2025年04月23日

古墳に根付く木【春の山、若草、牡丹の芽、タンポポ、山桜、】


古墳に根付く木【春の山、若草、牡丹の芽、タンポポ、山桜、】

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春深む古墳に根付く木一本

家の庭畑のありて春の山

若草に山鳩数羽集まりぬ

朝鳥の飛び来て映えぬ椿かな

牡丹の芽日に日にふくらむ希望かな


海広く朝タンポポの一面に浪打ち寄せて我が走り去る

田舎の小径にあわれスミレ咲く今日行きしは我が一人かな

鹿島なるSAに寄り見る山桜今盛りと咲きにけるかな



古墳の町としてあるけど家の前が庭が古墳になっている。そこに一本の木が根付いている
すると先祖に根づいているつながっているとなるのかと見た
ただ古墳が墓なのかどうかわからないがそれは遠い先祖が生きて残したものであることは確かなのである

家の前が広い庭であり畑があるというのは田舎では普通にある。するとそこで食料がとっると言うことで何か金を持っているより安心だともなる、なぜなら紙幣は紙切れだから預金封鎖だとか物価高で目減りするとかあり安心できなくなった
だから貯金に利子が5パーセントかついていた時代があったが特別恵まれた時代だったのである
なぜなら今でも十年前に貯金したのに満期になり利子がついているからである
だから30年前とかの利子が高くついたとき利子だけでも相当に増えていたのである

だからこういう時代は畑でももって食料を確保しておけとなる
ところが農業は簡単にやれない、もうわずかな畑でも鳥に食われたとか盗まれたとか肥料代がかかるとか種代がかかるとか
苦労が多いが実際の収穫は10倍も費用がかかりわずかだったとなる、素人が簡単にできるものでないのである

常磐高速のSAは人でいつも混んでいる、山の方だから山桜が咲いていた
すでにできてから5年くらいすぎた。それに比べ鹿島駅は壊されるとか言われて小学生は壊さないでと集まりアピールした
明治にできた駅舎で古く鉄道マニアが見に来たりしていたからである

今年は新しく植えた牡丹の蕾が二つふくらんでいるので楽しみである。二三年は葉っぱしか出なかったのに咲くのも不思議である、別な牡丹は30年なのか40年なのか5つつくらい咲き続けている
その土地と合えば咲きつづけるとなる
とにかく花でも咲き続ければいい、米でも野菜でもとり続けられるから恒産となる、でも金融商品は貯金でも紙切れになる恐怖が付きまとっているのである





2025年04月22日

グローバル経済は精神の自立も奪うから問題−アメリカのラストベルトの問題 【昔の山村は自給自足であり都会に頼らないから自立する誇りを持っていた】

グローバル経済は精神の自立も奪うから問題−アメリカのラストベルトの問題
【昔の山村は自給自足であり都会に頼らないから自立する誇りを持っていた】

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富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹

能登地震で限界集落に金をつぎ込んでも無駄の問題 
【自給自足の生活の時代は都会の人や税金に頼っていなかった】

都会の人が富んでいようが自分には関係ない、炭焼きで自立して暮らしている、これは炭焼きして自活していた時代であった。戦後十年も炭の生活だった。だからこそ田舎では自給自足で自立していたからこういう自負があった。
国に頼っていない、都会にも頼っていないから都会の人に税金の無駄使いなどともいわれなかったのである。今からすると貧しいのにそういう自負があったということを見直すことになる。おれ達は東京のお荷物ではない、国のお荷物ではない、自分達のことは自分達でまかなっているとうい自負があった。



グローバル化とこのことは何が関係があるのか?なぜトランプ大統領はアメリカファーストというときこの問題と似ている。
グローバル化でアメリカは得していると思ったらアメリカは損している世界に対して関税を高くするようにしたのである。
グローバル経済とは個々の国でも自立するのではなく、世界に依存するということがある。
まず、石油時代になれば日本には石油がないのだから外国から石油を輸入しなければならないのだからエネルギーの面で自立できないのである。すると、絶えず中東のことが問題になる。そこで何か問題が起きると石油が入らなくなると不安になるのである。

そしてあらゆることが石油が関わってくると石油が入ってこないということは国が維持できなくなるともなる。
その点ではアメリカ何でも自立できる供給できるから外国から輸入しなくてもやっていけるとなるからアメリカフアーストになる。ただ車にしても世界にサプライチェーンがあり車でももはやアメリカだけでは作れないシステムになっている
だからアメリカの関税をあげることは自分の国に跳ね返てくるとされる

ただグローバル経済の問題は昔のグローバル経済の問題は昔の自給自足の経済と何か似ている。
アメリカの製造業のラストベルトでは製造業が世界の競争に負けてその誇りを失ったとしているからである。
つまり、それは炭焼きをして、自立して都会に頼らず暮らしていた山村の問題とも似ている。
自律性が失って誇りも失ったということである。

すると今過疎化している山村は炭焼きの時代に戻ればいいとまでなる。またアメリカなら、そのラストベルトでも世界から車を輸入するのではなく国内だけに消費さればいいとなる。それは技術的に劣ったものでもその方が良いというまでになる。
要するに自立性がなくなってしまうことで問題になっている。
そしてそれは精神的にも影響してしてそれは人間の生きる誇りすらなくなってしまう。だから、グローバル経済というのは返って自律性をなくしてその国の地域の誇りすら奪ってしまう。ただ、グローバル化経済でアメリカがグローバル化経済でアメリカが一番得したのかと思っていたら違っていたのである。アメリカはグローバル経済の一番の被害者だと言っていることが奇妙に思えるのである。
グローバル経済でアメリカ人の誇りまで失われたというのはそのためである。

日本にしても、なぜ農民がコメ等作っても金ににならないとして誰もやりたくないそこに誇りを持てない。
その問題も同じ根から発している。今、米が高くなりすぎてそれならベトナムから米を輸入すればいいとかなる。
一部のレストランとかではそうなっている。また日本人は米が高いからパンであれパスタであれ別なものを食べるほか無いともなってしまう。すると、日本自体の文化も失われ、誇りも失われてしまうかもしれない。米というのは必ずしも腹を満たすだけではない。長年の日本で培われた文化だともなるからである。

でも、技術競争は世界で熾烈に行われておりそれに破れたものは。こうして自立性とか誇りまで奪われてしまうのである。
でも、アメリカがグローバル経済で一番損したということは理解できないことであった。
アメリカが世界からグローバル経済によって富を収奪したと思っていたのである。実際はアメリカの富が奪われたと言っているのも意外だったのである。
なぜ日本で米に高い関税をかけているかといえば外国から米が安く入ってくれば食料まで外国に依存するのだから何かあったとき米が入ってこなくなり日本人は飢え死ににしているとなる。それは、食糧を外国に握られているからである。

外国から日本には輸出しない。そうさせたくなければ従いと外国から言われる。実質、外国によって支配されることになる。
だからグローバル経済というのは、世界的経済戦争であり技術戦争でありそれに負けたものは他国に支配され、奴隷化されるということである。それがアメリカでもそうなっているということが意外だったのである。
やはり人間はそうして他国に従属して奴隷のようにされるより支配されるより自立して生きたいということがある。そこに精神の誇りを持ちたいということがある。それは、昔の山村で炭焼きをして、自立して生きているから都会の人にとやかく言われる必要がないというのとも似ている。
なぜ今の過疎地帯が山村は都会の人からいろいろ言われるのは電気であれ水道であれインフラの整備が東京とかでも都会の人がその税金を出している地方交付税で出している。そういうインフラを整えるのに都会の80倍もかかるとかなるからである。

人間というのは、やはり自尊心があり誇りがありそれが失われることに耐えられない。だからこそ国同士でも自立して存在した。独立して存在したい。そのために戦争でもする。そういうことをグローバル経済では、ただ経済中心になり精神的なものを無視しているから問題になる。グローバル経済は精神の自立も奪う武士は食わねど高楊枝とかの諺があるがこれもたとえ貧乏でも、武士には誇りがあるとなる。つまり人間は誇りを最も大事でありそのためには戦う命をかけても戦う性質がある
ただ食うために生きているのではないからである。食料を得るためにだけに物を得るためにあけ生きるのではないからである

そもそも精神的自立性という時日本はアメリカに負けて失ったのではないか、国が独立自立が失った時また個々人でも自立が失ったとなる。それがグローバル経済でアメリカに起きているというのも意外だったのである。
中国の貿易戦争に負けるときそれはアメリカの誇りを失うから耐えられないとなっている。それは中国でもメンツを重んじるとかで同じなのである。日本はアメリカに負けてそうした精神の自立を失ったのである
やはり自国は自国で守らなければアメリカに頼っていただけでは自立はできないとなる
アメリカは日本のために戦うとか世界をリードする時代は終わったとなる。ただそうなると中国、ロシアとアメリカと接して
日本は相当に苦しい立場になる。でも人間は誇りを失いたくない、それがアメリカに起きていたことが意外なのである




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アメリカのテスラなどでは自動運転がすでに行われて実用化しているという、やがて日本もそうなる
つまり電気自動車は通用しなかったとか言われるのは日本車がまだ世界で通用するという偏向報道だと加治将一氏は言っている
すると日本車も将来売れなくなるのかとなる。そうなったら日本は売るものがなくなりどん底になる
そのことは日本では報道されないからみんなわからないという

それは常に高度成長時代にジャパンアズナンバーワンとしてアメリカを見下していた時と似ている
日本はすごいとか礼賛されだけだったがたちまち今や日本ついて悪いことばかり言われる
だから自国礼賛も危険になる、太平洋戦争でもアメリカなどたいしたことがないという傲慢から戦争になったからである
ただその時情報不足があった。それでも外国のことが正確に報道されず日本礼賛になるとき危険である
アメリカがいいというのではなく人間は奢る時危険になるからである。
だから本当の実情を報道を知るべきだとはなる、結局外国は住んでみないと実感できないから判断が誤るのである

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2025年04月21日

親孝行したいときは親はいないは死語になった 【親に冷たい息子娘が増えた、老人も人格が歪んでいるのが多い】


親孝行したいときは親はいないは死語になった
【親に冷たい息子娘が増えた、老人も人格が歪んでいるのが多い】

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年齢を重ねるほど、子供と堂々と距離を置くべき理由|
もう子供に頼らず、静かに一人で生きたい80代の母|オーディオブック



このyoutubuは事実ではないだろう、創作がある。他にもそうしたyoutubuの放送がある
中東の大富豪と日本人が結婚したが何不自由ない生活でも人形のようにされ離婚したとかある
それも事実ではないにしろ別に人間としてそういうことあるから
フイクションとしても全部作り話とも見えない、そいうことは人間の一般的心理としてありえるからである

何かせっかく作った干し柿とか漬物とを息子の家族に持って行ったが息子は子供が受験勉強でうるさいと集中できないからホテルに泊ってくれと言われた。それが余りにも冷たく母は悲しむ。これが家族なのかと悲しむ
でも今の時代そういうことが多いかもしれない、近くの人は常に息子のことで介護されていて不満を言う
実際脳梗塞と糖尿病で歩くこともままならない、杖ついて何かにつかまらないと歩けないのである
でも台所仕事でも洗濯でも自分でしていて息子は手伝ってくれない嘆いている

これは障害者をかかえて育てられて長男にかかりきりになりその弟はないがしろにされたとかある
でもそうした事情がなくても今は一般的に親と子の関係がうまくいかなくなっているのが多いのかもしれない
そのことがyoutubuで訴えているからである。金があるとその金が欲しいだけで親のことなど思ってくないとか放送される
それが他人ならわかるが息子娘でもそうなっている。だから親子とか家族と何なんだろうとなる

私の場合は親二人いたとして特別思っている。それは60年間以上一緒にいて特別良くされたからである
別に働かなくても何も言われなかった、旅していてもかえって奨励されていて働けと言われなかったのである
だから私は家に引き込もり自分の好きなことを追及してきたのである。それが自分の性にあってたのである。
だからそうして生かされたことで特別親に感謝しているからこそ介護でも懸命にしたのである
死んでからも供養しつづけている。
ただ一般的に結婚して子供を持つとなかなか親のことを思わなくなる。新しい家族のこと、妻や息子のことで家族のこと、妻や息子のことで精一杯となるからである。

それにしてもそれが事実でないにしろ何か悲しいものを感じた。親子とはそんなものなのかと思ってしまう。
そして子供の時、いろいろと子供を世話したことなどを懐かしんでいる。でも、子どもはそのことを忘れるというか、そんなに。思わない、ということである。その残された親は一人で暮らして悲しんでいるだけだとなる。

そこで一番感じたのは母親が作ってくれた料理がありそれを干し柿とか漬物を持って行ったが無駄になったとか悲しんでいたことが身につまされた。それはただ店で買うものとは違う。母親の愛情がこもったものであり手作りのものでありそれをお金で買うというだけのものではない親の心がこもったものなのである。
なぜ、そのことを感じたのかというと私の親はみんな死んで私はただ料理が面倒だから買うことだけであり。誰も私のために料理を作って来る人はいなくなったからである。ただもしかして妻がいればその手料理を食べれば母親がいなくても代わりになったから補われてそれほど思わないかもしれない。

でも、今や私のことを思い私のために何かをしてくれる人は一人もいなくなったのである。
だからこそ、余計に親がいたときは良かったとして特別そのことを感謝して思うようになったのである。
そして大正生まれの母親の好物が干し柿であった。貧乏な時代を生きたからである。それで干し柿を遺影に献げているのである。

何か孝行したいときは親がなしと言われたのは。それは親が早く死んでいたからだとなる。今は、必ず高齢化で親は子供は親になってもまた生きている。そしてその親のことを子供は思わない。

親孝行したいときは親は死んでいる
親はいつまでも生きていても親孝行されない

これも時代の変化でそうなった。時代によって家族も変わってしまうということである。だからそれを悲しんでもどうにもならないのかとなる。それで幼馴染が親切にしてくれるのでそれは慰めとなっていた。
つまり現代ではなかなか娘、息子に頼れない時代になっている。その娘、息子にしても。親に遺産があるとすると、それだけが目当てになる。だから一体何のために子どもを育てたのかとなる報われないとなる。

ともかく、こうして高齢化社会というのはいろいろな問題が生じてきている。それは、今までに経験したことがないからである。

寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し

「荘子そうじ」外篇・天地
「男子多ければ則(すなわ)ち懼(おそ)れ多く、富めば則ち事多く、寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し」
兄弟が多ければ争いの心配が多いし、富が増えればそれを守るために煩わしいことが増えるし、長生きすれば世の辱めを受けることが多くなる

今なぜ老人が問題になるのかそれは長生きでありその老人でも本当にまともな老人はいるのかとなる
老人をみていると何か心がまがり人格が歪められた人が多いように見える。それはまるでダンテの地獄編を見るようである
結局罪を犯して生きてきてまた人間の愚かさが現れる。体も醜くなるが心も醜いものとして否応なく現れる
つまり人生の最終決算が現れる、罪ない人は一人もないというとき老人は人生の総決算として現れるのである
だから本当は早く方が死んだ方がいいとまでなる。醜さをさらしてまで生き続けるのはかえってうとまれ嫌悪されるだけだとなる

でもそれを自覚している老人はまれである。かえって出しゃばり迷惑をかけても恥じることがないとなる
つまり人間はいくら長生きしても何か人間として完成されない、何かみんな歪んでいる、それは過酷な人生で歪められたこともある。私の母は継母の育てられて歪みまた働きずめで花などいらないとなり人格的ぬ歪んだものとなった
それは同情すべきだがとにかく老人は人格的に歪んでいる人が多いのである

要するに老人だけの問題ではない、別に若い時からすでに人格が歪んでいる人は普通にいる
そしてビジネスで成功する人はサイコパスだとか言われるのもそうである。成功者でも人格的に歪んでいるとなる
またそうしなければこの世では成功しないとなる。だから別にその延長として老人になるのだから当然歪んだ人格になる老人が多いとなる

2025年04月20日

アメリカのトランプのエリートの反知性主義と似ていた共産主義の革命? 【焚書坑儒などがあり知識人への憎悪がアメリカを分断する―ラストベルトの反発】


アメリカのトランプのエリートの反知性主義と似ていた共産主義の革命?
【焚書坑儒などがあり知識人への憎悪がアメリカを分断する―ラストベルトの反発】



アメリカの平等主義は、知性と権力の結合、つまり知的エリートが権力を独占することに反感を抱かせるのである。

 したがって、それが反知性主義となり、平等の名の下にエリートの思想狩りをすることに繋がるわけである。ハーバード、イェール、プリンストン大学などがその典型である。

ハーバードを恫喝するトランプの「リベラル狩り」に大衆はなぜ喝采送るのか…背景に米国の低学歴層が抱く反知性主義

なぜ起きたカンボジアの虐殺ー中国の文化大革命も同じ】
【知識人が憎まれた理由ーAI化でかわる労働

クメール・ルージュ政権は頻繁に、専門家、知識人、仏教僧侶、少数民族だけでなく、カンボジアの旧政権や外国とつながっているという疑いで誰も彼も逮捕して処刑した。型にはまったように、眼鏡をかけたり複数の言語を話したりといった特徴で知識人と見なされれば、クメール・ルージュに反抗するおそれがあるとして処刑された[71]。、ビジネスリーダー、ジャーナリスト、学生、医師、法律家に加えて、それまでのカンボジアの軍、政治指導部の粛清につながった

高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うには、彼らの到達したものは彼らの体と魂に結果を残すものではない限り
すべて彼らの身につかず、浪間に消える‐ホイットマン

ただ高卒の人で大工さんであり庭師の人はその人も何か人に負けたくないという気持ちが人一倍強いのである。それで大工だけではなく庭師もするようになった。田舎だとやはりいろいろなことを要求されるからそうなったのだろう。だからその人は才能があるのであるただその人は異常なほどに人に負けたくないという気持ちが強いのであ。だから私に対して大学出ているということでそれだけで何か自分が劣っているということを感じでマウントしてくるのである。

そして本に対しても憎しみを持っている整理したりしてこんな本はいらない捨てろとか言っているのである。それは別にそういうことはかつて歴史でも起った。知識人が時の王様を批判したとき憎まれて焚書坑儒があり書物が焼かれたりしたからである。まだ中国で文化大革命が起きたときやはり知識人が農家に地方の農家に働かされるようになったからである。下放ということがなされたからである



アメリカが今トランプ大統領になり何が起きているのか、

アメリカの平等主義は、知性と権力の結合、つまり知的エリートが権力を独占することに反感を抱かせるのである。

 したがって、それが反知性主義となり、平等の名の下にエリートの思想狩りをすることに繋がるわけである。ハーバード、イェール、プリンストン大学などがその典型である。

ラストベルトというときそこは製造業でありITとかコンピューターを駆使したカルフォルニアとかの金融業主体の人達とは違う
何かそうしたものに反発する人達がいる、それは自ら汗をかき物つくりをする人達である
それは工場労働者だけど更にさかのぼれば職人である。最初のアメリカ開拓時代は農民であり職人であり肉体労働者であり
その人たちを賛歌したのがホイットマンだった。体で身に着けて人格を作るとしていたからである。
それは職人気質とかが作られた日本とも似ている。そこに誇りを持っていたのである
またその人達の価値は認められていたのである。

だから不思議なのは製造業のラストベルトというとき錆びついた工業地帯で働く人たちがないがしろにされて誇りすら奪われたとしてその人達を代弁しているからトランプは大学を有名大学でも攻撃している
何かこれが毛沢東時代の知的労働者でも下放されて農村で働かされたと共通している。習近平もその経験をしている
またカンボジアでは眼鏡をかけているとかだけでもまた医者ですら粛清されて殺された
それは始皇帝時代から焚書坑儒があり知識人が殺された。それも恐ろしいことである
つまり今起きていることは時間軸で見れば形は変わってもカルマの再現だとなる

現実の私の家のリーホームした大工さんは本を捨てろとか何か知識人であること自体を憎んでいた
ただ私は別にその人を軽蔑したわけではない、むしろ賞賛していたのである
なぜならその大工さんは庭作りから壁塗りからといろいろできる人でありそれで他の大工さんと違っていたから誉めていたのである。でもその大工さんは知識にうといからわからないからそれで反発した
でも家とか建築のことについて詳しいから感心していたのである

つまり人間には歴史をたどればこういうことがあった。僧侶とかでも反発されてたのは知識人だからである
それが共産主義というときマルクス主義という時知識人が現実に導いたものである
そしたらマルクス主義者自体が知識人であり殺されるとまでなっていた。それもおかしなことである
ともかくアメリカ人はホイットマンの時代に郷愁を持っているのかとなる。ホイットマンのように肉体労働者が賛歌された時代である。それは数字を操作する金融業の人達とは違っていたのである

なにかそれが偽りの労働であり人をだますものでありそれでハーバート大学の人はそうして作り出す投資信託であれ金融商品が詐欺だとして良心の呵責に耐えられず辞めたとかある
また日本の銀行員でもそういうことがあり生きがいを感じられず農業に従事したとかなる
何か労働という時、農民が米を野菜を果物をじかに作るとき天に神に感謝する、そのときそのとれたもの食べるとき買うのとは違い特別な喜びがある。それは大地と結びつき天と結びつくからである

何か労働というものが世界的に荒廃している。『西洋の敗北』エマニュエルドットでプロテスタンティズムが失われてしまって空虚化したというのは理解できる。労働は宗教的行為としてもあったからである、何かトランプ大統領が福音主義者の応援を受けているという時も良き古い時代のアメリカへ復古するということである。それだけ何か精神が荒廃したからだとなる

グレートアメリカアゲンとは復古主義である。それは何か西部開拓時代のフロンテアスピリッツの回帰だともみる
つまり日本だって歴史だとそうした復古主義は必ず起きる。日本なら本居宣長の国風文化の見直しがそれである
また明治以降でもやはり戦前を戦争でもそのとき日本人が一体化したということでなつかしむことがある
そういう復古主義は必ずどこでも起きる。つまり何か世界的にいくらグローバル経済になってもそこに精神の空虚さが生まれていて復古主義が起きるのである。グローバル経済は道徳なき経済でありそれで世界的に物だけがやりとりされるもので精神は荒廃したとなる。

ただアメリカはもともと内村鑑三が留学した時代から金一辺倒の社会でそれを嫌っていた。アメリカは移民の国だからアメリカンドリームの一攫千金を得るために移民がある社会になる。億万長者が生まれる国なのである
ただアメリカには物質主義であり文化ない生まれない国である。それは歴史が短いからである
中国を奈良時代に習ったのは高度な文化があったからなのである。まず漢字はその文化の最たるものであり文明とは文で漢字で明らかにするものだともなるから漢字を取りえれることで遣唐使を派遣したともなる
アメリカに文化を習う取り入れるとかはない、科学技術を取り入れるとしても何か文化を取り入れることはない
だから世界でアメリカを尊敬するということはない、ただ軍事力と経済の物質主義の国だとなる
それは西欧文明とも違たものである。民主主義といってもそれは文化ではない、行詰まっている
とにかくグローバル経済自体が行詰っている。それはやはり文化を創造しないからだとなる



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2025年04月19日

長閑な故郷−古墳の町【長閑、タンポポ、蟻穴を出ず、春霞、桜、チューリプ、、】


長閑な故郷−古墳の町【長閑、タンポポ、蟻穴を出ず、春霞、桜、チューリプ、、】

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家の庭に古墳がある、二つある。それだけ古墳が多い

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蟻穴を出でて喜び遠くへと

家の前タンポポあまた増えにけり

春の日やぽかぽかあたたむ古墳かな

我が里に古墳いくつか長閑(のどか)かな

春霞連なるや山の屏風かな

自転車に走りゆくかなつばめ飛ぶ

竹しなり自転車走る里の道

チューリップ駅の案内模様替え


長々と柳のたれてこの道や桜も映えて菜の花も見ゆ



玄関を見たら蟻が一匹動くのが早いかなりたちまち遠くへと進んだ、それもは早かった、穴から出て喜ぶ動いたのかとなる

今日は23度で暑いくらいである。だから長閑となる。古墳の町とか宣伝しているけど何かぽかぽかとその小さな古墳を春の日があたためる感じにもなる。死者が眠るのかその死者も気持ちいいとまでなる
阿武隈山脈は屏風のように連なり霞む。

駅の案内は新しくした。でも駅はずっとかかわっていない、閑散としている。チューリップがいい、でも常磐高速道路のSAと比べると余りにもその差が大きい、駅に人の出入りは少なすぎる、一人くらい駅に待っているとかなる
そして駅前の自転車屋の人は死んで淋しいとなる。
ただ駅は街と直結している。でも常磐高速のSAから街に来る人はいないのである。分離しているのである
だから街を活性化することにはならないのである







2025年04月18日

桜咲く谷野原ー玉野村−霊山ー飯館村へ【霊山南朝滅ぶ短歌−北畠顕家の死と桜】


桜咲く谷野原ー玉野村−霊山ー飯館村へ【霊山南朝滅ぶ短歌−北畠顕家の死と桜】

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谷野原

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玉野村

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霊山紅彩館

【飯館村】

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木戸木(ことぎ)



かなたへそ峠を越えむ燕来る

峠越え燕飛び交う季(とき)は来ぬ

上り来て朝の耕し金谷原

一すじの滝のひびきや朝桜

大滝の響き芽吹きや登る坂

拓けたる玉野の平地春野かな

梅匂う遅きも玉野の平地かな

玉野にそ梅の匂うや休むかな

君子蘭広間に休む窓映る

【飯館村】

菜の花の匂うや山の穏やかに

栃窪に灯ともりあわれ蛙鳴く




横川の朝にひびける流れかな桜の映えて更に奥行く

石一つ据えて金谷原誰か住む枝垂桜や街は遠しも

老いてなお坂を上るも春なれば他所の桜を見むと欲すも

おのがじし満ち足り咲くや君子蘭窓に映りて我が休むかな

【北畠顕家花と散り南朝滅ぶ】

霊山に春風唸る南朝の城そここにと時は過ぎにき

春風の霊山に唸り武士(もののふ)の城にありしも南朝滅ぶ

霊山の巌黒々と春の風唸り吹くかな武士(もののふ)籠る

春の風唸り吹くかな時は過ぐ山は変わらじ人は変わりぬ

朝の滝轟き桜一時の栄いにあれやはやも散りなむ

朝の道桜咲き継ぐ霊山へ滝そひびきて風の荒らしも

春の風唸り吹くかな霊山に顕家若く花と散るかな

顕家の駆けゆく姿りりしくも花と散るかな風荒く吹く

風荒く朝に散る花顕家の一時映えぬ武者姿かな

目覚めれば花のあまたの散りにけり風吹き唸り夢の跡かな

(木戸木)

木戸木(ことぎ)にそ桜咲くかな十本ほど幾人かここに住むもあわれも



今年が風は強く吹く、自転車だとまともに風を受ける、ただ車だとまたそうした自然を風でも感じないのである
それで自然と一体化しないから俳句でも短歌でも詩も作れないとなる
今回は春風でも荒く吹いたからである。それで霊山についても風がうなり吹いたのである

この道は歴史の道でおある、霊山が炎上して逃れたのがこの道だからである。落武者となって相馬市であれ南相馬市の鹿島区でも逃れた。特に鹿島区では日吉神社があり逃れた一族の根拠地となった。その一族の只野氏の姓が本当に多いのである
50軒とかあり原町区へも相馬市へも拡散している。だからなぜこれほど多いのかとなる、その一族は繁栄したとなるからである
南朝の将軍北畠顕家は21才で死んだ、これは早すぎる一瞬の光芒を放ち死んだとなる。

ただどうして霊山のような山で生活できたのか?前は相当の数の僧が修行していた、でもその食料などどうして供給したのだろうかとなる。山を登り運ぶにも大変だし誰が供給したのかとなるからである

太平記』の物語では、顕家の軍は徹底的な略奪を行いながら行軍し、顕家軍が通った後には人家どころか草木も残らなかったと描かれている。同物語では、「これらの行動を恥知らずの夷の軍勢であるから」と批判的に描写されている。霊山包囲などの苦境からの出撃により物資が絶対的に不足していたという事情が反映されたと伺われる。

これはやはり霊山では食料に苦労したために食料を確保する強引なものになった、それは霊山での経験でそうなったというとき
事実からそうなったとなる

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金谷原では松母姫が死んだ。その碑がある。霊山から逃れてここで死んだ。横川の橋のたもとでここに住んでいる女性と語ったことがある。その若い女性は歴史クラブに入っていて詳しかったのである。

松母姫ここに死すと語りけり横川に咲く桜を見て暮る

電動自転車の問題はバッテリーが意外と早く切れることである。それで霊山できれたのであととで苦労した
坂だと歩くほかないからである

飯館村の木戸木(ことぎ)を回ると暗くなりつつありそこに十本くらいの桜が咲いていた。そこに住んでいた人は何かその桜を植えた話を語っていた。その人はその桜の咲くところで畑仕事をしていた。でも85才とかで体が弱り苦しいと言っていた
だから今はその畑は放置されているしそこに住んでいるかどうかもわからない。
ただあのような不便なところに住んでいて車もないし80才過ぎるとかなると暮らすのも難儀である
なぜなら配達してもらうとかバスをまって買い物しているとか行っていたからである、今そこに住んでいるかどうかもわからない、飯館村ではそもそも原発事故以後二割くらいしか残っていない、それも老人が多いから村が維持できるのかとなる
玉野村小学校でも廃校となり臼石小学校も廃校となりと廃校になる学校が本当に多いのである

ともかく自転車で行くのもだんだん苦しくなる。ただ人間は日ごろ筋肉でも鍛えていると老人でお強化される
なぜ疲れたとなれば冬の間運動しなかったからである。それで筋肉が弱ったのである。だから日頃運動していれば筋肉は強化されるのである。

それにしても今日も風が強く桜はかなり散った。山の方は咲き始めえもありまだ散らない、気候の差でそうなる
ただ飯館村では咲いていてのである












2025年04月16日

アメリカの覇権は終わる―関税問題はそも徴候 【ローマ帝国が東西に分裂したようになる―貨幣も別々になった】

アメリカの覇権は終わる―関税問題はそも徴候
【ローマ帝国が東西に分裂したようになる―貨幣も別々になった】


アメリカが世界の富を集めている、グローバル経済で収奪している。そう、見ていたがアメリカにすれば逆に世界から収奪されているのだということで関税をかけることになった。アメリカは世界から輸入するだけで輸出するものが限られている。
アメリカの製造業は衰退した。世界から輸入ばかりしていたら当然国も貧しくなってくる。
でもなぜアメリカではそんなに輸入できたのかということである。外国から物を買うことができたのかということである。

アメリカの主要な産業はITと農業であった。農業は主要産業でもあるというとき、その広大な土地がそうさせたのである。日本の農家と違ってその生産力は百倍にもなるという。それだけ平坦な土地があり。日本の零細な農業とはまるで違っているからである。その農業にしても関税が高くして買わないとなり農家が大打撃になる 。ブラジルからとか輸入するからとなる
経済は生産と消費があり。いくら作ってもそれが消費されない売れなければ作っても無駄だとな
る。アメリカは世界の巨大な消費地であった。でも自ら生産しないで消費ばかりしていたらその国は豊かにはなれない。
アメリカはそこで行き詰まってしまった。

でも、消費というとき江戸時代の江戸は大消費地であり何か生産しているわけではなかった。侍は別に何か生産していないからである。要するに、ただ消費するだけだったのである。ではなぜそのようなことが可能だったのか。
それは政治的軍事的機能はあり参勤交代でもそれは無駄なようで消費するだけでもやはり経済的効果をもたらしていたのである。それによって宿場町ができてその街道筋も栄えたのである。でも、侍は何かを生産するということはなかったのである。
それとアメリカは似ているかもしれない。輸出するものは少ないにしろ軍事大国であり世界の政治的中心にもなっていたからである。つまり、大消費地になっていたのである。アメリカ人はたとえ、金がなくてもクレジットカードで消費しているのである。だから、その借金も膨大なものになっている。国自体が外国からの国債でその金額も膨大だからもし中国であれ、日本であれその国債を売ればアメリカは窮地に立たされる。

ともかく、アメリカはなぜ高い関税をかけるようになったのか。それはトランプだけの思いつきでもなくアメリカ全体の経済的問題として、必然的にそうなったとしている、売るものがなく借金しても買ってばっかりいたらその国はとても持たない。ただ、アメリカはドルが基軸通貨であり紙幣を刷ればそれでなんでも買えばばいいとなるかなるか。そんなこと続かないわけである。とても金融だけの経済では行き詰まってしまうのである。経済と政治は一体でありその経済を無視して政治だけでは覇権国になれない。アメリカは経済大国だったからこそ、覇権国になりえたのである。その経済が衰退する時覇権国にはなりえなくなる。

その基軸通貨のドルでも。世界的信用を失ってゆく。それはローマ帝国でも東西に分かれたとき別々の貨幣となり衰退したと同じである。つまり、世界的にドルの価値が下がり基軸通貨でなくなり中国の人民元がグローバルサウスでは基軸通貨となってゆくこともある。つまり、アメリカの覇権は失われて、世界も分断されるということになる。
ローマ帝国も政治と軍事力、軍事力で大帝国になっていたが東西に分離して貨幣も別別のものになり、衰退したのである。

だから今、アメリカもローマ帝国のようになってゆくのかもしれない。アメリカのドルはもはや基軸通貨として維持できなくなる。政治力と軍事力だけでは覇権国になり得ないとなる。今、世界はそういう岐路に立たされているのかもしれない。
アメリカの国自体が。内部から崩壊して行く。政治軍事力だけでは維持できず。やはり経済的問題として維持できなくなる。
アメリカは世界から孤立して行くのかとなる。世界の警察とか言われたが、それも維持できない。それだけの経済力もなくなってきている。何か武器すら製造できなくなっているという。だから。軍事力と政治力はその裏付けとして、経済力がなければ成り立たないということである。それは表裏一体なのである。

ただ、そうなると日本の立場は中国とアメリカに挟まれて苦しい立場になる。でもアメリカに頼っていればいいという時代は終わった。となるアメリカはアメリカファーストになり自国を守るだけで精一杯になってしまう
でも中国に従うのかとなるとそれも難しい。中国の属国となり奴隷化されるかもしれないからである。それは日本だけではない。世界的にアメリカに頼ることはできないしパックスアメリカは終わったということである。
それでまた世界が分断されて第三次世界大戦が始まるという人もいる。群雄割拠の戦国時代になるのかともなる?
いずれにしろ日本の外交は相当に難しいものになる。

日本はそもそも。東西を結ぶものとしての地理がある。世界的役割があった。中国に先んじて西欧化したのも、そのためであった。ただ逆に、その東西の狭間で分断されるということにもなりかねないのである。ともかく、世界の覇権は常に移動してきたからやはりアメリカもその覇権が維持できなくなる移動してゆくそれは避けられない。となるそういう歴史の転換点に来ているということを認識する必要がある。アメリカの覇権の一方的関係は終わったということである。その次にどうするのかとなると日本は相当に難しい立場になる。でも、政治的には混乱しているし経済も衰退しているからこれまた危機になる。
すると挙国一致内閣作り対処する他ないかもしれない。右とか左とかで争っている時ではなくなるかもしれない。
確かなことはアメリカの覇権は失われてゆくということである。



2025年04月15日

春の雷の俳句連作 【春の躍動の詩】


春の雷の俳句連作 【春の躍動の詩】

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活動や鳴り響くかな春の雷

新しき事起こりなむ春の雷

停滞を破り鳴りなむ春の雷

日本を新たにせむや春の雷

未来へと四方に轟く春の雷

天来の声轟くや春の雷

春の雷新発見や進みなむ

天才のまた一人い出む春の雷

天よりそ霊感を得む春の雷

不意をつく驚天動地の春の雷

船出せむ海にも響く春の雷

満開の花に轟く春の雷

老骨も蘇らむや春の雷

坂のぼり鍛える若者桜咲く

川流れ場所を移りて桜見る




春の躍動


巨きなる山に挑め

その頂上を極め征服せよ

そして天に上らむ

そこにいくつもの天の宝庫あり

その扉を開けよ

停滞を打ち破れ

一つの場所に囚われるな

灼熱の溶岩の山

海を望みかなたに飛翔せよ

突然は春の雷は鳴りひびき

強烈な閃光が走る

いたるところに桜は咲き

日本よ、停滞を打ち破れ

新しいは発見のあれ

新し詩の起これ

躍動する自然に合わせよ

汝は大いなる山に登り挑戦せよ

果敢にぶち当たりその山を征服せよ

汝は頂上より天翔り神にまみえむ

牡丹の芽は未来へ大きくふくらみ

タンポポはどこまでも咲き続く

大輪の花は遅くも開花する

そして海に出て轟き響く波の押し寄せる

自然とともに躍動する者よ

血は湧き踊りめぐる

神の栄光は自然にあり

その業は限りなく魅了する

そのインスピレーションは絶えることはない

汝は地球を宇宙を詩う者なれ

創造主なる神に習え

常に創造を試みよ

新たな未来は開けむ










2025年04月14日

相馬市の城下町の夕桜【初蛙、燕来る、夕桜、夜桜、春の雷、和紙、、】


相馬市の城下町の夕桜【初蛙、燕来る、夕桜、夜桜、春の雷、和紙、、】

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初蛙我が家に向かい鳴きにけり

初蛙我なお生きむ我が家かな

新しや路地裏にも燕来る

復興や松川浦に燕来る

女高生相馬の城下夕桜

若人の声のひびけり桜かな

城下町老舗の菓子屋夕桜

よどみなく桜に満月昨夜なれ

夜桜に雷の閃光続け様

春の雷あとに満月の光輝かな


移り住み建てにし家や石すえて枝垂桜の色濃く垂れぬ

夕暮れに堀に映れる桜かな相馬の城下灯ともるわわれ

城跡に咲きし桜に夕日さし土地の人なれしばし語りぬ

桜色淡くも染めて城下町店の灯ともり細き道かな

城下町和紙に映えるや夕桜その色しみぬ店の灯ともる



昨日の朝に蛙が大きな声で我が家に向かい鳴いた。冬眠から目覚めて鳴いた。それがなんともいい感じだった。
空家が増えているから人が住んでいなければ家も死んでいる。蛙が鳴いても空家だったら活きてこないとなる

松川浦から相馬市に行った。曇っていたが夕べになり晴れて来た。桜は満開だった。黒橋を相馬高校の学生が走り上っていた
柔道部で訓練していた。城跡の桜は満開で夕日がさしていた。相馬高校は城跡のすぐ近くにある
相馬女学校というと古いので長刀(なぎなた)を習っているのはやはり城下町であり侍の伝統があるからそうなる

城跡と言っても何かそこで歴史を感じるものがない、城があれば感じるが何にもないから感じにくいのである
ただ町割りとか城下町になっているから南相馬市の原町区とは違っている

何か和紙というのが日本的でありその感じが何となくいい、曇っているようくすんでいて真っ白なものとも違う。また厚みがあるも違う、ざらざらした肌触りもある。何か城下町であれ和紙が似合うとなる。

またお菓子屋というのはその店独自のものを味を売っているので生き残る、普通の店はスーパーができてシャッター通りにな

っても生き残る。何か丸森の金山とか街の中心でなくても菓子屋はあり成り立っているのである
それは自家生産であり独自の味をつくりだしているかなのである。同じものを売っていないからである

近くに原発避難区域から移住した人の家でもすでに十年とか過ぎるのか石をすえ枝垂桜が咲きその色も濃くして落ち着くとなる

家に帰り夜になって稲妻が走り雷が轟いた、春の雷である。それも三回くらいつづけざまに光った。
なんか今年は風が吹き雨がふり雷がなり稲妻が走る荒れ模様である

そしてたちまち桜も散ってしまうとなる。なんか波乱気味なのか、穏やかではない、ただこれからどうなるのかはわからない

よどみなく桜に満月昨夜なれ

昨夜は満月が満開の桜に輝いていた。今日は一転して雷であり稲妻が光った。変化が激しいのである

それから今外で見たら満月が輝いていた。これだけ自然の変化が今日一日であった

春の雷あとに満月の光輝かな

日本は農業に向いていない?ー山が多くて平地が少な


日本は農業に向いていない?ー山が多くて平地が少ないから大規模化できない
【人間は自然の風土地理を無視して生きられない】


文明は基本的に地理とか風土とかにより作られる。日本は海と山の国である。平地が少ない、だから海彦山彦の神話になる。そこに平地で暮らす人々がいないのである。平地の民が大陸では普通である。山により遮るものなく大きな川がさえぎるものとなりそこが境界となる。それで日本は実は農業に向いていないと最近大規模農業を始めた若い社長が言っていた
山間部は平地がないから大規模化できない、未だにそうしたところの農業は零細な農家が多くそれで農業では今は苦しいとなる

大規模農業法人が実現するとすれば、地域には少ない人しか住まないことになる。例えば、人口1700人の北竜町で考えてみれば、1700haの水田を1法人が300ha経営するとすれば6法人で可能だ。各法人が数人、たとえば、5人の正規従業員を雇っても、全員で30人に過ぎない。つまり、生産性、コストを追求するとなれば、結局のところ、少数の人間しか住まない地域となる。

日本で大規模農業は可能なのか?

中山間地が多い日本では共同で農村を維持してきたが、企業的農業だけでは農村は守れない。また企業が参入しても採算が取れず出て行けば農村が消滅してしまう。一方で小農は自然を有効に活用し、食料自給率の向上や食の安全を保障し、農村を守る

何かテレビでは農業の会社経営者が法人化して収入を上げて若い人が働いていることを報道した。つまり大規模化して機械化してスマート農法で生産性をあげ効率化する。それは山村部ではできないとしている。平地ではないからである
中国でも麦を収穫するのにコンバインで一気に刈り取りできたが山間部が平坦でないのでできないんでやはり出稼ぎの人が人力でしていた。そこには中国でも機械によらないで人間がするほかないほかないのである
それで平坦な地でも機械で田植えできない所が残りそれは人力でしていると聞いた
何事すべて機械化できない、必ず人間の手が必要になる。それはAI化でも同じである。全部答えを出してくれわけではないのである。そこに幻想を抱じすぎると問題になる

人間はそもそも風土の影響とか地理地形の影響から逃れられない、これはいくら科学技術が発達してもできないということが農業は特に風土とと天候とか地形とか自然条件により規定される度合いが強いからそうなる
工業製品を作るようなわけにはいかないからである。自然を相手にしているからそうなる。農業は文化の基だからである
cultureはcultivate(耕す)から来ているからである。それでワインでもその土地の風土により味が違って名前でもその土地の名前で売り出している。まさに文化なのである。農業は工業製品のように規格化できないのである。また機械化にも限度がある制限される。その土地にあった適正を追求してあったからである。


それで大規模農業で成功した例をあげていたがそれもうまくかないとネットで読んだがそうなのかと納得がいく
ではどうすればいいのかとなると私には深く追求していないのでわからない。でも農業は自然と密接に結びついているからなかなか機械化できないことは理解できる。
そもそも気候であれ地形であれ地理であれ変えられない宿命的なものである。山を平らにできない、だから自然条件に制約されるのである。それで野というとき平なところではなく山の斜面を指している。山が多いのだからそういう地形が日本には多い
入野という地形がそうである。その野とは山の斜面のことなのである。そこに棚田があり段々畑があったりする
それは地形に適応してそうなったのである。

ともかく日本は平地が少ない、だから農業するのにも向いていないというのもわかる。飯館村の木戸木(ことぎ)で畑を作るのに土地を平らにすることで苦労したというのもそうである。奈良はならすからきているとか平坦にするということで苦労する
奈良とは実際は今の平坦な広い地ではなく山間部の斜面の野が起源なのだろう。田にしても県(あがた)から始まりそこが最初の
国の行政に組み入れられたからである。

何か農業は大規模化すればいいとか素人から見ればそうなのかとみるがやはり人間は定められた自然の条件に適合しないでは生きられない、それで行き詰まるのもわかる。海彦山彦の国だったという時縄文時代から日本で暮らすとなると自然を変えることもできないからそうなる。自然災害でもなぜ津波の被害が甚大になったのか、それは海側が魚をとるのに便利だからである
相馬市の磯部では被害が一番大きかった。村は壊滅して誰も住んでいない、なぜそうなったのか、磯部村の家が密集している海岸に集落が作られた。その後ろは田である。つまり田を作る平地には家はまれである。

もともと海であり海を埋め立てて田にした。そして津波で元の海になったのには驚いたのである。海を田にすること埋め立てすることは自然に逆らうことなのである
だから縄文時代にそうして海だったところには人は住んでいない、縄文時代の遺跡は発見されないのである。
要するに人間はいくら科学技術が進歩しても自然に逆らっては生きていけないのである。それは傲慢なことであり自然から復讐されるとなる。山に平地にできないしその自然条件を変えることはできないのである
科学技術にも限界がありそれを過信することは危険になる。

また別に米でもアメリカから輸入すればいいではないかとなるがそれにも限度がある。食料は安全保障でもあり外国から輸入できなかったらどうなるのか、外国に経済でも頼りすぎることは問題なのである。食料がなければ今度は外国に言いなりになる
独立も失われるである、だから中国では一年以上の食料を備蓄している。日本では一か月しかしていないというのも問題である。だから安い米を安易にアメリカからでも輸入するのは危険である。グローバル経済が何でもいいわけではない、その土地に見合ったものとして生活するように神が定めた。それを無視できないのである。日本は車だけ作っていればいいとなれば結局外国に食料を頼れば支配されることになる独立は失われるのである。

また過度なグローバル経済は文化も破壊する、その土地土地に見合ったものとして作られてきたものを破壊する
そもそも工業製品のように一様化できないからである。農業は特にそうであり過度なグローバル経済は文化を破壊する
それは人間の生活を豊かにするわけでもないのである、なぜなら人間は必ずしも物質だけなものだけに生きるのではなく精神的なものも求めているからである。だからグローバル経済が今うまく機能しなくなったのは人間の精神的な面も影響している
貿易は必要でも土地土地の国々の文化まで破壊するときもはや人間の生きる意義まで失われるとなるからである

posted by 天華 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年04月13日

日本列島桜の旅−短歌連作‐【記憶する旅をしろ】

日本列島桜の旅−短歌連作‐【記憶する旅をしろ】

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九州(平戸)

外国へ海は開けぬ平戸にそ朝の桜や按針の碑あり

入江にそ潮寄せける城ありぬ桜の咲きぬ日本なるかな

(瀬戸内海)

船の行き電車の行きぬ瀬戸内や桜咲き継ぎ駅いくつかな

日本列島浪打ちひびき桜咲く港いくつや蜑の船いず

瀬戸内の潮流れて島々や桜の咲きて鯛のとれるも

桜咲く天守望むや人盛り船の行き来に瀬戸内栄ゆ

明石城春の夕陽の映えにつつ船の行き来や桜装う

大阪城城跡広く夕陽映え集う人にし桜散るかな

淡路島城に月光り残る花一夜泊るもあわれなるかな

(京都奈良)

京都なる八坂神社の古りにける枝垂桜の優艶に暮る

古の奈良の都や古き壺飾れる店や桜に暮れぬ

花開く唐招提寺朝訪ね鑑真の死すは日本なるかな

(東海道)

日本列島浪打ちひびき桜咲く港いくつや蜑の船いず

太平洋陽は昇るかな桜咲く東海道に城いくつかな

小田原城海を望みて花盛り一夜泊らむ波の音ひびく

打ちひびく波の音かも伊豆の海朝の桜や富士を望みぬ

(東北)

小峰城(白河)小さくあわれ一本の桜のいわれ悲しくもあれ

二本松城をまじかに畑に人菜の花に桜錦なるかな

二本松夕暮れあわれ花の散る後そ訪ねて少年の碑かな

気仙沼大島に桜咲きそむる海を望みてなお寒しかも

古風なる城門入りて弘前城枝垂桜夕暮れるかも

日本の果て稚内に来ぬ六月に桜の咲きぬ旅の終わりに



40年前とかに九州の平戸に行った。そこが印象的だったのはこの辺の太平洋の海と違っていて入江になっているから
それが外国に通じていると直感した。按針の碑などがあったから実際そうだった。
とてもこの辺の海は外国に通じているとは感じない、荒涼とした海原でありいつも船二三艘くらいしか見えないからである

瀬戸内内海にしてもこの辺の海とは違う。島々がありその間を潮流があり船が行き来する。だから大きな船が島の間の水路から迫って来た時は驚いた。そんな大きな船が近くに迫って来たからである。


瀬戸内海には◎潮流(潮の満干で起こる流れのこと)が速い
瀬戸内海は小さな島がたくさんあるのが影響して潮流が速くなり、複雑な流れをするので海底の養分がかき混ぜられてプランクトンが増えます。
栄養豊富なプランクトンが生息していて、それを食べる鯛が成長しやすい環境が整っています。そのため、瀬戸内海で釣れる鯛は大きく、重量のあるものが多いです。

瀬戸内海は島が多いからまた太平洋とは違っている。絶えず船が行き来している。大きな船も行き来する

天離(あまざか)る夷(ひな)の長通(ながぢ)ゆか)ゆ恋ひ来(く)れば明石の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ

(柿本朝臣人麿)


瀬戸内海は海の道路にもなる。大きな船でも絶えず行き来しているからである。水道というのも水の道であり船の道なのである

 入川は福山城の外堀と海をつなぐ運河で、満潮時には外堀まで船で入ることができました。現在の御船町辺りには藩船をつなぎ留めるための御舟入(船溜まり)が設けられ、その周囲は船奉行をはじめ、船頭や水主(かこ)の屋敷に当てられていました。また川沿いに市が開かれ、活気のあるにぎやかな港町が広がっていました。

福山城が建てられて間もない頃ころ
,当時は,城のすぐ近くまで海水が入り込こんでいた ため,人々が生活に使う井戸水に塩分が混ざっていました。そこで,水野勝成は,城下町に芦田川の水を利用した上水道を整備することにしました。これは,江戸の神田上水などにつぐ全国で5番目の上水道でした。

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福山城の前はかなり海が迫っていた。日本の海岸は海が入り込んでいた.縄文海進がありその海が埋め立てられて田とになったり町になった。だから相馬藩で小高に相馬氏が最初に作った城が浮舟城と言われたのか、海が近く中世には海運が盛んだったのである。田になっている所は湊になり船の出入りがあり蔵院などあった。
南相馬市でも鹿島区の古代は塩崎に船着という地名がありそこまで海であり海岸の山で製鉄が行われて船で資材など運んだのである。現実に十四年前の津波で船着という場まで海の水が押し寄せたからである。

だから福山城の前はかなり海に近く江戸時代なると城まで水路が伸びて船運があった。入船町があるのもそのためである
他に四国でも現実に船が城まで入り城が港の役割をしていたのである。今治城とか高松城がそうである
何か相馬がその瀬戸内海の城を見て参考にしたという時小高城が海に近いから真似たとなる。

ともかく福山城で印象に残ったのは鉄道の駅があり今は城が駅なのかとも見た、つまり駅を降りるとすぐに福山の城に着くからである。旅という時目的地にアプローチする経路でかなり印象が違ってくる
もし船で入り城に入ればその感覚はまるで違ったものになる。だから福山の城でも海が見えないし海を意識できなかったのである。すると昔のことが実感できなくなるおが問題なのである

瀬戸内海はまた東北の太平洋とはまるで違っている。島が多く島で結ばれ古代からすでに船で行き来があった
だから大きな船が島の間の水道に汽笛を鳴らして入って来た時は驚いた。明らかに瀬戸内海は交通の海である。

日本は海に囲まれている。だから海と切り離せない地形であり地理である。東海道でもやはり海と通じている
吉田城でもアプローチが街から市電で来たが実際は川があり橋がかかり海が近かった。
海が相当に近い海に接しているともなる。でも市外から市電で来たので海を意識できなかったのである
だから旅は歩く旅であれ自転車の旅であれバイクの旅であれ電車の旅であれ船の旅でも印象が相当に変わるのである
海から城を望み城が港となる時城の役割を直感的に理解する。

春の風海より吹くや橋わたる旅人着きぬ吉田城かな

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大阪城の地理でも北側にはいくつか川が流れており、淀川を伝って京都に行くこともできます。
川を下れば海もすぐ。瀬戸内海を通じて西国ともつながっているので、とても便利な場所です。

海と川をつなぐという時川が道の役割をしていた。日本では森が多く道がない時川が道になっていた
だから城でも川を道として到達すれば港の機能があったとなる。
大阪も水路があり江戸でも水路があり海から舟で行き来した。ベニスとも似ていた。特に瀬戸内海は交通の海であり
大阪は地理的要衝になったのはそのためである。それは江戸城でも似ているのである。

東北に来ると小峰城(白河)となると小さい、東北の城は西のような豪壮なもながない、それだけの経済力もなかった
たた会津の蒲生氏郷の城は七層だったから見応えがあった。今の会津の城はそれから比べるとこじんまりしているからである
何か侍の娘が人柱として犠牲にされたというここがありその乙女桜の木がある。
何かこの城はおもちゃのように小さく見える。東北には大きな城はないのである

二本松城は塀しかないのか、山自体が城になっている、すぐ近く畑で働く人がいて桜に覆われていた
その景色が背後の安達太良山に映え景観がいいのである。

城跡に高く登りて春の日や四方見渡す福島県かな

廃藩置県で会津県と二本松県と磐城県が構想されていたことは納得がいく、二本松は地理的に福島県の中心に感じるからである

気仙沼となると津波の被害がひどかった。その前に大島に登った時桜が咲き始めいた。ただ寒かった。それは津波の前であり
津波の後は行っていない。津波の後は親の介護ともなり十数年旅していないのである
その後は何か旅しずらくなった。コロナ騒動もあったとか旅できなくなったのである、そして円安で外国人が押し寄せているしホテル代も高くなったからたびしずらくなったのである

桜がなかなか見れないのは咲く時期が短いからである、それでも私は稚内でも桜を見たのである。それは自転車で行き見たのである。それは6月だったのである、桜前線は6月まで日本列島を移っていたのである。
また韓国の古都慶州でも桜が咲いていたから日本列島だけではない韓国まで通じていたとなる

旅はまず旅を計画をして旅を実際に経験して旅を回想する、そこで盲点なのが旅を回想するとき忘れることである
30年40年過ぎると忘れる、だからいかにして記憶する旅をするかが問題になる。それで写真とかが役に立つ
でもデジカメがないときは記録するのも簡単にできなかった。すると頭に記憶されたものでたどるほかなくなる
でも簡単なメモでも思い出すに役に立つ、それを見て思い出す作業をするのである
ここでまた全国の桜の短歌を作ったのは思い出すことができたからである。


桜前線の短歌






















2025年04月12日

桜咲く梁川から丸森へ歴史の道−短歌十首【丸森の金山城の歴史、伊達政宗から伊達市になる歴史】


桜咲く梁川から丸森へ歴史の道−短歌十首【丸森の金山城の歴史、伊達政宗から伊達市になる歴史】

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梁川に攻防ありぬ要衝の地そも古りにしや春に訪ねぬ

攻防の拠点にあれや訪ぬれば何かありなむ春の梁川

阿武隈川蛇行し流れ渦巻きぬ桜の咲くやはるか来たりぬ

阿武隈川流れたぎちぬかなたにそ吾妻山望み春の日暮れぬ

大張や桜の咲きて白石へその道知りぬ夕暮るるかな

正宗の初陣の地なり丸森を治めて名づく筆甫なるかな

正宗の海を望むや磯山に椿の赤く映えにけるかな

金山城春の夕暮れ伊達思い相馬思いぬ我が帰るかな

丸森や夕べ桜の心染むともしびあわれ相馬に帰りぬ

桜咲く伊達と相馬の境かな玉野の家々古りにけるかな



伊達氏は源頼朝の奥州征伐で功を立て、源頼朝に伊達郡を賜った関東武士で、伊達郡に入植して伊達氏を名乗るようになった。伊達郡は鎌倉時代以降、豊臣秀吉によって17代伊達政宗が転封するまで伊達氏の本拠地だった。梁川城は、4代伊達政依のころから、天文元年(1532年)に伊達稙宗が桑折西山城へ移るまで、300年弱にわたって伊達氏の本城だったと考えられている[4]。城の北方には伊達氏の氏神の梁川八幡宮があり、また、近隣には京都五山に倣って伊達政依が創建したとされる伊達五山と称される寺院があった

伊達氏が本拠を米沢に移してからの梁川は、蒲生氏を経て上杉氏の領地となります。上杉氏支配の段階に梁川城跡は、上杉景勝と軋轢を増す伊達政宗への対策として大規模な改修が加えられました(図1)。北三の丸に残る桝形虎口や大規模な堀跡・土塁などは、この当時の姿を良く残しています


なお伊達政宗の初陣は伊具郡(宮城県丸森町)での相馬氏との戦いであったが、その時に伊達軍の拠点となったのが梁川城で、政宗は梁川八幡宮に戦勝祈願をしたといわれている。



梁川は地理的に要衝の地だからこのように会津の蒲生氏と上杉氏と伊達氏がかかわったのである。その館があった所に池があったとか鎌倉時代にさかのぼる古いものである。ただ今はその遺跡でも土手くらいしか残っていないのである

ともかく伊達氏の起こりは福島県の伊達市である。宮城県ではないのである。だから正宗初陣の地は丸森なのである
金山城は相馬氏と伊達氏が交代で城主となった歴史がある。だから相馬藩の一部であったのである
それで相馬総合病院にその丸森の人が私が入院して同室だった。
その人がんだちゃと言った


東北人のずーずー弁は共通している
んだが語尾になる、

んだ
んだす 秋田県
んだちゃ 宮城県
んだは共通している、東北は蝦夷の地域である
ただ宮城県は仙台は商都でありそれでその語尾は

だっちゃ、だっちゃ、

となる、この語尾が特殊なのだ、これは大阪弁のように押しが強い語尾なのである
んだは口ごもるような言葉である、そういう傾向が東北人にはある
宮城県は伊達藩は正宗が出たように特殊なのである
あのような芝居かっかたような人はいないからである

んだちゃはんだ+だっちゃなのである。それは金山城の下に住んでいれば二つの方言が合体してできた方言だとなる
新地の人もだっちゃというとき新地は伊達領だったからである。それで訛りは国の手形となった
どこの土地の出身か訛りでわかる。


ともかく梁川では会津でも米沢藩でも伊達氏もかかわった。それは地理的要衝の地だったからである
丸森の木材資源でやはり米沢藩と伊達氏と相馬藩は三つ巴の争いがあったのもそのためである。
現実に丸森の金山城は相馬藩と伊達氏が交互に城主になっているからである

1564年(永禄7年)または65年(永禄8年)に相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋胤泰が築城したと言われる。その後伊達氏と相馬氏の争奪戦が展開された。

天正9年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同12年(1584年)に伊達氏の領有となった。

そして、金山城は政宗の家臣中島宗求が2千石で拝領した。江戸時代は元和の一国一城令により金山要害と称し、引き続き中島氏が明治維新まで居住した。

伊達政宗が領内検地した際、最初に記入した土地である由縁で「筆の甫(はじめ)」を意味して名付けられたとされる。

ともかく丸森は相馬の延長上にもある。梁川となると相馬藩からすれば遠くなるが丸森は相馬藩と一体ともなる地理なのである
だから正宗が丸森が初陣の地となりさらに海に出て山元町の磯山に正宗が休んだ場がある。その時正宗は広い海を見たのである
でも仙台とか松島とかそっちの方が伊達藩になったので伊達市になっていることがピンとこないのである

また伊達と相馬の境となっているのが玉野村でありそこは相馬藩なのである。それはやはり伊達氏と早い時期から対立してそうなったのである



丸森町】筆甫(ひっぽ)キリシタンを守ったマリア観音堂(2016)

ここが詳しいので参照

角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁川へ 
(新緑と残雪の蔵王と阿武隈川―短歌連作)











2025年04月11日

仙台市の夕桜【夕桜、花曇り―和紙の魅力】 kyoutsakura.jpg


仙台市の夕桜【夕桜、花曇り―和紙の魅力】

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仙台や人の往来夕桜

仙台や60万石夕桜

仙台の店店のぞく夕桜

城の跡謂れを語り夕桜

みちのくの黄金の御仏夕桜

墨汁の和紙ににじまむ夕桜

みちのくや今日も暮れゆき花曇り



桜が咲いてから風が吹き曇る、桜の季節でも天候は毎年変わるから違って見える
仙台市は何か特徴がない、商業都市であり観光には魅力がない、城下町でもそれも何か明確ではない
つまり特徴がないのである。第一青葉の季節はあっても桜は余り咲いていないからである。

今日も花曇りでありみちのくにふさわしのか、和紙は使わないがそれは実用品ではなく特別なものとなり
アートに使うとなる。和紙は曇った感じにもなるから花曇りにあっているのか、和紙自体が芸術品だとなる。
和紙自体が作るのに紙漉きがあり相当に手間であり苦労なのである
だから貴重になったのである




2025年04月10日

近辺桜の俳句【朝桜、タンポポ、スミレ、落椿、花曇り】


近辺桜の俳句【朝桜、タンポポ、スミレ、落椿、花曇り】

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十羽ほど山鳩集う朝桜

玄関にタンポポすみれ人迎ふ

朝桜椿百輪と映えにけり

相馬藩六万石や花曇り

奉納や二宮神社に桜かな

我が市に観光客まれ花曇り

夕暮れの小径や数輪落椿

淋しきや桜の咲くも空家かな


今日は花曇りだった。相馬藩は六万石である。小藩である。二宮神社は二宮尊徳を祭っている。この辺では常に語られる。
でも二宮尊徳は相馬に来ていないのである。その弟子は二宮仕法を学んで実行したのである。

写真はカメラにより映りが違う。ただきれいに映るのはレンズも重く持ち歩くのがめんどうになる
ただ写真を追求するとカメラとレンズに左右される
フェスブックは写真中心である。だから投稿するとききれいな写真をアップしたいとなる
カメラは持ち歩くと重いと嫌になる。だからカメラはいい写真撮るとなると結構苦労になる

私の場合はそこまで凝ってはいない、でも映像の時代であり写俳(写真+俳句)という分野が生まれたことでもわかる
正岡子規の写生俳句と写真は相性がいいからである
小径の椿の写真は方向を変えて撮ったら違った風に撮れた。撮り方によって違ってくる

それにしても空家が目立つ、桜が咲いても空家なのが淋しいとなる
玄関にはタンポポとどうしてかスミレも咲いた。どこからか種が飛んできてこんなところにも咲く
桜の咲く時期は短いから見逃してしまう。だから見れない桜がいくらでもあるとなる
この辺は外国人の観光客は来ない、今や日本国内をゆっくり旅もできない
つくづくこれがグローバル競争に負けることであった。円高では貧乏人も外国旅行できたができない
日本は貧乏国になったからである。






2025年04月09日

春の平泉の短歌連作ーみちのくの都の跡には自然があり美がある


春の平泉の短歌連作ーみちのくの都の跡には自然があり美がある

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春日さし昔大路と我が歩み古思ふ都の跡かな

春の日や無量光院跡その池に映す影や夢にしあらむ

御池にそ春の陽まぶし影映す無量光院夢の跡かな

みちのくの浄土にあれや大池に春日耀ふ仏いますらむ

大池に映りきらめく春の星いくつや美し浄土なるかな

大泉が池岸辺広く礎石かな柱太しも春の日暮れぬ

みちのくの都の跡の大池に映す桜やたちまち消えぬ

みちのくの都の跡や若草に春の光や虹の切れ端

みちのくの都の跡や我が歩み古思ふ春の暮かな

藤原の三代の栄華金色堂まばゆく映えて春の夢かな

金色堂螺鈿の光り御柱に細工こまやか仏輝く

風荒れて義経堂の桜かな波乱の一生みちのくに死す

春の日にはなやぐ女なお若く桜に映えて大和撫子

(北上川)

北上川流れや遠く石巻海にそい出や春の風吹く

北上川蛇行し流るその岸の広々として春の日さしぬ

北上川広き岸にそ遊ばんや春の雲浮き心なごみぬ



平泉だと近くだから何回も行ける、それで四季に行っている。春には虹の切れ端が残ったのを見たのが印象的である
平泉の魅力は堂塔伽藍が焼失してもそのあとに何か残されたものが自然の中にありそれが美となっている
大都会だと自然の中に映えないのである。だから残されたのは無量光院跡であれば何もないのである
でも前に池があったことをイメ――ジする。それがかえって美しく見える
平泉は都だったしてもイメージしないと浮かんでこないのである

ともかく美は自然と調和するところにあり、大都会のビルの谷間や雑踏には映えないのである
いくら人間が人工的美を作り出してもやはり自然のなかにこそ本来の美がある
不思議なのはなぜ太平洋戦争とかで300万人死んだのにそれが語られないのか?
でも会津の悲劇は語られるのはなぜかとなる。それは美があったからかもしれない
悲劇であっても人一人の悲劇が語られる、そしてその後は純白の雪に覆われたのである

太平洋戦争とかでは原爆の悲惨な跡とか東京の焼野原とか言葉を失う情景である、そこでは言葉にできない余りにも無残なものになっている。失礼にはなるが会津の場合は確かに悲惨なのだがそれが語られるのは美しい自然がありそこで繰り広げられた悲劇だったからともなる、そしてその戦の後はまた純白の雪に包まれたのである

人間の暮らしを神が隠したという時そうした悲惨な悲劇でも自然があれば純白の雪に包まれ消されるということがある
それが救いとまなる。でも現代の戦争はそういうことがない、東京の焼け野原は余りの無惨でありそこには自然がないから
自然に包み隠されることがないから醜悪なものがむき出しになった無惨がある
そもそも大都会は美は消失した場でありそれで空襲でさらに無惨なものとなったのである

まず大都会はそもそも美は消失した場所でありそこには醜悪なものがむき出しになっている
つまり自然に包み隠されているとき本来の美がある。だから大都会から生まれてくるのは醜いものとなる
カルト教団でもそうである。そういう場所には美は全く生まれない、山で修行した僧とは余りにも違っている
そこではだから美がなく心も浄めらえることはない、殺伐とした世界なのである

それと比べると平泉は確かに堂塔伽藍は消失したのだがそこに自然があり自然の美が映えているのである
都会でも盛岡市とか岩手山が映え弘前市だと岩木山が映える、そこには美がある。仙台市とかなると大きくなり美が消失する
それでも広瀬川とかありそれが潤いを与えているのである

北上川は大きな川である。その全容はわからない、ただ北上川は石巻まで通じて舟運もあった。それは陸奥を貫き流れているとなる。








2025年04月08日

南朝滅ぶ霊山の桜【山桜咲く大倉村‐佐須村ー石戸村ー石田村】


南朝滅ぶ霊山の桜【山桜咲く大倉村‐佐須村ー石戸村ー石田村】

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桜はや散りにけるかな滝ひびき落ち延ぶ武士(もののふ)南朝滅ぶ

もののふに巌の黒くも硬きかな夕べ桜の霊山に咲く

(親王桜)

丸森に形見と残る桜かな南朝語り夕暮るるかも

顕家の死ぬも早しも朝に映ゆ花の散りしも南朝滅ぶ

霊山を守れる城の巌硬く黒々として桜咲くかな

霊山を城と守りぬ月光り闇に咲きにし桜なるかも

横川に桜の咲きてあわれかな松母姫を土地の女語る


清らかに巌にひびく流れかな朝に見上げぬ山桜かな

風うなり山桜散る山間に流れの清く朝の空澄む

石田村桜に一つ大岩やここに暮らし歳月思ふ

大倉村佐須村あわれ咲く桜ここにも栄えし家のありしも


霊山神社は霊山の麓でも山を登った所で隠されるようにある。そこに北畑顕家の像がある
霊山から落ち延びた道は歴史の道である。その末裔が南相馬市の鹿島に住んだ。日吉神社は末裔の只野氏など落ち延びた武士が
祭った神社である。とにかく鹿島区には只野の姓の人が本当に多いのである。只野一族の町だともなる
それは南相馬市でも相馬市でも只野の姓の人がいるから繁栄したとなる

霊山城は十年存在したが炎上して南朝は滅びた。その落ち延びたとき扮装したのでそれが祭りとして残っている
宝財踊りである。


松母姫碑(福島県相馬市山上字横川)
 北畠顕家の愛妾として、萩の局、松代姫、松尾姫などの名が知られている。この松母姫碑は、松代姫の母のものといわれてる。

「浜通り霊山落城の痕跡をたどる」研修会を開催しました

これも霊山から落ち延びて残した遺跡である。それを横川の橋で桜の咲くのを見て土地の娘が語った。
相馬市の方にも落ち延びたからその途中でここで死んだのかとなる
顕家は21才で死んだ。余りにも早い死だった






2025年04月07日

満開の桜となるも夕べ風荒く吹く

満開の桜となるも夕べ風荒く吹く

夕風に咲きにし桜ゆすらるる落ち着かぬかな心騒ぎぬ

咲きそめし桜と見るもたちまちに満開となり夕風唸る

たちまちに桜満開さにあれど夕べに風の荒く吹くかな

昨日土手の桜を見たら一分二分咲いたのかと見た。今日見たら満開だった。これも早いと見た
夕べ夜に相馬市の方に行ったら風が温かく寒くなかった。だから温かくなったと思った
ともかく桜は咲いたなと思ったらすぐに散るのを予感する。何か最初から風が荒く吹いたことで今年は特にそのことを感じた
つまり桜は見ていても違ったものになる。また場所によっても感じ方が違うし天候の影響もある

桜の咲く時期が短いので桜は遠くだとなかなか見れないのである。大河原の方の一目千本桜でも去年行った時もすでに散った後だった

我がたずぬ千本桜の散る後やはるばる来しもむなしかりけり

桜は別にどこでも咲いているでもなかなか見れないのは咲く時期が短かすぎる。その短いゆえに桜を見ることを見のがすのである

未だ見ぬ桜の多しも日本にそ生まれ惜しむは桜なるべし

プログのいい点は時々刻々の変化を伝える、実況中継することである。なぜなら原町の桜でも早く咲き鹿島相馬市と桜前線は移ってゆく、その変化を伝えられる。でも別にそんなにプログを日々見ている人はいないだろう

どうしてか盛岡の桜は見ていない、桜咲く時期にうまく見れないのである。でも青森の弘前城の桜は見ている

船岡の一目千本桜と蔵王の短歌20首 (山は場所によってまるで見え方が違う)



2025年04月06日

原町の小川町に初燕【牡丹の芽、桜、鶯、落椿・・・】


原町の小川町に初燕【牡丹の芽、桜、鶯、落椿・・・】

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牛越城


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(鹿島区)

若草にノスリの飛ぶや朝開けぬ

十輪ほど朝の小径や落椿

誰が参る墓地にあまたの落椿

水無川清く流れて朝桜

牡丹の芽太しや庭の石重し


(原町)

小川町流れのひびき初燕

小川町桜に流れ初燕

原町や電車の音に初燕

夕鶯いづこに隠る藪深し

風唸り桜咲きそむ牛越城散るも早しや一時の城


昨日は初燕を原町の小川町で見た。初燕は感動的である。「旅路来て赤絵の町や初燕」有田町に来た時は初燕を見た。
初燕をどこで見るか今回は原町の小川町で見た。それもふさわしかった。原町は新興の市でありそれが似合っていたとなる
牛越城にはすでに桜がさいていた。そこは5年で終わった。城というより館があったとなる。

今日は朝周りを廻った。小径に椿が散っていた、あそこの道はいい道である。何か田舎は小径がありいいのである
水無川も流れて桜も咲き気持ちいい、鹿島区にも燕を見た。ただ土手の桜はまだ咲いていない、でも他で咲いているのもある。
咲く時期が違っている。


水無川が今日は流れて桜が咲く、結構水は出ていた。ここの水は清らかである。
ともかく桜は咲いた時から散るを予感する、咲く時期が短いからである

ひさかたの 光のどけき 春の日に静心なく 花の散るらむ 紀友則

静心なくというとき咲いた時から散るのが早いからそうなる。そして桜は咲く場所とか近くでも多様である
それで咲く時期が短いからなかなか見れないのである。桜だと車の方がいい、いろいろな場所に咲くからである
有名な桜の名所も多様だからである。とにかく花見の時期である、相当桜を見てきたがとても日本全国でも近くでも見切れない
それは早く散っていしまうからである


2025年04月05日

会津の悲劇はなぜ起きた【秋月悌次郎詩碑に寄す】 【明治維新は薩摩長州の横暴も美化された過ち】


会津の悲劇はなぜ起きた【秋月悌次郎詩碑に寄す】
【明治維新は薩摩長州の横暴も美化された過ち】


有故潜行北越帰途所得

行無輿兮帰無家 国破孤城乱雀鴉
治不奏功戦無略 微臣有罪複何嗟
聞説天皇元聖明 我公貫日発至誠
恩賜赦書応非遠 幾度額手望京城
思之思之夕達晨 愁満胸臆涙沾巾
風淅瀝兮雲惨澹 何地置君又置親

故ありて北越に潜行し帰途得る所
行くに輿(こし)無く帰るに家無し 国破れて孤城雀鴉(じゃくあ)乱る
治は功を奏せず戦略無し 微臣罪有り複貫日(かんじつ。一貫して)至誠に発す
恩賜の赦書応(まさ)に遠きに非(あら)ざるべし 幾度か手を額(ぬか)にして京城を望む
之を思い之を思うて夕晨(ゆうべあした)に達す 愁(憂い)胸臆に満ち涙巾(きん。手ぬぐい)を沾す(うるおす。濡らす)
風は淅瀝(せきれき)として雲惨澹(さんたん)たり 何(いず)れの地に君を置き又親を置かん


碑の一つ無念を語り雪の降る
会津のもののふの義と忠の心
天皇にも通じるや残さる御歌
王城望み涙流るる悲憤の詩
その悲愁は満ちて雲惨澹たり
国破れて拠るべき無し
その悲涙は氷結して氷柱となる
その慟哭は地に響き天にも達せむ
血をもて地に記されしものの地歴
時を経て天地神明にして正さるべし
会津の峰々秀麗にし連なり
英峰は凛と隠れて聳えぬ
その碑に寒風吹きつくも
峠の道に後の世の形見と残しぬ
そはまた猪苗代湖浪打ち響きつ
白鳥の真白く映えて
その岸に忠節と松は立ちにき
その心は乾坤にも記さるるかな

会津の悲劇がなぜ起きたのか、それは明治維新が何だったのかともなる。それはいろいろ言われるようになった。
確かなことは歴史が勝者の記録であり敗者はないがしろにされる。明治維新は薩摩長州が勝利したのだから時の政権によって
美化されたのである。何か吉田松陰がテロリストと言われるようになったのもそうである
松下村塾はテロリスト集団が集まる場所でありそれが政権を取った人達、高杉晋作の奇兵隊に属していた伊藤博文などが
美化して語られるようになった。それに拍車を駆けたのが司馬遼太郎の小説でありそれは事実でもなく架空でも信じるようになった。そして水戸黄門でも水戸光圀とは実際の人物はかなり悪辣な人物だったというときそのギャップに戸惑う
テレビで架空の人物が作られそれが事実のように思わされる。その弊害が大きいものだった。

明治維新とはやはりマルクスの言う階級闘争だった。それも侍階級のなかでの階級闘争だった。何故なら明治維新の主役は侍の中でも下級武士でありその人達は貧しく身分で生まれつきで未来は決められて上に上がることができなかったからである
身分制社会というときこの辺の野馬追祭りで再現される。なぜなら侍であった家からしか野馬追に出れない、そして身分制社会の厳格な復活の祭りなのである。旗指物でも先祖伝来伝えられたものであり勝手に作れないからである
だから御行列が始まる時自転車でその脇を通ったらひどく叱られた。つまり無礼者として刀で切られることもありえる
そういう身分制が復活するのが野馬追いなのである
そうした身分制社会の厳しさがありいくら侍でも下級武士はその身分制社会で不満が鬱積していたのである。
それは福沢諭吉でも下級武士であり能力があっても上に上がれない不満があった。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は侍の中での上下関係があり身分制があり不満があって生まれた言葉である。ただ会津では侍が薩摩長州軍に責められているときヤーヤー一揆があったのは庶民でも税金に苦しめられてそうなった
だから身分制社会の不満は庶民いもあった。
身分制社会というとき会津市内に徒の町があるというとき東京の上野の御徒町(おかち)と同じである。馬を持たない足軽とかが住んでいた町だとなる。つまり身分によって住む場所も違っていたのである。そして相当に貧しかったのである。冬でも炭すらまともに使えない極貧だったともなる。

明治維新とは何かとなればこうした身分社会に不満な人達が上に上がるために起こしたものでありそれで奇兵隊となると別に侍でなくても成り上がるために足軽であっても参加したのである。そして伊藤博文が首相にまでなったことでもわかる。
彼らはそうして成り上がるために幕府を倒そうとしたのである。要するに侍の中での権力闘争だったのである。
尊王とかはただそうして錦の御旗として薩摩長州がでっち上げたものである。
なぜなら別に会津でも尊王であった

孝明天皇宸翰(こうめいてんのうしんかん)とは、1863年(文久3年)に、八月十八日の政変を行った礼に、会津藩主松平容保に送られた宸翰である。同時に、御製も送られた。これを松平容保は、竹筒に入れ生涯誰にも見せることなく、亡くなった。

たやすからさる世に武士(もののふ)の忠誠のこゝろをよろこひてよめる

「やはらくも 猛き心も 相生の 松の落葉の あらす栄へむ」

「武士と 心あはして 巌をも つらぬきてまし 世々のおもひて」

孝明天皇は公武合体を願っていた。その時会津藩と薩摩藩が官軍で賊軍は長州と藩と攘夷派公卿だった
孝明天皇は36才で急死した。それは長州よりの何者かによって毒殺された疑いがあるとしている

いずれにしろ長州と薩摩の横暴暴虐が明治維新として勝者になったので讃えられるようになった。でも平和裏に大政奉還を徳川幕府が言っていたのだから政権交代できたのである。だから別に会津でもそれほどの犠牲者を出す必要はなかった
それは長州の過激なテロリストと薩摩が合体してそうなった。第一徳川幕府でも明治維新はできた。薩摩長州が先導した結果
会津であれ東北列藩が犠牲になった。そしてその後の戦争も征韓論を主張した吉田松陰や西郷隆盛などにより日本が実行して
太平洋戦争へと向かう原因となっていたのである。薩摩長州の過激な思想が受け継がれてそうなったともなる
歴史は連続継続しているからである。








2025年04月04日

庭の奥に咲く白椿ーみちのくの桜は一分咲き(短歌)


庭の奥に咲く白椿ーみちのくの桜は一分咲き(短歌)

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雨しとと奥に隠れて白椿咲くを見てをり一人籠りぬ

奥に咲く白椿にそ雨雫曇れる日にや籠りけるかな

隠れ咲く白椿かな奥ゆかし我が一人家に籠り見るかな

一つ木に赤と白との椿咲く調和してそ美しきかな

みちのくの桜は一分咲きにしもなお冷たく風の吹くかな

家の前タンポポ咲きぬ通りをたまに人行く街に住むかな


昨日もその前も雨だった。だからめずらしくかなり川に水が出た。結構山の方で雨が降ったのかもしれない
何か冬は家に籠りまだ寒くなり家に籠る。窓から白椿が隠れるように咲くのが見える

椿でも一本の木に二色の赤と白とが咲いているのもめずらしい。その家は医院であrったが空地になった
ただ椿の木は残っている、結構広いと見たがその土地を利用する人はいないだろう
その周りの家も二軒ほど壊され空地となった、とにかく空家と空地が街中でも増えて来るのである

ここの桜は一分咲きである。風が冷たく吹いてきた。昨日よりはあたたかいが風が冷たかった。自転車だと風とかを常に感じる
タンポポが家の前に咲いた。通りをたまに人が通るがほとんど通らない。
ともかく外に出にくいから籠っているとなる

プログとかはその時々のことを放送するのに向いている。桜が咲くのは場所によってずれがあり桜前線があり北上する
西の桜が散ってもみちのくの桜は遅く咲きだす。その変化がいいのである
北海道の稚内では6月に咲いていたからである。

2025年04月03日

国とは何なのか、自然境界から作られた国 【福島県はなぜ地理的一体感を感じないのかー行政的人工的に区切られた県】

国とは何なのか、自然境界から作られた国
【福島県はなぜ地理的一体感を感じないのかー行政的人工的に区切られた県】


そもそも国とは何なのか?クニは区切るに由来するから区切らている一地域だとなる
それで会津のことを語って来たが

会津嶺の国をさ遠み逢(あ)はなはば 偲(しの)ひにせもと紐(ひも)結ばさね

会津嶺というとき会津は山また山の国である、奈良も国のまほろばとなったとき青垣山に囲まれた地域である

倭(やまと)は 国(くに)のまほろば 畳(たた)なづく 青垣(あをがき) 山隠(やまごも)れる 倭(やまと)し美(うるは)し」

これも山で区切られた一地域のことである。つまり山々が自然境界となった一地域が国なのである。日本の場合はそれだけ山が多いからそうなった。
だから福島県を太平洋に面した浜通りがあり中通リがあり会津があるけど一つの国となる地理的一体感がもてないのである
浜通りなら阿武隈山脈(高原)に遮られて中通リの福島市の吾妻山でも見えないから地理的一体感をもてない
つまり人間はまずその地理からアイデンティティ化して精神も形成される。だから心ーこころはここのことなのである
その住んでいる土地と一体化する。だからなぜ日本に小国という地名が多いのか、それは小さな範囲でもそこが国と意識されたからである。国とは今のような大きなもではない。

江戸時代の藩ならある程度は国と意識されたかもしれない、会津は会津藩で大藩である伊達藩も60万石の大藩である
でも伊達藩となると大きすぎるのである。だから違和感を感じるのはなぜ新地が伊達藩に属していたかである
海岸沿いで平坦な地であり何か区切られる地形でもない、ただ阿武隈川は大きいからそこで境界を感じる
つまり地理的には阿武隈川で区切らてそこで別々の国が形成されるとなる。

それはライン川でローマ帝国が侵入できなかった自然境界となったのと同じである。ラテン民族とゲルマン民族の境界となったのと地理的に似ている。たしかに阿武隈川を渡った岩沼から北になると仙台圏に入ったと意識する
それで不動産業の人が岩沼から仙台市の土地は二倍とか高くなると言っていた。岩沼からは仙台圏になるのである
だから地理的に見れば新地は自然的境界でないから正に不自然なものを感じるのである
境界でわかりやすいのは宮城県と山形県の境界が面白山がありそのトンネルが長いからそこで山形県と宮城県の境界だと意識しやすいのである。それで春でも残雪の山が見えるから山国で寒い国だとも意識する
トンネルをぬけると雪国だったともなる。
大陸では平坦な陸地がつづくから大きな川が境界となる、その川をめぐって国が民族が争ったからriverはライバルになる
何か地理がわかりやすいのである。日本は山が多くて地理がわかりにくいのである。

とにかく国とは行政的に区切られた人工的なものではなく本来は地理からみて地形とかに制約されて醸成されたものである。
江戸時代のは藩は地理的に一体感を持つものとして藩があった。ただやはり伊達藩とかなると大きくなりすぎていた。
相馬藩でも古代は磐城国であり今でも磐城太田駅とかあり磐城とつく名が相馬藩内にある。それは浜通リは地理的一体感を持つ地域だからそうなった。

籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ふくし)持ち この岳(をか)に 菜(な)摘(つ)ます児(こ) 家(いへ)告(の)らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(いま)せ われこそは 告らめ 家をも名をも 

この大和は奈良の一地域を指していたのである。それが日本全国に拡大したのである。だから一つの小国が拡大したともなる
ただこの歌は天皇が王が治めるとなった地域であり王が存在して国として意識されたというときまさに国は一地域が囲まれてた地域としてありそこに王が存在して国となった。その王とは天皇だとなる
ただそれは今の国家とは違う相当に狭い範囲である。それは小国とある地名のように狭いのである
そこを国として意識したのである。言ってみればa small humanised countryとなる
だからその時天皇は雲の上にいるような人ではない身近な人だったから庶民と直接は語りかけたとなる

大和には 群山あれど 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島

この香具山は高い山ではない、低い山であり飛鳥という一地域である。全国に国見山がる。南相馬市にもあるがそれは結構高く海岸が相馬市から双葉の方まで見えるのである
でも香具山は152メートルしかない。つまりその山は極めて人間の生活に親しい山なのである
だから小国というのにふさわしいとなる。

ともかく飛鳥―藤原京―平城京と拡大した時その規模も拡大したのである。そうなると人間的サイズではない大きな国と変化したのである。その国は江戸時代の藩から大国家となり何か人間的な小規模の小国の感覚が失われたのである

バス停や小国降り立ちスミレかな

霊山かあ福島市に行くと小国町がある。小国というとき全国にあり狭い範囲を国として意識したのである
うまし国ぞというときそれは人間的なものであり今の巨大国家とは似ても似つかないものだった
江戸時代の藩はまだ自然境界内にありアイデンティティ化することがあったが伊達藩でもすでに巨大化すると地理的一体感なくなえる。だからなぜ新地が伊達藩なのかともなる。
だから廃藩置県になったとき何か不自然なものを感じる。福島県は大きすぎるからである
そして浜通リは吾妻山も見えないしまして会津は全く見えない遠い地域になっている。それで一体感を感じないのである

いずれにしろこうして国は地理的一体感がある狭い地域のことであったが今や仙台市でも百万とか東京でも一千万とかなればそれはクニでもありえない、その巨大都市は怪物的都市であり人間的範囲を越えて東京タワーから眺めれば眩暈がする
国見どころではない。そこはどこなのか別な惑星にでお来た感じになる。それは人間の住む場なのかとなってしまったのである

廃藩置県では二本松県とか磐城県とか会津県とかになる予定があった。それは江戸時代の藩に基づいたものでありそれだと地理的一体感をもてたのである。人間が一体感を感じるのは狭い範囲になる。それが余りにも拡大化して一体感が感じられなくなったのである。つまりもはや人間的感覚をはるかに超えたものでありそこで人間同士でも一体感をもてないあからそこからカルト教団とかナチス的なものが生まれて来たのかとなる。何かヒットラーでも題目でも唱えると偽装でも一体感を演出できるからだとなる






2025年04月02日

人間は環境の影響が大きいー他者の家族の理解の困難 【不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ】


人間は環境の影響が大きいー他者の家族の理解の困難
【不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ】


不幸の原因

●家族の影響
●時代の影響
●その人の資質(遺伝)

何かその人を見ていると不幸だなと感じた。50才くらいで結婚しない、ただこの世代は本当に結婚しない人が多い
その理由はこの世代は氷河期世代で恵まなかった。それもありこの世代の人は本当に不運だった
でも時代の影響はまねがれない、戦争で死んだ若い人も多数いたからである。団塊の世代は辛うじて戦争後に生まれて助かったとなる。つまりわずかに生まれた時代の差でそうなったのである。戦争中は20代で特攻隊で死んだ人がいる
それも悲惨だったのである。だからどういう時代に生まれるかで人生もかなり決められてしまう

その人を見ているとつくづく不幸だなと見る。その家族と付き合う中で分かったのである
その母親は団塊の世代であり同世代である。その母親は子供は厳しくしつけた方がいいとしてその考え方が変わらないのである
老人が頑固だという時考え方が変えられないのである。それで確かに学校で体罰が普通に行われていた
廊下にたたされたりもした。それは団塊の世代でも同じだったのである。その時は学校でも家庭でも子供は厳しくしつけるべきだとなっていたのである。だから今でもその考えは変わらないのである
でもその息子は親が介護になっても優しくしない、それで母親が嘆いている。この家族の不幸は発達障害の子供を持ったことである。それでそ長男に母親がかかりきりになってしまった。弟はないがしろにされたということがある

その人は建築土木現場で働き今は介護施設で働いているのも奇妙である。なぜなら親を介護しているからである
ただ介護といってもまともにしていないから母親が文句を言うのである
とにかくその不幸は家族の影響と時代の影響があり不幸なのである。その人の資質はわからない。でも不幸だと見る
それはその人がどうのこうのではない、環境が悪くて不幸だとなる

私の母親も幼児期は警察署長の家に生まれたから恵まれていたのである。でも事業に手を出して失敗して母も病気になりそこに後妻の人が入って来てその女性が異常なほど気が強く母親はいじめられたのである
子供の時弁当を残したら実の母親ではないから食べられないのかとその弁当を捨てられたのである
その後も紡績工場で働いたが一汁一菜でありそれで十年くらい働いていたのである。働きずめだったのである
そいうこともあり花など興味なく何か趣味もない、ただ働く働かされたのである。ともかくその時代は貧乏であり子供は家の家計のたしになるものとしてあった。今でも貧乏な国はそういうことがある。子供は働き手なのである
私自身も子供の時は店の配達で働いていたのである
つまり時代の影響でありまた家族に影響でそうなった。これらは運命的でありどうにもならないとなる

時代の影響家族の影響は逃れがたくある。その人は時代が氷河期世代であり家族環境も悪い、資質はわからないにしてもいくら資質が良くても才能があってもそんな環境では伸ばせないと見た。
だからどんな家族に生まれ育つかが相当に影響する。カルト教団の家に育った人は全く洗脳されてまるでナチスのようにもなり
紅衛兵にもなっていた。他が全く見えないのである。純粋培養されてそうなった。だから家族の影響はあまりにも影響が大きい

確かにその人の資質はある。でもその人の育つ環境をみるといかに生まれ育った環境の方が大きな影響があったとみる
人間は環境の影響の方が人間形成にしても大きいのかと見る。人間は環境が悪いと打ちのめされる。
いくら資質が良くてもそうである。だから教育でもそもそも環境の影響が大きいとなる
どういう家に育つかでその人も作られてゆく。ただ本当に他者の家族のことでもわからにものだと思った
それを理解するには結構長い時間も必要になる。そして他者の家族でもまた個人的なものでも理解するようになる

ともかくその人を作るのは生まれつきより環境の影響が大きいと見る。特にどんな家族に生まれるかが大きな影響を受ける
ただ家族でもわかりにくいのである。ヨーロッパで貴族から天才が生まれたというけどそれは家庭内で教育があり家庭教師がいて才能を伸ばしたとなる。でも労働者階級からは天才は生まれなかったとなる。
とにかく人間の幸不幸はなぜ生まれるのかこれも謎である。私の父親違いの兄は私の家では良くしなかった。その原因は東京で実の父親が工場の事故で死んだことにあった。そして今度は兄も交通事故で40才で死んだのである。そのことで私は恵まれたから心痛めている。

ただなぜこうして不幸な人がいるのか?それはいくらでもいるだろう。ただどうしてそうなっているのかわからないことがある
例え悪い環境に生まれても育っても立派な人がいる。その人はやはり本当に優れた人だとなる。悪い環境なら別に特別な人に成らなくてもそれだけで立派だともなる。人間はどうしても環境が悪いと歪められるからである
そうして悪い環境でもまともに育てば立派だとなる。

人間はその人を見るときなかなかわかりにくい、私自身の家族もまた他から見たらわかりにくいからである
だからこそ

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ

それぞれに不幸であるというときその不幸も様々であり違っているのである。それが簡単にわからないのである。
まず障害者を持った家族は何らかで不幸になる。その負担が大きいからである。それだけではない不幸になる原因はいろいろある。貧困はわかりやすいがそれだけではないろいろな不幸がある。それが他から見て分かりにくいのである
だから本当は家族を理解することが大事になる。でも理解すること自体簡単にできないのである

,正常なコミュニケーションのなさ家族では,各成員が担う役割に柔軟性がなく,
特定の人物に偏った役割や責任が課せられており,以下のような適切さを欠いた様々な役割が存在していることが述べられている。

これなのか、その一人の人に負担がかかるということは確かである。もし障害者を兄弟にもたなければ負担は分担できたからである。それで一人に負担がかかってしまったのである。そこに不幸があったとなる。
また家系因縁もある。先祖がかかわることもある

先祖代々呪ってやる」というセリフがあるように、強力な怨念は先祖のみならず家系全体へ影響を及ぼす

これは間違いなくある。親戚で私に最後に『ひどい娘だわ』と恨みの言葉を残し直ぐに死んだ人がいる
その娘は本当にひどい人だったのである、だからその怨念が必ず影響する
それで介護でも恨みを残し死ぬとやはり後で怨念となり影響するから困るのである
私の場合は感謝して死んでくれたから死後でも供養できる。遺影は笑っている。恨んではいないからである
これは軽く見ているが恐ろしいことかもしれない。

とにかく不幸という時様々であり理解すること自体簡単ではないのである。貧困だけなら金で解決できるかもしれないが様々な人間関係の中で不幸がありまた幸福があるのは人間なのである。ただ正直そこまで他者が家族に入ることは嫌になる

何か家族の泥沼に引き込まれる。私の家族も一人が認知症になりもう一人も介護になり自分自身も病気で入院二回したとか泥沼になった。その時かえってそうした時今度は金を盗られたとか他者から責められてさらに苦しめられたのが現実だったのである。つまりそういう泥沼に引き込まれるからかかわりたくないというのも現実なのである
カルト教団では確かに相手にするにしても一票を得るとか不幸な人を助けるふりして自分の利益を計るとなる
まともに付き合えば自分に跳ね返ってくる。泥沼に引きずり込まれる恐怖がある。

いずれにしろ問題をかかえない人も家族もいないのかもしれない。ただわかりにくいのである。だから何もできなくても理解することが必要になるがそれもまた簡単にはできないのである。










2025年04月01日

モータリゼーションに適合した商売が生き残った 【鉄道は東京の山の手沿線くらいしか機能していない】


モータリゼーションに適合した商売が生き残った
【鉄道は東京の山の手沿線くらいしか機能していない】


【地方創生が失敗する最大の理由】東京の鉄道資本主義/駅前が中心ではない/
モータリゼーションは90年代から/無料の駐車場/日産低迷


このyoutubeが興味深かった。鉄道の駅前は廃れたのはモータリゼーションのためだった。
駅前の活性化は鉄道に頼ってもできない、駐車場を作り車中心にしないと活性化できない
駅前の活性化とか言う時何か鉄道中心に考える、鉄道をもっと利用しろとかなる
でも鉄道が機能しているのは東京の山手線くらいだとしている。それで東京では東京では地方より車の所有者が少ない。車をもっていないのである。車がなくても生活できるのである。

つまり、駅前を活性化するとなればもっと鉄道に乗れとなるが現実にはそれはできない。
商売で成功したい会社はみんなモータリゼーションに適合した会社であった。大型店はイオンをはじめとしてみんな郊外に大きな駐車場を持ってそれで繁栄したツルハ薬局とかヤマダ電機とか大型電器店でもそうである。
そのために駅前通リは廃れた。それはモータリゼーションの結果であった
だから駅前の活性化は鉄道に頼るより大きな駐車場を作るべきだというのである
鉄道にこだわっていては活性化できないという。それも確かにそうである

鉄道は一本の線でありそれでは用がたせない、縦横に走れない、だから買い物でも鹿島から原町間まで行くのでも電車だと不便なのである。便数も少ないし駅に降りてもそこから用を足すのはめんどうになる。
だから私は自転車で原町に行き買い物する。他の人は車で買い物することに鹿島だと用が足せないとなる
駅前通りが廃れたのは街の通りでも廃れたのはモータリゼーションの結果である。

相馬市は駅前通りは城下町なので作られなかった。でも商店は駅から離れた地区に集まった、駅前通りには集まらなかったのである。その中には広い駐車場を作ったからである。つまり駅前通りで用を足す人はまれになる。
必ず大きな駐車場がないとそこに人が集まらないのである。仙台市ですら駅前のデパートとかが廃れて郊外のショッピングモールとかに車で行くことになる。それだけ車社会でありそれに適合しない商売は成り立たなくなったのである

もはや駅を中心とした街作りはできない。駅ですら大きな駐車場が必要だとなる。つまり車中心に発想することになる
そうしなければ商売が成り立たない社会である。だから別に商売でも駅前通りとか街の通りとかを中心に発想する必要はない
郊外でもいいし辺鄙な場所でもいいとなる。なぜなら車で行けばいいとなるからである、それで必要になるのが駐車場になる。
なぜ磐城太田駅前の総菜屋は客が並んでいるのか?それは離れた場所であり駅前とも全く関係ないのである

その店で売るものがいいから車で遠くから買いに来るのである。また東北中央道で前の店は廃れたがソフトクリーム屋は有名で依然として繁盛している、つまり交通の変化の影響を受けなかったのである。そのソフトクリームを食べたいとなり必ず寄るからである。つまり今の商売は場所に影響されない、これまでは商売は場所に立地に影響されていた、だから駅前とか有利だったのである。でも車社会になると場所の影響がない、車で遠くでも行くからである

ただ常磐高速道路ができて鹿島のSAは賑わう、レストランもあり賑わう、それはSAがあとはいわき市の方に行かないからここで用を足す人が多いからである。でもここは全く街とは関係ないのである。繁盛する場所はSA内だけであり街に波及しない
駅前通りができたのとは違っている。でもモータリゼーション化すると車に適合した社会となった。
車社会を批判しても現実は車社会に適合しないと生きていけなくなったのである。

そもそも車を持たない運転できない人は劣った人にもなる。江戸時代なら馬を持っている人が侍であり馬を持たない人は足軽となり御徒町(おかち)となると馬を持たない歩く人たちが住む場所だったとなる。つまりその身分制は馬を持つ人と持たない人の差でそうなった
だから今は車を持たない人は劣等な人達だとなる。何か自転車だとニートとか障害者とかまた今やトラックの運転手でも怪我したとか老人になり自転車に乗っている。だから確かに車が運転できない人は劣等者になる

だからどこでも駅前通りとかは寂れている。致命的なのは大きな駐車場をもてないことである。だから車社会では不便になり
駅前通りは廃れたとなる。だからいくら鉄道を利用しろと言っても無理である。それは例えば仙台市まで遠くに行く時便利かもしれない、それでも仙台市に行く時車で行っているのである。仙台市の郊外のショッピングモールがあるとしても車でないと行きにくいからである。どうしても鉄道で行けば駅前が中心になり用をたすとなる
とにかくこのyoutubeはわかり安く説明していた、本で読むとなると何か簡単に理解できないことがある
youtubeだと要点がつかみやすいのである。モータリゼーションのことは常に言われてきたことだがそれを明確化して説明した。

とにかく時代に遅れると適合しないとかは技術の進歩と関係している。技術の進歩で大きく社会が変わる。
インターネットでも社会がこれほど変わるということにも驚いた。70以上の人はスマホでもしていないから
現代の情報社会から取り残されることはある。それは車を否定しても車社会になったらそれに適合しな人は劣った人にされてしまうのである。それが結構怖いことなのである。

例えば石器時代の人が鉄の時代になった時依然として石器を使っているとなるその差が大きいのである
今は情報化社会でありこれに適合しないと取り残されるともなる。70才以上が不利なのはIT社会に適合できない
スマホすらできないとなる。それで情報弱者になる。社会から取り残されるともなる
こういうことは常にあり老人はこれまで経験したことで有利でも新しい社会に適合できなくなる
それで時代から取り残されるとなる。そうなるとますます老人は役に立たないとか無駄だとされる
ただ老人は社会の変化についていけない、そういうことが常にあり不利なのである

何か街の活性化というとき通りとかを考えるが車社会に適合しないと活性化しないのが現実である。歩かない社会になっているからである。それで南相馬市でもか鹿島区でも真野川沿いに通りを作ってもほとんど人が通らないのである
またどこの街の通りでも人が歩くのを見るのがまれなのである。これまでの街は歩く人を対象に作られていた
その肝心の歩く人がいないのだから活性化しないとなる。ただ大きな駐車所がありそこに車を止めて街の通りを歩くということはある。でもどうしても郊外の大型店で用を足すとなる。ただ老人が増えると車が乗れなくなると買い物でも不便になる
だから高齢化社会でかえって車社会は不便なものとなる。それで何らかの変化がまた生まれるかもしれない。






posted by 天華 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

介護の重圧で社会崩壊−介護しても報われない? 【介護が主になる社会が成り立つのか】

介護の重圧で社会崩壊−介護しても報われない?
【介護が主になる社会が成り立つのか】

総務省の調査によると、年間10万人以上が介護を理由に離職しているといわれています。介護離職の最大の問題は収入が絶たれることで、その後の生活が困窮することです。

もう限界だ…「年金月13万円」60歳元サラリーマン、88歳父と85歳母を残し、初めて実家から出る決意をした絶望的事情


今介護で苦しんでいる人がどれだけいるのか?それは自分も身をもってしったからわかる。まず仕事ができなくなるという時
仕事に集中できなくなるからである。注意散漫になってしまう。そして、仕事を辞めると収入がなくなり苦しくなる。
介護は片手間でやれるようなものではない。全精力が介護によって奪われてしまう。それを私は親2人で経験している。一人は重い認知症であったしそのもう一人は五年くらい寝たきりであった。私自身は別に仕事もしていないし、金には恵まれていたけれどもその間に何か集中してやれることができなくなった。それだけ介護に精力が奪われてしまうのである。

今知っている人は母親が歩くこともままならず杖ついをついてやっと歩いている。その息子は建築関係の仕事をしていたがそれをやめて介護関係の仕事をしている。親の介護をしなければならないのに他人の介護をしているというのも奇妙である。

また、隣の人は22、3歳で祖父の。介護をしている。ただ親2人は働いているから。金銭的には余裕があるかもしれない。ただ貴重な若い時を介護に費やすというのどうかと見ている?ヤングケアラーも問題になっている。

ともか、ともかく地方の仕事が介護になるという時そんなことで社会が成り立つのかともみる。これからますます介護される人は増える。団塊の世代が多いのだからそうなる。私自身の場合でも約十年間くらい介護に費やされた。
それはやはり、並大抵のものではなかった。だから仕事をしていて介護と両立するということは、かなり難しい。
なぜならその消耗度が大きいからである。それでも、親が死んで介護も終わってからでも何か何年かは尾を引いていた
精神的に相当に消耗したのである。それ以来、私は自由に旅していたが全く旅もできなくなった。

ただ、私の場合は特別恵まれていて、自由に旅したからそれで恨むことはなかった。でもほかの人は皆そうでないから介護することに相当な不満が生まれる。だから、知っている人は親の介護をなおざりにしている。それで親は嘆いている。
介護の負担は金銭的なものも大きいが、また精神的負担も大きいのである。だから介護は仕事と両立することがなかなか難しい。その人は金銭的にももともと貧困家庭でありそれに加えて、介護になった時金がないので余計に苦しくなったのである。

ただ、隣の人は金銭的には問題ないし、仕事もしていないのだから負担はないが、何か青春の貴重な時間を介護に奪われているという問題はある。ただ、それは気づかれていない。あとで損したとなるかもしれない。ただ、ニートとか引きこもりが増えているからそういう人だとするとそれが仕事にもなるのかとなる。
ともかく介護が主な仕事になるというときそれは事実でありでもそんな社会が成り立つのだろうかとかなる。

介護の問題は結構時間的に長いことである五年は確実にかかり十年も介護している人もいる。つまり、すぐには死ないのである。今は医療でも手厚くしているから簡単には死なない。その人は体が苦しいから死にたいと言ってもすぐには死なないのである。だから、本人にとっても苦しいとなる。簡単に死ぬわけにもいかないのである。
介護は実際は 2人いると楽になる。交代でできるから、楽になるのである。でもそれだけの人を確保できることは、なかなかない。それで、一人の人に負担がかかってくるのである。そしてまたそれぞれの家庭状況でも違ってくる。

私の場合は特別よくされたから当然だと思って介護していたのである。でも、ほかの人はみんなそうではない。それでその人はなぜ親の介護をまともにしたくないかといえばそんなに親によくされていないからである。それは兄弟に精神障害者を持ったために、そうなったのである。本当はその障害者が一番世話になったのだから面倒見ればいいのだが、それができないから悲劇だったのである。つまり介護というのそれぞれの家庭の事情によってさまざまな問題が起きてくるのである。

ともかく、介護は家庭内問題として解決し得なくなり社会問題となるのである。その数も多いからである。特に、団塊の世代が介護になる時数が多いから社会の重圧になる。そして不幸なのは団塊の世代の子供たちであり氷河期世代であり恵まれない時代の人だった事である。その人たちの数も多いから、老人になった時、さらに深刻な問題となってしまう。
金銭的にもさらに苦しくなる。
これが個々人の家庭の問題ではなく社会問題になる時それだけの数の人が介護していれば社会自体が生産的活動はできなくなってしまう。そして、ますます日本貧困化してくるという問題がある。
だから、介護が主な仕事になるというとき、そんな社会が成り立つのだろうかとなる。

介護の苦しみの根源は、「報われない」ということにあるのではないかと思います。

どんなに自分を犠牲にしても誰からも褒められない。
感謝の言葉もない。
良かれと思ってしたことが、受け入れられない。

献身的に介護しているのに、ひどい言葉をぶつけられることさえあります。

誰もわかってくれない介護のつらさをどうするか?ギリギリからの解放

確かに。報われないということが大きな問題かもしれない。 別に私の場合は。報われたのである。死ぬ時 感謝してくれたからである。 それは元々私は特別よくされたから介護することも当然だと思っていたし結果的に相手も感謝してくれたから救われたのである。 だから、私の場合は介護て報われたとなる。 でも、ほかの人はどうかとなればみんな事情が違うから私のようにならないのである。

例えば、ヤングケアラーとこなれば後で親を祖父母でも、恨むようになるかもしれない。 その時々に人間はすることがあり、それをしないとあとで永遠にできなくなってしまう。 だから、あの時青春時代をその時間を奪われたとして、恨むようになるかもしれないのである。 そして、そのことを介護したからとして 何か人から褒められるわけでもないし。 スキルを身につけるわけでもない。 ただ、何かしらの経験したことで無駄ではないかもしれない。 でも時間は貴重でありその時の時間は帰ってこないから後で恨む時間を奪われたとして恨むかもしれない。  

つまり、介護は報われないということが大きな問題になる。例えば、ほかの仕事なら何かスキルが身につくとか勉強していれば、何か将来のために役に立つとかある。 それが介護にはないから、問題ともなる。 将来介護の仕事するからと言ってそれは確かに多少役立つにしても別に介護の仕事につくわけではないから。 また、介護が社会人とって価値ある物として見られていないから 介護の経験もただ浪費なのかとなってしまう。

2025年03月31日

会津の心(詩)ー【風土と地理から見る会津−会津は古代から一つの国だった】


会津の心(詩)ー【風土と地理から見る会津−会津は古代から一つの国だった】

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会津の心

会津の土を踏み
会津の山を見上げ
会津の大川の流れの岸に立ち
そのひびきそ良しも
城の街中にありぬ
あわれしとしとと雨降り
桐の花は濡れ誰が眠る墓や
更に奥に激流は磐を打ち轟き
鬼百合四五輪燃え咲きにけるかな
七つ岳や夏の日映えぬ
蒲生岳鋭く聳えて燕飛び交う
会津の古沼に潜むは何そ
会津の奥残る曲屋に
白い蕎麦の花咲き
なお暮らしのあれや
落葉踏み社の古りぬ
立木観音真直ぐに立ち厳しく
土地の人々祈りけるかな
歴代の会津藩士の墓所や
何を語るや共に眠りぬ
しんしんと雪は降り
悲しくもあれ踏みにじられし歴史
その傷痕は深く消えず残りぬ
会津の深き雪を自ら踏み
会津の心を知りぬ
水清く雪清く心洗われる地
その真白き雪は穢れを拒む
一本の古木や芯太く年輪重ね
この地に根付き直ぐに立ち
強くも直き心にしあれ
人の心もここに養われぬ
ならぬものはならぬ
その意志強くも立ちにけるかな


会津とは何かというとき地理と風土から見る。ただ行政的単位ではなく風土と地理に根ざして育まれたアイデンティティ化したものとしての国を見て心を見る。それで(風土)のように見る。それが色濃く現れているのが会津だとなる

会津嶺の 国をさ遠み 逢わなはば 偲びにせもと 紐結ばさね

会津は東北では一番古い地域であり国として意識されていたのである。茨城県とかでも国として意識されていない
つまり東北では一番古い場所であり国として意識された場所だとなる。

四世紀の始めに、崇神(すじん)天皇が四方の敵を討つために、四道(しどう)将軍を派遣した。大彦命(おおひこみこと)は北陸道をすすみ、武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東国に進軍した。そして、二人は会津で出会った。それで、「相津(あいづ)」の地名ができた。

斉明天皇4年(658年)4月に越国守であった比羅夫船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。また、有間浜で渡島の蝦夷を饗応している

日本海側は太平洋側より早く開けた。それは海が比較的穏やかであったからである。それで安倍氏が飽田・渟代−秋田、能代まで船で行ったとなる。つまり日本海側から交通でもあり開けた。逆さ地図で見れば韓半島でも大陸でも船で行き来できたから
出雲に国引き神話が生まれたのが必然だった。渤海国などの交流もあったのもそうである
何か交通でも錯覚する。日本海は何か今になると陽が沈む淋しい地域に見える。でも古代でも江戸時代でも船による航海が盛んであった。それは日本海が冬でなければ太平洋とは違って穏やかだったからだと見る
北前船も日本海側を行き来したからである。

また一方でなぜ毛野氏が大きな勢力を持っていたのか?それは日本では最初は縄文人は山とか森に棲んでいた
毛野氏の領域は高い山もある山間地域である。飯館村でも縄文中期の遺跡が発掘されたとか山側が古いのである。

志賀高穴穂朝の御世に瑞籬朝の五世孫賀我別王を以って国造に定め賜う

毛野氏でも賀我は加賀別王がかかわり浜通リの南相馬市の鹿島区に浮田国造が設置されたのはなぜだろうとなる。
賀我別とは今の加賀地方であり日本海に接している。毛野氏の勢力が大きいからこそ浮田国造が設置された

いずれにしろ会津も山深いけど栃木群馬県も山深い。それも高い山が多い。山が多いから日本の地理はわかりにくいのである。
会津は山がそれも高い山ひしめいているから浜通リからするとさらにわかりにくくなる。
舘岩となるかなり奥地だが隣に栃木県の山が聳え群馬県と連なり山また山なのである。
会津は東北で唯一国として意識されたのは群馬栃木県の山側の毛野氏の領域がありそこが日本海側にも通じていた所である
青森の三内丸山の縄文遺跡からヒスイが発見されたのもそのためである。
会津はやはり東北で最初の国となったのは日本海側からみれば納得する。また毛野氏の栃木県と群馬県と山つづきであり
そうした地理から古代に大塚山古墳に三角縁神獣鏡が唯一発見された

会津の地が大和政権の支配下に組み込まれたのは7世紀の阿倍比羅夫の東北遠征以降であるという従来の説は覆され、古墳の造営された4世紀末にはすでにヤマト王権を構成する首長が存在していたことが証明された。
それだけ古い地域だったのである。

こうして空間軸と時間軸で解読する。会津がわかりにくいのはまた日本がわかりにくいのは山が多いから見遠し効かない、それでわかりにくいのである。ただその地を踏まない限りその土地のことは理解できないことは確かである。
日本国内でもそうだが外国だと余計にそうなる。実地にその地を一回でも踏まないと実感できないのである

ともかく会津は古代から一つの国として意識されていた。それで桐の箪笥とか会津塗とか木地師の歴史がある。あとはソバが有名である。落人の里として知られる桧枝岐とかなると隔絶していて米は食べず蕎麦が主食だったとなる

一つの国として文化も養成された場所だとなる。それはドイツとも似ている。そこも風土的に歴史的に形成されたからである
寒い地期なのも似ているのである。ただドイツにしても平野が広いから日本とは違う、日本は大和であり山が多い。
その山が多いいから山に遮られて地理がわかりにくいのである。

なぜ会津であれボッシン戦争でうまく対処できなかったのか、それは余りにも融通性がない真面目実直なのが東北の武士であり
それで横暴な薩長軍にうまく対処できなかった。うまく交渉すれば白虎隊が二本松少年兵の悲劇はなかったとされる
世良をうまくおだててもあしらえば悲劇はなかったとする。東北人には何かそうして交渉するにも商人的なものがなく
悲劇になったと明治維新という過ち(原田伊織)で言っている。明治維新でうまく立ちまれずそれで会津の悲劇も生まれた
それと比べると伊達政宗は芝居気があり秀吉との交渉でもうまくいったのである。ただ伊達政宗はとても東北人と思えない人だったのである。だからめずらしいとなる。

会津でも融通性がないというときならぬものはならぬというときただ頑固になっている。そういう気質は風土と山国で培われたのかとのなる。海に面していれば開放的になるのか、伊達政宗は海に面してそうなったのかとなる
その場所に寄り形成されるものがあることは確かである




2025年03月30日

様々な継続されて解消しないカルマ 【地理的風土的歴史的カルマー個々人の家族のカルマ】


様々な継続されて解消しないカルマ
【地理的風土的歴史的カルマー個々人の家族のカルマ】

●様々なカルマ

●遺伝的カルマ
●家族のカルマ
●個々人の行為のカルマ
●土地土地のカルマ
●国々のカルマ

遺伝的カルマは逃れがたくある。私自身は蓄膿症の手術を二回している。だから頭がさえず学校の成績も悪かった。
蓄膿症は頭脳に相当影響する。私の母親も蓄膿症があり遺伝だった。他でも何か先天的に体が悪い人が必ずいる。
それも様々でありなかなか他人のことはわかりにくい、病気も多様であり理解できないのである。
これは一生苦しむ、なぜ去年の異常な暑さで鼻が悪くなり舌が乾くとかそれが未だに完治しないのもそのためである
体の遺伝は死ぬまである。それぞれに体に弱点を持っているからである
だから何らか病気は遺伝と関係しているカルマなのである。

家族のカルマという時これも家族も一様ではない多様でありなかなか他者の家族は理解しにくい。家族はみんな違っていてその不幸もみんな違っているとなる。私自身の家族も複雑で他者に理解できないものだった。たあだれが悪いとは自分にはなっていなかった。成り行きでそうなったとなる。
その家族は障害者をもちその苦労は並大抵のものではない、延々と50過ぎたその息子を心配し世話するとなるとそれも大変な苦労になる。その人は貧困に苦しめ続けられてもいる。そして今は病気になって苦しいとなる
なぜそんなに苦労が課せられているのだろうとなる。何か呪われているのだろうかとも見る
でもそういう人は家族でもそれなりにいる。

カルマは行為のことである。だからその個々人の行為がカルマとなる。何かしら罪を犯すのが人間でありカルマとなる。若気の至りで後年にそれがカルマとなり現れることもある。そうした行為は消えるわけではないからである
土地土地のカルマもある。その土地には山側に住んでいれば山津波に襲われ海岸に住んでいれば大津波に襲われ甚大な被害があった。それは必ず繰り返されてくるから土地のカルマなのである。
この辺では相馬藩政記で400年前に700人人生波(津波)で溺死したという記録があった。それも忘れられていた
自然災害も実際は周期的にやってくるカルマなのである。その土地土地の地形風土により災害が繰り返されてきたのである

●民族抗争のカルマ

国々のカルマでも地理地形とか風土とかが異なり災いが繰り返される。それは自然災害だけではない、戦争も繰り返されている
大陸だと民族抗争が絶え間なくありそれが継続される。ウクライナとロシアの戦争も民族抗争でもある。大陸では多様な民族が抗争を繰り返した歴史でありそれも継続されているのである。
youtubeで奴隷化された民族の国の悲惨なことが映像化しているからその残酷さをリアルに知る
ヨーロッパの女性も白人もイスラムに奴隷化されて売られていたことがありバイキングが侵入して女性が奴隷化される
奴隷はまさに大陸の歴史でありそれでスラブ人とスレーブであり奴隷民族だとなる

つまり大陸欧米の歴史は奴隷と切り離せずある。日本にそれがなかたのは海に囲まれて侵略できなかったからである
大陸では凄まじい民族抗争があり継続される。だからこそジェノサイドとか民族絶滅の戦争とかある。絶えざる民族抗争の歴史である。それで中国では敵が墓に入っても暴き出し罰する。一方は日本では敵味方塚として供養している
戊辰戦争でも東北でも西の侍でも手厚く葬り墓を作っているからである。

つまり日本には苛烈な民族抗争はなかったとなる
中国でも苛烈な民族抗争がある。漢人がメインとしても他に多様な民族があり言葉があるから音では通じないから漢字を共通語とした。テレビのテロップでも漢字を流しているからである。それだけ音だけでは通じないからそうなった
このカルマも延々と立いる気では続く、アメリカでも移民国家だというとき多様な民族が混交している
黒人はまさにアフリカから連れてこられた奴隷である。そうななったのそういう歴史の継続としてそうなった
つまりカルマだったとなる。だから多様な民族が混交するアメリカを一つにまとめることは難しいとなる

●複合的に起きるカルマ

カルマはまた複合的にも起こる。南相馬市小高の人は原発事故で避難区域になり住めなくなった。その人は原町区の空家を買い住んだが病気になり仕事で息子が仙台市に住むようになり難しい病気なので仙台市の病院に入院した。年齢も70才とかである
そして熟年離婚もしていて妻は息子と暮らしばらばらになった。この苦難も原発事故という土地のカルマがあり過去の家族のカルマがありと複合的カルマが重なりそうなった。そこには原発事故だけは原因ではないその人自身のカルマが行為があってそうなった。それは自分の家族の苦難もやはり家族のカルマがありそうなった

ある人は事業に失敗して借金をして苦しむがそれもやはりカルマが関係していたとなる。何らかその家が持っているカルマがありそうなった。それは自分の家族でもそうだった
要するに人間の苦しみはカルマから来ている。そのカルマも多様であるからわかりにくいのである
そうしたカルマを解消しようとしても簡単にできない、遺伝的カルマとなればいくら医者でも直せないからである
人間は生まれた時からカルマを背負っている。そしてその後も個々人で行為がりそれでカルマを積んでいる
悪行は罪の行為はカルマとなり清算が強いられる。そのままでは終わらない消えないのである
ただそのためにカルト宗教団体に入ったりするとその団体自体がカルマを積んでいるから実際はその団体のカルマも背負い二重三重の苦しみとなる。カルマはさらに負荷されるのである。

●解消できないカルマ

いずれにしろカルマは苦しまなければ解消しない、それも並大抵ではない、私自身が介護とかで四苦八苦したことを書いてきた
でも何とか終えたがその期間十数年にもなる。カルマは簡単に消えないのである
原発事故でもプルトニウムは二万年消えないとなりそんな長い期間のカルマをこの辺では背負ったのである
それが土地のカルマとなったのである。

人間はおそらく死なない限りカルマは解消できない、遺伝的なものでも治らないで苦しむが死ねば解放されるとなる
明かに直しようがない病気がある、老いは病気でもあり直せないのである。貧困は何とか将来的なくせるとして病気は依然として全部が直せないし老化自体が病気になることでもある。でも老化を直すことはできないのである
だからこの世は苦界なのである。地獄だともなる。そうした苦しみから解放できないからである
そもそもなぜこうして苦界に生まれねならなかったのか?それは何らかの因縁なのか何なのかわからないのである

ともかく生きるとはカルマを積むことである。善行を積むより人間の行為自体がカルマになりそれが苦を後でもたらすことになる。善を行うとしても悪を行うとなる。カルマの解消は神の国でしか解消されないとなる
カルマは世の終わりまで繰り返される。最後は人類絶滅戦争のハルマゲドンで終わりとなる。そのとき人類のカルマは解消するのかとなる。

死は愚かさの一つの終わり

一つの愚かさの終わり
石は愚かを成さず
石は誤謬を犯さない
石は何も成さず
人は成して成して
愚かさを重ねて
遂に死して一つの愚かさが終る
集団も愚かさの集約
無益な労働、戦争の人命の消費
死体の山を築き終る
人類の大いなる誤謬
壮大な愚かさの終わり
人間のように無益を成さぬもの
自然には壮大な愚行はない
ただ己が分を守り生きる
神の定めし法則からはずれない
それぞれの分を尽くして終る
雀は雀、鴨は鴨、白鳥は白鳥
それぞれは争うことはない
無益な争い、消耗は自然にはない
内面と外面が一致して
単純にして明快
石は何も成さず
無益な愚行はなく留まる
人間は死して愚行が終る
カルマが消滅する
死もまた幸いなるかな
死者は賢く生者を見守れ
死者はもはや愚行を成さず
故に死者も幸いなり

人間の行為がカルマになりそれが延々と消えない、自然は神の法則の中にありそれをはずれることはない、人間の愚行は繰り返す
それは終わることがない。カルマは行為であり繰り返すとなる。それ故に人間の苦しみも終わらない、カルマは消失しない
延々と繰り返すのである。何故諺が今でも活きているのか、それは人間自体は変わらないからである。科学技術が進歩しても人間自体が変わらないから依然としてカルマは消えない愚行は続く。だから絶望にもなる。人類は滅びて新しい人間が生まれない限り愚行がありカルマはくりかえしてゆく。それを止める方法がないとなる。
善行を行うより必ず人間の行為は悪を無し罪を犯すようにできている
だから行為は必ずカルマとなり後で苦しみとなって現れるのである















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2025年03月29日

グローバル企業の社長は情もないサイコパス? 【東電の原発事故とグローバル企業の世界支配の共通性】


グローバル企業の社長は情もないサイコパス?
【東電の原発事故とグローバル企業の世界支配の共通性】

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【世界を支配する超富豪!世界経済破壊の自己矛盾を抱えている】
何兆円稼いでもまだ欲しい!大富豪は、しょせん最大多数から搾取

巨大企業などが地域社会をつぶす (原発事故も東電による地域破壊)


インターネットの機能で有効なのはリンクすることである。そのリンクによって理解を深める
人間はあることには詳しくてもあらゆることに詳しくなれない、それで必ず知識でも補うことが必要になる
それは別にその人との一部見解の相違があってもできる、右左関係なくできる
必要なことは反対意見でも知識を深めることである。なぜ加治将一氏の意見が参考になるのかそれはアメリカで十五年も会社を経営していたことである。それが学者とは違う、肌でアメリカを知り世界を知っているとなる

だから今世界を支配しているのは誰なのかというときわずかの大富豪でありそれは国家を越えた存在でありその目的は金もうけだけでありそれしか眼中になく一つの国の国家予算くらいの何十兆円の金をもっている
その人たちは冷酷であり他人への愛情など無視して金儲けだけを目的としている。でもサイコパスでも人ができないと思うことでも成功させる能力がある。
その人たちには国家とかはない、国家はむしろ大企業に従属させるものである。国家より大企業が上なのである

それは東電が自治体より上となり東電の企業城下町となったのと似ている。そのことを前に書いていたのでなるほどと思った
つまり私の書いていたこととリンクして読むと理解が深まる。
グローバル大企業に世界が支配されるということがどうなるのか、そのことは追求してきた。ただ問題が大きいので分かりにくいのである。ともかくグローバル大企業の問題は国々でも血の通った人間が住んでいるとしてもすべて金儲けの手段になってしまう。それは国家を越えてそうであり東電が一市町村より上であり支配したのと似ている
グローバル大企業となると国家を無視する地方の自治体も無視できる巨大企業である

国家とは国民がいて成り立ち市町村でも市民が町民が村民がいて成り立つ、だからその配慮が必要になる
でもグローバル大企業はそうしたものはなく金儲けに特化して支配する。だからその土地土地の自然でも文化でも無視する
別にそのグローバル会社の社長は一国にも一地域にも住んでない、世界中に別荘を持って住んでいる
その人たちには国家はない国家はただ金儲けのためにあるだけだとなる
だから非情でありただ金儲けに徹するだけなのである。だからサイコパスであるとしている。非情になり世界の人間でもすべて金儲けの手段としか見ないとなる。それができるからこそグローバル大企業になったとなる

これは陰謀論でもない事実である。現代の支配者は誰なのかということである。政治家なのかとなるとそれよりこうしたグローバル大企業でありその社長だとなる。それが国家より上になる。そしてその莫大な富は政治家にマスコミにばらまかれて批判できないようにする。だから国民にとって有害なサントリーとかビール会社を加治氏は批判している
そのウエスキ―会社が相馬市の玉野村にできるというときも巨大な企業の配下となる。農業だけでは成り立たないから企業を誘致することになる。でもそれは有害なことでは原発と同じものともなる。ただ電気は有害とはならないのは違っている

いずれにしろ現代の問題はグローバルに必ず関係する。このように一地域でも必ずグローバルに関係してくる
だからグローバルな理解が必要になる。それがなかなかわかりにくいのが問題なのである
ただこの辺では原発事故で地域が破壊されたことで具体的痛みを経験したから似たものとしてグローバル企業を見る
グローカルというときグローバルなものとローカルなものが一体化した言葉であることもそのためである

グローバル企業だと土着するものではない第一そこに住んでいないからである。だから自然破壊しても別な地域に住みまた別な国であれ地域でもうければいいとなる。ただ原発は日本国家の存亡になったから違っている。吉田所長が東北には住めなくなると言ったときそうである。でもグローバル企業は一国が滅びても他の国で儲ければいいとなる。別にそこに住む必要はないからである。投資家のジム・ロジャーズはシンガポールに住んでいる、ただシンガポールが国かどうかなのかわからない
国という時はその国土から歴史から様々な要素で時間をかけて作られたものであり一企業とは違うからである
だから単なる経済的単位として見れないのである。

そもそもトランプ大統領が国と国の関係もデールとして商売としての関係だというときそれが世界に通用するのかとなる
それは他国でもグローバル企業と金儲けのためにあるとなってしまう。金が儲からなければ切るとなる
これも金の切れ目が縁の切れ目だとなる。イーロンマスクはまさに政府の中の重要ポストに入り込みグローバル企業が政府を動かし支配するともなる。だからトランプと相性がいいとなる。
ただそれで国際関係が成り立つのかとなる。いずれにしろもはやアメリカは世界の指導者の役割を担えないからこそ
世界的にもいろいろな問題が起きている。



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2025年03月28日

時間の大切さがわからないー何に時間を費やしたかが人生 【海外旅行は金より体力+時間が必要だった】

時間の大切さがわからないー何に時間を費やしたかが人生

【海外旅行は金より体力+時間が必要だった】

人生でもっとも大切なことは、思い出をたくさんつくることです。なぜなら、自分の人生の最後に残るものは、お金ではなく思い出だからです

●時間の貴重さが金のように意識できない

人間は人間は時間の大事さがわからない。常に金のことは十円でも意識する。金が貴重なことは生活の中で身に染みて理解する
でも金のように時間の貴重さを意識しない、時間はいくらでもあるとなりそれが30才過ぎる辺りから時間がないと意識される
なぜなら40才になると白髪が出てきたりするからである。そうなれば老いでも意識するようになる
死すらまじかだともなる。青春はあっというまに過ぎる。女性でも30過ぎるとおばさんにもなる
時間などいくらでもあると時間の貴重さを意識できない、それが盲点なのである。

それは現代だけではない昔から言われたことであり人間はやはりいろいろ変わっても老いて死ぬことは変わりないから現代でも諺でも聖賢の教えでも廃れず残り通用する。諺でも馬鹿にできないのは人間が生きて死ぬということを経験することは同じであり今いくら寿命が伸びたとしても同じなのである。寿命が20年伸びたとしてもやはり生きる時間は短いと感じる
とにかく時間の価値は意識しにくいのである。それは老人になった否応なく意識させられる
つまり何するにも時間がない、つまり最後は時間切れで死ぬということである。死ぬとは健康が失われるというだけではなく
生きる時間はなくなることである。だからいくら金があってもその金を使えないということがある

何か新しいものを機械でも操作できないということがある、それを使いこなせないということがある
老人は携帯は使える、私の母は90才でも携帯が使えたからである。ただ番号を押せばいいのだから意外とできたのである。
でもスマホとなると面倒になるから使えないとなる。それでいくら金があって買えてもその操作が難しく使えないとかなる
それには時間がかかるからである。私自身もプログをSSL化しないのは操作がめんどうになるかしていなかったのが失敗だった
何か老人になると面倒になる、それで億劫ななる、若い時は新しいものに飛びつく

私は悪筆だからワープロをしてそれに通信機能がついていたことで早い時期からパソコン通信でもしていた
面倒なものでもしていたのは私の場合引きこもりで暇だからできたのである。つまりここでも時間が関係していたのである
何か習得するにも常に時間がかかる。金もかかるとしても時間もかかる。時間がかかるというとき手間もかかる
その時間がいくらでもあると思っているがその時間も消失する。

●金より体力と時間が大事なこともあった

金+体力+時間=経験になる。確かに金がなければ何か学ぶにしてもできないことがある。本を買うにも金がかかるとかある
旅行するにも金がかかる。それで失敗したのは海外旅行が円高で金がかからない時代があった。そのとき貧乏人でもフリーターとかでも世界を旅行していたのである。その時金が無くても世界旅行できたのである
私は50才過ぎてバックパッカーになって世界旅行した。でもその時でも外国のことがわからなくて金がかかると思っていたのである。

なぜそうなったかというと私は日本国内でも旅行するので困ったのが泊る旅館とホテル代だったのである
いつも安い宿を探していたから疲れたのである。それで海外に行っても安宿を探していた
ただヨーロッパだと意外と安いホテルが多い、それはユースホステルとか千円で泊まれるとか老人でも泊っている
また個室ではないにしろ安い若者向きのホテルがある。だから金がかからないかった。でもアジアでも金がかかると思い節約していたのが失敗だった。金よりむしろ体力があれば若ければ海外旅行は意外とできたのである
それは円高時代だったからである。今になると苦しくなる。だからその時海外旅行した人は得だった、恵まれていたとなる

金+体力+時間=経験となるが若い時は金が無くても体力と時間がある。老人は金があっても体力がない時間もなくなり
何かきついことはできなくなる。でも海外旅行は金がなくてもなんとかフリーターでもできたのである。
だからその時代は恵まれていたとなる。金の問題として私の場合恵まれていたのだがやはり親は実際は金がありその金を使わしてくれればもっとできることがあった。遺産をもらったのは60以降であり遅かったからである
だから親でもやはり子供に金を使わせるべきだったなる。ただ私は十分に過分に親にあたえてもらったから文句は言えない
でも何か60過ぎて70近くになって金があればもっと金を与えてくれればよかったとなる

つまり親でも金を使うべき時に子供に与えてくれなければ時間がなくなり金を使えず何もできないとなる
第一70過ぎてから海外旅行するとなるといくら金があっても苦しくなるからしたくないとなる
だからいくら金があてもそれを有効に使わないと使えなくなる。そして日本人は死んで使わない金を膨大に残している
それは生きているうちに子供で与えれば良かったとなる。

●何であれ何に時間を費やしたかが人生

とにかく人生は誰でも失敗がある、失敗がない後悔がない人はいない、それは時間でも体力でもありつづけると思っていることである。30過ぎると体力でも落ちてくる、だからこそ鉄は熱い内に打てとなる。激しい運動はできなくなるからである
そして人生が最後に残るのが思い出だけだとなる時その思い出を作る経験が大事になる
だから会社員で30年でも過ごしたとすればそれが人生でありそこに時間が費やされたのだから社畜であれそれがあなたの人生だったとなってしまう。そんなことしたくなかった、金のために仕方なかったとしてもつまり人生とは何に時間を費やしたかが人生だとなってしまう。それが老人になり思い出になってしまうのである

その会社で共に長く働いたとなればそれが思い出となりその思い出を語ることになる
それが何であれ人生だったなってしまう。会社での30年40年であれそれだけの時間を費やしたのだからそれが人生だったとなる
だからそこで費やした時間が無駄だったとなればその人生は何になるのかとなる
カルト教団であれそこにやはり会社に尽くすように働いた人はやはりそれが間違っていてもそれが人生だったとなることは怖いとなる。でも老人になれば否定できないとなる。若い内は方向転換できたけど年を取るにつれてできなくなる
もうその時は新しく何かをする時間が消失したとなる。

だから人生とは何に時間を費やしたかである。旅に時間を費やせば芭蕉のように人生は旅だとなってしまうのである
ただ様々な人生がある、でも何に時間を費やしたかが人生であることは確かである。何か原発事故で浪江町の津島の方で
戦後引揚者が入って来て苦労して畑でも作り共に苦労した仲間いてそこで暮らしたいという時そこで時間を費やしたから
それが人生となり思い出となったから離れたくないとなったのである

それは原発事故の避難区域ではそうなった。確かに新しい土地に移り生活して便利になっても実際苦労して共に働いた場所が人生の時間を費やした場所でありそれでそこに住みたいとなった
新しい所は便利でも若い人なら新しく経験して思い出が作れるが老人にはその時間がなくなったからである
つまりそうした人生の思い出を奪ったことが大きな被害でありそれを金で穴埋めできないとなった
つまり新しい土地でやり直す経験する時間が老人には消失したからである。

ただ空間では同じ場所に暮らしても20年であれ30年であれ交流がないと理解できなくなる
空間を共有してもその空間で共に時間を費やすことがないと相手を理解できなくなる
だから空間を共有しても時間では別々なのものに費やしているから近くでも理解できなくなる
それは現代では職業でも多様でありまた移動社会だから空間を共有するとしても福島県とか仙台市の人とかでも仕事に来る
だから昔の村のような狭い土地に密着して暮らす農民社会とは違ったものになる
隣は何をする人ぞとなりやすいのである。そこから近くでも理解しにくくなるのである









2025年03月27日

人間は無報酬(金なしでは)では他者に何もしたくない―ただより高い物はないの意味 【神の国では神自ら無報酬で賜物として与えられる‐聖書の野の花の例え】


人間は無報酬(金なしでは)では他者に何もしたくない―ただより高い物はないの意味
【神の国では神自ら無報酬で賜物として与えられる‐聖書の野の花の例え】

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人を媒介して与えらるものは無償ではない、見返りが必ず要求される

●無報酬では何もしたくない、ささいなことでもしたくない、ただより高いものはない

人間の価値は金で計られる、でもそれが本当なのだろうか?労働自体も金で計られる、金の多寡で労働が決められる
でも変なんだけどその人は大金持ちだとする。でも貧乏な人が来て自らお茶を入れるとかする
単にその人のために物を運ぶというとき何か大金持ちだからそんなことしないでお手伝いさんにしてもらえばいいとか
そのために金を払って自分は何もしない、ありあまる金を払えば事が済むとなる

私自身がその人は別に金を払うわけでもない、むしろ金を与えている、その人のために物を運ぶ、寒いから小型の温風器を運ぶ
それが手間に感じたのである。その人は別に私のために何もしてくれない、それなのに金を与える
奇妙なのは金を与えるよりその人のために温風器を運ぶことが負担に思ったことである
それは直接の労働にもなっていたからである。人間社会は赤の他人に無償ではなにもやりたくないことが実感した
金がもらえるという報酬があり仕事している。単にモノを運ぶことでもそうである。金をあげますからA地点からB地点へ物を運んでくださいとなり運ぶのである。それを無償ですることはない。

それで親戚の人でも箱一つを運ぶのを嫌がっていた、そんなもの簡単でも何も報酬がないとしたくないとなる
でも報酬は与えていたのである。その人は借金していたから私からその借金を払うために金を都合してもらいたかったのである。
その額も事業していたから大きいものとなっていた。ただ確かなことは私のためには何もしたくなかったのである
だから気持ちとしては箱一つでも運ぶのを嫌がっていた、頭の中は借金のことしかなかったからである

ただそれが私が批判できるかとなるとできないとわかった。なぜなら自分自身がなぜ赤の他人に物を運ぶのに負担を感じたからである。それも金をはらっていてまた物を運んでいたからである、何か物を運ぶことが返って負担を感じたからである

人間は何か報酬がなければ何もしたくない!

これが別にいい悪いとかではなく人間だということを知る。ただより高いものはないというとき無償で何かを他人にしてやる人はいない、もしする人があるとなると何か魂胆があり後で大きな見返りを要求されるとなるから出た諺だとなる
要するに人間はなんであれただ無料で他人に尽くすことはできない、それはいい悪いとかではなく人間はそういうものだということである。福祉関係の仕事でも無料ではない、国からでも自治体からでも金をもらっているからしているのである
だからこの世でただより高いものはないというとき人間は無償では何もしない、したくないとなる

だからただですることがあれば返ってその報酬は金を払うより高くつく、だからこそこの世で他者にサービスを受けるとき
一定の価格が決めれる。ただのサービスは返って高くつくからそうなった。他人には報酬なしでは何もしてもらえないということである
カルト宗教団体であれ宗教だと無償でしてくれるのかとなるとやはり無償ではない、カルト教団なら確実にその見返りを要求している、だから献金が常に要求されるのである。要するにかえってただより高くつく場合がある。無償で助ける人はいないということである

●無報酬でもしたいことはある

ただ不思議なのは人間は報酬無くても金がもらえなくてもやりたいことがある。例えば芸術家なら画家ならいい絵を描きたいという願望が強い、それを売れば金になるからではない、絵を描きたいという動機がありそのために金が必要だとなる。だから画家は金になるより自分の納得する絵を描きたいとなる、だから絵を描くことは報酬が例えなくて描きたいのである
仕事にはそういうことがある。私は別にプログで毎日書いても報酬はないしほめられるということもない、でもなぜこんなに熱心にしているのか、それは自分なりの絵を描きたいという画家と同じなのである
それは金を払ってでもしたいことだからそうなる。単にモノを運ぶとなればしたくないのはそれが絵を描くのとは違っている
それは何か報酬がなければしたくない仕事だとなる。

要するにただ金を得るだけに強いられる労働と自らしたくてする労働は違っている、大方は金のためにしたくないけどしている
だからみんな会社員は社畜だと自ら言うのである。
ともかくただより高いものはないというとき人間は無償で他人のために働くことはしたくないそれは確かである。

なぜあなたのために物を運ばねばならないのか?
何か得があるのか

だから一つの物でも他者のためには運びたくないのである。それは冷たいともならない批判できないみんなそうだからである。
一方自然界は食料でも何でも無償で無料で与えられる。それでも人間が栽培するとそこに人の労働が加わりるから無料ではない必ず報酬が金が要求される。どうしても絶えずこれは苦労して作ったものとなり報酬が要求される
でも不思議なのは自然界では食料を得るとしてもそこに労働は加えられていない、木の実であれ何であれそれは神から直接与えられたものである。何か報酬は要求されない。だからその時その果実でも木の実でも甘美になる

それで野にある桑の実を食べたときそういう食べ物は買って食べるより甘美なものになる、別に誰かが苦労して作ったものではない、無料で無償で食べられるものだからである。それは出エジプトで与えられたマナとも似ている
誰かの労苦によって与えられたものではないからである。だからそれは一層甘美だったのである
天国とはこうして食べ物でも無償で与えられ場である。神が直接賜物として与えられる。金を払う必要はない、ただ神に感謝して食べればいいだけなのである。何か人間が手を加えるときかえって必ずそこには不純なものが生まれて来るともなる
人間の手から与えられるものは神が直接与えるものとは違う、かならず報酬が要求されるのである。それが負担に感じるのである。

そして人間でも無償では他人には何もしたくないのである。それは冷たいというのではない、神は何かを与えるにしても
無償であり何か神自身が苦労したわけでもない、それは奇跡と通じている。
聖書では何かそうして奇跡として人間い与える、キリストもパンであれ葡萄酒であれ奇跡として与えた
奇跡とは何の苦労もせず与えるということである。病気でも触れただけで癒したとかなる
人間の医療となればいろいろと苦労する。だから医者にかかれば医者への報酬は一番高いものになり医者は一番偉いものとなる
医者に対しての報酬は一番大きいものとなる。医者が神のように崇められともなる。

要するに人間を媒介として与えられるものは無償ではない、常に負担となるものである。だからただより高い物はないとなる
逆に無償でただで与えるのが神だとなる。何か見返りを要求しない、感謝するだけでいいとなる
つまり人間を媒介として与えられるものは常に報酬が期待されて負担になる、それで何か生きること自体負担になっている
純粋に喜べないのである。ただでしてもらってもそれは神が与えるものとは違ってさらなる報酬が要求されているからである

●神の国では無償で与えらる

この世で本当にいいものは自然の景観であるがそれは無償で与えられる、富士山を見たからと金を要求はしない
野の花を見たから何か報酬は要求されないのである。そして野に咲く花が最も美しいのである

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

働きもせず、紡ぎもしません

人間が作り出す衣服は作り出すのに大変な苦労がある。野の花は働きもせず、紡ぎもしませんとなっている
それは労苦なしで咲いている。でも人間が花を栽培すると苦労して栽培したとなり報酬が金が要求されるのである
でも一番は花が美しいのは野に咲く花なのである。
人間は絶えず働き紡いでいる、それで必ずしも野の花のように美しいとはならない。だから人間の労働は膨大なものである
その労働の結果として大都会がある一千万の大都会があってもそこに一輪の野の花ほどの美がないということでその対象が極端なものと現れている。要するに膨大に働き労して紡いで作られたものでもそこに美がない、それは何なのだろうとなる
それこそ徒労だったのかとなる。

ともかく人間の労働はすべて賞賛されるものではない、絵を描くとか何かその人なりにしたいことをしていない、強制されて働く、何か与えられるにしても必ず報酬が要求される
そのことは資本主義だろうが共産主義だろうが変わらないのである。また変えようがないのである
そこにこの世の絶望がある。神が自らの業で作り治める神の国でしか理想は実現されないのである
人間がいくら労働しても努力しても理想の国は実現することがないのである、そこに人間の限界がある。

神の国では神自ら治める
神の手でじかに食料も与えられる
それ故により甘美となる
鳥は着るもので苦労しない
住む家もなく苦労しない
食べるものでも日々ある
神は労せず何でも与える
その報酬は要求はしない
ただ感謝すればいい
そこに至福があり人は満ち足りる
神の計らいは万全であり
そこに災いはない
病もなく老いもない死もない
永遠の神の都で安らぐ

野の花でも鳥でも同じである。食べるものでも与えられているけど人間とは違う。着ることもないし家もないけど生きられからである。誰か苦労して与えるわけではない、神自ら与えるもので生きる。ただ家畜とかペットになると人の手から与えられたもので生きるから違ってくる。だからいくら餌を与えても慣れない猫になぜ餌やるのだろうとなる
また餌をやっても感謝もない、だからなぜ餌をやっているのかとなる。猫でも与えるときは何らかの報酬を期待しているからだとなる。

確かなことは人間は常に何でも苦労して作り出すから報酬なくしては何も与えたくないということである
giftはドイツ語由来でありそれには毒の意味があったことことが象徴的である。人間から与えられるものには毒が含まれているともなる。何かただより高いものはないに通じている。無償の賜物としては与えられないともなる
つまり人間から与えられるものには毒があるとなる。一番いいものは神から直に賜物として与えられるものだとなる。


2025年03月26日

統一教会に解散命令―次は創価でありそこが本丸 【隠蔽されてきた悪が暴露される―カルマは消えない】

統一教会に解散命令―次は創価でありそこが本丸
【隠蔽されてきた悪が暴露される―カルマは消えない】

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祝!統一教会に解散命令くだる!次は創価学会!乾杯しましょう
『TTBジャーナル』

ここは法律的にも政教分離を説明しているからわかりやすい
宗教団体でも法人格を得た宗教団体は特権を得るから違っている
創価の問題は検察でも議員でも権力を持つ者とかかわって操作する
そのために政治権力を得ることが活動の中心になる
政治によって利権を御利益を配分するからである

●宗教法人化した団体とそうではない宗教団体の相違

ここの分析はわかり安い、法律の問題点を指摘している。宗教団体と法人格を獲得した宗教団体は違っている
法人格を得れば税金は払わなくてもいい、その特権があるからこ法人格を得た宗教団体は政治運動などをすることを問題にしている。でも法人ではない宗教団体は活動が自由だとしている。これが明確にされていないので混乱する
法人格を得たら政治活動は禁止されて宗教活動のみ許されるとなる
創価でも別に政治活動しても憲法違反にならないとしている。でも創価の場合明らかに憲法違反なのである

ではなぜ放置されちたのだろうか?何か巨悪にしろそれが最初わからない、何か手を打てない間に悪は増長して手が付けられなくなる。それがナチスにもあり他にも悪は隠蔽され増長されても何かわからないのである
それは原発でもそうでありそこで危険があっても政府の権力で隠蔽され続けて来た。そして事故になりその危険性を具体的に被害となって意識されたのである。つまり最初は悪が何かわからないのである。それが重大な被害として現れるときわかる

アンタッチャブル化すること特権化して不可侵の領域にすることが危険なのである。そういう権力をもつと権力が暴走してナチスのようになっても誰も止められない、検察警察も止められなくなる、なぜなら検察も創価の人がいて操作できるからだとなる

でもその時はすでに時遅し

となっている。その被害が甚大なものになって自覚されるのである。ただ悪はいつか露見される。それには時間がかかる。
ジャニーズ性加害でも隠蔽されていた。その期間が長いのである。つまり何が悪なのか見えにくい、特に巨悪は見えにくいのである。むしろ大悪人でも善人とされる、カルト宗教団体の場合がそうである
ではそうした悪が生まれた背景は原因は何だったのか?それはいくら池田大作でもできない、その背景に池田大作を産み出す社会があったとなる。それは戦後の焼け野原からカルト宗教団体は生まれ成長した。また東京に地方から人が移住して人の繋がりを求めてそういう団体に入った。だからその背景にそうした社会事情があり急成長したとなる
社会の不満分子を吸収したとなる。

●創価と共産党の共通点

不思議なのは創価と共産党は似ている。その共通性は生活に困窮していて恵まれていない人たちが多数なのである。
その人は障害者を持っているとか貧乏で食べることもままならない、いつも困窮している。何かいいことがないのである
最近では病気にもなって苦しい、そういう苦しむ人たちは頼るところがなく創価とか共産党に頼る
そしてそういう人達は身の不運は困窮は社会のせいであり常に自民党を批判している。自民党のせいでこうして苦しむからそうなる。でも障害児をもったのは別に自民党のせではないのである。それは何なのかよくわからないのである

ただそいう人は頼るべき人がいないから頼る、すると政治的にであれ利用されるとなる。そういう不満分子を集めて反政府団体と組織して力を持つとなる。そして異常なほど御利益福運を説く、信じれば御利益福運が得られると異常なほどの熱気となり祈るのである。だからナチスを生んだ社会背景がありまた創価を生んだ社会背景があり急成長したのである
だからこうして社会問題を解決できないから何かカルト宗教団体に頼る人達がいるから成り立つのである
そういうことは人間社会で変わらずあり貧困問題でも日本で多数の問題化していてそれが解決しない、そもそも人間社会の様々な問題が解決できないことからそうしたカルト教団がなくならないともなる

●誰でもカルマで苦しむ―解消できないカルマ

人間は誰でも何らかで苦しむのはカルマだともなる。それは親の因果子に報いとなるのもそうである。親から遺伝するということはカルマだとなる。病気でも遺伝だとそうなる。障害者も遺伝がありそれがその親に子にカルマとして苦しめられることになる。家族でも何らかカルマを持ち苦しむ。その原因が様々であり何らかで苦しむようにできているのが人間だとなる

そしてそのカルマは解消できない!

これが衝撃的なことなのである。社会を変えても人間そのものが持っている業がありそれがカルマとなり延々と続くのがこの世だとなる、このカルマは業は消えることがないのである。何故今でも戦争がなくならないのか、それも人間の業がありカルマが原因している。人間のカルマを消滅させることができないのである。それはこの世の終わりまで続く、人間の力では解決できないからである。

つくづく人間はジキルとハイドである、口では善を説き善人のふりをするが実際は自らの我欲で動くのでありカルト教団の幹部などでもそうである。人を助けるよりそういう困った人達を利用して我欲を満たすことである。だから平等を追求した共産主義でも幹部は中国なら共産党幹部が巨万の富を得るし幹部がその師弟でも就職でも優遇される特権化する
だからカルト宗教団体でも利権団体であり利権を御利益を追求するのである。それで政治にもかかわるのである
でも政治の利権にかかわることは法人化した宗教団体では禁止されているのである

それがなぜ黙認されてきたのか?それが最初は悪と明確に見えない、でも後からその実体が悪が見えてきて暴かれるとなる
カルマでも何がカルマを積んでいるのかわからない、でもそれが必ず苦しみとなって現れる時意識する
それは60以降に現れる。いくら恵まれていても何かしらカルマを積んでいてそれが苦しみとなって現れる
そういうことが社会には多い。

●ジキルとハイドになる人間ーでも悪は暴かれる

いずれにしろ統一教会より何百倍も危険な団体が創価である。それがなぜ見逃されてきたのかとなる。それは自民党の責任でもありマスコミの責任でもありこれまた原発事故と同じ構図になる。そこに巨大権力がかかわり見逃されて大被害になった時その悪に気づいたとなる。太平洋戦争でも300百万人が死んだことで悪が暴かれる。ただそれは日本だけではないアメリカの悪もあったとなる、つまり巨悪となるとかえって善と見える。巨悪になると悪が見えなくなる

むしろ善として推奨される。だから自分は最悪の悪人だと自ら説いた親鸞などこそ本当の善人だったとなる逆説がある
何かみんな悪とか罪を意識しない意識できないからである、普通はみんな善人だと思っているからである
だからカルト教団の教祖が最大の悪人だったけど最大の善人もされていたとなる
そういう矛盾をかかえているのが人間でありジキルとハイドになる。

でも悪は必ず露見して暴かれる、この世で露見しなくても隠れたものでも来世で露見して暴かれ裁かれる
つまり悪は見逃されることがない、この世で見逃されても来世で死んでからでも裁かれるとなる
それを自覚して恐れる人は本当の宗教家である。第一来世のことなど恐れる人などいない、今世が良ければばいいとなる
だからこそいつまでたってもこの世から悪はなくならない罪は消えないのである
いつか人類は滅びる運命にある。ただそうなっても依然として神に選ばれた者は神の国で生き続けるとなる




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