億が利益で47億が役員の報酬であったと騒がれた、相双リテックの裏顧問だったというのである。

やっぱり藤丸敏議員は安倍内閣の「魔の二回生」

前から東京電力の下請け作業はしていた会社ではあったらしいが、相双リテックそのものは原発事故後に、作られた会社らしい。そんな会社が、いきなりスーパーゼネコンの一次下請けに入れるわけがない。

どんなに優秀な会社であっても、清水と信頼関係のある県クラスの大手が下請けに入って、そこと契約するのが普通である。だから地元の人も驚いていたのである。だから本人も後ろからつっかい棒で支えなければ、倒れるほどの天狗になって、顰蹙を買っていたそうである。

紙袋に現金を詰めて、銀座を飲み歩き、金撒き爺さんで有名だったらしい。相双リテックを清水建設の一次下請けに押し込んだのは、藤丸敏議員なら納得できよう。

秘書時代から、セスナ、クルーザー、高級車を所有していたというから、その頃から、特別な金の生る木を持ってたなー、という感じはあるわな。

秘書時代の先生は、自民党の大物であった古賀誠元議員である。大物とか重鎮とか言われる議員は、辞めてからもしっかり、利権を維持してるのである。

敬天新聞
http://brog.keiten.net/?day=20180228

他方、球団関係者が明かすのは、「会長」と真中監督との浅からぬ関係だ。

「2人とも日大出身で、真中さんが監督に就任する前から親しかったそうです。塚本会長が真中さんやコーチを銀座のクラブに連れ出すこともしばしば。先の沖縄キャンプの最中にも一緒に飲んでいた。羽振りの良い会長は札束を紙袋に入れて持ち歩き、領収書も受け取らないと言います。一昨年、リーグ優勝したお祝いに、真中さんは総額で1000万円は下らないフランク ミュラーとロレックスの腕時計をプレゼントされている。

「鹿島」元幹部への「復興マネー」還流、「ヤクルト監督」と「除染タニマチ」との類似性
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-710526.html





何の役にも立たない除染に何兆円つかうんだろね
日本はマスゴミの質の低さが異常
太陽光パネルでもダンマリだから根は同じなんだろな

ほらな、福島の人間は信用できない

最初1人の1日分の作業員の手当ては3万円

次から次へと抜いていき

最終的に1日の日当は5000円

2万5千円が消えるんだから

日給一万以下で雇ってるらしい
一人当たり3万5千くらい国からでるらしいが

あとは中抜き→中抜き→中抜き→中抜き→
作業員(外国人研修生)
税込月額130000

危険な作業は下っ端に任せて
自分達は安全な場所でガッポリ

これがあるから福島で働きたくないんだよ。
現場で頑張ってるやつに金払えよ。

悪の巣窟かよ福島は

よく公共事業で経済効果みたいなこと言うけどさ
実際に起きてる現象はこんな風にごく一部の人間に殆どの金が渡ってるだけだよね
原発除染だろうが東京五輪だろうか何もかも無駄に税金が掠め取られていくだけ

確か除染で受託した金の
6割ぐらい役員報酬だったって
暴露されてたよな

知り合いの在日朝鮮人が
除染の下請けの下請けの下請けの下請けみたいな事やってるわ

あと復興地域で新しく建てる住宅に
怪しい太陽光発電パネルを取り付けて回ってる

在日ネットワークでそういう詐欺みたいな話が回ってくるらしいな

安倍友とか上級官僚の養分になってんのか、一方ベトナム人技能実習制をほとんどダマシ同然に連れてきて強制労働させてるとか
ホント美しい国だな、誇りに思うよ

そりゃあしのぎ稼ぎの893が
全国から集結して国費をチューチューしてる
真っ最中でおこぼれに預かってるマスゴミも
報道しない権利行使中ですわ

人の不幸で必要以上に利益を出すのは賎しい。

福島県民が原発受け入れたんだろ?
ならば福島県民の手で解決しろ。
これ以上、国に負担を強いるなら非国民だ。

福島県への情報公開請求で、この会社の粗利益が2014年からの3年間で142億円に上り、売上に対する利益率がいずれの年も5割を超えていたことが新たに分かった。
さらに関係者への取材で代表ら役員8人の役員報酬が3年間で77億円に上り、粗利益の半分以上を占めていたことも分かった。
役員報酬の水準は、規模が100倍の売上高1兆円以上の大企業の社長でも1億円程度に留まっていて、異例の高額となっている。

相双リテックは基本技術は皆無、施工技術も皆無、虚飾だらけの清水建設に食らい
着いた除染コバンザメだった。それを許した清水もほぼ同罪。
あの社長は金のためなら○○だってためらわない。あまりにひどすぎる。

日本はもう終わった国です。
上級国民は数十億円、数百億円単位で蓄財しています。
日本の国富を収奪しているのです。

日本人の敵は中国でも韓国でも北朝鮮でもなく、
日本の上級国民です。

福島は議員が生活保護騙して貰ってたり民度がめっちゃ低い。

他県から来て6年間福島第一で原発内作業してた者だけど、休日の日曜日にいわきのベンツの販売店が商談者でいっぱい。日本の一大事と駆けつけた俺は何なんだろうと思った。
相双リテックは、清水建設のフクシマ現地役員と癒着し、除染作業や家屋の解体作業を他の業者より遙かに高額の料金で請け負っていました。
安倍の出身派閥清和会の政治資金パーティーで、相双リテックが大量のパーティー券を買ったのが暴露された結果、相双リテックは清水建設に切られ、
全ての除染作業や家屋の解体作業から排除されました。
https://blogs.yahoo.co.jp/okasinaunion/35307902.html

衰退し滅びゆく国にふさわしい腐りきった話題
このクズ役員どもが重罪に問われないようなら日本は完全に終わり

お前ら朗報だ。
復興税はあと20年弱続くぞ!!

たった3年間で142億円の利益w
役人にカネの配分をさせるなよ、まだ被災者にばら撒いた方がマシ

福島県民だけど原発の恩恵で潤ってたくせに焼け太ってる大熊とかその周辺はもう無くなっていいと思う
廃棄物全部あの辺に埋め立てろよ

3年で76億
1年あたり約25.3億
役員が何人か知らないけど、もし一族で経営だったら凄いぞ

他人の生き血を啜って貰った報酬は美味いか? 役員共。
中間貯蔵施設で初の死亡事故 伐採中の女性作業員
https://www.sankei.com/affairs/news/190204/afr1902040034-n1.html
郡山で重機に挟まれ44歳男性死亡 除染土搬出作業中
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181019-317292.php
「嫌なら帰れ」実習先は除染現場だった ベトナム青年

除染をやめて土地を棄てて金を被災者に分けた方がずっといいだろ。
20年もたってから除染をはじめればいい。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1555407156/



5chがまともだった、赤裸々な真実を言っている

地元から見て腹正しいのは地元の人間自体が堕落していた、モラルが荒廃していた
それで漁業組合とか船主を批判したがこれは本当にひどい、金の亡者であり地元民をくいものにしていたのである
原発マネーによる極端な悪がここに暴露されたのである
役員報酬が70億とかで分け合うというから何なのだろうとなる
懸命に除染していた人は一日一万とかで終わりである
その差があまりにも大きくなっていた
その裏には議員がいて巨額の金が回っていたとなる

いろいろ私は原発のことで追求して来た
ただ自分自身が原発のこととか地元のことについても知らなかったのである
それが追及しているうちに見えて来たものがある

それで腹正しくなり怒りを覚えた!

それも何か地元だからお前ら利権を金を一人じめするのかという怒りにもなる
南相馬市で鹿島区は30キロからはずれて補償金が少なかった
医療費も半年で打ち切られた、高速でもそうである
でも30キロ内はさらに数カ月医療費無料が延長されたのである
そういう差別があった、でもそれは政治力があれば簡単に平等にできたのである
その地元民がもらえる金はこうして地元の有力者のリテックとかに奪われていたのであるだから地元の人はこの会社に怒りをぶつけるべきだともなる

地元を食い物にした極悪人だと・・・・

そして福島県は本当に政治でもマスコミでも腐っている
結局なぜ原発が誘致されて事故になったのか?
その責任は東電とか政府にあっても福島県自体に地元自体でもうモラルが荒廃していた
金を得ればいいとして原発を誘致した、そこからして間違っていた
その後も金、金、金で終始しているのである

双相リテックはその最たるものであり極端な悪として暴露されたのである
このことに地元で何も怒りをもたないのはなんなのだろうとなる
第一この「政経東北」この広告でもそうである
なぜこのように大きく裏表紙で宣伝するのか?
これもここは除染マネーが入りいくらでも使えるから政経東北にも流れている
そもそも一か月一回くらい出している雑誌で生活できるのかとも見るからだ
福島県の新聞でも福島民報は創価の聖教新聞をすり県で50パーセント出資している官報と同じである、政府のいいなりである

マスコミは上級国民の味方であり大きな利権団体である

だからそもそも原発の危険があっても報道はしなかった
何か肝心のことで報道の役割りを果たしていなかったのである
それも新聞とか雑誌でも金がかかりすぎるためにそうなる
インタ−ネットなら手間でも無料でできる、それに比べたら新聞などいちいち一軒一軒配ること自体金がかかりすぎるのである
そのために金を得るために権力者と結びつき利権を得る団体となる
それで双相リテックとかでもこうして宣伝する
そうしたら批判はできないのである

つまり肝心なことを報道しない!

政経東北は他の新聞とかより真実を追求していると思ったが違っていた
財界ふくしまでも最初原発を批判していたがやめた、それは原子力村から金が入ったからだともしている、なぜ渡部恒三が政経東北に出て語らせていたのかもわからない
渡部恒三も原発の利権者の最たるものだったのである
積極的にかかわり息子はアメリカのGEに就職していたのである

こうししてわかったことは

福島県は原発事故周辺はモラル的に腐っていた!

政治家からマスコミから地元民からみんな腐っていた!

いろいろ事故の原因はあるにしてもこうしてモラルの腐敗が原発事故の原因にもなっていた、科学技術とモラルは関係ないようである
だからこういうことがわかれば天罰だったということに納得する
モラルの頽廃があり津浪であれ天罰が与えられたのである
だからこうして悪の巣窟ともなった原発事故周辺は廃棄物処理場にして住民は移住すべきだというのもわかる、いくら除染しても無駄だだからである
その金は地元の悪徳業者に回りその金は福島県のマスコミに回り利権化しているからだ
ただ飯館村はもともと原発とは関係なかったら責められない、でもそこでも原発マネーによって争う村となったのである

原発事故から十年過ぎたけどもう区切りの年である
延々と底なし沼のようになったのがこの辺である、除染しても無駄なのに利権のためにつづけるのは税金をどぶに捨てるようなものだともなる
それは国民の負担になるからである、すると福島県は原発乞食だとか言われる
そのイメージは相当に悪くなっている
原発利権でいい思いをしたとか見られる
ただこの底なし沼からの逃れる決断をしなければならない時期なのかもしれない
復興復興だとか除染だとか言ってもそれが必ず利権とかかわり復興そのものより除染でも利権化して金をもらう装置のようになってしまったのである
だから元の状態にもどすことは不可能でありあきらめろとういのもわかる
もちろん自分自身でも元のようにしてもらいたいとはなる

でもそれが巨大な利権となりいくら金をつぎ込んでも復興はできないようになってしまったのである
となると避難区域になった大熊とか双葉とか浪江とかはもう住むことをあきらめるほかないとも見る
そこにいつまでもこだわっていてもただ金ばかりつぎ込んでも復興はできないからであるただ相双リテックのように除染でも利権化しておおもうけするような人達がでてくる
そこだけではない、補償金でレクサスを買った、フィリピン女性に仙台に店を出して金をがなくなったとか何かかえって補償金で堕落した者も多いのである
つまり金だけでは復興はできなかったのである、その金は一部の者にまわり地元は食い物にされたのである

そしたら地元の絆すらない、ただ利権の場となり金を得るための場として地元民もある
でも一人占めした相双リテック対しては怒りとなる
悪人が分け前を争うことになる、もっとこっちにもよこせとなる、遺産争いにもなる
ただそういう醜い場所と化したのである
原発はただその契機となったきでありもともと人間の醜い面が原発で露骨になり暴露されたとなる
ちょうど黄金を掘り当てて争っているのと似ている
ただ自然は美しい、でもここだけではない人間は醜いのである
だから神は人間の暮らしを隠したということはそのことである
飯館村などはそういう場所だった、隠された村であったとき良かったのである
でも今は露骨に放射性物質汚染されたずたずたにされたのである
そこでも補償金をめぐって分断されて争うようになった
かつての平和な隠された村は失われてしまったのである
posted by 天華 at 18:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年03月15日

「除染マネー」…43億円の巨額役員報酬 (原発マネーで狂ってしまった、事故後も同じだった)


除染マネー」…43億円の巨額役員報酬  

(原発マネーで狂ってしまった、事故後も同じだった)


この下請け除染企業A社は、代表ら役員が巨額の報酬を得ていたことがFNNの取材で判明している。

A社の1年間(2016年1月〜12月)の驚きの利益構造だ。

<清水建設が国・自治体から受注した除染・関連事業等の下請けにより

売り上げ(営業収益) =約105億円

利益(売上総利益)=約56億円   


除染費用は原則、東京電力に請求することになっているが、税金や電気料金が充てられる可能性が高く、結局は“国民が負担”することになる。
つまり “国民の金”の半額近くが除染企業の“フトコロ”に入っていたのだ。


業者は土木工事会社「相双リテック」。民間信用調査会社によると、事故後の12年1月に設立。今月10日に避難指示が一部解除された福島県大熊町で大手ゼネコン「清水建設」の下請けとして除染を手掛けた。

業績は拡大し、売上高は12年の約19億円から、15年には約111億円、16年は約105億円に達した。大半を清水建設から受注していたが、18年4月以降は同社との取引関係は解消していた。


NHKの除染マネーとういう番組でこのことが指摘された
地元の会社の「「相双リテック」がおおもうけした、この辺でも清水建設の下請けであり働いた人を知っている、事務所も設置された

役員報酬が43億円というからすごい、何か暴力団関係者がきて「おいしい」と言ったのは除染作業とか復興事業が金が入るからそう言った
最初の予算が一兆円くらいだったが6兆円にもなった
放射性廃棄物処理場も各地に作っても四年くらいで壊された、何百億円で作ったものが壊された、この無駄も大きい

とにかく途方もない金が原発事故の後始末に使われた
原発自体がもともと金の鳴る木だったのである、金が住民にもばらまかれたのである
ただそれは全員にではない、漁業組合とか一部の者にばらまかれた
その幹部とかにばらまかれた
除染マネーでも双相リテックには金が入り幹部に入った
でも除染作業員には入らなかった、近くの清水建設に雇われた除染作業員は今も金に苦しんでいるから入らないのである
ただ幹部には金が入り湯水のように使われたとなる
原発事故の後始末でも巨額の金がばらまかれそれを手にした者としないものがあった
その差も大きかったのである

だから南相馬市では同じ南相馬市内では鹿島区は補償金は三分の一とか医療費は半年で打ち切られるとか差が生まれた、またそれは伊達市とか他でもあった
政府によって距離で区切られたからである
ただ別に南相馬市でも相馬市でも放射線量は変わらなかったのである
でも相馬市だと一人6万しかもらえなかったから不満があった
その費用は実はこうして除染費用とか何か回せる金があったのである
除染費用の6兆円という途方もない金は無駄な面が大きかったからである
そしたら一兆円くらい回せば十分に公平になったのである

結局復興はしていない、そして復興自体の方策が失敗したのである
いくら金をつぎ込んでもそれが復興につながらなかったのである
ただみんなその金を目当てになり復興とはその金をもらうことになった
そして肝心の自治体は復興できていない、また自治体自体を復興するということが失敗だったということもある
なぜならそもそも地元には他に家を建てて仕事を持ち仕事もしているとなると帰らないからである

何かイメージとしては莫大な札束がばらまかれそれに群がり金に狂い肝心の復興しようとする気持ちは地元でもないし外部の人も復興というのは金でありすべてが金にはじまり金に終わったとなる
それは現代社会が金がすべてとなっているからそうなったともなる
そして一部の者が原発マネーでうるおっただけだとなる
その大金が入った人たちは贅沢してモラル的にも荒廃して終わったとなる
何かみんなで復興しようとする心もなくただ金で分断されて一体感は喪失した
だから人間は金だけなんでもできるものではない、でも金の力は現代では大きいからそうなった、金に狂い金を得ればいいとしかなくなる

まず自治体を復興させようとかよりまず金をくれとなっているのが本音だからである
そして放射性物質に汚染されているということで地元に帰ることもできなくなさせた
小高区などは放射線量が低いのだから仮設住宅なのどに移住させたのが問題だったのである
それも三年とかで返せば良かったのだが五年になり他でももっと長くなり帰れなくさせたのである、農家の人に聞いたら三年働かないと体がなまって仕事ができなくなる

つまり三年という時間がすぎてもう働くことをあきらめて補償金をもらって生活した方がいいとなったのである
それと高齢化社会が影響していた、高齢者は働けない、でも肝心の若い世代は流出して帰らないのである、そして残されたのは老人だけでありそれで自治体が復興できるのかとなる
また浪江の津島の方になるともともと過疎地域でありそこは除染されていない
国でも全部の除染はできないとしている、飯館村の長泥でもそうである
第一森が広いのだから除染自体が不可能なのである
一部しか除染できないのである、溜池を除染しても周りの森から放射性物質が流れだして来るから無駄だともなる

いづれにしろ帰還困難区域は全部除染できないし放棄するほかないともみる
家は点々としかないしそういう過疎地域を除染して元にもどすることは無理だとなる
そこに住みたいということはわかるが現実的にはできなくなっている
それで思い出したのが津島に中国人の嫁がいてここに住みたくないと言って夫に斧で殺そうとした事件があった、その中国人は都会に住みたかったのである
それだけ山の中であり住みたくないとなった
今なら補償金をもらって都会にでも住めるとなったから我慢していれば良かったともなるつくづく人間の運命はこんなに変転することが信じられないとなる

何か自分の戸籍をたどると父親の祖父は津島から葛尾村に出る柏原が出身地なのである
すると津島とはかなり近いとなる、だから相馬藩内はこうして因縁をもっている人が多いのである
父親は葛尾村から丁稚奉公で双葉の新山の酒屋で働き暖簾分けしてここに来た
そして父親の前の妻は新地生まれであり同じ墓に埋まっているのである
そういうふうに相馬藩内とかこの辺は何かしら因縁がある
ただ現代は本当に遠くに嫁ぐから変わっている

私は飯館村から津島の方に行き葛尾村の柏原の方にも行っていた
津島はそういう交差点にあり三春とか二本松への道もあった、バスも出ていたのである
そういうところで人が住まなくなるのは淋しいとなる
でもあのようになるともう住むことは無理に思える
その前から過疎地域のような場所にもなっていた、浪江の街から相当に遠いからだ
だからなぜあそこが浪江町に属しているのかともなる
そんなところが放射線量が異常に高い場所になっていたのである

何か不思議なのは十津川部落が洪水で被害があり村ごと北海道に移住したときの心構えとこの辺で起きたことは余りにも違ったものになっている
村人が全員一致して団結して北海道に移住したのである
そういうことができたのはやはりその当時から村として一体化して心が通じ合っていたからなのだろうともなる
政府から金はもらったとしてもそれで分断されることもなかった
金でもめるたともなく心は一致団結して北海道に移住したのである
それは伊達市なども伊達藩の亘理から侍が明治になって移住した、それが伊達市なのである、それも伊達藩がありその侍が心が一つであり一致団結したからできたことである
それと比べると余りにも違いすぎるとなる

それをただ責めることもできない、今の社会が広域化グロ−バル化しているからそこで金中心の社会となり金の力が大きくなりすぎたのである
金によって人間はもともとばらばらにされているということもある
つまり共同体があって金があるのではない、金があって共同体があるとなる
だから補償金の奪い合いが起こり金になればいいとしかない、それは漁業組合とか船主とかでもそうであり「双相リテック」とがてもそうである
おいしい原発マネーで自分達が自分が得すればいいしかなくなったのである
地元に除染で貢献するとかより除染マネーが欲しいとなるだけだったのである
それは水俣病でも補償金が欲しいというだけになっり駄目になったというのもそうだった公害になるとこうして駄目になるという前例があった
病気を偽り補償金をもらった人たちもいたからである

つくづく人間社会のことで金だけですべてが解決しない、金を湯水のようにつぎ込んでも解決しない、その無駄が膨大なものでありそのツケが次世代の人にかかってくる
それは税金だからである、そして一部の人たちが幹部とかがその金て贅沢して笑っているこうしてその地元でも腐敗が広がりその心の汚染もまた大きく復興に影響しているのである,モラルの退廃が事故周辺では起きているからである
多額の金をもらってかえって駄目になるということもあった
かえって復興はできなくなったということもあった
だからこの世の問題は金ではすべて解決しない、でも今は金があまりにも大きな力となっている、現実に毎月電気ガス水道代を払えない人がいればそうみる
金あればそんな苦労はしない、それでそういう人は原発マネーが欲しいとなる
こうして何か人間の心がモラルが頽廃していくら金をつぎこんでも復興しないということになった面も大きい、そもそも最初から原発マネーで心が歪められ狂わせられたということもあった、その延長として事故後も同じことになった
つまり公害になったら終わりだ言う時、原発自体がそういうふうにさせるものだったのである、そのツケがこうして回ってきてどうにもならなくなったとも言える 

十津川部落の北海道移住

これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)

移住住民は、移住・開墾の費用として政府から破格の恩賜を受けたのだから

恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではな

原発補償金は当然に町民村民に支払われるべきものであり各自自由に使ってもいい
すなわちパチンコであれギャンブルであれ何に使っても買っても贅沢してもいい
それは町に村に与えられたのではない各人に与えられたものであるから

誰も一致協力して町であれ村であれ残る必要はない、補償金は各自自由に使い何を買おうが贅沢しようがいい、一致団結する必要もない、それは町や村ではなく各人に補償金として与えられたものだからである。
その補償金の土地なり家なりの財物補償は各人が東電政府に対してするものである。

移住開拓は非常事態なのだから、一人一人が倹約に努め、以下の各項を堅く守ること。1,不急のものは購入しないこと。2,家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さないこと。3,家族以外に二人以上加わる会席・酒宴は行ってはならない。但し、新村の記念日大祭祝日はその限りではない。4,村内に飲食店を開いてはならない。5,衣服はなるべく木綿のものを用いること。

ここまでモラルを重んじたのである
会席、酒宴などもしない、着るものまで制限した
飲食店まで禁止していた、これも贅沢にしないためだったとなる
これと逆になったのが原発事故周辺だったのである
ただ時代が違うから一概に比べることはできない
でも現実は事故後で本当に多額の金が入って金銭感覚が狂った人も多いのである
だから何か一致団結するということがなくなったのである
金が入ったら飲めや歌いやにもなった、その相違はこれと比べるとあまりにもその差が歴然としている、時代の差もあるから一概に批判できない、でもモラルの問題も大きなものとしてあったことはそれは事故前でもそうであり事故後そうだった
「相双リテック」などもそうである、最初は地元のためにとなっていたが多額の金を得るためになりそれで贅沢することになり金は消費されたのである
そのうよにみんな金に狂ってしまったとなる、でもそもそも別にここだけではない、金に狂うのはどこでも同じになってい九、ただ原発が何か特別金になり人間の欲が刺激されるものだったのである、ちょうど黄金に狂う人間と同じである
そして地域全体が荒廃したのである


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科学技術と社会政治の問題 (原発事故とコロナウィルスの対処の類似)


科学技術と社会政治の問題

(原発事故とコロナウィルスの対処の類似)

コロナウィルスで起きていることは原発事故とも似ていた
それは科学技術社会で起きたことだから共通性がある
違っていたのは放射線は放射性物質から出てきてそれは人間が人工的に作りだした毒だった、ウィルスは人工的に作ったという説もあるが自然界から生まれたものであり
それで人類はこのウィルスと共存しなければならないとしている
異物だからと排除できないとしている

原発事故でもその対応がいろいろ言われた、まず科学者が専門家がしきる、政治家はそれに従うとなる構図になる、だから30キロ圏内は避難させたのである
そして30キロ内は手厚い補償があった、今でも医療費が無料でありそれもあと4カ月くらい延長されたのである
補償金でも30キロ内は三倍もらった、30キロからはずれるともらえないのである
それで南相馬市では鹿島区はもらったにしても少なかった
医療費は半年で打ち切られたのである
高速も最近無料にしたが遅かったとなる

なぜ30キロで区切ったかというとそこまでは補償しますよという政府が決めたからであるそれは政府によって都合のいいものだったからである
30キロ内は補償してもあとは補償しなくてもいいからである
コロナウィルスでも飲食店では一日六万とか保障してレクサスを買ったとかあるからここと同じだったのである、商店街全体の被害があったのに飲食店だけ優遇されたとなるからだ、必ずこうして不公平になってくる
それで全体が分断されてしまうのである

科学者(専門家)の判断は絶対ではない

何か科学者がすべてを知っているように科学技術社会ではなってしまう
それでお医者様を神のようにあがめるとまでなる、でも医者自体が人間の体を全部知っているわけでもない、本質的には治せないという優秀な医者も言っている
だから放射線被害にしてもどこまで影響があるのかわからないということがあった
ただ危険を言うのはあとで被害が出てた時、病気が出たとき責任を言われるからだともなる
今回のコロナウィルスでも危険だとしていれば後で被害が大きくなっても責任を問われないということがある
それで厳しく言うということがある、責任を問われるのが嫌だからそうしている

ただ30キロ内を避難させたのは最終的には科学者(専門家)ではない、政治的判断したのは政治家なのである、今回でも専門家の意見を聞いても判断できるのは政治家である
その判断が定まらないのはコロナウィルスがどういうものでどう対処していいかわからないからそうなる、未知なものだからそうなる
コロナウィルスは専門家がいろいろ言っても実際は専門家すらわからないのである
そのわからないものにどう対処していいかわからないとなる
ワクチンさえ実際はきかない、きいたことも過去にないという学者もいるからだ
放射線被害もどう出るかわからないものである
その判断が十年後とか二十年後とか三十年後にガンになるとか言われてもそれもわからないのである

ただ共通しているのはコロナウィルスの過剰な恐怖によって社会が崩壊するという危険である、すでに自殺者が増えているとか困窮者が増えているとかになる
それは原発事故でも起きた、町や村が崩壊したからである、それは過剰な放射線被害を恐れたからだともなる
なぜなら小高区など避難区域になったがここはそれほど放射線量が高くなかったのであるだからここを避難させたのは失敗だったともみる
避難させて仮設住宅に移り住んだときそれが3年以内くらいなら復興できたかもしれないそれが5年になり長くなった、他ではさらに長くなった結果町に村に帰る人が激減した
多額の補償金をもらった結果としてかえってそれが外に出る決意させることになった
その金で仙台市とかに移り住んだ人が結構いるし仙台市は津浪の被害者でも移り住む人が多かった、それは前から仙台市に住みたいという人が多かったからこのさいと移り住んだのである、それで仙台市が一人勝ちになったとされる

南相馬市で小高区は避難させるべきでなかった、放射線被害を過度に恐れてそうなったのである、それは科学者(専門家)が30キロ内は危険だとして言っていたが現実に小高区は放射線量は低かったのであり被害になるとも見えなかったのである
結果的に町に帰る人は老人だけであり復興はなくなった
次代をになうものがいないからそういう町の未来があるのかとなる

つまりこの原発事故の教訓を知りコロナウィルスにも対処すべきだとなる

科学者(専門家)がすべてを知るわけではない!

科学者にすべての判断をゆだねるべきではない

ただ政治家にしてもその折り合いをどうつけるかがむずかしい
でもあまりにも恐れる結果として原発事故の場合は町や村が崩壊した
その被害の方が甚大だったともなる、多少放射線被害の人がでていても町や村を維持することが大事だったともなる
社会生活ができなくなるような厳しい措置をした結果として自治体が崩壊する被害の方が大きいとなる
ただ今回は日本だけではない、世界中だから逃れる場所はない、避難もできないから都市封鎖になる、その相違があるにしても科学者(専門家)が全面にでて政治家がどう判断するのか折り合いをつけるのかで悩む
ただ科学者(専門家)の判断がすべてではない、コロナウィルスについては未知でありわからないからである、科学者自体が憶測で言っているともるからだ
ワクチンでも歴史的に考察して効かないという学者もいるかだ
だから原発事故の教訓として社会を自治体を崩壊させるようなことは避けるべきだとなるただこの判断は本当にむずかしい、あとでコロナウィルスが蔓延したら責任を問われるからである、ただ原発事故が教訓になることは確かである


posted by 天華 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月14日

現代老人の不幸 (隠居もできない、一生働かされこきつかわれる)


現代老人の不幸

(隠居もできない、一生働かされこきつかわれる)

長生きすることは悪いことではない、なぜならこれまでの人生は短い
長く生きられないから長寿が願いだった、それで延命地蔵とか各地にある
ともかく病気もあり過酷な労働とか栄養不足とかで長く生きられなかったからである
戦前だと結核で若く死んだ人は本当に多い、正岡子規も36歳で結核で死んだとか
啄木でもそうであり身近でも前の親戚の人の親は若い時20代で結核になり半分の肺を切ったとかある、それは戦後まもなくのことだった
そして一生が病気に意気て終ったとなる、ただ70まで生きたから他の人とは違っていた母の実家の墓には25才で結核で死んだ、その墓を見ると心をしめつけられるようになるそこにどれだけの無念が籠っているか、その25才という年齢が語っているからだ

ただ今度は長生きになっても人間はいい面と悪い面が必ずでてくる
悠々自適の老人もいる、老人と言っても今は小老人(60代)中老人(70代)大老人
(80代)に分かれる、60代はまだ現役であり老人とはいえなくなった
70代から一応老人となるかもしれない、70過ぎると何か本当にいきていたことがもうけものであると感じる、生きているだけで得したとなる
だからこの年代になると生きているだけで存在しているだけでも喜びとなってしまうのである、なぜならもうすぐこの世から消えるからである
だからこの世にあることただ存在していることが貴重であり喜びとなってしまうのであるでも病気とか生活苦があるとそうはならない、健康であればのことである

現代の老人の問題はいろいろある、まず数が多いから敬われることはない、ただ若い人が老人のために税金を負担させられるとかなる
だから早く死んでくれとかなる、老人のために自分の人生が奪われるとまでなる
特にヤングケアラーとかはそうである、20代で祖父母の介護になるのは最も貴重な時間を奪われるともなるからだ、青春は二度とないからである
それもあっという間に過ぎ去るからである
ただそれも経験であり得るものはある、なにしろ人間で大事なことは本を読むことだけではない、経験で知ることが多いからである
何かを経験しない限り理解することができないのが人間なのである

江戸時代後期には,

成人した者の平均死亡年齢は男61歳,女60歳だった
例えば45歳でリタイアすると死ぬまでに1
5年間程度の期間はあった

江戸時代の中でも特に後期は,
「世界最初の大衆リタイア後社会」であった

都市のゆとりのある商人や
武士階級の中では40歳半ばごろには
リタイアして「隠居」する者もかなりいたようである。 

「江戸時代」に学ぶリタイア後の生き方


こうして隠居するのは農民とか商人が多かったというのは意外である
農民だと「隠居田」とかありその質が用意されていた
つまり不思議なのは江戸時代の方が老人にとっては生きやすいものとなっていたのだ
ただこれも格差があり恵まれた人とそうでない人がいた
ただ引退ししても隠居しても何か教えること伝えることがあり重宝になり敬われていたともなる、それは今のように社会が余り変わらないから年長の言うことを若い世代でも聞いていたのである  

今はまずこれだけ変化が激しいと老人は何も知らないできない人となってしまう
現実に技術的にも老人は現代の最先端のITとかについていけなくなる
自分の場合は40代からワープロとかしていたしそのワープロに通信機能がついていて
パソコン通信までしてしいた、それができたのは引きこもりであり時間があったからできたことである、そこで親指シフトを覚えたことが大きかった
これだとスムーズに文章を打てるからである
ローマ字入力だとめんどうでありここでつまづくからである

老後にも人によって違う、多様な人生があるからそれぞれの過ごし方が違ってくる
ただ現代の老人の不幸は金銭的に恵まれない人が多いことである
だから70才でも働くほかないとなり働く場所が警備員とかないとなる
これは工事現場で一応働くから苦しいとなる
老人になってからそういう仕事は辛いのである
でも近くでもスーパーで3時間ほどでも働いている60代の老人がいるしコンビニで働いている人もいる、都会になるともう老人が普通に働いている、70代でも普通に働いているとなる、それが自分の好きだとか生きがいでしているのならいいが金のために働くとなると重圧になる

そして人生も終わりとなる時、そんなふうにして働くの不幸である
もともと自分は若い時流れ作業のようなことばかりしたから働くことに異常なほど嫌悪感を覚えるようになりそれが引きこもりになる原因となり一生旅したりして遊んで終わったとなる
ただ学問とか芸術が好きでありそれを追求してきたのである
それを今成果としてプログに出しているのである
最後は人間はその人のやりたいことをやるべきである
その女性は農家の生まれであり農業をやりたい、それで小さな畑を借りて野菜作りをはじめたのである、その人にとってその仕事は苦痛とは言えないのである
その人は農業に向いている人だと見たからである、でも実際は金がないとかで種から肥料から道具から金を使うだけで収穫ほとんどゼロだったのである
でもその女性は農業が好きだから金があれば最後は好きなことをすればいいとなる
それでも腰がいたいとかなんとか体が弱りできなくなったのである

遊行聖(ひじり)とも。諸国を遍歴遊行し仏道修行する僧侶。なかでも時宗の開祖一遍は,諸国を遊行しながら遊行札とよばれる念仏札を配り,民衆の念仏教化を行ったので遊行上人とよばれた。2祖真教は遊行派という時宗の根幹をなす一派を築いた。時宗の総本山である神奈川県藤沢市の清浄光(しょうじょうこう)寺は遊行寺の名で知られ,歴代住職も一遍同様諸国を遊行したので遊行上人とよばれた

遊行であり遊戯三昧とか雲水とか座禅とか沈黙行とかがある
何か禅宗が自分の性質と合うのである、キリスト教でも宗教がいろんな宗派に分かれるのは人の性質がみんな違ってるからである
自分の一生はまさにこれだったともなる、その原因が流れ作業ばかりとかしか仕事したことがないからである、だからもし自分に合った仕事があればその仕事に没頭したとなる
ただそういう仕事は社会になかなかないのである
不本意な仕事を押し付けられるの、金のためにそうさせられる
だから老後はせめて自分なりのものを追求して終わるべきだとなる
それができないから現代の老後は不幸になる、最後は何か上司や世間に気をつかったりしないで自由に生きるのがいいとなる

だから自分はこれから百才までも生きたいと思う、つまり老後は生きているだけでもその存在を楽しむ喜ぶことができる、なぜならまもなくこの世から消えるからである
そうしたらやりたいことをやらないで依然として奴隷のように働かされて終わるのは苦しいとなるからだ、ただ働くにしてもそれがその人の生きがいとなったりすればいいのである、そうでないと老後まで不本意に生きるとなり生きるのも嫌だとなってしまう
たた現実には経済的なことでそうなっている老後が多いから現代の老人は老後は不幸だとなるのである

とにかく老後は本当は金にかかわらない生き方が理想である、なぜなら現役だと利益から離れられないのである、利権から離れられない、そこで歪められるのである
自由に言いたいことを言いたいとしてもしたいとしてもできない
様々な制約があり金になることが優先される
だからインタ−ネットだと自由な発言の場になるがここも利益のために商売の場ともなった、youtubeでも一億かせいだとかなりそれが話題になる
つまりテレビのように視聴率をとりそれが広告で稼ぐとかなる
つまり社会と同じ場になっている、広告の場になったとき歪められるのである

だからテレビのように何百万見ているというyoutubeは実際は大衆向きのものでありテレビ番組が面白くないと言うが同じようにつまらないものでもし刺激になるものを店て広告費を稼ぐことは同じなのである
だから何でも利益がかかわると金がかかわると本来の趣旨とは違ったものになってしまうのである、そういうものから脱して発言できるのはインタ−ネットの強みだったのである発言するにしても金がかからないからである、手間はかかるにしても金はかからないからそういう場としてあったのがここも営利主義に汚染されてしまったのである
だからむしろ向いているのは金銭的に余裕のある江戸時代なら隠居のような人が発言することなのである
そして老人はそれぞれ経験しているからその経験を語るべきだとなる
ともかく長寿は長年の人類の願いだった、それが実現している現代であるがそれに反して金銭的に余裕がないということでいやいやながら働かされるのは不幸なのである




2021年03月12日

貧困化して生活するのにはどうするのか? (大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


貧困化して生活するのにはどうするのか?

(大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


困窮死と水道停止 停止前の訪問で防げるか

2019年12月、東京都江東区の集合住宅で72歳と66歳の兄弟が痩せ細った状態で死亡しているのが見つかった。電気やガスが止められ食べ物もほとんどなかった。料金の滞納で水道が止められる直前だったが、生活保護の申請はしていなかった。


毎月電気、ガス、水道がとめられると訴える人がいる
その対策は何になるのか?根本的には収入がないことであり老人になって働けないことがある
でも二人の息子がいて前は一人と一緒に暮らしていた
それが別々に部屋を借りて生活している
すると三人分別々に家賃がかかるしまた電気水道ガス代もかかる
何か対策があってもしない、それで毎月それほど困っているのだから何か対策を考えていいともなる

現代の生活は大家族から核家族から個人化した生活になった
私の子どもの時は電気ガス水道代は払う必要がなかった
電気があった年ても裸電球一つだったからである、水は近くの井戸水の水を無料でもらっていたのである
それから洗濯は近くの堀の水でしていたから信じられないともなる
それは原始的生活だったともなる、ただ近くの小川を利用して洗いものしていたことは普通にあった、水道がなければそうなるのである

それから子供部屋などはなかった、だから子供部屋で勉強していた記憶がないのである
それで団塊の世代は子供部屋おじさんとかはいないのである
子供部屋を持つことは相当に贅沢なことだったのである、個室をもつことは贅沢なことだった
戦後まもなくはみんな貧乏だったから同じような生活だったのである
ただ食べ物は農家にあり農家の方がましだったのである、第一食べ物がないのだから他は無くても食べ物があればたりるという時代だったからである

そして今日本が貧困化すると電気ガス水道代を払うことができない人が相当数増えたのである、全体の5パーセントがそうなっているというとき結構多いとなる
最悪は借りる部屋から出されるということになる
日本は貧乏が見えないけど実際は相当数が貧困化している
それが一番わかるのが電気ガス水道代が毎月払えなくても電気でもガスでも水道でも止められることなのである
金を払わないと止められる、張り紙さえ張られるとかある
だからこれを知った時その人は貧乏だと知るのである
もうぎりぎりの生活をしているのである
だから近くの人が夜は電気を消しているとか団地でも夜電気を消しているということがあると貧困化している日本を実感するのである
ただ現代の貧困はなかなか見えないからわからない人も多いのである

だからこれからはなんらか貧困対策をしなければ生活できなくなる、そのために生活保護があるとか福祉があるとかいうが実際生活保護でも最低限もらえていない人がいる
だからこそ電気ガス水道代が払えないのである
生活保護が最後のセーフティネットになっていないのである
これから福祉予算はますます削られる、国民年金とかなると6万だとかにもなる
それでどうして生活できるのか?
息子の世代も生活が苦しいから親の援助はできないとなる
そこで起きてくるのは家族遺棄社会だとなる、家族がもう経済的にも金銭的にも支援できないのである
福祉に金が回らないのは日本自体の経済力が下降しているからである
そして少子高齢化社会になり全体的に働き手がへりまた高度成長時代のように電器製品でも中国でも韓国でも台湾でも同じようなものを作れるようになったからである
最近では車さえ売れなくなると危機感を抱いている、電気自動車とかになると部品がへり大量の失業者が出ると言われる、基幹産業で輸出ができなくなりますます日本は貧困化して来る

だから今までのような感覚で生活していると借金地獄にもなる
つまりこれまでの生活状態を維持できない、でも維持しようとすると借金になる
そしてさらに苦しむことになる
だから最近若者でミニマリストとかがもてはやされる、なるべく物を買わない、車もいらないといろいろなものをいらない生活を実践する
それは若者でも貯金がないとか貧困化しているからである
そうせざるをえなくなっているからである

ただこれまでの贅沢を維持できなくなる、でも依然として田舎でも一人一台車をもっているとかこれまでの生活をしようとするときどうしても無理が生じて来る
そういうことができなくなる、その時どうするのか?
それが問われることになる、日本は経済成長を目指すべきだとしてもそれもできないとなると貧困であっても生活できる方策が必要になる
その一つが個々に生活するのではなく昔の様な大家族で暮らす方法である
例えば餅でも一人暮らしで一つ焼くのと三つ焼くのでは電気代が一人だと一人分とられるでも三人分を焼けば三分の一でたりるのである

だから実際一人暮らしは本当は贅沢なのである
ただ一人暮らしが増えるという時、売る方にすると一人分をテレビでも電気製品でも何でも買う、すると企業にとっては消費が増えるからいいとはなる
大家族で消費すると何でも一台でまにあうが三人分となり五人分となるとその分の電気製品でも売れるとなるからだ
でも貧困化するとこういうことはぜいたくだとなる
そして今や家族でもプライバシーにうるさくなったりい一緒に暮らしたくないという人も増えている、人間の生活が孤化している、そして孤立化して孤独死とかも増える
これはやはり豊かな時代だからありえた
でも今や貧困化する昔の生活形態を知りそれに習うということ必要になる
三人別々に電器製品でも使い電気ガス水道代を払っているのはぜいたくだとなるからだ

それからみんなそれぞれ別々に電器製品でも買うのではなくみんなで使う、シェアして使う、だから一人車一台もつのは今や贅沢なのである
長屋での共同生活みたいなものにもなる、つまり個々人で個々の家族でも生活することは金がかかるからである
確かにプライバシーは失われるにしてもそれよりそういう生活ができなくなる
それは贅沢なことであり貧困化すればできないのである
ただそういう貧困にあっても依然として今までのようにそれぞさがプライバシーを守り
親子でも一緒に暮らすのを拒否している
もちろんそうして個別化して生活する人もいるしそれが必要な人もいる
でも貧困化したらみんなそんな生活がてきなくなるしなっている

貧乏になったら貧乏に適応した生活にならざるをえないのである
そんなこと嫌だと言って借金してまで贅沢な暮らしをするのは迷惑だとなる
金を貸す方にするとそんなに要求されてもできないとなるからだ
ただまだそこまで深刻に考えていない、でも現実はそうせざるをえないぼと追い詰められている人が相当数いる、毎月電気水道ガス代が払えない人がいる
そういう人たちがどうするのかとなるとミニマリストのような生活を強いられるのであるそれが変人でもなんてもない、そうしなければ生活できなくなっている
ただそこまで追い詰められているのに深刻に考えないのである

posted by 天華 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

冬の日の飯館村(ホームページから抜粋) ー飯館村のかつての風景


冬の日の飯館村(ホームページから抜粋)

ー飯館村のかつての風景

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前に書いていたホームページを見ていたらこれを発見した
こさも忘れていた、何しろ膨大な量を出しているから忘れる
それで今その整理をしているけどいくら整理しても整理しきれないのである
「時事問題の深層」とかに書いたのも今になると一つの資料として貴重なものかもしれない、その時何があったかを知るからである
なぜなら自分で書いたものでも忘れているからである
それで前に書いたものを参考にすることが結構あるからだ
インタ−ネットだとリンクできることが便利なのである

今こういう風景が飯館村から喪失した、田畑は草ぼうぼうであり放射性廃棄物の処理場のようになってしまい荒れ果てている
その風景は生業(なりわい)とともに作られていたのだ
その生業もないし奇妙なのはこじんまりとしたしゃたれた別荘が家があったところに建てられている、そこに時々帰って畑などで野菜を作っているというのも不思議である
それは今までの風景とは余りに違ったものである
ただ飯館村の人たちは補償金が多くもらったから福島市などに新しい家を建てている
だから家が二つあることにもなるから確かに別荘であり金持ちになったのかともみる

いづれにしろここに私が残した飯館村の風景は失われた
なんでもない平凡なものだがそこに何か貴重なものがあったことをふりかえる
今の風景からもうそういうものをイメージもでなくなっているからだ
そして生業を失うことは村が死んだことなのである
ソーラーパネル工場となり風力発電所となり田畑は失われ人々は補償金で村が二分されてばらばらになった
それは別に飯館村の人たちの責任ではない、飯館村は原発の恩恵を受けていなかったからだ
原発によって村はずたずたにされたのである
ここに原発事故のむごさが一番現れたからである

そして生業を失うことは長年培われた江戸時代からの景観でも失われたともなる
そこに生業がなくなればやはり死んだものとなる
「作見の井戸」の行事も失われた、それは井戸の水を見て豊作か不作かを占うものだったそれももう田んぼがないのだから無用化して失われた
祭りも失われたのである、神社は誰も参らず捨てられている
こうしして相馬藩内だった飯館村が失われたことは大損失にもなった
飯館村は一見地理的に相馬市とか南相馬市と離れているようで結びついている
なぜなら新田川の源流が飯館村内にあり真野ダムでも大倉にありそこから放射性物資が流れてくるからである
飯館村の佐須では泥が20マイクロシーベルトあったことに驚いた
その泥が真野ダムの方に流れてくるから怖いのである
現実に放射性物質をつめたフレコンバックの土が破れてもれて流れ出したからである
飯館村は依然として放射線量が高いのである

ともかく飯館村の何が貴重だったのか?それも失われるとわからなくなる
なぜならそういう景観が失われたからである
ただ私は何度も行っているから今残された写真を見てこんな風景があったなとなんでもない風景を見てそこにかつての飯館村の面影を偲ぶともなる



posted by 天華 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

都会の見えない津波 (人間は見えないと恐怖を感じない)


都会の見えない津波

(人間は見えないと恐怖を感じない)

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八沢浦

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テレビで放送していたけど都会は家が密集しているから津波が来たのが見えないでのわからなかったという、それは多賀城市のことで説明していた
海からと川をさかのぼって津波が襲ってくる
それは八沢浦と大内村の人から聞いた
八沢浦だとすぐ前が海でも津波が来るのが見えて裏山に逃げて助かったという
そんなに近くでも見えたから逃げたのである
大内村の人はそれなりに距離があったがその人も津波が遠くから来るのを見えてからトラックで逃げた、ただそこはすぐ裏山があり逃げればやはり助かった
でもトラックがあったのでそれを守るために逃げたともなる
つまり津波が来てから見えてから逃げて助かった人が結構いる
映像でも津浪が押し寄せて必死に逃げている映像がありそれで山に駆け上って助かった人もいる

今回の指摘は都会だから家が密集して前が見えないから津波が来たのが見えなかった
それが盲点になったのである、石巻の大川小学校でも前は家が密集している、すると津波の来るのが見えないのである、また日頃でも海が見えないと海を感じないのである
それで不思議だったのは私は津波が来る前から何度も海の水がおしよせてそれにのまれる夢を見ていたのである
そこは家がほとんどない田んぼである、それで頭の中で海が身近になっていた
家がないから海が延長しているというふうにも見える
でもそこに家が密集していると海が見えないから海を感じないのである
そして家の間の道が水路となり津波が押し寄せて来た
何か音も感じなかったという
それで自転車に乗っていると後ろから来る車が見えない、ところが音がして気づくのである、もし音がしないと気づかないから横切ったりしたら事故になる

とにかく人間が危機感を感じるのは見えることである、見えないと危機感を感じない
放射線量でもそうである、見えないから危機感を感じない、それで数字で知る意外方法がなかったのである、それでも数字だとまたわからない、放射線が視覚化していれば恐怖を感じる、人間は見えないと危機を感じない、ウィルスでも見えないから危機を感じにくいそのために感染が広がる、見えないから危機を感じにくいのである

また津波は下水道とにも流れてふきだしてきた、小高の駅を越えて津波が来たのかと思った、泥が積まれていたからである、それは下水道を通って津波がマンホールからあふれたためである、鉄道の線路は越えなかったのである
これも気づかないことだが下水道も津浪では危険だとなる

とにかく津波は見えてからでも必死に逃げれば助かることがあった
ただ都会だとまず家にさえぎられて見えない、そして逃げるのもどこに逃げていいかわからなくなる、家が密集しているからである、だから近くの高い建物に逃げろというのはわかる、だから都会の家が密集していること自体危険なのである
火事でも危険なのである、またウィルスでも過剰に人が密集している都会は危険なことがわかった、つまり人が過剰に密集して暮らしている社会は実際は危険なのである
それは生物にとって不自然だともなるからだ
そのために災害に弱いのである、一千万の都会とかなると何か見ているだけで感覚的に怖いとなる、高層ビルが倒れたらどうなるのだろうかとかイメージするからである
津浪が襲ったら地下街は危険である、でも見えないからとっさに逃げることができなくなる、そこは閉ざされた世界だからである

いづれにしろ見える見えないということは人間にとって重要である
それが生死を分けることにもなる、だから家が密集していることは災害に弱いのである
津浪でもそういう災害に対処できないのである
もともと家が密集していることが人が多すぎることが原因になっているからだ
ウィルスでも人が密集していることで防げないのである
一千万人とかが密集していることで防げない、どうしても感染が広まるからである
田舎だと近くで一人コロナウィルスの感染者が出たというだけど恐怖を感じる
それで危機を感じて対処する、でも大都会だとそういう危機を感じにくい
あれだけの人がいて交わらないということはありえないからだ、それで防ぎようがないのである、そもそもデスタンスをとることができないからだ
田舎だったら日ごろから家でも離れていてデスタンスをとっている
大都会だとそれができないのだから防ぎようがないのである


posted by 天華 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

2021年03月10日

原発事故避難区域が復興できないのはなぜ? (基本となる農業、林業、漁業が失われたから―浪江町の人の言ったこと)


原発事故避難区域が復興できないのはなぜ?

(基本となる農業、林業、漁業が失われたから―浪江町の人の言ったこと)


浪江町のことを報道していたけど不思議だったのは浪江町に住んでいる人が語ったことである、その人は電気関係の仕事であり東電でも働いていた
千人くらい東電で働いていたという、そして浪江町が人口二万にもなったのは東電があったからだと言っていた
その人が言うには街中に住んであさだけ寂れた街になっているのに補償金もらって良かった年金代わりにもらって困らないとか何も街がさびれたと感じいないことだった
なぜそうなのかわからなかった
その人は回りの田畑が草ぼうぼうになっても関係ないのである
自分の仕事は電気関係であり別に事故前でも関係ないと見ていたのである
第一漁業とか農業とか林業でも放射性物質に汚染されたけどそれで被害を受けたのは第一次産業の農業、漁業、林業とかだとなる

そこでは農産物でも果物でも魚でも汚染されていると未だに風評被害があるからだ
ところが今の社会はそういう第一次産業を基礎にしていない
すでに全体の経済の割合は一割にもみたないくらいなのである
すると田舎にいてもみんな会社員であり農業とか漁業とかの従事者ではない
だから意外と田畑に囲まれても農業のことを知らない人が多いのである
でも電気関係とかは従事者が多いから収入源だから常にそこには関心がある

別に周りの田畑で農産物でも魚をとれなくても今の社会は外国からでも入ってくるから関心がないのである、金さえあれば世界から入ってくる
魚でも鮭とかマグロでも外国産だったりする
もし地元でしか魚でも農産物でもとれなかったら死活問題となる 
だからその電気工事者は農産物がとれてくても魚がとれなくても事故後も関心がなかったとなる
ただあのような寂れた街に住んでいて別にかえって良かったといっていることは理解できなかった

そして結局復興は何かというとき農業や漁業のことではない、工業のことである
科学技術のことである、そこに復興の未来を見出しているのである
南相馬市ではロボット工場とかであり浪江町だと水素工場ととかである
つまり原発事故は科学技術の故に起きたことであるがまたその復興は科学技術で成されるとなっているのだ
農業や漁業の復興は一応言うにしてもそれが復興につながらないのである

それは事故前からすでに農業漁業林業は主要産業ではないし一割にもみたない割合しか経済でしめていなかったからである
となると一見田舎だと田畑に森に囲まれているからそれが主要なものだと錯覚するのである、でも浪江町の人が言うように回りの田畑が草ぼうぼうの荒地になっても関心がないとまでなる、そして復興とはやはり科学技術なのである
現代人はたとえこれだけの悲惨な原発事故があっても依然として復興するのは未来は科学技術にあると信じている、それは信仰のようにもなっている
いづれは科学技術が解決すると見ているのである

ただ復興というとき私自身が感じたのは、田んぼが再生したときそこに鷺が帰ってきた
また蛙が田んぼにもどってきて盛んに鳴いた時復興を感じた
それは自然がもどった感じたのである、生態系が回復したと感じたのである
田畑は第二の自然だから自然が復興したと感じたのである
でも浪江の電気工事者はそんなことは一切感じないのである
彼にとって重要なことは電気工事者として仕事があり金が入ることであり回りの田畑が草ぼうぼうになっても何も感じないのである

自然保護があるが自然保護は実際は自然の中で生活している自然から糧を得ているとき自ずと自然を大事にする、それは農業でも漁業でも林業でもそうである
森が利用されないと森はかえって維持されななる、人の手が入らないとかえって森は活かされないから荒れるということがある
だから自然保護というのは成り立たないのである、自然の中で人間が生活しているとき自然も人間も活きていたのである

原発事故の深刻さは空気とか水とか土が木でも汚染されたことである
するとここには住めないとなったのである、その打撃を受けたのは生態系に依存する農業とか漁業とかである
ただ一次産業はもともと工業化で重要なものでなくなっていた
だから田舎に住んでいても軽視されていたのである
また農産物でも魚でも広域化してグロ−バル化すると地元でとれなくてもいくらでも外から入ってくる、するとまた地元にとれるものでもなくてもいいとなる
でも地元の生態系を維持しないと空気でも水でも土でも汚染されると住めなくなるのである

もし生活の基礎として第一次産業があり生態系の維持があるときその自治体全体が崩壊するようなことはなかった
つまり第一次産業が生活の基盤になっていれば全体ではなくても根幹となるものが残存して復興ができたとなる
それで漁業関係者が東電に漁業権を売り事故前も多額の補償金をもらっていたし事故後もなんら生活に困らないのである、やはり立派な家を建てているからである
何かこのことに今回の原発事故でも象徴されていたのである
生態系とかが大事にしない、まず金になればいいとなり零細な漁業より東電から補償金もらって暮らした方がいいとなったのである
それは社会構造がそうなったためでありいちがいに全部を漁業関係者の責任だとは言えない、ただそこに一番矛盾が現れたのである
トリチウムを海に流すなと漁業関係者が言ってもそれはまた補償金をつりあげるためなのかと見られてしまうからである

実際に浪江の請戸の船主が病院で特等室に入り新しい家を建てると言っていたからである
現代の社会は科学技術の社会である、科学技術に後れをとったら世界の競争にも勝てないだから高度成長時代は科学技術で日本が優って世界の競争に先んじていたから豊かになったとなる、それで外国に電器製品を売り石油を買ったり外国の物を買うことができた
日本には売る資源がなくても電器製品を売ればいいとなったのである
でもその科学技術に遅れをとるとグロ−バル化の競争に敗れて日本は貧困化しているのである
かといって農業と漁業とか林業とか第一次産業主体の経済には戻れない
でも原発事故でわかったことはこうして生態系を維持していたものが破壊されると住めなくなるということである

もし根幹になる農業とか漁業とか林業でも残っていれば町でも村でも崩壊しないのである実際に江戸時代から戦前までそうして貧乏でも人はその土地でとれるもので生活していたからである、それは貧乏でも町や村に住めなくなるということはなかったのである
でも東電の原発に頼った結果すべてを失ったとまでなる
だから山尾三省があれほど農業に思い入れがありそれが人間の生きることだと価値を見出したことが逆説として今問われている
ただパンが贅沢とかの生活はもうできない、ただその実践してきたものが何だったのか?それは現代の科学技術文明に対するアンチテーゼとなっていたことに気づいたのである

どう考えても町や村ごと崩壊することはない、相馬藩で天明の飢饉でも三分の一の人口が減った、でも田畑が荒地になってもその土地が資本となり越中とかからの移民が入ってきた復興したのである、それは土地を資本としてその土地があったから復興したのである
でも今は基幹となるものが土地ではない、科学技術だから科学技術が崩壊するとその土地全体が崩壊するとまでなったのである
それは大きな社会の変化世界のの変化で起きたことでありすべて地域の責任とも言えないみんなそういう社会で生きているからである
でもこのことはここだけに起きることではない、科学技術文明になると科学技術が崩壊すると自治体も全体が崩壊してしまうとなる実例となったのである

posted by 天華 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年03月09日

いぬふぐり、梅、椿 (原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)


いぬふぐり、梅、椿

(原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)

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(原町の道の駅の公園)


春日さすベンチあたたかいぬふぐり

公園に雀群れ来ていぬふぐり

春の日や母と子遊び木の根あり

(上高平)

山鳩の来たりてにおう庭の梅

また一つ綿津見神社や椿咲く

古碑並び大木の下に落椿

元文の碑我が目にとめて落椿


原町の道の駅の公園に休み上高平の方を回った
道の駅には良く行く、あそこで買い物したり食事したりする、また高見ホテルの食堂にも行く、原町というとき駅前通りとかには行かない、道の駅周辺で買い物をして駅前の方には行かない、イオンには時々行くけど遠い、イオンは離れすぎている
今の時代でわかることは街中には行かない、そこか古町のようになっている
原町だと街道があった所が最初に栄えて次に駅前通りが栄えて次に六号線の道の駅周辺が栄える、このように常に街は変わる、それは昔からそうだった
つまりこれは浜街道があり次に駅前通りがあり次に車社会になったとき六号線の道の駅周辺が新しい街になったのである
交通によって街が変化したのである、だから交通の影響が本当に大きいのが人間社会なのである

あそこの公園には良く行く、それも地の利があり便利だからである
あの辺で買い物して道の駅で食事して休むのに便利になっているからである
街というときいろいろなものが一か所に集まると人も集まり安いのである
そういう所に公園があると利用される、夜の森の公園となるとそういう場所ではない
公園として孤立しているのである

あの公園で目に留まるのが木の根っこなのである
それで木の根公園とかなる、公園にも特徴があるのかもしれない、何でも特徴はある
ベンチに座ると下に犬ふぐりが咲いていた
雀が群れてくる、母と子が遊び平和な光景である   

それから桜井古墳の方に行きそこは運動場であるが公園でもあり新田川沿いを必ず散歩している人がいる
そこで木の写真を撮った、あの木はなんでもない木のように見ていたが写真を撮ってみて一列に並んでいる、それが神殿の柱のように見えた、列柱のように見えた
何でもないものでも発見がある、それでカメラは欠かせないのである  


春の樹々

大地に根づきし樹々の
ここを離れずさらに
強く根を張り動かじ
春の光の柔らかくさし
樹々はここにあることの
冬を耐えて喜びに満ちる
十羽ほどの山鳩の群れ飛びきて
平和の日はもどりぬ
鳥は自由にそちこちの樹に
飛びて止まり飛びまわる
梅の香は馥郁と流れ
樹々はここに深き契りを交わす
その誠は変わらず
この地に根を降ろして動かじ
ここは安らぎの地なり
ここに人は離れず
ともにありしを喜ぶ

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それから上高平の方を回ると綿津見神社がある、相馬地域ではとにかく綿津見神社が多いのである、神社の半分くらいが綿津見神社に思える
後は八坂神社が多い、この綿津見神社は海人族の安曇氏などが移住してきたことに由来している、縄文時代があり弥生時代がありその弥生時代のものだと思う
だから相当に古いしここの先住民が残した神社ともなる
ただそのことについてまだ深く考察した人はないようである
ただ西殿とかは殿とあるごとく古い場所である、すぐ近くに南北朝時代の五輪塔があるからだ

そしてこの綿津見神社の古い碑があるが元文というのは相当に古い


元禄げんろく    1688.9.30    〜    1704.3.12     
宝永ほうえい    1704.3.13    〜    1711.4.24     
正徳しょうとく    1711.4.25    〜    1716.6.21     
享保きょうほう    1716.6.22    〜    1736.4.27     享保の改革
元文げんぶん    1736.4.28    〜    1741.2.26     
寛保かんぽう    1741.2.27    〜    1744.2.20     
延享えんきょう    1744.2.21    〜    1748.7.11     
寛延かんえん    1748.7.12    〜    1751.10.26     
宝暦ほうれき    1751.10.27    〜    1764.6.1     宝暦事件
明和めいわ    1764.6.2    〜    1772.11.15     
安永あんえい    1772.11.16    〜    1781.4.1     
天明てんめい    1781.4.2    〜    1789.1.24     天明の大飢饉


元禄まだはいかないにしても相当に古い、つまりこの神社は古い
ただ古い碑にしても江戸時代のものである、弥生時代とかではない
ただ神社自体は弥生時代にさかのぼる由来がある
とにかくこの辺は歴史が古く考察する必要がある






2021年03月07日

春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)


春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)
                            
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金沢の一番星


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東風(こち)吹いて桜井古墳や海近し

春の雲ふらりとよりぬ喫茶店

蔵ありてここに休むや松と梅

春の空高速より見ゆ鹿狼山

平穏に日がな匂いぬ梅満開

紅梅や山鳩来たる庭広し

紅梅や牧に馬かな草もゆる

ふるさとの墓地に眠るや春の山

                        
春の日や若き女(ひと)あれ我老いて昔を語る人となるかな

隠されて溜池ありぬ春の鴨あまた群れいてここになごみぬ
      

先日は桜井古墳をまわり金沢の一番星の喫茶店に行った、あそこは松と蔵なのである
今回のその松の隣に梅が咲いていた
そこで火力発電所がある前に私は砂浜がつづいていて歩いていたとか話しした
でも右田の松原は流された、金沢にも松原がありそのマツは太かったのだ
それは津波でなくなったのではなく火力発電所ができたりしてずっと前になくなっていたのだ
あそたでキャンプする人もいたのである
松が太いということはそれだけ古いということである
金沢は元禄時代に開拓された場所だから実際に古いのである
松と蔵があるから松倉珈琲店なのである

今日は寒いけど晴れていたから鹿島の高速のSAに行く食事した
あそこは鹿島では一番にぎわう場所である、街中とか鉄道の駅は閑散としている
でも車時代だからあそこは一番にぎわっている
そこから鹿狼山が見える、あそこもすでに三年以上すぎるとなじんでくる

紅梅も咲いた、山鳩が飛んでくる、牧場に馬がいる、野馬追いに出すために飼っている
この辺の風景である

それから小池の奥の方に溜池があった、そこは行ったことがない
一回くらい行ったのか忘れていた
こんな所に溜池があったのかと新しく発見した感じだった
意外とこの溜池は多く知らないのがまだある、それだけ溜池が日本では多いのである

そこに鴨が群れていた、隠されて群れていた、鴨は秋の季語であり冬の鴨があり春の鴨がある、こんなところで鴨が群れていたというのは意外だった
何か隠されていることが神秘的だとなる
飯館村はそうした隠された村だった、それが原発事故以後は様々なことで醜い場所になったのである、これまでは問題があるにしろひっそりと隠されていたから良かったのであるそもそも人間は醜い、でも自然の中に隠されているとその醜さが現れないからいいのである

ただ今回は鴨がこんなにここに群れていたことは発見だった
ただ水が相当に少なくなっている、雨がふらないからだ
今日は春と言っても寒い、春寒しだとはなっていたが天気がいいから出かけたのである