2020年02月29日

春寒し(小山田の堤(つつみ)-静謐な堤(詩)


春寒し(小山田の堤(つつみ)-静謐な堤(詩)

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富士の花は良かった、白藤と紫の藤もあるからだ

これを白い藤と別に紫の藤を作るのもいい

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あそこに二つ山が見えるのは大原の山だろう
何かもう一つはっきりしないが大原の山が結構鹿島からも見える

静謐な堤

静謐なる堤
春寒しかな
去年の落葉を踏み
ひそか群れいし鴨
音もなく水脈引き
ここを乱さざれ
聖域のごとくに
幽かに夕べ繊き月  
水面に写して暮れぬ
丘に一本の樅の木
真直に立ちて
ここを己が場として
動かざるかな




春寒し病の老人増えにけり

晩年に春の霰に打たれけり

この道や梅の匂いて今日もよる


大原の双子山見え夕ぐれや春なお寒し小山田の堤

夕暮れや去年(こぞ)の落葉踏みにつつ隠さる堤鴨の群るるも

ひそけくも鴨のむれいし堤かな春の寒しも繊き月いず


常磐高速のSAに小山田まわり行った、何か手芸の催し物をしていた
それからまた小山田の堤を通り帰ってきた、あそこの堤は結構大きい
とにかく田舎には堤がため池が多い
そこは一つの自然の池のようにもなっている
それで飯館村ではそこをキャンプ場にしたけどあの池は浅いからたいした堤ではない
深い堤がこの辺には多いから見劣りする
あそこは自然の散策路にもなっている

あそこから大原の双子山見えた、これは別にそういう名ではないけど丁度二つの山になっているから私が勝手に名付けたのである
何か一時1月でも暖冬だったけど今になって元にもどった
寒いのである、だから春寒しである
二日前だったとか霰も降ったからだ
これは季節が正常にもどったのかとなる
ただ梅は相当に咲いたから早いのだろう

今日は細い月が出た、ひっそりとあの堤に写しているだろう
あそこの道は散策路として整備されているしいい場所である
こういう場所はなかなか外から来た人にはわからないのである
田舎には何でもないようでもそうした隠された場所が必ずある
でも外から来た人には気づかないのである
どうしても目立った所に行く、だから田舎に知るにはある程度長く滞在しないとわからないと思う

季語的には鴨は冬なのである、春の鴨ともあるが今は春という感じがしないのである
寒々としている、今頃このころ風が吹くのだけど今年は吹かない
これから吹くのか天候は歳によって変わる、去年から今年と変則的だったのである


中国は農業大国ではない? (中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


中国は農業大国ではない?

(中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


食糧を輸入に頼る中国は「土地が広大なので農業大国になれる」は誤解
(妙佛 DEEP MAX)

 大豆の自給率が94%から13%にまで落ち込むなど、急速な衰退をみせる中国農業。野菜果物に関してはすでに輸入量が輸出量を超えた。世界の穀物生産量の20%以上を占めるとあって、その影響は世界にまで広がる

 工場排水で農地が使えなくなっている、工場で一時的に収入を得るために農業より工業に重点をおいた、その農地を回復するには莫大な金がかかる
       
そもそも中国はあれだけ広いのだから農業中心の国と見ていた

では何で日本に野菜輸出しているのか?

それは毛沢東の時代は飢饉のとき外国に食料を外貨を得るために輸出していた

中国を汚染されても気にしない、農業より工業で外貨を得ることを優先した

それは原発事故でこの辺が放射性物質に汚染されて農業が衰退した 

これは中国だけではない日本のことである
原発事故でこの辺は土地も汚染されたし海をも汚染された
それは回復不可能なほどにもなった
まず生態系全部を除染などできないからだ
今でも溜池を除染している、その溜池でもいくつもあり泥をとったとしても周りから泥が流れてきてまた放射性物質が蓄積する
そして肝心の広いダムは除染していない、広すぎるからできないとなる
だから除染というのは途方もない労力がかかるし金もかかる
だから避難区域になった所では農業は回復しない、除染も焼け石に水だともなる
だからこの辺は中国と同じようになっているから中国だけを批判できないと思った

それから毛沢東が飢饉のときやはり人民のことを無視して食料を野菜でも輸出していたという、それで毛沢東は人民のことなど思っていなかったという
でもそういうことは日本の歴史にも特に東北にあったのだ 

津軽藩は大量のムダ遣いによって商人から多額の借金を抱えてしまいました。津軽藩は農民から徴収した年貢米を換金して借金を返済していました。

 そんな中に起きたのがこの天明の飢饉です。借金に追われた津軽藩は非常時の備蓄米すらもお金に換えていたため、餓えに苦しむ農民達に米を支給することが出来なかったのです。東北は本来、ヒエや麦が適した地域で、米の栽培には適していません。しかし、お米はお金になるという理由で、東北の多くの藩も商品性の高いお米の栽培を奨励していたのです

この天明の飢饉で相馬藩の三分の一が消失してしまった
その跡を埋めたのが越中などからの移民だったのである、だから相馬藩内の墓を見ると真宗が三分の一くらいあるから歴史の重みとして明確にわかる
このことは商品作物はグロ−バル経済でそうなりやすいのである
アフリカなのかコーヒーばかり作り外国に売っているとある時コーヒーが売れなくなったりすると安くなったりするとその土地の人が飢饉にもなる
それで他の食料も作っているべきだとなる
つまり外国のために売る商品作物を作るだけになると食料が確保できなくなる危険がある日本でもコロナウィルスとか何かあると中国から野菜でも入らなくなる
食料が入らなくなる、グロ−バル経済にはそういう危険がある

中国の歴史を知ることは密接に日本を知ることだから本当は中国の歴史をもっと学ぶべきなのだが明治維新後はヨ−ロッパとかアメリカ一辺倒になったので中国のことがわからなくなったのである
中国と交流があったのは唐の時代でありその時遣唐使が日本から送られてその文化を漢字や仏教を取り入れたのである
その後は交流があったとしても日本は日本の独自の歴史を作って来た
でも没交渉ではなかった、鎌倉時代には禅宗などを取り入れた、これは実践を重んじる中国的なものだった、鎌倉の五山文化が作られた
ただ江戸時代になると鎖国になり没交渉になった
そして今中国がグロ−バル経済で世界帝国を目指すようになった
それで周りで警戒するようになったのである
また中国とは何かを見直すようになったのである

ここのyoutubeは相当に人気がある、語りも面白いのである、それは中国に長年住んでいたからあれだけ詳しいとなる
youtubeにはアメリカで事業していた人とか外国生活している人も語っているからテレビと違った情報を提供している、それが新鮮なのである
つまり外国を鏡としてまた日本を見れるときその比較で明確に見えるものが生まれる
また歴史を知るというのはそういう過去の対比で現在を見る
すると今の時代が見えるということで過去を歴史を知るのである
そしてつくづく歴史は人間が生きることは継続でありカルマなのである、繰り返しなのである

洪武帝が土地が旱魃になり両親も死んで子供のときに一人になってしまった
それで僧になり乞食して生き延びてやがて流民化した農民の軍隊に入り皇帝までなったのである
その僧になったというとき何か乞食するには僧になるのがいいのである
僧になる理由は悟りを求めるとか求道だけではない、飢えて食えなくなったとき僧になり食料をもらう、逆に食料をもらうために僧になるのである
僧には日本でも過去にもそういう人がかなりいたことは確かである
そういう人が遍路にいた、何か最初わからなかったがその人に金をやった
その金は大きかったからその人はためらった
そしたらお経をあげるとしてあげたのである
こうなれば単なる乞食ではない、俺は御経をあげてやる、あなたは私を敬いなさいとなる
その人はプライドがありそうしたのである、にわか僧になったのである
こういう人も食うために追い詰められてそうなった、意外とカルト宗教団体の人にも多い
それは常にこうして食うことでも追い詰められて宗教にすがり宗教を利用するからである
上から下からそういう人たちが集まるからである


その人は僧だったの?

その人は仏教のことなど何も勉強していない、ただ遍路をしていて誰かをまねたのだろうその人はホームレスだったのである、四国ではホームレスが僧になりやすいのである
それは遍路で僧になっていれば食料でも恵む人がいる土地柄だからである
こういうことはだから人間の歴史として継続している
食うために僧になる人がかなりいたのである、今のカルト宗教団体などは何かそこで御利益を得るしかない、だから食い詰めて僧になった人とにている

とにかく中国の歴史は過酷なのである、その生活も過酷である
人民の数も多いからそこで競争も熾烈になる、食うか食われるかの世界にもなる
そこに情実が入りにくい、生き延びるために必死になる
中国でも飢饉が常にあったからだ、するとその数が多いから流民化する
その流民が軍隊化して洪武帝が皇帝になったのである
十数年前には蒸気機関車も走っていて鉄道の貨物列車のようなものに地方から都会の工場に出稼者が家畜のようにつめこまれていた
車掌は本当に鞭をもっていて打っていたというから過酷である

欧米と違って中国はやはりなにか中国の延長として日本がありリアルなのである
ヨ−ロッパとか中東でもアメリカでもなかなか理解しにくいが中国の歴史は日本にも通じているから理解しやすいとなる、でも同じ漢字でもその意味することは違ったものになっている、中国と日本の差も実際は大きいのである
中国人もまた日本人のことを理解できないのである

いづれにしろ中国を知ることは日本を知ることでもある、それは外国を知ることはまた日本を知ることなのである、だから中国に対する理解を深める必要がある
中国と韓国はもう一つである、李朝鮮時代は中国の属国としてあったからである
韓国を知るには中国の理解が不可欠である、韓国は中国の歴史の一部になっていることは確かである



posted by 天華 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年02月28日

社会を歪めたあらゆる利権団体(医師会も) (なぜコロナウィルスの検査ができないのか?)


社会を歪めたあらゆる利権団体(医師会も)

(なぜコロナウィルスの検査ができないのか?)

【武田邦彦】耳を疑う発表がありました!日本最強団体の異名もあるあの団体がついに“正体”を隠さなくなったようです・・



普通の各種検査は病院経由でやる
初診料の莫大な医師会利権
コロナは面倒くさいから、開業医がやりたくない
検査増えない
病院通さずに検査する
医師会が認めない
検査増えない


なぜコロナウィルスが検査できないのか?それはたいして金がかからないのにできるという、民間にまかせればできるという
でもそれに待ったをかける利権団体がいる
それが強力な日本医師会だとしている
その医師会と薬剤会社は密接に結託している
相互依存であり利権化している、これはいろいろ言うが確かにある
医療は金がかかる、それが莫大な利権になる
日本が一億総病人社会のようになっているからだ

本来は日本人の健康を守る病気を治すことが目的

でも利権が先になり医療を歪める

医も算術となった

妊娠検査キットの販売を禁止した、なぜならそうなると産婦人科の患者が減るからだ
妊娠の検査は医者だけができる医療行為であるとして反対した
それは漢方とか東洋医学を否定して西洋医学一辺倒にした
そこで医師会が強力な利権団体と化したのである
もう自民党でも医師会には絶対に逆らえない、武見会長がそのボスであり政治家などでも見下していたのである、医療はあたかも聖域であり最高峰の学問であり他はくだらないとしていた、それだけ傲慢になっていたのである
今でも医者だけは民主主義社会でも異常に尊敬されている
医者には逆らえないとなっている、命をあずけるからである

なぜコロナウィルスの検査キットを配り検査させないのか?
それは医師会の承認が必要になり勝手にできない、そこには必ず利権がかかわってくるからだ、医師会の損することはしないとなる
医師会というのも利権にまみれている、江戸時代なら医は仁術だったがそれもまるで変ってしまった
そして医療マフィアがというときそれが日本軍の細菌部隊と関係していたのである
それでコロナウィルスでも中国でも武漢の生物兵器でも作る細菌研究所がありそこからコロナウィルスが製造されてもれたという噂も中にこの日本軍の細菌部隊とも通じているものがある、つまり中国軍がかかわっていたとみられるからである
何かこうして社会の構造は世界で同じである  

アメリカこそが最も医療マフィアだとベンジャミンフルホードは批判している
医療関係薬剤関係の会社が巨大でありその利益が莫大だからである
つまり利権によって歪められているのが薬剤会社だからである
薬を売るためには病気にしないとだめだとなり病気を作り出すとまでなる
またアメリカの武器製造会社もアメリカの主な産業だというとき戦争を作り出さないと
もうからないとなりアメリカは戦争を作り出すとなる
それは現実としてある、つまり利権のためにそうなる

原子力村でもそのことはさんざん言われて本でも次々に出た
原子力村の利権はもの凄いものだった、国家予算にも匹敵するような金がでる
その利権に金にあらゆる人が群がったのである
地元でも船主とか漁業組合は海は俺たちのものだとして東電に漁業権を売った
その利益は大きかった、だから原発御殿を建てていたとうらやましがられた
その後も事故後もかえって金が海を汚したとして前より入ってくる
それで立派な家建てたのをみると船主が建てた家なのである
それで俺の家の前の海に権利があるとか主張している人もでた

とにかく原子力村を例にするといかにここが巨大な利権と化してあらゆる団体がその利権に群がったかわかる、検察とか警察も東電を天下り先として憲兵のような役目になっていた、だからとても原子力村に逆らうことは不可能だったのである
ただこうした社会構造が社会を歪めて大災害になり国民が苦しむ結果となった
それを暴きだしたのは人間ではない、自然災害だったとなる

利権とういとき利権団体というとき今はあらゆる団体は利権団体である
宗教団体もそうである、創価は最たるものだけど神道団体もそうであり他の仏教団体もそうである、それも巨大な利権団体でありそれで税金をとられないように争っていても協力している、つまり宗教を縦に税金をまねがれているのである
それも巨大な利権団体なのである、そういうことを言えば農業だって農協だって利権団体でありあらゆる団体は利権団体だとなる

何か本来の目的と違って利権が金が優先されるようになる
漁業だったら資源の保護が目的で漁業権が与えられている、でも海は俺たちのものだとして東電に売り渡し補償金をえる、でも現実はその海を汚したのは実際は漁業組合でもあったのだ、資源の保護だったら海を東電に売り渡すべきではなかったからだ
またそんな権利もなかったのである

その団体の目的が本来の目的と遊離して利権化して金だけを追及する

それが今の社会を歪めているのである
コロナウィルスもまず医師会の利権を守るとなり検査させない、本来はまず国民の健康を生命を守ることが先決なのだけでまず利権であり損することはしないとなる
それはどこでもまず利益だとなり本来の目的と遊離する

そしてマスコミでは核心を言わない、言えないのである
それはマスコミも利権団体であり製薬会社から宣伝費をもらっていたし東電から800億円とか電事連から金がでていた、だから何も言えない
それはあらゆる団体が創価でも宣伝費をもらうために原発に賛成していたし奨めていたのである
団体というときあらゆるものが団体化して組織化する、するとマスコミでは盲人団体がいてめくらだとかいうと抗議されるから何も言わない

マスコミは肝心なことを言わないから追求しないから見ていても無駄だと思う
とても日本医師会などに逆らうことなどできないからである
それは原子力村と同じ巨大な利権団体であり批判はできないからである
現実に朝日新聞ですら原発事故が起きたとき中国にそのマスコミの幹部が招待されていたからである、マスコミも実はテレビでも六局しか放送する権利を与えらなかったから
利権団体であり共同していたのである

つまりこうした巨大な利権団体から離れることはできない、それを正すこともできない
それが社会を歪める、そして原発事故とか今回のコロナウィルスでも検査すらできない状態になり最悪は必ず犠牲者が生まれる、誰かがそのために犠牲になる
これからどうなるかわからないにしろ何十万が死ぬということもありうる
その原因が利権が優先されてウィルスに全員一致して立ち向かえない
特に医師会が利権を優先すればそもそも素人では何もできないとなるからだ

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posted by 天華 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月27日

コロナウィルスで何が起きているのか? (利権で縛られて動かないー穏便に過ぎるのを待っているだけ)


コロナウィルスで何が起きているのか?

(利権で縛られて動かないー穏便に過ぎるのを待っているだけ)

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【武田邦彦】金の為にいつまで夢の中に居続けるんですか?このままでは本当にまずいことになってしまいますよ

コロナウィルスで何が起きているのか?
政府も医師会もなにもしない、検査できるのにしない
マスコミは騒ぐだけでありあおるだけで視聴率を稼ぐ
また薬剤会社とか医療関係者から広告費をもらうので医師会などを批判しない
本当のことを報告しない

責任ある人達がなにもしない

ただ穏便に過ぎることを待っているだけ!

これでいいのだろうか?。騒ぎ過ぎてもまずいことは確かである

でもコロナウィルスはただ何もしないで二週間くらい待っていれば終息に向かうかの?
図にしたように武田邦彦氏が利権で動けないとういことを指摘している
検査は別に病院に行かなくてもできるという、検査キットを家に配ればできるという
それをしないのは対面で初診料が入らなくなるからしないという
つまり金の問題なのである
医師会では金にならないことはしない
検査できるが金にならないのと病院経営にもひびくからしない

つまり安全よりも利権が優先される

それは原発でも同じだった、様々な危険を指摘したがコストがかかる金がかかるとしてしなかった、津浪も数十メートルのが来る警告されても結果的に津波になり大被害になったそれは東電の頼んだ科学者集団が割り出していた、科学者は優秀でありその科学者の警告も金がかかるとして津波対策はしなかった

つまりコストがかかる金がかかるということで安全はないがしろにされる

コロナウィルスでもそうである、安全対策がされない、現実に被害が出ていてもされない金にならないから医師会でも動かない

ただ原発事故と違うのは住民は利権を得ていた、船主などは特別優遇されていた
また大熊町の町長が津波で5億円入った金庫が流されたとか話題になった
つまり原発は金のなる木であり利権の宝庫だったのである

でもコロナウィルスでは利権を得る人はいない、もうけにならない、これを防ごうとすると政府でもしたくない、出費したくない、むしろオリッピックや習近平の国賓招待をやめたくないため防疫のために金は使わないとなる

ただ穏便に過ぎることを待っていて何もしない

その結果として感染が拡大して犠牲者が増えたらどうするのか?

責任が問われることは確かである

ただこれはインフレインザより患者数も少ないし大きな被害にならない
だからそれほど騒ぐことはないということも科学者が言う
ただ新型のウィルスだからどうなるかわからないというのが科学者の言い分である
要するに不確実なものでありそれでをと対策するかがむずかしくなる
もし過度に政府が対策すると都市封鎖とかするとその影響の方が大きくなる
食料とかの奪い合いになりかえって混乱してパニックになることも怖い

この判断はどうすればいいのか?

ただ責任をとる人たちは誰なのかどこなのか?

ここでも政府でも官僚でも医師会でもマスコミでも責任はとらない

誰が責任をとるのか?

もし蔓延して犠牲者が拡大したらその犠牲者が国民が責任をとるのである
原発事故でも政府とか官僚とか東電でもマスコミでも責任はとらない
国民がとらされるのである、直接犠牲にならなくても国民の莫大な税金がとられたからである
今も廃炉事業で何か無益なことで莫大な金が使われている、その金は国民の血税である
また住民は故郷に住めなくなったということも責任を取らされたのである
必ず誰かが責任をとらされる、これだけは確かなのである
それは戦争で責任をとらされたのは国民であり3百万人が死んだ

何か人間のすることには責任がつきまとっている、責任とはまたカルマなのである
コロナウィルスでも手を打たないとしてそのまま収まればいいがもし拡大したりて犠牲者が増えたらその犠牲者が国民であり国民が責任をとらされるのである
そういう自覚が原発事故でもなかった、住民にもなかった
ただ利権化して金をもらえばいいとしかなくなっていた
事故後も補償金をもらいたいとういだけになった

人間は何か最初から責任を自覚していない、民主主義になれば指導者は国民が選ぶのであり国民一人一人に責任がある、でもその責任が自覚しにくい、せいぜい一票を投じても
10万分の一だとかなり責任を自覚しにくいのである
第一一票いれたところで何も変わりないとなっているから投票しない、50パーセントの投票率なのである、だからいくら民主主義だとして責任をとらない
十万分の一だとか百万分の一となれば責任など誰も自覚しないのである

要するに今の社会は無責任社会なのである、誰も責任はとらない
でも結果的には誰かが必ず責任をとらされるのである
だから侍だったら切腹して責任をとったからそういう人にこそかえって任せた方がいいともなる

結局無責任社会が日本が自ら自滅してゆくのかとなる
そうこうしているうちにコロナウィルスでばたばた人が死んでゆく事態もありうる
それは津浪でもそうだし原発事故でもそうだったけど

危機感と責任感がない!

これによって自滅してゆくとなるのか?
そうは言っても自分自身が危機感を感じないのである、直接コロナウィルスにかかり肺炎になり死ぬかもしれないとならないかぎり危機感を感じないのである、人がばたばた死なない限り危機感を感じない
コロナウィルスはインフレインザよりも怖くないとかなっている
もし本当に危機感を感じたら金より利権よりコロナウィルスに一時は損して防疫のために真剣になるからだ、医者だってその家族だって生死にかかわってくるからである
人間の弱点は常に危機感を感じない、責任をもたないということにある
ただ確実に責任を誰かがとらされることは覚悟する必要がある
posted by 天華 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

中国は世界帝国を目指しているのか? (洪武帝も中国を物語る代表する皇帝だった―食から考える中国)


中国は世界帝国を目指しているのか?

(洪武帝も中国を物語る代表する皇帝だった―食から考える中国)

例えば、モンゴル支配以前の朝鮮半島では肉食はあまり普及しておらず、モンゴル支配下で、肉食が始まったのです。また、マッコリという醸造酒は、アイラグという、蒸留していないモンゴルの馬乳酒にそっくりですから、マッコリもその頃から飲まれるようになったものだと思います。

 それ以前の朝鮮半島は、日本のお寺の精進料理のようなものを食すなど、日本との文化的共通点が多かったようです。今の朝鮮文化は、モンゴルの影響を非常に大きく受けているのです。

 39度より南は農耕民が住んでいました。新羅と百済に相当する地域で、日本とも通じる文化を持っていたところです。そこが狩猟民と農耕民の分かれるラインであり、人種も違っていたようです。

 皇帝たちの中国史8】明の太祖洪武帝朱元璋〜吹き荒れる大粛清の嵐



ここで言うネズミはタケネズミで
竹しか食べない
ほとんどモグラ

豚肉に近く味するタケネズミ
養殖もされている
江南ではポピュラーな食材

 ネズミは広東料理ではしゃぶしゃぶや火鍋の材料にされる。味はウサギや鶏肉に似ているとか。ここでは猫と同じくらい丸々と太った大人のネズミが特に好まれる。

 現在中国で拡散している
食べてはいけない野生動物の一覧表がこちら



NHKの残虐な農民皇帝・洪武帝を見た、旱魃(かんばつ)で両親が死にその後僧となり乞食して生き延びて反乱軍に加わり皇帝までなり民王朝を作った
中国の歴史でも農民の生活も過酷なのである

農民の家で八宝粥というのをその故郷で日本人が案内されて食べた、それは洪武帝が食べたのとは違う、砂糖が入っていたから甘い、なんでも洪武帝の時代はネズミとか入れて食べていたという
中国に三回行った、八宝粥も食べた、何か大きな黒い豆が入っていてうまいしライチも安いから食べた、海外旅行は本当は食を知ることがその国を知ることである
ただ私の場合はそれはできなかった、最低のありきりのものしか食べてないなからである

中国はそれでも三回も行ったから良く行けたと我ながら感心する
一回でもこうして外国を旅行すれば肌で知ることになる
十数年前のことでありこれもたちまち時間が過ぎてしまった

中国はその時まだ貧しく鉄道でもまだ蒸気機関車が走っていた所があった
そこは砂漠の様な所だった、そして工業化する走りであり農村から都市へ膨大な人が流れていたのである
中国では人が移動するというとき洪武帝でもそうだが飢饉になり大量の人間が流民化するそれが軍隊となり時の政権を倒すようになる
そのエネルギーが凄まじいのである

そしてあれだけの大国となると治めるのに統一するのには10万人も仲間だった人も殺して粛清した、官僚も嫌っていて粛清した
何かこれは今も中国ではつづいている、それが中国という国のカルマだからつづいている習近平王朝もその続きなのである

ただ何でも動物を食べるという時食べるものがないから食べるというのではなく
薬として漢方薬として食べる、だからかえって金持ちが食べているという時意外である
コロナウィルスもそうした武漢の動物市場から出て来たとされる
ただ別な説もあり不明である

何かこうして問題が起きる時必ずその国の風土とか歴史を知ることが不可欠なのである
その中で食は文化であり歴史であり風土と深く関係している
インドでカレーが生まれたのはあれだけ暑い国だからである
つまり料理は必ず風土と関係している、日本のサシミ料理も江戸前料理もそうである
新鮮な物を生ものの魚を食べるのは日本だけだからである
ただ武漢ても海鮮市場とあるからやはり動物でも新鮮なものを生きたままの動物の赤子を食べるとかあり日本がで踊り食いなどあるから共通している
でも魚と哺乳類の動物となるとまた違ってい

韓国では意外である、肉食はあまりしていなかった、モンゴルに征服されて肉食が入ってきた、韓国は淡泊な食事であり日本と共通しているというのも意外である
ただ今の韓国と北朝鮮があり北朝鮮は高句麗であり別なのである
そこは遊牧民が住んでいた場所であるからだ
ただ古代から関係が深かった百済とか新羅は文化的に日本と共通していたとなる
だからこの辺が誤解しやすいのである、文化的にも古代辺りは日本と変わりない一体感があり外国とも感じていなかったかもしれない。

いづれにしろ中国を知ることは容易ではない、その国も巨大であり人間もまたスケールが違う、どうしても英雄が生まれる土壌がある
そして一将功成って万骨枯るという国である、皇帝一人が君臨して治めあとはない
洪武帝が10万人を粛清した殺したというのもそうである
そのくらいしないと治められない、回りから寝首をかかられる
だから中国では対外的より広大な内部を治めることが先決になる

だから日本が中国とどう対処するのか?
それが今問われる、コロナウィルスでもそうであり経済で関係が深くなったからである
それまでは江戸時代であり直接かかわることがないし明治以降でもそうである
ただ大東亜戦争で敵となり戦った、それはヨ−ロッパの侵略によって世界大戦の結果としてそうなったのである
ただ中国とは朝鮮半島をめぐり古代から争ってはいたのである
ただその他は没交渉になっていたのである

経済的に巨大化した中国とどう付き合うのか?それが今問われている
それには中国の歴史を知る必要がある、でもその歴史を知るにしてもあれだけ大きな国となると理解しにくい、とても日本のスケールで計れないからである
でも洪武帝は極めて中国の英雄であり人物だとなる、それこそ中国という風土と歴史から生まれてきた人物だったのである
中国ではとても民主化を簡単にはできない、それは人口と国が巨大だからである
それをまとめるとなると結局洪武帝とか毛沢東とか習近平とか独裁政権になり毛沢東でも何か一千万殺したとか言われる、それは習近平とかにも受け継がれている
天安門事件でも実際は何万人を無惨に殺戮したとか言われる
そういう国柄でありそれは歴史的カルマとして変わらないのである

日本はそういう国とどうつきあうのか、ただ経済力が大きくなり小日本はのみこまれる
中国の観光客が来ないとまた経済関係でも武漢にサプライチェーンがあり衰退している日本では中国から離れることがもうできない、中国は今や日本だけではない世界にとって脅威となる、コロナウィルスでも中国人は世界中に散らばりはいりこんでいるからイタリアまで被害が拡大したのである
中国の負の面を世界でかかえるようになったのである 

とにかくウィルスでもそうだが中国が経済的に巨大化するとき世界から問われる
一体何をもくろんでいるのか?世界帝国なのか中華帝国の復興を目指しているのは確かであるがアメリカのように世界の覇者になることも目指している
そこでアメリカと衝突する
おそらく日本は今度は中国の属国となる、また中国ではそうしようとしている
でも何か中国というのは古代からの中国の歴史として発展したものであり中国は古代から変わっていないのである

近代化とういとき西欧化だったがその時中国は眼中になかった、中国は欧米の植民地化されていたからである
つまり明治維新は欧米化として日本は革新した、その時漢字をヨ−ロッパの思想などを日本風に訳した、それを中国人は今使っているのだ
中国の問題は西欧化が世界の流れとしてあったが今になり経済が巨大化して世界帝国化しようとしている
それは古代への逆行でもある、これは日本が天皇を中心にすえて明治維新があったとにているのだ、つまり皇帝の復活である、毛沢東でも習近平でも皇帝だからである
そして日本も属国になればその皇帝に仕えることになる

だから世界のリーダー国になることが許されるのか?
世界のリーダーとは軍事力とか経済力なのか?
それがまた問われている、みんなウィグルの弾圧のようにされることを恐れているからだ
文明がcivilizationというときcivilは市民のことである
でも中国に市民は存在しない、皇帝が君臨して治める、言論の自由もない
日本もまた天皇が存在して臣民であり市民といなかったから似ていると言えばにている
いづれにしろ国の歴史が継続して国もありうる
だから必ず歴史を知らないとわからない、その歴史にもいろいろあり食の歴史は一番わかりやすいのである

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竹製の牌を混ぜる時の音が雀の鳴き声に似ていることから付けられたとされる

麻雀は雀のことであり雀も食料だった、ネズミを生で食べるということは日本でぱ考えられない
竹鼠とは竹を食う鼠のことである、パンダも竹を食うからにている
竹は食料になる、ただ竹は南方系である

abstract flowers

abstract flowers

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sky flower

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この花の抽象画が一番簡単にできる、いろいろ変化させなくてもできる
ただもう一つ抽象画としてはものたりない
でも現実の花は無数にありその変化したものも無数にあるとなる


The abstraction of this flower can be done most easily, without any changes
It's just another abstract painting
But there are countless real flowers and countless changes

2020年02月26日

コロナウィルスとグローバル経済 (その負の部分が拡大した)


 コロナウィルスとグローバル経済

 (その負の部分が拡大した)

 なぜコロナウィルスで日本政府が初動で中国人の出入り禁止できなかったのか?

 それは中国に忖度したからだ

 それはなぜなのか?

 中国人にグロ−バル経済で観光客やらサプライチェーンで日本の経済が中国依存になっていたからだ

 これが大方の見方である、つまり経済と政治は切り離せないのである
宗教と政治も切り離せないという問題があった
でも政治と経済はより密接である、国民でも経済重視になる
また安全を計るより利益が優先だと常になっているからだ
原発事故でも地元の利益が優先されて安全は無視されて福島に作られたのである

そしてグロ−バル経済の負の部分がここにきて大きなものとなって現れたのである
中国に依存することは中国がかかえる問題でも負の部分をふりかかる、共有することにもなる、経済でも中国依存が国内経済を支えているとなると観光でもその打撃が大きくなるすると中国の意向に逆らえなくなる
だからこうして中国の負の部分をもろに受けることになる

中国の負の部分というとき共産党一党独裁とういこともあり言論の自由はない
中国依存になればなるほどそういう政治体制も受け入れるほかないとなり
遂にはウィグルのような思想宗教弾圧にもなる
それを言う人が右には多い、でも経済優先になり抑えられるのである
つまり日本経済は衰退しているから余計にそうなるのである
そしてますます中国に依存する経済となり政治でも従うほかないとなる

それで今度は中国の悪い負の部分をもろに受ける、コロナウィルスは中国から生まれたからである、前にもサーズとか中国から新種のウィルスが生まれやすいからである
外国から入るものが交流することはすべていいものとはならない
必ず悪いものも入ってくる、そういう警戒が明治維新以来なくなったのである

とにかく石油でもエネルギーでも中東に依存すると今度は中東をめぐって争いがありその紛争に巻き込まれる、イラク戦争がそうだった
日本はやはりこれまではアメリカに経済を依存していたからである
それで戦争をさけることもできなくなる、アメリカのいいなりになる他ない
それがグロ−バル化なのである

江戸時代の不思議は3百年国内でも対外的にも戦争がなかったことである
韓国とも友好的であり中国でもそうである
日本はアジアのどことも争っていなかったのである
それがペリーがきてヨ−ロッパ人が入ってきて好戦的な国になった、させられたとなる
欧米が確かに新しいものを思想でも技術でいろいろもたらした
でも反面悪いものもまたもたらしたのである
なぜなら20世紀は戦争の時代でありグロ−バル化戦争の時代になった
結果的に何千万人も戦争で死んだのである
日本がだったら3百万人が死んだしヨ−ロッパは第一次世界大戦から第二次世界大戦で何千万が死んだのである
グロ−バルの結果世界最終戦争になるのがその結果だったともなる
それもこれからも起こりえる、それがグロ−バル化の結果だともなる

それで老子の思想の小国寡民の思想が生まれた

国民が昔ながらの生活をし、食事や着ている服、住んでいる家や習慣に満足をしている。このような環境下であれば、例え隣国が目と鼻の先ぐらいの距離にあったとしても、国民は自分たちの国に満足をしているので、わざわざ他国まで出かけて行くこともない。結果的に、他国と比べることがなくなり、自分たちに無いものを求め、自分たちよりも持っている人たちを妬み奪おうとする心が芽生えなくなる。また、領土を拡大しようとする欲求も生まれない。そんな世界が理想である。

グロ−バル化とはこのまさに逆なのである 

自分たちに無いものを求め、自分たちよりも持っている人たちを妬み奪おうとする心が芽生えなくなる。また、領土を拡大しようとする欲求も生まれない。そんな世界が理想である。

これと逆なのがグロ−バル化である、自国にないものでも外国にあるとなればそれが欲しいとなり奪う、日本は海に囲まれていて海洋資源で食料をまかなっていた
でも今度は食でもグロ−バル化すると中国人がサシミでもサンマでも食べるようになる
そこで日本の近海でもサンマがとれなくなったとかなる
中国人の胃袋はどんな動物でも食べるし貪欲でありその数が多すぎるからあらゆるものを食いつくすという恐怖になる
とにかくグロ−バル化するとあらそるものを食べるようになる
日本はそもそも牛とか馬とか羊がいないと魏志倭人伝にあり動物は鹿をのぞいて食べていなかった
だから何でも肉を動物を食べるようになったのはグロ−バル化の結果なのである
それでもともと日本食だったち風土にあったものでありそれで欧米人がかかる病気も日本人がかかるようになったと言われる

とにかくグロ−バル化すると人間の欲望は無限に肥大化してゆく、食べるものでも世界中のものを食べる、それは飽くことがなくなる、中国にはもともと何でもある一つの世界だった、

楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妻で、寵愛する妻のために、早馬で八日八晩かけて、広東から都の長安まで運ばせたそうですが、

現代は庶民でもこうした贅沢をしている、今なら飛行機で一日でも運ばれる
世界の美味を食しているのである
つまりそうした贅沢を世界中が覚えてその欲は限りなく世界大に拡大するのがグロ−バル化なのである、だからその欲のためにグロ−バル化に戦争も起こるとなる
サンマの味を中国人が覚える、するとサンマを食いたいとなり日本人と争うようになる
つまりサンマをめぐって戦争になる
だから本当はどこかで人間の欲は抑えねばならないのである
金持ちの老人はワインの蘊蓄がありこれも無駄だっとしている、ワインなど日本には合わないものでもある、ただ今度は外国では日本酒を好むようになる  

野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。聖書(『箴言』)

つまり肥えた牛を食べるために争いになり戦争までなっているのが現代でありグロ−バル化であった、欲望が限りなくグロ−バル化で増大したのである

だから江戸時代は貧乏でも世界的にみれば小国寡民であり外国とも交わらず三百年間戦争もない平和がつづいていたという世界ではありえない時代だった
もちろんその負の部分も大きい、ただいくらグロ−バル化だとか欧米化がいいとしても三百万人も死ぬよりはまた中国と韓国とも争わない友好な世界があったのである
それは結局経済でも依存しない、それぞれの国で自給的にまかなう経済だったからだともなる、貿易でもあったが今のようにもう何かあると経済が成り立たなくなるということはなかったのである
だから石油に頼れば石油のために戦争になり命が失われる

そして最大のグロ−バル化の悪い点は

常に他国の侵略におびえていなければならない!

グロ−バル化だから経済的に協力して恩恵もあるとなればいいがその反面は他国がアメリカでもロシアでも中国でも恐怖の対象となる
いつ攻めてくるかわからないという恐怖の中で暮らすことになる
またこれだけヒト、モノが交流する時、ウィルスでもたちまち蔓延してそれが命とりになる、でもそれより経済優先になり中国人でも入国を止めることができなくなるのである
だからコロナウィルスでもなんでもグロ−バル化の負の部分が増大して拡大してきたのである、だからグロ−バル化は見直す時期になったのである

posted by 天華 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月25日

なぜ南相馬市の原発事故対応が誤ったのか? (科学と社会の問題で誤った―コロナウィルスも同じ)


なぜ南相馬市の原発事故対応が誤ったのか?

(科学と社会の問題で誤った―コロナウィルスも同じ)

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コロナウィルスというのも正体不明である、これも科学の問題であり素人にはわかりにくいからどう対処していいかわからない、なぜなら科学者も言うことが一様ではないからだ原発事故でも御用学者がいてその人は低放射能はかえって体にいいとか言っていたからである
まず原発事故でも最初に科学の問題が全面にでる、でも放射線とはなにか素人にはわからない、科学者でも同じことは言わない
御用学者は政治家や官僚や指導層によって正直に発現できない
科学が公正であり科学は科学に基づいて正直に報告すべきだとしてもしないのである
だから科学者の言うことがすべて真実だともならない
第一放射線が現実に人間の体に自然に社会に影響するか統一された見解はないのである
だから危険を言う人とそうでないという科学者がいて判断できなくなる

コロナウィルスでもそうである、危険だという人とそうでもないという学者が医師が研究者がいる、そこに一つの統一された見解はない
第一コロナウィルス自体正体不明であり科学者も医師もわからないからである
そこで様々な憶測が出て混乱してゆく
それは原発事故の放射線の被害で起きたことである
ただ放射線の場合、コロナウィルスのようにすぐに死んだ人はいないのである

それよりも

避難させて無理させて関連死した人が多かった
何千人と死んだとされる

放射線で直接死んだ人は原発事故の処理をしない人たちにはなかった
被害として甲状腺が子供に若干増えたとういことは報告されている
でもそれは特別チェルノブエリのように増えていないのである

だから原発事故の政府でも官僚でも科学者でもその対応が正しかったのか?

それが疑問なのである

30キロで区切りそれで避難区域にしてそうでないものと分断させた
その判断が正しかったのか、確かに科学的根拠があるとしてももっとも大事なことは
風向きだったと科学者が言っている
その風向きを地元の人に知らせなかったから浪江の人たちはもっとも放射線が高い山の方の津島に逃げたのである
でも海側の原発の煙突が見える請戸は0.5マイクロシーベルトとか本当に低かったのである、それは風向きに影響されていた
今頃になると春には海から東風が吹きそれが飯館村とか福島市の方に流れたからである
その時雪とか雨もふり放射性物質が蓄積されたのである

その時東電の人がいて浪江の人たちと津島の方に逃げようとしたが海側の街の方が安全だとして引き返した、それが正解だったのである
つまり東電の人は放射線がどういうふうに影響するか知っていたのである
だからなぜ浪江町長にそのことを進言しなかったのか失敗だった
それは東電でも政府でもそういう支持を出さなかったのである
そしてアメリカにいち早くスピーディの結果を知らせていた
風向きでも知らせていた、でも肝心の住民には知らせなかったのである
このことはコロナウィルスでも同じである
政府は検査もしないし住民のこと国民のことよりオリッピックが大事だとなっている

原発事故をふりかえるとまず30キロで区切ったことが失敗だった

なぜならそうして区切れるものではなかった、放射線の影響はむしろ距離ではなく風向きに影響されていたからである
そこから何が起きたかとなると南相馬市の分断だったのである
放射線で小高は避難区域に指定されて避難した
そこで小高は今でも田畑は荒れ放題であり回復しなくなった
老人だけが取り残されて若い世代は補償金をもらっていち早く故郷を捨てたのである

それが政府の命令でも自治体は南相馬市では何の抵抗もなく受け入れた
ここに中央政府と地方の問題があった、それは中国でもコロナウィルスで起きていた
共産党一党独裁で武漢市は自治体ではない、ただ習近平の意向に逆らうことはできない
絶対服従だから何も言えなかったのである

ただ一人の医師が12月にすでにコロナウィルスの危険を察知して報告した

でも上から抑えられて発言されないようにされた、その後に自らコロナウィルスにかかり死んだのである
ここに科学に忠実だった医師がいてそうなったのである

いづれにしろこの辺で原発事故の後結果的にどうなったか?
それは南相馬市でもそうだが他でも放射線量で区切って補償金を出したことで分断されたのである、浪江とか飯館村とかでも補償金は一律にすれば良かった
でも激しく補償金で分断されて二つの勢力に分断されたのである
南相馬市でもそうである、小高と鹿島は険悪な状態になり分断された
思うに南相馬市は一つとしてあるべきだった
小高は避難させるべきではなかったのである
それが政府の命令でそうさせられた、南相馬市では何の手も打たなかった
ただその当時の桜井市長が鹿島区は保証対象外していたが当面の必要な金として市から100億円出した、それにも原町区の人で反発する人がいたのである
鹿島には金をやるなとしていたのである

でもおかしいのは鹿島区は医療の無料化が半年で終わったのである
これは本当に理不尽だった、なぜなら医療の保証は小高と原町は今の二月までつづいていたからである、医療の無償化がこれほど差があった
ただ最近市長が変わり高速は無料にしたのである   

科学的見地から確かに放射線量によって地域を細かく分けることはかえって地域を分断させたのである、第一放射線といっても土地はつながっているのだからそんなに細かく分ける必要はなかったのである
それは今になると政府が地域を分断させるためにしたのかとされる
なぜなら地域で内部でそうして争っていると政府に向かって統一して団結して抗議しないからである、結果的には内輪もめで終わってしまったのである
それで政府ではほくそえんでいるかもしれない、東電でもそうである

南相馬市は南相馬市で団結して一体感をもつべきだった

そのためには南相馬市独自の対策が必要だったのである
ここでは中央政府と地方自治体の問題が浮き彫りにされたのである
結局こうして分断された後遺症が残り南相馬市は未だに分裂していて一体になれないということもある
これはまた合併して起きたことでもある、合併しなかったから起きない問題でもあった
南相馬市として合併したら小高とか原町とか鹿島で分ける必要ない
同じ待遇をすべきだったのである、そうでなければ合併した意味がないのである
現実は合併する前の状態に分断されただけだとなる

コロナウィルスでも何か同じようなことが起きている
科学としてコロナウィルスにどう対処するかという問題がありまたでは社会でどう対応するのか?自治体でどう対応するのかが問題になる
その処置を誤るとまた福島のこの辺のようになる
ただその判断は科学がかかわり複雑になりむずかしくなる
それは放射線問題と同じくコロナウィルスも正体不明だからである
それがどれくらいの被害を出すのかわからないからである
ただのインフレインザだとか風だとして過剰な対策をすべきでないともしている
それもこの辺の処置でもわかる
地域社会を自治体を崩壊さするようなことをしていいのかとなる

実際にこの辺では放射線で死んだヒトはいなのである
若干の被害があっても今はない、20年後とかにガンになるとかいってもそれも不明なのである
それより地域社会を崩壊させたことの方が問題だった
なぜならもう若い世代をは帰ってこないし復興できなくもさせたからである
そしたら放射線に警戒するのもいいとしても地域社会を崩壊さけたらもともこうもないとなってしまったのである
確かに科学という事実はありそれも大事だけどそれでは地域社会を崩壊させてしまったら何もならないともなる
放射線でもコロナウィルスでもわからないということでそういうことが起きる
でも政府であれ自治体であれ放射線の対処は誤っていた
それがもう修復できなくなったからである

posted by 天華 at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

野馬追のキーホルダー(復興再生繁栄のシンボル)


野馬追のキーホルダー(復興再生繁栄のシンボル)

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相馬復興再生のシンボル

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南相馬市の原町の道の駅で買った野馬追いのキーホルダーである

ここでワラビなどシダ類、地面から生える様子が、再生や家の繁栄を象徴する

こういう説明があるのでわかりやすい、野馬追いの旗の種類は無数にある
でも何かそれが意味しているものがわからないのである
これなどわかりやすい、何か縁起物だともなる

今は春だからふさわしいともなる
このワラビをゼンマイを小高の懸(か)けの森で見たのである
それをアレンジして抽象画を作った

これで小高の再生を願うともなる、つまり再生と繁栄にふさわしいとなる
復興、再生、繁栄を願うものとしていいとなる
このキーホルダーはNPOなどで身につけるといい
でも何かNPOは南相馬市に多い、道の駅でもあった
鹿島の無人駅でもNPOが高校生の見守り役をしている
他にもいろいろあるのだ、震災以後この辺は特に増えたのである

posted by 天華 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2020年02月24日

グロ−バル化とコロナウィルス (生態系と風土を無視したグロ−バル化の危険)


グロ−バル化とコロナウィルス

(生態系と風土を無視したグロ−バル化の危険)

 生物圏の中に経済システムが存在するという考え方ではなくて、 経済システムありきというような考え方が新自由主義的経済観ですので、 そもそも矛盾が生じているのです

グローバル化と3つの危機
―私たちはどんな世界に向かっているのか


コロナウィルス騒動は何なのだろう、これが問題なのはグロ−バル化した社会にある
中国人はどこにでもいる、だからイタリアの方にも観光に行くからイタリアでも都市が封鎖された、そんなに早く伝染するのも交通が発達したからである
飛行機で毎日のように世界のヒト、モノの交流があるから中国から遠くてもコロナウィルスが伝染した、そのスピードが早いのである
たちまち世界中に感染してしまう
中国人は世界中にアフリカでもどこでも拡散している、それも原因だとなる

それから人間はその土地の風土と生態系に依存して生活してきて
そして体でも生態系に依存して長い年月をかけて作られてきた
それでそれで肉食民族の牧畜民族の白人は欧米人は肉を消化する酵素がでる
日本人は穀物を消化するので腸が長くなったとかなる

日本の特徴は魏志倭人伝にあるように牛・馬・虎・豹・羊・鵲無しとある
鵲(かささぎ)は韓国にいるが日本にはいない鳥である
だから鵲を韓国で見ていたが日本に来たら見ないとなり記したとなる
そこに生息している鳥でもその相違を見ていたのである
とにかく牛・馬・虎・豹・羊・無しということで日本の特徴をとらえていた
牛とか馬とか羊ならどこでもいたし今でも見られるからである

縄文人だったら木の実の採集でありそれを貯えるために縄文土器を作った
狩猟もあったがこの辺で貝ばかり食べていた巨人伝説があるように魚介類が食料だった
人間は人種によって分けるべきではない、確かにアーリア人が凶暴でありそのために世界が支配されたという意見もある
でも生活形態の差が人間をそれぞれ特質あるものとして作った
例えば草食動物と肉食動物は見た感じからして違っている
肉食動物は牙があり獰猛である、でも草食動物は大人しい感じになる
ただ草食動物でも野生のものは獰猛である
でも草食動物と肉食動物は基本的に性質でも違っているとみる

なぜグロ−バル化が今問題になっているのか?
その弊害が具体的に世界規模で現れている、生態系を破壊することは何らか人間にも影響してくる、テレビでダッシュ村とか何か池とか川の水をぬいたら外来の魚がアマゾンにいた魚まで出てきたのには驚いた
そういう魚は元からいた在来種を食いつくしていたのである
そこでもともとあった在来種は食いつくされて外来種だけになりもう池に川に生物はいなくなる、植物もセイタカアワダチソウが繁茂して在来の芒などが駆逐される

グロ−バル化だといろんなものが混交して共存するのがいいとか文化多様性がいいとかなる、でもそれは人間も生物の一種だから問題が起きて来る
いい見方としては異人種間で交配すると種のいいところが遺伝することがある
それで日本人と黒人が結婚して子供をうむと体力的に優れたものが遺伝されて百メートル競走に出たりする
それは精神的なものでも起きて来る、様々な人種がいて国があってその人たちが交わると創造的なものが生れて来る
それはあくまでもエリート層で知的分野で起きることであり今のように単純労働者でもなんでも入れる世界ではなかった

コロナウィルスももともと中国の海鮮市場が生まれたという時、何か人間はそこで生態系を乱すようなことをしている、また食べてはならないものまでも食べている
それでなぜイスラム教徒が豚を食べないかというとやはり豚からトンコレラとかがばい菌かウィルスが出てくるから警戒したともされる
動物はウィルスを媒介しやすいからである

グロ−バル経済にはタブーがない

何か禁忌というのものがタブーが人類にはあった、それは長年の経験で危険なものを禁止していたのである、それがグロ−バル化で破られた
もうヒト、モノの交流は全面的にいいとしかなくなったのである
そこに落とし穴があった、グロ−バル経済などもともと成り立ちようがないものだった
それが金融資本家であれアメリカであれ強国が暴利をむさぼることでもわかる
数パーセントの人達に世界の富が収奪されていることでもわかる

生物圏の中に経済システムが存在するという考え方ではなくて、 経済システムありきというような考え方

まさにグロ−バル化経済システムがまずありそこにもともと生命誕生から長い年月をかけて作られてきた生態系を無視したものとしてグロ−バル化経済がその上に世界を支配するようになったのである
それはそもそも無理なことだったがあえて世界をそのグロ−バル経済システムにはめ込んだのである
そうすると自然界からも生態系からも反乱がある、何かコロナウィルスでもそうなのかもしれない、核でも放射線被害も人間が操作してそれが操作不可能になり大被害になった
これの最大の被害は生態系が汚染されたことにより土でも水でも空気でも汚染されたことにより人が住めなくなったことである
土とか水とか空気まで汚染されたら人間はどんなに技術が発達しても住めなくなる
住めなくなることはすべてが終わりだということである
他の星にでも移って住むほかないともなる

それで今盛んに富裕層が日本から脱出を計っているという、福島の原発が爆発した時も
外国に脱出した人がいた、何か真偽はわからないがこの辺では市長が北海道に逃げたとかも噂された、また国会議員も外国に逃げたとか言われる
だから今回もコロナウィルスを恐れて逃げるとういことがありると噂する
でもこれだけグロ−バル化するともうウィルスが逃げようがないのだ
イタリアでも死者が出たとかなるとヨ−ロッパでもたちまち広がるのかとなる
要するにグロ−バル化するということはウィルスもたちまちグロ−バル化することなのである

いづれにしろ文明は必ず滅びることは予定されている

それはなぜなのか?

人間の知恵ては文明を操作できないからである、それで核も操作できなから事故になり
福島では住めなくなったことでもわかる
文明は必ず自滅するのである、それだけの人間に能力がない智慧もないからである
人間は全能でないからである、神は全能だからこそ人間のようにはならないのである
だから神の国はこの世には作れない、人間の作った文明は滅びる
その滅びる原因がウィルスもその一つになる、何かそうした正体不明のものによってグロ−バルに拡散して滅亡にいたる

だから江戸時代の日本の鎖国の在り方が一見批判されるにしてもその風土にマッチして自給自足していたから外国とは出島を通じてしかかかわらないから外国から侵入するウィルスには強かった
でも国内でも疱瘡とか天然痘とか麻疹とか伝染病に苦しんだのである
そこで村の入り口は大きな藁人形を置いて悪いものを入らないようにした
それが今中国の村で行われているから歴史はかカルマは繰り返すとなる
でも江戸時代の後期に幕末になるとコレラが入ってきた、明治には70万も死んでいるのである
つまり外国と交わることがすべていいものとはならないのが歴史だった
そして日本は海に囲まれていたら外国と直接交わらないですんだ
取捨選択して日本人に合うものを取り入れていたのである
それが日本と大陸の根本的な差異だったのである

posted by 天華 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスでイタリアで10都市を封鎖


コロナウィルスでイタリアで10都市を封鎖

(日本は危機感がなさすぎる?)

イタリアでは初めての死者が出た。さらに15人が感染。10都市を封鎖。
(欧州は大丈夫かと思ったが、もうそうではない)

なぜイタリアで10都市も封鎖したのか?
日本は大坂や京都でも一人とかで検査もしないらしい
あれだけ中国人が来ているのありえないとしている
北海道は中国人の観光客であふれているから重体者もでている
かなり広がってきている
大坂とか京都では隠しているという
それは専門家でなくても状況からして誰も思う
つまり日本でぱ検査もしないのである
それは検査すると感染した人が増えて日本がパニックになることを恐れているのかもしれない
日本は過剰にそうなりやすい、同調圧力が強い国だからである
それも問題なことを指摘した

でもオリンピックに浮かれている時なのか?

この頃オリッピックのことが騒がれている、オリッピックを盛り上げるためにマスコミでも報道する、福島県でも聖火リレーのことで報道している
でもそういう時なのだろうか?

そもそもイタリアで10都市を封鎖していることは深刻である
日本の対応はその正反対である、たいしたことないとして対策をしない
検査もしない、オリッピックの宣伝をしている

もちろん福島で起きたように厳しい措置をすると社会活動もできず町や村が避難区域になった所はゴーストタウンになった、それは放射線がどう影響するかわからなかったからである、それで地域社会を崩壊させて回復できないようにした
これも問題だった
だからどういう対策をとるのかはむずかしいことはわかる

ただ日本は外国からみるとあまりにも無策でありのんびりしすぎている
危機感がないということは確かである
オリンピックとか習近平の日本を訪問も今の時期にできるのか?
習近平の国賓としての訪問は公明党が後押ししたとされる
とにかく公明党は中国ともとから友好を計ってきた
それで公明党のプロパガンダとなっている田原総一郎とかマスコミ関係者とかがそれに賛成する創価を応援する本も出している、また佐藤優とかも外務省でありここは創価の牙城ともなっていて一時は池田大作を外務省の人がかかわり外国訪問を応援していたのである

もちろん中国と友好関係を保つということはアメリカを牽制するためにも必要である
でも今この時期にそんなことができるのか?
それはオリッピックでもそうである、そんなにオリッピックが大事なことなのか?
今は日本人の生命の方が大事である
ただ都市封鎖とかなると影響が大きすぎる、そこで混乱してもまずいのである
原発事故で起きたように社会活動が停止すると機能不全になりこの辺のようにゴーストタウンになる恐怖がある

でもオリッピックとか習近平を国賓として招くということができる時期ではない
やはりなんらかコロナウィルス対策をしないと大事になるのではないか?
専門家は警告している、ただ福島の原発事故では放射線では過剰に対策して自治体を崩壊させてしまった、もちろん放射線対策のためにしかたがなかったとはなる
でも地域社会を自治体を崩壊させるより維持させることが大事だったともなる
それは科学だけの問題ではなかった、第一放射線のことは科学者でもわからなかったからである

今回もコロナウィルスについてもわからないのである
だから過剰に対策すると失敗することもありうる
でもしないとまた大失敗となりとりかえしのつかないことにもなる
だからこの選択はむずかしい

でもオリッピックに浮かれている時なのか?習近平を国賓を招く時なのか?
これは疑問である、そんなことができる状態なのか?
日本は危機感がたりない、これだけ自然災害の国なのに危機感がなかった
津浪原発事故でも危機感のなさが大被害をもたらした
やはりこの責任は専門家がもっと発言すべきなのだが警告すべきなのだがそれをしても
岩田医師のように抑えられる
それは中国でもいち早く警告した医師が自らもコロナウィルスにかかり死んだ
それも政治家がおさえたからである、情報は隠蔽されたのである
科学技術の社会になるとどうしても科学者や技術者の役割が大きくなる
だから責任も大きくなる

だから感心したのは東電では学者が津波の来る前に10数メートルの津波がくると報告して警戒するように提言していた、それは伝説とかではない、科学者が科学的事実を基にして警告していたのである
でもコストがかかるからと対策をしなかったことが致命傷になったのである
そのこともマスコミでは地元でも大きく報告しなかった
もしそのことをマスコミで大きく報告していたらみんな津波に警戒して命が助かった人もいたかもしれないのだ
つまり科学者や技術者がもっと発言してそのことを社会でも重視すべきだったとなる
でも政治とかが関係してそうした情報はおさえられる
正しく恐れるということが大事なのである

ただここで科学と社会の問題がありすべて科学優先にもできないことなのである
この辺で自治体が地域社会が崩壊したように過剰に恐れさせると自治体が地域社会が崩壊するのである
でも放射線でもコロナウィルスでもどう影響するかわからないとういことでその判断がむずかしいのである

でも初期の段階で中国人の入国を禁止しなかったことは失敗だった
そこからまた検査もしないで隠蔽している
それで拡散がとめられなくなる 

ジャーナリストの田原総一朗氏は筆者との対談(『激突!遠藤vs.田原 日中と習近平国賓』所収)で、「日本はアメリカとも中国とも同じ距離を取って、その中間にいるから素晴らしいのだ」として「習近平の国賓来日は大賛成だ!」と豪語した。それが今般の新型肺炎の水際対策失敗とクルーズ船の失策の両方と重なって見えてならないのである

確かなことはオリッピックとか習近平の国賓として招くことは中止すべき

そんなことに浮かれている状態なのか?過度に反応するのも問題だがそういう状態ではない、それは専門家も指摘しているからである
田原総一朗と佐藤優は創価のプロパガンダである、資金もそこからでているかもしれないなぜならマスコミでも支配できるのが創価だからである
自民党と創価が一体となっていることがこうして国を歪めるのである
それは国家神道化したことでもそうでありそれが日本を悲惨な戦争の原因にもなった
宗教が政治とかかわると禄なことかない、それはカトリックなど歴史が証明している
だから政教分離の法律が生まれたのである
ただ政治と科学技術、政治と宗教という問題は人間の歴史とともに常にあった問題だったそれが原発事故で起きてまたコロナウィルス問題で起きているのである

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やはり情報が隠蔽されている、感染者が小出しにしている
それはオリンピックを中止させたくないからだというのもわかる

韓国がなぜ増えているのか?
それは日本が韓国と裏取引して日本だけが増えているのではないと見せるためだという
これも政治的な取引とかが科学とか事実は歪められるのである

習近平の国賓招待も中国人を入国拒否しないのは政治的配慮でありそれで感染者数を低くおさえている
つまり事実より政治のために隠蔽されるのである

武田邦彦】新型ウイルス 最新解説!3月を越えたぐらいの時期に日本で“大きな動き”が起きると私は見ています!

福島原発では風向きが一番大事だった、その風向き政府では教えなかった
外国ではその風向きを知っていた、日本人は知らなかった
これも情報が隠蔽されたのである
これも政治的配慮でそうなった
科学者は事実を言うべきであり政治とは違う、ただ武田氏はコロナウィルスはたいしたことがないとうい
インフレインザと比べると患者数は少ないからたいしたことがないとしている
これも一つの参考である、つまり正しく恐れることができないことが問題なのである




 


posted by 天華 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月23日

武漢で都市封鎖され500百万人が脱出 (東京も封鎖されてこうなったらどうなるのか?)


武漢で都市封鎖され500百万人が脱出

(東京も封鎖されてこうなったらどうなるのか?)

厚労省の想定では新型インフルエンザが国内で大流行した場合、従業員の欠勤は最大4割になる。自衛隊に緊急要請してもトラックドライバーら物流従事者の不足は深刻で、食料・生活必需品などの流通、物流に影響が出る。そのため厚労省は「2週間程度の食料品の備蓄」を推奨。海外からの輸入食材が滞ることも考えなくてはいけない。


津浪と原発事故でこの辺は物流がとまった、それで南相馬市の隣の原町区は30キロ圏内で避難命令が出た、そこで一時はもぬけのからとなり人がいなくなったのである
それは市が封鎖されたのとは違う、そこに住むなとして避難させられたのである
でも都市封鎖となると武漢のようになる
それは他に移動させるのではない、都市自体を封鎖する、交通も封鎖する
隣の河南省では武漢から人が入らないように道路を遮断している
村々でも人が武漢から人が入らないように独自にバリケードを作っている

そこでこうして封鎖された一千万都市の武漢がどうなっているのか?
その実態はわからないが5百万人は武漢から脱出したという
それも凄い数である、そしてカラスが増えて集まっているのは死体を漁っているからだと見ている報道がある
何か人がいなくなると動物に異変が起きて来る、この辺でも津波の後に以上に蝶が津波の跡地に増えた不思議があった、何か塩分が増えてそうなったとかも言う
一千万都市の半分の5百万が消えることはそれだけ何か自然にも異変が起きる
ただこの辺の規模とは違うから想像すらできない

一千万都市の封鎖→5百万脱出

この規模の大きさを想像できない、それで早めに脱出したのは共産党の幹部とか金持ちであり残されたのは貧乏人だという
中国ではそのことが良く言われる、あれだけ巨大で人口が多いと助け合うということがしにくい、国として国民として一体感がもてないからだ
人口が多すぎるから一千万殺しても死んでもどうってことないともなる
そういう国柄である

とにかくこれが日本と関係ないとはならないことが怖いのである
つまり東京を封鎖するという事態になりかねないとか警告する人がいるからだ
それは武漢と同じようになるのか?
武漢で起きたことが日本にも東京にも起きるとなると怖い

ただこれもカルマだったともなるのか?
東京のためにこの辺では福島に東電が原発を作った
もともとそうしたのは東京では危険だから誰も賛成しないから福島に作ったからである
それで東京に原発を作るのが筋だったのである、あれほど「安全神話」を作り原発を作ったのだから東京に作ってもいいはずだったのである
でも東京には作れないとしたのは危険を感じていたからである

そして今コロナウィルスで東京封鎖となったらそれがこの辺で起きた悲惨なことを経験することになる

東京から脱出せよ、東京は封鎖だ!

でも脱出するにしてもコロナウィルスが怖くて受け入れる自治体があるのかとなる
放射線の場合はまだ移ることがなかったがそこでも差別があったからだ
ウィルスに東京のような超過密都市は弱い、封鎖するにしてももし食料が入らなかったら飢え死にしてしまうからだ
都会は食料が外から入ってくるからもし入らないとすると飢え死にしてしまう
中国の野菜が入らなくなっているというのもそうである
そこで買いだめすることになりスーパーとかコンビニとかでも食料が消える
ここではそういうこと起きた、でも米があり水道が使えて電気が使えたので二週間はしのぐことができた
でもガソリンも入ってこなくなり車は利用できなくなったのである

それにしても武漢で一千万の人口の半分の500万が脱出した、そういうことが東京で起きたらどうなるのか?
それは福島に起きたこととは比べようがない、それは日本全体が麻痺するようになるかもしれない、あらゆる機能が東京に集中しているからである
そうして社会が機能しなくなることも怖い、なぜならグロ−バル社会であり広域社会であるから交通が遮断すると物流が絶えるからである
一千万も住んでいる都市に食料を供給するだで膨大なものになる
それは福島に起きたことと比べようがないのである
だから今武漢で起きていることは想像がつかないとなるのだ
何か死体をカラスが集まりあさっているという光景は映画のようでもあり5百万人が消えたということも想像できないのである
そこは人類終末のような光景にもなる
死体を焼く黒い煙が立ち上っている、それがおおっている、それは異様な光景である

ともかくこのコロナウィルスが正体不明なことが最大の恐怖を与えている
致死率はさほどではないといっても正体不明なのである
放射線では何とかそれがわかっていたから対策でもありえた
でも実際は放射線でもどう影響するかは明確ではなかった
だから対策がしにくくかった
今度のコロナウィルスも正体不明だから対処しようがないのである

ただ東京封鎖になったりしたらこれもカルマだったのかともなる
とにかく人間は自分が苦しんで見ないと相手のこと他者のことを理解できないからであるそれはあらゆることに言える、福島の原発事故とか津浪でもそうである
その苦しみを受けない人は他人事になるからだ
そのためにそうして常にカルマとして苦しみを与えるのかもしれない

歴史にしても疫病で人類は苦しんできた、こういうことがあるとまたその苦しみを知ることになる
津浪でもこの辺で400年前に700人溺死と記録されていたが忘れられていたが見直されたということがある
カルマというのは空間的にも時間的にも起きて来る
一つの場所で起きたことは他の場所でも地球規模でも起きて来る
また時間的にはカルマはくりかえしであり自然災害は必ずいつか過去に起きたように起きるのである
そのカルマの苦しみを受けて他者を外国でも理解することになる
このコロナウィルスは地球規模に拡大するかもしれないからである

posted by 天華 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

福島の原発事故とコロナウィルスの対処 (社会活動をとめることの方が危険?)


福島の原発事故とコロナウィルスの対処

(社会活動をとめることの方が危険?)


日本人は基本的に欧米人に対して放射能に強い、古来日本人は海藻類を食料にし体内で消化出来る酵素を持っている、海藻は被爆した放射能を体外に排出するヨードを体内で作る元々海藻類を摂取する習慣の無かった欧米人はその酵素を持ってない、

このことは福島の原発事故でも言われた、放射線がどう作用するのか?
それがわかっていなかったのだ、チェルノブエリであったとしてもでは日本人にどう作用するのかは別になる
それで何度も言っているが白人には肉を消化する酵素が出るという
肉食をしていた牧畜民族だから体が習慣で歴史的に作られてきた
日本人が穀物とか魚中心の食生活だから腸が長くなったというのと同じである
人間の体はその土地の風土によって作られてゆく、だから放射線とかでも一様に作用しない
だから科学というときも風土と関係しているから世界共通の真理ともならない
数学だと普遍的になるが地球であれ国であれみんな風土も違えば歴史も違う
そこで同じように適応できないのである

だから最近放射線がウィルスを菌を殺すに有効だというのもそうである
真偽はわからないにしても放射線にも何かそうしたいいものとして働くことがある
そもそも原発自体が日本の風土にあっていないものだった
地震とか津浪とかいろいろ自然災害があるし国土も狭いからである
ロシアとか中国でもアメリカでも広いということで事故があったらその場所を放置して
閉鎖して別な土地に移ればいいとなる

でも日本は福島の原発事故でも町や村が一挙に避難区域にしてゴーストタウンにした
その被害の方が余りにも大きかった

なぜそうなったのか?

それは放射線が実際はどう作用するのか被害になるのかわからなかったからである
人間は科学社会になってもでは科学のことが何でもわかっているのかというとわかっていない、専門家も科学者もわかっていない
だから放射線の影響についてもいろいろ言う、でもその意見も二つに分かれる
安全だ安全でないと学者も科学者も言う、だから素人は判断できなくなる

では日本の原発事故の結果としての被害は何であったのか?

チェエノブエリでも動物は帰って増えて来たとか、今まで住んでいなかったヘラ鹿が帰ってきたとか、福島でも野生の動物は増えているのである
すると放射線は怖いということがわかるにしても社会を地域社会を崩壊させた方が被害が余りにも大きかった
先祖代々住んでいた地域が故郷を失うということの方の被害が大きかったのである
現実は放射線の被害で死んだ人は一人もいないのである
これからガンになるといってもそれはあくまでも予想であり確実なものではない
でもガンが増えたらどうするのかということはある
でもそれより地域社会を崩壊させた方が被害を大きくしたとみる
それは回復しないからである

コロナウィルス騒動でもにたようなことが起きている
コロナウィルスも正体不明なのである、放射線の被害も実際はわかっていなかった
医療関係者が科学者がいろいろ言うけどこれもわからないのである
そのわからないことで都市封鎖とか社会活動を停止するようなことをするとどうなるのかやはり福島原発で起きたように社会そのものが崩壊して維持できなくなる
中国では作付の時期なのに人手が確保できないとかコロナウィルスのために社会活動ができなくなり食料すら得られなくなるかもしれないのだ

いづれにしろこのコロナウィルスの問題は正体不明だということである
だから対処方法もない、そして正体不明だということは恐れも大きくなる
過度になる、放射線被害でもそういうことが起きた
でも現実に放射線で地域住民が死んだということもなかったのである
この兼ね合いがむずかしい、早いうちに手を打てば感染が拡大しなかった
それで中国人の医師がウィルスのことを警告したがそれで罰せられた
その後に自らもコロナウィルスで死んだ悲劇があった
常に情報は隠蔽される、原発でもそうだった、そして「安全神話」が作られて誰も反対することも何もすることができなかった
その情報の隠蔽が致命的な結果になったのは同じだったのである

ともかく正体不明なものにどう対処するのか?

それに過度に反応して社会自体の機能を麻痺させていいのか?

今それが問われている、それは福島の原発事故でも起きたのである
どこまで予防措置をとるのか?学校を休校にするのか、人の行き来を止めるのか
そのタイミングをどうするのか、それは福島の原発事故とにていたのである
会社を休みにしたら休業補償をどうするかというのもそうである
それは福島の原発事故では補償金問題として起きて地域は分断された
それは地域社会を避難区域にして崩壊させたから起きたのである
だからこの兼ね合いをどうするのか判断がむずかしいとなる
過度に警戒して社会活動を麻痺させるとその後遺症が大きなものとなる
物流も途絶えて食料の奪い合いになったりするかもしれない
その方の被害が深刻だともなる、原発事故では30キロ内を避難区域にしてそういうことが起きた、それは地域社会を崩壊させたのである

ただこの選択判断は非常にむずかしい、なぜならどっちにしろその結果によって後で批判されることになる、コロナウィルスの被害が拡大したら批判されるしまた過度に警戒して社会活動をとめてもその後でその方が問題だったと批判されるからだ
たいしたことがないのに過度に警戒して社会活動をとめた結果、その方が被害を大きくしたとかなるからだ、それは指導する人の責任でもあるが民主主義になるとみんなの責任にもなる、どっちにしたらいいのか?
コロナウィルスはそれほどの被害がないから社会活動をあまり制限しない方がいいともなる
何か自分は社会活動をあまりにも過度にとめるとその方が被害が大きくなるともみる
それは原発事故でそうだったからである、ただ相手が正体不明なのだから判断しにくいのである、それを科学者でも医者でもわからないものだからである

posted by 天華 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月22日

海に囲まれた日本の地理が日本を作った (日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)


海に囲まれた日本の地理が日本を作った

(日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)

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学問の基本に地理があることは間違えない、天の時、地の利、人の和が基本にある
地の利が地政学から歴史でも政治でもある
なぜ日本が外国を理解するのにうといのか?
それは日本が特殊な地理にあったからである
自国の地理がどういうことをもたらしたかそれが基本にある

日本は海に囲まれた島国であり一つの隔離された宇宙である

これが日本の最大の特徴である、つまり日本は必ず海で世界が尽きる、それで最果ての地点が人気になる、日本では海で囲まれているからその外は意識しにくいのである
その特殊な地理が日本を作った、まるで世界とは大陸とは別個の純粋培養した世界を作ってきたのである

日本は世界のことを理解しにくい、例えば中国だとそこは一つの世界であり当然中華思想も生れる、中国には食べ物でも南から北かららゆるものがあるからだ  
中国にないものはないとなる、だから外国から何か輸入して豊かになるとかの発想がなかった、国内ですべて間に合うからである
そして夜郎自大という諺にも中国がすでに世界であることを示している
夜郎国が漢の国をみくびって戦争に勝つと思い込んでいたのである
その大きさと強さを知らなかったのである、それはアメリカと戦争した日本とも似ていた中国とはそうしてもともと大きいから世界であり中華思想が生れた

そういうことは自然現象にも起きて来る、最近アフリカからバッタが大量に発生して食料となるものを食いつくして中国に移動してきているという、それが脅威となる
それは中国にも過去にありアヒルを大量に放ちバッタを食わせてくいとめたという
アヒルは雑食性だったのである、そのアヒルが中国では食べる、バッタを食べたアヒルはたんぱく質をとるからうまいとしている、アヒルは中国ではどこでもみかける
でも今度は農薬を飛行機とかでまくほかないとしている

つまりこのことを見てもアフリカ大陸からアジアへ大陸はつながっているからこういうことが起きる、それも壮大な移動である、そのことはバッタでも起きているが人間にも起きているのだ、モンゴルのように大陸がつながっているからその大陸を遊牧民が軍隊となり移動する、また中国では流民が問題である、飢饉になると膨大な人間が移動するのだ
それで内乱となる、今中国は食料不足になりそういうことがまた起こりかねないとしている、アメリカから穀物を輸入しているのもそのためである

とにかくここでわかることは

バッタは日本には移動できない→海があるから

まさにこれが日本の地理的特徴なのである、海があってバッタも人も容易に移動できなかったのである、海が障壁となり中国のように万里の長城を作る必要がなかったのである
このことが日本を作ったのである、鎖国など大陸ではできないからである
日本はだからこうした地理によって作られた国である
確かにイギリスなども島国であるがドーバー海峡は30キロくらいで対馬海峡とは違う
泳いで渡る日本人もいたように近いのである
ドイツのケルンの塔からライン川が流れていてそれがオランダからイギリスにも通じていると見た、ヨ−ロッパ大陸とつづいているのかとも見た
そういう距離にあり日本は大陸と隔絶してはいないがその距離は遠いのである

だからイギリスはヨ−ロッパの大陸の歴史とも一帯化している
第一もともとゲルマン人が移住して作った国であることは明確である
ドイツ語が英語の基となっていることがはっきりしているからだ
日本の不思議は日本語がどこから来たものなのか未だに不明なことなのである
それが本当に神秘的なのである、だからもともと日本文明があり日本文化があった
縄文時代が一万年あり日本は中国より前から文明があったという人もでてくる
それは中国とかの大陸とつながっていないからである

日本の太平洋戦争の失敗は日本がどういう位置にあるのか地政学的に見ていなかったからかもしれない、それは中国の大陸の満州にこだわったためである
それは日露戦争の時からそうなっていた、あれだけの犠牲を払って満州を守ったのだから手放せなかった、結果的に満州にこだわりそれがひいてはアメリカとの戦争にもなった
中国もロシアも敵に回すこととなったのである

だから日本は大陸進出するべきではなかった、太平洋戦争というように太平洋の覇権を守るものとしての戦争だったら3百万にも死ぬようなことはなかった
中国の西安のような奥まで日本軍が行っていたことには驚く、あんなに広い中国に入ったらまさにのみこまれてしまうだろう、そんなところまで行って死んだということが信じられないのである

日本は海の国とするとき太平洋連合とか東南アジアくらいまでを連合国とするべきであり中国大陸に深入りしたのが失敗だったのである
それは日本の地理的特性を見ていなかったからである

それで不思議なのは済州島の漢拏山である

「榛名山」と「ハンナ山」

群馬県の榛名山は韓国の漢拏山(ハルラ山・叉ハンナ山)からで渡来人が名称と・・・群馬県立女子大学:熊倉靖氏がほぼ間違いないと言及しています。・・「東国文化シンポジュム」より

金井東裏遺跡(渋川市)出土の甲(よろい)着装人骨や日本のポンペイと言われる渋川市の黒井峯遺跡など、榛名山が大噴火していた6世紀中頃、渡来人が噴火の山をみて、済州島の噴火の山を漢拏山(ハルラ山)に連想して、ハンナ(榛名)山と・・

これは興味深い、なぜなら済州島に私が行って漢拏山(ハルラ山)に上らなかったが
その山は2000メートル級るから高い、そして独立峰である
その山を見たときそれが中国と韓国と日本に通じている、その山がそういう位置にあったことで意識した
地理のつながりとはこうして理屈なしで一体感を感じることなのである
韓国が日本と地理的には一番一体感を感じるのである
日本の延長として韓国があるとなる、ただ韓国は大陸とつながっているから大陸の一部にもなる、でも済州島ともなると何か日本の延長の一部のようにすら思えたのである
この地理的感覚はその場に立たない限りわからない、それは日本でも同じなのである

日本の地理の感覚は島国であり海を通じてつながる、陸を通じてつながるのではない
海を通じてつながる、だからこそニライカナイ信仰が生れた、海の彼方にある理想郷であ海のかなたに母なる国があるとかの信仰である、それも当然なのである
なぜなら日本は海で囲まれているのだから海のかなたをいつも見ているからだ
海によってさえぎられるからである、根の国というときは海の底なのである

ともかく日本は海洋国であり山の国でもあった、本来は海とのつながりが深かった
でも江戸時代の鎖国とかで海とのつながりが希薄化したのである
不思議なのは古代の方が大和朝廷ができる前の方が海とのつながりが深かった
古事記の神話でも海洋民が安曇族とか宗像族がその神話を作ったのである
だから相馬地域になぜこれほど綿津見神社と山津見神社が多いのか
それは海洋民がここに移住して来たからだとなる
その人たちが群馬県にも入りこんで榛名山は韓国の漢拏山(ハルラ山・叉ハンナ山)に由来しているというのもわかるのである
そしてまた日本語がポリネシア系統の言葉に由来するというのもそのためである

アジアの地政学というき中華思想の大陸だけではなく海のアジアがある
その海のアジアの中心が日本なのである、だから太平洋岸から沖縄諸島から中国の海岸線から台湾からと太平洋の島々がつながっている
そういう地政学をもてば一つの連合がありえた
それが満州を基盤に中国大陸に深くは入りこんだことが失敗の元だったのである
人間は地理を離れてありえない、だから政治でも地政学なのである

2020年02月21日

コロナウィルスに放射線が有効? (原発事故で散々だった福島が安全ー東京過密都市が被害を拡大?)


コロナウィルスに放射線が有効?

(原発事故で散々だった福島が安全ー東京過密都市が被害を拡大?)


照射による滅菌が発生する可能性がある1つの方法は、電離放射線が使用される場合です。
滅菌の文脈では、電離放射線は、滅菌中にすべての微生物を破壊するために使用される
短波長高強度放射線の一種です。 滅菌に使用される電離放射線の形態は、ガンマ線照射、
電子線照射、およびX線照射として知られています。


これは何かわからないけど放射線が菌を殺す、するとコロナウィルスも殺すとなるのか?それで福島が安全だとして面白がっている
これも何かわからないにしろ放射線というのはレントゲンとかでもわかるように毒にも薬にもなる、この世にあるものは毒にも薬にもなる
水だって津波になる水害になる、光だって強すぎれば紫外線で病気になるとか必ず両面に働く、だから放射線だって両面に働くのが自然界だとなく
放射線も自然界にもあったからだ

とにかく福島は自分の住んでいる場所は津波や原発事故でん散々な目にあったまさに人はばらばらになり住まなくなりまさに散々になったのである
未だに避難区域になった所は帰ったのは老人だけであり回りの田畑は草ぼうぼうである
そして空家だらけである

だから何かこんなふうに故郷が町が村が簡単に捨てられることが信じられなかった
確かに放射線というのは怖いというのはわかるからそれに文句は言えない
でも若い人が親を捨てていち早く故郷を捨てて去ったのである
故郷を捨てるにも何かもっと葛藤があってもいいとも思った
それが補償金をもらうことに奔走してあとは外に出て新しい暮らしをすることが優先されたのである
一瞬にして町時代がもぬけの殻にゴーストタウンになってしまったのである

今回のコロナウィルス騒動は何なのか?
これも不可解なのだけどこれが拡大して起きるとどうなるのか?
これは今の社会に対する警告なのかもしれない

グロ−バル経済、過密都市、地方の無視・・・とか現代がかかえる問題への警告なのかもしれない。
なぜならグロ−バル経済というとき日本の地方は食料を供給するものとしてある
でもグロ−バル経済になると中国でも外国から輸入するから日本の地方の田舎の食料は高くつくからいらないとしていたからだ
でも一旦中国からこうして食料が入らなくなったらどうするるの?
どこに食料を頼るのか?

また過密都市というときコロナウィルスとか過密な都市でたちまち伝染して拡大する
それで武漢と同じように都市を封鎖するほかないという意見もででいる
でも東京のような巨大都市を封鎖できるのか?
それはもう不可能である、ここにもウィルスに弱い大都市の問題が露呈したのである

東京一極集中というのがここでウィルスには弱い、脆弱だったのである
確かに便利であり効率的であってもウィルスにはせ弱いことが露呈した
そしてグロ−バル経済になると食料が世界から確実に入るとはならない
一旦こうなるとヒト、モノの流通が止まってしまうからである
その時どうしてしのげばいいのか?
外国から物でも食料でも入らなくなったらどこから供給すればいいのとなる
地方は地方交付税を東京都民が払っているとか文句をいって過疎地域は消滅させるべきだとか言う人が普通にいた
でも逆にウィルスになると過密都市で蔓延して外国からは食料も物も入らなくなりどうするのかともなる

原発事故のときはもう東北には人か住めないとか騒いでいたし面白がっていた人もいた
それが今度は東京には人が住めないとまでなるのか?
何か必ずそうしてカルマが回ってくる、すべてグロ−バルにつながると他人事でなくなのだ
第一東京に原発を作るべきだったというのは正論だった
でも東京都民は事故になったら被害があると福島に作らせたのである
もちろん地元の事情もあったからすべて東京都民のせいにはできない
でも安全をあれほど安全神話を作るほど言っていたのだから東京に作ってこそそれが主張できたのである

ただこういうことは必ずカルマとなって返ってくる
グロ−バル経済で一時日本は豊かになり外国で女性を安く買うとかしていた
ブランド品買いあさったりもした
しかし今度中国人とかに逆に女性でも体でももてなすとかまた観光でもなんでもお客様となりサーヒスする立場になったのである
これもつくづくカルマだった、必ずこれは別に個々人でもそうだし世界でも同じ事がおきてくるのだ、それは法則のようなものである
他人にしたことが自分にはねかえり他国にしたことは自国にはねかえってくる
韓国でしつこく福島産の商品を放射能汚染されると今でも攻撃している
そして今度はコロナウィルス患者が増えているのもカルマだとなるのか?
そもそも何か行為することはカルマとなって返ってくる
それが人間の法則である、その法則、カルマから逃れられないのである

だから今の所東北地方にコロナウィルス患者がでていない、福島は特に放射能で観光客もすくなかった、中国人も少ない、それでかえって安全だとかなる
これは冗談にしろコロナウィルスには福島は安全ですから来てくださいともなる
また人が住む空家がいくらでもあるからここに住んでください、土地も耕作放棄地として誰も使わないので使ってくださいとかなる

とにかくウィルスで安全なのはかえってヒトと交流しない辺鄙な所だった
桧枝岐は本当に隔絶した場所だった、尾瀬の観光がないとき秘境だった
交通の便もない所だった、それで明治にコレラが流行して70万とか死んだとき
福島県は会津若松中心に被害があった、でも桧枝岐は被害がなかったのである
だからそうしてヒトもモノも交流しない所が伝染病には強い、ちょうど隔離された場所にあると同じだからである
それで中国では奥地の村でも村に入るのを閉ざした
でもそこで自給自足できればいいができなければもたないとなる
だいたい江戸時代から戦後でも自給自足経済だったのである
地元にあるもので暮らしていた、だから伝染病とかなっても村を閉鎖しても生きていけたとはなる
今はまず交通が途絶えると生きていけなくなる
だから伝染病とかには都会だけでなく地方でも弱くなっているのである

コロナウィルス騒動もやはりいろいろな社会の不備が現れた
政府の指導も悪く、早く手を打たなかった、中国人を入国拒否しなかった
それも観光の収入を第一に考えたからである
必ず利益優先になりそれで後で大けがをする、原発でも10数メートルの津波が来るとして科学者が警告していた、その報告書は科学的裏付けがあった
でも東電では津波対策にコストがかかるとして対策をしなかった
常に安全はコストがかかり無駄になると後手後手になるのである
そしてこうした不測のことが起きると騒ぐとなる

それから今もう安倍首相ではだめだ、自衛隊にまかせるべきだ、河野太郎に首相をやらせてし指揮をとらせろというときもそうである
なぜならこうした危機管理ができる実働部隊が自衛隊だからである
結局津波でもその後片付けは自衛隊が一番役にたったからである
その中で三人くらい死んだのである、殉職したのである
つまり阿部首相は指揮がとれない、厚生大臣もできない、それで防衛大臣の河野太郎が
クローズアップされたのである

そんな中、政府内においてネット上における存在感を発揮しているのは河野太郎防衛大臣だろう。彼は約126万フォロワーを数えるTwitterで、毎回厚労省の発表をもとに、2020年1月30日より国内感染者の状況を「新型コロナウイルス感染症対策本部のメンバー」としてツイートしている。

こうした緊急事態には機動性を発揮できるのは自衛隊しかないのである
ぐずぐずしていると被害が拡大するだけだからである
それに備えているのは自衛隊だけである、化学部隊とかもあるからだ
こういうとき指揮系統が一元化することも必須だから河野太郎が指揮すればいいとかネットで騒いでいる、つまり阿部首相には指揮できないから言っている
厚生大臣にもできないから言っている、緊急事態にはこうして誰かが率先して指揮する人がいないと後手後手に回り被害を拡大するだけだとなるのが問題なのである

「ウイルスは保持していても発症していない人が大勢いて、すでに蔓延していると考えてください。今後は大都市を中心にさらなる感染拡大が進むはずです。東京、大阪、福岡など、中国とは比べものにならないほど人口密度が高い地域は危険度が高い。特に満員電車は人と接するタイミングが圧倒的に多く、人混みなどを介して、どんどん感染が拡大します。感染者が増えて、東京などの大都市がパニックになるのは時間の問題です」(前出・上さん)

新型コロナ拡大、東京も武漢のように都市封鎖に至る恐怖-女性セブン-2020年3月5日号

 

posted by 天華 at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬日没る(大原の里)


冬日没る(大原の里)

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変わらずに山脈区切り冬日没る

誰が参る大原の社冬の暮 

枝ゆらし東風(こち)吹き山の道を行く


跡を継ぐ人のなきしと嘆き死す大原にきて冬のくれかな

太原に空家の形見と残りしも墓に入りし冬のくれかな

太原に冬の日没りぬここに住み死にし人を我が思ふかな

知りし人ここに集まり冬の庭石のいくつか変わらざるかな


阿武隈山脈があり冬陽が没してゆく、この阿武隈山脈に遮られる、区切られる
この地形は太古から変わらないのである
どうしても福島県の浜通りはこの阿武隈山脈にさえぎられるから福島県との一体感がないのである
この地形とは変えられないからである
いろいろなものが変わる、でも地形は基本的に変わらないのである
だから政治でも現代でも地政学がありそれは変わらないのである
山が平地になったりしないし海も陸地になったりしないからである

国とは区切るからきたとか言われる、岩手県の区堺(くざかい)とかそうである
・・・区とは区切られた一地域である
国もそうである、やはり日本だと山が多いから山で区切られた地域だとなる
盆地も多いからそこが小国とか一つの国になる
この山を平地にしたりできないからである

深野のユッサに休んでそこから大原に行く、そこに病院で知り合った大原の農家の人が住んでいた、その人は死んだ、家は空家となっている
息子は市街に住んでいる、それで後継ぐことで何か頼んでいた
でもそこは空家になったままである
その人の墓は森の中にあった、息子が墓参りには来ているだろう
でも息子夫婦はもう大原には住まない、その後放射能騒ぎあった
それて土地をもっていたからかなり補償金をもらったかもしれない、そこは放射線量高かったから避難区域に指定されたからである

今日は常磐高速の方に行き小山田の道を行くと東風(こち)が吹いて枯枝をゆらした
その時、春を感じる、そして津波に襲われて原発が爆発したのが3月11日なのである
この頃東風が海からこの辺では吹く、これが飯館村とかに放射性物質を運んだのが悲劇を生んだのである
もし一月とかだったらまだ北風西風であり被害が少なかった
なぜなら海側では放射線量が高くなかった、海に風で流されたからである
それで原発の煙突が見える請戸ですら0・5マイクロシーベルトだったのである
だから飯館村は悲劇だった、もう二三か月づれていればあんな被害にならなかったからである

とにかく春になっている、今年は暖冬でありあまり寒いということはなかった
でもここ二三日は寒かった

山側の枯木の枝に風が吹いた
枝は言った
「これは東風(こち)だよ」
「今頃になると吹くからな」
「もう梅も咲いているし春だよ」
「梅のにおってくるな」

こんな感じである、ここから童話になればいいがそれが書けないのが残念となる

2020年02月20日

人間を作るのは経験である (本読んでもわからない)


人間を作るのは経験である

(本読んでもわからない)

つくづく人間は経験しないとわからないのだ、それで一番わかるのが外国に住んだ人と住まない人の差が大きいことである
留学した人としない人の差が大きい、この差は埋められない
だから知識人となる人はたいがい外国に住んだ経験がありまたさらに上をゆくと外国で仕事をした人である
そうきう経験した人は深いところで外国を理解している
それは日常的に日本との差を意識するからである
そういう経験の積み重ねで外国を理解して日本を理解するからである
これは旅行したくらいではわからないからだ
だから留学というのは相当に価値があることになる

例えばその他地理でもそうである、これは地図を見てもわからない、実際に旅行して実地にその場に立たない限りわからないのである
特に驚くのは太陽が昇る方向が違ってくる
太平洋側だと海から必ず太陽が昇る、でも山側だと山から太陽が昇り山に沈むのである
この感覚は同じ日本がでもそこに住んでみない限りわからない
それで会津は山があれだけあり高い、同じ福島県でもまるで違った世界となる

人生というのも実際は経験しない限りわからない、本を読んでもわからない
それで就職のとき一番重んじられるのはキャリアである
どういう経験したかでその人が判断される
その時資格でも学歴でも採用されない、どういうキャリアを積んだかで判断される
それはどういう経験をしたかということである 
だから学生でも一流大学でも実際に社会に出ると成功するとは限らない
つまり経験して見ない限り人間の力量はわからていからだ
学問はだめでも力を発揮する人はいるからだ
例えは戦争の時とかなればそこで力を発揮する人がでてくる
そういう特殊な場では本当に命をかけて試されるからである
経験とは何かを試されることなのである

ともかく人間はなんらか必ずどんな人でも経験を積んでいる
奇妙だけどニートでも引きこもりでも経験なのである
それは会社に勤めない、働かない、人と接しない、・・・こういうことは普通の社会人になれば経験できないことなのである
それと逆に一般的には会社に勤めて社会人となり経験を積む、それで社会のことを理解するのである
それを経験しないことは大きな欠落を生むことになる
例えば結婚でも経験でありこれを経験しないものとするものにも大きな差が生まれる

ただ経験と言っても人間の経験することが極限られている
だから何でも相手を知ることがむずかしいのである
仕事だって今は無数にありそれも経験しないとわからないからである
私は車を乗らないから車のことがわからない、となると車社会では脱落者となってしまうのである、一方で自転車のことを車ばかり乗っている人はわからなくなるのだ
そしてなぜ江戸時代のことがわからないのか?
その根本は歩いて生活していたということ街道でも一日40キロ歩いて旅していたということが経験しないからわからないのである
そのことからあらゆることが理解できなくなるのだ

経験が人間を作るというときあらゆることがそうである
なぜなら仕事するにしても何かに熟達するにしても経験だからである
こうしてみたがうまくいかなかった、だからこうしたらいいとか実験して経験してゆくことで身につく、農業だって本当に一から始めたら実験である
こうして失敗したこうしてうまくいったとか肥料を与えるにしても何でもそうである
それで農業は親の跡を継ぐのが有利になる、そこで蓄積したノウハウを教えられるからである、その土地のこともそこに生活して教えられるからである
すでに農家に生まれるということは農業を経験しているとなるからだ

とにかく自分には相当に経験が欠けていた、社会的に知らないことが多すぎた
それは社会経験がなかったことによる、もし会社勤めしていればこうはならなかった
それで親が死んでからいろいろなことを経験した、それも遅きに失した
家をやりくたすることはこれ自体が基本的生活の経験だった
家事でも経験であり一人切り盛りすることが大変である
それで常に家事に追われるようになったのである

そしてお手伝いさんなどを雇うことになったがこれも経験だった
日本人は外国で必ず家政婦を雇うようになる、それが強いられる
でも日本人はそうして家政婦を雇う経験がないからうまくいかないというとき
そういう文化がないからである、だからうまく使えないのである
これだって経験なのである、あらゆることが経験なのである
会社の経営でも人を雇うことでありそれで失敗してもやはり経験を積んだとなる
まず裏切られたとか普通にあり人を雇い人と共同することがいかにむずかしいか知る
それで一人で一反の畑で農業していても共同しないというときもそうである

その人の経験したものが人生になる、もちろん本を読むことも必要である
雑学でも意外と後で役に立つ、知識も蓄えることが必要である
でも基本的には経験しないかぎり知識もみにつかない
外国のことをいくら本を読んでもわからない、それで50以降海外旅行したのか良かった
その経験は貴重だった、その前は全く本を読んでも外国のことがわからなかったからである、中国に三回行ったから中国をある程度理解したのである

宗教とかも本を読んでも座禅を組んでも人に教えられてもわからない、もちろんカルト教団に入ってもわからない、結局経験から知るのである
聖書で一番大事なのことは奇跡であり何か事が成ることである
哲学とか思想でない、事実として起きて成ることである
だから奇跡が現実にあり奇跡なくして信仰もありえないのである
奇跡を信じない限りありえないのである、だから聖書に記された奇跡は全部真実であり作り話ではない、もしそうだったら信仰自体成り立たなくなるからだ
これも結局自らの経験で知るほかないのである
その人に必ず奇跡が起きて理解できるからである
信仰でもだからいくら聖書をくまなく読んでもあらゆる本を読んでもわからない
奇跡の経験がないかぎりわからないのである

そてし人生は経験した方が勝ちだった、自分は何か不器用でうまくいかなかった、失敗が多かった、海外旅行では大失敗したがそれでも思いきって行って良かった
なぜなら60になると介護であり何もできなくなったからである
それがつくづく幸運だったとなる、それはすべて親に恵まれたからである
だからやりたいことをやらせてくれた親に感謝して懸命に介護したのである
つまり今や何も経験することちができなくなったとなるからだ
もう老人になれば経験をできない、経験したことを語ることになる
それで金持ちの老人がワインのことをやたら詳しくなったけど無駄だったという
それも経験である、何々したがこうだったとか語るようになる
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日刊現代


会社に勤めたが退職して何が残ったかわかる
でもその経験が人生だったとなる、だから退職した人は会社勤めしていた時をなつかしくふりかえる、その仲間のことでもふりかえる、なぜなら時間が貴重であり
その時間をともにしたことが実は人生をともにしたともなるからだ
それで会社のことが忘れられない愛着がそこに生まれていたのである
というのは人生というのは一回しかないからである
一回しか経験できないからふりかえると時間を費やしたこと経験したことが貴重なものとなるのである
そしてその時間がかえってこないのである、となると余計に貴重なものとして自覚するようになる

カルト教団に入ったこともそれすら経験だった、あらゆるものが経験でありそれが人生を作る、そして老人になるとその経験を語るようになるのである
若者はまだ経験を積んでいない、これから経験を積んでゆくものである
でもどういう経験をすべきかが問題になる、毎日ギャンブルなどしているだけでは何にも残らない、そこで常に時間は浪費されて後年何も残らないとなるのだ

2020年02月19日

コロナウィルスの社会の影響 (過度なグロ−バル化経済から起きた問題)


コロナウィルスの社会の影響

(過度なグロ−バル化経済から起きた問題)


コロナウィルスが社会に提起した問題は何なのか?
ヒト、モノが自由にグローバルに行き来する社会に何の疑問もなくいいものとして拡大し進んできた
それで中国では世界の工場となり豊かにもなった
それでこれはいいものとして中国では世界の中国になるためにアメリカより覇権を奪い一帯一路政策でアフリカをも勢力圏に組み入れる
そこで覇権国のアメリカが待ったをかけたのが米中貿易戦争である

外国文明が文化でも技術でも入る時いろいろ問題になる
奈良時代だと唐との交流で中国文化を受け入れた、漢字を受け入れて日本語化もした
でもそれはあくまでも中国に留学したのはわずかのエリートにすぎなかったのである
一般の人は関係ないことだったのである
それで中国の文化をそのまま全部入れたかとなると違う
宦官制度とか入れないし何か入れたとしても中国そのままのものを入れていない
日本的に咀嚼して入れたのである
だから日本と中国が漢字を使っていてもその漢字の意味が違うのである

107年 帥升が、中国の後漢に、生口(せいこう)を献上します。
生口とは、奴隷の事です。

卑弥呼の邪馬台国時代に何も贈るものがなければ労働するものを送る、今なら外国人労働者であるただこれは職人のことで古代では違った意味をもっていたらしい。
ただ何も贈るものがなければ生口を奴隷を送る、それは奴隷が現実にヨ−ロッパでは常に存在していたからだ、それは近代になり黒人奴隷としてアメリカに連れられたことでもわかる
この生きた口というとき江戸時代に口入屋とありそれは労働者を斡旋する所だった
でも何かこの言葉には差別的な雰囲気を感じる
未だと非正規労働者とか日雇い労働者を雇う場所ともみるからである
ただ生口が技能者というとき技能労働者として日本で働かせられている外国人労働者がいるからその意味は確かではない

歴史をふりかえれば日本と外国との接触は特殊である、海に囲まれているから特殊になった、大陸だと陸つづきだから否応なく嫌だとしても万里の長城を築いても入ってくる
そして遊牧民のモンゴルとかに蹂躙されて支配される
外国人は来るなと言っても無駄なのである、無理やり入ってくる、そして食料でも女性でも奪われるのが大陸である、それが過酷なものとなっていた

日本は海に囲まれていたからそうして外国人が直接入ってくることはなかった
それは一部のエリートであり軍隊のように侵略するように入ってくることはなかった
そして日本では外国文化を全部そのまま入れたのでなく日本に適するもの取捨選択して
入れたのである、宦官制度は入れなかったのである
そのことが日本文化を維持して日本を作ってきたともなる

それが明治維新で崩れた、様々なものが無制限に入ってきたし受け入れたからである
日本の文化があり日本がに適したものとして咀嚼されずにそのつま入ってきたのである
宗教でもそうである、キリスト教があるとしてそれもヨ−ロッパのキリスト教であり日本化していないものが多かった
日本に宣教師でも多く来たことは大学にキリスト教系が多いことでもわかる
そういう宣教師でも日本化した武士道とキリスト教を一致させた内村鑑三とか現れた
また戦後は手島郁郎とかが良くわからないにしろ神道とも一致させたキリスト教を教えたそれは純日本的なキリスト教だったのである
キリスト教でもカトリックが入った国は経済成長もできていない、メキシコだとかブラジルだとか南米とかフィリピンとかそうである、そこに何かしらの問題がありそうなっている

いづれにしろコロナウィルス騒ぎで何が問われているのか?
それは文化でも技術でも何でも外国のものを無制限に入れるとそこに災いが生まれる
ヒト、モノでも何でも無制限に入れることは危険なのである
南米とかはその象徴ではないか、過去の文明が馬百頭とか銃をもった500人くらいの強盗団のようなものに乗っ取られたのである、これも悲惨だった
何らそこに抵抗できなかったのである、日本だけは明治維新で外国の植民地されなかったということは特筆すべきことだったのである
それだけの日本歴史があり文化がありそうならなかった唯一の国だったとなる

インディアンが絶滅寸前に追い込んだのはもウィルスなどであった

白人達が持ち込んだ微生物・細菌・バクテリア・ウイルスなどの病原菌や伝染病の為に、その集落は抹消されてしまったのだった。このように、ヨーロッパ人の征服者達は戦わずして勝利する場合が多々あった。この事で、原住民の人口減少に拍車が掛かった。メゾ・アメリカでは1520年代に25000万人いた原住民が、1620年代には100万人にまで減少した。

 森林に分け入って金鉱を探す者たちとの出会いは戦いに至らずに終わったが、彼らはワイアピの民たちに拳銃よりもはるかに致命的な武器を放っていった。麻疹(はしか)とイだが、こうした病気への自然免疫力を持たない先住民に対して、ウイルスは爆弾のような威力を持っていた。「ワイアピはそういう病気に慣れていなかったから、皆あっという間に死んでいった」「インフルエンザは治った。だから、はしかにかかったときも治ると思った。でも、はしかの方は強力で、死ぬまでに1日とかからなかった」と、ズァクーさんは語った。

白人がもたらした死の伝染病はしか、生き延びたアマゾン先住民の新たな戦い

ここで慣れていなかったというのは免疫がなっかたということである
そして2000人程度いたとされるワイアピの人々は、1973年にはわずか151人となってしまった 、これは最近のことなのである
日本でも幕末から明治になるとコレラが流行した、それで70万死んだのである

外国人と外国と交わることはそれがすべていいものではない、いいものばかり入ってくるとはならない、悪いモノもヒトも入ってくる
日本は海に囲まれていたから大陸のように海に阻まれるから大陸からの侵入に席巻されることがなかったのである
モンゴルが攻めてきたときが最大の危機になっただけだった

でも明治以降は全く違う、あらゆる外国のものが日本の文化などを無視して入りすぎたのである
食文化でも外国のあらゆるものを食べるようになった、これも日本人の体にいいものではなかった、日本は海産物とか米と野菜とか中心の食生活である
それが肉食中心の食生活になった、パンでも何でも食べるようになった
白人は欧米人は肉を食べると消化するため酵素が出る、でも日本人は出ない、すると肉食はあっていないのだ、そういうふうに人体が長年の習慣で作られてきた
そして穀物類を食べるから腸が長くなったのである
つまり体自体がその土地の風土から歴史から作られていたのである
だから外国のものを無制限に入れることは体にも影響するのである
まずなんらかのガンが日本人に多くなったとか他の病気でも食生活の影響がある

外国だとワインとかパン食とかチーズとか牧畜民族の食である
それが日本人にはあっていない、それでワインに詳しくなったがそんなもの無駄だったという金持ちの老人がいたのもわかる
日本人はなんでも取り入れすぎたのである、それで体をに病気を作ったともまでなる
コロナウィルスというのも何かわからないにしてもやはり日本が国外から入ってくる悪いものなのである
そういう悪いものも必ず外国と交流するとき入ってくるのである
だから貿易が悪いものではないというとき江戸時代のように鎖国しても長崎の出島で外国の物を取捨選択して人でも物でも入れるといいとなる
つまり外国貿易自体は否定できない、日本でも否定していなかったのである
ただ日本に合うものを取捨選択して入れていた
それが今は何の制限もない、あらゆるものが入ってくるからだ
それが日本文明でも文化でも破壊してしまうのである
だからコロナウィルスでも伝染病でもグロ−バル化に対する警告だとしてとらえることもできる

posted by 天華 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスで起きていること


コロナウィルスで起きていること

(それは悪いことばかりではない?)

コロナウィルスというときすべてが悪いとなる、いいことは一つもないとかなる
でもこれが何かわからないにしてもこれも世界に作用する
その結果としては

●グロ−バル経済の縮小

●オリンピックの中止

●中国とアメリカの大国の汚染

このことが起きている、アメリカが関係ないにしてもインフレインザで一万人以上が死んでいる、その中にかなりのコロナウィルス患者がいると調査しはじめた
するとこれは一体なんなのだろうとなる

良く推理小説で犯人が誰かという時、その結果として殺人でも誰が一番得したかということで割り出すことがある、もしそのことからたどると中国とアメリカのどちらがコロナウィルスを生物兵器としてばらまいたと言われる
でもそれでどっちが得するのか?
アメリカが得したとはしているからアメリカなのか?
でもアメリカのインフレインザがコロナウィルスだという時そうも言えなくなる
つまり両方が打撃を受けたとなるからだ

とにかく言えることはグローバル経済社会に対して警告の意味はあった
ヒト、モノが自由に行き来することはいいことのようでその反面マイナス面、危険なこともあるんだよということを警告している
江戸時代なら関所がヒトでもモノでも簡単に通れない、外国貿易はできない
すると鎖国状態でありウィルスでも入ってこない
どうしして江戸時代の末期にコレラが入ってきて被害があり幕末に拡大して明治で70万人も死んだのか?
それはその辺から人の交流がありコレラ菌が入ってきた
特に明治には外国人が入ってきたから大きな被害を出したとなる

とにかく人間社会は必ずいい面と悪い面が生れる、その極端なものが核だった、原子力発電として使えばいいものでありでも核兵器となれば人類滅亡になる
科学とは常に技術でもそういう側面があった
日本でも技(わざ)は災い(わざわい)となるからだ
それが人間の業(カルマ)だとなっていた

私はグロ−バル経済を批判して来た、世界的極端な格差を生んだのもグロ−バル経済であり金融資本とかにとって株式でも何でも操作されるようになる
そしてグロ−バル経済になると他国は利益を上げるものとしてしか見ない
それで食料でも危険なものでも売りつけてもうければいいとしかならなくなる
いらないもの危険なものでも買わされる
アメリカの牛肉を今アメリカでは危険だから食べないというとき日本人は平気で食べているとされる、遺伝子組み換えの食料でもそうである

福島の原発の原子炉でもマーク1というアメリカのお古を買わされたの事故の一つの原因だったとされている
アメリカでは別にその責任はとらない、離れているからいいとなるからだ
人間はそこから離れると無関心になるからだ
そこに住んでいる人は何でも住んでいる場所に無関心でいられないからだ
ただ中国だと一つの世界になっていたから(他山の石)という諺が生まれた

グロ−バル経済とか広域社会でもそれはいい面だけではなかったことは確かである
そのブレーキが今ウィルス騒ぎで起きているのかとなる
これはどうしてもヒト、、モノの交流をとめるからである
インバウンドの観光もとめられる、これだって確かに悪い面が多いとしても京都は元の静かな京都にもどったというときそこに住んでいる人には悪いことだけではない
日用の生活にも交通でも観光客によって乱されてしまたっからである

あまりにも他国に頼る生活をしていると何かあったときモノが入らなくなり生活もできない、中国の食糧でも物資でも入らないともはや生活できないとかなる
もし自国でまかなうようにしていればこういうときはもちこたえられる
それは津波の時、三陸辺りで裏山の清水を飲み、米を山からの木材でたき、みんなで協力しあってしのいだというときがそうである
交通が遮断されたからそうなった、でもそこにはまだ生き延びることができるものがあったから助かったのである
もう外国とかなると日本でもあまりに遠くなっているから何かあったときできなくなる
ガソリンが入らなくなったりしたら車さえ使えなくなるからだ
それで津波原発事故では私は二週間くらい過ぎて隣の市でスーパーをはじめたということで自転車で買い物に行ったのである
また町で貯えていた古米が配給されて助かったとなる

コレラの会津の流行は会津若松中心に被害がっあた、それは新潟方面からと白河街道とかからが会津若松で合流した、そこから田島の方の街道にさかのぼって蔓延したのである
だから人の行き来の多さに比例して明確に被害が大きくなっていた
それで桧枝岐(ひのえまた)は隔絶された秘境だったから被害がなかったのである
それもまた逆説だった、交流がなければウィルスの防御となっていたのである

結局あまりにも行きすぎたグロ−バル経済広域社会になってその欠陥が現れたのかとも思う
とにかくオリンピックなど中止されるのはいい、なぜならこれは国民の税金の無駄使いである、メデア関係が電通などがテレビ放送の利権でしているともされる
今第一オリッピック自体にスポーツに興味をもつ人は少ないからである
金メダルとることでもあまり関心がないのである
前のオリンピックとは全然社会状況が変わってしまったからやるべきではなかったのである

またこのコロナウィルス騒ぎは中国とアメリカへの大国への警告かもしれない
アメリカは中国の一帯一路政策がすすめられなくなるとか喜ぶ
中国の一帯一路は中国の世界支配のためであり日本がもその中に入っているのだ
またアメリカのインフレインザ流行も格差社会が貧乏人が医者にかかれていことから起きているとかアメリカの内政の問題でもあるからだ
つまり中国でもアメリカでもウィルスがその脆弱な所をついてきたのである
もちろん日本の社会にもそうである、何か常に日本でも情報を隠蔽する社会だからであるそれは原発事故で暴露されたのである
だからそれぞれの社会の脆弱なところをついてきたのである

結局グロ−バル経済とか世界政府とかはまやかしである、それは世界保健機構(WHO)でもわかった、中国の金によって中国の息のかかったエチオピア人がとりしきっていたからそうなった、つまり中国人のためのものだったのである
国連自体も世界のためではない、特定の国のためであり金を出す国が支配するとなる
世界政府とは世界が特定の大国なりに支配される体制でありそこに公平なとありえないのである
おそらく人間が意思を疎通される範囲は限られている
それで民主主義でも大きな国になると通用しなくなる
せいぜい一万くらいのギリシャのボリスのようだったら直接選挙で機能するとなる
それが十万だと百万だとかなるともう民主主義もなくなる
だから世界政府とはまるでナチス帝国とか中華帝国とかのことでありそんなものが作れるようがないのである
ただグロ−バル経済になるとそういうことが推進される
だからコロナウィルス騒ぎはそういうことをとめるために起きたのかとまでなる

posted by 天華 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月18日

ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資 (ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者)


ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資

(ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者) 

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ゆうちょ銀行破綻の危機が来るか?日本が売られている可能性がある!?

youtubeの説明はわかりやすい、金融の専門家が話している
地方のゆうちょでも地銀とか相当にレベルが低い
そもそも地方では田舎では貯金していれば今までは利子ついていたのだから
預けておくだけで利子がつくから安心だったのである
いろいろ悩むこともなかったのである
だからそういう日本が成長する時代はゆうちょでも銀行でもみんな信頼していたし
そういう職業は地方でぱ公務員と同じでありエリートになっていたのである

自分自身も株のことなど投資のことなど皆目わからないのである
それを知るために経験と時間が必要である
それができないから地銀の営業マンに一切委託したのである
いちいち株でも一人でやるとなるとパソコンで取引していたら後は何もできなくなる
でもいろいろ勉強すると

ゆうちょでも地銀でも投資のことは理解していない素人だった!

日本が成長するときはそもそもゆうちょでももともと国営であり地銀でも投資する地域の会社を育てることをしていなかった、ただ担保だけを見ていたのである
だから担保がない人には貸さなかったのである
つまり楽な仕事だったのである

このyoutubeの説明でわかったことは

ゴールドマンサックスは仲介業者であり手数料をとるだけ!

こういうふうに説明している、これは地銀と同じだと思った
適当に投資信託を選らびそれを顧客に売りつければ手数料が入る
投資信託は銀行が絶対に損しない仕組みである
リスクは負わないのである、地銀自体が証券会社の商品を仲介して売りつけて手数料をもらえばいいとしかないのであ
その手数料が高すぎるのである、だからこそ地銀にとってゆうちょでも都合のいい商売だとなる

ただそれでもゆうちょでも地銀でもプロだと思っていた、ここが根本的に間違っていたのだゆうちょでも地銀でも素人であり自分とかわりなかったのである

それで今度は逆にゴールドマンサックスが売りつける怪しいものにCLOに巨額の金を投資している、それはアメリカの中小企業とかに貸し付ける金である
でもその中小企業が借金になり返せないとリーマンショックのようにバブルになり
リーマンショックの再現になる
それが近いとも言っている

ではなぜアメリカの株が上昇して下がらないのか?

日本の株もまだ下がらないのか?

下がっていいはずだというときそれは日本だったら阿部首相が政府が工作して下げないようにしている、アベノミックスで政権がもっているからである
それはアメリカでも同じだという、政府が介入して破綻を延期しているだけだという

とにかくゴールドマンサックスのような仲介業として手数料をとっているのが地銀だった
営業マンはリーマンショックの時もっていた株を投資信託に回して損しないにしろその株をもっていればかなりのもうけになったのにできなかった
その時自分自身で判断すれば自分の責任であり責任は言わないのである
でも地銀は手数料はもらうが一切責任はとらないのである
分散投資のことをしきり言っていたがそれすら自分のノルマを果たすために守らなかったからだ
結局地銀でもゆうちょでも金があってももう利子をつけて顧客に払うことができなくなったのである

だからこそ何かいかがわしいゴールドマンサックスのもってくる投資信託を買わされている、そしてゴールドサックスマは手数料をとるだけだから地銀と同じである
そして前の小泉首相が郵政民営化をあれほど政策としてかがげていたのは何だったのか?それは民営化してその金をゴールドマンサックスなどを通じてアメリカの中小企業に貸す金だったとなる
民営化すればそれがしやすくなるからだ、政府の責任にならないからである

グロ−バル経済というのは複雑である、その複雑さ故にだまされる
地銀とかゆうちょは地域に根ざすものでありそうしたグロ−バル経済の投資にかかわっていなかったのである、だから素人なのである
それで一番危ないのが農林中金の金がその怪しいCLOに投資して奪われるとういことが言われる
もう地方の人たちが苦労して働いた金がこうして奪われ無に帰するというのも無念だとなる

ただ今問題なのは資本主義がゆきづまっているというとき投資先がなくなったからであるアメリカでも金があっても投資して利益を得られる先がない
金の行き場がなくなっているのだ、金余りでありそれがバブルになる
古銭とかに古いコインに投資するとかもそうである
そんな一つの貨幣に一千万とかなるのも驚きである
それもバブルなのかと思う、金の値段が上がるのもわかる
カネ余りであり投資先がないからである
チューリップバブルも金余りになりバブルになりなったと同じである

いづれにしろグロ−バル経済の仕組みは複雑で素人にはわからない、でもなんか放射線とか核よりは勉強すれば情報が入ればそれなりにわかるのかとなる
youtubeの説明はわかりやすいから壺を理解できる
ただそれも深く知ることは至難である
今はこうして金がある人は金のことを心配する
預金封鎖があるとかなんとかそんな話しかないからである
預金も消えてゆくという不安があるからだ
紙幣とは紙にすぎない、だから古いコインはコインでも紙よりいいのかとなってしまうのである

私の母は前の夫は事故で死んで補償金をもらって一生楽に暮らせると言われていた
でも戦争になり預金封鎖になり本当に紙くずになった
でも実家の近くに買った土地だけは残りそれが金になったのである
だからこういうことがあるから一時は土地バブルになったしまた今は金が上がっているのだ

結局どんなことしたって完全な安全を計ることはできないのだ
突然コロナウィルス騒ぎになったり不測の事態が必ず起きる
それはそれぞれの個々人でも起きる、病気になったり何か不測のことが起きる
それは一生の中で必ず起きる、自分自身も60以降介護とか自分の病気とかで塗炭の苦しみになったからである

そしてまた母のことだが母は冒険などしない大人しい女性だった
家からほとんど出ない人だったのである

ところが

炬燵に入っていたとき突然近くの川が氾濫して床上浸水になった
私の家は街中で一番低い場所にあったからだ
そして母はあわてて米をもちだそうとしていた
その時水が家の中に入ってきて米をもちだそうとしてその炬燵の穴に入って骨折する大けがをしたのである                  

つまり家の中にいても安全はなかった!

こうしてリスクのない人生はない、安全を計っても必ずこうして不測のことが起きて大けがしたりするのである
だから火宅の世だとか言われるのである

ともかくグロ−バル経済にはからくりがある、株価はアメリカでも日本でも操作しているアベノミックスがそうでありアメリカでもゴールドサックスマンと政府が操作しているから株が下がらないがそれも限界が来てまたリーマンショックのようなことが起きるとしている
もう資本主義が投資先もなくなり成長が望めない、それで限界が来たとなる
だからゼロサム社会とか中世にもどるとか言われる

私が追求するのは内面的心であり真善美である、日本だったら国風文化の再興である
これ以上グロ−バル経済の発展はない、かえってマイナスになることが害になることが大きくなったのである
必要なものではない、不用なものも買わされる、不用だけではない害になる食料でもアメリカから買わされることになったり武器を買わされたりと日本は負担が増える
それもアメリカ様に逆らえないとなりそうなる
だから経済に公平などないのである
アメリカとか中国が冷戦状態、貿易戦争になるように覇権争いになり経済も政治に支配される、経済自体にもグロ−バル経済で国際金融資本が支配するとなり日本がの金が奪われる

そういうことにyoutubeを見て気づかされた、ただその奥ふかい所を理解することは至難である
それで陰謀論に必ずなる、結局その闇の正体が解明できないからである
そもそもこの闇の主とはロスチャイルドとかロックフェラーだとユダヤ人とかいろいろ言うけどそれは聖書で言う闇の主、サタンだともなってしまう
結局その主は具体的ものとして見えないからである
ただ中国でも共産主義でも極端な格差がありその格差がどうして生まれるのか?
それが現代経済の最大の問題なのである
それでアメリカで一万人もインフレインザで死んでいる
それは保険に入っていない貧困層が膨大にいて医者にも行けないからだとしている
つまり格差社会は階級社会になる時その上層部にもウィルスの蔓延が及ぶから無関心ではいられないのである、また犯罪を増えるから見過ごしてはいられない
それで南米の大金持ちは誘拐があるから警備員を私兵を雇っている

習近平でも独裁でしめつけ言論を封殺したのはいいがそれがかえって裏目にでた
ウィルスを蔓延させた、最初に警告した医師は言論封殺されて自らもコロナウィルスにかかり死んだ、つまり習近平体制がゆらいでいるのは言論の自由がないからだとなる
そのこと自体が共産党一党独裁が崩れていく原因ともなる
だから民主主義の第一のルールが言論の自由を守ることであり情報公開だとなる
それが原発事故でも証明されたのである
posted by 天華 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

野馬追の野馬の起源 (「馬」が動かした日本史ー蒲池明弘を読む)

野馬追の野馬の起源 

(「馬」が動かした日本史ー蒲池明弘を読む)

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平成29年 相馬野馬追ー野馬懸(かけ)ビューローfacebookアルバム

●馬と日本の歴史

この本は馬から日本史を見ることで興味深かった、というのは相馬藩は野馬追いの祭りで有名だからである
その野馬とういうのは何なのかここで説明している
そして日本の歴史をみるとき縄文時代があるとしてその後がどうなっているのかとか
歴史の継続性が明確ではない、縄文時代が一万年つづいたとして日本の歴史はその縄文時代の末裔としてあるとしても明確さに欠ける
連続性がどうなっていんるのか不明である、日本語にしてもそうだろう
それが未だにどこに由来しているのかわからないから様々な説が生まれる
これはイスラエルの言葉と関係しているとかシュメール語だとインドのドラビダ族は共通しているとかポリネシア語だとか説がいろいろあっても解明できない
そもそも縄文語があったとして今の日本語の起源なのかというとそれも不明なのである

はっきりしていることは縄文時代には魏志倭人伝に書かれたように日本には馬とか羊とかいないと書かれている、つまり野生の馬もいなかったのである
馬は外国から入ってきたものであった
魏志倭人伝に鉄の矢じりと骨の矢じりがあったのは日本では鉄が不足しているからだとしている、日本は技術的に大陸からすると遅れていた

馬は牧の中で放し飼いにされ、水飲み場のほかには餌を与えられずほとんど野生の馬だったことから(野馬)と呼ばれてました

千葉県の幕府直轄の牧の痕跡(野馬土手)が数多く発見された
その説明がこの文である 

そして今でも残されている野馬がある、御崎馬とか寒立馬とかが今も生きていてそれは野生の馬なのである、代われた馬ではないのである
馬は軍事目的に使われることが多かった、日本の草原の国であり野生の馬が生きられるとしている
ただ日本は湿地帯であり森の国だから馬が野生で生きられる土地は少ないようにも見えるでも山の台地とかは適していたのかとなる
花巻とかあれば鼻とは突き出した台地でありそういう地形があり馬が生育するのに向いた土地だったとなる、長野県に牧が多かったのはそのためである
モンゴルの様などこまでも平原がつづくとはならない、第一野馬というとき野は斜面のことだからである
日本は植物が豊富な土地であり野生の馬の餌になる草があったという
それで野馬が生きられる条件があった、また火山からできる黒ボク地が草原を作り馬が生きるのにふさわしい場所としている

常陸国風土記に霞ケ浦の行方郡について山には猿、猪がいて野に馬がいること
天武天皇の時、地元の人が野馬を捕獲して朝廷に献上したと記されている
それは行方(なめかた)の馬であると記されている

行方郡とは相馬地域の古代のことである、その行方郡の人たちがこの地域に移住して来たからその名がついたのである、相馬氏がこの地域を支配したから相馬郡となり相馬藩となり相馬市となったのである
もともとは千葉氏が基となっていた、千葉氏から相馬氏が出てこの地を支配した

●野馬追いの野馬の意味

野馬追いの野馬という言葉が何を意味しているのか?
野にいる馬を追うということである、そのこと自体不思議なのは日本の野に原野に野生の馬がいたということである
モンゴルの様な平原ならわかるが日本にも野生の馬がいた、その野生の馬はかえって気が荒く戦(いくさ)で使うのには適していたのである                  

武士用の馬の牧場で野馬飼いのような粗放な飼育が採用されたのだろうか
家康の遺訓にあるように長期間の戦陣の中でも気力、体力の衰えないタフなう馬が求められた

幕府牧場といっても見回りしたり牧野手入れしたりするのは近隣の住民だったから
将軍様の馬ということで過保護に傾き良い餌を与えたり病気になれば自分の家に連れて帰り回復するまでめんどうみることもあったようだ
将軍吉宗はそれを良くないと言っている

元より野馬にひとしくあつかうべし

厳しい自然環境にさらし自然淘汰にゆだね、強い個体を残すこと、野馬飼いの目的の一端がわかる
                    
日本の馬は小型の馬が多かった、モンゴル馬とにていた、モンゴル馬は自分も乗ったが小型であり地に足がつくくらいだった、だからこそ乗れたとなる
自分が馬にのったのははじめてでも乗れたのである
馬が大きいと足がつかないから危険になる
自転車でも足がつかないと緊急の時止められないから危険になる
ただこの小型の馬も江戸時代から何か大型になっているように見える
おそらく江戸時代になると農耕馬などがふえてきたからかもしれない
戦闘に使う馬は小型でも強いとなる、また遠征に耐えられるのは耐久力がある小型馬でありロバともにている
もともとは小型の馬だったのである

●南相馬市の雲雀が原近くの羽山古墳の馬の絵

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甲冑と兜を身にまとった武人である
鉄を生産する技術があり兜も身につける
野馬追いの武者と変わりないのである

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双葉の清戸迫横穴古墳
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この装飾古墳は今の神旗争奪戦が行われる雲雀が原の近くなのである
もともとは江戸時代は野馬土手で囲まれていた一帯である
ここで江戸時代から野馬追い、野馬を捕える場所としてあった
その広さは桜井古墳まで広がっていたのである
そしてこの古墳とも馬が関係していたと説明されるときぴったりだとなる
野馬牧場があり桜井古墳まで広がっていたからである
関東には大きな古墳が密集していてそれは馬と関係していた

蝦夷とは何ものかという時、馬をあやつり弓矢を射ることにたけていて勇猛だったというときそうである、この馬は縄文時代にはないのである
この馬は渡来人がもたらしたのである、その馬を操作する術とか鐙とかももたらした
鉄の生産とか鉄の武器ももたらした、その渡来人が実は蝦夷だったのである
ツノガノアラシトが伽耶王国の王子でありその伝説が伝わっていてそれに由来する地名もある
そしてそれは相当に古く縄文人とか原住民と連合を組んでいた、それが蝦夷だったから強敵になったのである、馬を操り弓矢の術にすぐれ鉄の武器をもっていたとなれば手ごわいものとなったのである
それができたのは渡来人が早い時期に東北の地域に土着していたからである
そして古墳に鉄製品とか大陸風の鉄の馬具が収められているののもそのためである
馬とともに先進の文化や技術が入ってきていたのである

だから何か横穴古墳とかいうとそんな先進文化と関係ないように見ていた
縄文人が原始的生活していたように見ていた
でもよく見ればそこに馬が描かれて兜をつけて刀をつけた武人が描かれていた
それは騎馬民族の末裔でもあったのだ、縄文人とはまるで違った人たちだったのである
馬を使いこなす騎馬民族の末裔だったとなる
縄文人は馬は使っていない、するとそういう馬を使いこなす人たちが入ってくればそういう人たちはその土地を支配する、第一相馬氏が千葉氏の分流であり馬を使うに巧みな武士団であったからだ
それがた野馬追いの祭りとして相馬藩で受け継がれたのである
だから羽山横穴古墳とか野馬追いが行われる雲雀が原は野馬土手があり広く野馬がいたとなる、その野馬を捕えていたのである、それは小高神社の野馬掛け祭りでその様子が再現されるのである

とにかく歴史を勉強するとき必ず時代の前後とかわからなくなる
横穴古墳の装飾古墳が原始時代の遅れたものとして見ていたりする
でもそれは先進文化を象徴したものだった、なぜなら馬が中心に描かれその馬をあやつる武人の絵だからである、その武人は鉄の兜をつけ刀をさしている
それは戦国時代の武将と同じだったのである
そういう先進的なものとして見ていない、そこにも常に時代の錯覚がある

広き野に野馬を追う
兜をつけ刀をさした
渡来人の武人?
渦巻きの太陽は輝き
その姿は誇らしく
広々として原に野馬を追う
草原を賭ける野馬よ
その躍動する馬に魅了される

横穴古墳はこれは明らかに古墳時代の後期であり新しいのである
では桜井古墳とは何なのか、誰が作ったのか、誰を祭っているのか?
二人の棺があり埋められていたすとるとこの辺に二つの勢力があった
一一人は縄文人以来の原住民の主であり一人は渡来人を治めた人だったのかとなる

ともかくこの本は興味深い、馬という視点から歴史を見るということでわかりやすいということはある
相馬野馬追いがあるから馬に興味がででくる、今は競馬している人が馬に興味をもつ
馬自体は日常生活では見れなくなったからである
でも馬が絵がれた装飾古墳は生き生きとしている
そこには広い野が広がっていた、ごちゃごちゃした街はなかったのである
原町はそうした広い場所があった、鹿島とかなると寺内小池の高台がそういう場所だっただから古墳の町としてある、でも原町の雲雀が原は古代から戦国時代へ相馬氏の支配する場所として継続していたのである
双葉の清戸迫横穴の装飾古墳もそうである、そこにも広い野が広がり馬を操る野馬を追う武人がいたのである

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茨城県の行方市(なめかた)の古墳にある馬の冠

ここでは確かに野馬がいて放牧されていてそれは野馬であり野生であり
それを捕えて軍馬にしていたのである
馬の配置でも野馬のように自由であり放牧されていたまたは野生の馬の姿を
冠にしたと思える







posted by 天華 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2020年02月17日

社会の脆弱性を攻撃するウィルス (アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)


社会の脆弱性を攻撃するウィルス

(アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)

向こうの貧困層は、その日暮らしが多いだろし
仕事休めば即クビだろう、そうなると病院いかず無理して、本人重症周りにウイルス撒き散らし
日本もこのまま貧困層が増え、格差拡がれば今以上に毎年インフルエンザ大流行で数万死ぬ社会の出来上がり

今回のコロナウィルスの正体はわからない、謎である
なぜアメリカにこんなにインフレインザで死んでいるのか?
こっちの方が怖いとなる
一万人も死んでいることの方が怖いとなる

その原因がアメリカでは簡単に病院に医者にかかれない、日本のような皆保険がない
医療費が馬鹿高いからである、それで医者にも行けず病院にも行けず死ぬ人も多い
これはアメリカは極端な格差社会であり金持ちは桁外れの金持ちである
数パーセントの人が富を独占している
そしてホームレスも多い、格差が極端なのである
結果的に医療がゆきとどかずインフレインザでこんなに死んでいるのかとなる
それはウィルスに対して社会の脆弱性がありそこをついてきたのかとなる
日本は貧乏人でも医者にはかかれる、病院に行けるからである

一方中国はどうかというと最初にウィルス説を唱えた人が警告した医者が習近平独裁体制のもとで言論の自由がなく自らもコロナウィルスにかかり死んだ
それは悲劇だった、ウィルスの攻撃で社会の問題が浮き彫りにされたのである
それは原発事故でもそうである、「安全神話」を作った議員や官僚や御用学者やマスコミがありそれは巨大な利権のために「安全神話」を作っていたのである
その安全神話が津波で崩壊したのである
日本にも言論の自由はなかったのである、安全だとしかなかったからだ
内部告発者もいなかった、実際は原発の管理はずさんなものだったのである
そこで働く電気工事関係者はそのことを言っていた
でもそれを言うと仕事がもらえないから東電の命令は絶対だからということができなかった、完全に「安全神話」によって言論は封殺されていたのである

だから社会の脆弱性というのが何か危機に現れる、それはそういう事故とか事件とかウィルスとかの危機に現れる
日本がで阿部首相が適切な処置をしなかったから中国人に忖度して観光で金を落してもらうために早急に入国拒否しなかったことが問われている
つまり常に利益が第一であり安全は考慮されないのは原発と同じだったのである

社会の脆弱性というとき格差社会になると社会全体からみると社会的紐帯がない意外ともろい社会であるとなる、そういうことが危機に現れる
アメリカでは極端な格差社会というとき、大金持ちは貧困層に無関心になる
でもその貧困層がいるということでその人たちがウィルスに感染しやすい
なぜなら医者や病院にもかかれないからである
するとそこからウィルスが蔓延してインフレインザが拡大して富裕層にも及んでくる
それは防ぎようがなくなるのだ

中国の様な共産党一党独裁は支配者層にとっていいが支配される下級国民にとっては
いいものではない、でも支配階級にとっても独裁政権が今回のように言論を弾圧する
するとそれが支配者層にはねかえってくる
医師がコロナウィルスを指摘したのに抹殺されてその時ウィルスが蔓延していたからである
中国では自治体の独立性がないから上意下達だから自分たちの生活する場所で知ったことを共産党幹部に伝えることができなかったのである


アメリカが中国を批判するけどアメリカでも社会の脆弱性が攻撃される
そして日本でも日本でのコロナウィルスの蔓延がとめられるかどうか問われる
日本の社会の脆弱性がここでも問題にされるかもしれない
ただウィルスは現代のようにグロ−バル化して人がこれだけ世界中を行き来していることで拡散することをさけられないのである
南相馬市の原町区のパリミキの人が福島市から通っているというのもそうである
相当に距離がある、でもそういうこともまた多いのが現代社会である
だから福島市で感染していたらすぐに南相馬市でも感染者が出るとなるのだ
もうその径路は追ってもわからなくなる、現実にそうなっている
それだけ広範囲に世界でも交わっているからである
それがグロ−バル経済の脆弱性として欠点としても現れたのである

例えば江戸時代なら関所が随所にありそこを封鎖すれば入れなくなる
食料とかどうするのかとなればもともと地元で自給自足なのだから貧困でも生活できる
貧しくてもできる、でも今はできない、世界でも結びついて生活が成り立っているからである
だから津波とか原発事故でも交通が遮断されると食料も何も入らずにお手上げになる
放射能が怖いから運送する人も入らない、津浪で道路は寸断されて運べないとなった
その時裏山の清水を飲みまたそれで貯えていた米をたきしのいだ人たちがいた
燃料は裏山の木とかなった、それは江戸時代の自給自足の状態に戻って助かったとなる
そこにセーフティネットがあったとなる
それが都会などでぱできないからもう生き延びることすらできなくなる

いづれにしろウィルスでもそうだが常にグロ−バル化しているからグロ−バルな問題として浮上する
アメリカのインフレインザだって日本に伝染するかもしれない、するとそっちの方が怖いとなる、何かこれはコロナウィルスではないかとアメリカで調べ始めたからである
アメリカも中国だけを悪者として批判できる国ではないのだ
そして日本のコロナウィルスの対応が悪いとういが自国でもどうなのかとなる
そんな極端な格差社会を作り貧困層が医者にも病院にもかかれないからそんなに多い死者をだしているとなるからだ

原発事故でもそうだったが何かこうして問題が起きると社会自体が問題になる
社会全体が問題になる、その国々の社会が問われる
中国とアメリカは巨大だからその影響が世界に及ぶことが多い
でもその社会の脆弱性がどっちにもありそれがウィルスの攻撃で攻められてもいるのだ
ということはこうしたウィルスも天変地異であり津波と同じように神の意志が働いてなっているのかともなる
これを契機に新たな社会形成を強いられるからである、つまり易姓革命となるからだ
だからこのようなウィルスでも神が働いているのかともなる
これはグロ−バルな問題でありグロ−バルな解決策が必要になっているからだ
posted by 天華 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

時間の間隔の誤差が大きかった (眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)


時間の間隔の誤差が大きかった

(眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)

今日パリミキで眼鏡を買った
片方のレンズが落ちたからである
片方がなくてもそれなりに見えたのも不思議である

ただこのメガネは一回も踏んでいない、前のメガネは十回くらい踏んでは直してもらい使っていた、だから10年くらい使ったように思っていた
そして新しい眼鏡にしたのが一年前とかと思っていた
でも4年以上過ぎていたのが信じられない
でもパリミキでしかメガネは買っていないはずである
だから間違えないと思う

人間の時間の間隔は何かずれてくる
いつ何あったのかからなくなる
それで歴史でも前後を間違えたりするのである
江戸時代の墓の年号などを見ても間違うのである
時代を前後することが良くあるのだ

本当に今回は一年前くらいだとてっきり思っていた、でも4年前に買った眼鏡だった
なぜそう思ったかと言うと一回も踏んで直してもらっていないからだ
だから一年くらいだとてっきり思っていたいたのである
今でも何かそれが信じられないのである

例えば家族の死んだ年は間違うことはない、いつ死んだか覚えている
一二年のずれはあるかもしれないがたいがい正確に死んだ年とか覚えている
両親がいて父と母がいてどっちが先に死んだかを覚えている
その前後を間違うことはないのである

このメガネで私が覚えていたのは前のメガネは何度も踏んで曲がり十回くらい直してもらい使っていたと記憶する、そのことは良く覚えていたのである
それで見えずらくなったこともあり新しいのを買ったのである
だからそれは相当に長く使っていたと記憶する、でも5年くらいだとすると短かったのかとなる

ここで感じたことは人間の記憶は何でもって記憶するのかというとこの場合はメガネを何度も踏んで曲げて直してもらったという経験を記憶していた
その記憶が脳に刻まれていたがいつの年かという正確な時は明確でなくなっていたのである
だから人間の記憶とはそうして印象になる出来事は記憶している
でも年代とかは忘れているのである
それが十年前でも二十年前でも印象的な何か大きなことがあると記憶に残る
それは20代の時に起こる、20代は何か様々な出来事が起きて印象に残り安いのである
その後は何か体験でも残りにくい、記憶しにくくなる
でも何か大きなこと事件でも体験でもあれば心に記憶される

人間の記憶は年代では記憶されない、その正確な年号とか西暦とかでは記憶されない
何か事が起きてその人にとって忘れられない体験が記憶として残る
あの時は何々があったというときその何々が記憶に残るのでありその時の年代ではないのである
老人になるとそうした自分が経験したことを語る、でもそれが明確な西暦とか元号とか年号とかでは記憶されないのである
それが歴史でもそうである、何か大きな事件があったとき歴史的事件となり記録されるし歴史の別れ道とかとしてみんなが認識するのである
元禄時代となると元禄という年号とかではなく赤穂浪士の討ち入りがあった時代として年号も記録される、また頭の中に記憶される

だから明治は江戸時代が終わり新しく始まった時代であり昭和は太平洋戦争があった時代でありまたアメリカに負けて戦後が始まったとか記憶する
それから高度成長時代がありバブルの崩壊があったとか記憶されるのである
人間の一生も年代という数字ではなくその時々起こった出来事で記憶される
親が死んだとか結婚したとか子供が生まれたとか何か一番印象的な出来事を記憶するのである
結局その記憶が人生だったと最後にはなる

バリミキの支店長なのか?男一人と女性一人いたが若い男性は福島市から通っているというのも驚きである、車でほぼ一時間半くらいかかるのか?一時間なのか
でも遠い、そんなところから通っているというのも現代である
その人は説明がうまかった、前の人は何かあった時必ず点検に来てくださいと言っていたそれも3カ月ごとにくらい来てくださいと言っていた
レンズが前にも落ちていたのだから来るべきだった
でも一年くらいしか過ぎていないから新しいとてっきり思っていたのである
それが大失敗だったとなる
時間が過ぎるのがとにかく早いということである
老人になるとそのことが痛切にわかる、それでがっくりとくる

結局5万近くでレンズが簡単にとれないものを頼んだ、これも思わぬ出費だった
こういうことは必ずある、ただ説明する人が良かった
こうして営業とか説明する人が大事になる
ただメガネとかなるとごまかすことはできない、フレームとかわからないところがあるがレンズなどはごまかすことができない、必ずクレームがくるし事前に試しているから間違うことはないのである
銀行の投資信託など説明されてもわからないからだまされやすいのである

とにかくこれも一騒動だった、でも私の視力は落ちていないから変えなくてすんだ
毎日パソコンを見続けているが視力は落ちず度を変えることをしなくても良かったのである、これも不思議だとなる
ただ自分自身が健康ということではない、何か鼻が悪いから寝ている時呼吸ができず口でしているから口の中が乾くのである、これもまずいと思った
ただ三日つづけて遠くまで自転車で遠くに行っても疲れなかったから何かまた体力がついたのかとも思う、一応十分に寝ているということか良いということがある
夜二時間くらいしか寝れずに昼間寝ているとか言う人は体力的に落ちて来る
また老眼で書類など読めなくなっている70近い女性もいる
だからなんらか60代以降は病気になり弱ってくるのであ

貧困が見えない社会(車上生活者が増えている)


貧困が見えない社会(車上生活者が増えている) 

「家族3人で車で生活していた58歳の女が、死体遺棄の疑いで逮捕されました。」
「母親の遺体を車に放置したとして逮捕された58歳の女性。
家族と一緒に1年にわたって車で生活していました。」


現代社会の特徴は貧困でも見えない、昔だったら乞食がいたとしてその人はあからさまに貧乏であり助けがないと生きられないことを社会に訴えしいたのだ
なぜなら家もないし日々食べるものがないから乞食であり食を乞うものだったからであるそもそも乞食というとき食を乞う人だった
それで細菌アメリカでもフードバンクなどができて無料で食料を配ったりしている
ともかく団塊の世代では乞食がいたことを知っている
それも戦後10年以内に全く消えたのである

そうすると今はそうししてあからさまに乞食のように貧困になっている人が見えないのである
その人たちはどうなったかというと生活保護になる
生活保護だ頼みの綱となる、それで常に役所の福祉係と交渉することになる
生活保護でも医療費が無料くらいの人がいるし最低の生活すら維持できない人がいる
ここで紹介された人たちもそうである
つまり最後は電気水道代などが払えない、家賃が払えないとなり車で生活することになる基本的に最低の生活すらままならないからである

例えば貧乏な時代というものが現代ではわからなくなった
私は団塊の世代は戦後十年くらい経験しているのだ
水は近くの井戸水を無料でもらいトイレは外のトイレでその糞尿を農家の人が肥料としてもらっていった、燃料がないので風呂は材木屋のバターをいらなくなったものを利用していた、おそらく無料だったのだろう
それで私の仕事はそれで風呂をたくことであり新聞紙はトイレの紙に利用して風呂焚きにも利用した、その時米を炊くのに竈も使っていた
つまりこれは江戸時代なのである
そして私の家では戦前に家の部屋を長屋のようにして貸していたのである
それで姉は毎日その部屋代の金を集めていたという、なぜ毎日だったのか
一か月まとめて払う金がない、その頃は江戸時代のようなその日暮らしが多かったのである、宵越しの金はもたねえとか江戸っ子が言っているがそれはその日暮らしだったからである、燃料は炭であり江戸時代のつづきだったのである

そういう生活でも一応部屋だ借りられて水とかも無料であり金がほとんどかからないから生活できたとなる
現代の貧乏は家賃がかさみ、電気水道代ガス代とか燃料費がかかりそれで必ず不足して
生活できなくなる、その人は毎月そうなのである
だから車内で生活するようになるというのも現代的である
車というのは一つの家なのである、雨露でもしのぐことができるからだ
それでキャンピングカーがあったらあれなら家が移動していると同じでありうらやましいと見ている

現代の貧困者は露わに見えない、昔だったら醤油でも米でも味噌でも隣から貸してくれとかくれろとかあって分け合っていたときもあった
それは恥ずかしいことではない、みんな貧乏だからそうなったのである
そういう生活をみんなしているから助け合ったとういことがある
昨日書いたなぜ日本のもてなしがあり外国でも旅行者に対してホスピスがあったのかを欠いた、昔の旅人は歩いていたから疲れる、すると病気になる人だっている
それでケアしたり看護したりする、そこからホスピタルになった
そのことが余りにも便利になり車で移動する時代になるとわからなくなった
だから私が自転車で旅すると旅館でも泊まりにくい、歓迎されない、ホテルは余計に泊まりにくい、ふらふらになるほど疲れていてももてなしもないのである
「疲れたでしょう」とかの一言もない、何でいい年して自転車で旅しているのだ
胡散臭い奴だとしかならないのである
でも江戸時代なら一日40キロも歩いてやっと宿につく、すると迎える人もそのことを知っているからもてなす、癒しがありうる
こういうことでもつくづくその時代の社会がわからないと実感できないのである

まず自転車で旅する時良くテントを張ってねる、でも車でも人が泊まっていた
それがわからなかったのである、つまり自転車の人は自転車を利用する人と話する
でも車の人とは話もしないのである、車の人とは交流しないのである
昔だったら必ずみんな歩いているのだから旅は道連れとなりそこに人情が生まれていたのである
だからクルマで生活すると言いうのは現代ではそうなっても当然だとなる
車だと家賃も払わなくてもいいとか水道代とか電気代とかも払わなくてもいいとかなる
でも車自体に移動すればかかるのはガソリン代とかあり普通に車を使用すると一年に30万から50万かかるとかその額が大きいのである
ただ寝泊まりだけならそれほどかからないとなる

現代は本当に貧困化していて格差社会になっている、普通の生活すらできない人たちが増えている、ただそれが昔の乞食のようにあからさまに見えないのである
でもそういう人たちが車で生活していると知れば納得する
車は本当に家なのである、ただ住所がないとかなればいろいろと生活しずらくなる
貧困化すると家賃も払えなくなる、それが現代の貧困である
現代では醤油でも塩でも米でも分け合って生活するということがない、人情がなくなった社会である、あとは生活保護を受ければいいとかなり貧困者には無関心なのである
そうして格差社会になっている

今までは自己責任とかあったがそれが数が多くなると中産階級が没落してゆくとそういうことも言っていられない、アメリカでトランプ大統領が出てきたのは極端な格差社会になりアメリカの中産階級が没落してラストベルトとかが生まれたからである
日本も同じでありこれまでの中産階級が没落してゆく
そういう現象がすでに非正規とか就職氷河期とか20、30年前からバブルが崩壊してから徐々に進行していたのである
それが今から顕著なものとして現れてきたのである

私は恵まれたとしても何の贅沢な生活もしていない、旅したとしても最低であり食べるものも最低である、自転車だったら泊まるのも無料だとなるからだ
だからもともと私は旅館とかホテルとかは好きではない、そういう場所は現代では旅人をねぎらうところではない、金持ち用の保養の場所である
だから金持ちしか歓迎されないのである
格差社会になるとニセコとかは金持ち用のリゾートになり土地が高くなる
そこは階級社会を現実的に見る場所である、地元の人たちとは関係ない人たちである
でも貧困化するとそういう人たちをもてなす優遇する他ないとなる
それがグロ−バル経済でもある

でもそういうことは日本の文化を破壊するのである、日本は江戸時代でも特別の金持ちがいない、侍でも同じである、みんな貧乏だったからである
旅人でも殿様意外はみんな同じ部屋であり特別の部屋はない、金のあるなしで差別などしないのである
階級社会になると3万とか4万でも泊まる人は優遇される、すべて金で差がつけられる
それが日本の文化を壊してゆく、もてなしもそういう金持ちだけにされる
苦労して旅してきた人など目もくれない、なんで自転車などで旅ししているのだ
こいつは浮浪者かもしれないとか相手にされないのである
だからすでに車をもたないだけで階級差が生まれる
車すらもていないのは下級国民下層階級なのである
ところが不思議なのは車をもっていても最下層に落ちて車が家となって生活するほかなくなっている人たちが生まれてきたということである
これもつくづく現代的だと見たのである
ただこの放送は見逃していた、再放送で見たいとなる

posted by 天華 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年02月16日

日本のもてなしの起源 ( 歩いて疲れていた旅人だからもてなしがありえた)


 日本のもてなしの起源

( 歩いて疲れていた旅人だからもてなしがありえた)

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旅人が病気になった場合、ケアや看護もしたのでホスピスとなったという
何か巡礼とも関係していたから四国の遍路ともにている、そこに信仰で寺をめぐる人たちのもてなしをしたからである

そもそもなぜ病気になって旅ができなちなったらケアして介護したかというとその時病院とかもない、家に帰るのにも遠いとなると病気で動けなくなった場で癒すほかなかったともなる
つまり当時の旅は歩く旅だから簡単に遠距離を移動できないからである
それは日本でも同じだったのである
みんな歩いていたのである

歩いて移動していたから疲れる、病気になる人もいる!

こういう旅だったのである、旅はそれだけ体力を使い疲れるものであり病気にさえなる
だからこそホスピスが必要でありそれがホスピタルになった
病院の起源がこうした旅人を癒すものから始まったというのも興味深い

なぜこのことを私が関心をもったのはとにかく自転車で旅するとなかなか宿を探すのがむずかしい
そもそも自転車旅行する人は何か胡散臭いとか貧乏人とか見られ安いのである
普通の人ではないと見られやすい、また汚れてもいるら歓迎されないのである
だから私は旅館とかでも特にホテルとなると嫌いなのである

今の旅館もホテルも本当に旅する人はもてなしてくれない!

これも何か時代である、なぜならもし江戸時代なら街道を歩いてみんな旅ししている
旅というより移動するのは歩くのだから疲れる、一日40キロくらい歩いたというから
本当に疲れるのである
そしたら宿についたら疲れているのだからもてなしてもらいたい
苦労をねぎらって迎えてもらいたいとなる
それを迎える人もわかっていたから宿場町ではねぎらいがあった
それは人間の情として自然と生まれたおもてなしだったのである
相手が歩いて疲れたということがわかるからである

ところが現代ではみんな車と電車とかなると疲れるないのである
バイクでも疲れない、すると相手をお疲れでしたねとか迎えるということはない
車で来た人をお疲れでしたねとか迎えるということもないのである
運転は確かに神経的に疲れるから疲れることはある
でも40キロも歩いてきた人とは違うのである

草臥れて宿借る頃や藤の花ー芭蕉

まさに疲れて草臥れてやっと宿につくのである
こういうことから江戸時代には人情が篤い時代だった
現代は何でも便利なのでそうした情が失われたのである
駅でもそうである、何か待つ時間が人間的なものを作りだしていると何度も書いた
その待つ時間が現代には消失した、車は待たないのである
高速道路のSAだと何か待つということはない、買い物して用をたしたらすぐに車で去るだけなのである

とにかく今歩いて旅したり自転車で旅する人は世間の常識からはずれた人間になる
学生くらいならいいがそれ以上になると普通ではないとなる
だからこそ宿にとまりにくいからテントになるのである
宿で旅館でも歓迎されないからである
つまり肝心の旅して疲れている人をもてなさなくなったのである
そんな汚れた人や自転車の人はテントで泊まってくださいとなる
例え金があってもそうなる

だからこれほど交通が便利になってどこにでも行けるのに旅人がいないのである
ホテルとかに泊まる人は旅人ではない、グルメとか保養に来た人なのである
一時は高度成長時代は会社の人が慰安旅行に団体で来ていたようにホテルは旅人を泊める所ではないのである

それで奇妙だったのは古民家のある山形県の田麦俣から街道を行ったらホテルがあった
そんなところに泊まろうとしたができないと思った
でもたずねてみたら泊めてくれたのである、団体が来ていても泊めてくれたのである
何かそういう人にふさわしい部屋があり泊めてくれた
そこはホテルなのだからそんなことありえないことだったのである
そこはビジネスホテルとも違うからである
そこに泊めたのは女将がいて許可したのである
どこのホテルなのかわからなくなったがあれば例外的なものだった

人間は時代が変わると当たり前のことが失われていたのである
なぜもてなしが生まれたのか?

それは旅人が疲れるので癒すために生まれた

でも電車であれ車であれ来る人は疲れるとういこともないのである
神経的に運転は確かに疲れるが40キロも歩くとかとは違ったものである
自転車も歩くよりは楽でも疲れるのである
でももてなしてくれる宿は今はないのである
もちろん全部というのではないが確率的にはほとんどないとなる

要するに時代が変わるとこうして当たり前のことが当たり前でなくなる
もてなしとか盛んに言うけど本当に疲れた旅人を癒す宿はない
ヨ−ロッパですら巡礼の人たちをホスピスしていた
そして病人になったらそのまま看護してケアしていた
それがホスピタル〈病院)の起源だったのである
旅人を癒す介護することが病院の起源だったのである
それは交通が不便だからそうせざるをえないとなっていたのである

なにかどこでも人情がないというときそれはみんなあまりにも便利な生活に慣れているからそうなったのである
不便な時はかえって人を思いやるということがあった
私は無人駅で案内のボランティアのまねごとをした
その時、見ているのはスマホである
それでもわからないことがありその時教えることがある
でもスマホだとそういうことがほとんどないのである
そこに会話もないのである
だからこそ無人駅になりどこも無人化してゆくのである
情など必要ない、人はコストだとなりいらないとなる

そこから起きてくることは何なのか?
駅に駅員はいない、スーパーにレジがいない、コンビニもいない、車でも自動運転だとか人がいなくなる、自動化して人がいなくなるのである
機械がロボットが代わりになりAI化でどこにでも人がいなくなる、無人化する
その時人間の役目は何なのだろうとなる

でも考えてみるとスマホだと地図の代わりになり人に聞かなくてもわかるかもしれない
でも観光案内となるとその土地に住む人に案内されないとわからない
その案内を私はできる、それは機械にはできない、インタ−ネットに情報が出ていても
その場所で説明されるのとは違うからである

ともかく東北を最後に自転車で旅しようかと計画している
今度買った電動自転車は楽に走れるからである
でも荷物がのせらられないので困っている、新しいヤマハのがまた出たがJPYーTCはエンジンが同じものでありいいものである、それは荷物がのせられるのである
ただやはり30万以上で高いので問題である
だから今のマウテンバイクで行くかと準備している

正直もう10年は長い旅をしていない、ほとんど旅していなかった
だからまた自転車で旅するとなるときつい、でももう自分には時間がない
最後のチャンスなのでなんとか行きたいと準備している
テントももっていけないと泊まるのに苦労するが充電しなければならないのでどうしても泊まることになるから結構楽ではない旅になる
何かどうして自分の場合不器用で失敗が多いから困るのである  

今日も雨の中用があって相馬市に自転車で行ったら眼鏡の片方のレンズを雨滴を拭いたりして落とした、これも大失敗だった、なぜなら眼鏡は5万くらいしたからである
何かレンズがきつく入らずに落としやすいものだったのである
それが自転車の振動で落ちたのである
何か自転車というのはトラブルがある、この前は暗闇でライトがなくて転び危険だった
何か命にかかわる危険もある
また車に追い越される時なども危険である、後ろから急に車が来るからである
だから自転車では実際三回くらい死に目にあっている

何か80歳の人が日本一周してトンネルで死んだことがあった
トンネル一番危険なのである、自分もトンネルで死ぬ思いしたからである
東北は自分のアイディンティティの場だからどうしても最後に旅したいとはなる
どうしても体力的にももうできないと感じるからである

モネの詩(松川浦の春の風景)


モネの詩(松川浦の春の風景)
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穏やかなる春の光の水辺にはねぬ
春霞の広らかな浦や鴎の飛び来る
その心は春の野に彩る花々や
やわらかに光は充ちて醜は見ざりき
くめど尽くせぬ美のキャンバスを染める
あたかも神の手のごとく尽きずに
美の神の宿りその一生を終える  

昨日見た松川浦の風景の写真をモネ風にしようとしたができなかった
ソフトがうまく使えなかった、でも何かモネというとき印象画であり印象画風な景色に合っていた、写真を加工することがコンピュターでできる
つまり全く絵の才能がなくてもできる
ただソフトを使いこなすことがめんどうなのである
それでこれまで私は膨大な抽象画をソフトで作ってきた

これも何か第二芸術なのだけど芸術だと思った
なぜなら芸術はartであり技術のことだったからである
つまり技術を駆使すれば芸術を創造できる
それを実感したのがコンピュターのソフトによる抽象画であり加工の芸術である
コンピュターは何か常に人間の頭脳と関係しているから芸術にも影響してくるのである

2020年02月15日

松川浦の春(磯部から海岸線を行く)


松川浦の春(磯部から海岸線を行く)

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春の鳥駅に鳴くかな電車待つ

太平洋春の潮騒バイク行く

日の光り松川浦や春霞


波よせぬ太平洋やはるかにもつづきて遠く春になるかも

何となく道に立ちにつ春の日や行く人ながめ時は過ぎゆく

津浪より9年過ぎむ松川浦幽鬼のごとく立枯れの樹々


磯部の海岸線を自転車で松川浦まで行った、磯部には何もなくソーラーパネルになった
ただあそこには風力発電の風車はない、だから家があったところには松を植えた
だから松が成長すればいい松原になるかもしれない
その海岸の堤防は自転車で走りやすくなった

それで松川浦まで走る、するとバイクが疾走する
それを見ていると気持ちがいい、今日は本当に春だった
今年は梅も咲いたし春が早い、でも何か気候が変だ
それで急にあたたかくなり頭がのぼせたようになり体がだるくなった
それで一時寝ていた

今日は回復したのででかけた、松川浦は春霞だった
はるか遠くまで仙台の方へ海岸線が見えた
それで遠くに行きたくなった
確かに春望である

春望海岸線
太平洋波響
沖船見鴎飛
疾走単車去

これも漢詩もどきだけどバイクだと詩になる、車はならないのである
バイクは自転車とは違っていても風を受けたり自然の中に入るからである
ただ正直バイクに若者が乗っているけど楽である
自転車はバイクに比べると全然違って苦しいのである
だから自転車旅行して若者がバイクにのっているのを見てつくづく楽だと見た
バイクと車は違っていてもスピードとかでは同じだし早いし楽なのである

磯部から松川浦の海岸線はバイクで疾走するにはいい道である
海が前面に見えて気持ちいい
あのような場所はそんなにないからだ 
まだ津波で枯れた樹々が残っていた、何か幽鬼のように残っている
それだけの被害だった、10年過ぎてもその傷痕は残っている

とにかく本当に今日は春だった、だから春になると遠くに行きたいとなる
でもまた寒さが来るのか?今年はこのまま春になってしまうのか?
今日は本当に春だった、だから道になんとなくぼーとして立っていた
道行く人を見ていると言っても車を見るだけになるが一人はマラソンしていた
ライトを腰にまきつけていたから車を怖がっているからだろう
私も頭にライトをつける、これは目立つからいいのである

駅では春の鳥が鳴いている、駅は何か人間的なのである、自然でも何か駅とか鉄道はとけこむのである、高速道路のSAはにぎわっても鉄道の情緒とかないのである
それは待つとういことがないからである、高速では待つことがないのである
現代は待つ時間がもてない、かえってそのことが人間的なものを奪っているのである

2020年02月14日

末世に起こる災難 (地震、津波、疫病、国家破産・・・末世現象)


末世に起こる災難

(地震、津波、疫病、国家破産・・・末世現象)

スペイン・インフルエンザが,植民地を含めた日本帝国で関東州を含めれば,推定75万人以上の犠牲者が出したことを指摘した。国内では内地に限っても,関東大震災の5倍近くの人命を奪った。

75万人も死んだ?これはどういうことなのだろう
何か津波と違ってこれだけ被害があってもこのことについて語られなかった
こんなに人が死んだのか、空恐ろしいとなる
                                            

巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる
(国内の分裂抗争)と他国侵逼(たこくしんぴつ)(外敵の侵略)が起こるのである。

大地震に津波は来た、異常気象もある、そして次に来るのは何か?

大疫病→大飢饉→国家破産

今この大疫病の蔓延が開始されたのか?次に来るのが食料がなくなる大飢饉であり
次に来るのが国家の破産、経済破綻である
今そこに向かっているのか?

なぜつくづく東北では大地震が津波が来て原発事故があり台風の洪水被害もありこんなに災いがつづくのはなぜだろうとなる
自分自身も災いつづきだった、回りを見ると病気の人が多い、脳卒中で九死に一生を得た人もいる、ガンになっても仕事をつづけている人もいる
その手を見たら点滴した跡が痛々しいのである、点滴する場がなくなっているらしい
どうしても60代になると必ず病気がなんらか出てくるのである
また老人でも年金もわずかで暮らしが成り立たない人もいる
日本全体が貧困化しているのである、それがやがて国家破産になる
もう医療費が増大して払えきれない、消費税でも医療費でも何かと金をとることしかないそうして恐ろしいのは預金封鎖とかなんとかそんな噂をでてくる
地銀でも銀行が半分以上なくなるとか言われるし福島銀行は外資に併合された

確かに今は末世状況になっている、あらゆるものがうまくいかないのである
悪いことが重なり明るいものが見えて来ないのである
そもそもこんなに災難がふりかかってくること自体が異常なのである
末世には世が乱れる、天変地異が起きる
そういう末世状況が現れている
それだけ何か世が乱れて終始がつかなくなってあらゆる災いが襲ってくる
疫病もその一つなのである、これは75万人も死んだように深刻だったのである
医療が発達しているから現代は防げるのか?
このコロナウィルスの正体も実はわかっていない、未知のウィルスであり人類に襲いかかった未知の禍だとなる
何か手を打つことができない、薬でも直せないとかなる

ただこれは新たな時代を作るための痛みとして現れているのかもしれない
なぜならグロ−バル経済がこの疫病で歯止がかかりアメリカでも日本でも外国に労働賃金が安い所に工場などを移転できなくなる
国内で労働者を雇い国内でまかなうようになる
するとグロ−バル経済ではなくドメステックな国内経済中心の世界に戻る
それが人間として国として正常なことでありこのような極端なグロ−バル経済は天の理に反していたからこんなに災いが続いているともなる  
それはアメリカでもそうでありEUでもそうであり世界的傾向なのである
グロ−バル経済からの撤退現象なのである

地震でも津波でも天変地異でも天からの神からのサインとして起きて来る
地震や津波は原発をとめる、原発をやめさせるものとして働いたからである
それは人間社会に対しての警告だったのである
だから疫病でもそうである、これはわからないにしろ天からのサインでありそれによって社会が変わる、社会が正常に戻すための痛みなのだという見方もできる

それにしても人類には未知な災難がやってくる、それが予測できないのである
2020は変化の時であり災難の年になるとみんな言っていたが本当だった
この疫病でもコロナウィルスでももしオリンピックが中止になればこれも天の声であり
オリンピックなど無駄だからやめろということになる
災い転じて福となすともなる

ただ疫病というのも世界中の人が交わることで広がる、それをもはや止めることができないから起きる、何か西の方で東京とか都会でコロナウィルスが広がっている
東北の方は広がらないのか?東北には中国人でもあまり観光客が来ないということがあるそれで逆に東北は安全だとかなるかもしれない、ただどうしても仙台辺りだと人が交わる遠くからいくらでも人が来るから危険だとなる

何かインパウンドとかは問題があった、日本人は日本がゆっくり観光できない、旅できないとういのは本末転倒でもあった
外国人に中国人頼りになりおもてなしをする、ただこれは日本が高度成長時代に外国でしてきたことである、それがグロ−バル経済である
一旦世界的競争に敗れれば奴隷のようにされる、観光でも外国人にサービスしないと生きていけなくなるのである
それは日本のカルマだったのである、そもそも外国で同じようなことを日本はしてきた
それがカルマとなって今日があるとなるからだ
めぐりめぐって必ずカルマがなんでもある

いづれにしろ現代は2020年は末世である、だから災難が極点に達するかもしれない
もっと大きな災難が来て時代が変わる、ただ時代が変わるためには明治でも戦後の焼野原でもそうだが大きな痛みを強いるのである
それを覚悟せねばならないとなるが何ももう起きてもらいたくないとはなる

とにかく親鸞とか日蓮とか一遍が生まれた時代は末世であり題目を唱えて来世に行くことを願った
それは現実の地上が地獄になっていたからである
もう一心に題目を唱えるしかなぐさめもなかった時代である
それで異常に宗教が普及した時代である、まず医療に期待できるとか何か科学に期待することもできない
するとただ祈ることで来世に行くことだけが希望になった時代だったのである



posted by 天華 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月13日

安全優先は国がしないとできない (コロナウィルスと原発事故の政府の対応)


安全優先は国がしないとできない

(コロナウィルスと原発事故の政府の対応)

中国でもそうだったけどコロナウィルスで対応が初動で遅れて蔓延した

●情報の隠蔽

●経済優先、コスト優先

医師がこれはウィルスとして政府に警告していたのにかえって無視されて罰せられるとかなる、政府にとって不利な情報は隠蔽される
権力でもって不利な情報は常に隠ぺいされる
原発は特にそうだった、何か内部で不具合があっても隠される
そして政治家であれ官僚であれ検察までも権力と一体になり隠される
マスコミはただ権力に従うものでそこから真実は伝えられない
原発は巨大な利権だった、それは事故前からそうであり事故後も除染で何兆円とかその賠償金でもそうである
そうなるとあらゆるものがその利権にあづかろうとするしかなくなる
それは地元でもそうでありそこで欠けたの安全が無視されるのである

安全というのはコストとして金をかけたくないのである
それで東電の社長でもコストカッターとしてのしあがったとされる
それから科学者が10メートル以上の津波が来るからそれに備えるべきだと報告しても
コストがかかるからしなかった
つまり何でもコスト優先になる、目先の利益がまず優先する
津波が来るとしてもいつ来るかわからないからだ
百年後かもしれない、そしたらその遠い未来に備えるのはコストのと無駄だとなる

とにかくなぜ安全がないがしろにされるのか?
安全に金をかけたくない、それは利益に直接結びつかないからである
でも一旦事故など起きると安全無視するとととりかえしのつかないものになる
それは今回のコロナウィルスでも起きた
安全より経済優先にする、阿部首相もインバウントの経済優先で中国の顔色をかかがい
思い切った手をうたなかった
それで今になり国内で死者が一人でた、これから蔓延してゆくのか?

安全は民間ではコストがかかるからしにくい、それは政府の仕事になる
あらゆる安全は政府の仕事になる、自然災害から守る国土の安全、食料の安全、他国から攻撃される軍備力をもつ安全とか安全は政府がしなければできないことがある
でも政府でも安全には金をかけたくない、何か経済成長するものに金をかけたい
つまり安全は無駄なものに思える、積極的に取り組むものではなく消極的に取り組むべきものになっている
安全を重視すると金にならないからだ、もうからないからだ

でも一旦会社の製品でも事故を起こすと大損害になり会社までつぶれるとなる
国だと国自体が危機にひんする、それがコロナウィルスで中国でも起きて日本でも起きるかもしれない、どうしても安全には積極的になりえないのである
攻めと守りがあり攻めは動物的に果敢に襲い掛かる
でも守りは何か目立たない、何か功績をあげるという感じでなくなる
前面に立って攻めてゆくのは目立つ、でも後方で守っているのは目立たない
攻めは男性であり守りは女性であり攻めは動物であり守りは植物である
二つの作用がありバランスが保たれる

今回のコロナウィルス騒動でも中国は軍事力で突出してアメリカに継ぐものとなった
でも中国社会全体に安全の意識は低い、医療関係ではまだ先進国ではなかった
それで中国社会の不潔な社会がウィルスに弱いことを露呈した
環境汚染とか黄砂とかとにかく中国はそうしてよごれ安い社会だった
だから汚れに対して不感症にもなる
日本は逆に神社でも塵一つでもないように清潔にする民族である
だいたい外国の川は特に中国の大河は泥川である、そこからして汚いことに不感症になる日本はまた異常に清潔を重視するのは川でも水が透き通っていてきれいだからともなる
だかち汚れに敏感なのかとなる、神道とはそうして汚れを拒否して川で禊(みそぎ)したことでもわかる、それが日本の文化なのである

とにかく原発事故でも危険を知っていても内部告発もできない
情報は権力で隠蔽される、それで大事故になってとりかえしのつかないことになった
「安全神話」をあらゆる権力が一体となり作り上げたからである
それは習近平体制ともにていたのである
原発に関しては情報は隠蔽され安全神話で何も言えなくされていたのである
だからそうした政治体制とか言論の封殺とかも原発にあった
科学は中立であり科学者が科学に忠実に発言していればいいができない
それで科学に忠実であった医師がコロナウィルスのことを早くから指摘したが封殺された
そして最初にコロナウィルスのことを伝えたのはアメリカだったのである
日本でも原発事故で放射能がもれたことを事故があったことを最初に伝えたのはアメリカであり日本でなかったのである
スピーディで放射線量を計測できていたが何も日本自身で対策ができない
それでアメリカに先に放射性物質に汚染されたことを伝えて対策を頼んだのである

結局安全ということでは日本は原発でもなんら対策もしていない
なぜなら「安全神話」を強固に作っていたのだからする必要はなかったのである
あたかも宗教のように安全神話に頼っていたのである
そこに御用学者がいて安全を言うから科学的客観的事実は無視されていたのである

そして今回もコロナウィルスは科学の問題としてあるがまたその国の政治社会の問題になっている共通性がある
このことで習近平体制がゆらぎ政権も危ういとなる、それは阿部政権にも波及してくるかもしれない、コロナウィルスについては未知なことが多いから予測できない
でも安全に関して政府はやはり中国と同じように遅れて対策をとらなかった
それで蔓延してゆくのか?
何か軽い咳がつづいたりすると不安になる
外出するのが怖いともなってゆく、でも東北だと大阪とか東京とから離れているから安全なのか?

それにしても今年は不穏な幕開けだった
地震が昨夜もあり今日もわずかにゆれた、昨夜は震度4であり今日は択捉島辺りが震源でありマグニチュード7となると結構大きいからここまでゆれたとなる
こうして依然として震災から9年過ぎるのに何か不穏なのである
いづれにしろ2020年は不穏でありさらに大きな変化が起きるのか、事件が起きるのか
それはみんいな予測したことだから当たっていたとなる



posted by 天華 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層